『見習い魔法師の学園日誌』第8週目結果報告
先日の
オーキス・クアドラント
の失踪事件の際、彼女の出生に携わる関係者の一人であるメルキューレ・リアン(下図)はエーラムの外に出張中だったため、オーキスはまだ一連の件についての彼への報告が出来ていなかった。
そんなオーキスが、ある日の朝、久しぶりに学内でメルキューレを見つけて声をかけようとした時、彼女よりも先にメルキューレの方から彼女に語りかけてきた。彼はいつになく深刻そうな表情を浮かべている。
「ロシェルが、いなくなってしまったのです。あなたは彼女と最も親しい関係だったと聞いていますが、何か知っていることはありませんか?」
ロシェル・リアン
はメルキューレの養女であり、常に「シャリテ」という名の大狼と一緒にいることで知られている。オーキスにとってロシェルは親友であり、オーキスは「ロシェルとシャリテの正体」も知っている。だが、実は失踪から帰還した後にはまだ「ロシェル」と会ってはいないため、そもそも「現在のロシェル」がどのような状態になっているのかも知らない。とはいえ、いずれにせよ、この話を聞いて黙ってはいられなかった。
「分かりません。でも、そういうことなら、私も探します!」
彼女はそう言って、すぐさま女子寮の方へ向かって走り出す。その時の彼女の表情を目の当たりにしたメルキューレは、彼女の後ろ姿を見ながら不思議な感慨に浸っていた。
(いつの間に、あんな表情をするようになったのだろう……、もし、彼女の変化に「ロシェル」が関わっているのだとしたら、「今のロシェル」が生まれたのも、彼女の存在が影響しているのだろうか……)
******
「おー、どうしたんだ? オーキスちゃん」
オーキスはセレネの目の前で、いつも髪を留めている二つのリボンを外し、その長い銀髪をサラリと下ろす。
「セレネ! あなた、私の髪を、ロシェルと同じような髪色に変えることって、出来る?」
「それくらいなら、お安い御用だぞ! セレネはファッション研究部の部長だからな(ふんす)。髪色だけじゃなくて、髪質もそっくりのお揃いコーデに出来るぞ!」
「じゃあ、今すぐお願い! 私を、ロシェルそっくりの外見にして」
オーキスとロシェルは体格が似ている。さすがに顔付きそのものまで似せるのは難しいが、ロシェルと同じ髪型にすることで「私と似た外見の子を見たことがないか?」という形で聞き込みが出来るとオーキスは考えたのである。
セレネが特殊な染料と整髪剤でオーキスの髪を整えている間に、オーキスがロシェル失踪の事情を説明すると、セレネは一通りのセッティングが終わった時点で、オーキスに小瓶を渡す。
「もしシャリテちゃんに合ったらこれを渡してほしいぞ。いま付けてるかわからないけど、セレネがロシェルちゃんにあげたハーブのヘアオイルだ。匂いが分かるかもしれないからな……!」
「ありがとう。助かるわ」
オーキスはそう答えたものの、内心ではこの状態でシャリテと会える可能性については期待していなかった。なぜなら、ロシェルが失踪しているという時点で、そもそもシャリテが彼女と一緒に行動している可能性が極めて高いからである(少なくとも、オーキスの認識における「ロシェルとシャリテの関係」から類推するに、そう考えるのが当然の話であった)。
******
だが、オーキスが女子寮から出た直後、彼女の目の前には大狼のシャリテがいた。しかし、その傍らには「ロシェル」の姿はない。シャリテは言葉を話すことは出来ないが、その瞳から感じ取れる雰囲気から、オーキスはこの時点で「彼女達」の身に「自分の知らない何か」が起きていることを察する。
「協力して探しましょう」
オーキスがそう言うと、シャリテは頷く。
「じゃあ、一緒に探すか、手分けして探すか……、一緒に探したほうがいいかしら?」
オーキスがそう問いかけると、シャリテはオーキスに擦り寄り、そして首を自身の背中の方に向けることで、何かを訴える。
「乗せてくれるの?」
シャリテは頷く。それに対して、オーキスは「もし自分が狼になって、誰かを乗せるとしたら、どんな気分になるだろうか……」と考えて一瞬躊躇するが、今は非常事態だと自分に言い聞かせることにした。
「……なりふり構ってられないものね」
彼女はそう言って、シャリテにセレナから貰った香水を嗅がせた上で、シャリテの背中に跨り、そしてシャリテは駆け出していく。
「とりあえず、彼女のことを知ってる人にも声をかけないとね……」
「ほな、もうええんか? 例の件は?」
「はい。色々とご迷惑をおかけしました」
そんな二人の前に「シャリテに乗ったロシェルのような姿のオーキス」が現れる。
「ロシェ……、いや、オーキスちゃん? どないしたん? その髪? それに、なんでシャリテに?」
「何かあったんですか?」
「ロシェルを探してるの!」
オーキスはそう告げると、現在の状況を彼等に簡単に説明する。
「分かった。ほな、ウチは知り合いのバイト先に行ってみるわ。とりあえず、手分けして探そ」
ヴィッキーがそう告げつつ、クールインテリジェンスの魔法を唱えて(その結果、なぜか彼女の髪の毛の一部が回りだし)、ロシェルの行き先について思考を巡らせ始める。
一方、クリープは何かを思いついたような表情を浮かべた。
「……そういうことなら、私はカイルさんから『打ち上げ花火』を借りてきます」
「打ち上げ花火?」
「信号弾のようなものとして使えるんじゃないかと。見つけた時にそれを空に向かって放つ、という形で」
「なるほどな」
「まぁ、どっちにしても、カイルさんにはちょっと謝らなきゃいけないことになるので、そのついでに、という形になりますが」
クリープはカイルと秘密裏に進めていた「ある計画」に参加する予定だったのだが、この状況だと、その約束よりもロシェルの捜索を優先せざるを得ない、と判断したのである。
「じゃあ、それはそれでお願いするわ。いつ頃手に入る?」
「そうですね……、早ければ昼前にでも」
「じゃあ、お昼に一旦、この校舎の前で合流しましょう。そこで私達にも渡して」
「分かりました」
「ほな、またそん時に」
こうして、三人はそれぞれの方法でロシェル捜索に向けて走り出して行くのであった。
******
一方、その頃、メルキューレはロシェルと仲の良かったもう一人の人物である、出張購買部の
ジュード・アイアス
の元を訪れていた。
「あなたは、彼女にとって貴重な存在です。ロシェルとしての彼女と、アネルカとしての彼女、その両方を知っている数少ない友人であるあなたなら、彼女の行き先に心当たりがあるのではないか、と思ったのですが……」
「残念ながら、行き先までは分かりません。ただ、彼女から相談されていたことはあります。彼女は時々、自分でも記憶のない場所に移動していたりする、夢遊病に近い症状になったりする、というような話をしていました」(みながくdiscord「出版購買部」6月9日)
その発言に対して、メルキューレは納得したような顔を浮かべる。
「なるほど……、『彼女』の中では、既に兆候はあったのですね……」
「何か、心当たりがあるのですか?」
「はい。しかし……、さすがにこれは彼女の許可無くして、私が勝手に口にすることは出来ません。ともかく、ありがとうございました。私はこれから他のところも当たってみますが、もし、また何か分かったことがあれば、私の研究室のところまで御一報頂けると助かります」
「分かりました。お気をつけて」
そう言ってメルキューレを見送ったところで、ジュードは反対側の廊下の曲がり角に視線を向けた。
「で、義兄さん、どの辺りから盗み聞きしてたんですか?」
