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ヒューゲッセン事件

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ヒューゲッセン事件


駐中イギリス大使ヒューゲッセンが乗った自動車が日本海軍機によって銃撃された事件

  • 【参考】盧溝橋事件当時、外務省の東亜局長であった石射猪太郎の日記(伊藤隆ほか編、『石射猪太郎』、中央公論社)リアルタイムの視点

8月26日
(…)
○夕方急用もないので割合に早く帰宅したら役所から電話、英大使ヒューゲッセン、南京より上海に向ふ途中常熟、大倉間で日本飛行機に空襲され負傷と。
又役所に行き所要の電信を発し、帰宅せるは午後二時、悪い事をした時は早くあやまるが好い。

8月27日
○英大使をやつたのが我飛行機とすれば文句を抜きにしてあやまるのが悪声を少しでも払拭する所以なる事を豊田軍務局長に話す。同感なりと云ふ。然るに情報の早きを以てほこる海軍に終日上海より確報来らず。少し怪しい。現場に居るとヒキョウになるのが陸海の常だ。

8月28日
○英大使を我飛行機がやったかやらぬかまだ海軍ではワカラヌと云ふ。
○英皇帝へ御親電を発せらるる議あり、宮内省より外務省へ非公式に意見を求め来る。広田は其Yes Noを海軍に云わせんとする。
実に責任回避の天才である。
斯う云ふ聡明な人ばかり輩出したので日本の危機が来たのだと思ふ。
(…)

9月2日
○現地海軍より英大使の自動車を撃った飛行機なしと報告来る。天下の物笑いである。
海軍もこんな事になるとダラシが無い。
○暴支膺懲国民大会、芝公園にあり。
アベコベの世の中である。

○米国の一新聞の云わく、日本は何の為に戦争をして居るのか自分でも判らないであろうと。
其の通り、外字新聞を見ねば日本の姿がワカラヌ時代だ。

  • 【参考】天下の物笑いどころか! 度を越したる妄言 松井大将陣中日誌(偕行社「南京戦史資料集2より」)
◇八月三十日(杉山陸相に私的意見具申)
・・・・
 数日前在南京英国大使ヒューゲッセン氏は 陸軍武官と共に自動車に依り南京上海道を上海に来る途中 某飛行機上より機関銃射撃を受け重傷を負へり こは多分我海軍飛行機の射撃に依るものらしきも 昨日支那軍飛行機も機体に赤丸の印を附し我飛行機に模する事実あり果して日支何れのものなるや明らかならす 殊に支那共産党は此際日本軍のみならす上海租界其の他を爆撃せし事実あり 又一昨日米商艦フーバー号は呉淞下流揚子江内に仮泊中 支那飛行機の爆撃を受け死傷者を生せし事実もあり 今後共産党派の行動に付ては端倪し難きものあり自然上記英国大使の負傷の如きも敢て之を我軍のものと断定するを得さるのみならす 仮令我軍の射撃によるものとするも 警告なく戦場内を通過する内外人か戦闘の傍杖を受くることは已むなき次第にして 我が国より敢て慌てて遺憾の意を表すへき性質のものに非す 我が政府及上海外む、海軍の態度は余りに慌て過きたる感あり
 又先日来英国軍艦に護衛せられ入港せることもあり 英国船か支那側を利すへき輸入を続行せることは事実なり 蓋し今後是等の状勢は戦時状態の永続せられ支那軍需品漸く欠乏を告くるに際し益々頻繁を加ふへく察せらる 依て予て希望せし沿岸封鎖を実行するの手段に出つこと益々必要なるを痛感す 依て此旨大使館附武官に通し重ねて之に関する意見を具申すへく慫慂す 因に海軍の行わんとする封鎖んは消極的にして第三国船に対して実攻(ママ)なし

  • ヒューゲッセン事件に対する日本海軍側の対処ついては、海軍法務部文書の研究書である「日中開戦」北博昭著 中公新書1218 が詳しい。(近日中に引用します)

  • 【参考】日中戦争=悪漢シナ鬼退治説のバイブル、『シナ大陸の真相』K・カール・カワカミ、展転社h13刊の一節(p174-175)
    これは、"Japan in China" というタイトルで、1937年ロンドンの書店から英文で出版されたものの翻訳ですが、原書の発行者等の記述はない。(奥づけにはないが、小堀圭一郎序文には「ロンドンのジョン・マレイ社」とあり)
一、中国の根本的政策

