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準備書面(3)1/3

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被控訴人準備書面(3)1/3

2008年(平成20年)8月22日
(平成20年6月16日付控訴人ら「控訴理由書」に対する反論等)




第1 「控訴理由書」第1(請求の趣旨の変更)について


1 同1(変更の内容)(3頁)について


   変更後の請求の趣旨について、請求棄却を求める(第1回口頭弁論において答弁済み)。


2 同2(変更の理由)(3頁)について


(1)同(1)について

    控訴人は、原判決が隊長命令の真実性を肯定しなかったから、本件各書籍の出版等は違法ということになると主張するが、原判決は隊長命令について真実相当性を認め、本件各書籍の出版は不法行為に該当しないとしており、控訴人の主張が誤りであることは明らかである。

(2)同(2)及び(3)について

    控訴人は、平成19年12月26日に発表された教科書検定についての文部科学省の立場及び原判決が隊長命令の真実性を肯定しなかったことを理由に、本件各書籍の販売継続の違法性がより高度なものになったなどと主張する。

    しかし、文部科学省は、後記第3、2(7頁以下)記載のとおり、本件訴えの提起及び控訴人梅澤の陳述書などによって隊長命令があったとする従来の通説が覆されたとして行った平成19年3月30日発表の教科書検定を事実上撤回し、「日本軍によって『集団自決』に追い込まれたり、スパイ容疑で虐殺された一般住民もあった」「日本軍は、住民に対して米軍への恐怖心をあおり、米軍の捕虜となることを許さないなどと指導したうえ、手榴弾を住民にくばるなどした。このような強制的な状況のもとで、住民は、集団自決と殺し合いに追い込まれた」などの記述を認める立場に戻ったものである(乙103琉球新報記事)。また、原判決は、控訴人梅澤の供述を信用できないと判示し、本件各書籍の出版継続は不法行為とはならないとしたものである。

    したがって、控訴人の上記主張が失当であることは明らかである。


第2 同第2(原判決の最高裁判例解釈上の問題)について


1 同1(真実相当性の法的性質にかかる誤り)(6頁)について


(1)
控訴人は、原判決が同一の証拠資料に基づき、一方では真実性を否定し、他方で真実相当性を肯認しているということは、真実相当性をもって真実性の証明の程度の緩和と捉えていることであり、これは最高裁判例が真実性の証明を違法性阻却事由とし、真実相当性を故意又は過失を否定する責任阻却事由として位置付けていることに違背する、と主張する。

    しかし、最高裁昭和41年6月23日判決(民集20巻5号1118頁)が、「民事上の不法行為たる名誉毀損については、その行為が公共の利害に関する事実に係りもっぱら公益を図る目的に出た場合には、摘示された事実が真実であることが証明されたときは、右行為には違法性がなく、不法行為は成立しないものと解するのが相当であり、もし、右事実が真実であることが証明されなくても、その行為者においてその事実を真実と信ずるについて相当の理由があるときには、右行為には故意もしくは過失がなく、結局、不法行為は成立しないものと解するのが相当である」と判示していることについて、伊藤眞教授は、「摘示事実についての真実性の証明は、違法性阻却のための立証であり、他方、真実と信じることについての相当の理由の存在は、主観的要件たる故意または過失の成立を阻却するための立証であり、それぞれの要証事実は異なるから、この判例が真実性の証明についての証明度を軽減したものということはできない。しかし、2つの抗弁を主張する被告の立場からみれば、真実性自体を高度の蓋然性をもって証明できない場合であっても、それが優越的蓋然性の程度に達していれば、その立証が『真実と信じることについての相当の理由』の証明にあたるものとして、損害賠償責任を免れることが考えられるから、結果としては、証明度の軽減と同様の効果が生じうる」と説明している(伊藤眞「証明度(1)ルンバール事件」「ジュリスト増刊『判例から学ぶ』事実認定」所収)。このように、同一の証拠によって、真実性自体を高度の蓋然性をもって証明できない場合であっても、それが優越的蓋然性の程度に達して真実相当性の証明ありとされることがあるのは当然のことである。

