15年戦争資料 @wiki内検索 / 「(1)渡嘉敷島戦闘の概要 赤松嘉次」で検索した結果

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  • (1)渡嘉敷島戦闘の概要 赤松嘉次
    index 目次 (1)渡嘉敷島戦闘の概要 赤松嘉次  神国日本に危機迫り三千年来の国体を護持すべく、昭和十九年八月熱血の健児等水軍発生の地瀬戸内海は小豆島に集いて海上挺進第3戦隊を編成す。短期間なりしといえども連日連夜の訓練功成りてか、供覧演習の記録映画は天覧の供する所となり、吾人の光栄何物か之に過ぎん。  訓練の概成するや、直ちになつかしの宇品港を後に、敵潜水艦の出没する魔の海を一路南西諸島に向かう。故国を去るに臨み、上司、肉親に何を語りしや「予等の存する限り敵一兵といえども上陸せしめず」と豪語せしが九月二十七日慶良間列島は渡嘉敷島に於いて、愈々土と海に対する闘は開始せられたり。連日連夜の洞窟作業、南海とはいえ寒風肌を刺す黒潮の舟艇訓練唯々皇国のため将校も兵もはたまた村民も一丸となりて黙々と来たるべき日に備えたりき、特に女子青年団の協力涙ぐましきものありたり。 ...
  • 沖縄作戦 殉国日記(1)
    沖縄作戦 殉国日記(1) 沖縄作戦 殉国日記 index 沖縄作戦 殉国日記(1)図版01~05 図版06~10 図版11-15 図版16-20 お好きな場所からテキスト化してください! 沖縄作戦 殉国日記(2) 沖縄作戦 殉国日記(3) 図版01~05 図版01 クリックして拡大 図版02 図版03 図版04 クリックして拡大 序(赤松嘉次) 渡嘉敷戦斗の概要(赤松嘉次 昭和20年11月 沖縄収容所ニ於テ) 「渡嘉敷戦斗ノ概要」は、1970年編纂の「陣中日誌 海上挺進第三戦隊」所収の「渡嘉敷島戦闘の概要」の原本といえるが、後者はカタカナ書きではなくかな書きに改められ、表現にも細かい手が加えられている。後者には「中島一郎少尉」の名前はない。 赤松嘉次「渡嘉敷戦斗ノ概要」 昭和二十年十一月沖縄収容所に於て...
  • 赤松嘉次 本人文書 & 反映文書一覧表(仮)
    赤松嘉次 本人文書 反映文書一覧表(仮) 防衛研究所資料検索 http //www.okinawa-sen.go.jp/search.php No 成立 筆者 登録表題 章題 沖台沖縄 備考 Link 01 1945 辻政弘 海上挺進第三戦隊記録(付人名簿) 三月二十三日晴 209 写筆 * 02 1946.1.8 赤松嘉次 海上挺進第3戦隊[史実調査参考資料報告] p2 023 024 復員船下船時に提出 * 03 1946 1.9 赤松嘉次 海上挺進第3戦隊[戦史資料](昭和21.1.9調製) 021 赤松自筆押印 * 04 1947 3 赤松嘉次 沖縄作戦 殉国日誌(海上挺進第3戦隊 皆本義博提供) 渡嘉敷戦斗ノ概要 234 ガリ版印刷、正しい表題は「殉国日記」 * 05 1947 3 赤松嘉次 沖縄作戦 殉国日誌(海上挺進第3戦隊 皆本義博提供) 赤松部隊...
  • 赤松資料:陣中日誌 海上挺進第三戦隊 昭和45(1970)年作成
    ...戦隊 予定 (1)渡嘉敷島戦闘の概要 赤松嘉次      昭和二十年十一月      沖縄本島収容所において元海上挺進第三戦隊長      赤松嘉次 (2)編集のことば 谷本小次郎      昭和四十五年八月十五日      元海上挺進第三戦隊本部付      谷本小次郎 (3)無題 斉藤義雄      昭和四十五年六月十八日      元海上挺進戦隊教育隊長       斉藤義雄 (4)降伏文書 (5)(降伏勧告書) 軍情報隊長      昭和二十年八月二十一日      軍情報隊長      大佐 塚本保次 (6)(海上挺進第三戦隊の教育と編成) (7)陣中日誌 海上挺進第三戦隊(上) 昭和19年8月25日から昭和20年3月まで (8)陣中日誌 海上挺進第三戦隊(中) 昭和20年4月から昭和20年6月まで (9)陣中日誌 海上挺進...
  • 赤松嘉次「渡嘉敷戦斗ノ概要」 昭和二十年十一月沖縄収容所に於て
    赤松嘉次「渡嘉敷戦斗ノ概要」 昭和二十年十一月沖縄収容所に於て ガリ版刷り資料「沖縄作戦 殉国日記」に所収 http //www16.atwiki.jp/pipopipo555jp/pages/2223.html http //www16.atwiki.jp/pipopipo555jp/pages/2220.html 赤松嘉次「渡嘉敷戦斗ノ概要」 昭和二十年十一月沖縄収容所に於て解説 「序」 「渡嘉敷戦斗ノ概要」 分析御意見欄 解説 「渡嘉敷戦斗ノ概要」は、海上挺進第三戦隊長赤松嘉次大尉による戦闘報告であって、本人に拠れば沖縄本島石川の捕虜収容所で書いたものである。復員した赤松大尉が昭和21年1月、浦賀の引揚掩護局に提出した「戦闘報告」もこれであろう。 この最も古い赤松文書に渡嘉敷島住民の「集団自決」に関する記述は何も無い。降伏から3ヵ月後の時点で赤松が「...
