『見習い魔法師の学園日誌』第7週目結果報告


1、心をもつもの


 突然の暴走の後、競技場の外へと走り去って行った オーキス・クアドラント に対して、皆が呆然と立ち尽くす中、観客席の最上段にいた大狼のシャリテは、すぐさま彼女を追って会場の外へと飛び出した。そして同じく最上段にいた エト・カサブランカ もまた、何か思いつめた様子で立ち上がり、会場の出口へと向かって走り出す。

「どこいくのだー!?」

 隣りにいたルクスのその声をも届かぬうちに、彼は何かに取り憑かれたかのようにオーキスの後を追って行った。
 一方、競技場内では、まだ皆が状況を把握出来ずに困惑する中、 「アネルカ」 が唐突にその場に倒れる。

「アネルカちゃん!?」
「おい! どうしたんだよ!?」

 カーバイト一門の二人が心配して駆け寄ろうとする前に、先刻駆け込んできたばかりの高等教員ノギロ・クアドラント(下図)が彼女の身体を抱き起こす。そして、この時点で彼は、アネルカの身体に触れた時点で「ある違和感」に気付いた。
+ ノギロ

(この感触……、もしや、彼女も…………)

 そして、すぐさま救護班の中にいたユタ・クアドラント(下図)に声をかける。
+ ユタ

「ユタ! アルジェント君に至急、連絡を取って下さい! 『あなたの縁者と思しき人が倒れています』と」
「分かりました!」

 ノギロの憶測が正しければ、「この少女」はおそらく高等教員メルキューレ・リアンの縁者である。しかし、メルキューレは現在、所用でエーラムを離れているため、彼の実兄でもある同門のアルジェント・リアンに「代役」を頼むことにした。
 そして、ノギロがアネルカを救護班の用意した簡易ベッドに寝かせて、「アルジェント君が来るまで、誰も彼女には触れないように」と告げたところで、観客席から飛び込んで来た風紀委員の イワン・アーバスノット がノギロに問いかける。

「居場所は分かる、と言っていましたが、どういうことですか?」

 おそらくそれは、この場にいる誰もが聞きたがっている当然の疑問であろう。それに対して、ノギロはバツが悪そうな顔を浮かべつつ答える。

「あなた方には、知る権利があると思います。しかし、これは私のわがままなのですが、彼女のことを学友と思ってもらえるなら、出来れば今は聞かないでほしい。ひとまずこの事態が収まったら、必ずお話します」

 日頃は常に穏やかな雰囲気を漂わせているノギロが、いつになく深刻な表情でそう語ったことで、イワンも「かなり重い話」であることは察する。その上でノギロは会場の近くの森林地帯を指差しながら話を続けた。

「おそらく、彼女は今、あの森にいます。私がこれから探しに向かいますので、皆さんは……」

 ノギロとしては「ここで待っていて下さい」と続けるつもりだったが、この場にいる面々の表情を目の当たりにしたノギロは、「今の自分にそこまで彼等を縛る権利はない」と思い直し、喉元まで出かかっていた言葉を、発声直前で差し替える。

「……出来れば、これから先も、彼女の『友』でいて下さい」

 そう言って、彼は競技場の外へと走り出して行った。生命魔法師である彼は自身の身体能力を一時的に強化することが出来るため、彼の足についていける者は、この会場内には誰もいない。

「セレネも探し行くぞ!」
「いや、待て! お前が行くと遭難者が増える! ここは俺に任せておけ!」

  ディーノ・カーバイト がそう言ってセレネを制する。いつもはトラブルメーカーのセレネのやることを大目に見ているディーノだが、今回ばかりは明らかに非常事態である以上、迂闊にセレネを危険に晒す訳にはいかないと判断したようである。

「あいつのことは正直気に入らねぇが、放っとく訳にもいかねぇよな……」

  レナード・メレテス はかつて、初対面のオーキスに「顔の傷」について言及されたことがあり、彼女に対してはあまりいい印象は持っていなかった。だが、事情はどうあれ、共に闘った仲間である彼女を放置しておくことは、さすがに彼の矜持に反する。

「そうですね。ここは手分けして……、って、あれ? 兄さん?」

 医療班による回復魔法によって傷を完治させた ジュード・アイアス がそう言いながら周囲を見渡すと、一緒に戦っていた筈の義兄エイミールの姿がない。どうやら、誰に相談するまでもなく、いつの間にか勝手にオーキスを探しに飛び出していたらしい。

(まったく! あの人は……)

 ジュードは再び内心で頭を抱えつつも、イワン、ディーノ、レナード達と共に森へと向かうことにした(なお、この時、いつの間にか姿を消していた「戦闘訓練参加者」がもう一人いたのだが、彼についてはなぜか誰も言及しなかった)。

 ******

 こうして「戦闘訓練」は中止され、観客達も騒然とした雰囲気のまま会場からの退去を要求される。そして、不本意な形で会場に残される形になった特別講師の「雷光のワトホート」(下図)は、医療班のユタに問いかけた。
+ ワトホート

「……俺は、今は動かない方がいいのか?」
「そうですね、オーキスさんがああなってしまった原因がどこにあるのかは分からない以上……、その、申し上げにくいのですが……」
「まぁ、俺の存在そのものが暴走の原因、という可能性もあり得るからな」

 ワトホートとしては納得いかない話だが、状況的に彼との戦闘中にオーキスが暴走したことは事実である以上、今の自分が彼女を探しに行くことで状況が悪化する可能性が無いとは言えない。魔法学校側としては、戦闘訓練中のワトホートの行動に特に問題があったとは考えていないので(彼が邪紋制御装置を外したのはオーキスの暴走の後である)、彼に対して今回の事態の責任を問うつもりは今のところはないが、それでも「参考人」としてこの場に留める必要はある。
 そのことはワトホート自身も分かっていたし、どちらにしても、彼にとってはまだ「仕事の『半分』が終わりかけた段階」なので、当面はこの場に残り続けるつもりであったが、自分が何も出来ずにただ状況の推移を待ち続けるだけというのは、彼の性分的に心地良い状況ではなかった。

「それにしても、今回は随分と色々『訳アリ』の連中の相手をさせられたようだな。さっきの赤目の奴もそうだが、そこの仮面の奴も……」

 そう言ってワトホートが、ベッドの上に横たわった状態のアネルカに視線を向けた時、突然、彼女が起き上がる。

「アネルカさん! もう起き上がって大丈夫なんですか?」

 彼女の近くで(ノギロに言われた通り、直接は触れずに)様子を伺っていた保健委員の マチルダ・ノート がそう問いかけると、アネルカはキョロキョロと周囲を見渡しつつ、自分の手をじっと見つめる。

「すごい、すごい! わたし動ける! わたしの意志で動ける! やった! やった!」

 唐突に彼女はそう叫び、ベッドの上ではしゃぎ始める。その様子は、先刻までの「アネルカ」とは(そして「いつもの彼女」とも)まるで別人のようであった。

「アネルカ、さん……?」

 マチルダが困惑する中、彼女はベッドから飛び起きようとするが、その動きはどこかぎこちなく、立ち上がった瞬間に身体の軸がぶれて、歩こうとして足を上げた直後に倒れてしまう。そんな彼女に対して、思わずワトホートが駆け込んで激しい口調で問い質す。

「おい! 結局、何なんだよ! お前は!?」

 それに対してアネルカは、倒れた状態のまま怯えたように身体を震わせる。

「ひゃあぁ! シ、シャリテー! た、助けてよぉ!」
「シャリテ?」

 ワトホートはその名に聞き覚えがない以上、その発言からは何も類推出来ることがない。先刻までの戦いでワトホート相手に寡黙に立ちはだかっていた氷の戦士のような雰囲気が、今の彼女からは全く感じられない。その違和感に、ただひたすら戸惑っていた。
 そんな中、唐突にアネルカの身体が宙に浮かび上がる。

「え? な? 何? わたし、空も飛べるようになったの!?」

 彼女がそう叫んだ直後、急に彼女は身体の中の何かが途切れたかのように、意識を失う。そして彼女の身体は浮遊した状態のまま、医療班の者達の目の前を通り過ぎ、そして一人の魔法師の目の前へと運ばれる。そこにいたのは、ユタからの連絡を受けて到着した高等教員アルジェント・リアン(下図)であった。
+ アルジェント


「彼女が迷惑をかけてしまったようだな。申し訳ない」

 静動魔法師であるアルジェントは、物体を浮遊させて運ぶことが出来る。彼はその力を用いてそのままアネルカを連れて行こうとするが、そんな彼に対してワトホートが問いかける。

「おい! ちょっと待てよ! 一体そいつはアンタの何なんだよ!?」
「家族だ。姪でもあり、妹でもある」
「は?」
「それ以上のことは、私に話す権利はない。『弟』が帰って来たら、奴にでも聞いてくれ」

 アルジェントはそう言い残して、その場から昏睡状態のアネルカを浮遊状態で連れ帰る。ワトホートもユタもマチルダも困惑した様子のままではあったが、先刻の「よく分からない状態のアネルカ」に対してどう対応すれば良いか分からなかった彼等は、これ以上何も言うことは出来なかった。
 一方、全てを分かったような様子でアネルカを連れ帰ることにしたアルジェントであったが、実際のところは彼の中でも困惑は発生していた。

(「さっきのお前」は何だったんだ……? 「本来のロシェル」ではないようだが……、まさか、「新たなロシェル」なのか……?)

 アルジェントの中で様々な可能性が広がっていく。自分にとって「姪」なのか「妹」なのかもよく分からない彼女を眺めつつ、オーキスの失踪騒動の噂を周囲の人々が口にしているのを耳にしながら、アルジェントは出張中の弟に思いを馳せる。

(よりによって、お前のいない時に、『二人』がこんな状態になってしまうとはな……)

 ******

 ノギロの宣言通り、オーキスはエーラムの近くの森林地帯の一角へと逃げ込んでいた。彼女は全てに対して怯え、どこに行けば良いのかも分からぬまま、ただひたすらに「誰もいない場所」を求めて、この森の奥地へと辿り着いていたのである。

(私は人間ではない。それは、最初から分かっていたこと……。そして、私に人間以上の力があることも……。でも、まさかこんなことになるなんて……)

 オーキスは暴走状態の時の自分が何をしたのかは、よく分かっていない。実際のところ、暴走状態の彼女はワトホートと一対一で戦い続けていただけで、特に人的被害が発生していた訳ではないのだが(ワトホートは程々に負傷していたが、歴戦の邪紋使いにとっては、戦闘訓練で受ける程度の傷など、傷のうちに入らない)、無意識のうちに「人知を超えた圧倒的な力」を行使し続けていたという事実そのものが、彼女にとっては恐ろしかったらしい。

(私の力は制御されている筈だった……、でも、その制御が、私の知らないうちに外れてしまったということは、これから先、また同じようなことが……)

 そう考えた彼女は、とにかく今は誰の近くにもいたくない、という一心で、皆の元から走り去っていたのである。
 既に陽は落ち、僅かな月明かりだけが彼女の周囲を照らす中、自分がどうすれば良いかも分からぬまま困惑する彼女であったが、やがてそんな彼女の元に、彼女を探して森に飛び込んだ者達が次々と姿を現すことになる。
 一番最初に彼女の元に辿り着いたのは、大狼のシャリテであった。人間よりも遥かに優れた嗅覚と、圧倒的な脚力を持つ彼女であれば、それも当然の話である。「彼女」の正体を知っているオーキスは、シャリテの姿を見て一瞬の安心感に包まれるものの、すぐに怯えた表情に戻る。

(「彼女」は私の正体のことは知っている。それでも私を友達と言ってくれた。でも……、私がこんな、自分で自分の力を制御出来ないような「怪物」だということは知らない……)

 それはオーキス自身が気付いていなかったことである以上、「彼女」に伝えていないのも当然の話である。そして、オーキス自身が「無意識のうちに暴走してしまう自分」を受け入れられていないのに、そんな自分を他の誰かが受けいられる筈がない、という想いに囚われていた。
 だが、そんなオーキスに対して、シャリテは穏やかな瞳を浮かべながら、一步近付こうとする。それに対してオーキスがビクッと反応しながら一步後ずさった。そんな怯えた様子のオーキスの心情を察したシャリテは、ひとまずその場に座り込む。オーキスの嫌がることはしない。オーキスがどんな状況になっても、オーキスの味方であり続ける、シャリテはそう言いそうな瞳で、じっとオーキスを見詰めていた。
 そんなシャリテの気持ちを察したのか、やがてオーキスは少しずつ自分からシャリテに対して歩み寄り始め、そして手が届く距離まで到達した時点で、ゆっくりとその豪奢な毛皮に手を伸ばし、軽く撫で始める。すると、シャリテはそのままオーキスに身体を寄せていき、すりすりと彼女の顔に身体を密着させていく。

(貴方は、確かにあの会場にいた。暴走した私を見ていた筈。それでも貴方は私を受け入れてくれるのね……)

 「二人」がそうして身を寄せ合っていく中、徐々にではあるが、オーキスの精神は少しずつ緊張感から解放されていく。

(それなら、私も「私」を受け入れないとね……。貴方が受け入れてくれるのに、私自身が受け入れられないなんてこと、ありえないもの……)

 オーキスは自分にそう言い聞かせながら、それなりに冷静に今のこの状況を整理していく。自分が強大な力を持っていたことは知っていた。命の危機が訪れると「封印」が解ける、ということも知っていた。先刻の戦いの際には、落とし穴に落とされた時に竹槍が(動脈血が噴出するくらいに)当たり所の悪い位置(肩口、脇腹等)に刺さっていたことを考えれば、その封印が甘いとはとても言えない。この後、今までと同じ処置を「先生」にしてもらえれば大丈夫だろう。
 ただ、この「いつどこに混沌災害が発生するかも分からない世界」で生きていく以上、当然、これから先も命の危険が発生することはある。そうなった時に、同じことが起きないとも限らない。それを防ぐためには、周囲の人々に事情を話しておく必要があるだろう。戦場においてはなるべく自分を優先的に守ってもらい(状況によっては、他の人々よりも自分自身の回復を優先することも選択肢に入れつつ)、最悪暴走した時はすみやかに自分から離れてもらう必要がある。最低限、それくらいのことは伝えておくべきであろう。
 しかし……、果たして、その事実を他の人々が受け入れてくれるだろうか、と考えると、再びオーキスの心の中で暗雲が立ち込める。「彼女」が自分を受け入れてくれたのは「彼女」が特別な存在だっただけで、全ての人が「彼女」と同じように自分を認めてくれるとは思えない。あのような危険な力を持つ自分に対して、ここまで心を許してくれる人がいるとは思えない、改めて冷静に分析した結果、より一層の不安感に心が押し潰されそうになる。
 そんなオーキスの心中を察してか、シャリテはただ黙って彼女を抱きしめるように自身の毛並みの中に彼女を包み込んでいき、そしてオーキスは張り詰めていた緊張感が一旦途切れて、徐々にうたた寝を始めていく。
 すると、そこに「二人目の捜索者」が現れた。ノギロである。生命魔法師である彼は、自分の周囲に存在する「命の息吹」を感じ取ることが出来る。この森の中で「明らかに他とは異なる二つの特殊な生命体」が寄り添っている気配を感じた彼は、あっさりと二人の姿を発見することが出来た。そして、眠った様子のオーキスを見て安堵の表情を浮かべつつ、彼女をこの状態のまま連れ帰ろうと一步を踏み出したが、それに対してシャリテが激しい形相で威嚇する。

「……今はまだ、彼女を連れ帰るには早い、ということですか?」

 当然、大狼であるシャリテはそれに対して何も答えない。だが、ノギロはなぜか納得したような表情を浮かべた。

「そうですね。オーキスの『一番の友人』であるあなたがそう思うなら、それが正解なのでしょう。確かに、彼女の気持ちの整理がついているかどうかが分からない以上、彼女の意志が確認出来るまでは待つべきでしょうね」

 ノギロはそう呟きつつ、この場に「魔法の光」が近付きつつあることに気付く。

「どうやら、また別のお友達が尋ねに来てくれたみたいですし、ひとまず、ここは皆に任せることにしましょうか」

 そう言って、ノギロはひとまずオーキス達から距離を取り、彼女達の視界から姿を消した。

 ******

 ノギロが察知した「魔法の光」の主は、エトであった。幼少期から森歩きに慣れていたエトは、ライトの魔法を用いて周囲を照らしつつ、オーキスを探して森の中を歩き回っていたのである。だが、その様相は明らかに異様であった。

「たすけて、たすけて、お願い、いたい、いたい、いたい、きみは、だれ……?」

 明らかにエトの周囲には誰もいないにもかかわらず、エトはぶつぶつとそんな言葉を呟きながら、それでも「オーキスを探す」という意志だけは明確に抱いた上で、彼女を探し続けていた。そんなエトがやがてノギロの話し声に気付いてその方向へ向かって歩み続けた結果、無事にオーキスとシャリテの姿を発見する。

「良かった、です。無事だったんですね……」

 嬉しいそうな笑みを浮かべながらエトがそう呟くと、その声でオーキスは目が覚めた。エトと目が合ったオーキスは、再び怯えたような表情を浮かべつつ、隠れるようにシャリテの毛皮の中に潜り込む。彼女が不安そうな瞳で黙ってエトを見つめると、エトもそんな彼女のを見て、少しおろおろした様子を見せつつ、ライトの光を調整しながら彼女の近くに座る。そして吃らないように気をつけながら語り始めた。

「あなたが、しんぱいだったから、来た」

 そのエトの口調は、いつもの彼とはどこか違う。だが、そもそも「日頃のエト」のことをよく知らないオーキスは、そのことには気付かないまま、黙って話を効き続けた。

「僕、僕は……、そうだな、エトワール。忘れていいよ、僕はあなたとは関係のない人だから」

 彼の「その名」を知る者は、このエーラムには殆どいない。なぜ彼が唐突に「その名」を名乗ったのかは分からないが、彼はそのまま語り続ける。

「……今、みんなが、あなたのことを、しんぱいしてる。あなたが積み上げた、たくさんの思い出が、あなたを助けたくて、がんばってる。……何が怖いかは、僕には分からないけど。きっと、それでいいんだと思う。ただ、あなたは今まで積み上げた、あなた自身のおもいでを、信じてあげてほしいんだ」

 オーキスは、この「エトワールと名乗る少年」のことは殆ど知らない。だが、彼が話している言葉の意味は理解出来た。あまり面識のない彼ですらオーキスを探しに来てくれたのだから、元々交友関係のある人々が探しに来てくれていることは容易に想像出来る。だが、果たして彼等は自分のことをどこまで理解しているのか、どこまでの自分ならば受け入れてもらえるのか、ということまでは想像出来ない。
 そして、実際に様々な方向から、人々が近付いてくる音が聞こえてきいた。おそらくは、エトが放っている光を発見して、この場に誰かがいるということを察して近付いて来たのであろう。

「あ……、そろそろ、行かないと。だいじょうぶ、みんながやさしいって、あなたも知ってるでしょ?」

 その言葉に対して、オーキスが半信半疑な表情を浮かべつつ、期待を込めて、ほんの少しだけ小さく頷くと、彼は笑顔を浮かべながら立ち上がる。

「バイバイ、素敵な人。会えてよかったよ」

 彼はそう言うと、ひとまずライトの魔法を消して、その場から立ち去って行った。

 ******

 「エトワール」が去った後、オーキスを探してこの場に辿り着いた「四人目の捜索者」は、意外な人物だった。 テラ・オクセンシェルナ である。彼はたまたま会場の近くで森へと走り去って行くオーキスの姿を発見し、周囲の人々が「彼女の暴走」の件について語っているのを聞き、無言で彼女を追いかけていったのである。
 テラはオーキスとは特に親しい関係でもない(そもそも、ジャヤとティト以外に親密な知り合いは殆どいない)。だが、走り去る彼女の紅い妖光を放つ瞳の奥に、ジャヤはかつての自分と同じ何かを感じ取っていた。そして「暴走」の話を聞いた結果、彼女のことが心配になって走り出していたのである。決して身体能力が高いとは言えない彼だが、オーキスが走り去った方向を直に見ていた分、結果的に戦闘訓練に参加していた面々よりも早く到着することになった。
 「エトワール」がいなくなったことで魔法の光は消えていたが、それでも差し込む月光のおかげで、オーキスとテラは互いに互いの存在を認識出来る。そしてこの時点で、テラはオーキスが自分に対して怯えた表情を見せていることに気付く。しかも、その怯え方にテラは確かに既視感があった。そこには確かに「自分とよく似た気配」を感じ取っていたのである。テラはオーキスとの距離を保ちつつ、黙って近くの木に凭れ掛かり、腕を組みながら語り始める。

「……貴女は、傷付けられる事を。何よりも、絆を結んだ相手に見棄てられる事を恐れている。違いますか?」

 その言葉に対し、オーキスはビクッと反応する。テラはそんな彼女の反応を確認しつつ、空を見上げた。

「昔話をしましょう」

 テラはそう前置きした上で、かつての自分が、自分の中に眠る巨大な力の暴走によって、故郷を危険に陥れた時の話を伝える。

「私は恐ろしい。自分の力が人を傷付ける可能性を秘めている、その事実が」

 そこまでは、先刻までのオーキスと同じである。そして、その先に到達した「次の段階の葛藤」もまた、彼女と同じであった。 

「……しかし、私は欲してしまった。それは、罪なのでしょうか?」

 テラも、エーラムに来た当初は人との関わりを避けていた。しかし、ジャヤやティトとの交流を経て、彼もまた少しずつ変わりつつある。自分の中にある、人としての自然な欲求を受け入れるようになってきていたのである。
 オーキスは黙って答えない。だが、確かに彼が話している内容は、今の自分の心境と合致していた。今のオーキスは、他人と関わることそのものを怖れているのではない。他人から必要とされなくなることを怖れているのである。

「知らない人間だからこそ、分かる事もあるでしょう。その為に私は此処へ来た」

 沈黙を続けるオーキスに対してテラはそう告げた上で、彼女と目を合わせる。

「貴女が『貴女』であれば良い。そう考える者もいる筈ですよ。少なくとも、私は貴女の正体に興味は無い」

 テラはそう言いながら、その手を伸ばす。

「初めまして、オーキス・クアドラントさん。私はテラ・オクセンシェルナです」

 まだ戸惑っているオーキスは、その手を取って良いのかどうか分からずに戸惑う。だが、そんな彼女の反応もテラの中では想定内だった。彼はあえて強引に彼女の手を取ろうとはせず、そのまま優しく微笑みかける。

「こうして始まるのも、悪くは無いと思いませんか?」

 テラは最後にそう告げた上で、「次なる訪問者」が近付きつつある気配を察して(あまり大人数で彼女を取り囲むのもよくないと判断して)、ひとまず彼女の視界からは消えていった。

 ******

 続いて現れたのも、意外な人物であった。オーキスとは全く面識もないその学生の名は、 ゼイド・アルティナス 。つい先刻までノギロの元で基礎魔法習得に勤しんでいた彼は、ノギロが急に(競技場を経由した後に)森へと走って行くのを目の当たりにして、気になって後を追って来たのである。
 ただでさえ暗い森の中で、フードを深く被った状態で現れたゼイドは、まるで(彼自身が最も忌み嫌う)闇魔法師のような出で立ちにも見えた。当然、オーキスもシャリテも警戒心を強めるが、ゼイドは日頃から他人に警戒されることには慣れているため、彼女達のそんな反応に対しても特に思うところもないまま、平然と問いかける。

「オーキスというのは、お前か?」

 オーキスは怯えながらも小さく頷く。

「ノギロ先生がお前を探している」

 その言葉を聞いたオーキスは、ひとまず「目の前にいる男」が敵では無さそうだと判断し、少しだけ警戒心を緩める。一方、シャリテはノギロが既に彼女を発見していることを伝えたかったが、大狼である彼女にはその術がなかった。