    原判決は、原告梅澤及び赤松大尉が座間味島及び渡嘉敷島の住民に対し自決命令を発したことを直ちに真実と断定できないとしても、この事実については合理的資料又は根拠があると評価できるから、本件各書籍の各発行時及び本訴口頭弁論終結時において、被告らが真実と信じるについて相当の理由があったものと認められると判断したもので、最高裁判例が真実性の証明を違法性阻却事由とし、真実相当性を責任阻却事由として位置付けていることに何ら違背していない。

(2)
また控訴人は、「最高裁が真実性の証明ある場合だけではなく、真実であると誤信したことに相当な理由ある場合も故意又は過失が否定されることとして免責しているのは、行為時において把握し、或いは把握しえた資料・情報に基づき、真実であると正当に信じた者を、その後表れた資料・情報によって真実でないことが判明した場合であっても、正当な表現行為として保護せんとの趣旨であると解される」などとも主張する。

    行為後に現れた資料・情報によって真実でないことが判明した場合であっても、行為時に真実相当性が認められることは、当然であるが(いわば誤信したことに相当性がある)、前記のとおり、同一の証拠によって真実であるとまでは認められないが、真実相当性は認められるという認定がありうるのも当然のことである。

(3)
控訴人は、団藤博士の「刑法綱要各論第三版」を引用しているが、引用部分から、控訴人が主張するように「同一の資料をもって真実性と真実相当性の判断が分かれることがありえない」などとは全くいえない。

(4)
さらに控訴人は、最高裁平成11年10月26日判決(民集53巻7号1313頁)を引用して、「真実と報道された事実と同一性のない事実については真実の相当性の根拠とすることができない」などと主張するが、同判決は、刑事第一審判決において認定された事実について、行為者が判決を資料として認定事実と同一性のある事実を真実と信じて摘示した場合、特段の事情がない限り、真実と信ずべき相当の理由がある、と判示しているだけであって、「真実と認定された事実と同一性のない事実については、真実相当性の根拠とすることができない」などとは全く述べていない。


2 同2(出版差止めの要件にかかる誤り)(12頁)について


(1)
控訴人は、北方ジャーナル事件最高裁判決は、「事後的制裁としての差止請求の要件については、『名誉を違法に侵害された』ことをもって足りるとされているのであり、『真実性』の要件について損害賠償の場合よりも、訴訟上の責任を加重されていると読み取ることはできない」と主張するが、被控訴人準備書面(4)で詳述するとおり、出版行為がすでに行なわれている場合であっても、差止請求は事後的制裁ではなく、将来にわたり出版を禁止し、公共的事項に関する事実や評価が人々に伝わることを妨げるという点においては、出版開始前の差止請求と同様、民主主義社会の基礎を崩壊させる危険のある事前抑制であることにかわりはなく、差止めが認められるには、北方ジャーナル事件判決と同じ、①表現内容が真実でないことが明白であるか、または専ら公益を図る目的のものでないことが明白であること、②被害者が重大にして著しく回復困難な損害を被る虞れがあること、の2要件が必要と解すべきである。

(2)
また控訴人は「北方ジャーナル事件最高裁判例は、たとえ『真実相当性』が認められるものであっても、客観的に『真実性』を欠いていることが認められる表現については、将来における予防的救済措置としての事前の差止めを許容する場合があるという態度を取っているのである」などと主張するが、前記のとおり、同判決は差止めが認められるには「表現内容が真実でないことが明白であること」を要件としており、「真実相当性」が認められる場合に同要件が満たされるなどということはありえず、控訴人の主張は誤りである。

    さらに控訴人は「仮処分決定ないし判決(口頭弁論終結)時において『真実性』が認められないとの判断によって違法性が宣告された表現については、その宣告直後から『真実相当性』を認めて故意・過失を阻却する余地がない」などとも主張するが、同主張は、「同一の資料を基に『真実性』と『真実相当性』の判断が分かれることは理論的にありえない」という誤った見解に基づくものであり、同主張もまた誤りであることは明らかである。

(3)
なお控訴人は、「本件各書籍の出版等が、控訴人らの名誉等の人格権を侵害するものであり、控訴人らがこれによって重大な損害を被っていることは原判決が認定しているとおりである」と主張するが、原判決は、控訴人らが重大な損害を被っているなどとは認定していない。


第3 同第3(真実相当性に関する事実認定上の問題点)について


1 同1(概観)(18頁)について


   控訴人は、原判決の証拠評価と事実認定は全く恣意的なものである、真実相当性の認定につき厳格性を要求する最高裁判例の立場に違背している、などと主張するが、以下に述べるとおり、原判決の証拠評価と事実認定は正当であり、最高裁判例の立場に違背しているなどということも全くない。

