(『倫理とは何か―猫のアインジヒトの挑戦』(永井均)を参考にまとめた)
定義
自己欺瞞とは、自分自身を欺きだます、つまり自分自身に嘘をついていると考えること。
無限後退
自己欺瞞の問題はきわめて恐ろしい側面をもつ。自分の考えたことが、一度自己欺瞞であると考えれば、その考えそのものさえも自己欺瞞となりうる。そしてその考えさえも……と無限に続いていく。
これを図にすると次のようになる。
自分の考え
↑その考えは自己欺瞞だ! と考える
↑その考えも自己欺瞞だ! と考える
↑その考えも……
「内面の法廷」において
例えばある人が一度だけ不正なことをすれば世の中全体の悪事がすごく減るとする。そのとき、人々は皆その人の行為を道徳的に悪いことだとみなす中、誰にも分かってもらえないが、実はそのことでとても善いことをしている、という状況になる。その場合、人にどう思われようと、自分が信じる本当に善いことをするか、それともみんなに善いと思われていることをしてお茶を濁すかが、問題となる。
このとき、一般的に善いとされていることではなく、その状況で本当に善い結果を引き起こせることをするのが「道徳的に善い」ことであると考える。そのとき、その考えの見通しは甘くはないか、独りよがりの判断ではないか、という可能性は捨てきれない。しかしそういった疑念があることを口実にして、自分が善いとみなすことではなく一般的に善いとされることをした場合、本当はただ勇気がなかっただけでも、自分ではむしろより深く考えてより善い行動をとったと思いがちだ。だが、その逆の決断をしたときもそれは同じである。つまり自分が一度だけ不正なことをすればこれから起こるはずの悪いことを起こらなくさせることができる、というその信念自体が、じつはその不正なことをしたいために生じた自己欺瞞的な信念かもしれない。
自分の自己欺瞞に気づいたとき、その気づいたということ自体が自己欺瞞かもしれない、と考えることで、この思考は無限後退を始める。そのために、自分の中で不正なことをするかどうかを判別する「内面の法廷」は泥沼化する。
最終更新:2011年07月16日 04:06