投稿者:怨是
「此処まで来れば大丈夫ね。回収するわ。待ってて」
「オーケイ、今行くぞ」
戦闘領域から離れた回収地点へと、グッドマンがヘリを動かす。曇り空からは灰色の粒が幾つも降り注いでおり、コックピットの防弾ガラスに付着したそれを見て、初めて雪だと気付いた。地表が此処まで荒れ果てた現在に於いても、空はしっかりと“生きている”らしかった。
「回収地点への到着を確認。お疲れ様」
《ふいぃ、死ぬかと思ったっちゃ》
ショートテイルが気の抜けた声で脱力している。釣られてオペレーターの女性もまた、肩の力を一気に抜き取った。赤字が解っている出撃ならまだしも、今回は自分とショートテイルの存続を掛けた戦いだ。そんな事を云っては大袈裟だと笑われるかもしれない。が、本当の事だ。
《……じゃあ、本当に死なせてやるか?》
険呑な、先程の口喧嘩のせいで少し枯れた声が通信機から響く。
カラブローネだ。機体は迫撃砲とスナイパーキャノンを捨て去り、ハンガーのHEAT榴弾砲とレーザーブレードへと持ち替えている。やけに追い付くのが早いのは、そのせいだろう。
《ちょ、戦闘領域から離脱したと思ったのに!》
《残念だったな。此処はまだ俺の庭だぜ。お前が誰の差し金かは知らないが、獲物は必ず追い詰めるのが礼儀ってモンさ》
榴弾がドレイクを横切り、装甲を斜めに穿つ。
《ひ……ッ?!》
「やむを得ないわ。そいつだけでも倒して」
《うぅ、やるしかないと》
「なるべく早くね。もう一機が来たら勝ち目が無い」
敵側の僚機であるグレイゴーストは足をやられているとはいえ、セントリーガンで火線を増やされれば面倒だ。
《っへへへ、手間の掛かる子猫ちゃんだ!》
至近距離で榴弾砲を連射され、路地裏へと追い詰められる。三次元的機動を考慮しない場合はこの時点で“詰み”だが、軽量逆関節の強みはその跳躍力にある。
「そのビルを使って!」
《了解だっちゃ!》
ドレイクはしっかりとビルの間を三角跳びで蹴り上がり、屋上へと到達する。
――くそったれ、ひやひやさせるな。
額に浮かんだ脂汗の玉がウォータープルーフの化粧の上を奔る。胃袋の内容物が逆流しそうだ。
「追ってくる。ショットガンで撃ち落として」
武器を切り替える間の僅か数秒がこれほどもどかしい瞬間は、今まであっただろうか。ドレイクとヴェレーノの高低差が見る見る内に縮まって行く。ヴェレーノはビルの壁を昇りながら、榴弾砲を至近距離で放ってきた。武器の切り替えを終えて今まさに散弾で撃ち落とそうと顔を覗かせたドレイクは、それをまともに浴びる形となる。
此処で一つ弁解しておきたいのは、ヴェレーノが武器を構えた所は決して見逃してなどいなかった。引っ込めと指示を出そうとした瞬間には、既にやられていたのだ。決して、ミスではないと信じたい。信じて欲しい。誰に祈るでもなく、オペレーターは胸に拳を当て、伏し目がちに胸中で呻いた。
頭部を損傷してバランス機能を失ったドレイクはビルから大通りへと転落し、ヴェレーノがそれを追い掛けて踏み付ける。キャノンを捨てて軽装になったとはいえ、あの本体フレームの重量がビルの屋上から踏み付ける力は、ブーストチャージに匹敵する。カメラの幾つかが破損したのか、リンクして流れてくる映像はそこかしこが欠けていた。
ドレイクのショットガンは少し遅れて発射され、ヴェレーノの装甲を穴だらけにする。慌てて飛び退いたヴェレーノに追撃する様な真似はせず、ドレイクはバランス制御のいかれた脚部をガクガクと動かしながら距離を取ろうとしていた。
《チェックメイトだ。約束通り、くたばっ――》
金属の擦り切れる音が轟き、重量逆関節型……ヴェレーノの反応が消える。マップを見ると、代わりに反応が一つ増えていた。重量二脚型だ。
《……あ、あれ? どうなったっちゃ?》
急いで、探知機の範囲内に居る重量二脚型をスキャンする。どうやら
スペクターではないらしい。エンブレムも装備も異なっている。
《天下のヒーロー様がこんな雑魚に手こずってるなんて、笑い種にもならないよね、実際》
鈴の音を鳴らすかの様な可憐な声音はしかし、語気が毒を多分に含んでいるせいで不快に感じられた。
《君はガーネット! いや、助かったっちゃ! 何とお礼をすべきか! そうだ、今度ジュースでも――》
《――黙りなよ。助けたのは本意じゃない。私はあんたとは別件でこいつらを追っていただけ。もう一人は取り逃がしちゃったけど……ACの撃破報酬は私のものだから》
いきなり何を云い出すかと思えば、この小娘は。流石にそれは駄目だ。完全に赤字になってしまうではないか。