「まだ先生は来ていないようだが……、一体、何があった?」

 ゼイドは事態をあまり正確に把握しないまま、ここまで足を運んでいた。ただ、日頃は物静かなノギロが明らかに焦燥した様子だったことから、よほどの緊急事態が発生したのだろうということだけは分かっている。
 オーキスは、うつむいたまま何も言葉を発しない。その様子から、明らかに答えたくなさそうな雰囲気を感じ取ったゼイドは、無理に詮索しようとはしなかった。ゼイド自身、自分の過去どころか、正体すらも隠している身ということもあり、他人の「話したくないこと」まで無理に聞き出そうという気にはならなかった。
 ただ、ゼイドとしては、今回の件に対して全く関心がない訳ではない。彼はつい先刻、ノギロから「集団戦の戦い方」を学ぶことの重要性を聞かされたばかりである。まさにその集団戦の訓練をしていた筈のオーキスが、どのような経緯でその戦場から逃亡するに至ったのか、当然興味はあるが、詳しく聞ける状況ではないことも分かっている。その上で、ゼイドは今の自分の感慨を率直に告げる。

「話したくなければ、話さなくてもいい。仮に『話すべき相手』がいるとしても、それは俺ではないだろう」

 ゼイドはここに来るまでの間に、多くの者達がオーキスを探している姿を目撃している。彼等の様子から、それは「逃亡者を糾弾しようとする者達」でも「危険分子を排除しようとする者達」でもなく、純粋に「仲間の身を案じている者達」であることは、ゼイドも察していた。その上で、改めてノギロの言葉を思い出しつつ、彼は小声でボソッと呟く。

「どうすれば、お前のように、他人と信じ合える関係を築けるのだろうな」

 全く事情を知らないゼイドだが、今のオーキスには間違いなく「自分に欠けているもの」が備わっているように見えた。少なくとも、今の自分がどこかに逃亡したところで、誰も追っては来ないだろうと彼は確信している。それは彼自身が自ら選んだ生き方ではあったが、そのような生き方を続けている限り、いずれどこかで限界が訪れる(もしかしたら、既にその限界に到達してしまっているのかもしれない)ことも分かっていた。
 そんな彼の言葉が、果たしてオーキスに響いたのかどうかは分からないが、ひとまずゼイドはそう告げた上で、ノギロを探すために彼女の前から一旦立ち去って行った。

 ******

 そして、ここに至ってようやく、戦闘訓練に参加していた者達が彼女の姿を発見し始めた。最初に現れたのは、いち早く勝手に行動していた エイミール・アイアス である。

「やあ。こんなところでどうした? 淑女(レディ)がこんな所まで出歩くのは感心しないな」

 エイミールは、まるで偶然この場に遭遇したかのようにオーキスに声をかける。とはいえ、さすがに「たまたまこんな森の中に偶然現れる」というのは、状況的に無理があることは誰の目にも明らかであった。オーキスはシャリテの後ろに隠れるような姿勢で警戒心を強める。だが、エイミールはそれでも構わず話を続けた。

「疑問かな? 親しくもないこの僕が迎えに来るのは。……君は覚えているかは分からないが、困った事があったら言えとこの僕は言ったぞ。君は覚えておくと言った。……これは、困った事だよな?」

 確かにオーキスにもその時の記憶はある(みながくdiscord「図書館」5月15日)。だが、今のこの事態は当時のオーキスが想定していた「困ったこと」とは明らかに別次元の状況であった。

「先に言っておくが、僕は君に対して相談に乗ろうなどとは思っていない。僕には困難だからだ。人の相談に乗るのは、簡単じゃあない。高い共感性と広い知識が必要不可欠だ。それは僕の役じゃない。僕はそれが出来る者の代わりにはなれない。僕は結局自分の事しか出来ないし、考えられない。ここに来たのは僕が君を放っておけば紳士に相応しくないと思ったからだ。今話をしているのは僕が約束を違えるような過ちを犯したくないからだ。その点に関しては全く君とは関係ない。ただの僕の自己満足のためだ」

 エイミールの言動は高慢であり、それは時に自信家であるようにも見えるが、彼は「高慢であることを自覚した上での高慢」であり、そして「今の自分の無力さ」を弁えた上での「未来の自分への自信」が彼の言動の根幹にある。だからこそ、彼は「未来の自分への期待を込めた大言壮語」を吐くことはあっても、「今の自分に出来ないこと」は口にしない。

「だが……、だからこそ、僕は君に言える事がある。なあ、オーキス君、聞いてくれないか。僕の夢を。理想を。たかだか20分位だ、聞いてくれるよな。僕はな、理想があるんだ。叶えたい夢が何十個もある。嘘じゃない。全て本気だ。話を聞けば笑い飛ばしたくなるかもな。でも僕はまず間違いなく叶えると信じてる。夢の大きさでこの僕に叶う者などいない」

 その夢を本当に20分程度で語り終えることが出来るのかは不明であるが、彼の話の本題は、そこではなかった。

「そして、その後、もし気が向いたらでいい。君の夢を教えてくれないか?君の始まりの心を。誰にも言わないし、応援するとこの血にかけて誓う」

 「夢」と言われた時点で、オーキスの中では様々な想いが去来する。そもそも「夢」とは何だろう? かつての彼女の中にも確かに何らかの「望ましい未来」はあったのかもしれない。だが、今の困惑した彼女では、それが何だったのかも分からなくなる程度には困惑している。

「そして、その後気が向いたら……、僕と皆に謝りに行こう。エイミールに捕まって戻ろうと思っていたのに馬鹿話しに付き合わされたと言え。君は悪くないが、みんな勝手に心配している。何! 僕は怒られる事には慣れている! 君は何も心配するな! 年上だぞ!僕は!」

 エイミールはそう力説する。だが、オーキスにとっては、謝ること自体に抵抗があるのではない。謝ったところで、受け入れてもらえないかもしれない、という恐怖感が彼女の根底にある。確かにエトやテラは自分を受け入れてくれる姿勢を示してくれたし、ゼイドも拒絶する様子ではなかったが、「彼等は私の暴走を見ていない。実際に目の当たりにしたら、やはり拒絶されてしまうかもしれない」という想いがまだ彼女の中にはあった(実際には、エトは観客席からその状況を見ていたのだが、さすがに最上段にいた彼の存在にまでは気付いていなかった)。
 その意味では、実際に真横で戦っていたエイミールが自分を受け入れる姿勢を示してくれたことは、オーキスにとっては大きい。ただ、それもあくまでこのエイミールという「特殊なメンタリティの持ち主」だからこそであって、それは一般的な人間の感性とはかけ離れているのでは? という想いもオーキスの中にはあった。
 結局、彼女はエイミールのその申し出に対して、首を横に振る。今の彼女はまだ「語れる夢」も「謝罪の言葉」も想い描ける精神状態ではなかったのである。

「ふふ……、無理なら、いい。だが、君を心配する人達の声から、逃げるなよ。もし出ていくなら全てしっかり袖にしなくてはならない。命令じゃない。お願いだ。……頼むぞ。では、また、な」

 そう言って、エイミールは去って行く。自分の言葉では彼女を救うことが出来なかったという敗北感を胸に。

 ******

「今、こっちで兄さんの声がしませんでしたか?」

 ジュードのその声がオーキスの耳に届いたのは、エイミールが去った直後のことである。しかも、今度は彼だけでなく、明らかに複数人の足音が聞こえていた。

「エイミール! オーキス! そこにいるのか!?」

 そんなディーノの声も響き渡る。実はオーキスは数刻前にも、このディーノの「大声で彼女を呼ぶ声」を聞いていた。その上で、彼等に見つからないようにに、その声の聞こえない方向へと逃げ込んでいたのである(彼等が他の面々よりも発見が遅れた原因はここにある)。
 しかし、この段階において、オーキスは逃げようとはしなかった。もうこの距離まで近付かれたら逃げられないと判断したのかもしれないし、シャリテと一緒に逃げようとすれば確実に目立つと思ったのかもしれないし、逆にシャリテがいるからこその安心感が彼女をここに留めたのかもしいれない。あるいは、彼女の中で「逃げなくてもいいのかもしれない」という気持ちが芽生え始めていたのかもしれないが、まだ少なくともこの時点では、それは彼女の中での「確信」には到れていなかった。
 オーキスはシャリテにしがみつきながら、捜索者が現れるのをじっと待つ。すると、やがてそこに現れたのは、ジュード、ディーノ、イワン、そしてレナードの四人であった。イワンだけは実戦には参加していないものの、四人とも今回の戦闘訓練において、間近でオーキスの暴走を見ていた面々である。彼等がオーキスの姿を発見した瞬間、最初に声を上げたのは、ディーノであった。

「すまなかった!」

 唐突に彼はそう言って、オーキスに頭を下げる。まさか自分が謝られるとは思っていなかったオーキスは困惑するが、そのままディーノは語り続ける。

「あの時、俺が前線でちゃんと踏み留まっていれば、お前が治療のために前に出る必要はなかった。お前を危険に晒してしまったのは、俺の責任だ」

 続けて、レナードも吐き捨てるように言い放つ。

「それについては、オレも同罪だな。回復役を守れないなんて、マジで前衛失格だぜ」

 実際のところ、(制御装置付きとはいえ)本気を出した状態のワトホートの脚力を以ってすれば、ディーノやレナードがいくら奮戦しようとも、回り込んでオーキスを狙うこと自体は容易だったのだが、彼等にしてみれば「実力差」を言い訳にするつもりはない。本来、彼等はあくまでも魔法師である以上、「前衛」としての役割を担うには最初から無理があったのだが、ディーノは魔法剣士を目指す身として、そしてレナードは「何があっても守りたい者(回復魔法の使い手)」がいる身として、オーキスを守りきれなかったこと自体、明確に自分の失態であった。

「でも、私は……」

 ここで初めて、オーキスが口を開いた。彼女は怯えた表情のまま、震えるような小声で語る。

「守られるような存在じゃ……、ない……」

 自分はあくまでも「怪物」であって、自分に守られる価値なんてない、そう言いたかったオーキスだが、その言葉はレナードの逆鱗に触れる。

「あぁ!? テメェ、本気出したらオレより強いからって、オレのこと見下してんのか!?」

 レナードにとっては、自分が「守る側」であり続けることが矜持である。どれだけ強大な力の持ち主であろうと、それを否定されたら黙ってはいられない。ましてや今の彼は、暴走状態のオーキスに対して、今の自分では到底敵わないことは分かっている。だからこそ、その事実を改めて突き付けられたことで、余計に苛立っていた。

「ちがっ……、そうじゃな……」

 オーキスはそう言って否定しようとするが、ここで微妙な違和感を感じる。明らかに会話が噛み合っていない。

「私の力……、こわく、ないの……?」
「ナメんな! あの程度のことでビビる訳ねーだろ! それより、なんなんだよ今のお前のそのザマはよぉ! 叱られるのを怖がってる子供みたいにビクつきやがって! あんだけの力持ってるクセに、何をそんなにビビってんだ!?」

 完全に自分とは異質な思考回路の持ち主であるレナードを前にして、オーキスが困惑する。ここで再びディーノが口を開いた。

「お前がどんな力を持ってようと、どんな体であろうと、オーキスはオーキスだろう。一緒に協力して強大な敵に立ち向かった仲間だ。兄弟のためにいろいろ頑張ってるスゲー奴だ」

 ディーノは以前、オーキスが身体を張ってユタを守るために上級生達の前に立ちはだかっていた場面に遭遇している。更に言えば、その時点で既にディーノはオーキスの「出血」の場面も目撃していた。今回の件を目の当たりにしたところで、そこまで大きく彼女に対する見る目が変わる訳でもない。

「だから、今はまだ何か悩んでいるのかもしれないけど、一通り気が済んだら戻ってきてこい。何かあっても絶対味方になる」

 そう言って、ディーノはオーキスに背を向けて歩き始める。

「え? 帰るんですか?」

 ジュードにそう言われたディーノは、苦笑しながら答えた。

「今、セレネがオーキスの出迎えの準備をしているからな。アイツに任せておくと、また何をしでかすか分からなくて心配だろ? だから、俺は今からそっちを手伝いに行く。もう伝えるべきことは全部伝えたからな」

 一方で、まだ言い足りない様子のレナードは、更にまくしたてるように言い放つ。

「いいか! 今のオメェは確かに強い! だが、いずれオレの方が強くなる! 仮にまたオメェが我を忘れて暴走することになったとしても、そん時はオレが殴り飛ばしてでも止めてみせる! 最強になるのはこのオレだ! オメェじゃねぇ! 思い上がんな!」

 レナードはそう叫ぶが、オーキスはそれに対してどう反応すれば良いのかさっぱり分からず、ただひたすらに戸惑い続ける。ディーノもレナードも、自分を拒絶はしていない、ということは分かった。しかし、だからと言って彼等もまた明らかに「特殊な思考様式」に基づく者達であり、「普通の人々の感性」からは明らかにかけ離れた存在だろう。ただ、ここでオーキスの中に、ある仮説が思い浮かぶ。

(もしかして、このエーラムに「普通の人間」なんていないのでは……?)

 そもそも魔法師である時点で、この世界の中では5000人から10000人に一人と言われるほどの希少種である。その力が人格に起因もしくは影響するのかは分からないが、冷静に思い返してみれば、彼女がエーラムで出会った人々は、その大半が明らかにどこか「普通の人間」とは異なる感性の持ち主であった。オーキスは自分が「普通ではない存在」であることに悩み続けていたが、そもそも「普通」とは何なのか? ということが、徐々に彼女の中で分からなくなってくる。
 完全に思考が迷子になり始めたオーキスに対し、苛立った様子のレナードが更に何か言おうとしたところで、今度はそれを制するようにジュードが語り始めた。

「あなたがどんな理由で逃げたのか、それはあなたにしか分かりません。しかし、あの場で継戦を決めたのは僕です。だから、あなたを危険な目に遭わせたという意味では、僕にも謝罪させて下さい」
「それは……、私も、そのことには反対しなかったし……」
「仮にあなたにとって必要のない謝罪でも、僕にとっては必要なことなんです」

 ジュードはそう言い切る。謝罪はあくまでも自分のためであって、相手が受け入れるかどうかという問題ではない、というジュードのその姿勢は(ある意味、それは「自己満足のために話に来た」と公言した彼の義兄の思考にも通じる思考様式でもある)、オーキスの心に何か変化を与えたのかどうかは分からないが、彼はそのことを踏まえた上で、話の本題を切り出す。

「さて、あなたを見つけられた以上、これから先に待つのは『あなたの選択』です。公平であるべきと判断したので、僕は僕が伝えるべきだと思ったことを、勝手にお話します。必要なければお気になさらず」

 ジュードはそう前置きしつつ、オーキスの暴走から逃走に至るまでのジュードの視点から見た情報を、事細かに彼女に伝える。

「皆、確かに驚いてはいました。しかし、あなたは『戦うべき相手』として指定されていたワトホートさんを相手に戦っていただけで、他の人達に危害は加えていません。まぁ、本来ならば串刺しになった時点で退場すべきだったのかもしれませんが、医療班の人が明確にドクターストップをかける前にあなたが立ち上がった以上、ルール違反とも言えません。つまり、あの場であなたがやったことは『戦闘訓練のレベルを引き上げたこと』だけだったので、あの状況であなたに対して特別悪い感情を持ってる人はいなかったように思えます。しいて言えば、戦闘訓練のレベルが想定よりも遥かに高くなりすぎて、自分がついていけなくなったことに苛立ちを感じていた人はいたかもしれない、ということくらいでしょうか」

 ジュードがそう解説する横でレナードは舌打ちをするが、ジュードは気にせずそのまま淡々と話を続ける。

「ですが、あなた自身がそんな自分の状況に恐怖を感じて、その場から逃げたいと判断したのであれば、それに対して僕がどうこう言える立場ではありません。大切なのは、あなたがどうしたいか、ということだと思います。あなたがどうしてもこの学園から去りたいのであれば、ノギロ先生が必要な手は打ってくれるでしょう。しかし、僕の見た限り、あなたを排斥したいと考える人は見当たりませんでしたし、少なくとも、あなたを思いこれだけの者が捜索に手を貸し、駆け付けたのは事実です」

 レナード達とは対象的に、本当に淡々とただ(彼の視点から見た上での)事実のみを語り続けるジュードの話は、オーキスには素直に受け入れ易かったようで、彼女はまた先刻までとは異なる意味での戸惑いを感じつつも、冷静に彼の主張を受け止める。
 そして、ようやくオーキスが落ち着いて話を聞けるようになってきたところで、今度はイワンが語り始める。

「あなたが自分の力を恐れるのなら、それを制御する術をエーラムで探せばいいと思います」

 イワンは、ここまでオーキスの前に現れた者達の中で、おそらく誰よりも常識人である。彼自身、オーキスの力の正体が何も分からない以上、無責任に「大丈夫だ」とも言えないし、周囲の人々が彼女の力を恐れる可能性についても否定は出来ない。
 しかし、だからと言って彼女が学園を去れば解決する、という問題でもないだろう。むしろ、エーラムの外に出れば、その力はより一層危険な存在として人々から遠ざけられるようになる可能性が高い。そう考えれば、エーラムからの退去ではなく、エーラムの学内で解決法を探る方が妥当であると考えるのは当然のことである。
 だが、イワンのその言葉に対するオーキスの反応を見ると、どうも彼女の中にはあまりこの提案は響いていないようである。そのことに気付いたイワンは、一旦自分の思考を整理するために、ここでクールインテリジェンスの魔法を唱えた。

(落ち着け。冷静に考えろ。今、彼女が求めていることは何だ?)

 そう言い聞かせながら状況を再整理してみると、イワンはいくつかの「違和感」に気付く。まず一つ目は、先刻の競技場におけるノギロの反応である。あの時のノギロの様子を見る限り、彼はオーキスの力の正体に気付いているようだった。だとすれば、既にエーラム側が打つべき手を打ち尽くした状態であり、それでも暴走は防げなかった、という可能性が高そうに思える。
 ただ、もしオーキスが本当に危険な存在だった場合、その存在は既に「選別」された上で、この世界から消えている可能性が高い。それでも彼女が魔法学校の生徒として認められているということは、考えられる可能性は二つ。「オーキスは暴走(に見えるような)状態になったとしても無闇に人を傷つけるようなことはしない」という確信を得ているか、もしくは「オーキスが危険な存在だと分かっていても、それでも彼女を生かし続ける価値がある」と判断されたか。
 現状では、どちらが正解なのかは分からない。ただ、ここでもう一つ気になるのは、ノギロは彼女の力の正体について、いずれ話すということは約束しつつも、「“今は”聞かないでほしい」と言っていた、ということである。状況的には「ノギロ個人の意志では話して良いか決断出来ない」という意味だとも解釈出来そうだが、それならば「この事態が収まったら、必ずお話します」という約束を「ノギロの独断」だけに基づいて宣言するのは妙である(少なくともイワンの知る限り、ノギロは無責任に空手形を出すような人物ではない)。 
 だとすると、「あの時点では知らせない方がいい理由」が何か別にあった、と解釈すべきなのかもしれない。その上で、その理由が「事態が解決(オーキスが帰還?)した後なら話しても良い」ということは、逆に考えれば、ノギロの中で「オーキスの正体をイワン達が“先に”知ることで、彼女の帰還が難しくなるかもしれない」という懸念があった、と解釈するのが自然に思えてくる。それはつまり、「自分達の彼女に対する対応」が「彼女の帰還の有無」に大きく影響する可能性が高いということだろう。すなわち、「彼女の中での自分達の存在はかなり大きい」とノギロが判断している、という仮説がそこから導き出されてくる。

(もし、この仮説が正しいのだとしたら、今の彼女にとって一番必要なのは、僕達との関係性を強めることなのか? もしかしたら、それが力の抑制にも繋がる……?)

 半信半疑ながらも、イワンは主張の軸を微妙にずらしつつ、話を続けた。

「仮に、その力を制御する方法が『今のエーラム』では見つけられなかったとしても、いずれは見つけられるかもしれないし、そのために僕に出来ることがあるなら、もちろん協力もします。あなたが何者であろうとも、それは学友として当然の義務です」

 イワンは性格(および立場)上、どうしても言葉遣いが職務的になってしまう。ただ、「義務」とは言いつつも、イワンはもともと自ら望んで学園の人々のために「風紀委員」の役割を買って出た生徒である。彼は決して「自分の意志に反した義務」を抱え込むような人物ではない。其の意味では、オーキスに対するこの言葉も、あくまで彼自身の意志として「オーキスの力になりたい」と考えた上での言葉であるということは、彼女にも確かに伝わっていた。

 ******

 彼等の言葉を受けて、少しずつオーキスの心に変化が生まれつつある中、そこへ更に新たな捜索者達が現れる(おそらくは、レナードの大声でその存在に気付いたのであろう)。それは クリープ・アクイナス ジャヤ・オクセンシェルナ ヴィッキー・ストラトス の三人であった。彼等はいずれも、エーラム近郊の村に現れた聖印教会の宣教師プリシラとの対面を終えて帰還したところで、オーキス失踪の噂を聞き、心配になって駆けつけた面々である。

「とりあえず、何があったんですか?」

 事態がよく分からないままこの地にやってきた三人を代表するかのようにクリープがそう問いかけると、ジュードが(まだオーキスがまともに自力で説明出来る精神状態では無さそう、と破断した上で)再び淡々と「自分の目に映っていた状況」を三人に説明する。

「……そうして、僕達もさきほど彼女を発見し、話をしていたところです。まぁ、この辺りの『足跡』を見る限り、僕達の前にも何人か来ていたようですが」

 そう言われてみると、確かに周囲にはかなり多様な靴の足跡が散らばっている。少なくともそのうちの一人がエイミールであることをジュードは確信していたが、その点についてはあえて説明するつもりもなかった。
 クリープはその話を聞いた上で、率直に自分の考えを伝える。

「オーキスさんが何者であろうと、私はあなたを見る目を変えるつもりはありませんよ」

 クリープは優しい瞳でそう語りかける。彼はオーキスが「出血」した生命魔法学部の上級生との争いの現場に立ち会っており、その時からオーキスが「人ではない何か」である可能性は察していたが、特にその時点から何も気にするところはなかった。
 彼はもともと故郷に住む土地神的な投影体の加護を受けて育った身であり、投影体にも、他の人間や動物と同じように魂が宿ると考えている。プリシラからは「生命や魂があること」と「生命や魂が存在するように見えること」は別物だと言われたが、クリープはその説明には納得していない。オーキスが何者であろうとも、クリープから見て彼女が「学友」に見える以上、他の学友達と区別する必要があるとは思っていなかった。
 ましてや、クリープ自身が今現在「常人とは異なる力」を抱え込んでいる状態である。プリシラの説明によれば、それは「身体の内側に刻まれた邪紋のようなもの」であるらしく、その説明が本当に正しいのかどうかはまだ分からないが、少なくとも、制御装置が必要だと教員から言われる程度には危険な力を抱え込んでいる。その意味でも、オーキスに対しては親近感こそ覚えることはあっても、忌避する理由は何もない。
 一方で、ヴィッキーはそんなオーキスの中に眠る「力」への彼女の認識に関して、若干の違和感を感じていた。そのことを確かめるべく、慎重に言葉を選びながら問いかける。

「オーキスちゃん。ウチは、キミのしたいようにしてほしいと思っとる。せやから、キミの考えを教えてくれんかな。もしもキミが話してくれるんなら、どうしたいのか、本音を教えて欲しい。キミのことを教えてくれんと、キミのことを知らんと、きっと何も始まらへん。つらいかもしれんけど、教えて欲しい」

 ヴィッキーがそう問いかけたのに対し、オーキスはどう答えていいのかが分からない。そもそも、今の彼女自身、自分が何を望んでいるのか、ということを(先刻までに比べればまだ少しは気持ちが整理されつつはあるものの)まだはっきりとは思い描けないでいた。

「もし、キミから言い出しづらいんやったらウチから聞こうか。キミ、もしかしてその力手放すつもりはないんやないか?」

 ヴィッキーがそう思ったのは、先刻のジュードの説明を聞いている間のオーキスの様子から、彼女は「自分が暴走したこと」に対しては激しく後悔した様子を見せながらも、その力そのものを忌避しているようには見えなかったからである。

