第4話(BSanother06)「華の街、文化の祝祭」




Prologue.1. 蠢動

ザワリ…、ザワリ…

心の中がざわめく。またヤツが呼んでいる。ヤツは強い。今まで何度もヤツに負けて来た。

私は、負けるたびに、また立ち上がってきた。不撓不屈と言えば聞こえは良いが、何度も負け、何度も現れ、何度も負ける。
端から見れば、滑稽なモノかもしれぬ。

だが、だから何だ?
勝つまで続ける。それだけだ。勝つまで続ければ、絶対に勝てる。
負けるたびに考えろ。挑むたびに試せ。倒れるたびに覚えよ。
次の機会も近い…

Prologue.2. 首都

ヴァレフール首都、ドラグボロゥ。ブレトランド3国体制時代の盟主国であるヴァレフール伯爵領の首都であり、近年のブレトランド戦乱においても、国境から遠く離れていることもあり、平穏を保ち続けた。ブレトランド最大の都市であることに疑いは無いだろう。
この街は、今、一大イベントの準備に追われていた。
ヴァレフール万博。
ヴァレフール各都市、各村、それから友好各国からそれぞれ珍しい産品、特産物が出展され、文化交流と相互理解の機会とするという催しだ。
レア・インサルンド伯爵に代替わりしてから初めての大イベント、ということで、ドラグボロゥも、ヴァレフール各地も、このイベントに向けて気合が入っている。

  •  ・ ・ ・

ヴィルマ村からも、ヴァレフール万博への出展が予定されている。村で育てている香辛料を活かして、カレーを出品しようと計画しているのだ。ヴィルマ村で育てた産品で作られた料理で高評価を得る事が出来れば、復興の証としては申し分ないだろう。
その準備のため、領主のグラン、契約魔法師のアスリィをはじめ、サラ、アレックス、シェリア、ノア、ミーシャといった面々が首都ドラグボロゥに訪れていた。

Opening.1. 黒翼

アレックスは、ロキと一緒にドラグボロゥの通りを歩いていた。賑わう街を眺めて、ロキがしみじみと語る。

「ずっと森の中に住んでいたからな、こういうのを見るのも物珍しいものだな。」
「これでまだイベントの本番じゃないんだろ?」
「ここからさらに賑わうとなると想像つかないな。」

「そっか、ロキはそんなにたくさん人見たこと無いのかあ」

「そうだな、まあ、ロキって意味での故郷も田舎っちゃ田舎だからな。」
「アイディの記憶も多少見えるが、アイディだってヴィルマ村から出たこと無いだろ。」

「確かに、あの小さな村じゃそうなるか。」
「何か見たいものある?」

「そうだな。この世界には僕以外にもいろんなものが投影されてきてるんだろ。」
「同じ故郷から流れ着いてるものとかがあれば気になったりはするだろうけど…」

ロキの出身世界であるヴァルハラ界は異界の中でもまだアトラタンで名が知れている方で、敵対的な投影体にせよ、特徴的な装備品にせよ、そういったものが投影されている、という話はそれなりに聞く。だから、ドラグボロゥほどの都市であれば、どこかにはそういった装備品の類を扱っている商人だっているのかもしれない。とはいえ、ロキはもちろんアレックスもそこまでこの街に詳しいわけではないし、仮にそういう商人を見つけたところで、とんでもない値段が付けられている場合がほとんどだろう。
そんな他愛もない話をしながら歩いていると…

「さてはアレックスだな、オメー!」

一体どこで聞いてきたのか、最近キルヒスの一部で話題になっている劇中のセリフを使って、誰かが話しかけてきた突っかかってきた。
(特に本筋に関係ないけど参照:単発セッション「劇場王の後継者」)

「その声は…?」

アレックスが声の方を振り返ると、そこには旧知の人物が立っていた。彼女の名前はリリス。"黒翼"の二つ名を持つ、悪魔の模倣者の邪紋使いであり、フリーの傭兵だ。アレックスとは、かつて放浪時代に何度か顔を合わせたことがある。
ただ、何故かこの少女はアレックスをライバル視しているようで、会うたび会うたび、アレックスに勝負を挑んでくるのだ。今回もまたそうであった。

「その身にまとう炎の気配。忘れるはずもない!」
「我が理想の姿に至るため、私はキミを超えると決めたのだ!」

「リリちゃん…。なんか、いつにもまして、力強いね。」
「とりあえず、お祭りなんだから落ち着いて…」

「あの時、キミと会った時から、私だって強くなったのだもの! 力強いセリフの1つぐらい言ってみたくもなる!」
「さあ、アレックス! ここで会ったが数年目!」
「いざ、尋常に、私と勝負しろ!」

人の話を聞かないリリスは、アレックスに挑みかかってきた。

  •  ・ ・ ・

突然仕掛けられた戦いだったが、先手を取ったのはアレックスの方だった。模擬戦用に威力を抑えて、炎の元素を纏わせた攻撃を放つ。対するリリスは、《イルード》の魔法で、アレックスの攻撃を逸らす。悪魔の模倣者の邪紋使いの中には、限定的に魔法が使える者も存在するらしいが、どうやらリリスもその類だったようだ。
アレックスの攻撃を避け切ったところで、今度はリリスが攻撃に転じる。異名にもなっている黒い翼を広げて距離を取り、邪紋の力を凝縮した弾丸(一応、威力は控えめにして)を放つ。よほど気合が入っていたのだろう、弾丸は吸い込まれるようにアレックスに命中して決着を告げる。
とはいえ、彼女にも1つ誤算があった。この技は自身にもダメージが返ってくるリスキーな技なのだ。

「アレックス、今日のところは引き分けだな!」

…この技を使い続ける限り、勝てはしないということに、彼女はまだ気付いていない…

さて、騒ぎが大きくなり、野次馬も増えてきたあたりで、いい加減様子を見ていたグランが割って入った。

「あまり騒がないでもらいたのだが。」

「あ、あなたは!?」

リリスの質問に対して、名を名乗る。

「ヴィルマ村の領主をやっている、グランと言う。」

「契約魔法師のアスリィです!」

グランに続いて、後ろから「アレックスさん、どうしたんですか? 乱闘ですか!?」と楽しそうに聞きながら出てきたアスリィも名乗る。

「ヴィルマ村の領主さん? 契約魔法師さん?」
「アレックスとどういう関係だ?」

「そりゃ、アレックスはうちの村に住んでるからな。」

「あ、そうなのか…」
「アレックスがお世話になってます。」

一応、リリスが素直に頭を下げる。ところで、グランにしても目の前の少女のことなど全く知らないので、アレックスに聞く。

「どういう関係?」

「以前、仕事で一緒だったリリちゃん。」

とりあえず理解したところで、またグランはリリスの方に向き直る。

「だが、知っての通り、今は祭りの準備で忙しいんだ。」
「こんなところで暴れられると、準備の邪魔にしかならん。」

「そう、やるなら、外で。」
「なんならアスリィさんとやりますか?」

そう言って、アスリィが戦いの構えのジェスチャーをとるが、そこはグランがたしなめる。

「アスリィ、俺らもやることがあるだろう。時間は限られているんだ。」
「せめて終わってからにしてくれ。」

「…そ、それはご迷惑をおかけしましたー」

リリスはそう言って一応グランに謝る。先ほどの発言が気になっているのか、チラチラとアスリィの方を見ているあたり、本当に反省しているのかは怪しいが。

「それで、ちなみに、リリちゃん何でここにいるの?」

「それはもちろん傭兵としてのお仕事…ん?」

そこまで言ったところで、何かを思い出したような表情をして…

「…あ! そろそろ戻って来いって言われてたんだった!」

様子を見て、グランが呆れたように言う。

「仮にも傭兵だったらしっかり約束は守んなきゃダメだぞ…」
「少なくとも、雇用主との信頼関係は必要だ。」

グランとしては、元傭兵だけに、その辺の約束関係の重要さは重々分かっている。

「…そ、そうですね。」

「じゃ、早く行け。」

「では、私はこれで! では!」

去っていくリリスに、アレックスもどこか間延びした声で見送る。

「じゃーねー、リリちゃん。」

  •  ・ ・ ・

リリスが立ち去った後、グランはその場に残されたアレックスに聞いた。

「にしても、何でいきなりあんなところで戦い始めたんだ。」

「いや、何か因縁を付けられたみたいで…」

「ほら、目と目があったらバトルですよ。」

アスリィが言う。確かに、目線が合ったら使役するモンスターでバトルをするという慣習がある異界もあるらしいが、残念ながらここはアトラタンである。

「今回は周りに被害が無かったからいいが、せめて場所を移すなりしてくれ。」

グランがそういったところに、一連の流れを遠巻きに眺めていたロキも会話に割って入る。

「まったくだな。何だったんだ、アイツ。」

「っていうか、ロキも見てたんなら止めてくれても良かったのに。」

「えぇー、あの手合いは横から割り込むと余計に面倒くさい。」
「1対1にこだわる感じだろ、あれ。」

と、ロキは自身のリリスに対する見立てを語る。グランも概ねその意見には同意しているようで、

「まあ、そうだろうだな。ただ、傭兵としてはどうかと思うがね。」

「ま、それは、そいつら一人一人のスタイルだろ。」
「それが受け入れられるヤツと一緒に仕事をすりゃいいんだろ?」

そこで、ロキは少し首をかしげて、

「にしても、ヤツの技と言うかなんというか、何か見覚えある気がするんだよな。」
「模倣者の邪紋使いってのがいるってのは聞いているんだが、何を模倣してるんだ、アレ?」

最後の質問は、アレックスに向けられていた。しかし、アレックスもリリスに邪紋の模倣元が何かと聞いてみたことは無い。

「んー、聞いたこと無いなあ。」
「正確に言うなら、聞こうと思った事無いなあ。」

そのあたり、割と他人に関心がないアレックスらしいといえばらしい。

「まあいい、とりあえず作業に戻ろう。」

グランが声をかけ、4人はまたヴィルマ村のブースに戻っていった。

Opening.2. 後輩

一方その頃。

「どこ行っちゃったんだろう…?」

アスリィとグランがアレックスを探しに出て行ったヴィルマ村のブースには、サラとノアが残されている。もう1人、ヴィルマ村から来ているシェリアは先ほどから別行動をしている。
ともあれ、少しずつでも準備を進めようとしていたところで、懐かしい声が掛けられた。

「そこにいらっしゃるのは、サラさんではないですか。」

「ジョシュアくん?」

彼の名前はジョシュア・ロート。ロートの名前からも分かる通り、サラの魔法学院時代の同門の後輩である。年若いながら、時空魔法科を卒業し、現在は実姉であるグリース領ティスホーンの筆頭領主トーニャ・アーディングの契約魔法師を務めている。
ちなみに、ティスホーンは4人の領主(トーニャ・アーディング、マリン・ツイスト、ぺルセポネ・サーデス、ナンシー・ユリガン)による共同統治という、変わった政治体制をとっている。現在、マリン・ツイストはメガエラ男爵ティファニア・ルースの従属君主であり、他3人はグリース子爵ゲオルグ・ルードヴィッヒの従属君主である。
彼は、ちょうどヴィルマ村のブースの前を通りかかったようだ。

「お久しぶりです。」
「ああ、確か、サラさんはドラグボロゥの魔法師団の方に就職されたんでしたっけ?」

「ジョシュアくんは、どうしてここに?」

「もちろん、ヴァレフール万博のためです。」
「グリースはヴァレフールの友好国ですからね。グリースからも幾つかブースを出展しています。」
「その1つとして、我がティスホーン村からも。」

なるほど確かに、グリース子爵ゲオルグ・ルードヴィッヒはヴァレフールとの友好方針を掲げている。腹の底では何を考えているのか分かったものではない、という意見も多いが、ともあれ表向きには友好国なのには違いない。であれば、他国からの出展も歓迎しているこのイベントにゲオルグの従属君主の契約魔法師であるジョシュアがいるのは、不自然では無かろう。続けてジョシュアが語る。

「我々は、ティスホーン村の名産である馬が主な出展物なんですけど。」

「そっちの方は馬が有名なんですね。」

「ええ、ブレトランドにおける二大産地として有名ですよ。」

ちなみにもう1か所は旧トランガーヌ領で、現在アントリア領であるポーター村というところである。アントリア領であるポーター村は、当然この万博には出展していないので、馬を名産として出展しているのは今回はティスホーンぐらいだろう。

「サラさんに言っても仕方ないかもしれませんが、我々主催で馬術大会なども開催していますよ。」
「もし、お知り合いで興味のある方がいらっしゃれば、ぜひ。」

当然ながら、サラには馬術の心得などは無い。こういうイベント事が好きそうな人に心当たりは無くは無いが、馬術が出来るかは別問題である。

「馬に乗れる人に知り合いはいないんですけど、でも、そういう大会には興味を示しそうな人がいるので、紹介しておきますね。」

なお、その「興味を示しそうな人」は、サラの予想に反して、あんまり馬術には乗り気ではなかったのだが、その辺のやり取りは、彼女がブースに戻ってきてからの話である。
(元貴族令嬢であった以上ある程度の馬術は嗜みであるような気もするのだが。)

「うちも含めて、グリースからの出展にも、お時間がおありでしたら」、ぜひ見に来てください。」

「そうですね。お邪魔したいと思います。」

「ところで、こちらは何を出展なさるんですか?」

「私たちのヴィルマ村からは、カレーとナンを出展しようかと。」

前々から言っていたカレーに加えて、村で小麦を育てているのなら、カレーに合うナンも作れるだろうということで、ついでに作ることにしたらしい。ジョシュアは、それを聞いて、興味深そうに言う。

「へぇ、それは確かに、村の特産物らしいですね。」
「ブレトランドでも、村として、大々的に育てているという話は他に聞いたことがありません。」

そもそも、香辛料の類には、暖かい地域の方が育てやすいものが多い。そもそもアトラタン大陸から見たら北にあたるブレトランド小大陸では、南端付近にあたるヴィルマ村はともかく、他で育てるのは少々難しいだろう。

「まあ、開拓団の人の趣味なんですけどね…」

「趣味から始まる産業でも、それで価値を持つのなら、良いのですよ。」
「そちらも、成功することを祈っています。」

「ありがとうございます。」
「ぜひ、後で食べに来てください。」

「ええ、そうさせてもらいます。」
「それにしても、香辛料ですか。」
「かつて、召喚魔法師の方に聞いたことがあります。異界にも様々な香辛料の類があるようですね。」
「地球、と呼ばれるところには「インド」という国があって、そこにはそれはそれは多様な香辛料があるのだとか。」

「香辛料も、奥が深いんですねえ。」

その時、ドラグボロゥの表通りの方から、何かが爆発するような音がした。アレックスに腕試しを仕掛けたリリスの放った魔弾の炸裂音なのだが、こちらの2人はそのようなことになっていることなど知らない。

「おや? 何事でしょうか?」
「ちょっと気になりますね。様子を見てくることにしましょう。」

そう言って、ジョシュアはヴィルマ村のブースから去っていった。

  •  ・ ・ ・

ジョシュアが去った後、様子を見ていたノアが、サラに話しかける。

「あの方は、サラさんのお知り合いですか?」

「そうですね。私の後輩にあたりますね。」
「どうかしましたか?」

ノアは首をかしげながら、自身の感じたことを語る。

「いえ、何か、あの方から、微妙に獣の匂いがしたような気がしたのですが…」
「本当に僅かでしたし、僕の気のせいでしょうか?」

サラとしては、ジョシュアがそう言われる理由に心当たりはない。

  •  ・ ・ ・

結局ヴァレフ―ル万博が終わるまでこの話題に再び触れられることはなかったのだが、ジョシュアからわずかに獣の匂いがしたのは、旧トランガーヌの王子で今は獣の邪紋使いとなったジュリアンをお忍びで連れてきていたからである。もしかすると、万博中にジュリアン王子と遭遇するお話があったりしたのかもしれないが、全てはifの話である。

Opening.3. 異神

ヴィルマ村の面々が準備を進めたり、知り合いに絡まれたりしている頃…

1人の異界の神もまた、遠路はるばる大陸から、この地を訪れていた。彼女の名前は荒井咲希(あらい・さき)。元々は地球という世界に住む人間だったが、その世界の諸問題を「段ボール」と呼ばれる素材を使って解決した功績によって神格を得た、という少女である。アトラタンに投影されて以降、「段ボール」を広めるために、宗教団体「段ボール教団」を率いる教祖として活動している。それはそれとして、香辛料などを取り扱う商人でもあり、ヴァレフール万博は得難い商談の機会であった。
そんな彼女と、付き従う信徒たちは、万博会場の横に、「段ボール」で作られた小屋を建てていた。ヴァレフール万博の機会に、自慢の新素材「段ボール」を広めようと、(非公式に)出展の準備を進めていたのである。小屋を建てていると、聞き覚えのある声が掛けられた。

「あなた、そこで何をしているんですか…?」

声の主は聖印教会、月光修道会の司祭、シェリア・ルオーネである。シェリアも咲希も、かつて大陸のバルレア地域に滞在していたことがあり、その時に顔を合わせている。シェリアは友好的な投影体の有効活用を掲げる月光修道会の一員だったゆえに、即浄化されるなどという事態にはならなかったが、この「段ボール教団」なる宗教団体を率いる少女が果たして友好的な投影体なのか、という点については散々に疑念の目を向けられた。
ここで再会してもまた、シェリアの疑念の目は変わらない。

