15年戦争資料 @wiki内検索 / 「空襲そして艦砲射撃」で検索した結果

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  • 空襲そして艦砲射撃
    ...1日5版 空襲そして艦砲射撃 北谷村吉原(ちゃたんそんよしはら) 喜友名朝昭(きゆなともあき) 中学一年生十六歳  昭和十九年の四月に私は開南中学に入学して、その年の十月十日の大空襲があるまで、那覇港近くの垣花(かきのはな)に下宿していました。  その空襲の日は、私はどうしたわけか那覇にはいませんでした。八、九日ごろ、家に帰っていました。そしてその日、朝の一番の汽車で那覇に向かうときに、ぢょうどいまのキャンプ.クワ工の桑江(くわえ)駅ですな、そこを過ぎたところで、十・十空襲の爆弾が、読谷(よみたん)飛行場に落ちたんです。その飛行機は太平洋からの艦載機だったんでしょうが、那覇をやる組と、読谷飛行場をやる組と、小禄(おろく)飛行場をやる組は、ぜんぜん別々だったと思うんです。  それまでは、学校も順調ですよ。その日に、那覇商業、一高女、二中などの学校...
  • 「沖縄の証言」(上)より
    ...メリカ軍の上陛 空襲そして艦砲射撃・・・・・北谷村 喜友名朝昭 山の中へ・・・・・北谷村 喜屋武スミ 第二章 戦火に追われて 「おまんま食べたいよう」・・・・・北中城村 安里要江 生き地獄の中を・・・・・中城村 普天間ツル  第三章 壕の中で 壕から壕への逃避行・・・・・中城村 儀間トヨ 友軍兵士がわが子を殺した・・・・・浦添村 銘苅幸江 第四章 逃避行の果てに 遺骨を拾う(未作成)・・・・・西原村 仲宗根カマ 山をなす死体(未作成)・・・・・西原村 城間英吉 第五章 離島の悲劇 集団自決(未作成)・・・・・座間味村 宮里美恵子 日本軍の民間人銃殺(未作成)・・・・・伊江村 与那城彦興 注 証言の意味するもの・・・谷川健一 証言の意味するもの・・・谷川健一 証言の意味するもの・・・谷川健一(続) 沖縄戦目録 沖...
  • 島民を艦砲射撃から救った仲村渠明勇さん一家が、敗戦後斬殺された証言
    2 島民を艦砲射撃から救った仲村渠明勇さん一家が、敗戦後惨殺された証言 具志川村字西銘出身の仲村渠(なかんだかり)明勇さんは当時二十五歳、陸軍上等兵で現役を除隊していたが、防衛召集で海軍小禄飛行場守備隊に配属された。六月初め捕虜になって収容所へ入れられたものの、米軍の久米島攻略に際して"道案内"として同行し、住民に無抵抗を呼びかけていて、日本軍に襲われて妻子ともども斬殺されたのである。 六月二十六日に久米島へ上陸した彼は、妻のシゲさん(当時二十六歳)と、一歳になったばかりの長男明広ちゃんに再会し、隠れ家を転々としながら、米軍は一般住民には危害を加えないことを知らせていた。しかし日本軍が彼の動きをつかんで、スパイにまどわされるなと触れを出しているため、村の人びとは近づけず、八十五歳の老父もまた、ずっとはなれたところにいた。 明勇さんは、七男二女の末っ子...
  • 沖縄戦資料index
    ...がわが子を殺した 空襲そして艦砲射撃 山の中へ 自決未遂… 朝鮮人軍夫のこと 日本軍国主義と沖縄人 友軍にやられたよ 吉川勇助さん 吉川嘉勝さん 宮平春子さんと宮村トキ子さん姉妹の証言 上洲幸子さん 女性たち 「中尉」と「隊長」 毒おむすび渡された仲里議長 「沖縄の証言」(上)より 「沖縄の証言」(下)より 集団自決などをめぐって(論争史) 証言の意味するもの・・・谷川健一 写真集沖縄戦より 生き残った沖縄県民100人の証言 軍政と住民動員 沖縄戦について―戦時警備と総動員警備、軍命令の2種類 宮崎日誌に見る戒厳令検討 国頭国士隊の文書綴『秘密戦ニ関スル書類』 報道宣伝・防諜等ニ関スル県民指導要綱 防衛隊について 32軍による沖縄県民に対する戦争指導 沖縄新報:昭和19(1944)年12月8日第2面 住民動員それぞれの体験3防衛隊・男子学徒隊読谷村史 住民動員...
  • 「戦後なき死~沖縄・自決の島1991~
    「戦後なき死~沖縄・自決の島1991~」 情報とコメント:京の京太郎さん http //blog.goo.ne.jp/awamori777/e/c51d15bcb87bfd91052b23adc55a9c1d 日本テレビ制作ドキュメント「戦後なき死ー自決の島1991」でも宮平氏は25日夜の忠魂碑の前での村長の話の内容を証言されていますが、今回の原告側採取の証言内容とは違います。村長が「食料を軍に提供し、足手まといにならないように日本人らしく自決しよう。軍から爆薬を貰える約束ができているから到着をまつように」との話。しかし弾薬が到着しないまま、艦砲射撃があり、各自壕へ舞い戻った。・・・との証言をされています。「死んではいけないと命令されている。…」とは一言も有りません。 「戦後なき死ー自決の島・1991」の宮平証言シーンの内容  解説(ナレーション) 上陸...
  • II 根差部―「優勢ナル敵主力ガ上陸ヲ開始セリ」
    野村正起 沖縄戦負兵日記 玉砕戦一等兵の手記 1974年10月15日 第1刷発行 1978年 8月15日 第2刷発行 太平出版社 II 根差部―「優勢ナル敵主力ガ上陸ヲ開始セリ」三月二三日(金)晴 やや暖かい 三月二四日(土)晴 白雲多し 三月二五日(日)晴 三月二六日(月)晴 三月二七日(火)晴 やや冷たい 三月二八日(水)晴 三月二九日(木)晴 三月三〇日(金)晴 三月三一日(土)晴 四月一日(日)快晴 II 根差部―「優勢ナル敵主力ガ上陸ヲ開始セリ」 三月二三日(金)晴 やや暖かい 早朝、麓の部落(豊見城村字高安)で、空襲警報発令のサイレンが鳴った。と同時に、すさまじい爆音と機銃掃射の轟音があたりをつつんだ。アメリカ軍機グラマンの襲撃であった。 部落にはいままでにないことである! あわてたわれわれ通信分隊の一〇名は、機械を肩にして、山腹の宿...