  • 赤松隊「陣中日誌」記述の変遷
    赤松隊「陣中日誌」記述の変遷 比較対照資料 A:1945年辻政弘中尉が戦闘陣中で記した「本部陣中日誌」原本 B:1946年1月 復員前に赤松嘉次大尉が記した「戦史資料」 C:1968年 防衛庁戦史室が赤松ら元将校の聴取に基づいて纏めた「戦史叢書:沖縄方面陸軍作戦(未作成)」における記述 D 1970年 谷本小次郎元特幹兵が赤松隊友会の声を集めて編集した「陣中日誌 海上挺進第三戦隊」 E:1973発行 曽野綾子「ある神話の背景」(未作成)の記述から(ただしここではWAC版 2006による) 批判対照資料 P:渡嘉敷村遺族会編 『慶良間列島渡嘉敷島の戦闘概要』 比較着眼点 (1)転進命令、泛水命令、自沈命令と大町大佐の関わり (2)渡嘉敷島住民への避難命令に関する記述 (3)米軍上陸に関する現認記述 (4)「集団自決」した住民についての現認記述
  • 1970年3月赤松来沖時の報道
    1970年3月赤松来沖時の報道 1970年3月赤松来沖時の報道突然自衛隊の高官 戦場の跡を軍事視察? 再び兵隊の供給地か 防衛庁 意識的に"沖縄兵"帰す えぐり出される傷痕 渡嘉敷島 忘れられぬ戦争の悪夢 赤松元海軍大尉が来島 "集団自決 命令しなかった" 赤松元大尉が来沖 沈黙の巡拝行 きょう慰霊祭 渡嘉敷村 "集団自決"論議再び 赤松元大尉、ついに雲がくれ 渡嘉敷島 悲しみの慰霊祭 "悲劇のナゾ"混とん しめやかに25回忌慰霊祭 真相はほかにある! 自決命令下さなかった だが責任は私に 赤松氏が記者会見 25回目の合同慰霊祭 渡嘉敷島の表情 過去は忘れたい 悪夢よみがえる思い 白玉之塔慰霊祭 参考:曽野綾子「ある神話の背景」より 突然自衛隊の高官 戦場の跡を軍事視察? 1970年3月24日沖縄タ...
  • 一九七〇年三月二七日付沖縄タイムス
    一九七〇年三月二七日付沖縄タイムス 1版9面 忘れられぬ戦争の悪夢 空港に"怒りの声" 責任追及にうなだれる  赤松元海軍大尉が来島 クリックして拡大 渡嘉敷島戦闘の概要
  • 渡嘉敷島隊長は「自決命令」を不本意でも認めたことはない
    渡嘉敷島隊長は「自決命令」を不本意でも認めたことはない 渡嘉敷島戦隊長赤松元大尉(1920-1980)は、「集団自決の命令を出したと自ら認め、十字架を自ら背負ったまま亡くなった」などということはありません。一貫して「自決命令」を否定しつづけています。 故赤松嘉次氏の主張・手記 赤松氏デビュー1968.4.6週刊新潮 赤松氏デビュー1968.4.8琉球新報 私たちを信じてほしい1971 《私記》私は自決を命令していない1971 不本意にも「集団自決の命令を出したと自ら認め」ていたのは、いつからいつまでなのでしょうか? 『照屋証言』として産経紙面やWEBをにぎわした「証言」者は、きちんとした弁明をする責務があります。
  • 被告準備書面(3)要旨2006年6月2日その2
    被告準備書面(3)要旨2006年6月2日その2 ソース:http //www.sakai.zaq.ne.jp/okinawasen/syomen3.html 被告準備書面(3)要旨2006年6月2日その1 被告準備書面(3)要旨2006年6月2日その2 第2 同書面第2(渡嘉敷島における集団自決の神話と実相)について1 同1(渡嘉敷島の集団自決の神話)について 2 同2(渡嘉敷島における集団自決の経過の概要)について(1)渡嘉敷島における集団自決の経緯ア 原告らは、安里喜順元巡査の手記(甲B16)や イ 前記のとおり、沖縄においては、「皇民化教育」が強力に推し進められ、 (2)原告ら主張の「渡嘉敷島における集団自決の経過の概要」についてア 原告らが、「渡嘉敷島における集団自決の経過の概要」と主張するところのものは、 イ また、原告らが星氏の「集団自決を追って」とともに挙...
  • 第2・1(提訴の概要)
    通003 | 戻る | 次へ 沖縄集団自決裁判大阪地裁判決 事実及び理由 第2 事案の概要 第2・1(提訴の概要)*  本件は,原告梅澤裕(以下「原告梅澤」という。)及ぴ原告赤松秀一(以下「原告赤松」という。)の実兄である赤松嘉次(以下「赤松大尉」という。)が,原告梅澤については,被告らが出版し,若しくは執筆した別紙書籍目録1記載の書籍(以下「本件書籍(1)」または「太平洋戦争」という。)及び同目録2記載の書籍(以下「本件書籍(2)」または「沖縄ノート」といい,本件書籍(1)及ぴ本件書籍(2)を併せて「本件各書籍」という。)により,赤松大尉については,本件書籍(2)により、太平洋戦争後期に座間味島,渡嘉敷島の住民に集団自決を命じ,住民を多数死なせながら,自らは生き延びたという虚偽の事実を摘示され,原告梅澤及び赤松大尉の社会的評価を著しく低下させられ,その名誉を甚だしく...
  • 沖縄戦資料index
    今日の訪問者 - 沖縄戦資料index 【沖縄戦】「美しい死」と「不潔な死」 証言記録「沖縄住民虐殺」―日兵逆殺と米軍犯罪 沖縄戦と民衆(目次) 歴博「集団自決」展示問題 大田昌秀講演「沖縄戦と集団自決裁判について」 読める判決「集団自決」=大阪地裁判決と裁判資料 読める控訴審判決「集団自決」 =大阪高裁判決と裁判資料 「ある神話の背景」の研究 「海上挺進第三戦隊陣中日誌」の研究 Index 沖縄戦資料index地理渡嘉敷村ガイド 文献 沖縄戦根元史料作戦と戦闘経緯 沖縄戦前夜 慶良間諸島の戦闘と集団自決 住民虐殺 体験証言沖縄県史渡嘉敷 座間味 阿嘉 慶留間 渡嘉敷村史 座間味村史 その他 軍政と住民動員 富山証言と手榴弾配布 朝鮮人軍夫と朝鮮人慰安婦 援護法 米軍資料 戦時報道 防衛研究所資料 論争史戦後ルポ 潮1971年11月号 青い海1971年6月号 曽...
