15年戦争資料 @wiki内検索 / 「日清戦争の社会史」で検索した結果

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  • 日清戦争の社会史
    日清戦争の社会史 https //www.honya-town.co.jp/hst/HTdispatch?nips_cd=9940568894 書 名 日清戦争の社会史 副書名 「文明戦争」と民衆 シリーズ名   多巻物書名 原書名 出版社 発行所=フォーラム・A 著 者 大谷正 原田敬一 税込価格 2,650円(本体2,524円+税) 発行年月 1994年9月 判型 A5 ISBN 9784894280090 内容情報 [BOOKデータベースより] 日清戦争は近代日本の最初の対外戦争であった。この戦争は日本国民にどのように受けとめられ、日本社会に何をもたらしたか。戦争の実相に社会史の斬新な手法で切り込んだ本書は、日清戦争100周年にふさわしい共同労作である。 第...
  • 台湾の歴史・日台関係史
    ...の日記(未作成) 日清戦争の社会史 「文明戦争」と軍夫(未作成) 濱本利三郎『日清戦争従軍秘録』 いわゆる"日台戦争" 第7章 日本統治時代――天子が代わった(図説 台湾の歴史) wikipedia 乙未戦争 五十嵐真子・三尾裕子編『戦後台湾における〈日本〉──植民地経験の連続・変貌・利用』 『新しい歴史教科書』(扶桑社)を斬る13 「日台戦争」と呼ぶのは誤りか 大本営 領台十年史(未作成) 伊能嘉矩編,明38.6 台湾匪乱小史 台湾総督府法務部 『台湾総督府警察沿革誌』 戦没者数 日清・日台戦争戦没者数 匪徒刑罰令 匪徒刑罰令 匪徒刑罰令データ 日本植民政策一斑 日英博覧会 「人間動物園」、台湾先住民は出演者に過ぎないのか? 『黄色い仮面のオイディプス―アイヌと日英博覧会―』宮武公...
  • 日清戦争
    日清戦争 ―― 東アジア近代史の転換点 ―― 藤村 道生 岩波新書 http //www.iwanami.co.jp/.BOOKS/41/8/4131270.html 日清戦争は,日本を「圧迫された国」から「圧迫する国」へ転換させた.その意味で,日本近代史上画期的な戦争であった.アジアの民族同士が戦い,全アジアを近代帝国主義の分割競争にひらき,日本の民衆自身が帝国主義化した自国の政府のくびきにつながれる契機となった「痛歎すべき戦争」の全貌を,東アジア史の中で総合的に解明する. 7-2 台湾占領と抗日武装闘争 台湾の歴史・日台関係史
  • 【正論】学習院大学教授・井上寿一 異質中国との歴史研究のリスク
    http //sankei.jp.msn.com/world/china/100312/chn1003120331000-n1.htm 【正論】学習院大学教授・井上寿一 異質中国との歴史研究のリスク 2010.3.12 03 29  2005年の近隣諸国の反日デモをピークとして、外交・政治・社会問題としての歴史教科書問題は、今では表面上ではあれ、沈静化している。このような状況のなかでこそ、本格的な議論を始めるべきではないか。以下では外務省のウェブサイトが公開している日中歴史共同研究の報告書を手がかりに考えてみたい。  ≪多国間の国際関係の中で≫  すでにいくつかの新聞が報じているように、この報告書は、中国側の事情による戦後史部分の非公開、討議要旨の削除など、問題が多い。だからといって、放っておくわけにはいかない。専門家による今後の研究の進展に期待する、といっ...
  • 日清・日露戦争
    原田敬一「日清・日露戦争」 シリーズ日本近現代史3 岩波新書 http //www.iwanami.co.jp/hensyu/sin/sin_kkn/kkn0702/sin_k341.html 書評日記 http //plaza.rakuten.co.jp/boushiyak/diary/200704270000/ 第1章 初期議会 1 憲法実施の一挙 2 第一議会の攻防 3 積極主義への転換 第2章 条約改正 1 シベリア鉄道と日本 2 引き続く議会との対立 3 伊藤博文と自由党の模索 4 条約改正と帝国議会 第3章 日清戦争 1 協調からの離脱 2 朝鮮と日本の民衆 3 開戦へ 4 戦争の実相 5 終戦から戦後へ 第4章 台湾征服戦争 1 過酷な征服 2 「...
  • 4 戦争の実相
    日清・日露戦争 第3章 日清戦争 4 戦争の実相 4 戦争の実相不潔とにおい 猛暑から酷寒へ 旅順虐殺事件 兵士と軍夫 黄海海戦の「完勝」 主カを逃した失敗 不潔とにおい 兵士たちが上陸して感じたのは、まず「不潔」と「におい」だった。「におい」が、生活文化を背景にした異なったものとして認識されることは、時代を超えて異文化に遭遇した際の共通体験といえる。「におい」や「不潔」という第一印象記録は、日露戦争やアジア・太平洋戦争など多くの従軍日記にしばしば見られるものである。松山市駐屯の歩兵第二二聯隊の一士官も、八月五日朝鮮国の元山(ウォンサン)港に上陸した印象を記した。 さらに驚きは、聞きしに勝る不潔である。道路は塵糞にておおわれ、不潔の大王をもって自ら任ずる豚先生、鼓舞を引き連れ、人間どもを横目で睨みつつ道路を横行する。臭気鼻をつき、嘔吐をもよおすなり。(濱本利三郎『...