「その声は、シェリアさん。」

「あなた、確かバルレアにいましたよね?」

「ええ、私は商人ですから。このように色々な国を転々として、セールスチャンスをつかんでいるのですよ。」

なるほど、確かに咲希は以前会った時も商人と名乗っていた、気がする、ところで、次は咲希の背後にある謎の建物に疑念を向ける。

「その建物で?」

「立派な建物でしょう!」

咲季が使っている「段ボール」と言われる素材はアトラタンでは馴染みのある素材ではないが、少なくとも立派には見えない。

「えっと…、スラム街のバラック小屋のように見えるのですが…」

「いやいや、あんな小屋より20倍くらい丈夫ですよ!」

本当だろうか…?
それ以前の問題として、こんなところに小屋を建てていいのかという疑問もあったが、そこを突くと面倒なことになりそうなので、万博の運営側でもないシェリアはあえてスルーした。
シェリアの目に宿る疑念がより濃くなっていることに気付いているのかいないのか、咲季は質問を返す。

「シェリアさんも万博を見に来たんですか?」
「それとも、出展しに来たんですか?」

「私が主体となっている訳ではないですが、一応、出展側でしょうか。」

「ほう、それは?」

「今は、ヴィルマ村という村に御厄介になっていて。そのお手伝いを。」

「どんな出展をされているんですか?」
「ぜひ、聞かせてほしいですね。」

「確か、カレーとか言う料理だったかと。」
「たくさんの香辛料を使って…、…ん?」

そのあたりで、シェリアは、そういえば目の前にいる少女は香辛料商人だった、と気付いた。咲季も、ここで唐突に懐かしい料理の名前が出てきたことに驚く。咲季は神格としての力を持ってはいるが、元をたどれば地球の少女だ。地球で暮らしていたころにカレーならば見たことがある。

「カレー?」
「それは、私の知っているカレー、ですか?」

「あなたが知っているカレー、と言っても、私はそもそもカレーというものを詳しく存じ上げないのですが…」

「では、後ほど伺わせていただきますね。」

確かに、直接見た方が早そうだ。咲季としても、久々に見る故郷の味には興味を引かれる。

「まあ、確かに香辛料に詳しいあなたからアドバイスを頂けることはプラスになると思いますが…」
「…ですが、あなた、何か企んでいる、ということはないでしょうね?」

「何ですか。」
「そりゃ商人ですから、腹積もりの1つや2つ抱えてはいますけど。」

「あ、いや、そういう商売とかならいいんですけど…」

シェリアの疑念を、咲季は少しずれた方向に解釈した。

「え? この周辺ってそんなに物騒なもんなのですか?」

そのような訳ではない。むしろ、ブレトランドの中でも指折りの平和な街だ。

「いえ、ドラグボロゥの周囲は平和な方だと思いますよ。」

そう答えると、シェリアは「そろそろ戻りませんと。」と言って、最後に咲季にヴィルマ村ブースの場所を教えておく。

「ヴィルマ村のブースは向こうの方に出しています。」

「ここの準備がひと段落し次第、ぜひ行かせていただきますよ。」

  •  ・ ・ ・

シェリアが立ち去っていくと、咲希は段ボール小屋の準備を再開しようとする。そうしたところで、シェリアが去り際に呟いたことが聞こえる。

「んー、あの段ボールの神とやらの事なのかな…?」
「多分違うと思うんだけど…」

どうやら、シェリアもシェリアで、このドラグボロゥ近辺で何か気になることがあるらしい。そう思うと、少し気になってくる。

「この辺りに、何か変な噂とか立っているのかな?」

そう言って、段ボール小屋の建築を手伝っていた信者に、調べ事を頼む。

「はい!分かりました、荒井さん!」

返事をして街の方へ向かっていく信者の背中を見送りながら、咲季は段ボールの神に祈りを捧げる。

「段ボールの加護の有らんことを…」

Opening.4. 回想

話はさかのぼって数年前。場所は移って大陸のハルーシア、アスリィの実家である、エテーネ男爵領だ。
この地を治める領主エミリオ・エテーネには2人の子供がいた。1人は長男アテリオ・エテーネ。魔法の才能を現し、現在はエーラムのロート家に入門し、アテリオ・ロートと名乗っている。よって、現時点でエミリオの後継者と目されているのは、エミリオの長女であるアスリィ・エテーネなのだが…

  •  ・ ・ ・

「アスリィ。確か今日は馬術の稽古の予定が入っていたはずではないか?」

「さぁ、知りませんね。あなたが勝手にとりつけた習い事とか。」

後継者候補のアスリィは、領主としての勉強を放り出すのがいつものことだった。今日も、馬術の稽古をサボった挙句、父親であるエミリオの執務室に呼び出されたのだが…

「はぁ…、ティニオが中庭で待ちぼうけていたぞ。」

エミリオはため息をついて言った。ちなみに、ティニオとは、エミリオの従属騎士であるティニオ・ウィルドールのことである。実直で騎士らしい騎士であり、アスリィに馬術や軍略も教えている。
(よく軍略の講義や馬術の稽古をアスリィにすっぽかされるのだが…)

「あっそうですか。」

「私がお前を後継者にしたい、と思っているのは分かっているよな?」

「あぁ…、そんなにエテーネの血筋が大事ですかねぇ。」
「聖印なんて誰にでもあげられるんだから、別に私じゃなくてもいいじゃないですか。」

「そういう訳にはいかん。」
「この立場と聖印は、エテーネとして、私が築き上げたものだ。」
「そして、聖印を持ち、混沌を祓う者には、その力を信頼できる次の世代に託す義務がある。」

既に幾度となく聞いた父の説教を、アスリィは髪を弄りながら興味無さげに聞いていた。

「アスリィ! 真面目に聞いているのか!」

エミリオがアスリィの態度を叱る。エテーネ男爵の領主館では、いつもの光景である。そこに、1人の青年騎士が入ってきた。先ほどまで中庭で待ちぼうけを食らっていたという、ティニオ・ウィルドールだ。

「旦那さま、お嬢様はまだいらっしゃらないのでしょうか…」
「…お嬢様、ここにいらっしゃいましたか。」

どうやら、いよいよアスリィを馬術の稽古に連れ戻しに来たらしい。彼が現れたのを見たアスリィの動きは素早かった。エミリオの机の横をすり抜けて、彼の背後にあった窓の枠を掴むと、そのままジャンプ。体を窓に滑り込ませ、シュタッと軽い音を立てて庭に着地する。前線で戦う君主なら、その才能の片鱗が感じられる、見事な身体能力であったが、今、求められているのはそうじゃない。

「こら、アスリィ!」

父親が止めるのに構わず、アスリィは走っていく。

  •  ・ ・ ・

執務室には、エミリオとティニオが残された。

「アスリィにも、困ったものだな。」

「一応、私、追いかけてきますね。」

そう言って、ティニオは逃げたアスリィを追って、部屋を(扉から)出ていく。こうして、エミリオだけが残された。

「こんなつもりでも無かったんだけどな…。」
「はぁ…、どうして、こうなってしまったのだろう。」

エミリオとしては、本心としては、アスリィの自由に生きさせてやりたいとも思う。それは、単に娘を愛しているから、という理由でもあるし、兄のアテリオが魔法師として生きていくことになったのに、アスリィだけを君主としての生き方に縛り付けてもいいのか、という想いもある。
だが、どちらにせよ、君主として生きる道を放棄することで、娘の人生が不幸せなモノになって欲しくもない。少なくとも、自分の育て上げた聖印があれば、この世界の一君主としてまっとうに生きていくことはできるのだし、この地なら戦乱からも比較的遠い。単に娘の無事を願う親心が、アスリィを立派な君主にしたい、という想いにつながっているのだが、それは残念ながら、当の娘には伝わっていないのだ。
執務室には、いつしか西日が差していた…

  •  ・ ・ ・

一方、城下町の方に逃げていったアスリィだが、しばらくして、探しに来たティニオが追いついて声をかける。

「お嬢様、少しは旦那様のお気持ちも考えていただけませんか?」

「私の気持ちも考えて貰いたいものです。」
「兄さんがいなくなったからって、勝手に後継者候補ですか?」

やはり、エーラムに行って、君主ではない道を歩み始めた兄の影響も多少はあるらしい。

「いいじゃないですか、ティニオさんが従騎士なんですから。」
「養子にでもなればいいじゃないですか。」

ティニオとしては、エミリオの本心に薄々感づいてもいるので、そういう未来もあるのかもしれない、とは漠然と思っていた。とはいえ、彼は自身の立身出世などよりは主君への忠誠を重んじる人物である。エミリオがアスリィを後継者にするべきと言うならば、自分はエミリオと、それから後継者であるアスリィを支え続けるべきであろう。
そう思って、ティニオはまた、いつもの説教をアスリィに懇々と語り始めるのだった…

  •  ・ ・ ・

場面は戻って、ヴァレフール万博の準備に追われるドラグボロゥの街。
時が流れ、結局実家を飛び出した末に、ヴィルマ村の契約魔法師となったアスリィが他のブースの準備の様子を見ていると、見覚えのある人物を見つけた。父エミリオの従騎士であるティニオだ。どうやら、今回の万博には幻想詩連合の友好国であるハルーシアからも出展しているようで、ティニオはその手伝いをしているらしい。
「何でティニオがいるんだ…?」と思いながら、アスリィはそそくさと物陰に隠れる。どうやら、ティニオの方はアスリィに気付いていないようだ。ハルーシアの方のブースの準備を着々と進めている。

「や、でも、別にアスリィさんは父から隠れている訳でもないですね。」
「普通にしましょう、普通に。」

そう言って、アスリィは隠れるのをやめて、素知らぬ風で準備に戻る。少し挙動が不審なのを察したか、グランが声をかけてくるが…

「アスリィ、どうしたんだ?」

「いや、何でもないです。」

「じゃあ、その香辛料はそこに運んどいてくれ。」

そのまま、何事もなく準備は進み、ティニオの方はついにアスリィに気付いた素振りは無かった。

Opening.5. 異変

準備を続けるヴィルマ村のブースに、次の訪問者が訪れた。ヴァレフール伯爵レア・インサルンド(下図)その人だ。主君にあたる人物の登場に、グランが対応する。


「あれ? レア様、今日はどうされましたか?」

「一応、この万博の主催者だからな。」
「準備を進めている各ブースを見回っているところだ。」

「おお、自らなさっているとは。お疲れ様です。」

「どうだ、準備は順調か?」

ヴィルマ村の方の準備はおおむね順調だ。本格的なカレーの調理は本番直前になるだろうから、今は物資の運び込みや試作に勤しんでいる。

「ご覧の通りですね。」
「まあ、ドラグボロゥとかの方からも色々な支援を頂いたおかげで、今ではこういったところに出展できるまでに復興しました。」

「この香辛料は、ヴィルマ村で育てたものなのか?」

レア伯爵が、ブースの隅に用意されている香辛料の箱を見ながら、興味深そうに聞いた。

「ええ、そうです。」
「調べてみた結果、あそこの村でも育てられると分かったものについては、育てています。」
「他のところではあまり作られていないようなので、それを名産品にしようかと。」

「なるほど、いい考えだ。」

そこまで話したところで、グランは、レア伯爵がいつもの公務口調でしゃべりながらも、どこか浮かない顔をしていることに目敏く気が付いた。

「少々浮かない様子ですが、何かありましたか?」

「まあ、ちょっとしたトラブルというか、何と言うか…」
「つかぬことを聞くが、こちらにヴェルナは来ていないよな?」

「いや、ヴェルナさんはこちらには来ていないはずです。」

一応、ちらりとブースの準備風景の方を振り返るが、

「ずっと鍋を混ぜていたから…」

と、アレックスが答えただけだった。(なお、アレックスは、香辛料を入れる前の工程だけを担当させられ、香辛料に触ることを固く禁じられている。)とはいえ、筆頭魔法師がいなくなった、というなら、容易ならざる事態である。グランは、サラを呼んで聞く。

「サラ、ヴェルナ来ているか?」

「いや、私も見ていません。」

返答を聞いて、レア伯爵の顔が更に曇る。

「こちらも、本部の準備をしていたんだが、途中で姿が見えなくなってしまってな。」

「…それは、まずいですね。」

「タクト通信でお呼びしましょうか?」

と言って、サラがタクト通信で呼びかけるが、ヴェルナからの応答はない。

「いつもなら、すぐに出てくれるんですけど。」

グランは、ヴェルナの行き先として、思い当たるところを考えて言う。

「城のキッチンとかの方は、見に行かれたんですか?」

「真っ先に見に行ったとも。」

「ですよね。」

そのぐらい、契約相手であるレア姫ともなると十分に分かっているらしい。この場の中で、ヴェルナの料理癖のことを知らないアスリィは、「何か、ヴェルナさんがキッチンに入ると問題が起こるんですか?」と横から顔を出して聞いていたが、まあ、今はそんなに重要ではない。

「まあ、それは追々話そう。」

「こちらでも探しておくが、もしヴェルナを見かけたら、戻ってくるように伝えてくれ。」

「はい、分かりました。」

「それでは、失礼するよ。」

そう言って、レア伯爵は万博本部の方へ戻っていく。万博にじわりと暗雲が立ち込め始めた…気がした。

Opening.6. 幕間:幻影

ドラグボロゥ城近くに設営されたヴァレフール万博本部。その一室で、若き伯爵は思案を巡らせていた。部屋にもう一人の人物が入ってくる。先ほどから部屋にいる人物と同じ姿かたちだ。

「ただいま、レア様。今戻ったよ。」

鏡合わせのような状態のまま、伯爵は質問で返す。

「ヴィルマ村の方はどうでしたか?」

「とりあえず、ヴェルナ嬢の行き先に手掛かりは無し。」
「例の件も、特にめぼしい所は無いかな。」

「ヴェルナの予言、気になりますね。」

「『邪竜』、『神格』、『再戦』、だっけ?」

そう、このヴァレフール万博が始まるにあたって、ヴァレフール魔法師団の筆頭魔法師ヴェルナは《プレコグニション》の魔法で、未来を示すキーワードを導き出していた。

「ええ、あまり万博にふさわしいと思える言葉ではないので、何かが起こるかもしれない。とは思っていましたが。」
「まさか、真っ先にその予言をした本人の姿が消えるとは…」

「引き続き、ヴェルナ嬢の捜索をしながら、会場の方を警戒しているよ。」
「ヴィルマ村には例の神格とやらがいるんだろう。」
「サラさんからの投影体認定が出ているとはいえ、何か関わっている可能性は否定できない。」

そう言って、2人目のレア伯爵は退室する。彼女の名はドルチェ・レクナ。ヴァレフール護国卿の妻である幻影の邪紋使いにして、レア伯爵の影武者である。

Opening.7. 邂逅

ヴィルマ村のブースから「レア伯爵」が去った後。次の訪問者が、ブースを訪れていた。
自身のブース(無断設置の段ボール小屋)の準備がひと段落した咲希は、シェリアに教えてもらったヴィルマ村ブースに足を運んでいた。ブースではカレーの試作をしているようで、食欲をそそるカレーの匂いがする。

「これは、良い香辛料の匂いがしますね。」

そう言って、ブースの中をのぞき込んが咲季にグランとアスリィが対応する。

「あれ、お客さんですか?」
「まだ、開催する時間になっていないので…」

「準備中ですよ?」

「いやぁ、ちょっと待ちきれなくなっちゃって。」

「まあ、ルールはルールなのでもうしばらくお待ちください。」

「ついつい良い匂いがしたもので。そこをどうにか。」

…これでは、ただの迷惑な客である。

「あれ、お客さん?」
「まだ、時間じゃないですよね?」

アレックスも準備の手を止めてこちらの会話に入ってきた。

「もちろんそうだ。」
「そりゃ、まだ準備終わってないのに開催時間になられても問題だろ。」

グランが答えるのを横に、咲季は新たに入ってきたアレックスに聞く。

「あなたも、このブースの出展者の1人ですか?」

「まあ、出展者と言うか、これを出展する原因になったと言いますか…」

「あなたにもお願いしますよー。」
「わたし、昨日からロクなもの食べてなくてー。」

…これでは、ただの乞食である。
…そして、彼女の装備は異界の素材「段ボール」である。

グランは露骨に警戒した目を向ける。
一方、アスリィは、グランほどはこの人物に警戒していないようで、彼女の装備である「段ボール」を眺め、少しつついて、聞く。

「これ、何ですかー?」

「これですか? これは「段ボール」と言って、あなた方から見たら新素材、のようなものですよ。」
「あなたには、ひとつどうぞ。」

そう言うと、自分の装備の端っこを掴んで、小片を破り取ると、お近づきの印として、アスリィに渡す。

「どうでしょう、軽いうえに耐久力にも優れているんですよ。」

と、説明する咲季に、アスリィはしげしげと渡された小片を眺める。
それで、率直に思うことがあった。

「着るモノなんですか? これ。」

そう、「段ボール」は確かに軽くてそれなりに丈夫だ。使い道が無くも無いだろう。だが、衣服や防具として用いるものには到底見えなかった…

「どっちかと言うと、箱とか何かにして物を持ち運んだりした方がいいのでは?」

「普段はそうしているんですが。」
「私はなにぶん商人ですから、いつ蛮族に襲われるかもしれなくて、こうして身を守っているのですよ。」

「普通に鎧とか着た方がいいと思いますよっ!」

アスリィのツッコミが冴える。
(実のところ、咲季が纏っている「段ボール」に関して言うなら、彼女の神力によって並みの鎧よりよほど頑丈になっているのだが、そんなことは知る由もない。あと、見た目の問題は別だ。)