  • (10)二十五周忌慰霊祭弔辞 赤松嘉次
    index 目次 (10)二十五周忌慰霊祭弔辞 赤松嘉次  弔辞  謹んで渡嘉敷島及び此の周辺に於いて戦没されました村民の方々並びに将兵の御霊に申し上げます。  顧みまするに二十六年前恰も大東亜戦争風雲急を告げる昭和十九年九月、私達海上挺進第三戦隊及び支援配属部隊は特攻任務を持って、此の渡嘉敷島に配備されたのであります。  その十月沖縄空襲、那覇全焼、台湾沖航空戦等此の島にも緊迫の度が加わる中、御当地皆様方の御協力により軍民一体必死の作業が実を結び、特攻準備は略完成し三月二十三日連合軍の来襲を迎えました。  熾烈な敵機の空襲艦砲射撃の下に陰忍満を持しつつ、遂に同二十六日未明出撃準備を下令、敵弾下勇躍涯水作業を強行致しましたが、天吾に味方せず泛水に長時間を要し、白昼強行せんか他戦隊の戦略企図秘匿の為涙を呑んで自沈するの止むなきに至り、皆様方及び吾々の苦労も一...
  • 本部陣中日誌
    本部陣中日誌 海上挺進第三戦隊本部陣中日誌はコチラで閲覧することができます。 沖縄戦関係資料閲覧室 http //www.okinawa-sen.go.jp/ 書き起こし 本モノの赤松部隊「陣中日誌」 防衛庁 戦後資料  配架場所 B03防衛庁 整理番号: B03-5-202 収蔵文書名: 簿冊名: 海上挺進第3戦隊記録(付人名簿)(※) 原本所蔵機関: 防衛研究所 請求番号: 沖台 沖縄209 http //www.okinawa-sen.go.jp/view.php?no=B0305202 ページ3~35  その<複製資料記録票>より  本資料は終戦後海上挺進第三戦隊に配属されていた木林明中尉(戦後死亡)が海上挺進第三戦隊本部要員として(副官的業務担任)記述したものである。(赤松氏談)  それを元海上挺進第三戦隊長...
  • 沖縄作戦 殉国日記 index
    防衛研究所資料<沖台 沖縄> 沖縄作戦 殉国日記 index <沖台 沖縄234> 図版01 【資料データ】 沖縄戦関係資料閲覧室 整理番号: B03-5-331 収蔵文書名: 簿冊名: 沖縄作戦 殉国日誌(海上挺進第3戦隊 皆本義博提供) 原本所蔵機関: 防衛研究所 請求番号: 沖台 沖縄234 (「沖縄作戦 殉国日記」が正しいが、誤登録の為「沖縄作戦 殉国日誌」でないとヒットしない) 画像閲覧 http //www.okinawa-sen.go.jp/view.php?no=B0305331 (アジ歴ではみつかりませんでした) 【殉国日記とは】 沖縄で「集団自決」が起こった島の一つ、渡嘉敷島に駐留していた海上挺進第三戦隊第三中隊所属の中島一郎少尉は、戦後もなお行方不明であった。千葉県の実家へ...
  • 沖縄タイムス速報
    沖縄タイムス速報 http //www.okinawatimes.co.jp/ 集団自決訴訟 元守備隊長らの請求を棄却(10時22分)  沖縄戦の集団自決で軍の命令があったとの本の記述をめぐる訴訟の判決で、大阪地裁は二十八日、元守備隊長らの請求を棄却した。 元隊長の請求棄却 「集団自決」訴訟(13時45分)  沖縄戦時に座間味、渡嘉敷島で起きた「集団自決(強制集団死)」は戦隊長が命じたとする本の記述をめぐる「集団自決」訴訟の判決が二十八日午前、大阪地裁で言い渡された。深見敏正裁判長は、大江健三郎氏(73)の「沖縄ノート」について、座間味島の戦隊長だった梅澤裕氏(91)と渡嘉敷島の戦隊長だった故赤松嘉次氏への名誉棄損の成立を認めず、原告の請求を棄却した。梅澤氏が住民に「集団自決(強制集団死)」を命じたとする「太平洋戦争」(故家永三郎著)の記述にも真実相当性を認め、原告梅澤...
  • (原)第3・4(1)ウ(カ) 自決命令を記載していた文献の絶版等について
    目次 戻る 通2-025 次へ 通巻 読める控訴審判決「集団自決」 事案及び理由 第2 事案の概要等 第2の3 前提事実及び争点 【原判決の引用】 (原)第3 争点及びこれに対する当事者の主張 (原)4 争点4(真実性の有無)について (1)被控訴人らの主張 第3の4(1)ウ 渡嘉敷島について (原)第3・4(1)ウ(カ) 自決命令を記載していた文献の絶版等について (判決本文p56~) (引用者注)当サイトでは、原審判決に大阪高裁が付加あるいは判断を改めた部分等は, 区別しやすいようにゴシック体で表示し, 削除した部分は薄い色で削除した部分示しました。   「沖縄問題20年」が昭和49年に出庫終了となったのは, 「ある神話の背景」により赤松大尉の自決命令が虚偽であることが露見したからではない。「沖縄問題20年」の著者である新崎盛睴と中野...
  • 「ある神話の背景」の研究
    今日の訪問者 - 沖縄戦資料index 「ある神話の背景」の研究」 沖縄戦・渡嘉敷島 集団自決の真実 index 1968~1973の関係者経緯 『切りとられた時間』抜粋 1970年3月赤松来沖時の報道 赤松嘉次・赤松隊資料 3月25日「転進命令」の怪 戦隊長殿!ジブン達は一体、何処へ向えばイイのでありますか? 「あるペテンの背景」=渡嘉敷島米軍上陸日を巡って 沖縄戦資料index
  • 赤松資料:「戦史資料 昭和二十一年一月九日調整」
    今日の訪問者 - 赤松資料:「戦史資料 昭和二十一年一月九日調整」 防衛庁 戦後資料  配架場所 B03防衛庁 整理番号: B03-5-194 収蔵文書名: 海上挺進第3戦隊[戦史資料](昭和21.1.9調製) 簿冊名: 沖縄方面部隊史実資料綴 原本所蔵機関: 防衛研究所 請求番号: 沖台 沖縄021 http //www.okinawa-sen.go.jp/view.php?no=B0305194 現存する赤松嘉次による最も古い手記です。 これは1945年8月米軍に投稿した赤松元第三戦隊長が沖縄の石川収容所に収容された後、同年12月末複員船で出港。翌1月はじめ、神奈川県浦賀に到着。そのとき復員局に提出したものです。 注目すべきは、 「敵の上陸に備え非戦闘員及緒資材を複廓陣地と予定せる留利加波東方高地に移動せしむ」以外、渡嘉敷...