  • 濱本利三郎『日清戦争従軍秘録』
    濱本利三郎『日清戦争従軍秘録』 http //www.amazon.co.jp/%E6%97%A5%E6%B8%85%E6%88%A6%E4%BA%89%E5%BE%93%E8%BB%8D%E7%A7%98%E9%8C%B2%E2%80%9580%E5%B9%B4%E7%9B%AE%E3%81%AB%E5%85%AC%E9%96%8B%E3%81%99%E3%82%8B%E3%80%81%E3%81%9D%E3%81%AE%E5%9B%A0%E6%9E%9C%E9%96%A2%E4%BF%82-1972%E5%B9%B4-%E6%B5%9C%E6%9C%AC-%E5%88%A9%E4%B8%89%E9%83%8E/dp/B000J9GQ0K
  • 日清・日台戦争戦没者数
    日清・日台戦争戦没者数 日清・日台戦争戦没者数(1)『日本軍事史』 (2)靖国神社戦争別合祀者数 (3)日清・日露戦争死傷者数、直接戦費等 (4)wikipedia日清戦争 (5)台湾征服戦争(乙未戦争) (6)「台湾の歴史 日台交渉の三百年」 (7)藤村道生「日清戦争」 (8)参謀本部「明治二十七八年日清戦史」減耗人員階級別一覧表 減耗人員師団別一覧表 戦闘ごとの「死傷表」 (1)『日本軍事史』 http //d.hatena.ne.jp/higeta/ 日本軍の死者の数も9600人(うち病死7600人)と、下関条約締結までの戦没者8400人(うち病死7200人)を上回った戦闘であった(高橋典幸ほか『日本軍事史』吉川弘文館、2006、326頁)。 (2)靖国神社戦争別合祀者数 http //www.max.hi-ho.ne.jp/nvcc/TR7.HTM 日 清...
  • K氏への回答メール
    K氏への回答メール 掲載:http //www.melma.com/backnumber_100557_4452619/ 質問の文面は不明。 K氏への回答メール<第一回目の回答> <第二回目の回答> 日清戦争―秘蔵写真が明かす真実 (単行本) 東アジア国際政治史 (単行本) <第一回目の回答> ____様 いつもNHKの番組やニュースをご覧いただき、ありがとうございます。 お問い合わせの件についてご連絡いたします。 4月5日(日)放送「NHKスペシャル シリーズ JAPANデビュー・・・・」をご覧いただき、ありがとうございます。 番組は、「台湾の人びとは親日的」という捉えかたを否定していません。 そうした捉え方があることを前提として、日本の植民地支配を実際に体験した台湾の人々が当時どのような感じ、どのように生きたのか、という実態を明らか...
  • 第一章 「昭和の戦争」前史
    統合幕僚学校・高級幹部課程講義案 「『昭和の戦争』について」 福地 惇 (大正大学教授・新しい歴史教科書をつくる会理事・副会長) 第一章 「昭和の戦争」前史 第一章 「昭和の戦争」前史第一節 「十五年戦争」という歴史用語の陥穽(落し穴) 第二節 明治政府の国家戦略 第三節 日清戦争の歴史的意義 第四節 日露戦争の世界史的意義 第五節 複雑な国際情勢の出現・・・・一九一〇から三〇年まで 第六節 更に深まる支那大陸の混迷状況 第七節 欧州大戦及びロシア革命の甚大な影響 第一節 「十五年戦争」という歴史用語の陥穽(落し穴)  周知のように、満洲事変から支那事変、大東亜戦争へと、「昭和の戦争」は日本の国策として首尾一貫したアジア・太平洋方面への侵略戦争だったとする知識が日本のみならず世界の常識になっている。第二次世界大戦は平和と民主主義を愛する正義の諸国=『連合国』と世...
  • 対立と協調:異なる道を行く日中両国 川島 真<その1>
    [日中歴史共同研究]] 第1期「日中歴史共同研究」報告書 目次 <近現代史> 第一部 近代日中関係の発端と変遷 第二章 対立と協力 それぞれの道を歩む日中両国 対立と協調:異なる道を行く日中両国 川島 真<その1> 川島真: 東京大学大学院総合文化研究科・教養学部准教授(外部執筆委員) http //www.mofa.go.jp/mofaj/area/china/pdfs/rekishi_kk_j-2.pdf  目次  対立と協調:異なる道を行く日中両国 川島 真<その1>1.朝鮮半島をめぐる対立と日清戦争■朝鮮半島をめぐる日中対立 ■日清戦争の勃発から講和へ ■日清戦争の位置づけをめぐる日中の議論 2.義和団事変と中国をめぐる国際政治の変容■日清戦争後の中国をめぐる国際政治 ■戊戌変法と日本 ■義和団事件と北京議定書(辛丑和約) 3.「近代」をめぐる日...
  • 第2 朝鮮の植民地化の過程
    元朝鮮人女子勤労挺身隊員に対する損害賠償等請求控訴事件・控訴人準備書面(1) ソース:http //www.geocities.jp/teisintainagoya/kouso/kousokeika/zyunbi1.pdf 【小目次】 第2 朝鮮の植民地化の過程1 日清、日露の戦争 2 朝鮮の支配権争奪戦としての日清戦争 3 朝鮮の支配権をめぐる日露の戦争(日露戦争) 4 朝鮮植民地戦争 第2 朝鮮の植民地化の過程 1 日清、日露の戦争   日清、日露の戦争は日本の自衛戦争であったという議論がされることがあるしかし、事実に即して検討するとこのような側面よりも侵略的な側面が強いことがわかる。そして、清国、ロシアとの関係だけでなく、朝鮮の民衆との関係 に着目すれば、「自衛」が口実にすぎず、朝鮮という他国に対する「侵略」であったことが明らかとなる。 2 朝...
  • [CML 006495] 井上清著『「尖閣」列島--釣魚諸島の史的解明』の資料
    [CML 006495] 井上清著『「尖閣」列島--釣魚諸島の史的解明』の資料 http //list.jca.apc.org/public/cml/2010-November/006382.html 愛媛の奥村です。 BCCでお送りします。 重複される方は、すみません。 「尖閣」列島問題でナショナリズムが煽られています。 この問題を考える資料として、 井上清著『「尖閣」列島--釣魚諸島の史的解明』があります。 内容は、 1なぜ釣魚諸島問題を再論するか 2日本政府などは故意に歴史を無視している 3釣魚諸島は明の時代から中国領として知られている 4清代の記録も中国領と確認している 5日本の先覚者も中国領と明記している 6「無主地先占の法理」を反駁する 7琉球人と釣魚諸島との関係は浅かった 8いわゆる「尖閣列島」は島名も...
