商店街の北端を東に駆け抜けていく三人の人影。
村人と特殊部隊が殺し合っているこの村で、その一団は異色の組み合わせであった。
女学生のように小柄な女性教師、スヴィア・リーデンベルグと、彼女を背負って移動するスーツ姿の男性教師、碓氷誠吾。
この二人だけならば、同じ学校で教鞭を取る二人が同行しているという見方もできるだろう。
だが、その二人を先導するのは、村人とは決して相容れないはずの特殊部隊である。


診療所から持ち出した医療テープと、誠吾の非常持ち出し袋に入っているガーゼで、スヴィアの最低限の止血は終えた。
だが、銃創と裂傷によって満身創痍となった人間がそう簡単に移動できるはずがない。
故に誠吾がスヴィアをおぶさり、天の先導のもと小走りで商店街の北端を駆け抜けていく。

小柄な女性とはいえ人間一人を背負うという負担は大きい。
特殊部隊として訓練を積んだ天ならばともかく、一般人の域を出ない誠吾では、
音を出さず、なおかつ痕跡を残さずに土の上を歩くなど期待はできない。
天が背負うという手段もあったが、誠吾が機転を利かせた。
履いている靴を、所持していた山歩き用の靴のほうに履き替えたのだ。

事前に商店街のゾンビを集めてうろつかせていたことで、まわりはすでに足跡だらけ。
天はSSOGとして、当然痕跡を残さずに移動する術を習得している。
一方で、誠吾はヘタな工作などせずに目的地に向かって歩く。
彼らを追うには、ゾンビの足跡というダミーまみれの足跡の中から、ノーヒントの中で誠吾の痕跡だけを探し出して追っていく必要がある。
誠吾の頭からつま先までビシッと決めたコーディネートは印象深く、仮に創が真理の猛攻を凌ぎ切って雪菜と合流したとしても――
いや、合流してその容姿を詳細に伝えられれば伝えられるほど、創は混乱することになるだろう。

そしてその背におぶさるということは、両手が塞がるということ。
後続のために紙片やパンくずでも撒こうものなら、即座に露見するということだ。
かといって捨て身で抵抗しようとも、犠牲になるのは誠吾だけで実りはない。
負傷した小娘一人に最大限の警戒を以ってあたる、スヴィアにとってはなんともやりにくい相手である。

「それで、どこに向かうつもりだい?
 できることならば、近場をおすすめしたいな……。
 肝心なところを……聞きだす前に、ボクが力尽きてしまいました、では恰好がつかないだろう?」
「そう遠くはない。それに各所でしっかり処置もおこなうので、命の心配は無用です」
スヴィアを同行させてはいるが、決してペースを握ることは許容しない。
天は当初の潜伏場所、建築会社を通り過ぎて、東へ、東へと向かう。
見えてきたのはかつての山折村のランドマーク。
発展著しい商店街と時代に取り残された古民家群を分かつ位置に建てられた、昭和の香りがただよう古めかしい施設だ。
「ああ……放送室か。なるほど……、ね」

戦時中から存在し、山折村の発展を見届けてきた放送室。
今では誰も見向きもせず、いずれ解体されるであろう建物の筆頭。
そして昨晩、すべての住人がその存在を思い出したであろう施設。

こここそが、予め打ち合わせておいた集合場所。
ただし、スヴィアの納得とは別に、当初集合場所として選んだ理由は実に単純明快でくだらない。
事情を知らない三樹康が真理を狙撃するという締まらない結末を回避するためである。
当初から、向かうべきは東以外になかった。

そして、スヴィアの納得通りに、ここを訪れる意味は一つ増えた。
此度の黒幕は烏宿暁彦、そして未名崎錬だとスヴィア・リーデンベルグは言う。
であれば、あの放送主は誰なのか?
彼らなのか、それともその息のかかった者なのか?
調べる価値はあるだろう。


「小田巻さん。もう到着しているとは。さすがに早いですね」
天の到着と共に音もなく建物の影から姿を現したのは、スヴィアのその背を斬り裂いた女、真理である。

ラベンダー色のサマーセーターのところどころに滲み出ている汗。
激しい運動をおこなっていたことが一目で分かる。
ところどころ赤黒く滲んでいるのは、服の模様ではなく血飛沫であろう。
目視で確認できる状態とは裏腹に、息を切らした様子はまるでなく、澄ました顔つきで平静さを保っているそのアンバランスさ。

スヴィアは不敵な表情をなんとか貫くものの、その姿を目にするだけで、スヴィアの鼓動は徐々に速くなり、呼吸も荒くなっていく。
自分を殺そうとし、創を殺そうとした女がそこに澄ました顔で立っているのだから、理性とは別に本能が最大限に脅威を訴える。
彼女の瞳は底の見えない黒淵のようであり、今この瞬間に自分の首が飛ぶような錯覚すら覚える。
危険度なら、目の前の特殊部隊員、乃木平天をはるかにしのぐだろう。


「あれ、その人……?」
天を臨時の上官と定めた以上、なんでその女殺してないんですか? などとは口が裂けても言えないが、
ターゲットの一人を引き連れていることに真理が訝しんだのは確かである。

「山折村の現教師・元研究員のスヴィア・リーデンベルグ博士です。
 今回の件について重要な情報を掴んでいるようでしたので、取引をおこないました。
 最も危険な役どころを任じておきながら、小田巻さんには申し訳ないですが……その都合上、哀野さんも健在です。
 そちらの首尾はどうでしたか?」
「目標は健在。
 やはり例の右手に阻まれ、処……仕留めるには至っておりません。
 ……これ、結果的にはよかったんですかね?」
「そうなったことは認めますが、口には出さないように!
 聞くまでもないですが、尾行はされていませんね?」
「ええ、そこは問題ありません」

真理の得た異能と培ってきた技能。
この二つを以って追手を撒くことに徹すれば、たとえハヤブサIIIや三藤探であってもリアルタイムでの尾行など不可能だ。
認識に依存しない機械による追跡のみが真理を追うことができる。
それを覆すとなればやはり異能だが、創の異能は右手が起点であり、真理のように追跡に適した異能ではない。
潜入捜査には役に立つだろうが、ターゲットの尾行に使えるものではない。
少なくとも、彼にはつけられていない。


「あれれ? スヴィア先生? 大丈夫ですか?」
真理の報告に、きゅっと身を固くしていたスヴィアの力が緩んだ。
誠吾が背中でそれを感じて、念のために声をかける。
同行者二人の一応の無事が確認されたことで、取り繕っていた気丈さも身体を強張らせる緊張感も丸ごと、スヴィアからすっと抜け落ちたのだ。