  • 戦史叢書 沖縄方面陸軍作戦
    戦史叢書 沖縄方面陸軍作戦 昭和43年1月15日発行 昭和43年10月30日増刷 防衛庁防衛研修所戦史室 朝雲新聞社 序文 昭和42年12月 防衛研修所戦史室長 西浦 進 執筆 戦史編纂官 伊藤常男 第1章 概説 一、情勢推移の概況 二、南西諸島の地誌概況 三、南西諸島方面防備の由来 第2章 第32軍の創設と十号作戦準備 一、米軍のトラック来襲と南西諸島の強化 二、第32軍の戦闘序列下令と任務 三、十号作戦準備 四、大東島の急速強化 五、第32軍初期の航空基地設定 六、第32軍の西部軍編入 七、第32軍初期(4月~6月)の地上兵備 第3章 マリアナの失陥と捷号作戦準備 一、サイパン失陥と各方面の防衛強化 二、南西諸島の防衛強化と大本営の指導 三、第32軍の台湾軍編入 四、19年7月の大本営の作戦指導と第32軍の増強 五、捷号作戦計画 第4...
  • 軍の自決命令 私は聞いた
    朝日新聞1988年6月16日夕刊 軍の自決命令 私は聞いた… 渡嘉敷島の「住民集団死」 当時の役場兵事主任ら証言 呼集し手榴弾配る 「まず攻撃、残る一個で…」  沖縄戦初頭に沖縄の離島、渡嘉敷島で、住民三百余人が「集団自決」した。これが日本軍に強制された「死」だったのか、文字通りの「自発的な死」だったのか。沖縄戦の歴史的評価に深くかかわるとされながら、今ひとつ決め手の証拠を欠くまま論争が繰り返されてきた。が、最近になって、当時、渡嘉敷村役場で兵事主任を務め、「集団自決」の際に生き残った人が「日本軍は非戦闘員の住民にも自決命令を出していた」と初めて明らかにし、インタビューに応じてその詳細を証言した。戦後四十三年、沖縄戦には、なお多くの陰が残されているようだ。間もなく六月二十三日、沖縄の日本軍壊滅の日が来る。(藪下影治朗編集委員、写真も)  一日一便、那覇への村営...
  • 梅澤元少佐の意見陳述
    正論2006年9月号(産経新聞社・扶桑社) 靖国特集  沖縄集団自決冤罪訴訟が光を当てた日本人の真実 弁護士 徳永信一 梅澤元少佐の意見陳述 訴状の朗読に続き、白髪の梅澤元少佐が法廷の中央に進み出、この裁判に至る思いを綴った意見陳述書を読み上げた。背筋をピンと伸ぱした大柄な体躯、強い眼差しを裁判長に向けるその姿は、とても88歳の老人にはみえない。 陸軍に志願した梅澤元少佐は、昭和19年9月、海上挺進第一戦隊の隊長となり、座間味島に入った。村民と戦隊との関係は良好であり、隊員は村民との親睦に努めたという。昭和20年3月23日、座間味島は本島に先がけて米軍の空襲に見舞われ、25日は大艦隊が海峡に侵入し、艦砲射撃で島が鳴動し、米軍の上陸は時間の問題であった。間題の場面は、その日の夜の出来事だった。 「夜10時頃、戦備に忙殺されて居た本部壕へ村の幹部が5名来訪して...
  • 「集団自決」説明せず 歴博、一般公開始まる
    http //www.okinawatimes.co.jp/article/2010-03-17_4629/ 「集団自決」説明せず 歴博、一般公開始まる 国立歴史民俗博物館の新常設展示室内の沖縄戦「集団自決」を取り上げたパネル=16日午後、千葉県佐倉市 [画像を拡大] 社会 2010年3月17日 09時41分 (6時間34分前に更新)  【千葉】沖縄戦「集団自決(強制集団死)」の展示物の記述から軍関与を削除し、問題化している国立歴史民俗博物館(千葉県佐倉市)で16日、沖縄戦のパネルが展示される新常設展示室「現代」の一般公開が始まった。  平川南館長や女優の竹下景子さんらがテープカットし、同日正午に公開された。一般の観覧者に対し、展示責任者の安田常雄副館長が各展示を説明した。大テーマ「戦争と平和」の最終コーナー「大量殺(さつ)戮(り...
  • 三、米軍の硫黄島来攻と沖縄の防衛強化
    戦史叢書 沖縄方面陸軍作戦 第7章 第32軍の作戦準備と航空基地問題 三、米軍の硫黄島来攻と沖縄の防衛強化 三、米軍の硫黄島来攻と沖縄の防衛強化沖縄来攻の算あリ 丙号戦備下令 戦闘指針 軍船舶隊の海上遊撃戦準備 沖縄来攻の算あリ ニ十年二月初頭沖縄本島は配備変更後の陣地再編成に多忙をきわめた。 二月七日軍は左記聯合艦隊の通報に接し、いよいよ連合軍の沖縄来攻は必至であると緊張した。(7,10) 機密第〇六一四〇七番電 聯合艦隊参謀長発 通信諜報二依レバ敵ハニ月初頭以来「マリアナ」「マーシャル」方面二於ケル新作戦準備中ノ算アリ ソノ指向方向時機ハ未ダ判明シ得ザルモ左ノ三者ノ何レカナルモノノ如シ 一  二月下旬頃小笠原群島方面来攻 二  二月中旬以後機動部隊二依ル我本土方面空襲 三  三月以後大規模ナル攻略作戦(南酉諾島方面ノ算アリ) 第三十...
  • b 「地方自治七周年記念誌」(昭和30年)沖縄市町村長会発行(ha)
    通055 | 戻る | 次へ 沖縄集団自決訴訟裁判大阪地裁判決 事実及び理由 第4 当裁判所の判断 第4・5 争点4および5(真実性及び真実相当性)について 第4・5(2) 集団自決に関する文献等 ア 座間味島について(ア)(梅澤命令説記載文献) b 「地方自治七周年記念誌」(昭和30年)沖縄市町村長会発行(ha) 「地方自治七周年記念誌」は,戦後における沖縄の政治,経済,教育,文化,社会その他の事情を総合して沖縄の全市町村の概要をまとめた記念誌である。 「地方自治七周年記念誌」には, 「戦闘記梅択少佐(隊長)の率いる約千五百名の日本陸軍部隊が初めて座間味村字座間味に本部を設置して離島の阿嘉島および慶留間島の各部落まで駐屯したのが一九四四年九月十日であつた。」 「一九四五年三月二十四日土の臭も鼻をつく中で一晩を過ごして目を覚す頃には...
