「生憎ですが。通信室は使えません。まともに機能するとは思えない」

隠された地下研究所に繋がるマンホールのような脱出口。
その緊急脱出口のすぐ近くにそこから出てきた防護服に身を包んだ男と幼い外見をした女が立っていた。
男、乃木平天から述べられたのは、研究所との通信を要求するスヴィアに対しする回答である。

「…………何故だい?」
「あなた方の呼ぶ所の、田中花子氏と我々の戦闘が行われたためです」

対ハヤブサⅢ戦。
たった一人のエージェントを仕留めるために4名の特殊部隊が投入された地下決戦。
認知神経科学研究室と、その壁をぶち抜いた先の通信室を戦場として激しい乱戦となったため、通信機器が破損している可能性は高い。
もちろん、生きている可能性もあるが、天はこれを体よく断る文言として使用した。

「……本当に? 動作を確認したのかい?」
「試してはいません」
「なら、試せばいい」

可能性があるのなら確認すべきだ。
諦めるにしても確認してからでも遅くはないだろう。
だが、天は首を横に振る。

「それはできません」
「…………何故だい?」
「しばらくここで待機する必要があるからです」
「何故だい?」

同じ問いを繰り返す。
その問いに対して、天は正直に言葉にした。

「それは、――――――ここに通信機が届くからです」

真珠に課せられ、天が引き継いだハヤブサⅢの討伐及び通信機の回収任務の完了。
これが齎す恩恵は軍事通信解禁である。
研究所が秘密裏に地下に敷いていた専用回線を利用せずとも、軍用回線を用いれば通信は可能となった。
だが、通信制限が解かれたとしても通信機材がなければ通信はできない。

それを受け取る必要がある。
通信制限が解かれた以上、通信機は司令部から手配されるはずだ。
地下に向かってしまえば、これを受け取れなくなってしまう。

もちろん司令部からの通信機を受け取らずとも、通信機は手元にあると言えばある。
ハヤブサⅢから託されたであろう氷月海衣の遺品から回収した通信機だ。
この通信機が通信制限の元凶であるが、逆に言えばこの通信機にも軍事通信の機能があるという事である。

だが、スマートフォンに偽装された通信機には暗証番号でロックがされていた。
このスマホを託された海衣なら聞いていたかもしれないし、あるいは番号に心当たりがあったかもしれない。
あるいは、真珠ならば研究所入口のパスワードを言い当てたスヴィアのように、暗証番号を推測することも可能だったかもしれないが、関係性のない天ではハヤブサⅢの思考を推察するのは難しかろう。
この通信機は使用できない、そう判断を下すしかない。

スマホと言えば、隊員から受け取った山折村の住民データの入ったスマホもあるが、受け取った段階で内容は一通り確認している。
軍用回線を使用した通信以前に、SIMの抜かれた白ロムには通信機能自体がない。
つまり、司令部との通信を行うにはドローンで送られてくるであろう通信機を受け取るしかないのだ。

その場合に、問題となるのはスヴィアの存在だ。
ドローンで通信機が送られてきては、当然スヴィアに説明を求められるだろう。
無視することもできるだろうが、黙っていてもこのタイミングで通信機が送られてきては通信解除がされたと言っているのも同じ事である。
軍用回線の解除を知られてしまえば村人が此方の把握していない通信手段を持っていた場合、外部への連絡を取られるリスクを負う事になる。

そのリスクを承知でスヴィアの目の前で司令部との通信を行うか、司令部との通信を控えるか。
選択肢はそのどちらかしかなかった。
ならば、考えるまでもない。
ようやく手に入れた成果を不意にする選択肢はありえない。

通信は行う。それはこの先の方針として大前提である。
選択すべきは、秘密裏にやるか堂々とやるかの選択である。
だが、超聴力の異能を持つスヴィアの目ならぬ耳を盗んで秘密裏に通信するというのも難しかろう。
故に、天は堂々と情報を公開することにした。

「通信機の到着…………? 待ってくれ…………通信が、可能なのかい?」
「説明が必要ですか?」

その言葉だけで、スヴィアは通信が可能『だった』のではなく、限定的に通信が可能に『なった』のだと理解した。
恐らくそれは、彼女の死に起因するものだという事も。

「もちろん通信先は研究所ではなく司令部になりますが。研究所には司令部を経由して繋げてもらう事になると思いますが、構いませんね?」
「………………ああ。構わない」

スヴィアは研究所との通信を、天は司令部との通信を行いたい。
研究所の意向を確認するにしても天としては司令部を通すのが命令系統的な筋である。


司令部を介するとなると『Z』という大きな情報に動揺している間に要求を通すというスヴィアの目論みは崩れる。
だが、応じるしかない。

冷静であるのではなく、冷静でないことを認め判断を投げられる。
これはこれで厄介な性質だ。

双方の納得を得て通信機の到着を待つ。
すると程なくして夜に合わせた黒いドローンが上空に到着した。
事前に準備していたのか、手際がいい迅速な配達である。

静かに降りてきたドローンから天は通信機を受け取る。
それは手のひらサイズの最新型の通信機だ。
側面にあるボタンを押すと、機器が生き返るように起動を始めた。
液晶画面が淡く輝き、登録された接続先を選択すると、セキュアな通信ネットワークを使用した仮設司令部との接続を開始する。
電話機などの現代の通信機器の発達は目覚ましいが、独自規格の通信プロトコルを使用した軍用通信は機密性に関してそれらとは一線を画していた。

「こちらforget-me-not。司令部、応答願う」
『こちらreed。司令部、感度良好。Mr.forget-me-not。現状を報告されたし』

通信に応じたのは副長である真田であった。
古いイメージにある旧式の無線機と違い、電話のように双方向に話せるため通信完了(オーバー)などと言う必要もない。
ようやく通じた司令部との通信に、感動を覚えるでもなく天は冷静に報告を開始する。

「山折村村内で作戦活動中。現地協力員としてスヴィア・リーデンベルグ博士と同行しています。
 現在は潜入していた山折村内の研究所から離脱した所です」
『司令部了解。こちらでも映像で確認しています』

当事者として現場の詳細を理解しているのは天だが、現場の全体を俯瞰で把握しているのは司令部の真田である。
細かなやり取りまでは追えないが、大まかな動きはドローンからの映像で確認済みだ。
天が真珠と共にスヴィアたちを引き連れ研究所に突入したことも把握している。