2 同2(「文科省の立場等」なるものの認定について)(18頁)について


(1)
控訴人は、原判決が「少なくとも平成17年度の教科書検定までは、高校の教科書にまで日本軍によって集団自決に追い込まれた住民がいたと記載され、布村審議官は座間味島及び渡嘉敷島の集団自決について、日本軍の隊長が住民に対し自決命令を出したとするのが通説であった旨発言していた」と認定したこと(原判決205頁、208頁)について、「従来の通説であった《隊長命令説》は、平成18年度検定当時(平成19年3月31日)、既に覆っていた」とし、布村審議官、銭谷局長の発言により、文科省が、平成12、13、14年の資料から、「既に『従来の通説』が変更されていることを十分に認識していた」などと主張する。

    原判決は、前記のとおり、平成17年度の教科書検定まで日本軍によって集団自決に追い込まれた住民がいたと記載され、布村審議官が、日本軍の隊長が住民に対し自決命令を出したとするのが通説であった旨発言していた、と認定しているのであり、控訴人の主張は、同認定についての何の反論にもなっていない。ただこの点は措くとしても、控訴人の主張は誤っている。

    まず平成18年度教科書検定の経緯は、原判決が認定するとおり、「文部科学省は、平成17年度教科書検定においては、沖縄戦の集団自決に関する記述について検定意見を付さなかったが、平成19年3月30日、平成18年度教科書検定において、7冊の申請教科書に対し、沖縄戦の集団自決に関する記述について、日本軍による自決命令や強要が通説となっているが、近年の状況を踏まえると命令があったか明らかではない旨の検定意見を付した」(原判決198頁)というものである。そして同検定意見が問題となって以降、原判決が198頁以下に認定している、伊吹文部科学大臣、布村審議官、銭谷局長の具体的発言は次のとおりである。

ア 平成19年4月11日衆議院文部科学委員会の銭谷局長の発言

「従来、この集団自決が、日本軍の隊長が住民に対して集団自決命令を出したとされて、これが通説として取り扱われてきたわけでございますけれども、この通説について、当時の関係者からいろいろな証言、意見が出ているという状況を踏まえまして、今回の教科用図書検定調査審議会の意見は、現時点では軍の命令の有無についてはいずれとも断定できないという趣旨で付されたものと受けとめておりまして、日本軍の関与等を否定するものではないというふうに考えております」(乙94・23頁)

「沖縄戦につきまして、最近の著書等におきまして、軍の命令の有無が明確ではないというような記述でございますとか、あるいは、当時の関係者が訴訟を提起しているといったような状況がございまして、現時点では軍の命令の有無についてはいずれとも断定できないということから、教科用図書検定調査審議会ではそのような意見を付したものでございます」(乙94・24頁)

イ 同委員会の伊吹文部科学大臣の発言

「私は、日本軍の強制があった部分はあるかもわからない、それは当然あったかもわからないと思います。しかし、今回言っているのは、なかったとは言ってないんですよ。日本軍の強制がなかったという記述を書けということは言ってないんです」(乙94・25頁)

ウ 平成19年4月24日決算行政監視委員会第一分科会の布村審議官の発言

「従来は、沖縄戦における渡嘉敷島あるいは座間味島での集団自決につきましては、日本軍の隊長が住民に対しまして集団自決命令を出したとされ、それが通説として扱われてきたというふうに認識されているものと承知しております」(乙95・9頁)

エ 平成19年4月25日教育再生特別委員会の銭谷局長の発言

「従来、沖縄戦における渡嘉敷島及び座間味島での集団自決につきましては、その島の日本軍の隊長が住民に対し集団自決命令を出したとされ、これが通説として扱われてきたということでございます。この点について現在さまざまな議論があるということでございます。

たとえば、近年、当時の関係者等からこの隊長の命令を否定する証言等が出てきているといったようなことがあるようでございます。また、沖縄戦に関する研究者の近年の著作等におきまして、軍のこの隊長命令の有無というのは明確ではないというような著作もあると承知を致しております。さらに、平成十七年八月に、従来の通説におきまして集団自決の命令を出したとされてきた元隊長等から訴訟が提起されたというふうにも承知をいたしております。