「その力、どうにかする方法はエーラムにはいくらかあるやろ。でもウチには、キミが力をどーこーしようとしとるようには思えん。理由はわからんけど、それでもキミはそれを手放したくない。でもその力のせいで他の人から拒絶されるかもしれん。そう思っとるんと違う?」

 それに対して、オーキスは覚悟を決めたような表情で、静かに訥々と答えた。

「そうじゃない。でも、私はこの力を手放すことが出来ない……。この力を手放すためには、私の身体そのものの構造を、根本的に『造り変える』必要がある。でも、それは『私自身の存在』を否定すること。だから、これは私が『私』として生きるために、これからずっと抱え続けなかればならない力……」

 彼女が言うところの「造り変える」という言葉が何を意味しているのか、はっきりとは分からない。ただ、この場にいる者達のうちの何人かは、この時点で既に気付いていたのかもしれない。高位の錬成魔法師の中に、特殊な「ある研究」に従事している者達がいることに。

「そっか……、よう事情は分からんけど、そういうことなら、しゃーないな。でも、どちらにせよ、何事もなく、誰も傷つけず、誰からも拒絶されず、なんてのんきなことはさすがに言えへん。きっと、その力があることによって、傷つけることも、傷つくこともある。どんなに頑張ったとしても。それが人の常や。でも、傷ついたとしても簡単に壊れることはあらへん。キミが今まで出会い、関わってきた多くの人。色んな人との関係は、キミが壊そうとせん限り、きっと壊れることはない。キミもわかっとるやろ。たくさんの人がキミを心配して探しに来たわけやし、キミの帰りを待っとる人も多いねん。確かに築かれたんなら、簡単には関係は壊れへん。あとは、キミがどうしたいかや」

 オーキスがその言葉に対して、どう答えるべきか言葉に詰まったところで、今度はジャヤが一歩前に出る。ジャヤもまた、先刻のテラと同様に、オーキスの様子から、彼女の「本音」は概ね察していた。その上で、あえて強い口調で語りかける。

「……オーキス。仮にエーラムを出てゆくのなら、その先汝(なれ)はどうするつもりなのだ。どこか行きたいところはあるのか。何か、したいことはあるのか。あるのならば吾(あ)は汝を止めぬ。けれど無いのならば、決して行かせはせぬぞ」

 現実問題として、エーラムから去った後の行くアテなど、ある筈もない。そして、エーラムの外に自分を受け入れてくれる場所があるとも思えない。そんなことはオーキスにも分かっていた。ジャヤは、かつて図書館でオーキスに言われたことを思い出しながら(みながくdiscord「図書館」5月20日)、彼女に対してまくし立てるように訴えた。

「汝は吾に言ったな。父に『自分らしく生きろ』と言われたのだと。今を一生懸命生きて、感じたこと、考えたことを大切にするといいと。だが今汝がしていることは、汝自身がそうしたいと望んでしていることなのか? 違うだろう、オーキス! 人間ではないこと、人に害をなすかもしれぬ力を持っていること。そんなものは吾らが自分らしく生きることを諦める理由にならぬ。吾はそれを多くの人から教わった。その中の1人が汝なのだ。汝は吾の背中を押してくれた。汝は知らないだろうが、吾はあの時の汝の言葉に、とてもとても助けられたのだ。だから今度は、吾が汝の背を押す番だ。汝の望むままに生きよ。学園に戻るのだ。吾は、この先も汝と共に学びたい」

 激しい剣幕でそう語るジャヤに対し、オーキスはたじろぎながらも、その言葉の重みをしっかりと受け止める。そしてヴィッキーもまた、改めて口を開いた。

「……いろいろ言ったけどな。結局のところ、ウチが言いたいのは一個だけやねん。キミがどないな力を持ってたとしても、キミはキミや。キミがキミらしくいてくれるんなら、きっと大丈夫や。せやからオーキスちゃん。一緒に帰ろ?」

 彼女のその言葉を噛み締めながら、ようやくオーキスは自分の中の「希望」に向き合い始める。そこへ、最後の「捜索者達」が現れる。

 ******

「オーキスさん!」
「良かった、やっと見つけました……」

 ユタとマチルダである。二人は水と食べ物と毛布、そして治療キットを手にして、この山道の中でオーキスを探していた(そして当然、その大量の荷物は、二人の到着を遅らせることになった)。ユタもまた生命魔法師ではあるため、人間(およびそれに類する何か)の生命反応を探知することは出来るのだが、二人が準備を整えて森に入った時点では、既に多くの人々がオーキスを探して森の各地に点在していたため、どれがオーキスの気配なのか判別出来なくなっていた。しかし、それがやがて一箇所へとまとまりつつあるのを察知した時点で、おそらくそこに彼女達が集まっているのだろう、という憶測に至ったのである。
 マチルダは到着と同時に、まずオーキスの傷の手当をしようと彼女に近寄るが、先刻の戦闘で服は何箇所か破れていたものの、傷に関しては完全に修復されており、体調は健康そのものであった。そして、ふとオーキスの頭上に目を向けると、そこには桜桃が実っており、そして彼女の足元を見ると、何かを掘り返した(埋めた)ような痕跡があることから、おそらく彼女は最低限の食料は摂取していたことが伺える。

「まだ痛むところはありませんか?」

 マチルダがそう問いかけると、オーキスは黙って首を横に振る。だが、その表情は既にかなり穏やかになっていた。マチルダもまた、かつてユタを守るために上級生と対決した時の仲間であり、その時に彼女は誰よりも目の前でオーキスの「出血」を目撃している。そして、マチルダの方もまた、その時の記憶から、オーキスのことは「人」として、深く信頼していいた。

「ノギロ先生も、ユタ先輩も、あなたのことを心配しています。今、ここであなたがいなくなったら、ユタ先輩は数少ない、大切な、頼れる家族を失うことになってしまうでしょう。今はまだ、気持ちが落ち着かないかもしれませんが……」

 マチルダは、オーキスがしばらく学校に戻る気になれなかった時のことを考えて、水と食料を大量に持参していたのだが(結果的に言えば、それも到着が遅れた原因の一つなのだが)、そんな彼女に対し、オーキスは静かに答える。

「大丈夫。ようやく私も、踏ん切りがついたから……」

 そして、二人がそんなやり取りを交わしている間に、ユタは周囲の面々に話を聞いて、今の状況を確認していた。

「なるほど……、皆さん、ウチのオーキスさんのために、本当にありがとうございます!」

 ユタが周囲の面々にそう告げると、改めてオーキスに向き直る。

「オーキスさん。ごめんなさい。あの時、僕が回復魔法をかけるのが一步遅れたばっかりに、こんなことになってしまって。本当に、何と言って謝ればいいか……」

 正直、オーキスとしてはユタに謝られるとも思っていなかったのだが、先刻のディーノ達のこともあり、自分の周囲にいる人々が「そういう人々」なのだということを、もう彼女は理解していた。その上で、ようやく彼女は「自分の言葉」ではっきりと話し始める。

「私が串刺しになったのは、私が不注意だったから。そして、皆を混乱させてしまったのは、私が『本当のこと』を皆に伝えていなかったから。それは、私が皆を信じることが出来なかったから」

 オーキスが皆に対してそう告げたところで、それまで姿を隠していたノギロが、傍らにゼイドを連れた状態で姿を現す(ゼイドは先刻オーキスの近くから離れた直後にノギロに声をかけられ、ここまでずっとノギロの隣にいた)。
 ノギロは晴れやかな笑顔でオーキスに語りかけた。

「決心が、ついたのですね」
「はい。この人達になら、本当のことを話してもいい。そう、思えたんです」

 彼女は、強い決意を込めた瞳でそう語る。それは、先刻までの「全てに怯えきったオーキス」とも、そして、いつもの「あまり感情を表に出さないオーキス」とも異なっていた。彼女の中で、それまで人前に見せることがなかった「明確な感情」が、そこには現れていたのである。

「そうですか。ただ、大切なことであればこそ、こんな闇夜の森の中ではなく、ちゃんと落ち着いて話を聞ける場所で伝えるべきです。だから、まずは一旦、学校へ戻りましょう。あなたの帰りを待っている人は、ここにいる人達だけではないのですから」
「はい。でも、その前に『封印』をお願いします」

 オーキスのその言葉に対し、ノギロは一瞬間を開けつつも、静かに頷く。

「……そうですね。もう隠す必要も無くなった訳ですし、この場で済ませておきましょう」

 ノギロはそう答えつつ、皆の前で特殊な呪文の詠唱を始める。その音の波動に合わせて彼が魔法杖で空間に魔法陣を描くと、それの紋様がオーキスの身体へと刻み込まれる。そして、それまでずっと妖しく光っていた彼女の紅い瞳が、ようやく「いつもの彼女の瞳」へと戻った。

「今のは、彼女の『体内のエネルギー』を抑制するための魔法陣です。この魔法陣が維持され続ける限り、彼女のエネルギーが暴走することはありません。そして、この魔方陣を維持する原動力となっているのもまた、彼女自身のエネルギーである魔力・生命力なのですが、今回のような形で彼女自身の残存エネルギーが激減した時には、自壊してしまう危険性があります。逆に言えば、彼女自身に命の危機が迫ることがない限り、この封印が解かれることはありません」

 ノギロのこの説明で、この場にいる者達の何人が状況を理解出来たのかは分からないが、ひとまず彼はそう告げた上で、皆を連れて学園へと帰還することにした。

 ******

「おかえりなさい!!! オーキスさん、そして皆さん」

 そう言って皆を出迎えたのは、 ヴィルヘルミネ・クレセント である。ここは喫茶「マッターホルン」。オーキスの失踪を聞いた彼女は、当初は寮のサロンで彼女を出迎えるための準備を整えようとしていたが、セレネが同じように「オーキスの帰還に備えた歓迎会」を計画していると聞いたことで、店長代理のクグリに頼んで、この店を借り切っていた。

「いっぱいつかれましたよね。ハーブティー用意しましたよぉ。お茶請け、少しですけど」

 ヴィルヘルミネはそう言いながら、いつかのお茶会で一緒にのんだハーブティーを用意しつつ、クグリがサービスとして提供したクッキーも隣に添えた上で、味の濃い食べ物が苦手なオーキスのために、桑の実、木苺、アケビなどを籠に一盛り用意していた(なお、クグリ自身はこの日は不在であった)。

「ミーネちゃん! ティーカップがちょっと足りないぞ!」

 厨房からセレネの声が聞こえる。どうやら、想定以上に多くの人々がオーキスの捜索に参加していたようで、当初準備していた数を上回る数の人々が来店したらしい。

「それなら、たしか奥の左から二番目の戸棚に入ってた筈です。わたしではちょっと背が届かないので……」
「じゃあ、セレネが……」
「いや、お前でも無理だろ。ここは俺がやるから、お前はあっちで皆と話してろ」

 そう言って、横からディーノが手を伸ばして戸棚を開ける(彼のように「途中で帰った面々」の中にも、この帰還祝いの宴に参加している者達もいた)。

「おぉ! じゃあ、任せたぞ、ディーノちゃん!」

 セレネはそう言って、とりあえず今ある分のティーカップを持ってオーキス達の元へと向かう。やがて、和やかな雰囲気と共に会場内がハーブの優しい香りで包まれていく中、オーキスは皆の心遣いに感謝しつつ、これまでに見せたことがないような「素直に歓びを表現した笑顔」を浮かべる。そんな彼女に対してノギロは一旦目配せで「確認」した上で、皆に対して、真剣な声色で語りかけた。

「皆さんがオーキスのためにここまで尽くして下さったこと、彼女の『父親』として、心から感謝します。これまで皆さんに『彼女のこと』を詳しく説明しなかったのは、オーキス自身がそれを語ることを望んでいなかったから、というのもありますが、実は『エーラムの方針』でもあるのです。出来る限り、彼女には『人間』としての『普通の生活』を送ってほしかった。それは、彼女を生み出した『プランAH』の理念でもありましたし、私を含めた彼女に関わる人々全員の願いでもありました」

 「プランAH」という耳慣れない言葉に対して皆が戸惑う中、ノギロはそのまま話を続ける。

「ですが、今回の件を通じて、皆さんがオーキスのことを『学友』として受け入れて下さっていることは分かりました。ですから、彼女についてより詳しく知りたいという方々は、これから私の研究室に来て頂ければ、彼女を生み出した『プランAH』の全容についてお話します。勿論、これを聞くことは皆さんにとって権利ではありますが、義務ではありません。あくまでも、聞きたいという方にのみ、お伝えするつもりです。それは、今この場にいない、彼女のために尽力して下さった方々も同様です」

 ノギロがそこまで言い終えたところで、オーキスが穏やかな、しかしどこか気恥ずかしそうな笑顔で付言する。

「きっと皆なら、私のことを知っていても、知らないままでも、私を私として受け入れてくれる。そう信じることにしたから」

 ******

 その後、帰還祝いの宴を終えたノギロは、宣言通りにユタを含めた「希望者達」を自身の研究室へと連れて行き、そして「プランAH」の資料を提示する(下記参照)。それを聞いた彼等がどのような感慨を抱いたのかは分からない。ただ、この話を聞かせた上で、ノギロは彼等に対して改めてこう告げた。

「これからも『私達の娘』を、よろしくお願いします」

+ プランAH
プランArtificialHeart(感情の起源を追求するための人工感情の生成計画)について。

計画主導:ロンギルス・クアドラント
監査:ノギロ・クアドラント、メルキューレ・リアン

本計画は、感情の起源についての仮説「感情は経験によって創られる」を実証するためのものである。
現時点で確認されている人間的な感情を持つものは、例外なく人間的な経験を経ている。
(オルガノンであっても、その使用者の経験を持っているので例外ではない。)
その仮説を裏付けるために、「人間的な経験のみでの感情の生成」が可能であるかを検証する。

方法としては、人工生命体を使用し、それに人間と同様の経験をさせることで、
人工生命体に感情が生まれるかを観察するというものである。

使用する人工生命体は、人間と同じ経験ができるよう、人間と同じことができるものにするが、
同時に人間の肉体が必要ではない事を改めて証明するため、人間と全く同じ身体は使用しない。
先述の事情と技術的な問題から、実際の人工生命体は一部を除いて人間より高水準の性能のものに制限をかけて人間と同じ水準としたものを使用する。
制限をかける方法としては、自己維持型抑制魔法陣を使用する。
自己維持型抑制魔法陣については、末尾の添付資料を参照。

初期段階では、一般の人間と同じ経験をさせるため、ロンギルスと共に一般人と同じ環境で生活する。
人工生命体には魔法の親和性が高く、魔法師の素養がある事が予想される事、
また、監視の容易性などから、
初期段階終了後はエーラムで魔法師として経験をさせ、観察を行う。
(エーラムでは一般の人間と同じ経験をさせることが難しいため、初期段階が存在する。)
初期段階は3年とする。(予定。場合によって前後する。)

+ プランAH経過報告書、あるいはただの日記。
被検体が完成した。
いや、生まれたと表現するのが適切だろう。
この子の名前は、オーキス。
美しく、逞しく生きる、花の名前だ。

生まれたときから3歳ほどの体格で、
さらに今後しばらくは成長速度が人間より速くなると見込んでいる。
本当はこの部分も人間を再現したかったのだが、
エーラムとの協定で、外部での実験期間を長くとれなかった以上、やむを得ない。
予定では、3年でひとまずお別れという事になっている。
それまでに、私にできることをしよう。
研究者として、それ以前に人として、育児放棄など絶対しないようにしなければ。

……

数か月もしないうちに、言葉を理解し、私とコミュニケーションをとるようになった。
今の私にとって、彼女はかわいい子供のような、弟子のような存在だ。
育児放棄をする奴の気がしれない。
とはいえ、今の彼女は従順すぎるようにも思える。
まだ反発するほど自我というものが無いのだろう。
それに、彼女は生まれたときから3歳相当で、
ある意味一番つらい出生直後を飛ばしているようなものだ。
実際の親というものはもっと辛い思いをしているのだろう。

……

1年たち、彼女は7歳相当になっている。
彼女は知識欲が豊富と言えばいいのだろうか、
本をよく読むし、そこでわからないことを私によく聞きに来る。
彼女はどんな本でも好きなようだが、
恋愛もののような、感情がメインのものはあまり理解できていないようだ。
伝記や、歴史書なんかはそれなりに読むが、
学術書も読む。
今一番気に入っているのは、物語だ。
"神龍の戦記"なんかは、自分と同じ名前の人がいると、かなり興味を示していた。
私も童話くらいなら少しは聞かせられると言ったら、毎日のようにせがまれるようになってしまった。
物語はあまり読まないが、少し取り寄せてみよう。

……

彼女の知識欲はまだ収まらない。
今のメインは学術書だ。特に、数学系のものが多い。
感情が薄い反動か、
元々論理的思考力が高い傾向はあったが、
ある時、質問しに来た彼女に「質問の前に自分で考えてみるといい」と言ってから、
学術書をよく読むようになった。
数学などは、覚えるものより考えればわかるものが多いからだろう。
逆に、物語は読まなくなった。
あれは、ある質問に「そういうものだ」と答えてからだったか。
あれは失敗だった。私の一言が、彼女の興味を失わせたとのだから。
何かもっといい答えがあったのだろうか。
何とかして、学術書以外にも興味を持たせなければ。
実年齢にしろ、見た目の年齢にしろ、この年でそんな経験ばかりしているのは流石に普通の人間とかけ離れている。
オーキス、君の向かうべき道はそちらではないと思うのだが……。

……

彼女は今度は魔法に興味を示し始めた。
私が魔法を使っているのと同じように魔力を操作しようとしている。
やはり、彼女には霊感があった。
魔法師として、親として、
彼女の魔法師としての才能を正しく導く必要がある。
少し早いが、今日からでも魔法の授業を始めよう。

……

予想以上だった。
彼女の霊感は鋭く、操作も精密。
魔法の知識もどんどん吸収していく。
惜しむらくは、意志が強くない事か。
だが、それすらも今後はわからない。
このままいけば、魔法師として大成するだろう。
だからこそ、こちらも細心の注意を払って教えなければ。
ノギロは、いつもこういったプレッシャーを受けているのだろうか。
今度聞いてみるのもいいかもしれない。

……

2年がたった。彼女は10歳相当になった。
プレゼントにぬいぐるみを渡したら、大層気に入ったようで、
その日はぬいぐるみを離さなかった。
次の日にも熱が冷めなかったようで、
今度はどうやってできているのかと聞きに来た。
教えてやったら、自分で作りたいと言い出した。
彼女の成長速度も落ち着いてきているし、
そろそろ他の人と触れ合わせる時期だと考えていたこともあって、
近所の主婦にオーキスを親戚と偽って紹介し、
裁縫を習わせることにした。
どうやら筋がいいようで、数日たったころには私にクッションをプレゼントしてくれた。
折角くれたものだ。大事に使おう。

……

裁縫を習っていた家の娘と親しくなり、
そのつながりで近所の少女たちと遊ぶようになった。
子供たちと打ち解けられているという事は、
もしかして感情が形成されているのではないかと考えたが、
話を聞いてみると
「笑ったり泣いたりしてるところは見たことが無いけど、優しいよ。」
「ちょっと何考えてるのかわかりにくいけど、嫌いじゃないよ。」
という事だったので、そういう訳ではないようだ。
ちょっと凹んだ。だが、本来なら感情というのは2年で完成するものじゃない。
まだまだこれからに期待すべきだ。

そういえば、オーキスが男子と遊ぶところを見たことが無いので、
そういった事が無いか聞いてみたが、
どうやら男子からは避けられ、女子からは男子と遊ぶものじゃないと言われているそうだ。
……確かに、私もあの年頃の時は、女子とうまく接することが出来ていたとは言えない。
せめて、この経験で男子を避けることが無いよう言っておこう。

+ プランAH引継ぎ報告書、あるいはある男の独白。
この報告書を以て、私はプランAHから離脱する。
これは、実験に関係ない私自身に関する問題によるものである。
プランAHそのものには支障はないため、エーラムの研究員による引き継ぎを早める事で対応する。

この報告書には、被検体の現在の状況と、それの根拠となる会話ログ、
また、会話ログの補足として前述の問題に関しての補足説明を記す。

被検体は、順調に成長、まだ製造から3年弱しか経っていないが、11歳相当の身体、知能を得ている。
感情に関してはまだ乏しいが、少しずつ感情が表れていることを実感できる。
このまま経過すれば、プランAHは完遂されるだろう。

以下、被検体と私の会話ログである。

+ 会話ログ
私「オーキス、私は魔法技術者としての義務を果たさねばならない。」

被検体(以下、被)「義務?」

私「ああ。製造物責任のようなものだ。わかるな?」

被「確か、製造物が原因の事故の責任は製造者が負う……。」

私「そうだ。今、私の作ったゴーレムが周囲の領地を破壊しようとしている。」

被「そんな……でも、それはゴーレムを操る人が悪い。ゴーレムの、父上の責任じゃない。」

私「そうかもしれない。だが、日頃の領主の行いを考えれば、そうする事も容易に想像できた。
だから、私はその対策をしておかなければならなかったんだ。」

被「そんな事……」

私「あるさ。"愚者の為の吟味"だ。」

被「愚者が使っても、間違った使い方をしても問題ないように、あるいは間違った使い方ができないようにする……。」

私「そうだ。それがこの状況を覆しうる最も現実的な手段だった以上、私はそれを怠るべきではなかった。
流石に私が居ないところで使う事はしない、いやできないだろうと。」

被「じゃあ……ゴーレムは、乗っ取られた?」

私「そうだ。領主の子飼いの、得体の知れない魔法師に。恐らくは闇魔法師だろう。
私は対抗してゴーレムの制御を一度は奪い返したが、その後は城にすら入れてもらえなくなった。
その間にまた制御を奪われた。そのおかげでお前と一緒に過ごす時間が少し増えたが、それもこれまでだ。」

被「父上は……領主たちと戦うの?」

私「もはやそれしかあるまい。」

被「なんで……どうして、父上が!!」

私「これは、私のわがままだ。
私は、皆を幸せにするために頑張ってきた。
私の技術が皆を傷つけることを許せないのだよ。」

被「そんな……お願い、創造主(マスター)、行かないで……!」

私「創造主……わたしをそう呼ぶか。」

被「だって……それが、私と、創造主の、一番の繋がりだから……!!」

私「そうか。やはり、お前を造ってよかった。」

被「待って!!嫌!!」

私「オーキス!!!」

被「!!」ビクッ

私「お前は、お前らしく生きるんだ。お前らしさを創るんだ、掴むんだ。私の後ろばかり歩いていてはいけない。
お前は賢い。だから、いろんなところを見て、いろんなことを学ぶんだ。
ここを出て、エーラムに行きなさい。
エーラムには、ノギロとメルキューレ君――お前の事を知っている人がいる。
私の代わりに、お前にいろんなことを教え、お前を守ってくれるはずだ。
わかったね?」

被「……うん。」

私「私が負けたら、ここにも人が来るだろう。
早く支度をして、ここから出なさい。」

被「……わかった。」

私「このような別れで、すまない。もし生きていたら、必ずお前に連絡する。」

被「…絶対よ?」

私「ああ、絶対だ。
……そうだ。お前はこれから多くの人と出会うだろう。
1つ、アドバイスをしてやろう。」

被「?」

私「自分の為に、みんなの為に動きなさい。」

被「自分の為に、みんなの為に動く……?」

私「生き物というのは、自分の為に動くものだ。領主のようにな。
別にそれ自体は必ずしも悪いわけではない。
だが、そのように行動すると、多くの場合は周囲を害し、周囲は敵だらけになる、
自然界が弱肉強食なのも大体そのせいだ。
人間は、普通はそうではない。社会があるからだ。
害し合わずに、社会の為に、周囲の為にお互い行動し合う事ができる。
だが、周囲の為に働きすぎて、自分をおろそかにしてしまうのではいけない。」

被「今の創造主みたいに?」

私「まぁ……今の私は遠からずと言ったところか。
とにかく、自分の為だけでは野蛮にしか生きていけない。
みんなの為だけでは自分を滅ぼしてしまう。
その塩梅を考えるときに役に立つのが、先の言葉だ。」

