地平線がオレンジ色に染まり、赤茶けた荒野が鮮血に染まったかのように真っ赤に彩られていた。
オブジェとして鎮座しているのは無骨な主力戦車が三両と、タンク型ACが五機、
二脚型が三機に、粉々になった肉塊がぽつりぽつりと。
焼けた機械油の臭いと香ばしい肉の匂いと、いつまでも鎮火することを知らない小さな炎がぱちぱちと音をたてている。
そんなところでじっと動かず夕日を浴びるACたちは、どれも重装甲と、無抵抗な人間を数千人単位で殺せる重武装をしていた。
カラーリングは統一されていなかったけれども、ACたちの左肩には幾何学的な、子供の落書きのような、
蛇がのた打ち回った後のような、そんな文字が書かれていた。
ACのパイロットたちはその文字を使う人間の事を知らなかったけれども、その文字の発音と意味だけは、
死んだ部隊長から聞かされていて、覚えていた。
政府軍第4独立機動中隊―――ジャガンナータ。すべてを踏み潰し、蹂躙していく、無慈悲な戦車に跨った神の名前だ。
それが今は満身創痍の状態で、赤く染まった荒野の上、救難ヘリと整備補給中隊が来るのをじっと待ち続けている。
「……ホント、洒落になってないわよねぇ」
左腕部を根元から焼き切られた暗紺色のタンク型AC、〈アグリッパ〉のコアから斜めに伸びる放熱板にもたれ掛かりながら、
ユーリア・カエサリアはぽつりと零す。
吸い込まれると錯覚しそうなほど艶のある黒い髪を背中の半ばまで伸ばし、細く軽やかな肢体をパイロットスーツに包み込んだ彼女は、
口に咥えた紙巻煙草を吸うと、曇天に向って紫煙を吐きだした。
ニコチンやその他諸々の有害物質等が彼女の脳細胞や毛細血管、肺などを蝕みながらも、
彼女の思考は晴天の真夏日のように澄み切りなおも絶好調であったが、さすがの彼女でも部隊がこのざまではどうしようもなかった。
「
埋葬者が埋葬される側に……って、ミイラ取りがミイラに、みたいで、おもしろいと思ったんだけど、そう簡単にはいかないわよね……やっぱり」
ふいに炎が吹き上げた風がびゅうっと彼女の黒髪を一思いに弄ぶ。
地平線に埋もれる太陽が名残惜しげに最後の輝きを地上に解き放つと、その輝きは彼女の横顔を照らして、
彫刻のように精巧な顔立ちがどこかの絵画のように浮かび上がった。
けれど、それもただの一瞬の出来事に過ぎない。太陽はそのまま地平線へと沈み、やがてゆっくりと闇の帳が下りてくる。
すべての戦いは、まるで戯曲の一場面でしかないのだと言いたげに。
「……たくさん死んだわ」
黄昏の終わり時、ユーリアは黒煙と魂が昇っていく空を見上げて言った。
「敵も味方も、たくさん」
紫煙とともに吐き出される言葉に、返答はなかった。
心身共に疲弊しきった第4独立機動中隊の面々は、ユーリアを除き、
全員が鋼鉄の巨兵の中に篭ったまま、空ろな目をしてディスプレイを眺めていた。
かつて緑に覆われていた丘で行われた、第666戦術機動戦隊―――政府軍の尖兵、通称『埋葬者』と、
第4独立機動中隊及びエーブル機甲小隊、第37任務部隊の3部隊を合わせた『粉砕打撃部隊』の戦闘は、空虚な余韻を残しただけだった。
丘の表面はすべて焼き尽くされ、草は吹き飛び、花は踏みにじられ、大気は爆発によって焼け撓み、
土は砲弾と銃弾によって完膚なきまでに掘り返され、丘そのものの形も大きく変貌した。
機械油と融解した金属と、第37任務部隊に同行していた機械化歩兵の血潮と肉と、焼けた薬莢と壊れた兵器が散らばる丘は、
夕日が沈んでもなお、赤く染まって見えた。
――――
それから数カ月間、クーデター軍の火力の一端を担っていた第4独立機動中隊「ジャガンナータ」は、
戦列機を五機も欠いたために壊滅判定を受け、隊員たちはクーデター後の対面繕いと書類仕事に翻弄され、
心身ともに疲労困憊で夜は死んだように眠りこけるのが普通という有様だった。
クーデター開始時の暗号が各隊に発信されると同時に中隊長を手早くヘッドショットで射殺したユーリア・カエサリアは、
中隊長の偽りの戦死報告書を無駄に丁寧な似顔絵付で仕上げ、欠員補充のために整備補給部隊に行ったり、士官学校に行ったり、
使えそうな人材がいそうなところに足を進め続けていた。