  • ふたつの赤松大尉手記
    ふたつの赤松大尉手記 二つの赤松手記 太平洋戦争末期1945年3月すえ、米軍上陸攻撃の最中、沖縄の渡嘉敷島島民3百有余を集団死に至らしめた責任者とされた元海上挺進隊長大尉赤松嘉次氏は、戦後26年目の1971年、51歳のとき2つの雑誌に相次いで手記を載せた。1つは沖縄地方総合誌『青い海』6月号に載せた「私たちを信じてほしい」であり、もう一つは、全国総合月刊誌『潮』11月号に載せた「《私記》私は自決を命令していない」である。 赤松氏はその前年1970年の3月、渡嘉敷島で行われた慰霊祭への出席を目的に復帰前の沖縄に渡航したが、抗議にあって慰霊祭出席をとりやめた。 二つの赤松手記はどちらも、その抗議のことを踏まえて書かれた物だが、内容を読むとそこには興味深い相違がある。前者は「弁解の言葉」であるが、後者は「逆告発の書」である。後者のほうが字数が多くその分内容が変わっても不思議...
  • 原告準備書面(2)全文2006年3月24日その4
    原告準備書面(2)全文2006年3月24日その4 ソース:http //www.kawachi.zaq.ne.jp/minaki/page022.html 原告準備書面(2)全文2006年3月24日その1 原告準備書面(2)全文2006年3月24日その2 原告準備書面(2)全文2006年3月24日その3 原告準備書面(2)全文2006年3月24日その4 原告準備書面(2)全文2006年3月24日その47 『陣中日誌』 8 衛生兵の派遣と恩賜の時計(1)赤松部隊からは渡嘉敷村の村民が自決に失敗した後で、 (2)渡嘉敷村資料館には赤松隊長の 9 赤松命令説をつくったもの(1)渡嘉敷島の「赤松大尉による自決命令」という神話を (2)一方に、戦後になって島に帰ってみると、 (3)元村長と立場は異なるが、やはり生き残りの一人として、 (3)古波蔵惟好元村長や金城重明のことを、...
  • (原告側訴状添付別紙1)謝罪広告
    通119 | 戻る | 次へ (別紙 1) 謝罪広告  大江健三郎著「沖縄ノート」(岩波書店刊)において,慶良間列島の渡嘉敷島と座間味島でいわゆる「部隊長命令で,島民を集団自決させた」ことが真実であり,梅澤裕少佐,赤松嘉次大尉が集団自決命令をくだした旨記載しましたが,これは事実に反するものです。これにより梅澤裕少佐殿及び赤松嘉次大尉の遺族である赤松秀一殿の名誉を著しく毀損したことを認め,深くお詫び申し上げます。 平成年月日 大江健三郎 株式会社 岩波書店 梅澤 裕 殿 赤松秀一 殿 掲載条件 大きさ 二段抜き 左右 7センチメートル 子持掛囲み 見出し 二倍明朝体 本文 一倍明朝体 掲載場所 全国版 朝刊 社会面 戻る | 次へ 別紙一覧 読める判決「集団自決」  
  • 戦隊長殿!いったい何処へ向えばイイのでありますか? 3月25日「転進命令」の怪
    戦隊長殿!ジブン達は一体、何処へ向えばイイのでありますか? 3月25日渡嘉敷島で受信したという「転進命令」の怪 赤松嘉次「戦隊長」が証言する「行き先」がクルクル変るので、防衛省公式戦史すら分裂症に陥ったまま放置されています。もちろん特幹生たちの霊は、戦隊長が伝達する軍命令の転進先がクルクル変るので、64年経っても冥土へ出発することすら出来ず、未だに渡嘉志久の浜に留まっているのでしょうか。 1、1945辻版『陣中日誌』では 「転進命令 軍並ニ軍船舶隊ヨリ部隊(戦隊ノミ)那覇ニ転進命令ヲ受領ス」 2、1945日録の大本営作戦部『戦況手簿』では、 「一、慶良間列島附近ノ敵ニ対シ海上挺進部隊ヲシテ之ニ打撃ヲ与フルト共ニ那覇ニ転進スル如ク部署ス」 3、1946.1赤松嘉次提出『戦史資料』では、 命令の要旨 「状況有利ならざる時は戦隊を率い本夜中に本...
  • 2005/7/24産経新聞記事
    2005/7/24産経新聞記事  裁判の提訴日は8月5日だが、産経新聞はそれに先駆けたこの日、同時に2つの記事を掲載した。「裁判」と「教科書検定」と2つのプロモーションが密着連動していることを物語っている。 2005/7/24産経新聞記事沖縄戦集団自決「軍命令」…出版物・教科書で独り歩き 沖縄守備隊長遺族、大江氏・岩波を提訴へ 「自決強制」記述誤り、名誉棄損 沖縄戦集団自決「軍命令」…出版物・教科書で独り歩き 産経新聞 平成17(2005)年7月24日[日] 集団自決が軍の命令だったとされてきた“歴史”が法廷で争われることになった。沖縄戦が住民を巻き込んだ悲惨な地上戦だったことは事実だが、軍の残虐性を示す“証拠”の発端は、島の長老と生存者による遺族のための悲しい口裏合わせだったという。最初に書かれた沖縄タイムス社の『鉄の暴風』の記述は大江健三郎氏の代表作『沖縄ノ...
  • 曽野綾子に関するiza
    曽野綾子に関するiza 曽野綾子氏の渡嘉敷島集団自決本を読んで 赤松嘉次隊長の足跡メモ 数を少なくしようと必死なのは・・・・
  • 次のものを資料として・・・・
    沖縄戦・渡嘉敷島 集団自決の真実 index 次のものを資料として・・・・ 次のものを資料として・・・・この作品のために次のものを資料として使わせて頂きました。 (ここに列挙されてない重要な資料) この作品のために次のものを資料として使わせて頂きました。 『沖縄』比嘉春潮・霜多正次・新里恵二著 岩波新書 『沖縄ノート』大江健三郎著 岩波新書 『沖縄問題二十年』中野好夫・新崎盛暉著 岩波新書 『沖縄』饒平名智太郎(よへなちたろう)著 三一新書 『沖縄・この現実』石田郁夫著 三一書房 『沖縄教職員会』関 広延著 三一書房 『沖縄奪還 68~ 70』波照間洋著 三一書房 『沖縄・本土復帰の幻想』吉原公一郎著 三一書房 『沖縄戦記・鉄の暴風』沖縄タイムス社刊 『日米最後の戦闘』米国陸軍省編・外間正四郎訳 サイマル出版会 『沖縄戦史』上地一史著 時事通信社 『...
