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照屋ビデオ採録

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【照屋ビデオ採録】
チャンネル桜 沖縄集団自決特番

「軍命令はなかった」(H19.4.5)


照屋昇雄「証言」の採録物としては、法廷証拠として提出された1)2006年8月27日 産経記事http://www16.atwiki.jp/pipopipo555jp/pages/685.html と2)月刊「正論」2006年11月号記事http://www16.atwiki.jp/pipopipo555jp/pages/828.html をこれまでに発見しております。そのほかに、3)チャンネル桜発信のYoutubeビデオ2007年4月があります。筆者はこれまで、2)が3)の文字採録だと思い込み、3)のビデオそのものには、意識をはらうことがありませんでした。しかしながら、実際は3者3様でかなりの相違がみられます。そのなかで3)は描写が一番具体的です。書き起こしてみました。沖縄在住の方にぜひとも慎重な分析を御願いしたいと思います。

"――Cut out/in ――" 
編集され繋ぎなおされたことが明らかな所です。



テロップ-1
渡嘉敷島の「集団自決」が
何故、赤松嘉次隊長の
命令によるものに
なってしまったのか?

テロップ-2
当時その理由に
深くかかわった
照屋昇雄さんが、
初めて
テレビカメラの前で
真実を語りはじめた。

(1)

……沖縄の場合に、28年だったかと思います。記憶がハッキリしない場合もありますよ。もう永くなりますので。

えー、南西諸島に対する旧軍人軍属に対する恩給をあげようというふうな日本の志があったわけです。日本政府からお金をあげましょうと。ただムダ戦死者してはならないという親心がありましてね、沖縄戦で亡くなった人は、全部お金くれましょうということがありまして、そのなかに、さあ、ということになったんだが。

申請書をみますとねえ、兵隊に行きました、何処へ行ったのかわかりません、死にました、ということで書類がどんどんきたがね。ここで、そんなあ、ことではちょっと審査ができないということで、私らを、何名かを、沖縄戦について戦闘状況調べてくれと、どこでいくさしたか、どこで戦死したかというと、この部隊の経路、戦闘経路が調査すると、どこで死んだというと、はあ、どこの部隊にいてどこで戦死したんだなあ、ということが分かって、それで記録簿を作って厚生省の援護局に貰うために、それが組織されて、そのメンバーの一人として、私が審査委員になったわけでございます。

――Cut out/in ――

(2)

南方連絡事務所というのがありまして、こっちに東京からきた外務省の方とかあらゆるメンバーがいらっしゃいました。この方と私らといろいろ打ち合わせて、部隊の所属とかいろいろなものを全部くまなく、国頭のサカイ等(聴取不能)も全部調査して、その部隊の経緯を全部、どこで何日入隊して、どこで戦死して、どこの部隊は戦死した、ずーっと、この部隊が解散するまでの経緯を書きました。書いた記録は今あります。むこうに持っております。各部隊全部。

――Cut out/in ――隣は奥茂治氏

(3)

私は運が良かったのか悪かったのかわかりませんが、今の渡嘉敷村、問題の渡嘉敷村の担当になりましてね。そこに行って、援護金あげようということになったら、けんけんがくがくいろんな雑音が入りましてね、なかなか調査できない。

ただ言えることは、赤松隊長さんはねぇ、ムコホ村民グヮ神様みたいな方だった、非常にいい人なんですよ。私もそう思います。この人と会って話ししてみて、この隊長はねぇ、あの、いま金城さん、どなたかが言った、軍に話したら「軍のあとに来るな。西山といってぜんぜん離れた他の山があります。向こうに行って避難しなさい。蘇鉄がある。蘇鉄は半世紀まで食べるものがあるから、あれを準備してね食べなさい」って全部追っ払った方なんですよ。

それがなぜ、その山の谷底で隊長の命令で死んだかということに書類はなっております。その書類はね。書いたのは深い理由がありまして、

――Cut out/in ――

(4)

丁度大晦日2,3日という前に、ぼく電話でよばれまして行きましたらね。
「隊長さんが、あの赤松隊長が、『私が命令したということにね、しなさい』ということを、確約、話をされてきて(から)あるから、『書類を書いて来なさい、さ全員ハンコを押しましょう』ということになっている」
ということだったんです。

――(そういう連絡が入ったんですか)

私には。
そのヨコダニイッデ(解読不能)、その書類を作って、やったのが、隊長命令です。

(5)

その連絡がある前はですね、資格審査委員って沖縄から僕ら3名は、東京の審査委員会に参加しました。全体でたくさんの人、昔の、あーあ、ソロモン群島から、中国、満州までの隊長、たくさんの人で、私らこっちの沖縄の方に参加しました。たくさんの隊長さん沖縄戦でやったんで、来られておりました。

