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「前途を考える議員の会」へのNHKの回答(5月11日)

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「前途を考える議員の会」へのNHKの回答(5月11日)


http://nakayamanariaki.com/modules/bulletin/index.php?page=article&storyid=32
中山成彬議員ブログより転載。質問と回答がわかるように配列。



「日本の前途と歴史教育を考える議員の会」
会長 衆議院議員 中山成彬様

  貴「日本の前途と歴史教育を考える議員の会」会長中山成彬様より日本放送協会会長宛に送られた「質問状」について、会長に代わって当該番組の責任者である小職が回答させていただきます。
  「質問状」では、計十三の質問に対してそれぞれ択一で回答するよう求められていますが、私どもの趣旨を正確にお伝えするために、択一ではなく文章で答えさせていただきます。どうぞご了承下さい。(ゴシック体で表示したものは、番組で伝えたコメントです)
  それでは質問順に回答させていただきます。


 一と二の「人間動物園」に関して回答させていただきます。
一、 一九一〇年に、ロンドンで開催された『日英博覧会』を紹介した映像で、日本人と台湾パイワン族との「一枚の集合写真」に「人間動物園」と、侮蔑的キャプションを表記していたが、「集合写真」に「人間動物園」と記述してあったか否か。

二、 「一枚の集合写真」に関して、日英博覧会関係資料に、台湾パイワン族を「人間動物園」と指摘した当時の資料があったか否か。
  番組では「日本は会場内にパイワンの人々の家を造り、その暮らしぶりを見せ物としたのです」、「当時イギリスやフランスは、博覧会などで、植民地の人々を盛んに見せ物にしていました。 人を展示する『人間動物園』と呼ばれました。日本は、それを真似たのです」とコメントしています。
  日英博覧会についての日本政府の公式報告書「日英博覧会事務局事務報告」によれば、会場内でパイワンの人々が暮らした場所は「台湾土人村」と名付けられ、「蕃社に摸して生蕃の住家を造り、生蕃此の所に生活し、時に相集りて舞踏したり」と記されています。 相撲などほかの余興と異なる点は、パイワンの人びとを「土人村」で寝泊まり、生活させ、その暮らしぶりを見せたことにあります。
  イギリスやフランスは、博覧会などで被統治者の日常の起居動作を見せ物にすることを「人間動物園」と呼んでいました。 日本は、植民地統治の成果を世界に示すために、イギリスやフランスのこうしたやり方を真似てパイワン族の生活を見せました。
  日本国内では、日英博覧会の7年前、1903年、大阪で開催された第5回内国勧業博覧会において「台湾生蕃」や「北海道アイヌ」を一定の区画内に生活させ、その日常生活を見せ物としました。 この博覧会の趣意書に、「欧米の文明国で実施していた施設を初めて設ける」とあります。
  植民地研究の権威であるフランスのブランシャール氏は、「人間動物園は、野蛮で劣った人間を文明化していることを宣伝する場である」と指摘しています。日英博覧会の公式文書にも、「台湾が日本の影響下で、人民生活のレベルは原始段階から進んで、一歩一歩近代に近づいてきた」と記されています。
  番組では、上記のような資料や研究者への取材により、日英博覧会のパイワンの人びとの集合写真に「人間動物園」という表示をしています。


 三と四の「改姓名」に関して回答させていただきます。
三、 台湾で実施された「改姓名」(一九三七年)が、強制的に実施されたように報道したが、強制を示す資料があったか否か。

四、 公務員は、しかたなく「改姓名」をしたと報道したが、全公務員が「改姓名」をしたことを示す資料があったのか否か。
  朝鮮半島の「創氏改名」と台湾の「改姓名」は、1940年2月11日同時に実施され、ともに皇民化運動の一環でした。
  台湾の「改姓名」は許可制でした。番組では「強制的に実施」したとはコメントしていません。
  インタビューでも、林(リン)さんが、林(はやし)という名前で改姓名したかったが、「それ許可(が)でない」と言っています。
  また、「全公務員が改姓名」したとはコメントしていません。これもインタビューで、「(公務員は)改姓名すると昇級の条件になってしまうんです」、それでしかたなしに改姓名した、と発言者の周辺の事情として伝えています。


 五と六の「鉄道」に関して回答させていただきます。
五、 台湾の南北400㎞の鉄道建設は、樟脳貿易のために敷設したように報道したが、それを裏付ける資料があったか否か。

六、 本来、鉄道建設は、社会基盤整備事業であるが、仮に、貿易のために特化したものとして、当時の台湾貿易統計で、樟脳が占める比率を調べたか否か。
  番組は、縦貫鉄道が「樟脳貿易のために敷設したように」伝えたものではありませんが、縦貫鉄道が樟脳の輸送に役立ったことは台湾総督府の資料で裏付けられます。
  また、当時の樟脳貿易に関するデータは「台湾総督府文書」「台湾樟脳専売志」に記されています。番組では後藤新平が「台湾の宝」である樟脳産業を立て直したこと、そしてこの後藤の改革によって樟脳がイギリスに安定的に供給されるようになり、歓迎されていることを当時のイギリス側の資料「ミッチェル台湾報告」で伝えています。
  さらに、台湾総督府が欧米向けに出版した「台湾十年間の進歩」を紹介し、「台湾歳入」、「内地貿易」の金額が急増したことも伝えています。


