4.2.1. Century of the raising arms

 ブレトランドの内外から集まった音楽家達による競演が続く中、やがてセットリストの終盤に差し掛かったあたりで、会場内の度肝を抜く出場者が現れた。デーモン・ミュンヒハウゼン率いる地球人バンド「罪世紀」である。メンバー全員が白塗りの化粧で悪魔的な装束に身を包んだ彼等から発せられる不気味なオーラは、それだけで会場内の空気を緊迫させた。イリアの警護のために秋田犬状態となっていたプロキオンは、そのあまりにも強大すぎる混沌の匂いに直面して、思わず恐怖でその尾を下向きに旋回させる。

「さぁ、聞くが良い。我が盟友エースが生み出した至玉の旋律を! Century of the raising arms !」

 デーモンがそう叫ぶと、彼の地球時代の盟友と同じ化粧をしたQuatro Acesの面々が、激しくも美しく、そして煽情的なリフを奏で始め、やがてそこにデーモンの圧倒的な迫力のハイトーン・ヴォイスが重なり、観客達を未知の興奮へと誘う。既に先日の蝋人形の館の戦いで彼の歌を聴いていたマリベル、ラーテン、ジークといった面々も、「本来の身体」を手に入れた状態での歌声には改めて感服し、そして初めて聞く「生歌」に、オラニエは思わず感涙をこぼす。
 そして審査員席のバリーも、表面上は平静を装いつつも、内心では感動に打ち震えていた。

(まさか、あのデーモン閣下の歌声をこの世界で生で聴けることになろうとは……。さすがに演奏のレベルはオリジナルには遠く及ばないが、急増バンドにしては本当によくやっている)

 この時点で、バリーの中では文句なしの暫定トップに躍り出た。

4.2.2. 美女と野獣のテーマ

 それに続けて登場したのは、アラン・デュラン歌劇団である。幻想詩連合の一角であるエストレーラの君主の契約魔法師であるアランが壇上に上がると、貴賓席に座る大工房同盟の面々の間では一瞬緊迫感が広がるが、アランは臆せず笑顔で挨拶を始めた。

「このような場に、我々連合の民を招いて頂いたレイン様の度量の深さに、心から感謝いたします。今日は、道ならぬ恋に苦しみながらも、互いの愛を貫き、そして結ばれる、そんな異界の物語 『美女と野獣』のテーマ を披露させて頂きます」

 彼はそう言い終えると同時に、その場に美しい衣装をまとったリャナンシーを召喚し、彼女が歌い始めると同時に舞台袖へと下がる。代わってその場に美声を響かせながら現れたのは、先刻までランスと話していた「野獣の被り物の男」であった。
 二人の優しい歌声は観客達を包み込み、幻想的な空気が会場一体に広がる。だが、エーラムの魔法師達や数年前までエーラムに留学していた人々の一部は、素直にその世界観に入り込めずにいた。彼等はその「野獣の歌声」が、かつてエーラムに留学していた大公令息の歌声に極似していることに気付いてしまったのである。
 学園祭で彼の歌声を聞いたことがあるヒュースやメーベルが「まさかそんな……」と困惑する中、貴賓席の中央に座るマリーネは明らかに動揺しつつ、どう反応すれば良いのか分からない複雑な表情を浮かべる。「野獣の男」は(相手役でも観客でもなく)そんなマリーネに向けて(被り物の奥から)熱視線を送るが、それに気付いたマリーネは、自らの心を押し殺しながら、目を閉じ、崩れそうな口元を必死で引き締める。
 そして二人が歌い終わると、会場内からは喝采が沸き起こるが、バリーの中での評価は今ひとつだった。

(確かに上手い。技術的には閣下と比べても遜色ない……。だが、「彼」は明らかに「歌の世界」に入りきれていなかった。歌は確かに愛を伝える最高の手段ではあるが、それは彼女と二人きりの時に用いるべき手法……)

 バリーも当然、この男の正体に気付いていた。これほどまでに繊細かつ優美な歌声の持ち主を、エーラムの中で最も深く芸能を愛すると自負するこの男が忘れる筈がない。

(いずれ、「彼女」だけのために歌える機会が再び巡ってくることを、私は陰ながら祈っていますよ、公子様)

 ちなみに、この「計画」を発案したのはアランである。隣国の王宮での出張公演中に「彼」に謁見する機会を得たアランは、「今も私の気持ちは変わっていないということを、なんとかして『彼女』に直接伝えたい」と思い悩んでいた「彼」のために、このような「命がけの愚挙」に力を貸すことを(嬉々として)申し出たのである。
 無論、このことは「彼」の側近達にすら知らされておらず、「彼」の本国では現在、「彼」の姿を模した「ヴァレフール出身の邪紋使い」が影武者を務めている(彼の本国には数ヶ月前から先代ヴァレフール伯爵が来訪中であり、魔獣騒動の際に「彼」に大きな借りを作っていた先代伯は、この機に自身の影武者を彼に貸し出していたのである)。
 なお、「彼」からの推薦状を手にしていたランスは、最後まで「彼」が誰なのか気付いていなかった。

