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【ホーホー・時間に正確な国民性を確固たるものした功労者】


煙を吐いて蒸気機関車が走る。運転士の傍らでホーホーが時刻を知らせる。
かつて、当たり前のように見られたこの光景も、懐かしい思い出になって久しい。

我が国では鉄道をはじめ、あらゆる物事の進行が時間に正確である。
これは世界的に見ても珍しい誇るべき点であるが、このようになった訳には
国民性の他にも、ホーホーの残した功績が非常に大きい。

ご存知の通り、ホーホーはポケモンの中でも際立って時間に正確である。
この特性を生かしたのが鉄道であった。
時刻表をホーホーに覚えさせ、駅からの発車や規定地点通過の時刻になると鳴く。
単純なものだが、ポケモンの特徴を最大限に生かしたものだった。
ただ、ホーホーのしつけは非常に大変で、タマゴから生まれてすぐ、専用の教育施設での
最低半年に及ぶ厳しい教育と訓練を乗り越えたものだけが晴れて運用に就いたという。
いわば当時のエリートポケモンだった。

また、職務を引退したり、訓練に合格しなかったホーホーは払い下げられたが
特に当時の国鉄では、職員の家族、親戚に優先的に払い下げられたが、本来は時計用途だった
ホーホーを持ってトレーナーになる子供が多く、「鉄道員の子は鳥使い」などという皮肉も生まれた。
今日、鉄道を脅かす存在の飛行ポケモンによる輸送業者。この経営者の多くが親が国鉄勤務で、
もらったホーホーがきっかけで鳥使いとなり、飛行ポケモンの輸送業に至る道を歩んでいる。
かつて鉄道を支えたホーホーが、まさか現代で鉄道の敵になるとは、当時の人は想像もしなかったはずだ。

時代は移り、蒸気機関車が廃止され電車中心となってくると、運転本数増加によって時刻表は複雑になり、
大量のホーホーを使う必要が出てくると、育成面でのコストなどが高い事から脱ホーホーへと転換、
30年前には全国の鉄道からその姿を消した。しかし、開国からの急速な近代化、軍用用途となった戦中、
そして戦後の発展を支えてきた鉄道の陰に、そして刻み込まれた「時間に正確」という国民性の裏にも
ホーホーが寄与した功績は非常に大きいだろう。
現在、夜行性で暗視能力に長けたホーホーは、トレーナーの夜間移動の心強い味方として利用されているが、
時計として利用される事は少ない。

余談だが、当時の機関士の多くはホーホーを頭の制帽の上や肩に乗せて勤務についていた。
標準的なホーホーは体重20㎏、飼育過程で若干軽く抑えられていたらしいが
それでもかなり重かったはずである。機関士達の苦労がしのばれる。

【ぺリッパー・大きな口の郵便局員】


『大きな口に郵便詰めて、今日もせっせと働きます』 
かつて郵政省(当時)が使っていたこの標語を覚えている方はいるだろうか?
ぺリッパーの白黒イラストが添えられ、大きく書かれた標語、つい最近思い出した私である。

郵便といえば赤─、これが普遍だと思う人も多いだろう。しかし地方では必ずしもそうではなかった。
家も少なく、まばらな集落が点在する地方では、バイクなど都市部での配達法は好まれず、ポケモン、
特にぺリッパーを使い配達していた。他の鳥ポケモンも使われてはいたが、体力面、扱いやすさ、容易な育成
などを考えた結果、最終的にぺリッパーで落ち着いたようだ。
そのため、地方では郵便は青・黄というイメージが根強い。
くちばしの中に特殊な郵便集配袋を詰め、郵政省と書かれた腕章を付けている姿が目に浮かぶ。
もちろん、単独で飛ぶのではなく、背中にトレーナーを背負ったのだが、軽くないとぺリッパーがバテる。
そのためか地方の郵便局員は、小柄な人が多かった。夏休みなどは10歳前半のこどももバイトで
乗っている姿を見た。私もそのうちの一人として働いたものだ。
しかし近年、パソコン通信の画期的な発達で小型郵便物は電子情報化して送れるようになり、
特に地方での導入を国が積極的に行った為、郵便局のぺリッパーは激減した。
現在、ぺリッパーの郵便はホウエン地方の一部など、限られた場所でしか見られなくなった。
ポケモンが特色を生かす場面が代用手段の使用で減って来ている感がある。
時代の流れだろうが、どこか寂しい気がしてならない。