これらを契機といたしまして、教科用図書検定調査審議会におきまして、改めて専門的な調査審議を重ねた結果、検定意見を付すことが適当と判断をされたものと理解をいたしております」(乙96・10頁)

これらの発言、特に平成17年8月の本件訴訟の提起を考慮しているという事実からしても、平成17年度検定の段階まで文科省が、隊長が自決命令を出したとするのが通説である、と認識していたことは明らかである。

(2)
控訴人は、銭谷局長が、平成19年4月11日衆議院文部科学委員会で、沖縄戦における集団自決にかかわる著作として「平成12年、あるいは13年、14年といった年に発行されたものもある」(乙94・25頁)と発言した資料は、宮城晴美著「母の遺したもの」(甲B5)、林博史著「沖縄戦と民衆」(甲B7)のことであり、「銭谷局長の発言から文科省の立場をみると、発言のあった平成19年4月当時はもちろん、『母の遺したもの』『沖縄戦と民衆』等が発行された後の平成14年頃には、既に《隊長命令説》は通説とはいえない状況にあったことが分かる」などと主張する。

    しかし、後記第3、5(1)記載のとおり、「母の遺したもの」の内容は、昭和20年3月25日に宮城初枝が控訴人梅澤に会いに行った際は、自決命令をしていない、というもので、控訴人梅澤が自決命令を出していないとしているものではない。原審において、宮城晴美は、初枝の手記が梅澤隊長の自決命令を否定することにはならないと証言し、座間味島の集団自決は軍の命令によるものであると明確に証言している(宮城証人調書15~23頁)。さらに、宮城晴美は、原審口頭弁論終結後の2008年1月に、「沖縄・座間味島『集団自決』の新しい事実」との副題を付して、「新版 母の遺したもの」(乙104)を出版し、生き残りの住民の新たな証言などをもとに、集団自決が軍の命令によるものであることを詳しく論証している。

    また「沖縄戦と民衆」には、渡嘉敷島については、「3月20日、村の兵事主任を通じて非常呼集がかけられ、役場の職員と17歳以下の青年あわせて20数人が集められた。ここで兵器軍曹が手榴弾を2個ずつ配り、いざというときはこれで『自決』するように指示した」「軍による事前の徹底した宣伝によって死を当然と考えさせられていたこと、軍が手榴弾を事前に与え、『自決』を命じていたこと、島民を1か所に集めその犠牲を大きくしたこと、防衛隊員が手榴弾の使い方を教え、『自決』を主導したこと、島民が『自決』を決意したきっかけが『軍命令』だったこと、日本軍による住民虐殺にみられるように投降を許さない体質があったことなどが指摘できる」との記述があり(甲B37・160、161頁)、座間味島についても、「25日宮平初子さんらいく人かの島民に日本兵から『明日は上陸だから民間人を生かしておくわけにはいかない。いざとなったらこれで死になさい』などといって手榴弾が配られている」との記述がある(同162頁)。すなわち、林博史教授は、「集団自決」が日本軍の指示・命令によるものであるとの認識に到達していたもので、「集団自決」が現地の日本軍の最高責任者である赤松隊長、梅澤隊長の意思に基づくものであることを否定していない。

    したがって、上記のような内容の「母の遺したもの」「沖縄戦と民衆」が発行されたことによって、平成14年頃には、すでに《隊長命令説》が通説とはいえない状況にあったなどとは到底いえず、文科省が「既に『従来の通説』が変更されていることを十分に認識していた」などということもない。

(3)
控訴人はまた、平成19年12月26日に公表された教科用図書検定審議会日本史小委員会の「基本的とらえ方」を根拠として、原判決が真実相当性を認めたことを論難するようである。