  • 原告準備書面(2)全文2006年3月24日その2
    原告準備書面(2)全文2006年3月24日その2 ソース:http //www.kawachi.zaq.ne.jp/minaki/page022.html 原告準備書面(2)全文2006年3月24日その1 原告準備書面(2)全文2006年3月24日その2 原告準備書面(2)全文2006年3月24日その3 原告準備書面(2)全文2006年3月24日その4 原告準備書面(2)全文2006年3月24日その23 座間味島における集団自決の実相(1)集団自決の心理と了解 (2)中村仁勇『青年義勇隊』 (3)大城昌子『自決から捕虜へ』 (4)宮里美恵子『座間味の集団自決』 (5)宮城初枝『女子青年団』 (6)吉田春子『軍と共に』 (7)金城ナヘ『集団自決とそのあと』 (8)まとめ 3 座間味島における集団自決の実相 (1)集団自決の心理と了解 集団自決が守備隊長で...
  • 母の遺したものcontents
    「母の遺したもの」沖縄タイムス、宮城晴美著第一部 母・宮城初枝の手記 第二部 「集団自決」- 惨劇の光景空サンシンを弾く祖父 「忠魂碑前に集まれ」 半狂乱の父親 村の指導者たちの死 第三部 海上特攻の秘密基地となって日本軍の駐留 秘密基地と化した慶良間諸島 兵事主任・宮里盛秀の選択 米軍支配のスタート 惨劇のあと 第四部 母・初枝の遺言 「母の遺したもの」沖縄タイムス、宮城晴美著 目次 http //www.koubunken.co.jp/0250/0249.html 約束から一〇年 第一部 母・宮城初枝の手記 「血ぬられた座間味島」 のんびりした離島の四季 暗夜の日本軍上陸、ようやく緊迫感も 初の空襲に募る不安 「ああ、座間味が焼ける」 廃墟と化した村 部隊長への申し入れ 自決するため手榴弾を叩く 「斬込み隊」の道案内 負傷者の哀れな最期 敵弾で負傷...
  • b 「地方自治七周年記念誌」(昭和30年)沖縄市町村長会発行(2ha)
    昨日 - 今日 - 目次 戻る 通2-056 次へ 通巻 読める控訴審判決「集団自決」 事案及び理由 第3 当裁判所の判断 5 真実性ないし真実相当性について(その1) 【原判決の引用】 (原)第4・5 争点(4)及び(5)(真実性及ぴ真実相当性)について (原)(2) 集団自決に関する文献等 ア 座間味島について(ア)(梅澤命令説記載文献)   梅澤命令説について直接これを記載し, 若しくはその存在を推認せしめる文献等としては, 以下に記載するものがあげられる。 b 「地方自治七周年記念誌」(昭和30年)沖縄市町村長会発行 (判決本文p145~) (引用者注)当サイトでは、原審判決に大阪高裁が付加あるいは判断を改めた部分等は, 区別しやすいようにゴシック体で表示し, 削除した部分は薄い色で削除した部分示しました。   ...
  • 赤松元部隊長戦場日記:『殉国日記』に転写された一節 1946.2.22
    沖縄作戦 殉国日記(2) 赤松元部隊長戦場日記 『殉国日記』に転写された一節 1946.2.22 中島幸太郎氏が赤松宅訪問(s21.2.22)の折に転記した「赤松部隊長戦場日記ノ一節」 (これは赤松嘉次が戦場で書いたものではなく、沖縄の収容所で辻政弘中尉「本部陣中日誌」を要約したものと思われます。) 当稿を引用する方へのお願い:書き起こし文には私の間違いが含まれていますので、其の点を充分にご承知の上引用してください。また引用する方は当ページのURLを、必ず引用文に添えてください。食物の安全を流通過程で保障するのと同じように、資料典拠のトレーサビリティーを確保するためです。原文を独自に解読し直された方はその限りにありません。 二○、三、二三、晴 敵機約述三○○機、慶良間列島ノ爆撃銃撃ヲナス 戦死者負傷者各十一名、兵器糧秣其ノ他焼損 二○、三、...
  • (7)陣中日誌 海上挺進第三戦隊(上)
    index 目次 1970年改本・谷本版 (7)陣中日誌 海上挺進第三戦隊(上) (引用者注)昭和19年8月25日から昭和20年3月末までを(上)としました。 (7)陣中日誌 海上挺進第三戦隊(上)昭和十九年八月八月二十五日 八月二十六日 八月三十一日 昭和十九年九月九月三日 九月四日 九月八日 九月十日 九月十一日 九月十二日 九月十三日 九月十四日 九月二十一日 九月二十六日 九月二十七日 九月九日 昭和十九年十月十月九日 十月十日 昭和十九年十一月十一月十日 十一月 日 昭和十九年十二月十二月十日 昭和二十年一月昭和二十年一月一日 一月十日 一月二十日 一月二十一日 昭和二十年二月二月中旬 昭和二十年三月三月二十日晴 三月二十一日晴 三月二十二日晴 三月二十三日晴 三月二十四日晴 三月二十五日晴 三月二十六日晴 三月二十七日晴後雨 三月二十八日小雨 晴 夜小雨 三...
  • (付録)「若藤楼のお姐さん」
    【沖縄戦】「美しい死」と「不潔な死」 V. 伊波証言の要約と考察 (付録)「若藤楼のお姐さん」  最後に、上原栄子著『辻の華 戦後編上』の一節を、長いのですが以下引用します。戦争が終わった直後の出来事の回想で、出版は1989年です。(VI-Bその他-27)  ここに「若藤樓のお姐(ねえ)さん」と書いてあるのは、伊波苗子さんのことではないかと思います。大高未貴氏によれば、伊波さんは幼女のとき「若藤楼」ではなく「太平楽」のアンマー(抱親)に引き取られたそうですが(VI-B 25)、「太平楽」のアンマーは北部国頭に疎開してしまい、伊波さんは「若藤楼一同」として行動していたと思われます。だとしたら、伊波さんが「若藤楼のお姐さん」として見られたとしても、ごく自然なことです。  伊波さんらしい女性の姿は、八原博通『沖縄決戦』を、また大迫亘『薩摩のボッケモン』を通読しても...