  • 原告準備書面(2)全文2006年3月24日その3
    原告準備書面(2)全文2006年3月24日その3 ソース:http //www.kawachi.zaq.ne.jp/minaki/page022.html 原告準備書面(2)全文2006年3月24日その1 原告準備書面(2)全文2006年3月24日その2 原告準備書面(2)全文2006年3月24日その3 原告準備書面(2)全文2006年3月24日その4 原告準備書面(2)全文2006年3月24日その3第2 渡嘉敷島における集団自決の神話と実相1 渡嘉敷島の集団自決の神話 2 渡嘉敷島における集団自決の経過の概要(1) 集団自決があったのは3月28日の午後 1時頃であった。 (2)安里巡査は、27日午後、夕方近くになって西山の谷間の日本軍陣地で (3)渡嘉敷村の約2/3 の人の人達が大雨の中を恩納川にそって (4)具体的にどうするかという段になって。みんなが死ぬにして...
  • 第3・4(1)ウ(カ) 自決命令を記載していた文献の絶版等について
    通027 | 戻る | 次へ 沖縄集団自決裁判大阪地裁判決 事実及び理由 第3 争点及びこれに対する当事者の主張 第3・4 争点4(真実性の有無)について 第3・4(1) 被告らの主張 第3・4(1)ウ 渡嘉敷島について 第3・4(1)ウ(カ) 自決命令を記載していた文献の絶版等について 「沖縄問題20年」が昭和49年に出庫終了となったのは,「ある神話の背景」により赤松大尉の自決命令が虚偽であることが露見したからではない。「沖縄問題20年」の著者である新崎盛睴と中野好夫は,昭和40年6月に「沖縄問題20年」を出版した後,昭和45年8月に「沖縄・70年前後」を出版した。その後,両者は,昭和51年10月,「沖縄問題20年」と「沖縄・70年前後」を併せて「沖縄戦後史」を出版した。「沖縄問題20年」は,このような経緯から昭和49年に出庫終了となったのである。 ...
  • 【朝日】「沖縄ノート」訴訟、二審も大江さん勝訴  集団自決「軍関与」
    http //www.asahi.com/national/update/1031/OSK200810310076.html 【朝日】沖縄ノート訴訟、二審も大江氏勝訴 集団自決「軍関与」 2008年10月31日22時18分  太平洋戦争末期の沖縄戦で、旧日本軍が住民に「集団自決」を命じたと書いたノーベル賞作家、大江健三郎さん(73)の著書「沖縄ノート」(70年、岩波新書)をめぐる名誉棄損訴訟の控訴審で、大阪高裁は31日、原告の元戦隊長側が敗訴した3月の一審・大阪地裁判決を支持し、控訴を棄却する判決を言い渡した。小田耕治裁判長は一審と同じく、大江さんが執筆当時、軍の命令を真実と信じたことには合理的な根拠があったと認めた。元戦隊長側は上告する方針。  この訴訟は、集団自決をめぐる高校の日本史教科書から「軍の強制」を示す表現が削除されるきっかけとなったが、司法として初の...
  • 集団自決の島――沖縄・慶良間25年目の暑い夏
    週刊朝日1970年8月21日号 集団自決の島――沖縄・慶良間25年目の暑い夏 渡嘉敷島にて本誌 中西記者 撮影 栗原達男 集団自決の島――沖縄・慶良間25年目の暑い夏口絵 記事リード 村の経済課長・富山真順氏の案内で・・・ 復帰への不安を語る基地従業員 死にそこなった赤松隊の悲劇 米兵憎悪から日本兵憎悪へ… 海洋万博に夢託す島 自決命令は果たして下ったのか "戦記"とは異なる小隊長の証言 ヨソ者とシマの者との確執が… 那覇を通じてかいま見る本土 (画像はクリックすると拡大します) 口絵 (見開き左…カミソリで首を切りながらも一命をとりとめた座間味の宮平ウタさん) (見開き右) (キャプション) 渡嘉敷の「玉砕場」 西山に掘った赤松隊の塹壕と、戦没者を祭る白玉之塔 集団自決で右手を失ったS氏 ~...
  • ノムラカツヨシ「渡嘉敷島・集団自決命令」
    http //www.nomusan.com/~essay/essay_31_tokasikijima.html 渡嘉敷島・集団自決命令 =言論の誠実= 2005.08.03 ノムラカツヨシ http //www.nomusan.com/index.html 【引用者註】ここに飛ぶとノムラさんが横浜山手教会の主のように思います(私もそう思っていましたーni0615)。しかし、教会の公式サイトhttp //homepage3.nifty.com/catholic-yamate/index.htmlを見ますと、ノムラさんは一信徒であって教会を代表するわけでもなく、司祭・助任司祭、つまり神父でもなくhttp //homepage3.nifty.com/catholic-yamate/sisaisyoukai.html、横浜山手教会の名を使って靖国神社活動を行っている特異なお方の...
  • 沖縄タイムス:きょう控訴審開始/「集団自決」訴訟
    きょう控訴審開始/「集団自決」訴訟 http //www.okinawatimes.co.jp/day/200806251300_03.html  沖縄戦時に慶良間諸島で相次いだ住民の「集団自決(強制集団死)」をめぐり、書籍に命令を出したと記され名誉を傷つけられているとして、座間味島と渡嘉敷島に駐屯していた旧日本軍の元戦隊長やその遺族が、「沖縄ノート」の著者で作家の大江健三郎氏(73)と発行元の岩波書店に、慰謝料や出版の差し止めなどを求めている訴訟の控訴審の第一回口頭弁論が二十五日、大阪高裁で開かれる。  今年三月の一審・大阪地裁判決は、住民の「集団自決」に対する日本軍の深い関与を認定。座間味と渡嘉敷の両島が、戦隊長を頂点とする上意下達の組織だったことを踏まえ、両戦隊長の「集団自決」への関与を「十分に推認できる」と導いた。  両戦隊長による自決命令は伝達経...