     しかし、前記のとおり、文部科学省は、平成19年3月30日発表の平成18年度教科書の検定結果では、本件訴訟における梅澤元隊長の意見陳述などを理由に、「日本軍によって…自決に追い込まれた」「日本軍に集団自決を強制された人もいた」などの教科書の記述について、「日本軍の関与」を示す部分を削除するように修正させたが(乙75の1、2琉球新報記事ほか)、その無謀な措置に対する世論の厳しい批判を受け(乙75~93新聞記事)、その立場を改め、同年12月、出版社からの訂正申請に対し、「日本軍によって『集団自決』においこまれたり、スパイ容疑で虐殺された一般住民もあった」(東京書籍)、「日本軍により、戦闘の妨げになるなどの理由で県民が集団自決に追いやられたり、幼児を殺されたり、スパイ容疑をかけられるなどして殺害されたりする事件が多発した」(実教出版)、「日本軍は、住民に対して米軍への恐怖心をあおり、米軍の捕虜となることを許さないなどと指導したうえ、手榴弾を住民にくばるなどした。このような強制的な状況のもとで、住民は、集団自決と殺し合いに追い込まれた」(実教出版)などの記述を認めるに至った(乙103琉球新報記事)。すなわち、文部科学省は、平成18年度教科書検定の最終結論では、平成17年度検定の立場に戻ったものである。

     教科用図書検定審議会日本史小委員会の「基本的とらえ方」は、「集団自決は、太平洋戦争末期の沖縄において、住民が戦闘に巻き込まれるという異常な状況の中で起こったものであり、その背景には、当時の教育・訓練や感情の植え付けなど複雑なものがある。また、集団自決が起こった状況を作り出した要因にも様々なものがあると考えられる。18年度検定で許容された記述に示される、軍による手榴弾の配布や壕からの追い出しなど、軍の関与はその主要なものととらえることができる。一方、それぞれの集団自決が、住民に対する直接的な軍の命令により行われたことを示す根拠は、現時点では確認できていない。他方で、住民の側から見れば、当時の様々な背景要因によって自決せざるを得ないような状況に追い込まれたとも考えられる」(甲104・8頁)としており、「直接的な軍の命令」を示す根拠は現時点では確認できないとしているだけで、軍による手榴弾の配布や壕からの追い出しなどの「軍の関与」を、集団自決の主要な要因として明確に認めている。

     (なお、控訴人は、日本史小委員会が「基本的とらえ方」を整理するにあたって意見を求めた専門委員の意見は、「赤松隊長ないし梅澤隊長から発せられた自決命令の存在を認めていないという点においては、一致している」と主張しているが、隊長命令の存在を否定しているのは、秦委員と原委員だけであり、意見を公表している他の6名の委員は隊長命令の存在を否定しているわけではない。)

     したがって、同意見は、原判決が、日本軍及び座間味島及び渡嘉敷島の隊長が集団自決に関与しており、隊長が自決命令を発したことについて合理的資料若しくは根拠があり、隊長が自決命令を発したことが真実であると信じるについて相当の理由があると認定したことの裏づけにこそなれ、同認定を覆す根拠となるものでは全くない。


3 同3(「軍の関与」から《隊長命令》を認定する誤り)(30頁)について


    控訴人は、原判決が、「座間味島及び渡嘉敷島の集団自決に日本軍が深く関わったものと認められ、座間味島の集団自決に控訴人梅澤が関与したことが十分に推認でき、渡嘉敷島の集団自決に赤松大尉が関与したことが強く推認される」とした上で、「控訴人梅澤及び赤松大尉が自決命令を発したことを直ちに真実と断定できないとしても、この事実については合理的資料若しくは根拠があると評価できるから、真実と信じるについて相当な理由がある」と判示したことについて、合理的資料や根拠といっても、せいぜい「軍の関与」や「隊長の関与」を推認する程度の証拠にすぎないと主張する。

   しかし、原判決は、「軍の関与」「隊長の関与」が認定できるというだけの理由で「隊長命令」について真実相当性があるとしたものではなく、これに加えて、高校教科書の記載、文部科学省審議官が隊長命令が通説だったとしていること、原判決引用の諸文献の存在及びその信用性、本件各書籍の著者の取材状況等から、真実相当性があると判断しているものであり、控訴人の主張は理由がない。


4 同4(《隊長命令》と援護法の適用との関係にかかる認定の誤り)(33頁)について


(1)同(1)(原判決の判示)について

   援護法の適用を受けるため隊長命令がねつ造されたとの控訴人の主張が理由のないものであることは、援護法の適用が意識される以前から慶良間列島の集団自決は隊長命令によるとされていたこと、援護法の適用対象となる戦闘参加者の要件として隊長命令は必ずしも不可欠の要件ではなく、隊長命令がなくても戦闘参加者に該当すると認定された集団自決の例があったこと(乙96教育再生特別委員会会議録17頁以下における政府答弁参照)など、原判決(159頁以下)が詳細に判示するとおりである。

