第3話(BSanother05)「魔境少女の影」
アレックスは夢を見ていた。
背景は靄がかかったようにぼやけ、揺らめいている。
その不思議な空間に立っているのはアレックスともう一人、見覚えのない青年。
「ここは、夢の中…? 疲れてるのかな…?」
アレックスが疑問を口にすると、青年がアレックスに声をかけてくる。
「夢の中、という認識で間違いないさ。こちらから少し干渉させてもらっただけでね。」
「あれ、じゃあ、これは夢じゃないのか?」
「キミの夢だよ。その中に僕が入り込んできた、それだけさ。」
とりあえず、この青年は他人の夢に上がり込んでくる能力があるらしい。
当然、そんなことをするからには、理由があるのだろう。
「じゃあ、何か用件があるのかな?」
「もちろん。アレックスくん、キミに会いに来たのはね。 唐突だが、キミはアイディちゃんを取り戻したくはないかね?」
アレックスの脳裏に、先日のゴブリン退治の時に、ヴィルマ村近くで遭遇したアイディ、紫電を操り、ゴブリンたちを薙ぎ払う彼女の姿が浮かぶ。
「そういえば、前に会ったアイディはアイディじゃなかったし…」
「そう、あれは今、アイディであり、アイディではない。」
「その状態から、本来のアイディに戻したいだろう?」
「出来る事なら取り戻したいけど。」
「でも、それはそれで悪いような気も」
アレックスの言葉に、青年は心底意外そうな声色で返す。
青年は、当然アレックスは昔のアイディを取り戻したがっている、と思っていた。
「ほう、悪い…か? それは誰に対してだい?」
「言っても、アイディが選択した道なんだから、それをそれで勝手に変えるのも…」
「まあ、確かにああならなければ、アイディは死んでいただろうが、最終的に"アレ"の契約に乗ったのは彼女だ。」
「とはいえ、僕としては今の状態を見過ごすことも出来ないんだ。」
「彼女は今、とある投影体に体を乗っ取られた状態にある。」
どうやら、彼が言うには、アイディは命を助けてもらう代わりにその投影体に乗っ取られることを了承したらしい。
現在のアイディが投影体に由来するらしい力を使っていたのはアレックスも見ているし、状況説明としては筋は通っている。
青年は、その投影体によるアイディへの提案を「悪徳契約」と表現した。
まあ、命をタテにしての交渉は確かにそう言っても良いかもしれない。
「で、何で僕が出て来たかっていうと、その問題の投影体を追っている別の存在ってトコでね。」
「訳あって実体は無いんだけど、キミにアイディちゃんとその投影体を切り離す方法をアドバイスすることはできる。」
「まあ、聞く分には構わないけど、なにぶんキミが信用できるのかってのが、ちょっとあるし…」
当然である。突然出てきて「信用してくれ」というのはちょっと無理がある。
「確かに信用してもらえないことには、どうしようもないね。」
「じゃあ、こうしようか。」
青年はくるりと指を回す。
何らかの術をかけたようだが、アレックスは気付かず、なんとなく「彼は、嘘は言ってない」という妙な確信が伝わってくる。
既に彼の術中なのだが、ひとまず納得して、話を進める。
「ちなみに、何でアイディを元に戻したいの?」
「正直な話、アイディちゃんなんて、僕にはどちらでもいいんだよ。彼女を乗っ取っている投影体が許せないだけさ。」
「ま、利害は一致するだろ?」
確かにそれはそうである。
下手に、アイディ云々語るよりはそれらしい。
「おっと、もう時間だね。夢の中は使える時間が短くて不便だね」
そこで、そう言った彼は消えてゆく。
アレックスが目を覚ますと、そこはいつもの自室だった。
割と殺風景な部屋(彼は、収入の大半を香辛料に使ってしまうので、部屋に物は少ない)を見回し、呟く。
「あの夢は… でも、アイディが元に戻るなら…」
そこで、部屋にアスリィが訪ねてくる。
「アレックスさん! いつもより遅いですね! どうしたんですか?」
「小屋にいないから探しに来たんですけど。」
どうやら、いつもより少し遅くまで寝ていたらしい。
「アスリィさーん、どこ行ったんですかー?」
「アスリィー、どこ行った?」
サラとグランが呼ぶ声も聞こえてくる。
何故かアレックスではなく、朝食時にどこかに行ってしまったアスリィを探す声だというあたり、アレだが。
「アスリィさん、呼ばれてますよ?」
「ということは、アレックスさんもごはんですよ!」
「いや、僕は割と貰ってって向こうで食べるから。」
「そうですか。じゃあ、私はパン食べてきますね。」
そう言って、アスリィは食堂の方に去っていく。
さて、今日の仕事の準備をしよう、と思ったところで、アレックスは1つの異変に気が付く。
アイディとの思い出のペンダント。それに使われている赤い石が淡く光を帯びていた…
Opening.2. 北の隣町にて
その頃、ヴィルマ村の少し北の隣街のテイタニアにて。
この街の領主、ユーフィー・リルクロートは執務室で街の各所から上がってきた報告書の束に目を通していた。
とある書類に目を留め、難しい顔をしたかと思うと、自身の契約魔法師であるインディゴ・クレセントに声をかけた。
「インディゴ、少しいいですか?」
「こちらの報告なんですが、貴方はどう思いますか?」
ユーフィーが渡した一束の資料に目を通す。
そこに載っていたのはボルドヴァルド大森林におけるとある投影体の目撃報告。
いわく、ボルドヴァルド大森林の比較的奥地に、幼い少女の姿をした投影体が出現するらしい。
その少女は他の投影体を襲撃している姿がたびたび目撃されている。また、最近になって、より力を増しているようだ。
というのが、その資料の大まかな内容であった。
「今のところ、森に入る冒険者たちに危害を与えたり、ということは無いようですが。」
「その投影体が、長い時間そこにいるということですから、気になりますね。」
投影体がこの世界に存在する時間に関しては個体差が大きい。
現れては、ほんの数日で消えてしまう者もいれば、殺されたりせぬ限りほぼ永続的にこの世界に居座る者も多い。
ボルドヴァルドで主に冒険者たちの敵として立ちふさがる投影体は割合不安定なものが多いというが、彼女はそうでは無さそうだ、ということが1つ。
「はい。少なくとも、不安定な投影体のように消えたりする事は無く、とどまっているようですし、だんだん力を増しているというのも気にかかります。」
「力を増しているということは、ある程度力を付けた段階で何かを仕掛けてくるのでは?」
「調査をする必要がありそうですね。」
この点は、2人の一致した懸念点だった。
力を貯めている、ということは、否応なしに「彼女は何らかの目的をもって活動している」と想像させる。
現時点で敵対の意志は見えなくとも、その目的の見えないまま放置しておいて良いものではないだろう。
「というか、ゴブリンなどならともかく、私たちと同じ姿をした投影体が目的の見えない行動をしているときは、経験的に大概は厄介ごとです。」
ユーフィーの割とぶっちゃけたそのセリフは、暴論といえば暴論だが、実際のところ、だいたい合っている。
「とはいえ、1つ問題がありまして。」
「主な出現地域は、どちらかというと、ヴィルマ村に近い方なんです。カーレル川の向こう側ですね。」
「ヴァレフール全体として、ヴィルマ村の復興をアピールしたい機運はありますし、あまりこちらが不必要な支援をしている感を出したくはないんですよね。」
放置すればテイタニアに危機が迫るかもしれない以上、放置はできないが、ヴィルマ村に対する過保護感を出すのも困る。
一方で、開拓村に任せっきりにするのもそれはそれで問題だ。という、微妙な立場にこの問題は立たされていた。
そこで、ユーフィーは妥協案を提案する。
「という訳で、出来ればインディゴ単独での表敬訪問のついで、という体裁にしたいんですが。」
「なるほど、そのあたりはいい考えですね。」
「それに、あまり向こうに人員を割きすぎて、テイタニアががら空きになっても困りますしね。」
「ええ、こちらは万が一何かがあっても、私やアレス、ハーミアもいますし。」
「それにどちらにせよそろそろ一度私かインディゴあたりが表敬訪問には行かなければと思っていましたし。」
「橋の件のお礼もありますから。」
そのあたりの事情もあって、アレスやハーミアよりは、契約魔法師であるインディゴが行くのが望ましい。
「では、手間をかけますが、よろしくお願いします。」
「あと、ヴィルマ村の領主には、私からお手紙を書いておきますので。」
ユーフィーはそう言って話を締める。
こうして、テイタニアの契約魔法師インディゴは、隣の開拓村へと向かい始めた。
Opening.3. ヴァレフール万博と契約事情と
サラのもとには、ヴェルナからのタクト通信が届いていた。
「こんにちは、サラさん。」
「今日は、少しこちらの方から話がありまして、」
そういって、ヴェルナは早速本題を切り出そうとする。
「…な、何でしょうか…?」
「そんなに身構えなくても大丈夫ですよ?」
サラはなんとなく嫌な予感がした。
だが、幸いにも、続けてヴェルナが語った内容は(とりあえずは)彼女の料理とは関係はなさそうなことであった。
「しばらく先の話ではあるんですが、ドラグボロゥで物産展覧会、的なものを開催しようと計画しているんです。」
「そうですね、「ヴァレフール万博」とでも言いましょうか。」
「…な、なるほど。」
「ええ、これは、ヴァレフール各地の特産品の展覧会であり、狙いとしては、集客効果というのもありますし、各地の技術交流・相互発展というのもあります。」
「あと、一応「ヴァレフール万博」と銘打ってはいるものの、ヴァレフール外からも友好国各国からは出展を募っている、という大きなイベントなんですが…」
「もしここで、ヴィルマ村からも出展ができれば、復興のアピールにもなりますし。」
つまり、かいつまんで言うと、ヴィルマ村から何かしらの特産品を出してもらいたいようだ。
「とはいっても、今、ヴィルマ村には特に出せるような特産品は無いですよ?」
確かにそれは事実である。
ジャガイモや小麦は順調に育ってきたものの、それらは他の土地でもよく育てられているものであるし、別にそれらにしてもヴィルマ村ブランドとして売り込めるほど品質が高いわけでもない。
あくまで、普通の作物、なのだ。
とはいえ、その点についてはヴェルナも承知している。
「ええ、でも、今すぐにというわけではありません。開催までにはまだまだ時間がありますし、時間をかけて探していただければ、と思います。」
「内容は特に問いません。」
「例えば、何か特産品になりそうな食べ物とかがあれば、それを屋台形式で出していただいても構いませんし。」
そこで、ヴェルナは思い出したように付け加える。
「あ、もし料理関係を扱うのであれば、時間さえあれば私もお手伝いしますよ!」
ヴェルナの危険な発言を聞いて、サラは慌てて話を進める。
「たぶん、アレックスさんが香辛料を育てたいと言っていたので、それ関係とか…」
「ああ、香辛料! いいですね!」
「ヴァレフールでも、他の村では中々育てていないものですし。」
実際、香辛料の類を育てている村はブレトランドではかなり少ない。
概して温暖な気候が求められることが多い香辛料を育てるには、ヴァレフールの中でも南端に位置するヴィルマ村はかなり適していた。
ヴェルナは続けて、この話題を締めくくる。
「前向きなお返事、ありがとうございます。」
「先ほども言った通り、すぐに出すものを決めろというわけではありませんので、ゆっくり考えていただければ。」
続いて、ヴェルナからの通話は次の話題に移る。
「そういえば、もう1つ、別件ですがお聞きしたいことがあるんです。」
「何でしょう?」
「ヴィルマ村の領主のグランさんですが、サラさんやアスリィさんと正式に契約をする気はあるのでしょうか?」
この件については、ヴィルマ村の関係者の中でも、いまだ曖昧なままになっていた。
グランが以前言っていた話を思い出し、サラは答える。
「グランさん自身は、契約してもよさそうなことは言っているんですけど…」
「正直なところ、そろそろドラグボロゥやエーラムの各所からせっつかれているんですよね。」
「普通に騎士相応のカウントのある方ですから、魔法師1人と契約する権利はある、というかむしろ推奨されます。」
どうやら、正式な領主になってそろそろ時期も経つので、いつまでも派遣魔法師を借りているだけ、というわけにはいかないようである。
「それで、サラさんが契約をし直すでもいいですし、アスリィさんが契約魔法師になるのでもいいでしょう。」
「あるいは、どちらも契約をする気がないのなら、別の魔法師の派遣を要請することもできます。」
「そのあたりを考えていただけるように、サラさんの方からもお願いしておいてください。」
どちらにせよ、グランには近いうちに契約してほしい、というのが首都の本音のようだ。
とはいえ、3つ目の選択肢である、他の魔法師との契約を選んだ場合は、あくまで村1つであるヴィルマ村に3人も魔法師を置くわけにもいかない、という問題が起きる。
「ただ、別の魔法師を派遣することになったら、サラさんに関してはドラグボロゥに戻っていただくことになると思いますが。」
「…ちょっと考えさせてください。」
「はい、もちろんです。」
「契約関係のことは、君主にとっても魔法師にとっても今後を左右する大事なことです。すぐに決めてほしいとは言いません。」
「ただ、ドラグボロゥの方でそういう話が上がっている、ということだけ、気に留めていただければ。」
「分かりました。」
そう言って、今回の通話は終了する。
通話を終えたサラが部屋を出ると、偶然にも先ほど話題に出たばかりのアスリィに遭遇する。
先ほどの会話を思い出し、サラはアスリィにも契約問題について聞いてみることにする。
「あ、アスリィさん、おはようございます。」
