◆ ◆ ◆

草木も眠る丑三つ時。
前世じゃ、妖怪や名状しがたいモノが跋扈する魔の時間だから絶対外には出ちゃダメって言われていたけれど。
今世でもゴーストだのレイスだのがふよふよ湧いてくる時間だけど。

「モーちゃん、もうすぐ赤ちゃんが生まれるんだよね。
 今日は私も一緒に傍にいてあげるからね!」
「ンモォォォゥゥゥゥ~~!」

今日に限ってはお祝いの時間!
お友達のモーちゃんのお産予定日!
お医者さんが言うには、赤ちゃんが産まれるのは午前二時くらいなんだって。
いつもは眠い時間だけれど、今日はがんばるぞっ!

「ブ、ブルルルォォッ!」
モーちゃんが猛々しい声を出す。はじめてのお産、がんばってる……!
『がんばれ、がんばれ』と言いたい気持ちを抑えて、静かにモーちゃんに寄り添う。
身体を拭くための清潔な藁も、最初のおっぱいを絞り出す準備もバッチリ。

って、ちょっと戦士さ~ん、なんで寝てるの〜!?
あ~、お酒なんか飲んじゃって~。
ケージも『今日は俺にまかせろっ!』なんて大口叩いておきながらぐーすかぴーだし……。
ちょっと男子、マジメにやってよ~!

「ブォォオオオッッッ!」
わー! もう来ちゃった……!
蹄がモーちゃんのお尻(?)から覗いてる……!


仕方ないか、やるしかないよね。
大丈夫、こういうの前世でも慣れてるもん。
い、いちおうあね様がやってたのを見てたもん。

あれ、でも蹄の向きって上だったっけ……?
げげっ、逆子ってやつじゃないの!?
慌てちゃダメ、慌てちゃダメだよわたし!
すー、はー。慎重に、慎重に……!

「ふんんんんんぬうぅぅぅぅッッ……!!!」
モーちゃんの負担を軽くするために、赤ちゃんの副蹄をバンドで縛って引っ張り出す。
うんとこしょっと蹄を引っ張り下げれば、羊水と一緒に後ろ足がぬるぬるっとこんばんは。
どっこいしょっともう一引き、ずるっとしっぽが飛び出してくる。
私の力じゃ一気に引っ張りだすのは無理だったけど!

「……ブゥゥルルゥッ!」
さあ、ここまで来たらもうすぐだ。
さあ赤ちゃん、その顔見せてね!
ぬるぬるの赤ちゃんを引っ張り出せば、わらの上にびちゃりとダイブ。
ふふん、私にかかれば男子の手なんかなくてもこんなもんよ。
尻もちをついてる女がドヤ顔で言うことじゃない?
さあ赤ちゃん、ご対面だっ……!

『……』
「っ……!」
羊水と一緒にずるりと出てきた赤ちゃんは、まるで人間のような顔をしていて。
ぷるぷると立ち上がり、しっかりと私のほうを向いて、人間の言葉を紡いだ。

「ブルルルッ!」
モーちゃんが牛体人面の怪異の顔をペロペロと舐める。
……そうだよね、たとえ妖だったとしても、モーちゃんの子供だもんね。
この子はモーちゃんの子供じゃないだなんて心無い言葉、口に出しただけでオレ様オ前丸カジリ案件だもんね。
産まれてきてくれてありがとうって言わなくちゃ。

数日しか生きられない、そんな妖だけれど。
今後ともヨロシクって、ね。


街を囲んでいたオークの戦士たちが敗走する。
ケージたちがついに残虐非道のオークの大戦士を討ち取ったんだ。
オークの軍が主力を動員して街を襲うその時、本陣のまわりが手薄になる隙をついて頭を叩く。
作戦は大、大、大成功!

ま、私はお留守番なんですけどね。ぷーっ。
おちゃらけはともかくとして。
召喚術士は手数という意味でも防衛に回されやすいんだけれど、
ミノちゃん――モーちゃんの子の命日が今日なら、一緒にいてあげたい、という理由もある。
それに、予言がなんなのか、個人的にもちょっと気になる。
オスの件の予言は絶対に外れることはないんだって前世のばっさまも言ってたからなー。

けど、厄ネタが来たらパーティも王様も巻き込んで国中てんやわんやになっちゃうよね。
凶報が来ませんように、凶報が来ませんように!
だって、心穏やかに、最期の時を過ごしてあげたいもの。


『ケージは魔王を滅すること能わず。
 魔王は、絶対禁忌たるイヌヤマイノリに取り込まれて真なる厄災と化さん。
 厄災はオークの大戦士と共にイヌヤマの地を神に献ずるであろう』

人でも牛でもないその赤ちゃんは、そう言い残すと息絶えて、光となって消えた。
魔王の討伐失敗が予言されたことよりも。
隠山。あね様。もう一度その名を聞くことになるなんて。


今世の国と日ノ本の国は別の世界だ。
けれど、ときおり異邦人と言われる存在がやってくることはある。
二つの世界は空間が捩じれてるのか、私の知る時代よりずっと昔の人が来ることもあれば、未来の人が来ることもある。

ケージは私が生きた時代よりもずっと未来からやってきた人だ。
私が本名じゃなくてイヌヤマと名乗っているのは、その後のことを知っている人に気付いてもらえれば、という理由だし、まさにそれが理由で私たちは巡り合った。