「鎧を着たら、重くて動けなるじゃないですか!」

まあ、この点に関してはもう言うまい。それはそれとして、他にもその装備には問題があるだろう、とグランは思った。

「だからって、君、商人としてはかなり第一印象がマイナスなんだが、それは良いのか?」

「ほら、今のように、「段ボール」に興味を持っていただいた商人さんもいらっしゃいますし…」
「決して悪い事だけじゃないのですよ。」

「…そうか。」

そろそろ、グランもドン引きである。一方、アレックスは、そんな会話をするグランの後ろで、先ほどアスリィが貰った段ボールの小片に興味を示す。

「燃やせるかな?」

「ブースの中でやるな!」

グランのツッコミが今度はアレックスに飛び始めた。そうして騒いでいると、ブースの奥で1人準備にいそしんでいたサラが出てくる。

「皆さん、そちらの準備はどうですかー?」

…残念ながら、状況は混迷としていた。

  •  ・ ・ ・

そこで、先ほど咲季の指示を受けて情報収集に出ていた(段ボール装備の)段ボール教団の信者が現れる。グランたちは「また変なのが増えた…」と怪訝な目で見る。

「お待たせしました。荒井さん、ここにいらっしゃったのですね。」

「ああ、あなたでしたか。」
「どうでしたか?」

「そうですね、変わったことと言うと、最近この街の近辺で投影体が現れることは増えているようです。」
「あとは、もちろん、イベント事があるので、街に人は増えていますが。」

「人が増えていることは大変良いことですが、それにしても、投影体ですか…」
「それは少し、気になりますね。」

「まあ、大きな街なので、街の衛兵が対処しているようですが。」

「ありがとうございました。」
「では、あなたは引き続き、段ボール小屋に戻って作業を続けてください。」

「荒井さん、分かりました!」
「はい、段ボール神の導きが有らんことを…」

祈りの言葉を残して、信者はこの場を去っていく。このやり取りを見ていたグランの目がさらに曇る。どうやら、信者の最後のセリフで、「こいつらは変な宗教の団体らしい…」と察して、さらに信用度が落ちたようだ。結果、いっそ信用度が振り切った結果、可哀想な物を見る目になって、妥協案として取引をもちかけることにした。

「まあ、いい。」
「仮にも商人なんだろ。ちょっとした取引と行こうか。」
「あんたには、うちのブースに出すヤツを試食してもらう。」
「その代わり、この味を街の中で宣伝してもらう。どうだ?」

「まあ、このお腹の虫には勝てません。」

なんとか妥協に妥協を重ねた結果、咲季には試作用に作っていたカレーが1皿出される。

「おお、これはまさに私の知っているカレーです!」
「私の国では、このナンの代わりにご飯と合わせて、カレーライスとして、よく食べられていました。」
「それが、おふくろの味とも言われていました。」

「じゃあ、あんたは投影体なのか? 地球から来た。」

「   、ええ、そうですよ。」

不自然な間をおいて咲季が答えた。流石にここで「神です」と答えるのを自重したあたり、ギリギリ空気が読めたところなのだろう。

「で、段ボール神や何やら聞こえたが?」

「ええ、先ほどのあの子たちと私の段ボールは地球製のものです。」
「地球ではこの世界よりも技術が発達していまして、そのような便利な新素材もたくさんあるんですよ。そのうちの1つです。」
「とても素晴らしいと思いませんか?」

あくまで、宗教のことは誤魔化すつもりらしく、それには触れずに答えた。

「いや、素材としてはとても素晴らしいものだと思いますけど…」

「だが、向き不向きはあると思うぞ。」

アスリィとグランの率直な意見にも、咲季はめげない。

「それはどんな素材にも言える事です。」

「ああ、だから、その素材は、少なくとも着るものではない。」

「でも着心地は良いですよ。軽いですし。」

段ボールの議論は平行線だし、このままではどんどん話がずれていきそうだ。現にアレックスが「見た目がダメなら赤く塗ればいいんじゃないかなぁ。」と微妙にズレたアドバイスを返している。

  •  ・ ・ ・

そうこうしている間に、咲季はカレーを食べ終わったようだ。

「では、そろそろ、約束通り宣伝に行ってきます。」

去り際に、思い出したように語る。

「あと、私、会場の横でこのようなことをやっています。」

そう言って、懐から段ボールの紙片を取り出す。そこには、咲季が段ボール小屋を建てていた場所が記してあったのだが…
どう見てもそこは会場外だ。

「あんた、参加申請はしたのか?」

「ですので、会場の横に設置しています。」

「それ、大丈夫なのか?」

「まあ、ダメでしたら係員さんが何か言ってくれると思うので。」

そう言って、咲季は街中に出ていった。

…どう見てもダメだろう、これ。渡された紙片を見て、そう思った皆によって、サラを通じて、無許可出展者の件は本部のディレンド魔法師に伝えられる。こうして、撤去のためにスタッフが咲季の段ボール小屋に派遣されることになるのだが、それはもうちょっと先の話である。

Middle 1.1. 宣伝

宣伝に出た咲希は、ついでにヴァレフール万博について聞いて回っていた。

ヴァレフール万博。ヴァレフール各村はもちろん、友好各国からも多数の出展を招いた一大イベントである。
ここで、出展されているブースを順に見ていくとしよう。

まず、ドラグボロゥ城近くに設けられた運営本部。
ここでイベント全体を統括しているのは、ヴァレフール伯爵、レア・インサルンド。

それから、ヴァレフール南西部の開拓村、ヴィルマ村のブース。
もちろん咲希も知ってのとおり、村で育てている香辛料を活かしたカレーを出展している。

その隣の村、ナゴン村も参加している。
責任者は領主であるリヒター・レイゼルト。
主な出展物は同地で飼育が盛んな羊関連のものらしい。

他には、ヴァレフール東岸の漁村、タイフォン村。
護国卿トオヤ・E・レクナ(下図)の直轄領地として知られている地である。


トオヤ自身、最近はドラグボロゥに駐在していることが多く、領地経営はクリフトという代理領主に任せているとのことだが、今回の万博にあたってはタイフォン村ブースの責任者として直接参加しているようだ。

他にも、ヴァレフール国内だと、少なくとも主な都市(七男爵が治めている街クラス)はおおむね出展しているようだ。
領主が責任者を務めているか、魔法師が代理としてドラグボロゥに来ている。

国外だと、グリース子爵領からは、一応の首都であるラキシス村のブース。
責任者は領主ゲオルグの妹のルルシェ・ルードヴィッヒ(下図)と公式の告知には書かれている。


先ほど訪ねてきたジョシュアのいるティスホーン村。
彼が中心となって、名産である馬関連で出展しているようだ。

さらに、ブレトランド外だと、幻想詩連合であるアロンヌやハルーシアからいくつか出展されているようだ。

  •  ・ ・ ・

さて、一方、咲希に課せられたミッションであるヴィルマ村ブースの宣伝だが…

「なんか向こうで面白そうなもの出展するらしいぜ。」

「カレーっていう、珍しい料理なんだとよ。」

「始まったら行ってみようぜ。」

わりと順調なようであった。

さすがに商人なだけあって話術宣伝はお手の物のようだ。
(異界の段ボール装備は異様ではあったが、まあ、その辺は割と「何かのイベントだろ?」ぐらいのお祭り空気で流されていた。)
この1手は、後々の開場後に結構無視できない効果を現してくるのだが、それはもうちょっと先の話である。

Middle 1.2. 研鑽

その頃、ヴィルマ村ブースの方である。

咲希に振る舞った分も含めて、試作カレーは無事完成していた。
基本的なカレーのレシピに忠実に作った、普通のチキンカレー、である。

だが、もちろん本番までにクオリティは上げられるだけ上げておきたい。
であれば、何かカレーに使えそうな素材、材料はないかと探してみるのもいいだろう。
幸いにも、ここはブレトランド最大の都市、ドラグボロゥだ。
ヴィルマ村では手に入らないものも、ここでなら入手できるかもしれない。

アレックスが、自身の記憶とここにきて聞いた話をもとに、提案をまとめていく。

1つは、地球という異界で作られているカレーの話。
先ほどブースを訪れた咲希の話にもあったが、どうやら、地球世界では、カレーはかなりポピュラーな料理のようだ。
その異界について調べていくと、どうにも、その世界には「インド」という国があって、そこがカレーの本場とされているようだ。
そして、「インド」にはカレーの風味をさらにアップさせるミックススパイス「ガラムマサラ」なるものがあるという。

とはいえ、何せ異界の産物だ。いくら大都市だからと言って、そのあたりで売っている代物ではない。
その土地出身の投影体なら知っていることもあるだろうが、今のところ、そんなピンポイントな異界の地域の投影体に心当たりは無かった。

2つ目に思いついたのは、フルーツなどを加えてみる、という隠し味である。
スパイスばかりがカレーでもない。カレーにはリンゴなどのフルーツを入れることもあるようだ。
これなら、異界の調味料よりは入手がしやすそうだ。試してみる価値はあるかもしれない。

他には、はちみつを入れてみる、という話も聞いた。なるほど、カレーにいれうる隠し味といっても、色々とあるらしい。

情報が集まったところで、万博の開場までにはまだ時間がある。余裕があれば、これらを探してみるのもいいだろう。

Middle 1.3. 幕間:撤去

咲希は、自身のブース(不法設置の段ボール小屋)に戻っていた。

そこにヴァレフール万博のスタッフが訪ねてくる。どうやら、不法出展の通報を受けて、撤去にやってきたようだ。

「何かお探しでしょうか?」

「ここで許可を得ずに出展しているヤツがいると聞いたんだが…」

「参加申請はちゃんと出したんですか?」

「えっ! 参加申請って必要なんですか?」
「こういうものは飛び入り参加が大丈夫なものだと思って、てっきり今回もそういうものかと。」

「一応ちゃんとした国ぐるみのイベントなのでそのあたりはしっかりと…」

「分かりました。では、その許可証を頂ければ、正式に出展できるんですか?」

「確かにそうだが、だが、今から申請が通るかと言われると…」

「分かりました。では、上の人に直接許可をもらって来ればいいんですね。」

そう言って、咲希は何とか交渉を続けるものの…

「はい、とりあえずここは片付ける。その小屋らしき物も!」

…現実は厳しかった。
こうして、勝手に設置された段ボール小屋は撤去されたのであった。

Middle 1.4. 捜索

その頃、グランは行方不明のヴェルナの捜索に向かっていた。
ドラグボロゥの街を周って、ヴェルナの目撃情報を聞きこんでいく。情報収集はあまり得意でないグランだが、足で稼ぐ地道な聞き込み調査なら何とか出来ないことも無いだろう…
…と思っていたのだが。

聞きこむ場所が悪いのか、それとも単に運が悪いのか。聞けども聞けども、ヴェルナを見かけたという話はない。

「ん? 魔法師さま? 見てねぇぞ。」

「特に変わったことは無かったですねぇ。」

「変わったこと? 向こうで勝手に小屋作ってる嬢ちゃんが運営と揉めてたぞ。」

最後の話の当事者には心当たりが無くも無い、まあ、撤去されて良かっただろう。そんな気がしたが、少なくともヴェルナには関係ないだろう。

一体どこに行ってしまったのやら?

Middle 1.5. 調査

アスリィは、せっかくドラグボロゥに来たのだから、と別のことを調べていた。

ヴィルマ村近くの坑道で見つかった異界の鉱石、カレイドスト―ンのことである。
かつてのヴィルマ村でも気にかけられていた形跡こそあれど、一度焼き討ちで更地になってしまった村では、ろくな資料は残ってない。
村の復興の一助になるかもしれないと、期待をかける物品であるだけに、こういう機会にせっかく首都まで来たのなら、ついでに調べておきたいというのは道理であった。

街の図書館で資料を当たっていると、1つ、カレイドストーンの利用法につながりそうな情報を見つける。
かつて、ヴィルマ村初代領主、アーシェル・アールオンはカレイドストーンについてまとめた資料をインサルンド家に献上したというのだ。

なるほど、それが確かなら、インサルンド伯爵家にはその資料が未だに残っているのかもしれない。
とはいえ、おそらくインサルンド家の蔵書の方であろうから、図書館で調べてもこれ以上のことは見つからないだろう。
首都にいるうちに伯爵にお会いしてこの資料について聞きたい、と考えながら、今は図書館を後にした。

Middle 1.6. 捜索Ⅱ

ヴェルナの捜索に出たグランが特に有用な情報を見つけられずに帰ってきたことを受けて、サラもヴェルナの捜索を手伝い始めた。
今度は何とか、いくつかの目撃情報を見つける。上手くその情報をたどっていくと…

どうやら、ヴェルナが最後に目撃されたのは、ドラグボロゥの街の外周部であるようだ。
一大イベントの準備中である以上、普段以上に街の入り口の警備を行っているのだが、その警備状況の確認に出向いたらしい。
それ自体は、この街の契約魔法師の仕事として、不自然ない行動だ。

更に、細かく目撃情報をたどっていくと、街の門を出たのは目撃されているが、それ以降街の中で目撃されたという話はない。

(…ということは、街の外で消息を絶った、のかな?)

  •  ・ ・ ・

ところで。
調査を進める中で、ヴェルナの個人的プロフィールの話もちらほらと聞こえてきた。

曰く、現ヴァレフール筆頭魔法師にして、エーラムで時空魔法を学んだ魔法師。
(本人は気付いていないが)その味覚に多大な問題があるものの、魔法師としては概ね優秀な部類。
まあ、そのくらいなら既に知っている。
しかし、他にちらりと聞こえた噂は、

曰く、5歳でエーラムに入学しているのだが、それ以前の記憶一切を抹消されているらしい。
であるので、エーラムの中でも「何らかの凶状持ち」「実は高貴な身分の者の子」など根拠のない憶測が流れているらしい。
(この辺りの詳細はブレトランドの英霊 第4話「帰らざる翼」を参照)

まあ、今回は関係ない…のだろうか?

Middle 1.7. 交渉

ヴァレフール万博運営の手によって、咲希の設置した段ボール小屋は撤去された。
これにより、無事に不法参加者もいなくなり、万博が滞りなく開催されるかと思われた。
だが、咲希はまだ諦めてはいなかった。撤去に来た下っ端の役人に言ってもどうしようもないと思った彼女は、運営本部に直談判に来たのである(すごく迷惑)。

運営本部のトップはもちろん、レア・インサルンド伯爵。とはいえ、彼女は今、非常に多忙だ。
よく分からない投影体の相手をしている暇などない。

そこで、

「仕方ないな。俺が話を聞いてくるよ。」

そう言って、レア姫の側近の1人が立ち上がった。彼の名はトオヤ・E・レクナ。
ヴァレフール伯爵を補佐するという名目の元、新設された新役職、護国卿を務める君主であり、実質的なこの国の君主としてはナンバー2に当たる。

  •  ・ ・ ・

「トオヤさん、貴重なお時間を頂きありがとうございます。」

わざわざ対応に出てくれた大物に、咲希も一応丁寧に挨拶をする。
周囲の役人たちからは「貴重な時間って分かってるんなら来るなよ…」みたいなオーラが出されていたが、その辺はスルーする。

「で、用件は? ああ、一応ざっくりとは聞いているんだが。」

「では、単刀直入に言わせてもらいましょう。」
「私にここで商売をする許可をください。」

「この万博が盛り上がるのは良いことなんだが…」

「何か、懸念する点が?」

「キミが出そうとしているブースは本当にこの地の役に立つのか?」

「もちろんですとも。」
「私が主に取り扱っているのは香辛料ですが、それ以外にも目を見張るものがあります。」

「ほう、それは?」

「ええ、今、貴方が目の前で不審がっているものですよ。」

目の前にあるもので一番不審なのはどう見ても咲希のまとっている段ボール装備だ。
周囲の役人たちからは「不審だって分かってるんなら着るなよ…」みたいなオーラが出されていたが、その辺はスルーする。

「段ボールというものをあなたはご存知でしょうか?」

そう言って、取り出した段ボールを組み立てて見せる。

「どうでしょう。これが段ボールというものです。」

「いや、分からない。」

まあ、当然の反応であった。それでも、咲季はめげずに段ボールのプレゼンを続ける。

「そうでしょうね。」
「なにせ段ボールはこの国では、いや、この世界では珍しいものですから。」

「それは異界からの産物と言うやつなのか?」

「そうです。」
「この段ボール、有用性を語るならきりがないのですが、多くは2つ語りましょう。まずは第一に多機能性です。」
「段ボールはよく箱として用いられているのですが、このように椅子としても使えますし。」

そう言って、咲季は床に置いた段ボールに腰掛ける。

「椅子じゃダメなのか?」

「いえ、椅子とは違って持ち運びに便利です。」
「そして、今私が座っても大丈夫なように、かなりの耐久度を誇ります。」
「どうでしょう、なかなか見ない素材でしょう!」

確かに、咲季はそれほど大柄ではないといえ、人間ひとりが乗っても大丈夫で軽い素材と言うのはこの世界では希少なのだが…

  •  ・ ・ ・

こうして、咲季の段ボールプレゼンを聞いた結果、トオヤが下した判断は。

「とはいえ、今回は諦めてくれ。」
「次の機会があったら、正規の手続きを踏んだうえで、な。」

今一歩、咲季の話術が及ばなかったようだ。というか、まあ、妥当な判断ではある。

  •  ・ ・ ・

なおも粘ろうとして咲季がプレゼンを続けているところに、グランとアスリィがちょうど、トオヤの元を訪れる。

「お、お客様か?」

「はい、ヴィルマ村領主のグランと申します。」

護国卿に対して名乗りながら、グランとアスリィが入ってくる。
入ってきた部屋の中には先程見た少女がおり、段ボールの椅子やタンス、果てには小屋が並べられ、その前に少女が崩れ落ちている。