(2)同(2)(命令がなくても戦闘参加者に認定されたものもあったとの点について)について

   この点について、控訴人は、命令がなくても戦闘参加者に認定されたものもがあることを認めた上で、救済のためあてはめが緩くなったからだなどと主張するが、なんら根拠のない主張である。

(3)同(3)(援護法にもとづく申請から認定までの期間が短かったとの点について)について

   控訴人は、援護法の適用を受けるために「軍命令」が座間味村、渡嘉敷村の公式見解として意図的に打ち出されたなどと主張するが、根拠のない憶測にすぎない。

   両村では、住民は、集団自決が発生した昭和20年当時(援護法が沖縄に適用された昭和28年以前)から、軍の指示・命令により集団自決が行われたと認識し、その旨証言していたものであり(乙35の1、2掲載の米軍の「慶良間列島作戦報告書」(昭和20年)、乙2「鉄の暴風」(昭和25年)、乙3「座間味戦記」(昭和28年3月以前作成と推定される―後記6(1)ウ30頁参照)、乙29「地方自治七周年記念誌」(昭和30年)など)、だからこそ、集団自決について援護法の適用を求めたのである。

   また、国は、座間味村、渡嘉敷村に事務官等を派遣し調査のうえ、両村の集団自決が隊長命令によるものであると認定し、援護法を適用し、その認定を変更することなく、現在に至るまで、給付を継続しているものである(乙96衆議院教育再生特別委員会会議録16頁以下)。

(4)同(4)(米軍の『慶良間列島作戦報告書』の評価について)について

    控訴人は、原判決が援護法の適用のため自決命令をねつ造したとはいえない根拠として米軍の「慶良間列島作戦報告書」をあげたのは誤りであると主張するが、同報告書にあるとおり、集団自決が起こった直後に、慶留間島の住民が、日本兵から自決しなさいと言われたと述べていたことは事実であり、座間味村の住民が捕らわれないために自決するよう指導(勧告)されていたと述べていたことも事実である(乙114の1、2)。自決命令が援護法適用のためにねつ造されたものでないことは明らかである。

   控訴人も梅澤隊長命令説、赤松隊長命令説が援護法以前から存在していたことを認めている(控訴理由書37頁以下)。

(5)同(5)(援護法適用が意識される以前から《隊長命令説》はあったからねつ造の必要はないとの点について)について

    控訴人は、座間味島及び渡嘉敷島では、援護法適用以前から、隊長が自決を命じたとされていたことを認めているが(37頁以下)、「誰も直接聞いた者のいない命令」であり風説に過ぎなかったなどと主張する。

    控訴人は、宮里盛秀助役が「軍の命令」ととられうるような形で自決の指示を座間味村内に伝達したとしているが、同助役ら村の幹部たちは、事前に駐留の日本軍(梅澤隊長)より、米軍が上陸した場合は住民は捕虜とならないため自決するよう命令されていたものであり(乙51宮平春子証言、当審新証言乙105垣花武一証言など)、同助役は、昭和20年3月25日夜、米軍の上陸を目前にし、激しい艦砲射撃がなされるなかで、軍の命令にしたがい、伝令の宮平恵達(役場吏員兼防衛隊員)に指示し、自決のため忠魂碑前に集まるよう住民に伝え、その結果集団自決がなされたものである。座間味島では駐留する日本軍の命令は助役兼兵事主任兼防衛隊長である宮里盛秀ら村の幹部を通じて住民に伝達されていたので、多くの住民が伝令の自決の指示を梅澤隊長の命令として受け止めたが(甲B5「母の遺したもの」及び乙104同書新版215頁、宮城晴美証人調書2~3、8、11、23~24、27頁)、誰も直接隊長から命令は聞くことはなかったものである。したがって、隊長の命令を直接聞いた住民がいないからといって、軍の命令や隊長命令がなかったことにはならない。なお、宮里盛秀助役は日本軍の正規部隊(乙34)である防衛隊の隊長であった。