「小田巻さん。放送室に着いたら、まずはあらためて彼女の応急処置を」
「あ~、そりゃそ~……はい、了解しました!」
慌てて言い直す。
自分で傷付けた相手を自分で治療するという不毛な作業ではあるが、足手まといを抱えて戦場をかけまわるのはなおさら御免願いたい。
そして、天としては三樹康から遠距離狙撃されたり、創や雪菜から追跡を受けるリスクは極力減らしたい。
最終的に殺害するにしても、現時点の処置は必須である。

「真理ちゃん、僕からも頼むよ。
 元研究員とのことだけど、今は僕の同僚でもあるんだ。
 彼女に同行してもらう以上、いたずらに苦しむのを見るのは忍びなくてね」
先ほどまでの雪菜に聞かせれば、一体どの口が言うのだと激昂するだろう。
スヴィアが身も心も健康であれば、ジト目で皮肉たっぷりになじっていたことだろう。
声にも態度にも出さないが、スヴィアの真紅の輝きは、今や夜帳以上に強まっていた。

「前にも言った通り、僕は僕の信念に則って行動するだけです。
 特殊部隊と手を組むことになったことに後悔はしていません。
 それでも、スヴィア先生の命が失われずに済んだことに、安心していますよ」
真紅の意味を知りながら、誠吾はこともなげに言い放つ。

それは徹底した利害関係者であるという表明。
天はその言葉に眉をひそめているが、その光は水のように限りなく透明に等しい青だ。
信頼はしないが、闇雲に不信に思っているわけでもないニュートラル。
要するに、利害のみで感情が絡まないのならばそれはそれで扱いやすいという話である。
一方で、彼を高潔な理想主義者と認識している真理は、その言葉によって青い光がより強まる。

誠吾は特殊部隊にずぶずぶに入れこむ気などさらさらなく、厄ネタに積極的に首を突っ込むつもりもない。
だから平気で美森を見捨て、円華を捨て置き、藤次郎という災厄が訪れることが分かり切っている袴田家の面々から離れたのだ。

重要視される必要はない。されども捨て駒の扱いは困る。
毒にはならない、たまに薬になる、鶏肋の扱いが理想だ。
その立場を固めるために、思ってもいないことでもすらすら口に出せるのが、碓氷誠吾という男であるが、
今回はすべてが建前というわけでもない。
スヴィアの命が失われなかったことで彼は本当に安堵したのだ。
今しがた知ったばかりの、彼女の経歴。
研究所に所属していた天才研究員という肩書きは、VH収束へのプラチナチケットとなるのだから。


「碓氷さんの言い分はともかくとして、だ。
 あなたの本格的な処置は、この近くにある浅野雑貨店……研究所の私設特殊部隊の拠点にておこないます。
 責任者の浅野雅女史は死亡の確認が取れていますので心配は無用です」
浅野雑貨店は表向きは雑貨屋でありながら、その実は研究所特殊部隊の拠点の一つだ。
先に三樹康とガサ入れをおこなった際に、危険物はすべて検めている。
その際、武器防具類や麻薬と思われる物質のほかに、米軍に支給されるような応急処置キットの存在も確認している。
特殊部隊は素肌を晒せないため利用できないが、村民には有用だろう。

「私設特殊部隊……?」
誠吾と真理は心穏やかではない単語が現れたことに眉をひそめる。
どう見ても違法に違いない研究をやっているような組織だ。
そんなド違法組織が秘密裏に特殊部隊の一つや二つ抱えていることは何もおかしくはない。

そして、スヴィアは元々所属していた関係もあり、その存在を知っている。
表向きは施設の警備や新作武具の受け入れ検証をおこない、
しかし裏では被験者や逃亡した研究員の処分もおこなっているという後ろ暗い噂の絶えない部門だった。

「ずいぶんと、手際がいいね……。
 機密情報は……、キミたちに全部降りてきているのかな?
 だったらこの際、キミたちの持っている研究所の機密情報を……、全部ボクにバラしてしまうのはどうだろう?
 案外、すんなりと……、第二の解決策が見つかるかもしれないよ?」
「大口をたたくならば、まず何かしらの論拠を携えてから始めるべきですね。
 尤も、あなたの前職は研究者だ。
 私に言われるまでもなく、その程度は理解しているのでしょうが」
スヴィアのペースには断固として乗らない。
ペースを握るべきはあくまで天だ。
プロフェッショナルとして、いっそ冷徹なまでにスヴィアを突き放す。
スヴィアは肩を竦めようとして、傷の痛みで身を強張らせた。

「順を追って行動します。
 まずは、スヴィア博士の話の裏を取る。
 その一環として、例の放送を流した人物について、調べさせてもらいます」

放送局で調査すべき事項。
昨晩、山折村を地獄へと突き落とした例の放送の裏を可視化する。
ノープランでスヴィアの話を聞いても、いいように言いくるめられるだけだ。
それを防ぐために、ニュートラルな状態で可能な限り手札を増やしておきたかった。

放送は村人たちだけでなく、天も確かに聞いた。
その全員が全員、VHは地震を原因とする事故だと述べていたことを記憶している。
スヴィアの言う通り、黒幕がいるというなら、これは決定的な矛盾だ。
あの切迫した声色が放送主自身の演技であったのか、それとも黒幕に銃でも突き付けられて脅されたが故の焦りだったのか。
真相は分からないが、あの誠実そうに思えた放送主はとんだペテン師だったということだけは確かだ。

果たして鬼が出るかヘビが出るか。
一行は放送局の前に展開した。


(誰かが放送局に出入りした痕跡は一切ありませんね……。
 ならば、まだ放送局の中に潜んでいるのでしょうか?)
実のところ、同僚の黒木真珠が放送局には訪れているのだが、
彼女はハヤブサⅢに作戦を看破されることを嫌い、彼女でも見抜けないように本気の隠蔽工作をおこなっていた。
発見できないのは仕方がないだろう。

「お二人とも、放送局の入り口からは離れていてください。
 開けた途端に銃撃を受ける可能性がある」
「おっと、それはよくない」
「向こうが何かしてくる前に処理しますから大丈夫ですよ。
 気楽に待機していてください」
特殊部隊二人――真理が元特殊部隊という建前は突き崩すつもりはないが――という構成にいっそ頼もしさすら覚えつつ、誠吾は扉の射線上から離れる。
それを合図に、真理がライフルを構えて内部を標的にさだめ、天が音もなく扉を開く。