「違うぞ! 断じて違う! 盗み聞きをした訳ではない! そんな紳士じゃないような真似、僕がする訳がない! 僕はただ、お前に話をしようと思ってここに来たら先客がいて、話が終わるまで待っていようと思ったら、その、なんだか深刻な話になってたから、なんというか、その、出るタイミングを失ってしまって……」
「それで、どこから聞いてたんですか?」
「ロシェル君が行方不明になって、そして、ロシェル君はアネルカ先生でもあって……」
ジュードは深い溜め息をつく。
「まぁ、悪気があったにせよ、無かったにせよ、聞いてしまったものは仕方ないですね。こうなった以上は……」
「僕も彼女の捜索に参加させてもらうぞ! 僕はアネルカ先生に絵本の感想を伝えなければならないんだ! いなくなられては困る!」
「分かりました。では、僕も今日は臨時休業にさせてもらいます。今からその手続をしてきますので……」
ジュードがそう言っている間に、エイミールはどこかに向かって走り出していた。
「まったく、闇雲に探しても見つかる筈がないでしょうに……」
ジュードはそう呟きつつ、クールインテリジェンスの魔法を唱える。「ロシェルの現状」に関する最も重要な情報を握っているジュードは、そこから一つの仮説を導き出す。
(おそらく「今の彼女」は「『僕の知る彼女』が行きそうにないところ」にいる可能性が高いでしょう。彼女は夢遊病になっている間に「借りた覚えのない本を借りていた」と言っていました。夢遊病の間でも不審がられずに本を借りることが出来たということは、その間も何らかの「意志」を持って行動していた可能性が推察できます。だとすると、その「意志」が「隠れる」「逃げる」に向かっていた場合は、まず僕に知られているところにはいかないでしょう……)
ジュードはそう考えながら、「今の彼女」の思考を予測しつつ、探しに行くべき場所の優先順位を割り出そうとしていた。
******
「ジョセフ君! 知恵を貸してくれ!」
「どうしたんだ? 一体」
「アネ……、じゃなくて、ロシェル君が行方不明になったんだ。一緒に探してくれ!」
「ロシェル……、あぁ、あの大狼を連れた少女か。そこまで慌てるということは、君とはそんなに親しい関係だったのか?」
「まぁ、その、直接的な繋がりは薄いんだが、彼女の作品には……」
「作品?」
「あ、いや、なんでもない! とにかく、ここは君の智謀を借りたい。チェスでこの僕を完膚なきまでに打ち破ったその深慮遠謀で、彼女を探してもらえないだろうか?」(みながくdiscord「寮のサロン」6月12日)
「……所詮、ルールも知らないような相手になら負けない、という程度の智謀だがな」
ジョセフはそう呟きつつ、学内の地図を広げる。
「私達の他にも探している者はいるのか?」
「少なくとも、彼女の養父のメルキューレ先生と、そして僕の義弟のジュードは動いている」
「それでも見つからないとなると、人の多そうなところにはいない、ということだろう。錬成魔法学部の周辺にいればすぐにメルキューレ先生には分かる筈だから、その辺りも外して良い。そして、実兄であるアルジェント先生もおそらく同様に探しているだろうから、静動魔法学部の近辺にる可能性も低い。そして、この二人と接点の多い人々が集まる場所も、我々が探しに行くよりも先に彼等の捜査の手が入る筈……」
ジョセフはそう言いながら、地図上の「可能性が低い」と判断された場所にチェスのコマを置いていく。
「おぉ、さすがだ! ジョセフ君。なんとエレガントな戦略! それでこそ我がライバル!」
「いや、ただ可能性を絞っているだけだろう。エーラムは広いんだ。ある程度場所を限定して探さなければ、見つけようがない」
「あぁ、確かにその通りだな。ここは君のクールなインテリジェンスに期待しているぞ!」
「もっとも、既にエーラムの外にいるとしたら、完全にお手上げなんだがな……」
こうして、ある程度の目星をつけた上で、彼等もまた独自にロシェルの捜索へと向かうのであった。
「クリス、頼みがあるんだけど」
異世界渡航を目指す少年
クリストファー・ストレイン
は、校舎の廊下で出会った同門・同年齢の少女ジュノ・ストレイン(下図)に声をかけられた。
「なんだ? 突然」
「魔獣園の人出が足りなくてさ、手伝ってくれないかなー、って。ほら、クリスは異界の生き物、大好きでしょ?」
彼女は魔法大学の地下に存在する「魔獣園」で非正規職員(アルバイト)として働いている。そこでは召喚魔法の教材となるような様々な投影体が飼育されているのだが、最近、その魔獣園を管理していた学生達が次々と契約魔法師として各地に派遣されることになった結果、人手が不足しているらしい。
「あのなぁ、何度も言うけど、俺が好きなのはケット・シーやピクシーみたいなおとなしいヤツであって、魔獣は対象外なんだっての」
「大丈夫だって。ウチの子たちはみんな“かわいい”から」
実際のところ、魔獣園ではケット・シーが飼育されていたこともある。ただ、その可愛らしい容姿とは裏腹に、自身が虜囚とされていることに耐え難い苦痛を感じていたその誇り高きケット・シーによって、撫でようとして手を伸ばした女子学生の腕が引きちぎられた事件もあった(なお、紆余曲折を経て、現在そのケット・シーはシルーカ・メレテスの従属体となっている)。
その意味では「かわいさ」と「おとなしさ」の間に相関関係はない。どのような見た目であろうと、気を抜いて接すれば痛い目に遭う以上、ジュノとしても出来れば「安心して頼める相手」に手伝いを依頼したい、という思惑があったからこそ、クリストファーに声をかけたのである。
正直なところ、あまりクリストファーとしては乗り気にはなれなかったが、彼女には同門の誼に加えて、「自分の夢をバカにしなかった」という意味での友愛の情もあったため、その頼みを無下にするのも気が引ける。
「はぁ、分かったよ。ただし、なるべくおとなしい奴にしてくれよ」
「オッケー、任せといて」
彼女はニヤリと笑ってそう答え、そのまま学内の掲示板に「魔獣園・従業員募集」の貼り紙を掲示する許可を得るために、教養学部の職員室へと向かっていくのであった。
******
その後、ジュノの呼びかけに応じて幾人かの学生達が魔獣園に集まり、簡単な
マニュアルを手渡された上で、園長の支持に従ってそれぞれの持ち場へと配属された。
風紀委員の
イワン・アーバスノット
と園芸部の
シャララ・メレテス
が配属されたのは、地下一階の一角にある「コカトリス園」である。コカトリスとはオリンポス界からの投影体で、鶏と蜥蜴をかけ合わせたような姿の魔獣であり、本来は雑食で極めて獰猛な気性だが、この魔獣園のコカトリスは、職員が作り出した「特殊な牧草」を食べるように調教されており、基本的に人間は襲わないらしい。
だが、それでも身の危険を感じた時には暴れる可能性がある。特に注意すべきはその口から発せられる吐息であり、それを受けた者の身体は「石化」してしまうらしい。二人は正規職員から、その石化の効果を無効化する特殊な「護符」を受け取ってはいるものの、一度発動すれば効果は消えてしまうため、二羽以上のコカトリスから連続して浴びせられたら対応出来ない。また、人間の子供と同程度くらいの体躯ということもあり、仮に石化を防いだとしても、おそらく嘴で突かれるだけでも大怪我する可能性もあるため、「絶対に刺激してはならない」「身の危険を感じたらすぐに逃げるように」と命じられていた。
その上で、二人に任された仕事は、園内に散らばっているコカトリスの羽毛および排泄物の掃除と、牧草への特殊な栄養剤の散布および注水である。職員曰く、その栄養剤の力によって、牧草はコカトリスにとっての中毒性をもたらす養分を内側に生成するようになり、それがこの魔獣園のコカトリスの草食化の鍵となっているらしい。