「正常感染(ひょうてき)の生存状況について、共有いただけますでしょうか?」

まず、天は標的の生存状況を確認する。
現地にいる隊員では知りようのない情報であり任務の進行状況に直結する重要情報だ。

『了解しました。1800現在、こちらで生存を確認している正常感染者は11名。
 そちらに同行されているスヴィア・リーデンベルグを除くと。
 日野 珠山折 圭介、神楽 春姫、虎尾 茶子、宵川 燐、八柳 哉太、天宝寺 アニカ、天原創、哀野 雪菜、犬山 うさぎ
 以上となります』
「なるほど。必然的に女王はこの中にいるという事ですね」

1000人いた村人の中でまともな生き残りは、たったの11名。
天の横でその報告を聞いていたスヴィアも同時に多くの死を知った。
研究所との交渉に向かった花子に珠が生存を信じていたみかげ。
名を呼ばれなかったものは既に生きていないという事である。

双方にとっての吉報は天原創の生存が確認できたことである。
少なくともスヴィアの計画の実行は可能なようだ。

「研究所内での調査によりスヴィア博士がVHの解決策を発見しました。ウイルスの動きを無効化する天原創の異能を用いた解決策です。
 その実行の為に、天原創の現在位置を確認したいのですが、よろしいでしょうか?」
『確認します、少々お待ちを。…………。
 確認しました。商店街から複数名でマイクロバスに乗って移動しており、作戦区域F-3に移動したところまでは確認が取れています』

ドローンの回収周期の問題で、司令部も村人の動きをリアルタイムで追えている訳ではないが、最終的に確認できた時点で創はF-3に居た。
現在E-1にいる天たちからそこまで遠いわけではないが、バスに乗っているというのは厄介だ。
バスで明後日の方向に離れられては徒歩では追いつくのは難しくなる。

「現地に突入した他の隊員はどうなっていますか?」

スヴィアは全滅したと言っていたが、頭から信じたわけではない。
その裏を取るべく司令部にも確認を行う。
僅かな間の後、変わらぬ声色で報告がされる。

『現在現地で活動可能な隊員はMr.forget-me-not以外ではMr.Oakのみです』

スヴィアの証言通りの答えが返ってきた。
任務を続行しているのは先ほど別行動をとった大田原のみである。

「Mr.Oakは現在、私の指揮下で行動しています。
 別所から研究所を離脱させ待機を命じていますが、合流して以後の活動はチームで行う予定です」

残りの標的は11名。こちらの戦力は2名。
ばらけてローラー作戦する段階は終りだ。
戦力を集中して各個撃破、あるいは一網打尽にする段階である。
その方針を伝えるが、それに対する司令部からの反応は思わぬものだった。

『その報告はこちらで確認した映像と一致しません』
「…………なんですって?」

思わず問い返す。


『待機を命じている、という話ですが、Mr.Oakが診療所から出てしばらく駐車場で待機しましたが、現在はその場を移動しています』

大田原が待機命令を無視して動き出した。
自意識を失ったあの状態を考えればありうる話だが。
正気を失おうとも秩序と言う名の狂気で動くあの大田原源一郎が、仮にも上官である天の命令を無視するだろうか?
それを上回る秩序(なにか)が入力されたとでも言うのだろうか。

「Mr.Oakは正気を失っている状態にありました。小康状態にあったのですが、症状が再発した可能性はありますが……現在はどこに?」
『日野珠と交戦中の山折圭介、神楽春姫の戦闘に乱入したようです』
「ッ…………!?」

無線を漏れ聞いていたスヴィアが思わず声を上げた。
地下研究所で一緒だった日野珠の名に反応したのだろう。
天としても気になる報告である。

「正常感染者同士の戦闘に乱入したという事でしょうか?」
『そのようですね』

今の大田原が再び暴走状態になっているとするならば、正常感染者を殺すべく戦闘に突入した光景は想像に難くない。

『Mr.Oakは山折圭介、神楽春姫と交戦。山折圭介の持つ剣から放たれた光によって撃退されています。
 日野珠は異能と思しき力で空を飛行してその場を離脱しています』

かなり無茶苦茶な内容を大真面目な声で報告される。
だが、今更この村でそんなところに引っかかったりしない。
天は引っかかったのは別のところだ。

「……飛行ですか? 日野珠の異能について、こちらの認識と異なりますね」

今度は天が報告に異議を唱える。
上空からの監視では分からなかったのか、天の持つスマホのデータバンクには日野珠の異能は不明とある。
だが、スヴィアから聞いた話では『運命(イベント)を観る眼』だったはずだ。

仮に異能が進化したのだとしても、眼の異能が空を飛ぶような類の異能になるとは思えない。
とは言え、司令部が嘘を報告する理由もない、飛行しているのも事実なのだろう。

『複数の異能を持つ村人は確認されています。彼女もその類である可能性は考えられるでしょう』

哀野雪菜、月影夜帳、そして独眼熊
上空からの監視だけでは獲得した経緯までは分からないが、複数の異能を操る村人事態は司令部も確認している。

彼らは異能という超常の力については理解できているとは言えない。
そもそもが異能は一人に一つという原則自体が誤りだったのかもしれない。

天は異能者の一人であるスヴィアに視線を向ける。
顔色を悪くしているのは傷のせいだけではないだろう。
何か知っていそうだが、あえてここでは追求せず通信先との話を進める。

「Mr.Oakの行動については了解しました。接触できた場合、再度説得を試みてみます」

J(ジャック)を切ってまで手に入れた鬼札(ジョーカー)だ。
生かす前に無くしてしまったでは、切り捨てられた小田巻が浮かばれない。
ともかく、おおよその状況は理解できた。話は次の申請に移る。

「研究所の意向を確認するため、できればスヴィア博士を交え、直接話をしたいと考えています。
 研究所との通信許可を隊長に頂きたいのですが、隊長に直接ご報告したいこともありますし、取り次いでいただけますでしょうか?」

不躾な申請だったためだろうか、返答に僅かな間が開く。
思案するような間の後、何事もなかったようないつも通りの冷静な声で真田が応答する。

『隊長は現在、別件にて現場を外しておられるためすぐにはお繋ぎできません』
「外している? どちらに?」

現場で指揮を執るため出世を断るような男である。
あの奥津がこの状況で現場を離れる別件など、そうあるとは思えないが。

『隊長は現在、東京の研究所に向かわれています』

東京の研究所。すなわち人類未来発展研究所本部。
この村とは違う、もう一つの最前線に直接出向いているという事である。

研究所の意向を伺いたいのは現場のスヴィアや天だけではない。
特殊部隊を率いる隊長がその意向を探るのもよく考えれば当然だろう。

『どちらの件にせよ隊長に判断を仰ぐ必要はあると存じます。
 ひとまずこちらで隊長に対応を伺いますので、いったん通信を切ります。少々お待ちください』

そう言って真田が無線機を切り、一旦通信が途切れた。
1対1の通話を前提とした携帯電話と違い、通信機は多人数での通信が想定されている。
技術的には現在の通信に奥津を加える事だって可能なはずだ。