誰もいない。
人間どころか、ゾンビすらいない。
音も気配も、あらゆる要素が人間の痕跡を否定する。
すぐに突入し、死角へと銃を向けるが、やはり誰の姿もない。


未名崎錬か烏宿暁彦、あるいは研究員のゾンビがいれば話は分かりやすかった。
もっとも、黒幕がゾンビになるという間の抜けた話は最初から期待していない。
自爆覚悟でない限り、感染対策も万全を期しているはずだ。

例えば、この防護服。
これは自衛隊が未来人類発展研究所に開発を依頼し、年度はじめに納品されたものである。
開発元かつ本部の人間なのだから、取り寄せる手段などいくらでもあるだろう。
故に、防護服に身を包んだ私設特殊部隊のメンバーが待ち構えていると考えていたのだが、推測は外れたようだ。

「碓氷さん、スヴィア博士。
 中に入ってください。そこの談話室で待機を」

この期に及んで逃亡などおこなわないだろうが、念のために同行者二人を招き入れる。
何の緊張感もなく誠吾が放送局に足を踏み入れ、スヴィアも続いてよろよろと入室する。

天は戦闘力こそ他の隊員に劣るが、調査や考察については劣りはしない。
何か手がかりはないかと放送機器を一瞥したところで、違和感に気付いた。

(……………………?
 入り口には誰かが出入りした痕跡はなかったのに、放送機器には触れられた形跡がある?)

あらためて配線やルーター、電源設備を調査する。
そこに誰かがいたと推測してあらためて痕跡をたどれば、確かに短時間誰かがここで何かを調査をしていたようにも思える。
だが、出入りの痕跡は残さずに放送室を調査するというのは、一研究員というよりも訓練された人間の動きと思われる。
三樹康が放送局を訪れたとは聞いていない。
(黒木さんがすでに訪れたということでしょうか。
 あるいは、ハヤブサⅢという線もありうるか)

だとして、彼女たちはここで何を結論付けたか?
天が出した結論は、五時間前に真珠が出した結論と一致した。
放送設備が地震によって壊れていることを知った。
そして、放送がこの放送局から流れたものではないことを知った。


「乃木平さんは時間がかかりそうですし、話でもしませんか?
 スヴィア先生。いや、スヴィア博士と呼んだほうがいいですかね?」
「……好きに呼びたまえ。今さら……、碓氷先生と良好な関係を……、築くことはできないと思うけれどね」
真理は清潔な布と医療テープであらためてその怪我を処置しながら、自殺や逃亡をしないように油断なくスヴィアを監視している。
誠吾は古びたソファに腰かけようとしたが、うっすら埃を帯びているのに気付き、一瞬だけ顔を歪めて、立ったまま話をおこなう。

「僕とて本位ではありませんでしたが、熟慮して出した結論が今の立ち位置につながったわけですから、ヘタな釈明はしません。
 けれど先も言った通り、僕は僕の信念に沿って生き残る方法を探すだけです」
「なるほど? ……ではそんな実利主義の先生が、わざわざ声をかけたということは……、ボクは先生のお眼鏡にかなったわけだ」
「ずいぶんと嫌われてしまいましたね。哀しいなあ……」
「胸に手を当てて……、立場を考えてみたらどうかな?」
棘のある言葉に真理が眉をひそめるが、誠吾はそれを手で制する。
スヴィアにとって、碓氷誠吾は裏切り者だ。
よりにもよって特殊部隊と手を組んで自分たちに銃を向けた人間であり、ともすれば特殊部隊以上に侮蔑の対象である。
その辛辣さには誠吾も苦笑せざるを得ないが、織り込み済みだ。

「それで、先生は……、こんなボクに何を期待しているのかな?」
「それはもちろん、大いに期待していますよ。
 女王感染者を見つけ出してくれることを」

誠吾が持っているカードは個人の立場も好悪をも超えて、手を携えさせる鬼札なのだから。


「…………」

沈黙が降りる。
同じような話は道中、創ともおこなっている。
情報が足りなさすぎるということで先延ばしになったのだが、
誠吾の態度はそれが可能だという確信すら見え隠れする。

「話にならない。情報が足りなさすぎる。
 ゼロから始めて簡単に判別できるのなら……、特殊部隊はボクたちを無差別に殺しに来ないと思うのだけどね?」
口に出すのは呆れの色。
だが、誠吾は余裕の態度を崩さない。

「おっと申し訳ない、少し大雑把すぎました。
 結論から申しますが、僕らは女王菌の発するシグナルを遮断し、女王感染者を村人から隔離すれば、VHは終わると考えています。
 ですが、なにぶん僕は脳に影響するウイルスなんてものは門外漢でして。
 スヴィア先生にはその手段を、研究者の視点から探し出していただきたい。
 専用の機材や部屋が必要なのか、それとも……。
 そうですね、たとえばレントゲン室、X線診療室に一定時間篭っておけばそれでいいのか?」

スヴィアは一瞬言葉を失った。
それは、放送室で調査をおこないつつ、背後の会話に聞き耳を立てていた天も同じだ。

「あれ、その話まだやってなかったんですか?
 てっきり、それ込みで取引したんだと思ってたんですけど……」
真理だけはこの調子で驚きのベクトルがずれていたのだが……。


碓氷誠吾はただの教職員に過ぎない。
専門の教科であれば知識はあるのだろうが、本人も言った通り脳科学の専門ではないはずだ。
人間としてまったく信用できなかった誠吾が述べるVH解決のその内容。
彼が情に一切囚われないがために、逆説的にその信用度が反転する。

「まさか碓氷先生も研究所の関係者……? いや、むしろ他の研究員に接触を?
 一教職員がこの短時間でたどり着ける回答には思えないが……」
「いやいや冗談はよしてくださいよ、そんな特殊部隊に目を付けられるような身分じゃありませんって。
 この話を持ってきたのは嵐山さんと真理ちゃんで、僕はそれをあなたに伝えているだけだ」
別に特殊部隊と行動しているからといって、女王を特定してはいけない決まりなどない。
むしろ、真理がただの正常感染者と証明できるなら、特殊部隊側としてもこれはメリットだ。
「小田巻さん? 彼の話は本当ですか?」
「いや、てっきりそういう理由でこの人を助けたんだと……。
 私、この人が研究所の関係者だなんて知りませんでしたし……」

天は深い溜息をつく。
真理は確かに、『私たちは今私たちなりに事態を解決しようと動いている』、と言っていた。
このあたりの報告の甘さと早合点については、いかにSSOGといえども、若手といえば若手らしいのか。
引き抜き前は天性の才能でそれでもやっていけたのだろうが……。
表の部隊では手に負えなくてSSOGに飛ばされたのでは、というヘタな勘繰りを浮かべては頭から追い出した。

