それは想いのカタチであった。
それは祈りの収斂進化であった。
――――それは禍(まが)きモノであった。
誰もそれに触れてはならぬ。誰もそれを探ってはならぬ。
ヒトの信仰こそ、ヒトの畏れこそ、それの力となるのだから。
――――ヒトはそれを『怪異』と呼んだ。


荒廃し、半ば廃墟と化した高級住宅街。
怪獣でも暴れまわったかのような有様のヒトの住処の一角に悠然と建つ一棟のガレージ。
石の牢にて閉じ師の末裔である少女が与えられる地獄をただひたすら耐えていたその時。
パンドラの扉の前に『それ』はいた。

(若いメスの臭いが一つと豚とも人間とも言えぬ臭いが一つ。そして繊維と酒精と酷似した臭いが一つ……おそらく人間の臭いだろう)

六月の陽光に照らされる三メートルはあろう巨躯と全身を覆う暗褐色の体毛。
鉤爪は刃の如く、口顎より時折覗かせる歯もまた同様に鋭い。
右目は抉れ機能を喪失しており、対となる左目は失った右目の分の怨念を宿すかのように煌々と輝いている。
『それ』の名は、オスの羆―――独眼熊

結局のところ、独眼熊は銃を使うことは叶わなかった。
熊の前足は人間と同じ五本の指を持ち、鋭利な鉤爪で巣穴を掘り起こして獲物を捕らえることも可能である。
しかし、人間のように五指を精密に動かすことは極めて困難である。
その上銃はあくまで人間が使用する前提で作られた道具。手のサイズそのものが違う羆が扱えるはずがない。
そのため、独眼熊は彼が目指す『猟師』のように銃を使用した狩りは断念せざるを得なかった。

貫かれた脇腹から血が滴り落ちる。雷火により焼かれた臓腑が苦悶の声を漏らす。
その度に脳裏に過るのはただの獲物である筈だった若いメス二匹――"ヒナタサン"と"ケイコチャン"。
喰われ糞として捻り出される程度の価値しかないと侮っていた兎からの痛手は独眼熊の自尊心を酷く傷つけた。
生まれた屈辱と憎悪は思考を塗りつぶす程深く、当面の目標であった山暮らしのメスの討伐の優先順位を下げるほどであった。
現在、独眼熊の武器は己の肉体のみ。異能により発達した知能はこのままでは二の舞を踏むと判断する。
彼の現在の目標は自分でも使える武器を探すこと。その中で人間がいれば『道具』として使ってもいいと考えた。

(……やはり、どうにもならんな)

コンクリートの壁を音を出さぬように前足で軽く押す。返ってくるものは無機質な感触だけ。
口惜しいが今の自分は無力。石壁を破壊して中に逃げ込んだ獲物を引きずり出すことは現状では不可能。
嘆息し、武器を探すべくガレージを後にしようとした瞬間。

「――――――!!」

自分のねぐらへ侵入する、人間ではない『ナニカ』の臭い。


ずりずり、ずりずりとフローリングの床を巨漢が、仰向けのまま青々と茂る芝生へと赤いラインを引いて移動する。
否、男は既に息絶えている。肘から下を失い、臓物を露出させた肉塊は脂肪がたっぷりついた脚を何かに掴まれて引き摺られていた。
肉塊の名前は気喪杉禿夫。僅か数十分前に腹いせとばかりに獣に貪られた哀れな犠牲者。
それを乱雑に動かしているモノは黒々とした硬い鱗を持つ生物、ワニ。
ぶよぶよの足を一匹のワニが巨大な顎で挟み、身体をくねらせながら後ろ歩きでベランダの方へと移動させる。
そして頭を器用に動かし、ベランダから芝生へと放り出す。肉塊はうつ伏せに落ち、芝生の緑を赤黒く濡らす。
落ちた肉の前にはベランダ上の個体と寸分違わぬ姿のワニ。今度は左肘を挟み、ずるずると引き摺っていく。
バケツリレー方式で巨体を移動させた先。積み上げられた肢体の数々を絶え間なく貪り尽くしていくモノ。
強大な顎から血を滴らせ、ギョロついた小さな瞳で獲物を無我夢中で喰らい続けるそれはワニであった。
だが、贄を運んできたワニと比較すると倍以上のサイズ、即ち四メートル以上はあろう巨躯は群れのボスに相応しい姿である。
庭の中心で悠然と佇み、餓鬼の如く肉を貪り続ける王者の名はワニ吉。それに贄を差し出し続けるスケールダウンした姿形のワニ達は彼が異能により生み出した傀儡である。