「あれ? 何でアンタこんなところに?」

「いえ、許可を貰いに来たのですが、御覧のありさまでして…」

だいたい状況を理解した。

「あなた方からも、何とか口添えをいただければ…」

「いや、悪いがそれはする気は無いぞ。」

グランが素気無く断り、再び咲季が崩れ落ちたところで、見かねたアスリィが提案する。

「じゃあ、うちのブースでお手伝いしてもらうのはどうですか?」

別にブール運営のために人を雇ったりするのは当然各ブースの勝手なので、トオヤとしてはそこに口出しする理由もないが…
ひとまず、グランはここに来た目的を果たすことを優先する。

「まあ、とりあえず彼女についてはまた後で考えるとして。」
「今回伺いましたのは1つお願いがありまして。」

「何だろうか?」

「かつてヴィルマ村の領主であったアーシェル・アールオン氏がインサルンド家にカレイドストーンという鉱物についての資料を献上したと聞きまして。」
「それについて、閲覧の許可をいただきたいのです。」

「なるほど。多分のその書物はあるんだろうけど…」
「ヴァレフールは戦乱とかにそう巻き込まれる事は無く400年過ごしているから、よほど無くされたりはしてないと思う。」
「まあ、俺の方から伯爵陛下に伝えておこう。もしそれがあれば届けさせる、でいいかな?」

「はい、ありがとうございます。」

これで、何とかカレイドストーンについては一歩前進、といったところだろうか。

  •  ・ ・ ・

忘れられていた咲季については、(ここに置いておいても邪魔だし)ひとまずヴィルマ村が引き取ってブースの方で話を聞くことにする。
いじけて段ボールに閉じこもっていた咲季を、アスリィが段ボールごとひょいと持ち上げて、ブースの方に撤収して行った。
(身体強化の魔法が使えるアスリィには、箱に入った人間ひとり持ち運ぶことぐらいなら造作もない。)

Middle 1.8. 幕間:挑戦

グランたちがヴィルマ村のブースに撤収してしばらく後。
(ちなみに、紆余曲折あって、結局咲季はヴィルマ村のブースで手伝いをすることになった。)

「アレックス! 次の勝負だ!」

そう叫んでブースに現れたのはリリスである。今度は直接乗り込んでくることにしたようだ。

「向こうのティスホーン村のブースで馬術大会の予選が始まるらしいぞ!」
「今度はそれで勝負だ!」

リリスの唐突な挑戦に、聞いていたアスリィが首をひねる。

「馬術…? アレックスさん、馬に乗れましたっけ?」

「僕、馬なんて触ったことも無いよ。」

答えるアレックスに、自信満々でリリスが宣言する。

「大丈夫だ! 私も何もやったこと無いからな! 条件はイーブンだ!」

…何が大丈夫なのだろう。お互い邪紋使いとしての身体能力はあるので、やってできないことは無いだろうが、正直そんなに気は進まない。
そこで、アレックスはせっかく作った自身特製のカレーのことを思い出し、提案する。

「えー、リリちゃん、そうだなあ…」
「ここの裏メニューが制覇できたら、馬術勝負ぐらいは…」

そこでグランも口を出す。

「うちの裏メニューは、アレックスが食えるものだから、当然キミなら食えるよね。」

…鬼か、アンタら。
とはいえ、そこで勝負を断れないのがリリスである。

「もちろんだ! アレックスにできることが私にできないワケがないからな!」

  •  ・ ・ ・

こうして、リリスの前にアレックス特製激辛増し増しカレーが用意された。

「この程度、私にかかれば造作もないのだ! いただきます!」

1口食べる。
涙目になる。
グランがそっと差し出した水を飲む。

「…うぅ…、まだ、まだ負けないから…」

アレックスとアスリィが口を挟む。

「あ、香辛料のお代わりが欲しかったら言ってね。」

「アレックスさんならもっと(香辛料を)掛けますよね!」

…鬼か、アンタら。

結局、リリスはカレーを完食することなく、力尽きて机に突っ伏していた…
目の前の皿には、半分ほどカレーが残っている。正直、半分食べただけでも、十分な快挙だろう…

  •  ・ ・ ・

ひとまず勝負の結果が付いたところで、咲季が神力でリリスを治療していると、新たな来客が現れた。
ティスホーン村の契約魔法師、ジョシュア・ロートである。

「すいません、こちらにうちの護衛がお邪魔してませんか?」

「…うちの?」

ヴィルマ村の皆が首をかしげると、ジョシュアはいまだ机に突っ伏しているリリスを指して言った。

「あ、その子です。」

「あぁ、リリちゃんの知り合いですか。」

「知り合いというか、雇い主、かな。」
「一応、うちの村のブースの警備要員として雇ったんですけど、馬術大会の予選が始まるから、知り合いを誘ってくる!、と言って。」
「それで、なかなか帰ってこないので。」

なるほど、一応これで、突然リリスが馬術大会に誘ってきたのは合点がいった。
それはそれとして、グランがどうしてリリスがこうなったのか、状況を説明する。

「ああ、すいません。」
「彼女が勝負を仕掛けてきたので、別の方法を提案した結果、このようなことに…」

「ああ、まあ、とにかく彼女は回収していくよ。」

「ところで、どちら様です?」

アレックスが尋ねる。確かに、この場にいるうちサラ以外は、ジョシュアのことを知らない。
外交に長けた領主や魔法師なら隣国の主要人物ぐらい知っているのかもしれないが、グランやアスリィもそこまで外交に傾倒した人材ではない。

「ティスホーン筆頭領主トーニャ・アーディングの契約魔法師を務めている、ジョシュア・ロートという。」
「こちらでは、サラ姉さまがお世話になっているようで。」

「あ、ガラムマサラに詳しいっていう?」

アレックスが反応する。確かに先ほどサラを訪ねてきたときに、そんな話をしていた。
サラ経由で聞いたのだろうが、ジョシュアもあくまで人づてに聞いた程度であり、特に異界の香辛料に詳しくはないあたり、微妙に話が正確に伝わっていないのだが。

「詳しいって程ではないんだけどね。」
「以前、ヴァレフールに行ったときに偶然会った子に貰ったんだよね、それ。」
「なんかちょっと怪しい子だったけど。」

「どんな方でした?」

「うーん? 神様って言ってた女の子。」

ジョシュアの返答を聞いて、ヴィルマ村の皆が一斉に咲希の方を見る。だが、咲希は別にジョシュアに以前会った記憶は無いし、ジョシュアも否定する。

「あ、その子じゃないよ。少なくとも見た目は全然違った。」
「なんか、その子が言うには、異界の『インド』って土地から投影された投影体を倒したらドロップした、とか。」

余談だが、投影体から戦利品がドロップする、ということについては割と微妙な問題である。投影体の本体は、致命的なダメージを受けていわゆる死を迎えると、混沌核に戻る。つまりは投影体の死体を「ドロップ品」として回収することは出来ないのだ。とはいえ、これには幾つかの例外がある。
例えば、投影体本体が死亡する前に切り離された部位はそのまま残る、という事例もある。
(参考:「ブレトランドの遊興産業 第4話 「蟹座にまつわる諸事万事」」)
また、死亡した後であっても、混沌核に戻るにはタイムラグがあり、その間に、いわゆる「剥ぎ取り」をすればOKという場合もある。あるいは、そもそも所持品が別個体として投影されている場合。その場合であれば、投影体を倒せば、所持品はその場に落ちる。
仮に最後のパターンだと考えれば、その子が言っていた「投影体を倒したらガラムマサラがドロップした」というものあり得るのかもしれない。

その話を聞いたグランは正直な感想を述べる。

「なんだ、地球の『インド』ではそんなに皆、香辛料を持ち歩いているものなのか…?」

「そうですね。私の知っている『インド』では、携帯を持ち運ぶのと同じ感覚で持ち歩いていましたよ。」

咲希が口を挟む。『インド』への熱い風評被害である。
そもそも、「携帯」と言われてもピンと来ない。

「携帯…?、携帯とは何だ?」

「あ、これですか。」

そう言って、携帯端末そのものを取り出したのは意外にもアレックスだった。

「何故持っている?」

「この間のお散歩(魔境探索)で…」

どうやら拾ったらしい。邪紋使いの一部には異界から投影された装備を使いこなす者もいるが、魔境で有用なものを偶然拾うとは、また凄まじい幸運と言えるだろう。

「調べものとか便利ですよ。」
「拾ったって皆さんに言ってませんでしたっけ…?」

「初めて聞いたよ。」

…という微妙に連絡不備な一幕はありつつも、せっかく持っているなら咲希の携帯と連絡先を交換し、通信ができるようにしておく。
なぜかこの携帯端末というものは、アトラタンに投影されてなお通信が使えることが多いのだ。不思議なものである。

そんな話をしていると、思いのほか時間が経ってしまった。

「さて、そろそろ帰らないとね。」
「リリスさんは回収していきます。ご迷惑をおかけしました。」

そう言って、ジョシュアが席を立つ。

「ええ、あとでそちら(ティスホーン)のブースの方にも伺わせていただきます。」

「ありがとうございます。」
「そういえば、彼女の本題の方は?」
「どなたかうちのブースの馬術大会に参加してみてはいかがでしょうか?」

というものの、サラは一応ペリュトンに乗れるが、それは馬ではない。咲希も乗騎(段ボール)を持っているが、そもそも生物なのかも怪しい。

「まあ、一応、本筋の馬術大会以外にも、そういう特殊乗騎も使えるエキシビジョン的なイベントも用意していますのでよかったら。」

そう言って、ジョシュアはブースの方に戻っていった。

Middle 2.1. 甘味

さて、ヴィルマ村の皆は、準備を一時休んで、タイフォン村のブースに訪れていた。
先程、トオヤに会ったとき、ぜひ来てくれと言われていたのもあるし、それぞれ目的もある。

タイフォン村のブースに着くと、領主であるトオヤがヴァレフール各地を回った際に訪れた各地の甘味がまとめられている展示コーナーが目に入る。
それから、タイフォン村の有名な菓子店が何店か出張出店しており、その場で食べられるように、喫茶スペースもしつらえられている。

「あ、グランさん、見てください。」
「この前、僕が持っていたバニラが、あそこの資料のところに。」

「そういうの(辛くない香辛料)でも、ちゃんと反応するんだな。」

「いや、見たことがあるものは流石に分かりますよ。」

「以前、(辛くないものは)どうでもいいと言っていたから。」

そんな会話をしながら見て回っていると、このブースの責任者、トオヤが声をかけてくる。

「おや、来てくれたみたいだね。」

「ええ、始まってしまうと来る時間も無いでしょうからね。」
「とりあえず様子だけでも。」

「そうだな。まあ、こっちもまだ準備と言うか、試作してるとこだけど。」
「ああ、確か幾つか作っていたな。よかったら、試作の残りだが、どうかな。」

「いいんですか!」

グランが若干食い気味に答えた。
今まであまり表に出てこなかったが、グランもグランで甘いものは人一倍好む方であった。

「お、キミも甘いもの好き?」

「もしかして護国卿も?」

「もちろん!」

トオヤも、同士を見つけたことで、嬉しそうだ。壁に掲示してある資料(ヴァレフール甘味マップ)を指さして続ける。

「だってこれは、ほとんど俺が歩いて調べてきたものだからな。」

こうして、甘味好きという点で護国卿と意気投合したグランは、共に菓子を楽しみつつ、話に花を咲かせていた。

  •  ・ ・ ・

一方、アレックスとしては、タイフォン村では最近、フルーツの類も育てられていると聞いて、カレーの隠し味に使えるのではないか、という思惑があった。
ちょうど、トオヤの方から話が振られ、グランが答える。

「そっちの村も食べ物系の出展なんだっけ?」

「ええ、こちらはカレーという、香辛料を中心とした料理を。」

「ふむふむ、それは聞いたことが無いなあ。」

「地球というところでは、広く食べられている料理だとか。」

話がカレーのことに移ったのを聞いて、アレックスが口を挟む。

「あのー、こちらでフルーツを作っているとか?」

「ああ、まあ、フルーツも甘味の一種だからね。」
「最近はうちの村でも作っているんだ。」

「それで、ちなみにどんなものを?」

「それは、俺よりチシャの方が詳しいかな。おーい。」

トオヤに呼ばれて、ブースの奥の方で準備をしていた彼の契約魔法師、チシャ・ロート(下図)がやってくる。


そう、フルーツとかその辺りは特に、トオヤの契約魔法師であるチシャが中心となっている。
その裏事情には、とある情報の取引によって厳しくなった懐事情とか、ドギ・インサルンド殿下の調べていたことの影響とかがあったりするのだが、流石にそこまで込み入った事情はグランたちは知らないが。
チシャは、話をしていたテーブルの方にやってくると、同門の先輩の姿を見つけ、挨拶する。

「あ、サラお姉さん、お久しぶりです。」

「久しぶり。今日はロート家勢揃いですね。」
「アイツはいないけど…」

先程ジョシュアに会ったことも含めると、サラにとって今日はよくよく後輩に出会う日である。加えて、ジョシュアにせよ、サラにせよ、真面目でいわゆる「可愛い後輩」の範疇なのだが、

「ロート家って他にもいるんですか?」

今、まさに他の問題児の話題がアスリィから振られた。

「あと、キミのお兄さん。」

「マジで!?」
「いやー、びっくりだなー。」

そう、アスリィの兄である魔法師アテリオ・ロートもまた、ロート家の魔法師である。アスリィは興味深げにチシャに聞く。

「チシャさんもうちの兄さんのことは知っているんですよね。」

「え、ええ、知っていますよ…」

かつてエーラムでアテリオが妹を模して作っていた抱き枕を見た事のあったチシャは、それとそっくりな人物から声をかけられたことに驚きつつも答える。

「兄さんが何かしましたか?」

怪訝な視線を向けるアスリィにサラが割って入って、チシャに説明する。

「ああ…これにはちょっと深い事情があって…」
「えっと、アテリオ君の妹さんです。」

すると、一段と驚いた顔をして、小声でサラに返す。

「…(アテリオの作った抱き枕に)似てますね。」

「妄想力と言うか、想像力というか…」

「アテリオさん、本当に器用だったんですね。」

  •  ・ ・ ・

閑話休題。
カレーの話に戻ろう。

「それで、カレーの隠し味として使いたいんでしたっけ?」
「そういったものに使えるのもあるんでしょうけど、カレーにはあまり詳しくないので…」

そう言って、チシャはかごに何種類かのフルーツを入れて持ってくる。この中から、カレーに合いそうなものを選べればいいのだが…
咲季が覚えている地球のカレーの話と、サラの料理知識をもって考えた結果…

「まあ、これが妥当そうですね。」

選ばれたのは、林檎であった。地球で市販されているカレールーの中には林檎を使って、マイルドな辛さにしたものもあるらしい。
想定されるお客さんは、香辛料を多用した料理に馴染みがある人ばかりでもないだろうし、こういった工夫でマイルドにするのは良いだろう。

「良かったら、少し持っていかれます?」

こうして、タイフォン村のブースから幾らか林檎を分けて貰うことになった。(お礼にカレースパイスセットをプレゼントした。)

Middle 2.2. 幕間:もう一柱の神様

話をしていると、グランはタイフォン村のブースの奥の方に、奇妙な装束を纏った少女(下図)がいるのに気が付く。
床に寝転がりつつ、傍らの紙袋から、「芋を薄く切って揚げた菓子」をつまんでいる。


「あの方は?」

グランが聞く。

「えっと、うちの村に住み着いている神様と言いますか…」

「神様…?」

怪訝な目を向ける。あまり、神様のような胡散臭い存在は好きではない。

「そういう投影体の方です。」

そこに、咲季が口を挟む。神格同士、ピンとくるものがあったのだろうか。

「彼女も神様のようですね。」

「彼女"も"…?」

グランから咲季への信用度がまた一段と低下したが、構わず咲季は続ける。

「ええ、ただ、そこまでの力は感じないので、メジャーな神様ではなさそうですね。」

まあ、知る由もないが、そもそも厳密には神ではない。

  •  ・ ・ ・

ヴィルマ村の皆が帰った後。
タイフォン村のブース準備に戻ったトオヤは、ブースの奥で寝転がる「神様」に声をかけた。

「いい加減少しは手伝ってくれないのか?」

その「神様」は、その言葉を聞き流して次の紙袋を開ける。中には「とうもろこしを炒って弾けさせた菓子」が入っている。

「おい!」

「なんだよ~。わたしはこう見えても忙しいんだよ~。」

どう見ても忙しいようには見えない。

「あ、そうだそうだ。あと相談したいことがあるんだけど~。」

「お供え物の量なら増えないぞ。十分カーラが甘やかしているだろう。」

そう言って、トオヤはこの「神様」を手伝わせることを諦めて、作業に戻る。トオヤが立ち去った後、「神様」はつぶやく。

「お供え物の話じゃ無いんだけどな~。」
「ま、たぶん何とかなるよね~。」

こうして、タイフォン村ブースの準備時間は流れていく。

Middle 2.3. 隣村

タイフォン村のブースから帰ったグランたちは、今度はヴィルマ村の隣村であるナゴン村のブースを訪れる。
タイフォン村の方もそうだが、なにせいざ万博が始まると、忙しくて他のブースに行く暇など無いであろうから、「挨拶回り」は今のうちに済ませておきたかった。

