山折村商店街の南口アーケード街。
交通の要所に店舗を構え、普段は観光客で賑わっている浅野雑貨店――その裏手には、一軒の寂れた商店がある。
店主の高齢化に伴って数年前に畳まれたこの商店は、
今では浅野雑貨店がダミー施設だと近隣にバレないよう、研究所によって土地ごと買い取られたいわゆる緩衝エリアだ。

そんなゾンビもいない商店に踏み入り、彫像のように不動を貫いている迷彩服の男がいる。
研究所が独自に保有する戦力ではなく、国家から送り込まれてきた秘密特殊部隊だ。
雑貨店から持ち出された土まみれの武器が乱雑に詰め込まれた店内で、ガーゴイルのように片膝を立てて鎮座する。

動かざること岩のごとし。
仮に何も知らない者が屋内を覗いたとして、背景と見紛うほどに動かない三樹康に気付くことはない。
視界の隅に映った迷彩柄を認知した瞬間には、その違和感は額に開けられた穴から命と共に流れ出しているだろう。
そんな傍から見ればターゲットの到来を静かに待ちわびているような佇まいだが、彼の行動は作戦待機ではなく休息だ。
だらけた姿勢ではなく、訪問者を直ちに撃ち抜ける姿勢を維持して休息を取っている。

脳への負担を最小限に抑えるため、眼を閉じ視覚より侵入する情報を完全遮断。
複雑な思考も遠ざけ、集音機から拾われる音だけで周囲を探察する。
結論として、不幸な訪問者が訪れることはなかった。
そうして、小一時間ほど経過しただろうか。

―――いるな。
側から見れば眠っていたかのような三樹康の、その目がゆっくりと開いた。
科学の粋を集めた防護服の集音機能が、空気を伝う僅かな振動を捉えたのだ。

―――獲物だ。
風の音を縫って運ばれてくる人の声と足音。
あらゆる生物がゾンビと化したこの村で、会話の声は予想以上に透る。
地震によって隆起した地面は、歩行する本人は気をつけているつもりでも、思わぬ物音を響かせる。
動くには十分な理由だ。

テロの元凶を征伐して数時間。
脳震盪によるダメージも、背中の強打によるダメージも、これしきの小休止で消えることはないが、状態は安定している。
それ以外の部分――僅かながら蓄積していた疲労に関しては解消されている。
死神がその細長い目をゆっくりと開き、新たな惨劇を求めて立ち上がる。


『けーすけ、泣いてたの?』
『泣いてなんかねーやい! 目にムシが入っただけだっての!』
『さっき春ちゃんにいじめられてたのに!』
『そんなんじゃねーよ!
 おれのじーちゃんは村長だぞ! 村の親分なんだぞ!
 親分はエラくて、絶対泣かないんだ!
 いざというときにみんなを守らないとだからな!』
『もー、じゃーいいもーん。
 けーすけが泣きそうなときはねーえ、わたしがおててをぎゅっとしてあげる!』
『あ、や、やめ。恥ずかしいだろ』
『やーめなーいもーん! けーすけがみんなを守るんだよね。
 だったら、けーすけは光お姉ちゃんが守ってあげる!』
『いいよ、そんなカッコ悪いよ!』
『お姉ちゃんの言うことを聞きなさーい!
 ふふっ、ぎゅーっ!』
『やあっ……、あああ~~っ……』


『ねえ、圭ちゃん。圭ちゃんは本当に、本当に八柳くんがやったと思う?』
『それ以外ありえないだろ!
 証拠だって出てるし目撃者も複数いる。そうでもなけりゃ俺だって信じなかったよ。
 素直に謝るなら、――ほんの少しでも反省するなら、おじさんやおばさんに俺も一緒に頭を下げたさ!
 俺じゃない、俺は何もしてないって! なんだよそれ!』
『私は、私は……うん、そうだね。
 現実感がまるでないんだ。珠が記憶を失って、哉太くんが犯人で、それは確かなはずなのに。
 泣いて、泣いて、一生分かもしれない涙を流したら。
 なんだか、何もかもが蜃気楼のような、まぼろしだったんじゃないかって思えてるの』
『光。今のお前は傷付きすぎて、その優しいまぼろしにすがってるだけだ。
 あいつのことは忘れろ。考えるな』
『優しいまぼろし……。うん、そうなのかもしれない。
 けれど、全部蓋をしちゃっていいのかな?
 肝心の珠が、事件のことはまだ何も話していないんだし……』
『珠はそれだけ傷ついたってことだろが。
 ここであのバカに甘い顔すればどうなる?
 それこそ、閻魔のヤローと同類に成り下がるだろ。
 お前らが許しても、俺は向こうが頭下げるまで絶対許さねえ!』
『そう……そうだね。たぶんきっと、それが正しい。
 でもね、圭ちゃんだって、本当に辛かったなら、無理しなくていいんだよ?』
『無理してるだって? 俺がそうだって言うのか?』
『だって圭ちゃん、つらいときはいつも自分を奮い立たせようとするから』
『…………』
『私ね、怖いんだ。
 当たり前だったものが消えてなくなる。
 人も、景色も、思い出も、変わってく。
 でもね、それでも、変わらない物はあるよ』
『光……』
『ね、そうだ。手つなご』
『あ、ちょっと、引っ張るなって』
『ふふっ、離してあげないもん。
 ――みんなが自分の道を歩んでいったとしても、私は圭ちゃんのそばにいたい。
 何があろうとも、何がどう変わろうとも、私はずっとあなたの隣にいる。
 だから、ね……』
『だ、ダメだ光!』
『どうして?』
『そこから先は、俺から言う! 俺から言わなきゃダメだろ!』


発展の波は山折村にも押し寄せ、幼い頃の記憶を置き去りにするがごとく変わっていく。
村が変われば、友との関係も変わる。
道を分かつ友が現れる。

それはかつて哉太と決別した時に思い知らされたことだ。
それでも今朝、哉太と会って圭介は確かに救われる思いがした。
またやり直せるんじゃないか。
どうしようもないくらいに決裂したと思っていたけれど、それは思い込みだったんじゃないか、と。

幼馴染の少女の死に様がチラついて離れない。
死して一つの命が終わりを迎えたとき、最も鮮烈で美しい思い出が遺された者の身に焼き付けられると聞いたことがある。
幼馴染が全員そろうことはこの先、もう二度とない。
淡い期待は、彼女の死によって粉々に打ち砕かれた。

哉太の事件のとき、圭介は食事が喉を通らないほどに憔悴した。
そのときは光が、最も辛いはずの立場にいる光が、手を取ってくれたのを覚えている。
打ち砕かれた平穏と、消えてなくなりそうだった親分としての自信を、光が修復してくれた。
今は望むべくもない。
光は本能に突き動かされるだけの、特別な、ただのゾンビ。
圭介は一人ですべてを背負わなくてはならない。

