―招待状を送ろう。そりゃもう、血管がブチキレるほどの皮肉たっぷりに送ろう―
「君は、患者に感情移入しすぎだ」
ドクター・スミルノフが、椅子に座りデスク越しにはナースのレイチェルがうつむきがちに立っていた。何か、ためらった後に、スミルノフと目を合わせ、口を開く。
「患者は切り捨てるんですか? 」
「そうは言ってないだろ。ただ、もう、手遅れだ。彼は長くない。一人一人に思い出を作って、棚に並べて大事に取っておくのか? それじゃあ、この仕事は続かない」
「まだ、可能性はあります」
「無い。院長も同意見だ」
「でも」
「話はこれで終わりだ。仕事に戻れ」
スミルノフは切り捨てるように言い放ち、デスクへと向き直る。レイチェルがその場に立ったまま自分を見ているが、無視する。
その光景が、何かで遮られるが、椅子に座った男は右手で払って、PCのディスプレイを眺めつつ、ゼリーをすくって口に入れる。ゼリーはドラゴンフルーツ味だ。PCに映っているのは、連続昼ドラマ『苦難to受難』だった。舞台は変わって、レイチェルが暗い病室で患者と話している。
それがまた、何かで遮られる。
男は、不機嫌そうに顔を上げると、上げすぎて頭しか見えなかったので、やや下方修正した。彼方此方がオイルに汚れたツナギを着た女性がいる。
「なんだ? バカヤロウ」
「なんだよじゃないよ。書類にサインしろつーの」
「後にしろよ。今、良いシーンだ」
と言って、男はゼリーを一口食べる。髪の毛と髭は無造作に伸ばされ、派手なアロハシャツとハーフパンツとラフな格好をし、スネ毛がやけに目立つ気がする。脚の横には、木で出来た杖が置かれている。色合いは古めかしいが、傷などは見えず、使い込まれてはいないようだ。
「こっちはいそがしーつーの。あんたみたいに、昼ドラを見ていられるほど暇じゃないの」
と整備工が化粧気のない頬をふくらませて、バインダーに挟まれた書類を突きつけていた。視界を遮る前に、声をかけられてはいたのだが、無視し続けた結果がこうである。当然である。
「へいへい」
男が観念して、ゼリーをPCの横に置いて、バインダーを受け取り眺め始める。整備工は、少しは気が紛れたのか、PCを眺める。
「見たこと無いけど、面白いの? 」
「んー? 今は、小児科に入院している、ベスとマギーとメグがスミルノフの隠し子だったんだが」
「え? 同一人物? 」
「いや、全員、マーガレットだ。愛称で呼び分けている。そこに友子も一夜だけともにした女との間に出来た子供だと発覚してな」
「なにその、ドロドロ泥沼」
「底なし沼だ。しかし、院長が何か知っていそうで怪しいんだよな」
と他愛ない会話が続くが、男は書類の最後のページを睨みながら、何ページが戻って見直し始める。
「高いな……いや、高過ぎだろバカヤロウ。おいおい、傭兵初心者相手にボッタくるのが蜥蜴重工か? 」
男が睨み付けるように整備工を見るが、特にひるむ様子もない。
「適正価格よ」
「これがか? 」
PCで広げられている昼ドラマのことは既に意識からも消え去り、何度見ても、変わることのない数字を睨み付ける。
「最高品質を使っているわけでもないけど、最低なパーツを使ったり、ごまかしたりしてないの。他の安い安いを売りにしているメカニックは、色々と誤魔化ししたりしているんだから」
「ふーん。一々、メンテナンス程度で悩まんといかんか。面倒くさいな」
軍に居た頃と言えば、腕の良い悪い、信用の有る無しは確かにあったし、無茶な使い方をすれば、ある整備工からはスパナが飛んできたこともあった。某コンラート・グリエフ整備隊長からである。それでも、整備費用まで気にして運用することはあまりなかった気がする。無駄弾や機体消耗を抑えることは当然のことではあり、新兵時代から鬼軍曹にこれでもかと怒鳴られているが、自分が払うわけでもないので気にしていなかった。が、一転して、ミグラントとなってみると、整備一つ、調達一つにまで気を配る必要があった。判っては居たが、正直、彼の想像以上に大変ではある。足を踏み入れたばかりなのだから、恐らく、今後は、さらに面倒なこともあるのだろう。