4.2.3. 八忠臣の歌

(まさか「あの方」が来られていたとは……。さすがに、その直後というのは荷が重い……)

 内心そう思いながら壇上に登場したのは、吟遊詩人のハイアム・エルウッドである。彼は表向きは「どの国にも属さぬ吟遊詩人」だが、その正体はハルーシアの密偵である(その彼にすら、この「個人的計画」は知らされていなかった)。しかし、今回の彼は本国ではなく、「潜伏中の国」の国主からの指名を受けて、この音楽祭に参加していた。

「私は今回は『ヴァレフールの代表』として参加させて頂くことになりました。本当はロートス様やハーミア様も参加を希望していたのですが、今はヴァレフールの方々は新体制構築に向けてお忙しいので、流れ者である私が『代役』としての任を授かった次第です。本日は、遠方から御来訪された方々も多いということで、この地のことを少しでも知っていただくために、現在のブレトランドの基礎を築いた四百年前の英雄達のことをご紹介させて頂きたいと思います」

 彼はそう前置きした上で、リュートを奏で始める。それは 英雄王エルムンドを支えた「七人の騎士」と「名を知られていない一人の魔法師」を讃える歌 であった。一般的に知られている「英雄王エルムンドの叙事詩」(ブレトランド風雲録2参照)とはまた異なる、あまり知名度の高くない歌ではあるが、「七騎士の全員の名前が全て残っている(成立年代的に)最も古い資料」として、歴史学者の間では知られている。
 ハイアムの歌声は直前の二人に比べると派手さはないが、どこか独特の大人の男性の色気を感じさせる響きを帯びており、しっとりと奏でられたリュートの旋律と絶妙に絡み合って、静かに人々の心を四百年前のブレトランドへと誘っていく。

(奇を衒わない正統派の歌声だな。先日、彼の名を騙る偽物の歌声を下町の酒場で聞いた時にはどこか違和感があったが、やはり本物は違う。ソリストならではの無駄のない完成された至高の芸術品。まさに、この世界の頂点を決める音楽祭にふさわしい)

 バリーは本来は派手好きで、伝統よりも新奇性を重んじる傾向の持ち主である。だが、ここでハイアムの奏でた一曲は、そんな彼の個人的趣向を真正面から捩じ伏せるほどの圧倒的な完成度であった。

(さて、この曲を超えるような感動を私に与えてくれる者達が、果たして現れるかどうか……)

 期待を込めてバリーは舞台袖へと視線を向ける。この時点で残された出場者は、あと四組。

4.2.4. 巨大蛾の歌

 ハイアムの奏でた英雄譚の余韻がまだ会場内に漂っている中、想定外の人物が壇上に上がったことに、観客は湧き上がる。飛び入り参加のミレーユとアイレナであった。二人に続いて現れた一座の楽団が背後に並び、そして座長のロザンが深々と頭を下げる。

「この度は、私の手違いにより到着が遅れ、割り込むような形の参加になってしまって、申し訳ございません。そんな我々にも出場機会を与えてくれた主催者様の御厚意に応えるべく、今回はこの二人の数ある『持ち歌』の中でも最高の一曲を披露したいと思います」

 彼がそう言い終えたと同時に楽団が演奏を始め、そして双子の歌姫は、故郷のマーチ村に伝わる、あの 禁じられた唄 を歌い始める。それはこの一年を通じて彼女達が密かに練習を続けた、実質的に今の彼女達にとっての「最も洗練された歌」であった。前回大会での失敗を教訓に、今回はあえて「今の自分達が最も心を込めて歌える曲」を選んだのである。
 そんな二人に対して、複雑な視線を向ける少年がいた。マーチ村の現領主のセシルである。

(あの二人は、あの時の……、そしてこの歌は……)

 マーチ村での騒動のことを思い出し、何とも言えない心境に陥っていると、彼の懐に忍ばせていた(聖印の力で小型化された)「巨大蛾の幼虫」が、その歌に反応していることに気付く。

(え!? バス・クレフ!?)

