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日韓歴史共同研究:第2期報告書(要旨)

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日韓歴史共同研究:第2期報告書(要旨)


 2年半の議論を経てまとまった第2期日韓歴史共同研究報告書は、第1期の「古代史」「中世・近世史」「近現代史」3分科会に、新たに「教科書小グループ」を加えた計4部で構成する。両国の有識者がテーマごとに計48本の論文を執筆。近現代史などで激しい論争が繰り広げられたことが読み取れる。


■教科書


◆日本側


◇教科書編纂(へんさん)から見た歴史教育 日本の国定教科書と戦後検定教科書の場合
 敗戦後の日本を見渡せば自らの近現代史の評価は屈折したものとなっている。今の日本は国定教科書の時代とは異なり、結束して自らの歩みを回顧することができない。こうだと決め付けてしまう歴史観では、統一しようのない国民意識を反映したことにはならないが、今日の日本の教科書はそうなっていない。歴史学者の間では有力で、教師から支持される解釈かもしれないが、多様な国民の常識を反映しているとは言い難い。多くの歴史学者や教育学者は、国定教科書は国家イデオロギーを国民に吹き込む道具として作られたという解釈を捨てていない。彼らは教科書を執筆する際も平和主義と民主主義を鼓吹する手段と見なしている。彼らの教科書観は国定教科書のあり方と正反対に見えるが、教科書は自分たちが正しいと信ずるイデオロギーを国民に浸透させる手立てと見る点では共通している。教科書は子どもに特定のイデオロギーをたたき込む手段ではない。国民が共有する通念を次世代に伝達する手立てとして作成することが急務だ。

◇戦後の日韓における教科書問題をめぐる教育政策・教育学の諸相
 現在も韓国で歴史教育が重視される理由の一つとして、歴史に根ざした「韓国的」民主主義が、時代の要請により変化しつつも韓国人のアイデンティティーを形成するものとして存在し続けている点が指摘できる。過去の歴史事象が現代生活と乖離(かいり)したものではなく、現代生活と過去の歴史事象とが相互連関性を持っているという意識を持たせている。自らの生活現実から、韓国の「正統性」認識を形成させることが歴史教育に求められ、歴史教育が重視される「構造」が成立したと言っても過言ではない。

 戦後の日本の教科書問題の一つは、教科書を編集・発行する民間業者の問題だ。教科書が商品としての性格を帯びるのはやむを得ない。家永教科書裁判の影響を受けた先行研究は、国による教科書への統制強化という文脈で評価してきた。筆者は、制度整備の経緯を踏まえ民間業者に与える影響も考慮に入れて、議論を組み直すべきだと考えている。二つ目は検定制度の中立性と両面性の問題だ。文部科学省にとっては厳しい状況だが、左右双方からの批判にさらされることは、検定制度が適正に運用された結果に他ならない。検定制度の透明化の問題では、文科省は検定の運用に関する文書を公開してこなかったが、関係文書の公開が必要だ。

◇日韓両国における歴史観と近代、そして近代的法秩序
 80年代以降、日韓両国の歴史教科書をめぐる議論が紛糾するようになった原因の一つは、両国の教科書の叙述そのものが大きく乖離していったことにあった。

 典型の一つは、いわゆる「不平等条約」にかかわる叙述だ。韓国の教科書が、日本をはじめ列強との国際条約が「不平等条約」であったことを強調し、帝国主義的な性格や不当性を強調するのに対し、日本の教科書はこれらを乗り越えるべき桎梏(しっこく)であると考える一方、否定的な部分に対しては比較的無頓着だ、ということだ。

 70年代以前、今日から比べれば、はるかに類似した歴史認識と歴史教科書を有していた。背景にあったのは、韓国における歴史学者の多くが日本統治期において教育を受けた人々だったことだ。世代進行とともに次第に失われ、韓国は自らの経験と社会的要求に合致した形で歴史観を再構築するようになる。そのことは歴史認識問題をめぐって和解不可能ということを意味しない。共通の歴史認識をめぐって葛藤(かっとう)を続ける社会より、複数の歴史認識の共存を認め合う社会の方が自由で魅力的だ。