そん時になんとか、その規定の中に、隊長の命令、もしくは隊長の命による銃殺、もしくはスパイ行為とか、なんなんナンネですね、いろいろ援護法の法適用、法律があるんですよ。その中に「隊長の命令」というのが「・・・によって死んだ場合は行うようしよう」という法律が、条文があるんで、そっちにね、隊長の命令で戦死したという人、で隊長は命令しなかったといってる全部、で命令していなかった筈ですからね、誰もオーケーする人いないです。

その時にあの、東大の学長でガヤ隊長、まあご承知のとおり“沖縄病”。

――(沖縄協会の茅誠司会長)

あの東大の学長、この人がね、「なんとか沖縄が助けられんか、隊長命令なんか『隊長の命令』と書けばいいでしょう」といったらね、証言事項がなければただ個人から出ても出来ないということ。誰か隊長やってね、沖縄助けろということになったんです。あの人はあんまり一生懸命するが、なかなか来ないんです。

そうしたら、その赤松隊長が、私は生まれんのは兵庫県(だったかな)ですと。第二に生き残ったのは、生まれ変わったのは慶良間だから、私が命令したということにしましょうと。

――(ということは)

十字架を背負ったのです。




(6)

そしてね、この人がなぜ十字架を背負ったかというとね、私はあのー、後からね、ちょっと、南方連絡事務所にマブチさんという人がおりましてね。この人がね、どうしてどなたの隊長もやらんのに赤松隊長が、よくも御願いきいてくれたね、ときいたらね、「照屋君、あの人はね、“沖縄病”罹ってるんだ、というのがね、今の昭和天皇から『なんとか沖縄救えないか』と耳打ちされたんだという話があるんだが、本当か真実がわかりませんよ~。だから、あんなに一生懸命になってるんだよ」というように耳打ちされましたよ。

あんなにも一生懸命になっていて、それが、現在の嘘、嘘になってしまって、はい。

現実に書類は、隊長の、赤松隊長の命令によって自決しました、自決しましたということになっております。

だから実際は、あの、いろんな話がありますが、私らはこれを、真実を訴えることはできないんですよ、これ実は。嘘いって文章書いて援護金貰うなんてとんでもないです。それも言えないし、その責任者も問われたら大変だし、今まで全部、口を封じしておりました。

ところが、赤松隊長が一週間前に、あっ3ヶ月間の寿命しかないということで、玉井村長に電話きた。

――(最近ですか?)

いや赤松隊長が亡くなるまえ。そしたらその人はね、「村史から僕の命令であったことは消してくれと、削除してくれ」といって電話しょっちゅう来たもんだから、この人の恩はあるし、これ消したらいけないし、それで、あの人は毎日酒飲んで、クダってね、心労して亡くなりました。私も夜なんか何回も呼ばれてね、二人やけ酒飲みました。

それでいま話あししているのは、この人たちの霊を慰めるために真実を明かすときが来たのではないかと、

――Cut out/in ――

(7)

――(その後ですね、援護法が適用されて、赤松大尉とは何か連絡をとったことは、ございますでしょうか?)

あの、赤松大尉とはですね、私は県ですので、直接赤松大尉とは1回だけ会って、その後から私は会いません。

向こうの玉井村長とは、常に連絡しておりますが、玉井村長の話では、ええ、「照井君、こっちにねえ、十字架を背負った隊長の道場つくりますよ」といったことがあります。いま道場は造られないが、むこうの援護課にきいたら、小さくですね、その碑があるそうです、つくってあるそうです。

――(それは渡嘉敷?)

渡嘉敷、はい。え、まあ、なにかその日には、あたるべき日には、村民が拝んでいるそうです。

―― Cut out/in ――

(8)

赤松隊長を呼んで慰霊祭に参加することによって、赤松隊長ご苦労さんといってね、やろうとしたらとんでもないことになってしまって、ピケ張られて、

――(なんか組合とか?)

組合がもう、たいへんな騒ぎになってしまって、その、こっちに出ることできないで、そのままお帰りになったとか、それでボートで行って慰霊祭は行ったとかいうこともあるが、ぼくはその話までもこれから詳しく聞いてないし、そのまま飛行場からこっちには降りてこないで、気の毒ですよ。

――(じゃあ、左翼の組合員とかそういうピケ隊を張って、そこから出さなかったんですね)

もう、飛行場から危ないということで出さなかったということなんです。はい、そういうことは聞いております。

(9)

玉井村長さんが死んでから、あの人に対する一つの慰めになるか、あの人はこのために亡くなったんだから、心労して亡くなったんだから、ということで話してみようや、ということで真実を今、そのまま置くのは具合が悪いでしょう? 嘘がずーっと永久に通るのは。