「実に興味深い栄養剤なのだよ」
シャララはそう呟きながら、牧草に栄養剤を散布する。先日の講義で輪栽式農業について学んだ彼女は、早速そのための鍵となる牧草の勉強をしたいと考えていた。そんな彼女にとって、この任務はまさにうってつけである。職員曰く、あくまでもコカトリス用に特殊培養した素材を用いているため、他の動物に用いると害を与えかねない危険な薬剤であり、普通の家畜用の牧草に使えるような代物ではないらしいが、栄養剤一つで魔獣の性質そのものも大きく変えてしまうことが出来るということ自体、このエーラムの製薬技術の底知れぬ奥深さが感じ取れる。
その上で、満遍なく牧草に栄養剤と水を与えるには、当然、コカトリス達には随時移動してもらう必要があるのだが、この園のコカトリスは特殊な牧草の影響で気性が温和化されているせいか、あまり積極的に動こうとはせず、一箇所に何時間も座り続ける個体もいる。そんなコカトリス達を誘導するために、彼等の聴覚に程良い刺激を与える音波を発生させる魔法具を渡された二人は、巧みにそれを用いてコカトリス達の配置を入れ替えていく。
「よしよし、こっちへおいで〜」
イワンは小声でそう呟きつつ、コカトリスを自分のいる方へとおびき寄せると、その空いたスペースにサッとシャララが入り、溜まった羽毛を除去しつつ水と栄養剤を与えていく。
「ありがとうございます、シャララさん」
「べ、べつに、童(わらわ)は農業を極めるために牧畜を極めたかっただけなのだよ!」
彼女はそう呟きつつも、なんだかんだで動物の世話楽しくなってきたようで、当初の想定以上にテキパキと作業を二人で進めた結果、あっさりとコカトリス園の整備は完了した。
「さて、思ったより早く終わったから、次はユニコーン園に手伝いに行くのだよ」
ユニコーンとは、頭に角を生やした白馬のような魔獣であり、この世界では長年アルトゥークを治め続けていたコンスタンス家の紋章のモチーフとして描かれていることで有名である。ユニコーンはもともと草食のため、当然、シャララとしては彼等の餌としてどのような牧草が用いられているのか、ということにも興味はあった。
「そうですね。多分、ここは一番楽な仕事場だったと思いますし、きっと他の……」
二人がそんな会話を交わしていたところで、唐突にコカトリス達が大声を挙げる
「ど! どうしたのだよ!?」
コカトリス達は荒れた様子で、地面に向かって嘴を突き始めた。
「ちょっと待って下さい。今、
マニュアルを調べます!」
イワンはそう言って、事前に渡された飼育用
マニュアルを確認する。そして、すぐにそれらしき該当項目を発見した。
「どうやら、彼等は近くで新たな混沌核(カオスコア)が収束しようとすると、気性が荒くなるらしいです」
「混沌核の収束」とは、すなわち、投影体の出現を意味する。それが、生き物なのか、物品なのか、空間そのものなのかは分からないが、収束が完了した時点で、そこに「異界に存在する何か」の模造品とも言うべき存在が出現することになる。魔獣園はもともと混沌濃度が高いため、様々な投影体が偶発的に出現することが多い、という説明は彼等もジュノから聞いていた。そして、もともとこの魔獣園に存在する何者かが触媒となっている可能性が高いため、「その魔獣と縁のある何か」が出現する可能性が高いらしい。
「……ということは、『この下の階』で何か起きているということなのだよ?」
ちなみに、魔獣園の地図によると、このコカトリス園の「真下」に存在するのは、まさに今、シャララが向かおうと考えていたユニコーン園である。
「彼等の様子からして、そうみたいですね。とりあえず、僕は今すぐ職員の人を呼んで来ます!」
「童は下の様子を見に行くのだよ!」
こうして、彼等は真反対の方向に向かって走り出して行った。
******
「おぉ〜、これがユニコーンかぁ」
ワクワクした様子で、
ニキータ・ハルカス
は、地下二階の一角に形成されたユニコーン園に足を踏み入れた。その隣には、彼と共にこの区画に配属された
サミュエル・アルティナス
の姿もある。
この二人は以前、『椿説弓張月』を探して一緒にエーラムの下町の古本屋を調べて回ったことがある。結局、その時は何も見つけられずに帰ることになったのだが、ニキータがひたすらハイテンションで皆を引きずり回していた印象がサミュエルの中では強かった。そして、その時にニキータが話していた身の上話についても思い出す。
「そういえば、失った記憶を探しているとか言ってたけど……」
「あぁ! こないだ読んだ本によると、ユニコーンの角に触れば、それもどうにかなるらしいんだ!」
「ユニコーンの角? まぁ、確かに、色々な伝承はあるらしいが、それは触れるだけで効果が得られるものではないのでは?」
「え? そうなのか?」
「少なくともオレが読んだ本には『角を食べる』ということを前提とした色々な伝承が書いて書いてあったような……。もっとも、それらもあまり信憑性のある話ではないみたいだけど」
そう言われたニキータは落胆しつつ、ひとまず素直にサミュエルと一緒にユニコーンの世話を始める。ユニコーンはもともと比較的気性がおとなしい魔獣であり、特に危険な毒素や爪牙を有している訳でもない。ただ、通常の馬と同等以上の脚力がある以上、一步間違えて蹴り飛ばされれてしまった場合、子供の身体ではひとたまりもないだろう。
彼等の任務は、そんなユニコーンに「特別な餌」を与えてご機嫌を取りつつ、その間に彼等のタテガミをブラッシングすることである。そのために与えられた「特別な餌」とは、「人間の赤子のような形状の果物」であった。元は異界から投影された植物であったものを、特殊な技術を用いてこの世界で量産することに成功した代物で、オリジナルには劣るものの、食べれば健康と長寿をもたらす高級品らしい。
「なんか、不気味だな……」
サミュエルがその果物を見ながらそう呟くと、ニキータがその果物籠を手に取る。
「じゃあ、俺がその餌やり役をやるよ。ブラシは任せた」
「あぁ、うん。じゃあ、それで」
こうして、ニキータがその謎の餌を食べさせている間に、サミュエルがブラッシングをすることになった。ニキータは目の前でユニコーンの角を見ながら、内心では「食べてみたい」という欲望が浮かんでくるものの、さすがに目の前で齧り付いたら蹴り飛ばされることは分かるので、この場はじっと我慢する。そして、サミュエルの方は脚立に乗りながら、ユニコーンを刺激しないように慎重にブラシをかけていった。
(そういえば、実家にもこれくらいの大きさの白馬がいたな……)
名家出身のサミュエルはそんなことを思い出しながら、ひとまず一頭目の手入れを無事に終え、続いて二頭目に向かおうとしていたその時、ユニコーン達が唐突に「天井」に向かって嘶きを始める。
「きゅ、急にどうしたんだ!? お前達!」
サミュエルが狼狽する一方で、ニキータは淡々と馬達の表情を凝視する。
「なんか、嬉しそうだなぁ」
実際、馬達の表情も声も、荒ぶっているというよりは、何かに対して喜んでいるような様子であった。そして彼等の視線の先(天井に近い高さの空中)で、小さな混沌核が発生しつつあるのを二人は発見する。
「これは、まさか、混沌核の収束!」
「すげー! 初めて見る! 何が出てくるのかな!?」
「いや、そんなこと言ってる場合じゃなくて、とりあえず、誰か呼びに……」
そう言ってサミュエルは階段へと向かおうとするが、その途中で持病の眠気が襲ってくる。
(くっ……、ダメだ! ここで眠る訳にはいかない! こういう時のために、俺はイミュニティの魔法を覚えたんだ!)