「アスリィさんは、グランさんの契約魔法師になるという考えはあるんでしょうか?」
以前、契約魔法師にならないかという話をグランからされていたアスリィは、少し慌てたような素振りで答える。
「ま、まあ、グランさんからもお話は頂いてますし、ありがたいことだとは思うんですが…」
「グランさんのことは嫌いじゃないですし、むしろ好感は持てますけど…」
「…冒険に行けなくなるじゃないですか。」
「はぁー」
サラはため息をついた。
確かに、契約魔法師となったら、他所の魔境に冒険に行くのは難しくもなるだろう。
「そういえば、アスリィさんはどちらかというと冒険したいというか、そういう感じの方でしたっけ。」
「グランさんと契約したら、森林探索の責任者にしていただけるってお話もあって、その、一生かかっても討伐しきれないような魔境に挑めるのは、めちゃめちゃ光栄なんですけど…」
「契約かぁ…と、思っているところです! それでは!」
なかば無理やりに話を切り上げて、アスリィは立ち去っていく。
慌ただしさにサラもう一度ため息をつきかけると、アスリィがぴょこんと姿を消したはずの廊下の曲がり角から顔を出した。
「で、なんかグランさんが早く契約しないと不都合が起きるんですか?」
そのあたりの説明はしていなかった。
サラがヴェルナからの通信の話をすると、アスリィも頷く。
「大変ですね。なんかエーラムの人って堅苦しいですね。」
以前、自然魔法師としての申請を出し忘れた件で、エーラムに連れていかれたことも含めて、行っているのだろう。
「てか、そういうサラさんは契約する気ないんですか?」
「サラさんが契約するものだと思っていたんですけど。ほら、ドラなんとかから派遣されてきたから、そういうものかと。」
サラとしては、あくまでレア伯爵の魔法師という意識があるので、あまりそのつもりはない。
あと、どうやらアスリィは首都の名前を覚えていないらしい。
「では、わたしも、考えておきます!」
そう言って、アスリィは改めて立ち去っていく。
Opening.4. 冒険者的よもやま話
立ち去って行ったアスリィの足は、「いつもの場所」に向いていた。
ヴィルマ村に新たに建った、「冒険者の店」である。
「おう、魔法師の嬢ちゃん、今日も脱走か!?」
そう言ってアスリィを迎え入れたのはこの店の店主、レグザである。
元は森林に挑む冒険者にして竜の模倣者の邪紋を刻む邪紋使いであったが、ある時冒険中に怪我を負ったことで引退し、ちょうど店主を募集していたこの村の店で後進の
サポートにあたることを決めた、という人物である。
「やだなあ、わたしのこと何だと思ってるんですか? 仕事を探しに来たんですよ。」
レグザは答えるアスリィに笑いで返して、
「なあに、開拓したての村とはいえ、こんなでっけぇ魔境のお隣だ。やることはいっぱいなんだがよ。」
「依頼ってなら、売るほどあるんだが… ってか、売るのが俺の仕事なんだが!」
と言いつつ、依頼票の束をドンとカウンターに載せて、アスリィに言った。
「…これは、領主さまの許可を取ってからな!」
レグザには、事前に領主であるグランから「勝手にアスリィに依頼を渡さないように」と通達されていた。
そうでもないと、アスリィは勝手に依頼を受けて冒険に行ってしまいかねない。
「うぐぁ…」
エサ(冒険)を前にして「待て!」を掛けられたアスリィは、貴族令嬢にあるまじき声でうめいた。
とはいえ、レグザとしても、確かな実力を持つアスリィに行ってほしい案件というのはある。
先ほどのグランの通達にしたって、裏を返せば、許可をちゃんととれば依頼を受けてもいい、ということだ。
「ま、気になるもんがあったら、依頼票持ってっといて領主さまに見せとけ。」
「嬢ちゃんらの方がやりやすいもんもあるだろうしな。コレとか、知り合いだろ。」
そう言って見せられた依頼票に書かれた依頼主の名はミーシャ・ホムリィ。
アイテム屋である彼女からの依頼は魔境に咲いているとある花を取ってきてほしい、というものだった。
「あとは、こいつは… 聖印教会の司祭さまのか。」
「…てか、いいのか? 司祭さまがこんなとこに魔境探索の依頼なんか出して。」
こう言った店に出された依頼は最終的に邪紋使いなどに依頼されることも多い(特に難易度の高いものは)。
そういった者の力を借りるという意味で、聖印教会全体としては微妙にグレーゾーンなのだが、シェリアとしてはあまり気にしていないらしい。
「ま、嬢ちゃんの立場だったら、魔境に出向くこともあるだろ。その時出来そうだったらこなしてくればいい。」
レグザにそう言われたアスリィはミーシャの依頼票に手を伸ばす。
「じゃ、ミーシャさんの依頼ぐらい取っておこうかな。」
「領主さまの許可取ってからな!」
「分かってます!」
こうして、依頼の話に一区切りつこうとしたところで、レグザが思い出したように付け加える。
「ああ、あとな。これは別に領主さま云々の話じゃねえ。」
「俺からの個人的な依頼なんだがな。」
「個人的な依頼ということは、許可を取らなくてもいいということですね!」
目を輝かせるアスリィにレグザは続ける。
「ま、この店のことなんだが、ぶっちゃけこの村は酒とつまみに乏しい!」
確かに開拓村として食糧の支援はいまだされているが、どうしても必須物資が優先であり、嗜好品の類はそう多くはない。
「俺が言うのもなんだが、冒険者なんてものは大抵、うまい酒とつまみがあれば満足する。」
「それが無いってのは、店としちゃちょっと厳しくてな。」
「なるほど」とアスリィが頷くのを見て、彼は続ける。
「って訳で、その辺の調達が何とかなると良いってのが、俺からの依頼、つーか要望だな。」
アスリィの帰り際、レグザは紙袋を取り出してアスリィに渡す。
紙袋にはちょっと油の染みがある。
「ほら、依頼の前金代わりだ。くれてやる。」
「この前ちょっと聞いたんだがな。異界には「芋を薄く切って塩をまぶした菓子」があるらしい。真似して作ってみたんだ。」
「これは…おいしそうですね。」
「体に悪そうですが。」
「おう、仕事ついでのおやつにでも持ってけ。」
こうして、アスリィは異界の菓子をつまみながら、冒険者の店を出て、仕事に戻っていった。
Opening.5. 隣町の使者
テイタニアから出発して、真新しい橋の架かった街道を抜けて徒歩で半日ほど。
魔法師インディゴ・クレセントはヴィルマ村に到着していた。
領主の館で執務に勤しんでいたグランに、使用人の少女が声をかける。
「領主さま、領主さま、テイタニアからお客様がいらっしゃいました。」
「テイタニアから?」
「テイタニア男爵の契約魔法師、インディゴ・クレセント様です。」
「応接室でお待ちいただいています。」
グランは内心「(こちらからテイタニアに挨拶に行くつもりだったのに)先を越されたな」と思いつつ、応接室に向かった。
サラもまた、この街の政務を担当する者として、グランと共に来客の応対に出る。
「わざわざこんなところまで来ていただいて、ありがとうございます。」
グランの言葉から始まった会談は、互いに自己紹介をした後、本題に移る。
「ちょうど、こちらからテイタニアにご挨拶に伺おうと思っていたところです。」
「村の開拓の方も落ち着いてきましたから。」
一方のインディゴは、ひとまず忘れてはならぬと、ユーフィーからの手紙をグランに手渡す。
手紙は橋の件のお礼から始まり、大森林の魔境が不穏であること、調査をすべきであるということ、必要ならインディゴが協力すること、が書かれていた。
後々「テイタニアがヴィルマ村に戦力の供出を強制した」などと言われぬよう、ところどころぼやかした書き方は、何というか、どうにもユーフィーはその辺真正直な君主でもないようだ。
とはいえ、グランとしてもこの手紙は非常に好都合であった。
森林の問題はそろそろ本格的に乗り出したいところであったし、そのために魔法師1人分の戦力を貸してくれるというならば言うことはない。
こうして、インディゴも交えて、森林の調査を行うことがあっさりと決まる。
「しばらくはこの村にいるので、何か手伝えることがあったら言ってください。」
準備の期間も必要なので、確かにインディゴはしばらくヴィルマ村に逗留していた方が都合がいいだろう。
会談もひと段落したころ、菓子の袋を抱えたアスリィが復興本部へと戻ってきた。
「グランさんいますかー」
扉を開けて、入ってきたアスリィにはサラが応対する。
「あ、サラさん。」
「さっき、レグザさんからお菓子を貰ったんですけど。」
「何これ?」
「なんか異界のお菓子で、芋を薄く切って塩をまぶしたとかなんとか。」
応接室でわいのわいのと騒ぎ始めたアスリィを見て、グランはインディゴに声をかける。
「ああ、騒がしくてすみませんね。」
「なるほど、こちらにも個性的な方がいるようで。」
インディゴはそう言って気にしていない旨を伝えたが、彼の言にあるのが誰なのかは終ぞ語られなかった。
Opening.6. 幕間 ~情報共有~
会談が終わった後、アスリィはグランにレグザからの要望を伝える。
この村には酒とつまみが足りない、ということ。
グランとしてもその要望にある程度の理は感じたので、この要望については今後村の開拓を進める中で考慮してみることにする。
それから、ミーシャからの依頼の話。
魔境に咲く花を取ってきてほしいとのことだ。
なんでも、ミーシャの出身世界から投影された「ドンケルハイト」という花のようだ。
依頼票には鮮やかな赤色の花のイラストが付いている。
「ま、いいが、魔境調査のついでだからな。」
晴れてグランの許可が取れたところで、アスリィはこの依頼を受けることができたのである。
一方で、もう1人の魔法師、サラからもグランに報告があった。
ヴァレフ―ル万博のことである。
「先ほどヴェルナさんから連絡があったんですけど、物産展覧会をヴァレフールで開くそうなんです。」
「それは、うちからも参加しておきたいね。」
「是非参加してほしいとのことで、特産品をそろそろ作らないと…」
「…いけないんだな。」
サラの言葉をグランが引き継いで言った。
幸いにしてまだ準備の時間はある。
グランの頭の中には、この話を聞いてすぐに幾つかの候補が浮かんでいた。
「まあいい、今から準備する時間があるんだとしたら、前から計画していた香辛料を育てれば間に合うだろ。」
「あとは、そうだな。ミーシャさんのカレイドストーンの加工がうまくいけば、それも候補に挙がるし、カレイドストーンそのものを装飾品として売るという選択肢もある。」
「現状、主な候補はこの3つかな。」
どちらにせよ、そろそろ村としては、「最低限必須な物資」だけではなくて、この村の特色ある産品を作っていく必要があるのだろう。
先ほど聞いたレグザの要望にも通じる話である。
「レグザからも、酒とつまみが欲しいって言われてたな。」
「酒、ですか?」
「これから冒険者の需要の多い村にもなるからな」
さて、この村の次の開拓計画をどうするべきか。
考えを巡らせつつ、2人は普段の仕事に戻って行こうとしたところで、サラはもう1つの懸案事項を思い出す。
「そういえば、グランさんは私とアスリィさんのどちらかと契約する気はあるんですか?」
「この前、アスリィには声をかけたんだけどな。現状、返事待ちというところだな。」
「俺としては契約する気満々なんだけど。」
これを聞いて、先ほどのアスリィの反応にも得心がいった。
アスリィの慌てたそぶりはそういうことだったのか、と。
「なるほど…」
「その表情からするに、アスリィにはもう話したのか。」
「一応、ヴェルナさんと物産展覧会の話をした時にですね。そろそろ契約してほしいとせっつかれている、という話は。」
「ああー、まあ、そろそろ来るとは思っていたよ。」
「でも、グランさんが前向きに考えてくれているのなら良かったです。」
「ま、今回の大規模調査が終わるあたりでアスリィには返事をもらえるように伝えておこうか。」
実際、ドラグボロゥ的にもそのぐらいで返答をもらえるのが望ましいだろう。
「まあ、私としてもアスリィさんが契約してくれると、いろいろと楽にはなるんですけど…」
「その辺は、互いの気持ちもありますからね。」
そう言って、彼らは改めて普段の仕事に戻っていった。
アレックスは、ようやく村に来て以降念願の香辛料畑の開拓に着手していた。
まず問題となるのは、そもそも何を作るか?、である。
香辛料と言ってもその種類は幅広い。
アストリッドからのアドバイスにあった通り、唐辛子などは比較的育てやすい部類だが、それだけではどうにも寂しい。
とはいえ、多くの種類を最初から育てるのも難しい。
最終的に、アレックスが選んだのは、唐辛子、コリアンダー、ターメリックの3種類だった。
それぞれ特にカレー粉と呼ばれるミックススパイスの主原料であり、いずれ料理という形にしていくのなら、妥当なチョイスと言えた。
こういった目新しい料理なら、後のヴァレフール万博の出品物としても申し分ないだろう、とヴィルマ村の他の皆も考えていた。
アレックスの流石の(香辛料に偏った)知識と、アストリッドからもらった本もあって、香辛料は順調に育っていく。
こうして、ヴィルマ村では新たに香辛料が育てられることになった。
それはそれとして、村で自給自足の香辛料を手に入れたアレックスは、いよいよもって厨房への出入りを禁じられることになる。
そのまま放っておけば間違いなく激辛増し増しの危険物を作る。と目されてる者に対しては、妥当な判断だった。
Middle 1.2. 開拓Ⅱ:水車の作成
ヴィルマ村の畑の作物は順調に育っていた。
ジャガイモはかなり初期の頃から村の食糧事情を支えていたし、遅れて栽培を始めた小麦もまた、収穫の時期を迎えようとしていた。
しかし、そこに1つの問題が浮上した。
そう、この村には製粉設備が無いのである!
