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「土俵をまちがえた人」(1)

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「土俵をまちがえた人」(太田良博・沖縄タイムス)(1)


手榴弾への疑問

曽野綾子さんの「お答え」を呼んで、一面、非常に満足している。渡嘉敷島の赤松問題については、だいたい白黒がはっきりしたと思うからである。というのは、私が出した、いちばん重要な問題――手榴弾が、なぜ、住民に渡されたか、同一行動(降伏勧告、逃亡)について、住民は殺され、兵隊は見逃されている事実――に関しては、なんの回答もないからである。この論争は、これでケリがついたようなものだ。他の面では、曽野さんの「お答え」には、がっかりした。もっと期待していたが、その調子が低いのには拍子抜けである。曽野さんの「お答え」にたいする答えは、あと回しにする。

まず、根本的な問題、手榴弾が住民に渡されたこと、その他について補足説明、または言及しておきたい。

▼弾薬類は兵隊の手にかんたんに渡るものではない。昭和十一年の二・二六事件で、兵は夜間演習と称して出動させることができるが、叛乱将校たちにとって最後の難問は、兵器庫の銃弾をどうして持ち出すかということだった。兵器は、中佐、少佐を長とする将校・下士官で構成される兵器委員の管理下にある。ふつう兵器庫の鍵は、兵器委員の下士官が所持している。通常の手段では、兵器委員や連隊長に企画がもれる。結局、二・二六事件の場合は、叛乱軍の少尉ほか数名が、兵器委員の下士官に暴行を加えて鍵をうばった。鍵を奪われた兵器係軍曹は、その直後、責任を感じて自決している。

作戦中は、武器弾薬の処置はさらにうるさい。手榴弾などが住民の手にかんたんに渡るはずがない。赤松隊の隊員たちは、軍律がきびしかったように言っているから、なおさらのこと、武器弾薬の管理も厳格でなければならなかったはずだ。そういう状況を考えると、大量の手榴弾が住民に渡されたということは、ただ事ではないのである。また、手榴弾のようなものは、絶対に信頼できる者でなければ渡せないものである。信頼できないものに渡したら、逆に、自分らのところに投げつけられるおそれもあるからである。

ところで、赤松は住民を信頼していない。どの住民も通敵のおそれがあるとみている。たびたびの住民処刑にそれがあらわれている。それでは、信頼していない島の住民に、なぜ手榴弾を渡したかが問題である。「これで、死ね」というので渡したこと以外のことは考えられないのである。 

一種の無理心中

▼ここで、「集団自決」という言葉について説明しておきたい。『鉄の暴風』の取材当時、渡嘉敷島の人たちはこの言葉を知らなかった。彼らがその言葉を口にするのを聞いたことがなかった。それもそのはず「集団自決」という言葉は私が考えてつけたものである。島の人たちは、当時、「玉砕」「玉砕命令」「玉砕場」などと言っていた。「集団自決」という言葉が定着化した今となって、まずいことをしたと私は思っている。この言葉が、あの事件の解釈をあやまらしているのかも知れないと思うようになったからである。

「集団自決」の「自決」という言葉は、〈自分で勝手に死んだんだ〉という印象をあたえる。そこで、〈住民が自決するのを赤松大尉が命令する筋合いでもない〉という理屈も出てくる。「集団自決」は、一種の「心中」または「無理心中」である。しかし「心中」は、習俗として、沖縄の社会では、なじまないものである。まれではあるが、自殺はある。サイパンで、沖縄の女たちが断崖から飛びこむ記録フィルムを見たことがあるが、あれは「心中」ではない。

壕の中で、赤子の泣き声が敵に聞こえると、わが子を殺した母親の話があるがそれも兵隊から強要されたからである。なかには、それができず、兵隊が赤子の首をしめた。そして、母親は気が変になったという話もある。「無理心中」は、しかも、渡嘉敷島であったような悲惨な方法による殺し合いは、沖縄では、外部からのぬきさしならぬ強制がなければ起こりえないものである。自発的におこなわれるものではない。 

目撃した米兵の証言

渡嘉敷島のあの事件は、じつは「玉砕」だったのだ。「玉砕」は、住民だけで、自発的にやるものではなく、また、やれるものでもない。「玉砕」は、軍が最後の一兵まで戦って死ぬことである。住民だけが玉砕するということはありえない。だが、結果としては、軍(赤松隊)は「玉砕」しなかった。PW(捕虜)になって生還した。軍もいっしょに玉砕するからと手りゅう弾を渡されたと思われる。いま、沖縄タイムスに連載されている米軍記録「沖縄戦日誌」の去る一月二十日の記事によると、あの住民玉砕の現場を目撃した米兵の証言がのっている。現場には日本兵が何人かいたようで、米兵は、その日本兵から射撃をうけている。

どうも、あの玉砕は、軍が強要したにおいがある。資料の発見者で翻訳者の上原正稔氏は、近く渡米して、目撃者をさがすそうである。目撃者の生存をたしかめているらしく、「さがせますか」ときくと、「そんなことわけはないですよ」という返辞だった。