彼は自分に対してそう言い聞かせつつ、イミュニティの効果で自分の体内の器官を活性化させることで、どうにか眠気に耐える。しかし、それでもまともに歩ける状態ではない。
(まずい……、もしここで、危険な投影体が現れたら……)
サミュエルが絶望に支配されそうになったその瞬間、その視界にニキータが持っている果物籠が映る。そしてこの時、彼は職員から「この果物は人間が食べても薬用効果がある」と言っていたのを思い出した。
「頼む、その果物を一つ、こっちに投げてくれ!」
「え? あぁ、ほい」
ニキータが軽く放り投げると、サミュエルはよろめきながらもそれを受け取り、そして即座に齧りつく。すると、体内の全ての器官が一瞬で正常化し、彼の身体を支配していた眠気が一気に吹き飛んだ。
「これが、異界の果物の力か……」
ダメ元で試してみた彼だったが、想像以上の効果に驚いていた。だが、彼がそうしている間に、混沌核の収束が完了し、「人」のような姿へと変わっていく。
(人型の投影体? ということは、友好的な投影体である可能性が……)
サミュエルがそう考えていると、その投影体は、見たことのない服を着た「人間の女性」の姿に代わり、そして、投影完了と同時に空中から落下するが、近くにいたユニコーンが即座に彼女の落下地点に入り、その背中で彼女を受け止めた。
「え……? なに……、ここ……?」
その女性は、見た目はサミュエル達よりも年上だが、まだギリギリ少女と呼べる程度の年頃に見えた。白シャツの上にベージュのベストを着て、首元に赤いリボンが結ばれ、プリーツ入の赤いスカートと、黒のニーソックス、そして足元にはローファー、といった装束であった。髪は焦げ茶色だが、顔付きはクグリやテリスのような極東系の学生達に近い雰囲気である。
「馬? いや、ちょっと待って! 角が生えてるって! どういうこと? これ、夢よね? 私、勉強疲れで変な夢でも……」
困惑した様子の彼女は周囲を見渡しながら取り乱し、そして体勢を崩してユニコーンの背中から転げ落ちそうになる。
「危ない!」
サミュエルが落ちそうになった少女を抱きかかえようとするが、体格的にそこまで秀でている訳ではない彼は支えきれず、そのまま倒れてしまう。しかし、結果的にその女性は無傷で済んだ。
「あ、ありがとう、なんか、ごめんね……、というか、君、誰? ここ、どこ?」
「そういう、あなたは……?」
「え? あぁ、そうか、そうよね。ごめん! 私は
唄代紬(うたしろ・つむぎ)
。本山高校の三年生よ」
「ウタシロ……?」
「君、もしかして、日本人じゃない? その割には日本語上手いけど……」
なお、この時点で彼女は「日本語」を話してはいない。この世界に投影される人型の投影体の大半は、なぜか(混沌の作用によって?)このアトラタンの言葉を、母国語であるかのように喋れる能力が身についているのだが、彼女はまだそのことに気付いていない。
「ニホン? よく分かりませんが、オレはサミュエル。サミュエル・アルティナスです」
「こんにちは、ニキータです」
横からニキータもそう言って自己紹介する。
「サミュエルにニキータ……、やっぱり、日本人じゃないわよね。だったら、私も『ツムギ・ウタシロ』って名乗った方がいいのかな?」
彼女が困惑しながらも少しずつ今のこの状況を受けれつつある中、そこに地下一階からシャララが走り込んで来た。
「何事なのだよ!?」
それに対して、ツムギと名乗るその少女は、シャララが頭上に斜めに付けている黒い狐面を目に止める。
「そのお面! そっか、やっぱり、ここは『日本のことが好きな外国人の人達』が集まってる場所なのね!」
「何を言ってるのだよ?」
「はじめまして。私はツムギ・ウタシロ。あなたは?」
「シャララ・メレテス、なのだよ」
「ここって、どこなの? 私、受験勉強の途中で、多分、ちょっと居眠りしている間に、ここに連れてこられちゃったみたいなんだけど、これって、何かのドッキリ企画?」
「ここは、エーラム魔法大学の地下の魔獣園なのだよ」
「魔法大学? あぁ、そうか、脱出ゲームみたいなものね。なるほど、受験勉強で疲れた私に気分転換させるために、誰かがこっそり連れててくれたのかな」
ツムギはそう呟きつつも、「エーラム」という固有名詞になぜか聞き覚えがある気がして、少し引っかかる。
(なんだっけ? エーラム魔法大学って……? ハリーポッターの学校、じゃないわよね……? でも、こんな大掛かりなセットまで作ってるんだから、多分、結構有名な映画かゲームか何かの設定だと思うんだけど……)
それからしばらくの間、イワンが魔獣園の正規職員を連れて来るまで、彼等はそんな「噛み合わない会話」を繰り広げることになるのであった。
******
「なるべくおとなしいやつ、って頼んだら、まさか『ここ』に回されるとはな……」
そうボヤいたクリストファーの目の前には、魔獣園の中でも最も巨大な檻の中に入ったドラゴンが、静かに眠っていた。ここは魔獣園の最深部。最強の魔獣と名高いドラゴンが飼育されていた。ジュノ曰く、このドラゴンは人間と意思疎通可能で、あくまで人間との合意の上で、この歯科室で飼育されているらしい。
「すっげー! 本物のドラゴンって、やっぱデカいんだなー!」
クリストファーの隣では、
ディーノ・カーバイト
が目を輝かせながらドラゴンを見詰めている。彼が魔法剣士を目指すきっかけになった(彼の故郷に投影されていた)「異界の漫画」の中でも「最も偉大かつ強大な存在」として描かれていたこともあり、それを生で目の当たりにしたことに素直に感動していた。
この二人に課せられた任務は「ドラゴンの餌やり」である。ただし、このドラゴンは一日の大半を眠って過ごしており、決まった時間にならないと目を覚まさない。そして、目を覚ました時点で餌を提供するのが彼等の役割なのであるが、当然、その餌も並の魔獣の餌とは全くもって異質であった。
「そろそろ、刻限かな」
クリストファーがそう呟くと、ドラゴンがゆっくりと目を覚ます。
《お主等、新入りか?》