  • l 体験者らの供述等(2ha)
    昨日 - 今日 - 目次 戻る 通2-066 次へ 通巻 読める控訴審判決「集団自決」 事案及び理由 第3 当裁判所の判断 5 真実性ないし真実相当性について(その1) 【原判決の引用】 (原)第4・5 争点(4)及び(5)(真実性及び真実相当性)について (原)(2) 集団自決に関する文献等 ア 座間味島について(ア)(梅澤命令説記載文献)   梅澤命令説について直接これを記載し, 若しくはその存在を推認せしめる文献等としては, 以下に記載するものがあげられる。 l 体験者らの供述等(2ha) (判決本文p152~) (引用者注)当サイトでは、原審判決に大阪高裁が付加あるいは判断を改めた部分等は, 区別しやすいようにゴシック体で表示し, 削除した部分は薄い色で削除した部分示しました。 l 体験者らの供述等(2ha)(a...
  • l 体験者らの供述等(ha)
    通065 | 戻る | 次へ 沖縄集団自決訴訟裁判大阪地裁判決 事実及び理由 第4 当裁判所の判断 第4・5 争点4および5(真実性及び真実相当性)について 第4・5(2) 集団自決に関する文献等 ア 座間味島について(ア)(梅澤命令説記載文献) l 体験者らの供述等(ha) l 体験者らの供述等(ha)(a)(「沖縄県史第10巻」記載分)* (b)(「座間味村史下巻」や「沖縄の証言」記載分)* (C)(宮城初枝の手記)* (a)(「沖縄県史第10巻」記載分)* 以上の文献のほか,「沖縄県史第10巻」には,宮里とめ(乙9・738,739頁),宮里美恵子(乙9・741頁),宮平初子(乙9・746頁),宮平カメ及び高良律子(乙9・753頁)など,座間味島の住民の体験談が紹介されている。 すなわち,宮里とめについては, 「二十五日の晩,全員自...
  • 原告梅澤裕意見陳述書2005年10月28日
    原告梅澤裕意見陳述書2005年10月28日 http //blog.zaq.ne.jp/osjes/article/9/ 原告梅澤裕意見陳述書2005年10月28日一、梅澤裕でございます。 二、戦時中、私は、 三、昭和二○年三月二三日、 四、終戦後、 五、ところが昭和三三年頃、 六、以後、沖縄返還問題に絡め、 七、しかし、昭和五七年六月二三日に 八、しかしながら、長年の思いが実り、 原告 梅澤裕 意見陳述書 意 見 陳 述 書 沖縄集団自決冤罪訴訟第1回口頭弁論(平成17年10月28日) 一、梅澤裕でございます。 現在、満八八歳になります。 座間味島島民の集団自決は私の命令によるものと報道されて以来、今日に至るまで、約半世紀にわたり、汚名に泣き、苦しんで参りました。 それら辛酸の数々と、この裁判に賭ける思いを、裁判官様に是非ともご理解戴きたく、こ...
  • 海上挺進第三戦隊「第三中隊戦闘要報控」(2)1/3
    「海上挺進第三戦隊陣中日誌」の研究 海上挺進第三戦隊「第三中隊戦闘要報控」(2)1/3 海上挺進第三戦隊「第三中隊戦闘要報控」(1) 海上挺進第三戦隊「第三中隊戦闘要報控」(2)1/3典拠 「戦闘詳報」に対する「戦闘要報」 凡例 内容(2)の第1葉 (2)の第2葉 (2)の第3葉 (2)の第4葉 (2)の第5葉 (2)の第6葉 (2)の第7葉 (2)の第8葉 (2)の第9葉 (2)の第10葉 (2)の第11葉 (2)の第12葉 (2)の第13葉 (2)の第14葉 (2)の第15葉 (2)の第16葉 (2)の第17葉 (2)の第18葉 (2)の第19葉 (2)の第20葉 (2)の第21葉 (2)の第22葉 (2)の第23葉 (2)の第24葉 (2)の第25葉 乱丁・落丁の検討 御意見欄 海上挺進第三戦隊「第三中隊戦闘要報控」(2)2/3 海上挺進第三戦隊「第三中隊戦闘要報控」(2...
  • (10)二十五周忌慰霊祭弔辞 赤松嘉次
    index 目次 (10)二十五周忌慰霊祭弔辞 赤松嘉次  弔辞  謹んで渡嘉敷島及び此の周辺に於いて戦没されました村民の方々並びに将兵の御霊に申し上げます。  顧みまするに二十六年前恰も大東亜戦争風雲急を告げる昭和十九年九月、私達海上挺進第三戦隊及び支援配属部隊は特攻任務を持って、此の渡嘉敷島に配備されたのであります。  その十月沖縄空襲、那覇全焼、台湾沖航空戦等此の島にも緊迫の度が加わる中、御当地皆様方の御協力により軍民一体必死の作業が実を結び、特攻準備は略完成し三月二十三日連合軍の来襲を迎えました。  熾烈な敵機の空襲艦砲射撃の下に陰忍満を持しつつ、遂に同二十六日未明出撃準備を下令、敵弾下勇躍涯水作業を強行致しましたが、天吾に味方せず泛水に長時間を要し、白昼強行せんか他戦隊の戦略企図秘匿の為涙を呑んで自沈するの止むなきに至り、皆様方及び吾々の苦労も一...
  • 6 宮平秀幸の新しい供述及び関連証拠について
    昨日 - 今日 - 目次 戻る 通2-122 次へ 通巻 読める控訴審判決「集団自決」 事案及び理由 第3 当裁判所の判断 6 宮平秀幸の新しい供述及び関連証拠について (判決本文p240~) 6 宮平秀幸の新しい供述及び関連証拠について(1) <秀幸新証言の概要> (2) <秀幸新証言の矛盾及び不自然な変遷> (3) <他の手記等との矛盾> (4) <秀幸新証言を採用,評価する関連証拠等> (5) <小括> 書証一覧   原審の口頭弁論集結後, 控訴人梅澤の伝令要員を務めていたという宮平秀幸の新しい供述が明らかになったとして新聞報道や雑誌への記事掲載がなされ, 当審においても関連証拠が多数提出されて, それらに基づく事実主張がなされている(なお, 控訴人ら訴訟代理人は, 期日前には, 当審で宮平秀幸の証人調べを求めるとしていたが,...
