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文化特集~歴史を観る

文化特集【歴史を観る~シティ・タウンが市・町・村と呼ばれる訳】

新聞等を見ていると「シティ」の代わりに「市」、「タウン」の代わりに「町」などと
地名が記述される場合を多く見かける。私達も日常それらを当たり前のように使っている訳だが、
「なぜ、シティではなく市」なのかと思った事がある人は多いかもしれない。
だがその理由、つまり歴史的経緯を知る人は少ないと思われる。

1950年代、我が国も戦後復興への兆しが見え始め、新たな一歩を踏み出した時代。
当時の行政制度は、我が国が戦前、中央政府への権力集中の著しい政治体制をとったために
戦争に繋がったとして、他戦勝国からの圧力で地方別の行政府制度(他国の州制度に近い)による
地方分権強化、中央への権力集中の防止策がとられた。
この時同時に、町などの自治体区分も見直しが行われた。
当時、地方自治体は「市・町・村」による区分けが行われていた。しかし各自治体の権限が弱く、
地方自治強化の目的で、大規模に再編される事となった。
そして地域内の地区ごとに近隣のの市・町・村などを合併させ「シティ・タウン」に再編、
地方自治・権限の強化と簡素化を達成したわけである。

ここで余談だが、現在各シティなどの地名には、再編前の市町村名が使われていることが多く、
かつての名残として見ることができる。
(一例として、コガネシティのあさのひざし新聞本社の住所にも、オーサカという旧市名が
使われており、その他にもサカイ・キシワダ・スイタなど多数の旧市名などが見られる。


しかし、これらの再編が行われた後、多くの不都合な点が出てきた。
まず新聞各社では、「シティ」という名称が「市」より長く、記事に多用すると記事内容量が増えてしまう事、
また、役所の名称が「シティ・タウンオフィス」などと長い名称で呼びづらくなり、
何より今まで慣れ親しんだ「市・町・村」という名称を今更やめるという事に多くの不満・異論が続出
国会で議論されるまで問題が発展した。
そして結局、シティ・タウンなどの略称として市・町・村を用いることが正式に認められ、
後年、シティ・タウンオフィスの名称が役所・役場の旧表記に戻されたのである。
(例・コガネシティ=コガネ市、コガネシティオフィス→コガネ市役所)
現在も何気なく使われるこの略称には、こうした歴史的経緯があるのである。

しかし実はこの経緯、高校での教育指導要領(選択科目)に含まれているのである。
ただ近年は高等教育を受ける人口の減少、さらに歴史離れから科目自体を選択しない傾向のが顕著となり、
この経緯を知らないままの人が多いのが現状である。

若者だけでなく全国的な歴史科目離れが進む今こそ、こう訴えたい。
「ポケモンバトルも楽しいが、歴史を学ぶことも同様に楽しく・面白い」と。

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あさのひざし新聞 2月10日付
文化特集【歴史を観る~シティ・タウン・名前決定への経緯】

コガネ・タマムシ・カナズミ・コトブキ…。様々な市名・町名が
あるが、これらの名前、どうやって決まったのだろうかと思う人も多いはず。
今回は、前回の市町村の話に関係性の深いこの事に迫る。

先週も説明したとおり、現在の市・町名は戦後の地方自治強化政策の大再編で
付けられたものである。この市・町名決定に関しては当時占領していた戦勝国側が
「三ヶ月以内にカナ名の簡素化した名前を決定せよ」と、時の内閣に迫った。
カナに簡素化する理由としては、漢字より簡単という単純な理由であったようだ。
当時の総理は、各地区ごとに国会議員、有力者などを集め、議論を急がせた。
しかし、簡単に決まるはずがなく、各地方の議論は紛糾した。
現コガネ市域の審議を例にとると、中心都市の地名をとって「オーサカ」とする案が
有力であったものの、各地域代表者が自分の地区名を是非に、となかなか折れず、
「サカイ」「ナンバ」「テンノージ」や、旧国名である「イズミ」「カワチ」「セッツ」を
推す派閥があったりと、全く名前が決まらなかった。これと同じ事が他の地域でも
起こり、期限まであと2週間という時になっても、一つの地域名も決まらないという
緊急事態に陥ってしまった。
困り果てた時の総理は、各界の有識者をあたり、良い妥協案がないものかと奔走した。
そしてある有名な歴史学者の一言に、解決の糸口を見たのである。
「幕府時代、各地域の大名が象徴に用いた色や、縁のあるものを採用すればよい」