脳に響くような声でドラゴンがそう問いかけると、ディーノは事前に渡されていたメモ書き通りの口上を語り始める。
「はじめまして、偉大なる真竜よ。本日の昼食は何をご所望ですか?」
《そうだな……、オルトロスを2体と、ラミアを1体。あとは、付け合せでウーズも欲しいな》
「かしこまりました」
ディーノがやや芝居がかった口調でそう答えつつ、クリストファーに目配せすると、クリストファーは事前に渡された
マニュアルを見ながら、檻の近くにある魔法陣に、様々な色の「魔法石」を配置していく。
(えーっと、オルトロスを呼ぶには、この石をここに置いて……)
その作業を終えると、ドラゴンの檻の中に設置されていた魔法陣から、次々とドラゴンが希望した通りの魔獣達が現れる。これは、エーラムの召喚魔法師と錬成魔法師がこのドラゴンのために開発した「餌用魔獣召喚装置」である。呼び出された魔獣達は、訳も分からずに戸惑っている間に、あっという間にドラゴンの爪牙に貫かれ、その胃袋の中へと飲み込まれていった。
その圧倒的な強さにディーノが感動を覚えていると、ドラゴンは彼に対して語りかける。
《美味であった。だが、そろそろ飽きがきているのも否めない。そろそろ、ヴァルハラ界の巨人あたりを喰らいたいものだな》
「かしこまりました、担当者に伝えておきます」
《時に、お主等はまだかなり年若のようだが、なぜここに来た?》
その問いかけに対し、クリストファーがどう答えたものかと迷っているのとは対象的に、ディーノは即答する。
「俺は、最強の魔法剣士を目指してます! だから、そのために最強のドラゴンに会ってみたかったんです!」
《ほう? 最強の魔法剣士か。で、最強の魔法剣士と最強のドラゴンは、どちらが強いと思う?》
「分かりません! でも、最強の魔法剣士と最強のドラゴンが手を組めば、最強だと思います!」
《まぁ、それはそうだな。最強の魔法剣士が、最強のドラゴンに認められるだけの器であれば、の話だが》
そんな言葉を交わしつつ、ドラゴンは次にクリストファーに視線を向ける。
「オレは、まぁ、友人に頼まれたんですけど……、でも、正直、異界の投影体には興味があります。いつか、異界に行ってみたいと思っているんで」
実際、クリストファーとしても、意思疎通が出来る投影体は貴重なので、この機会に話をしておきたい、という気持ちはあった。
《この世界の人間の身でありながら、異界へ、か。面白いことを言う。だが、ドラコーン界はやめておけ。人間が足を踏み入れたところで、一瞬で消し炭だ》
「そのドラコーン界には、ドラゴンしかいないのですか?」
《ドラゴンを頂点とした様々な生命体は存在する。だが、正直に言えば、あまりよく覚えていない。もうこの世界に来てから、随分時間が立ってしまったからな。そして、この世界における縄張り争いにも疲れた。我はすっかり老竜だ。今はここで静かに余生を過ごさせてもらっている》
どうやらジュノが言っていた通り、このドラゴンの気性は本当に穏やからしい。とはいえ、それでもドラゴンはドラゴンである。おそらく本気を出せば、その息吹一つでクリストファーもディーノも消し飛んでしまうだろう。
そんな和やかな会話を交わしつつ、ディーノがドラゴンから「若い頃の武勇伝」を興味津々な様子で聞き入っていると、唐突にドラゴンが「何か」を感じ取ったような表情を浮かべる。
《む……、これは……、何者かが新たに投影されつつあるようだな》
「この魔獣園の中に、ですか?」
クリストファーがそう問いかけると、ドラゴンはゆっくりと頷く。
《あぁ。だが、何だこの感覚は……? 竜ではない。竜ではないが、竜の加護を受けた何者かが、この世界に出現しようとしている。言うならば、竜の眷属? いや、竜の巫女か?》
「とりあえず、オレが様子を見てきます」
《うむ。出来れば、その者をここに連れて来るのだ。ぜひ会ってみたい》
「分かりました!」
そう言って、クリストファーは階段を駆け上がっていく。その間、ディーノはそのままドラゴンの話の続きを聞き続けるのであった。
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「……つまり、ここは貴女の住む『地球』とは異なる世界。あなたはその地球から、『混沌』の力によってこの世界に投影された存在、ということです」
イワンが連れてきた魔獣園の職員がツムギに対してそう説明すると、彼女は当初は困惑していたが、途中で「あること」を思い出す。それは、彼女が半年ほど前に「エーラム」という単語を知ることになった、ある「ゲーム」の名前である。
「そうか! 分かったわ! ここって、『グランクレスト』の世界なのね!」
実は彼女は地球において『グランクレストRPG』というTRPGを遊んだことがある。あくまで、学校の友人に誘われて付き合いで遊んだだけなので、そこまで詳しくは覚えていなかったが、その中に「エーラム」という地名があったことを、このタイミングで思い出していた。
彼女のその反応を受けて、今度は職員の側が少々困惑した様子で答える。
「我々は、我々の住むこの世界のことを『アトラタン界』と呼んでいますが、他の世界の人々がどのように呼んでいるのかは知りません。より正確に言えば、そもそも『この世界に出現する投影体』が『この世界』の存在を投影前から認識していたという事例自体が極めて稀なのですが……、確かに『グランクレスト界』という呼称も、あながち間違いとは言えないでしょう」
ツムギはまだ半信半疑ではあったが、確かに目の前には、およそ作り物とは思えない角を生やしたユニコーン達がいて、そして目の前の少年少女達も、西洋人というよりは、むしろ異世界人と言った方が良さそうな雰囲気を醸し出している。
(つまり、私は今、異世界に来てしまってる、ってこと? あ、でも、あの世界の「投影体」って、異世界に転生する話とかとはちょっと違う、って南條さんは言ってた気がする……、どう違うのかは、よく覚えてないけど……、どうすれば帰れるんだっけ? ていうか、そもそも帰る方法って、あるんだっけ?)