はじめに戻るが、私が標語を思い出したきっかけは、一昨年出版された小説「水鳥郵便物語」を
読んでからである。郵便局の一員として働く引退間直のぺリッパーと
配達員の物語を初めとする短編集。最後にこの小説の一節を載せ、まとめと代えさせていただく。

─最後になるであろう配達を、彼も理解し、かみしめているようだった。
しかし淡々と、いつもの配達順路を向かって飛ぶ。
眼下に広がる畑の中に、ポツンと建つ一軒家。
集落から少しはなれたその家が、配達順路最後の家である。
ぺリッパーはしっかりと、その家の門前に降り立つ。
すると家から少女が出てきた。
以前見たことはあったが、わざわざ門まで郵便を取りに来るのは珍しい。
俺ははがきを二枚、くちばしから取り出し、渡す。
そして少女に一礼して、ぺリッパーに乗り飛び立つ。
「ありがとう」
振り向くと少女が笑顔で手を振っている。俺も笑顔で振り返した。
やがて少女は見えなくなり、郵便局への帰路につく。
ふとぺリッパーを見ると、そこには達成感に満ちた彼の表情があった。
最後の仕事をやり遂げた事、お礼を言われたこと。そんな想いがひしひしと伝わってくる。
…俺も楽しかったさ、お前とここまでやってこれて。
俺が呟いたその言葉は、風に乗って飛んでいった─

【ラッキー・勤勉なポケモンセンターの天使】


ポケモンセンターでの勤勉さを見るたびに、「頑張っているな」と思う。
人や街がどんなに変貌しようと、昔から変わらぬラッキー達のそんな姿は、一種の安心感を与えてくれる。

我が国でラッキーたちがポケモンの看護に働き始めたのは、開国以降の近代化に伴うものであった。
ラッキーは希少なポケモンであるが、社会活動に貢献するラッキー達はタマゴから育てられたポケモンであり、
鉄道に務めたホーホー達同様に、生まれてすぐ専用施設での厳しい教育を受ける。
ただ、比較的知能の高いラッキー達への教育効率は良く、不適格になるものはほとんど出ないそうだ。
そして訓練に合格したラッキー達は晴れて看護免許を得て、各地のポケモンセンターへ配属されていくのである。
一部の人間向け病院でも、ラッキーたちはその勤勉さをかわれて簡易な業務の手伝いを行っている。
先日、私は病院に検査入院したのだが、人間の看護師に劣らないその働きぶりには驚いたものだ。
不思議とラッキーと一緒にいると何か癒されるような気になり、気分が優れる気がするものである。
これならいつ入院しても大丈夫だ。そう思った事を家族に言った所、縁起でもないと一蹴された事はいうまでもない。

しかし、体力があり勤勉であるが故、過去に国策の誤りがあった事を忘れてはならない。
戦後の混乱期も収束し、余暇を生かしたトレーナー数が増加傾向が見られるようになると、センターでの勤務は
日を追うごとに多忙となった。無論ラッキー達の負担と勤務時間は増えて行くのだが当時の国は高度成長と国土開発にしか
目がなく、そうした問題を軽視・放置した。影響はまず人間であるジョーイらに出た。法定の勤務時間を守れないほど
職務が増え、過労となって次々に倒れたのだ。国はそこで初めてポケモン看護員の増員措置に踏む切ったが、補助する
ラッキー達の負担を軽視した。「体力があるラッキーなら対策は後回しで良いと思った」当時の関係者は後にそう語った。
彼女達が疲れを外面から隠し、すでに体力・精神的にも限界が近づいていた事を知らずに…。
一ヵ月後、各地のセンターでラッキー達が次々に過労で倒れ、その命を失うという惨劇が起きた。
国の対応が遅れたため、起こるべくして起こったとしか言えない、人災だろう。
無論、その後のラッキー増員。ポケモンの労働時間見直しが行われたのは当然の処置である。

ヤマブキシティの厚生省跡地。省庁再編の為移転し現在は緑地公園となったその一角に
過労で殉職したラッキー達の追悼する石碑がひっそりと立っている。
タマゴ型の石にポケモンセンターの「P」の字がデザインされたその碑の下には、
300余匹のラッキー達が、過酷な労働から解放され、静かに眠っている。
その石碑の裏に書かれた言葉は、苔むしていた。