  • 第3 日本の戦争と植民地の拡大、総力戦の準備
    元朝鮮人女子勤労挺身隊員に対する損害賠償等請求控訴事件・控訴人準備書面(1) ソース:http //www.geocities.jp/teisintainagoya/kouso/kousokeika/zyunbi1.pdf 【小目次】 第3 日本の戦争と植民地の拡大、総力戦の準備1 日本の植民地は、日本が行った戦争とともに拡大していった。 2 このように戦争によって獲得した植民地は、 3 日本は満州事変で遼寧、吉林、黒竜江の東北三省を占領し、 4 第一次世界大戦によって、ヨーロッパ各国は、 第3 日本の戦争と植民地の拡大、総力戦の準備 1 日本の植民地は、日本が行った戦争とともに拡大していった。   日本の植民地は、日本が行った戦争とともに拡大していった。日清戦争の結果、1895年の「下関条約」によって台湾の領有が認められ、日本で最初の植民地となった。つづ...
  • 統合幕僚学校・高級幹部課程講義案
    統合幕僚学校・高級幹部課程講義案「『昭和の戦争』について」 統合幕僚学校・高級幹部課程講義案「『昭和の戦争』について」ネタ元? 典拠 【目次】 ネタ元? 自衛隊統合幕僚高級幹部となる為に教え込まれた歴史認識 田母神論文のネタ元ではないか、という指摘もある! http //d.hatena.ne.jp/Apeman/20081106/p1#c 余りにも稚拙な歴史学を学んでいるのは、ひとり田母神俊雄前航空幕僚長だけではない。というか、田母神が校長を務めていた幹部学校でこの稚拙な歴史学が教えられていたのである。 統合幕僚学校 典拠 西尾幹二のインターネット日録 2006年06月 http //nishiokanji.com/blog/2006/06/ より 【資料】 統合幕僚学校・高級幹部課程講義案 「『昭和の戦争』について」 講義...
  • 1-15 他の国の軍隊にも従軍慰安婦という制度はあったのか…
    ソース: 千田夏光「 高校生徹底質問!! 従軍慰安婦とは何か 」汐文社1992年5月 1-15 他の国の軍隊にも従軍慰安婦という制度はあったのか… 1-15 他の国の軍隊にも従軍慰安婦という制度はあったのか…コメント欄   ナポレオンが帝政時代のロシアヘ侵攻したときに、従軍慰安婦を連れていったという話はあるが、近現代となってからどこの国の軍隊にもこうした制度の存在はない。さらにいうと、ナポレオン軍の場合は常習的売春婦を集め連れていったので騙しや強制連行、まして徴用令などによるものではなかった。   同じ日本軍でも日清戦争、日露戦争、シベリア出兵、山東出兵27)から満州事変までなかった。さきに語ったように一九三七年(S12)に始まった"支那事変"開始以降に生まれたものだった。   あの戦争のときの米軍をみていくと、これも前に話したが戦場...
  • 大本営
    大本営 http //ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E6%9C%AC%E5%96%B6より 大本営(だいほんえい)は、戦時中・事変中に設置された大日本帝国陸軍および海軍の最高統帥機関である。天皇の命令(奉勅命令)を大本営命令(大本営陸軍部命令(大陸命)、大本営海軍部命令(大海令))として発令する最高司令部としての機能を持つ。 法制と設置 1893年5月19日 勅令 戦時大本営条例 大本営は、陸軍および海軍を支配下に置く戦時中のみの天皇直属の最高統帥機関として、勅令第52号戦時大本営条例によって法制化された。 1893年 戦時大本営条例(明治26年勅令第52号) この勅令は、明治26年5月22日に公布された。 日清戦争 1894年6月5日に設置。1896年4月1日解散 ref日清戦争  1895年4月17日 ...
  • 日中歴史研究報告書要旨
    http //www.47news.jp/CN/201001/CN2010013101000466.html 日中歴史研究報告書要旨  日中歴史共同研究報告書の要旨は次の通り。  【南京大虐殺】  ▽日本側 日本軍による集団的、個別的な虐殺事件が発生し、強姦、略奪や放火も頻発した。犠牲者数は20万人を上限として、4万人、2万人などさまざまな推計がある。中国側の30万人以上という犠牲者数は南京軍事法廷に依拠している。食い違いの背景には虐殺の定義や対象地域、期間などの相違が存在する。虐殺の原因は、憲兵の数が少なく食糧や物資補給を無視した攻略で、略奪行為が起きたと指摘されている。中国軍の民衆保護対策にも欠如があった。(波多野澄雄・筑波大教授、庄司潤一郎・防衛研究所第一戦史研究室長)  ▽中国側  日本軍は南京で多数の捕虜や住民を集団虐殺し、略奪を繰り広げ...
  • 1-03 どうしてそのようなものを当時の軍は考え出したのか…
    ソース: 千田夏光「 高校生徹底質問!! 従軍慰安婦とは何か 」汐文社1992年5月 1-03 どうしてそのようなものを当時の軍は考え出したのか… 1-03 どうしてそのようなものを当時の軍は考え出したのか…その歴史的背景 天皇の勅語 南京占領 コメント欄 その歴史的背景   きっかけは"南京大虐殺事件5)"にあったがそれには説明がいる。   今の高校の社会科の授業では近現代史までいかない学校が多いから理解しにくいところがあるかも知れないが、明治中期より日本は大陸侵出をはじめ"日清戦争6)""日露戦争7)"を経て一九一〇年(明治〔以後Mと表記〕42)軍事力を背景に"日韓併合条約8)"で朝鮮半島を日本の領土とした。ついで一九一八年(大正〔以後Tと表記〕7)からの"シベリア出...