王――ワニ吉とて何も思考せず喰らい続けるのは本意ではない。
異能に目覚めた当初は長年の夢を叶えるために人形遊びの延長とは言え、生み出した分身に名前をつけ、家族として愛情を注いでいた。
しかし診療所を襲撃した際、悍ましき肉塊の一部を喰らった瞬間、彼は餓鬼道へと堕ちた。
今のワニ吉は極限の飢えを満たす以外の考えを持たぬ畜生である。


このままではいかぬ。
思考を放棄し、ただ貪りつくすだけの獣と化したワニ吉の中にある『それ』は独り言ちた。
『それ』はワニ吉が襲撃した診療所にて蜘蛛の巣の如く肉を張り巡らせていた異形の存在。
一色洋子の生誕と共に彼女の体内に存在する兄と同等の高魔力を魂や身体機能と共に喰らい続けてきた呪巣。
その名は『巣食うもの』。現代に至るまで一色家の血筋の中に封じ込められてきた絶対悪。
神職であれば名を知らぬものがいないとされる史上最悪の厄災として山折村の伝承として語り継がれていた。

現在、巣食うものは神楽春姫の神聖を感知し、高級住宅街へと逃げ延びていた。
あれと邂逅すれば間違いなく己は滅ぼされる。直感で巣食うものはそう判断している。
今すぐにでも、あれを滅ぼさねばならぬ。だが、現状で巣食うものに打つ手はない。
現在の宿主であるワニ吉は只人と比較にすらならぬほどに強靭な肉体と有用な異能を持つ存在である。
しかし、ヒトと比較すると知性が到底足りぬ。常に脳を刺激し続けなければ途端に野生へと戻ってしまう。

異能を把握するために欠けている何か。その最後のピースが分からない。
そのためには死骸でも構わぬ。一色洋子の手を引いていた小娘――氷月海衣のような正常感染者を見つけ脳を調べなければならぬ。
だが、今打てる手は一色洋子の異能『肉体超強化』の再現を急ぐための栄養補給以外はない。
山のような冷たい死骸をワニ吉に喰わせ続けさせる中、ワニ吉の舌に感じる僅かな熱。
それは、気喪杉禿夫の血肉であった。

正常感染者の死体。時間があまり経過しておらず、ワニ吉の視界を通してみたところ、頭部に損傷はない。
待ち望んでいた存在に厄災は笑った。これの頭蓋を割り、脳を飲み込んで解析すれば異能を理解できるかも知れぬ。
そう思考してワニ吉の脳に信号を送り、食事を一旦中止するように命令した。
しかし、愚王の野生は止まらない。知性を放棄した畜生は口顎に力を加え、気喪杉の骨を砕き、肉を貪る。
厄災に初めて焦りが芽生える。血の通うものを嘲笑う魔にとってワニ吉の苦しみになど到底理解できるものではない。
ワニ吉が脳を傷物にする前に食欲を停めるべく、神経へと働きかけた瞬間。

「ゴアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!」

雄叫びと共に柔らかな腹に衝撃が走り、ワニ吉の身体が吹き飛ばされ、血で染まった芝生の上を転がる。
何事かと思い、体勢をと問えると同時に異能により生み出した従者が襲撃者へと襲い掛からせる。
ワニの全速力は時速約五〇キロ。一般成人男性の全速力以上の速さで疾走可能である。驚異的な咬合力と異能より起因する連携を潜り抜けられる存在は稀。
例外があるとするならば、物辺天国や神楽春姫のような強力または相性で勝てる異能を持つ正常感染者でなければ生存は不可能であろう。

だが、襲撃者はその例外中の例外。

襲撃者に襲い掛かるワニ吉の分身は三体。一体は護衛として主たるワニ吉の傍らで身構えている。
招かざる者の三方には全長二メートルにも及ぶ巨体。それが自動車並みの速さで突っ込んでくる。
顎を開き弾丸を彷彿させるような速度で突撃する異国の獣。