SSOGとしては、必ずしも乗る必要はないのだが、ふとイヤな予感が脳裏を過ぎった。
どうしても確かめておかなければならないことがある。

「小田巻さん。不明ならば不明でもよいので、正確に答えてください。
 誰に、そして何人に、それを話しましたか?」


天は額に手を当てて、目を閉じて考え込む。
女王感染者の隔離案。発案者の嵐山岳は死亡したが、誠吾も含めて最低四人には伝わっている。
月影夜帳、犬山はすみ、八柳哉太。
そして直接話してはいないが、おそらく上記の三人を通して伝えられたであろう人物が天宝寺アニカ。
拠点の袴田邸にいた人間は、最低でも4人以上かつ他の人間との接触は失敗。

今のところ接触した人間は全員が村人か身元の確かな有名人であり、そこにハヤブサIIIをはじめとした工作員はいないことは誠吾に裏を取った。
だが、現時点で情報が現時点でどれだけ広まっているのかは不明だ。
八柳藤次郎という、真理を以ってして逃亡一択の凶悪な異能者が迫っているとなれば、既に一部は袴田邸を出立している可能性もある。

さて、特殊部隊の目的はVHの収束であって、村民の皆殺しではない。
村人のほうで解決してくれるのならば、結果として問題はない。
だが、それはあくまで女王感染者の死亡によって解決する場合の話だ。

これまでに得た情報を列挙し、整理する。

黒幕の存在という未確定情報。
VHは女王感染者の殺害以外でも解決する可能性があるという未確定情報。
VHが事故ではなく、故意におこされたものであるという推測。
村のスピーカーから流れた放送は、村の放送室から流れたものではないという事実。
放送室を調べた何者かがいるという事実。
隔離案という女王感染者の特定につながりうる方法が村人の間に広まったという事実。
ハヤブサIIIとブルーバードの村内滞在情報。
ハヤブサIIIが連れていた白衣の男。

いくつかの不確定要素が混じったうえでの推測ではあるが、これはまずいことになるのではないか。

「出発します。少々、時間が惜しくなりました」
一体何が分かったのか、という問いに答えることなく、天は一行を引き連れて足早に放送室を後にした。


天国の処理を終えた三樹康が次に向かったのは浅野雑貨店、その裏手にある民家であった。
天が浅野雑貨店にあった大量の武器を隠匿し、扉をつっかえさせて自由に開け閉めできなくした民家である。

ホームセンター『ワシントン』は物陰こそ多いが、爆弾が爆発炎上するという派手な戦闘が起こったばかりだ。
周囲の人間も集めやすいだろう。自分が健康体であれば歓迎だが、今はダメだ。
一方でその広さが仇となり、すべての出入り口を封鎖するにも相当の時間と相応の労力がかかる。
ならば比較的近場にあり、かつ発見されがたい民家のほうが時間も労力も費やさないと判断した。

道すがら、はぐれゾンビが行く手を阻む。
負傷していようがゾンビ一体に負けるほど軟弱な鍛え方はしていない。
鎧袖一触、逆手に持ったナイフですれ違いざまに頸動脈を斬り裂いて終わりだ。
深い傷口から噴水のように血が噴き出し、ゾンビはどさりと倒れて動かなくなる。

だが――
「ちっ、やっぱ普段通りにゃ行かねえよな」

客観的に見れば、ゾンビの殺害という結果に変わりはない。
だが、三樹康の主観的観点ではやはり本来のパフォーマンスからは程遠い。
一流のスポーツ選手が徹底的に体調を管理し、ルーティン化するように、三樹康も意識して自己を管理してきた。
だからこそ、今の不調も手に取るように分かってしまう。

今の三樹康が拳銃による射撃をおこなったとして、腕前は小田巻真理や広川成太などの中堅と同程度か、それよりも若干劣る程度か。
まして、狙撃銃によるミリ単位の精密射撃を成功させるには相当の負荷がかかるだろう。
微風や気圧といった、普段生活する分には意識する必要がない要素ですら、命中精度を左右しうるのだ。
まして、標的を定めている間に、一瞬でも意識が飛ぶなどしてしまえば、目も当てられないことになる。

目的地の民家に到着すると、ヘビがその身を狭所から滑り込ませるように、三樹康は扉と壁の隙間をするりと潜り抜ける。
だが、無造作に放り込まれた武器の山に不意に足が当たり、山が小さく崩れた。
通常は起こり得ないミスだ。
やはりパフォーマンスの低下が窺い知れる。

脳震盪と一言にいっても症状によって安静期間は異なるが、通常は一週間ほどの休息を勧められる。
作戦行動中ゆえに一週間など不可能だが、それでもある程度まとまった時間の休息は必要だ。

(作戦行動は最長であと一日半、と。なかなか骨が折れるねこりゃ)
背を壁につけ、拳銃を抱いて身体を休める。
外からは見えないように、だが万が一侵入者がいれば確実にその頭を撃ち抜けるように。
そんなベストポジションを確保し、最低限の警戒を保ったまま、肉体の休息を摂る。


一分か、十分か。
ふと、瞼を開いた。
眠っていたわけではない。
ただ目を閉じて静かにしていただけだ。
しかし、静寂の中に異質な物音が混ざったことに気が付いた。

整然とした足音。
訓練を受けたプロのものだ。
それが民家の前で足を止めた。

(一目で分かるような痕跡は残していないはずだが?)
ならば特殊部隊をも凌ぐ特技の持ち主か、それとも異能か。
にわかに緊張感が高まったところで、先にコンタクトを求めてきたのは扉の前の人物のほうだった。

「Crepitans? そこにいますか?」
同僚だ。乃木平天である。
天であればこの場所を知っているのは理解できる。

だが、天は東側へと移動したはずだ。
何のためにここに?
それに今さらコードネームで呼ぶのも不可解だ。
こつん、と一発床を叩き、返事をおこなう。

「まずは聞いてから判断をしていただきたい。
 小田巻さんとの接触をおこなった結果、この作戦行動の前提条件が覆りかねない懸念点が発見されました。
 ゆえに、私は村人の一部と取引をおこない、これから研究所に向かいます。
 これは私の独断ではありますが、司令部にも報告はおこないます」

聞いてから判断しろとはいうが、なんとも判断に困る話だ。
真理が生存を目論んでこの話を吹き込んで来たのなら、寝言をほざいた口ごと延髄を撃ち抜いて終わりだが……。
天には大局的な視点も期待している。
早急に成否の判断を下すべきではない。

「続きは中で聞く。
 それで、今はお前を何と呼べばいいんだ?」
「乃木平、で大丈夫です」
「乃木平、ね。察するにだが、お前大方、不意打ちで小田巻から名前呼ばれただろ?」
それと、誰かに聞き耳を立てられている可能性も思いついたが、これは口には出さない。