ナゴン村のブースでは、領主であるリヒター・レイゼルトが準備の指揮を執っていた。
契約魔法師のモミジの姿は無い。聞くと、村を空にする訳にもいかないから今回は留守番のようだ。
(実際、こういうイベントごとの取り仕切りは無口で内気なモミジよりもリヒターの方が向いているだろう。)

ヴィルマ村の皆の訪問に気付いたリヒターが声をかける。

「おや、ヴィルマ村の皆さん。お揃いで。」

「ええ、お久しぶりです。」
「せっかくなので、挨拶に伺いました。」

「こちらからお邪魔しようと思ってたんだけど、先を越されてしまったね。」
「なんだかんだ、準備に思ったより時間がかかっていてね。」

以前、鶏を仕入れに行った帰りに立ち寄ったナゴン村で聞いた話を思い出し、アスリィは聞いた。

「ナゴン村の方は羊を出すんでしたっけ?」

「うん。この前のベーコンもそうだけど、なんといっても今回の目玉はこれなんだ。」

そう言って、リヒターはブースの中で着々と準備されている方を指す。
そこには串に刺された大きな肉の塊が立てられ、くるくると回っていた。

「これは、何ですか?」

「ケバブと言う料理だよ。羊肉をこうして塊にして焼いて、少しずつ削って食べるんだ。」

「美味しそうですね。」

「まあ、ほら、こいつを焼くのにもいろいろスパイスとかも重要でな。」
「この前、そこにいるアレックスくんからもいろいろ有意義な話が聞けたし、そのあたりも参考に、ね。」

そう言えば、この前そんな話もしていた。聞いて、グランもなるほどといった風に返す。

「ああ、まあ、香辛料について、彼に相談したのなら間違いはないでしょう。」
「ただし量だけは間違えないように。」

リヒターが苦笑して答える。

「それはもちろん。味見はこっちでやっているからね。」

「それを聞いて安心しました。」

そこで、カレーに続いてまたもや故郷で見覚えのある料理を目にした咲季が会話に入る。

「ケバブですか。これはまた、懐かしいものが出てきましたね。」

「おや? 知ってるのかい?」

「ええ、これもまた、地球産のものですよ。」

そう、ケバブもまた地球のとある地域の伝統料理である。アスリィも感心したようにつぶやく。

「地球すごいですね。」

「私もびっくりしていますよ。ここまで懐かしいものが次々と出てくるなんて。」
「なかなか無い事ですよ」

流石はヴァレフール万博の会場ゆえ、というところだろうか。リヒターも異界のことを知っている人と話すのが楽しいのか、いつもより若干饒舌に語る。

「地球の文化は進んでいるね。」
「食文化、という面でもそうなんだけど、通信とかが発達している、というのも大きいね。」
「地球から投影された人たちの話を聞くと、元の世界の世界中のことを知っていたりする。」
「これはすごいことだと思うよ。僕らはアトラタンの端っこ、ましてや南の大陸のことなんて、まったく知らなかったりするじゃないか。」

彼はもともと、月光修道会の学術院、それも商業学部にいた人物であるゆえ、そうした異界の事情には人一倍興味を持っているのだろう。

「やはり新鮮な文化に触れるのはいいことだ。」
「モミジとかと一緒にいても、日々細かな習慣や文化の違いに気付いて驚かされるし、それが楽しくもある。」
「いつか、モミジの故郷にも行ってみたいな。僕の密かな夢だよ。」

「確か、東の端なんでしたっけ?」
「なかなか、今の現状だと難しいですからね。」

そう、リヒターの契約魔法師であるモミジはアトラタン大陸の東にある島国の出身である。
それほど大陸の争いに関わっている風は無くとも、地理的には大工房同盟の影響下だし、幻想詩連合側であるヴァレフールの君主が訪れるのは、距離の遠さを抜きにしても難しい。

「でも、その場所にはワサビが?」

アレックスが言う。ワサビとは、その島国にあるという独特な香辛料、らしい。

「そのあたりも、モミジが何か言ってたな…」
「未だに彼女、故郷との関わりはあるらしいからね。頼めば調達することも不可能ではないかもしれないけど。」
「距離も距離だし、そもそも育てるにはかなり限定された環境が必要なようだね。」

結局のところ、調達の難易度が高いことに変わりはない。ちなみに、ここぞと咲季も口を挟む。

「まあ、ある程度東の方までなら私も行ったことがありまして、交易路を確保していますよ。」

彼女はかつてアトラタン大陸の東の方の国までは行ったことがあり、そこには彼女の部下(信者)たちもいる。
なるほどそこまで交易路が伸びているなら、そこより少し先の島国には手が届くのかもしれない。これでも商人、商機には聡い。

とはいえ、どちらにせよワサビを入手するには資金もかかる。今すぐにどうこうする事は無いだろう。

リヒターが話を戻す。いつの間に頼んでいたのか、ナゴン村のスタッフの手によって人数分のケバブが用意されている。

「ほら、せっかくだ。良かったら食べていってくれ。」

  •  ・ ・ ・

故郷でも食べた懐かしい味を楽しんだ後、咲季は改めてリヒターに声をかけた。

「私、先ほど申したように、商人をやっております。」
「何か困ったことがあれば、私に相談してください。」

一応、咲季としては、この万博に来た目的の半分はこうした売り込み活動のためである。

「そうだね、僕らとしてもブレトランド外につながる販路が出来るのは有難い。」
「幸い、うちの村は港町も近いことだしね。」
「もし今後、そういう必要が生じたらお願いするよ。」

リヒターも、得意の爽やか営業スマイルを向ける。

「あと、これはお近づきの印です。」

そう言って、名刺(段ボール製)と共に、咲季も愛用している折り畳み式の椅子(段ボール製)を渡す。リヒターは興味津々といった感じでそれを見て答える。

「へー、すごいね。これもキミのところの商品なのかい?」
「軽くて丈夫なこの素材は色々使い道もありそうだね。」

ここまで、段ボールに関しては冷ややかな目を向けられることが多かったが、ここにきて初めて好評価を得られたようだ。
意外と、役に立つものなら目新しいものを積極的に取り入れるリヒターとは、咲季は相性が良いのかもしれない。

Middle 2.4. 資料

ナゴン村のブースから戻ってしばらくの後。レア伯爵の遣いと名乗る人物が、ヴィルマ村のブースに現れた。

「こちらがヴィルマ村のブースでよろしいでしょうか?」

「ええ、そうですよ。」

「伯爵陛下から預かりものが。」

「預かりもの?」

「こちらなのですが、カレイドストーンなる鉱石に関する報告書とのことです。」

「ありがとうございます。」

どうやら、無事に城の書庫から見つけてくれたらしい。

「一応、城の書庫の収蔵物ですから、万博が終わって村に帰るときには返却するように、とのことです。」

「分かりました。村に帰るときには返しに行きます。」

「はい、陛下にお伝えしておきます。」

  •  ・ ・ ・

遣いの者が帰ったところで、丁度よくミーシャが声をかける。

「あ、グランさん、それ何ですー?」

「ミーシャには伝えていなかったな。」
「かつてヴィルマ村の領主だったアーシェル・アールオンがインサルンド家に献上した、カレイドストーンに関する書物だよ。」

「そんなものがあったんですね。それはありがたいです!」

ミーシャが目を輝かせる。

「これはミーシャさんにお渡しした方がいいですね。」

「ああ、とりあえずヴィルマ村に帰るまでだが、読み進めて、役立ててもらいたい。」

サラとグランはそう言って、資料をミーシャに渡す。

「ありがとうございます!」

  •  ・ ・ ・

「バッチリ! 私の知りたい情報です!」

資料に目を通したミーシャが言った。しかし、少し考えて微妙な顔になり、首をひねる。

「ただ、これ…割と機密事項のような…?」

「ん?」

「いや、確かに、もともと錬金術の知識を持っていなければ読み解けませんから、この辺りの価値は認識されてなかったのかもしれませんが。」
「アーシェルさんの作ったという、「6つの輝石」の作り方、じゃないですか…?」

「「おお!」」

確かにそれは、あまりにも重要な情報だ。

「あ、でもでも、完全に同じものを作ろうとするには、私の技術も全然足りませんし、素材も足りないです。」
「そもそも、宿すための聖印がかなり立派なものが必要なので。」

「でも、「劣化品」ぐらいなら作れるかも…」

ミーシャ曰く、今の彼女で作れる「劣化品」は「本物」に比べてその安定性に大きく劣るらしい。
レア伯爵の持つ「風の指輪」など「本物」は、所持者の能力を恒常的に向上させ続けることができるのに対して、「劣化品」はせいぜい一時的に内に込められた聖印の力を使って、アイテムとしては使い捨てる程度が関の山、とのことだ。
とはいえ、瞬間的な能力向上アイテムとしてはかなりのスペックを発揮する。

「まあ、そっくりなもの作ったら作ったでややこしいからいいけど…」

グランが言う。今のところ、「本物」にせよ「劣化品」にせよ、わざわざ作らなければならない理由もない。
しかも、作成するには誰かの持つ聖印の一部を消費するので、おいそれと作れるものでもない。

「そうですね。」
「作るには聖印を使っちゃうので、簡単に作れるものではないですし。」

「まあ、そういうものが作れると分かっただけでも有益じゃないですか、ミーシャさん。」

確かに、場面によっては聖印を消費してでも成功させなければならない行動を迫られることがあるかもしれない。
その時、こういう手段も取れるということを知っているのは大きい。

「あと、たぶん、これ内緒にした方がいいと思います。」

「よく、これをホイホイ貸してくれましたね、レア様。」

ミーシャの言葉にアスリィが率直に感想を述べるが、それに対してグランが反論する。

「いや、たぶん長らく書庫に入ってただけだし。」

おそらく、この異界の(しかもかなりマニアックな)知識を要求される資料の内容を正確に把握している人などいなかったのだろう。

「だって、今、「6つの輝石」を持っているのは割と聖印教会の方も多いので…」

確かに、それはそうだ。
現在、「6つの輝石」のうち、所在がはっきりしているのは、ヴァレフール伯爵レア・インサルンドの持つ「風の指輪」、アントリア子爵ダン・ディオードが持つ「炎の腕輪」、バランシェ神聖学術院学長ブランジェ・エアリーズの持つ「陰の額冠」、フォーカスライト大司教ロンギヌス・グレイの持つ「林の首飾り」だ。
後者2つについては、聖印教会関係者が「この輝石は聖印の奇跡によって生み出された至宝であり、混沌の産物ではない」と解釈して所持している。
ところが、この資料によると、輝石の成り立ちは聖印を異界の鉱石であるカレイドストーンに宿した、いわば「聖印と混沌の合わせ技」といったものであり、聖印教会の解釈とは若干異なる。
神聖学術院は混沌の産物を積極的に利用する月光修道会の影響下である以上、それほど問題はないだろうが、フォーカスライトは現在、神聖トランガーヌの影響下にある。
この資料の存在が広まると、余計な軋轢を発生させかねない。

「そもそも聖印も混沌から作れるものなんだから、結局はもともと混沌なんだけどな…」

まさに聖印を混沌から作ったグランの言葉は、まあ、確かにそうなのだが、そのあたりは宗教絡みなのでいろいろとややこしい。
ともあれ、カレイドストーンの使い道が1つ明らかになったのは大きい。

Middle 2.5. 大会

少し時間の空いたヴィルマ村の皆は、ティスホーン村のブースに訪れていた。目的はここで開催されている馬術大会である。
なんだかんだ、リリスとジョシュアに誘われたので、来てみることにしたらしい。咲希が「エキシビジョン部門のほうなら、私の神獣(段ボール)でも出られるのでは。」と言い出したせいでもあるが。

「行くよ、段ボールちゃん。私たちのコンビネーションをとくと見せつけてやる!」

なんか、割とやる気であった。

  •  ・ ・ ・

結果、エキシビジョン部門の優勝をかっさらっていったのは、天性の運動神経を存分に見せつけたアスリィであった。
(実際のところ、実家にいた頃に、あまり本人にやる気がなかったとはいえ、乗馬は嗜みとして練習させられていたこともあるのかもしれない。)

優勝の賞状と、副賞として希少な霊薬の小瓶を貰っていた。

ちなみに、ヴィルマ村+咲希+リリスの中で、アスリィ以外はかなりの僅差であったが、アスリィに次ぐ成績を収めたのはアレックスである。
乗馬の経験に乏しいとはいえ、邪紋使いは基本的に身体能力はある。
次点でグランが続く
その後、ほぼ同時に神獣(段ボール)に乗っていた咲希と、この大会に誘ってきたリリス。。
さらに、ペリュトンに騎乗したサラが続く、という結果だった。

概ね予想通りの結果、という感じだったが、リリスはアレックスに負けたことが割と悔しいらしい。

「何だと! 流石は我が好敵手アレックス、といったところだが、次は負けぬぞ!」
「あと、そこの箱に入ったヤツ! ずっと私と並走してきて、何のつもりだ!」

  •  ・ ・ ・

ちなみに余談である。

「おおー、あの仮面の騎手、めちゃくちゃ上手いぞ。」
「さぞかし名のあるものに違いない!」
「というか、あれ、どこかで見た人のような…?」

観客席が沸く中、アナウンスが流れる

「失礼しました。手違いでエントリーしていない参加者が紛れ込んでしまったようです。」

アナウンスの中、魔法師風の青年が騎手に手招きして小声で言う。

「ちょっと、子爵!」
「何ですか! 仮面まで被って。そんなに目立ちたいんですか!? コーネリアスですか!?」

…魔法師風の青年はそのまま騎手をつれて会場から立ち去って行った。
あの騎手は一体誰だったのだろう…?

  •  ・ ・ ・

ハルーシアから来た騎士、ティニオ・ウィルドールは自身が手伝っているブースの準備のため、資材の入った箱を手に、ドラグボロゥの街を歩いていた。

すると、通りがけのあるブースの前に人垣ができている。何かイベントでもやっているのだろうか。

「ああ、すいません。ちょっと通ります。」

そう言って通り抜けようとすると、人垣の隙間からちらりとブースの光景が見える。どうやら馬術大会のようだ。
するとそこで、観客がひときわ盛り上がる。決着がついたのだろうか?

「決まりました! エキシビジョン部門優勝は、ヴィルマ村からお越しのアスリィさんです!」

…思わず耳を疑った、。
いや、落ち着け、同じ名前の人物ぐらい、世界には何人かいるだろう。と思いつつも、思わず荷物を持ったまま、会場をのぞき込む。

そこには、ハルーシアの実家を飛び出した時より少し大人びた、けれどあの頃より無邪気に笑う、「お嬢様」がいた。
ティニオは思わず荷物を取り落とし、頭を抱えた…

Middle 2.6. 捜索

行方をくらませたヴェルナの捜索のため、彼女が姿を消したと思われる街外れの一角を調べに来ていた。
いい加減、ヴェルナがここまで帰ってこないというのは、明らかに異常事態が起きているといっていいだろう。

現場と思われるところに来てみると、感覚の鋭いグランやアスリィはすぐに気付く。この近辺には、どこか混沌の強い気配を感じる。
混沌濃度が少し高い、というのもあるがそれ以上に感じる違和感は、まるで、何か周囲に影響を与えることができる「何か」がそこにいたことを想起させる。
そう、それはなんとなく、咲希やロキといった面々にも近い、「神格」の雰囲気を漂わせていた。

そこで、周囲を眺めていたロキがつぶやく。

「なんか、この辺り、嫌な感じがするね。」

「そうだな。キミやそこの段ボールと同じような…」

ロキも神格の気配を感じているのかと思ってグランは答えたが、それに対するロキの返答は少し違っていた。

「いや、そうじゃなくて。」
「たぶん、僕が感じているそれは、キミたちの感じている単純な神格の気配とは違うよ。」

「そうなのか?」

「なんというか、簡単に言うと、「殺気」かな?」
「首筋がピリピリするような、そんな感じの。」

ロキはそう語るが、一方で他の面々はそのようなことは感じていない。咲希も単に神格の気配としか思わなかったあたり、他の神格に反応している、というわけでもないのだろう。
となれば、ロキに反応しているのだろうか?