  • 朝日 「沖縄ノート」訴訟、元軍人の請求棄却 大阪地裁
    http //www.asahi.com/national/update/0328/TKY200803280062.html 「沖縄ノート」訴訟、元隊長の請求棄却 大阪地裁 2008年03月28日12時23分  太平洋戦争末期の沖縄戦で、旧日本軍が住民に集団自決を命じたとした岩波新書「沖縄ノート」などの記述で名誉を傷つけられたとして、元戦隊長と遺族がノーベル賞作家の大江健三郎さん(73)と出版元の岩波書店(東京)に出版差し止めなどを求めた訴訟の判決が28日、大阪地裁であった。深見敏正裁判長は「元戦隊長の命令があったとは断定できないが、関与は十分推認できる」とし、集団自決には「旧日本軍が深くかかわった」と認定。元隊長らを匿名で「事件の責任者」などとした記述には「合理的資料や根拠があった」として名誉棄損にはあたらないと判断し、請求をすべて棄却した。元隊長側は控訴する方針。 ...
  • 琉球新報:「集団自決」住民記録 「内容に相当の誤り」
    http //ryukyushimpo.jp/news/storyid-30546-storytopic-1.html 2008年1月17日 [木] 「集団自決」住民記録 「内容に相当の誤り」 日本軍に関する記述について「誤り」「実際より誇張」などと所見が付された「住民の沖縄戦記」  【東京】防衛省の防衛研究所(東京都目黒区)が沖縄戦関連史料に独自の所見を付けて公開していた件で、戦史編さん官が渡嘉敷・座間味両島の「集団自決」(強制集団死)に関する史料に「内容に誤り」「日本軍に対する相当の誹謗(ひぼう)が記述されているが、実際より誇張されている」との所見を付していたことが15日、新たに分かった。研究所は1966年2月に入手し、所見を記している。当時から両島の「集団自決」における「自決命令」の存在を疑問視していた可能性がある。「隊長命令」の存在を否定する証言...
  • 【琉球新報電子号外】元隊長ら請求、二審も棄却 岩波・大江訴訟
    http //ryukyushimpo.jp/news/storyid-137678-storytopic-101.html 【琉球新報電子号外】元隊長ら請求、二審も棄却 岩波・大江訴訟 2008年10月31日 PDF版速報(523KB)  【大阪】沖縄戦中、座間味渡嘉敷両島で起きた「集団自決」(強制集団死)をめぐり、両島に駐留していた日本軍の戦隊長が住民に自決を命じたとの記述は誤りだとして、座間味島元戦隊長の梅澤裕氏や渡嘉敷島戦隊長の故赤松嘉次氏の弟、秀一氏が「沖縄ノート」著者の作家大江健三郎氏と版元の岩波書店に出版差し止めなどを求めた訴訟の控訴審判決が31日午後、大阪高裁であった。小田耕治裁判長は請求を全面的に棄却した一審・大阪地裁判決を支持し、梅澤氏側の訴えを退けた。原告は上告する。  一審・大阪地裁判決は両島での「集団自決」について「梅澤、赤松大尉が関...
  • 【琉球新報】隊長命令否定せず 岩波訴訟、梅澤氏側の訴え棄却
    http //ryukyushimpo.jp/news/storyid-137687-storytopic-1.html 【琉球新報】隊長命令否定せず 岩波訴訟、梅澤氏側の訴え棄却 2008年11月1日 支援者らに「大江・岩波勝訴 控訴棄却」の垂れ幕を持って判決を報告する被告・岩波書店側の関係者=31日午後2時すぎ、大阪高裁前  【大阪】沖縄戦中、座間味・渡嘉敷両島で起きた「集団自決」(強制集団死)をめぐり、両島に駐留していた日本軍の戦隊長が住民に自決を命じたとの記述は誤りだとして、座間味島元戦隊長の梅澤裕氏や、渡嘉敷島戦隊長の故赤松嘉次氏の弟の秀一氏が「沖縄ノート」著者の作家大江健三郎氏と版元の岩波書店に出版差し止めなどを求めた訴訟の控訴審判決が31日午後、大阪高裁であった。小田耕治裁判長は請求を全面的に棄却した一審・大阪地裁判決を支持し、梅澤氏側の訴えを退けた...
  • 『渡嘉敷島における戦争の様相』と『慶良間列島渡嘉敷島の戦闘概要』の異同
    今日の訪問者 - 『渡嘉敷島における戦争の様相』と『慶良間列島渡嘉敷島の戦闘概要』の異同 (引用者注)この稿は、「関西沖縄文庫」様よりご提供いただいた伊敷さん論文の別刷(下記写真)をタイピングしなおしたものです。「関西沖縄文庫」様に深く御礼申し上げます。 関西沖縄文庫:関西の沖縄情報・文化・芸能の発信基地である「関西沖縄文庫」が大阪・大正区から発信 http //okinawabunko.hp.infoseek.co.jp/ (クリックして拡大) 迫手門学院大手前中・高等学校 紀要第五号 1986年3月30日 『渡嘉敷島における戦争の様相』と     『慶良間列島渡嘉敷島の戦闘概要』の異同 伊敷 清太郎 (引用者注)大阪地裁の公判において『渡嘉敷島における戦争の様相』は原告側証拠甲B23及び被告側証拠乙3として提出されました。また、『慶良...
  • 【琉球新報】岩波・大江訴訟 県民納得の妥当判決だ
    http //ryukyushimpo.jp/news/storyid-137709-storytopic-101.html 【琉球新報】岩波・大江訴訟 県民納得の妥当判決だ 2008年11月1日  沖縄戦時に座間味・渡嘉敷両島で起きた「集団自決」(強制集団死)に旧日本軍はどう関与したかなどをめぐる史実論争に再び司法判断が示された。  沖縄戦体験者の証言をはじめ歴史研究の積み重ねなどを踏まえた妥当な判決だ。結論を導く筋道が分かりやすい。歴史的事象に対する客観性や普遍性に主眼を置いた解釈、明快な論理展開で言論・出版の自由へ踏み込んだことも特筆される。  訴えていたのは、座間味島に駐留していた同島元戦隊長の梅澤裕氏、渡嘉敷島戦隊長の故赤松嘉次氏の遺族で、戦隊長が住民に自決を命じたとの記述は誤りだとして「沖縄ノート」の著者・大江健三郎氏と版元の岩波書店に出版差し止め...