少佐への昇進を断って大尉のまま隊長の地位を担うことになったユーリアは、やはり常人には理解できない行動を取り続け、
しかしそれでも仕事はきちんとやっていたので、注意しようにもどこを注意すればいいのやら、という厄介な人物ではあったが、
新生した軍には必要な人物でもあった。
やがてクーデター軍はバンガードと名前を変え、ジャガンナータは「反体制勢力鎮圧部隊・ジャガーノート」として再編成された。
その際には、ユーリアがどこからともなく連れてきた人材が正式に隊員として書類に登録され、
それぞれがユーリアに指示された通りの役割を担うことになった。
火力偏重で機動性と言う概念を棄てたこの部隊は、気の触れた奇才ことユーリアの元で運用され、
反政府勢力を自称し声高にテロリズムを掲げた理想主義者連中を区画ごと吹き飛ばしたり、あるいは占拠した町ごと瓦礫にしたりと、
軍事政権としての抑止力の一端を構築することにいち早く成功した。
だからというわけではないが、ジャガーノートの活動はやや控えめになっていった。
バンガード内で『大掃除』とも言われる反政府勢力の一斉制圧作戦は、バンガードという新たな政府の存在を旧政府ほど確固たるもの
として知らしめるための示威行為であって、銃を持った頭でっかちたちを殺しまわること自体が目的ではなかった。
部隊運用のコンセプト上、ジャガーノートは砲弾を著しく消費する大食らい部隊であり、その部隊に十分な補給を常時受けさせること
ができるほど、バンガードは潤っていなかったのだ。そのため、ジャガーノートは「ここぞと言う時に来る重騎兵突撃」というような
運用をされることになっていった。
そういうわけで、ジャガーノートはお呼びでない時、イル・シャロム郊外の砲兵基地で戦いに適応しきって戦闘兵器に進化してしまっ
たペルシュロンのようなACを整備したり、整備されてるのを眺めたり、こっそり基地を抜け出したり、書類仕事をしたりしているのだった。
――――
バンガード所属反体制勢力鎮圧部隊・ジャガーノート隊長、ユーリア・カエサリア大尉の朝は、決まって遅い。
事前に第3種戦闘配置が通達されていたり、どこぞの馬の骨とも知らない勢力との戦闘が続いていると言う情報が流れているなど、
そういった時は誰よりも早く行動するのだが、何もない日は決まって遅い。
その理由は何故かと言えば、砲兵基地の端にある部隊専用の兵舎にある、隊長室の横に設けられた彼女の私室に入れば嫌でも分かる。
部屋の中央にある一際大きなベッドに寝転んだユーリアの両隣には、いつもそれぞれ白と黒のベビードールを着た少女が眠っているのだ。
その寝顔は可愛らしく、シーツと薄い生地の服から見える肌は染み一つない滑らかな肌で、どこか満足そうな笑みを浮かべている。
白いベビードールを着ていて、真っ白い髪をした少女の名はジークリートと言い、黒いベビードールを着ていて、
艶のある真っ黒な髪をした少女の名はシャルロッテと言った。
どちらも得体の知れないAC部隊である『フルール・ドリス』が戦闘に適応化した人間を作り出そうとした際の失敗作とされ、
極々初期の実験で見限られたからか、イル・シャロムのスラムに捨てられていたのだ。
それを拾って養子として養うだけでなく、ジャガーノートの正規隊員として採用したのは、
さきほどから二人に挟まれながらぼんやりとした目で天井を見つめているユーリアであった。
どういうわけか、彼女には人の才能を見抜く一種のセンスがあるらしく、わずか14歳の少女であっても欠員補充のためにと迷わず引き入れた。
痩せ細った二人に食事を与え、可愛らしい衣服を買い与えたのも、他ならぬ彼女であった。
そして何をしたかと言えば、ユーリアの奇抜な性格を列挙していけば分かる話である。大尉にして隊長である彼女は、
バイ・セクシャルであり大の可愛いもの好きでもある。そんな彼女が、自分に懐いている子猫のような二人に手を出さないと
言うのはありえないことだ。
かくして、二人の少女を抱くというのが習慣に組み込まれているため、ユーリアの朝は酷く遅い。
少女を抱かずとも町のモーテルで男に抱かれて帰ってくることもあるから、何にせよ彼女が起きてくるのは決まって酷く遅い。
