「中佐! シヅキ中佐!」
彼は必死だった。後先も考えずに愛機を《ウォーハート》に横付けし、《トロースト》隊からの通信を無視して飛び降りたのだ。パイロットスーツの踵が装甲を蹴る硬質な音が響き、コルヴスはコアに備えられた非常用のハッチ離脱ハンドルを探し当てた。
くぐもった音を立てて分離ボルトが炸裂する──が、ハッチは煙を吹いただけで動こうとはしなかった。
「畜生!」
激突の衝撃でコア全体が歪んだに違いない。彼は分厚い装甲ハッチの隙間にグローブを差し入れ、足を踏ん張った。《バンガード》のパイロットスーツには、簡素な倍力機構が備わっている。最前線から安全に逃げ帰るための装備だ。彼は倍力機構がさほど強力とは言えない事を呪いつつ、軋みを立てるハッチを全力で持ち上げた。ハッチは縁のロックボルトをへし折りながらゆっくりと持ち上がっていったが、ある一点で限界を越え、一気に弾け飛んだ。四角い装甲は《鳳》の前照灯が作る光の輪の中で放物線を描き、足元のどこかへと消えていった。
「うわっ! っとっと、こんな事してる場合じゃないってのに、……シヅキ中佐! 大丈夫ですか!」
返事はない。ベルトからハンドライトを外し、中を照らす──狭いコクピットの中に、青ざめた顔が見えた。目を閉じ、不自然に横を向いたまま動かない。額から一筋の血が垂れ、胸元に赤茶けた染みを作っていた。
「シヅキ……中佐……」
コルヴスの背筋を冷たい汗が流れた。だが、彼が躊躇したのは一瞬だけだった。コクピットの奥へ腕を伸ばし、シートベルトのアンカーを外す。非常ハンドルが作動した事で戦闘モードは解除されており、コンソールやモニタの類が乗降可能な状態まで引っ込んでいたおかげでどうにか手を出す余地ができていた。彼は鎮月の身体がどこにも挟まれていない事を可能な範囲で確認し、両脇の下に手を差し込んで持ち上げようとした。
「うう──くそ、やっぱどっか挟まれてんのか?」
倍力機構の助けを得ているにも関わらず、鎮月の身体はいやに重かった。彼は鎮月の足元を覗き込み、やはりどこも挟まれていないという事を確認した。
「戦闘装備もつけてないのに……どうなってんだ……よっと!」
ぐったりとした上半身が装甲の上に現れ、コルヴスは抱きかかえるようにして残りを引っ張り出した。高電圧灯の光の下に力なく横たわる肉体は、元より色白という事もあってか死体にしか見えなかった。
「あの時だって死んでなかったんだ、きっと……」
彼は鼓動を確認しようとグローブを外し、胸に手を伸ばしかけ──躊躇ってから、首筋に指を置いた。
「……生きてる……」
念のため青白い顔に手をかざすと、わずかに空気の流れが感じられた。コルヴスは音を立てて装甲に腰を降ろし、大きく息をつく──かすかな呼吸に合わせて上下する胸郭が、彼にはひどくもろいものに思えた。やがて彼は、辛抱強く待っていた《トロースト》隊へ当面の指示を送り始めた。
《コテル・アダマー》に駐屯する《バンガード》の部隊は大所帯ではない。平時はACが二機とMTが一個小隊、それに機械化部隊が少々といった程度であり、治安維持活動は旧政府時代からの都市警備軍に任されている。そのため、彼らのための宿舎は決して広くもなければ豪華でもなかった。
鎮月は簡単な診察の後──担当の医師はいくつかの点で彼女が人間としては不自然である事を指摘した──意識を取り戻した。彼女は《イル・シャロム》の本隊へ作戦の結果を手短に報告してからあてがわれた部屋でシャワーを浴び、いくらか生気を取り戻した顔で普段着を身に着けてようとしているところだった。
「──中佐! シヅキ中佐!」
乱暴なノックが一度、そして遅まきながら非礼に気付いたのか遠慮気味のノックが二回、ドアを叩いた。鎮月を呼んでいるのはコルヴスの声だ。彼女はドアへ向かって返事をした。
「どうしました?」
「本隊から緊急の連絡です! 暗号電文が──」
「緊急?」
鎮月はとっさにドアを開け、目の前に立っていたコルヴスの持っている電文に手を伸ばし──硬直したコルヴスが電文を手から落とした。
「レーヴァン中尉、電文は大切に扱って──どうしました?」
電文を拾おうと身をかがめ、ようやく彼女は異常に気づいた。目を上げると彼は紅潮した顔を手で押さえ、身体を二つ折りにして呻いていたのだ。
「あの、一体何──ああ」
何かを訴えるような視線に、自らの身体を見下ろして彼女は納得した。シャツのボタンは一つも留まっておらず、またスラックスは半端に引き上げられた状態だったため、黒いレース編みのブラからガーターベルトで留められたストッキングに到るまで、下着のすべてが露出していたのだ。彼女は素早く電文を拾い上げ、何食わぬ顔で踵を返し、ドアを閉めた。
「電文、確かに受け取りました。今のは気にしないでください」