わざわざ通信を切るという事は、上のやり取りは聞かせられないという事だ。
それは天に対してと言うよりは、同行者であるスヴィアに対する警戒だろう。
天としてもそう言った配慮の為にスヴィアの同行を伝えたのである。


無言のまま応答を待つ。
裏では真田から研究所の奥津に通信が行われているのだろう。
時間がかかる分にはスヴィアとしても都合がいい。
下手に藪蛇をつつくような真似はせず、黙ったまま待機を続ける。

数分後。
協議が終ったのか、天の持つ通信機が電波を受信する。
結果を報告する副長である真田からの通信か。あるいは直接隊長である奥津からの通信かのどちらかだろう。
そう考えて天は通信に応じた。

「こちらforget-me-not。応答願います」

だが、通信機の向こうから聞こえてきたのはそのどちらでもない、想定外の声であった。

『……オヤ? コレで現場に繋がっているかナ?』

嗄れているにもかかわらずどこか飄々とした軽さを感じさせる外れた声。
無線機の先から響いたのは、天が聞いたことのない老人の声だった。

『染木博士。まずは私が応対しますので……』
『そうだぞ百之助。いい歳なんだからがっつくな、はしたない』

その向こうから騒がしい様子が聞こえてくる。
どうやら通信先に研究所の上層部と同席しているようだ。
期せずスヴィアの願いもかなえられた事になる。

『騒がしくしてすまないな。forget-me-not』
「い、いえ」

こうして軍事衛星を中継して岐阜-東京間が接続される。
あるいは地獄の現場とそれを俯瞰する研究者たちに。

『報告はreedから聞いている。スヴィア博士と同行中だという話だな?』
「はい。私の現場判断でしたが、勝手な判断でしたでしょうか?」
『いや、問題ない。むしろ今となっては妙手だったかもしれん』

伺うように尋ねるが、SSOGをまとめる隊長はそれを咎める事はなく意味深な肯定をする。
天も疑問に思うが、その疑問は飲み込み口に出すことはなかった。
それよりも天は奥津に尋ねたかった事項を問う。

「同行しているスヴィア博士が研究所内で『Z計画』について書かれたレポート発見しました。
 隊長はこの計画を把握しておられるのでしょうか?」

この事実について隊長も知らないのか。知っていて説明しなかったのか。
どちらにせよその判断に意見するつもりはないが、どちらなのかだけは知っておきたかった。
それによってこの件に対する動きも変わってくる。

『ああ、計画に関してはこちらも先ほど確認した所だ。reedへの共有も後でこちらで行う、回答はこれでいいか?』
「――――では」
『真実であるという前提で進めてくれ』

話し口からして奥津も先ほど事実確認をしたようである。
だが、彼が直接裏を取った以上、それは真実なのだろう。

世界は滅ぶ。
8年後の未来に。

『あとは、研究所と話がしたいと言う申請だったか』
「ええ。同行しているスヴィア博士からの要望です。ですが隊長がお話ししているのであれば私としては……」

研究所への通信許可を研究所から通信している奥津に問うのもおかしな話である。
奥津がすでに話していると言うのなら、天としては改めて話すこともない。
後ほど奥津からの報告を聞けばいいだけの話だ。

「待ってくれ、それは、」

だが、それはスヴィアとしては困る。
時間稼ぎ以前に研究所の上層部にはいくつも聞きたいことがあった。
これを逃せば上層部と話せるこんな機会はもうないだろう。

『――――そろそろ少しいいカナ?』

スヴィアの抗議より僅かに早く、待ちきれないと言った風の老人の声が割り込んだ。

『スヴィアくんが居るのダロウ。話がしたいネ』

スヴィアが望むまでもなく、向こうから後押しが掛かる。
そこから何やら通信機の向こうでやり取りがあって、通信機の使用権が奥津から研究所の面々に譲られたようだ。
それに伴い天も通信をスヴィアに譲る事になった。
勿論通信内容は天にも聞こえる形で共有される。


『ヤァヤァ。キミが研究所を去って以来だネェ。スヴィアくん』
「…………お久しぶりです。染木副所長」

一研究員でしかなかった当時のスヴィアからすれば所長や副所長は雲の上の存在だ。
久しぶりと言っても染木とは直接話したことなど殆どない。
彼女が研究所で主に話していた相手と言えば、それは。

『長谷川です。お久しぶりですね。スヴィアさん』
「長谷川部長……」

透き通る氷のような不純物のない平坦な声。
彼女の所属していた脳科学部門のトップ。直属の上司である長谷川真琴。
彼女とは若い女研究員と言う立場的な共通点もあり、それなりに言葉を交わす機会もあった。
こうして彼女と話すのも、クビを言い渡され去り際に挨拶をした以来である。

『スヴィアくん。キミは当事者として多くの事ヲ見聞きしてきたはずダ。ソノ話を聞かせてほしいナァ』

研究所でマクロな視点から事態を俯瞰する彼らと違い、当事者としてのミクロな視点を持った研究員だ。
それは奇しくもこのテロを引き起こしたモノたちが望んだ存在であり、研究所からしても値千金の証言者である。

「…………待ってください。その前にあなた達に答えほしい。
 何故、このような事件が発生したのか。あなた方は説明するべきだ」

だが、スヴィアは質問には答えず、自らの意見を通した。
研究所にはこの事態を引き起こした説明責任がある。
それが為されない以上は話も進まない。

『そうだネ。その言い分は正しいダロウ』
『ならば、俺が話すべきだな』

老人の声と入れ替わるのは、張りと活気のある若々しい声だった。
その声には聞くだけで竦むような威厳が含まれている。

『初めましてと言うのもおかしな話だが、自己紹介は必要か?』
「いえ……もちろん存じていますよ、終里所長」

割り込んできたのは研究所における最高責任者。
人類未来発展研究所本部所長。終里元。
遠目から一方的に話を聞くことはあっても直接言葉を交わすのは初めての事である。

『元職員である君にわざわざ説明するでもないだろうが、我が研究所はその名の通り人類を未来に発展させるために設立された研究所だ。
 それは理解しているね?』

研究所の設立理由は一般職員や外部にはそう説明されている。
スヴィアもそう理解していた。

「……だが、それは全てではないでしょう?」

嘘ではないが実際のところは違う。
『Z』を知った今となってはわかる。
研究所には『Z』と言う終わりを超えて、未来に人類を存続し発展させると言う明確な目的があった。