  • 宮平秀幸陳述書(2)
    宮平秀幸陳述書(2) http //www.jiyuu-shikan.org/pdf/miyahira9-1.pdf 宮平秀幸陳述書(2)●生い立ちと略歴 ●3月23日、空襲開始 ●3月24日、宮里直の話 ●3月25日、本部壕にて ●3月25日、忠魂碑前にて ●3月26日、整備中隊の壕にて ●3月26日、第二中隊の壕にて ●3月26日、山城安次郎教頭 ●3月26日、負傷し米軍の捕虜となる 陳 述 書 平成20年9月1日 大阪高等裁判所第4 民事部御中 沖縄県座間味村字座間味 xxx 宮平 秀幸 ●生い立ちと略歴 私は昭和5年1月10日、父・宮平秀松と母・貞子の間の三男として、沖縄県座間味島にて出生しました。座間味島集団自決の証言者として知られる宮城初枝は、私の腹違いの姉にあたりますが、初枝はまもなく亡くなった実母の実家で育てられましたので、同じ家の家族と...
  • e 「秘録沖縄戦史」(昭和33年)山川泰邦著(ha)
    通058 | 戻る | 次へ 沖縄集団自決訴訟裁判大阪地裁判決 事実及び理由 第4 当裁判所の判断 第4・5 争点4および5(真実性及び真実相当性)について 第4・5(2) 集団自決に関する文献等 ア 座間味島について(ア)(梅澤命令説記載文献) e 「秘録沖縄戦史」(昭和33年)山川泰邦著(ha) 「秘録沖縄戦史」は,沖縄戦当時警察官であり,その後琉球政府社会局長となった山川泰邦が,自己の体験や,終戦の翌年沖縄警察部が行った戦没警察官の調査の際に収集された数多くの人の体験談や報告,琉球政府社会局長時代の援護業務のために広く集めた沖縄戦の資料などに基づいて執筆したものである(乙4・6頁)。 「秘録沖縄戦史」には, 「昭和二十年三月二十三日,座間味は米機の攻撃を受け,部隊が全滅するほどの被害を蒙り,住民から二十三人の死者を出した。村民たちは,焼...
  • V-07 伊波証言の信憑性について
    【沖縄戦】「美しい死」と「不潔な死」 V. 伊波証言の要約と考察 V-07伊波証言の信憑性について  私が伊波苗子さんの証言を聞いてまず思ったことは、実に細かいことまでよく覚えていたなあ、ということです。人の名前や日付の間違いなどは致し方ないことです。  どれも、伊波さん自身の「体験記憶」としては、正しいのだと思います。しかし、芥川龍之介の『藪の中』(映画化されて『羅生門』)が表現したとおり、人が語る「事実」というものは、語る人の立場によって大きく異なるものです。それは、今もなお日本軍を尊敬する伊波さんにおいても、日本軍を批判する方々においても、同じように言えることではないでしょうか。  チャンネル桜の人たちはよく「今の沖縄は特殊な言論空間の中にあって、真実が見えなくなっている」といいますが、私からしますと、沖縄戦さなかの沖縄こそ歪んだ言論空間であり、第32...
  • 第2・2(2) 第二次世界大戦における沖縄戦と座間味島及び渡嘉敷島における集団自決
    通006 | 戻る | 次へ 沖縄集団自決裁判大阪地裁判決 第2 事案の概要 第2・2 前提となる事実 第2・2(2) 第二次世界大戦における沖縄戦と座間味島及び渡嘉敷島における集団自決 昭和16年12月に始まった太平洋戦争は,昭和17年のミッドウェー沖海戦を機に日本軍は劣勢を強いられ,昭和19年7月にはサイパン島が陥落し,昭和20年2月には米軍が硫黄島に上陸し,次の米軍の攻撃は台湾か沖縄に向かうと予想される状態であった。 昭和19年3月,南西諸島を防衛する西部軍指揮下の第三二軍が編成され,同年6月ころから実戦部隊が沖縄に駐屯を開始し,この沖縄守備軍・第三二軍は「球部隊」と呼ばれていた。 昭和20年3月23日から,沖縄は米軍の激しい空襲に見舞われ,同月24日からは艦砲射撃も加わった。慶良間海峡は島々によって各方向の風を防ぎ,補給をする船舶にとって...
  • e 「秘録沖縄戦史」(昭和33年)山川泰邦著(2ha)
    昨日 - 今日 - 目次 戻る 通2-059 次へ 通巻 読める控訴審判決「集団自決」 事案及び理由 第3 当裁判所の判断 5 真実性ないし真実相当性について(その1) 【原判決の引用】 (原)第4・5 争点(4)及び(5)(真実性及び真実相当性)について (原)(2) 集団自決に関する文献等 ア 座間味島について(ア)(梅澤命令説記載文献)   梅澤命令説について直接これを記載し, 若しくはその存在を推認せしめる文献等としては, 以下に記載するものがあげられる。 e 「秘録 沖縄戦史」(昭和33年)山川泰邦著(2ha) (判決本文p147~)   「秘録沖縄戦史」は, 沖縄戦当時警察官であり, その後琉球政府社会局長となった山川泰邦が, 自己の体験や, 終戦の翌年沖縄警察部が行った戦没警察官の調査の際に収集された数多くの...
  • II-02<首里城の壕に行く>
    【沖縄戦】「美しい死」と「不潔な死」 II. 伊波苗子証言(1)2011.11.28 書き起こし II-02<首里城の壕に行く> 【動画】https //youtu.be/8wUmR4bO_gQ?t=59s 伊波苗子さんインタビュー インタビュアーは奥茂治氏(元海上自衛官、南西諸島安全保障研究所会長) (伊波)牛島閣下殿はね、(昭和)19年の8月15日午後2時に沖縄にお着きになりました*2。上のくら*3から10.10空襲*4にですね、それから大道*5のほうに、10月12日に移動なさいました。そいで戦争が始まるうちにね、空襲が激しうて、それから大道からですね、首里のほうに移動しました。首里城の地下のほう*6に、それで、私たちはですね、沖縄の2分団の会長で*7、ずう~と牛島閣下殿の姿よく拝見してます。もうホントのいい司令官でね。もう、いい方だったです。それから...
  • IV-06<拷問>
    【沖縄戦】「美しい死」と「不潔な死」 IV. 伊波苗子証言(2) 2012.3.1 書き起こし V-06<拷問> 動画https //youtu.be/O6i1g0Tu6vY?t=17m34s  首里城地下、沖縄守備隊地下司令部による「スパイ容疑処刑」事件。  目撃者である伊波苗子さん(2012年当時94歳)が、身振り手振りも加えて、すさまじい尋問、拷問の様子を生々しく語ります。彼女は第32軍司令官に仕えていました。高級将校による取り調べにも立ち会っていたのでしょうか? 以下は、チャンネル桜が虐殺と拷問を認めた、スクープです。 伊波さんインタビュー 17 34 (大高)付近の住民を処刑したことありますか? (伊波)ありません。 (大高)本部… (伊波)はい (大高)ハイ 編集カット (大高)あの渡久山さ...