そのはずなのに。
日野光が、山折圭介の手を取る。
そのような指示はしていないはずなのに、在りし日の記憶通りに、そのしなやかな手で圭介の右掌を包み込む。

(まさか、正気を……)
取り戻したのか。
そう言おうとして、その底冷えのする冷たさに背筋が凍り付く。
光は決して正気を取り戻してはいない。
未だゾンビのままで、女王は生きている。
落胆する。そして、けれども、安心してしまった。

今正気を取り戻したとして、何を言えばいいのか。
村を襲う特殊部隊を殺してやったと胸を張ればいいのか。
自分たちの故郷が踏み躙られてしまったことを嘆き悲しめばいいのか。
―――それとも。
みかげの死を目の当たりにしてから、ゴリラ女と戦っていた時には考えずに済んでいた恐怖が再び心を蝕んでいく。
それまでよりも、より速く、より深く心を蝕んでいく。


母は無事だ。村で虐殺に勤しんでいたクソヒーローはこの手で誅することができた。
哉太もうさ公も、多少やつれてはいたが無事だった。
ゴリラ女と出会って絶体絶命の危機だったにもかかわらず、自分も光も生き延びた。
生物兵器の軍団すら返り討ちにしてやった。

もしかすると、大丈夫なんじゃないか?
親しい村のみんなは、どうにかこうにか生き延びてるんじゃないか?
そんな淡い期待は地に晒されたみかげの骸が打ち砕いた。

『だが次期村長を名乗った以上、手を汚すのを躊躇うな。でなければ上月みかげのようにまた、失うことになるぞ』
幻影の言葉が反響する。
失う。一体誰を?
先を行く碧の後ろ姿を目に入れ、咄嗟に目を逸らした。
それとも、諒吾なのか。珠なのか。哉太なのか。それとも……。

その横顔を見ることができなくなる。
目に映った瞬間に、その顔が崩れ落ちて、骨だけになってしまうのではないか?
悪夢のような幻影が思考を覆う。
けれど、そんな弱気を知ってか知らずか。
光は圭介の掌を包み込んでくる。

冷たいぬくもり。
不安を霧散してくれたはずのぬくもりが、今や恐怖の源泉になっているようで。
では光の手を振り払うのか?
(それもダメだ……!)
そうするが最後、二度とその手をとることはできなくなる気がする。
恐怖を忘れたかった。自分を奮い立たせられるものが欲しかった。

その昏い願望が届いたのか。
ゾンビとなった六紋兵衛がとある一方向に向き直る。
生物兵器の集団を見つけたときと同じ仕草だ。
浸食する恐怖を使命感と怒りで塗りつぶし、圭介は心を奮い立たせた。


サバイバルナイフに斬馬刀、青龍刀に薙刀、弓矢に防刃チョッキ。
浅野雑貨店から移動させた武器は数多いが、三樹康個人にとっては相性の悪い武器が大半だ。
防具に至っては一切不要。持ち歩いても嵩張るだけ。

高火力の銃器もなかったわけではないのだが……。
―――機関銃本体があっても弾がないのは片手落ちだろ。ちゃんと隅々まで探しとけっての。

レミントンM700とて4キロ弱はある。
どこぞの国民的アニメで出てくるような四次元ポケットなど存在しない以上、使えない武器をじゃらじゃら持ち歩くのは得策ではない。

―――ま、こいつは使えるだろ。
ガラクタの山から掘り出したのはスモーク弾。
敵の視界を覆い隠すほか、味方への信号弾としても使用される武器。端的に言えば煙幕だ。
それと、一部異能への対策のための厚めのシーツも忘れない。

―――さて、ここで待ち伏せてもいいんだがね……。
天から情報を得ていなければそうしただろう。
だが、わずかな思考の後、その選択を放棄した。

酸の異能者、哀野雪菜が高い確率で混じっている。
血が転じた酸は非常に強力で、わずかな飛沫でも寝袋に大きな穴を開け、石畳や鉄すら溶かすとのこと。
さらに銃創を酸で強引に塞ぎ、出血を瞬く間に抑えるというのは乃木平天からの情報だ。
痛みにもほとんど怯まなかったのは、極限状態に追い込まれてエンドルフィンあたりが過剰に分泌されているのか、それとも異能の副産物か。

強酸というが、どれほどの強さなのか、上限は不明。
射程範囲ギリギリからの銃撃では、心臓や脳に届く前に銃弾が溶かされる可能性も考慮しなければならない。
確実に処理するなら、点や線よりも面、瓦礫などによる圧殺が望ましい。
とはいえ、ここで虎の子のウィンチェスターマグナムを消費するのは、牛刀を以って鶏を割くようなものでもある。
初撃のターゲットとしては適さない。

―――小田巻と互角にやり合うボウズもいるっつう話だ、初撃を外せば取り逃すだろうな。
そんな人物が天を追跡しているなら、最大限の警戒網を敷いていると考えて然るべき。

偶然出会った人間を分かりやすい囮として運用しているか、突発的に銃撃されても対応できるだけの対策をしているか。
手段は不明だが、出会い頭の邂逅や待ち伏せは通用しない前提で考えるべきだ。

たとえば、標的が金属鍋でもかぶっていれば、それだけでヘッドショットの成功率は半減する。
H&K SFP9で、スペック上の射程範囲外から金属を貫くのは厳しい。
対して、天から仕入れた情報によれば、相手の武器はデザートイーグル.41マグナム。
スペック上の射程も長く、防護服を貫きうる規格である。

撃ち合いは相手に分があるだろう。
レミントンから持ち替えをおこなう際の秒の空白もまた、命取りとなりうる。

―――裏から回って背後を取るとするか。
周辺で銃撃戦に移行して、万が一この武器捨て場に篭城されても面倒だ。
三樹康個人とは取り合わせの悪い武器防具も、異能との併せ技で悪用される可能性は捨てきれない。
商店街南口からアーケード街に入り、東口へ移動、背後からショットを決めることを選択。
方針が決まれば行動は素早く。
音もなく商店を脱し、作戦行動に移った。

第一目的地は今いるブロックの対角側の地点だ。
移動時間にして約一分弱。
移動距離で表せば百メートル強。
僅かな時間、僅かな距離。
けれども、新たな勢力が入り込むには十分な隙間であった。


南口から最初の角を曲がり、まっすぐ進んで東出口を目指す。
予定通りにルートを進行していたそのとき、集音器が北西方向より新たな勢力の訪れを告げる。

―――なんだ? 
ざ、ざ、ざ、ざ、と鳴り響くそれは、規律に満ちた複数の跫音。
北西方向、北アーケード街のほうから向かってくるそれは、素人集団の散発的なものではなく、完全に統率されたものである。

―――どこぞの一個小隊でも突入してきたのかね?
冗談のような思考を速やかに振り払い、警戒レベルを一段引き上げる。
天はすでに研究所に向かった。
真珠は村人の利用こそ許可されているが、ターゲットの性質上、こんな堂々と商店街を闊歩することはあり得ない。
他の同僚はそもそも村人をゾロゾロと引き連れること自体があり得ないだろう。