「ヴヴヴヴ――――――!!」

憎しみを絞り出すような唸り。それと同時に僅かに横に動いて後方より迫る分身を回避する。
すれ違うワニに対し、それは四股を踏むように後ろ足で脳天に体重を掛ける。
霧のように胡散する分身。犠牲など気にも留めず左右より迫る下僕達。
左方より迫る獣に対し、襲撃者は剛腕を振り下ろし頭蓋を叩き割る。
だが右方のワニへの対処が遅れ、右腕と思わしき部位へと噛みつく。
肉を嚙み千切るべく、顎の力を強める僅かな時間。それの隙間を見逃すことなく、襲撃者は勢いよく右側へと倒れこむ。
それが本物のワニであるならば、その程度の衝撃は意に返さず、骨ごと砕いて無力化させ、王の新たな食事として差し出すである。
しかし、これは異能により生み出した分身。頭部にある程度の衝撃を与えれば消え失せる紛い物。
襲撃者の目論見通り、襲い掛かった下僕の身体は胡散した。

ワニ吉の視界で巣食うものは襲撃者の正体を探る。
抉れた右目に暗褐色の体毛に覆われた巨体。視界の機能を残した左目は憎しみに塗れている。
無傷ではないといえ、群れの狩りを突破した存在に瞠目する。

「ヴッ……ヴッ……ヴッ……ヴッ……!!」

小太鼓を鳴らすような唸り。
度獲物として喰らった死肉の食べ残しに対して異常な執着を持ち、奪おうとする不届き者に対しては明確な敵意を露わにする存在。
その生物の名称は羆。この地に現れたのは銃の名手ですら仕留められなかった凶暴な羆。
仮想名称『独眼熊』。悪意という知能の到達点に辿り着いた魔獣である。


死肉が散らばる芝生。そこに佇むのは巨大な蜥蜴擬きとそれの親玉らしき巨大な生物。
群れを作る爬虫類など知らぬが、自身の獲物を奪う存在であればそれは忌むべき人間でなくとも外敵に他ならない。

「チクショウ!!コノヤロウ!!」

威嚇の意味を込めて、かつて自分の右目を穿った白髪交じりのオスの使った罵倒を投げつける。
一瞬、蜥蜴擬きの親玉の目が見開かれた気がした。その程度の威嚇で一瞬でも怯めば好都合。
思考を取り戻す時間を与えずに畳みかけて仕留めよう。

「ブオオオオオオオオオオ!!!」

咆哮と共に巨大生物へと突撃を仕掛ける。それに対し、初動が遅れつつも蜥蜴擬きは回避すべく身体を器用にくねらせ、脇にずれる。
巨大ワニの巨体をすり抜ける瞬間、独眼熊は後ろ足に力を籠め、後方へと跳んだ。
ワニの反応が僅かに遅れる。それが致命的であった。
独眼熊の三〇〇キロを超える巨体はワニの背鱗板を踏みつけ、その衝撃は硬い皮膚に覆われた内臓へと少なくないダメージを与える。
ガフッとワニの口から空気を吐き出すような息が吐き出される。
魔獣は身体の上で身体を反転させ、分身と同じ末路を辿らせるべく脳天に向かって鉤爪を振り上げた瞬間。

「ギィ……!!」

視力を失った右方――右脇腹に走る激痛。首を動かしてみるとそこには腹部へ牙を立てる蜥蜴擬きの子分が一匹。
思わぬ激痛にバランスを崩し、騎乗していた巨大ワニの身体から振り落とされる。
皮膚を食い破ろうとするそれを振り払うべく左右に転がり続けると、それは思ったよりも早く振り解かれた。
想像以上に呆気なく痛みから逃れられたことに疑問を感じつつも、巨大ワニに対応するために仰向けの状態から起き上がろとする。