『そう。研究所は『Z』の回避のために立ち上げられた組織だ。
 言うまでもなく決して間違いの許されない研究だからね、慎重に慎重を重ねて研究をしていた』
「それでこの事態ですか……」
『言ってくれるな。君も研究者だったのなら新薬開発の危険性はわかるだろう?』

薬も使い方次第で毒になるのは常識である。
莫大なエネルギーを生む原子力だって扱い一つで、世界を滅ぼすような被害をもたらす事もあるだろう。
研究者であったスヴィアがそれを分からぬはずもない。
ましてや開発中の新薬ともなれば安全性は担保されていない。

『それに如何に万全を重ねても、悪意ある人為的な破壊工作に対処は難しい。言い訳と言われればそこまでだがね』
「…………人為的な……破壊」

と言葉を切り、通信越しにも聞こえるようにこれ見よがしにため息をつく。

『ああ、研究員の中には性急に事を運ぼうとする一派も居てね。
 その焦りが彼らを凶行に走らせたようだ。それがどのようなものであったかは語るまでもないだろうが。
 そう言った輩を生み出さないため情報は統制していたのだが、これを漏らした人間が居たようだ』
「……烏宿主任…………ですか?」
『ああ、今は副部長だがね』

最悪の推測に回答が与えられる。

「つまり……研究所の上層部はこの件に関与していないと?」
『誓って』

その誓いを頭から信じるほどおめでたくもないが、嘘と断ずる理由もない。
何よりスヴィアには錬の不審な動きについて心当たりがある。


数年後に世界が滅びるなどと言うあまりにも大きすぎる事実。
スヴィアだって、現実感がないから受け入れられているだけだ。
だが、その問題に現実感をもって向き合っている研究者はそうではない。
所長や副所長のような超越者が例外でまともでいられる人間の方がどうかしている。

「だとしても……あなたたちの管理責任がなかった訳じゃない」
『それはそうだ。まったくもって慚愧の念に堪えないよ。
 だが、責任と言う意味なら君はどうだ、スヴィア・リーデンベルグ?』

突然、返す刃のように追及の矛先が向けられる。

「……どういう意味でしょう」
『今回の件、烏宿の奴に担ぎ出された面子の中には君の友人もいたようだ、知らぬわけでもあるまい?』
「それは…………」

知っている。
この事件が起きる前から彼らがこの村に居る事を知っていた。

「随分と……お詳しいのですね……?」
『そうでもないさ。その勢力をきっちり把握していれば事前に止められたのかもしれないのだから。
 そうだな、これは私の想像でしかないが、君にもそのお声がかかったのではないか?』

声がかかったのはその通りだ。
だが、実際は詳しい話を聞く前に感情のまま突っぱねてしまった。

『ああ。誤解がないように言っておくと、別に君を疑っているわけではない。
 だが、止める機会はあったのではないか、と思ってね』

終里はそう言うが、実際はそんなことはないだろう。
錬たちはスヴィアの意見など聞かなかっただろうし、仮に聞いたところで端役でしかない錬を止めたところで何の影響もない。
スヴィアがどうしようと変わらず、この山折村でのテロは行われ、生物災害は村を侵す。
だが、スヴィア自身がどう考えているかはまた別の話だ。

あの時、ちゃんと話を聞いていれば、あるいは彼らを止められたかもしれない。
そんな責任感がスヴィアを動かす暗い情動となっている。

『脛に傷ある者同士、共に手を取って責任を取っていこうではないか。なぁスヴィアくん』

彼女に負うべき責任などどこにもない。
それを理解した上でスヴィアを巻き込むべく、この男は言っている。

この男と対峙するのであれば奥津のような強い精神を持たねばすぐさま飲み込まれる。
大波に飲み込まれぬようスヴィアは踏ん張るようにぐっと力を籠めた。

「責任を取る、と言いましたね。あなた達は私たちをどうするつもりなのですか?」
『どう、とは?』

問い返され、スヴィアは持っているカードを切り出す。

「田中花子と言う女性からも研究所に接触があったはずだ。
 ……そこで出た結論を聞かせてほしい。彼女の通信を受けたのは……」
『ワタシだネ』

ハイハイと、名乗りを上げたのは副所長である染木百之助だ。

「……どのような交渉がされたのですか?」
『そうだネェ。細かい話は置いておくとしテ、彼女の気にしてきたのは事態の解決後のキミらの身の安全だネ。
 それ以上の特殊部隊の介入を避ける代わりに、生存者の身柄は我々が保護する事になっタ。
 無論、キミらが受け入れればと言う話だがネ』

特殊部隊に口封じで殺されない代わりに、研究所からの保護と言う名の軟禁を受け入れる。
そういう落としどころになったようだ。
研究所に捕らわれ実験材料になるのだろうが、最悪の状況から考えればまだマシだろう。
生きてさえいればその先の光も見えてくる。

「ですが…………本当に特殊部隊を止められるのですか?」

重要なのはそこだ。
研究所に、特殊部隊を止める権限があるのか。
すぐ横で天がそば耳を立てている状況でこの言葉を発するには勇気がいるが、意を決して言葉にする。


「はっきり聞きます。特殊部隊の動きは研究所の意向に反するものだったのはないですか……?」

ふむ。と感心したように終里が呟く。
天の気配がざわつくのを感じる。

『何故そう思ったのか、理由を聞こう』
「…………48時間と言うルール。これはデータを回収するためのルールだ。
 このルールがある以上……あなた達は出来る限り引き事態を伸ばしたかったはずだ。
 早期解決を図る特殊部隊の動きとは異なる」

最終的に事態の収束を目指すと言う一点は同じでも。
出来る限り自体を引き延ばしたい研究所の意向と、早期解決を目指す特殊部隊の意向は異なる。

『なるほど。その通りだ。彼らの動きはこちらの意図したものではない』
「…………随分と、あっさり認めるのですね」
『そこまで察しのついている相手に誤魔化した所で仕方あるまい』

上層部同士の意識の祖語はつけ入る隙になりかねない。
にもかかわらず研究所の長は特殊部隊との不和を認める。
その横では特殊部隊の長が聞いているだろうに。

そう、既に特殊部隊の隊長が研究所を訪れているのだ。
直接膝を突き合わせている以上は何らかの擦り合わせが行われているはずだ。
特殊部隊の独断専行に対する追及は既に終わっている可能性は高い。