  • (原)第3・4(2)エ(ウ) 文献に対する反論
    目次 戻る 通2-036 次へ 通巻 読める控訴審判決「集団自決」 事案及び理由 第2 事案の概要等 第2の3 前提事実及び争点 【原判決の引用】 (原)第3 争点及びこれに対する当事者の主張 (原)4 争点4(真実性の有無)について (2)控訴人らの主張 第3・4(2)エ 渡嘉敷島について (原)第3・4(2)エ(ウ) 文献に対する反論 (判決本文p78~) (引用者注)当サイトでは、原審判決に大阪高裁が付加あるいは判断を改めた部分等は, 区別しやすいようにゴシック体で表示し, 削除した部分は薄い色で削除した部分示しました。 (原)第3・4(2)エ(ウ) 文献に対する反論a (文献間の関係)* b 「鉄の暴風」について c 「戦闘概要」について d 米軍の「慶良間列島作戦報告書」について a (文献間の関係)*   渡嘉敷島に...
  • i 「沖縄県史第8巻」(昭和46年)琉球政府編集(ha)
    通062 | 戻る | 次へ 沖縄集団自決訴訟裁判大阪地裁判決 事実及び理由 第4 当裁判所の判断 第4・5 争点4および5(真実性及び真実相当性)について 第4・5(2) 集団自決に関する文献等 ア 座間味島について(ア)(梅澤命令説記載文献) i 「沖縄県史第8巻」(昭和46年)琉球政府編集(ha) 「沖縄県史第8巻」は,昭和40年から沖縄の公式な歴史書として,琉球政府及び沖縄県教育委員会が編集,発行した別巻を含め,全24巻中の1巻(各論編7に当たり,沖縄戦通史とされる部分である。)で,昭和46年4月28日に刊行されたものである。 「沖縄県史第8巻」には, 「軍自らは」「現実とはうらはらの『大本営発表』でもって県民に幻想を抱かしめる欺瞞的行為をしながら,県民が作戦の邪魔になるからということで,安全保証も与えず県外や県内の山岳地箒への疎開を強制し...
  • 『鉄の暴風』―――発端
    正論2006年9月号(産経新聞社・扶桑社) 靖国特集  沖縄集団自決冤罪訴訟が光を当てた日本人の真実 弁護士 徳永信一 『鉄の暴風』―――発端 標的の一つ『沖縄間題二十年』によれぱ、「この慶良間列島の渡嘉敷島には、赤松大尉を隊長とする海上特攻隊130名が駐屯していた。この部隊は船舶特攻隊で、小型の舟艇に大型爆弾2個を装備する人間魚雷であった。だが、赤松大尉は船の出撃を中止し、地上作戦をとると称して、これを自らの手で破壊した。そして住民約3百名に手榴弾を渡して集団自決を命じた」という。 そこで「人間魚雷」とされた特攻ボートはベニア板製の小型船体に自動車用エンジンを搭載し、約30キロメートルで進み、停泊中の米艦船に体当たり攻撃して自爆することが計画された特攻兵器であり、生還は不可能とされていた。しかし米軍の空爆により特攻ポートの多くを破壊された赤松隊は、上官の命令で特攻...
  • 小嶺幸信『一〇・一〇空襲と戦場になった島』
    今日の訪問者 - 渡嘉敷村史資料編(昭和62[1987]年3 月31日出版)p385 一〇・一〇空襲と戦場になった島 渡嘉敷 小嶺幸信(当時十四歳) (引用者注)括弧つき小見出しは引用者が付したもので原文にはありません 一〇・一〇空襲と戦場になった島(10.10空襲) (3.23空襲) (北山で) (元の壕に帰る) (アメリカ軍再上陸の後) (山を降りる)  次の年の三月二三日の空襲の時は、「アメリカの機動部隊が沖縄に向かっている、空襲があるらしい」と、情報が前もって知らされていたので、私たちは、空襲の始まる前から壕に入っていましたよ。 (10.10空襲)  一〇・一〇空襲の時は、学校に行っていましてね、  本校舎は日本軍に接収されていて、北山(ニシヤマ)のふもとに、イーヒョーローという所で、地番は小嶺原で、そこに仮校舎を三棟ほど造りま...
  • IV-03<若藤楼の女性たちの地下司令部での仕事>
    【沖縄戦】「美しい死」と「不潔な死」 IV. 伊波苗子証言(2) 2012.3.1 書き起こし 伊波苗子さんインタビュー IV-03<若藤楼の女性たちの地下司令部での仕事> 動画https //youtu.be/O6i1g0Tu6vY?t=7m2s 伊波さんのインタビュー中、あとから編集で中抜きした箇所を、<編集カット>と表記しました。 「平成24年2月25日(土)沖縄県内」 (大高)はい、32軍司令部*19aに従軍看護婦として勤務された伊波苗子さん*19b に取材させていただきます。まず、あのー、第3梯団*20に辻の、辻遊郭の若藤楼という…  (伊波苗子)辻は大きいんですよ。 <編集カット> 若藤はね、特別にね、軍からも、あの、こちはね 将校会議所*21 ちゅうところ、辻町(つじちょう)いっぱいからね、いっとうめ とられた、ほかのことは相...
  • 金城武徳『パイン缶詰は戦争の味』
    今日の訪問者 - 渡嘉敷村史資料編(昭和62[1987]年3 月31日出版)P391 パイン缶詰は戦争の味 渡嘉敷 金城武徳(当時十四歳) (引用者注)括弧つき小見出しは引用者が付したもので原文にはありません パイン缶詰は戦争の味(軍隊がやってきた) (10.10空襲) (3.23) (3.26) (3.27) (3.28) (4月以降) (虐殺) (山を降りる) (軍隊がやってきた)  親父は、昭和六年に南洋に出稼ぎに行って十七年か十八年に帰ってきて、沖縄戦のとき、親父は四六歳、おふくろは四四歳、長女、長男、私、親父が帰ってきてから生まれた、私と十四歳違いの弟、それにおふくろのいとこと七名家族だった。  十九年の夏休みが終った直後、鈴木隊、しぼらくして赤松隊が、この渡嘉敷にやって来た。  軍隊が入ってきて学校は接収され、私たちは、青空教室、...