  • 李登輝友の会が配布した怪文書デマ
    李登輝友の会が配布した怪文書 日本李登輝友の会 http //www.ritouki.jp/ 会  長 小田村四郎 事務局長 柚原 正敬 は そのメールマガジン5月6日号で以下のような怪文書をWEB上に配布しました。 http //www.melma.com/backnumber_100557_4470503/ 平成21年(2009年) 5月6日】 ☆★☆★ 日本李登輝友の会メールマガジン「日台共栄」 ☆★☆★       新しい日台交流にあなたの力を!!  [Vol.1030] (引用開始) 2 潮匡人氏も「NHK反日プロジェクト」と批判 「日台戦争」の出典『日清戦争-秘蔵写真が明かす真実』の著者も激怒  本日付の産経新聞で評論家の潮匡人氏がNHK「JAPANデビュー」問題について取り上げ、「公共放送としてほおかぶりを決め込むのは許...
  • 戦後日本における歴史認識―太平洋戦争を中心として―(2)
    http //www.nids.go.jp/dissemination/kiyo/pdf/bulletin_j4-3_4.pdf 『防衛研究所紀要』第4巻第3号(2002 年2月)100 ~ 119 頁。 戦後日本における歴史認識―太平洋戦争を中心として―(2) 庄 司 潤一郎 →http //www.nids.go.jp/profile/senshi/02-syouji.html 戦後日本における歴史認識―太平洋戦争を中心として―(1) 戦後日本における歴史認識―太平洋戦争を中心として―(2)5 日本人の歴史認識の特徴-複雑な意識の背景- おわりに 5 日本人の歴史認識の特徴-複雑な意識の背景-  日本人の太平洋戦争に関する歴史認識において、ドイツ人と比較した場合、被害者意識に比べ加害者意識が稀薄であるとしばしば指摘されるところであり、その点のみを批判するのは...
  • 日韓歴史研究報告書の要旨
    http //www.chugoku-np.co.jp/NewsPack/CN2010032301000547_Detail.html http //www.47news.jp/CN/201003/CN2010032301000547.html 詳報 3月23日18時2分更新 日韓歴史研究報告書の要旨 第2期日韓歴史共同研究の報告書要旨は次の通り。(委員以外の執筆者を含む) 日韓歴史研究報告書の要旨一、古代史【安羅倭臣館】 二、中近世史【文禄・慶長の役】 【元寇】 三、近現代史【領土問題】 【動員】 【強制連行】 【日本語教育】 【日清戦争】 【大衆文化】 四、教科書【委員あいさつ】 【教科書の理念】 【研究継続】 【教科書制度】 【教科書の記述内容】 →日韓歴史研究報告書の要旨(表形式) (引用者注)下記記事を表形式にしてみました。 一、古代史 【...
  • coffee氏の質問状とNHKの回答
    coffee氏の質問状とNHKからの回答 coffee氏(右派WEBライター=HN deliciouscoffee氏として夙に有名)はご自分のブログで、NHKへの質問と回答を公開しています。とても参考になりますので転載します。 http //blogs.yahoo.co.jp/deliciousicecoffee coffee氏の質問状とNHKからの回答coffee氏の質問状 NHKからの回答 coffee氏からの再質問 coffee氏の質問状 http //blog.yahoo.co.jp/deliciousicecoffee/39761745.html 「プロジェクトJAPAN」 NHKスペシャル シリーズ「JAPANデビュー」係 ━━━━━━━━━━ 拝啓 4月5日放送の『NHKスペシャル シリーズ「JAPANデビュー」第1回「アジア...
  • 日中戦争の開始
    南京大虐殺の研究 晩聲社1992 もくじ 上海戦と南京進撃戦-南京大虐殺の序章 江口圭 一、日中戦争の開始 二、上海戦と南京戦 三、南京進撃 四、大虐殺の序章 五、『南京戦史』批判 脚注 上海戦と南京進撃戦-南京大虐殺の序章 江口圭 一、日中戦争の開始 南京戦と南京大虐殺は上海戦(第二次上海事変)と密接に関連している。上海戦の問題を抜きにして、南京戦・南京大虐殺を論ずることはできない。そして上海戦を考察するためには、まず日中戦争そのものがどのようにして起こされたかを明らかにする必要がある。 日中戦争は一九三七(昭和一ニ)年七月七日の蘆溝橋事件を発端として発生した。盧溝橋事件そのものは偶発的な衝突であって、満州事変の発端となった柳条湖事件のように意図的.計画的に仕組まれたものではない(1)。現地では七月一一日になって一応の停戦協定が結ばれた...
  • 福地NHK会長に宛てた要望書
    http //sdaigo.cocolog-nifty.com/ NHK福地会長宛て 要望書(2009年7月7日) 「他虐」を「自虐」と言いくるめる本末転倒のナショナリズム~NHKスペシャル「JAPAN デビュー」への攻撃に思うこと~ http //sdaigo.cocolog-nifty.com/blog/2009/07/nhk-5bee.html  4月5日に放送されたNHKスぺシャル「JAPAN デビュ-」第1回「アジアの“一等国”」を偏向番組だとして、集団提訴が起こされた。番組は「やらせ」もまじえて、日本による台湾統治の功の部分を伝えず、負の部分を捏造または誇大に伝えたものだというのが、その言い分である。  しかし、私も見たあの番組は、日中戦争の勃発に伴って始まった皇民化政策の下で日本語の使用や「改姓名」と称した日本人名への改称が強要されたこと、日本軍兵士...