『だが、それも先ほどまでの話だ。ここにいる彼ら(SSOG)と話はついている』

その予測を裏付けるように、終里が言う。
横でその報告を聞く天も真珠からその可能性は聞いていたため驚きはしなかった。
スヴィアとしては付け入る隙がなくなったことになるが、特殊部隊が研究所と一枚岩になったと言うのならそれはそれで都合がいいこともある。

「では、今すぐに特殊部隊を引かせてください」
『それは無理だ。わかるだろう? VHは解決せねばならない。A感染者を始末するには彼らの力は有用だろう』

A感染者つまり女王の始末。
結局の所、当初より設定されたその条件に帰結する。
女王の暗殺のために送り込まれた特殊部隊。ここまで来たら彼らを引かせる理由がない。
だが、それについてはスヴィアも意見がある。

「……女王の件に関してだが、提案がある。
 と言うより……第一人者であるあなた達に尋ねたい」

そう切り出しスヴィアは自らの考えた解決策の説明を始めた。
ウイルスの動きを否定して異能を無効かする天原創の異能。
この効果を利用すれば、生きたままウイルスの影響を排することができるのではないか?

「…………これが私の考えた解決策だ。この方法は実現可能だと思いますか?」

所長と言うよりは、通信の先にいる2名の研究者に問う。
考え込むような息遣いが通信越しに感じられた。

『確かに、仮死状態にすればウイルスの影響はなくなるのではないか、と言う仮定はありました。
 ですが、そのためには脳の機能を完全に停止する必要があり後遺症は免れないという予測でした』
『ソウだネェ。麻酔なんかでも完全に脳機能が停止する訳ではナイ。修道士が用意する都合のイイ仮死薬など現実には存在しナイからネェ。
 生きながらにしてウイルスだけの機能を止める、都合のいい方法などナイと思っていたのダガ』

研究者の思いつく常識的な方法では不可能だった。
可能とするのは常識から外れた異常な方法でなければならない。

『イヤ、異能を使うという発想は面白い、現地に居たからコソの発想だネェ』

何が出るかがわからないカオスは数値を入れようがない。
そもそも個人に依存する属人化した方法など研究者からすれば問題外だ。
だが、この場、この一度を解決する方法としてはこれ以上ない方法である。

『ダガ、女王の特定はどうするのダネ? まさか手当たり次第にやるつもりカイ?』

当然の疑問だ。
だが、スヴィアには心当たりがあった。
変質した日野珠。スヴィアはその心当たりを話すべきか迷う。

花子が既に落とし所を決めていてくれたおかげで、交渉はスムーズにいった。
スヴィアの提案した方法が可能であることは研究を主導する開発者たちのお墨付きを得た。
研究所と特殊部隊の関係も見直された、この方法が共有されれば特殊部隊も強硬策には出ないだろう。
終息後の安全が約束されているのなら、これ以上の犠牲を出すことなく平和的に解決できる。

だが、それは事件解決のために彼女を差し出すことになる。
それは正しい事なのか?

スヴィアはどうすべきか思考を巡らせ迷宮に陥る。
だが、その逡巡の間にスヴィアより先に横に居た防護服の男、天が口を開いた。

「それであれば私に心当たりがあります。
 女王は――――日野珠ではないか、そう考えています」

その告発に、スヴィアの心臓が跳ねる。


「そうでしょう? スヴィア博士」

すぐさまその矛先をスヴィアに向ける。
それは同意を求めるようで、スヴィアが分かっていることをわかっているぞと言う牽制であった。

『ふむゥ。根拠を聞こうカ』
「私の方には確証があるわけではありません、ただの推測です。
 ですが、彼女にはこちらの把握と全く別の異能が覚醒していたとの報告があります」
『別の異能ネェ。女王の特性とも言えナイし、確かとは言えないナァ』

がっかりとした様子で老研究者は声を落とす。
複数の異能に関しては他にも事例がある事は報告に挙げられている。
根拠であるとは言い難い。

『スヴィアくんの方はどうダイ? その日野珠という少女が女王である心当たりハあるカナ?』

当然、話題はスヴィアに振られる。
突っぱねることもできただろうが、それが逡巡していた最後の後押しになった。
こうなっては答えるしかない。

「…………ええ。ウイルスを観る異能者がそう認めたのを聞きました」
『ナルホド。異能カァ』

やや呆れたような研究者の呟き。
元は終里の子たる与田四郎の異能だ。
それを取り込んだ独眼熊がこれを認めた。

『それで、君の目から見た日野と言う娘はどうだったのだ? 何か君の目にもわかるような変化はったのかな?』

研究者ではない所長が本質を問う。

「確かに日野くんの様子はいろいろとおかしかったですが…………。
 印象に残ったのはあの瞳…………黄金に輝いていた事ですか」

珠の様子は明らかにおかしかったが。
その中でも何より印象に焼き付いたのは、あの黄金の瞳だ。
内部ではなく、明確な外見の変化はあれくらいだった。

『…………ナンだっテ?』

その言葉を聞いた染木が、これまでの掴みどころのない飄々とした様子から一転した。
通信先の緊張感が伝わるような不自然な間の後、ただ一言、シリアスな口調で呟く。


『――――――早過ぎル』


「…………それは、どういう意味でしょう?」

スヴィアの疑問には答えず、通信中であることも忘れ、研究者たちは夢中の様子で議論を始めた。

『BならともかくZに至るにはあまりにも早いナァ』
『やはり……何か異能の絡みでしょうか?』
『だろうネェ。ワレワレの把握していない何らかの数値が掛けられたのダロウ』
『やはり、無視をするには影響が大きすぎるのでは?』
『カと言って計算に組み込むには不確定な要素ダ』
『今回の件で僅かですがサンプリングはできました。発現する異能の傾向やカテゴライズは可能かと』

誰にどういう異能が覚醒するかは個人の資質に依るものだ。
不確定な要素として計算に入れてこなかった。と言うより計算に入れようがなかった。

だが、スヴィアが解決策として提示した方法も、女王の特定も異能によるものである。
科学を超えた結果を残しているとなれば、無視をするには影響が大きすぎるだろう。
それが分かっただけでもこの事件はシミュレートとして有用だったと言える。