 セシルが驚いて確認してみると、幼虫は口元から糸を吐き、やがてそれが幼虫全体の体を覆い、眉を形成していく。どうやら、あの時は失敗に終わった「羽化」が、約一年の時をかけて成長した双子の歌声によって、遂に覚醒に至ったらしい(なお、この時点ではミレーユもアイレナも、観客の中にセシルとバス・クレフがいることには気付いていない)。セシルが混乱する中、繭化が完成した時点で歌は終わり、そしてバス・クレフの様子も落ち着く。

(このまま放っておけば、いずれは「成虫」の姿になるんだろうか……)

 困惑したセシルがそんな想いを抱く中、観客達は壇上に向けて、今日一番の歓声を上げる。そしてバリーもまた満面の笑みを浮かべていた。

(完璧だな。この双子の歌声は以前にエーラムを訪れた際にも聞いたことがあったが、確実にあの時よりも成長している。楽団共々、相当な練習を重ねてきたことが伺える。しかし、なぜこの二人がこのような『異世界の劇中曲』を知っているのだろう?)

 そんな疑問を抱きつつも、バリーの中では今の時点で彼女達がハイアムを抑えて暫定首位の座に躍り出た。しかし、まだこの後に「優勝候補の三強」が控えている。音楽祭の盛り上がりは、いよいよ最高潮に達しようとしていた。

4.2.5. モラード六六花合戦

 前回大会の主催者であったアカリ・シラヌイが壇上に現れると、彼女のファンの観客達からの一斉コールが響き渡る。彼女は笑顔で客席に向けて手を振りつつ、舞台袖に控えるカルディナに目で「合図」を送り、そして会場全体に向かって叫んだ。

「じゃあ、みんな、いっくよー!」

 彼女がそう叫ぶと同時に、彼女の背後に15人の男女が現れる。彼等は地球においてアカリが所属するアイドルユニット「名古屋八八プロジェクト」のメンバー達であり、カルディナの新作魔法「アイドル・プロジェクション」によって一時的にこの世界に投影された存在である(地球での彼等の物語はビギニングアイドル「名古屋八八プロジェクト」を参照)。
 そして彼女達は、自分達の持ち歌であるご当地ソングをアレンジした モラード六六花合戦 を歌い上げる。彼女達の祖国の伝統的な旋律を基盤としたハイテンションな楽曲に乗せて、モラード地方の名産品などを歌詞に取り入れたその楽曲は、アカリがモラード地方内での巡業活動を通じて得られたインスピレーションを盛り込んだ、最高のパーティーソングであった。

「アカリちゃん、このボニファーーーーーーーーツがついてるぞ!」

 ボニファーツがそう叫びながら、最前列で(以前にアカリから教えてもらった)オタ芸を披露するが、いかんせんテンポが全然合ってない。

「ひっこめー! おっさん!」
「邪魔だー! 見えねーぞー!」

 観客のそんな怒号にもめげずに無骨な鎧を着たまま踊り続けるボニファーツを視界の隅に移しつつ、審査員席のバリーは思わず興奮して立ち上がる。

(そう、これだよ! 私が求めていたのはこれなんだよ! この観客と一体となったパフォーマンス! これぞ大衆演芸の極致!)

 気付いた時には彼もまた即興の振り付けでその場で踊り出していた。もはや彼の中では、それまでに聞いた全ての楽曲が一瞬記憶から吹き飛ぶほどに、完全にアカリ達のステージに心を奪われてしまっていた。
 そんな彼の様子を見て、舞台袖のカルディナは密かにほくそ笑む。この時点でカルディナは完全に優勝を確信していたが、まだこの後には二組の強敵が控えている。まさにここからが、真の意味での頂上決戦であった。

4.2.6. Starry

 アカリ達の圧巻のパフォーマンスで観客達の心が完全に鷲掴みにされたところで、前回・前々回と二回連続準優勝の「裸足の歌姫」ポーラが現れ、客席からは年季の入った彼女のファンからの情熱的な雄叫びが湧き上がる。だが、そんな彼等に対してポーラは、あえて水を差すような重い表情で語り始める。

「みんな、まず最初に一言言っておく。私はこのステージを最後に、しばらくは表舞台からは離れることになる。もしかしたら、皆が私の歌声を聴けるのは、これが最後かもしれない。だから、最後に私に栄冠を取らせて!」

 彼女がそう叫ぶと同時に、背後に控える紅の楽士がヴァイオリンを奏で始め、そしてこの日のために準備していた秘蔵の名曲 Starry を歌い上げる。それは前回大会で共に出場した地球人の少女に教えてもらった、乱世に生きる異界(?)の英雄達の心意気を歌い上げるハイテンポな楽曲であった。
 ポーラの突然の休業宣言によって一瞬悲鳴を上げた観客達の淀んだ空気も、即座に彼女の歌声によって消し飛ばされ、「三度目にして最後の挑戦」に掛ける彼女の執念が込められた歌声に、ただただ誰もが圧倒される。観客の誰からも身重と気付かれることがないまま、彼女は全身全霊を込めて最後まで歌いきり、客席は再び大歓声に包まれた。どうやらこの世界の人々の心の奥底に潜む何かに届くような、そんな不思議な力がこの曲の中には込められていたようである。
 そして審査員席のバリーもまた、かつてエーラムの学園祭に招かれた時の彼女よりも数段レベルアップしたその歌声に心から感服しつつ、内心では頭を抱えていた。