OVAのデータベースから引っ張り出したプロフィールに依れば、確かそんな名だった。
《そうですが……貴女は?》
合っているなら、良かった。声のトーンは威圧的なまま、口調を丁寧にした彼女の意図は計りかねるが。
「その子を担当してるオペレーターよ。悪いんだけど、先に交戦していたのはこっちなの。何割かはこっちに貰えないかしら?」
《駄目です。倒したのは私。そこのカエル女はどうせ喚きながら逃げてただけですよね? あれの撃破報酬は全額頂きます。生半可な情報だけで依頼を請けてはならないという教訓の、その授業料として》
こういう仕事をしているとよく見掛けるのが、共闘に際してこの様に反抗的な態度で噛み付いてくる手合いだ。彼女の様な輩とぶつかった場合、のらりくらりと追及を躱しながらお互いが納得出来る落とし処へ持って行くのが定石だ。が、大概そういった協議は骨の折れる行為である事を知っているだけに、バイト女のオペレーターは暗澹たる胸中を隠しもせず、溜め息を吐いた。
「僚機を行動不能に追い込んだ、っていう事情も配慮して頂戴。ミグラントっていうのはね、そういった話し合いも大事なの」
《断ります。決定打を与えた相手があくまで僚機のほうなら、あの逆関節型を倒した事との直接的な関係は無い》
何処までも頑固な奴。だが理論で押すしかない。武力をちらつかせて屈服させる手段は、草食系ミグラントたる蜥蜴重工の構成員に於いては禁じ手だった。
「大いにあるわ。僚機の重量二脚型が健在だったら、あんたは二機も相手取らなきゃならなかった。幾らあんたの腕でも、そこのお荷物を抱えながらじゃ無理じゃない?」
《ちょ、ちょっと待つっちゃ! ウチがお荷物って――》
「――うん、ショートテイル。解るわよね?」
《はいはいはいぃー……》
反論しようと口を挟んできたショートテイルを反射的に黙らせる。多分あの女とは浅からぬ因縁があるのであろうショートテイルが今、この話に入ってくると、この上なく面倒な事になるのは明白だった。話がこじれる前に、どうにかせねばならない。自分の時給もそうだが、ショートテイルの為にも。
「確実に勝利できる状況を作ったって事で、あんたと私達は報酬を分け合うべきよ。ね? 共闘したという解釈で。それが筋ってもんじゃないかしら」
《見くびらないで下さいよ。そこのカエル女じゃあるまいし。二機だろうが、私はやれます》
「はぁ……」
兎に角“一人で倒せた”だの“全額寄越せ”だのと、その一点張りとなっては、話が一向に進まなかった。
「埒が明かないわ。そっちのマネージャーは誰? 話を付けるから、繋いで。今すぐ」
ミグラント同士の話し合いに於ける、武力を除いた最終手段……それは、相手側のオペレーター、ならびにマネージャーとの対話である。血の気が多すぎて話の通じない傭兵を御するのはいつもオペレーターだと相場が決まっている。
チェイサーというのはあちらのオペレーターのコールサインだろうか。素直に呼んでくれるなら話が早い。遙か遠方、雲の隙間から黒い点が現れる。あれが恐らく、チェイサーとやらのヘリだ。
《友軍だ。撃つのか》
不穏な言葉に背筋が凍った。撃つなよ。
《あれが友軍だなんて、私は認めません。何かあれば責任は私が取ります》
頼む、チェイサー。頼むから話し合いを……。
《……了解した》
「嘘、ちょっと、何するつもり――ッ?!」
予感が確信に変わり、咄嗟に問い質したが、最後まで云い切る事は無かった。
虚空から現る小さな塊が、或いはそこに付随する光の尾が、ヘリの横腹を僅かに掠めた。コックピットが揺れる。スナイパーキャノンを搭載した航空機など、古今東西聞いた事が無い。
口中に広がった血の味に些かばかり驚いて、思わず口元を右手の人差し指で拭うと、ぬめりを帯びた赤い線を引いていた。どうやら今ので唇を切ってしまったらしい。
……此処までやるか。Dランクの小娘だからと油断したが、まさかこんな暴挙に出るとは。
《大丈夫だっちゃ?!》
「くっそ……」
《今ので解ったでしょう? 要求に従わないなら撃墜します。あのACの撃破報酬を全額こちらに渡すか、それともご自身の命を危険に晒すか。懸命な貴女なら前者を選ぶ筈ですが》
何を生意気な。か弱い淑女の唇を間接的にとはいえ傷付けておいて、その言い草は何だ。
「ふざけないでよ! 無茶苦茶よ、こんなの! 呑めるわけないでしょ、明らかな脅迫行為だわ! OVAの管理委員会が知れば、只じゃ――きゃっ?!」
二発目がヘリの装甲を抉る。エンジンの油圧が下がり、これ以上の被弾が危険である事を機内アラームがひっきりなしに喚き散らしていた。グッドマンが計器の幾つかを操作して、それを黙らせる。
