「後詰めの必要性は認められない。第一、何のために貴様らを――」
「ぶわぁーか」
無線機のスイッチを切りヘッドセットを放り投げた《
ユーリア・カエサリア》大尉は、紫煙と共に罵倒を吐き出した。
背後で仁王立ちをしている《
グスタフ》中尉を肩越しに振り返り、品のよい微苦笑を浮かべて肩を竦めると、灰皿に吸殻を押し付け消火する。どこぞの派遣将校とは違い、彼女は喫煙マナーがよかった。
「やはり、本部の要求は現状での作戦遂行を?」
腹の底に重く響くグスタフの声に頷き、彼女は思案した。
《
ノマド》の基地を攻略する。それが今回課せられた任務だ。字面のみを見れば単純だが、相手の規模がまた大きかった。多数の防衛砲台に、各種MT。極めつけは10機以上のAC。
無論、戦力的な面で言えばこちらも同程度の規模は有している。《ジャガーノート》保有の6機ものACに加え、《バンガード》正規部隊からは4機のAC。超過兵装を有する《ガルガンチュワ》を除けば、実に9機もの車両型ACと言う過剰火力だ。
最も、その利点は機動力という点で押し潰されている。相手が徹底抗戦の構えをとるなら、それでも問題はないだろう。しかし《ノマド》は拠点というものに頓着しないのか、あるいはゲリラ戦の障害としてしか考えていないのか、不利になるとあっさり放棄して退却する傾向があった。
だからこそ、脚の速い後詰めが欲しいのだ。2機程度でも良い。敵を逃す可能性があるのなら、それを可能な限り潰すのが上に立つ者の役目ではないのか。カエサリアはそう思っているが、本部はそう思っていないらしい。
「悩んでいるねェ、カエサリア君。青春だねェ? ハハハ、もうそんな歳じゃないだろう?」
ねちっこい声に顔を上げたカエサリアの視線の先には、嫌らしい笑みを浮かべながら天幕内に入ってきた偉丈夫の姿がある。正規部隊の将校、《
公主嶺》中佐だ。
「無駄だよォ。私も先刻、同じ事を言ったんだがねェ。上の連中ときたら、まるで聞く耳を持ちやしなくてなァ。椅子を尻で磨いているだけの輩は、現場をまるで理解していなくて困るよォ、全く」
薄笑いを浮かべながらそう言った彼は、眼鏡を外し布で拭き始めた。露になった瞳は細めている事もあってか、聊か剣呑な輝きを有している。本部に対する苛立ちもあるのだろう。
叩き上げで中佐の地位にまで上り詰めた彼は、少なくとも本部の人員に比べれば現場の事を理解している。ただ下の者に対する配慮が無いだけだ。当然、人望も無い。
「作戦に関して一つ提案が。ナジエ少佐の《ガルガンチュワ》を……聞いています?」
「ふゥん……」
現状で作戦を遂行する必要があるなら別の手を考えなくてはならない。カエサリアは少しでも作戦の成功率を高めるべく進言しようとしたが、彼は眼鏡を拭く事に集中しているせいか、それとも端から聞く気が無いのか、生返事を返すだけだ。
「好きにしてくれて構わんよォ。君がいるなら、私が指揮を執る必要もないだろうからねェ」
拭きおえた眼鏡を装着した彼は、至極どうでも良さそうに返す。今作戦の指揮はこの男が執る手筈なのに、全くその気が無いらしい。
カエサリア個人は、あくまでも《ジャガーノート》の指揮官だ。それに、本人は気にしないだろうとはいえ――理解出来るかも怪しいが――階級的な面で言えば、《
アルコフリバス・ナジエ》少佐は上官にあたる。
「あまり眉間に皺を寄せると、老けてしまうよォ。おっと、もう三十路だったねェ。お肌と人生の曲がり角かなァ?」
上官への侮辱にグスタフが目を細めた。それを目で制し、カエサリアは肩を竦める。一々真に受けていては疲れるだけだ。
「ご心配なく。左遷に怯える必要が無いので、胃の調子は快調ですから」
天幕内の空気は最悪だ。暫し牽制しあっていた二人だが、ややあって窓際一歩手前組が折れた。降参と言わんばかりに両手をあげ、簡易テーブルの上に置いてあった紙袋に手を伸ばす。中身は《イル・シャロム》の有名な中華料理店の豚まんだ。
それ見たカエサリアが小さく声を漏らした。
「おやァ? おやおやァ? おやおやおやァ?」
取り出された白い物体は、彼の手の中で見るも無残に萎んでいた。不思議な事に、中身の餡だけが消失している。
「不良品かなァ? どうしてしまったのかねチミィ? 摩訶不思議だよゥ? おかしいねェ? 中身が無いよォ?」
紙袋から取り出され一つ一つテーブルの上に並べられていく豚まんは、その全てが阿鼻叫喚の地獄絵図とかしていた。
その様子を直視していられなくなったのか、カエサリアは目を逸らした。一方で、グスタフは犯人を特定していた。こんな事をする馬鹿は、そういない。食い意地の張った者が一人、作戦メンバーに名を連ねていた。犯人は奴しかいない。確信できる。
「カァァァエサリア君。チミィ、一部始終を見てたりはァ……しないよねェ?」
「はぁ、どうでしょう……」
「サカモト君、かねェェェ?」
「えぇ、まぁ……」