「人に恨まれるコトなんかしたかなあ…?」

ロキはそう語る。一方で、グランはさらに詳しく、この気配について気付いていた。

「サラ、この残っている魔力の感じなんだけど。」
「準備の最初の方で、リリスがアレックスに模擬戦を挑みに来た時に感じた雰囲気に近い気がする。」

「何か関係があるんでしょうかねぇ?」

「ただ、ロキも嫌な感じがすると言うぐらいだし、調べておいてもいいと思う。」

「そうですねえ。リリスさんについても知っておきたいですねえ。」

  •  ・ ・ ・

「あと、ロキが殺気のようなものを感じた、というのも気になるよな。」
「しかも、俺には全く感じ取れなかったしな。」

「そのあたりどうなんですか? ロキさん。」

「アイディは特に恨まれるような理由は無いだろうから、ロキに対してなんだろうなぁ…」
「正直、ちょっと心当たりが有り過ぎる…」

グランたちはそうそう詳しくはないが、ロキがもともといたヴァルハラ界の神話を紐解けば、道化神、トリックスターとして名高い彼は、数え切れぬほど「恨まれるような行い」をしている。
誰かから殺気を向けられている、なんてことは十分にあり得るだろう。

ひとまず、一度ブースに戻ってみることにする。

Middle 2.7. 邪竜

さて、ブースに戻った皆は、次はリリスについて調べ始めた。グランが言っていた通り、感じた気配とリリスの気配が一緒というのなら、リリスのことについては気になるところである。
本来なら、アレックスに聞けば分かるかとも思われたのだが、残念ながら彼はリリスの身の上話などには興味がないらしく、ほとんど知らないらしい。
仕方なく、聞きこんで調べた結果、いくつかのことが分かる。

リリスは「模倣者の邪紋使い」、その中でも特に異界の悪魔や邪神など、悪なる者を模倣する「悪魔の模倣者」と言われる類だ。
そういった邪紋使いが模倣している存在は個々人によってさまざまである。

リリスが模倣しているのは、異界に伝わる伝説の邪竜、ファーヴニルである。財宝を好み、人を虐げ、暴虐の限りを尽くしたと伝えられる、邪悪なる竜だ。
その存在は「模倣者の邪紋使い」の模倣元としては、「竜の模倣者」として模倣されることが多いが、悪なるエピソードを強調して「悪魔の模倣者」として模倣することもなるほど不可能ではないかもしれない。
ちなみに、昔からやたらとアレックスに絡んでいたのは、おそらく火竜として有名なファーヴニルの模倣者として、炎使いはライバル視すべき存在だったのだろう。

この名を聞いたロキは嘆息して言った。

「ああー。」

「どうかしました? やっぱりお知り合いでした?」

「知り合いっちゃ、知り合いだね。」

さて、問題になるのは、ヴァルハラ界にいた頃のロキの行いである。かつて、ロキはファーヴニルの弟を殺め、怒ったファーヴニルに捕らえられたことがあるのだ。
その時、財宝を集めるファーヴニルは身代金を要求し、ロキは従って大量の黄金を差し出した。ところが、嫌がらせにその黄金の中に呪いの指輪を混ぜて渡したのだ。
そんなことをしたのだから、まあ、恨まれても当然といえば当然である。
(もちろん、先ほど殺気を向けてきたのがファーヴニルだという前提のもとだが。)

「いやー、昔はヤンチャしてたんだよ。」
「え? てことは、ヤツいるの? マジ?」

「まあ、そうなんじゃないですかね。」

「お前が殺気を感じたんなら、そうなんじゃないのか。」

「うわー。アレ、めんどくさいよ?」

そう言って、ロキはもう1つ嘆息する。

「具体的にどう「めんどくさい」んだ?」

「ぶっちゃけ、ちゃんと弱点つかないと死なない。」
「バルムンクが一番だけど、最低限、何というか不思議パワーを帯びた剣の要素を持ってないとダメかも。」

そう、ファーヴニルの伝説は有名であるがゆえに、その最期もまた広く知られている。
暴虐の限りを尽くしたファーヴニルを討伐するよう人々に乞われた英雄、ジークフリートとの死闘を演じ、魔剣バルムンクの一撃を受けてついに倒れた、というものだ。
英雄ジークフリートはファーヴニルの返り血を浴びて不死身を手に入れたという話と共に語られている。

要は、魔剣か何かの類でないと、かの邪竜にはとどめを刺せないということらしい。とはいえ、この中に剣を得物にする人はいないし、当然魔剣なんて心あたりは無い。
ファーヴニルに対する対策に困ったところで、意外なところから声が上がった。ミーシャである。

「えっと、それならもしかして、何とかなるかもしれないです…」

「何? 本当か?」

「さっき言ってた、アーシェルさんの輝石の「劣化品」ですけど、あれは作るのに使った聖印の力が宿るんです。」
「ですから、「剣士の聖印」を使った輝石を攻撃のブーストに使えば、おそらく魔剣の一撃に近いものになるかと思います。」

とはいえ、問題は「剣士の聖印」を持つ君主だ。身近なところだと、思い浮かぶのは隣町の領主、ユーフィー・リルクロート。
しかし、聞くところによると、今回の万博のテイタニアのブースには来ていないとのことだ。

皆が頭をひねっていると、アスリィはもう1人、知り合いに「剣士の聖印」を持つ君主がいることを思い出した。
父親の従騎士にして、かつての自分の教育係、ティニオ・ウィルドールだ。

「アスリィ、心当たりがあるのか?」

「どうして分かったんですか…!」
「いや、知り合いに1人、そういう人がいるってだけなんですが。」

「ここに来てるのか?」

「…来てます。」
「たぶん、ハルーシアのブースにいると思うんですが。」

なるほど、実家関係か、と聞いていた皆は察する。

「問題は、まだ明確な脅威になっている、という訳じゃないんだよな。」

そう、輝石を作るには聖印を使ってしまう以上、頼み込んで輝石を作っても、結局使わなかったのでは困る。
そこで、グランはミーシャに聞いた。

「輝石を作るには、どのくらいの時間が必要なんだ?」

「作るのはそんなに時間はかからないと思います。」

であれば、必要になってから作る、協力を頼みに行く、でも遅くは無いだろう。
今起きている異変がファーヴニルに関連している可能性は高い以上、ミーシャには必要となったらすぐに作れるように準備を進めてもらうが、ひとまずは様子を見ることにする。

  •  ・ ・ ・

話していると、グランたちとは別行動をしていたシェリアがブースに戻ってくる。彼女はブースに入ってくると、急いだ風でグランたちに伝える。

「グランさん! 今、街の外の方で少し騒ぎになっているようなのですが?」

「え? そうなのか?」

「なんでも、強力な投影体が出たとか!」

「行こうか!」
「ミーシャ、さっき言った準備を急いでくれ。」

「はい、大丈夫です。」
「最悪、それほど大掛かりな機材は必要ないので、現場でも作れますが?」

「じゃあ、ついて来てくれ。」

こうして、ヴィルマ村の皆+咲季は投影体が出たという街外れに向かう。
「剣士の聖印」の算段は未だ付いていないが、アスリィは、「そんな話を聞きつけたらあのクソマジメは絶対来る。」と、ティニオが現場に来ることを確信していた。

Combat. 蛇神

街外れにたどり着くと、そこに居たのは「二階建ての建物よりも巨大な、身体から八匹の大蛇を生やした女性型の巨人」の姿の投影体だった。

「ロキ、アレに見覚えは?」

「いや、見覚えは無い。」

邪竜ファーヴニルが居るのかと思っていたが、どうやらそうではないらしい。彼らが敵の正体をはかりかねていると、蛇の投影体は激情とともにその宿敵の名を叫ぶ。

「そうだ。今度こそ、今度こそ決着をつけてやるぞ!」
「我が宿敵、アカラナァアータァー!!」

「そうだ、私は考えた!」
「何も私の力のみで、かの者を倒す必要などあるものか!」
「思えば、あの娘、ウチシュマと言ったか。」
「ヤツは複数人で力を合わせてようやく我を倒したのだ!」
「私だけが他者の力を借りられぬ道理があるまい!」

何か叫んでいるが、正直、グランたちには何のことだかさっぱりである。彼らは知る由もないが、この投影体の名はクンダリーニ。
密教界という異界から投影された、蛇の神格である。
(参照: ブレトランド風雲録 第8話「姫君の帰還」)
宿敵の娘であるウチシュマがこの街にいることを感じて再び現れたようだが、正直いい迷惑である。

「さあ、来い!」
「我が蛇たる力によって従えた異界の竜たちよ!」

そう言って、蛇神が合図をすると、まずは巨大な竜が現れる。その姿を見た瞬間、ロキが苦い顔をする。

「もしかして、あれが?」

「ファーヴニルだ。」

問いかけにロキが答える。どうやら、あれが先ほどから話題に上っていた邪竜ファーヴニルらしい。

それから、続いて現れた小柄な人影は見覚えのある人物。ヴァレフール筆頭魔法師、ヴェルナ・クアドラントだ。
様子を見る限り、彼女も例の蛇神に操られているらしい。「竜種は操れる」といった旨の発言をしていた蛇神にヴェルナが操られているのには疑問を感じるが、ここでその話題を掘り下げている時間は無い。

「丁度いい。そこのお前も使えそうだな。」

蛇神はそう言って指を鳴らす。その術のターゲットとされたのは、投影体の噂を聞いて街から応戦に出たリリスである。

「うわぁあ、何だこれは!」
「私がこのような術などに屈する訳がな…」

リリスに術がかかったことを確認した蛇神は満足そうにうなずく。

「ふむ、これで準備は十分だな。」
「ゆくぞ! ファーヴニル!」
「貴様ならこの街を蹂躙するぐらい容易かろう! なにせ、貴様はアレを使われぬ限り滅びぬからな!」

自信満々な蛇神のセリフを聞いて、グランは短く冷静に、ミーシャに指示する。

「ミーシャ、輝石を頼む。緊急事態だ。」

  •  ・ ・ ・

蛇神クンダリーニとの戦いが始まる。

ドラグボロゥの街から真っ先に迎撃に出たのは、ヴィルマ村のグラン、アスリィ、サラ、アレックスに加えて、咲希。
それから、騒ぎを聞いて駆け付けたティニオ。対する蛇神の陣営は、クンダリーニを筆頭に、邪竜ファーヴニル、操られたヴェルナ、リリス。
両陣営がにらみ合い…

開戦の合図とばかりにリリスが「模倣者の邪紋」を用いてその身を隣に立つ邪竜に近づけてゆく。
ヴェルナは周囲の混沌濃度を高め、蛇神の陣営に優位な場を整える。

準備を終え、真っ先に戦線に躍り出たのは、蛇神クンダリーニ本人。走り込んだ勢いをそのままに、その神力をのせた拳をグランに叩きこむ。
が、そこを咲希がかばい、こちらも神力による加護を重ねることで、拳を弾く。

「これが、段ボールの有用性!」

続いて、ヴェルナがヴィルマ村の陣営の中央に球電を発生させる。広範囲を巻き込む、高位の攻撃時空魔法、《ボールライトニング》である。

咲希が、この陣営で最も耐久に難があるサラを守ることで、被害を最小限に抑えるが、それでも完全には防げない。
球電が炸裂し、電撃で周囲を焦がしていく。
どうやら、無理矢理に操られていることでかなり本調子からは遠いようだが、それでもヴァレフール筆頭魔法師の実力は健在だ。

とはいえ、ヴィルマ村陣営も反撃に出る。
グランが敵陣の各々を個別に狙う聖印の矢を放ち、サラの魔法と咲希の神力がその威力をブーストする。

「その数多なる力は空間の檻に捕らわれ、ただ1つのみ。収束せよ。」

対してヴェルナが唱えた魔法は《スパイトコンバージェンス》。空間を歪め、広範囲に放たれた敵の攻撃を強制的に収束させてしまう魔法である。
魔法の影響を受けた矢は、邪竜ファーヴニルだけに直撃する。

魔法と神力で強化された聖印の矢はファーヴニルに痛打を与える。
ファーヴニルの特性は「魔剣によってしかとどめを刺されない」であり、それまでは普通に射られれば傷つく。
ここで、さらに聖印の力を込めることも可能であったが、結局ファーヴニルにしか当たらなかった攻撃に切り札を使う訳にはいかないと、ひとまずその使用は保留する。

リリスは、自身が模すファーヴニルのブレスを再現した魔力の弾丸を打ち込む。
3方向に分かれた弾丸はそれぞれに襲い来るものの、グランは自力でそれを避け、避けられなかった分は咲季が神力を展開し、被害を抑える。

サラは、今回は咲季がほとんどの攻撃を引き受けている状況を見て、彼女に回復魔法をかける。

そこでアスリィが前線に走り込み、身体強化の魔法をかけた上で、格闘戦で蛇神に拳を打ち込む。
蛇神は守りはそれなりに堅い方だが、常盤魔法の真髄である、体内に直接ダメージを与える拳の前には意味を成さない。

互いに先陣を切った面々の応酬が終わった後、咲季は戦場に自身の祝福をかけた結界を作り上げる。
この結界の中では、咲季が味方とみなしたものに対する攻撃を減衰させる。
これで、さらに優位に戦う事が出来るだろう。

いよいよこれまで沈黙を守っていたファーヴニルの巨体が動き出す。威力を一点に収束されたブレスを咲季に放つ。
流石に威力を一点集中されただけあって咲季の神力だけでは防ぎきれないが、サラとアレックスがそれぞれ防壁を重ねることで、ブレスを相殺する。

第一波の攻撃が終わって、一瞬の間。

再び、ヴェルナが《ボールライトニング》の魔法を放つ。
またもやヴィルマ村陣営の大半を巻き込む攻撃に、グランに対して掛けられたアスリィの《アシスト》の魔法を《ケアレス》の魔法で相殺し、球電攻撃を押し通す。
先程から着々と混沌濃度を上げていることもあって、1発目よりも威力を増した電撃が襲う。

だが、球電を耐え抜いた次の瞬間、グランも反撃に出る。
今度こそ収束の魔法を使われないタイミングで、広範囲に広がる矢を放つ。

その矢は狙い違わず全て命中する、そう確信した瞬間、温存しておいた切り札、聖印の力を矢に込める。
その一撃で、操られていたヴェルナとリリスは戦闘不能に陥る。
かなりの威力の一撃だったが、ヴェルナが直前で障壁を展開したことで、命に別条は無さそうだ。

残るは蛇神クンダリーニと邪竜ファーヴニルである。彼女らもまた、かなりの傷を受けているように見えるが、表情に焦りは無い。ファーヴニルの不死性ゆえの自信だろう。
いよいよ、聖印の輝石が必要かもしれない。

アスリィがちらりとティニオの方を見る。ティニオは、視線に気付くと、アスリィに問う。

「お嬢様! あの投影体を倒せるのですか?」

「その呼び方で呼ばないで頂けますかねぇ。」

不機嫌そうに答える。

「…アスリィ様、という呼び方でよろしいですか?」

「まあ、いいですけど。」
「ティニオさんの方も私に言いたいことがあるでしょうし、私にも言いたいことがありますが。」
「私たちはあの竜の体力を削ることはできますが、いろいろあって、現状とどめをさせるのはあなただけです。」

正直、「いろいろあって」の内容は全く分からないが、とりあえずアスリィの言っていることが正しいとした上で、ティニオは答える。

「ですが、先程数合打ち合って分かりました。私の剣ではあの竜には届かない。」

ティニオは聖印持つ君主であるが、その爵位は騎士にも満たない。
最後の一撃だけとはいえ、邪竜に剣撃を与えるのは難しい。

「それもいろいろあって多分どうにかできます!」
「あの、ミーシャさん! いますか?」

「はい! 準備は出来てます!」

「そこの従騎士、剣士なんで多分できると思います!」

アスリィの言葉を受けて、何の説明もされていないティニオにミーシャがざっくりと説明する。

「えっと、少し、聖印の力を貰ってしまうことになるんですが…」
「簡単に言うと、聖印の力を他の人に分けあたえるようなものを作れるんですけど…?」

ミーシャの話を聞いて、ティニオは苦笑して答えた。

「相変わらずですね、アスリィ様。」

「余計なお世話でーす!」

「そういうところで嘘をつく方じゃないのは、存じておりますよ。」
「分かりました。あなたたちに任せます。」

了承をとったところで、あとは聖印の力を込める最終工程だけの状態にして待機していたミーシャが聖印の輝石を完成させ、アスリィに投げ渡す。
見事にキャッチしたアスリィは輝石を手に、再び蛇神と邪竜に向き直る。

邪竜ファーヴニルは、戦線の維持の要となっていると見た咲季に爪とブレスの連続攻撃を仕掛ける。
爪の一撃を受けたところに、防御のしづらいブレスを受けるものの、サラが咄嗟に召喚したギガースに守られ、踏みとどまる。

反撃にグランの放った矢が襲うが、そこで異変を感じる。確かに致命傷になりうる一撃を加えたはずだった。
であるのに、何かの力に阻まれたように感じたのだ。聖印の輝石の使い時だな、と確信する。

「行け! アスリィ!」

アスリィがファーヴニルの懐に走り込み、拳を構える。
命中の瞬間、手の中にあった輝石を砕く。
ティニオの聖印の輝きが籠手のようにアスリィの拳を包み、力を与える。
ダメ押しとばかりに。自身の魔法で拳と聖印の籠手をさらに覆うように魔法陣を展開する。

剣にはあらず拳であり、しかして剣の聖印を宿す一撃は、ファーヴニルの堅い鱗を砕き、致命傷を与える。
アスリィが拳を振り抜いた直後、ファーヴニルの巨体が崩れ、混沌核へと変わってゆく。
蛇神クンダリーニが叫ぶ。

「バカな! ファーヴニルが倒れるだと!」

ファーヴニルが混沌核に変わりきったその瞬間、この機を逃さず、アレックスが追撃をかける。
その一撃に耐え切れず、蛇神もその場に膝をつき、徐々に混沌核へと変じていった。

「おのれ! おのれ! またも、ヤツにたどり着くことすら出来ずに消えるというのか!」
「待っていろ! 私は諦めぬぞ、アカラナァアァータアァァァ!!!」

こうして、万博の危機は去った。

  •  ・ ・ ・

グランがファーヴニルとクンダリーニの混沌核を浄化し、聖印に取り込んでいる中。
戦場だった場所に、幾つかの物が落ちているのに気づく。

1つは小瓶。中には赤黒い液体が入っている。もしやこれは、伝説にある英雄ジークフリートが浴びたというファーヴニルの血だろうか?
今しがたまで戦っていた竜の血が小瓶に入った状態でドロップするというのも変な話だが、そもそもファーヴニルは「財宝を貯め込む」こと自体が伝説の一端だ。
そうすると、「ファーヴニルを倒すと戦利品が手に入る」というところのエピソードまで含めた投影と言う形も考えられるのかもしれない。

クンダリーニの消滅したあたりには小袋が落ちている。中を開けると、各種のスパイスが混ぜ合わされたもののようだ。
これは、例のガラムマサラ、なのだろうか?