今、丸まった白猫に形作られた時計の針は午前九時三十分になった。一応、ユーリアは目を開けているが、その目の焦点は定まっておらず、
両手に至っては名残惜しげに少女たちの柔肌に触れたままで、服は着ていなかった。
胸の大きな膨らみを隠そうともせずに、ユーリアはふいに起き上がり、
自分の格好を見てようやくその肌寒さを実感したかのように小さく
「くしゅんっ」
とくしゃみをした。その動作に胸の膨らみがぽよよんと揺れる。
「……うぅん? あれ、下着は着た覚えがあるんだけどなぁ……おっかしいなぁ……」
ずずず、と鼻をすすりながらセミロングの黒髪をわしゃわしゃと掻き回し、枕元に置きっぱなしになっていたくしゃくしゃの煙草の箱と
ジッポー・ライターを取る。
箱の中から一本だけを飛びださせてそのまま口に咥え、なんで私下着着てないんだろうとぶつぶつ呟きながら、
手慣れた様子でジッポー・ライターの蓋をあけ、火を点けた。
まだぼんやりとした微睡みの中、肺を煙で満たした後、ゆっくりと紫煙を吐きだしたユーリアは、昨夜のことをやっと思い出した。
ジークリートと一緒にシャルロッテを責めた後、二人を相手に激しくして、そのまま〝ばたんきゅう〟してしまったのだ。
そういえば最近男ばっかりで二人と触れ合えなかったから、思わず激しくしちゃったんだっけか、とユーリアは紫煙を吐き出しながら立
ち上がり、衣装棚に手を掛けながら思った。可愛くてついやっちゃったんだ、てへっ。
と、誰に言うわけでもない言い訳がぱっと頭に浮かんで消える。
煙草を咥えながら衣装棚からスポーツブラとスパッツを取出し、手にしたそれをベッドの端に投げる。
裸身のまま腰に手をあて仁王立ちしたユーリアは、幸せそうに、ゆっくりと紫煙を吐きだした。
そして、乱れたシーツのかかったベッドの上で眠る、二人の少女を見て、にこりと微笑む。
「やっぱり可愛いわよねぇ、リートもロッテも。きっと良い旦那さん連れてくる……よね?」
と、そこまで言ってから、ユーリアは二人の男嫌いについて思い出して、悩ましそうに「あー……」と声をあげながら、首を捻った。
実のところ二人が『フルール・ドリス』に捨てられたと言うことをユーリアは知らなかったので、スラムでなにか乱暴されたのだろう
と思っていたが、二人の男嫌いはただの男嫌いではなく、敵意を含んだ男嫌いなのだ。
もっとも例外と言うのはいるもので、ユーリアが手籠めにした(若干の語弊はあるかもしれないが)
ハミルカル・バルカや
グスタフな
どには、そこそこ普通に接する事ができ、整備兵にも挨拶ができるくらいなのだが、一般人の男となるとどうしてもケダモノでも見る
ような目になってしまうのである。
「ま、男って基本ケダモノだからその扱い方は合ってるんだけど……」
手慣れるまでがっつくだけであんま気持ち良くないこともあるし、と呟きながら、煙草を黒猫に形作られた灰皿に置き、
ユーリアはベッドの端に投げっぱなしの黒のスポーツブラを付け、スパッツを穿く。
昨日の内にハンガーに掛けてあった白いタンクトップを頭から被るように着て、丈の短いサンドイエローのホットパンツを穿く。
それからリングの飾りがついたベルトを腰に回して、左手首に飾りの腕輪をはめて、寝癖を櫛と整髪料で整えればパーフェクト。
あっという間に私服姿の私ができあがりー、などとのたまいながら灰皿の煙草を回収して再び一服。
早々と一本吸い上げてもまだ足らず、二本目を取り出そうかしらと思った辺りで、もぞもぞとシャルロッテが動き始める。
黒い髪がミルク色のマシュマロのような肌の上を滑っていくさまは、何度見ても愛おしい。抱きしめた時に感じる切なさを思い出
しそうになって、ユーリアは意識を煙草に戻した。今からもう一回しても時間なんか気にする必要はないけども、
今日はそれでも行かなければならない所があるのだ。
「……あ、ユーリ……おはよぅ」
左肩にかかっていた紐が外れて、シャルロッテの黒いベビードールがずれたため、彼女の左の鎖骨から胸の膨らみまでが露わになった。
が、シャルロッテは寝ぼけているのか、それに気づかない。
本当によく出来た人形か、人を魅了するために生まれてきたかのような双子の姉を見つめ、ユーリアはにへらーとだらしのない笑みを