「そこについては申し開きのしようもありませんね……」
「面倒だが、普段からコードネームで呼ぶように習慣づけるべきなのかね?
 それは後で考えることか。
 外で突っ立ってないで、入ってこいよ」
ひらひらと手を振り、天の入室を許可した。


「結論から話します。
 この懸念が当たっていた場合、VHの収束について、研究所側が判断ミスを冒す可能性が高まる。
 つまり、女王感染者が生存していながら、我々に撤退命令が下される可能性があるということです」
天から伝えられたそれは、斬首作戦の失敗を意味するものだ。
それどころか、事後処理にすらしくじるということであり、奥津隊長は確実に更迭されるであろう。

「ずいぶんでかい話に膨らんだこって。根拠はあるんだろうな?」
「村人の間に噂が広まっています。
 『女王感染者を隔離し、女王菌の発する信号を遮断することで、VHを収束させることができる』
 村の有識者が、48時間のタイムリミットという要素と、ウイルスに感染した鳥類の動きを観察して導いた仮説のようですが、
 私が聞いた限りでも筋が通っているように思います」
「確かワニが正常感染者なんだっけか?」
動物に感染する事実は、ワニ吉という動かしようのない前例が存在する。
ならば鳥に感染するのも違和感はない。

スイッチの切り替えのために一言二言言葉を交わした際に、真理のほうから伝家の宝刀として切り出されたのだろう。
見敵必殺を絶対とし、実際にそれを為す実力のある三樹康や大田原、風雅では決してたどり着けない情報でもある。
頭にダメージを受けた今の状態で小難しい理論まで聞くつもりはないが、面倒ごとが現れたことは察した。

有識者というのが眉唾だが、村人の中には未来人類研究所の所属員もいるはずだ。
なにせレベル2のセキュリティカード保持者がゾンビになっていた。
研究者のゾンビや正常感染者がいても何もおかしなことではない。

「それで、なぜ作戦が失敗すると考えた?」
「この作戦行動における撤退の段取りはあなたも知っての通りです」
三樹康は目を閉じ、帰還命令の段取りを思い返す。
直接的には、司令部からの撤退指令に準ずる。
VHの終了条件は女王感染者の殺害だが、研究所がVHの収束を確認し、宣言することでようやく撤退命令が出される。
その判断材料は『HE-028-C』ウイルスの感染者、すなわちゾンビの様子を確認するという間接的なものだ。
これは事前のブリーフィングにより共有されている。

「もし、女王感染者が隔離されることでVHが収束するとしてだ。
 殺害による収束と、隔離による収束を見分ける材料がありません」
「ああ、伝えたいことはよく分かった。
 やだねやだねえ、こういう、気持ちよく任務に集中できないような事態は勘弁してほしいもんだ」

三樹康もその意味を理解した天の報告。
それはつまり、女王の隔離でVHが収束した場合、
SSOGが封鎖を解いた後に、生き延びた女王感染者によってVHの第二波が起こりうるということである。
しかもこの場合、女王感染者は自身が女王であることを自覚しているであろう。
後手にまわれば、最悪日本列島がゾンビの巣窟となり、この国は文字通り滅亡する。
原則として作戦行動中に余計なことを考える必要はないわけだが、
なるほど、看過するにはあまりにもリスクが高い。

「どうした? 俺の反応が意外か?」
「もう少し根拠を詰められるかと思っていましたので。
 今の話の段階では、女王感染者の動きが結論ありきになっている感じは否めませんからね」

三樹康の納得が想定以上に早い。
だが、その違和感は三樹康の回答を聞いて氷解した。

「VHの実行犯、物部天国が研究所を爆破してウイルスをまき散らしたと自白した」
「えっ?」
思わぬ情報に、天は一瞬だけ呆ける。
元々、ハヤブサⅢによる隠蔽や事故を危惧していた。
彼女は白衣の研究員と村民を連れており、明らかに女王殺害以外の収束方法を探している。
SSOGと接触した以上、それを欺く手段も考えているだろう。
だが、実際に自白をした元凶がいるのなら、話はさらに深刻になる。

「ああ、悪いがヤツを尋問しようってんならムダだな。
 ホームセンターの駐車場で、脳天ぶち抜いたから、今頃は汚ねえ肥料にでもなってるんじゃないか?
 まあ、テロリストの自供を百パーセント信じるってのも考えものかね?」
「いや、……今回に限っては信憑性はあるでしょう。
 スヴィア博士から提供いただいた情報――研究員の中の一部勢力が、外部からの実行犯を招き入れてVHを引き起こしたという情報と大枠が一致しますので」
「先の放送と物部の自供も矛盾するしな。
 研究所の連中だって、あのイカレたテロリストが外からぶっ壊したのと、地震でぶっ壊れたのと、
 その判断すらつかないような雑な仕事はしねえだろ。
 天国の一味は確実にいるってこった」
放送と物部天国の自供が矛盾するということは、放送主はやはり黒幕の一味の可能性が高い。
状況証拠がそろえば、天の懸念を頭ごなしに否定することはできない。
女王をいったん確保して保護しておき、悪意を持って二度目のVHを起こす可能性だって否定しきれない。

「ただな、結局のところ、これは推論にすぎんわけよ。
 全員をそっちに割けないのは分かるよな?」
「ええ。無視できないレベルではありますが、全戦力を割くほどの説得力も有していない」
仮に研究所の調査に全振りして、ただの杞憂でしたという結末になりでもすれば、全員の貴重な時間を数時間単位で失うことになる。

「そのような権限もありませんからね。
 ですから、司令部に通達のうえで、私の責任で請け負います」
「ま、それが関の山だろうな。で? 話はこれだけか?」
これだけであればただの情報共有だ。
軽視してはならない話だが、作戦行動にマイナスにこそ作用すれど、プラスには作用しない。


だが、三樹康の問いに、天はふるふると首を振る。
もう一つ。これこそが天が話しておきたいことだ。
「先も申し上げた通り、私はこれから研究所に向かいます。
 そこで、事態を大きく動かしたい。
 ウイルスの調査と共に、研究所の放送室から、村全体に放送をおこなうという構想を立てています」