「失礼……議論は、後回しにして説明願えますでしょうか?」
『オット、すまないネ。悪い癖だヨ』

このままだと延々と続けそうな2人にスヴィアが口を挟む。
説明自体も好きなのか、染木は気分を害した様子もなく説明を始める。

『時間経過と共にウイルスは人体に定着を始めル。コレは知っているネ?
 定着したHEウイルスは変質を行い、CウイルスはBウイスルに、女王たるAウイルスはZウイルスへとその性質を変化させるんだガ。
 CからBへの変質は比較的容易でアリ、単独繁殖外の性質的な違いもない。ダガ――Zは違う。
 発症すれば外見的な変化が現れる。それが――――』
「――――黄金の、瞳」

女王たる珠に生じた変化の理由。

「ですが…………定着するのは48時間後の話でしょう? まだ24時間も経過していない」
『ソウだね。だが、事実としてそうなっている』

感情値によって定着の速度は前後する。
それを考慮しても24時間以内にZに至るのはあまりにも早い。
だからこその、早すぎると言う呟きか。


『原因は、おそらく誰かの異能でしょう。現状ではそれだけしかわかりませんが』

淡々とした様子で女研究員がそうまとめる。
異能と言う原因追及すらも難しい不確定要素。
現状でこれ以上追求の仕様がないだろう。

「ウイルスがZになるとどうなるのです……?」
『ソレはコチラが聞きたいねぇ。女王はどんな様子だったカナ?』

問い返され、スヴィアは去り際の珠の様子を思い返す。

「…………言動に変化が見られたように思います。それに……」
『ソレに?』

スヴィアが発言を躊躇うように息を飲んだ。
彼女が気にかけているのは死者を救うような珠の発言だ。
この疑問を確認せねばならない。

「……博士は、死者の蘇生は可能だと思いますか?」
『面白い質問だネェ』

本当にそう思っているような楽しげな声。
観測不能であると思われたZの出現に老研究者はいつになく上機嫌だ。

『ソレは蘇生の定義によるネ。『完全なる死者蘇生』は不可能だと私は考えているガ』

妙な言い回しだ。
スヴィアは詳細を問う。

「完全なる死者蘇生の定義とは、どのような物でしょう…………?」
『器とナル『肉体』。『精神』つまりは記憶ダネ。そして存在を定義する『魂』、科学的には証明されていないがココではアルと仮定しよう。
 人間はコノ3つの要素で構成されてイル。
 蘇生とはこのイズれかを復元する行為でアリ、コノ全てを復元する事は不可能でアル、というのが私の持論ダネ』
「では……全てでなければ復元可能だと……?」

染木の言葉に従うならば、逆説的にそう言う事になる。

『ソウだネェ。復元と言うより代替ダネ。ソレでアレば死亡した人間の体を再び動かすだけであれば可能ダロウ。
 旧日本軍では死体に別の精神体を入れ込むことにより死者蘇生を実現しようとしてイタ』
「別の精神体…………」

別の精神と魂を埋め込み肉体のみを復活させる。限定的な死者蘇生。
これは旧日本軍が戦力的な補充を目的としていたため用いられた方法だ。
これにより異世界の魔王を呼び込むことになったのだが、それはまた別の話である。
死体に別の意識や魂を埋め込めば、それは死者蘇生と言えるのか?

「…………ウイルスに意思はあるのでしょうか?」
『ふムゥ。どういう意味かね……?』

スヴィアの疑問にウイルスの専門家が興味深そうに食いついた。

「…………日野くんの言動の変化は、彼女が変わったというより別人のようでした。
 おかしなことを言うようですけが……印象でしかないのにそれを見た私女王であると言う確証があった。
 それこそ…………女王という何かに意識を乗っ取られたような様にすら感じられた」

あの村ではそういった事象がいくつか見受けられる。
寄生生物のようなナニカが存在し居ているのだろう。
それは村の歴史を調査した時点で研究所も把握していた。
だが、その対象が目覚めた女王であると言うのなら話は違ってくる。

『ウイルスの様な微生物に意識は存在しナイ。脳や神経系を持たない単純生物だからネ。あるのは外部刺激に対する反応だけサ。
 意識がアルように見たのならソレは…………ンン? 意識………………イヤ、ダとするとあるいハ……そうカ、ソレなら計算も…………ッ!』

何かに気づいたのか、ぶつぶつと老人がうわごとのように呟き始める。
そして、掠れた老人の声が徐々に弾むように生気を帯びていった。

『確かに、ウイルスに感染した検体には行動や意識の変質は認められタ。
 だが、それはウイルスによって検体の脳構造が変化した影響によるものだと考えられていタ。
 乗っ取られたように人格そのものが変わるような変化は本来ではありえナイ。
 ナラば! それが発生したと言うのならばそれは何の意識カ? 
 ソウ考えれば答えも見えてくるジャないカ…………!?』

老人が嘗てないほどのテンションでまくしたてた。
全員がその熱量についていけないが、老人はそんなことはまるで構っていない。
空白だった値が代入され、答えが見えてくる。

『――――――[HEウイルス]には『精神(いしき)』がある』

HEウイルスは終里元という不老不死の怪物から精製されたウイルスである。
研究所が着目し利用していたのは細菌の感染力と、現実を塗り替える魔法の力だ。
だが、一点。研究者たちが見落としていた要素がある。

終里元を形成するのは『細菌』と『魔法』、そして元となった『人間』と言う3要素だ。
その要素が全て引き継がれているとするならば、HEウイルスには人間としての『精神』がある。
そしてあるいは――――『魂』、その素となる要素が含まれているかもしれない。
女王に発現した意識がウイルスの意識だったとするならば。


『ソウ考えればこれまで分からなかった適合条件も見えてクル!
 逆だったんだヨ! 被験者側の体質ではナク、ウイルス側の問題だと考えればドウダ!?』

唾を飛ばす勢いで捲し立てる。
マウス実験では同一のDNA情報を持つ一卵性双生児であっても、同一の結果になるとは限らなかった。
下手をすれば同一人物であったとしても、確実性はない可能性すらあった。
それ故に適合条件の特定に難航していたのだが、ウイルスが意志を持っているのなら全てはひっくり返る。

ウイルスが自らの意思をもって適合するかを選んでいるのだとしたら。
生物的な反射ではなく、人間的な判断であれば、気まぐれも起きよう。
そう考えれば、終里の子を贔屓するのは必然だろう。自身の兄弟なのだから。
ならば、研究のアプローチは根本から変わってくる。