―――複数の正常感染者が固まってんのか、疑似的に軍を作り出す異能か、ゾンビや感染者を操作する異能か。
―――蓄音機や電話機よろしく、音そのものを操作する異能って線もあるな。
存在を隠さないのはこの期に及んで警戒心が薄いのか、それともそれだけ異能と地力に自信があるのか。
後者と捉えて対処すべきであろう。

―――やむを得んね。ターゲットは変更だ。
当初のターゲットと新たな訪問者、意図せず挟み撃ちのような形になったが、そこは柔軟に捌いてこそである。
判断は迷わない。商店を背に両手で銃を構え、新たなターゲットの現れを待つ。

天井を覆うアーケードで屈折した陽光は、本来の影とは別に北から南へと地面に薄い人影を形作る。
それを目印に、角からぬっと姿を現したその影の主に、鉛弾を一発、二発と打ち込むべく、腕を伸ばし。

「……なんでアンタがここに?」

網膜に映し出された、いるはずのない同僚の姿。
横合いから確かに捉えた防護服のほつれ。
想像上の警笛が非常ベルのごとく、頭蓋に鳴り響く。

「制圧しろ、ゴリラ女!」
風雅のすぐ後ろから現れた二人のうち、少年のほうが三樹康の疑問に応答した。
山折圭介。村内の若者の中心的存在だ。
もっとも、事前によさげなターゲットを品定めしていた広川と違って、三樹康は一村人の顔や名前までわざわざ覚えはしない。
エラそうなガキを頭と瞬時に見立て、その心臓を撃ち抜くべく発砲するが……。

銃弾は圭介の心臓を貫通することなく、からんと地面に落下する。

「キャラ違ぇだろ……!」
風雅がその身を以って少年を守ったのだ。

H&K SFP9による射撃では防護服を貫けない。
特殊部隊に対する最強の防壁である。
ならばとH&K SFP9からレミントンM700への持ち替えを思案し……。
すぐにその思案をゴミ箱に叩きつけ、転がるようにその場を飛び退いた。

―――足音はもっと多かった。こいつらだけのはずがねえよな。
パシュン、パシュンという乾いた音と共に石畳を覆う砂利が跳ねる。
あのまま狙撃銃を構えていれば、発射の瞬間に銃弾が防護服に命中し、狙撃銃の銃口をずらされていた。
そして、虎の子の一発を無駄撃ちしていただろう。
射手は拳銃を構えた青髪の女。SPのごとく、堂にハマった姿勢で銃口を向けている。

―――ブルーバード……!
ハヤブサⅢのパートナーとして現地入りしているという不確定情報は耳に入れていた。
銃をメインウェポンとし、出どころ不明の怪情報ではあるが某国際諜報機関最強との異名を持つエージェント。
実のところ、三樹康はブルーバードの顔など知らないが、そういう前提で対峙すべき相手だ。

―――こんな機密情報の塊をハヤブサIIIが対処してないとは思えないが、合流してなかったのかね?
三樹康が花子との戦いの最中にホテルを倒壊させたことで、彼女は解放された。
そんな事情を三樹康は知る由もない。
商店街が狙撃手の縄張りとなったことで、以降花子も近寄ろうにも近寄れなくなったという事情を汲み取る術もないだろう。

―――で? まだ打ち止めじゃないよな。最低あと一人いるだろ。
風雅の左肩、防護服に開いていた穴を三樹康は見逃していない。
ブルーバードの銃では防護服は貫けない。

「おいおいマセガキ君よ、その歳でもう女侍らせて戦力貢がせてんのかい?
 いっぱいいるんなら、一人くらい俺にも紹介してくれよ」
「ざけんなよ、村人を皆殺しに来たお前らに話すことなんざ一つもねえよ。
 それともなにか。こっちのゴリラ女が俺の恋人だっつったら、アンタはこいつを優先して狙ってくれるか?」
「そいつが恋人は無理がありすぎんだろ、お前の倍くらい生きてんだぜ? さすがに犯罪だわ。
 ま、周りのゾンビ女たちはともかくだ、お前の名前くらいは教えてくれたっていいだろ?」
「おとといきやがれっつーの!」

いつでも銃を撃てる姿勢で、けれども軽薄に敵との対話を試みる。
一方で圭介は拒否以上のなにものでもない態度ながら、会話には乗る。

こいつがみかげを殺したんじゃないのか。
そのとおりだと答えられれば、絶対に頭に血を昇らせてしまうだろう。
そんな思考のぐらつきを見透かされないように、軽口に乗って虚勢を張る。
(どちらにしろ、無事に帰すつもりはないんだ)
ならばと、この空白の時間を圭介は刺客を配するための時間稼ぎに。

そして三樹康はその刺客を敢えて誘うために。
三樹康の目には、アーケード通りの先や物陰に不審な人影は一切映らない。
風雅の後ろで視認しにくいが、圭介がほかの正常感染者と連絡を取っているような素振りも一切ない。
背後に回れるほどの時間は経っていないはずだ。

―――なら、頭上だな。
圭介の視線が三樹康からわずかに逸れた。
三樹康が先ほどまで背にしていた商店の上階から、一つの影が手にした刀を突き立てるように急降下する。
同時に、ブルーバードからの援護射撃が三樹康を襲う。
防護服は貫かない射撃とはいえ、機動力を削ぐには十分すぎる威力の射撃である。

銃弾回避の姿勢から続けざま、全身をばねのようにしならせて、地面を一転、二転、三回転。
鉛玉はぱす、ぱす、ぱすと割れた石畳にさらなるヒビをいれる。
斬撃はヒュン、ヒュン、ヒュンと空をきる。
伏兵の存在に気付いていたからこそ、敵の攻撃と自身の回避のタイミングを合わせるだけでよかったが、なかなかヒヤリとさせてくれる。
お返しとばかりに銃口を襲撃者に向け、一引き。
だが敵もさるもの。バックステップをしながら、もう一振りの刀の棟で弾丸をガード。
片手持ちの刀で弾丸を弾くなど、腕を持っていかれそうなものだが、ゾンビと化してリミッターの外れた腕力ならば問題ないらしい。

―――思ったよりも戦力が多いもんだ。
三樹康は薄ら笑いを表に出しながら、内心困惑する。
伏兵がいるとは確信していたが、それは剣士ではなく狙撃手。
風雅の防護服の穴は刀で斬り裂かれた跡ではない。
穴を開けたヤツがまだ別にいるのだ。

「手荒な歓迎ありがとよ。
 お名前を教えてくれねえならお前のことはマセガキかホスト野郎って呼ぶしかないが……。
 いや、しかしまた、早々たるメンツだねこりゃ」
村王と王妃。そんな二人を守る親衛隊のように、精鋭の女ゾンビたちがずらりと並ぶ。
SSOGナンバー2の暴力装置に、諜報組織自称最強の銃使い。
まさに夢のコラボレーション。
無名の女剣士も手練れな上に、少年の武器は破格の威力、謎の狙撃手のオマケ付き。
大田原でさえ正面突破は望み薄。