    この構造は渡嘉敷島でも同様であったと考えられる。渡嘉敷島では、昭和20年3月20日に駐留する日本軍(赤松隊長)の兵器軍曹が住民に手榴弾を配り、米軍の捕虜となるおそれのあるときは手榴弾で自決するよう指示し(乙11、乙12)、同月28日には、あらかじめ日本軍(赤松隊長)から米軍の捕虜とならぬよう住民は自決するよう命令されていたと考えられる村長が、基地から来た伝令の伝言を受け、防衛隊員が配布した手榴弾で自決するよう住民に号令をかけ、集団自決が行われた(乙67、乙70)。上記の手榴弾配布は最高指揮官である赤松隊長の指示なしにありえないことであり、赤松隊長の命令を直接聞いた人がいないからといって、軍の命令や隊長命令がなかったことにはならない。

(6)同(6)(照屋昇雄が昭和20年代後半から琉球政府社会局援護課に勤務していたことは疑問との点について)について

ア 控訴人らは、原判決が「昭和20年代後半から琉球政府社会局援護課に勤務していたとする照屋昇雄に関する産経新聞や正論の記事」には「疑問がある」としたことについて、不合理な評価をしていると主張する。

  しかし、原判決は、「証拠(乙56の1及び2、57の1及び2、58並びに59)によれば、照屋昇雄は、昭和30年12月に三級民生管理職として琉球政府に採用され、中部社会福祉事務所の社会福祉主事として勤務し、昭和31年10月1日に南部福祉事務所に配置換えとなり、昭和33年2月15日に社会局福祉課に配置換えとなっていること、照屋昇雄が社会局援護課に在籍していたのは昭和33年10月であったことが認められ、これらの事実に照らすと、照屋昇雄がこれに先立ち昭和29年10月19日以降援護事務の嘱託職員となっていたことを示す証拠(甲B63ないし65)を踏まえても、昭和20年代後半から琉球政府社会局援護課に勤務していたとする照屋昇雄に関する産経新聞の記事や正論の記事(甲B35及び38)には疑問がある」(原判決163頁)と認定しており、原告ら提出の証拠等を踏まえても、照屋証言には「疑問がある」としているのであり、恣意的な証拠評価では全くなく、照屋の経歴に関して提出された証拠の検討をしていることも明らかである。

イ そもそも照屋証言とは、「照屋昇雄が昭和20年代後半から琉球政府社会局援護課において援護法に基づく弔慰金等の支給対象者の調査をした者であるとした上で、同人が渡嘉敷島での聞き取り調査について、『1週間ほど滞在し、100人以上から話を聞いた』ものの、『軍命令とする住民は一人もいなかった』と語ったとし、赤松大尉に『命令を出したことにしてほしい』と依頼して同意を得た上で、遺族たちに援護法を適用するため、軍による命令ということにし、自分たちで書類を作り、その書類を当時の厚生省に提出した」(原判決157頁)というものである。

  しかし、まず照屋が仮に甲B63のとおり、昭和29年10月19日に援護事務嘱託となったとしても、昭和30年12月に、中部社会福祉事務所の社会福祉主事となり(乙56)、援護課には属さず、その後社会局援護課に在籍したのは昭和33年10月であり(乙59)、あたかも「昭和20年代後半から」ずっと社会局援護課に勤務して、援護法に基づく手続に関与していたかのような証言は虚偽である。

ウ そして、照屋証言の内容についてであるが、元大本営船舶参謀であった馬淵新治は、復員後厚生事務官となり、昭和30年3月から昭和33年7月まで総理府事務官として日本政府沖縄南方連絡事務所に勤務し(乙37・4頁)、沖縄において援護業務に従事しており、昭和30年に赴任して以来、座間味島や渡嘉敷島を訪問し、調査していたものであるが(乙36・4~31頁)、戦闘協力者(戦闘参加者)として住民を援護法の適用対象とすることについて、「今年(引用者注;昭和32年)は沖縄戦の13周年忌を迎えることになった為、これが早急の処理が強く叫ばれ、近く厚生省から担当事務官3名が長期に亘って現地に派遣せられる段階となった。この所謂戦斗協力なるものの実態調査によって、国内戦の一様相が想察せられると思われるので、以下現在迄に調査した主要事項について述べることとする」(乙36・41頁)としたうえで、「戦闘協力者」(戦闘参加者)に該当するものとして、「慶良間群島の集団自決 軍によって作戦遂行を理由に自決を強要されたとする本事例は、特殊の[ケース]であるが、沖縄における離島の悲劇である。 自決者 座間味村155名 渡嘉敷村103名」を挙げている(乙36・43頁)。また、馬淵は、「慶良間群島の渡嘉敷村(住民自決数329名)座間味村(住民自決数284名)の集団自決につきましては、今も島民の悲嘆の対象となり強く当時の部隊長に対する反感が秘められております」と述べている(乙37・4-31頁)。すなわち馬淵の調査に、両島の住民は部隊長から自決命令があったと証言していたもので、日本政府(沖縄南方連絡事務所)も当初から、座間味村及び渡嘉敷村の集団自決は日本軍の部隊長の命令によるものと認定し、戦闘協力者(戦闘参加者)として援護法の対象としようとしていたものであることが明らかである。