被「自分の為に、みんなの為に動く。」

私「そう。そもそも周りの為に行動するのは、それが自分に巡ってくるからだ。
だから、自分のためにならないのに周りの為だけに行動する事は無い。
逆に、自分が何かしたいときこそ、周りの為に動くことで、
周りの力を借りて、自分だけでは出来ない事を成し遂げられる。
……意味が、分かったかい?」

被「とても。」

私「なら、大丈夫だな。今度こそ、お別れだ。」

被「ええ。……さよなら。私の創造主(マイマスター)。」


最後に補足説明として、私の所属する領地の現状を説明する。
領主はインフラ整備をおろそかにしており、領内総生産は年々減少している。
さらに、領地の浄化もおろそかにしているため、混沌災害の発生率も高い。
加えて、軍備を増強しているため、徴税額はむしろ増加している。
軍備の増強がたまたま混沌災害の発生率の高さを補っているが、
軍備の増強の理由は混沌災害への対応の為ではなく、
領民の弾圧および周辺領への威嚇、そしてそれらの隠蔽の為である。
少ない収入と多額の税により領民は疲弊しており、あと数年で限界が来るが、
領主はその前に他領に侵攻して今度はその土地を食いつぶす気である。
まるで地球の東洋のイナゴだ。
中央はその事を把握していない。
というのも、報告書が改ざんされているうえ、
報告書とうわさがあまりにも違うために派遣された調査団も、
一部が買収され、残りは殺害されているため、
中央には一切正しい情報が入っていないのだ。
私も中央へ行って直訴することを考えたが、
その時には既に監視の目があったので、断念した。
流石にこの状態が長く続けば隠しきれなくなるだろうが、
もはやそれを待ってはいられない。
私は、行動を起こす。

 ******

 それから数日後、改めて希望者を募る形で「戦闘訓練」の続きが開催されることになった。

「さぁ、これが最終ステージだ。気合い入れていけよ、お前ら!」

 制御装置を外した雷光のワトホートがそう叫ぶ中、彼の目の前には教官が召喚した巨大な魔獣が対峙している。そしてワトホートの背後からは、見習い魔法師達が彼を援護するようにそれぞれの魔法を駆使していた。
 これが、本来予定されていた「戦闘訓練」の本題であった。ワトホートを相手に戦うことで「魔法師だけで戦線を組むことの無謀さ」を理解させた上で、最終ステージでは邪紋使いであるワトホートと組んで、より強大な敵と戦う、それが「本来の実習の流れ」の予定であった。
 だが、その前段階において、見習い魔法師達の思わぬ善戦により、彼等の中では「前線に立つことへの恐怖心」が今ひとつ浸透しなかったのか、一部の者達は巨大な魔獣を前にしても自ら前線に出たり、あえて目立って自分に敵意を引きつけようとする。しかし、そんな無謀な魔法師に対する魔獣の攻撃は、全てワトホートが割って入り、身代わりとなって受け止めた。

「お前らには指一本触れさせねぇ! だから、お前らは『魔法師としての仕事』をまっとうしろ。魔法剣士になりたい奴も、今はまず『自分に出来ること』に集中しな!」

 そう叫ぶワトホートに対して、後方からオーキスは回復魔法をかける。そんな彼女の周囲には「もしワトホートのカバーが間に合わなかった時には、自分が彼女を庇おう」という姿勢を示す者達もいた。もしかしたら、積極的に魔獣の敵意を引きつけている面々も「オーキスを狙わせてはならない」という意識からの行動なのかもしれない(単に、本人が無意識のうちに目立とうとしているだけなのかもしれないが)。
 オーキスはそんな周囲の面々の気遣いに感謝しつつ、もう二度と同じ轍を踏まないように自分の身を守りながら、「人」として、そして「魔法師」として、彼等と共に歩んでいくことを、改めて強く「心」に誓うのであった。

2、現代社会論

  セレネ・カーバイト とディアナ・アルティナス(下図)は、家門こそ異なるものの、血縁的には双子の姉妹である。名門アルティナス家の俊英として名高い妹ディアナに対し、悪名高き変人集団カーバイト家の一角を成す姉セレネは「双子のダメな方」という烙印を押されるほど、周囲からの二人の評価は対照的であった。
+ ディアナ

 オーキスの帰還の数日後、そんな姉のセレネのことを心配したディアナが、姉のセレネに対して語りかける。

「ねえ、お姉ちゃん。魔法も覚えたし、そろそろ将来のことを少しは考えないとダメだよね?」
「ふん!ディアナに心配される筋合いはないぞ! セレネ完璧だからな」

 何の根拠もなくそう語るセレネに対して、ディアナは余計に心配を募らせる。今はまだ気楽な学生身分だから許されているが、果たして彼女がこの後、契約魔法師としてやっていけるのだろうか。そもそも、契約相手を探すことが出来るのだろうか。そんな不安に駆られたディアナは、ひとまず抜き打ちテストを試みることにした。

「じゃあ聞くけど。いまランフォード子爵領の情勢はどう?」
「え……う……? お、おなかへってる?」
「……一応正解」

 確かに、現在のランフォード、特に中心部であるミスタリアでは深刻な食糧問題が発生している。とはいえ、その原因や、それがもたらしている社会的な対立構造などについてまで把握しているようには到底思えなかった。ディアナは質問を続ける。

「現在、アルトゥークを治めてるのは誰?」
「ん?あ……じ、条約!条約だから……テ、テオ?」
「はぁーっ」

 ディアナは首を振る。確かに、テオ・コルネーロの下で結成された「アルトゥーク条約」という名の軍事同盟は存在するが、それは、今はなき前アルトゥーク伯爵ヴィラール・コンスタンスの遺臣を中心とした組織であり、現在のアルトゥークを領有しているのは、そのヴィラールを討った(テオ達にとっての仇敵である)ミルザー・クーチェスである。更に言えば、テオ・コルネーロはアルトゥーク条約発足の提唱者ではあるが、現在の条約の盟主はテオではなく、彼の盟友ラシック・ダビッドであった。

「お姉ちゃん。あのね。今度、大先輩のグライフさんが来るんだけど」
「は、はい」
「今のアトラタンの、ためになる話、聞けるの」
「そ、そうか」
「一緒に講義行くからね!」
「んむぅ~~!!」

 こうして、セレネは涙目になりながら、苦手な座学の場へと引きずり出されることになったのである。

 ******

 グライフ・アルティナス(下図)は、学生達の間で度々繰り広げられる「最強魔法師論争」において常に名前が挙げられる程の圧倒的な実力を持つ魔法師である。彼はエーラム魔法師協会のエージェントとして、世界中の君主達の元を飛び回る連絡役としての役割を担っており、それ故に「現在のこの世界」に関する情報については誰よりも詳しい。
+ グライフ

 この日はそんな彼を「社会科講師」として赤の教養学部に招いた上で、現代のアトラタン大陸の情勢を学ぶための講義が開催されることになった。彼はクリエイトイメージの魔法を用いて世界地図を見せながら、まずは近年の各国の動向について、ハルーシア、アロンヌ、ヴァルドリンド、ノルドなどを中心に、簡単に概説する。

「……以上が、現在のアトラタン大陸全体の情勢です。幻想詩連合(ファンタジア・ユニオン)と大工房同盟(ファクトリー・アライアンス)の間の激戦は継続中ですが、テオ・コルネーロの提唱に基づいて結成された第三勢力アルトゥーク条約の出現により、ひとまず南東部戦線は硬直化している、そんな状況ですね。さて、ここまでの話に関して、何か質問はありますか?」

 グライフが受講者達にそう問いかけると、真っ先に同門のディアナが問いかける。

「現在のアトラタンで、最も戦火が激しい場所はどこなのでしょう?」

 彼女のその質問の意図がどこにあるのかは分からない。就職先として、最も需要のある土地という意味なのか、それとも避けるべき土地という意味なのか。更に言えば、それは彼女自身が知りたがっているのか、それとも隣にいるセレネに聞かせたいと思っているのか。様々な解釈が出来そうな質問だが、それに対してグライフはこう答えた。

「そうですね……、現在は全体的に緊迫した睨み合いが続いている地域が多いので、現時点で最も激しい騒乱が繰り広げられている地域となると、おそらくそれはシスティナかと」

 グライフはそう言って、表示している世界地図を、イスメイアの南方に位置するシスティナ島へとクローズアップさせる。

「システィナの情勢は極めて特殊です。システィナを支配しているロッシーニ家は元来は幻想詩連合の所属でしたが、連合盟主であるハルーシア公アレクシス・ドゥーセへの襲撃事件以降、連合から除名されました。しかし、かといって連合諸国から追討される訳でも、同盟陣営に勧誘される訳でもなく、現在の大陸の争乱からは距離を取っているのが現状です。というのも、この島の周辺海域では混沌災害の発生率が非常に高く、島外の人々はそもそもあまり近付きたいとは考えていない、というのが本音のようです」

 そもそもアレクシス襲撃事件自体、ロッシーニ側は「不幸な事故」と表明しており、彼等にはそもそも最初から連合に対して敵対する意志は無かった、という説もあるが、この辺りの詳細については、本人達にしか分からない。

「現在のシスティナを支配しているロッシーニ家は、住民達に対して厳しい圧政を強いていることで有名です。「現実問題として、そうでもしないとシスティナの治安は維持出来ない」というのが彼等の認識のようですが、現在、そのシスティナで彼等に対して反旗を翻しているのが、アルトゥーク条約の創始者であるテオ・コルネーロを中心とする一派です」

 グライフがそう告げたところで、ディアナは隣に座っているセレネに対して「ほら、お姉ちゃん、今、大事な話してるよ」と言いたそうな目で促すが、セレネは話の内容の大半が理解出来ないまま、頭から湯気を出していた。

「テオ・コルネーロは当初、クローヴィスでの国盗りで名を馳せ、その後、先代アルトゥーク伯爵の従属君主となりましたが、元来はシスティナの出身です。彼は現在、アルトゥーク条約の実質的な中心人物でありながら、条約の主要国からの力は借りず、僅かな側近達と共に危険な海域を超えてシスティナへと渡り、そして反ロッシーニの旗を掲げてシスティナ各地を転戦しています」

 その「側近達」の中でも特に有名なのが、先日エーラム近辺に出没した聖印教会の宣教師プリシラ・ファルネーゼや、まもなく(新型アーティファクトの受け取りのために)来訪予定の若き天才魔法師シルーカ・メレテスである。彼女達のような、全く相反する思想の持ち主を同時に御している点に、テオという人物の器の大きさを象徴していると評する者もいる。

「一見するとこれは、連合とも同盟とも関係のない、ただの辺境の島の勢力争いにすぎないように見えますが、もしこのままテオ派がシスティナの支配権を確立した場合、アルトゥーク条約の国際的影響力は一気に高まることになるでしょう。逆に言えば、ここでテオ・コルネーロが討ち死にすることになれば、精神的支柱を失ったアルトゥーク条約は瓦解しかねない。そして条約の情勢は連合にも同盟にも多大な影響を与える。その意味でも、現時点で最も注目すべき戦局の一つであることは間違いありません」

 グライフがそこまでの説明を終えたところで、セレネから見てディアナの反対側に座っていた、同じくグライフの同門の後輩にあたる ロゥロア・アルティナス が手を挙げた。

「辺境の話ですみません、ダルタニアの現状、なのですが……、現在はどんな感じ、です?」

 彼女の故郷はダルタニアである。帰る予定のない故郷ではあるが、地理的に遠く、なかなか近況を聞けないことだからこそ、この機会に聞いておきたいと考えたらしい。

「いえ、それは非常に良い質問です。彼等もまた、今後の戦乱の鍵を握る存在ですからね」

 グライフはそう前置きした上で、大陸南東部に位置するダルタニア小大陸の地図を提示する。

「ダルタニアはアトラタン本土とは異なる独特の文化圏です。彼等は我々エーラム魔法師教会に対して不信感を抱く者が多く、特に現在の太守ミルザー・クーチェスはその傾向が非常に強いです。彼は当代随一の曲刀の使い手として知られており、父と兄を殺して太守の座を奪い取り、現在の地位に着きました。先代までは幻想詩連合に近い立場を採っており、ミルザー自身もアルトゥーク伯ヴィラールの盟友と言われていましたが、アルトゥーク戦役において唐突に同盟側に寝返り、そして現在はアルトゥークの領主となっています」

 再びディアナが「ほら、ちゃんと聞いて!」とセレネに促すが、セレネの頭の中では既に理解出来る固有名詞の許容量を超えていた。彼女は「実際に知り合った友人の顔と名前」は覚えられるが、「会ったこともない人物」については覚えるのが苦手らしい。

「ただ、太守であるミルザー自身がダルタニアを離れていることもあり、現在のダルタニア国内では、彼に反発する勢力が密かに暗躍しているという情報も入っています。あなたは当然ご存知でしょうが、多様な民族・宗教の集合体であるダルタニアの社会構造は極めて複雑です。バリー君の出身部族のように独自の秘術を用いた自然魔法師の集落もいくつか存在していましたが、ミルザー体制に反発した者達は力で制圧されました。彼等をまとめ上げる『反ミルザー』の旗印となる人物が現れれば、再びダルタニア全体が内乱状態に陥る可能性も、十分に有り得るでしょう」

 グライフからその話を聞かされると、ロゥロアの表情は自然と曇る。エーラムの魔法師となった時点で、故郷との関係は断ち切るのが原則ではあるが、実際のところ、故郷の記憶を完全に消し去る訳ではない以上(エーラムの技術的にはそれも不可能ではないのだが)、そう簡単に祖国への感情を消し去れる筈もない。
 そんな中、ロゥロアの中でもう一つ、素朴な疑問が湧き上がった。

「将来エーラムで研究をするでも、契約魔法師として君主に仕えるとしても、エーラムとの関わりが薄い地域の情報が必要になることがあるかも、です。そういう場合、どのように情報収集をするのが適切、でしょうか……? グライフ先生は、どうしている、です?」

 正直なところ、グライフは瞬間移動の魔法の使い手であり、どんな危険な地位に単身向かうことになったとしても、確実に帰って来れるだけの実力者である以上、彼自身の手法はあまり参考にはならないので、ひとまずグライフは「一般論」としてこう語る。

「現代において、最も迅速かつ確実に情報を得るには、信頼出来る『情報収集の専門家』を頼るのが最も早いでしょう」
「専門家、ですか?」
「えぇ。たとえば『ヴァルスの蜘蛛』という組織を聞いたことはありませんか? おそらく現時点では最も信用出来る諜報機関です。首領のマヘリア・イシュトガルドはエーラムのことを毛嫌いしてますが、ビジネスとして交渉を持ちかければ、応じることはあります。実際、最近だとフェルガナ先生が、この組織の地球人の少女と懇意にしてているようですしね」
「あぁ、あの、射撃大会の時の実況席にいた人、ですか……」
「とはいえ、情報の内容によっては極めて高い対価を必要とする以上、そう易々と依頼出来る相手ではありいません。その意味では、時空魔法の一つでも覚えて、自力で得られた情報から類推していった方が早いかもしれませんね」

 まるで、「料理の一つでも覚えて」程度の気軽な言い回しでグライフはそう語る。この辺り、やはり多色魔法師に対して実践的なアドバイスを求めるのは無理があるのかもしれない。
 その後も、大陸各地に関する質問が学生達の側から次々と飛び出してくる。その中で、アロンヌ、ランフォード、ファーガルドといった地名が出てきたあたりで、ふとロゥロアは、オーキスがかつてその辺りの地域を旅していた、という話を聞いたことを思い出す。

(…………あのあたりは……以前寮のサロンで聞いたお話でも出てきました…………オーキスさん………)

 オーキスが無事に帰って来たことは聞いてたロゥロアだが、まだ帰還後の彼女には会えていないため、今の彼女の状況が少し心配らしい。そんな彼女の隣からセレネが小声で問いかけてきた。

「ロゥロアちゃん、今、どの辺りの話してるんだ?」
「あ、それはえっと……、教科書のここ、ですよ」

 ロゥロアはファッション研究部にも所属しているため、セレネとはそれなりに親しい。セレネが実妹のディアナではなくロゥロアに聞いたのは、より真剣に聞き入っているディアナの邪魔をしたくなかったからか、姉としてのプライドの問題なのか、それとも単純に「また聞いてなっかたの!?」と小言を言われるのが嫌だったのか、その真相はセレネにしか分からない。
 一方、二人が密かにそんな会話を交わしている中で、 シャララ・メレテス が他の者達とは少々異なる方向からの質問を投げかける。

「童(わらわ)は農業を極めたいのだけれど、農業に力を入れている領地の話を聞きたいのだよ!」

 彼女としては、別にそこで働きたいというわけではなく、その知識を得て、園芸部の畑で実験しようと考えていたのであるが、それに対してグライフは丁寧に返答する。

「農業大国と言えば、やはりアロンヌでしょうね。伝統的には三園式農業が主流でしたが、最近は飼料作物としての栽培牧草や、根菜類などの中耕作物を取り入れた輪栽式農業へと切り替えることで、農地全体の生産力を更に高めつつある地域が増えています。他にも、バルレア半島では最近酪農を始める農家が増えていたり、農業と言って良いかは分かりませんが、ローズモンドではダルタニアから輸入したチューリップ球根がブームになったりするなど、色々と世界各地で様々な技術が導入されているようです。極東地方では薬用植物の研究も盛んらしいですしね」

 シャララは興味深そうな表情でグライフの発言をメモしている。何がどこまで役に立つかは分からないが、とりあえず仕入れられる知識は仕入れておこうと考えているらしい。植物栽培という分野においては、彼女は極めて貪欲である。

「そして、このエーラムでもおこなわれていることですが、異世界の植物から取れた種子をこの世界の大地に埋めることで、『この世界の自然律』の中に溶け込ませようという研究を続けている魔法師は世界各地にいます。どこの国の君主も、農業生産力を上げることは切望してますから、当然、そういった研究への需要は高いです。もっとも、その過程で『危険な植物』を量産して、結果的に国を破滅にい追い込んだ事例もありますから、色々な意味で細心の注意が必要です」
「なるほど。それはもっともな話なのだよ」
「稀に、学生達の中でも興味本位でそういった代物に手を出す者達もいるようですが、危険な植物を広めようとする人々の甘言には乗らないよう、気をつけて下さいね」
「当然なのだよ」

 なお、シャララの中でマンドラゴラが「危険な植物」に分類されているのかは不明である。

「ちなみに、そういった農業先進国において重宝されているのは、生産力向上に向けての技術に長けた錬成魔法師や、内政能力に関する知識が豊富な時空魔法師の人々ですね。最近では、天候を制御出来る高位の朽葉の元素魔法師の需要も高まっているようですが」

 実際、乱世においては「戦闘要員」としての需要ばかりが注目されがちであるが、平時においても乱世においても、まず食料がなければ国は立ち行かない。いつ何時どんな混沌災害が発生するか分からない世界だからこそ、何かあってもしばらくは持ちこたえられる程度の食糧自給力の確保はどの国においても死活問題であり、そのために必要な知識と技術こそ、魔法師と契約する上での最優先事項と考える君主も、決して少なくはない。

「さて、もう他には何かありませんか?」

 グライフがそう問いかけた瞬間、セレネはなぜか(目を隠している筈の)彼と目が合ったような気がして、「何か質問しなければ……」という強迫観念にとらわれた。

(えーっと、どこの話を聞けばいいんだ……? でも、大体もうセレネが知ってるような地名の話は終わってるような気がするぞ……。あと他に、どこか……)

 セレネは必死で記憶を辿った結果、同門の先輩達が集まっている地域の名を思い出す。

「そうだ! ブレトランドのモラード地方について聞きたいですぞ!」

 咄嗟に慣れない敬語で話そうとして、妙な口調になってしまったセレネであったが、グライフは納得したような表情を浮かべる。

「なるほど、今年の修学旅行の行き先ですし、その下調べ、ということですね」
「え? そうなのか?」
「お姉ちゃん、聞いてなかったの?」
「初耳だぞ! でも、嬉しいぞ!」

 実際のところ、今年の修学旅行先に関してはカルディナの意向を反映して定められたのだが、その情報が肝心のセレネに伝わっていないというのは、カルディナが伝え忘れたのか、セレネが聞いたのを忘れているだけなのかは不明である。

「まぁ、どちらにしても、貴女から見れば兄姉達の就職先ですからね。きちんと勉強しておく必要はあるでしょう」

 グライフはそう言って、今度はブレトランド北西部のモラード地方の地図を開く。

「この地は、元々は伝統的なブレトランド三国の一つであるトランガーヌ子爵領の一角でしたが、同国の崩壊後、アントリア軍によって占領され、現在はアントリア四男爵の一人であるジン・アクエリアスと、彼の傘下の六人の若い騎士達によって治められています。この辺りは昔から様々な遊興産業が盛んで、温泉、ゴルフ場、競馬場といった娯楽施設もあれば、蟹料理、ウイスキー、紅茶といった特産物で有名な村もあります。アントリア支配体制になってからまだ数年ですが、どの地域においても住民達からの評判は概ね良好で……」

 そんな話が語られる中、学生達の心の中では、まだ見ぬ地への学友達との楽しい旅路に向けての期待が自然と高まっていたのであった。

3、錬成魔法の素材

「アルバイト、ですか……?」

  シャーロット・メレテス は、学内の掲示板に壁新聞を貼りながら、その隅に記されている広告に気がついた。そこには「アルバイト募集 魔法素材探索・採集」「未経験者歓迎」「問い合わせはハンナ・セコイアまで」と記されていた。

「この方は確か、錬成魔法師として活躍されている方、ですよね。こうした機会なら、授業ではなかなか見られないものに触れることも出来るでしょうし……、錬成魔法学部に進むかは分かりませんが、見分を広めておくのは良いことでしょう」

 シャーロットとしては、現在のところ、「緑の生命魔法学部」もしくは「紫の錬成魔法学部」への進学を志望している。実家に戻った時のことを考えると、攻撃魔法よりは回復のできる魔法師が重宝されそう、という判断がその背景にはあった(彼女が覚えた基礎魔法の「スリープ」も、それを扱う上で必要な技術という意味では、実は回復魔法に近い)。
 彼女は現状、特に金銭的に困っている訳ではなかったが、ひとまずこの機会にフィールドワークを経験しておくのも悪くないと判断し、参加を決意した。

「私のスリープの魔法を使えば、動物を眠らせて捕まえることも出来るかもしれませんしね」

 ******

  テオフラストゥス・ローゼンクロイツ は、高等教員のクロードから「感覚を鍛えたいなら、勉強だけでなく外に出なさい」と言われたものの、具体的にどこに出て何をすれば良いか分からず、途方に暮れていた。
 そんな時、彼もまたハンナの新聞広告を目にする。

(錬成魔法のための素材集めのアルバイトか……。これは、渡りに船なのでは?)