そもそも、かつてはACの修理や整備とは、発掘された物に発掘されたパーツを換装することだ。パーツの調達からして、本来ならば困難なことでもある。そういった点を考えると、金で済むというのはむしろ安いのかも知れない。
とは、いえ、最近は製造されたパーツが輸入されており、整備というのも昔よりは簡単にはなった。とはいえ、それなりに費用がかかるのは変わらない。
「あんたは、スパナを投げないよな? 」
「はぁ? 」
「なんでもねーよ」
ペンを手に取り、自らの機体を見上げる。軽量二脚と呼ばれる細い足に、コアもアームもシャープで細いものが付けられ、ジャンクを使いはしてないが、構成しているパーツは大半が第一世代と称されるものだ。高くはないのだと思うが、安くもないかもしれない。傭兵と戦ったことはいくらでもあるが、実際のところ、どの程度のコストで運用しているのかという点について言えば、ほとんど判らない。軍に居た頃は、ともかく、作戦成功が第一であり、コストについてはあまり気を配る必要自体が無かった。軍全体で見れば、重要なことであるが、一隊員でしかなかった彼にはあまり関係なかった。
一先ずは、自分用の機体を用意できた。気楽ではあるが、生活が楽にはならないようにも思える。
「ちょっと、サインしてよ」
「んー、おう」
バインダーに挟んであったペンを取り、サインをしようとして、一度、指先を止める。名乗る名はあるが、名乗る必要はない。本名で動けば、バンガードの一部から狙われかねない気もする。それはそれで面白いと言えば面白いし、軍に居たと言っても、居るだけであり、敵ではなかっただけのことだ。それが、敵になることもある。そもそも、素性を知られることがあまり得になることも思いつかない。戦ってきたミグラントは、人名らしきものから動物、怪物、伝承、等々、様々なコードネームで動いている。ならば、自分もそれに習っておくことを短い時間で決める。
さらさらと傭兵として活動するネームをサインして、バインダーを整備工へと突き返す。
「はいはい」
整備工が軽い調子で離れていき、男は食べかけのゼリーを手にとった。PCでは、ドラマは終わって、様々なCMが流れ出している。あそこからの展開は、あまり覚えていないが、さほど気にせずに、ゼリーを一口食べて、いざとなれば夜逃げするかと不穏なことを口にした。
「ちゃんと払ってよー。払わないと怖い人たちがピンポーンってやってくるんだから」
「マジかよ」
彼の不穏な独り言を聞きつけたのか、整備工が振り返って言い放ち、去っていく。確かに忙しそうではある。というか、ガレージを見渡せば、傭兵らしきパイロット達と職員や整備工と忙しそうにしている。緑色の髪のパイロットが蒼い髪で事務員らしき制服を着た女性と随分と騒がしそうに話をしているし、ACではなく見慣れないホバー式車両が置かれた場所では、カウボーイなのか爆撃機搭乗員なのかよくわからない格好をした男が整備工とエンジンを見ながら話している。入り口近くの、彼からは離れた場所では、レーザーブレードばかりを付けた機体が見えるが、そこでは何故か、何かのパイロットらしき男性がドラム缶に向かって身振り手振りを交えて話しているように思える。遠目だが随分と楽しそうだ。時折、親指を立ててグッジョブと言っているように見える。ドラム缶に話しかけるとは、上物の薬物を決めたのか、一人芝居なのか、頭がバカヤロウなのかは知らないが、視界から外して真上を見る。ガレージの天井が見えるだけだが、これではのんびりしすぎなのだろうかと思う。軍に居た頃は、何でも便利屋の独立機動部隊ということもあって、寝る間もないほど仕事には恵まれていたし、彼自身、基本的には暇をもてあますのは嫌う性質だ。
どうやら、長い入院生活で、働くというときの慌ただしさというものが抜けているようにも思える。明日も知れない傭兵となったからには、仕事一つも決まっていないのにドラマを見ている余裕など無かったかもしれない。とりあえず、整備の費用を払わなければならないが、払う当ては無い。全くもって、ゼリーを食べながらドラマを見ている暇ではない。