浮かべながら、拾い上げて大正解だったわねと、今までに何十回と思ったことをもう再度、胸の中で呟いた。
そして口に咥えた煙草に火を点けて、寝室の換気扇を回してから紫煙を吐きだし、ごしごしと目を擦っているシャルロッテにやんわり
とした口調で言う。まるでシャルロッテの本当の母親のようだった。
「おっはよーシャル。コレ吸い終わったらちょっと出かけてくるけど……リートと一緒にお留守番できる?」
「うん、お留守番、できるよ。ユーリは……何時に帰ってくるの?」
「んー……午後の10時からプラマイ3時間ってとこかなぁ。あ、ジェシーに連絡して御夕飯作ってもらうようにしとくから、
リートにあんまり苛めちゃ駄目だぞって言っといてね。必要なら、バルカを呼んで遊ばせてもらってて良いし」
「分かった。お昼はどうするの?」
時計を見て、シャルロッテが言った。今は九時三十三分である。夕飯よりもお昼ご飯の方が、時間的には近い。
素朴な疑問を口にしたシャルロッテに対して、ユーリアは一瞬きょとんとした後、しまったという顔をした。
どういうわけか、お昼ご飯の事は考えていなかったらしい。
もちろん、何故かは不明である。彼女の思考は複雑怪奇であるのだから。
「あー……バルカにどこか連れてってもらってくれるかしら。冷凍食品じゃ味気ないもの。それで良い、シャル?」
「うん、良いよ。いってらっしゃい、ユーリお姉ちゃん」
「はいはーい。コレ吸い終わったらね」
そう言いながら、ユーリアは丈夫なキャンバス地で作られたレモンイエローのトートバッグに、ある程度の金額の入った小さい財布を入れて、
念のためにとフルサイズの9ミリ自動拳銃とそのマガジン二つを積める。弾丸はホローポイントが装填済み含めて2マグと、
アーマーピアシングが1マグだ。
双子にプレゼントしてもらったレースの白いハンカチとクラシックな懐中時計、ビジネスタイプのボールペン付き手帳と、
そこそこ新しい携帯電話。軍の生活では使わない私物一式が中に入っているのを確認して、ユーリアは深く息を吸い込む。
煙草は良いものよねと、ユーリアは彷彿とした表情を浮かべながら思った。
寝惚けた頭を活性化してくれるし、何より吸っている間は考えがよく纏まる。
吸っていなくても纏まりはするが、効率が若干落ちるから、吸っていないと駄目だ。
微かに湿った唇の間から紫煙を吐きだすユーリアは、灰皿で煙草の先端を押し潰して、火種が鎮火したのを確認してから、
ベッドにゆっくりと歩み寄っていった。
高級ホテルにあるような大きいベッドの上に膝をつき、段々と目が覚めてきたシャルロッテの膨らみを触る。
びくん、と幼い身体を反応させ「ひゃっ!?」と可愛い声をあげたシャルロッテに胸を弾ませ、ユーリアは肩ひもを引き上げて、
シャルロッテのベビードールを整えた。
そして少女の黒い髪を撫でながら、目を閉じてそっと柔らかい頬に口づけし、耳もとでそっと「行ってくるよ、シャルるん」と囁いた。
それがくすぐったいのか、シャルロッテは身体をくねらせている。
押し倒してしまいたい衝動を堪えて、ユーリアはもう一人の双子、ジークリートの元へと進んで、
未だに眠っている少女の白い髪をそっと掻き上げた。髪の色からか、シャルロッテは神が作った美しい少女に、
ジークリートは天から使わされた天使のように感じられ、ユーリアは堪らなく二人が愛おしくなった。
今日帰ったらどうしようかと、ユーリアはジークリートの頬に口づけしながら考えた。
ジークリートと一緒にシャルロッテを責め上げるのも興奮するけれど、一番いいのは二人同時に責め上げ、
最後に二人で責められる感じだ。それだと、三人とも満足してふわふわとした快楽の余韻に浸る事ができる。
「んぅー……ユーちゃんだめぇ……ロッテは私が苛めるのぉ……」
シーツの端を握りしめながら、可愛い顔に似合わずサディスティックな笑みを浮かべながら、
とても楽しそうな口調でリートが言う。それを聞いてシャルロッテは少しの間だけきょとんとしていたが、
しばらくするとほわわんとした表情になって、顔を赤くし始めた。
ジークリートがサドで、シャルロッテがマゾということをユーリアは良く知っている。