  • 日中歴史研究報告書のポイント
    http //www.jiji.com/jc/zc?k=201001/2010013100094 日中歴史研究報告書のポイント  日中歴史共同研究報告書の近現代史に関する記述のポイントは次の通り。 【日清戦争(1894~95年)以降】  日本=近代の日中関係史において日清戦争は一つの転換点。日本が有利な不平等条約体制が形成され、日本国内でも中国を蔑視(べっし)する傾向が生まれたことなど、それ以前とは異なる傾向が顕著に見られた。  中国=日本の拡張行為はやむことなく持続して中国人の抗日意識を激化させ、日本軍政決定者に、したい放題の横暴な心理を作り出した。 【田中上奏文(1927年)】  日本=対中政策を協議した東方会議に関連して「田中上奏文」と呼ばれる怪文書がある。これは田中義一首相が昭和天皇に上奏したとされるもので、中国への侵略計画だった。だが「...
  • Nスペに「李登輝友の会」が抗議声明
    http //sankei.jp.msn.com/economy/business/090410/biz0904102039021-n1.htm Nスペに「李登輝友の会」が抗議声明 2009.4.10 20 38  NHK総合テレビが5日に放送した「NHKスペシャル シリーズJAPANデビュー 第1回『アジアの“一等国”』」の内容が偏向していたとして、日本李登輝友の会(小田村四郎会長)は10日、福地茂雄NHK会長あてに抗議声明を出した。  番組では、日清戦争後の日本による台湾統治について、一等国を目指して統治の成功を海外に誇示したものの、日台間の格差と同化という矛盾を抱え、やがて皇民化運動で日本文化を強制した-などとした。  この放送に対し、声明は「日本が一方的に台湾人を弾圧したとするような史観で番組を制作することは、公共放送として許されるべきではない」とし...
  • つくる会教科書 慶良間触れず合格
    http //ryukyushimpo.jp/news/storyid-142900-storytopic-1.html つくる会教科書 慶良間触れず合格2009年4月10日 【東京】文部科学省は9日、2008年度教科書検定の結果を公表した。「新しい歴史教科書をつくる会」(藤岡信勝会長)が主導し、自由社(東京)が発行する中学歴史教科書など2社2点が合格した。自由社の教科書は516カ所に検定意見が付き、再申請を経て合格したが、ほかの教科書が記述している沖縄戦の「集団自決」(強制集団死)が起きた慶良間諸島への米軍上陸の事実に触れていないなど、太平洋戦争に関する記述をめぐる問題点が指摘されている。  「集団自決」における軍強制の記述を削除した2006年度の教科書検定に対し、沖縄では「沖縄戦の実相を歪(ゆが)めるもの」と厳しい抗議の声が上がった。  「つくる会」の教科書が「...
  • 先の大戦を総括し、戦争の歴史を再構築せよ
    新しい歴史教科書をつくる会『史』11月号 先の大戦を総括し、戦争の歴史を再構築せよ アパグループ代表 元谷外志雄  私の作った座右の銘に「賢者は歴史に学び、勝者は歴史を創る」がある。これは正にGHQが戦後日本に対して行ってきたことだ。  先の大戦は、そもそもドイツと日本からの挟み撃ちを避けたいソ連コミンテルンの謀略による日中戦争の泥沼化から始まった。関東軍の工作とされていた張作霖爆殺事件はソ連特務機関の謀略であり、日中戦争の発端となった盧溝橋事件も日本を中国国民党との戦争に引き込みたいコミンテルンの手先の中国共産党・劉少奇が引き起こしたものであった。  日米開戦も日本が欧州で勢いにのるドイツに接近し日独伊三国同盟を結んだことで日米開戦が即米独開戦となると狙われ追い込まれた結果だ。欧州の戦争には参戦しない公約で当選したルーズベルト大統領はチャーチル首相の要請と、...
  • 日本の侵略の底流をなしたもの
    日本の侵略の底流をなしたもの 明治以来のアジアに対する差別的民族観による破局 高嶋伸欣 一九四五年八月の敗戦からまもなく半世紀になろうとしている昨今、日本ではなお、アジア・太平洋戦争あるいは十五年戦争で、どのような侵略行為をしていたのか、さらにはあの戦争は侵略戦争だったのかについて、議論がつづいている。なぜ、これまでの間に戦争を実行した世代によって、それ、についての事実の確認や意味づけなどの総括がすませられなかったのか。戦勝国による東京裁判などの戦犯追及でよしとしたこと、戦争責任の議論が天皇のそれに及ぶことを避けようとしたこと、あるいは国民の多くになんらかの形で侵略にかかわっていたという意識があったことなど、さまざまな要因があげられる。 ともあれ、結果として半世紀近くもの間、侵略の事実の究明は遅れ、戦後補償の議論も最近になってようやく進められようとしている。その間に、日本...
  • 【日中歴史研究】妥協求めた政治的研究
    http //sankei.jp.msn.com/politics/policy/100201/plc1002010011003-n1.htm 【日中歴史研究】妥協求めた政治的研究 2010.2.1 00 11  2006(平成18)年、日中両国が歴史共同研究で合意した後、中国のインターネット上には「日本の誤った歴史認識を正す機会」との声が相次いだ。中国の「正しい歴史観」で日本側を「再教育」せよ、との圧力を痛感したと中国側関係者は話す。31日公表された報告書を読むと、中国側が共産党の歴史認識を基本にし、日本側と対立する面と同時に、双方が歩み寄った面も目につく。それはなぜか。  日中歴史共同研究を最初に提起したのは05年4月に訪中した町村信孝外相(当時)だった。折しも、靖国神社参拝を継続した小泉純一郎首相(同)への中国側の不満が各地で反日デモに発展しており、提案はほと...