イヤミな役人が病檻だの厄檻だのと揶揄してたころとはうってかわって、大自然の広がる慎ましやかながらも幸せな村だと聞いている。
ケージは、犬山の姉ちゃんって優しくておっぱいでかかったんだよなーとか戦士のおっちゃんとタワゴトぬかしてたけど、
まあおっぱいでかくなれるくらいには豊かで裕福な生活を営んでいるということだ。
そして彼の口から悪神なんて聞いたこともないし、山折村が滅びたなんて歴史も聞いたことがない。
だから、予言はきっとケージたちの時代のさらに未来に起きることなんだ。


帯解きの儀を迎える七歳までは神の子だという。神様へのつながりが残っているという。
だから、七歳までの幼子が命を落とせば、神さまへとお返ししなければならない。
今世じゃ奇異の目で見られる儀式だけれど、日ノ本は神秘に包まれた神の国。
この世界とは理も何もかも違う。

巫女の血を、神子の命を捧げた。
私たちが供物となり、神さまのところに戻ることで、村に光が戻ればと。

私たちは神さまのもとに還された。
春陽様が、あね様と共に必ず村を救ってくれると信じて、神さまの下へ召された。
ケージの話を聞くに、村は救われていたはずだし、神楽様の子孫の方もいらっしゃるから、そうなったものだと思っていた。
けれども、あね様は救われていなかったのだろうか。

――それとも、私たちのせいなんだろうか。
春陽様は間に合わず、あね様は孤独に独りで命を終えてしまったのだろうか。
ぽっかり空いたこころの隙間を、神秘に魅入られてしまったのだろうか。


死ぬことが大したことじゃないだなんてことは言わない。
けれど、死がすべての終わりというわけでもない。輪廻も転生もある。一度は死んだ私が言うんだから間違いない。
けれど、憎悪の塊になってその地に縛られれば、未来永劫苦しみ続けるしかない。
もし、あね様が憎悪にとらわれて悪神と化すのなら。
止めなきゃいけない。
それこそが、私が前世の記憶を残したまま、輪廻転生した意味なのだろう。

件の悪い予言を防ぐ方法はただ一つ。
人から産まれるメスの件を探してその予言に従うの。

ケージが戻るのを待たずに、私の原初(オリジナル)の召喚術『干支時計』の友達たちにお願いして国中を探してもらって。
その予言に従って、魔王軍へと身を寄せた。
私は再び、わるい子へと身をやつした。


白い兎は無垢な女の子を異世界へと導くといわれてる。
そして白い兎はその身で世界を超えられる。
この国じゃ、アリスを導く白兎だなんて呼ばれてる。
日ノ本でいう神隠しの話とルーツは同じなのだろう。

無垢な女の子というには歳を取りすぎているけれど、この世界には若返りの秘術がある。
胎内回帰。悪魔転生に用いられる邪法だ。
悪魔が司るこの邪法は、人間国家ならば、使えば一発で死罪が確定する禁呪。
悪魔になろうなんてヤツにロクな人間はいないからねー。


けれど、本来は輪廻転生に用いられる神さまの魔法だ。
魂にこびりついた経験も記憶もそぎ落とし、世界を超えて転生することだってできる。
そんなの死と同義だからやる人なんていないけれど、それで予言の運命を変えられるのならば。
私は邪法を司る悪魔と迷わず契約を結んだ。


魔王とケージの決戦の日。

友人たちとの最期のお別れは終わった。傍らにいるのは最初からのパートナーの一羽だけ。
ウサギの御守は天運を招くとも言われているらしい。
向こうに持ちだせる、僅かばかりの力と願いを込めて、その首に3つの御守をかける。
日ノ本に戻ったとき、どうか幸運に導かれるようにという願いを込めて。


 ――バカな、魔法陣が作動して……!

胎内回帰を利用する人間にロクなヤツはいない。
私情で世界を救う勇者様を裏切り、暴虐の魔王に付くなんて最大級の悪党だ。

二つの世界を穴でつなぐ白兎の権能に、回帰の術式。
そんなのをまとめて魔方陣にねじ込めば、暴走するに決まっている。
私の身体も心も分解され、魔方陣の向こうへと送られていく。

裏切者の召喚術士、イヌヤマの生はこれで終わり。
魔王に寝返った大罪人として末永く語り継がれるだろう。
大丈夫、結果はどうあれ、勇者ケージは暴虐の魔王アルシェルを討ち取った。
世界に平和がもたらされるんだ。
ケージ・ヤマオリ。いや、山折圭二くん。
魔王討伐、おめでとう。

◆ ◆ ◆

研究所内に響き渡る異音。空間にたゆたう残響。
それは、比喩なしに大きく重いナニカが狭い場所へと落下した反響音である。

スヴィアは即座に思考を巡らせる。
特殊部隊の面々がそのような目立つ策を取るとは思えない。
同じく、田中花子を名乗る人物……珠をこの研究所まで連れてきたあの女性も然りだ。
残響から演算するに、何かが落下したのはエレベータ。
不慮の事故か、新たな闖入者の登場か。

『海衣さん、こっち来て!! 何か来そう!』
直後、今度は同階の珠の大声が響き渡った。
春姫もかろうじて聞き取れたようで、一瞬だけ視線を廊下の方面へと外す。
こちらは考えるまでもなく、さらなる第三者の登場であろう。