「そっちの二人が顔を合わせる機会なんざ、G7のサミットくらいじゃないか?
 あとironwood、任務の二重受託は隊規違反だぞ?
 ……まっ、ゾンビになりゃ聞こえてねえか」
「そこんとこは安心しなよ、コイツだけじゃなくて、アンタもこれからその一員になるんだからさ。
 ってか、この青髪女のこと知ってんだな。やっぱ関係者だったのか」
「おいおいそいつは俺らとは関係ねえぜ。
 コードネーム:ブルーバード。国連様の下部組織の、特殊工作員さ。
 国際条約破ってるようなヤバい研究してる研究所に忍び込んで、
 事故に見せかけて研究成果をぶっ壊したりするのがお仕事だ。
 うちらと出会えば殺し合いが始まる仲だが、なんでこの村にいんのかねえ?」
三樹康の言葉に、圭介が遙をギッとにらみつける。
だが、それ以上は自制する。挑発だということくらいは分かる。

―――ま、今のでキレて駒の頭をブチ抜くようなアホじゃあないか。
いきり立って駒を一つ切り捨ててくれるなら儲けもの。
その程度の安い挑発でしかなく、焚き付けでしかない。
別にブルーバードが本当にそんな仕事をしているのかも定かではないのだ。

「うちの隊員を要人警護に使うのはそれはそれはお高いぞ?
 ブルーバードまで警備につけるとなりゃ、8ケタは固いぜ?
 戦力だけじゃなくて金もむしり取っておくかい?
 それとも、お前の保険金で代わりに支払っといてやろうか?」
「はっ、村をこれだけ荒らしてるんだ、10割補償くらい効くだろ」
「欲張りすぎだっつーの」

言葉をかわしながら、三樹康は風雅の後ろに身を姿を隠した圭介の出方を伺う。
未だ狙撃手が姿を現すことはない。さすがに剣士の不意打ちを凌いだ今で動くことはないか。
同僚も剣士も銃士も突出して飛び込んでくることはなく、にじり寄って距離を詰めてくる。


圭介がゾンビたちと共にじりじりとにじり寄る。
三樹康も相手の歩に合わせて、じりじりと後ずさる。

安易にユニットを動かせば、空けた穴から銃弾が撃ち込まれる。
安易に撃てば碧、遥、風雅からの三方袋叩き。


牽制合戦。
その打破に必要なのは、新たな変数の代入であろう。
それこそが確実にいるはずの狙撃手であり、その狙撃を成功させるために一斉に襲撃が始まる。そう三樹康は予測する。
一歩下がる。一歩進む。二歩進む。二歩下がる。三歩下がる。
圭介の注意が逸れた気配を三樹康は見逃さなかった。
横目でその方向に注意を向ければ……。

―――なんだ、ゴミ箱と自販機じゃ……。自販機……!?
その脅威度の高さに気付いた三樹康に対し、遥が威嚇射撃をおこない、牽制する。
防護服を貫かないことと、当たれば致命的な隙は免れないことは両立する事象だ。
牽制としては十分であろう。
それに乗じて風雅が手にしたものこそが自動販売機。言い換えるならば、500kgを超える巨大な鉄塊だ。
金属が擦り切れるような音を出しながら、風雅は自販機を抱えて持ち上げた。

「おいおい冗談だろ?
 ironwood、そんな装備で大丈夫か?」
「問題ねえよ! さあお前ら、あいつを捕らえろっ!」
「いやあ、自販機で殴られたら死ぬだろ!」

自販機を盾に、まさにブルドーザーのごとく風雅が迫りくる。
直撃すれば、防護服を身に着けていようがいまいが地面ごと均されてしまうだろう。

「っしゃぁねぇな!」
三樹康は手早くH&K SFP9をホルダーに仕舞って、代わりにスプレーのような缶を取り出した。
ピンを抜き、放物線を描くように放り投げる。
その軌道は風雅を飛び越え、圭介に達するものだ。

「打ち落とせ!」
圭介はそれを爆弾と認識、主の警護を最優先に命令する。
命令を受けた風雅は自販機を持ち上げて高く飛び上がり、バレーボールのスパイクのように物体を地面に叩き落した。
自販機の中のジュースやコーヒーが内部でぶつかっているのか、金属の耳障りな異音が鳴り響く。
だが命令の遂行には問題ない。
缶は無事、地面に叩き落され、破裂し。

「なんだ、毒ガス!?」
―――スモーク弾だよ。仕切り直しだ。


爆発に替わって噴き出されるのは、いかにも身体に悪そうな濃い紫煙だ。
SSOGにとってはなじみ深い訓練用カラーであり、猛毒を意味するわけではないのだが、一般に出回るものでもない。
知識がなければ飛び込むのは躊躇するカラーであろう。

美羽風雅という難攻不落の要塞に守られた指揮官を撃ち抜くという難題ミッション。
出し抜くアテはあるが、そのための時間が必要だ。
稼いだ数秒で素早く弾丸を補填し、紫煙の奥に目をやれば。

紫の中から現れる赤。
すさまじいスピードを伴った巨大な物体が三樹康目がけて飛び込んでくる。

「ぉぉぉおおおっっっ!!」
当たれば当然即死は免れないそれを、すんでのところで回避。
赤の正体は風雅の持っていた自販機だ。
サイボーグの腕力にモノを言わせ、投げ槍のように一直線に投げつけてきたのだ。

自販機は地面に衝突したかと思えば一回二回とひしゃげながらバウンドしてようやく止まり、
中でアルミ缶でも潰れたのか、あるいはビンでも割れたのか、盛大な音と共に色とりどりの液体が地面に広がっていった。

「ガキの癇癪じゃねえんだぞ!? 適当な方向に投げやがって!」
数年前、自力で歩けるようになった娘がそこらのものをポイポイ投げていたのは記憶に新しい。
眉をしかめはするがかわいいものだった。
キャッチしてやさしく投げ返してやると、キャッキャと喜んだものだ。
いい歳した女が鉄塊やら巨大モニュメントをポイポイと投げてくるのはとてもかわいいものではない。
キャッチなんてできないし持ち上げるだけでも血管が切れるほどの負担がかかるだろう。

空調の室外機。定食屋の電子看板。カーネル像よろしく、山尾リンバを象ったご当地店頭人形。
自動販売機よりは小さいものの、直撃はご法度な大型の物体がぞくぞく飛んでくる。
リンバ像を目と鼻の先でかわせば、先に投げていた自動販売機に衝突してダメ押しのようにどデカい音を立てた。

「ヲヲヲオオオ……」
「グオオオォォ……」

―――ああ、狙いはそっちね……!
―――ゾンビを取りつかせて身動きを封じようってハラか!