夜逃げする算段は、諦めておき、まずは仕事を探そうと、PCをOVAの依頼サイトへと繋げる。依頼主と仕事の難易度がFからSで示されている。単なる輸送車両の護衛から、廃品の回収、基地への襲撃、等々、ランクに応じて相応の報酬が示されている。知名度も何も無い傭兵では、受諾したいと言っても取り合ってももらえないかも知れない。そうなると廃品の回収が目に付く。単に、戦闘終了後の戦場から使えそうなものを拾ってきて、それに応じて報酬がもらえるというものだ。今の自分が受けられる仕事なんて、こんな物しかないらしい。
「今更、廃品回収なんて出来るかよ」
食べ終えたゼリーをPCの横に置き、つまらなそうに言う。そんな仕事を、戦闘後の領域で、わざわざACを使ってまでする必要があるのかと疑問に思う。
他の依頼を見れば、かつての古巣、そう、すでにかつてとなった古巣であるバンガードへの襲撃ミッションが見えて、ランクも低い物だから受けられそうだが、なんとなく見なかったことにして、他の依頼を見ていく。MTや車両程度が相手の依頼ならばいくらでもあるが、どれも安い。中には好条件のものもあるが、条件が良すぎて怪しく見える。受けても問題がないのかラッキーなのかは、今の彼には判断ができない。最高戦力と呼ばれるACを駆るにしても、現実は、安く怪しい依頼ばかりしか目に付かない。所詮は、世の中はこんなものらしい。
「手頃な仕事ってないもんだな」
今更ながら、仕事すら自分で探さなければならないことに不機嫌そうに鼻から息を吐く。正規兵と傭兵の違いなど、さほどあるとは思っていなかった。どのみち、やることは同じだと思っていたが、傭兵になってから予想外が随分と多い。
今更、軍に戻るというのも無いだろう。やめていくことで、複数名の軍人達がお祝いパーティーを開いたと風の噂で聞いている。一切、歓迎などされないことは判る。新兵の時から厄介者扱いされていたのだから。
そんなに嬉しいなら、いっそのことタキシードでも着て、パーティーに突撃してやろうかと思った程だ。もう軍人ではなく、ただの不審者として問答無用で射殺されそうなので実行しなかったが。代わりに、今まで散々ため込んで脅迫に使ってきた弱みを暴露するメッセージビデオをパーティーと参加者の上官達に送っただけだ。少しだけ後の話であるが、バンガードでは少々大きな人事異動が起こる。彼には知るよしもないが。
「新人か? 」
「ん? 」
PCから目線を挙げると、一人の男がいた。誰か居る気配を判っていたし、またあの整備工か何かだろうかと思って一瞬だけ見て関係なさそうだと思い、ディスプレイに目線を戻したが、どうやら用があったようだ。
目の前の男は、短いマントを羽織り、カウボーイでもかぶっていそうなハットには赤い羽根が付いている。腰にはホルスターに入った拳銃が見える。濃いサングラス越しには眼は見えないが、笑ってもないし、怒ってもいない、無表情だ。声も態度も落ち着いている。年齢は少し上に見えるが、落ち着いた雰囲気からさらに年上にも思えた。
「そうだ」
「どの仕事を受けるか悩んでいるようだが、俺の僚機として来るか? 難易度も報酬も低いが、新人にはちょうど良いものだ」
「ふむ」
短く言い、小さく頷く。目の前の男が信用できるかどうかは知らないが、このままPC越しに仕事を受けるよりは幾分かは良いようにも思える。話を聞いてみるだけも良いだろう。だが、その前に。
杖の男は、真新しい木の杖を掴んで、勢いを付けて立ち上がると、目の前の男を見据えて口を開く。
「俺は、人生も根性も思考も
ジグザグに折れ曲がっているって呼ばれて、10分ほど前からジグザグと名乗っている。あんたは? 」
「傭兵としては、
フェザーキッドと名乗っている」
互いの名を明らかに。
行く末は何も見えないまま。
次回予告
診察を受けに来た菊子は、スミルノフの叔母であるメアリーの娘であることが発覚する。初恋と十代のビタースイートサマーの思い出に浸る余韻もないまま、メアリーに屋上に呼び出されたスミルノフは、菊子が自分との子供だと告白される。一方その頃、レイチェルは同僚のロビンに連れられてバーで飲んでいたが、ロビンからの結婚を前提とした付き合いを申し込まれたとたんに倒れ、意識不明のまま運ばれてしまう。
病に伏し、レイチェルに対して献身的に治療をするスミルノフの姿を見て、メアリーは、既に自分への想いが無くなっていると感づくのだが。
第八話 レイチェル死す
最終更新:2012年09月30日 22:25