突然、視界が白で覆い尽くされる。驚いて思考が空白になった瞬間、全身に衝撃が走った。

巨大ワニ――ワニ吉もただ黙ってやられているわけではない。
分身体がやられたことで自分の身に危険が迫っていることを感じ取り、現在まで何よりも優先してきた食事を中断して事の対処へと当たった。
目の前の脅威――己の中で本能に囁きかける『ナニカ』に従い、それに従うように動いた。
五〇〇キロにも及ぶ身体にプレスされ、窒息しかけて藻掻き苦しむ羆。
野生の獣としての順位は決定された。仕留めるべく、残り一体の分身を呼び寄せ、ダメ押しとばかりに異能を使用して傀儡を呼び寄せようとしたその時。
プツリ、と唐突にワニ吉の意識は途絶えた。


圧し潰され、ミシミシと全身の骨が悲鳴を上げる。圧迫された肺から空気が吐き出され、すぐさま酸素を補給すべくハッハッと荒く呼吸する。
独眼熊の脳裏に浮かんだもの。己の生涯にて何度も遭遇してきた感覚―――死。
幼少期より幾度となく晒され続けてきたその感触は、異能によって拡張された脳に刺激を与え、忌まわしき記憶を呼び覚ます。
右目を奪った猟師のオス。自身の縄張りを奪った山暮らしのメス。
北の大地にて共に穏やかに過ごしていた母を目の前で撃ち殺し、幼い自分を鉄檻に閉じ込めて連れ去った猟師共。
屈辱が、憎しみが、途絶えかけた意識と共に生存本能を呼び覚ます。
現状を打破すべく薄くなりかけていた知恵を回す。生き延びる時間を延ばすべく、両前足で視界を覆う腹を押し返す。
その途中、唐突に蜥蜴擬きの動きが止まった。
同時に独眼熊の丁度口当たりに来るように白い皮膚の移動してきた赤黒い肉の影。
まるで『喰え』と言わんばかりに移動してきたそれに対し、酸欠状態が続いてあまり働かなくなった魔獣の脳が『喰らえ』と命ずる。
朦朧とする意識のままその部位に牙を立て、噛み千切った。

瞬間、魔獣の脳に『ナニカ』が寄生した。


これまでのやり取りを経て、厄災はワニ吉から独眼熊へと宿主を乗り換えることに決めた。
ワニ吉の異能は確かに強力だ。しかしそれを万全に使いこなすための理性が足りない。
この状態で神楽春姫を筆頭とする神職関係者や強力な異能の持ち主共に太刀打ちできるとは限らない。
特に己の本来の力を悪霊程度にまで削ぎ落した忌まわしき血――隠山(いぬやま)一族を根絶やしにするためには一刻も早く力を身につけなければならぬ。
異能を解析し、その力を自在に操れるようにするために必要な最後のピースは宿主が知性。それも己ではなく、宿主が持ち得なければならぬ。
特に己にはあらゆるものを害する知性――傲慢、強欲、嫉妬、憤怒などを始めとした人の業を煮詰めた原罪たる悪意が必要だ。
故に本能を抑えきれずに脊髄反射で動く畜生では解析が難しいと判断した。
そして、その器は都合よく目の前にあった。

手始めにワニ吉の脳に信号を送り、己の企みが羆に感づかれぬように対処させる。
八百長じみた諍いである程度の体力を奪い、抵抗する手段を一つに絞らせるまで追い詰める。
その後はワニ吉の脳に刺激を送り、仮死状態にさせる。
知恵を得た魔獣を器に厄災は己の存在を植え付けることを選択した。


蜥蜴擬き――否、ワニ吉の腹肉を喰らった瞬間、極度の興奮状態にあった独眼熊の心は凪いで落ち着き始めた。
生命への危機に瀕した際の焦りは消え、残るのは未だ燻ぶり続けている人間への呪詛や怨念。食事としての興味のみ。
動かなくなった巨体を前足で払いのけ、体の自由を取り戻す。
ワニ吉の異能によって生み出された異能は既に目の前で完全に動きを止めている。