ガシャンガシャンとでかい音を立てれば、当然ゾンビが反応して集まってくる。
今や圭介のゾンビ軍団は烏合の衆ではない。
美羽風雅にブルーバードというエース級の精鋭が所属している。
ゾンビの集団ごときに遅れを取るSSOGではないが、雑兵にまとわりつかれながらエース級を相手にするのは不味いだろう。
……ただし、準備と情報があれば対処は可能だ。

ジリリリリリリリリ!!!

集まりかけたゾンビは明後日の方向へ向かい去っていく。
三樹康は浅野雅のスマホに素早くアラームをセットし、はるか遠くへ全力投擲したのだ。
圭介から見て、ゾンビたちは遠距離かつ目視外で数も不明、そして三樹康の位置も煙の向こうとなれば、
異能の補助があってもゾンビたちを手足のように操ることはできない。
雑兵を足止めにする作戦は不発となった。
ただし、その僅か数秒だけは、三樹康の妨害を受けることはない。
煙を抜けた途端に銃撃を受ける心配はない。

人道さえ無視すれば、有毒性は判別可能だ。
圭介にとって、遥は村に仇なす不審者。
使いつぶすことに躊躇はない。
遥が紫のガスの真っただ中で深呼吸をおこない、それで生命反応は奪われていない。
炭鉱のカナリアのように、ゾンビを汚染のバーターとして利用する。
追跡は可能。
風雅を先頭に紫煙を抜けて、圭介は三樹康と再び相対した。

内心、確信する。
(俺の勝ちだ……!)


環境がそろった。
その根拠こそ、特殊部隊にも通用する、不可視の弾丸という切り札だ。
今、紫煙の向こうに六紋兵衛を待機させている。

湯川邸で取り逃がしたゴリマッチョの特殊部隊は、不可視の弾丸というギミックに気付いたがために、狙撃にしくじった。
そこで初見殺しを徹底するために、六紋兵衛だけは場に出さずにいたが、しかし配備する場所も銃撃のタイミングも決めかねていた。
相手側から煙幕という非常に都合のいい環境を作り上げてくれたのだ。
利用しない手はないだろう。

いかに特殊部隊といえども、情報がなければ回避は不可能。
それは、手駒にしたゴリラ女が物語っていることだ。
噴き出しそうになる汗を抑え、瞬きも忘れて虹彩を絞る。


これは村の王からの勅命だ。
侵略者どもよ、その身をすべて山折に捧げよ。
そのような勅命を乗せた弾丸が兵から侵略者へと放たれ。

「よう、そこにいたのかい……!」
「……バカな!」
成田三樹康は不可視を回避した。


銃声とともに煙がわずかにゆらぐ、それが銃弾の通り道。
風に覆い隠されようとも、そのゆらぎの跡は忘れない。
未だ先の見えない煙の向こうへ、三樹康は込められた銃弾すべてを惜しまずに撃ち込んだ。

どさりと鈍い音がした。
大きく、柔らかくて重いものが地面へと崩れ落ちた。
同時に、金属製の比較的軽い何かが地面に落ち、アーケード街の通りにからんからんと小気味いい音を響かせる。
未だ煙の向こうは不可視のエリア、だが圭介は必殺の切り札を失ったことを自覚する。

切り札とは成功させてしかるべきだ。
成功させることで、兵士は勢いに乗り、自軍の士気は最高潮に達する。
逆にしくじれば、士気は急落する。

奇襲を受けた兵たちが浮足立つかのように、ゾンビ兵たちは硬直してしまった。
実際にゾンビ兵が浮足立ったわけではない。
端的に言えば、圭介が次の手を打てていないのだ。
圭介自身が思考の狭間に陥ってしまったから。
思考を立て直すのに時間を要したから。
戦力上はいまだ圭介有利な盤面であるにも関わらず、とっさに次の手を打てない。
素人指揮官の弱点である。


「殺気を読めば、あれくらいかわすのはワケないんだぜ?」
―――まっ、半分くらいはウソだけどな。

圭介にプレッシャーをプレゼントする。
あくまでプレッシャーであり、半分くらいはハッタリだ。
三樹康は残念ながら、死角から放たれた銃弾を殺気だけで捉える才覚を持ち合わせていない。
それができる人間がいないとは思わないが、そんなのは一握りの天才か人類の突然変異種のようなものであろう。

だが、SSOGは一つの部隊である。
命の分け目を属人的な個人技能に依存させるのはよろしくない。
命を扱う組織である以上、言葉にできない直感を言語化・収集し、才なき者にも扱えるように訓練に取り入れ、死亡率を減らす試みは当然おこなう。
殺気を読むとは、敵の仕草を洞察力を駆使して分析し、敵が仕掛けてくるタイミングを効果的に測る技術。
五感を超えた第六感として突如湧いてくるものではなく、シミュレーションと実践訓練の末に再現可能な技術だ。

逆手に取ってくる玄人は当然ながら存在する。
たとえばハヤブサIII。
三樹康の眼を自身に釘付けにする理由を用意し、これを囮に罠への誘導と野生児の奇襲を成功させた。

だが、山折圭介は経験豊富なエージェントではない。今日戦場に出た、ただの村人だ。
風雅という巨大戦力を自身の守りに使う時点で実戦慣れしていない。
素人が、特殊部隊のサイボーグという強力な戦力を得てしまえば、慢心が生まれないはずがない。
何より、美羽風雅が敗れているという時点で山折圭介の一挙一動を注視しない理由がない。

要するに、不可視の弾丸は、真の撃ち手である山折圭介を注視すれば気付ける。
山折圭介が自らの意志を以って弾丸を撃たせたとき、それは不可視ではなくなるレトリック。

―――さて、尻込みするか、やぶれかぶれで向かってくるか……。
敵が浮足立ったその空白の時間を使い、マガジンに素早く全弾リロード。
ようやく圭介の中に危機感が首をもたげてきたか。

「全力で潰せ!」
自身もダネルMGLを構え、三樹康を手駒にする方針から全力で排除する方針に転換。

「おお、怖え怖え」
三樹康は踵を返して走り去る。
踵を返してとは言っても、ほぼ身体は圭介たちの方を向けたバック走のような走り方だ。
追うべきか追わざるべきか、圭介に判断の迷いが生じるが……。
獲物を諦めていない、ねっとりとした視線をマスクの向こうに見て、全身の毛が逆立つ。

「逃がすな、絶対に逃がすな!」
逡巡は5秒。
仮に見失えば、三樹康は圭介を必ず付け狙う。
暗闇の中で獲物を付け狙う蛇のような、不可視の暗殺者となる。
不可視の弾丸で狙う側が、狙われる側に落ちるのだ。
絶対に逃がしてはならない。


すでに三樹康は東出口を抜けている。
アーケード街を東に抜けた先は、狭い路地の入り組んだ古民家群。
路地裏に逃げられる前に、美羽風雅の膂力で葬るか、身動きを封じてダネルMGLの一撃で吹き飛ばすべきだ。
風雅に全速力で三樹康を追う勅命を下した。

