―ばれなければお得、ばれても英雄、それが悪事―
「グーテンモールゲン! おお、そこを優雅に歩くは、湖でもあったらその美しさに蒸発しちまうお方! 性根の悪い魔女が『世界で一番美しい人は誰』と魔法の鏡に聞けば、鏡が世界で一番美しい方はこの人ですって、裸足で走り出して、号外まき散らし、スピーカーで叫び散らすバンガードの眠れる森のスノーホワイトか。あとは、なんだ、ビーンズじゃん。なんだ。がっかり。すんげーがっかり。落胆したから、金くれ」
基地の入り口すぐに広がるホールで、待ち構えていたかのような二人組を発見し、両手を広げて杖を振り回して非常に大げさで芝居かかった挨拶をしたのは杖をついた男だった。通り係の兵士達が、何事かと一瞥していくが、派手なサングラスをかけた杖の男が、いかにも厄介そうに見えたのか、見なかったことにして通り過ぎていく。
その言葉に、金髪で軍人にしてはやけに優雅な空気を漂わせる優男の方が、微笑みのような苦笑のような曖昧な笑顔を作る。横にふてくされたように立っていた男は、明らかに不満を顔に出す。
「バーンズだ。わざと間違えるな、この厄介者が。そして、俺と中尉の扱いの差はなんだ!? 病院に送り返すぞこの野郎! 」
「おうおう、やってみろよバカヤロウ伍長殿。軍曹に楯突くとは流石のバカヤロウだぜ。流石に上官と喧嘩別れして流れてきただけある。そして、あれが病院だと? 若くて可愛いドジっ娘ナースなんていなかったぜ。キラキラアイの無駄にさわやかで厳つい野郎が『頑張って☆』って言いながら歩行訓練という名の拷問をしてくるんだ。逆らえば『その調子ですよ☆』って言いながら、トレーニング量を増やしてくるんだぞ。三歩進めるようになれば、『おめでとう☆』って言いながら、我が子が初めて歩いたときのように喜んで、バカでかいケーキを用意してお祝いして来やがる。ようやく退院出来れば、『バンザーイ☆』って言いながら全員で胴上げしてくるバカヤロウどもだ。あんな人権無視があるかバカヤロウ。ムショの方がまだ人権守ってるに間違いない。今度は、お前にその地獄を見せてやろう。フハハハハハ!」
今現在も同じ独立機動部隊所属の杖をついた男が挑発的な笑みを見せて態とらしく高笑いをする。
「お前が階級云々言うな。 無事な右足を折るぞ! 」
「ほう、俺の黄金の右足を折ると宣言するか? ふむ、名誉の負傷をした身内に手を挙げるとは、バンガード軍人の風上にも置けないバカヤロウだ。ハートマン鬼軍曹の再教育が必要じゃねーの? ね? 」
と優男の方、イニョル・アンダーセン中尉に向かって相づちを求める。なにやら笑顔でけんか腰の二人を見守っていた。
「元気そうで良かったですよ。脚のことは残念ですけどね。あと、再教育についてはもう依頼してありますよ」
「なっ!? 」
バーンズ伍長の顔が歪む。ハートマン軍曹の訓練は、未だに彼を始めとした数多くの隊員に心の傷を持たせている。
「お、流石はレジェンドオブその歳で中尉さん」
「な、勘弁してくださいよ中尉! 」
ハートマン軍曹のキャンプでのトラウマが、今再び走馬燈の様によみがえってくる。
例えば、約20キログラムの荷物を背負って、全長50㎞に渡り渓谷を行進したこと。杖をついた男も、当時は偶然ながら同じトレーニングに参加していて、その男が自分の荷物にダンベルを忍ばせていて、約25キログラムにされていたこと。そのことに気がついたのは、全てが終わった後だった。
真夜中に、暗闇の中で、突然腕立て伏せを命じられ、日が昇るまでし続けてきたこと。精神を鍛えるために、どれだけやれば終わりという宣言がない突然のトレーニングはよくあることだった。しかしながらその時は、ハートマン軍曹の声を録音し、変装した目の前の男の犯行であったこと。気がついたのは、朝日が部屋に差してきたときだった。
何故だろう、ハートマン軍曹が怖いのは間違いないが、被害の何割かは目の前の男のものだ。因縁が昔から続いているのは、どういうわけだ。本当に病院送りしたくなってきた。
「そんなに焦らないでくださいよ。冗談ですから」
中尉がニコニコしながら窘めるように言った。杖の男は残念そうに肩を落とし、バーンズ伍長は安堵した様子で、額の冷や汗をぬぐった。
「だから、中尉のジョークは心臓に悪いんですよ」
「でも、半分は警告ですからね? 」
「……い、イエス・サー・イエス」
非常に強ばった表情だった。
微笑を浮かべながら、イョルンが杖の男に向き直る。
「急がないと行けないので、本題です。こちらを」
イョルンが茶封筒を差し出し、杖の男が間髪入れずに受け取り、とりあえずは封筒の口を開けて中身を見る。
「遺品の一部です。というか、まだ形が残っている遺品がそれだけです」
「……だろうな」