また襲いかかってきては面倒だ、と前足を脳天に振り下ろして始末した。
現在、自分の外敵となる存在はこの空間には存在しない。改めて、自分の状態を確認する。
左脇腹には貫通傷。胃腸を始めとした内臓には圧迫された痛みと電撃によって焼かれたダメージが残っている。
そして右腹には先程、自分の仮初の肉体が傷つけた歯形。
この傷を塞ぐためにはこの場に残る肉を食い尽くし、取った栄養を肉体に還元する他はない。
そのために独眼熊(巣食うもの)は自分の意志で一時的に極限状態の空腹状態になり、積み上げられた人肉を貪り始めた。。
骨肉をかみ砕き、臓腑を引き千切り、血を啜る。肉片一つすら残さぬほど喰らい尽くし、余すところなく全て栄養として還元。
取り込んだ栄養はヒナタサンやケイコチャン、ワニ吉達より受けた傷の修復に充てる。
だが、右目は治さない。失った右目は己の戒め。人間への憎悪を燃やし続けるための楔なのだ。

程なくして積み上げられた亡者達の血肉は一つ残らず腹の中に納まり、右目を除いた傷も全て塞がった。
残る肉体は二つ。未だ夢見心地のワニ吉と自身が喰らっても未だほとんどの肉を残す正常感染者の死体の二体。
この二体だけでも傷の修復に充てた亡者の肉の総量を上回る量。

巣食うものにより浸食された自我のまま、独眼熊は知恵を回す。
正常感染者が使用する自然の摂理に反した力――異能を発生させる器官は脳。
それを取り込むための手っ取り早い手段は経口摂取。即ち捕食である。

「ァ゛……ア゛……ァ……」

一時的な仮死状態が解けたのか、ワニ吉は呻き声を上げながら、バタバタと手足を動かそうとする。
だが、それ以上のことはできない。厄災はそれを見越し、ワニ吉の脳を誤動作させ、神経の大部分を麻痺させた。
既にワニ吉は狩人に非ず。食われるのを待つだけの食物連鎖の底辺へと身を落とした。
只の獣肉と化したワニ吉の頭蓋を割り、脳を露出させる。

(所詮、畜生は畜生か……)

ワニの脳はおよそ十四グラム。羆の掌どころか人間の幼体の手にも乗るサイズの肉塊に魔獣はせせら笑った。
脳を傷つけぬように鉤爪で丁寧に繋がっている神経を引き離す。細心の注意を払って掌に載せ、口に含んだ。
舌の上に乗せ、牙に当たらぬように咀嚼せずに飲み込んだ。
胃に落ちてはただの栄養となってしまう。異能を解析するためにはそれでは駄目だ。
そこで、巣食うものは独眼熊の肉体を一時的に変化させることを選んだ。

やり方は理解している。
診療所にて一色洋子の死肉を膨張させ、食事を続けている亡者を取り込んだ時のように筋肉を動かせばいい。
食道付近の肉を絞り上げ、胃への到達を防ぐ。その際、独眼熊の肉体に激痛が走る。呻き声が巣食うものの中に響く。
ワニ吉の時のように下らない生命本能とやらで肉体の動きが止まっては面倒だ。
二の舞にならぬようにするために、巣食うものは独眼熊の痛覚を奪った。
その働きの後、絞り上げた食道の間で落下を止めている脳を厄災は解析し、情報を異能により拡張された独眼熊の脳へと送る。

ワニ吉の異能『ワニワニパニック』。それを再現すべく脳より読み取った遺伝情報を叩き込む。
異能を使うための『素材』が足りなければ厄災としての力を使い、独眼熊の肉体を変化させた。
それでも足りなければ、目の前の肉塊を喰らわせ、栄養を肉体変化のための素材とする。

ワニ吉の肉を貪らせながら、独眼熊の遺伝情報を変化させ、異形の姿へと変えていく。
暫くして巣食うものの仕事と独眼熊の『進化』が終わる。

「あー、あー、あー。しんかとはいいものだな」

拙いながらも、独眼熊は意味のある言葉を発する。
厄災との同調により、進化を続ける脳は独眼熊に足りなかった知識を植え付けた。
肉体もまた同様。体毛の下には弾丸すら弾く黒々とした強靭な鱗板が生え、短い尻尾は暗褐色の毛が生えただけのワニのそれへと変わる。
全身の骨格はかつての宿主であった人間の姿をベースに熊の強靭な筋肉を纏わせ、二足歩行を主としたものに変化させた。
そして口は骨格そのものがワニのものをベースにした口顎へと変え、捕食の効率を上げた。
変化を終えたその姿は羆とワニの合成獣。魔獣と呼ぶに姿形へと進化を遂げた。