風雅が速度をトップスピードへと引き上げるために大きく踏み込む。
自身の身を疾風と化し、人ではなく小型車のようなプレッシャーを以って距離を詰めるのだ。
その爆発的な脚力で地を蹴ったその瞬間。何かが壊れる音がした。

「……は?」

思わず声を漏らしてしまったのは仕方のないことだろう。
自分を守る鉄壁の盾。最強の特殊部隊ゾンビが小石にでもつまずいたかのように突如崩れ落ちたのだから。

村に仇なす者たちを元より使いつぶすつもりで乱雑に扱っていた。休ませるという発想がなかった。
ゾンビの肉体的な負担は異能で感じ取れても、機械の仕様は想定の領域外だ。
超人的な出力の反動として、定期的にメンテナンスと排熱をおこなわなければ、システムダウンするということなど知る由もなかった。


「こんな田舎村じゃ実感ないかもしれねえが、外じゃ働き方改革ってのが提唱されてんだよ。
 ちゃんと休み取らせないと、肝心なところでガタが来るんだってよ。
 自販機なんて装備して大丈夫かって言ってやったろ?」
前向きで後ろに逃げていたはずの三樹康は、いつの間にか片膝をつけて狙撃の構えへと移行していた。
行動が速い、まるでこうなることが分かっていたかのように。

ほかのゾンビに命令を出すより、ダネルMGLの引き金を引くより、三樹康の指が引かれるほうが早い。
温存していた一発だが、その使い時はあやまたない。
流れるような一連の所作に一切のムダはなく、圭介のアクションは間に合わず。
轟音と共に射出され、高速回転しながら空気を引き裂き突き進む弾丸は、
美羽風雅のコアをたやすく貫通し、その中心に二度と塞がらぬ穴を開けた。
サイボーグの巨体がどさりと崩れ落ちる。

「いやあ、こんなレアモノ、撃ち抜ける機会なんざはないぜ。スコア5000点クラスだな」
愉悦に満ちた声だった。喜色しかなかった。

「悪いが、自己防衛の範疇、ってことで許してくれよ?
 ま、もう聞こえてねえわな。あ~、幹部候補殿には……あとで謝っときゃいいか」
仮にも部隊の仲間のはず。
なのにそこに一切の惜別の言葉がない。

圭介を守る盾が一つ失われた。
それだけでも激震が走るが、厄はそこで終わらない。
隣にいた光までぐらりと膝をついた。

サイボーグを防護服ごと貫通した弾丸は、安全地帯であったはずの真後ろにまで到達する。
勢いを落としながらも空間を穿ち、その先にいた光の肩を突き破っていた。

「な……何だよこれ……」
「なんだよって、ニチアサ見ないのかい?
 群れて出てきた再生怪人が弱体化してるのはお約束だろが」
三樹康は難易度の高い二枚ぶち抜きを成功させてご満悦だ。
そういうことじゃない、という反論の言葉は出ず。
一瞬で起こされた惨状を前にただ呆然と呟く圭介。
「ああ悪い、隣のコのほうことを言ってんのな。
 まあ俺らは公務員だ。賠償は生き残ってから国に請求してくれよ。
 嬢一人分呼んだくらいのカネなら余裕でむしり取れるだろ。
 次はもっとかわいい子を呼べばいいって」
「……あ?」
「ああ、悪い悪い、ちょっと声色が浮かれてたわ。でも仕方ないだろ?
 弾一発で的一つに当てるより、的二つに当てられるほうが気持ちいいんだから、そこは勘弁してくれよ」

圭介の思考が沸騰した。
「うおおおおおおっっッッ!」
手にしたダネルMGLの引き金を引く。
グレネード弾が発射され、着弾点に破壊をまき散らすが……。

「怪我した素人が、ロクに狙いも付けずに撃ったもんがそうそう当たるもんかよ」
三樹康よりもはるか手前に榴弾は着弾。それも方向自体がずれている。
ただ土煙がもうもうと上がっただけだ。

―――にしても、青いねえ。
この局地戦において、風雅の真後ろという一番安全な場所を割り当てた時点で、圭介との関係性などとうに推測している。
連鎖や二重命中のほうが実際に気持ちいいのはそうだが、普通はわざわざ言ったりはしない。
圭介の腰が引けて、逃げ一辺倒になられると面倒なのだ。
それに戦力面で言えばまだ圭介のほうが上だという事情もある。

チンピラや反社そのもののような安い挑発だった自覚はあるが、圭介が乗ってくる勝算もそれなりにあった。
三樹康とて、妻の香菜や娘の三香を淫売呼ばわりされた挙句、ゲーム感覚で撃ちましたと言われればキレる。
ここでキレなければ彼氏の資格はないだろう。

鉄壁の盾を失って、感情のままにその身をさらけ出した、隙だらけのターゲット。
弾の切れた狙撃銃からはとっくに持ち替え済みだ。
「後でちゃんとナイフをプレゼントしといてやるから、安心して逝っとけ」
「――――!!」
続けざまに発射された弾丸は圭介の額に吸い込まれるように突き進み。

引き金を引くミリ秒前に横合いから突き出された刀によって打ち払われた。
圭介への追撃は、遥の手にある銃口の向きを目視し、取りやめた。

「~~~♪」
三樹康がそのファインプレーに口笛を吹く。
銃弾弾きは厄介だが、それだけで浮足立つこともない。

なにせ、日本で最も銃弾を斬り捨てられたことがあるのは成田三樹康その人である。
普段の訓練相手は大田原源一郎やオオサキ=ヴァン=ユンといった上澄みも上澄み。
何百発の訓練用ゴム弾を斬り捨てられたことか。

銃弾弾きの極意は人間離れした動体視力でも銃弾よりも速く動ける超人的な身体能力でもない。
銃口の向きから照準を割り出せる演算力と、引き金を引く瞬間を見極める洞察力である。
一瞬のうちにおこなわれるバントがその正体であり、プロテニスプレイヤーやメジャーリーガーならば再現可能な技術だ。
なお、薩摩クラスのエイムであれば、大田原クラスの達人であっても照準を割り出すのは困難であるため、素人相手に披露するのは非常に危険な技術でもある。
一定レベルの射手だからこそ通用する技だ。
原理が分かっているなら過度に恐れる必要はない。


「助かった、碧!」
「ところでお前、実は正常感染者だってことはないよな?」
三樹康がそう疑うのも無理はない。
碧の動きのすべてが圭介の指示とは思えないほどに、動きに柔軟性がある。
生前という言い方は正確には誤りだが、圭介の異能がこなれればこなれるほど、そして元の関係が深ければ深いほど。
その動きは生前の動きに近くなるのか、あるいは圭介の感情をうまく解釈して動いてくれるのか、動きがよくなる傾向がある。
だが三樹康の言葉には圭介は耳を貸さない、答える必要もない。
圭介は、碧は、即座に追撃の構えに移行する。