  • 被告準備書面(5)要旨2006年9月1日
    被告準備書面(5)要旨2006年9月1日 http //www.sakai.zaq.ne.jp/okinawasen/syomen5.html 被告準備書面(5)要旨2006年9月1日第1 集団自決は日本軍(=隊長)の命令によるものである。1 沖縄戦における住民の犠牲と日本軍の作戦(1)太平洋戦争と沖縄戦 (2)沖縄戦と県民の犠牲 (3)住民の犠牲と日本軍の「軍官民共生共死の一体化」方針 (4)防諜対策と住民のスパイ視 (5)「玉砕」方針 2 慶良間諸島(座間味島、渡嘉敷島等)における集団自決と日本軍(1)軍官民の総動員体制 (2)玉砕方針、訓示 (3)機密保持と捕虜禁止、自決命令 (4)国及び県の認定 (5)座間味島の集団自決と軍の命令ア 自決命令の存在を示す歴史資料 イ 座間味島での軍の自決命令の存在 (6)渡嘉敷島の集団自決と軍の命令ア 自決命令の存在を示す歴史資料 イ 渡...
  • 正論:軍命令を否定する証言元琉球政府の照屋昇雄さん
    http //www.sankei.co.jp/seiron/wnews/0608/web-news0827-1.html ■渡嘉敷島集団自決、軍命令を否定する証言 元琉球政府の照屋昇雄さん 渡嘉敷島内に建つ集団自決跡地の碑。裏側の谷間で315人が命を絶った=沖縄県渡嘉敷村渡嘉敷 渡嘉敷島の集団自決を軍命令とした経緯などについて語る照屋昇雄さん=那覇市内のホテル  第二次大戦末期(昭和20年)の沖縄戦の際、渡嘉敷島で起きた住民の集団自決について、戦後の琉球政府で軍人・軍属や遺族の援護業務に携わった照屋昇雄さん(82)=那覇市=が、産経新聞の取材に応じ「遺族たちに戦傷病者戦没者遺族等援護法を適用するため、軍による命令ということにし、自分たちで書類を作った。当時、軍命令とする住民は1人もいなかった」と証言した。渡嘉敷島の集団自決は、現在も多くの歴...
  • 被告準備書面(2)要旨2006年3月15日
    被告準備書面(2)要旨2006年3月15日 ソース:http //www.sakai.zaq.ne.jp/okinawasen/syomen2.html 被告準備書面(2)要旨2006年3月15日第1 同書面第2(請求原因の追加)について1 同2aについて 2 同2bについて(1)原告は、「旧守備隊長」が赤松大尉であることが明らかである (2)なお、原告は、本件記述について、「赤松大尉をイスラエル法廷で 第2 同書面第3(表現の登場人物と特定人の「同定可能性」)について1 同2(昭和31年最高裁判決の射程)について(1)原告は、被告が引用する最高裁 (2)「名誉を毀損するとは、人の社会的評価を (3)東京地裁平成15年9月5日(乙14)は、 2 同3(「石に泳ぐ魚」事件判決)について 3 同4(表現の登場人物の特定性ないし「同定可能性」の判断基準について)について 4 同5(引用...
  • 【産経】沖縄ノート出版差し止め訴訟 2審も原告側の控訴棄却 大阪高裁
    http //sankei.jp.msn.com/affairs/trial/081031/trl0810311551011-n1.htm 沖縄ノート出版差し止め訴訟 2審も原告側の控訴棄却 大阪高裁 2008.10.31 15 45  先の大戦末期の沖縄戦で、住民に集団自決を命じたとする誤った記述で名誉を傷つけられたとして、旧日本軍の元戦隊長らが、ノーベル賞作家の大江健三郎氏(73)と岩波書店(東京)に、大江氏の著書『沖縄ノート』など2冊の出版差し止めや損害賠償を求めた訴訟の判決が31日、大阪高裁であった。小田耕治裁判長は、原告側の請求を退けた1審大阪地裁判決を支持、控訴を棄却した。原告側は上告する方針。  原告は、元座間味島戦隊長で元少佐の梅沢裕さん(91)と元渡嘉敷島戦隊長の故赤松嘉次元大尉の弟、秀一さん(75)。  小田裁判長は今年3月の1審判決に続き...
  • 「軍命令は創作」初証言・元琉球政府の照屋昇雄さん
    照屋昇雄氏は裁判所に陳述書を提出したのか? 「照屋昇雄陳述書」は、原告側支援サイトにも見つかりません。 原告準備書面(4)に「元琉球政府職員の照屋昇雄の証言(甲B35)が世に出るに及んで、」http //www16.atwiki.jp/pipopipo555jp/pages/647.html#id_40c6f3d8とありますが、提出証拠(甲B35)とは、下記の産経記事のことなのでしょうか? http //josaito.cool.ne.jp/togashiki/jiketsu.html http //josaito.cool.ne.jp/togashiki/jiketsu.html 「軍命令は創作」初証言 渡嘉敷島集団自決 元琉球政府の照屋昇雄さん <産経新聞>平成18年8月27日 08 37 第二次大戦末期(昭和20年)の沖縄戦の際、渡嘉敷島で起きた住民...
  • k 「渡嘉敷村史」(平成2年)渡嘉敷村史編集委員会編集(ha)
    通084 | 戻る | 次へ 沖縄集団自決訴訟裁判大阪地裁判決 事実及び理由 第4 当裁判所の判断 第4・5 争点4および5(真実性及び真実相当性)について 第4・5(2) 集団自決に関する文献等 イ 渡嘉敷島について(ア)(赤松命令説記載文献)* k 「渡嘉敷村史」(平成2年)渡嘉敷村史編集委員会編集(ha) k 「渡嘉敷村史」(平成2年)渡嘉敷村史編集委員会編集(ha)(a)(「渡嘉敷村史」中の富山証言)* (b)(朝日新聞での富山証言)* (a)(「渡嘉敷村史」中の富山証言)* 「渡嘉敷村史」は,渡嘉敷村史編集委員会の編集により,渡嘉敷村役場が発行したものである。 「渡嘉敷村史」には, 「すでに米軍上陸前に,村の兵事主任を通じて自決命令が出されていたのである。住民と軍との関係を知る最も重要な立場にいたのは兵事主任である。兵事主...