「放送――ねぇ?」
「ええ、深夜に村全体に放送がおこなわれましたよね?
 あれと同じように、放送を流します。
 ただし内容は、女王感染者の判別方法が判明した、というものを。
 研究所の放送室が破壊されていなければ、
 あるいは研究所とは別に放送設備が用意されていなければ、という前提条件が付きますが」
黒幕の存在が形を為してきたとなれば、放送室も研究所の管轄にある可能性は高い。
いるかも分からない先客さえ排除すれば、自分たちも同じように使うことができるだろう。
どこかの森林の奥にでも独立して存在していれば、大見得を切っておきながらいきなりおじゃんになるのだが……。
そのときは潔く中止にするだけだ。

「ほ~、判別方法、ね……。
 いつもの博愛主義が首でももたげたのかい?」
三樹康は皮肉を込めた声でなじるが、そこに小馬鹿にするような色はない。
なぜなら、天の構想に判別の有無の真偽は取り入れられていないから。

「これが真に村人への福音となるか、非情な罠となるかは、スヴィア博士の成果次第になりますね。
 個人的な希望はさておいて、我々が従うべきは司令部からの指令です」
放送はおこなうが、その内容の真偽は問題にしない。
放送をおこなうこと。それそのものが作戦行動である。

「ときにもうすぐ12時間が経過しますが、何人と遭遇し、何人を手にかけましたか?」
「五人、そのうち仕留めたのは物部天国の一人だけだな」
「私は十一人。人数は同じく一人です。
 遭遇人物の一人は例の野生児ですので、重複していますが」
「いや、四人だ。俺もハヤブサⅢと遭遇した。
 素人二人引き連れてるってのに、無傷で逃げ切られちまったがな。
 対応力の怪物だねありゃ」
「あなた相手に無傷で、ですか?」
ハヤブサⅢの戦績に驚きの色は隠せないが、そこに言及すると話が脇道にそれてしまう。
コホンと咳ばらいをして、話を元のレールに戻した。

「ともかく、我々二人が手にかけたのは11時間で二人です。
 さらに、一人が初期配置を誤って診療所に降り立ち、そのロスが痛い。
 状況は芳しくありません」
もちろん、クマカイや八柳藤次郎のような無差別に村人を襲う危険人物はいる。
だが、これを当てにするようではSSOG失格である。
同様に、大田原と成太にすべてを任せるような姿勢も論外だ。
成果は自ら動いて作り出していかなければならない。

「まあ、俺はそもそも正常感染者とほとんど会えてないわけだが」
「そこも問題点の一つです。
 小さな村とはいえ、やはり相応に広く、隠れ場所も多い。
 たとえば小田巻さんのような気配を消す異能者が逃げに徹すれば、残り37時間逃げ切られる可能性もある」

誠吾が浅野雑貨店での雑談がてら、真理から聞き出した彼女の異能。
――あるいは、雑談を装って天に聞かせたのか。
――重要な情報をさりげなく出してくるのは、偶然なのか有用性のひそかなアピールなのか、その判別はできなかったがそれは別の話だろう。
実際に、真理が徹底的に逃げに徹した場合、これは完全にお手上げだ。
気配を完全に遮断できるSSOG隊員を村中ひっくり返して二日で確保するなど、三藤探や大田原源一郎が十人いても難しい。

「ですが、女王の判別方法が見つかったと放送で流れれば、どうでしょう?」
いつVHが終わるのか、誰が女王感染者なのか。
先の見えない真っ暗闇に戦々恐々としていたところに、道しるべがおかれたとしたら。

「タイムリミットまで逃げ切るより、女王でないことを確定させることを選ぶとは思いませんか?」
「全員が全員、そうとも限らないだろ。
 万一女王だと判別すれば、その場でズガン、だ。
 いっそ全部人任せにするって選択をするやつも出るだろうさ」
「そのパターンも否定はしませんが、少なくとも事態は動く。
 我々が村中を探し回るより、村人のほうから来てもらうほうが確実だ。
 あなたのような戦闘スタイルであれば、なおのこと」
そう、村人のほうを動かすということは、十分な準備も下見も可能となる。
タワーディフェンスのように、狙撃ポイントを見繕い、押さえておくこともできる。

「つまり、偽放送で村人を釣って、希望を胸に集まってきた標的を撃ち放題ってか。
 ヒューッ、乃木平殿はエゲツないことを考えるぜ!」
三樹康の茶化しに天は顔をしかめるが、非情な構想であるのは、その通りだろう。
わざわざ希望を持たせておいて、それを摘み取るような行為だ。
かつての幹部候補であった伊庭が、燃え上がるような正義漢から徐々に擦り切れていった理由を実感する。
この仕事は、こころが摩耗する。

「で、その放送はお前が流すのかい?」
「いえ、こちらは協力者――村で教師を務めている、碓氷さんに一任する予定です。
 我々特殊部隊が放送を流したところで、見え見えの罠以外の何者でもありませんからね。
 ですが、村人が身元を明かせば、半信半疑ながら動くものは増えるでしょう」
天と違って村人に敵対する立ち位置になく、真理と違って村内での知名度があり、スヴィアと違って崇高な信念や正義感などない。
故に、最も希少性が低く、代替可能で、けれども重要な1ピースだ。
そして、彼なら放送を躊躇なく実行できるだろう。

「これはプラスアルファの構想です。
 Crepitans、あなたは引き続き作戦行動をおこなう。
 そして、私の構想通りに事が動けば、それをうまく利用していただければ、と」
そう、三樹康がやることはいずれのルートでも変わらない。
放送が流れなければ、村内を移動しつつ、正常感染者を殲滅する。
放送が実際に流れれば、希望を胸に秘めて研究所を目指す感染者をルート上で待ち伏せて狩る。
思考がひと手間増えるが、元々の作戦と互いに阻害することはない。
そのうえで、うまくハマれば相乗的に効果を発揮する。

「念のため聞くが、正常感染者が押し寄せてきたとして、全員捌き切れるのか?」
「私一人ではできないでしょうね。
 ですが、小田巻さんを引き込んでいます。
 彼女の技能に異能、それと地の利を生かして、立ち回るつもりです」
真理は入隊直後から、狙撃を得意としていた。
それに加えて、気配を消す異能がある。
これはどこにでも配置できて、どんな場所も絶好の狙撃ポイントにできる黄金のユニットである。

けれども。
天は三樹康にこう尋ねた。
「もしよろしければ、絶好の狙撃ポイントなど、いくつか見繕っていただければ、と」


天が民家を後にする。
三樹康は引き続きここに残り、先ほどの会話を思い返す。

そもそもが、ここで天が三樹康に遭ったことこそが偶然であり、
本来の目的は武器の収納庫と化したこの民家から、役立つものを見繕うことだったようだ。
要するに物資確保のために立ち寄ったということだ。
一応、銃声の回数を覚えており、三樹康が武器の補充に来る等の可能性も考えてはいたようだが。