 もともと時空魔法と錬成魔法を学ぼうと思っていた以上、テオフラストゥスとしては当然この依頼自体に興味があるし、山の中で何かを採取するという作業はクロードに言われた「感覚の訓練」としてもうってつけである。鉱物を持ち運ぶ体力にも、動物を捕まえる機敏さにも自信がなかったが、植物採集なら自分でも出来そうな気がする。そう考えた彼は、ひとまずアウトドア作業に必要な物品の準備を始めることにした。

 ******

「ルクス、あんた、宝石とか興味あったん?」

 図書館で見つけた仮面の少女 ルクス・アルティナス に対して、極東出身の ゴシュ・ブッカータ はそう問いかけた。ルクスの手元では、この世界の様々な宝石に関する情報が記載された書物が開かれている。

「そうなのだ! 何となく、何となくだが、エメラルドというほーせきがものすごく気になっていてな!きっときいろのおーさまと関係あるのだ!」
「ふーん。ほな、鉱石採集とか行ってみる?」
「こーせきさいしゅー?」 
「なんか、錬成魔法学部の先輩の主催で、そんなような公募が出とったんよ。エーラムの近くの山岳地帯で、珍しい鉱石探すんやって。ウチはその先輩に話を聞きに行きたいと思っとったんやけど……」
「いくぞ! 珍しいこーせきということは、その中にエメラルドがあるかもしれないのだ!」

 何の根拠もなくルクスはそう思い込み、ひとまず読んでいた本を閉じて、元あった書庫に戻しに行く。すると、そこにはルクスが読んでいた本と同じシリーズの別巻を手にした ミランダ・ロータス の姿があった。

「お前!鉱物にきょーみあるのか!!?」
「え? いや、別に、暇つぶしに読もうと思ってただけだけど……」
「それなら、お前も一緒にこーせきさいしゅーにいくのだ!」
「鉱石採集って、あの、新聞広告に載ってたやつ?」
「たぶん、それなのだ!」
「いや、別に、そういうのに興味な……」

 ミランダがそう答えようとした時点で、彼女は既にその手をルクスに掴まれていた。

「え! ちょっ……」

 困惑したミランダをルクスはそのまま引っ張って、ゴシュの元へと戻る。

「ゴシュ! もう一人なかまを見つけたぞ!」
「おー、そうか。ほな、よろしゅうな。ウチはゴシュ。まぁ、ウチは先輩に話を聞きに行くのが目的やから、採集自体に参加するかどうかは分からへんけど」
「いや、そもそも私は参加するとも言っ……」

 ミランダが大声でそう反論しようとした時、彼女の視界に一人の図書館職員の引きつった表情が映る。

「おしずかに、おねがいします」
「……すみません」

 ミランダが思わず萎縮して下を向くと、ゴシュはそんな彼女に紙片を手渡した。そこには、小さな手書きの地図が記されている。

「とりあえず、この『月見山』っちゅう山の麓に明日の日の出の時刻に集合らしいから、遅れんようにな」

 それに対してミランダが反発しようとしたが、周囲からの人々の冷たい視線が気になり、強い口調で反論出来ず、対応に困っている間に、ゴシュとルクスはどこかに行ってしまった。

 ******

「みんなー! 今日は私のために集まってくれて、ありがとねー!」

 エーラム近郊に位置する「月見山」と呼ばれる小山の麓で、錬成魔法師のハンナ・セコイア(下図)は、自作の拡声器を用いて学生達にそう告げた。彼女は現在、ブレトランド中北部の都市であるアグライアの領主クワトロ・スコルピオの契約魔法師として赴任中の身だが、最近、隣村が混沌災害で魔境と化してしまったこともあり、その対策のための研修を受けるため、現在はエーラムに一時帰還中である。
+ ハンナ
 その上で、彼女はこのエーラム滞在中に、新たな魔法具(アーティファクト)作成のための材料となる「エーラム近辺でしか手に入らない素材」を入手したいと考え、アカデミー側から支給された研究費を使って、赤の教養学部の学生達を雇って素材採集を依頼することにしたのである。

「この山は混沌濃度が高くて、色々な投影物品が散発的に出現するわ。特殊な鉱石で作られた鉢とか、五色に光る珠玉とか、不思議な子安貝とか、そういうのが発掘されたこともあるんだけど、その辺のガチの投影物品はレア度が相当高いから、今回はそこまでは要求しないわ。まぁ、見つけてくれたら、それはバイト代とは別枠として、高値で買い取るけどね。それで、今回みんなに採集をお願いしたのは、この三品!」

 彼女はそう言って、参加者達の前にサイレントイメージで作り出した映像を見せる。そこには、「奇妙な紋様が刻み込まれた半透明の鉱石」と「金銀の光沢を放つ野草」と「特殊な体皮を持つ鼠のような生き物」が映し出されていた。

「まず一つ目が、この半透明の『龍雷石』。これは、昔この山に現れた龍が放った雷撃を受けた副作用で、この山の岩石が変様した結果として生まれたと言われる鉱石ね。山の各地に今も埋まってると言われてるから、採掘作業が必要になるんだけど……、この中に『ロケートオブジェクト』を使える子って、いる?」

 その問いかけに対して、学生達の中から クリストファー・ストレイン が手を挙げる。

「自分が使えます!」
「おっけー! それは助かるわ。じゃあ、キミは「龍雷石班」でお願い。さすがに、採掘が必要である以上、ある程度目算を立てられる子がいないと、ちょっと難しいからね」
「分かりました」

 ちなみに、クリストファーが今回の採集作業に参加した動機は、先日のエリーゼの誕生会の時に購入した『犬のぬいぐるみ』が思った以上に高価だったため、その出費の穴埋めのためである。研究一筋の彼は本くらいにしか金を使わないため、別段そこまで金銭的に困っている訳ではないが、いざという時のために、手持ちは多いに越したことはない。

「あと、人によっては、この石に触れた時に強めの静電気を身体に受ける人もいるみたいだから、この石を探しに行く人は、必ずこのエーラム特性の手袋をつけてね」

 そう言って、彼女は錬成魔法師御用達の特殊手袋が入った籠を皆に見せた上で、次の採集物の説明へと移る。

「二つ目は『光沢草』。これは、稀にこの山に投影されると言われている『銀の根』と『金の茎』と『真珠の実』から成る特殊な植物が出現した時に、その周囲の土壌が混沌作用を起こしたことで偶発的に生成された特殊な野草なの。その投影植物自体は出現してから数時間で消えてしまうと言われているから、実物を見た人は少ないし、どこに出現するかも分からないけど、かなり派手な光を放つ草ではあるから、視界に入ればすぐに分かると思うわ」

 彼女のこの説明に対して、もともと植物採集組に回るつもりだったテオフラストゥスが質問する。

「その草は、直に触れても問題はないのですか?」
「えぇ。それは心配ないわ。だから、採取時の危険性はこれが一番低いと思う。まぁ、ひたすら森の中を探し回る作業だから、根気は必要だけどね」

 テオフラストゥスにしてみれば、根気強さが求められる作業という意味では、むしろ得意分野である。ひたすら視覚が鍛えられるという意味でも彼にとっては願ったりな話であったが、さすがに何の手掛かりもなく当てずっぽうに探し回るだけというのは、あまりにも効率が悪すぎる。

「完全に場所を特定することは出来なくても、せめて何か手掛かりになるようなものはありませんか?」
「そうね……、役に立つかどうかは分からないけど、一応、過去にその投影植物が出現したと言われてる場所は、この地図に印が付けてある。だから、その辺りを重点的に調べる方が、まだ少しは見つかる確率は高いかもしれないわ」
「分かりました。では、私はその班に周りたいと思うので、その地図をお借りしても良いですか?」
「えぇ、どうぞ」

 ハンナはそう言って彼に地図を手渡した上で、全体への説明を続ける。

「で、三つ目がこの『火鼠』。正確に言えば、昔この山に出現した火鼠と呼ばれる投影体が、この世界の原生の鼠と配合することによって生まれた混血種なんだけどね。元々はどういう投影体だったのかはよく知らないけど、今は特殊な体皮を持っていること以外は、普通の鼠と変わらないみたい。で、この火鼠の皮衣がほしいの。だから、別に生かして捕らえる必要はないんだけど、あんまり表皮を傷つけないでね」

 彼女がそう説明したところで、シャーロットが質問する。

「その火鼠には、スリープの魔法は効きますか?」
「あら? あなた、スリープが使えるの? それは助かるわね。多分、そんなに精神力が強い生き物ではない筈だから、普通に通用すると思うわ」
「分かりました。では、私は『火鼠班』に参加します」

 自分の魔法が本格的に役に立ちそうなことが分かり、シャーロットは得意気にそう宣言する。

「よろしくお願いするわ。とりあえず、その火鼠をおびき寄せるための香とか餌とかは用意してあるから、その辺りも使ってね」

 ハンナはそこまで言った上で、映像を一旦消して、改めて皆にこう告げる。

「今の話を聞いて分かったと思うけど、この三つの採取物は、どれも『投影体出現の副作用によって生まれた存在』であって、投影体そのものじゃないわ。だけど、この山は混沌濃度が高いから、最初に言ったように、時々もっとレアな投影体や投影物品が出現することもある。その中で欲しい品があったら勝手に持って帰ってもいいし、珍しいけど使い道が無さそうな品があれば、物によっては私がバイト代とは別枠で買い取ってもいい。でも、そういう物品が出現する時ってのは、それに付随して危険な投影体が出現する可能性が高い時でもあるから、あんまり山の奥地には踏み入らないようにしてね。もし、何か危険な物に遭遇した時は、これを使って知らせて」

 ハンナはそう言って、三本の「発煙筒」を取り出す。学生達はまだ魔法杖通信を使うことが出来ないため、遠方への連絡のためには、このような原始的な物品が必要となるのである。彼女はこれらを、龍雷石班代表としてのクリストファー、光沢草班代表としてのテオフラストゥス、そして火鼠班代表としてシャーロットに、それぞれ一本ずつ託すことにした。

「さて、あと他に何か質問あるかしら?」

 それに対して、ルクスが(仮面の下の瞳を輝かせながら)手を挙げる。 

「この山では、エメラルドがとれることはあるのか!?」
「エメラルド?」

 なぜ唐突にそんな質問が来たのか、当然ハンナには分からないが、ルクスの雰囲気から「彼女が求めている答え」はすぐに予想出来る。ルクスの目元は仮面で覆われているが、ハンナは(現在の就職先の事情から)「仮面の人」の心理を「仮面で隠されていない部分」から読み取ることには慣れていた。

「そうね……、混沌濃度が高い山だから、どの世界からどんな投影体が出現するかは分からない以上、当然、異界のエメラルドが出現する可能性もあるわよね。この世界のエメラルドと全く同じものかは分からないけど」
「じゃあ、それは見つけたら、ルクスがもってかえっていいのか?」
「えぇ、構わないわよ。今の私には必要ないから」
「よーし! がんばるのだ!」

 そんなやり取りを交わしつつ、学生達は三班に分かれて、それぞれ採取作業へと向かっていくことになった。

 ******

 クリストファーと共に「龍雷石班」となったのは、ルクス・アルティナス、ミランダ・ロータス、 エル・カサブランカ ノア・メレテス エンネア・プロチノス の5名である。彼等はクリストファーが用いたロケートオブジェクトを頼りに、龍雷石が埋もれていると思しき岩石地帯の位置を特定し、その場所へと向かおうとしていたが、そんな彼等の前に、一人の男子学生が現れる。先頭を歩いていたクリストファーは、その姿に見覚えがあった。

「あれ? キミは確か、あの旧邸探索の時の……」
「こんにちは、ニキータです」

 そこに現れたのは、 ニキータ・ハルカス である。クリストファーとは、カルディナの射撃大会と、旧ペンブローク邸の探索の際に顔を合わせているが、あまりい直接話す機会もなかった上に、ニキータの取った行動があまりに意味不明すぎたため、クリストファーは彼がどういう人物なのかよく分かっていない。
 そしてもう一人、ニキータのことを見知った人物がいた。エルである。彼もまた旧ペンブローク邸探索の時に彼等と同行しており、その前にもニキータの古本屋巡りに付き合ったこともあり、彼との接点に関して言えばクリストファーよりも深かったが、より繋がりが深かったが故に、クリストファー以上にニキータに対しては「よく分からない人」という認識が強かった。

「もしかして、君もこの鉱物採集に?」
「あぁ、うん。なんか面白そうだったから」
「さっきの集合場所にはいなかったみたいだけど……」
「集合場所? そんなの決まってたっけ?」

 どうやら、特に事前に連絡もせずに、勝手に一人で探しに来たらしい。いつも通りのマイペースな彼の様相から、エルはまた彼が何かしでかすのではないかという警戒心を抱くが、ひとまずそのまま彼も鉱物探しに同行することになった。
 こうして7人になった「龍雷石班」は、そのまま目的地へと到達すると、ここまでの間にロケートオブジェクトを使ったことで魔力を大きく消耗していたクリストファーはひとまず休憩することにした上で、彼が使う予定だった手袋をニキータに渡し、ハンナから渡された道具を手に、6人がそれぞれに採掘作業を始める。一応、魔法学校の学生達は過去にも課外授業として(魔境対策を兼ねた旧時代遺跡の探索の一環としての)採掘時の基本的な手解きは受けていたため、最低限必要な手法は心得ていた。

「まったく……、別に私は鉱物とかそんなに興味があった訳でもないのに……」

 なんとなく「流れ」で参加することになってしまったミランダは、小声でそんな愚痴をこぼしながらも、手際良く採掘作業を進めていく。そんな中、隣でルクスが唐突に大声を上げた。

「おぉ! なんか、緑っぽい石が出てきたぞ! これ、エメラルドの原石か!?」

 ルクスはそう叫ぶと、興奮した様子でその「緑っぽい石」の周囲の岩石を削り取っていく。だが、その様子を隣から覗き見たミランダは冷静に呟く。

「いや、緑は緑だけど、全然違うというか……、それ、ジェダイトかネフライトじゃない?」
「そうなのか? でもまぁ、とりあえずキレイだから採取するのだ! これはルクスが見つけたから、ルクスのものなのだ!」

 二人のそんな様子を、男装少女のノアは羨ましそうに眺める。最近手芸部に加入した彼女は、趣味のために費やすお金が増えてきたこともあり、ぬいぐるみの材料費を稼ぐために今回のアルバイトに参加したのだが、それはそれとして彼女は綺麗なアクセサリーも好きなので、この機会に何か綺麗な鉱物を見つけてみたいという気持ちもあったのである。

(いいなぁ……、あれが翡翠か何かの原石なら、私が作ろうと思ってるぬいぐるみにも装飾品としても使えそうだし……)

 一方で、エンネアもまた土の中から謎の物品を発掘していた。当初は鉱物のように見えて掘り出してみたが、よく見るとそれは「貝」のような形状をしている。

(なんだろう、これは……? 貝殻? さっき先輩が言っていた「子安貝」なのか? 混沌の気配は感じられないけど……、でも、こんな山の中に貝殻があるなんて、明らかに不自然……)

 実はこの子安貝の正体は、異界から投影された「子安貝を生む燕」が、現地の燕と交配した結果として生まれた混血種の生み出した「子安貝のような何か」である。その意味では、投影体がこの世界の自然律の中に溶け込んだ結果として生まれた一品、ということになる。エンネアはこの時点ではそこまで正確にこの貝の正体について認識することは出来なかったが、先刻のハンナの説明もあってか、うっすらと「混沌(カオス)と自然律(ロウ)が混ざり合った存在」なのではないか、という憶測は広がっていく。

(この世界の自然律が、混沌を吸収して溶け込ませることが出来る力を有しているのだとすれば、やはり「本来の自然律」というものは存在せず、全ての自然律は「過去に投影された混沌の集合体」なのかもしれない……)

 エンネアは当初、今回のアルバイトを通じて観測器具用のレンズを手に入れて、そのついでに資金も獲得出来ればいい、という思惑だったのだが、意外な形で彼の検証している仮説に繋がりそうな事象に遭遇したことで、一人静かに思案を巡らせていた。
 そんな彼の隣では、エルは黙々と楽しそうに採掘作業を進めていた。目標物である龍雷石はなかなか見つからなかったが、やはりこの土地全体に様々な混沌の作用が入り乱れているようで、見たことがない鉱石(のような何か?)を次々と見つけて、徐々に好奇心が高まっていく。それらにどれ程の価値があるのかは分からないが、自分自身の手で(少なくとも自分にとっての)未知の存在を掘り当てていくという作業は、それだけで十分にワクワクさせる行為であった。
 そうして彼等が数時間に渡る地道な作業を続けていき、ようやくクリストファーがもう一度ロケートオブジェクトを使える程度にまで気力を取り戻したあたりで、唐突にニキータがクリストファーの元へ駆け込んできた。

「なぁ! これって、例の石じゃね!?」

 そう言って彼が差し出したのは、半透明の鉱石で、その表面には模様のような何かが刻み込まれている。確かに、ハンナが提示した「龍雷石」によく似ていた。

「よし、確かめてみよう」

 クリストファーは目の前に龍雷石がある状態で、もう一度同じ魔法を唱えてみる。他の学生達も注目した彼のその様子を見守る中、クリストファーの脳内では、確かに「自分が探しているもの」は「自分の目の前にある」という反応が示された。

「間違いない。これは龍雷石だ」
「よっしゃあ! じゃあ、まだ他にもあるかもしれないから、もっと探そう!」

 そう言って、ニキータは龍雷石を班長であるクリストファーに預けた上で、いそいそと採掘作業に戻る。正直、彼が何をやらかすか心配だったクリストファーとエルであったが、この数時間、思いのほか彼が真面目に作業し続けていたことには素直に感心する。そして、クリストファーが再び魔力回復のための休憩に戻った上で、他の面々も更なる採掘を続けることにした。

 ******

 一方、「光沢草班」に回ることになったのは、テオフラストゥスの他には、園芸部所属の テリス・アスカム と、最年少参加者のビート・リアン(下図)の二人であった。ビートは当初、エネルギーボルトを用いて動物を狩る役回りに回ろうと考えていたのだが、「なるべく表皮を傷つけないように」と言われたことで諦め、ひとまず顔馴染みのテリスと同じ班になることにしたのである。
+ ビート
 彼等は手近なところから順番に「過去の出現地帯」を調べて回っていたが、なかなかそれらしき草には遭遇出来ずにいた。

「見つかりませんね……」

 少し疲れた様子のテリスが、思わずそう呟く。もともとフィールドワークには慣れていないテオフラストゥスも、少し息が上がり始めていた。

「地図通りに回っている筈なのですが……、やはり一時的に混沌の作用によって生まれただけの「配合種」はあくまで一代限りのもので、この世界にそのまま自生し続けられる訳ではないのかもしれません……。この地図に記されている最新の目撃情報ですら、もう何年も前の記録らしいので、その時の影響で生まれた光沢草も、そこから次代の種子を生み出すことが出来なかったのだとすれば、この地図に頼ることはあまり意味がないのかも……」

 テオフラストゥスが疲れた様子でそう呟くと、テリスは別の仮説を思いつく。

「あるいは、もし仮にそのまま『この世界』に根付ける種子になっていたのだとしても、もう既に他の人達に採取し尽くされているのかもしれませんね。多分、この出現情報自体、知ろうと思えば誰でも調べられるものでしょうし……」

 いずれにしても、このまま地図を頼りに探し続けて良いのか、という点に関しては、二人とも懐疑的になり始めていた。とはいえ、他に今のところ手掛かりもない以上、どう方針を変えれば良いのかもよく分からない。
 そんな中、ふとビートが森の一角を指差した。

「テリスさん、あの辺り、なんか妙じゃないですか? 光が全然差し込んでないというか……」

 言われてみると、確かに森の中の一角だけ、なぜか妙に薄暗くなっているように見える。空にはまだ太陽が照りつけている時間なので、明らかにおかしい。この時点で、テオフラストゥスの中には「嫌な既視感」がよぎる。

(なんだ……、この感覚……、もしかして「前の周期」の時の記憶か……?)

 その既視感の正体は分からない。だが、それが彼の中で「嫌な予感」と結びついていることから、一つの仮説が導き出される。

(もしやあれは…………、魔境?)

 「魔境」とは、混沌の作用によって空間そのものが「異世界の空間」と置き換わった状態のことである。テオフラストゥスはまだ「今の周期」では実物の魔境に遭遇したことはない。だが、本能的にそれに近いものを感じるということは、もしかしたらそれは……。
 彼がこの状況をどう判断すべきか迷っている間に、テリスはその「薄暗い区画」の中で、何かが光っているのを見つける。

「あれ! もしかして、光沢草じゃないですか!?」

 彼女がそう叫ぶと、ビートがすぐにその指差した場所に駆け込んで行く。それに対してテオフラストゥスが止めようとした瞬間、突如、ビートの姿が彼等の視界から消えた。

「え……? ビート君!?」

 慌ててテリスも彼の後を追う。

「待って下さい。おそらくそこは魔……」

 彼の声がテリスの耳に届く前に、彼女の姿もまたテオフラストゥスの視界から消える。

「仕方ない……、こうなってしまっては、今の私ではどうすることも出来ない……」

 テオフラストゥスはそう呟きつつ、発煙筒を空に向かって発射した。

 ******

 その頃、シャーロット率いる「火鼠班」は、山の一角にてハンナから預かった鼠捕獲用の罠を設置し、鼠が好む香を炊きながら、気長に火鼠が現れるのを待っていた。この班の構成員は他に、山岳民の ティト・ロータス 、海洋民の メル・ストレイン 、そして「魔剣を求める男」 ダンテ・ヲグリス の三人である。罠の設置と香を炊く方角に関しては、ティトがクールインテリジェンスを用いた上で冷静に「ベストポジション」を割り出した上で設置していた。
 その後はひたすら「待ち続けるだけ」の退屈な作業ではあったが、そんな中でもメルはやる気に満ち溢れた様子で任務に臨んでいた。

「アタシは海育ちだから、山とか森とかあんまり慣れてないんだけど、なんか、これはこれでワクワクするもんだな」

 メルは先日、セレネ主催の庭園でのバーベキューに誘ってもらえたことで(みながくdiscord「庭園」6月5日)ようやくこの学園にも馴染み始めたようで、学友同士の間では無理して敬語を使わなくても良い、ということを理解し始めたらしい。ただ、そのバーベキューの時に自分が食材を一切用意できなかったことを申し訳なく思っていたため、何らかの形でその時のお礼がしたいと考え、今回のアルバイトに参加してお金を稼ぐことにしたのである。
 そんな彼女とは対象的に、特に明確な目的もなく、普通に課外授業の一環のつもりで参加していたティトは、いつも通りに静かな口調で答える。

「私は、山育ち、ですけど……、この『月見山』に来るのは、初めて、です」
「え? そうなのか? あんた、なんか身体弱そうだから、てっきり都会育ちのお嬢様かと……」
「昔は、街に住んでたんですけど、肺の病気になって、空気のいいところの方がいいと、お医者さんに、言われて……」
「あー、なるほど……。確かに、山の方が空気はキレイだもんな。まぁ、アタシは潮の風の匂いの方が好きだけど」

 二人がそんな雑談に興じている横で、ダンテが小声でシャーロットに告げる。

「おい、班長さんよぉ、獣の気配がするぜ」
「来ましたか! では、ここは私に任せて下さい。一応、罠も準備してもらってはいますが、その前に私がこのスリープの魔法で眠らせてみせます。この魔法は格上の相手には使いづらいですが、鼠程度の小動物ならきっと……」
「いや、これ多分、鼠だけじゃねーぞ」
「え?」

 シャーロットが一瞬戸惑っている間に、彼女の視界に、ハンナの映像の中に映っていた「特殊な体皮を持つ鼠」が数匹映る。シャーロットは慌ててそれらに対してスリープの魔法を唱え始めるが、鼠達の動きが速くて、どの位置に魔法を放つべきか、的が絞りきれない。

(野生の動物って、こんなに足が速いんですか!?)

 試験の時は相手(カルディナ)が全く避ける様子もなかったので余裕で使えたが、いざ実際の戦場(?)に立ってみると、全く勝手が違うことに戸惑う。

(でも、せっかく覚えたんです。ここでちゃんと使わないと!)

 彼女が意を決して魔法を放とうとした瞬間、その背後から激しい物音が聞こえる。一瞬彼女が振り返ると、そこには巨大な「猫型の大型獣」がシャーロット(の向こう側にいる鼠達)に向かって飛びかかろうとしていた。どうやら火鼠達は、この大型獣から逃れようとして、この場に逃げ込んで来たらしい。

(ふぇぇぇぇぇ!)