  渡嘉敷島において自決命令があったとする住民の証言は多数存在し(乙11・279頁~287頁、乙9・768頁~769頁)、昭和31年に琉球政府援護課に奉職し慶良間諸島の状況を調査した金城見好も、「『集団自決』が軍によって命令されたことや、住民の苦悩などが当時伝わっていた。援護業務開始に当たって、『集団自決』で悲惨な体験をしたこと、最初に地上戦が始まった慶良間諸島を特別に調査した」「調査を行った人々から、われわれにも(軍命があったことを)聞かされた」と証言しており(乙47の2)、慶良間列島における住民に対する調査で、住民が軍による自決命令があったと証言していたことは明らかである。

  したがって、渡嘉敷島における住民に対する調査において、「軍命令とする住民は一人もいなかった」とする照屋証言は到底信用できない。

エ さらに、原判決が認定するとおり、「本訴の被告ら代理人である近藤卓史弁護士は、平成18年12月27日付け行政文書開示請求書により、厚生労働大臣に、前記産経新聞に掲載された『沖縄県渡嘉敷村の集団自決について、戦傷病者戦没者遺族等援護法を適用するために、照屋昇雄氏らが作成して厚生省に提出したとする故赤松嘉次元大尉が自決を命じたとする書類』の開示を求めたが、厚生労働大臣は、平成19年1月24日付け行政文書不開示決定通知書で『開示請求に係る文書はこれを保有していないため不開示とした。』との理由で、当該文書の不開示の通知をしたことが認められる」(原判決164頁)のであり、「赤松大尉に『命令を出したことにしてほしい』と依頼して同意を得た上で、遺族たちに援護法を適用するため、軍による命令ということにし、自分たちで書類を作り、その書類を当時の厚生省に提出した」との照屋証言には全く信用性がない。

  なお、控訴人は、約50年も前の申請書類は、保存期間経過による廃棄などにより保有されていないことは十二分にあり得るなどと主張するが、援護法による給付は現在も続けられており、申請書類等は保存されているものである。それにもかかわらず照屋昇雄らが提出したとする故赤松嘉次元大尉が自決を命じたとする書類は不存在とされているものである。

  また、甲B107「正論」記事で、石川水穂産経新聞論説委員は、産経新聞は記事を掲載する前に厚労省担当者に会い当該文書が保管されていないことを確認し、その際「沖縄県が本土復帰した際、沖縄県側に渡されたようだ」と説明があったと記載しているが、産経新聞は存在が確認できない文書を存在するかのように報道したことになる。また、厚労省の担当者が30数年も前の沖縄の本土復帰の際に沖縄県側に渡されたようだなどと説明することは考えられないことである。

オ なお、照屋は、国旗国家推進沖縄県民会議の役員として活動している者である(乙115陳情書)。

カ 以上の点から、照屋証言を疑問とする原判決の認定は正当である。


(以下、準備書面(3)2/3


(7)同(7)(宮村幸延の『証言』書面及び梅澤陳述書の評価について)について
(8)同(8)(『母の遺したもの』が示す援護用適用のための《梅澤命令説》作出)について

5 同5(集団自決にかかる証拠評価の誤り(その1)―座間味島・渡嘉敷島共通部分―)について

6 同6(集団自決にかかる証拠評価の誤り(その2)―座間味島―)について


(以下、準備書面(3)3/3


7 同7(集団自決にかかる証拠評価の誤り(その3)―渡嘉敷島―)について

第4 同第4(宮平秀幸証言)について

第5 同第5(『沖縄ノート』による人格非難について)について

1 同1(原判決の判示)について

2 同2(究極の故人攻撃)について






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