「あとは、あのせいじょうかんせんしゃだな」


進化が終わる。
およそ七〇〇キロの正常感染者の血肉を己の糧とした魔獣は嗤った。
両肩から生える腕は羆のもの。しかし生えている鉤爪は太刀の如く鋭く、硬いものに。
そして独眼熊が何よりも臨んでいた銃を使うための腕。それは両脇腹より熊の腕と人間の掌を合成させたような物を生やしている。

「いっしきようこのいのうにはおよばぬが、あのおとこのいのうもいいものだ」

感情により身体能力を際限なく上昇させる『身体強化』。その異能を脳に巣食った厄災によって理解した。
一色洋子の『肉体超強化』の再現はまだ諦めていない。より多くの今以上に正常感染者の脳を取り込んで解析し、必ず顕現させる。

では、今後はどうするか。
己に痛手を負わせた"ひなた"と"けいこ"の異能は魅力的だが、まだ手を出すべきではない。
より多くの異能を取得し、確実に仕留められるようになってから『猟師』として狩る。
次いで以前より狙っていた山暮らしのメスと石牢に逃げ込んだ人間二匹と豚らしき生物一匹。
手に入れた銃や取得した異能を使って狩る存在としては相応しい獲物達。
二者とも殺すつもりではあるが、優先順位はどうするか。

そして、神楽春姫と未だ姿を見せぬ隠山(いぬやま)血筋の人間共。
己を滅する忌まわしき者共。邂逅せずともそれらを滅する方法――己が異能で生み出した分身ではない傀儡にて滅ぼす。
当てはある。それは巣食うものが読み取った独眼熊の記憶、地獄の始まり。

『ウイルスは空気感染によって伝播する…………既に村中に広がっているだろう。致死性のものではないが……研究途中の未完成品であるため人体にとって有害な副作用があり…………脳と神経に作用して人間を変質させる性質を持っている。』
『恐らく……既に隠滅用の特殊部隊により周囲は封鎖されているだろう』

今の自分と瓜二つの分身を伴い、厄災は嗤う。

「テン……ソウ……メツ……」

【ワニ吉 死亡】

【D-3/とある一軒家・跡地/1日目・朝】

独眼熊
[状態]:『巣くうもの』寄生、『巣くうもの』による自我侵食、知能上昇中、烏宿ひなたと字蔵恵子への憎悪(極大)、人間への憎悪(絶大)、異形化、痛覚喪失、分身が1体存在
[道具]:ブローニング・オート5(5/5)、予備弾多数、リュックサック、懐中電灯×2
[方針]
基本.人間を狩る
1.『猟師』として人間を狩り、喰らう。
2.正常感染者の脳を喰らい、異能を取り込む。取り込んだ異能は解析する。
3."ひなた"と"けいこ"はいずれ『猟師』として必ず仕留める。
4."山暮らしのメス"(クマカイ)と入れ違いになった人間を狩るか、石牢に逃げ込んだ人間二匹と豚一匹を狙うか(どちらかは、後続の書き手さんに任せます)
5.神楽春姫と隠山(いぬやま)一族は必ず滅ぼす。
6.空気感染、特殊部隊……か。

※『巣くうもの』に寄生され、異能『肉体変化』を取得しました。
※正常感染者の脳を捕食することで異能を取り込めるようになりました。
ワニ吉と気喪杉禿夫の脳を取り込み、『ワニワニパニック』、『身体強化』を取得しました。
※知能が上昇し、人間とほぼ同じことができるようになりました。
※分身に独眼熊の異能は反映はされていませんが、『巣くうもの』が異能を完全に掌握した場合、反映される可能性があります。
※銃が使えるようになりました。
※烏宿ひなたを猟師として認識しました。
※『巣くうもの』が独眼熊の記憶を読み取り放送を把握しました。


076.対特殊部隊撃退作戦「CODE:Aurora」 投下順で読む 078.研究所探訪
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導かれしモノたち ワニ吉 GAME OVER
朝が来る 独眼熊 風雲急を告げる

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最終更新:2023年05月08日 22:13