春姫は一瞥するも、再び歴戦の大騎士のように剣をついて仁王立ちのポーズを取っている。
その様相はそのまま型を取って銅像にするだけで没後に観光名所になりそうなほど見事なものだ。
まさに一流村人の格。
山折村利き酒チェックで毎年お神酒も地酒『山折』も間違える三流常連の厳一郎や、
その息子という負の看板で威張り腐る移り住む価値なしの山折圭介とは雲泥の差である。

堂々たる存在感には得体の知れない安心感があるが、状況が傾く前に急いだほうがいいのかもしれない。
スヴィアにかかった使命感という魔法も、歓喜という麻薬も切れ始め、肉体が出来の悪い人形のように固くなり始めている。

「館内で……、何かが……、起こっている。
 少々急ぎたい。……少し、肩を貸してもらえれば……、助かる」
「まあ、よかろう。
 功労者には然るべき報いを与えるのが女王の務めである」
下々民に肩を貸すなど、本来女王のおこなうことではないが、信賞必罰は村を治めるにあたって基本のキである。
バイオハザードが解決したら、無能な現上層部に代わってスヴィアを研究所の所長に推すのもよいかもしれない。

「部屋の奥……。大型の冷蔵庫。
 新薬の……、一時保管庫だ。そこを確認したい」
広大な部屋の奥に佇む巨大な最先端設備。
その足取りはこれまでにも増して重い。
一歩が二歩にも、十歩にも感じる重さだ。
足が棒になるというが、足先から頭のてっぺんまで一本の棒になったかのようにぎこちなさ。
それでも無理を押して目的へと向かうなか、またもや上階にて異変が生じた。

『げぇっ!!? 大田原さぁんッ!!!???』
まるでこの世の終わりを見たような。
両手を両耳に当て、白目を剥いて大威に怯える有名な某絵画と同じポーズを取っているのがありありと見えるような。
心からの『叫び』が響き渡る。

その取り乱し具合はまさしく異変である。
名前を呼んでいるということは同じ特殊部隊のはず。
なのに、隠密を是とする隊員が大声をあげてしまう異常事態。
確かに真理本人も正常感染者には違いはないのだが、真珠と合流したときはもっと落ち着いていた。
新たな特殊部隊は話が通じる手合いではないのかもしれない。

刻々と移り変わる事態を頭の片隅に留めつつ、巨大冷蔵庫の前にたどり着く。
やはり試薬の一時保管スペースだ。
スヴィアは目録片手に付け合わせていく。
春姫も目録をのぞき込むが、日本語ではない何語かがずらずらと羅列されており自力の理解は早々に諦めた。

「して、何を探しておるのだ?」
「天原君の異能を……、用いた解決には……、睡眠が必須だ。
 睡眠薬があるなら……、時短の……ためにも、確保しておくべきだ」
「ふむ……道理よな」

なるほど、春姫からしても一理ある。
春姫は未だ一度も風邪をひいたことがない健康優良児。
祭祀の期間を除き、夜の九時には眠りに付き、朝の六時に起きる生粋のロングスリーパーだ。昼寝はしない。
その習慣は身体に染みわたっており、一徹した今は一周回ったのかバッチリと目が冴えている。
あと七時間経たなければこの身体は睡眠を欲しないだろう。

特異体質の春姫でなくとも、この極限状態の中で身体の髄まで睡魔に浸かることができる人間がどれだけいるだろうか。
冷静を保ち続けていた創のように、何かしらの訓練を受けていると思わしき人間にしても話は同じだ。
むしろ常在戦場の心得を持つ人間のほうが深刻かもしれない。
有事の際に真っ先に飛び起きて事に当たるタイプの人種は、全域が戦場であるこの村では決して睡魔に身をゆだねることはない。
戦場では正しくとも、それではウイルスは洗い流せない。

『お前ッ、お前は――――――ッ!』
「む?」
「……急ごう」

憎悪と憤怒、それにどこか昏い歓喜の混じったような金切り声。
ガラスでも割れたのか、結晶の組織がひび割れ散る音と共に、フロアに反響する。

幸いなことに、お目当ての薬は錠剤型として完成されていた。
ハルシオンをさらに強くしたような超短時間作用型の睡眠薬。
服用量を間違えれば永遠に眠ることにすらなりかねない。
口に含み、数十分もすれば効果が表れるだろう。

「スヴィア先生! どこ!?」
ほぼ同時に、新薬開発室の扉が開け放たれる。
外の出来事に聞き耳を立てていなくとも、その緊迫感をして非常時であることを察せられるだろう。

「見つけた先生! 逃げるよ、人間を食べる最悪なヤツが襲ってきたから!
 海衣ちゃんが時間を稼いでくれてて!
 うーっ、とにかく、今すぐ二階の花子さんたちのところに!」


バイオハザードの収束方法は見つかった。
創が倒れれば瓦解する薄氷一枚の方法だが、方法の一つには違いない。
だが……。

「日野くん……、急ぎのところ済まないが……、敢えて聞こう。
 光は……見えるかい?」
「光なら……」

警報級の避難指示が出たら身一つで避難するのは定石。
荷物を持ちだしたり、取りに戻るのは本来ならば悪手中の悪手。
それでも、これは確認する価値があることだ。

「先生の次に一番大きな光は、これだよ」
「これは……」

珠が指したのは、冷蔵庫とはまた別、目立たない場所の保管所にひっそりと配置されていた瓶詰めである。
あらゆる光を吸い込むかのような漆黒の粉末。
目録を見るまでもない。スヴィアはこれを知っている。