小麦は多くの場合、製粉して小麦粉として活用される。
パンにせよ麺類にせよ、まず小麦粉が作れないのでは実現しない。
多くの村には、共同の風車小屋や水車小屋があり、製粉作業が行われている。
ヴィルマ村の場合、水車小屋を作る水辺には不自由しない。
カーレル川というブレトランド屈指の大河が近くを流れている以上、活用しない手はないだろう。
水車の作成にはそれなりの技術が必要だが、その辺りはグランが投影体討伐で稼いだカウントもあって技術者を呼んで支援を受けたことで順調に進む。
単純な力仕事の面は、村側の担当として、アスリィが中心となって小屋を作っていく。
こうして、小麦の収穫を控えたヴィルマ村に新たに水車小屋が作られたのであった。
Middle 1.3. 幕間:考古学者は思う
香辛料畑での作業に一区切りがついたアレックスは畑のそばで一休みしていた。
「おや、アレックスさん、こんにちは。」
そう言って話しかけてきたのは、村に逗留している考古学者の青年、アルバートである。
彼は、時折こうして村の各所を見て回っている。
「あ、アルバートさん、今日は村にいるんですね。」
アレックスがそう言ったのは、アルバートがひどく方向音痴であり、うっかり村の外にでも出て行ってしまわないかという心配があるのだろう。
自覚があるのかないのか、アルバートは不思議そうに言葉を返す。
「今日はも何も、僕は普通は村にいますよ。」
「僕は1人で戦う力もないので、魔境には近づけませんからね。」
「ま、それもそうですよねぇ。」
「こちらが、言っていた香辛料畑ですか? 立派なものですね。」
「ええ、こっちが唐辛子で、あと向こうにコリアンダーとターメリックが…」
香辛料に話が向いたことで、アレックスは饒舌に語りだす。
「ほうほうなるほど」と興味深そうに聞いていたアルバートが、話の途中でとある物に気が付いた。
「おや?」
「失礼ですが、あなた、それはどちらで手に入れられました?」
アルバートの目線はアレックスの首から下がるペンダントに向けられている。
「ああ、これですか? 幼少期にこの村で手に入れたものですが。」
「いや、それ、どこかで見覚えがあるような気がするのですけど…」
「幼少期に手に入れたって、この辺りでですか?」
これはかつて、アイディがカーレス川のほとりで拾った石を加工してもらったものだ。
(参照:ブレトランド開拓記第1話「焼け跡の村よ、こんにちは」)
アレックスがそのことを教えると、ますますアルバートは首をひねる。
「もしかしたら…」
「ちょっと調べることができました。今日はこの辺りで失礼します。」
そういうと、彼は村の出口の方に去っていく。
「くれぐれも迷子には…」
「あ、あれ、ああ、そうですね。大丈夫ですよ!」
アレックスが声をかけると、アルバートは慌てたように答えて、向きを変えて宿屋の方に立ち去っていく。
おそらく、彼は方向音痴の中でも「他のことに気を取られると考え無しで歩いてしまうタイプ」なのだろう。
「何かあったのかなあ…」
アルバートが立ち去った後、その場に残されたアレックスがつぶやいた。
Middle 1.4. 開拓Ⅲ:大森林のはなし
ヴィルマ村に滞在しているインディゴは、復興本部にあてがわれた自室でボルドヴァルド大森林について文献を漁っていた。
この後、森林の実地調査が控えていると思われる中、少しでも森林について事前情報は欲しいところであった。
書を開き、古めかしい記述に目を通していく。
◆ボルドヴァルド大森林
ヴァレフール西部に広がる大魔境。
かつての英雄王エルムンドによるブレトランド解放戦役でも浄化されずに残った魔境の中でも最大のもの。
膨大な混沌を内包し、仮にこの混沌すべてを浄化すれば、聖印は侯爵級に達するとも言われている。
英雄王時代以後も外縁部から浄化作戦が幾度となく試みられるも、400年を経過した現在でもその大半は健在である。
現在では、ヴァレフールの3分の1ほどの面積を占めている。
主な周辺都市はテイタニア、アトラス、ソーナー、クーンなど。
それぞれの街ではこの大魔境に挑む冒険者も多い。
魔境の特徴としては、単一の混沌核から成るのではなく、複数の魔境の集合体という形を取っている。
いわゆる、複合魔境と言われるものである。
であるので、魔境探索の難易度は常に一定というわけではなく、移動するごとに魔境の性質は大きく変化する。
おおむね、奥地に踏み込むほどに魔境探索の難易度は上昇する。
この辺りはまあ、知っていることだ。
インディゴは魔境探索の最前線の街の魔法師である以上、この程度のことは街に赴任してすぐに調べつくした。
さらに細かい情報を求めて文字を追う。
ふと、目が留まる。
それは、とある歴史書の一節であった。
かつて、英雄王エルムンドは混沌に覆われていた小大陸ブレトランドにおいて、混沌を祓い、新たな国を作り上げた。
しかし、かの王でも浄化しきれなかった土地というものがブレトランド各地に点在している。
その代表例がボルドヴァルド大森林である。
英雄王エルムンド、そしてその侍従騎士であるアーシェル・アールオンがこの魔境の浄化に尽力した。
しかし、ついにこの魔境を浄化することは叶わず、英雄王は大毒竜ヴァレフスとの戦いで受けた傷が元で亡くなることとなる。
英雄王の死後も、初代ヴァレフール伯となったエルムンドの子シャルプ・インサルンドとアーシェルは魔境の浄化を続けたものの、芳しい成果は得られなかった。
アーシェルはその後、大森林外縁に位置する村の領主となり、一族として大魔境と戦い続けていくことをヴァレフール伯に誓ったとされる。
アーシェル・アールオン。
ヴィルマ村の初代領主の名だ。
焼き討ち事件の時まで、アールオン家は代々ヴィルマ村を治めてきた、ということももちろんインディゴは知っている。
現在は見てのとおり、グラン・マイアという他所からの領主がこの村を再興している。
文献に記されたアーシェルの誓いは途絶えてしまった訳だ。
リルクロートの伝承を思い出して、ちらりと脳裏に嫌な予感がしたが、それ以上詳しい話はその文献には載っていなかった。
これ以上詳しいものは、それこそ古すぎて、まともに読むだけで一苦労だ。
窓の外を見れば、もう日が落ちかかっている。
インディゴは、調べていた文献を閉じた。
Middle 1.5. 開拓Ⅳ:魔境の少女
一方そのころ、領主のグランもまた、調べものに勤しんでいた。
とはいえ、調べものと言っても資料漁りはあまり得意ではない。
森の外縁部を巡って実地調査をする方が、グランの性には合っていた。
アスリィが同行し、すっかり森の調査が板についてきた2人で、探索を進めていく。
気にかかるのは、魔境で目撃された、アイディの姿をした少女。
森の奥に入っていくと、ところどころに戦闘の形跡を見つける。
木々に残る焦げ跡。どうやら電撃の類によるもののようだ。
グランの脳裏に、紫電を操る少女の姿が浮かぶ。
おそらく、この焦げ跡はその少女の仕業だろう。
となれば、去っていった方角もおおよそ見当がつく。
ヴィルマ村から見て北西部、湖の方。
相手の正体は痕跡からでは分かるべくもないが、それだけ分かれば十分だ。
大まかな方向が分かっているだけでも、今後の調査の効率が違う。
魔境に長居することはできるだけ避けたい以上、この一手は重要だろう。
「とりあえず、これで方向はつかめたし、(後の調査の時は)そっちに進んでいけばいいな。」
「そうですね。」
成果に満足して、グランたちは一度、ヴィルマ村へと戻っていった。
帰る道すがら、グランはアスリィに話しかける。
「ああ、そうだ、アスリィ。」
「サラから聞いてたかもしれないけど、今回の調査が終わるくらいまでに返事を貰えると助かる。」
返事とは、当然、契約魔法師の件である。
「悪いけど、返事もつかえてることだからな。」
グランとしても、ドラグボロゥに返事を待たせている、という負い目が無くもない。
「じゃ、まあ、このまま魔境に居続けるのもまずいからな。」
「早く帰ろうか。」
さらに村に近づいてきたところで、グランたちは、顔見知りの姿を見かける。
「レグザさん、お疲れさまです。」
「おう、領主さまか! それから、魔法師の嬢ちゃんだな。」
「ま、こっちに連れてくんのはそっちの嬢ちゃんだな!」
ヴィルマ村の冒険者の店の店主、レグザである。
彼は冒険者としてはもう引退していて魔境の深くに入っていくことはないが、こうして外縁部を見回るぐらいは今も続けている。
(このような外縁部でも危機に陥るようなルーキー冒険者がたまにいたりするからなのだが。)
レグザは、奥から戻ってきたと思しきグランに問う。
「なんか面白いもんは見つかったか?」
「まあ、今度の大規模調査の目星は。」
「ああ、例のアレか。」
レグザの店でも、アイディの件はやはり話題にはなっているらしい。
一方、アスリィは、レグザの姿を見て、ミーシャの花の依頼を思い出し、辺りを見回すが、少なくともこの近くにそれらしき物は見当たらない。
レグザに話を振ると、
「そりゃそうだろうな。こんなとこに咲いてんなら、俺が持って帰ってやる。」
「そうですよねぇ。」
「もっと奥に潜りてぇのはやまやまなんだがなぁ。俺はどうもここがいけねぇや。」
そう言って、レグザは自分の膝を叩く。
彼は、かつて膝に受けた負傷がもとで、冒険者を引退したのだ。
「まあ、無理はしちゃいけないからな、命あっての物種だ。」
「そうですね。死んだら冒険もできませんしね。」
「ま、そこらを分かってるから引退したんだがな。」
その辺の弁えが出来る、というのも冒険者としては重要な資質だ。
「そういえば、ついでに見てこれそうな依頼とかはあったりするか?」
「花とかなら聞いているんだが。」
「まあ、基本的には他の冒険者の連中に割り振ってるから、領主さまでもなければ出来ないようなもんは、そう多くなくてな。」
「あ、そうだ。ちょっと怪しい話だが、聖印教会の司祭さまがどうの、とかは言ってたな。」
アスリィは、以前、店で話していた時にレグザがちらっとそんな話をしていたのを思い出す。
「ああ、ありましたね。そんな依頼。」
グランが詳細を問うが、どうやらレグザも詳しくは聞かされていないらしい。
「俺は取り次ぎを頼まれてるだけでね。」
「受けてくれそうなのがいたら、直接話を聞きに来るよう伝えてくれって頼まれてるだけだ。」
「その気があるんなら、あっちの司祭さまのところに直接話をもっていってくれ。」
「ああ、分かった。」
「例の女の子とかもあって、近頃この辺りはどうにもキナ臭ぇからな。」
「領主さまも気を付けとけよ。」
「それでも、何を目的にしているかぐらいは把握しておきたいですからね。」
森に出現する少女のことに、話が及んだところで、レグザは店の冒険者から聞いた話を思い出す。
「そういや、狼だか蛇だかを連れてたって話もあったな。」
相手が投影体なら、そのあたりの特徴は正体を探るうえで大きなヒントになるのだが、残念ながらここにいる人物たちは皆、異界についてはそれほど詳しくない。
以前鉱山で遭遇した狼は頭によぎるが、そこから正体にはたどり着けない。
「さて、俺もそろそろ店に戻らんとな。」
そう言って、レグザもまた、村の方へ足を向ける。
グランたちも村の方に再び歩を進めつつ、店に戻るレグザに領主として激励の声をかける。
「そっちの方も頼むよ。」
「おう、任された!」
こうして、レグザとも別れ、ようやく調査を終えたグランたちは復興本部へと帰り着いた。
Middle 1.6. 開拓Ⅴ:今後の農業計画案
グランとアスリィが森の調査を進めるころ。
村の復興本部で黙々と書類仕事を進める人物がいた。サラである。
まとめている提案書は村の今後の農業について。
この村の開拓を始めて以降、ジャガイモや小麦は育ててきたが、そろそろ他の物、もっと高度なものにも手を出したくなってくる頃合いである。
ただ、高度なものである以上、入念な下調べが必要だ。
それもあっての提案書作業である。
次の事業の候補としては、まず畜産。
鶏、羊、牛、などなど。家畜を育てることに手を出すということ1つ。
開拓初期から手を出すには、手間や優先度の問題から先送りになっていたが、今のヴィルマ村であれば十分考慮に入るだろう。
動物を育てるにはそもそもそれなりの施設(小屋など)が必要となるし、そもそもの動物も、最初は他の街まで仕入れに行かねばならない。
それから、農業分野としては、未だ最低限の穀物(と香辛料)しか育てていない。
であれば、野菜畑を作って育て始める、というもの候補に挙がる。
あるいは、果物の類というのも良いだろう。
一般的に野菜類よりも、栽培難度も高く、時間もかかるが、その分商品作物としての価値は高い。
だけでなく、特にブドウなどはワインの原料としての需要がある、という点が重要だ。
ワインはアトラタン世界でも広く親しまれている酒であり、その原料であるブドウも広く栽培されている。
こうして、日も落ちかけるころ、かなりの枚数の提案書が書きあがっていた。
各案のメリット・デメリット、解決すべき課題が分かりやすくまとめられ、今後の方針を決めていくのに役立つだろう。
ヴィルマ村の明日は、こうした地道な書類仕事によっても支えられているのである。
Middle 2.1. 開拓Ⅵ:大森林のはなし・再び
インディゴは再び、ボルドヴァルド大森林について調査を続けていた。
文献を一通り読み終わったところで、今度は件の投影体の目撃情報を中心に、報告書に目を通していく。
そこに書いてある情報はかなり断片的であったが、それらを紡ぎ合わせ、自身の知識と照合していく。
アトラタンの世界に投影される異界の存在は非常に多種多様だ。
ティル・ナ・ノーグ界の妖精、アビス界の悪魔、ドラコーン界の飛竜。
あまりに多様なそれらだが、出身世界や分類によって、それぞれ類似性がある、
「これだけの力を安定的に振るえるならば、下級妖精などではないだろう…」「竜種の特徴は見られない…」といったように、丁寧に可能性を切り分けていく。
その結果、思い当たるのは…
「神格…か…。しかも、冥界?」
恐らく、彼女の振るっていた雷撃は、《裁きの雷霆》だろう。
しかも、冥界に関わる権能を持っていそうだ、というのがインディゴの見解であった。
とはいえ、冥界に関わる異界の神格、といってもその名を明確に絞りこむには至らない。
異界には本当に数多くの神話体系があるのだ。
これ以上は、さらに深い異界神話の知識が必要となる。
そんなことまで知り尽くしているのは、エーラムでも数少ないだろう。
一方、もう1つ、興味深い目撃情報を見つける。
彼女周囲の投影体と戦っている姿が何回か目撃されている。
特に強敵らしき相手と戦う時は白い狼と巨大な蛇を連れていた、と言われている。
これも恐らく正体につながる重要な情報なのだろうが、知らないものは知らないので仕方がない。