  • 歴博展示室で内覧会 きょう一般公開 館側「誠実に対応」
    http //www.okinawatimes.co.jp/article/2010-03-16_4546/ 歴博展示室で内覧会 きょう一般公開 館側「誠実に対応」 社会 2010年3月16日 09時42分 (2時間8分前に更新)  【千葉】国立歴史民俗博物館(千葉県佐倉市)が沖縄戦「集団自決(強制集団死)」の記述から軍人の指示や命令の文言を削除した問題で、同博物館は15日午後、パネルを展示する新設展示室「現代」の内覧会を開いた。展示室は16日から一般公開される。館の責任者は内外からの意見を踏まえ、早急にリニューアル委員会を開き、今後の対応を考える姿勢を強調した。  「集団自決(強制集団死)」は「戦場の民間人」の項目で取り上げられ、軍関与の記述を削除した上で「犠犠牲者の中には、戦闘ばかりではなく、『集団自決』に追い込まれた人びともいた」とされた...
  • a 原告梅澤の陳述書等(ha)
    通068 | 戻る | 次へ 沖縄集団自決訴訟裁判大阪地裁判決 事実及び理由 第4 当裁判所の判断 第4・5 争点4および5(真実性及び真実相当性)について 第4・5(2) 集団自決に関する文献等 ア 座間味島について(イ)(梅澤命令説を否定等する文献) a 原告梅澤の陳述書等(ha) 原告梅澤の陳途書には, 「問題の日はその3月25日です。夜10時頃,戦備に忙殺されて居た本部壕へ村の幹部が5名来訪して来ました。助役の宮里盛秀,収入役の宮平正次郎,校長の玉城政助,吏員の宮平恵達,女子青年団長の宮平初枝(後に宮城姓)の各氏です。その時の彼らの言葉は今でも忘れることが出来ません。『いよいよ最後の時が来ました。お別れの挨拶を申し上げます。』『老幼女子は,予ての決心の通り,軍の足手纏いにならぬ様,又食糧を残す為自決します。』『就きましては一思いに死ねる様,村...
  • つくる会那覇記者会見
    つくる会那覇記者会見 http //www.tsukurukai.com/01_top_news/file_news/news_229.htm つくる会WEBニュース 第229号 平成20年 3月10日(月) 沖縄戦「集団自決」宮平秀幸氏の新証言で記者会見 座間味島・梅沢隊長は「住民に『解散』を命令した」  新しい歴史教科書をつくる会の藤岡信勝会長、杉原誠四郎副会長は3月10日午後1時30分から沖縄県政記者クラブで「沖縄戦集団自決問題」について記者会見を行いました。  記者会見には、座間味島在住の宮平秀幸氏も同席し、座間味島における「集団自決」に関する新しい事実を明らかにしました。  会見の内容と宮平秀幸氏の「証言」内容は次のとおりです。 座間味島集団自決「宮平秀幸証言」の意義と今後の展望  平成20年3月10日 沖縄県県庁記者クラブにて...
  • 沖縄戦目録
    中公新書256 名嘉正八郎・谷川健一編 沖縄の証言(上) 庶民が語る戦争体験 中央公論社刊 昭和46年7月25日初版 昭和57年2月1日5版 沖縄戦目録19447月 8月 9月 10月 11月 12月 19451月 2月 3月 4月 5月 6月 沖縄戦目録 1944 7月 7・7 サイパソ島の日本軍が全減する。緊急閣議で南西諸島の老幼婦女子・学童疎開が決定される。 7・18 東条英機内閣が総辞職する。 7・22 小磯国昭内閣が成立する。 8月 8・5 大本営との政府連絡会議が廃止され,代わって最高戦争指導会議が設置される。 8・10 グァム島,テニアン島の日本軍が全減する。 8・22 沖縄学童疎開船対馬丸が悪石島沖で沈没し,学童766名が犠牲となった。 8・23 「学徒勤労令」「女子挺身勤労令」が公布される。 8・31 「学徒勤労令」「女子挺身勤労令」...
  • (原)第3・4(2)エ(エ) 自決命令を否定する文献,見解等
    目次 戻る 通2-037 次へ 通巻 読める控訴審判決「集団自決」 事案及び理由 第2 事案の概要等 第2の3 前提事実及び争点 【原判決の引用】 (原)第3 争点及びこれに対する当事者の主張 (原)4 争点4(真実性の有無)について (2)控訴人らの主張 第3・4(2)エ 渡嘉敷島について (原)第3・4(2)エ(エ) 自決命令を否定する文献,見解等 (判決本文p79~) (引用者注)当サイトでは、原審判決に大阪高裁が付加あるいは判断を改めた部分等は, 区別しやすいようにゴシック体で表示し, 削除した部分は薄い色で削除した部分示しました。 (原)第3・4(2)エ(エ) 自決命令を否定する文献,見解等a 赤松大尉の手記(a) (「住民の処置は頭になかった」)* (b) (赤松によるマスコミ批判)* b 「ある神話の背景」(甲B18) c 「...
  • 戦跡碑
    http //www.vill.tokashiki.okinawa.jp/tokadata/de_4/data/iseki016.htm ▲史跡・遺跡メニューへ 《 戻る 次へ 》   戦跡碑 (マップNo.P) 戦跡碑碑文    ここに記すのは、昭和20年(1945年)この島に於いて戦われた激しい戦闘と、島民の死の歴史である。  大東亜戦争の最後の年の3月23日より、この渡嘉敷島は、米軍機の執拗な空爆と、機動部隊艦艇からの艦砲射撃にさらされた。山は燃え続け、煙は島を包んだ。当時島にあったベニヤ板張りの船を利用した、夜間攻撃用の特攻船艇部隊は、出撃不可能となり、艇を自らの手によって自沈するようにとの命令をうけた。こうして、当時、島にあった海上艇進三戦隊、同基地隊などの将兵315名は、僅かな火器を持っただけで、島の守備隊とならざるを得なかった。  3月27日、豪...