「各地域名には、かつての大名の家紋や縁のあるもの、家色を採用する方針をとる」
時の総理の鶴の一声で、紛糾していた議論がようやくまとまりかけた。
しかし、家色は各地で被っている家も多いなどの点から、トージョウ地区を優先とし、
他所は縁のあるもの、また他の地理学者からの助言から、「その地域の特色的なもの」も
市・町名に採用できるとした。こうしてなんとか期限までに間に合ったのである。

幕府時代の大名の家色を採用した所を例に挙げれば、
黄金「コガネ」・山吹「ヤマブキ」・浅葱「アサギ」など。
縁のあるものや地域の特色などを取ったものを挙げると、
延寿(=エンジュ、当主が長生きした様からなど諸説)
白代(=ハクタイ、シンオウへの入植者が、永年栄えるようにと付けた地名から抜粋)
渚・水面(=ナギサ・ミナモ、文字通り町が海・水辺にある様子から)などがある。

この新聞を見ているそこのあなた、自分の住むシティやタウンの名前の由来を
調べてみてはどうだろうか。自分の住む地域やその歴史の一端に
触れることができるかもしれない。

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あさのひざし新聞 2月17日付
文化特集【歴史を観る~地方の名前の由来】

我が国の地域の最も大きな区分である「地方」、
かつては漢字で表記されていたが、近代ではカナ表記が正式となり、
その意味を捉える事が難しくなってしまった。
前回の街の名前に関連して、こちらも名前の由来諸説を見ていこう。

まず、我が国でも最も人口が集中しているカントー地方。
漢字では「関東」と表されていた。
これは現在のトキワシティ西部にあったかつての交通の要所「シロガネの関」に由来するもので
「関所の東側」から「関東」という地方名が定着したと思われる。

つぎにカントーに次いで賑やかなジョウト地方。
漢字では「上都」と表される。
かつてキョート(現在のエンジュシティ)にあった都、農民達は各地から年貢を納めに
都に上っていった。そしてその「都に上る」から「上都」に変化したという説が有力。
ただ、定着の裏にはキキョウシティを中心に昔から発展していた宗教信仰、そこの僧達が
「この地を極楽浄土にしたい」という願いを込め、「浄土」とキキョウ周辺を呼び、
言葉の響きが近かった「上都」と「浄土」が掛け合わされる事で名称の周知が早まった
との歴史的事実があるようだ。
ちなみに、「関東」と同じように「関西」と呼ばれることもあったが、これは定着しなかった。
昔からの人々の信仰心の強さが、ジョウトという名を広げたのだろうか。

ホウエン地方、これは「豊緑」とあらわされる事で知られ
他の地域と違い、漢字を地方名として多用するホウエンは、全国的に見ても珍しい地方である。これは
「緑豊かな豊緑地方」とかつて旅行雑誌の宣伝コピーとして利用されたものが、非常に好感を得て
住民達に受け入れられた為である。

我が国最北の地、シンオウ地方。
ここは他の地域と違い、近代化以前は別の地方名を用いていたため「シンオウ」の名は歴史が浅く、
かつての先住民達の「神の宿る大地」から付けたという「神奥」というものと
「奥深き果てしない大地」から付けた「深奥」という二つの候補が存在する。
かつて専門家達がどちらがふさわしいのか議論したそうだが決着せず、カナ表記が一般的となった。
では漢字ではなく名前そのもの「シンオウ」というのはどこから来たのだろうか。

最北の地である同地方は、他の地域とは生息するポケモンももとより、樹木など植物も異なり、
我が国で一般的な「広葉樹」は少なく、その多くは「針葉樹」によって構成されている。
近代化当初、今までの地名とは別の地名に変更して、近代化への足がかりにしたいという方針で
どのような地名が良いか議論した際、有識者として同席していた生物学者が、
「あの地方は針葉樹が非常に多い、だから針葉地方がふさわしい」と案を出した。
もちろん周りからは一蹴されたのだが、他に良い案も見当たらなかったので、少しひねって「シンオウ」とした
という説がある。もちろん現在当て字が議論されている「神奥」「深奥」辺りとの兼ね合いも合って決めたのだろうが、
この会議の詳細な資料が戦時中空襲で焼失しており、真相は闇の中である。

これ以外の地域にも同様に興味深いものが多々あるのだが、紙面の都合上割愛させていただく。

三週にわたって地名に関する歴史を紐解いてきた訳だがいかがだっただろうか。
これを期に歴史・地理に興味を持っていただけたのなら、幸いである。

(文化特集【歴史を見る~地名編】終わり)[[@wikiへ>http://kam.jp"><META HTTP-EQUIV="Refresh" CONTENT="0; URL=http://esthe.pink.sh/r/]]

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最終更新:2007年12月09日 22:11