目的地は階段部屋だが、経由するのは廊下ではなく感染実験室だ。
外は海衣の異能により、真冬のような冷気が吹き荒れる。
重症のスヴィアを長時間冷気に晒すよりは、適温に保たれた部屋の中を移動するほうが安全との判断である。

しかし隣部屋へと向かうスヴィアの足取りは鉛のように重く鈍い。
一歩踏み出すごとに、その歩幅が徐々に狭くなっていく。
消化酵素は摂取した氷砂糖を必死に燃料に換え、空前絶後のスピードで頭脳のタービンを回しているが、
身体の燃料に回されるはずのエネルギーは命漏れを塞ぎ止めるための資材に回される。
肉体の動力としてのエネルギーが絶対的に足りない。
珠の肩を借りて、引きずられるように、ゆっくりゆっくりと歩を進めていく。

幸いにも口はまだ動く。
手繰り寄せた希望の路が途絶えぬように、道しるべを余さず伝えなければならない。
スヴィア自身、もう身体がいつまでもつのか分からないのだ。
今ここで力尽き、光を絶やしてしまえば死んでも死にきれない。
この地に根付く地縛霊と化してしまうほどの後悔に苛まれるだろう。

「歩きながらだが……手短に話そう。
 持ってもらっている錠剤は、睡眠薬。
 先ほど……、神楽くんには話したが……、天原くんの……、異能を受ける前に……一錠飲んでくれたまえ。
 それで……、体内のウイルスは除去できる」
「えっ! 先生やったの!? 全部終わるってコト!?」

今は避難を優先すべきなのでは、との諌言がすっぽり頭から抜け落ちるほどの衝撃に、珠の声が上振れる。
スヴィアの言葉はまさに地獄で見つけた天からの糸に等しい。


「じゃ、さっきの粉は?」
「使わないで済むなら……、それに越したことはない。
 あの粉、あの色……、おそらく短期記憶を……、消去する効能だと推測している」

珠が思い出したようにわずかに目を見開く。
与田が花子に、研究所には記憶操作の手法があることを話していた。
みかげの異能によって当時の記憶を再度焼き付けたからこそ、納得できる。
この物質は一年前に珠の記憶を奪ったものと同質の力だ。

スヴィアも正確には知らない物質のその正体。
それは、山折村の禁則地――蛇茨家の管理地でしか取れない特殊な鉱物の加工物である。
地球産とは思えない色とりどりの結晶から削り出され、調合された粉末。
世界各地の聖域や禁則地に指定されている地域でも取れるという噂があるが、日本人には知りようもない話。
当然、採掘地を特定されないように山折村支部とは別の施設へ搬送され、当時在籍していたスヴィアが分析した。
そして地下二階相当の権限しか持っていなかったスヴィアにもまた、その出所が知らされることはついになかった。
分かっているのはこの粉末に化学反応を起こさせれば、色の変化と共に様々なことができるということだけだ。

雷、火、土、水、風、冷気。日光や月光、そして暗闇。
ありとあらゆる元素に交わらせることで別の物質に変化する魔法の物質。
異世界から流れ付いて凝固した魔力の結晶がこの世界の理に属さないのは当然。
ただし身体のつくりからして違っている地球人に与えて、異世界と同じ効力を発揮しないのも当然。
そもそも地球人の臓器に魔力器官などないのだから当たり前である。
異世界の研究者がこの場にいても、この物質の正確な価値は見積もれないだろう。


「これを……女王以外の正常感染者が吸い込めば……、9割の確率で……、ゾンビになると推測する」
「んっ?? んん?? ゾンビ???」
「そう、ゾンビだ」
レポートにあるように、このウイルスの本来の目的は、人間の無意識下にあるイメージを出力させるものだ。
すなわち、個々人の記憶とウイルスの定着は密接な関係にある。
感染中に逆行性の健忘が起こるということは、ウイルスを育てている苗床が突如消え失せるようなものだ。
ウイルスからしてみれば、海の上で乗っているボートから投げ出されるようなものだ。
そうなれば、助けを求めて別のボートへ群がる。
やがてボートの定員がオーバーし、さらなる二次災害が起こる。
脳のキャパシティを超えたウイルスとその老廃物が溜まっていけばアルツハイマーに酷似した現象が再発。
すなわちゾンビ化の再抽選である。

「ゾンビになれるということは……、女王ウイルスに……、侵されていないということ。
 体温も下がり……、特殊部隊の監視下においても……、死者として認識されるかもしれないが……」
「妾にとっては無用の長物というわけだな」
端的に言えばフェードアウト。
女王が殺されたとき、すべての記憶を失ってゾンビから醒め、何も分からないままにこの地獄から抜け出すことができるだろう。
ただし、考えなく適当に飲めば、現場の特殊部隊に殺害されるか、適当に誰かを襲って返り討ちだ。
何より徹底的な逃げの手法である。
春姫にとっては、飲む意味も価値も一切ない。
スヴィアの推測が正しいのならば、女王が飲んだところで何の変化もないのだから。
そうしているうちに、一行は感染実験室へと侵入する。


ここは緊急脱出口からは最も遠い部屋の一つ。
部屋の中には数人のゾンビーー祭服の襲来から逃げ延びてきた研究員たちがたむろしているのだが、春姫の異能によりあえなく威光にひれ伏す。

「それで、天原とやらはどこをほっつき歩いているのだ?
 解決策が見つかれど、伝えられねば、解決も何もなかろう」
「それについても……、ボクに腹案がある」
「腹案?」
「この研究所には……、すでに特殊部隊が展開している。
 彼らの作戦を……、ボクたちが利用する」