『アリガトウ! スヴィアくぅん! この情報のお陰で、研究が5年は進んだヨ…………ッ!』

老研究者は興奮を抑えきれない様子で喜々として叫んだ。
研究者からすれば待望の新発見である。
こんな所はほっぽり出して研究室に駆け込みたい気分である。

『―――だが、こうなると話は変わってくるな』

そこに、舞い上がる老人とは対照的な重々しい声が刃のように差し込まれた。
所長である終里だ。
彼は待望の成果に沸き立つでもなく、冷静に話の流れを読んで要点を指す。
その言葉に冷や水を差し込まれたのか、興奮していた老研究者もいくらか落ち着きを取り戻したようだ。

『ン? アア、確かにそうなるネェ』
『そのようですね』

終里の言葉に研究者2人は納得を示した。
だが、それが何を指しているのか、特殊部隊の2人は元より、スヴィアも分っていない。

「変わったとは、どういう意味ですか……?」
『先ほどのスヴィアさんの提示された解決策が、使えなくなった、という事です』
「なっ。何故だい…………!?」

長谷川の言葉に困惑するスヴィア。
その疑問に落ち着き払った様子の研究所の長が答える。

『君の発見は素晴らしかった、天才的な着眼点だ。だが、しかし、前提が変わった』
「前提…………?」
『そう、つまりは女王にウイルスが定着した。こうなったら除去は不可能だ。殺すしかない』
「なっ…………!?」

スヴィアの報告で得た希望が、スヴィアの報告により絶望に反転する。

「それでも……何か別の方法が…………ッ!」

指先からこぼれる希望に縋りつくようにスヴィアが言う。
研究者たちが異能を計算に入れられていなかったように、思いもよらぬ解決策があるかもしれない。

『それは難しいかと思います。定着したHEウイルスは脳のみならず神経にも、排除すれば生命活動を維持できなくなります』
「…………つまり、殺してウイルスを除去するのではなく。
 そもそも定着したウイルスを除去すれば死ぬ…………という事なのか?」
『その通りです』

除去できないのではなく。
そもそも除去する行為が死につながる。
それが事実なら絶望的だ。

『まあ標的が明確になったのならば、仕事も容易かろう。
 勿論、スヴィアくんもご協力いただけるだろう?』

殺害すべき女王(ひょうてき)は明確になった。
もう特殊部隊による無差別な虐殺は起きないだろう。
後は彼女を殺せば最小の犠牲で全てが解決する。

これ以上ない最適解。
研究者としては受け入れるのが正しいのだろう。
だが、

「――――協力はできない。
 今の私は研究者ではなくこの村の教師だ。生徒を切り捨てる様な提案には乗れない」

叩きつけるようにはっきりと告げる。
珠を犠牲するような提案に乗る訳にはいかない。

『交渉決裂、という事でいいのかな?』
「ああ。私は必ず別の解決策を見つけ出して見せる。私は私のハッピーエンドを目指す」

他の誰でもないスヴィアの目指すハッピーエンドだ。
もうすでに手遅れだったとしても、目指すことだけは諦めたくない。
通信の先で口をゆがめて笑ったような気配がした。


『ならば、好きにするといい。我々も好きにするまでだ』

訣別ともとれる言葉。
その声は楽し気ですらあるというのに、聞くだけで怖気がするような圧力があった。
だが、もう吐いた唾は呑めない。

『我々からは以上だ。特殊部隊(そちら)は何かあるかな?』
『エェ……マダマダ聞きたい事があるんだけどナァ……』

老人の抗議を無視して隣の特殊部隊の隊長へと問う。
通信を変わった奥津が部下へと声をかけた。

『forget-me-not。苦労を掛けるな』
「いえ」
『厳しい任務だと思うが、任務完了後には鳩山を南口に迎えによこす、それまで堪えてくれ』
「はっ、お心遣いありがとうございます」

現場で激務をこなす部下に上官からの労いの言葉が掛けられ、通信が終わる。
通信機からの声が消え、その場には静寂と共に天とスヴィアが取り残された。
2人の間にはピリピリと張り詰めた空気が漂っていた。

「スヴィア博士」
「…………なんだい?」

気軽な様子で声を掛け合いながら。
ジリと、互いにポジションを変えながら互いに向きあう。

「協力を断るという意味を理解していないわけではないでしょう?
 あれだけ内情を知ったあなたを生かしておくとでも?」

言って天が手にした銃のスライドを引く。
先ほどの通信はいわば上層部との密談である。
協力関係を断った以上、あれだけ機密を知った相手を生かしてはおくわけがない。
研究所と特殊部隊が一枚岩になった以上、当然こういう展開も予想していた。

「ああ、それくらいわかっているさ…………けれど」

コンディションは最悪。相手は強大。
それでも、と決意を力にするようにぐっと足に力を籠める。

「私はまだ死ぬわけにはいかないんだ!!」
「なっ…………!?」

スヴィアが地面を蹴った。
全身を投げ出すような決死のタックルを放った。
余りにも意外な行動に意表を突かれたのか、天は避ける事も出来ず、そのタックルの直撃を喰らう。
だが、軽量級のスヴィアのタックルなど、直撃を受けたところで精々一歩引かせる程度の効果しかないだろう。

しかし、その一歩が致命傷になることもある。
天は咄嗟にバランスを整えるべく地面を踏みしめようとするが、運悪く、そこには丸く刳り貫かれたような穴があった。
それは地下研究所における緊急脱出口である。

その傍らに立っていた天は足を踏み外して、そのまま穴底へ落下していった。
それを確認して、スヴィアはボロボロの体を押して駆け出す。

天とて精鋭たる特殊部隊だ、これで死ぬほど軟ではないだろう。
すぐに穴底から這いあがって追ってくるはずだ。
スヴィアはそれから逃げ切り、事実を伝えねばならない。
生き残った仲間たちへ。

【E-1・E-2の中間/草原/一日目・夜】

スヴィア・リーデンベルグ
[状態]:重症(処置中)、背中に切り傷(処置済み)、右肩に銃痕による貫通傷(処置済み)、眩暈、日野珠に対する安堵(大)及び違和感(中)
[道具]:研究所IDパス(L1)、[HE-028]のレポート
[方針]
基本.VHを何としても止めたい。
1.天から逃げて生存者と合流する
2.珠を女王から解き放つ新しい解決策を見出す
[備考]
※黒幕についての発言は真実であるとは限りません
※日野珠が女王であることを知りました。
※女王の異能が最終的に死者を蘇らせるものと推測しています。真実であるとは限りません。
※『Z計画』の内容を把握しました。死者蘇生の力を使わなければ計画は実行不能と考えています。
※1800時点の生存者を把握しました