では三樹康に遭わずにどうやって研究所に入るかという話だが、天はすでに研究所IDパス(L3)を所持していた。
だからこその研究所探訪であり、それを活用しようと思いついたのだろう。
ハヤブサⅢも研究所への侵入を試みているはずだが、そこは一歩リードしていると思われる。

L3のパスでL1やL2に侵入することはできない可能性があるため、
浅野雅から回収したIDパス(L2)やカードキーも手渡し済みだ。

気になっていた酸の異能者、哀野雪菜の追加情報は共有された。
彼女は分かりやすいイレギュラー要素である。
それと、ハヤブサⅢが遅れて研究所を訪れ、一悶着起こす可能性もある。
あるいは、天国一派か黒幕本人の待ち伏せに遭い、計画変更を余儀なくされる可能性だってある。
そもそも放送設備が研究所になければなんともしまらない結果に終わるのだが……。
この村で未来はいつだって不確定だ。

ただ、盤面を大きく動かすその方向性は悪くない。
天自身の手で成果をあげるのではなく、最も成果を期待できる人間を補佐し、そのための場を整える。
プレイヤーとして成果を上げるだけではなく、チームメンバーの成果をサポートすることを選択した。
その選択も、二者択一ではなく、一つがムダになっても次の選択に移れる、そんなリスクヘッジを効かせた性質である。
現場で急造した一手としては十分なものだろう。


そして、三樹康に問うた狙撃ポイントの意味。
話の内容だけならば、ベテラン狙撃手の三樹康から、狙撃手として未熟な天が絶好のポイントを乞うものである。

けれども、言葉とは異なる対話がおこなわれた。
手話を用いた、音によらない対話だ。
もし真理が狙撃ポイントに現れたのなら、撃ち抜くこともやむなし。

正常感染者と確定すれば、真理は強力な戦力である。手放す理由など一切ない。
だが、女王感染者の可能性を捨てきれない場合、要注意ターゲットに転ずる。
まず白兵戦で天自身が勝てない。さらにそこに気配を消す異能が付いてくるともなれば、大田原でも一筋縄ではいかないかもしれない。
圧倒的な戦力で考える間も与えずに殲滅するか、不意をついて一撃で仕留めるしかない相手となるのだ。

さて、これは趣味に近い話なのだが。
SSOGの隠形スキルを持ち、さらには自在に気配を消す異能を操る。
条件が揃ったときにはじめて猟が解禁され、いざ事を構えれば乗るか剃るかの一発勝負。
まさしくハントにおける幻の生物である。
薩摩のようなポイント制を三樹康も採用するのであれば、ハヤブサIIIと同じ1000点のターゲットに位置付けるだろう。
不意に遭遇して流れで仕留めるより、格別の浪漫がある。

先輩として、若い命を詰むのは心苦しいところだが。
指導教官の一人として、自らの手にかけるのは悲しくてたまらないが。
スナイパーとして、幻のターゲットを仕留めたいという欲が出てくるのは仕方がないことだろう。

ふう、と大きく呼気を吐く。
少し入り込み過ぎた。
せっかく作戦行動を阻害しないプランを提示してきたというのに、三樹康自身がそれに固執しては顔が立たない。

(ま、過度な期待はせずに待つかね。
 あいつが計画を実践するにしても、早くて夕方以降になるだろうしな)
あくまで未定のボーナスステージだ。
発生したら大いに楽しませてもらうとしようか。

浅野雑貨店から小型の軽トラックが走り出し、南の道路を西へと走り抜けていく、その音を聞きつつ。
三樹康は銃を胸に、密かな愉しみを抱いて、再び彫像のように動かなくなった。


「乃木平さん。言われた通り、回収してきました」
「ご苦労様です」
真理は忍びのように目的地へ赴き、誰にも気付かれずに目的のものを入手して車中に戻ってきた。

「うげっ……!」
「っ……」
目的のもの。
誠吾が思わず声をあげ、スヴィアが目をそらしたその物体は、生首である。
トリップした麻薬中毒者のような凄惨な笑いを浮かべ、死ぬ瞬間まで己に酔いしれていたであろう男の生首。
それはこのVHの実行犯。そして、2%の確率を潜り抜けて正常感染者となった男、物部天国の成れの果てである。

『正常感染者』物部天国。
天はそこに一抹の疑問を挟んだ。
彼は本当に2%の確率を潜り抜けたのだろうか?
テロリストの頭目として隠然たる影響力を行使していたこの男が、
ゾンビとなって活動不能になるリスクを飲み込み、研究所に対してテロをおこなったのか。
彼が大人しく2%の正常感染者になる可能性に甘んじるだろうか?

ゾンビになればその狂信的な理想は水泡に帰す。
二度と理想に邁進できなくなる可能性を織り込んだうえで、ウイルスのケージを破壊したのだろうか?
物部天国は狂人だ。その可能性はある。
だが、同程度にそうでない可能性もある。

ワクチン、抗体、免疫、あるいは特効薬。
彼は黒幕の一味であるからこそ、確実に正常感染者となる手段を確保していたかもしれない。
あるいは、正常感染者となるなんらかの条件に合致したからこそ、彼が実行犯に選ばれたのかもしれない。
若干の願望も混じっているかもしれないが、被検体として天国の脳を持ち去ることを決めた。


隔離によってVHが収まるかを判別するだけなら、おそらく必要ないことだ。
だから、これはスイッチの切り替えである。
三樹康と密約を結びながら、そのときまで真理が女王から除外される道程は閉ざさない。
それが今回のスイッチなのだ。

自身の主義に傾倒しすぎず、されども振り払いはせず。
天秤が傾きすぎないようにバランスを取りながら、手の届く範囲でやれることはやる。
その結末は後からついてくるだろう。

研究所までの道のりは、天が夜に一度歩いた道だ。
車の走行を妨げるものはなく、ゾンビの数も少ない。三樹康が射撃してくることもない。
何事もなければ、無事に研究所までたどり着くだろう。

天は診療所に配備され、助けを求めて訪れる村人を死に追いやる、そのような初期配置であった。
今、天は再び診療所に舞い戻り、希望にすがって研究所を訪れる村人を処理する案を考えている。
過酷な任務にぶつかった結果として、上からの指令ではなく、自らそれを選択肢へとあてがった。
SSOGとしての色に染まっている。そんな自分に、天は自嘲した。


山折村の教師として正式に着任して、すぐのことだったか。
下校時間のHRを終えてひと段落したところで、同僚の涼木匠から来客の連絡があった。
未名崎錬。
まるで手がかりのなかった友人との邂逅に、スヴィアは昂る気持ちを抑えきれなかった。