  • a 控訴人梅澤の陳述書等(2ha)
    昨日 - 今日 - 目次 戻る 通2-069 次へ 通巻 読める控訴審判決「集団自決」 事案及び理由 第3 当裁判所の判断 5 真実性ないし真実相当性について(その1) 【原判決の引用】 (原)第4・5 争点(4)及び(5)(真実性及び真実相当性)について (原)(2) 集団自決に関する文献等 ア 座間味島について(イ)(梅澤命令説を否定等する文献)   梅澤命令説について否定し, 又はその存在の推認を妨げる文献等としては, 以下に記載するものがあげられる。 a 控訴人梅澤の陳述書等(2ha) (判決本文p158~) (引用者注)当サイトでは、原審判決に大阪高裁が付加あるいは判断を改めた部分等は, 区別しやすいようにゴシック体で表示し, 削除した部分は薄い色で削除した部分示しました。   控訴人梅澤の陳途書には, 「...
  • (原)(1) 前提事実
    昨日 - 今日 - 目次 戻る 通2-053 次へ 通巻 読める控訴審判決「集団自決」 事案及び理由 第3 当裁判所の判断 5 真実性ないし真実相当性について(その1) 【原判決の引用】 (原)第4・5 争点(4)及び(5)(真実性及び真実相当性)について (1) <前提事実> (判決本文p135~) (引用者注)当サイトでは、原審判決に大阪高裁が付加あるいは判断を改めた部分等は, 区別しやすいようにゴシック体で表示し, 削除した部分は薄い色で削除した部分示しました。 (1) <前提事実>ア 太平洋戦争当時の沖縄の状況、体制等(ア) 沖縄全体の状況, 体制等a (沖縄戦前夜)* b (32軍とその住民指導)* c (防衛召集)* d (大詔奉戴日)* e (米軍の上陸)* (イ) 慶良間列島の状況, 体制等a (海上挺進戦隊)* b (座間...
  • i 「沖縄県史第8巻」(昭和46年)琉球政府編集(2ha)
    昨日 - 今日 - 目次 戻る 通2-063 次へ 通巻 読める控訴審判決「集団自決」 事案及び理由 第3 当裁判所の判断 5 真実性ないし真実相当性について(その1) 【原判決の引用】 (原)第4・5 争点(4)及び(5)(真実性及び真実相当性)について (原)(2) 集団自決に関する文献等 ア 座間味島について(ア)(梅澤命令説記載文献)   梅澤命令説について直接これを記載し, 若しくはその存在を推認せしめる文献等としては, 以下に記載するものがあげられる。 i 「沖縄県史第8巻」(昭和46年)琉球政府編集(2ha) (判決本文p150~) (引用者注)当サイトでは、原審判決に大阪高裁が付加あるいは判断を改めた部分等は, 区別しやすいようにゴシック体で表示し, 削除した部分は薄い色で削除した部分示しました。   「...
  • 証言の意味するもの・・・谷川健一
    中公新書256 名嘉正八郎・谷川健一編 沖縄の証言(上) 庶民が語る戦争体験 中央公論社刊 昭和46年7月25日初版 昭和57年2月1日5版 長い文章なので、章立てと小見出しを転載時に付加しました(以下※印)。そのキャプション語彙も私の責任です。この民俗学者である谷川健一氏の解説は、大書「沖縄県史」を紐解くガイドとして極めて有効だと思われるので転載しました。なぜなら、200ページ余りの新書版には収めきれない証言・戦史を反映しようと、熱を込めて書かれた一文だからです。 by pippo 証言の意味するもの(解説)前半・・・谷川健一(一 沈黙という岩盤)※ (二 沖縄の戦況)※(サイパンから沖縄へ)※ (防衛隊と現地徴兵)※ (離島の悲劇)※ (本島北谷上陸)※ (北部戦線、伊江島民の犠牲)※ (本島、首里攻防と夥しい犠牲)※ (南部島尻、住民の犠牲)※ ...
  • 準備書面(2)
    http //okinawasen.web5.jp/html/kousai/2_syomen_02.html 被控訴人準備書面(2) 2008年(平成20年)7月31日 (控訴人らの平成20年6月16日付控訴理由書のうち「第4 宮平秀幸証言」に対する反論)  被控訴人準備書面(2)1 宮平秀幸の母の手記との食い違い 2 宮平秀幸のビデオ証言との食い違い 3 本田靖春に対する宮平秀幸の話との食い違い 4 宮平春子証言などとの食い違い 5 宮城初枝の証言との食い違い 6 伝令ではなかった。 7 宮平秀幸の信用性    控訴人は、原審口頭弁論終結後に、梅澤命令説を否定する宮平秀幸の新証言が明らかになったと主張し、宮平秀幸から話を聞いたとする鴨野守(「世界日報」編集委員)執筆の甲B111「『住民よ、自決するな』と隊長は厳命した」(『諸君』2008年4月号)などを書証と...
  • 第4・5(4)イ 「母の遺したもの」について
    通100 | 戻る | 次へ 沖縄集団自決訴訟裁判大阪地裁判決 事実及び理由 第4 当裁判所の判断 第4・5 争点4および5(真実性及び真実相当性)について 第4・5(4) 集団自決に関する文献等の評価について 第4・5(4)イ 「母の遺したもの」について 第4・5(4)イ 「母の遺したもの」について(ア)(「母の遺したもの」による隊長会見場面)* (イ)(梅澤陳述書による隊長会見場面)* (ウ)(初枝は、直接集団自決命令の有無を語る立場ではなかった)* (エ)(前手記記述は否定したが梅澤命令説を否定したとまでいえない)* (ア)(「母の遺したもの」による隊長会見場面)* 「母の遺したもの」(甲B5)には,その第一部に初枝の手記である「血ぬられた座間味島」が収録されているところ,そこには,初枝が昭和20年3月25日に盛秀助役らと原告梅澤に会いに行っ...
  • V-03,04「スパイ視しての住民の虐殺はなかった」の根拠と考察
    【沖縄戦】「美しい死」と「不潔な死」 V. 伊波証言の要約と考察 V-03,04「スパイ視しての住民の虐殺はなかった」の根拠と考察 V-03,04「スパイ視しての住民の虐殺はなかった」の根拠と考察V-03「スパイ視しての住民の虐殺はなかった」の根拠 V-04「スパイ視しての住民の虐殺はなかった」の考察(エ)について (オ)についてa) の「サイパン生れ」、 b) の「字港(あざ みなと)から上陸した」ですが、 c)の焼印については、 d)「手榴弾を持って」については、 e)「拷問を加えても米軍との関係を白状しない」、 V-03「スパイ視しての住民の虐殺はなかった」の根拠  チャンネル桜は2011年11月の動画では、「司令部の付近の住民がスパイといって虐殺されましたか?」と質問して、伊波さんに「もう絶対そんな不潔なことしません」と全否定させています。  しか...
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