防護服に身を包んだ天の体が深い穴底を落下する。
天は落下しながら足裏で壁をこすり、片手を梯子にぶつけながら減速すると、身を捻って余裕をもって両足で着地した。
腐っても精鋭。不意を突かれたのならともかく、心身共に準備ができていれば天でもこの程度は容易い事である。

着地した天は何事もなかったように手にしていた通信機を防護服に接続すると、通信を内部のイヤホンスピーカーに切り替える。
地下で行われるイヤホン越しの会話はスヴィアの異能であろうとも聞き取れまい。

「内部通信に切り替えました。先ほどの指令、完了しました」
『よくやってくれた。forget-me-not』

天の報告を奥津が労う。
天に与えられた任務。それは通信の最後に奥津から与えられた言葉である。

『鳩山』を『南口』に迎えによこす。
飲食店が害虫を太郎と呼ぶように、特殊部隊にも他者から聞かれても分らぬように言葉を置き換える符丁が存在する。
SSOGにおいて『鳩』とは人質、そして『南』は逃亡、退避を意味する暗号符丁だ。

つまり、あれは『人質を逃がせ』という暗号指令である。
その指令を、天は理由を尋ねることなく忠実に実行した。

本当に殺すつもりなら黙って撃てばいいだけの話である。
わざわざ標的に警告してから撃つような甘い男はもういない。
あえて穴の近くに立ち位置を調整して、これ見よがしにスライドを引いたのは隙を見せるためだ。
そうでなければ、満身創痍のスヴィアのタックルなど喰らわないし、喰らったところでビクともしなかっただろう。

『では改めて、これから先の任務を伝える』

通信が司令部へと繋がれ副長である真田も通信に交えられる。
隊長の口から、真の任務が伝えられた。


「つまり、スヴィア博士は告発役と言う事でしょうか?」

研究所へと続く地下深く、非常出口の奥底。
奥津、真田、天。それぞれが別所に居る特殊部隊の3名は通信越しのブリーフィングを行っていた。

『聞く限り、告発者がスヴィア博士本人である必要はないでしょう。
 彼女が生き残りと合流を果たして見聞きした情報を伝えさえすれば、生き残りは誰でもいい』
『そうだな。彼女は少し聡すぎる。もっと感情的で、拡散力のある人間に伝わるのが理想的だな』

Zの裏付け、研究所の潔白、テロの首謀者、特殊部隊の独断専行。
先ほどの通信で与えるべき餌(じょうほう)は与えた。
後は魚をうまく泳がせればいい。

だが、スヴィアは要らぬ意図まで察しかねない。
彼女が生き残りと合流して、今しがた知った情報を拡散してくれるのが理想的な展開だ。
独断専行を告発されればSSOGは泥をかぶる事になるだろうが、その為の公の記録に存在しない秘密部隊である。

『forget-me-not。お前には、引き続き女王の暗殺と自然な形で情報が漏洩するよう誘導と調整を行ってほしい。
 その過程で汚れ役を担ってもらう事になるだろうが』
「お気になさらず。元よりその覚悟です」

真実をぶちまけてやるという悪感情を抱かせる必要がある。
その為にどうすべきかは天に一任された。

『ドローンの装備換えも完了しました。これ以降は村の様子もリアルタイムで共有できます』

司令部の真田が報告する。
電波の受信口が開けられた事によって、ドローンの映像もリアルタイムで監視が可能となった。
飛ばせるドローンの数には限りがあるため、常時村の全域をカバーできる訳ではないが十分すぎる成果である。

「通信機のバッテリーはどの程度持つのでしょうか?」
『通信を繋ぎっぱなしでも24時間以上は持ちます。本作戦の終了までは問題ないかと。
 通信機には小型のカメラも搭載されていますので、そちらの映像もリアルタイムで確認できます』

過去や未来を見通すような真似はできないが、現在という一点において天は全てを見通す千里眼を得たに等しい。
魔法や異能でもなく科学と組織の力によって。

『一言いいかな?』

いざ、作戦開始と行こうとした所で、奥津の背後から声がかかった。

『なんでしょう? 終里所長』
『プロの話し合いに口を挟むのもなんだと思っていたのだが、一言激励がしたくてね。勿忘草くん』
「…………私ですか?」

終里が呼びかけたのは現地で働く天に向けてだった。

『ああ、女王とやらが意志を持った俺の子だというのなら、何をするつもりなのか凡その意図は読める。
 恐らく、彼の地において君が天敵たりうるだろう、勿忘草くん』
『アト、女王暗殺が為ったのなら死体でもいいから、持ち帰ってくれないかナァ……!?』
「は、はぁ。了解しました」

そのまた背後から便乗した要求が追加される。
天は戸惑いながらも了承を返した。

「では、作戦行動を開始します」

万全の支援を受け。
事件の終わりに向けて、最後の特殊部隊は行動を開始した。

【E-1/地下研究所緊急脱出口地下底/一日目・夜】

乃木平 天
[状態]:疲労(大)、ダメージ(大)、精神疲労(大)
[道具]:拳銃(H&K SFP9)、サバイバルナイフ、ポケットピストル(種類不明)、着火機具、研究所IDパス(L3)、謎のカードキー、村民名簿入り白ロム、ほかにもあるかも?、大田原の爆破スイッチ、長谷川真琴の論文×2、ハヤブサⅢの通信機、司令部からの通信機
[方針]
基本.仕事自体は真面目に。ただ必要ないゾンビの始末はできる範囲で避ける。
1.判明した女王(日野珠)を殺害する。
2.『Z計画』が住民の手によって漏洩するよう誘導する。
3.大田原を従えて任務を遂行する。
4.犠牲者たちの名は忘れない。
5.可能であれば女王の死体を持ち帰る。
[備考]
※ゾンビが強い音に反応することを認識しています。
※診療所や各商店、浅野雑貨店から何か持ち出したかもしれません。
※ポケットピストルの種類は後続の書き手にお任せします
※村民名簿には午前までの生死と、カメラ経由で判断可能な異能が記載されています。
※司令部が把握する村の全体状況がリアルタイムで共有されるようになりました

126.地下3番出口 投下順で読む 128.机上の最適解
125.『救え』 時系列順で読む
墓標を背に、今一度運命の決断を スヴィア・リーデンベルグ 彼女たちのささやきが聴こえる
乃木平 天 机上の最適解
第三回定例会議 真田・H・宗太郎
『救え』 奥津 一真 Z ―地上の流星群―
梁木 百乃介
長谷川 真琴
終里 元

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最終更新:2024年07月07日 19:41