衝撃でぐらついたのが血圧に変な影響でも及ぼしたのか。それとも何処か別の場所でも出血しているのか。思考の回転数が上がらない。粘ついた逡巡は次々に水泡となり、呼吸を荒げる醜態を強いられた。その根源が恐怖であるなどとは、断定したくなかった。安全地帯から指示を飛ばすだけの日々を過ごし、死地に赴いた事など無かったなどとは、断じて認めたくなかった。
まだ死にたくない。じわりと滲んだ涙に、視界が歪む。
《ふふん。残念ですが……記録などというものは揉み消せば知れ渡る事などありませんから。風化してしまえば、せいぜいミグラント同士の小競り合い程度の認識に落ち着きますよ》
風化するなんて嫌だ。折角、あと少しだったのに。
《やめるっちゃ!》
《うるさい、カエル女! 何の因果か知らないけど、此処で出会ったのは好都合。今度こそ黙らせてやるよ! 永遠に!》
《粘着質すぎるっちゃ。そんな事してたら、そのうち嫌われるっちゃよ》
《余計なお世話だね。あんたが陰で何て云われてるか、私は知ってるよ。“無能生存体”》
《“柘榴女”が何を仰るっちゃ。もういっぺん、装甲バラ撒いてブッ斃れてみる?》
嫌な予感で我に返り、モニターを切り替えると、ショートテイルがドレイクを赤い機体へ接近させていた。
血の気が引く。友軍信号のまま、何をしているのか。ドレイクのショットガンが赤い機体へと向けられ、散弾が放たれる。通信に割り込む。
「やめなさいよ。今はそんな場合じゃないでしょ」
《でもこいつ、ヘリを……!》
「私達なら心配要らないわ。含むところがあれば、アリーナで決着を付けなさい。撃破対象でもないのにやり合っても、無駄よ、無駄」
《……了解、だっちゃ》
しょげ返った返答が、通信機のスピーカーから鳴り響く。微かに、胸が痛んだ。
本当は、こんな自分の命を心配してくれた事が嬉しかった。それでも努めて冷静に、寧ろ敢えて冷徹とも取れるであろう口調でショートテイルを押さえたのは、一瞬とはいえ取り乱していた事を悟らせない為でもあったし、実際に撃破対象指定が無いと撃破報酬が得られない為でもあった。無意味な出費で業績を落とせば、今度こそ危うい。二人揃って明日から路頭に迷うなどという事態は、何としてでも避けねばならないのだ。
《この、逃がすか!》
「グッドマン、急降下でドレイクを掻っ攫って」
「任せろ!」
首が外れる程の重力が全身を襲う。
「ショートテイル! 掴まって!」
《うん》
重低音が響き渡り、それがショートテイルの機体、ドレイクをがっしりと掴んだ事を知らせた。きっと、コアや腕部に無数の傷が付いた事だろう。だがしかし、今更そんな掠り傷を気にしていられる状況ではない。満身創痍のドレイクに多少の損傷が増えた所で、然程修理費に影響はしまい。
「撃破報酬はあんた達に全額譲ってあげるわ。その代わり、今回の件は報告させて貰う。きっちりとね」
《今更そんな事が通りますか! チェイサー! あれを撃墜して下さい!》
《残弾が無い》
――やれやれだわ。
元より報酬を譲るか撃墜されるかの選択を迫ったのはあの小娘のほうだ。ショートテイルという宿敵を眼前にして、冷静さを失っているのだろうか。若さ故の芯の無さは、人類の持ちうる度し難き悪癖の一つではなかろうか。
《そんな! どうしてこんな時に! 貴方、いつ弾を使い切っ――》
赤い機体から遠ざかるのを虚ろな目で追いながら、女性は通信回線を切った。
胸に手を当てる。鼓動は、まだ暴れ狂っていた。
「……ごめんなさい、グッドマン。まさかこんな事になるなんて」
「いいさ。お前さんはあの子を守ってやる為に戦ったんだろ。それは決して、恥ずべき事じゃあない筈だ。グッジョブじゃないか」
「でも、下手したら私達は墜とされてた。貴方の命まで危険に晒して、私ったら」
「大丈夫だ。あちらさんはちっとも狙っちゃいなかったよ。寧ろ、わざと外していた節がある」
嘘に決まっている。グッドマンの操縦技術は誰もが買っている。きっと今回も、上手く致命傷を避けただけだ。
「そんな浮かない顔をするもんじゃない。そうだな、後で奢ってやる。煮え切らない感情は、飲んで忘れる。それが一番さ」
「……」
彼の提案には、踏み切れない所があった。それでも……
「――そうね」
しんしんと降りしきる雪は、見えざる涙を代弁しているのかもしれない。辛うじて動作するドレイクを牽引しながら離陸体勢になるヘリをコックピット内から眺め、オペレーターはふとそんな事を漠然と考えていた。
深紅の重量二脚の姿は、もう見えない。
最終更新:2012年07月19日 01:39