◇日韓相互Orientalismの克服
 韓国の高校の国史教科書は、「日帝」の記述を多用するが、「日帝」とは何か、明確な概念規定をしていない。韓国の教科書は、帝国主義者と一般国民、抵抗した日本人、日韓併合に反対した日本人を区別できていない。「日帝」という言葉を使えば文句を言えないし、概念もあいまいにできる。国史の教科書は、戦後の日本国民が戦争を反省し、「平和憲法」を制定した事実に触れていない。天皇の韓国大統領への「お言葉」や村山談話の努力を無視している。日韓基本条約については、日本からの経済協力資金が韓国の経済発展に役立ったのかどうかについて判断を避けている。客観的事実として経済協力資金は役に立ったのか、立たなかったのか、などを冷静に記述してもいい。

 日本の高校教科書における朝鮮半島の植民地からの解放と、分断についての記述はあいまいだ。朝鮮戦争については、日本の学界を支配した北朝鮮を何らかの形で擁護しようとした研究と主張は、敗北した。ところが、日本の教科書には、北朝鮮責任説を回避させようとの意図を含む記述がなお残っている。日本の日本史教科書も、天皇のお言葉と「謝罪」についてまったく記述していない。村山談話も記述している教科書は極めて少ない。日本の「謝罪」と「反省」についての努力を記述すべきだ。

◆韓国側


◇韓国と日本の歴史教科書に描かれた近代の肖像
 韓国と日本の歴史教科書は満州事変と満州国について記述する姿勢が異なる。日本の歴史教科書は、日本が戦略を立て主体的に満州事変を引き起こし、満州国を樹立していく過程を描写している。韓国の教科書は満州事変が起こり、満州国が樹立された事実に触れているのみで過程についてはほとんど記述していない。日中戦争とアジア太平洋戦争においても大きな違いを見せている。朝鮮人が強制的に動員され過酷な被害を受けたことの論調は似たような傾向を示している。韓国の教科書は挺身(ていしん)隊として連れて行かれた女性の一部を慰安婦としたと記述し、挺身隊と慰安婦の区分があいまいなのに比べ、日本の教科書は挺身隊は工場で、慰安婦は戦地で使役されたと区分して記述している。

 日本は日本の勢力の対外膨張と国際秩序の対決に焦点を合わせており、韓国は朝鮮人が民族抹殺の危機を克服し、自主独立国家を再建することに重点を置いて記述している。自己中心的な姿勢で記述している点は一致していると言える。韓国と日本の教科書は、行き過ぎた自国中心の視点から抜け出し、幅広い視野に立ち相対化して記述する必要がある。

◇韓日近代史叙述のジェンダー、偏向性の比較研究
 日本の教科書の日本軍慰安婦についての記述は96年以降、縮小の一途をたどっている。叙述を減らし美化する要因は、歴史学、または歴史教育内部からの要請によるものよりは、外部の政府と市民社会に幅広く存在したと見られる。02年に韓国の教科書において慰安婦に関連する内容を拡大したのは、日本の05年検定教科書において慰安婦の実情に関連した内容が縮小され、アジア女性基金に関する内容が拡充されたことと対照をなしている。日本においてそれは、政治、社会的状況の保守化を根本的要因とし民族関係が中心軸をなしているとするなら、韓国の場合、女性運動の活発化と政治、経済的な民主化の結果だと見ることができる。

◇韓日歴史教科書問題の史的展開
 韓国社会は日本の歴史教科書問題に対日過去清算の側面から接近する。日本の教科書においてこうした観点は非常に弱いか、抜け落ちている場合が多い。侵略責任と戦争責任を自覚できないでいるためだ。軍部にすべての責任を転嫁する「東京裁判史観」に陥っているためだ。謝罪も反省も自分のすべきことでないと考える日本人が多い理由もここにあり、不適切な発言が再生産される原因もここにある。不適切な発言と教科書問題は、韓国人と中国人にとって「第二の加害」行為と同じ。01年の教科書問題以降、和解と協力的関係を強固なものにする代案を模索しようとする動きが政府と民間レベルで提起され、少しずつ現れている。

◇韓日歴史教科書の「近代韓日関係と条約」の叙述
 韓国の教科書が日本と異なる点は、日露戦争以後の日本の侵奪と領土問題(独島、間島)を関連づけて記述していることだ。日本の侵略過程において間島を中国に譲り、独島(竹島)を日本の領土として宣言した点を強調している。日本の韓国に対する侵略過程は、日本の教科書は侵略性を弱めて表現、帝国主義列強が認めて行われたことを挙げ、韓国の教科書は日本の侵略性を明らかにし、韓国民の抵抗と自主性、近代改革を強調。相違点は、日本の近代史を帝国主義の侵略と戦争を擁護し正当化する立場から記述するか、帝国主義の侵略の弊害を指摘し、反省する側面から記述するかということだ。