 思わず彼女は恐怖で後方へと逃げる。それと同時に魔法を放った結果、彼女は自分がかけたスリープの魔法の範囲内に飛び込んでしまった。

(大丈夫、私が掛けた魔法なんだから落ち着いて対処すれば大丈夫、ひとまず深呼吸して……、ふみゅぅ……ねむく……なって……)

 そのまま彼女は、鼠達の一部と共に意識を失う。そこへ「猫型の大型獣」が襲いかかろうとしたが、ダンテが模擬戦用の木刀を手に、彼女との間に割って入る。

「やらせねぇよ!」

 そう言って木刀を横薙ぎにして獣の脇腹を殴打すると、その大型獣は苦悶の表情を浮かべながら逃げ去って行く。

「あんた、すげぇな……」

 メルがそう呟いたところで、ダンテは彼女に言い放つ。

「今のうちに、鼠を確保しな!」
「あぁ、そうだった!」

 メルが周囲を見渡すと、鼠達のうちの何匹かはスリープの魔法にかかっていたが、それを逃れた何匹かはまだ辺りを走り回っている。

「船乗りにとって、鼠は宿敵だ! 逃しはしねぇよ!」

 彼女はそう叫びながら、鼠達の動きを予想した上でその進路を遮断することで罠のある方向へと誘導していくと、彼女の思惑通りに次々と鼠達は罠にかかり、ティトの手によって一匹ずつ着実に捕獲されていく。
 その様子を見ながら、ダンテは満足そうな表情で呟く。

「まぁ、とりあえずこれで、前回のオレの『乱行』はチャラにしてもらえるかな」

 彼の先日の戦闘訓練への乱入行為に対しては、学校当局からは停学処分を申し渡されていたが、そんな彼の噂を聞いたハンナから「暇なら手伝ってほしい」と言われて、主に危険時の護衛役(無償奉仕)として抜擢されていたのである。どうやら結果的に、ハンナのその判断は正解だったらしい。

「全部で、9匹です……。これだけいれば、もう、大丈夫でしょうか……」

 ティトがそう言って捕まえた鼠達を籠に入れていく中、彼等の視界に発煙筒の煙が映る。

「なんだ? 何かあったのか!?」
「あの色は……、たしか……、光沢草班の人達……」

 メルとティトがそう口にしている間に、ダンテは眠ったまま転がっているシャーロットを拾い上げる。

「とりあえず、向かうか! 班長さんは、オレが持ってくからよ!」

 彼は乱雑な仕草でシャーロットを背負いながらいち早く煙の元へと駆け出し、メルとティトもその後に続いた。

 ******

 こうして学生達がそれぞれに採集作業をこなしている間に、ハンナはハンナで自力で三種の素材の捜索を続け、その傍らではゴシュが「荷物持ち」として随行させられていた。森林地帯を歩き回りながら、二人はふと雑談に興じる。

「あなた、私に聞きたいことがあるって言ってたけど、何なの? 恋愛相談とか?」

 ハンナの中では、女子学生の相談事と言えば、まず真っ先にそれが思い浮かぶらしい。

「ウチ、会いたい人がいて時空魔法師になろうと思ってたんです。でも、他の可能性にもちゃんと目を向けたいと思ってて……」

 この時点で、ハンナの中では「会いたい人=時空魔法学部のカッコイイ先輩」だと勝手に脳内変換されていた。

「……それで、1つ質問してもいいですか?」
「いいわよ。何?」
「錬成魔法のいいところとか魅力って、どんなところなんですか?」
「そうねぇ……、まぁ、何よりもまず『無いものを自分で作り出せること』かな」
「『無いもの』を、ですか」
「えぇ。たとえば浅葱の召喚魔法でも、異界の色々な物品を召喚することは出来るけど、それはあくまでも『どこかの異世界にあるもの』の模造品でしかない。でも、錬成魔法なら『どの世界にも存在しない、自分だけのアイテム』を作り出せる。まぁ、今の私程度じゃあ、まだまだ作れるものにも限界はあるけどね」
「たとえば、どんなものが作れるんですか?」
「そうねぇ…………、媚薬、とか?」

 ニヤリと笑いながらハンナがそう言ったのに対し、ゴシュはきょとんとした顔を浮かべる。

「あー、ごめん、あなたにはまだ早かったか。でもね、使えるものは何でも使わなきゃダメよ。その『会いたい人』がどんな人かは知らないけど、『素の自分』だけで勝負出来るなんて思わない方がいいわ。あなたは今のままでも確かに可愛いけど、どんなライバルが来ても勝てるように、磨けるところまでは磨かなきゃ!」
「はぁ……」
「なんか、いまいちピンと来てないみたいね。じゃあ、あえて具体例を出すけど、たとえば、あなたと一緒に来てた、あの仮面の女の子!」
「ルクスですか?」
「あの子、仮面の下は超絶美少女でしょ?」
「いや、見たことないから知りませんけど……」
「そうに決まってるわ! 『あの形状の仮面』を付ける人は、イケメンか美少女って決まってるんだから!」

 ハンナが何を根拠にそう言っているのかゴシュにはさっぱり分からないし、そもそもハンナが何の話をしているのかも理解出来ていない。

「で、そんな美少女がライバルになったとして、それでもあなたは『会いたい人』を振り向かせることが出来ると思う?」
「いやー、でも、ルクスはルクスで、会いたい人は別にいるみたいですし……」
「あら? そうなの? まぁ、友達同士で奪い合わなくてもいいなら、それはそれで平和でいいことではあるんだけど……」

 そんな噛み合わない会話を二人が続ける中、二人の視界にも「テオフラストゥスに預けた発煙筒」の煙が映った。

「何かあったみたいですね……」
「仕方ない! 行くわよ!」

 ハンナはそう言って(大量の荷物をゴシュに持たせた状態のまま)、その煙の元へと走り出すのであった。

 ******

 当然、その発煙筒の煙は、龍雷石班の面々の視界にも入っていた。ただ、大半の面々が下(地面)を向いて作業中だったこともあり、最初に気付いたのはクリストファーであった。

「みんな! 一旦作業は中止しよう! 何かあったみいたいだ」

 彼がそう言うと大半の者達は素直に従うが、ニキータだけは無視して発掘作業を続けている。

「今、なんかよく分からない石版を見つけたところなんだ! だから、ちょっと手が離せない」

 ニキータの手元には、確かに大きな石版のようなものが埋もれている。どうやら、彼は何か奇妙なものを発見してしまったらしい。

「ちょっとあなた! そんなこと言ってる場合じゃないのよ! もしかしたら、何か危険な投影体が出たのかもしれないし……」

 ミランダがそう言ったところで、エルが彼女の肩に手を置く。

「彼は、人の言うことは聞かないから……」

 エルのその諦めきった表情から、ミランダはなんとなく事情を察する。その上で、ニキータ一人をその場に残したまま、他の六人はひとまず煙の方向へと向かって走り出して行った。

 ******

「どこなの? ここは……」

 暗がりの中に飛び込んだテリスは、自分が明らかに「奇妙な空間」の中に入り込んでいることを自覚する。先刻まで後方にいた筈のテオフラストゥスの姿も見えない。というよりも、彼のいた場所へと戻る道がそもそも見つからない。そして、まだ陽が登っていた筈の空が、彼女がこの空間に足を踏み入れた直後、一瞬にして「満月に照らされた夜空」に変わっていたのである。
 ただ、その月明かりに照らされた周辺の木々を見る限り、完全な「異空間」に迷い込んだようにも思えない。木々の配置は微妙に変わっているものの、森の空気や雰囲気自体は、そこまで大きく変わったようには感じられなかったのである。

「ここは、魔境? でも、話に聞いていたのとは、ちょっと違う……」

 当然、テリスはまだ実際に魔境に足を踏み入れた経験はない。ただ、魔境の中では全ての自然律が狂わされ、場合によってはそこで発生する変異律やハプニングによって様々な怪異が発生すると聞かされていたが、そのような雰囲気は感じられないし、そもそも混沌濃度自体、そこまで高いとも思えなかった。
 とはいえ、今の自分がどこにいるのかさっぱり分からないという現状は、当然、テリスの心を困惑させる。遭難時には、あまり無闇に走り回らず、救援が来るのを待った方がいい、という話を魔境の講義の際には聞かされていたが、今の彼女は、まず自分よりも先に行方不明となったビートを探さなければ、という思いもあり、このままじっとしている訳にはいかなかった。
 彼女はひとまず空の星々を頼りに方角を確認しながら歩き回ろうとするが、その過程で改めて違和感に気付く。特定の方向に向かって歩き続けていた筈が、何度も同じような木々の中を歩き回っているような感覚にとらわれたのである。

「もしかして、これって『無限回廊』……?」

 魔境の講義の際に聞いたことがある。森林系の魔境の中には、外部からの侵入者を防ぐために方向感覚を狂わせる変異律が発生することもある、ということを。だが、そんな中、彼女の後方から、聞き覚えのある声が聞こえてくる。

「テリス、さん……?」
「ビートくん!?」

 テリスが後ろを振り返ると、そこにはフラフラの状態で歩いているビートの姿があった。その手には、光沢草と思しき何かが握られている。

「よかった……、やっと会え……」

 ビートはそこまで口にしたところで、その場に倒れる。すぐにテリスが駆け寄って抱え上げるが、どうやら彼は歩き疲れて体力が限界に達したらしい。

「大丈夫? 今まで、どうしてたの?」
「この草を見つけたところで、辺りが暗いことに気付いて、戻ろうと思ってもなぜか戻れなくて、同じところをグルグル回ってて、そしたら、テリスさんを見つけて……」

 どうやらテリスとビートは、同じ謎空間をさまよい続けていたらしい。脱出の糸口が見つからないまま、テリスはビートの身体を支えた状態のままその場に座り込みつつ、改めて空に浮かぶ満月を見詰める。

「綺麗ね……、そういえば、この山が『月見山』って呼ばれてるのは、この山から見る月が格別美しく見えるから、っていう話を聞いたことがあるような……」

 テリスがそう呟いたところで、突然、彼女の耳に、馴染みのない声が響き渡る。

《すみません、そこに、誰かいるのですか?》
「え? だ、誰ですか?」

 テリスは周囲を見渡すが、そこには誰の姿もいない。そして彼女に身体を預けていたビートは、いつの間にか(疲労が限界に達したことと、テリスに会えたことへの安心感から)眠っていた。

《あぁ、やっぱり……。ごめんなさい、私、絵を描くことに夢中で、気付きませんでした……》
「絵? 絵とは、何のことですか?」
《絵は絵です。でも、もうすぐ描き終わるので、もう少しだけ待って下さいね》

 その声の主の言っている話の内容は、テリスにはさっぱり分からない。ただ、直感的に、その声の主は自分達に対して、敵対的な意志を持っているようには思えなかった。

 ******

 テオフラストゥスの元に最初に到着したのは、「シャーロットを背負ったダンテ」とハンナ(ほぼ同時)であった。テオフラストゥスが一通りの事情を説明すると、ハンナはその「暗がり」を見詰めながら、慎重に周囲の混沌濃度を確認しながら状況を分析し、その間に他の面々も次々とこの場に合流してくる。
 そしてほぼ全員が揃った時点で、ハンナは分析結果を彼等に伝えた。

「これは、魔境に似てるけど、魔境とはちょっと違う。あえて言うなら、何者かが発生させた『異界の自然律(ロウ)』による特殊空間ね」

 到着したばかりのエンネアはその言葉に対して内心激しく反応していたが、ひとまず平静を装いながらハンナの説明をそのまま聞き続ける。

「投影体の中には、自分の周囲に無意識のうちに『自分の世界の自然律』を発生させてしまう者がいるわ。当然、それは私達から見れば『変異律』に相当するんだけど、その力が強くなりすぎると、その投影体の周囲には常に『この世界の自然律とは異なる空間』が発生することになる。でも、それは魔境みたいに空間そのものが異世界の空間に置き換わった訳じゃない。まぁ、専門家によっては、これもまた魔境の一種だと定義する人もいるし、実際あまり変わらない気もするんだけど、少なくとも、一般的な魔境ほど危険な存在ではないわね」

 ハンナの本業は紫(本流)の錬成魔法師であるが、現在は赴任先の魔境対策のために、魔境探索の専門家と呼ばれる菖蒲(亜流派)の魔法も勉強中である。図らずも、その覚えたばかりの知識がここで役に立つことになったらしい。

「では、この魔境を発生させたのは、誰なのでしょう?」

 テオフラストゥスがそう問いかけると、ハンナは微妙な表情を浮かべつつ答える。

「はっきりとは分からないわ。でも、森の奥地に発生しやすい投影体という意味では『エルフ』の可能性が高いんじゃないかと思う」

 エルフとは「森妖精」とも呼ばれる異世界の住人である。色白痩躯と尖った耳が特徴的で、アトラタンには「エルフ界」と呼ばれる世界からの投影される存在として知られているが、稀に「それ以外の世界に住むエルフ」が出現することもあるらしい。それぞれ微妙に特徴は異なってはいるが、総じて言えば知性は高く、価値観的に人間と相容れられない部分もあるものの、まだ比較的対話が容易な存在と言われている。

「とりあえず、ここから先は私一人で行くわ。あなた達はここで待ってて。私ならきっと、この異界の自然律の中でも、どうにか『発生源』の元まで辿り着ける。でも、もし陽が落ちるまでに私が帰って来なかったら、あなた達はすぐに下山して、助けを呼びなさい」
「それなら、むしろ今からでも助けを呼んだ方がいいのでは……」
「え? ……いや、まぁ、そうかもしれないけど……、大丈夫! 大丈夫だから! きっとこの異界の自然律は、そんな大したものじゃないから! いや、大したものかもしれないけど、私なら大丈夫だから! 信じて!」

 急に慌てたような口調でハンナはそう語る。

(冗談じゃないわよ! こんなことで助けを呼びに行ったら、私の面目丸潰れじゃない!ちょっと、大袈裟に言い過ぎたかな……?)

 実際のところ、ハンナは目の前のこの状況に対して、それほど危機感は抱いていない。あえて深刻な言い回しをしたのは、後輩達を相手に「カッコいいところ」を見せたかっただけである。

(さーて、見てなさい! 今からこのお姉さんが、スパッと解決してあげるから!)

 そんな想いを胸にハンナが「薄暗い異空間」の中に足を踏み入れようとした瞬間、その空間が消滅し、そこには「ごく普通の森の光景」が現れる。

「あれ……?」

 ハンナが呆気に取られる中、後方では学生達の歓声が上がる。

「すごいのだ! 一瞬にして普通の森にもどったのだ!」
「さすがやなぁ、何やったのかも分からんまま、解決してもうた」
「ハンナ先輩! マジぱねーでございます!」

 そんな声が響き渡る中、ハンナは困惑しつつも「普通の森の光景」の中に、テリスとビートの姿を発見する。

「大丈夫!? あなた達……」

 ハンナはそう言いながら二人に駆け寄りつつ、ひとまず疲労困憊状態のビートに対して魔法薬を処方する。

「はい、どうにか平気です。ただ、正直、何が起きていたのかは、よく分からなくて……」

 テリスがそう答える中、やがて「異空間の跡地」から、一人の女性が姿を現す(下図)。その細身の身体と尖った耳から、ハンナの予想通り、エルフと呼ばれる投影体であろうことは推測出来る。
+ エルフらしき女性

「ご迷惑をおかけしてしまって、申し訳ございません。私はレイラ。しがない旅の絵描きです」

 彼女がそう言って頭を下げると、ハンナは訝しげな表情で彼女に問いかけた。

「その落ち着いた物腰からすると、ついさっき投影された存在、という訳では無さそうね」
「はい。私がこの世界に出現したのは、もう……、えーっと、正確には覚えてないんですが、少なくとも500年以上は前です」

 唐突に桁違いの数字が出てきたことに、テリスも、そして後方の学生達も驚く。ただ、エルフという種族が極めて長命なことを考えれば、この世界に500年以上存在し続けるエルフがいても、それほど特異なことではない。

「で、ここで何をしてたの?」
「私は、絵を描くことを生き甲斐にしています。そして、この『月見山』から眺める月は、世界で一番美しいという評判を聞いたので、その絵を描きたいと思って、数百年ぶりにエーラムに来たのです。その月の絵をじっくりと描くために、この辺り一帯の時間を、少しだけ『遅らせて』頂きました」

 あっさりと言ってのけるが、それは「普通のエルフ」が容易に出来るようなことではない。確かにエルフ界の時の流れはこの世界とは異なるだろうし、投影体の中には自分の周囲に「自分の世界の自然律」を発生させることが出来る者もいるが、ここまで大規模に空間法則を捻じ曲げるエルフなど、聞いたことがない。とはいえ500年も投影体としての身体を維持し続けているエルフということであれば、既に並大抵ではない規模の混沌核を得ている可能性もある(ちなみに、テリスとビートが入り込んでいた「無限回廊」もまた、エルフ界の森に存在する特殊空間であり、彼女は無意識のうちに「その部分」までこの世界に再現してしまっていた)。

(これはまた、とんでもない投影体と遭遇しちゃったみたいね……。でもまぁ、悪気はないといか、好意的な存在みたいだし、これはむしろ私の功績にするチャンスなのでは……?)

 ハンナは内心でそんな思いを巡らせつつ、ふと問いかける。

「あなた、旅の絵描きって言ってたけど、どこかの国とか組織とかには所属してないの?」
「一応、故郷の森はあるんですけど、実はもう何百年も帰ってなくて……、ちょっと今から帰るのもバツが悪いんですよね……。最初は、50年くらいで帰るって約束だったんですけど、世界各地の色々な風景を夢中になって描いてる間に、気付いたら数百年経っちゃって……。だから、故郷が今、どうなってるのかもよく分からないんですよ」
「つまり、行くところは無いってことね。だったら、エーラムお抱えの美術講師にならない?」
「美術、ですか?」
「そう。ちょっと前まで絵を教えてた教員の一人が、最近、契約魔法師として招集されちゃってね。今、ちょうど空席があるのよ」
「でも私、そんな人に教える程の腕前でも……」
「それは、今から判断するわ。あなたの描いたその『月』の絵、見せてくれない?」
「あ、はい。では、まだキャンバスは『あちら』にあるので、来て頂けますか?」

 そう言って、その「レイラ」と名乗るエルフの女性は、ハンナと学生達を「先刻まで特殊空間だった区域」の奥地へと案内する。その道程で、テオフラストゥスは道端に光る草を発見した。

「これは、発光草?」
「あ、ホントだ……。そうか、混沌濃度が微妙に上がったことが影響してるのかもね」

 ハンナがそう呟くと、テオフラストゥスはその場に屈み込む。

「私は絵の良し悪しは分からないので、ここで光沢草を採取しておきます」
「あ、うん。分かった。お願い」

 そんなやり取りを経た上で、ハンナ達は森の奥地に設置されたレイラのキャンバスと、そこに描かれた「満月の絵」を発見する。それは、写実的でありながらもどこか幻想的で、その月そのものが一つの「世界」を形成しているような、そんな不思議な雰囲気の漂う絵画であった。

「綺麗……、ですね……」

 真っ先にティトがそう呟くと、他の者達も同意する。

「決まりですね。じゃあ、よろしくお願いします、レイラ先生」
「あ、いや、その、本当にいいんですか?」
「まぁ、私に決定権は無いですけど、多分、問題ないと思いますよ。投影体の職員とかも、他にいない訳じゃないですし」

 ハンナ達はそんな会話を交わしつつ、ひとまずレイラはテリスとビートに迷惑をかけたことを改めて謝罪した上で、その罪滅ぼしの意味も込めて、ハンナ達と共に下山することを決意するのであった。

 ******

 その後、ハンナは各班からの収穫物を受け取り、満足した様子で参加者達にバイト代を支払う。ちなみに、その材料で何を作るつもりなのかについては「国家機密」として、誰にも教えなかった。
 鉱物班が発掘した龍雷石以外の発掘物に関しては、基本的には各自が自由に持ち帰るように伝えたが、エンネアが見つけた子安貝だけは「極めて貴重な素材」ということで、ハンナが高額で買い取ることにした。
 一方、ニキータが最後に見つけた石版に関しては(彼は見つけた瞬間は飛び上がって歓び、後々合流した鉱物班の面々にも見せびらかしていたが)、ハンナがそこに書かれていた文字を解析したところ、どうやらそれはどこかの異世界の「噴水の看板」であり、そこに書かれていたのは「〇〇噴水 注意 噴水内に入ることを禁ず 噴水内で洗濯物を洗うことを禁ず 噴水の口にものを詰めるのを禁ず……」と書かれていただけの代物だった(なお、〇〇と……の部分は、かすれていて読めなかった)。なぜそんな看板があの地から発掘されたのかは謎だったが、それを持ち帰ったニキータは、特に使い道も思いつかなかったので「噴水の注意書きはどこでも大して変わらないだろう」と判断した上で、近くの噴水前に放置することにした。
 ちなみに、ダンテに背負われた状態のままのシャーロットは最後まで目を覚ますことなく、彼女のバイト代はひとまずダンテが預かった上で、彼はシャーロットを女子寮の前まで運ぶと、その胸ポケットの中に給料袋を挟み込み、そのまま何も言わずに去って行った。
 そして数日後、レイラは無事に美術講師としてエーラムに迎えられることになる。その後、彼女はこのエーラムにて「故郷の森と縁の深い一族の末裔」と遭遇することになるのだが、それはまだもう少し先の話である。

4、先輩の凱旋

 エーラム魔法師協会は、世界各地の君主の「功績」に応じて、有形無形の支援をおこなう。その「功績」とは「聖印を用いて混沌を浄化した量」であり、実質的には各君主が保持している聖印の「大きさ」によって判断される(聖印は混沌を浄化吸収することで大型化していくため)。聖印の規模が大きくなるにつれて、従騎士、騎士、男爵、子爵、伯爵……、といった形で「爵位」が与えられ、それに応じて支援の手厚さも高まっていく。
 君主達に与えられるまず第一の支援は「領有権の保証」である。騎士級聖印なら一つの村、男爵級聖印なら一つの都市、子爵級聖印なら一つの国、というのが大まかな基準と言われているが、実際にはそれぞれの地域の経済的価値などに応じてその基準も変容する。また、聖印教会やダルタニアのように、エーラムからの爵位の受け取りを拒んだ上で勝手に領地を治めている君主達もいる以上、エーラムの認定基準が必ずしも世界全土で通用するという訳ではないが、少なくとも一定程度の正統性を与えていることは間違いない。
 第二の支援は「魔法師の派遣」である。騎士級聖印の持ち主となった時点で、一人の魔法師を「契約魔法師」として迎え入れる権利が与えられる。とはいえ、それはあくまでも「エーラムを介した上での契約」であり、必ずしも明確な主従関係という訳ではない。契約魔法師達は君主をサポートすることが仕事ではあるが、どこまで彼のために尽くすかは、それぞれの人間関係によって異なり、一様ではない。
 そして第三の支援として、国力や戦力の向上のための知識・技術や魔法具(アーティファクト)の提供が挙げられる。これも君主の爵位(聖印の規模)を基準としてその質や量が定められるため、君主が様々な混沌を浄化する(もしくは他の君主の聖印を奪って自身の聖印と統合する)ごとに、エーラムから君主に向けて新たな支援技術や支援物資が与えられることになる。
 この日、そんな魔法師協会からの新たな支援物資を受け取るために、一人の若い魔法師がエーラムを訪れた。彼女の名は、シルーカ・メレテス(下図)。システィナを転戦中の君主テオ・コルネーロの契約魔法師である。先日、テオがシスティナの巨大な混沌を一つ浄化して聖印の規模を拡大したことから、その分の功績に見合って支給される「新型魔法具」を受け取るために、自らエーラムを来訪することにしたのである。テオの側近である彼女がわざわざ自ら来訪したということは、おそらくその魔法具は何らかの強大な新兵器ではないかと噂されているが、その内容は重大な国家機密らしく、一切公表されていない。
+ シルーカ
 シルーカとしては、早々に受け取りだけ済ませてテオの元に帰還するつもりだったらしいが、彼女のことを深く尊敬する魔法大学の学生ジェレミー・ハウル(下図)の強い申し出により、彼女が開催する「歓迎会(凱旋会)」に招かれることになった。シルーカは当初はあまり気乗りしなかったが、彼女はジェレミーをテオの魔法師団の一人として招き入れたいと考えていたため、ここで彼女からの善意を無碍にはしない方がいいと判断したようである。
+ ジェレミー
 ジェレミーはあえてシルーカに「懐かしいエーラムの雰囲気」を味わってもらうべく、魔法大学内の学食の一つを借り切って、学内の様々な料理人を配備しつつ、多くの学生達を集めて大々的な立食パーティーを開こうと試みた。しかし、シルーカの来訪が当初は密かに計画されていたものだっただけに、その事実を知ってから人を集めるまでの間にあまり時間が無く、思っていた程の人数を集めることが出来なかった。ジェレミーはそんな自分の人望の無さを嘆きつつも、せめてシルーカを退屈させてはならないと、まずは最近エーラムで話題の「珍味」を紹介する。