国際問題についての初心者でさえ、現在の中国での戦闘に関して日本が西洋列強諸国へ送った外交覚書は、粗野と言ってもよいほどのものであったことに気付かずにはいられぬであろう。南京の地域的爆撃についてのアメリカとイギリスの抗議に対する日本の回答、ヒュー・ナッチバル・ヒュージセン卿を負傷させたことについてイギリス外務省へ宛てた日本の覚書、日本がブリュッセルヘ宛てた九ヶ国条約会議への参加を辞退する覚書。これらは全て他の関連文書も含め、英語の表現のぎこちなさは全く別として、同じ様な調子で書かれていた。

東京の外務省がこれらの覚書を作成した時、南京政府のことを念頭に置いていたのは恐らく間違いないであろう。多分日本の外務省は、もしもロンドンやワシントンヘ謝罪に満ちた覚書を送れば、それは日本が西洋列強諸国の圧迫の前で動揺している徴としで中国に誤解されてしまう、と確信していたはずである。逆に強腰の覚書は南京政府に敬意の念を抱かせ、列強諸国でさえ日本を力ずくで彼らの前に平伏させることは出来ないと中国人に感じさせるであろう。この中国人特有の反応は日本が見落とすことの出来ないものであった。

恐らく、ブリュッセルの九ヶ国条約会議に日本が参加するのを拒否したのは、これと同じ様な考慮が働いたためであろうと思われる。皮肉なことにこの会議にはロシアも含めて十九ヶ国が出席した。日本はその時もう既に国際連盟によって「侵略者」として非難されていた。一体日本はどの顔下げておとなしくブリュッセル会議などに参加出来たというのか? そんなことをすれば、日本は列強諸国に膝を屈して甘んじて非難を受けようとしている、という印象を中国に与えていたであろう。もしもジュネーブ会議で非難に満ちた決議が採択されていなければ、日本の決断もまた異なったものになっていたかも知れない。目下のところ、もう既に日本を告発している陪審貝たちがびっしりと居並ぶ前に顔を出すのは無意味である、と日本は考えたのである。もし日本が会議に出席しても列強諸国の先入観を変えることは決して出来ず、もう既に喧しくなっている無益な論争をただ繰り返すだけであろう、と日本は考えたのである。

う~む。これって、2006年の平壌放送と同じ論理ですな。

この日本の外交(いやそれは外交の欠如であると外国の批評家は言っているのだが)は一九三七年二一ニ月一二日までは重大な障害に全く出くわさなかった。ところがこの日、数名の日本海軍のパイロットと河岸の砲台を警備していた一名の日本陸軍の将校(※1)が、南京と蕪湖の中問の揚子江上に浮かんでいたアメリカとイギリスの砲艦と商船を攻撃するという、衝撃的な失策を犯してしまったのである。これは「パネイ・レディーバード号事件」として歴史に名をとどめるような失策であった。この本の序文で筆者が述べたように、この事件は日本の名誉を永久に汚したのである。日本陸海軍当局も文官当局も直ちにこの失策の重大さを認め、時を移さず陳謝した。実際、外国の新聞社が皮肉たっぷりに報道したところによれば、事件発生後一二時間以内に日本は二〇回もの謝罪をしているのである。このことが蒋介石と彼の副官たちにどれほど大きな満足感を与えたか、容易に想像出来るであろう。明らかに彼らは袖で顔を隠して心底笑ったに違いない。にもかかわらず彼らはこの事件が、中国の利益になるような形でイギリスとアメリカの猛烈な干渉を招かなかったことに対して失望した。何故ならば西洋列強の干渉こそ、日本を挫折させるために中国が画策し続けていたことだったからである。
  • 中国側がつけ上がるから、真面目にイギリスに謝罪できなかったんだ、理解して欲しいとイギリス人に訴えるなんて、「ジャップの神経はどうなってるんだ、さっぱりわからん」という欧米人の素直な反応を導くだけではないのか?

  • (※1)蕪湖の日本陸軍第10軍砲兵連隊長、橋本欣五郎大佐のこと。パネイ号爆撃の同日(12月12日早朝)、彼の命令により砲艦レディーバード号をはじめとした英艦船4隻を砲撃した。

  • 「パネイ・レディーバード号事件」については、それこそ『猛烈な干渉』を隠忍自重した米国の立場を想いおこさなければならない。ルーズベルト大統領は米国民の怒りを鎮めるために、パナイ号を爆撃した日本海軍機がはっきり写った写真の新聞掲載を差し止めたほどである。この事件はまさしく "Prelude to Pearl Harber" であったのだ。(『アジアの中の日本軍』笠原十九司著 1994.9 大月書店 「南京大虐殺の全貌はなぜ報道されなかったか七 「誤認爆撃」問題