彼女がそんな困惑した表情を浮かべる中、ひとまずサミュエルが職員に対して告げる。
「とりあえず、この人は有害な投影体ではない、と思う」
直感的にそう告げたサミュエルに対して、職員も同意する。
「そうですね。地球人の投影体は概ね我々と身体も感性も近いので、比較的『分かり合える人』である可能性が高いです。そしておそらく彼女がこのユニコーン園に召喚されたのは、彼女が『汚れなき乙女』であるが故に、ユニコーン達の願望に混沌核が応えたと解釈するのが自然でしょう。その意味でも、彼女の精神面に関しては信頼して良いかと」
ユニコーンは「純潔なる乙女」に対して心を開く存在と言われている。だが、この魔獣園では基本的に男性職員がユニコーンの相手をする慣習が続いていた(それは「女性職員にユニコーンがなつかなかった場合、『彼女は純潔ではない』という風評被害が広がるから」らしい)。だからこそ、ユニコーン達の乙女への渇望が、彼女の召喚の触媒となった可能性が高い、というのが、この職員の判断であった。
そして実際、ユニコーン達は明らかにツムギになついている。子供の頃に読んだ絵本の中でしか見たことのない伝説の幻獣から好意的な視線を向けられたツムギは、内心悪い気はしなかったものの、まだこの状況を100%現実だと受け止めきれている訳ではないため、困惑した状況は続いていた。
そんな中、最下層から駆け上がってきたクリストファーが皆の前に姿を現す。
「あ! 皆さん、えーっと……」
彼はその場にいる面々(サミュエル、ニキータ、シャララ、イワン、正規職員)を見渡し、その中に「見知らぬ女性」が一人いることに気付く。
「あなたが、『竜の巫女』ですか?」
「え?」
当然、ツムギは言われた言葉の意味が分からない。クリストファーが最下層のドラゴンの様子をこの場にいる面々に伝えると、正規職員はツムギに問いかける。
「あなたの故郷に、竜を祀る施設のようなものはありませんか? そのような土地に住む人々の投影体であれば、ドラゴンが『竜の民』と認識してもおかしくはありません」
そう言われたツムギは自分の故郷を思い返してみるが、別に竜神信仰などには心当たりはない。ただ、彼女の故郷において「竜」という言葉はそれなりに浸透してはいる。なぜならば、それは彼女の故郷に存在するスポーツチームのモチーフとなっているからである。
「え? いや、その、ドラゴンに縁がある土地かと言われたら、そうかもしれないけど……、でも、あれって『竜』なのかな?」
彼女はそのチームの雌雄二体のマスコットキャラクターを思い浮かべながら、ひとまず半信半疑ながらも、皆と共に最下層まで赴くことにした。
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《竜の街の少女よ。お主がこの地に投影され、こうして我と相見えてくれた幸運に感謝する》
ツムギは目の前に現れたドラゴンのその声に萎縮しつつも、そのあまりの強烈な威圧感を目の当たりにして、いよいよこれが「夢」でも「ドッキリ」でもない、少なくとも今の彼女にとっては紛れもない「現実」であることを実感する。
「えーっと、その、ツムギ・ウタシロです……」
《ツムギよ、お主の街の竜は、どのような存在であった? 偉大であったか? 強大であったか?》
ツムギとしても、ここはある程度話を合わせた方が良さそう、ということを実感していた。
「私が小さい頃は、強かったような気がします、たしか……」
《そうか、年老いて衰えたか。我と同じだな》
おそらく同じではないのだが、ここでどう訂正すれば良いのか分からなかったツムギは、やむなくしばらくそのまま話を受け流しつつ、なんとなく対談を終える。
《我もこの世界では「投影体」。その意味ではお主の先達だ。何か聞きたいことがあれば聞け》
「あの……、元の世界に戻るには、どうすれば?」
《それは出来ぬ。元の世界では今も『本来のお主』が、今まで通りに暮らしている。今のお主はあくまでも、『本来のお主の模造品』であり、いくら元の世界の記憶がお主の心の中にあったとしても、今のお主はこの世界の混沌の産物。つまり、『お主の心の故郷』が異世界であったとしても、『生命体としての今のお主』の故郷は、あくまでもこの世界。今のお主は我と同じ、この世界の混沌の産物だ》
そこまで言われても、まだ現実感はない。当然の話である。いくら「模造品」と言われても、彼女自身の世界観の中では、彼女はつい先刻まで確かに「地球」にいたのだから。そこからコピーされた存在だと言われても、さすがにそう簡単には納得出来ない。
だが、もしかしたら本当にそうなのかもしれない、という想いも彼女の中では少しずつ広がりつつあった。そう考えると、少しずつ恐怖と孤独と絶望が彼女の心を蝕み始める。そんな彼女の表情の変化は、その「真竜」の目にもはっきりと映っていた。
《この世界で生きていくしかない、という現実が辛いか? ツムギよ》
「いや、その、この世界が嫌って訳じゃないんだけど……、もう、家族や友達にも会えないのかなって思うと……」
《会えないかどうかは分からぬぞ》
「え?」
《お主が呼び出せば良いのだ。お主の想いが強ければ、その想いが触媒となって、お主の縁者がこの世界に投影される可能性もある。ユニコーン達がお主を切望したのと同じようにな》
その話にどこまで現実味があるのかは分からない。だが、そもそもツムギから見れば、今のこの世界そのものが現実感からかけ離れた世界である。ならば、その可能性を信じてみるのも良いのかもしれない、とも思えてきた。
「そっか……、じゃあ、私も、今はこの世界で生きていく道を、探してみようかな」
こうして、ツムギは少しだけ希望を見出した状態のまま、まずは今の周囲の現実を積極的に受け入れよう、という思考へと転じていくのであった。
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その後、ドラゴンが再び眠りに就いたことで一旦手の空いたクリストファーとディーノ、そして既にコカトリスの世話を終えていたイワンとシャララもユニコーンの世話に加わった結果、あっさりとユニコーン園の任務も完了する。一応、まだ現時点ではエーラム内における「正規の身分」を持たないツムギは直接的には加わらなかったが、彼女とシャララがいたおかげで、ユニコーン達は終始上機嫌であったという。
そして、一通り終わって地下一階にある職員休憩室へと向かったところで、グリフォン園の整備をしていたジュノとも合流した。どうやら彼女は既に他の職員からツムギの噂を聞いていたようで、彼女の姿を見るなり、笑顔で駆け寄って来る。
「あなたが『地球』からの投影体? 私はジュノ! ジュノ・ストレインよ。よろしく!」
「ツムギ・ウタシロです。よろしくね」
「あなた、まだこの世界に来たばかりで色々よく分からないと思うけど、投影体のお世話をするのが私達の役目だから、何でも聞いてね」
ジュノのその言い方だと、まるで自分がドラゴンやユニコーンと同列の存在として並べられているようにも聞こえたが、この世界の基準から見れば「そういうもの」なのだろう、とツムギは自分を納得させていた。
その上で、ジュノの説明によると、魔法師協会から「無害な投影体」としての認可を得た上で、エーラム内で生きていく道を探るなら、彼女の選ぶべき選択肢は三つ存在するらしい。