ナイフで日本刀とやり合う覚悟は三樹康にはない。
やれと言われればやるが、この装備で自ら日本刀相手にインファイトをおこなうのは、村に送り込まれたメンバーの中では大田原くらいだろう。
日本刀の先っぽでも防護服にかすればそれでアウトな以上、達人クラス相手に超接近戦は避けたい。

「畳みかけろっ!」
圭介の指示のもと、浅葱碧が二刀を構えて三樹康に迫る。
遥は光の前で人間の盾となりながら、遠距離から三樹康を狙う。
正面からの銃弾は打ち払い、刀をかわそうと左右にブレればそこを銃撃が狙い撃つ布陣である。

個の強さでは美羽風雅が頭一つ抜けているが、技ならば碧が随一だ。
同じ道場に通い、同じ流派を学び、そしてその剣術を何度も見せてもらったこともある。
圭介は碧ができることを知っている。

三樹康に俊足で迫るその走法は、縮地法と呼ばれるものだ。
ゾンビと化したことでそのリミッターは外れ、ロードバイク並みの速度を維持することが可能となる。
並みの狙撃手ならばその速さに対応しきれず、鎧袖一触。瞬く間に首を飛ばされているだろう。

だが、三樹康は並みではない。超一流の狙撃手だ。

銃撃一発。
ただそれだけで、ギィィィンと鼓膜を鋭く刺すような響音があたりを震わせ、碧の速度がMAXからゼロへとリセットされる。

縮地術は前傾姿勢からの踏み込み技術。
初速をMAXにして、敵が己を認識する前に距離を詰める技術だ。
だが、宙を浮いて移動しているわけではない。頭や心臓は身体のブレで上下左右にそらすことはできても、軸足だけは即座には動かせない。
そこを狙い撃てば踏み込みは崩れる。
弾かれようが避けられようが、速度を殺すことは難しくない。

「くそ、まだだ!」

敵が銃持ちならば、対抗の技術が八柳流にはある。
激突するかのような勢いで古民家群のブロック塀に向かって突き進んだ碧は、
その脚力でブロック塀を蹴り付け、宙へと踊り出る。

「おいおい、俺は一発芸大会の会場にでも迷い込んじまったのかよ?」
地面の隆起や地割れをものともせず、ブロック壁を蹴るたびに速度を上げていく碧。
走者本人が二次元から三次元へと変幻自在の軌道を取ることで、被弾を限りなくゼロに近づける狙撃手殺しの技。

「ハハッ、生きがいいねえ。こりゃあ狩りがいがあるってもんだ」
明確な脅威を前に三樹康は嗤う。
それは銃という武器への絶対の信頼だ。
人間が銃弾より早く動くなど、生命の造りとして不可能だ。
ゾンビと化して肉体のリミッターが外れたところで、決して覆らない、絶対の真理である。

「二発だな」
八柳流が誇る銃兵への特攻奥義。
それを撃ち破るのに必要な弾丸の数を三樹康は試算し、宣言し。

そして二発の銃声が響いた直後、碧は競技に失敗したかのようにぼとりと地面に落ちていた。
二発目の銃弾を弾いた刀の一本がすっぽ抜け、おかしな姿勢で落ちたせいで腕の一本が曲がっている。
銃兵に対策するために編み出された技を、三樹康は宣言通り二発で容易く撃ち破った。
圭介の全身からぶわっと汗が噴き出した。

本体を直接狙おうとすればするほど、変幻自在に飛び回る術者に翻弄される。それが猿八艘の意図する絡繰りだ。
だが、人間は空中で方向を変えられるようにできてはいない。
そしてこの手の曲技は精密無比なバランスの上に成り立つものだ。
次に踏み込む位置は分かっているのだから、本体の派手な動きは一切無視して、着地に合わせて銃弾をぶち込めばいい。
足を撃ち抜かれるか姿勢を崩すかの二択を強制的に突き付ける。
それだけで、中空の舞いは打ち止めとなる。

さらなるスピードと勘を備えて縦横無尽に飛び回るクマカイには及ばない。
実際に戦場を渡り歩き、さらに洗練された動きで迫りくるオオサキにも及ばない。
木更津組をはじめとした村の歪みたちには効果覿面であれども、絡繰りが割れれば対処可能な初見殺し。故に一発芸。

碧の手からすっぽ抜けた日本刀は、たまたま民家の庭でゾンビとなって白目を剥いていたアナグマに突き刺さり、血飛沫を散らしている。
そして碧自身は着地に失敗し、最初に地面に接した右腕からは乾いた音が鳴り響く。

「あーあ、かわいそうに。無垢な動物を巻き込んじまった」
心の奥底で二連鎖成功の華やかなチェイン音を鳴り響かせながら、心にもない哀れみを述べる。
まだ碧と三樹康の間に距離はある。健常であっても詰められる距離ではない。

遥の援護もいつの間にか飛んでこなくなっている。
なぜと関心を移せば、カチカチとむなしく空の銃のトリガを引いていた。

銃撃回数を三樹康は数えていたが、圭介は数えていなかった。
自分が手にしていない銃の残り弾数だ。
指揮の初心者がそこまで気をまわせるはずもない。
目の前の対処に手いっぱいで、兵衛が銃撃されてからは、頭の中からすっぽ抜けた。肝心な場面で弾倉が尽きていた。
どれだけ強力な軍団を編成しても、この軍団は個人の思惑を超えることはない。
自分の思う通りに動かせる部隊というのは、すべて圭介が責任を負い、勝敗は圭介に帰結する部隊である。
それを指摘してくれる同行者も、指南してくれる経験者も、導いてくれる大人も、圭介にはいない。

あるいは碧を巻き込むことを厭わずにダネルMGLの狙いを付けていれば、消耗はもう少し少なかったかもしれない。
もっと根本的な戦略ミスを詰めるならば、銃火器に熟達している遥にダネルMGLを持たせて撃たせていれば、碧ごと三樹康を巻き込む目もあっただろう。

一騎当千の強力な駒を手に入れたことによる慢心。
知己を巻き込む覚悟の欠如。
顔なじみを使いつぶすことへの恐怖。
遥への不信感。
遥に知己を巻き込ませる指示を出すことへの生理的な嫌悪。
すべてを総合した結果の圭介の判断ミスであり、
そして身内への情の厚さを見抜いて小さな判断ミスを誘発させ続けた三樹康の着眼。


視線が黒い銃口に吸い込まれる。
捕食者の眼が圭介を射抜く。
(くそ、こんなところで死ぬのか?)

俎上の鯉。袋の鼠。
感覚が鈍い。時が止まったように動けない。
(まだ、何も為してないのに。光を取り戻してないのに……!)

マスクの向こうに愉悦に満ちた目が映る。
何もしなければ、このまま額と心臓を撃ち抜かれて死ぬだろう。
(ダメだ、死ねない、死にたくない……!
 このまま死んだら、俺はなんのために……!)