  • 対立と協調:異なる道を行く日中両国 川島 真<その2>
    日中歴史共同研究 第1期「日中歴史共同研究」報告書 目次 <近現代史> 第一部 近代日中関係の発端と変遷 第二章 対立と協力 それぞれの道を歩む日中両国 対立と協調:異なる道を行く日中両国 川島 真<その2> 川島真: 東京大学大学院総合文化研究科・教養学部准教授(外部執筆委員) http //www.mofa.go.jp/mofaj/area/china/pdfs/rekishi_kk_j-2.pdf  目次  対立と協調:異なる道を行く日中両国 川島 真<その1> 対立と協調:異なる道を行く日中両国 川島 真<その2>4.日露戦争と満洲問題■日露戦争と日中関係 ■日露戦争の勃発と中国の中立 ■ポーツマス条約の締結と「日露戦争の世界史的意義」 ■「満洲」問題の発生 5.日露戦後の日中関係と辛亥革命■中国利権をめぐる協商関係の形成 ■立憲君主制の試みと日...
  • 日中歴史研究 違い見つめることから
    http //www.chunichi.co.jp/article/column/editorial/CK2010020202000041.html 【社説】 日中歴史研究 違い見つめることから 2010年2月2日  日本と中国の歴史共同研究の報告書が公表された。日中の見方の大きな違いが明らかになる一方、一部歩み寄りもみられた。隔たりを嘆くより、それを見つめることから対話を一層、進めたい。  歴史共同研究は二〇〇五年春、北京や上海を席巻した「反日」デモの渦中に日本が提案した。  当初、中国側は消極的だったが、〇六年十月、靖国問題をめぐる対立を克服し関係を正常化した安倍晋三首相(当時)と胡錦濤国家主席の会談で合意に達した。  このため、共同研究には当初から、歴史認識問題を外交やメディアの応酬から切り離して専門家による対話の場に移し、沈静化させる意図が込...
  • NHKスペシャル:「アジアの“一等国”」 「台湾統治」認識で揺れる番組評価
    http //mainichi.jp/select/wadai/news/20090706ddm012040007000c.html NHKスペシャル:「アジアの“一等国”」 「台湾統治」認識で揺れる番組評価 NHKスペシャル:「アジアの“一等国”」 「台湾統治」認識で揺れる番組評価●国会では主張二分 ●慰安婦番組も批判 ●「世界史的再検証」 ■番組が批判されている主な点とNHKの見解■  日本による台湾統治を取り上げたNHKスペシャル(4月5日放送)の評価を巡る論議が政界に波及している。自民党議員が国会で番組内容を批判すれば、共産党の議員は良い番組だと述べ、評価は割れる。番組に関する訴訟も起きたが、NHKは「内容に問題はない」との姿勢を貫いている。【「JAPANデビュー」取材班】 ●国会では主張二分  国会で取り上げられたのは、鎖国を解き欧米列強に追いつこうとす...
  • 黄文雄の尖閣紛争論
    黄文雄の尖閣紛争論 2010年10月02日 — 0.2中国の尖閣諸島糾弾 全国国民統一行動 東京渋谷集会会場 http //www.youtube.com/watch?v=lH2caWAR-pU feature=related 月刊WiLL:2010年11月増刊号 ■黄文雄 尖閣問題なんて存在しない! http //web-wac.co.jp/magazine/will/201011w_sp 黄文雄氏は、かねてから尖閣問題を研究してきたので、この問題で新しい著書や新史料が出てくると学者や台湾人記者が彼に知らせてくれるようになっているのだが、「どう考えても日本領土」であると上記の寄稿で主張している。 ここで黄文雄氏が書いているが、中国人学者や中国政府の領有権主張の根拠はたいてい井上清の著書からの引用や孫引きなのだが、井上の尖閣中国所属論は、とんでも...
  • 大本営wikipedia
    大本営wikipedia http //ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E6%9C%AC%E5%96%B6 大本営 提供 フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 移動 ナビゲーション, 検索 大本営(だいほんえい)は、戦時中・事変中に設置された大日本帝国陸軍および海軍の最高統帥機関である。天皇の命令(奉勅命令)を大本営命令(大本営陸軍部命令(大陸命)、大本営海軍部命令(大海令))として発令する最高司令部としての機能を持つ。 日清戦争と日露戦争で設置され、戦時の終了後に解散した。支那事変(日中戦争)では戦時外でも設置できるよう改められ、そのまま太平洋戦争(大東亜戦争)終戦まで存続した。連合国からはインペリアル・ジェネラル・ヘッドクォーターズ(Imperial General Headquarters)と呼ばれた。 ...
  • 「韓国併合」100年日韓知識人共同声明
    歴史共同研究庫 ソースは、http //www.kinyobi.co.jp/blog/wp-content/uploads/2010/05/201005101732273262.pdf 原文の行変えは一行空けに、原文の一行空けは三行空けにしました。 「韓国併合」100年日韓知識人共同声明(全文)  1910年8月29日、日本帝国は大韓帝国をこの地上から抹殺し、朝鮮半島を自らの領土に併合することを宣言した。そのときからちょうど100年となる2010年を迎え、私たちは、韓国併合の過程がいかなるものであったか、「韓国併合条約」をどのように考えるべきかについて、日韓両国の政府と国民が共同の認識を確認することが重要であると考える。この問題こそが両民族の間の歴史問題の核心であり、われわれの和解と協力のための基本である。  今日まで両国の歴史家は、日本による韓国併合が長...
  • 【見解】「尖閣」諸島(釣魚島)沖漁船衝突事件-脱「領土主義」の新構想を 2010年10月13日みどりの未来運営委員会(27日一部修正)
    【見解】「尖閣」諸島(釣魚島)沖漁船衝突事件-脱「領土主義」の新構想を 2010年10月13日みどりの未来運営委員会(27日一部修正) http //site.greens.gr.jp/article/41265440.html 【見解】「尖閣」諸島(釣魚島)沖漁船衝突事件-脱「領土主義」の新構想を  *一部修正しました 2010年10月13日 みどりの未来運営委員会(10月27日一部修正)」  9月の尖閣諸島(中国名:釣魚島)海域での中国漁船衝突事件をめぐって、中国側の強硬姿勢、日中両国国民の敵対感情が高まっています。このような事態を招いた日本政府の先の見通しのない対応の責任は重大です。 ■ 領土問題は現実に生じている  日中両国は、これまで、1978年の「日中平和友好条約」締結の際の鄧小平氏の「尖閣論争の棚上げ」「解決は次の世代の智恵に託す」という...