調べものを終えたインディゴは、グランにその内容を伝えに行く。
報告を受けたグランは、すぐにサラ、アスリィ、アレックスにもその情報を伝える。
誰もそのような異界の神格に心当たりは無かったが、とはいえ、これから遭遇するであろう相手の情報は重要だ。
また、グランたちには、白い狼、と聞いて気にかかることがあった。
以前鉱山で遭遇した狼も確かに白かった。
そのあたりの話、レグザからも聞いていたが、これはいよいよ関連がありそうだ、という疑惑が強まってきた。
Middle 2.2. 幕間:獣人少年の相談
サラに声をかけてきたのは意外な人物だった。
「魔法師さま、魔法師さま。」
「はいはい、どうかしましたか?」
低い位置から聞こえた呼びかけに振り向くと、そこに立っていたのは獣人の少年、ノアであった。
彼は、おそるおそる、といった感じでサラに尋ねる。
「少し、お伺いしたいことがあるのですが…」
「今、ボルドヴァルドの大森林の方って、何か騒がしくなっていたりしますか?」
もちろん、アイディの姿の投影体など、懸念点はあるし、そうでなくともそもそも村の立地上、常に森の動向には気を配っていなくてはならない。
だが、それをノアから聞かれる、というのはやはり意外だった。
怪訝な目を察してか、ノアは続けて補足する。
「なんというか、何か異変があったりするかってことなんですけど…」
「どうして、そういう風に?」
「鳥たちが騒がしいのです。」
「あと、それから、シェリアさまが最近、森の方の地図を見て難しい顔をしていらっしゃるんです。それで少し気になって…」
なるほど、獣人の邪紋使いの中には野生の動物たちと会話ができるものもいる、という話を聞く。
ノアもそういう類なのだとしたら、確かに森林の方について鳥から話を聞いたりもできるだろう。
それはそれとして、ノアの主人であるシェリアが森を気にしている、というのも気になる。
「そうですね。大森林のことは私よりも、グランさんやアスリィさんの方が詳しいのですが、一緒に話を聞きに行きますか?」
ここは、深入りするにせよしないにせよ、領主であるグランの判断を仰いだ方がいいだろう。
そう考えたサラは、ひとまずノアを連れてグランの執務室に向かった。
「…という訳なんです。」
執務室には、グランとアスリィがいた。
サラに連れてこられたノアが一通りの説明を終える。
「それって、シェリアさんが冒険者の店に出していた以来と関係あるの?」
「僕はそこまで聞いていないので、何とも…」
グランとしては、シェリアが森を木にしていると聞いて、真っ先に思い当たるのはその件だったのだが、特段ノアは知らないようだ。
こうなると、直接本人に聞いてみるしかないだろう。
「まあ、とりあえず彼女に聞いてみないとな。」
「では、シェリアさまのところまでご案内しますね。」
ノアに案内され、廊下を歩いていたところで、(ぞろぞろと大人数で移動していたのを見つけた)アレックスも合流し、結局彼らは全員でシェリアの部屋に向かった。
Middle 2.3. 開拓Ⅶ:司祭の話
シェリアの部屋に着いたところで、扉越しにノアが声をかける。
「シェリアさま、シェリアさま、領主さまがお訪ねになられたのですが。」
「おや、どうされました?」
出迎えたシェリアにグランが話す。
「ほら、あなたが冒険者の店に依頼を出されたじゃないですか。」
「もしかして、グランさんがそれを受けてくれたのですか?」
「森林の方に出掛けるからな。話を聞いて、ついでに出来そうなら、と。」
「まず詳しくお話ししないと、受けて頂くかどうかも判断できないでしょうし。」
「ひとまず、こちらにどうぞお掛けください。」
そう言って、シェリアは彼らを部屋に招き入れる。
部屋のソファに腰を落ち着けて、シェリアは説明を始める。
「お願いしたいことは、それほど複雑なことではありません。森の調査をしたいということであれば、そのついでともなるでしょう。」
そう前置きして、
「私は聖印教会に属する者です。そして、1つ、仇敵とも言える組織があります。」
この時点でグランたちは大方察していたが、
「パンドラ、ってご存知ですよね。」
その組織の名前を出した。
その名を聞いた途端、グランの顔が険しくなる。
「知ってるとも。」
「忘れるわけがないだろう…」
「ですよね。」
以前も、グランがパンドラを特に敵視しているという話は聞いている。
あくまで、ここでその名をあえて出したのはあくまで確認だったのだろう。
シェリアは更に話を続ける。
「さて、あのボルドヴァルド大森林は大魔境です。人が安定して住めるわけもありません。」
「ですが、何らかの手段でそこに安全地帯、隠れ村のようなものを作り出して潜伏している者がいるのではないか、と我々は考えています。」
つまり、シェリアは「森林の中にパンドラの隠れ村」があるのではないか、と疑っているのだろう。
「確証はありません。」
「ですが、実際にパンドラと思しき人物の足取りを追ってみると、森の中で不可解に消息を絶ったりすることも多く、もし、そういうものがあるのなら、辻褄が合うというのも事実です。」
そこで、少し言葉を切って、また続ける。
「そして、まあ…」
「あなたなら、利害も一致するので、言ってしまってもいいでしょう。」
「私は本来、その調査を目的に、ここに派遣されました。」
確かにそうであれば、わざわざこのような小村に司祭が派遣されてきた訳も頷ける。
布教はあくまで建前だった、ということだろうか。
「なるほどな。」
ちなみに、聖印教会の内情に詳しい者なら察するだろうが、彼女の属する月光修道会の指導者はベスダティエ司教と言う人物であり、その階級「司教」は「司祭」であるシェリアの1つ上だ。
つまり、月光修道会の中でシェリアに指示を下せる人物というと彼以外にはほとんどいないのだが、そこまではグランたちも気付かなかった。
「もちろん、布教活動もできれば、それに越した事は無いですが。」
「まあ、そうだな。保留にしてたからな。」
「そろそろこちらからも返事をしよう。布教を許可する。」
「ありがとうございます!」
シェリアは、心底意外そうな顔をしながら、嬉しそうに礼を述べた。
だが、やはり意外だったらしく、その理由を問う。
「それはどういう風の吹き回しですか? お聞きしても?」
「俺は会ったばかりの人を信用しないという、それだけだよ。当たり前だろ?」
「それでは、しばらく私が滞在していた間に、信頼が得られた、ということですね。それは嬉しく受け取っておきます。」
「ただし、当たり前のことだが、強引な勧誘はするなよ。」
「もちろんです。」
こうして、一応はヴィルマ村において聖印教会(特に月光修道会)の布教は許可された。
それはそれとして、村の人々の心にどれだけその教えが響くかは別問題ではあるが。
「さて、話を戻しましょう。」
「森の調査をする中でそれらしき場所を見つけたら私に伝えてほしい、というのが本来の依頼でした。」
「ですが、ここまで話してしまったのであれば、私が直接付いていく、という選択肢もあります。」
そうシェリアは提案した。
「ついて来てもらえるなら、こちらとしてもそれは助かる。」
シェリアはこう見えて戦闘に関しては、グランたちと同じレベルの実力を持つ聖印持つ君主だ。
調査に同行してもらえれば、確かに戦力的にはかなり余裕ができる。
「まあ、ただ、本格的な魔境探索に入ってくることになるからな。」
「分かってるとは思うけど、その間は布教活動よりもそちらを優先して欲しいな。」
グランが一応釘を刺すが、シェリアは当然といった風で答える。
「そうですね。先ほども言った通り、私の本来の目的はそちらですから。」
「ああ。」
グランは返答に頷いて続けた。
「とりあえず、もしこちらでその集落と思しきものを見つけたら報告するし、そちらが見つけたら教えてくれ。」
「流石に目と鼻の先にそんなものを作られたのなら、知っておかないとな。」
「はい、有意義な協力関係が築けて嬉しく思います。」
2人とも、腹の底で思うことはあるだろうが、少なくとも対パンドラという面においては協力関係が崩れる事は無いだろう。
そういう意味で、この間の協力関係の構築はかなり大きな一歩であった。
Middle 2.4. 開拓Ⅷ:野菜畑の開拓
ここで再び、村の開拓作業の風景の話に移る。
森林の調査の準備は、新たにシェリアも交えて着々と進んでいるのだが、それはそれとして通常業務も大事である。
サラは以前まとめた提案書の中から1枚を、実現に移そうと試みていた。
野菜畑の開拓である。
数あった提案の中で、真っ先にこれがチョイスされたことには幾つか理由がある。
1つは、野菜は他の食糧に比べて輸送がしづらい、ということだ。
ヴァレフールの他村から支援がなされている現状においても、どうしても供給は比較的保存のきく穀物や肉に偏りがちだ。、
であれば、野菜は極力早く自給体制を整えたい、と考えるのは当然である。
2つ目の理由は、予定されているヴァレフール万博を視野に入れてのことである。
ヴァレフール万博では、ヴィルマ村はアレックスの育てている香辛料を活かして、「カレー」と呼ばれる料理を出展しようと計画している。
これは、肉や野菜を数種類の香辛料で味付けした煮込み料理であり、主役は香辛料でありながらも、できれば、具材もヴィルマ村産のもので揃えたかった。
そういった事情もあり、ひとまず最初に育て始める野菜は、「カレー」の具材として一般的なニンジンとタマネギが選ばれることになる。
万博の件を差し引いても、汎用性に優れた野菜であり、最初の選択としては申し分ないだろう。
すっかり農業については一流の知識を獲得したサラが指揮を執り、計画は順調に進められていく。
こうして、村の開拓、それからヴァレフール万博の準備は順調に進んでいった。
Middle 2.5. 開拓Ⅸ:動物小屋の建設
さて、サラが野菜畑の計画を進めるころ、アスリィとアレックスはもう片方の「カレーの具材」の準備を始めていた。
「カレー」を作るにあたって、「香辛料」「野菜」の目途はついている。
であれば、必要なのは「肉」だろう。
(まあ、「シーフードカレー」とかもあるし、必ずしも必要という訳でもないが、一般的には「肉」が入っているものが多いだろう。)
そのためには、ヴィルマ村で動物を育てる必要があるのだが、その中でも幾つか選択肢が考えられる。
例えば鶏。
手軽さでは間違いなく筆頭に挙がるだろうし、副産物として卵が手に入るのも大きい。
例えば羊。
食糧では無いものの、羊毛も立派な副産物だ。そういった工芸分野に手を広げる余裕も無くは無いだろう。
例えば牛。
そもそもヴァレフールは肉牛の名産地として世界的に知られている。
もとより難易度は高いが、そういった点で周囲からのアドバイスも受けやすいし、価値として非常に高い。
各選択肢を吟味した結果、まずは鶏を育てようということで話がまとまる。
手軽さを重視した結論であるが、これからの作業で最も頼りになりそうなサラが、今は野菜畑にかかりきり、という状況なのも大きい。
早速、小屋の建築に取り掛かる。
ヴィルマ村に来て以降、多くの建物の建築に携わってきただけあって、流石に慣れたものである。、
村で鶏を育て始める準備は整った。
後は、肝心の鶏を仕入れに行くだけだ。
Middle 2.6. 開拓Ⅹ:鶏を仕入れに …とその他いろいろ
鶏小屋を建てた後、アスリィとアレックスはその足で鶏を仕入れに向かっていた。
向かう先は、南のナゴン村を抜けて、流通の要衝である港町オーキッド。
村に来て以降、農作業や建築はたくさんこなしてきたが、商談の類は初めてである。
少し不安の残る出発となったが…
…結果的に、アレックスの活躍で商談は大成功に終わった。
ちょっと話がそれた時に、ヴィルマ村のことに話が及び、アレックスが村で育てている香辛料について熱く語り始めた。
それが、たまたまそういう「人のこだわり」に興味を示すたちの動物商の主人に大いに気に入られ、大量のおまけをもらって帰途につくことになったのである。
帰りの道すがら、ナゴン村を通りかかった時。
商談ついでに聞いた話によると、ナゴン村では羊の飼育が盛んらしい。
よくよく気を配って見ると、村のあちこちに羊の囲われた柵があるのが見える。
そのまま、街道を抜けてヴィルマ村に向かおうとしたところで、ある青年から声をかけられる。
「おや、ヴィルマ村の魔法師さんと、そちらは、邪紋使いのアレックスさんと言ったっけ?」
声の主は、このナゴン村の領主、リヒター・レイゼルト。
以前の坑道探索の時に遭遇・協力し、以降ヴィルマ村とは友好関係を築いている。
にこやかに手を振って挨拶し、アレックスたちが抱えている荷物(貰ったオマケの数々)を見て、
「今日はずいぶんと荷物を抱えているんだね。」
先ほどの商談のいきさつを説明すると、
「なるほどなるほど、たまにこの村にも出入りしている業者だが、確かに彼は気に入った人間には甘いところがあるからな。」
そうしてちょっと考えると、
「キミは香辛料に詳しかったね。なら、せっかくなら1つご教授願えないかな?」
と、意外なことを言い出した。
曰く、ナゴン村の名物として作っている羊のベーコン。
ヴァレフール万博にも出品予定のこれだが、ベーコンを作るうえでも香辛料は欠かせない。
ちょっと味見でもしてアイデアを貰えれば、というのが彼の提案だった。
せっかくなので2人はその提案に乗ってみることにする。
アレックスが味について的確なコメントを返せるのか、という不安はあったが、どうやら一応、辛い以外の味が分からないわけでもないらしい。
とはいえ香辛料中心の彼の話を、リヒターは「ふむ、そういうのもあるのか…」と興味深そうに聞いてはメモをとる。
別れ際に、リヒターが2人に言う。
「ありがとう、当日までには何とか納得のいくものを仕上げられるように頑張るよ。」
「ヴァレ博楽しみですね!」
(いつの間にか発生していた)略称を使ってアスリィが返事をしたところで、アレックスが「あれ?」という顔をした。
「何それ?」とでも言いたげなアレックスに、アスリィが問う。
「あれ?ヴァレ博の話、聞いてませんか?」
『とても恐ろしい 集団心理である…』
アレックスはもう知ってるはずだよね。
香辛料のことならアレックスの活躍の場だね。
『なぜなら!!!もうお分かりだろう!!!』
『誰も… アレックスにヴァレ博のことを伝えていないのである!!!』
誰もが!!
伝えたと思っていたのである!!
おかしい… これは何かがおかしいぞ…
ヴィルマ村の皆は大変に優秀で、本来は新しい情報はしっかりと共有・連絡される。
うむ。アレックスは香辛料畑の責任者なのだから、ヴァレ博でカレーを作る計画においても中心人物だと言われる。
そして、村中でヴァレ博の話は割と話題になっていた。彼は、絶対に既に知っているはずなのだ!!