どちらも愛しい人相手でないと満足できないのが困ったもので、どちらかと言えばサドなユーリアはリートと一緒になって
ロッテを苛めることもある。もちろんそれは、ロッテが気持ち良くなるようにするのが前提なのだが。
きっとロッテは頭の中でリートに苛められている自分を妄想してしまったのだろう。
リートとユーリアがオープンスケベだとしたら、ロッテはむっつりスケベなのだ。
だからこそロッテもまた愛おしい。真面目なロッテがマゾだというギャップが、たまらなくユーリアの心をくすぐるのだ。
「それじゃ、行ってくるからね。良い子にしてるのよ?」
「あ、え……は、はい。いってらっしゃい、ユーリお姉ちゃん」
妄想から現実に意識が戻ってくるまでしばらく恍惚とした表情を浮かべていたロッテが、あたふたしながら、
ドアノブ片手にピースサインを送るユーリアに言う。
そのピースサインの意味をロッテは知らなかったが、しばらくして目が覚めてくると、あのピースサインが不思議で気になり始めた。
ユーリアは普段、気軽にピースサインは使わない主義だったはずなのだ。
―――
柄でもないことをしちゃったなと、ユーリアは煙草を咥えながら砲兵基地のゲートを堂々と潜り抜け、
イエローキャブこと黄色いタクシーを呼び止め、後部座席に乗り込みながらふと思った。
元政府軍らしい体格のいい黒人の運転手が物欲しそうな目でバックミラー越しにこちらを見つめてきたので、
ユーリアはにんまりと笑って煙草の箱を運転手に差し出した。運転手は呂律の効いてないような独特の訛りのある声で「ありがとう」と言った。
暴力に訴えず、隠居するように穏やかな日常に回帰する政府軍兵士たちもいたのよねと、ユーリアは「どういたしまして」と
言いながらふと思った。自分が徹底的に蹂躙した旧政府軍兵士に笑いかけていることには、なんの感慨も抱いていないようだ。
「どちらまでですか、お客さん?」
気を良くした運転手がユーリアに聞いた。
ユーリアが煙草に火を点けているのを見ると、彼は後付けされた缶型の灰皿をユーリアに差し出した。
サービス料分のチップを払おうという気は無かったので断ろうとすると「チップは貰ったから」と言って、彼もまた煙草を咥えた。
ユーリアは灰皿を受け取って、彼の煙草に火を点けてあげた。
「無名戦士の墓に行ってくれるかしら?」
「府立墓地ですね。了解しました。良ければなにか音楽を掛けましょうか? お客さんが気に入るようなものはないでしょうが」
自嘲気味に笑って見せた運転手はそう言うと、ダッシュボードの音楽プレーヤーに手をかけた。走行音だけだと味気ないので、
ユーリアは笑顔でうなずきながら、彼の煙草の箱をそのまま手渡す。
「お願いするわ。これ、貰って良いわよ。チップ代わりで」
「そんな……悪いですよ、お客さん」
あとで無茶なこと要求されても絶対に断ります、と顔に書いてある運転手が、ユーリアを探るように声をあげた。
別に婚約者を今から射殺しに行くわけでも、その間ホテルの前で待っていろとか命令するわけでもないので、ユーリアは笑みを浮かべて肩を竦めた。
拳銃は持っているが、そんなことに使うつもりはない。今のところは。
「良いわよ別に。その代わり、チップは少なくなるわよ?」
「煙草の分だけで相当なチップになりますよ」
さらに上機嫌になった運転手は、音楽プレーヤーを軽やかに操作して煙草を吸い、美味そうに紫煙を吐きだすと、
料金表を上げて、シフトレバーを入れ、車を発進させた。
ガソリンエンジンと路面を踏むタイヤの奏でる音を押し潰すように、音楽プレイヤーからズンチャ、ズンチャ、
という前奏が流れ始め、同時に窓の外の景色も後方へと流れ始めた。
大勢の人が足踏みをするような低音と、軽やかで飄々としたギターの旋律が車内を駆け回った後、
それらを使役する王のように、しわがれた低い声が音楽プレイヤーから闊歩してくる。
彼はまず初めに、こう言った。
(おまえは長い間走り続けることが出来る 長い間走り続けろ 長い間走り続けるんだ 遅かれ早かれ、神はおまえを打ちのめすのだから)
ユーリアは微笑みながら運転手に言った。
「良い歌じゃない」
運転手は破顔して口笛を吐き出しながら吹き、心底嬉しそうな声をあげた。