  • 戦後日本における歴史認識―太平洋戦争を中心として―(1)
    http //www.nids.go.jp/dissemination/kiyo/pdf/bulletin_j4-3_4.pdf 『防衛研究所紀要』第4巻第3号(2002 年2月)100 ~ 119 頁。 戦後日本における歴史認識―太平洋戦争を中心として―(1) 庄 司 潤一郎 →http //www.nids.go.jp/profile/senshi/02-syouji.html 戦後日本における歴史認識―太平洋戦争を中心として―(1)はじめに 1 戦後日本における歴史認識の変遷-学界、言論界を中心として- 2 「太平洋戦争」の呼称をめぐる諸問題1)「太平洋戦争」 2)「大東亜戦争」 3)「第二次世界大戦」 4)「15 年戦争」 5)「アジア・太平洋戦争」 6)「今次の大戦」、「先の大戦」、「過ぐる大戦」、「あの不幸な戦争」など 7)その他 3 歴史認識における論点 4 ...
  • [日中歴史研究]見えない「沖縄の視点」
    http //www.okinawatimes.co.jp/article/2010-02-02_2457 [日中歴史研究]見えない「沖縄の視点」  2010年2月2日 09時37分  日中双方の代表者が強調したのは、相互理解を深める第一歩だった、という前向きの評価だ。日中有識者による歴史共同研究委員会が発表した報告書は見解の違いが際だつ形になったとはいえ、違いを確認し合った意義は決して過小評価されるべきではない。  小泉純一郎首相の靖国神社参拝で日中関係が悪化したことから、2006年10月の安倍晋三首相と胡錦濤国家主席が首脳会談で歴史の共同研究に合意。日中各10人の有識者で研究委員会を立ち上げ、研究成果を3年がかりで報告書にまとめた。  国境の島、琉球・沖縄史をめぐっては尖閣諸島の領有権問題もあることから、今日的な課題もはらんでいる。  1609...
  • NHKスペシャル『アジアの"一等国"』に対する非難・中傷の動きについての見解
    http //jcj-daily.seesaa.net/article/123041722.html#more NHKスペシャル『アジアの"一等国"』に対する非難・中傷の動きについての見解 2009年7月7日 日本ジャーナリスト会議 4月5日放送のNHKスペシャル「JAPANデビュー」第1回『アジアの"一等国"』に対して、一部マスメディアと団体は、番組内容が一方的だなどとして非難・中傷を浴びせ、街宣車を繰り出すなどの行動を続けている。日本ジャーナリスト会議は、このような行為は単にNHKだけの問題に止まらず、日本における言論表現の自由そのものに対する恫喝と干渉にあたると考え、放送の自主性と自律性を尊重する立場から、直ちに中止されるべきだと考える。 この番組は、150年前に開国した日本が、西欧列強に伍して一等国の仲間入りをめざ...
  • 7-2 台湾占領と抗日武装闘争
    日清戦争 7-2 台湾占領と抗日武装闘争 7-2 台湾占領と抗日武装闘争台湾民主国の成立 抗日武力闘争の展開 台湾占領の意義 台湾民主国の成立 日本が朝鮮から後退しなけれぱならなかったとすれば、陸奥外相の「進むを得べき地」の第二である台湾こそはぜひとも確保する必要があった。下関条約調印直後、李鴻章は台湾では割譲をめぐって、はげしい騒動がおこっていると指摘し、台湾譲 194 渡は再議に付したいと提案したが、時日の遷延が列強の干渉をひきおこすことをおそれた日本政席は、五月一〇日、樺山軍令部長を大将にすすめ、台湾総督兼軍務司令官に任命し、占領を既成事実とすることをいそいだ。樺山総督は、二四日宇品を出港し、途中で大連湾から直行した近衛師団と沖縄中城(なかぐすく)湾で会同のうえ、台湾にむかった。 その間、台北では台湾割譲反対運動をすすめていた全台義勇統領邱逢甲(きゅうほ...
  • 日台双方で批判続出…NHK「偏向報道」政界に波及
    http //www.zakzak.co.jp/gei/200904/g2009042003_all.html 日台双方で批判続出…NHK「偏向報道」政界に波及 5日放送「アジアの“一等国”」自民議連が意見書  NHK総合テレビが5日に放送した「NHKスペシャル シリーズJAPANデビュー 第1回『アジアの"一等国"』」の内容に対し、有識者らが「偏向・歪曲報道」などと批判している問題で、自民党の保守系議連「日本の前途と歴史教育を考える議員の会」(会長・中山成彬元文科相)が近く、同局に質問状を提出することが20日、分かった。問題はついに政界に波及することになった。  番組は、日清戦争後の日本による台湾統治について、一等国を目指して統治の成功を海外に誇示したが、日台間の格差と同化という矛盾を抱え、やがて皇民化運動で日本文化を強制した-などと放送した。 ...
  • 尖閣(釣魚)諸島の先占は一時凍結か 2010/11/01[CML 006275
    http //www.han.org/a/half-moon/hm140.html#No.990 尖閣(釣魚)諸島の先占は一時凍結か  2010/11/01  メーリングリスト[CML 006275] 半月城です。  ある日、突然起きた中国漁船と日本巡視船の衝突事件はあれから2か月になろうとしま すが、両国の関係はぎくしゃくするばかりで、日中友好の修復にはほど遠いようです。  このように両国に緊張を強いる尖閣(釣魚)諸島問題は、両国の間の抜くに抜けないト ゲであり、ちくりちくりと両国に痛みを与えているようです。  かくも重大な影響をもたらした尖閣(釣魚)諸島問題について、改めてその歴史的な原 点を見直したいと思います。中でも、日本による尖閣(釣魚)諸島の編入手続きや「無主 地先占」にはどのような問題があるのかなどを中心に検証したいと思います。 1.内...