脳に負荷をかけ、ウイルスの影響を強めることで異能はより強くなる。
死の危険、強い感情、著しい興奮、事態の理解。
正負いずれがきっかけであれども、ウイルスが活性化すれば異能は徐々に開花する。

範囲、精度、そして再現度。
圭介の異能はゾンビを操り従える能力だ。
ゾンビの数が減るほど精度は高くなり、一体に限れば人間の真似事をさせることすら可能になる。

村王の命令は絶対だ。
誰だろうと、その命令には逆らえない。
村王は死にたくないと仰せだ。
すべての村民はその命令に従って、村王を守らなければならない。


「ぁん?」
幾度となく聞いた、火花散る音が響き渡る。
その結末を目にして、三樹康がわずかに声を漏らした。

「……ったく、往生際が悪いもんだ。
 素直に死んどいたほうが楽だったんじゃないのかねえ?
 ま、俺に言わせりゃ愛しの彼女を戦場に連れ回してる時点で手遅れだけどな」
事故、人質、誤射、機動力の低下、危険人物との遭遇の増加。
その他もろもろのリスクを増加させてまで恋人のゾンビを同行させるのは、それを上回るリターンがあるからにほかならない。
安心感か、不安の払拭か、使命感か、それは分からないが。
決して、彼女の安全安心を主眼に置いた行動ではない。
仮に香菜や三香がゾンビになり、自身が圭介と同じ異能を得たとして、三樹康は絶対に妻子と連れ立って歩くことはない。

三樹康は指輪こそはめているが、入籍はおこなっていない。
戸籍上は妻とも娘とも他人である。
SSOGである三樹康の存在そのものが、愛する妻子の最大のリスクだからだ。
SSOGの敵は、SSOGの名を聞いて手出しを控えるような生ぬるい相手ではない。

圭介の場合も同じ。
圭介の存在そのものが彼女らの最大のリスクであった。
あるいは彼女に母親のような役割でも求めていたのか。
いずれにせよ、何もかも、もう手遅れだ。


結論として、山折圭介には銃弾が当たらなかった。
そして山折圭介はブルーバードに抱えられたまま、無様に逃げ出したのだ。
エージェントとしての肉体に疲労を感じないゾンビの体質であれば、若者一人抱えて走り去ることは可能である。
死屍累々の現場を後に、曲がり角の先へと圭介とブルーバードは消えていった。

追うことは難しくないだろう。
たとえゾンビとなって感覚を失っても、人ひとり抱えて走るのと数キロの武器を抱えて走るのとでは身体にかかる負担が違う。

「まわりのやつに合流されたら面倒だが……しゃあねえなあ。
 と、その前に」
「う、う、うぁぁああ……」
「アンタ本当にゾンビだったのかい。
 悪いが、今は時間が惜しくてな。ナイフよりはこっちのが早いんで」
風雅の銃も回収できる。どうせたいして使っていないだろう。
運命の果てを嘆き悲しむような声に一切の憐憫を抱かず。
この場で唯一息のあった赤髪の少女に銃口を向けて。


「えっ……」

二つの衝撃が圭介の身を伝っていった。
自分の身が押し出されたような衝撃に、地面に激突する衝撃の二つ。
圭介の急所を銃弾が貫通することはなかった。
圭介が命を散らすことはなかった。

死にたくないという本能に基づく強い感情と、より精密さを増した異能が合わさって。
王の命令のとおりに、ゾンビが身を呈して圭介の身を守った。


生気のない目。光のない目。
けれども此度の行動だけは本来の日野光と一切の相違はない。
村の仲間たちを守ろうとする親分が圭介である。
そして光は、彼が弱音を吐いた時、彼を優しく守るのだ。
ガキ大将、親分、村長。
一介の勢力の頂点に立つ孤独を理解し、支えきり、身を呈して守るのが彼女の誓い。
ゾンビであっても、人間であっても、そこは変わらなかった。
それゆえの結果。


頭と胸。
上月みかげとまったく同じ場所に、山折村の王妃は2輪の赤い花を咲かせた。
圭介の手を光が取ることは、もう、ない。
その目に光が戻ることも、もう、ない。


日野光の命が断たれたことで、半ば無意識に出した命令は最も近くにいるゾンビ、遥が引き継いだ。
圭介は目の前の光景を信じられず、一度出した命令が撤回されることもなく。
みかげのように別れの言葉を告げることすら許されず、力無く倒れ伏した光の身体はどんどんと遠く小さくなっていく。


人形のようにぱくぱくと口を開閉し、何も考えられない。
何も起こらなければ、遥に抱えられたまま、何も考えられないままに遠ざかっていたのだろうが。
幸か不幸か、そこにさらなる契機が訪れる。


それは断末魔。
三人目の顔なじみの死を意味する死神の足音。
浅葱碧の頭に黒い鉛弾が撃ち込まれ、三つ目の花が咲きほこった音である。

圭介の思考は、真っ黒に塗りつぶされた。


【美羽 風雅 死亡】

※E-5 六紋兵衛の近くにライフル銃(残弾1/5)が転がっています。
※E-6 浅葱碧の近くに打刀×2、木刀が転がっています。

【E-5・F-6境界部付近/古民家群/一日目・日中】

成田 三樹康
[状態]:軽い脳震盪、背中にダメージ
[道具]:防護服、拳銃2丁(H&K SFP9)、サバイバルナイフ2丁、双眼鏡、レミントンM700
[方針]
基本.女王感染者の抹殺。その過程で“狩り”を楽しむ。
1.山折圭介とブルーバードを追って殺害する。
2.「酸を使う感染者(哀野雪菜)」を警戒。
3.ハヤブサⅢを排除したい。
4.「氷使いの感染者(氷月海衣)」に興味。
5.都合がつけば乃木平天の集敵策に乗る
6.小田巻真理が指定の場所に現れれば狩る
[備考]
※乃木平天と情報の交換を行いました。手話による言葉にしていない会話があるかもしれません。
※ハヤブサⅢの異能を視覚強化とほぼ断定しています。


【E-5~F-6のいずれか/古民家群西部付近 or 商店街東口付近/一日目・日中】
※どの方向に逃げたのかは後続の書き手様にお任せします

山折 圭介
[状態]:鼻骨骨折(処置済み)、右手の甲骨折(処置済み)、全身にダメージ(中)、放心
[道具]:懐中電灯、ダネルMGL(3/6)+予備弾5発、サバイバルナイフ、上月みかげのお守り
[方針]
基本.VHを解決して……?
1.???
2.???
3.???
[備考]
※異能によって操った青葉遥(ゾンビ)を引き連れています。
※青葉遥(ゾンビ)は銃火器などを所持しています。銃の種類及び他の所有物については後続の書き手様にお任せします。
※学校には日野珠と湯川諒吾のゾンビがいると思い込んでいます。

103.研究所へ 投下順で読む 105.いのり、めぐる
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昼月堕ち、羽朽ちる碧い鳥 山折 圭介
対感染者殲滅構想「OPERATION:TD」 成田 三樹康

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最終更新:2023年12月12日 21:04