◇韓日の中学校歴史教科書に記述された現代・現代史叙述の変化(1945年~現在)
 45年8月という出発点に関し、韓国と日本の歴史教科書の最大の違いは、韓国の教科書は日本の敗戦と同時に「光復」したととらえているが、日本の教科書は朝鮮半島の状況を「分割占領」ととらえている点だ。朝鮮戦争については、韓国の教科書は北朝鮮の南侵によって起こった同族の殺し合いという悲劇としてとらえている。しかし日本の教科書では統一に対する韓国人の感情を考慮しないまま、戦争について無味乾燥な記述をしている。

 互いの高度経済成長に関して記述する時、国民が主体的に動いた努力、ベトナム戦争のような国際環境に注目していない。両国の歴史教科書の叙述の基調は、相手に対する優越意識とともに、卑下意識を自国の生徒たちに植え付けるおそれがある。現在の相手についての記述は、韓国の教科書では、冷戦が終結した後、日本経済の高い国際的地位が世界を多極化させるのに大きな影響を及ぼしたことに注目している。日本の教科書は、00年の南北首脳会談と6・15共同宣言に言及し、朝鮮半島における緊張緩和に注目している。

■近代化


◆日本側


◇植民地朝鮮における近代化と日本語教育
 「日本語強制」ということばは、「自主的」な「教育熱」をもって朝鮮人が学んだ点と、支配者側の消極的な側面が見えにくくなる。朝鮮人側の「教育熱」は1920年代に高まって支配末期まで継続した。近代的な知識や技術を得るための道具として日本語が認識されたからだが、朝鮮人は教育内容や方法を全面的に受け入れたわけではない。総督府側は、戦時体制に突入する37年以前は学校増設に消極的だったが、それ以降の就学率や日本語普及の急増は徴兵制という究極目的の結果だ。日本語普及が朝鮮の近代化に与えた影響は存在するが、朝鮮の近代化のためではなかった。

◆韓国側


◇植民地資本主義の実体と歴史的性格
 資本主義経済運営の鍵は国家の政策の有無にある。自国の企業家を支える国家権力がなく、関税主権と金融主権が不在の中、外来植民勢力の武力を背景に展開される植民地資本主義は、内的「発展」が不可能な構造だった。朝鮮人企業家は、日本資本が主導して独占する市場経済のすき間に活動する受動的存在だった。解放後も韓国経済は一次産品輸出及び工業製品輸入による垂直的韓日関係の再生を展望した。解放後の経済が「合邦」以前より後退したという評価は必然的な帰結だった。

■戦時体制


◆日本側


◇1930~40年代の日本における文化表象の中の<朝鮮人>
 1930年代から日中戦争期にかけて、朝鮮や朝鮮文化へのそれまでにない新たな関心が拡大した。日本人がはじめて他者としての<朝鮮>を発見した。

 モダニズム表現は戦時体制と親和的で、抑圧されたのでなく全面的に開花した。映画「綴方(つづりかた)教室」は、朝鮮人女性を風景の当たり前のものとしてさりげなく描こうとした。朝鮮人はすでに確固として存在する地域下流社会の隣人であるが、コミュニティーの濃密な隣人関係にとっては明確な他人である。

◆韓国側


◇送出過程を中心に見た戦時体制期 朝鮮人の国外労務動員の性格
 日本は1938年、国家総動員法により人力と物資の総動員が可能となり、日本本土、朝鮮、台湾、樺太、関東州、南洋群島に居住する構成員も対象とされた。朝鮮では限られた地方の行政人力と行政システムの限界により、不要不急に適材適所に配置することが円滑でなかった。しかし戦線拡大の中で朝鮮人労働力への一方的な要求は、労務人力動員の強制性と暴力性につながった。南洋群島は「激戦地」だったので労務者が軍属に転換され、死亡者の割合も非常に高い。樺太は後方だが、ソ連と国境を接し国防上の重要性が認められ、青壮年の割合が高かった。