  • 戦争の証言記録は重要/平和ネット 記念シンポで訴え
    http //www.okinawatimes.co.jp/news/2008-10-14-E_1-006-2_002.html 2008年10月14日【夕刊】 社会 戦争の証言記録は重要/平和ネット 記念シンポで訴え  沖縄平和ネットワークは十二日、那覇市の教育福祉会館で総会を開き、沖縄タイムス賞受賞記念として、同ネット設立までの経緯や取り組み、今後の課題について意見交換した。  関係者は、国などによる戦跡整備とそれに伴う観光地化で、常に戦争美化へと歴史を書き換える動きがあったと指摘。体験者の証言など住民の立場から記録を残し伝え続けることの重要性を訴えた。  代表世話人の大城将保さんは、住民による遺骨収集が、日本政府援助で慰霊碑整備された際、「国のために命を捨てた英霊」と碑文に記されたことや、政府補助金による当初の県立資料館が、軍の遺留品展示場になった事例を挙...
  • 日本にとって植民地とは何であったか
    毎日新聞社「決定版昭和史 別巻1 日本植民地史」1985  p226 日本にとって植民地とは何であったか 初瀬龍平 日本にとって植民地とは何であったか植民地の獲得 植民地の経営 脱亜入欧の反省へ 植民地の獲得 戦前日本の領土には、「内地」と「外地」とがあった。内地とは、本土、沖縄、小笠原、千島のことであり、外地とは、台湾、朝鮮、南樺太、関東州、南洋諸島のことである。日本の植民地としては、日本領土であった上記の外地に加えて、領土ではなかったが、日本のカイライ国家であった満州国が挙げられる。 現在の私たちは、かつて日本の植民地がどこにあり、どのような統治をしていたか、を次第に忘れつつある。テレビで、中国残留孤児という四〇歳台の男女が肉親を探して来日するのをみて、涙する目本人は多い。しかし、そこから、かつての植民地政策を間い直そうというひとは少ない。 明治日...
  • 日中歴史共同研究の報告書要旨<1>…満州事変まで
    http //www.yomiuri.co.jp/politics/news/20100131-OYT1T00912.htm 日中歴史共同研究の報告書要旨<1>…満州事変まで  1月31日発表された、日中歴史共同研究報告書要旨は次の通り(中国側要旨は読売新聞社訳)。        ◇  <序>=(略)  <古代・中近世史>=(略)  <近現代史>  【明治維新】  日本側 明治維新では、中央集権でなければ外国と対抗できないことが広く理解されていた。薩長の下級武士からなる官僚が藩を廃止し、自ら武士(身分)も廃止した。清国の改革「洋務運動」は十分な成果を上げなかった。全国一体としての運動にならず、儒教が大きな障害になったというべきだろう。  中国側 明治政府は国内改革の成功で国力を結集し、近代強国に成長し、対外的な力を強化した。...
  • 出発点としての尖閣諸島領有問題 2010年10月17日 毛利正道
    出発点としての尖閣諸島領有問題 2010年10月17日 毛 利 正 道 http //www.lcv.ne.jp/~mourima/10.10.13senkaku-2.pdf 出発点としての尖閣諸島領有問題尖閣諸島 事実経過 尖閣諸島は日本の領土1 2 3 4 5 6 残された、しかし、出発点としての問題1 2 3 4 中国に「日本領有」が理解されるか1 2 3 4 国連海洋法条約を遵守する視点1 2 3 4 平和をどう築くか1 2 3 4 5 尖閣諸島 魚釣島・久場島・大正島・北小島・南小島の5島と3つの岩礁 面積は、魚釣島4.32平方キロ、5島の総面積6.3平方キロ 北緯25度44分から25度57分 東経123度30分から124度35分の間にある  南北約30キロメートル 東西約110キロメートルの範囲位置図 別紙 図1・図2http //senkakusyashin...
  • 歴史教科書「対立」と「歩み寄り」交錯 併合・竹島深入り回避
    http //www.nikkei.com/news/category/article/g=96958A9C93819481E0E1E2E0978DE0E1E2E1E0E2E3E28297EAE2E2E2;at=DGXZZO0195166008122009000000 歴史教科書「対立」と「歩み寄り」交錯 併合・竹島深入り回避 2010/3/23 19 22  日韓両国の歴史学者らでつくる「日韓歴史共同研究委員会」(日本側委員長・鳥海靖東大名誉教授)は23日、第2期研究報告書を公表した。両国の歴史教科書を研究する新設の「教科書小グループ」では互いの主張に一定の理解を示す一方、制度や記述を巡って対立した分野もあった。今年は日韓併合100年に当たるため、国民感情に配慮して併合や竹島領有権問題は深入りを避けた。  報告書は「古代史」「中近世史」「近現代史」「教科書小グルー...
  • 浮かび上がる靖国の思想
    世界 SEKAI 2007.7 特集:「沖縄戦」とは何だったのか 浮かび上がる「靖国」の思想 教科書修正の背後にあるもの 高橋哲哉 聞き手=編集部 たかはし・てつや 1956年生まれ。東京大学大学院総合分化研究科教授。哲学専攻。 著書に『戦後責任論』『靖国問題』など 浮かび上がる「靖国」の思想今回の検定がもつ意味 九条改定・日本の軍事化を支えるための国民意識の養成 復活する「戦争する国」日本の装置 「命どぅ宝」対「靖国思想」 細部への疑義から全体の否定へ 「美しい国」の正体 三月三〇日、来年度から便用される高校の歴史教科書の検定結果が文部科学省から公表されました。その中で大きな注目を集め、特に沖縄に大きな怒りと衝撃を与えたのは、沖縄戦における「集団自決」に日本軍が関与していたという記述が消されたことでした。 たとえぱある申請図書の記述は、当初は...
  • @wiki全体から「日清戦争の社会史」で調べる

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