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政治的強弁の手法

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正論2006年9月号(産経新聞社・扶桑社)
靖国特集 
沖縄集団自決冤罪訴訟が光を当てた日本人の真実
弁護士 徳永信一

政治的強弁の手法


平成18年6月9日の第4回口頭弁論期日は、被告らが前々から、本格的反論を行うとしてきた期日であった。この日、被告らが《軍命令による集団自決》を擁護すべく持ちだしてきたのは、座間味村の公式見解と渡嘉敷村史通史編であった。しかし、これらは、むしろ、集団自決の悲劇の責任をなにがなんでも《非人間的な日本軍》に押し付けようとする勢力の存在とその握造の手法を、明らかにするものにほかならなかった。

まず、座間味島の《梅澤命令説》に向けた被告らの強弁をみてみよう。

被告らは座間味村の公式見解なるものを楯に、あくまで《梅澤命令説》に固執する構えをみせた。座間味村は昭和63年11月、沖縄タイムス社からの照会に回答書を寄せ、その中で《梅澤命令説》につき、「真相を執筆し陳情書を作成した宮村盛永氏、当時の産業組合長、元村長、有カ村会議員中村盛久がはっきり証言している」と回答していた。ところが、梅澤元少佐が自決を命令したとの証言は沖縄県史を含めどこにも記録されていない。「真相を執筆し陳情書を作成した」とされた盛永氏(この人は、梅澤氏に証文を差し入れた幸延氏とそこで命令を発したとされた助役・盛秀氏の実父である)は自筆の『自叙伝』を遺しているが、軍からの自決命令をうかがわせるような記述は一行もない。逆に、そこには家族や村民らが米軍の上陸を目前にして自発的に玉砕を誓い合っていた様子がこう描かれている。

「敵の上陸寸前であることに恐怖を感じながら、この調子だと家族が全滅するのも時間の問題だと考えたので、せめて部落にいる盛秀夫婦、直、晴子とともに部落の近辺で玉砕するのがましではないかと家族に相談したら、皆賛成であった」

「午後九時ごろ直(筆者注・幸延氏の弟)が一人でやって来て、『お父さん、敵はすでに屋嘉比島に上陸した。明日はいよいよ座間味に上陸するから、村の近いところで軍とともに玉砕しようではないか』と持ちかけたので、皆同意して早速部落まで夜の道を急いだ」

盛永氏が作成して旧厚生省に提出した陳情書が、「援護法」の適用を受けるための方便であったことは、先に紹介した『母の遺したもの』にも詳しく書かれていた。座間味村の公式見解が、そうした政治的方便の上塗りでしかないことは明らかである。

歴史的事実は、「政治」によって決められるべきものではない。被告らは、裏付けのない村の政治的表明に頼るのではなく、客観的な検証に耐えうる事実を提示して論ずべきなのである。

さらにまた、座間味村の回答書には、幸延氏の証文につき、酔った幸延氏が梅澤氏に騙されて書いたものだとあり、その信用性を否定する。梅澤氏の語るところによれぱ、幸延氏が両手をついて謝罪し、「島の復興は汚名を忍んでくれた梅澤さんのおかげです」と涙を流して差し入れた文書である。

いずれが本当なのだろうか。

幸延氏が、神戸新聞の中井記者に、村の復興のため「歴史の拡大解釈」をしたとコメントしたことは動かぬ証拠である。その後、座間味島を訪ねて現地取材したノンフィクション作家の本田靖春氏は、直接取材した幸延氏から梅澤氏に差し入れた証文について村当局から厳しく叱責を受け、「当時、島にいなかったものがなぜ誕言できるのか」と糾弾されて一言もなかったと語ったことをその著作『第一戦隊長の証言』(『小説新潮』1988年1月号)に記録している。村民の間では、真実が顕れると偽証罪を問われ、補償金の返還を余儀なくされるというデマが囁かれているという。真実をはぱかる地元の微妙な政治的雰囲気を伝える話である。



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