「あんたは音楽ってのをよく分かってる」
クーデターの傷を未だに治癒しようと躍起になっている都市の情景が窓を流れていくのと同じように、
ジョニー・キャッシュの渋い声が車内を流れていった。
―――
紺色の詰襟制服に皺一つない青いズボンを穿き、真っ白な手袋と、鏡面のようになるまで磨き上げられた靴を両足に履きこなし、
黒い唾の白い帽子を被り、二世代ほど前のライフルらしい形をした木製ストックのライフルを抱えて、府立墓地の警備を担当している
儀仗兵の衛士二人に笑顔で礼をしながら、ユーリアは戦死者の眠る広場の門を潜り抜ける。
イエローキャブの運転手と近頃の新政府についての不評不満を愚痴り合いながら、会話に花を咲かせて数十分。
浮浪者や失業者に対する政策がまとまっていないから、スラム街の急速な治安悪化が引き起こされ、それが表面化し始めているのだと、
二人は議論の末に一つの答えを出していた。
運転手はユーリアが思ったとおり元政府軍兵士で、通信機器の取り扱いができ、選抜射手の訓練に合格したそこそこのエリートだった。
政府軍という一大企業が無くなってからは、しばらく職探しと日雇い労働を続けていたらしい。
さまざまな宗教的シンボルマークが刻まれた白い墓石には、その戦士たちの名と、どれだけの時間を生者でいられたのかが記されている。
その墓石を横目で眺めながら、ユーリアは運転手が府立墓地前に車を止めた時に言った言葉を、ふと呟いていた。
「運がなかっただけ……か」
自分がクーデターの時に政府軍側に所属していたことも、タクシー運転手くらいしかまともな仕事がないことも、
それで一切合切説明がついちゃうんですよねと、運転手は美味そうに煙草を吸いながら、フロントガラスの向こう側をじっと見つめていた。
その横顔が、ユーリアには忘れられない。
実の所、クーデターがどのように行われたのかユーリアはよく知らなかった。
新たな政府として立ち上がったバンガードの指導者『大佐』にしても、そう会ったことはない。
一番身近な佐官と言えば、今は亡きジャガンナータ隊長、エイブラハム・ロンバート少佐だった。
今では身近な佐官と言えば、バンガード通常部隊の(ジャガーノートは一応緊急展開部隊扱いのようだった)シズキ中佐、
ゴンジューリン中佐、
リュゼ・ルナール中佐くらいだろうか。
ユーリア自身も佐官への昇進が伝達されてはいたのだが、良い事ばかりと言うわけでもないので断っている。
そろそろ人事の方が本気で怒って、少佐に昇進しなければ独房へぶち込むぞこの売女がっ、とか言ってくるのではないかと、
ユーリアは墓地を歩きながら思った。
そして、これ以上面倒が増えるのも嫌だから、いっそのこと少佐になってしまおうかとも考えた。
そうすれば給与区分がO-3からO-4に上がるし、双子の生活ももうちょっと潤ったものになる。今でも十分、潤ってはいるのだが。
「ダメねぇ、やっぱり煙草吸ってないと……嫌な考えばっかり浮かんじゃうわ……」
ふと思いついたように呟いて、ユーリアはトートバックから新しい煙草の箱を取り出したが、
墓地内は禁煙だったことを思い出して苛立たしげに溜息を吐き出した。
そして箱をトートバックの中に仕舞い込み、代わりにニコチンガムを取り出して口の中に放り込む。
禁煙を推奨するものらしいが、とりあえずニコチンが摂取したいユーリアからすれば、単に煙草の代わりにしかならなかった。
ガムを噛みながらユーリアはニコチンが摂取されたというプラシーボ効果やらなにやらによって、いつもの状態に戻ることができた。
いろいろな考えを同時に巡らせて処理できる特異な才能を稼働させ続けるには、ニコチンが必要だったのだ。
ユーリアは考えふけりながら墓地を歩いて行った。部隊の予算管理や補給項目などについてを計算し、
ジェシカに丸投げする分の事務仕事を整理して、それから自由に使える時間を逆算した。それで大方は片が付いた。
あとは実際に手を動かすだけかしらん、とユーリアが上機嫌に笑みを浮かべながら鼻歌を歌い出す。
その鼻歌がサビに行かないうちに、ユーリアは目的地である無名戦士の墓に辿り着いた。
その名の通り、墓は名すら分からない兵士たちの魂を鎮めるためにあった。