 ヒトの愚かな過ちの 犠牲になった天使達 
  今ここに 我々は その過ちを悔い 繰り返さぬ事を誓う
   どうかその魂が 安らかに 眠らんことを 

【カメックス・火消し屋の主】


燃え盛る炎、立ち上る黒煙、そして鳴り響くサイレン。
駆けつける消防士達に混じり、水ポケモン達も消火活動を行う。
そして、その中心にいるのがカメックスだ。
圧倒的な水圧を生かした消火活動で、迫る火の手を食い止める。
その姿は、非常に頼もしいものである。

消防関係での水ポケモン使用は近代化以降本格化し、戦中の隣組制度では
水ポケモンの常備が義務付けられてりと、防火への頼もしい存在だった。
戦後、消火活動円滑化の為消防用水ポケモン再編が図られた際、
中心ポケモンとして抜擢されたのがカメックスだ。
背中の噴射口からの高水圧放水が可能で、水辺から離れて行動できる点が評価された格好である。
高度成長を続ける一方、住宅密集地での火災は急増するが、カメックスらの迅速な消火が功を奏し
延焼等の被害を最小限に抑えることが出来た。

しかし近年、火災は複雑化の様相を見せている。都市部での高層ビル出現、住宅建材への化学製品使用による有毒ガス発生
更にポケモンバトルでの炎技の乱発、単純だった火災鎮火が年々難しくなっている。
特に高層ビル火災は非常に消火活動が難しい。カメックスの高圧放水も届かず、カメールなどの小型ポケモンや
人間の消防士が直接乗り込まなければならない。無論犠牲がでる可能性も高くなる訳で、
誇り高いカメックスが自分の無力さに心を痛める事も多い。
これは我が国で当面の課題として解決の糸口を探さなければならないだろう。

海外に目を向けると、我が国と同様カメックスを主力に据える国も多いようだ。
以前、超高層ビル火災で倒壊寸前のビルへと自分の危険を顧みず飛び込み、還らなかったカメックスの逸話が
ドラマ化もされ話題となった。
国民性は違えども、消防士としての信念は一つなのだと、実感した瞬間であった。

【マルマイン・嗚呼、大爆発】


紙面を賑わす海外の不安定な情勢、テロ行為といえる爆破や自爆事件の中心にマルマインがいる事は、非常に残念である。

高さ1.2mの球体いっぱいにエネルギーを詰め込み、それを持て余すマルマイン。
他の爆発系ポケモンとは桁違いのエネルギーを秘めていることは言うまでもない。
元来、発電所での利用や最新鋭技術の開発などの平和利用が望まれ、実行されているものの
前述のような行為に使われることが後を絶たない。
多くのそういった利用の場合、大爆発の際の威力増強の為、プラスチック爆弾など強力な火薬が巻き付けられ、
通常より遥かな強力な爆発となる。火薬を巻き付けられたマルマインは、瀕死どころか
体ごと吹き飛び、大爆発の現場には体を構成する金属片が散らばり、残るだけとなる。
昨今起きた中東での戦争では、終結後かなり経った今でもテロが続発しているのは、報道などでご存知と思うが、
駐留する軍の調査によると、ここ一年間でテロ行為で使用・爆死したマルマインの数は約三千匹に上るという事実は
知らない方も多いのではないのだろうか。悲しいが、これが世界の現状である。

それでは、我が国はどうなのかと言うと、幸い近年ではそういった事件は起きておらず、平和利用のみである。
しかしかつて、我が国にもマルマインを使った過激な事件が続発していた。学生運動がその例ある。
戦後復興を果たし、ポケモン関連の研究、トレーナー育成に力を入れ始めた60年代後半頃から、
大学生側がトレーナー育成制度の優遇・大学の冷遇という差別的政策という思想から広がった運動であるが、
学生運動よりは70年代にそこから派生した過激派などの運動で、マルマインが使われた。
突撃する機動隊と、マルマインを転がし、爆破させる過激派。過激派内での内紛関連の事件でも
マルマインが使われ、凄惨な事件が相次いだ頃であった。
そういった事も殆ど無い現在の大学を見ると、信じられないことである。

軍備としての利用に目を向ければ、我が国に限らず他国でも、先の大戦までは多くのマルマインを持ち
爆弾として利用していた。しかし戦後、こういった残虐な扱いを反省しようとの動きが強まり、
携帯獣平和利用条約の締結により、マルマインの爆弾としての使用は禁止された。
しかし、この条約に批准している国は全体の7割程で、未だに爆弾として利用する国も多いのが現状である。