まず一つは(ラトゥナやレイラのような形で)エーラム内の施設の職員として働く道。この場合、彼女にどのような仕事が向いているか、ということを調べる必要があるが、ユニコーンやドラゴンとの親和性を考えると、魔獣園の職員というのも一つの選択肢になり得るだろう。
二つ目は(ヘラクレスのような形で)エーラムで市民権を持つ誰かの扶養家族(ペット)扱いになる、という道。ジュノ曰く、ツムギの外見と年齢であれば、普通に「妻」としての需要もありそう、という見立てだったが、さすがにツムギもこの世界に来たばかりでいきなりその道を選ぶ気にはなれなかった。
そして三つ目が、魔法師の一門に加わった上で、魔法学校の学生になる、という道である。通常、地球人で魔法師となる資質を持つ者は極めて稀だが、それでも前例が無い訳ではないらしい。しかも、その数少ない前例の一人は、百数十年前にツムギと同様にユニコーン園に出現した少女であったという記録がある。
「だから、あなただったら、その『伝説の乙女』と同じように『地球人の魔法師』になれるんじゃないかと思うんだけど、どう?」
「それは……、もし本当に出来るなら、私も挑戦してみたいな。私、魔法とか全然分からないけど、魔法使いになれるって思ったら、ちょっとワクワクするし……」
「じゃあ、さっそく学校当局に行って、資質があるかどうか調べてもらおうよ!」
ジュノがそう言ってツグミを魔獣園の外へと連れ出そうとしたところで、唐突に女性の叫び声が聞こえて来る。
「ひぃぃぃぃ! ヘビぃぃぃぃぃぃぃぃぃ!」
皆が驚いて部屋の外に出ると、そこにいたのは、休憩室の近くにあった「大蛇の檻」に怯えて、そこから一目散に遠ざかろうとしているヴィッキー・ストラトスの姿であった(彼女は「足のない動物」が苦手らしい)。反射的にイワンが彼女に声をかける。
「あれ? ヴィッキーさん。あなたもここのアルバイトに来ていたんですか?」
「い、いや、そうやないんやけど……」
彼女はビクビク震えながらも、ひとまず大蛇の檻が視界から消えたところで、クールインテリジェンスを唱えることで気持ちを落ち着かせつつ(その結果、なぜか彼女の髪の毛の一部がクルクルと回った状態となり)、真剣な表情でその場にいる面々に問いかける。
「なぁ、みんな、ロシェルがおらんくなってしもうたんやけど、見いひんかった?」
彼女は先刻、オーキスからこの話を聞かされて、ひとまず顔見知りが何人か集まっているこのバイト現場に足を運んだらしい。だが、残念ながらこの場にいる者は誰も心当たりが無かった。
「うーん、そういうことなら、何か事件に巻き込まれた可能性もあるので、僕も風紀委員として捜索に協力したいところなんですが、まだこの後で午後のシフトが……」
「じゃあ、私が代わりにここの仕事をする、ってのはダメかな?」
そう言い出したのは、ツムギである。
「よく分からないけど、お友達が行方不明なんでしょ? だったら、そっちに行ってあげないと。それでこっちの人手が足りなくなるなら、私が代わりに仕事したいんだけど、ダメ? 一応、元の世界でもお掃除のアルバイトとかやったことあるから、簡単な雑用くらいなら出来ると思うんだけど」
それに対して、ジュノは微妙な表情を浮かべながら問いかける。
「現状だと、あなたはまだ学籍も身分もないから、正式に契約を結べない以上、お給料は出せないんだけど……、それでもいい?」
「もちろん! 今はそんなこと言ってる場合じゃないみたいだし」
彼女がそう答えると、イワンは深々と頭を下げる。
「ありがとうございます! この御礼はいずれ必ずさせて頂くので、とりあえず、今は失礼します!」
「ほな、とりあえず一緒に行こか! あ、でも、とりあえず、『あっちの道』を通らずに出られる方法、教えてくれへん?」
ヴィッキーはさっきの「大蛇の檻」のあった方向を指差す。
「分かりました。では、僕について来て下さい」
イワンはそう言ってヴィッキーと共に地上へと赴く。そして、ツムギを含めた残った者達は、午後のシフトに向けての準備を始めるのであった。
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その後、午後のシフトを終えた上で改めてツムギはジュノと共に学校当局へと赴き、「無害な投影体」としてのお墨付きを得る。その上で、教員達からの診断を受けた結果、ジュノの目算通り、彼女には他の学生と同程度の魔法師としての資質があることが判明した。その上で、ひとまず彼女の所属は「魔獣園預かり」とした上で、魔法学校への仮入学手続きを果たす。今後、彼女を引き取りたいという家門が現れたら、協議の上でその一門に加わるという方針だが、ジュノ曰く「ウチ(ストレイン家)だったら、多分、いつでも歓迎だよ」とのことであった。
一方、仕事を終えた後のニキータは、夜中になった時点で、やはりどうしてもユニコーンの角が食べたくなり、魔獣園に密かに忍び込んで、寝ているユニコーンの角をかじってみたが、その結果、特に何も得られるものはなかったらしい。
エーラムには、魔法学生達によって運営されている「出版部」と呼ばれる部局が存在する。エーラムが保有している知識に関しては門外不出の内容が多いが、彼等は「外に出しても問題のないレベルの情報」を、持ち前の活版印刷技術を用いて「書籍」の形式でまとめ、主にエーラム在住の好事家の貴族達を相手に販売していた。
その一員であるアメリ・アーバスノット(下図)は、最新の「旅行用ガイドブック」の作成に向けての取材を担当することになり、世界各地から集められたエーラムの学生達を相手に、自分達の故郷のお勧めポイントを聞いて回ることにした。
彼女が最初に声をかけたのは、エーラムから見て(地理的にも関係的にも)最も遠いと言われるダルタニア小大陸出身の
ロゥロア・アルティナス
である。
「ダルタニアについて、ですか?」
「はい。あの国に関しては、色々と分からないことが多いので、ぜひ現地の人のお話を聞きたいな、と思いまして」
アメリにそう言われたロゥロアは、少し迷いながらも語り始める。
「うーん、名所ならいくつかありますが……、まず、一番分かりやすいのは『海』ですかね。私の故郷は内陸なので、エーラムに来る時に初めて見たのですが、ダルタニアの近海の海は本当に綺麗です。まぁ、その、他の地方の海をよく知らないので、どれくらいかと言われると難しいのですが……、良かったら見てみます……?」
ロゥロアはそう言って、サイレントイメージの魔法を用いて、自分がエーラムへと旅立つ時に乗った船から見た海の様子を映し出した。
「おぉ! なるほど……。これは確かに美しい光景ですね。なるほど、ダルタニアを楽しむには、まず上陸前から、ということですね」
アメリはそう言いながら、手元のメモ用紙にペンを走らせる。
「そして、ダルタニア内で観光すべき場所として、私の中でひときわおすすめなのは市場(バザール)、ですね。こちらではあまり見ないような布に細工物に、香辛料や果物……鮮やかな色の洪水みたいで、初めて見た人はきっと目がちかちかしてびっくりするです。迷路みたいな細い通りが多いので、宝探しにはご注意を」