■外交


◆日本側


◇日韓国交正常化交渉における請求権問題再考
 1965年に完結した国交正常化交渉の最重要問題が、植民地支配で生じた債権債務関係を清算する請求権問題だ。62年の大平正芳外相・金鍾泌韓国中央情報部部長間で基本的合意が形成され、韓国側が請求権を放棄する代わり韓国側要求に近い金額を日本が無償、有償供与する日本政府主張の「経済協力方式」で解決されたのが一般的な見方だ。

 新史料で3点の新発見が指摘できる。(1)61年の池田・朴正熙首脳会談は、「請求権は法的根拠のあるものだ」という言葉の解釈をめぐる食い違いから、その後に交渉の対立を招いた。(2)62年の小坂善太郎・崔徳新外相会談で、日本側が提示した数字が期待外れで韓国側が当初よりも高い金額を提示して妥協の機会を失い、日本側も不信感を強めた。(3)韓国は日本の安全保障に貢献しているから日本は韓国の経済発展、安全保障に貢献すべしという、韓国側提案の論理を大平が拒否した。64年6・3事態で現れた韓国国内の反日世論による交渉の一時凍結が、日本の対韓緊急援助を促した。別問題の漁業問題を請求権問題と連携させ商業借款の下限増額の交渉カードを韓国政府が獲得し、日本からの資金導入の条件を有利にできた。

◆韓国側


◇連合国最高司令部、サンフランシスコ平和条約、そして韓日外交関係の構築
 ヨーロッパで戦後示された罪悪の認定と過誤の責任が東アジアで再演されなかったのは、戦後処理の過程での連合国の役割に起因する。米国は日本の自らの戦争犯罪と責任問題の回避に一定の役割を果たすことで、日本の歴史的記憶喪失の一助となった。請求権、賠償問題に関してサンフランシスコ平和条約が敗戦国日本に、極度に寛大で非懲罰的な性格を持った。日本固有領土と帝国主義的領土膨張過程で侵奪した領土の明確な区分と処理が、戦勝国間の利害関係で毀損(きそん)された。朝鮮戦争勃発(ぼっぱつ)と冷戦時代東アジアにおける日本の役割の高まりで、日本との条約締結を最優先課題とし、議論の余地が大きな事案は明示せず「独島」の用語も言及されなくなる。同条約体制に基づき形成された現在日韓外交関係の構築は、妥当性が再検討されなければならない。

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◇日韓歴史共同研究委員会のメンバー


 ◆日本側・座長

鳥海靖・東大名誉教授

 ◆日本側・古代史

坂上康俊・九州大大学院教授

濱田耕策・九州大大学院教授

森公章・東洋大教授

 ◆日本側・中近世史

桑野栄治・久留米大准教授

佐伯弘次・九州大大学院教授

須川英徳・横浜国立大教授

 ◆日本側・近現代史

有馬学・九州大名誉教授

大西裕・神戸大大学院教授

原田環・県立広島大教授

春木育美・東洋英和女学院大専任講師

 ◆日本側・教科書

木村幹・神戸大大学院教授

重村智計・早稲田大教授

永島広紀・佐賀大准教授

古田博司・筑波大大学院教授

山内昌之・東大大学院教授

山室建徳・帝京大准教授

 ◆韓国側・座長

趙〓(チョグァン)・高麗大教授

 ◆韓国側・古代史

盧泰敦(ノテドン)・ソウル大教授

金泰植(キムテシク)・弘益大教授

趙法鍾(チョポプジョン)・又石大教授

 ◆韓国側・中近世史

李啓煌(イゲファン)・仁荷大教授

孫承〓(ソンスンチョル)・江原大教授

韓明基(ハンミョンギ)・明知大教授

 ◆韓国側・近現代史

柳承烈(ユスンヨル)・江原大教授

李碩祐(イソクウ)・仁荷大副教授

朱鎮五(チュジンオ)・祥明大教授

河棕文(ハジョンムン)・韓神大教授

 ◆韓国側・教科書

金度亨(キムドヒョン)・延世大教授

辛珠柏(シンジュベク)・延世大HK研究教授

李讃熙(イチャンヒ)・韓国教育開発院碩座研究委員

鄭在貞(チョンジェジョン)・ソウル市立大教授

玄明〓(ヒョンミョンチョル)・京畿高等学校教師

鄭鎮星(チョンジンソン)・ソウル大教授


毎日新聞 2010年3月24日 東京朝刊

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