「……あ、ああ、はい……諒解……」
ドアの向こうでコルヴスが何かうわごとのように呟いていたが、彼女はその内容を問いたださずにおいた。ドアに寄りかかり、数字とアルファベットの混在する暗号電文に目を走らせる。解読器もコード表も、彼女には無用のものだ。
「! これは……レーヴァン中尉!」
電文を読み終えた鎮月は片手にそれを握り締めたまま、もう一度ドアを開け放った──気の毒なコルヴスは廊下を引き返そうとする途中で振り返り、鳩尾を殴りつけられたかのように膝を折った。
「中……中佐、服を、服を脱い──じゃない、着てください、なんでそんな格好で──」
「──」
鎮月は物も言わずにドアの後ろに引っ込み、きっかり三十秒の後、かすかに頬を染めながらも平静を装った顔で現れた。
「すみません、見苦しいところを。……電文の内容に基づき、再出撃の準備を命じます」
「別に謝る事じゃ──むしろ俺としては──いや、そうじゃなくて、再出撃ですか?」
「ええ。確かここには《ターミネーター》と《ロングボウ》が駐屯していたはずですが」
「ああ、その二機は格納庫で見かけました。それが何か……」
「二機の予備部品を使用して、《ウォーハート》を出撃可能な状態にするよう、整備分遣隊に伝えてください。《鳳》の整備も同じく」
「予備部品って……全面換装じゃないですか、あの状態じゃ」
「足りなければ二機を分解しても構いません。抗弁のある場合には、上官命令だと」
「り、諒解。ところで、刻限は?」
「一時間以内、しかし可能な限り早く、です。《
デルタランダー》──はここにはありませんでしたか。《ストーク》を二機、待機させておいてください。予備の火力をできるだけ積んでおくように。装備の選定は任せます」
「わかりました、しかし……一体何があったんです? 俺たちは一体どこへ行くんです?」
「《
ノマド》の巨大兵器を破壊しに行くんですよ」
蒼白の燐光を撒き散らしながら、赤黒のACが跳躍した。その背後では流れるような一連の斬撃を受けたMTたちが火を吹き、パイロットが脱出し──あるいは脱出が間に合わず機体の崩壊に巻き込まれる。
「こちら《ランキュニエ・ベルメール》、HQ、聞こえますか?」
窮屈なコクピットにその長身を収めた
リュゼ・ルナール中佐は艶やかな唇を噛み、灰色雑音の彼方に耳を澄ました。しかし、応答はない。はるかな砂丘の向こうでは、山と見まがうような怪物が今まさに息を吹き返そうとしているというのに、《バンガード》本隊との長距離通信は途絶えたきりだ。
「早すぎるわ……予想外どころじゃない」
《ノマド》が発掘し、現在は修復作業を行っている巨大兵器を急襲、破壊する──これが彼女に与えられた任務だった。彼らが目晦ましとして行う《イル・シャロム》攻撃への対処は別の部隊が引き受け、頓挫させているはずだ。だが、修復現場の防衛に当たっている部隊は予想外に強固で、そして何より肝心の巨大兵器そのものが起動し始めている。明らかに急場しのぎの修復であり、不完全な能力しか発揮する事はあるまい──しかし、それで充分だ。
「HQ、聞こえますか? こちら《ベルメール》」
「こ……HQ、……ール》、感度……」
「HQへ。至急、増援を要請します。巨大兵器が起動中、間もなく、私の手には負えなくなります」
「《ベル……援は……層区に攻撃を……」
「HQ?」
「し……持ちこ……《ウォー、」
「戦争?」
雑音と共に届いていた通信は再び、そして唐突に切れ、リュゼはますます不機嫌な顔になった。断片的な情報を繋ぎ合わせると、恐らく《イル・シャロム》の高層区か低層区に予想外の攻撃があり、《バンガード》のAC部隊はそちらの対処に追われているという事だろう。『持ちこたえろ』と言ったのならば増援をよこすつもりはあると考えられる。それがどの程度のものなのかは不明だが。
「まったく、HQも簡単に言ってくれるものですね……っと!」
砂漠の起伏と対スキャナ隠蔽ネットに巧みに身を隠していた二個小隊規模の《スロン》が一斉に主砲を放ち、リュゼは反射的に愛機を再跳躍させた。八両の《スロン》は一斉に後退し、ミサイルを撃ち込む間もなく砂丘の後ろに消えた。隙を見て何度でも攻撃をかける腹積もりだろう。彼女はリコン・ユニットを投射し、砂丘の裏側への見通しを確保した。今のところ、ACは確認できていない──だが、確実にいるはずだ。そして、修復現場に近付くほど密集度を高める防衛部隊。任務の困難さは当初の予想をはるかに上回る。
「なるほど、あなた方も相応の覚悟をお持ちのようで──ならば、私も精一杯踊らせて頂きましょうか」
額を汗が一筋流れ落ち、彼女は人知れず、白い歯を見せて笑った。
最終更新:2012年07月03日 01:21