廊下へと向かう足が一瞬だけ止まる。
鳩が豆鉄砲を食ったように、きょとんとしてみせる珠。
訝しんで眉をあげる春姫。
分かっていた。それが正しい反応だ。

「釈然としないだろう……。だが、まず……、聞いてくれ。
 特殊部隊は……、放送を流し……、村人を集める作戦を企てている。
 それを逆手にとり……、村全体に解決策を流す。
 天原君が生きてさえいれば……、これで伝わる」

それができるのなら、確かに創を探す時間を大幅に短縮できる。
しかし、どこからそのような情報を仕入れてきたのか。
特殊部隊を相手に聞き耳を立てたというのか。
そもそも、珠たちにとっては特殊部隊が展開しているというのも初耳だ。
人肉を食らう少女を除けば、エレベータを利用した何者かの存在しか彼女らは知らない。
そんな疑問を承知しつつ、スヴィアは話を続ける。

「特殊部隊が……、ドローンで我々を監視していることは……、知っているかい?」
「そうなの?」
「ふむ。空に奇怪な鳥が舞っておるとばかり思っていたが、中央の手先であったか」
スヴィアがそれを知ったのは、天が診療所前で席を外した時である。
プロペラ音のような奇怪な音を発する飛行物体が複数、村中から山中を目指し、また飛び出していたのを音に聞いた。
そして、鳥とも虫とも思えぬ何かが旋回していたのを春姫も神社で目撃している。

「彼らは……、外に情報が漏れることを殊更嫌っている」
「あ、そうそう! ウイルスが治っても、特殊部隊は撤退しないって花子さんが……」
「そこを突く。
 HE-028-A――すなわち女王ウイルスは……、天原くんの……異能で、否定できる。
 当然、子型のHE-028-Cも……、否定できるだろう。
 正常感染者に限らず……、ね」
「えっと、それってつまり、ゾンビを戻せるってこと?」
「そうさな。わざわざ末端のゾンビから治療する意味があるかはともかく、できることに疑いはなかろう」
「そして……、異能によって、ゾンビから治療された人間が、どのような状態になるのかは『分からない』。
 これは……、特殊部隊にとっては……、看過しがたいリスクだ。
 そのリスクを突き付け……、時間を、稼ぐ」

天と真珠が正常感染者を余さず殺害するために、確認のできた感染者をリスト化しているのは承知済み。
村人からすればたまったものではないが、特殊部隊の立場からすれば、正常感染者を取りこぼさないために必要なことだろう。
そのリストは、スヴィアの推測では天が本部から直接取り寄せたものである。
この信頼性を削ぎとる。

もちろん、異能経由とはいえウイルスの特性は調べ尽くされているはず。
前例や類似例に則って推測することはできるだろう。
だが、どれくらいで意識を取り戻すのか、どれくらいで体温は正常に戻るのか。
研究者としての結論は『すぐには分からない』。
再現性のない個別ケースの研究に割く時間などない。
異能によるウイルスへの影響は優先度低の課題である。
『すぐには分からない』。それは、言い換えればリスクを早く正確に見積もれないということである。
脱獄の際に囚人たちの牢のカギを一つずつ開けていくような、大いなる嫌がらせである。

もちろん、特殊部隊は研究所本部に問い合わせて、限りなく正解に近い解答を用意してくるだろう。
ただし、本部と実行部隊の間でリアルタイムの報告はできない。
ドローンを使って監視している本部からすれば、新たな正常感染者候補の登場による情報の錯綜が起こる。
現場の部隊からしても、任務とは関係のない標的候補の増加という余計な手間が増えていく。


司令塔たる天は教科書通りの特殊部隊員といった印象だ。
独断で逸って地獄の釜の蓋を開き、自らの首を絞めるリスクを取るとは思えない。
天が得意とする手法、真偽を前提とせずにリスクだけで相手に二択を強要するやり方。これを使った意趣返しだ。

創や同行者の雪菜自身が特殊部隊と交戦し、殺害を免れたことも追い風だ。
キーマンが簡単には殺せないということは、強硬策を戸惑わせるに足る。
現場に対する時間稼ぎとしては十分に機能するだろう。

そう、これは時間稼ぎなのだ。
この空白の拮抗時間を利用して、研究所あるいは特殊部隊の上層部と話を取り付ける。
少なくとも特殊部隊から研究所に繋がるラインは確実にあるし、8年後に迫りくる地球の危機については取引材料としても利用できるだろう。
特殊部隊が本気で鏖殺という最強硬策を取る前に、なんとかそちらに持ち込めれば。

「ウイルス特性の説明をカプセルの外殻に……、解決策と撹乱策を天原くんに伝え……、特殊部隊に取引を持ち掛ける……。
 仮にボクがその場で始末されれば……、際限なくゾンビが正気を取り戻すと暗に脅しつけ、
 生き残った正常感染者の……、身の安全を保証させる。
 天原くんも特殊部隊も……、彼らは必ず意図を理解するはずだ」
「でもでも、花子さんが直接研究所と話をつけるって言ってたから、そっちは大丈夫かも?」
「……彼女が?」

田中花子。日野珠たちを保護し、研究所まで連れ添ってきた謎の実力者。
スヴィアは真珠と天が凄腕の女性エージェントについて話していることにも聞き耳を立てていた。
武道をかじっていないスヴィアからしても、只者ではないと分かる。
その立ち振る舞いに、花子こそがハヤブサⅢを名乗るエージェントであることは疑っていない。