なのに、いまだにアレックスが知らなかったとは…これは、絶対におかしい…。
何かが、あったに…違いない…
一体、何が…
『そう、もうお分かりだろう…』
『誰も!! アレックスにヴァレ博のことを伝えていないのである!!!』
『彼は!! 鶏を買いに行った理由すら、知らなかったのである!!!』
ともあれ、彼らはナゴン村を発って、村に帰り着いた。
リヒターからもお土産としてベーコンを貰っていたこともあって、さらに荷物が増えていたが、何とか、思ったよりも長引いた商談ミッションは大成功に終わったのである。
アスリィとアレックスは、グランに報告しに行く。
「ベーコン貰いましたー!」
…それは、本題ではない。
気を取り直して、商談の成果を報告する。
大成功の結果にグランも満足のようだ。
「いいね。よくやってくれた。」
「ところで、そのベーコンどうしたの?」
「リヒターさんに会ってですね、貰いました!」
アスリィのその説明では全く分からない。
「アレックス、詳しく。」
「何かですねー。向こうの村でも香辛料を育てていて、アドバイスのお礼として、貰いました。」
ようやく経緯を理解したグランにアスリィも補足する。
「羊のベーコンだそうです! なんか、ナゴン村は羊が有名みたいで。」
なるほど、確かにナゴン村では羊が有名だとはグランも聞いていた。
それから、グランとしてはとりあえず、これでレグザに頼まれていたつまみの調達の件も良いかな、と考えていた。
「まあ、レグザさんとこに持ってって。」
言われたアスリィは、今晩の復興本部の夕食の分を残し、ベーコンを持って冒険者の店へと向かった。
レグザとしても、こういうのが隣村で扱っていると分かれば、これから必要に応じて発注すればいい。
とりあえず、様々舞い込んでいた依頼の1つはこうして見事にこなされたのである。
森林の調査を目前にしたある日の夜。
アレックスはまた、夢を見ていた。
背景は靄がかかったようにぼやけている。
不思議な光景だが、これを見るのは初めてではない。
「お久しぶりだね。アレックスくん。」
そう言って、この前と同じ青年が現れる。
「さて、キミたちが森に踏み込む日ももう近かろうと思ってね。」
「改めて、説明をするために出てきたって訳さ。」
彼はかつて、アイディと彼女に憑りついている投影体を分離したい、とアレックスに語った。
その具体的な方法を告げるために出てきたのだろう。
「アレックスくん、キミは赤い石のペンダントを持っているね。」
「きっと、アイディちゃんも同じものを持っているはずだ。」
「まあ、失くしてなければ持ってると思いますよ。」
失くしてなければ、と言いつつも、流石に失くしてはいないだろうと思いつつ答える。
一方で青年は、アレックス以上に確信を持って、彼女がそのペンダントを持っていると語る。
「まあ、まず間違いなく持っているだろうね。というか、それが無ければあんな現象は起こりえない。」
どうやら、そもそもアイディが今のような状態になったことに関わっているらしい。
「危ない物じゃないんでしょうね?」
「ぶっちゃけ、もともと同じ投影体だった僕ら2人が封じられていたもの。」
「向こうが悪い半分、こっちがまだまともな半分、ってところさ。」
なるほど、彼の言うことによると、現在アイディに憑依されている投影体は、もともとアイディの持っていたペンダントに入っていたということだろうか。
「という訳で、アイディに出会ったら、僕が奴の力を引き受ける。」
「方法はすごく簡単だ。キミの持っているペンダント。それには僕が封じられている。」
「それをアイディに接触させればいい。ね、簡単だろ?」
と、青年は語る。
確かに、ややこしい手順は一切ない。
紫電を操るアイディの攻撃を潜り抜けて接触を果たさなければならないが、それなりの戦いの心得のある者なら、それほど難しくは無いだろう。
「ま、そういう訳だからよろしく頼むよ。」
「でも、僕の戦い方の性質上、あまりボスには近づかないから…」
「うーん、キミな出来ると見込んだんだけどなあ…」
「まあ、ペンダントが接触することが重要だから、それをするのはキミじゃなくても構わないけど。」
アレックスは少し渋るが、青年は対して答える。
アレックスではないとなると、普段のヴィルマ村の皆の戦い方を見る限り、アスリィあたりが適任だろうか。
「じゃあ、ちょっと考えておきます。」
「おっと、もう時間だね。どうしてこう夢の時間というのはこうも短いものなのか。」
「まあ、夢ですから。」
「それではさようなら。次に会うのはきっとこれが上手くいった暁だろう。」
そう言って、彼は消えていき、靄のような空間も徐々に薄くなっていく…
ヴィルマ村に、朝を告げる鶏の鳴き声が響く。
自分の仕事の成果ともいうべき音で目を覚ましたアレックスは、部屋に置いてある件のペンダントに目を向ける。
ペンダントはより強く、赤く、輝いていた。
Middle 3.2. 森の調査へ
ようやく、全員の探索準備が整い、森の調査へと出発することになった。
領主のグランを筆頭に、アスリィ、サラ、アレックス、インディゴ、シェリアが同行するなかなか大所帯となっていた。
アイディがいると思しき方角は、グランが事前調査で大まかに把握している。
ひとまずパルトーク湖の方を目指して、北西に進んでいけば良いだろう。
森の中を、比較的進みやすそうな道を探しつつ、奥へと進んでいく。
しばらく進むと、分岐点に到達する。(下図)
ここまでは特に何事もなく順調に進んできた。
流石に混沌変異の激しい複合魔境だけあって、入ってすぐから、時間の流れの変調などを感じる事もあったが、特に探索を続ける彼らのコンディションには問題ない。
「なんか、まったく時間がたっていないような気がする。」
「これも、この魔境の不思議がなせる業、ということでしょうか。」
むしろ、時間の流れが緩やかになる変異にうまく乗れたことは、あまり探索に時間をかけたくない状況からすると好都合とも言えた。
「こんなこともあるのか…」
「以前、修道会で保護していた異界の方によると、彼らの世界でもそのようなことがあるようですね。」
「海底のお城に伺って、帰ってきたら何百年もの時間が経っていたとか。」
シェリアも呟く。
地球という異界ではおとぎ話として伝わっているような話だが、もしかすると本当にそういうことが起こり得る異界というのもあるのかもしれない。
次の行く先についてもあまり迷う事は無い。
グランの事前調査によると北西方向が怪しいとの事なので、この分岐点はちょうど右の道がその方向を向いていることが分かる。
もちろん魔境ゆえ、後々道がどのように曲がりくねっているかは分ったものではないが、それにしても大まかな方向を合わせていかない理由は無い。
さらに進んでいく。
しばらく進み、また分岐点に到達する。(下図)
この辺りに来ると、森の様子が少し様変わりしてきた。
具体的には、樹の種類が先ほどまでとは違うのである。
周りの樹の中には、実を付けて甘い匂いを漂わせているものもあるようだ。
まだまだ森の浅いところでもあるし、このあたりの珍しい木の実なんかは割と冒険者たちのターゲットでもあるのだろう。
実際、テイタニアなどではこうして大森林から手に入る木の実を使った菓子が有名である。
テイタニアで護国卿御用達と名高い菓子に使われているのは「マンゴー」と呼ばれる木の実らしいが、どうやらここにあるのはそれとは違うようだ。
とはいえ、それ以上のことはあまり異界の知識に詳しくないグランたちでは分からない。
とりあえず、正体不明でも食べなければ危険は無いだろう、ということで、幾つか謎の黄色い木の実を持って、先に進むことにする。
ところでこの分岐点だが、そのまま北西方向に進んでいく道と、左にそれていく道がある。
一見して2手に分かれているのだが、グランたちは、実はさらに右にそれていく道が分かりづらいけどもかすかにある。ということに気が付く。
どうやら、樹のすき間にうまい具合に隠れていたようだ。
本来なら北西へまっすぐ進みたいところだったが、こうなってくると事情が違う。
隠れていた分かれ道となると、シェリアの話にあったパンドラの隠れ里も疑うし、最悪、放置して進んだ場合に背後を取られる危険もある。
ここは、先にしっかり探索して後顧の憂いを絶っておいた方がいいだろう、というグランの考えのもと、彼らは右の道へと進んでいった。
歩いていく途中、またも時間の流れが狂い始めたのを感じる。
しかも先ほどの揺り戻しだろうか、今度は早まって行く方向のようだ。
これはあまり好ましい事態ではない。
とはいえ、魔法師の誰かが混沌を発散して対処するほどかと言われると疑念だ。
正直、魔境内の混沌を発散する技術は結構な精神力を消耗する。
先ほど稼いだ時間の余裕もあるし、今回は放っておいていいのではないか、と結論した。
幸い、時間の加速はわずかな幅にとどまったようで、先ほどの時間変化と合わせたらお釣りがくるぐらいだった。
こうして、ちょっとしたトラブルもありながら進んでいくと森の木々が少し開けたところに出る。
この近辺は森の中で一部例外的に岩場になっているらしい。(下図)
岩場を進んでいくと、岩の陰に生物の気配を感じる。
グランたちが警戒態勢をとる中、現れたのは奇妙な毛深い獣であった。
全体的なシルエットは人間に近い。
「あれは、ゴリラ!」
グランは偶然にもその正体を知っていた。
ゴリラと呼ばれるその生物は、もともとの異界では比較的温厚で知的な動物として知られているが、アトラタンに投影されたゴリラはなぜか凶暴で、その腕力で立ちふさがる全てを薙ぎ払ってゆく。
実は地球と呼ばれる世界ではなく、他の異界から投影された、姿形が似ているだけの別の生物なのではないか、という説もあるぐらいである。
かつて、アトラタン各地でこのゴリラが現れ、戦場にて猛威を振るった時期がある。
(詳しくは、Twitterゲーム「グランクレスト大戦」、ハッシュタグ「#グランクレスト大戦ゴリラ被害者の会」を参照。)
傭兵稼業の長いグランならその時の話を小耳にはさんでいてもおかしくはない。
「聞いたことがある。」
「グランさん、知ってるんですか!?」
「ウホウホウホオオオオ!!!」
そうした会話を叫び声で遮り、ゴリラはフロントダブルバイセップスのポーズを決めながらにじり寄ってくる。
このとき、グランはかつて聞いたゴリラの話を思い出した。
ゴリラはとある黄色い果物を非常に好んでいると。
「先ほどの木の実はもしや。」と思い、1房をゴリラの前に転がしてみる。
「ウホホオオオ!!!」
予感は的中した。気を取られたゴリラに大きな隙ができる。
今、仕掛ければ機先を制せる。グランたちはそれぞれ、武器を構えた。
真っ先に動いたのはヴィルマ村外の2人だった。
彼らはこの陣営の中でも特に戦闘の機先を制することに長けている。
シェリアが聖印の力を込めた矢を放つ。
狙い違わずゴリラに命中し、着弾の瞬間、さらに聖印の力を注ぎこんで威力をブーストする。
はじけた一撃はそのまま鎖の形を取り、ゴリラに絡みつく。
一部の弓の君主が扱える、自身の攻撃に付随して敵の防御を妨害する《軛鎖の印》と言われる技だ。
続いて、インディゴが《フォースグリップ》の魔法でゴリラの内臓を締め上げる。
静動魔法で直接敵の体内を攻撃するこの魔法。対多数戦に弱いが、敵の防御が固い場合でも意に介さない。
今回のような、単体のタフそうな相手には特に有効な魔法である。
ここで一呼吸の間。
しかし、攻撃を受けたものの、ゴリラは直前まで果物に気を取られていたせいで直ぐに行動に移れない。
この期を逃さず、アスリィが走りこむ。
ゴリラに肉薄し、生命魔法による強化をかけた拳で追撃する。
拳の衝撃を直接相手の体内に伝える魔法の拳に、さしものゴリラもよろめくが、力強く地面を踏みしめ、アスリィをにらみつける。
その瞳には、確かに怒りの炎が宿っていた。
ようやく本気になったようである。
サラが雷鳴を纏う獣、ブラックドッグを喚び出し、まっすぐに薙ぎ払う。
射線上には、ゴリラに肉薄していたアスリィも巻き込んでしまうが、アスリィは背後から疾駆する獣を軽々とかわし、雷撃はゴリラにだけ撃ち込まれる。
だが、ここで1つ誤算が発生する。
無差別に戦場を駆け抜けるブラックドッグはゴリラの目の前にあった黄色い果物も、跡形もなく消し飛ばしてしまったのである。
ゴリラの瞳に灯る怒りが勢いを増す。
だが、あまりにも、本気になるのが遅すぎた。
既にゴリラの体力は限界へと近づいていた。
グランの放った聖印の矢を、怒りに燃えるゴリラは避けようともせずに、そのありあまる筋力で正面から飛来する矢を弾き飛したところで、生じた隙にアレックスの炎が直撃する。
それが決定打だった。
凶暴なゴリラはついに動きを止め、その場に崩れ落ちた。
倒れたゴリラから生じた混沌核をグランが浄化していく。
それなりに強力な投影体だけあって、かなりの量のカウントにはなりそうだ。
ゴリラを倒した後で、さらにその岩場の奥を探索を始める。
どうやら、この周辺は来た道以外は鬱蒼とした樹々で覆われており、引き返すほか無さそうだ。
だが、岩場の奥に見覚えのある赤い花が咲いているのに気が付く。
ミーシャからの依頼票に描かれていたイラストと同じに見える。
これが、「ドンケルハイト」という異界の花なのだろう。
ところが、皆がその花を摘もうと近づいていったところで、異変が起きる。
鮮やかな赤色だったその花が、みるみるうちに灰色へとくすみ、萎れていってしまったのである。
「まあ、とりあえず摘んで帰ろう。」
「報告はしなくちゃいけないし、この状態でも、必要かもしれないからな。」
そう言って、グランはひとまず灰色の花を摘んで仕舞う。
「ミーシャさんに聞いとくべきだったか…」
「とはいえ、わざわざ伝えてこなかったってことは知らなかったかもしれないしな。」
一応、他にも幾つか赤い花が咲いていたので、今度は適当な布を使って直接触れないように摘もうとしてみたが、それでも駄目なようだ。
よく見ると、触った時点ではなくて近づいただけで萎れているようだ。
そこで、幾つか別の方法を考える。
1つは、「人が近づくと萎れてしまう」ようなので、サラのペリュトンに摘んできてもらうこと。
だが、呼び出した投影体にそこまで精密な指示を出すには召喚魔法師の中でもそれに特化した専門の技術が必要であり、現状のサラでは難しい。
2つ目は、インディゴの静動魔法《インヴィジブルハンド》で、近づかずに摘み取ってしまう方法だ。
恐らくこの魔法を使えば、鮮やかなままでこの花を摘み取ることが出来るだろう。
だが、この方法にも欠点があった。
《インヴィジブルハンド》の魔法は、静動魔法の中でもそこそこ高位の魔法であり、難易度も、精神力の消費もバカにならないのだ。
これ以降、魔境探索がまだまだ続くことを考えると、ここであくまでサブ目標である花のためにそこまでの消耗をしていいのかは微妙なところである。
3つ目は、遠くから遠距離攻撃で上手く花の根元を撃ち抜くことだ。
魔法を使う方法より、消耗ははるかに少なくて済むが、なにぶん遠くから花の茎を綺麗に撃ち抜くという超精密射撃だ。
少しずれれば花自体を散らしてしまうだろう。
とはいえ、ほぼ消耗なしでチャレンジできるなら、やってみる価値はある。
グランが花から少し離れた位置に立ち、弓を引き、放つ。
聖印の力で命中精度を補完しているとはいえ、狙いは僅かに逸れた。
矢は花そのものを撃ち抜き、ぱっと鮮やかに赤い花びらが散る。
やはり、難易度の高い挑戦のようだ。
代わってもう1人の弓使い、シェリアも挑戦する。
シェリアは命中精度を高める聖印の扱いを習得していないので、代わりに聖印に頼らない純粋な技術として狙撃姿勢を取り、狙いを定める。
だが、この一矢もまた一歩及ばなかった。
狙いの逸れた矢はまたもや花を散らしてしまう。
まだもう少し周囲に花は咲いているが、これ以上の挑戦で全滅させてしまう訳にはいかない。
ひとまずここで諦めることを決め、彼らはこの岩場を後にした…
Middle 4.2. 雷鳴の痕地
こうして、岩場から先ほどの分岐点まで引き返してきた。
道すがら、周囲の混沌が収束して投影体が出現しそうになったが、インディゴが混沌を発散し、難なく対処する。
流石に、対魔境最前線の街の魔法師を務めているだけあって、混沌の発散は手慣れている。
投影体の形をとり始めた混沌は砕け、再び魔境に満ち満ちるだけの混沌に還る。
「おお、どうやったんですか!?」
「エーラムに行けば習えるよ!」
エーラムの魔法師としては真っ先に習う基本の1つなのだが、そのあたり自然魔法師のアスリィは知識として欠けているところがある。
(あまり得意そうではないといえ、やればできる、とは思うのだが。)
戻ってきた分岐点には相変わらず黄色い異界の木の実がなっている。
「もう1個取っときますか?」
「またゴリラ出てくるかな?」
「どちらにせよ調査として1個は取っときますか。」
こうして木の実を再び回収し、改めて北西の方角の道へと向かう。
それなりに魔境の奥の方まで来た事もあって、今度は周囲で侵入者の体力を奪う混沌災害が発生しそうになるが、それもインディゴが発散して対処する。
次にたどり着いた分岐点は、道が右と左の二手に分かれている。(下図)
ここまでは北西を目指して進んできたが、今回の道は北と西に分かれているので、微妙に進む先を決め難い。
周りを見回すと、周囲の樹々にところどころ焦げ痕があるのが分かる。
よく見ると、炎の類ではなく、雷撃の類で焦げた痕のようだ。
この近辺で雷撃を扱う者というと、もちろん心当たりがある。
「これももしかして…」
「ああ、例の少女のやつだと思われる。」
「この雷撃の痕は見覚えがある。」
つまりは、グランの見立て通り、こちらの方向で合っていた可能性が高い、ということだ。
さて、問題はこの後どちらに進むかだ。
何か手がかりがないかと目を凝らし、耳を澄ませると…
ザザザッ ザザッ
北の道の方から、何か大きい物が蠢くような音が聞こえる。
音の重量感からして、アイディ本人ではないだろうが、放置するわけにもいかない。
背後を取られるのを嫌う、という先ほどと同じ理屈だ。
次は足を北に向け、森の中を進んでいった。
Middle 4.3. 大蛇
北の方、カーレル川の方に向けて歩いていく。
ここでこの魔境、この状況で、ある意味最も危険な変異が発生しようとする。
「空間転移」の変異だ。
歪曲した空間に巻き込まれてしまうと、近辺の何処かに飛ばされてしまう。
ただでさえ魔境内ではぐれるのは危険なうえ、今はまさに敵かもしれない存在に向かっている途中だ。
とはいえ、脅威度の高い変異ではあるが、発散する難易度自体は大差ない。
相変わらず、インディゴが手慣れた様子で混沌を散らしていく。
聞こえていた物音を頼りに進んでいくと、次の分岐点に達したあたりで、音の主が目に入る。(下図)
巨大な蛇だ。全長にして10m近くあるだろうか?