ジョシュアが人づてに聞いたという、インド由来の投影体を倒したら「ガラムマサラ」が手に入った…という話は?
彼が話を聞いたという「神を名乗る少女」…とは?
その少女は、この蛇神を倒したのだろうか?

疑問は尽きないが、まあ、万博の危機は去ったし、良しとしよう。

Middle 3.1. 伝言

一連の戦いが終わった後、ティニオはアスリィに話しかけた。彼自身、自分ではどうしようもなかったであろう混沌災害に立ち向かい、見事投影体を打ち倒してきた「お嬢様」への驚きがあった。

「アスリィ様、…」
「ご立派になられましたね。とでも言うべきなんでしょうか。」

「とりあえず、ありがとうございます。」

「その様子だと、ハルーシアに戻ってこられるつもりは無いのでしょう?」

「そうですね、たまに帰るぐらいだと思いますよ。」

「たまに帰る、のですか?」

アスリィの態度からして、もう二度と帰ってくるつもりはないものだと思っていた。

「いやー、どうでしょう?」
「私もヴィルマ村の契約魔法師としての仕事がありますので。」

さらっと現状を伝えたアスリィに、ティニオはもう一つ嘆息。

「魔法師になってらっしゃったのは、先ほどの戦いで見ましたが…」
「一体いつの間にエーラムに?」

「いや、それがですね、あの家出した後に何やかんやあって、魔法の力を発現させてしまいまして。」

「…は?」

「それで、使っていたところに、エーラムの人に「自然魔法師としての申請は出したの?」と言われて。」
「エーラムに連れていかれて、あれよあれよとしているう内に、正式な自然魔法師になりました!」

「…で、今は契約していると?」

「はい、今、あそこで混沌を吸収しているグランさんと。」

言われて、グランの方を見たティニオと、混沌の浄化を終えて振り向いたグランの目が合う。

「どうされましたか?」

「アスリィ様が、お世話になっているようで。」

「いや、こちらこそお世話になっておりますよ。」

「その…、あの方で大丈夫なんですか?」

ティニオとしては、もちろんアスリィには昔から期待していたのだし、魔法が十二分に扱えることは先ほど見た。
とはいえ、流石に契約魔法師に向いているとは思えない。

「アスリィだからいいんですよ。」

「ティニオさん、なんか失礼なこと言ってませんか?」

アスリィが横から不服そうに言う。

「まあ、ハルーシアを出ていかれても、どこかで元気に暮らしていらっしゃるのなら、それでいいですよ。」
「元より、ただの従騎士の身ですから、アスリィ様の生き方にそこまで口出しする権利もありません。」
「ただ!」

「あれ、お説教モードかな?」

実家にいる頃聞きなれた、ティニオの鋭い声に、アスリィは少し身構える。

「いえ、私からとやかく言うことはありません。」
「ですが、旦那様から、もし会うことがあったら渡すように、と言われたものがあります。」

ティニオは、手のひらサイズの小箱を取り出す。箱を空けると、片方だけのピアスが入っている。

「とある異界からの投影品だそうですよ。」
「ラクシア界、というところから投影された「通話のピアス」というものです。」
「2つ1組で、その間で通信ができる、という物らしいですね。」

「はぁ。」

要は、もう片方は父エミリオが持っているから、連絡してこい、ということらしい。

「ま、旦那様としては、そのまま捨てられるかも、などとはおっしゃられていましたが、」

「捨てはしませんけども!」

そう言って、アスリィはピアスを受け取る。

「旦那様は、本当に心配しておられましたよ。」

「ほんとですかね。わたしの事は、エテーネの血筋を続かせるための、ぐらいにしか思ってないと思ってましたが。」

「どうなんでしょうね。」
「そのあたりは、旦那様から直接聞いてみてもいいですし、そんなピアスは無かったことにしてもいいです。」
「私から言えるのはそのぐらいです、」

「そうですか…」

アスリィに伝えるべきことを伝えたティニオは、改めてグランに向き直る。

「少なくとも、あの方は帰ってこられるつもりがないようですし。」
「これからも、もしかしたら、いや、おそらく確実に、ご迷惑をおかけすると思いますが。」

「いや、私自身アスリィに迷惑をかけることもあるでしょうし、お互い様ですよ。」

「そうですね。」
「どうか、アスリィ様を、よろしくお願いします!」

言って、ティニオは深々とグランに頭を下げた。

Middle 3.2. 後始末

一方、戦闘の中で気を失っていたヴェルナもようやく目を覚ます。グランが気遣って声をかける。

「ヴェルナさん、大丈夫ですか?」

「あれ? その声は、グランさん?」
「私は一体、何でこんなところに?」

「ああ、操られていたんだよ。」

続けて、ここまでの事情を簡単に説明する。

「それは、ご迷惑をおかけしました。」

「まあ、とりあえず無事に済んでよかった。」
「それにしても、何でそんな状況になったのか、覚えているか?」

「街の外の警備状況の確認に見回っていたら、突然背後から攻撃を受けたような。」
「それ以降のことは、覚えていません。」

どうやら、そのあたりは別に大仰な仕掛けがあった訳でもなく、ただただクンダリーニから奇襲を受けたらしい。

「なるほどね。」
「にしても、こんなところで、攻撃を許すとはね。」

「はい、申し訳ありません。」
「魔法などの対処については、それなりに自信を持っていましたが…」
「どうやら、特定の対象にしか効かない代わりに、極めて強力に作用する術だったようで。」

そのあたりは当人(クンダリーニ)も言っていた。たまたまその条件に合致してしまった、という理由でそうそうヴェルナを責めるわけにもいかないだろう。
どちらかというと、例の蛇神の件は、その目的の方に疑問が残るのだが…

「しかし、目的も全く見えないままだったし、あれはいったい何だったのだろう?」

「何だったんでしょうね?」

  •  ・ ・ ・

状況が片付いてきたころ、街の方から、護国卿トオヤが駆けつけてくる。となりにはブースで寝ころんでいた少女がだるそうに付いてくる。どうやら、何事か揉めているようだ。

「ウチシュマ、どうしてもっと早く言わなかったんだ!」

「え~、だって、言おうとはしたよ~」
「それを勝手に勘違いして聞かなかったのはそっちじゃん~」

現場に着いたトオヤが様子を確認して言う。

「ああ、この様子だと、もう片は付いた、みたいだな。」

「ええ、ギリギリでしたが、何とか。」

「なんか、すまん。」
「うちの居候が迷惑をかけた。」
「いや、正確に言うと、うちの居候が呼び寄せたというか、何というか。」

「目を付けられていたんですか?」

まあ、大体そんな感じだ。別にウチシュマが悪いわけではないのだが…というあたりが微妙だが。

「まあ、それを言うなら、うちの居候も。」

正直、今回の襲撃者に目を付けられていた、という意味ではロキも大差ない。どちらにせよ、もう倒された投影体の事でそこまで話をややこしくしない方が良いかな、とはお互い薄々思っていた。

  •  ・ ・ ・

少し遅れて、リリスも目を覚ます。

「痛ーい!」
「投影体が出てきたって言うから、来てやったのに、一体これはなんなのだー!」

リリスにはアレックスが声をかける。

「リリちゃん、操られてたんだよ。」

「えー!」
「てことは、わたし、何にも活躍してない!」

不満そうに頬を膨らませるが、正直、ある程度仕方ないとはいえ、「活躍してない」よりたちが悪い。

「むしろ、敵に回ってた、というか。」

「なるほど…」
「あ! てことは、私は結局、アレックスに勝ったのか? アレックスと戦っていたのだろう!」

それはそれとして、アレックスに勝つことは重要らしい。だが、残念ながら先の戦闘中、アレックスは直接リリスとは戦闘をしていなかった。

「いや、その…」
「あなたにトドメ的なものを刺したのはグランさんです…」

「(´・ω・`)ショボーン」

「ちなみに、アレックスさんには見向きもされていませんでした。」

「ほら、遠かったから。」

「(´・ω・`)ショボーン」

戦いの状況を聞かされるごとに、リリスがしょぼくれていく。が、次の瞬間、気持ちを切り替えるかのように首を振ると、顔を挙げて高らかに宣言する。

「つまり、戦ってない、ということはまだ決着はついていないのだな!」
「見てなさい、アレックス!」
「今度こそ、アナタを越えてあげるから!」

ビシッ、っと音がしそうな勢いでアレックスを指さす。

「まあ、来るならヴィルマ村に来てもらえれば。」

「ええ、行ってやるわ! 行ってやるわ!」
「どうせこの仕事は万博の会期中だけなんだから!」

「あ、来るんだ。」

「なにその反応はー!」

興味なさげなアレックスの反応に、リリスが不満そうに叫ぶ。ヴィルマ村に来たら、騒がしくなりそうだ、と見ていた皆は思った。

  •  ・ ・ ・

「ところで、今回の戦いで、街の施設が少し壊れてしまっていますよね。」

咲希は、護国卿トオヤに話しかけていた。

「まあ、そうだな。」
「城壁とかも修繕が必要だろうな。」

「そこで、仮の補強材としてこの段ボールなどはいかがでしょうか?」

そう言って、比較的頑丈なタイプの段ボールを取り出す。どうやら、懲りずに段ボールのプレゼンに来たらしい。対する、トオヤは至極当然の疑問を返す。

「それ、紙だろ?」
「雨とか大丈夫なのか?」

「それは、彼らに聞いてみてくださいよ!」
「素晴らしい防御力だと言うはずです。」

微妙に答えになっていないが、咲希は自信満々に言う。一応は、その頑丈さが確かなことを見せつけられたのは間違いないのだが…

「まあ、壊すのには苦労しそうですね。」

「ええ、頑丈かつ安価、組み立てもお手軽なこの素材。」
「ぜひぜひ、街の修繕のための資材として採用を。」

咲希は、段ボールの有用性をアピールしていく。その結果は…

「まあ、工事現場の養生材ぐらいには使えるだろう。」

有用なことは確かそうだし、とりあえず一時的に使うだけのものにしておいて、今後も使えるかはまた判断すればいい、といったところだろう。

「ま、養生材だからな。」
「ちゃんと直している間の目隠し程度なら、使えるものは使ってもいい。」

返事を聞くと、咲希は早速信者たちに号令をかけ、城壁の修復作業に取り掛かる。

「ありがとうございます!」
「よし! 行くぞ、野郎どもー!」

まあ、士気は高いようだし。

Climax. 万博

ついにヴァレフール万博本番が始まった。
大都市ドラグボロゥに、いつにも増して人があふれ、各村、各国のブースを周っている。ある者は、希少な展示品を興味深そうに眺め、またある者は各地の名物に舌鼓を打つ。

さあ、ヴィルマ村から出品するカレーも無事に出来上がった。お祭りの始まりだ!

皆でカレーを売りつつ、手始めにグランがチラシを配っていく。ひとまず、スタート時に作っておいた分の鍋があるので、アレックスを調理担当(もちろん、香辛料を入れ過ぎないように厳命して)に残して、他の人員で売り子に出る。
グランの宣伝に加えて、咲希が事前に宣伝していたこと、アスリィが馬術大会で優勝して目立っていたことも奏功しているようだ。開場すぐから賑わっているようで、多くの人が目新しい味を楽しんでいる。

順調に売れていったところで、ちょっと作るペースが追いつかなくなってきた。そこで、アスリィが売り子から調理役の方に回ることにする。
天性の器用さは料理でも活かされたようで、会心の出来で、次の一鍋が完成する。せっかくなら、これほどの出来ならキャッチコピーの1つでも付けたいところである。
ふと頭に浮かんできたフレーズは…

「剣の姫騎士が作った」…?

「「「誰だ!!??」」」

総ツッコミであった。

  •  ・ ・ ・

ちなみに、せっかくなら、ということで、この宣伝文句は役立てられることになる。

「えー、先ほどのドラゴンにトドメを刺した我らが「姫騎士」が作りましたカレーはこちらでーす!」

「ちょっと、グランさん!」

当のアスリィは一応、グランに文句を言いつつも、内心ノリノリのようで、「仕方ないなあ。」と言いつつ「姫騎士」っぽい衣装に着替えて売り子に戻る。これもまた、ヴィルマ村のブースの売り上げに貢献したとか。

  •  ・ ・ ・

◆余談そのいち

アレックスがカレーの調理を進めていく。先ほどのアスリィの作ったカレーと同じく、キャッチコピーをせっかくなら考える。

「ドラゴンが火を噴く」…?

「待てーい!」

どうやら、目を離した隙に激辛カレーを作ってしまったらしい。無駄にするのもどうかと思うので、チャレンジメニューとして出してみることにする。
ちなみに、このチャレンジメニューに案の定リリスが挑戦して沈んでいたが、特に話の本筋とは関係ない。

「この程度、この程度…わたしは負けるわけには…」

  •  ・ ・ ・

◆余談そのに

姫騎士衣装でアスリィが接客しているところにティニオが訪れる。アスリィの恰好を見て、疑問を投げる。

「お嬢様、一体何をされているのですか…?」

「いや、ちょっと成り行きで…」

「はぁ…、」
「旦那様、見たかったと悔しがるんだろうなぁ…」

ちょうどお客さんが増えてきたところで、グランがアスリィを呼ぶ。

「おーい、アスリィ! 次、4番テーブルに頼む。」

  •  ・ ・ ・ 

こうして、ヴァレフール万博は順調(一部除き)に過ぎていき、閉幕を迎えた。

「なんで私、こんな格好してるんですかね…?」

カレーの片付けをしながら、ふと我に返るアスリィがいたとかいないとか。

Ending.1. 表彰式

ヴァレフール万博、その閉会の式典。ここまで、蛇神の襲撃以外は大きなトラブルなく、万博は終わろうとしていた。

ドラグボロゥ城前にしつらえられたステージにレア伯爵が上がる。まずは表彰式だ。今回の出展では、金賞、銀賞、銅賞と、それぞれ賞が用意されている。ヴィルマ村のブースは傍目から見ても、多くの客が訪れており、盛況に見えた。
表彰が始まり、まず銅賞のブースが呼ばれていく。ヴィルマ村の名前はまだない。銀賞のブースが呼ばれても、ヴィルマ村の名前は無い。
最後に金賞の発表。幾つかのブースと共に、ヴィルマ村の名前が呼ばれる。どうやら、ヴィルマ村の産品を活かしたカレーは、好評を博したようだ。これは1つの復興の証でもあるだろう。

領主であるグランと、契約魔法師であるアスリィがステージに上がる。お祭り気分はまだまだ抜けきらない故か、アスリィは姫騎士衣装のままだ。いつの間にかサラに借りたのか、しっかりレイピアも装備している。
観衆がさわめく。

「…ざわ…ざわ」
「あれが、ヴィルマ村の姫騎士。」
「その鮮やかな剣技でドラゴンを斬り伏せたらしい。」
「アスリィさまー!、素敵ですわ!」

なんか噂に尾ひれがついているような気がする。あと、若干変なファンが付いているような気がする、

「金賞、ヴィルマ村。」
「ヴァレフール万博において、貴君らの出展は、我が国および友好各国の文化の発展に大いに寄与するものと認められた。」
「よって、ヴァレフール伯爵、レア・インサルンドの名において、金賞として、ここに表彰する。」

レア伯爵が、賞状をグランに渡す。大きな拍手がステージを包む。
受け取った賞状は、ヴィルマ村に持ち帰って領主の執務室に飾ることにしよう。

Ending.2. 挨拶

万博閉幕後、咲希は次の商売の地に行くために出発の準備を始める。出立の準備を整えたところで、今回の万博で世話になったヴィルマ村の皆に挨拶をする。

「ヴィルマ村の皆さん、今回はありがとうございました。」
「またどこかで会うかもしれませんが、またその時は、商売相手としてよろしくお願いしますね。」

「あ、ああ。」

「私はまあ、もう少しはこのドラグボロゥ周辺にいるつもりですが、あなたたちはヴィルマ村に帰るんでしょう?」

「そうだな。帰ってやることがいくらでもあるからな。」

「それなら、今回はここでお別れです。」

そういったところで、アレックスが言う。

「それじゃあ、今度、畑の写真を送っときます。」

アレックスと咲希はそれぞれ投影された携帯端末を持っているので、画像を送ったりもできる。

「では、私は信者たちを待たせているので、これで。」

そう言って、咲季は段ボールに乗って去っていく。

  •  ・ ・ ・

咲希が立ち去った後、アスリィとグランがしみじみとつぶやく。

「不思議な人だったなぁ…」

「…ただ、あまりうちの村には来ないでほしいなぁ。」

Ending.3. 資料

ヴィルマ村に帰る前に、グランはレア伯爵に借りていた資料を返しに行くことにする。ドログボロゥ城、レア伯爵の執務室に訪れる。

「失礼します。」

「ああ、グランか。」

借りていた資料を取り出す。

「お借りしていた、これを返しに参りました。」

「ああ、それか。その本は役に立ったかな?」

「ええ、おかげであの竜を倒せました。」

「何か、関係あったのか?」

レア伯爵の顔に疑問の色が浮かぶ。投影体出現事件のことは聞いているが、この本と関係があったとは初耳だ。

「正直、ろくに使い道も無いまま書庫に死蔵されてたものだからな。」
「それが少しでも役に立ったのなら、それだけで儲けものだ。」

「詳しい説明は、サラの方から受けた方がいいかと思います。」
「私では如何せん、うまく説明する事が出来なさそうなもので。」

「では、そのあたりの話は後々聞いておくとしよう。」

言って、グランは資料を渡す。話は変わって、ヴァレフール万博の話に移る。

「それにしても、上手くいって良かったですね。」

「ああ、私の就任後、初めてのここまで大きなイベントだからな。」
「是が非でも、失敗する訳にはいかなかった。正直、無事に終わってくれてほっとしている。」

「ヴィルマ村としても、復興をアピールできたのは良い事ですし。」

「そうだな。現に君たちは、私の期待以上の成果を残してくれた。」

「まあ、これからも精進して、村の発展に努めさせて頂きますよ。」

「ああ、頼む。」
「ヴィルマ村から、次の知らせが届くこと、楽しみに待っている。」

グランはそれから、もう1つの懸案事項に触れる。

「あと、以前起こった伝染病なども、調べていかないと。」

伝染病については、過去に終わった話ではないことが判明してしまった。アイディが未だその伝染病に侵されている、ということなら、なおさら本腰を入れて調べねばならないところだろう。レア伯爵も首肯する。

「その話なら、ヴェルナ経由でサラから聞いている。」
「君たちの村に今も、その伝染病の患者が1人残っている、という事情も含めてね。」
「にしても、伝染病の治療法か。 そのあたりについては私の方でもツテを探しておこう。」

レアとしても、この伝染病については無視できない。以前、このような伝染病が発生した原因が不明な以上、いつ再発するとも限らないのだ。であれば、ヴィルマ村の方で調査をするということであれば、できる限りの支援はするつもりだ。

  •  ・ ・ ・

一通りの報告を終えて、グランが退室した後、レア伯爵は思案する。

「さて、どうしたものか。」 

Ending.4. 好敵手?