「ならば、そちらはもう、解決しているのかも……、しれないね。
 もう一つ重要なことを……、話そう。
 神楽くんは……、すでに察しているのかもしれないが」
「では述べよ。彼奴らの謀をどう奪い取るつもりだ?」
「乗っ取りはしない。
 そもそも……放送を流すのは、最初から碓氷先生さ……。
 そこは別に……、ボクらでも構わないだろう」

スヴィアの言葉は、誠吾が特殊部隊と手を組んでいるという告発に等しい。
では、彼と一緒に来たスヴィアはどういう立ち位置なのか。

スヴィアの言葉を理解した珠の視線は、ちらちらと震えて定まらなくなる。
春姫の目がより細く鋭く冷たくなる。


これから話すことを考えると、呼吸が粗くなる。
歩幅がさらに狭くなる。
限界が迫っている。
肉体だけではなく、心もまた限界を迎えようとしている。


感染実験室の扉が開け放たれ、廊下の奥から肌を刺すような冷気が吹き抜けてくる。
結晶の破砕音と銃声が交互に入り混じるその様はまさしく戦場だ。


「特殊部隊は……少なくとも、三人。一人は観光客の姿をした……、正常感染者だ。
 ボクの名前と……、女王ウイルスの撲滅方法。
 指揮を執っている男の部隊員か……、観光客の部隊員に……、これを切り出せば……、すぐに……、殺されることは……、ないだろう。
 だが、特に日野くんは、他の隊員とは接触してはダメだ」
「……先生、なんで? なんでそんなことまで知ってるの?」
スヴィアがこの研究所にかかわりのある人間だというのはまだ分かる。
だが、特殊部隊の内情をここまで知っていることを理解できない、飲み込めない。

「決まっておろう。彼奴らと手を組んだからよ」
春姫が代わりに指摘し、スヴィアは悲しげに目を閉じる。

嘆息する。絶句する。
花子といい、スヴィアといい、どうして人間はこうも間違いを犯すのか。
あるいは、間違いを犯すからこそ人間なのか。
永遠に答えの出ない問いであろう。

「察しの通りさ……。
 バイオハザードの解決のために……、ボクは特殊部隊に身を売った。
 本来なら……、キミたちと同行することも……、許されない……、ことだろう」
どう言い繕っても、パスコードを用いて扉を開け、この研究所に特殊部隊を招いたのはスヴィア・リーデンベルグだ。
ほかでもない彼女自身だ。

足が止まる。動かない。肉体の限界だ。
心が凍える。精神が擦り切れそうだ。

二人の視線が突き刺さる。
彼女らの目を見返すことなどできそうもない。
冷えた視線がスヴィアに降り注ぐ光景が、ありありと彼女の脳裏に浮かび上がる。
身を切るような冷気がそのまま彼女らの心象を表しているようにしか考えられなかった。
凍てつく視線が心を凍り付かせ、身を裂く冷気が肉体を凍り付かせる。

「迎えに来てくれた、ところ、済まないが。
 どうやら……、ボクはこれ以上……、動けそうにない」

バイオハザードを止めるために泥水を啜ってでも生き延びると決意していたのに。
希望が手の届くところまで降りてきたというのに。
誤魔化していた疲労が鉄砲水のように襲ってきた。
スヴィアの身は珠の肩からずり落ち、感染実験室の扉にもたれかかる形で座り込んでしまう。

足手まといの裏切者は置き去りにされるのが道理。
スヴィアは白く冷たい地獄の回廊に、孤独に力尽きる。
バイオハザードの完全解決か、力及ばず野ざらしに力尽きるか。
特殊部隊と手を組んだ時から覚悟していたことではあったけれど。
これがスヴィア・リーデンベルグの生の果て、旅の終着点なのか。
けれど、それも仕方ない。


未名崎錬は世界の滅びが迫るなか、烏宿暁彦と手を組み、人類を救うために山折村を犠牲にした。
スヴィア・リーデンベルグは自身と知己の死が迫るなか、特殊部隊と手を組み、知己を救うために花子と与田を犠牲にした。
自嘲するしかない。
ただスケールが違うだけで、彼と彼女の選択は驚くほど似通っている。

己の身すら投げ出せるほどに高潔で、大切なものを救うために身を粉にすることができ、思い悩みながらも最後には非情な決断を下すことができる。
根っこでは、二人は似た者同士だ。
だからこそ、錬はスヴィアを勧誘し、観測者の役割を託そうとした。
錬の独善に反発し、彼の手を払ったスヴィアが同じ道をたどるのは皮肉としか言いようがない。
けれども、スヴィアと錬の立場が逆だったならば、スヴィアこそがこの地獄を作り出した黒幕になっていたかもしれない。
だから、こんな終わり方も仕方ないのだ。

「いき……たまえ。ボクから、伝えられることは……、すべて伝えた。
 キミたちの……、無事を……、祈る」

珠や創、雪菜はきっと、無事にバイオハザードを解決してくれるだろう。
自らが見つけ出した成果が、人々の命を、生徒たちの命を救済う。
科学者として、教師として、これほどうれしいことはない、ここで倒れても悔いはない。
とっくに腹は括っていたはずだ。
それなのに、それなのに。
ああ、どうしてこんなに苦しいのだろう。


