憂楽帳:断固たる声
金閣寺は晩秋の透き通った日差しを引き寄せ、きらめき続けていることだろう。ある寒い日、私はまばゆい光の向こうに、地中へ打ち込まれた堅固な支柱を確かに見た。それは、美を追い求めた古人の残影のようにも思えた。
しかし、写真に撮ると、おぼろげに光るものがあるだけだった。残念には思わなかった。私の撮影の腕前はさておき、折々の人の目にしか映らぬものがあるのだと、むしろ得心がいった。
存在するものと心の内で結ばれる像の異なることが、金閣寺ではいっそう意識される。それは、三島由紀夫氏の名作の影響にほかなるまい。実際の放火事件に題材をとった作品は、事実を超えて、人の心の深層をあぶりだす。
今月初め、著作中の集団自決の記述を巡る訴訟の法廷に、大江健三郎氏が立った。その日、私は来阪した沖縄の地元紙記者と会っていた。集団自決を巡る教科書検定に抗議し、大群衆が集まった沖縄の県民大会の話をしてくれた。そして、断固として言った。
「裁判の行方は見守るが、沖縄の真実は揺るがない」【戸田栄】
毎日新聞 2007年11月29日 大阪夕刊