「先輩、こちらのパスタはいかがですか?」
「なんだか、変わった色合いね……」

 シルーカがそんな微妙な反応を示す中、ジェレミーに手招きされる形で、 クグリ・ストラトス が彼女達の前に現れる。

「はじめまして。喫茶『マッターホルン』にて店長代理を務めております、クグリ・ストラトスと申します」
「マッターホルンって……、じゃあ、もしかしてこれも『あの店長』の新作?」

 シルーカは露骨に嫌そうな顔をする。どうやら、マッターホルンの店長の「特殊な味のパスタを作る趣味」は、シルーカが学生だった頃から既に定着していたらしい。

「あ、いえ、こちらは、私の学友のヴィッキー・ストラトスが考案した特殊な調味料を使った、私のオリジナルの一品です。少々辛目の味付けではありますが、あくまで『一般的な味覚の方』を対象とした料理ですので、どうぞご安心を」
「そうなの? じゃあ……」

 シルーカは恐る恐る口にしてみる。

「……うん、悪くないわね。確かにちょっと辛いから、一皿食べきるのは少しキツいかもしれなにけど、こういう立食パーティーの時に小皿で一つのアクセントとして口にする分には、これはこれでいいかも」
「ありがとうございます。もしよろしければ、こちらの『紅茶プリン』もお口直しにぜひどうぞ」
「へぇ、それも確かに美味しそうね。あとでぜひ頂くわ」

 (店長のおかげで)もともとハードルが低かったこともあり、まずまずの評価をもらえたことにクグリは安堵する。そして、続いて今度は「多島海」の従業員である アーロン・カーバイト リヴィエラ・ロータス が呼び込まれた。二人は、それぞれに用意した料理を小皿に載せて持参する。

「この二人は、最近話題の『多島海』というレストランで働いている学生です」
「多島海?」
「はい。このエーラムで海鮮料理を出している珍しい店なんですよ。学生達の間でも、教職員の方々の間でも、とても人気のお店です」

 そしてこの二人は、以前にジェレミーが多島海の前で「君主との恋愛はアリかナシか論争」をしていた時に巻き込まれた面々であり、その時の縁から今回の席に招かれることになった。もっとも、(その論争の後に質問に答えてくれたジェレミーへの感謝の念から)積極的にパーティーの運営に協力したいと申し出てきたアーロンとは対照的に、リヴィエラの方はハンナの採集作業のアルバイトに参加しようか迷っていたところを、半ば強引に手伝い要員として引きずり込まれることになった訳だが。

「アーロン・カーバイトです。こちらは、ムール貝のガーリックバター焼きです」
「リヴィエラ・ロータスです。こちらは、小海老の素揚げです」

 二人がそんな小皿をシルーカに提示すると、シルーカは笑顔で受け取って交互に口へと運ぶ。

「これ、キルヒスの料理よね? あ、いや、でも、ちょっと違うかも……?」

 現キルヒス王ヨルゴ・ダラーラスはアルトゥーク条約の一員でもあり、先代王ソロンもテオ達とは交流があったため、シルーカは大陸南東端のキルヒスを訪問したことが何度かある。その際に食べた料理と似た風味を感じつつも、いい意味でそれとは少し異なる独特の味わいを実感していた。その上で、彼女はあっさりと「正解」に辿り着く。

「これ……、もしかして、異界の食材なんじゃ……?」

 シルーカがその発想に至れた要因には、まずそもそも彼女自身が召喚魔法に長けていること、そして彼女自身が子供の頃に「山国のエーラムでも食べられるように、異界の海の食材とか召喚出来たらいいのに」と妄想したことがあったからである(結局、彼女はそのような形で召喚魔法を極める道へは進まなかったのだが)。

「あー、その、そういう噂もあると言えばあるんですけど……」
「私達も、食材の入手経路までは知らされていないので、正確なところは何とも……」

 アーロンとリヴィエラがどう答えれば良いか分からずに困った表情を浮かべる中、この二人以上にジェレミーが狼狽した表情を浮かべる。

「すみません! お口に合いませんでしたか? お気に触ってしまいましたか?」
「ううん、そうじゃないわ。仮に異界の食べ物だったとしても、実際にこのエーラムで認可されてて、しかも人気の店なんでしょう? だったら、人体に影響があるとは思えないし、実際、とても美味しかったわ」

 そう言われて、三人とも安堵の表情を浮かべる。そして、ふとシルーカはリヴィエラに問いかけた。

「あなた、ロータス家の人みたいだけど、リッテ女史は元気?」
「え? あ、はい。お元気かと思います。最近はお会いしていませんが……」

 リッテ・ロータスとは、エーラムの魔法工房で働く女性である。液体や気体に対して安定した形で魔力を供給するための媒質の研究者として知られている。

「そう。まぁ、私とはそんなに親しくもなかったけど、私のお養父様と姉が、彼女とはちょっと『色々』あったって聞いてるから、その姓を聞いて、少し懐かしく思えたのよ」

 シルーカはなぜか「思い出し笑い」を浮かべながらそう語りつつ、そのままリヴィエラとの話を続ける。

「それで、あなたも彼女のように研究職を目指すの? それとも、私のように契約魔法師になるつもり?」
「私は、まだそこまではっきりとは……」
「まぁ、そうよね。実際、私だって、学生の頃は契約魔法師になる気なんて無かったもの。エーラムでずっと魔法の研究を続けるつもりだったわ。でも……、人生、どうなるか分からないものよね。今は、テオ様と巡り会えたことに感謝してるわ」

 そう語るシルーカの横顔を見ながら、アーロンはもう少し彼女からその話を聞きたいという思いが湧き上がる。もともと、アーロンが今回参加を決意した背景には、おそらくはジェレミーが語っていた「尊敬する先輩」のことであろうシルーカへの個人的な好奇心もあった。だが、今回はあくまで「会場運営の補佐役」として参加している手前、あまりこの場に長居する訳にもいかなかったのである(一方、リヴィエラは主に「事前準備」と「後片付け」の担当を頼まれていたので、今は実質的にフリーの時間であった)。

「すみません、ちょっとボクは給仕の仕事があるのでこの場は失礼させて頂きます。ただ、もしよろしければ、この宴の後で、お話を伺ってもいいですか?」
「えぇ、もちろんいいわよ。とりあえず、宴会が終わったら私は夜行の馬車に乗って帰るつもりだけど、多分、出発までに少しは時間もあるし。私に答えられることなら、何でも答えるわ」
「はい! ぜひ『シルーカ先輩に』お聞きしたいことがあるので、またよろしくお願いします!」

 そう言って、アーロンは近くのテーブルの空いた皿の片付けへと向かう。そんな彼と入れ替わるように、今度は ジョセフ・オーディアール が彼女の前に現れた。

「はじめまして。赤の教養学部所属、ジョセフ・オーディアールと申します。この度は、偉大な先輩にこうして拝謁させて頂く栄誉を賜ったこと、誠に光栄に存じます」

 ジョセフは精一杯恭しくシルーカに対してそう挨拶しつつ、彼女の反応を伺う。

「偉大な先輩、か……。なんか、そう言われるのは今でも違和感があるわね。今の教養学部の子達は知らないだろうけど、私、昔『選別』されそうになったこともあったのよ。『魔法師として不適格』ってことで」

 苦笑しながらそう語るシルーカに対して、横にいたジェレミーが声を張り上げる。

「それは! きっと先輩の才能の嫉妬した人達が、変な噂を流したからで……」
「違うわ。だって、私を選別すべきと進言したのは、私のお義父様だもの。あの人は絶対に、周囲の人の噂なんかに惑わされたりしない。一番私に近い位置にいた、私のことを誰よりもよく知っているあの人がそう判断したんだから。多分、その判断は間違ってないのよ。このエーラムにとってはね……」

 シルーカのその言い方に、ジョセフはどこか引っかかるものを感じた。

(「エーラムにとっては間違ってない」ということは、彼女の中には「魔法師協会の判断基準」とはまた別の判断基準がある、ということなのだろうか……)

 実はジョセフがこの「シルーカ先輩を称える会」に参加したのは、故郷のファーガルドで契約魔法師を務めるアンブローゼから「シルーカ・メレテスの人格、思想、および彼女たちの掲げている大義が信頼に足るものか」ということを調べるように申し付けられたからである。

「あなたはきっと、契約魔法師志望よね?」
「な!?、なぜそのように思われたのですか?」
「だって、なんていうか、身なりも言葉遣いも、ちゃんとしてるもん。その歳でちゃんと礼儀作法を心得てるってことは、普通に君主の人達と交わる世界で生きていこうという意識のある人だわ。少なくとも私が教養学部の頃よりも、よっぽどしっかりしてそうだし」

 実際のところ、ジョセフも決してこのような「社交の場」が得意な訳ではない。しかし、それでも彼には確かに、契約魔法師として国を支える人物になろう、という意志があることは本人も自認していた。

(ひと目見てそこまで言い当てるとは……。少なくとも、人物眼は確かなようだな)

 単にジョセフが「分かりやすいタイプ」なだけかもしれないが、ひとまず彼の中ではシルーカに対して、感服と同時に警戒の念を抱く。
 そこへ、まだ別の男子生徒が現れた。

「はじめまして。私も赤の教養学部所属の魔法学生で、 ロウライズ・ストラトス と申します」
「あら、あなたもストラトス一門の人なのね。正直、センブロス学長には散々迷惑かけたから、なんだかその名を聞くと心苦しいわ」

 クグリとロウライズを見ながら冗談めかしてそう語るシルーカに対し、ロウライズは見習い魔法学生として率直な質問を投げかけた。

「私は基礎魔法を覚え始めたばかりで、この先の専門課程についてはまだ殆ど知りません。ですので、全ての魔法を修めたシルーカ先輩に、六学部それぞれの特徴について、教えて頂けないかと」
「うーん、正確に言えば、私は錬成魔法だけはまだ修めてはいないんだけどね。でもまぁ、契約魔法師になる前に、入学手続き直前までは至ってたから、大体のことは分かってるつもりだし、じゃあ、簡単に説明しましょうか。とりあえず、進学先の向き不向きの判断基準になりそうな話だけでも、ね」

 彼女はそう断った上で、それぞれの学部時代の学友達と、そして就職後に出会った魔法師達のことを思い浮かべながら、まずは魔法杖を手にした上で、その先端に小さな「炎」を発生させてみせる。

「橙の元素魔法学部は、こうやって火や水を操る魔法を研究している。特に火の魔法は攻撃魔法のバリエーションが広いから、『火力特化型魔法師』なんて思われがちだけど、実はそれだけじゃない。色々な元素の力を応用することで、一番汎用性が効く魔法だと私は思うわ。ただ、元素を操るのは感性が必要だから、座学一辺倒の人には向いてないかもしれない。私の印象としては、意外と話術に優れた人の方が向いてる印象ね。なぜかは分からないけど、もしかしたら他人に対して【共感】する力が、元素を操る時にも影響するのかもしれない」

 この時、シルーカの脳裏に浮かんでいたのは、ダルタニア出身の今は亡き先輩魔法師である。彼女は平時においても戦時においても、公私両面において先代アルトゥーク伯爵ヴィラール・コンスタンスを支え続けた万能の才女であった。契約魔法師としても、女性としても、彼女の域に達するにはまだまだ道は遠いとシルーカは実感している。
 続いて、シルーカはその魔法杖を手にしたまま、近くの食器を軽く宙に浮かせて見せた。

「黃の静動魔法学部は、この世界に存在する物体を移動させる魔法を使う人達が多いわ。その技術を応用して、飛び道具を空中に浮かせて操る人達もいる。彼等はどちらかというと【感覚】に優れた人達が多いわね。視覚とか聴覚とか、とにかくひたすら五感を研ぎ澄ませて、自分の周囲にあるものを緻密に正確に把握することが、この魔法を使う上で最も必要な力なのだと思う。だから、なんというか、色々な意味で繊細な人が向いてるのかもしれない。ちょっと神経質なくらいの人の方が、優秀な静動魔法師になれそうな気がするわ」

 シルーカのよく知る静動魔法師の先輩は、このエーラムの中でも極めて珍しい「両親共に魔法師」という純血の家系に生まれたエリートであった。アルトゥーク陥落時に毒を飲んで自決したというのが公式発表だが、実は彼女は存命で、現在、他の君主と密かに再契約を果たしている(しかし、シルーカはまだそのことは知らない)。
 更に続けて、今度はシルーカは自分自身に魔法をかけて、近くにあった空のテーブルを片手で軽く持ち上げる。本来の華奢なシルーカの身体では到底持ち上げられそうにない程度の大きさのテーブルだが、それが可能になったのは、身体能力強化の魔法をかけたからである。

「緑の生命魔法学部は、人体の回復や強化が専門なんだけど、この学部を卒業する上で必要だったのは一にも二も、まず知識ね。元素魔法や静動魔法は、いくらでも一人で練習出来るから、座学が苦手でも直感的に技術を身につけてしまう人もいるけど、人体実験なんて、そうそう気軽に何度も出来る訳じゃない。だから、まず何よりも基礎的な【知力】が必要なの。常磐学派の人達はよく体育会系だとか言われてるけど、実際には文武両道でないとまず魔法を発動させることすら出来ない。だから、勉強が嫌いな人は向いてないわね」

 アルトゥーク時代のシルーカの先輩魔法師達の中で、唯一消息が明らかになっているのが、この生命魔法師の先輩であった。彼女は同盟との戦後処理の後、ひとまず今はエーラムの研究機関に出戻っている。実は今回のエーラム帰還の際に、彼女とも密かに接触しようと試みていたのだが、残念ながらタイミングが合わなくて叶わなかった。

「で、次は『青』なんだけど……」

 シルーカがそう言ったところで、ロウライズは一層集中して彼女に注目する。それは、現時点でのロウライズにとっての「本命の学部」であった。

「殿下! 今、よろしいですか?」

 シルーカが自分の「影」に向かってそう叫ぶと、そこから一匹の、豪奢な毛並みで寝ぼけ眼の猫妖精(下図)が現れる。
+ 猫妖精
(出典: Gee!STORE

「何か用か? 余は眠いのだが……」
「申し訳ございません。殿下の御尊顔をこの者達に拝見させて頂きたく思った次第です」
「ふむ、そうか……」

 猫妖精はそう言って周囲に視線を向けた後、すぐさまシルーカの影の中へと戻って行った。

「青の召喚魔法学部は、異世界からの投影体の召喚をひたすらに研究するところ。ある意味、この世界の自然律を一番強く歪める魔法だから、この道を極めるにはとにかく意志の力が必要。更に言ってしまえば、根本的な【精神】の力が必要になるの。何が何でもこの世界を自分の思い通りに変えてやるんだ、という心の強さがね。私は最初にこの青の学部に入ったんだけど、よく頑固だって言われてたから、その意味では向いてたのかもしれない。召喚魔法は魔力の消耗も激しいから、その意味でもやっぱり強靭な精神力が必要になるわね」

 シルーカにとって最も馴染み深い召喚魔法師は、皮肉なことにエーラムの魔法師ではなく、闇魔法師組織パンドラの黒魔女である。彼女はこれまで何度もおぞましい異界の怪物を呼び出してシルーカの前に立ちはだかった強敵だが、未だにその真の目的は分からない。ただ、召喚魔法師を敵に回した時の厄介さを身を以て痛感させられている。

「で、『藍』はちょっと説明しにくいんだけど……、多分、これが一番分かりやすいかな」

 彼女はそう言って呪文を唱え始める。そして即座に皆の前から姿を消した。

「!?」

 皆が困惑すると、次の瞬間、ロウライズの真後ろから声がする。

「これが、空間を捻じ曲げる魔法よ」
「い、一瞬で俺の背後に……」

 思わず「素」の口調が出てしまう程に困惑したロウライズに対して、シルーカは改めて説明を続ける。

「藍の時空魔法学部は、この世界の時間と空間を操作する魔法を研究してるんだけど、今のは例外的な使い方で、どちらかと言うと、未来に関する予兆を感じ取って、それに先んじて採るべき道を考える、そんな魔法が本業ね。あの人達に共通しているのは、何を置いてもまずは霊感。混沌を察知する上での一番基礎的になる能力と言われてるけど、この混沌に満ちた世界で未来を予知しようと思うなら、それが必要になるのも当然の話だってことは分かってもらえると思う。もちろん、それを操るにはまず根本的な【感覚】の力が必要になるわ」

 テオの契約魔法師達の中で、シルーカの次に彼の傘下に加わったのは、老齢の時空魔法師であった。彼は主君に恵まれず、契約相手が魔法師協会との協定を破るような愚行に踏み切ったことで、主君を見限ってテオへの協力を決意した。その後は主に外交方面で活躍し、現在もアルトゥーク条約の屋台骨を支える裏方的立場で活躍している。
 ここまで説明した上で、最後にシルーカは、上着のポケットから一本の小さな薬瓶を取り出す。それが魔法師協会によって生み出された魔法薬であるということは、この場にいる者達の全員が知るところであった。

「紫の錬成魔法学部は、混沌の力を使ってこういう魔法薬や魔法具を作り出す研究をする学部。残念ながら私は正規の課程を履修してないから正確な説明は出来ないけど、実は赴任先で先輩から少し手解きを受けたことはあるの。その時の印象としては、やっぱり、一番必要なのは幅広い知識ね。特に薬品調合を専門にする人は、知識がないと話にならない。それでいて、戦場に立った時は特殊な道具を使って遠距離から戦うことが多いから、その意味では精密な観察能力も必要になる。つまり、一に【知力】、二に【感覚】ってところかしらね」

 その「シルーカに手解きをした錬成魔法師」は、旧アルトゥークの敗戦以降、消息不明である。ただ、落城時に死体が発見されていないことから、おそらくどこかに逃げ延びたのではないかと推測されているが、確かなことは言えない。彼女は自力で巨大な殲滅兵器を生み出す程の特殊な才覚の持ち主であり、生きていれば大きな戦力となるだろう。

「とりあえず、ざっくりとした説明だったけど、これで良かったかしら?」
「はい。大変参考になりました」

 ロウライズはそう言って深々と頭を下げつつ、最後にもう一つ問いかける。

「その上で、もしよろしければ、進学前の”赤"にいる間に意識しておくべきことなどがあれば、教えてもらえませんか?」
「うーん、そうね、正直、私はあんまり長く教養学部には在籍していなかったから、あんまりよく覚えてないんだけど……」

 端から聞けばそれはただの自慢話だが、シルーカにとってはただ事実を口にしただけである。そして、この時点でシルーカの中では、ある逡巡が芽生えていた。

(本音を言えば、この子達には、焦らずじっくり色々なことを教養学部のうちに学んでほしい。それは学校のことだけじゃなくて、社交性とか、感受性とか、そういうことを時間をかけて身につけていくべきだと思う。私は早く大人になろうとしすぎて、精神が未熟なまま知識と技術だけを磨いてしまった。そのことが、就職してからの色々な失敗に繋がったのだと思う)

 シルーカは客観的に自分のことをそう認識しつつも、今の彼等に対して、そのことを口にすることは出来なかった。なぜなら、そこまでの「時間」が彼等に残されている保証がないのである。

(出来れば、この子達にはゆっくり時間をかけて「大人」になってほしい。でも、この子達にそんな時間があるの? それ以前の問題として「この子達の思い描いている未来」を奪うことになるかもしれない私に、そんなことを語る資格があるの……?)

 しばしの沈黙の後、シルーカは精一杯の作り笑顔で答えた。

「やりたいことをやればいいと思うわ。私も、散々やりたい放題やって、お養父様や学長を困らせた。でも、その時の私があったから、今の私があるんだし。本当にやってはいけないことだったら、その時は皆のお養父様や先生方がちゃんと止めてくれる。だから、ギリギリ怒られない程度に、やりたいことをやりなさい。まぁ、私はちょくちょく、そのギリギリを踏み越えちゃってたんだけどね」

 冗談めかして笑いながらシルーカはそう言って、ひとまずこの場を和ませようとする。それに対してジョセフは微妙な違和感を感じてはいたが、その原因が何なのかは分からなかった。

(これがシルーカ・メレテス……、今のこの大陸の騒乱の鍵を握ると言われる人物か……。確かに、只者ではない。そのことは、はっきり分かる。まだ何か隠しているような気がするし、信用出来るかどうかはまだ分からないが……、少なくとも、敵に回したくない人物であることだけは間違いないな)

 ジョセフが一人そんな感慨を抱く中、やがてまた他の学生達がシルーカを取り囲むように集まり、彼女は次々と質問責めにされていくのであった。

 ******

 やがて宴は閉幕し、リヴィエラが率先して会場の片付けに勤しむ中、クグリは会場を去ろうとしていたシルーカに問いかける。

「先輩、紅茶プリンのお味はいかがでしたか?」
「あぁ、うん。すごく美味しかったわ。色々な料理を堪能させてもらった後の最後の締めとしては、程良くさわやかな余韻を残してくれて」

 そう言われたクグリは、内心でガッツポーズをしながら「シルーカ・メレテスも大絶賛」のラベルを付けて売り出す計画を実行に移す決意を固める。

「ありがとうございます。あと、これはあくまで『一般論』として、お聞きしたい質問があるのですが……」
「いいわよ。なに?」
「シルーカ先輩は色々な魔法の中でも特に召喚魔法が得意だと伺ったことがあるのですが、その……、『危険な投影体』が現れるのを阻止する方法や、対抗策について、何かご存知のことがあればお聞きしたいと思いまして……」

 それは、彼女の「とある学友」に関する話であり、シルーカもクグリのその表情から、決してそれがただの「一般論」では済まない問題なのであろうことは推察する。

「そうね……、偶発的に収束する投影体に関しては、正直、どうしようもないわ。時空魔法を駆使してある程度まで予測が出来る人もいるらしいけど、少なくとも私にはそこまでは無理。やっぱり、それは『本業』の、それも相当に高位な時空魔法師でないと出来ないことだし」

 実際、シルーカのような多色魔法師は、どうしても「一つの道を極めた専門家」には勝てない側面は否めない。そのことは、彼女自身がアルトゥーク時代に散々痛感したことだった。

「そして、何者かによる人為的投影ということであれば、それは、その人を止めるしかないわね。それが出来るかどうかは状況次第としか言いようがないけど……」
「やっぱり、そうですよね……」

 現実問題、クグリもそれは分かっている。その上で、そもそも止めるべきなのか、という段階から方針が定まっていないことに関して、シルーカに話を相談すること自体に無理があった。

「もし、何か本当に危険なことがあるなら、あなたの一門の長である学長に相談するのが一番だと思う。あるいは、もしエーラムにいるなら、グライフさんもそういうことに詳しそうではあるのだけど……」

 なお、その「当事者」はグライフと同門の魔法師であるのだが、さすがにそのことまではクグリも言えない。

「分かりました。ともあれ、本日はありがとうございました。次にエーラムににいらっしゃる時は、ぜひ『マッターホルン』の方にもお越し下さい」
「ありがとう、私も楽しかったわ。またね」

 そう言ってシルーカが会場を後にすると、その先に位置する馬車の待合場所には、約束通りにアーロンが立っていた。

「で、私に聞きたかったことって、何?」
「えっと、二つあるんですけど……、まず、実地で役に立つ『魔法師にしかできない役割』って、何でしょう?」

 アーロンは先日のエリーゼの誕生会の際にヴィクトールから言われたことを、そのままシルーカに投げかけてみた。

「そうね……、それこそ、それぞれの専門によるとしか言えないけど……、あえて言うなら『理性に基づいて判断すること』かしらね」

 アーロンとしては、もう少し具体的な話が聞きたかったのかもしれないが、抽象的な質問に対しては、やはり抽象的な答えしか返すことが出来ない。

「これはお養父様の受け売りなんだけど、私達エーラムの魔法師は、子供の頃からずっとそのための訓練を受けてきた。だから、客観的・俯瞰的に物事を見る視点だけは、多かれ少なかれ養われている筈。まぁ、私のお養父様はちょっと極端すぎる例だし、お養父様に比べたら私なんて、まだまだ感情に流されてばかりの子供なんだけど、それでも、この世界を冷静な視点から見つめることは、他の人達よりは得意な筈。そして、そんな私達にしか見えない世界の側面がある。それを皆に伝えるのが、私達の仕事なのだと思う」