おそらくレーヴェは、グスタフがほんの数分席を外していた時に侵入してきて、豚まんの餡のみを食い散らかしたのだろう。その時カエサリアは本部と通信を行っており、一連の所業を見ていた筈だ。
「大尉」
「しっ」
いけ好かないこの男の事だ。己の持ち込んだ、任務とは一切関係のない食料を他人が食べている姿を見ながら放置していたと言う事を理由に彼女を責めるのではないか。そう思ってグスタフは声をかけたが、呼気も鋭く制止された。
「やれやれ……随分と小癪な真似をしてくれるねェ」
気色悪い笑みを浮かべ、猫撫で声で呟く中年の姿は身の毛もよだつ程におぞましい。
「困るよォ、困るなァ、勝手に食べてもらっちゃァ。大問題だよォ。軍法会議ものだねェ……」
たかだか豚まんの一袋程度で何を大げさな。グスタフは、彼へと向ける視線に侮蔑を滲ませた。
「――卑しいウジ虫がァァァ!!! やはり地下のゴミ虫など信用すべきではなかったのだ! 私の豚まん、私の物だ!」
ウジ虫。その単語に、カエサリアがぴくりと反応する。小さく鼻を鳴らし微かに眉を歪めた。眼光鋭く、公主嶺を睨みつける。
「ウジ虫、ね……」
段々と不機嫌な顔になっていく上官の顔を見て、グスタフは少なからずその理由が分かった。
《ジャガーノート》内にも、レーヴェより年下の隊員がいる。彼女らの行動には多少ならずとも手を焼かされる事はあったが、それでも子供の悪戯だ。ここまで感情を露にされるのは、正直見ていて気持ちの良いものではない。
「流石に言い過ぎでしょうな……」
「そうね……たかが一つくらいで」
「えぇ。……は?」
聞き捨てならない台詞が聞こえた気がして、グスタフは思わず聞き返した。豚まんはその全てが被害にあっていた。だと言うのに、たかが一つとはどういう事だろうか。上官の顔をまじまじと見つめた彼は、彼女の唇の端に僅かばかりの肉片が付着しているのを見つけた。
「美味しかったわよ」
つまりそういう事らしい。
「大尉……何故その様な真似を……」
「腹減った! キューエンブッシを要求する! コッペパン! おお……コッペパンか。コッペパンを要求させていただきたい!」
彼の疑問に対して回答が与えられる事はなかった。呼ばれてもいないのに再び天幕内に侵入してきたレーヴェが開口一番、厚かましくも不特定多数に向けて食べ物を要求したからだ。
一連の事件の犯人を見つけた被害者(年齢50代。職業中間管理職)の眼窩が邪悪に歪む。
「サァァァカモト君ンンン? 少ォし、大事なお話があるんだがねェ……?」
「大事なお話? なに?」
きょとんとした顔で首を傾げたレーヴェは、失敗した満面の笑みと共に唇の端と頬をひくつかせながら額に青筋を浮かべる公主嶺が掲げる紙袋に気付いた。
「あ。つまみ食いバレた……?」
「つまみ食いなどではない! ただの物資強奪だ! 豚まんは餡こそが本体! ならば、その餡のみを貪る所業は最重要物資強奪と言っても過言ではない! 万死に値する!」
その言葉にレーヴェは眉根を寄せた。豚まんは餡も皮も両方重要だ。それと、確かに悪いのは自分だ。それはいくら彼女の頭の出来が残念だとしても理解くらいは可能だ。だが、だからといって、強奪とまで言われては黙っていられない。ほんの少しは悪い事をしていると思ったからこそ、中身だけをくりぬいて食べたのだ。丸ごと頬張りたかったのを我慢してまで。それに全てが自分のせいと言うわけでもない。共犯者もいるのだ。むっとした様子で反論した。
「ワタシだけじゃないぞ! 大尉も――」
「フシャー……!」
共犯だと言う事が露見しては困る。レーヴェを黙らせようと威嚇したカエサリアだったが、咄嗟の事で喧嘩をしている猫の様な声が出てしまった。
しかし、結果的にはレーヴェの口を塞ぐ事が出来た。全てが自分の思い通りでは面白くない。時には己の肉体に裏切られる事もまた、人生に刺激を与えるスパイスとなるのだ。
「大尉……」
上官の奇行にグスタフは頭を抱えた。常人には理解できない奇抜な発想力を備えた奇人――彼女に対するその評は伊達ではない。だが、何故よりにもよって猫なのか。グスタフは、彼女の行動全てが計算尽くだと思い込んでいた。
切なげな声で呟いた彼の声は、喧騒にかき消され誰にも聞かれる事は無かった。
「貴様も! 他の連中も! 私の豚まんを強奪する者は、皆死ぬがよい!」
「ごちそうさまでした! さよなら!」
逃走を図った体力の有り余る10代を、最近体力の衰えを感じる50代が猛追する。暫く天幕内を駆け回った二人は、やがて外へと消えていった。
「不安だ……」
一事が万事。当然、この様では作戦が上手く行く筈も無い。グスタフの懸念は現実のものとなった。
カエサリアの指揮も空しく、要となる正規部隊は命令を――当然のように――無視し、一切の連携を行わなかった。各々が好き勝手に突撃し、時には味方を巻き込んだ攻撃を行い、そして……――
案の定敵を逃がした。
最終更新:2012年07月08日 23:10