  • 産経石川水穂記事(2)
    産経石川水穂記事(2) 沖縄集団自決新証言 中尉「死に急ぐな」 2008.2.22 23 19 http //sankei.jp.msn.com/life/education/080222/edc0802222321003-n1.htm 産経石川水穂記事(1)に戻る  沖縄戦で大規模な集団自決が起きたのは、沖縄本島西方の慶良間諸島の渡嘉敷島と座間味島だ。米軍が上陸した昭和20年3月下旬、渡嘉敷島で320人、座間味島で170人を超える住民が自決したとされる。  戦後間もない昭和25年に沖縄タイムス社から出された沖縄戦記「鉄の暴風」(初版は朝日新聞社刊)では、それぞれの島に駐屯していた日本軍の隊長の命令によって集団自決を強いられたとされ、大江健三郎さんの「沖縄ノート」や家永三郎さんの「太平洋戦争」など多くの出版物に引用されてきた。  しかし、座間味島の集団自決...
  • e 「花綵の海辺から」(平成2年)大江志乃夫著(ha)
    通090 | 戻る | 次へ 沖縄集団自決訴訟裁判大阪地裁判決 事実及び理由 第4 当裁判所の判断 第4・5 争点4および5(真実性及び真実相当性)について 第4・5(2) 集団自決に関する文献等 イ 渡嘉敷島について(イ) (赤松命令説を否定等する文献)* e 「花綵(はなづな)の海辺から」(平成2年)大江志乃夫著(ha) 「花綵の海辺から」は,戦史研究家である大江志乃夫が執筆したものである。 「花綵の海辺から」には, 「赤松嘉次隊長が『自決命令』をださなかったのはたぶん事実であろう。西村市五郎大尉が指揮する基地隊が手榴弾を村民にくばったのは,米軍の上陸まえである。挺進戦隊長として出撃して死ぬつもりであった赤松隊長がくばることを命じたのかどうか,疑問がのこる。」 として,赤松命令説を否定する記述がある(甲B36・27頁)。 ...
  • k 「渡嘉敷村史」(平成2年)渡嘉敷村史編集委員会編集(2ha)
    昨日 - 今日 - 目次 戻る 通2-085 次へ 通巻 読める控訴審判決「集団自決」 事案及び理由 第3 当裁判所の判断 5 真実性ないし真実相当性について(その1) 【原判決の引用】 (原)第4・5 争点(4)及び(5)(真実性及び真実相当性)について (原)(2) 集団自決に関する文献等 イ 渡嘉敷島について(ア)(赤松命令説記載文献)   赤松命令説について直接これを記載し, 若しくはその存在を推認せしめる文献等としては, 以下に記載するものがあげられる。 k 「渡嘉敷村史」(平成2年)渡嘉敷村史編集委員会編集(2ha) (判決本文p175~) (引用者注)当サイトでは、原審判決に大阪高裁が付加あるいは判断を改めた部分等は, 区別しやすいようにゴシック体で表示し, 削除した部分は薄い色で削除した部分示しました。 k...
  • 第2の1 事案の概要
    昨日 - 今日 - 目次 戻る 通2-004 次へ 通巻 読める控訴審判決「集団自決」 事案及ぴ理由 第2 事案の概要等 1 事案の概要 1 事案の概要ア (請求の概要)* イ (請求及ぴ訴訟物)* ア (請求の概要)*   本件は, 控訴人梅澤及ぴ控訴人赤松が, 控訴人梅澤については被控訴人らが出版し若しくは執筆した原判決別紙書籍目録記載1の書籍(「太平洋戦争」)及ぴ同記載2の書籍(「沖縄ノート」)によつて, 控訴人赤松の実兄である赤松嘉次(赤松大尉)については「沖縄ノート」によって, 太平洋戦争後期に座間味島及び渡嘉敷島の各住民にそれぞれ集団自決を命じ, 住民を多数強制的に死なせながら自らは生き延ぴたという虚偽の事実を摘示され, 控訴人梅澤及び赤松大尉の社会的評価を著しく低下させられて, その名誉を甚だしく毀損され, もって控訴人らの人格権や, ...
  • 赤松氏デビュー1968.4.6週刊新潮
    赤松氏デビュー1968/4/6号週刊新潮 渡嘉敷島の第3挺進隊長であった赤松嘉次氏が、戦後再び国民の前に姿をあらわしたのは、今から40年も前の1968年の週刊新潮紙面であった。おそらく、大スクープであったに違いない。40年も前というと、1945年の沖縄戦のときから見れば、1905年の日露戦争ということになる。 これは、明らかに「歴史史料」である。 この週刊新潮記事から、赤松氏の名誉回復運動ははじまった。この記事中の「私は何も悪いことはしていない」、「近く渡嘉敷を訪問するこころづもりだ」という言葉が挑戦的と受け取られ、2年後、有名な「渡嘉敷島渡航阻止」の抗議行動を呼び込んだ。 その抗議行動のニュースと赤松氏の言動に触発されて、大江健三郎氏は「沖縄のノート」最終回を記述した。 また、その抗議行動のニュースを読んで、曽野綾子氏は赤松氏にひきつけられ「切りと...
  • 慶良間駐留部隊の戦没将兵数
    慶良間駐留部隊の戦没将兵数 『戦史叢書 沖縄方面陸軍作戦』より 海上挺進第一戦隊 座間味島の梅澤裕少佐(52期)指揮下の死没者 第一戦隊 69名(104名中) 元基地第一大隊 約100名(約250名中) 元船舶工兵第26連隊 32名(約50名中) 水上勤務隊 軍人15名 軍夫不詳(不詳中) 海上挺進第二戦隊 阿嘉島・慶留間島の野田義彦少佐(52期)指揮下の死没者 座間味島の梅澤裕少佐(52期)指揮下の死没者 第二戦隊 21名 別に本島21名(104名中) 元基地第二大隊 約65名(234名中) 水上勤務隊 軍人10名 軍夫不詳(将兵21 朝鮮人軍夫 約350中) 海上挺進第三戦隊 渡嘉敷島の赤松嘉次大尉(53期)指揮下の死没者 座間味島の梅澤裕少佐(52期)指揮下の死没者 第三戦隊 21名 (104名中) 元基地第三大隊 約38名(21...
  • @wiki全体から「(1)渡嘉敷島戦闘の概要 赤松嘉次」で調べる

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