アレックスは、撤収作業の合間に、リリスがいるティスホーン村のブースを訪れていた。こちらも撤収作業の最中のブースに声をかける。

「リリちゃんいるー?」

「ん? 呼ばれた?」
「何だ、わざわざこんなとこまで来たのは誰だー?」

声の主の方を見て、リリスは露骨に動揺する。

「って、あ、アレックスだと!」
「アレックスの方から私のところに来るとは、どういう風の吹き回しだっ!」

リリスがアレックスに一方的に突っかかっていくことはあっても、アレックスの方から来るのは初のパターンだ。

「リリちゃん、(ヴィルマ村のブースに来る暇が無さそうなくらい)忙しそうだったし。」
「あと、皆が行けってうるさかったから。」

「皆に言われたから、なんだ…」

ちょっとリリスがしょんぼりする。

「いや別に、言われたわけじゃないけど。」
「でも、行けって目が訴えてたし…」

「同じだよっ! なぜそれを言うのだっ!」
「そういうとこだぞ、アレックス!」

リリスが頬を膨らませて言う。

「それで、リリちゃんはこの後どうするの?」

「言わなかった? ヴィルマ村までアンタと決着付けに行くから!」

「それなら一緒に帰る?」

「ティスホーンまで撤収作業手伝わなきゃいけないから、そっち経由で行かなきゃ…」
「だから、しばらく先になると思うけど、絶対、また行くからね!」

「じゃあ、またカレー用意して待ってるよ。」

「ええと、うん、普通のカレーを。」

どうやら、いい加減に懲りたらしい。だが、ここでさらに(割と無自覚に)アレックスが煽る。

「え? 僕が食べれるあのカレーを食べれないの?」

「やってやろうじゃないの! アレックス!」
「首を洗って、いや、鍋を磨いて待ってなさい!」

そういうとこだぞ、リリス…

Ending.5. 顛末

サラは、ヴェルナのもとを訪れていた。ドラグボロゥ城、自身の執務室で疲れた様子を浮かべていたヴェルナは、サラに気付いて答える。

「…はぁ、疲れました…」
「あ、サラさん。どうされました?」

「お疲れのところすみません。」
「あれから、お体の方は大丈夫ですか?」

「ええ、特に異常はありません。」
「操られている間は、全力で動き回っていたようなので、その分の疲れは残っていますが。」

戦闘で受けた傷などもあったが、そのあたりは手持ちの薬の類でなんとかしている。続けて、ヴィルナは話題を変える。

「それから、金賞おめでとうございます。素晴らしい評判でしたよ。」
「私も、アンケートの集計作業など見ていましたからね、そのあたりの声はつぶさに届いています。」

ヴィルマ村の復興プロジェクトの成功をアピールできたことは、彼女らドラグボロゥの人々にとっても喜ばしい事なのだろう。

「心残りは、私の方が忙しすぎて、結局そちらに顔を出せなかったことですが。」
「少しぐらいでしたらお手伝いができるかも、と思いましたが、残念です。」

サラは、「手伝いに来られなくて良かった…」と内心思いつつ、答えた。

「ともあれ、お元気ならよかったです。」
「これ以上お仕事の邪魔をするのもあれですし、私はこれで失礼しますね。」

「はい、今回はお疲れさまでした。」
「あ、そうそう、万博の諸々で各所から頂いたお菓子などがあるのですが、私一人では食べきれないので、よかったら少し持って行ってください。」

そう言って、ヴェルナは幾つかお菓子を持ってきて…

「あと、私が作ったのもあるので、一緒に入れておきますね。」

袋をサラに渡す。中には10種ばかりのお菓子が詰め合わされているようだ。

「あ、はい、皆と分けて食べますね…」

このロシアンルーレットなお菓子袋がまたヴィルマ村で一悶着起こすのだが、それはまた、別の話である。

  •  ・ ・ ・

サラが退室した後、ヴェルナの執務室にて。ヴァレフール次席魔法師、ディレンド・グレイルが扉をノックする。

「おや、どうかされました? ディレンドさん。」

「忙しいところ済まないな、ヴェルナ嬢。」
「少しばかり、相談があってな。」

「はい、何でしょうか?」

「私の今後のことだ。以前から言っていた通りなのだがな。」
「今回の万博が終わって丁度いい機会でもあるだろう。」

「そうですね。私としては、まだまだ貴方に助けて頂きたいこともありますが。」
「後任は如何します?」

「ふむ、最有力な候補は彼女だな。無論、他にも候補はいるが。」

「なるほど、やはりそういうお考えでしたか。」
「とはいえ、彼女には別件のお話も来ていましてね。」

「まあ、最終的には本人が決めることであろうよ。」
「私が我儘を通させて貰うんだ。他の者が希望を通せない道理もあるまい。」

「そうですね。納得できる道を選ぶのが最上でしょう。」

Ending.6. 親子

アスリィはティニオに預けられた通話のピアスを起動する。数度の呼び出し音のあと、困惑したような父親の声が聞こえてくる。

「ん? アスリィ?」

「お久しぶりです、父さん。」

「まさか本当に、連絡してくるとは思わなかった。」

父エミリオとしては、一応ティニオにピアスを預けていたのもダメで元々のつもりだったので、首尾よくアスリィの手元に渡るとは思っていなかったようである。

「まあ、勝手に家出てった訳ですし、アイテムも貰ったので。」
「話すことが無いならいいですよ。切ります。」

「いや、待て! 話すことある!あるから! 切らないで!」

今にも本当に通話を切りそうなアスリィに、エミリオが慌てて答える。続けて、とりあえず状況を確認する。

「で、なんでわざわざ連絡してくる気になった?」
「これで連絡できるということは、ティニオに会ったのだろう?」

「会いましたね。」

「あいつから説得されたところで、お前の考えが変わるとは思えないが。」

「そりゃそうですよ。私が話したいと思ったからかけたんです。」

あくまで、ティニオやエミリオの言に従ったことにはしたくないらしい。

「一応聞くぞ。ハルーシアに戻ってくる気は無いのか?」

「無いです。」

「即答だな…」

「だいたい、父さんに言ってなかったけど、私、ヴァレフールのヴィルマ村ってとこで契約魔法師をすることになったので。」

そう、契約魔法師として就職している以上、少なくとも実家に帰ってロードになるつもりはないと社会的にもみなされるだろう。エミリオとしてはそのようなことは当然初耳であるが。

「はぁ…」
「そもそも、お前が契約魔法師どころか、魔法師になったという話すら聞いていないのだが。」

「今話しましたからね。ティニオにはさっき言ったんですけど。」

そう言って、実家を出てからヴィルマ村に至るまでの経緯を簡単に説明する。
エミリオはそれを聞いてもう1つ嘆息し、確認する。

「お前は、それでいいんだな?」

「私が決めたことなので。」

「もちろん、お前がハルーシアに戻ってくるなら、エテーネ家の跡継ぎとしての席は用意する。」
「まあ、ロードとして生きていくにもそれなりに苦労はあるだろうが、聖印、領地、得られるものは多い。少なくとも私はそう思っている。」
「だが、それでも、お前は帰ってこないのだろう?」

エミリオは、本音を言えば、アスリィにはハルーシアに戻ってきてほしいと思っている。エテーネの家を継ぐ者が欲しい、と言うのももちろんあるが、それ以上に、単に娘に危険な道は歩ませたくない、ということの方が大きい。
魔境の隣の村で魔法師をするよりは、アトラタンで最も平和と言われるハルーシアで領主をする方が、圧倒的に安全ではあろう。
だが、自分がそう説得したところで考えを曲げるような娘でもないだろう。そのぐらいは分かっているエミリオは、最後に1度だけ確認した。

「今の生き方の方がいいんだろう?」

「そうですね。そう思います。」

「であれば、これ以上は何も言うまい。」
「お前の人生だ。」

「まあ、エテーネ家の方は気にするな。」
「最悪、養子をとるという選択肢もあるしな。」

「これでも、お前には跡継ぎになって、幸せになって欲しかったのだがな。」

「その幸せは、私が決めることですので。」

アスリィは、はっきりと言い切った。

「ま、それこそティニオにでも継いでもらううか? 適任だと思うがな。」

「まあ、そうですね。私もそう思います。」

確かに、現にエミリオの従騎士として勤めているティニオの方が、いまさら見知らぬ相手を迎えるより良いだろうが。内心、「ティニオが義兄になるのか…」と微妙な思いを抱きながら、アスリィは答えた。

「最後になりますけど。」
「私が話したかったから、と言いましたけど、本当のところ、父さんの声を久しぶりに聞きたかっただけです…」

言葉が終わると同時に、アスリィは通話を切る。通話の向こうから「アスリィ!、ちょっと、アス…」と聞こえた気がしたが、無視する。

  •  ・ ・ ・

そのころハルーシア。

「アスリィ!、ちょっと、アスリィ!」

エテーネ家当主エミリオはピアスに話しかけるが、娘からの返答はない。

「完全に切られたな…」
「久々にアスリィの声を聞けたし、良かったとするか。」
「それにしても…」

「もうちょっとアスリィとお話ししたかったなぁ!」
「週に1回とは言わないから、せめて月に1回ぐらいは通話かけてきてくれないかなぁ?」

なんだかんだ言って、この父親、要は「親バカ」なのである。ちょうど、エミリオの妻(アスリィの母)が顔を出す。反応のない通話のピアスを前にするエミリオを見て、笑いながら言う。

「おおかた、アスリィとでも通話がつながった?」

「お前は、妙にそういうところで鋭いから…」

「あなたが、そんなにうるさいのはアスリィ関連ぐらいだから。」

実際、結構近くで見ているとこの人は分かりやすい。そのあたりは否定せずにエミリオは続けた。

「まあ、そりゃ、否定はしないさ。大切な娘だからな。」
「だからこそ、心配になるし、だからこそ、幸せなってもらいたいのさ。」

そう言って、窓の外を見る。ハルーシアに広がる青空は、遠くアスリィが(あと、ついでにアテリオが)いるブレトランドと同じ空なのだろう。
たとえ、その間に雲も雨もあろうとも。親の愛はきっと、どこか同じ空の下から。きっと。

Ending.7. 姉弟

サラは、今回のヴァレフール万博で久々にロート家の後輩たちと会う機会があった。ジョシュアもチシャも、それぞれの任地で忙しくも楽しそうに過ごしていた。
ふと、今回の万博では会えなかった後輩の顔が浮かぶ。アントリアのとある街の契約魔法師として就職した後輩に、なんとなく、タクトで通話をかけてみる。

「お、姉貴じゃん! どうした?」

「久しぶりにロート家の人と会ったから、あなたは元気かなって。」

通話相手は、アテリオ・ロート。サラやジョシュアと同じロート家の魔法師であり、現在は、長城線沿いのアントリアの村、パトラの契約魔法師を務めている。
そして、アスリィの実の兄でもある。

「そういえば、俺ぐらいしかアントリア側にいなかったな。」

「ええ、あなただけそちら側でしたね。」

「というか、今、通話して大丈夫なん?」
「まあ、個人的なやつならいいかな?」

「プライベートな話ですしね。」

一応、ヴァレフールとアントリアは敵国である以上、この通話も少しグレーゾーンなところはあるのだが、国の内情などには触れずに姉弟として会話をするぐらいならいいだろう。
(実際、随分と交易もしづらくなったとはいえ、民間レベルでヴァレフールとアントリアを行き来する者とかもいることだし、グレン・アトワイト元騎士団副団長の留学が許されているぐらいには。)

「で、どうした?」

「いや、久しぶりにあなたが元気だったか聞きたかっただけですよ。」

「うん、まあ、元気だよ。」

「そうですか。」
「あと、私から言うことと言えば、あなたの妹がこちらに来ていますよ。」

「は!?」

明らかに動揺したアテリオの声がタクトから聞こえる。

「え?え? 姉貴?」
「今なんて言った? 今なんて言った!?」

「あれ、聞こえませんでした? もう一度言いますよ。」
「妹が来ていますよ。」

「俺の?」

「うん。」

「俺の、可愛いアスリィが!」
「世界一可愛いアスリィが!」

2回言った。
大切なことなので2回言った。

「ものすごくあなたの(抱き枕で思い描いた)想像通りに成長していましたよ。」

「嘘やん。」

「あなたの想像力というか、妄想力には敵いませんね。」

「ええー! めっちゃ会いてぇ!」

アテリオが叫ぶ。このままだと敵国だということをお構いなしにヴァレフールに来てしまいかねないので、一応1つ釘をさす。

「ダメですよ。さすがに勝手にこっちに来るわけにはいかないでしょう。」

「もちろんそれは俺も分かってるよ。」
「ありがとう、姉貴。じゃあね!」

と言って、通話を切る。

  •  ・ ・ ・

早々に通話を切り上げたあたり、こっちに来る算段でも立てているんじゃないかと不安になるが…

「まあ、来たら来たで追い返せばいいか。」

Intermission.1. 思惑

此処は何処か、誰かの執務室。シンプルに、質素にまとまった部屋だが、その部屋で執務机に向かう人物の一挙一動には、地位のある者特有の貫禄のようなものが滲み出ていた。扉が数度ノックされ、秘書か何かと思しき女性が入ってくる。

「××××から、連絡が届きましたよ。××××××さま。」

「ご苦労。それで、内容は何と?」

「まだそのものは見つかっていないようですが、着々と探索は進んでいるようです。」
「あちらも手を止めるつもりは無いように見えますし、発見は時間の問題でしょう。」

「うむ、よろしい。」
「××××××の××に期待が持てぬ今、我々にはせねばならぬことがある。」

執務机の人物はそう言って、鷹揚に頷いた。

「さて、もはや座して朗報を待つ時節でもなかろうよ。」
「出掛ける準備を頼む。」

「はい、かしこまりました。××××××さま。」

Intermission.2. 依頼

ドラグボロゥの街は万博の後片付けが進む中、ヴァレフール伯爵、レア・インサルンドは思案を巡らせていた。

グランに対して、伝染病の治療方法を見つけるために助力すると言ったが、現状レア伯爵直属の魔法師団の主要人物は時空魔法師であるヴェルナと静動魔法を専門とするディレンドであり、高位の生命魔法師や錬成魔法師はいない。レア伯爵自身も治癒能力に長けた救世主の聖印の持ち主であるが、救世主の聖印による治療など、とうに試されているだろうし、治療能力があるのと病の原因を探る知識があるのは別問題である。
つまりは、外部からそれだけの能力を持った人物を招く必要があるだろう。偶然にも、ヴァレフールには生命魔法師や錬成魔法師は少ないのである。(皮肉なことに、「ヴァレフールで最も高位の生命魔法師は誰ですか?」と問われれば、それこそアスリィかもしれないのである。)

生命魔法や錬成魔法の使い手、真っ先に思い浮かぶのは…かつて楽園島で世話になったアイン・ナウム・サンデラの顔だが、まさか彼に頼る訳にもいかない。実のところ、レアの姉は優秀な錬成魔法師であるのだが、そもそも彼女はそのことを知らない。

ときに、ふと顔を上げたレアは万博の片付けを手伝う見覚えのある人物を見つけた…
彼は確か、大陸のローズモンド宰相に仕える魔法師の方、専門は錬成魔法だったはずだ…

「失礼、ローズモンド宰相ヘルマン子爵の契約魔法師ヨハン・デュラン氏とお見受けします。」
「突然で恐縮ですが、貴方のお知恵をお借りしたいことがあるのです。」

…また、ヴィルマ村を巡る話の歯車が、回りだそうとしていた…

Appendix.1. ヴィルマ村開拓状況

◆村の施設

  • 復興本部

  • ジャガイモ畑 
  • 小麦畑 
  • 香辛料畑 
  • 野菜畑 

  • 炭焼き小屋 
  • 水車小屋 
  • 鶏小屋 

  • 宿屋 
  • 冒険者の店 

◆村周辺の調査

  • ボルドヴァルド大森林 (調査中)

  • 南の山岳地域 (鉱山開発中)
  • ヴィルマ村-テイタニア間旧街道 (復旧完了)



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最終更新:2018年11月05日 13:16