(私は、どうしても、どちらか片方だけを選ばねばならないのか……? 今からメルキューレに相談して、同じ気球をもう一つ作ることにするか? いや、いっそのこと、同点決勝として、もう一曲それぞれに披露してもらうという手も……)

 そんな悩める審査員の前に、いよいよ最後の出場者が現れる。過去最大級の盛り上がりを見せたこの第三回マージャ国際音楽祭も、遂に終幕の時を迎えようとしていた。

4.2.7. ようこそマージャ村へ

 ポーラのパフォーマンスが終わった時点で、観客達の間でも「これはもう、優勝はポーラさんだろう」「いや、アカリちゃん達の方が上だった」といった言い争いが一部で巻き起こっている中、前回大会の優勝者である「マージャ少年音楽隊」の面々が壇上に姿を現し、子供達の中では最年長のニコラが、客席に向かって軽く挨拶する。

「今日は皆さん、遠いところからこのマージャ村に集まってくれて、本当にありがとうございます。そんな皆さんへの感謝の気持ちを込めて、今回は新しく出来た『六人の友達』と一緒に、この曲を送りたいと思います。 ようこそ、マージャ村へ

彼女がそう告げると同時に、後ろで控えていた子供達の頭上に小さな異界の歌姫達(ネズミ、リス、カエル、モグラ、イタチ、小人)がひょっこりと現れ、そしてティリィの指揮に合わせて歌い始める。

「Welcome to ようこそマージャ村! 今日もどったんばったん お・お・さ・わ・ぎ〜!」

 そのアカペラでの歌い出しに続いて、子供達が楽器を奏で始め、そして小動物達の歌声と折り重なる形で、和やかな雰囲気が会場全体に広がっていく。前回大会の時は「大きな人達の前に出るのは怖い」と言って、客席の隅でこっそりと観覧していた彼女達も、この数ヶ月を通じてすっかり村の人々の間に溶け込んでいた。それでもやはり、この大観衆(それも大半は村の外の人々)を前にした彼女達の心の奥底には当然恐怖心もあったが、孤児院の子供達と一緒に歌えることへの喜びの方が、今の彼女達の中では勝っていたのである。
 そして子供達もまた(一部の奏者は頭上に動物を乗せた状態という難しい体勢ながらも)彼女達と一体になって、この日のために重ねてきた練習の成果を存分に発揮する。特に、前回はメンバーの中に入っていなかったビート達は「自分達が加わったせいで負けた」と言われないよう、必死で足を引っ張らないように集中し、そんな彼等の緊張感をティリィやニコラが笑顔で和らげつつ、彼女達は最後まで、いつもこの村を包んでいる「楽しい雰囲気」を、「この世界の楽器と異界の歌姫の音の調和」という形で最後まできっちりと表現し続け、そして演奏を終えると同時に、観客席からは割れんばかりの拍手が鳴り響く。
 そして、観客席のバリーもまた、観客達と共に立ち上がって満面の笑みで拍手を送りつつ、そして最大限の賛辞を送った。

「お見事だ。話に聞く限りでは、前回の優勝に関しては『子供ならではの可愛さ』故の加点もあったようだが、今回はそこから更に精進を重ねて、純粋に楽曲としての完成度も高め、それに加えて動物達との調和という、私が今までに成し遂げられなかった新たな『音楽の世界』を聞かせてもらった。素晴らしい。文句なしの優勝だ」

 その発言で会場全体が湧き上がり、子供達も感涙にむせぶ中、ティリィは笑顔で答える。

「えぇ。みんな、この日のためにいっぱい練習してきました。それに今回の演奏は、ある男の子の卒業記念でもありますから」

 彼女がそう言うと、皆の視線が一斉にビートに集中する。彼は照れ臭そうに下を向きつつ、密かに観客席に視線を向けると、自分に対して熱視線を送っている「殺戮者」の少女と目が合い、更に頬を紅潮させつつ、また別の方向へと視線をそらす。
 一方、先刻歌い終えたばかりで舞台袖で眺めていたポーラは、一瞬悔しさを滲ませながらも、すぐに納得したような表情を浮かべて子供達に温かい視線を送る。

「やっぱり、子供には勝てないか……。そうね、子供は大事だしね……」

 自分の下腹部を軽く撫でながらそう呟くポーラを、背中から「紅の楽士」がそっと優しく抱き締める。
 こうして、第三回音楽祭は「マージャ少年音楽隊」の二連覇に終わり、熱気球はそのままマージャ村に残され、この地の新たな名物の一つとして定着することになるのであった。

タグ:

+ タグ編集
  • タグ:
最終更新:2018年10月21日 08:03