だが、蛇を目撃して警戒する侵入者たちに対して、その存在に気付いた当の蛇は一目散にパルトーク湖の方に逃げていこうとする。
村で調べた通り、アイディと思しき投影体が蛇を連れているのなら、この蛇が無関係とは思い難い。
であれば、ここで逃がすのはあまり好ましくない。
逃げていく蛇の背後からグランが弓を放つ。
放たれた矢は逃げる蛇に命中し、蛇は逃げるのは困難と察したのか、動きを止めて振り向き、グランたちをじっと見つめる。
すると、見つめる蛇の目の色が、すっと変わる。
続けて、蛇が口を開く。
「何をしに来た?」
「僕に関わるなと言ったはずだ。」
蛇がしゃべったことには少し驚いたが、言ってる事からして、おそらく件の投影体が蛇の身を借りて話しかけているのだろう。
対してグランが答える。
「いや、別に。」
「わざわざ俺たちがそれを聞く義理も無いだろう。」
「それならこちらの調査に協力してくれないかねぇ。」
これはこれで、当然の話である。
森林近くの村の領主である以上、得体のしれない投影体を野放しにしておくことはできない。
「はっ! わざわざそんなものを連れてきて良く言う。」
どうやら、何らかあって、向こうは完全にこちらを敵とみなしているらしい。
蛇の目線をたどると、アレックスの首に下がっているペンダントをじっと見ている。
アレックスは「まあ、そうだよなあ。」とでも言いたげな表情を浮かべるが、他の皆は全くもって話が読めない。
「色々あったんですけど、言うのもアレですし…」
「…そうですか。」
アレックスはそう言うが、なるほど肝心なことはさっぱり伝わっていない。
実際、この場で説明すると長くなるので、仕方ないところはあるのだが。
それ以上に、せっかくこうして対話が出来る所まで来たのだから、聞いておきたいことがあった。
「まあ、割と僕としても二三お聞きしたいことはありますけども。」
「参考程度に聞こう。何が聞きたい?」
「そうですね。あなたは、片割れがいますか?」
「知ってて連れて来たんじゃないのか?」
「いやまあ、一応確認は取りたいところで。」
「そうだが。」
「その上で、そいつに手を貸すような連中となれ合う気は無い。」
少なくとも、夢の中で青年が言っていたことの一部はその通りらしい。
となれば、敵対する存在を封じ込めたペンダントをわざわざ持ち込んできたアレックスに対して態度が硬化するのも分からなくはない。
「まったく何の話か分かりません!」
「何の話ですか? アレックスさん。」
いよいよ置いてきぼりになってきた皆を代表して、アスリィが尋ねた。
アレックスがそれに答えない間に、蛇がまた口を開く。
「貴様はまだ、せめてアイディのことは大切に思ってると思っていたのにな。」
「がっかりだ。」
そこまで言うと、蛇の目は元の色に戻っていく。
(…え?、…え?、ちょっと、この状態で体返されるんスか? マジっすか、××さん。 そりゃないッスよ!)
再び喋れなくなったようだが、蛇の目は明らかにそう語っていた。
「お?」
その場に残された蛇はあまり強くは無かったようで、そのままさっくりとグランたちに討伐されてしまった…
Middle 4.4. 異界の神
カーレル川に沿って西に向かっていく。
途中で破壊された樹木型アーティファクトの残骸を見つけたが、今回の件には関係なさそうだ。
インディゴだけは、それに見覚えがあったが、だからと言って、今は関係なさそうという意見に違いはない。
(参考:
ブレトランドの英霊6「
炎のさだめ」)
「インディゴさん、どうしました?」
「いやー、前に色々ありまして…」
「たぶん今回の件とは関係ないと思うんで。」
というか、この件に深く突っ込まれると少し面倒くさい。
さらにカーレル川の上流に向かって歩いて行くと、森の中から急に視界が開けた。
どうやら、カーレル川の源流であるパルトーク湖に辿りついたようだ。(下図)
「ふむ、ここまで来たか。」
湖の岸辺近くまで来ると、どこからかが声が響く。
先ほどの蛇から、そして以前会ったときはアイディの姿から聞いた声と同じだ。
シュタッ、っとその身通りの軽い音を立てて、近くの木の上からアイディの姿をした少女がグランたちの前に降り立つ。
半ば分かっていたことだが、明らかに10歳に満たない少女の身体能力ではない。
「さっきも言った通り、調査に来ててね。」
「幾つか聞きたいことがあるんだよ。」
まずはグランから問いかける。
その声色には、明らかな警戒が宿っている。
「とりあえず、他の投影体とかを狩ってるみたいだが、あんた、何を目的として動いてるんだ?」
それは当然、まず問うべきことだろう。
相手の目的が見えねば、交渉ができるのかどうかすら分からない。
「こんな状況では、僕自身が不自由だからね。」
「いずれアイディを解放して、自分のもとの姿を取り戻すためさ。」
「今はこの少女の姿を借りているが、僕自身が顕現するためには、まだ圧倒的に混沌の量が足りない。」
「そのための、小遣い稼ぎさ。」
「小遣い稼ぎ、ねえ。」
かいつまんで言うと、アイディとは別に自分が投影体として形を保つためには、投影体である以上、それなりの規模の混沌核が必要だ。
それを用意するために、周囲の投影体を狩っていたらしい。
「顕現して、何をなさるつもりなんでしょう?」
「何をするでもないさ、僕は僕の好きに生きるだけさ。もともとの僕のあり方さ。」
「というか、他人と体を共有してるとか、不便だろ?」
当たり前と言えば当たり前だ。
「ま、逆に言えば、そうなればこの子は返してあげてもいいんだけど?」
そう、この投影体がアイディの体とは別に、混沌核で構成された体を手に入れれば、それは、アイディが返ってくるということにもなる。
それから、一方でアレックスが気になるのは、夢で出会った青年の話。
彼の話によると、アレックスの持つペンダントを、アイディに触れさせればいいらしいが…
「ところで、僕はこれ(ペンダント)の使い方をそんなに詳しく聞いてないんだけど…」
「使い方も何もないんだけどね。僕と、僕の片割れが封じられていただけさ。」
「で? そいつに何を吹き込まれた?」
ペンダントに話が及ぶと、アイディの目に露骨に警戒の色が強くなる。
「それをアイディに触らせると、何か色々起こってアイディが元に戻るって。」
「ただなあ、僕は、それはアイディが元に戻るのは確かなんだろうけど、君のしゃべり方からして、君がそんなに悪い奴には思えないんだよ。」
「これだけ露骨に敵意を向けてきてそれか。」
「ま、キミの直感はだいたい正しい。」
「そのペンダントが僕に触れれば、僕の力だけを回収していく。結果としてアイディはもとに戻るかもしれない。」
「とはいえ、今僕がため込んだここにある混沌は、そのペンダントの中の、悪しき方の僕が回収することになる。」
「それでいいのかい?」
言っていることは、夢の中の青年とは真逆だ…
矛盾している以上、どちらかあるいは両方が嘘なのだろうが、判断材料もない。
そう考えているところに、アレックスの元にペンダントから声が届く。
(…アレックスさん、騙されてはいけません。)
「どうしました? アレックスさん。」
アスリィが怪訝な様子で声をかける。
どうやら、アレックス以外には聞こえていないらしい。
「この中にいるやつが、話しかけてくるんだけど。」
「まあ、目の前にいるやつが、時がたてば返してくれるって言うんなら、待っててもいいかと思うんだけど。」
「で、その過程で、どれだけ混沌が必要なんだ。」
「正直、このペースだと、あと数年仕事だな。」
「数年かあ、数年ぐらいなら、待とうと思えば待てちゃうなあ。」
アレックスとしては、もともとアイディは焼き討ち事件の時に死んだものだと思っていたのだ。
それから既に数年の時間が経っている以上、更に数年がそれほど長いとも思えない。
むしろ、この期間に難色を示したのは領主のグランの方だ。
「数年も放置?」
そう、この投影体の言に従って数年単位で彼女が混沌を集めるのを放置するなら、それがなされる頃には、膨大な混沌を集めていることになる。
言っていることが真実という確証もない以上、領主としては看過するわけにはいかないのも本音だろう。
(…それはいけません。アイツは確実に力を増しています。貯めこんだ力でこれ以降は何をしでかすか分かったものではありませんよ?)
ペンダントの中の青年も語り掛けるが、正直、こっちはこっちで信用しがたい…
話が膠着に陥ったところで、仕掛けたのはペンダントの中の青年だった。
自分の中にわずかに残った力の大半を使って、アレックスに瞬間的な洗脳の術をかけたのだ。
(言葉で済めば良かったんだけど…、ちょっと借りるよ!)
この術で動きの主導権を奪えるのはほんの数秒。
だが、それだけあれば十分。
アレックスの体を奪い取った青年はペンダントの石を握り、そのまま格闘戦の要領でアイディに触れさせる。
混沌そのもののような黒い煙が一瞬散ったかと思うと、アイディはその場で倒れ込み、アレックスは正気を取り戻す。
そして、今までいなかったはずの青年が、新たにそこに立っていた。
青年は、状況を見回して思う。
まあ、及第点か、と。
彼としても、この術を使ってアレックスを操るのは最後の手段だった。
この術自体に結構な力を使ってしまったゆえに、アイディに接触した時に思ったほどの出力が出せなかった。
ゆえに、アイディの方は完全には消滅しきらずに、この場に倒れている。
だからこそ、なんとかアレックスを騙して触れさせたかったのだが…
「お前は、誰だ?」
グランが問いかける。
「ああ、本当の意味で、ボルドヴァルドのアサシン、かな?」
「本当の名前が聞きたい?」
どこか軽薄そうな口調で、青年が逆に問いかけ返す。
一方で意識の戻ったアレックスは、倒れたアイディを抱きかかえて、青年から距離を取る。
「聞かせて貰えるなら、聞かせて貰おうか。」
「ロキ。それが僕の名前さ。」
その名前は、グランたちは分からなかったが、ヴァルハラ界と呼ばれる異界をちょっと勉強した者ならだれもが知っている名前だ。
その世界の神格としては5本の指に入る有名な名だろう。
無類の悪戯好きで知られるその神は、時に神々の助けとなり、時に敵として戦い合った、と言われている。
名乗られたら名乗り返す、という信条のあるアスリィは後ろで「あ、アスリィです!」と名乗っていたが、それはそれとして、グランは問いかけを続ける。
「それで、お前の目的は?」
「うーん、そうだなあ。」
「この世に混沌を振りまいて、面白おかしく暮らすことっ☆」
「「ダメじゃないですかっ!」」
分かっていたが、目の前にいるのは、ロキのひたすらに悪戯好きで邪悪な面の現し身らしい。
「うん、そうなると思った。」
「とはいえ、この場では十分な混沌を得て体を取り戻せれば及第点な訳でー」
「ここでキミたちを倒そうなんて思ってないんだよね! バーイ!」
言うと、ロキはくるりと方向を変えて森の中へ立ち去っていく。
さて、明らかに問題のある投影体を目にした以上、追いかけて討伐しないといけないのであるが…
この場に残されたアイディを放っておく訳にもいかない。
見た目は先ほどと変わりないが、明らかに内包している混沌の力が弱まっているのを感じる。
しばらくすると、彼女は目を覚ます。
「完全に不意を突かれたな…」
「アレックスの意識を奪うところまでやれるとは思わなかった。」
「お前、誰!?」
グランの疑問はもっともである。
「一応、ロキだよ。」
「あれ、まだいたんですか?」
「まだいたの?」
アレックスとアスリィも意外そうな言葉を返す。
どうやら、先ほどの現象で、こちらのロキは消滅したと思われていたらしい。
「何とかね。力の大部分は奪われたけど。」
「今、僕がここから出ていく訳にはいかないんだ。」
彼にも何か事情があったらしい。
とはいえ、もう1人のロキを追いかけなければならない以上、ここで無駄に時間をつぶすのは良くない。
「移動途中でしゃべれ。」
Middle 4.5. 神様と少女の事情
パルトーク湖から南の方に逃げていった青年を追いつつ、アイディの姿をした方に話を聞く
「僕たちは、悪しき方と、比較的マシな方の2つに分かれて顕現したんだよね。この世界に。」
「まあ、どっちがどっちかなんてのは、この際言わないさ。」
「どうせ向こうの僕と水掛け論になるだけだしね。」
というか、実際さっきまでそうなっていた。
「そのあたりは、キミたちが見た感じで判断してくれればいい。」
「とはいえ、僕はちゃんとこの少女に手を貸していた。そのことは実績として考慮してくれるとありがたいね。」
「実績…?」
まだ、そのあたりは疑わしそうだ。
「投影体の認定って、メイジの仕事だったよね?」
グランはそういって、魔法師に話を投げたが、正直、これを無害な投影体として認定していいのかは微妙だ。
とりあえず、インディゴが口を開く。
「どちらにせよ、今すぐ討伐するわけにはいかないでしょう。アイディが実質人質に取られているようなもんだし。」
それもそうである。
体はアイディのままである以上、そのまま討伐もできない。
それよりも、今は逃げたもう1人の方だ。
話を切り上げて足をはやめ、逃げたロキを追いかけていく。
しばらく南に森を抜けると、そこは森の中でも特に混沌濃度の高い沼になっている箇所だった。
これより向こうには、そう簡単には渡れそうにない、実質的な行き止まりだ。
とはいえ、逃げる青年の目に追い詰められたという焦りは無い。
むしろ、ここまで来ることが目的だったようだ。
「よし、何とかここまで来れた。」
「ここでなら、迎え撃てる。」
そう言って、青年は混沌の沼に手を突っ込む。
危険の伴う雑な方法だが、すぐに使ってしまう分の補充としてなら何とか問題ないだろう。
そこにグランたちが追いついた。
待っていた、という風にロキは芝居かかった口調で語る。
「やあ、お待たせしたね。」
「ずいぶんと待たせたことだな。」
「舞台の準備がまだ整っていなかったものでして。」
「さて、いよいよ開演と行きましょうか。」
この沼の混沌を使ってなら、グランたちと渡り合える自信があるらしい。
「もう言い訳をしようとは思わないさ。」
「だって、キミたちは知ったもの。ここにいるのは嘘と悪戯がだーい好きな道化神だもの。」
「黙って帰しちゃくれないだろう?」
開戦と同時に、今しがた沼から拾った混沌を使って異界からの門を開く。
「さあ、来い。」
「地を揺らす白狼、フェンリル。大いなる大地の杖、ヨルムンガンド。」
ロキは、自身の混沌の一部を使って、狼と蛇を呼び出す。
これらは、ヴァルハラ界の神話においていずれも彼の子と言われる存在だ。
ゆえに、彼は必要に応じて、こうして召喚する事が出来るのだろう。
彼本人の手には穂先に不思議な文字が刻まれた槍が現れる。
「ま、本来は僕のものじゃないんだけどねっ☆」
「借りて来たんですか…」
「借りて来たとは失礼な。元々は僕が作らせたものだぞ。」
彼が握っている槍は、ヴァルハラ界の主神オーディンの愛用するグングニル。