なんの宗教的シンボルマークも無く、他の墓石と同じように白く光り輝いているそれは、何千人もの兵士を鎮めるにしてはあまりにも
粗末なもののような気がした。
他の墓と違うのは大きさくらいだろうか。悠に三倍ほどは大きかった。
大きさだけで兵士たちを鎮めることができるのなら、それはそれでお得なのだろうとユーリアはふと思った。
思ってから、墓の前に一人の女性が立っているのに気付いた。
変な女だなと、自分を差し置いてユーリアはそう思い、首をかしげた。
女性にしては背筋が伸びすぎているし、服装も流行に合わせる気がないどころか、すべて男物で固めていた。
その男物のファッションにしても、数年前の流行ったものだった。
そう、丁度クーデターが起きる前くらいに、雑誌でよくやっていたような服装だ。
黒いコートにグレイのワイシャツ、ゆったりとした黒いズボンに、シンプルなデザインのベルト。
流行に乗り遅れている服装なのに様になっているのは、その顔立ちが凛々しいからだろう。
飾り気もなくただ伸ばしたセミロングの黒髪はよく手入れされているとは言い難かったが、飾り気のない服装とマッチしている。
鴉を思わせる赤い瞳は細められていて、それが儚げな雰囲気を醸し出していた。身体の凹凸はあまりないというよりは、ないの一言
に尽きるものの、なかなか魅力的な方ではないかと、ユーリアは思った。
「あなたも墓参り?」
彼女の隣まで歩み寄ってから、ユーリアは言った。
ユーリアの視線は白い墓標に向けられていた。男装した女性も、じっと墓標を見たままだった。
無名戦士の墓の前で二人がしばし、たたずむ。近くに植えられたオリーブの木が風に揺れ、自動車のクラクションが遠くに聞こえる。
しばらくして、男装した女性がハスキーな声で答えた。
「……ああ、そうだ」
「そう。あなた、所属はどこだったの?」
ニコチンガムを舌の裏にしまいこんで、ユーリアは彼女に言った。
男装の彼女はちらりとユーリアを見たが、すぐにその目線を墓標に戻す。
彼女のコートのポケットに両手をつっこんだままと言うのは市民から見れば礼儀知らずなのかもしれないが、
墓標の主と肩を並べて戦った人間なら、それは許されるのだと、ユーリアはなんとなくそんなことを思った。
「第7独立首都防衛大隊だ」
「政府軍側についた部隊ね。もしかして、噂の埋葬者とか?」
「………そんな訳ない。俺はただの歩兵だ」
うっとおしいからどこかに行ってくれないか? と言いたげなその返答に、ユーリアは唇の端を持ち上げて笑った。
そんな体系で首都防衛大隊の歩兵をよく名乗れたわねと、その言葉が喉まで上ってきた。だが、ユーリアはそれを黙って飲み下した。
心地よい風が整列した墓標たちを優しく撫で上げ、二人の髪をいたずらに乱して消えて行った。
「そう……。私はACパイロットよ。所属は第4独立機動中隊ジャガンナータ。階級は大尉」
空を見上げながら、ユーリアが言うと、男装の彼女はぴくりと肩を震わせて、ゆっくりとユーリアの方を向いた。
黄色がかった肌に黒い髪と赤い瞳。横顔で感じた凛々しさよりも、張り詰めた空気を纏わなければきっと可愛いと感じたであろう童顔。
ハスキーボイスと男装といい、女らしいとは言えない振る舞い。ユーリアはふと、彼女ではなく、〝彼〟なのだと察した。
「それがどうした。俺には、関係ない」
彼がそう言う。
ユーリアは空を見上げるのを止めて、彼の目を見た。
彼は両手をジャケットのポケットに突っこんだまま、じっとユーリアを見返してきた。
そしてユーリアは、ふっと笑って見せた。
彼の眼が、警戒のためすっと細まる。
「ここに眠っている埋葬者の方々に墓参りをしにきたのよ。ああ、よくぞ私と戦ってくれた! とね」
「だからどうした。俺には―――」
関係ない、と紡ごうとした口を、ユーリアは人差し指を当てて制した。
控えめな薄い唇の柔らかな感触をユーリアが感じた直後、彼は目に殺気を滲ませ、その大きな目を細めてユーリアを睨み付けた。
「きっと知ってるのよ、私。貴方の事を」
ユーリアは誘うように笑って見せた。
目を三日月形に細めながら、唇の端をくいっと持ち上げて、小首を曲げて彼を見た。
「貴方も私をきっと知ってる。ねえ、そうでしょう?」