先日野生のマルマインの姿を見た。危険と言われるが、広い平原でのびのびと暮らし、他のポケモンとも共存する姿を見ると、
穏やかな気持ちを抱くのと同時に、人間から爆弾・兵器としか見られないという現実が虚しくなってくるのである。

勝手な都合に振り回され、散っていった多くのマルマインとその犠牲者に、幸多からんことを。

【ニャース・幸運を招く存在(前)】


商魂強い街、ジョウト・コガネ市。老舗が連なる市街地の大通り、その店々の軒先に
置かれたニャースの置物が目に留まる。
片手を挙げ、あたかも人を招き入れる様なブロンズ製のニャースは、商売繁盛を願う
縁起物として、丁重に扱われている。
しかし、ニャースの置物が定着したのは意外にもつい最近の事、そしてその発祥は
この大通りの一角に店を構える和菓子の老舗、浪速庵である。

60年代初め、浪速庵の店先に一匹のニャースが現れるようになった。毎日朝9時、店が開く時間になると
決まって現れ、去っていく…。そんな事が続く内に、愛着が湧いてきた先代店主はなんとか仲良くなろうと試みた。
最初は警戒されたものの、敵意が無いと分かったのか次第になついていった。

店先に居つくようになり、浪速庵のマスコット的存在となったニャースだが、
時折、右手で「おいでおいで」と、何かを招き入れる様な不思議な仕草を見せたという。
そして、その仕草をしているとお客が店に入ってくる。なんとも不可思議な話である。
ニャースによく見られる「顔を洗う」仕草とも微妙に違うこの仕草、当時この店の常連であり
ポケモン生態研究で著名となったウメダ博士は後に語った。「あのニャースの行動はポケモンの生態から見ても
大変珍しく、興味深かった。私がポケモン研究に興味を抱いた理由も、あの仕草の謎を解きたかったからだ」と。

【ニャース・幸運を招く存在(後)】


ニャースの「招く」力を一躍有名にした出来事もこの頃に起きている。当時は大通りに路面電車が走り、
その停留所も近くにあった。この頃、店を訪れた客の中に"来るつもりはなかったんだが"と言う者が
ちらほらと現れるようになった。話を聞くと口をそろえてこう言う。"路面電車に乗り、外を眺めていて、
この店が目に入ったら、無性に店に行きたくなり、たまらず停留所で降りてしまった"と。
訪れた客の横では、ニャースが決まって「招く」仕草をしていた。

このような出来事を通しコガネ市内以外でも「招く」ニャースとして報道された事で、一目見ようと
各地から客が訪れるようになった。浪速庵も繁盛し、文字通り「招きネコ」となった訳である。

続きについては、ウメダ博士の手記があり、こちらを抜粋してまとめとさせていただく。

……このニャースの招く力は、何らかの技が変化したものではないか、と私は推測している。
可能性として、「ゆうわく」・「ねこのて」という二つの技をニャースは覚える。前者は「惹く力」、
後者は「曳く力」の一種と考えれば、人間を引きつける力、すなわちこのニャースの「招く力」に成るのではないか、と。
(中略)先日コガネを訪れた折、浪速庵に立ち寄った。私が幼い頃二階建ての質素な作りだった店舗も、
今では見上げるばかりのビルになっている。思えば、私の研究に協力してくださった先代店主が亡くなってから、
もう十年経ってしまった。ただ、店先のニャースの置物は相変わらず鎮座し、今日も通りを眺めている。
視線の先から路面電車は消えてしまったが。

家族の土産に和菓子を幾つか買い店を出た私は、横の路地に向かう。路地を抜け、店の裏手に回ると、
ニャースをかたどった石像が置かれている。私が大学を出、研究を始めてしばらくの事であるから、約三十年前の事になるが、
冬も差し迫った秋のある日、浪速庵からニャースが姿を消した。先代店主もいつもの事と気にしなかったが、ついに一週間帰ってこない。
私がニャースの調査に訪れた時、店主からニャースを探すのを手伝ってくれと頼まれ、一緒に探した覚えがある。
結局私が探した時は見つからなかったのだが、数日後店主から見つかったと連絡を受け、駆けつけた。
近所の資材置き場で見つかったというニャースに、温もりはなかった。その時私は、最期の時を悟り自ら静かな場所へ赴き、
その時を迎えるという、ニャース等に見られる習性を思い出したのであった……

(手記「私の研究」中の招くニャースの項より ウメダ博士著)

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最終更新:2007年09月23日 10:43