確かに、これもまた彼が(騙して)作らせたものだと言われている縁ある一品だからこそ、扱う事が出来るのだろう。
(まあ、そもそもフェンリルにせよ、ヨルムンガンドにせよ、グングニルにせよ、この場では彼が混沌を元に急造で模造したものなので、オリジナルよりは大分質が劣るのだが。)
こうして、準備を終えたところで、戦いが始まる。
先手を取って動いたのはシェリアだった。
聖印の力を込めた一矢を放ち、見事に命中させる。
加えて、着弾点から聖印の鎖が伸び、防御を妨害する戒めを与える。
続いて、インディゴが《コライドオブジェクト》の魔法を放つ。
周囲にある物体を操作してぶつけることで、広範囲に攻撃できる、少し高位の静動魔法だ。
攻撃魔法の威力を増幅する魔法陣を描き、さらに破壊力をブーストする。
シェリアの矢の戒めで、相手の衝撃に対する耐性が無いに等しくなっていた事もあり、敵陣に大打撃を与える。
かつてこの森で大先輩の魔法師に認められただけのことはある、流石の一撃であった。
「痛いなあ、もう。」
「お返しだっ!」
反撃として、ロキも手にしていた槍を敵陣の中央に投擲する。
アイディが使っていたのと同じ紫電を帯びた槍は地面に突き立つとそのまま周囲に雷光を走らせる。
アスリィは軽々と避け、インディゴは《イルード》の魔法で雷光を逸らす。
サラも《アシスト》の魔法を使って何とかかわしたが、召喚したペリュトンは直撃を受けてしまう。
致命的な一撃に見えたが、とっさにインディゴが《キネティックバリア》の魔法で威力を減殺したことにより、何とか戦線にとどまり続ける。
紫電を放ち終えた槍はいつの間にか、ロキの手元に戻っている。
これも、もともとの逸話を元にした性能なのだろう。
続いて、アスリィが走り込んで、生命魔法を乗せた拳を打ち込む。
ロキの体に正確にヒットしたその一撃は、確実に体力を削っていく。
サラの召喚したペリュトンも追撃をかけるが、アスリィに比べると流石に精度に劣る。
ロキは周囲に神力を展開して、攻撃を弾く。
とはいえ、ペリュトンの攻撃でできた隙を召喚者は見逃さなかった。
ブラックドッグを召喚し、真っすぐに敵陣を薙ぎ払う。
白狼フェンリルは大きく勢いを付けて戦場を駆け回り、通り道の敵に鋭い爪で斬撃を与えていく。
サラが避けきれずに攻撃を受けそうになるが、異界の巨人ギガースを召喚し、斬撃を弾くことで対処する。
グランは、多方向に聖印の矢を放ち、ロキ、フェンリル、ヨルムンガンドをまとめて貫く。
命中したと見たところで、さらに聖印の力を上乗せする。
この一撃でフェンリルは倒れ伏す。
ヨルムンガンドも致命的な一撃を受けたかに見えたが、蛇の持ち前の頑強さでしぶとく戦線に残る。
そのまま、ヨルムンガンドは攻撃に転じる。
直接的な攻撃ではなく、世界を包んでいたという伝承を元にした、魔術的なものに近い攻撃のようだ。
周囲の敵全ての体力を奪ってゆく。
アレックスがもう体力が残りわずかとみたヨルムンガンドに攻撃を仕掛けるが、あと一歩、仕留めるに至らない。
だが、この時点で、初撃を与えたシェリアとインディゴを既に第二波の用意を整えていた。
シェリアの矢と、インディゴの魔法が再びロキを襲う。
この時点で劣勢に追い込まれていたロキだが、再び手元に戻っていた槍を振るう。
放たれた紫電は周囲を貫き、ここでペリュトンが戦闘不能に陥る。
とはいえ、反撃もそこまでだった。
続くアスリィの魔法の拳で、あえなくロキは混沌核となって消滅していく。
「ちえっ。もう少しくらい、遊びたかったな。」
「ま、この世界の僕は、いずれ返ってくることもあるだろうさ。」
「それまで、もう1人の僕をよろしくねっ☆」
最後まで軽薄そうに言葉を紡いで、青年の姿をしたロキは消滅した。
残されたヨルムンガンドも、もうほとんど体力が残っていなかったこともあって、難なくグランの矢で消滅する。
グランが混沌核を吸収し、この場の戦闘は幕を閉じた。
これで、少なくとも、この調査の目的であった投影体のうち、片割れはしっかり討伐し、もう片方は身柄を確保した。
アイディの姿をした方は、力を急激に失ったゆえか、今は再び眠っているが、ひとまず村に連れ帰るのがいいだろう。
帰り道は大きなトラブルなく村に帰り着く。
途中、何者かがこちらの様子をうかがっているのに、弓使いとしての感覚の鋭いグランとシェリアが気づいたが、すぐに去っていった。
「気にはなりますが、流石に、今追いかける余裕はなさそうですね。」
それにはグランも同意した。
再びの魔境調査はいずれ必要になるだろうが、今は、アイディを背負っている状態だし、自分たちにしても消耗はしている。
こうして、ひとまず、グランたちは魔境の森を出て、ヴィルマ村へと帰投した。
村についたところで、アイディの姿をしたロキが目を覚ます。
「それで、結局こんなところまで連れてこられちゃった訳か。」
「流石に放置したら死んじゃいますからね…」
サラの見立てでは、ほとんどの力を失っていたはずだ。
混沌の力も無しに、少女の体で、あの森で生き残れるとは思えない。
「だいぶ、集めた混沌をアイツに持っていかれたからね。」
「このままだと森で生き残れるかどうかも怪しい。」
「じゃあ、ヴィルマ村に住むしかないですね!」
アスリィが明るく提案する。
「まあ、人が多いのは助かりますよね。」
「でも、アイディの見た目だと、あんまり出来ること無いかも。」
アレックスも、賛成のようだ。
「そうだろうな。」
「身体能力も混沌で補完していたが、それももうかなわない。」
ロキとしても、森に戻るわけにはいかない、という認識はあるようだ。
ところで、まだ、彼女の状態についてちゃんとした説明をしていない。
この辺りを改めて、ロキは話し始める。
「さて、キミたちが聞きたいだろう状況説明だが。」
「一応、こちらの言い分を言わせてもらえば、焼き討ちに巻き込まれようとしているアイディを助けるために憑依した、って形になるのかな。」
「でもって、いずれアイディと自分を分離するために、混沌を集めていたのさ。」
「そこに開拓団として、キミたちがやってきた訳だけど…」
ちらりと、アレックスの持っている、既に光を失ったペンダントを見て、
「…まあ、あんなものを持ち込まれちゃ、信用する気も失せるよね。」
と、語った。
「正直、アレックスについては、アイディの幼馴染だった、ぐらいの知識はあるんだけど、エピソードとかはそんなに聞いてないし。」
「それがあっちのペンダントを持ってきた、って見たら、これはダメだと思ったんだ。」
「そうもなりますよねー」
「で、アイディを返してほしいって話だったら、それなりの量の混沌を集めてくれば可能だよ。」
「けど、それだけじゃダメだ。」
「というのも、焼き討ちの時点、僕が憑依した時点で、アイディは件の伝染病にかかっていてね。」
「「ああ、なるほど。」」
聞いていた皆も察したようだ。
確かに、それでは、ロキが体から抜け出した後に残されるのは、伝染病に侵されたアイディだ。
「というわけで、治療法を見つけるまではアイディに体を返す訳にはいかないのさ。」
「いずれ必要になることだから、先んじて一応混沌を集めていたんだけどね。」
「正直、僕としてもこの体はちょっと不便だからね。」
「十分な混沌さえあれば、とっとと分離してあげたいのはやまやまなんだけど。」
そこで一度言葉を切り、再び口を開いて話を締めくくる。
「まあ、それでも、わざわざ体を貸してくれたんだから、アイディちゃんを見捨てて勝手に分離しようとは思わないぐらいには、お人好しだった、って訳さ。」
大方の事情説明はそんなところだった。
一応、説明の筋は通っているし、万が一これ以降ロキが何かを企んだところで、ほとんどの力を失った身では出来ることも知れている。
ヴィルマ村に滞在させる分には問題なさそうだ、という結論にひとまずは落ち着き、ヴァレフール魔法師団のメイジであるサラから、共存しうる投影体として認可を与えることにする。
こうして、アイディの姿をした異界の神はヴィルマ村の新たな住人となった。
Ending.2. 新米領主の契約事情
魔境探索を終え、村に帰還してしばらく後。
グランは復興本部の自身の執務室にアスリィを呼び出していた。
アスリィが執務室に入ると、グランの方から、話を切り出す。
「用件は分かっていると思うけど、前言った通り、そろそろ返事をもらえないかな?」
用件、とはもちろん契約魔法師の件である。
その返事をする前に、アスリィはグランに対して1つ問い返す。
「その前に、グランさんって私に話してないことってありませんかね?」
「そりゃ人なんだから、話してない事なんていくらでもあると思うけど。」
「まあ、そうなんですけど。」
「ちょっと、シェリアさんに話を聞きに行った時の、パンドラと聞いた時のグランさんの険しい顔が気になって。そのくらいなんですけど。」
アスリィも結構人のことを目聡く見ていたらしい。
「あまり、面白い話では無いが。」
「私としては契約する気は満々なんですけど、ちょっと気になったから、聞いておくだけ聞いておきたくて。」
「パンドラという名前を聞いたことはあるか?」
「あー、エーラムに行ったときにちらっと聞いたような。闇の秘密結社だとか。」
「まあ、テロリストみたいな集団だな。俺は奴らに故郷を奪われたんだ。」
「一言でいえばそれだけだな。」
「じゃあ、グランさんはその復讐のために…」
「まあ、目的の1つではある。」
もう1つ、気になっていた点をアスリィはグランに尋ねる。
「わたしでなくては駄目なんですかね?」
もちろん、もとより契約魔法師はアスリィでもいいと言われているが、サラや他の魔法師という選択肢も提示されていたはずである。
その中から、なぜ自分なのか、ということは少し気にかかっていた。
「ここから先は、あまり他人に話して欲しくは無いんだがな、」
そう前置きして、グランは語る。
「俺はな、あまりエーラムを信用してないんだ。」
「大講堂の事件を知っているか?」
もちろん、アトラタンを揺るがせた世界的な大事件だ。知らないわけがない。
「エーラムの中心地で行われた「あれ」に、エーラムが関わってないとは思えない。」
「エーラムの中にも、手引きした奴がいたんじゃないか? もしかすると、それはパンドラにもつながっているかもしれない。」
「なるほど、それで、エーラムのしがらみのない、わたしの訳ですね。」
「まあ、そうだ。それもあってキミに興味を抱いた。」
「そんなことより、前言った「お互い自力で力を作った」ってのもな。」
「それにしても、話しにくいことを、」
この時のアスリィはいつもの騒がしい少女ではなく、貴族令嬢然とした雰囲気を漂わせ、静かにグランの話を聞いていた。
普段の姿と、どちらが本来のアスリィなのかは定かではないが。
「静かに聞いてくれてありがとう。」
一瞬の沈黙が流れた後、アスリィは決意を込め、エーラムに行ったときにちらっと見た契約の言葉を思い出して言葉を紡ぐ。
(特に文言がテンプレ化されている訳ではないのだが、特に地位あるロードとの契約だと、格式ばった式典があり、契約の誓いの言葉もあったりする。)
「え、えーっと。わたくし、アスリィは、えーっと… …何だっけ?」
「騎士グラン・マイアの… えーっと?」
「…まあ、気楽でいいよ。」
「騎士グラン・マイアと契約し、生涯の忠誠を誓いますっ!」
「…あの…」
途中でグランが苦笑しながら、言葉を挟んだものの、それに関せずアスリィは言い切った。
そして、続けて言葉を紡ぐ。
「わたしが言えた事では無いんですけど、もし、その、パンドラとか見つけても、特攻とかしないでくださいね…。」
「契約相手に死なれると、わたしも悲しいので…」
「とにかく、死なないでくださいっ!」
「まあ、そんな特攻するつもりはないよ。」
グランが返したところで、アスリィは重苦しい雰囲気を振り払うように笑顔を向けて、魔法師契約の成立を告げた。
「じゃ! 契約成立、ということで!」
「ああ、これからよろしく頼むよ。」
「ふー、疲れたー。」
「久しぶりにあんな貴族らしくしたわー。」
グランの執務室を出たアスリィは、廊下を歩く頃にはもう、先ほどまでの貴族令嬢然とした雰囲気は綺麗に消えていた。
その足で、アスリィはグランとの契約の顛末をサラに伝えに行く。
サラの部屋の扉を開け、気の抜けた声で呼びかける。
(アスリィ的には、先ほどのグランとのやり取りの気恥ずかしさの誤魔化しでもあったのだが。)
「サラさーん、契約しましたー。」
「一応、大事な話なのに、すごく軽く言うんだね…」
「契約しました!」
アスリィは言い切る。
大事なことなので2回言いました。
「…アスリィさんらしいよ。」
「そうそう、こんな感じで軽く契約しました。」
嘘である。
それを見抜いたかはいざ知らず、サラは言葉を返す。
「…まあまあまあ、それなら良かったよ。」
「これで多分、せっつかれることも無いだろうし。」
「あとは、アスリィさんがちゃんと契約魔法師として仕事ができるように、私が教えるだけですね。」
「ぜひ、よろしくお願いします。」
アスリィは素直に頭を下げる。
契約魔法師として、まだまだいろいろと学ばなければならない事があるということを自覚はしているようだ。
「はあ、そしたら私はもう用済みですねぇ。」
サラは続けて言う。
確かに、アスリィが正式な契約魔法師となることが決まった以上、ヴィルマ村の復興が落ち着き、村の経営が軌道に乗ったら、サラはドラグボロゥに帰ることになる可能性が濃いだろう。
「そうはいかないでしょう!サラさん!」
「サラさんの勤勉さとか農業知識はとても役に立ちますからね!」
この点、実際問題としては、アスリィの方が正しい。
正直言って、まだしばらくはヴィルマ村からサラが抜けていい状況ではないだろう。
「なんで派遣されてきたんだろ?」
「わたしはてっきり左遷されてきたものかと…」
「そんなわけないでしょ。」
答えたアスリィの声は、割と本気のトーンだった。
実際、ドラグボロゥの魔法師団の出世コースという観点はともかく、ヴァレフール全体の1つのプロジェクトとしてヴィルマ村復興は非常に重視されているようなので、かなり実力優先の選任だった可能性はある。
(そのあたりは、実際にサラを選んだ人(ディレンド次席魔法師)でないと、分からないものだが。)
「もうちょっといて貰わないと、アスリィさん的にも困りますよ。」
「そうですか?」
そこで、使用人がサラに、グランからの呼び出しの旨を告げに現れる。
もちろん、用件はだいたい想像できるが。
「じゃ、鍛錬に行ってきまーす!」
そう言って立ち去っていくアスリィを見て、「あ、やっぱり鍛錬は欠かさないんだね。」と思いつつ、サラはグランの執務室に向かった。
グランは執務室でサラを迎えると、話を切り出す。
「サラ、よく来てくれた。」
「以前言われていた契約魔法師の件だが、」
「アスリィさんと契約されたと、先ほどアスリィさん本人から聞きましたよ。」