杖の男が、「もってろ、ジーンズ」と言いながら杖をバーンズに投げて、封筒の中身を手のひらに開ける。カチャカチャと金属音を立てながら、手の平にはところどこかが欠けて、焦げ付き、変形した金属片が現れる。杖の男は「ビーンズだ。間違えるな! 」というバーンズの言葉も気にしない様子で、金属片を睨み付けていた。
「なるほどな。たかが認識表でも、受け取り拒否か」
「何故その話を? 何か知っているんですか? 」
「詳しいことは何も。だが、ことあるごとに、あのバカヤロウはうちのクソ親父がどうこうは言ってたな。懐かしい。ふん、’懐かしい’になっちまったか。もう、あのバカヤロウは’懐かしい’ってことになったのか」
杖の男は、金属片、かすかにバンガードのV、A、Nの文字程度がかすかに読み取れる。Gであった字は左側だけ見え、Cかもしれないし、OやQとも推測できる。が、他は何も読み取れない認識票を睨みながら呟く。どことなく上の空で感情が籠もっていない声だった。
「貴方に預けておくのが良いのかと思いまして。よく組んでいましたし。時が解決してくれるなら、貴方からなら受け取ってくれるかも知れません」
「そうか」と男は呟き、認識表を封筒に戻すとクチャクチャに丸めてズボンのポケットへと押し込む。
「ほら、ボーンズ。俺様のダサイ脚を返せ。いい加減にしねーと車が出ちまう」
「バーンズだ。ほらよ」
杖をひったくるように奪って、再び杖の男になり、改めて独立機動部隊の二人を眺める。
「そんじゃ、結婚するなら連絡くれ。上等のシャンパンを送ってやる」
「ええ。楽しみにしてます」
「だから! 心臓に悪い冗談をやめろ! 」
「ガキが出来たら、プラズマジェットエンジン付のベビーカーを送ってやる」
「期待してます」
「だーかーらー! やーめーろー!」
軽口に平然と応える二人に、アルフレッドが再び、慌てながら不満げに叫ぶ。が、杖の男は無視して、また軽い調子で口を開ける。
「つーか、スノーホワイトなら杞憂だろうが、本当に悪い魔女の毒リンゴをうっかり食うなよ? 」
「そうですか。でも、そのときは、アルフ君がキスして目を覚ましてくれますよ」
「だから、俺はノーマルだ! 」
杖の男が肩をすくめ、イョルンが少しだけ困った顔をする。
「隠喩ぐらいわかれ、バカヤロウ」
「はぁ? 」
「そうだな。判りやすいように電気工事で例えると……俺が乗り遅れるんだ。早く、街について洒落た杖を買いたいんだよ。あとはスノーホワイトから教えて貰ってくれ」
「はぁ? 」
腑に落ちないままのアルフレッドをそのまま置き去りにして、杖の男は背筋を正し、右手を挙げて敬礼をする。独立機動部隊の二人も、敬礼をする。
「お前らにも、最後に会えて良かった。
イョルン・アンダーセン中尉、アルフレッド・カーンズ伍長」
「バーンズだ」
「世話になった」
杖の男は、敬礼をやめて、きびすを返してゆっくりと歩いていく。二人揃って、らしく無いなと思い、思わぬ行動に言葉が出ない。
その責任感だけは無さそうな背を見送りながら、アルフレッドは相変わらず不満げに、腑に落ちない顔をし、イョルンは曖昧な表情のまま見送る。
「……あの野郎、最後の最後まで、名前を間違えやがった」
「ふふ」
「笑い事じゃねーっすよ。中尉も、スノーホワイトなんて呼びやがって」
「今更、行儀良くされてもね。彼なりに、心配していると思います」
「心配? 」
あの男がそんな事をするのだろうかと疑問に思う。
「例えばですけど、コネクションを使って、パッと入ってきた年下の上官の命令って素直に聞きますか? 」
「そりゃ、ききますよ」
「例えば、長年勤めてきた人から見て、そんな出る杭は気に入るでしょうか? 」
「あー、いやー、その」
「毒リンゴってそういうことですよ」
「あー」
敵が身内にいるとは思いたくないが、バンガードといえど、クーデター時に政府側についた者達も所属しているわけなので、ある日、突然、背中を撃たれる可能性もある。その点についての忠告であるが、アルフレッドとしてはそこまで警戒する必要があるだろうと考える。年下の上官であり、経験も少ないイョルンだが、そういった策には対抗できるのではないかと小さな背中だが頼れる気もする。
「さて、僕たちも行きましょうか。急がないと」
「そうですよ。本当は昨日、出る予定ですよ」
とまたまた、アルフレッドが不満げだったが、二人の横を杖をついた男が通り過ぎようとしていた。
「間違えた。あっちだ。頼むから、まだ出るなよ。出てたらヘリで追いかけて威嚇射撃してジャックするぞバカヤロウ」
と二人を見ることもなく呟いて去っていく。
「……最後の最後で締まらないな」
「らしいじゃないですか」
杖の男の背中が見えるうちに、二人も早足で歩き出す。
去る者。
残る者。
行く者。
一つ終わり。
一つ始まる。
ホールは、行き交う軍人が絶えることもなく。
遠くからは、喧噪が絶えることはなく。
最終更新:2012年09月30日 22:16