そこで、正しいものをね、後世に伝えておかないといけないと思って私は今、渡嘉敷村の人もオノコモ(解読不能)話しているわけでございます。

―― Cut out/in ――

(10)


これから後世にアレを残し、玉井村長をムダ死にさせないためにも、私に一端の責任があるから、話そうということでね、いま可哀相に、いま話しているわけです。

――(勇気がある発言ありがとうございます)

テロップ-3
赤松大尉のご家族は
赤松大尉が島民を思って
自決軍命令を
承諾したということを
疑問視し、否定している

テロップ-4
したがって村長または村の幹部が
赤松大尉の了解のないまま
厚生省に対して自決命令が
あったという保証申請書を提出した
可能性も否定はできない。

テロップ-5
いずれにしても赤松大尉による
自決命令がなかったことは
あきらかである
これからのさらなる調査が望まれる
      日本文化チャンネル桜



【付録】「壕追い出し」は間違い


渡嘉敷村のこともひとつになっている、問題になっていることをね、あの、むこうに、ひめゆりの塔の向こうにも、日本の兵隊が銃を持って、沖縄の住民を殺したという、かんじのものがあります。

これもね、私が調査したものからしますとね、どうも、というイントネーション・マークがありますね。と申しますのが、アメリカの兵隊と、これオオダツソン(解読不能)というところ実際に調査、アメリカ人と日本の部隊が向かい合わせで、白兵戦といいまして、もう500メーター、600メーターぐらい接近してるんですよ。

そうしたら、その中隊長さんは、あの、牛島閣下司令官から、住民を保護しなさいという指令があります。昭和19年の10.10空襲あとにですね、甲戦備下令というのが発令されるんですよ。あっ、乙戦備下令といっ、戦争体型に入りますよというと、その場合には牛島閣下はねえ、その命令に従ってねえ、住民保護する義務が軍隊は生じてくるわけです。私の調査の結果ですよ、これ間違ってるかも記憶だからわからない。とにかく、そういう指令がありまして、住民の保護を軍はやるようになっております。

今まで民だったのが、丙戦備下令という乙戦備下令というのはもう戦争が間近、甲戦備下令というのはもう白兵戦に入ったというのですが、その乙戦備下令に入ったから牛島閣下は、こういう風に住民を愛しなさいと、非難させなさいと命令するんですよ。

そっこが、そこがです、そこが問題。

あの白兵戦になっておりますよね。向かい合っていて、あっちも向こうも分かるんですよ。そうしたら後に山があってですね。良うくお聞きになってください! 沖縄の人は墓がありますね。その墓にいてね。住民がいっぱいいるんですよ、うしろには。敵が目の前に来てるのも分からないんですよ。そうするもんだから、その指令がありますから隊長はね、住民保護のためにね、兵隊を使って、こっちから行きなさい、アメリカ兵はこっちまできてるよって、どけどけどけ、するんですよ。

そして避難させるために、後方の方に避難させるために、住民を保護するために兵隊を使ってね、後方にさがれというんですが、下がらん場合もあるわけです。

その時ですよ。よくお聞きになってくださいよ。その時に、向かい合いしてるよ、鉄砲もって着剣もつけております。あのひめゆりの塔にあるあれのように、着剣付けておりますよ。どこの兵隊がねえ、鉄砲もとってね、着剣もおいてね、あんた逃げなさいよと、あんた避難しなさいよということがあります? 目の前の敵がいるんだから。だから、これをもったままね、「オイ、いるよ、敵がきてるよ、きてるよ」というもんだから、この人たちに突き刺しているように、感じがみえるんですよ。

で、調査する場合にね、鉄砲向けたから逃げたとかなんとか言う人もおりましたがね、よく調査してみるとね、実は軍隊の仔細も、呼んできいてみたらね、その甲戦備下令、向かい合ってからね、拳銃を肩にかけたら罰せられるらしい。もういつでも撃つ準備ですから。いつ来るかわからんから、斥候がもう目の前に来てるかわからんから。

そういうわけで、やってるのにねえ。一般住民は戦後どこからの話をきいたのか、ご承知のとおり拳銃を持って沖縄の住民を日本の兵隊がいかにもなんとかやったような感じに見せる、あれやっておりますがね、あれはね、非常にイントネ―ションは。とにかく、目の前から着剣をして、出てけ出てけといいます。これを誤解されたんじゃないかと思いますんでね。皆さん、帰ってからね、これは充分説明された方がいいと思います。これはね、絶対あれとは、あっちにあるのと私ら調査したのとは、全く反対であるということでございますので、これを付け加えさせていただきます。


上記内容と同一のビデオがチャンネル桜で再放送されています

2/2【沖縄集団自決】「軍命令」とせざるを得なかった事情・照屋昇雄氏に聞く[桜 H21/7/27] 」
http://www.youtube.com/watch?v=LsVIOTLd-vQ


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