なぜ連絡もなく消息をくらましたのか、晶を残して何をやっているのか。
らしくもなく、感情のまま一方的に言葉をぶつけてしまった。
ありとあらゆる思いを、その場でこみあげてきたままに、彼にぶつけた。
あるいは、自分から身を引いたことの後悔を、今さら彼にぶつけていたのかもしれない。


何の印刷もない、ただLevel3とだけ書かれた薄いカード。
匠を通して錬から間接的に渡されたそれが、何か重要なものだとは思っていたが、
研究所に関わるカードキーだというのは、天に知らされてようやく知った。

Level2のキーには身分証明書が貼り付けられている。
何も描かれていない真っ白なこのカードは、つまりスヴィアのために錬が用意したものだ。

なんとしても同志として仲間に引き込みたかったのか、それとも内心では引き留めてほしかったのか、あるいはただ被験者として観察したかったのか。
それは彼に聞かなければ分からない。
彼の手を取るべきだったのか、それとも振り払うべきだったのか。
彼に同調するべきだったのか、それとも諫めるべきだったのか。
無数の選択を一つずつ選んでいった結果、それが誤りだったのか正しかったのかすらも分からないけれど。
運命のいたずらか、正常感染者『スヴィア・リーデンベルグ』は、研究所――山折総合診療所へと向かうことになった。

思考をクロックアップ。意識をクールダウン。
解析か、隔離か、それとも別の解決策があるのか。
黒幕がこのVHに何を求めているのか。
異能で聞きだした、特殊部隊の企み。
それらを超えて、生徒たちを無事に生き残らせるには?

特殊部隊がスヴィアを利用して調査をおこなおうとしているように、今ならスヴィアもまた特殊部隊を動かせるはずだ。
己がたとえ壊れようとも、必ずVHを終わらせるという絶対の誓いを以って、スヴィアもまた研究所へと向かう。
眩暈と負傷でぼろぼろなのにも関わらず、まるで脳が二つあるかのように、スヴィアの感覚は冴えていた。


【F-4/道・軽トラ内/一日目・昼】

小田巻 真理
[状態]:疲労(中度)、右腕に火傷、精神疲労(中)
[道具]:ライフル銃(残弾0/5)、血のライフル弾(10発)、警棒、ポシェット、剣ナタ、物部天国の生首
[方針]
基本.生存を優先。乃木平の指揮下に入り指示に従う
1.乃木平の指示に従う
2.隔離案による女王感染者判別を試す
3.八柳藤次郎を排除する手を考える
[備考]
※自分の異能をなんとなーく把握しました。
※創の異能を右手で触れた相手を昏倒させるものだと思っています。

乃木平 天
[状態]:疲労(中)、ダメージ(中)、精神疲労(小)
[道具]:拳銃(H&K SFP9)、サバイバルナイフ、ポケットピストル(種類不明)、着火機具、研究所IDパス(L2)、研究所IDパス(L3)、謎のカードキー、ほかにもあるかも?
[方針]
基本.仕事自体は真面目に。ただ必要ないゾンビの始末はできる範囲で避ける。
1.研究所を封鎖。ウイルスについて調査し、VHの第二波が起こる可能性を取り除く
2.スヴィアを尋問する。
3.一定時間が経ち、設備があったら放送をおこない、隠れている正常感染者をあぶり出す。
4.情報収集につとめ、村人の異能を理解する。
5.小田巻と碓氷を指揮する。不要と判断した時点で処する。
6.黒木に出会えば情報を伝える。
7.犠牲者たちの名は忘れない。
8.あのワニ生きてる? ワニ以外にも珍獣とかいませんよね? この村。
[備考]
※ゾンビが強い音に反応することを認識しています。
※診療所や各商店、浅野雑貨店から何か持ち出したかもしれません。
※成田三樹康と情報の交換を行いました。手話による言葉にしていない会話があるかもしれません。
※ポケットピストルの種類は後続の書き手にお任せします
※ハヤブサⅢの異能を視覚強化とほぼ断定してます。

碓氷 誠吾
[状態]:健康、異能理解済、猟師服に着替え
[道具]:災害時非常持ち出し袋(食料[乾パン・氷砂糖・水]二日分、軍手、簡易トイレ、オールラウンドマルチツール、懐中電灯、ほか)、ザック(古地図)
    スーツ、暗視スコープ、ライフル銃(残弾4/5)
[方針]
基本行動方針:他人を蹴落として生き残る
1.乃木平の信頼を得て手駒となって生き延びる。
2.捨て駒にならないよう警戒。
3.隔離案による女王感染者判別を試す
[備考]
※夜帳が連続殺人犯であることを知っています。
※真理が円華を犠牲に逃げたと推測しています。

【スヴィア・リーデンベルグ】
[状態]:背中に切り傷(処置済み)、右肩に銃痕による貫通傷(処置済み)、眩暈
[道具]:なし
[方針]
基本.もしこれがあの研究所絡みだったら、元々所属してた責任もあって何とか止めたい。
1.ウイルスを解析し、VHを収束させる
2.尋問に応じる
3.犠牲者を減らすように説得する
4.上月くん達のことが心配だが、こうなれば一刻も早く騒動を収束させるしかない……
[備考]
※黒幕についての発言は真実であるとは限りません

【F-5/浅野雑貨店裏の民家/一日目・昼】

成田 三樹康
[状態]:軽い脳震盪、背中にダメージ
[道具]:防護服、拳銃(H&K SFP9)、サバイバルナイフ、双眼鏡、浅野雅のスマホ、レミントンM700、.300ウィンチェスターマグナム(1発)
[方針]
基本.女王感染者の抹殺。その過程で“狩り”を楽しむ。
1.脳震盪が回復するまで休息
2.「酸を使う感染者(哀野雪菜)」を警戒。
3.ハヤブサⅢを排除したい。
4.「氷使いの感染者(氷月海衣)」に興味。
5.都合がつけば乃木平天の集敵策に乗る
6.小田巻真理が指定の場所に現れれば狩る
[備考]
※乃木平天と情報の交換を行いました。手話による言葉にしていない会話があるかもしれません。
※ハヤブサⅢの異能を視覚強化とほぼ断定しています。

090.未来福音 投下順で読む 092.空から山折村を見てみよう
092.空から山折村を見てみよう 時系列順で読む 093.Monster Hunter
それぞれの成果 乃木平 天 司令部へ
スヴィア・リーデンベルグ 研究所へ
小田巻 真理
碓氷 誠吾
元凶 成田 三樹康 血塗られた道の最果て

タグ:

+ タグ編集
  • タグ:
最終更新:2023年10月21日 21:04