ねっとりとした吐息を吐き掛けながら、ユーリアが甘ったるい声でそう言っても、彼は手を出さずにいた。
彼は変わらずにユーリアを睨み付け、今にも襲い掛かり、首を折りにかかって来そうな殺気を放っている。
その殺気がユーリアを刺激した。ユーリアの背筋をぞくぞくと震わせ、興奮させていた。
しばらく静寂が続いた後、彼は右手でユーリアの手を叩き落とすと、声をさらに低くして、言った。
「ああ、そうだ。ユーリア・カエサリア……俺も、あんたを知っている」
「ええ、そうだろうと思ったわ。あの日あの時、私を殺し損ねたナイト・レイヴン――埋葬者の生き残りさんよね?」
あの日あの時―――イル・シャロム郊外の丘陵地帯で行われた戦闘、血染めの丘の戦い。
黒塗りに金の縁取りをされた7機の中量二脚型ACは、死に体といった風貌で丘の上に立ち、
ジャガンナータを主力とする粉砕打撃部隊をじっと待っているようだった。
ある者は片腕がもげ、ある者は火花を散らせ、ある者は頭がもげ、ある者は弾が切れ、ある者は装甲が剥げ、
ある者は目を潰され、ある者は両腕が無かった。
そして戦いが終わってみれば、粉砕打撃部隊は増援を含めほぼ壊滅。
埋葬者もほぼ全機が大破、撃破されたが、膝をついた機体が再び動きだし、市街地へ疾走していったのは意地の悪いホラー映画の様だった。
残ったのは埋葬者に埋葬されたジャガンナータのAC5機の残骸と、歩兵だったものと、戦車型の棺桶と、
踏み潰されて原型を無くした埋葬者のACが3機程度だった。4機は蘇えって、どこかへ消えていったのだ。
ユーリアはその時の記憶を鮮明に思いだし、今ここでこの男と殺し合えればどんなに気持ちが良いだろうかと、
どんなに痛快だろうと思ったが、しかし、その先を考えることは止めた。
生身でそうやってもおもしろくはないのだ。
それと同意見なのか、ナイト・レイヴンはコートから手を出し、仁王立ちしながら言った。
「あの時の戦いはまだ終わっていない。拳銃の弾丸では、お前を殺すのにはまだ足りない。お前はACで殺さなければならない。
過去も忌々しさも、すべて背負った――あのACで」
コートのポケットの中に小口径の拳銃でも隠し持っていたのかなと思いながら、
ユーリアは破顔してくつくつと面白おかしいとでも言いそうなほど楽しそうに、控えめに笑い声をあげた。
死者の前で笑い声をあげるべきではないと思っていても、心の底から湧き上がってくる昂揚感は抑え切れず、
声が漏れ、表情は歓喜で満たされ、目は煌びやかなまでに生き生きとしている。
「そうよ、その顔。そしてその言葉を言って欲しかったの! あの日はとても楽しかった!
貴方と戦うその日も、きっと楽しいに違いないわ!」
ユーリアが弾んだ口調でそう言うと、レイヴンはそれまでの無表情の仮面を捨てて顔を顰める。
しかし昂揚しきったユーリアからすれば、その顰め面も十分以上に可愛らしく愛おしかった。
彼女にとって愛おしいと言うのは、愛でたいものと、殺し合いたいものの二種類があるようだ。
やや大きめの声だったにも関わらず、門などの要所に立っている衛兵はぴくりとも動かなかった。
墓参りに来ている人らにしても、無名戦士の墓のほうで何が起こっているかなど気にも留めていなかった。
「……俺はあんたとは違う」
やや間があいた後に、レイヴンが小さく呟き、すたすたと歩き始めた。
もうこれ以上話すことなどない、とでも言いたげな口調で表情は顰め面のままだった。
コートに両手を突っ込んだまま墓地の門へ歩いていこうとするレイヴンの小さな背中に、ユーリアは吹きかけるように言った。
「いいえ同じよ。同じ戦争狂だから、貴方は私が嫌いなの」
レイヴンにその声が届いたか届かなかったのか、それは分からなかったが、彼は振り返ることなく墓地を後にした。
しばしその場にたたずんでいたユーリアは、腕時計を見た後、白い墓石を一瞥し、
にやりと口元に笑みを浮かべ、レイヴンと同じように墓地を後にした。
後には、白い墓石の上にひらひらとオリーヴの葉が落ちて、風に巻かれて吹き飛んでいく、そんな風景だけが残った。
タクシードライバー
(投稿者:狛犬エルス)
最終更新:2012年07月11日 13:59