ぎゅ、ぎゅとスポーツシューズの足音が近づいてくる。
置き去るのではなく、介錯なのか。
それとも、裁きを下すのか。
ギュッと目を瞑って、沙汰を待つ。

「春ちゃん、私が先生を背負っていくから、ちょっと手伝って」
与えられたのは沙汰ではなく、救いの背である。


「日野くん……?」
「スヴィア先生もみか姉も!! ついでに花子さんも海衣ちゃんも!
 なんかぜんっぜん納得いかないの!!
 みんなして私に、先に行け、先に行けってそればっかり!」

迫りくる特殊部隊に、上月みかげが立ち向かっていったのを目に焼き付けている。
正体不明の誰かの存在を知りながら、花子が二度、臆しもせずに踏み込んでいったのを覚えている。
氷月海衣が怪物を必死で食い止めているのを知っている。
そして自分は安全なところに逃がされるばかり。

「少し年上だからってカッコつけるところじゃない!
 少し大人だからって悪ぶるところじゃない!
 ちょっと難しいこと言って煙に巻いちゃえばいいって、子供扱いしてるんじゃない!?」

中学生とはいえ、珠も里山を朝から晩まで探検している体力お化けだ。
歩みは遅くなるけれど、小柄なスヴィアを背負って歩くことくらいはできる。

「けれど……、ボクは……、キミたちからみれば裏切っていたとしか言えなくて……」
「先生に悪の科学者とかぜんっぜん似合わないから!
 ……そんなに苦しそうな顔をした裏切者なんているわけないよ。
 今にも泣きだしそうな顔で、悪者ぶったって説得力なんて全然ないよ」
珠の指摘にはたと気付く。こころが涙となって頬を伝っている。
生徒たちを欺いていたことへの後悔だったのか、それとも彼女らの無事を最後まで見届けられずに力尽きることへの無念だったのか。

「悪いことしたと思ってるなら謝ろう?
 先生たちがいつも言ってることだよ。
 そもそも悪いのは全部特殊部隊で、研究所じゃん!
 スヴィア先生が全部背負うことが間違ってるし、何より……」

自らを逃がすために特殊部隊に挑み、そして帰ってこないみかげ。
海衣を生かすために彼女を庇い、命を失った茜。
瞼の裏に優しい笑顔が浮かぶ。
「これ以上、置いていくのはやだよ。見捨てるのはやだよ。
 残されたほうは辛すぎるんだから……」

足は動かず、生徒に背負われて、説教までされて。
こうなれば、もう教師としては方無しだ。
けれど、凍てつく回廊の中、こころが少しだけ温まった気がした。

「そうだ、ね……、気の迷いだったのかもしれない。
 疲れ切って……、道を見失って……、おかしなことを……、考えていたらしい」
「そう、それでいいの!
 圭介兄ぃなんて、大喧嘩した後も悪びれもなくケロッとしてるんだよ。
 先生には図太さが足りない、足りない、全然足りないよ! ちゃんとお肉食べてる!?」
珠の肉食女子の持論には苦笑するしかないが。

だがもう一人、神楽春姫が不気味なほどにおとなしい。
村の敵と手を組めば、即座に処刑だと宣言してもおかしくはない人物だというのに。


春姫は御守を握りしめ、静かに目を閉じていた。
その身、明らかな異変が一つ。

「剣が光ってる?」
「……光っているね」
それは、山折村を彷徨う40人の正常感染者から、春姫を選び出した聖剣。
ケージに縁ある者が白兎に託した御守に引き寄せられて彼女の手に渡り、そして彼女を資格ある者とみなした聖剣である。

「世界が変わったのだ」
いつもの根拠のない春姫の感覚である。
だが、今回に限ってはそれは正しい。
数時間前に即身仏の封印が解けた。
そして今また魔王が降臨した。

魔王が世界に現れたとき、それを倒す勇者も世界に生まれる。
魔王が力を強めれば、聖剣もその力を増す。
魔王が命を散らせば、聖剣もなまくらへと戻る。
これが世界の理だ。
聖剣ランファルトがさらなる力を得るのも道理といえよう。

「喜べ。村を危機に陥れようとしたことは花子ちゃんも同罪だ。
 汝とともに後で妾がまとめて裁いてくれよう」
「春ちゃんそれ、どこを喜べばいいのか全然分かんないんだけど!」
「汝は山折村を救う道を示した。その功績を妾は決して忘れてはおらん。
 全ての法は我が一族である。その原典たる妾が情状酌量の余地を見出しておるのだ。
 ほかの誰にも文句は付けさせぬ」
「全然聞いてないし……」
「では……、すべてが終わったら……、存分に裁いてくれ。
 どのような裁きであっても……、ボクは受け入れる」

信賞必罰は治世の王道。
世界を救うために奔走し、山折村に害を為した未名崎錬を神楽春姫は赦さない。
山折村を救うために奔走し、特殊部隊に与したスヴィアを神楽春姫は赦す。
ここは山折村だ。山折村はすべてに優先する。
これが神の子であり、法律家の跡取りたる春姫の定めた絶対の法なのだ。
だが、スヴィアに目溢ししたのはそれだけではない。

「村に仇為す者にかける情けなど本来なら一片もないが……。
 イヌヤマのに感謝するのだな」
魔王が力を取り戻し、聖剣に刻まれた記憶が春姫に流れ込む。
絶対禁忌が解き放たれ、その縁者の記憶が春姫に流れ込む。
山折村を救うため、その身すら犠牲に世界を渡ったある一人の異邦人の記憶であり、イヌヤマに縁ある者。
彼女もまた裏切者だったのだから。

