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沖縄の証言(上)はじめに

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中公新書256
名嘉正八郎・谷川健一編
沖縄の証言(上)
庶民が語る戦争体験
中央公論社刊
昭和46年7月25日初版
昭和57年2月1日5版


はじめに


本書は沖縄戦における沖縄住民の記録である。沖縄戦の記録は数多く出版されているが、沖縄戦下の非戦闘員の動きは、こんにちまでかならずしも正確かつ克明に伝えられていなかった。非戦闘員がどのように沖縄戦に対処したか、その把握が明確になされない以上は、いかに沖縄がこうむった戦争の惨禍を力説しようとも、それはどこか説得を欠くものとなって終わる。決定的な証言とはなにか。事実の再現である。それを体験者が自分の口をとおして語ることである。

沖縄史料編集所が、『沖縄県史』の編纂事業の一環としてこころみたのは、まさしくこのことであった。これにたいして、はたして事実の再現は可能か、という疑問がないではない。戦後二十六年をへたこんにち、往時の記憶はうすれ、正確を欠くことになるのではないか、という懸念が外部からよせられた。しかし、人間はもっとも痛切な体験を心の奥底に秘めて生きる。それは口に出さないだけ、かえって腐蝕と風化をまぬかれて、なまなましく保存される。沖縄史料編集所長の名嘉正八郎(なかしようはちろう)が、宮城聰(みやぎそう)と星雅彦(ほしまさひこ)に委嘱して、沖縄戦を体験した住民に面接し、その聞書きをとることにしたとき、外部からよせられた懸念は一掃された。体験者たちは、自分の苦難の過去を驚くべき細部にいたるまで記憶し、それを忘却していなかったからである。それは忘れようにも忘れることのできない体験であったからだ。こころみに思え。自分の家が焼かれ、壕を追わ
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れ、自分の母、あるいは自分の子が眼前で死んでゆくのを目撃したものが、それを忘れることができるかどうか。

名嘉、宮城、星は千名に近い沖縄住民に接し、生活者である民衆が、概念をまじえない純粋な戦争体験の記憶を保持していることを確認した。聞書ぎによる非戦闘員の戦争体験の記録の特色はまさにここに存する。

かつて、このように大規模に沖縄住民の生の声が集められたことはなかった。この戦争に生き残った者の声は、無限の恨みをのんで死んだ地下の声なき声を代弁し、沖縄戦の記念碑となって後世に伝えられる。

この記録の集成である『沖縄戦記録』は、『沖縄県史』の一巻として、一九七一年六月に刊行された。(『沖縄県史』は琉球政府の事業で、沖縄県史編集審議会の答申にもとづき、行政主席の決裁をへて政府立沖縄史料編集所が執行する。)

しかしその刊行部数はかぎられており、一方沖縄戦の未知の実相を日本国民にひろく知らせる必要のあることを感じ、県史収録の記録の一部を土台として本書を編むことにした。

沖縄戦は、沖縄本島北都の本部(もとぶ)半島と、伊江(いえ)島をのぞけぱ、主として、沖縄本島の中部から南部にかけて行なわれた。本書は戦況の推移にしたがって、二巻に分けることにした。上巻は沖縄本島の中部地区の住民の記録を中心とし、下巻は南部の住民の記録を中心としている。また上巻には、『県史』にはない慶良間(けらま)諸島と伊江島の住民の戦争体験記録を取材して収録した。下巻には、北部(本部半島)の記録と沖縄住民の収容所体験を併録する。
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沖縄住民の体験談を聞書きし、それを文章化する仕事には宮城、星があたった。上巻の解説は、谷川がこれを担当した。下巻の解説は、名嘉がこれを担当した。

最後に、上巻だけでなく下巻をも併読して、沖縄戦下の住民の苦難の体験の全貌をつかんでいただきたいと切望する。

一九七一年七月一日
名嘉正八郎
谷川健一

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