15年戦争資料 @wiki

rabe1月1日

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pipopipo555jp

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一九三八年一月一日


昨日の夜九時半、七人の同志が年始に来た。アメリカ人のフィッチ、スマイス、ウィルソン、ミルズ、ベイツ、マッカラム、リッグズの面々だ。手元に残った最後の赤ワインをあけ、一時間ほどおしやべりした。日頃は意気軒昂のベイツが、疲れはてて眠りこんでしまったので、はやめにお開きになった。私にも中国人の客にとっても休養をとることに異存はなかったから、そろって十一時に寝た。

朝七時ごろ、張がきた。かみさんの容態が悪化したという。私は大急ぎで服を着て、鼓楼病院へ連れて行った。三回目だ。

家に戻ると、盛大な歓迎が待っていた。うちの難民たち「老百姓(ラオバイシン)」(中国語で名もなき民の意)はずらりと両側に並び、私に敬意を表して、日本軍からもらった何千もの爆竹をいっせいに鳴らした。こうして新しい自治政府を祝うのだ。それから六百人全員で私を取り囲み、白い包装紙に朱液で書かれた年賀状を手渡し、いっせいに三度お辞儀をした。ありがとう、とうなずいて私が年賀状を折り畳み、ポケットにつっこむと、まわりから歓声があがった。残念ながら、大きすぎてとてもこの日記帳にはおさめられない。中国人の友人が訳してくれたところによると、

ラーベさん
  どうか良い年でありますよう
     一億があなたのそばにいます!    収容所の難民たち
                          一九三八年

この「一億」がどういう意味なのか、いまだに私にはよくわからない。たぶんこれは「一億人の善男善女」の意味だろう。張に聞くと、こともなげにいった。

「ドイツ語で新年おめでとうっていうことですよ!」

火花の雨のあとは、使用人とジーメンスの従業員が総出で行列をつくり、おごそかに慣例の新年の叩頭の礼をした。

午後、シュペアリングとリッグズが年始に来たので葉巻を一本ずつ進呈する。豪華な贈り物だ。今では葉巻一本が五ドルから七ドルもする。そのほか、シュペアリングには安全カミソリも。最近盗まれたからだ。

夜の九時に日本兵がトラツクに乗ってやってきて女を出せとわめいた。戸を開けないでいたらいなくなった。見ていると中学校へむかった。ここはたえず日本兵におそわれている。私は庭の見張りをいっそう厳重にして、不寝番に警笛を持たせた。こうしておけば、いつお越し下さってもすぐに馳せ参じられる。だが、ありがたいことに、今晩は無事に過ぎた。


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