「聞いていたか。そういう訳なんだ。」
「それなら良かったです。」
「キミの方から報告はお願いしてもいいかな?」
基本はドラグボロゥとの連絡はタクト通信である以上、グランから直接連絡を取ることはできない。
アスリィからタクト通信することも可能なはずだが、なんとなく、連絡関係はサラの仕事になっていた。
「もちろんです。」
口頭連絡はこれでいいとして、正式には書状での連絡も必要だろう。
それから、グランは書いていたものをサラに見せる。
「あとは、書状ってこんな感じでいいかな?」
どうやら、このあたりの事務仕事に関しては、まだまだサラの出番は多そうだ。
Ending.3. 隣町の魔法師と
さて、この度の騒動もひと段落付いたところで、インディゴはテイタニアへの帰り支度を整え始めていた。
目下の懸念事項であった森林の少女については、今の状態でヴィルマ村に留まっている分にはこれ以上の問題はないだろう。
その折、領主のグランが呼んでいるとの言伝が届く。
ちょうど、挨拶に行こうとしていたところでもあったし、インディゴはグランの執務室を訪れる。
「いやはや、今回のことは色々と手助けをしてくれてありがとう。 助かりました。」
「まあ、その辺についてはこちらとしても手助けをするのが筋ですから。」
「橋も直してくれましたし。」
「魔境探索に関しては、こちらは素人が多いですから。」
「今回は本当に勉強になりました。」
「今回の件はこれで終わりだけれど、これからもまたテイタニアとは協力していきたいと思っているから。」
「それはぜひよろしくお願いします。」
「ユーフィー殿にもよろしくお願いします。」
そう言って、グランはユーフィーに宛ててしたためた手紙を渡す。
新任の領主の挨拶から、村の状況、インディゴが今回の件に協力してくれたことへのお礼。
同じくボルドヴァルド大森林の入り口としての性質を持つ隣町。
これからも、お互いの協力は必須だろう。双方ともに、そう感じていた。
復興本部兼領主館を出たインディゴは、改めてヴィルマ村を見て回り、順調な復興ぶりを目に焼き付けて、テイタニアへの帰途についた。
Ending.4. 報告
ヴェルナからの通信が入る。
今回は対多人数通話のため、タクト通信ではなく《テレコミュニケーション》の魔法で、机上にヴェルナが立体映像で現れる。
「さて、ボルドヴァルド大森林の調査に向かわれた、とのことでしたが…」
言葉を切ると、立体映像のヴェルナはぐるりと部屋を見回して人数を数える。
「…ええ、少なくとも全員お揃いのようですね。良かったです。」
「ああ、全員無事に帰ってこられた。」
「では、サラさん、報告をお願いします。」
サラは、今回の調査で判明したこと、アイディのこと、開拓の進み具合、グランとアスリィの契約の件を順に報告していく。
契約の話を聞いたヴェルナはどこか嬉しそうに答える。
「ほう、それはそれは!」
「私としては、サラさんが契約魔法師になられるのかな、とも思いましたが。」
「まあ、近くで見てないと分からないこともあるんでしょうね!」
「書類の方はこちらできちんと受理しておきますので、お任せください。」
「あと、サラさんについてですが、どちらにせよ、もうしばらくヴィルマ村にいてもらうことになると思います。」
「そうですね… まだ書類の書き方とか、契約魔法師の仕事とか教えないといけないですし…」
アスリィが契約魔法師の仕事をこなせるようになるには、もう少しかかりそうだ。
「そのあたりは、サラさんに聞いていただければ、一通りは分かると思いますし、私から教えてもいいですよ。」
「というか、サラさんじゃなくて、アスリィさんからこちらに連絡を取って頂いても良いんですよ?」
「そっか!」
今やっと気が付いた、といった風のアスリィにサラが疑念の目を向ける。
自然魔法師とはいえ、エーラムに申請を出しに行ったことがあるなら、エーラム製のタクトは貰えているはずだが…
「…アスリィさん、確認ですけど、タクト通信、使い方は分かりますよね?」
「わ、分かりますよ! 同調をこうやって求めると、(向こうのが)鳴るんですよね?」
一応、説明はあやふやだが、使い方自体は知っているらしい。
「では、今日のところはこのくらいで。」
「ヴァレフール万博も日程が近づいてきましたし、次にお会いするのはその現場で、となるかもしれませんね。」
「楽しみにしておきます。」
「アスリィさんやアレックスさんとは初めてお会いしますし、グランさんやサラさんにしてもお久しぶりです。」
「楽しみに、ドラグボロゥで待っています。」
そう言って、ヴェルナからの通信は切れる。
通信が切れた後、グランはサラの方に向き直って、真剣な顔で相談した。
「とりあえずだ、サラ。」
「ヴァレフール万博に向けて、対策を立てないとな。」
対策とは、ヴァレフール万博の会場で提供されかねない危険物な料理のことである。
それを作りかねない人物が、村内に1人、首都側に1人。
ヴァレフール万博の日は近い。
このイベント、無事に乗り切れるのだろうか…?
Ending.5. カレー事件
復興本部で皆が対策会議をしている頃、アレックスはロキ(アイディ)の部屋を訪ねていた。
(その対策会議とやらに参加しようともしたのだが、他3人から追い出された。)
混沌の大部分を失ったものの、ロキは無事に意識を回復して、この村で暮らしている。
「ロキさん、お昼とか食べません?」
「ああ、アレックスか。 頂こう。」
…ロキは未だに、アレックスの味覚のことを知らない。
(アイディの記憶も持っているようなのだが、アレックスがかつてヴィルマ村にいたころは、まだ味覚は正常だった。)
「ほら、今度物産展に出るらしいんですけど、カレーのレシピを再現してみたいと思いまして、味見とか…」
「ほう、初めて聞く料理だな。」
「こういう香辛料を使うんですけど。」
そう言って、アレックスはロキに香辛料の入った袋を見せる。
まさかアレックスがこの袋の中身すべてを使うつもりだとは夢にも思わないロキは、興味深そうに答える。
「なるほど、これはなかなか刺激的な料理が出来そうだ。」
「そうか、アイディの記憶は僕は知識としてしか知らないが、キミは村を出て色々なところを回ってきたのだったな。」
「それでまた、色々な物を見てきたということか。」
「それじゃ、今から作るんで、ちょっと待っててください。」
そう言って、アレックスはカレーを煮込み始める。
なぜか復興本部の厨房には出入り禁止にされてしまったので、自前の調理器具で料理をしていく。
しばらく後、出来上がったカレーを前に、ロキは「ありがとう」とアレックスに告げて、口に運び…
…固まった。
机に突っ伏しそうになりながらも、痺れる唇を何とか動かして言葉を紡ぐ。
「アレックス…君は、村の外に出て…何を学んできたんだ…」
「香辛料についてとか、邪紋の力とか、いろいろ。」
ロキは「いや、何で香辛料の方が邪紋の力より先に挙がるんだよ…」と思わなくもなかったが、それを喋るには口へのダメージが深刻すぎた…
そのころ復興本部。
ふと、異変に気が付いたアスリィがつぶやいた。
「…外から、カレーの匂いしませんか?」
「まさか!」
「…まさか」
グランとサラも慌てた表情を見せる。
駆けつけた彼らが見たものは、机に突っ伏すロキと、その目の前に置かれたカレー皿、傍らに立つアレックス。
説明されるまでもなく、何が起こったのかは一目瞭然であった…
サラは、牛乳か何かが無いかと厨房の方に探しに行き、アスリィたちは心配そうにロキを見た。
「一瞬、アイディに戻りかけた…」
「アイディから受け継いだこの記憶はっ…アレックスは、こんな奴だったのか!?」
半ばうわごとのように語るロキに、グランが答える。
「香辛料との出会いが、奴のすべてを変えてしまった可能性がある。」
Ending.6. ミーシャのアトリエ
「こんにちはー!」
しばらく後のある日、ナゴン村に戻っていたアイテム屋、ミーシャが再びヴィルマ村を訪れた。
「久しぶりです!グランさん。」
「聞いてください! ついに、お店を出すための資金が貯まりきりました!」
これでようやく、ミーシャもヴィルマ村の住民となるようだ。
ところで、思い出したようにミーシャは別の話題を振る。
「そういえば、私が出した依頼、受けてくれたのは皆さんだったんですか?」
「そうなんですけど、取ろうとしたら灰色になっちゃって…」
アスリィの言葉に、ミーシャは苦い顔をしながら答える。
「あー、やっぱりそうでしたかー。」
「私が元いた世界ではそんなこと無かったのになー。こっちに投影されてくると不安定になるのかな?」
「この状態でも使えますか?」
「たぶん無理。」
グランが持ち帰ってきた灰色になってしまった花を見たミーシャの返答はシンプルだった。
「対策法とか思い浮かびますか? ミーシャさん。」
「近付く前に何らかの方法で収穫しきってしまえば良いと思うんですが…」
やはり、人が触れる前に地面から引き離す事が出来れば良いらしい。
「私の魔法じゃ、殴ることしか出来ないからねえ…」
「…もう少し、狙撃の腕を磨くか。」
「ペリュトンが何とか出来ればいいんですけど。」
三者三様の意見を言うが、どちらにせよ、それを試すのはまたの機会になりそうだ。
「まあ、私がやらなきゃいけないことは他にもいろいろあるんで、ドンケルハイトはまた今度でもいいですよ。」
「さて、アトリエは今まさに建築中なので、完成したら遊びに来てくださいねー」
そう言って、ミーシャは復興本部を去っていく。
こうして、ヴィルマ牟田にまた1人住民が増えたのである。
Ending.7. 隣町
インディゴは、行きも通った橋を再び渡って、テイタニアの街へと帰ってきた。
「ただいま。」
「おかえりなさい、インディゴ。」
「ヴィルマ村はどうでした?」
出迎えた領主ユーフィーにインディゴは答える。
「ついこの前まで焼け野原だったとは思えないくらい、賑わってはいましたよ。」
「そうですね。テイタニアの冒険者の方々の間でも話題ですよ。」
「お互いを行き来してる人もいるようですよ。」
「カーレル川の北と南のどちらを探索するかで拠点を使い分けているとか。」
「なるほど、そういう使い分けができるなら住み分けもできるでしょうし。」
「これからも色々と協力していくことになりそうです。」
ユーフィーはインディゴの報告に満足そうにうなずく。
さて、あと気になるのは本来の目的である森林の投影体少女の話である。
「魔境の方はどうでした? 件の投影体は?」
「ま、ひとまずは解決、ということになるんでしょうね。詳しくは後で報告書を上げます。」
「あと、グランさんから手紙を預かっています。」
手紙を読んだユーフィーは言葉を続ける。
「そうですね、ヴィルマ村とはこれからも仲良くしていきたいものです。」
「ところで、魔境の中で他に不審なものはありませんでした?」
インディゴは、参考までにと持って帰って来ていた黄色い果物を見せる。
「一応こんなものがあったりとか、何か見覚えのあるものがあったりとか。」
ユーフィーも、その果物は知らないらしく首をひねるが、そこに領主補佐官のハーミアが入ってきた。
彼女は現代地球からの来訪者であれば、当然その果物には見覚えがある。
「あれ、ユーフィーさん。」
「その手に持ってるものは…バナナじゃないですか!」
「どこで手に入れたんですか? あ、たぶん、魔境ですよね。」
「ん、バナナ? どこかで聞いたような…」
「確か、護国卿の好きな食べ物が、そんな名前の果物を使っていたとか。」
護国卿が好物で個人的に取り寄せているスイーツに使われていた、気もする。
(最近はなぜか彼の懐事情が厳しいらしく、取り寄せスイーツを自重しているとも聞くが。)
他愛もない話と、発展目覚ましい隣村について語りつつ、テイタニアの今日も、また日常へと帰ってゆく。
Ending.8. 異界の神と普通の少女
ヴィルマ村の夜。
少女の姿をした神は、自分にあてがわれた部屋のベランダで、村の風景を眺めていた。
「結局こんな形に収まったか…」
1つ深く息をつき、額に手を当てて、自分の内にいる少女に語り掛ける。
「聞こえるかい、アイディ?」
「結局こうなった、キミの言う通りだったね。」
「**、*******。****************。」
「***********?」
「ああ、アレックスのことか。」
「彼は元気だよ、元気すぎるほどにね。」
「********。」
「というか、あんなのだったなら、キミも一言ぐらい言ってくれても良かったじゃないか…」
「**、***************?」
「え? 知らない?」
「はぁ…、年月とはかくも人を変えてしまうものか。」
「**************。」
「ま、どっちにせよ、キミのために貯めていたものは全部失ってしまった。」
「お待たせするが、まだ待っていて欲しい。」
「**、******。」
「*******、************。」
「じゃあね。また。」
額から手を放すと、もう少女の声は聞こえない。
異界の神は1人、部屋に戻り、新たな居場所で今宵の眠りについた…
◆村の施設
(ログハウス風の建物。領主館を兼ねる。)
(相変わらず、村の食糧事情の柱となっている)
(順調に収穫、水車もできて、小麦粉が作れそうだ)
(コリアンダー、唐辛子、ターメリックを栽培中)
(ニンジン、タマネギを栽培中)
(1シナリオに1回、国資源の"森林1"を"資金1"or"技術1"に変換できる)
(小麦を挽いて粉にするほか、香辛料をカレー粉にしたりも使えるだろう)
(鶏を飼育中。鶏肉や卵が入手可能)
(村を訪れる人のために。現在、シェリア、ノア、アルバートが滞在中。)
(レグザが店主になった。)
◆村周辺の調査
・村近辺に影響はないが、相変わらず森の奥には多くの投影体が住み着いているようだ。
・森の外縁部は、ティル・ナ・ノーグ界やエーテル界の投影体が多い。奥に進むとアビス界の悪魔などもいるようだ
・ゴリラが住み着いている。 ←New
・アイディの姿をした投影体(ロキ)は村に住むことになった。 ←New
・無数の人工的な洞窟があるようだ。以前は鉱石を採掘していたのだろうか?
・カレイドストーンの鉱床を見つけた。現在、ナゴン村と共同で開発中。
・カーレル川の橋は再建された。テイタニアとの行き来もしやすくなっただろう。
◆ロキ's Comment
ふむ、初めてまともに復興後のこの村を見たが…
なかなかに大したものだな。
何だかんだ、食料関連は整ってきているようでな。
え? 森で生きてた生活と比べるなって?
別に投影前の記憶だってあるんだがなあ…
次は首都に行って、例のカレーを作ってくるらしいな。
…アレックスには、気を付けろよ。
…あれは、人に出していい物じゃない…
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最終更新:2018年11月05日 13:14