七、 台湾で、神社参拝を強制して、道教を禁止したと報道したが、それを裏付ける資料があったか否か。
七、 番組では、「台湾全島に日本の神社を次々にたて、人びとに参拝を強制します。 そして、台湾人がよりどころにしてきた宗教への弾圧がはじまります。 道教寺院や廟への参拝を制限。建物の取り壊しも始めます」とコメントしています。
  人びとに参拝を強制したことを示す資料は、「台湾時報」(台湾総督府内台湾時報発行所)があります。また、道教寺院や廟への参拝を制限したことを示す資料として、当時の日本人郡守が記録した「台湾寺廟整理覚書」があります。


八、 日本語を話せないものは、バスに乗せなかったと報道したが、行政政策として、指し示す資料があったか否か。
八、 当時、台湾総督府の官僚だった田宮良策さん(98歳)が「日本語を話せない人はご遠慮下さい、といういい方でバスには乗せなかった」と番組で証言しています。
  「行政政策」を裏付ける資料として、「認識台湾」(台湾師範大学の呉文星教授が中心になって台湾史の研究者が集めた一次史料集)があります。


九、 学校・新聞などで、中国語を禁止して日本語を強要したと報道したが、行政政策として、それを指し示す資料があったか否か。
九、 「学校や新聞などで中国語を禁止し、日本語の使用を強制した」ことを裏付ける資料として、「台湾総督府府報」があります。
  補足しますと、閩南語(台湾語)も客家語も言語学上は中国語の一方言として位置づけられており、番組でもそのような意味で「中国語」を使用しています。


十、 台湾人女性が日本人と結婚しても、戸籍に入れなかったと報道したが、朝鮮での「創氏改名」は、民事令の改正の中で実施された。その改正は三項目、一、氏名の共通。二、内鮮通婚。三、内鮮縁組。以上の改正だった。
  朝日新聞『朝鮮版』(昭和一五年二月十一日付、中鮮版)には、「内地人同様の待遇 内地人の戸籍に入籍の朝鮮人 京城府が率先実施」との記事がある。
  台湾では、朝鮮と違い日本人の戸籍に入れなかったと受け取れるが、行政政策として、結婚しても終戦まで、日本人の戸籍に入れなかったことを指し示す資料があったか否か。
十、 ご質問には「台湾では、朝鮮と違い日本人の戸籍に入れなかったと受け取れる」とありますが、番組は、ある台湾人の方が、親族の事情を語る中で、日本人の妻になって「内地」へ行った女性が結局戸籍に入れなかったという、個人的に受けた差別の現実を述べたものです。


十一、 日中戦争当時、台湾に五〇〇万人の漢民族がいたと報道したが、原住民の人口比率などの資料を精査したうえで示した数字か否か。
十一、 日中戦争当時、台湾に500万の漢民族がいたことは台湾総督府文書に記されています、そのほかの人口数なども台湾総督府の史料にあります。


十二、 一九一九年、パリ講話会議に於いて、ウィルソン(米国大統領)議長が「民族自決主義」を唱えたことで、東ヨーロッパ・インド・ベトナムなどの独立運動が始まったと報道したが、同講話会議でウィルソン議長は、日本が提出した「人種差別撤廃決議案」が、十九人の委員の内十一人の委員が賛成したにも拘わらず、採択しなかったことを知っていたか否か。
十二、 番組では、「この時、アメリカ大統領ウィルソンの発言が、世界の植民地に大きな影響を及ぼしていました」とコメントしています。
  ご質問に記された歴史的事実は承知しております。ウィルソン自身の真意がどこにあったかは別にして、「民族自決主義」という発言がヨーロッパの独立に影響を与え、アジアの植民地に大きな影響を与えたという事実を番組では述べています。


十三、 同番組に出演していた柯 徳三氏は、日本で『母国は日本、祖国は台湾』を上梓して、植民地時代の功罪をバランスよく執筆している。しかし、同番組は、柯氏が「罪」だけを語ったこととして放送したが、柯氏は、インタビューにたいして、「功」について語らなかったか否か。
十三、 柯徳三さんには合わせて5時間程度インタビューしています。番組で使用した部分は、柯さんの発言の趣旨を十分に反映していると考えています。恣意的な編集はしておりません。なお、NHKは柯徳三さんから抗議を受けておりません。


  計十三のご質問に対する回答は以上です。

  なお、「質問状」には、「番組が、偏った視点で制作されていると、尋常ならざる批判が巻き起こっている」とありますが、番組制作にあたっては、台湾総督府文書やイギリス、フランスの外交文書をはじめ、一次史料を読み込み、国内や海外で数多くの研究者を取材しております。
  また、台湾が親日的であることは多くの日本人が認識していることであり、この番組でも伝えています。一方そうした台湾にも、植民地時代の差別、戦争の深い傷が残されているという事実を伝えることが、日本と台湾のさらに深くて強い関係を築いていくことに資すると考えております。
  こうした番組趣旨をどうぞご理解いただきたく、お願い申し上げます。

平成21年5月11日
日本放送協会 ジャパンプロジェクト
エグゼクティブ・プロデューサー 河野伸洋


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