 シルーカは複雑な思いを抱えながらそう口にしつつ、その上で、あえてここで語気を強めた。

「でもね、これもお養父様の受け売りなんだけど、私達の仕事はあくまで『判断』するところまで。最終的に『決断』を下すのは、君主の仕事。それが『この世界を導く光』としての『聖印』を持つ、あの人達の仕事なの。だから、少しでも正しい決断を下してもらうために、少しでも冷静かつ客観的な判断を私達は伝える。でも、冷静で客観的なことが正しいとは限らない。最終的には君主の判断が正しいと信じるのが、契約魔法師としての生き方だと私は思っている。だから、もしあなたが契約魔法師を目指すなら、『この人なら正しい決断が下せる』と信じることが出来る君主に出会えることを祈っておくわ」

 彼女のその言葉が、アーロンにどこまで響いたかは分からない。ただ、その話を踏まえた上で、アーロンの中にはもう一つ、どうしても聞きたいことがあった。

「ありがとうございます。そして、二つ目の質問なんですけど……、初恋の時って、どんな感じがしましたか?」
「は!?」

 唐突に全く別次元の話を提示されたことに、シルーカは動揺する。

「やっぱり、今の契約相手の人が、初恋の人なんですか?」
「い、いや、ちょっと待って。なんで急にそんな話になるの!?」
「その……、実はボク、最近、ある女の子の君主と出会って、それ以来、色々心の中が変な感じがして、もしかして、これが初恋なのかと思ったんですけど、確証が持てなくて、だから……、その、どんな感じがしたらそれが『初恋』と呼べるのかな、って……」

 恥ずかしがりながらも、存外真剣な様子でそう語るアーロンを見て、彼が決して自分をからかおうとして質問している訳ではない、ということはシルーカも理解する。

「ま、まぁ、それは、あなたがそう思うなら、そうなのかもしれないけど……、なんでそんな質問を私にするの? もっと他に、恋愛関係に強そうな先輩なんて、いくらでもいるでしょ?」

 少なくともシルーカは、これまでにそんな相談をしたこともされたこともない。学生時代の彼女は、多くの男子学生達にとって「身体の一部以外は理想的な美少女」だったが故に、密かに彼女に想いを寄せる者は少なくなかったが、あまりにも優秀すぎる彼女に対して告白する勇気を抱ける者は殆どおらず、そして数少ないそんな度胸の持ち主からのアプローチに対しても、彼女は一切相手にしなかった(なお、その「数少ない玉砕者」の一人が、現在のアルトゥーク条約の盟主の契約魔法師である)。
 だから、こんな初々しい少年の初恋話など、自分には理解出来る筈がない、とシルーカは思い込んでいた。もっとも、彼女の周囲の面々から見れば、恋愛に対する初々しさという点に関して、実はシルーカはこのアーロンとさほど大差ない。違いがあるとすれば、それは「その恋が成就しているか、していないか」という程度のことである。
 ただ、「していない側」から見れば、その違いこそが最も重要であった。

「でも、君主と魔法師が恋仲になるって、この世界では珍しいことなんですよね? 非難されることもあるんですよね? それでもシルーカ先輩は、その君主の人との恋を叶えたんですよね? そんな人と相談出来る機会なんて、ボクには他にないんです!」
「ちょっと待って……、『私とテオ様の関係』って、もうそんなに有名なの?」
「はい! ジェレミー先輩が、学園中の人達に力説してます。シルーカ先輩は、世界一素敵な恋を叶えた人だって!」

 一瞬、ジェレミーを自陣営に加えるのをやめようかという考えがシルーカの頭の中によぎる程度に、彼女は動揺していた。実際のところ、彼等は数ヶ月前に戦場で堂々と(とある政治的な思惑もあって)「一般兵士達に見せつけるような行為」を晒しているため、その噂が広がっているのは自業自得なのだが、それでもさすがに遠く離れたエーラムにまでは広がっていないだろうと甘く見ていたのである。

「まったく、ジェレミーったら、テオ様に会ったこともないのに、なんでそんなことを勝手に……。まぁ、確かに、嘘は言ってないけど……」
「それで! シルーカさんにとって、今の契約相手の人は、初恋なんですか?」
「…………まぁ、そうだけど……」
「やっぱり! それで、最初はどんな気持ちだったんですか!?」
「分からないわよ! そんなの! 大体、いつの時点から好きだったかなんて、もう覚えてないというか、本当に、気付いたら、いつの間にか、私にとって『大切な人』になってたから、だから、その……」

 シルーカは徐々に口調がトーンダウンしつつ、内心では必死で自分に対して言い聞かせていた。

(冷静に! 客観的に! ちゃんと理性で判断して! 私!)

 そうしてしばらく考え込んだ上で、精一杯の「それっぽい答え」を捻り出す。

「多分、初恋って『よく分からないもの』なんだと思う。だから、あなたの中で『よく分からない感情』が芽生えたなら、それが初恋なんじゃないかしら」

 実際のところは、それが「勘違い」だった、という話もよくあるのだが、シルーカの場合はその「勘違い」の経験がないので、自分の体験談に基づいて答えろと言われたら、こう答えるしかないのである。

「あと、あなたがそう思っていても、その相手の子があなたのことをどう思っているかは分からないから、あなたに対してどうこうしろと言う気はないわ。ただ、一つだけ言わせてもらうと……」

 シルーカは、暗がりの中でも分かる程に頬を紅潮させながら、小声で語る。

「私は、テオ様の方から言い寄ってもらえなかったら、多分、一生、この想いは封印していたと思う。だから……、もし、あなたから見て、彼女も自分のことを想ってくれているんじゃないかと思うなら、あなたの方から言ってあげた方がいいかもしれない。あくまで、かもしれない、だけど……」
「それって、どうすれば分かりますか?」
「知らないわよ! そんなの! そういう話はバリー先生にでも聞きなさい!」

 さすがにこれ以上この話を続けていては自分の理性が崩壊すると判断したシルーカは、そう言って強引に話を打ち切る。そして、程良く夜行の馬車が到着したところで、彼女はその馬車に乗り込んだ。

「あの、ごめんなさい。最後にもう一つだけ、聞かせて下さい」
「……何?」
「その契約相手の人、かっこいいんですよね?」

 決してからかう訳でもなく、あくまで真剣な瞳でそう語るアーロンに対し、シルーカは再び軽く赤面しつつも、はっきりと笑顔で答える。

「えぇ。世界一かっこいい人よ。少なくとも、私の中ではね。だから、あなたも『その子にとっての一番かっこいい人』になりなさい」

 シルーカはそう言い残して、馬車と共にエーラムから去って行く。その馬車の窓から、わずかに映る懐かしい学び舎の灯りを見ながら、彼女は先刻までの奇妙なテンションから一転して、重苦しい気持ちに包まれていた。

(私の選択次第では、私はいずれ、あの子達と戦うことになるかもしれない……。まだ、自分の道すら定まっていないあの子達と……)

 そんな感慨を抱きながら、シルーカを載せた馬車は少しずつ着実に校舎から遠ざかっていく。まだそのことを彼等に話せないことへの罪悪感はある。だが、今の彼女には、逡巡している暇はなかった。彼女は決めたのである。この世界を変えるために、テオと共に戦い続けることを。

(出来れば「その時」までに、自分で自分の道を決断出来る「意志」と「立場」を手に入れていてほしい。「その時」が訪れるまで、あとどれくらいの猶予があるのかは分からないけど……)

5、子供達の群像

  カロン・ストラトス は、農村出身の11歳の女子学生である。身体は小柄で、猫耳のような帽子を被り、常に猫のぬいぐるみを持ち歩く、一風変わった装束ではあるが、性格は極めて勤勉で、家には様々な魔導書と大量の手書きのノートが溢れている。
 だが、残念ながら彼女は魔法師としての素養は他の学生達に比べると弱く、人一倍勉強しているにもかかわらず、結果が伴ってくれなかった。それでもめげずに魔法師を目指して研鑽を続けているのは、かつて魔法師に憧れながらもその道を歩むことが出来なかった、今は亡き祖母の想いを叶えるためでもある。
 そんな彼女はこの日、基礎魔法の一つである「クールインテリジェンス」を習得するために、フェルガナ・エステリアの研究室へと向かっていた。今の自分が周囲からの遅れを取り戻すには、まず学習効率を上げるための手段として、一時的に知力を上昇させるクールインテリジェンスこそが最優先で習得すべき魔法と判断した彼女は、既に同期の多くが一つ目の基礎魔法を習得している状態に焦りを感じながらも、まずは「ここ」から始めることにしたのである。

(学習効率をあげる……、もっとたくさん勉強ができるってこと…? それなら、覚えないとだよね!)

 彼女は自分にそう言い聞かせながらフェルガナの研究室へと向かうと、反対側の廊下から、一人の男子生徒が同じ扉に向かって歩いてきた。彼女から見て1歳年上の男子生徒 エルマー・カーバイト である。

「君も、フェルガナ先生に用事?」
「はい。もしかして、あなたも、クールインテリジェンスの魔法を?」
「そうだよ。その言い方からして、キミもみたいだね。僕はエルマー・カーバイト。よろしく」
「カロン・ストラトスです。よろしくお願いします」

 二人がそんな会話を交わす中、扉の向こう側からも声が聞こえてきた。フェルガナの声の他にもう一人、話している内容までは分からないが、女性の声が聞こえる。まだ他にも同じ試験を受ける人がいるのかもしれないと思いつつ、エルマーは扉を開いた。

「フェルガナ先生! エルマーです。基礎魔法の試験を受けに来ました!」
「カロンです、失礼します」

 二人がそう言って中を覗くと、そこにはフェルガナ(下図左)と、最近になって図書館職員となった女性・ラトゥナ(下図右)の姿があった。
+ フェルガナ/ラトゥナ

「あぁ、よく来たな。二人とも、習得するのはクールインテリジェンスということで、もう予習教材には目を通してあるな?」
「はい、よろしくお願いします!」
「よろしく、お願いします」

 二人がそう答えたところで、フェルガナはラトゥナを二人に紹介しようとする。

「彼女はラトゥナ。今日の試験の、いわば試験監督のような役割なのだが、彼女が何者なのかは、知っているか?」
「図書館の新しい職員さん、ですよね?」
「投影体の人、だということは、聞いています」

 実際のところ、二人とも図書館で働いているラトゥナの姿は(目立つ服装なので)何度か見覚えがあるが、彼女の正体までは聞いていなかった。

「よし、それならばちょうどいい。では、まずは予習の資料に書かれていた通りに呪文を唱えて、今ここでクールインテリジェンスを発動させてみろ」

 フェルガナがそう告げると、エルマーとカロンはそれぞれ言われた通りにクールインテリジェンスの呪文を詠唱する。これまで混沌を操作する基礎的な作法については習っていた二人だが、本格的にそれを「魔法」という形で体現化するのは今回が初めてであった。
 そして二人が呪文を唱え終えると、二人共、自分の思考が詠唱前よりも冴え渡っているような実感はうっすらと感じるものの、それは本人にしか分からない。その効果が実際に現れるかどうかがこれから先の試験なのだが、ここでラトゥナが、それまで手に持っていた『本』を二人に見せる。それは彼女の「本体」である異界魔書『マギカロギア』であった。フェルガナは、二人の魔法の効果を確認するために、あえて乱雑に、少し早口で「試験」の説明をおこなう。

「彼女は異界魔書のオルガノンだ。オルガノンとは、異界で廃棄された物品が擬人化された形でこの世界に投影された存在なのだが、彼女の本体は『TRPG』と呼ばれる異界の遊戯のルールが記されたもの。当然、それはこの世界に住む我々にとっては未知の存在であり、私も理解するのに最初は少々時間がかかった。お前達二人には、今から制限時間以内に二人でその『ルールブック』を共有した状態で、それぞれ自分の分身となるキャラクターを作成しろ。理解力が研ぎ澄まされている今なら、それが出来る筈だ」
「分かりました!」
「や、やってみます……」

 二人がそう言って目を凝らして『マギカロギア』に視線を向けるとラトゥナは最初のページを開いた上で語り始める。

「では、まずは基礎用語の説明から……」

 だが、ここでフェルガナが割って入った。

「いや、待て、ラトゥナ。口頭説明は無しだ。説明慣れしているお前の解説が入ると、難易度が下がってしまうからな」
「……分かりました」

 ラトゥナの経験上、それはかなりのスパルタ教育のように思えたのだが、ここは試験監督役として、素直に従う。
 そして、一通り最後まで二人が読み終えた時点で、ラトゥナが自分の身体の一部を複製したキャラクターシートを渡すと、さっそく二人は相談を始めた。

「要するに、これは異世界の登場人物になりきって遊ぶゲーム、ということか」
「そうみたい、ですね。ただ、本文の書き方からして、この本が書かれた元の世界の人達にとっては『異世界』ではなくて、『自分達の世界』の話、みたいですけど」
「それはつまり、たとえば僕達が、君主や邪紋使いや投影体になりきって遊ぶようなもの、ってことなのかな」
「多分、そうだと思います。この本が書かれた世界の人達は、どうやら魔法が使えないみたいですし」

 二人がそんな会話を語り始めた時点で、ラトゥナとフェルガナは笑顔で顔を見合わせる。どうやら、この二人は思った以上に正確に『マギカロギア』という書物の内容を理解しているらしい、ということを確信する。

(もうこの時点で合格としても良いのだが……、まぁ、せっかくだし、今日は私も楽しむか)

 フェルガナはふとそんなことを思い立ち、ラトゥナに対してこう告げる。

「ラトゥナ。私にサンプルPCのキャラクターシートを一枚用意しろ。この二人のキャラメイクが終わった時点で、私を含めた三人を相手にしたセッションのGMを頼む」
「……構いませんが、それは『そこまで含めて試験』ということですか?」
「あぁ。今日は厳し目にいこう。キャラメイクのパートだけでなく、きちんとルールも短時間で正しく把握出来ているかどうかを確認しなければな」

 フェルガナがそう言ってエルマーとカロンに視線を向けると、二人は笑顔で頷く。

「望むところです。僕だって、せっかくキャラクターを作るなら、実際に動かしてみたいし」
「自分以外の何かを演じるって、初めてだけど、楽しそう。やらせて下さい」

 一読しただけで「キャラクターを作るだけでなく、実際に動かした方が面白い」ということまで理解出来ていることが確認出来た時点で、フェルガナの中ではもう既に合格は確定していた。その上で、彼女は二人が自分のキャラクターシートにデータを記入していくのを眺める。

「おい、ちょっと待て。お前達二人も『真の姿』が『黒猫』って、どういうことだ?」
「だって、猫ってかわいいし」
「真の姿の外見が同じではダメ、というルールはないですよね?」
「いや、まぁ、それはそうだが、一応ほら、キャラ分けというものがあるだろう……」
「じゃあ、僕は白猫にします。別に、表を使って決めなくてもいいみたいだし」

 そんな会話を繰り広げつつ、やがて二人のPCが完成した時点で、彼等はマギカロギアのセッションを開始する。この日のセッション内容については残念ながらリプレイは残されていないが、フェルガナは「久しぶりに外典を演じて楽しかった」というコメントを残している。

 ******

 同じ頃、カルディナ・カーバイト(下図)の研究室(通称:隔離棟)には、直弟子のセレネと、そして彼女に連れられる形で、最年少組の カペラ・ストラトス が来訪していた。
+ カルディナ

「カルディナちゃん! サイレントイメージの時間だぞ!」

 そう言って勢い良くセレネが扉を開けると、そこにはいつも通りに飲んだくれて寝そべっているカルディナの姿があった。彼女はいつも通りに眠そうな声で答える。

「サイレントイメージぃ? お前、こないだ覚えたばっかだろぉ? 受け直しかぁ? もう呪文忘れたのかぁ? 仕方のないやつだなぁ……」
「違うぞ! このカペラちゃんが受験しに来たんだぞ!」

 そう言われてカペラをカルディナの前に突き出す。

「…………おさけくさい」

 思わずそんな本音を口にするカペラを見て、カルディナはようやく思い出し、少しだけシャキットした顔になる。

「あぁ、そうだったそうだった。そういえばまた物好きが一人増えたっていう連絡が来てたな」

 サイレントイメージは映像を空間に生み出す魔法である。使いこなせば色々と便利な魔法ではあるが、基礎魔法習得の初期段階で習得する者は珍しい。

「そうだぞ! カペラちゃんは、このセレネが使ったサイレントイメージにかんめーを受けて、自分も覚えようと思ってくれたんだぞ(ドヤァ)」

 セレネは、カペラが「おほしさまがみたいけど、いつもはやくねてしまうから、あまりみれない」と言っていたので、屋内で天井にサイレントイメージをかけて星空を描き出す、という手法を彼女の前で披露したのである。

「つまり、お前が私の仕事を増やしたんだな。よし、破門」
「おーぼーだぞ! カルディナちゃん!」

 二人がそんな不毛な会話を繰り広げている中、カペラは部屋中に立ち込める酒の匂いで、少し気持ちが悪そうな顔をする。

「あー、もう、ほらみろ、ここは純真な子供が来るところじゃない。悪かったな、この馬鹿にそそのかされて、よく分からないまま連れて来られたんだろ? 今からでも希望を変えてもいいぞ? 何にする? アシストがいいか? キュアライトウーンズがいいか? とりあえず、ライトとダークネスとスリープはやめておこうな」

 カルディナは少しでも自分の仕事を減らそうと、あやすような口調で彼女にそう促すが、カペラは口元を抑えながらも、はっきりとした口調で伝える。

「わたし、サイレントイメージ、おぼえたい! セレネおねえさまみたいに、まほうで、おほしさまがいっぱいのそらを、うつせるようになりたいです!」

 純真な瞳でそう訴えられたカルディナは、バツが悪そうな顔で答える。

「……仕方がないな。とはいえ、さすがにここは子供には環境が悪い。とりあえず、外に出ろ」

 そう言って、研究室の外に二人を連れ出すと、カルディナはおもむろに呪文を唱える。すると、周囲の混沌がおもむろに収束をはじめ、やがてその場に小さな「小屋」が出現する。浅葱の召喚魔法「シェルタープロジェクション」である。

「二人とも、中に入れ。この中の部屋は、さっきの研究室と同じくらいの広さだ」

 そう言ってカルディナはセレネとカペラをその仮小屋の中に入れると、改めてカペラに確認する。

「サイレントイメージは幻覚の魔法だ。戦場でその力を使えば、敵を撹乱させることも出来るし、遠方の味方に信号弾を放つことも出来る。だが、お前はそういった戦略的目的ではなく、あくまでも『自分自身が楽しむため』にこの魔法を覚えたい、ということだな?」
「わたし、むずかしいことはよくわからないです。でも、セレネおねえさまみたいに、きれいなおほしさまをみせることができるような、すてきなまほうつかいになりたいんです!」

 もともと幼女には甘いカルディナは、そんな彼女の決意を目の前にして、思わず表情が緩む。

「セレネおねえさま、か……。なぁ、セレネ、この子、ウチにくれるように、学長に交渉してくれないか?」
「急に何言い出すんだ? カルディナちゃん」
「いや、だって、なんか欲しくなっちまったんだよ、この子。撫でたら気持ち良さそうだし。お前だって、そろそろ妹が欲しいだろ?」
「それはそうだけど、子犬や子猫じゃないんだから、カペラちゃんの気持ちも考えずに、そんなこと勝手に決めちゃダメだぞ」

 カペラは学長と同じストラトス一門である。そもそもエーラムにおいて家門を移籍するというのはかなり珍しい事例であり、よほど特別な事情がない限りは認められない。

「まぁ、それもそうだな。せっかく名門の一員になれたのに、その未来をわざわざドブに捨てることはない」

 そんないつもの軽口を叩きつつ、改めてカルディナはカペラに向けての話を続ける。

「とにかく、自分の中で、自分のために描きたいイメージがあるなら、それで十分だ。事前に受け取った資料に書かれていた通りに呪文を詠唱して、この小屋の天井に、お前が思い描く最高の星空を描いてみろ」
「わかりました」 

 カペラは言うと、目を閉じて詠唱を始める。ややたどたどしい発声ではあったが、彼女が自分の思いを込めて最後まで唱え終えると、彼女の記憶の中にある「最も綺麗な夜の星空」が、そのまま天井に描き出された。

「やったぞ! カペラちゃん!」

 セレネのその声に応じて、カペラも瞳を開いて確認する。

「これ……、このときのおほしさま、わたし、もういちどみたかったの……」

 感極まった表情のカペラを眺めながら、カルディナはうんうんと頷く。こうして、カペラもまた「すてきなまほうつかい」への第一歩を踏み出したのであった。

 ******

「こちらが、その闇魔法師がオレに渡したと思われる薬瓶です」

  サミュエル・アルティナス は、先日路地裏で(いつのまにか)手に入れていた薬瓶を、学校当局に届け出た。だが、それを受け取った職員は、微妙な違和感に気付く。

「この薬瓶の中身、最初から『この量』でしたか?」

 職員の目には、本来の薬瓶の収容量の半分程度しか入っていないように見える。少なくとも、以前に同門のロゥロアが届けてた時の薬瓶と明らかに同じ形状だが、内容量が全く違う。

「実は、中身を確認しようと思って空けた時に、うっかり少しこぼしてしまったんです」
「なるほど……、そういうことでしたか」

 サミュエルのその説明に対して、職員は納得したような素振りは見せていたが、内心では少し疑っていた。

「こぼした時に、身体にかかったりはしませんでしたか?」
「それは、大丈夫です」
「こぼした場所はどこですか?」
「校舎の裏庭です」
「正確な場所まで覚えていますか?」
「はい。ただ、特にこぼした先の土や草に変化は起きていなかったので、少なくともかかっただけで効果があるような薬ではないようです」

 そんな問答を繰り返しつつ、ひとまずサミュエルの言っていること自体に矛盾する要素はないと判断した職員は、薬瓶を受け取った上でサミュエルを解放する。

(もしこれで、オレが疑われて身体検査や家宅捜査が起きたとしても問題ない。だって、オレは残りの半分を飲んでもいないし、それはオレの部屋にも無いんだから)

 実は彼は薬瓶の半分を別の瓶に移し帰った上で、学友のヴィッキーに渡していたのである。

(オレは、「部外者」になりたくなかった……。薬瓶を全部大人に渡して、大人達に解決を委ねるのが正解だということは分かってる。でも、そうすることで「オレが関わっていたはずのもの」が、何も分からないうちにオレの手から離れていくのが嫌だった……)

 もちろん、大人達が事件を解決するのを邪魔したくはない。だから、少しでも闇魔法師の暗躍を防止するために、情報提供という意味で協力したい。そのために伝えるべきことは伝えた。だが、それはそれとして、自分自身でもこの薬の正体を解明したいという気持ちはある。いずれ自分が勉強を重ねて、研究を繰り返すことで、そこまで辿り着ける可能性だってある。そこまで何年かかるか分からない。しかし、薬を全て手放してしまったら、もうその機会は永遠に失われてしまう。
 そう考えた彼は、薬瓶の中身を半分に分けることを決意した。その上で、この話を密かに(今の彼等の世代にとっての精神的支柱となりつつある)ヴィッキーに打ち明けたところ、彼女はサミュエルの代わりにその「残り半分の薬」を預かると言い出したのである。それは確かに、サミュエルに容疑がかかった際に発覚する可能性を下げるという意味では妙案である。サミュエルの中では、この計画に彼女を巻き込んで良いのか、という逡巡はあったものの、最終的には「いずれ二人でこの薬の謎を解き明かす」と約束した上で、ひとまず彼女に薬を託すことにしたのである。

(この判断が、正解だったのかどうかは分からない。彼女を巻き込んで良かったのかどうかも分からない。でも、ここまで来たからには、もう後には引けない。オレは、いや、オレ達は、必ずあの薬の謎を解いてみせる! たとえ、何年かかったとしても!)

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最終更新:2020年06月14日 01:43