「って、春ちゃんどこ行くの!?
 さっきの私の話聞いてた!?」
「妾の行く先こそが王道である。
 駄剣は妾をどこぞに導こうとしているようだが、妾が駄剣の一振りごときに意志を変えられることはない。
 まして、小娘一人の勝手に振り回されるはずもなかろう」
すでにオークの大戦士は変心せずしてその身を散らし、件の最初の予言は実現せず。
けれど、脅威は未だ取り除かれず。

神威にも等しいその圧に珠は思わず息を呑む。
春姫の異能は確固たる自尊心を持つ以外に防ぐ術はない。
春姫が絶対の意志を持ってその異能を使ったとき、その意思を曲げる術はない。

兎の手も借りたいこの非常事態、けれども珠の身体はたった一つ。
春姫には一切の光がなく、何をどうあっても止められないことが見えてしまう。
背に触れているスヴィアの胸、その鼓動が弱弱しくなっていることが分かってしまう。

「私はぜんぜん納得してないんだからっ!!」
吼える珠には目もくれず、春姫は御守の導きのままに研究所を襲う怪異の下に向かう。
先人たちを敬い、その願いを聞き届けるのもまた女王の義務なのだ。

◆ ◆ ◆

走馬灯のように記憶がさかのぼっていく。
剣と魔法の世界の住人から、科学と神秘の世界の住人へと作り変えられていく。
悪魔や魔族や怪物たちも、人間も、剣と魔法で戦う世界から。
怪異は畏怖や信仰を取り込むことで際限なく強くなり、人間はそれらを理で解き明かすことで対抗していく世界へ。
理も何もかも違う世界の住人へと作り変えられていく。
今の意志ある私にできることは、もういのりを捧げることしかない。


新たな世界に氾濫する情報に押し流され、前世の記憶が徐々に薄れていく。
私の意志はもはやまどろみに落ちたように希薄になる。
新たな命として生まれ落ちた新しい私が、傍らに佇む兎と共に、とと様やはは様、あね様から祝福を受けるのを遠くから眺めるだけ。
私の個もまた世界に適して、眠りに落ちようかというその間際。


目にしたのは、春陽様の面影を残す男の人。
その男性に連れられるは、日ノ本の女神のような荘厳な被布に身を包み、幼いながらもこの世のものとは思えぬ美貌を持った神々しい少女だった。
神の子。彼女はきっと、神の子だ。きっと、春陽様の生まれ変わりだ。



白兎が少女の下へと駆け寄り、抱き抱えられるようにして吸い込まれて。



いつか、誰かから聞いた。
神さまを呼び出すのは、とびっきりの人の願い、だと。


――ああ。
――神さま。
――神楽さま。

――どうか私のいのりを聞き届けてください。

◆ ◆ ◆

「いつかの祈り、しかと妾が聞き届けよう」

【E-1/地下研究所・B3 感染実験室前廊下/1日目・午後】

日野 珠
[状態]:疲労(小)
[道具]:H&K MP5(30/30)、研究所IDパス(L3)、黒い粉末、錠剤型睡眠薬
[方針]
基本.自分にできることをしたい。
1.スヴィアと共に花子たちと合流する。
2.みか姉に再会できたら怒る。
3.春姫に再会できたら怒る。
[備考]
※上月みかげの異能の影響は解除されました
※研究所の秘密の入り口の場所を思い出しました。
※『Z計画』の内容を把握しました。
※『地球再生化計画』の内容を把握しました。
※黒い粉末をそのまま吸い込むと記憶を失い、再度ゾンビになる抽選がおこなわれます。女王感染者はゾンビになりません。


【スヴィア・リーデンベルグ】
[状態]:重症、背中に切り傷(処置済み)、右肩に銃痕による貫通傷(処置済み)、眩暈
[道具]:研究所IDパス(L1)、[HE-028]のレポート、長谷川真琴の論文×2
[方針]
基本.もしこれがあの研究所絡みだったら、元々所属してた責任もあって何とか止めたい。
1.VHの解決方法を天原に連絡する
2.特殊部隊を欺き、犠牲者が出るのを遅らせる
3.犠牲者を減らすように説得する
4.上月や花子くん達のことが心配だが、こうなれば一刻も早く騒動を収束させるしかない……
[備考]
※黒幕についての発言は真実であるとは限りません

神楽 春姫
[状態]:健康
[道具]:AK-47(30/30)、血塗れの巫女服、ヘルメット、御守、宝聖剣ランファルト、研究所IDパス(L1)、[HE-028]の保管された試験管、山折村の歴史書、研究所IDパス(L3)
[方針]
基本.妾は女王
1.御守に導かれる先に赴く
2.研究所を調査し事態を収束させる
3.襲ってくる者があらば返り討つ
[備考]
※自身が女王感染者であると確信しています
※研究所の目的を把握しました。
※[HE-028]の役割を把握しました。
※『Z計画』の内容を把握しました。
※『地球再生化計画』の内容を把握しました。
※魔王が村に顕現したことで、宝聖剣ランファルトの力が解放されました。


113.対魔王撃滅作戦「Phase1:Belladona」 投下順で読む 115.Anti-Demon King Destruction Operation「段階弐:杠葉」
112.運命の決断を 時系列順で読む 116.Tyrant
運命の決断を スヴィア・リーデンベルグ 穢れ亡き夢/其は運命を――
日野 珠
神楽 春姫

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最終更新:2024年02月05日 01:03