ロゥロアはそう説明しながら、今度はその市場の様子を映し出す。それは、彼女が幼少期にお忍びで出かけた際の光景であり、その意味では最新の光景とは言い難いが、極めて鮮明に細部まで描かれていた。そこにはダルタニア人だけでなく、多様な地域からの来訪者が行き来しており、ダルタニアが(少なくとも当時は)南方交易の中心地であったことが伺える。
更に続けて、彼女は映像を次の場面に切り替えた。それはダルタニアの首都に位置する、同国独自の建築様式に基づいて建てられた宮殿である。
「この太守様の宮殿も素敵、です。細かい装飾がこんな感じで……ここに尖塔があって……」
そう言いながら彼女は実際に自分の出した映像を指差しながら説明する。これもまた、彼女が幼少期に見た時に鮮明に記憶に残っていた光景であった。
「あとは、月夜の砂漠も、神秘的で素敵だと……その……ばあやから聞いただけ、ですが」
残念ながら、それに関しては映像は出せないらしい。だが、ここまでの説明だけでも、アメリにとっては十分すぎる程の収穫だった。
ただ、ここまでの紹介を終えたところで、申し訳なさそうな様子でロゥロアは付言する。
「でも、冷や水をかけるみたい、ですが……、今のダルタニアに行くのは、あまりおすすめ出来ない、です。情勢が不安定で、部族同士の争いもありますし」
現在のダルタニア太守ミルザーは、父と兄を殺して太守(国主)の座を奪った。そして従来の「連合寄りの中立」という外交方針を一変させて同盟側へ寝返り、近隣諸国と抗争を展開している。その一方で、ミルザーに対して反発する部族も多数内在している、というのがダルタニアの現状であるという話を、彼女は先日の現代社会論の講義で聞かされていた。
「多分、市場も、映像でお見せしたのほど、賑わっているか分からない、です。だから、どうしても行くなら、腕の立つ邪紋使いさんを雇ったり、もしくはどこかの部族の長たる方に招いてもらったり、そういった工夫が必要かも……」
「なるほど。とはいえ、今の御時世はその点に関しては、どの地域もあまり大差ないかもしれませんよ。今は平和に見えても、いつ何か起きるか分からないのが現状ですから。何にせよ、ありがとうございました。いい紹介記事が書けそうです」
アメリがそう告げたところで、ロゥロアはおそるおそる、といった様子で提案する。
「あの、よかったら、取材のお手伝いとか、してみても良いでしょうか? 聞いたことを覚えるの、わりと得意ですし……」
ロゥロアとしては、ダルタニアとエーラム近辺以外の地方について授業以外の知識がないため、この機会に、実際にそれらの地方の生の話を聴いてみたいと考えたらしい。
「それは助かります! 正直、私一人だと色々と書き漏らしが起きる可能性があるので、それをカバーしてもらえるなら、ぜひお願いします」
こうして、ロゥロアもアメリに同行する形で様々な生徒の話を聞いて回ることになった。
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二人が最初に遭遇したのは、風紀委員の
シャーロット・メレテス
であった。シャーロットはアメリの姿を見かけた時点で、自分の方から彼女に声をかける。
「あの、出版部のアメリさんですか? ガイドブックの取材協力者を探していると聞きまして……」
「はい。えーっと、あなたは……」
「新聞部の人、ですか?」
横からロゥロアがそう問いかける。最近、シャーロットは「魔法学園新聞」の掲示板への貼り付けを担当していることが多いため(みながくdiscord「掲示板」参照)、そう勘違いされることが多いらしい。
「えっと、わたしは新聞部じゃないですよ。風紀委員のシャーロット・メレテスです。新聞部の人達から、『シャーロットさんみたいな方が手伝ってくれると助かるなぁ』と言われたので、少しだけ手伝ってあげてるんです!(ドヤ顔)」」
「あ、これは失礼しました。私はロゥロア・アルティナスです。今は、こちらのアメリさんの取材のお手伝いをしています」
「なるほど。実は私も、ガイドブックの作成のお手伝いをさせて頂こうと思っていたんです。最近は、新聞部の方でも小さめのやつなら記事も書いているので、少しはお力になれるかと。あ、もちろん、わたしの故郷の話ことも必要でしたらお話させて頂きますよ?」
アメリは当初の想定以上に積極的な協力者が次々と現れてくれたことで、内心ではテンションが上がっていたが、ひとまず落ち着いて話を聞くことにした。
「なるほど。そういうことなら、まずは故郷のお話からお伺いさせて頂けると助かります」
「はい。私の故郷のハルーシアで一番有名な方は、もちろんアレクシス・ドゥーセ公ですが、大きい国なので他にも名のある貴族の方はたくさんいらっしゃいます。わたしの実家であるウィルドール子爵家も貴族家の1つですね」
「ほう、あなたは子爵家の出身なのですか!」
この世界で「子爵」と言えば、小国において「国主」すなわち「王」に相当する爵位であり、セーヴィス、クローヴィス、アントリア、アストロフィなどの国主がそれに該当する。ハルーシアは大国のため、子爵以上の爵位を持つ君主は彼女の実家の他にもいくつかあるが、それでも世界で有数の大貴族家の一つであることは間違いない。
「はい。ウィルドール家の他にも歴史の古い家が多いのですが、最近は同盟と連合の間の情勢も不安定になって来ましたし、戦いの中での功績で貴族の地位を得る方も見られますね。たとえばエテーネ男爵家などはそのような近年になってから功績で貴族になった方なので、注目されているかもしれません。個人的にも、わたしのはとこが養子に行っているので、少し関わりがあるのですが……」
そこまで言ったところで、シャーロットはふと思い出す。
「そういえば、エテーネ家のご子息は魔法師としてエーラムで学ばれたそうなんです。わたしが入学したころには、もう卒業されていたとのことなので、エーラムで会ったことは無いのですが……」
ちなみに、その魔法師は現在、ブレトランドの中東部の国境の村に契約魔法師として赴任しており、彼の実妹もブレトランドの別の村の契約魔法師となっているのだが、そのことを知る者はこの場にはいない。
「確かに、最近は貴族家出身の魔法学生も増えているようですね。そういえば、ロゥロアさんの実家も貴族なんでしたっけ?」
「え? あ、その、アトラタンの基準で『貴族』に分類されるのかは分かりませんが……、一応、音楽の名家と呼ばれていました……」
ロゥロアのその様子から、あまり彼女の過去については掘り下げない方が良さそうと判断したアメリは、話を本題に戻す。
「では、シャーロットさん、あなたの実家の所領の近辺の観光名所や特産品などについても教えて頂けますか?」
「はい。そうですね、まず最初に訪れるべきは……」
その後、シャーロットは実家の近辺についての話を一通り告げた上で、彼女もまたこのアメリの調査活動に同行することにしたのであった。
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「あ、確かあの人は、エルさんですね。前に講義でご一緒したことがあります。エルさ……」
シャーロットがそう言って声をかけようとした直後、彼女は(少なくともシャーロットよりは明らかに高身長の)エルの隣に、エルと比べて頭一つくらい大柄な男性がいることに気付く。
「!?」
さすがに悲鳴を上げるのは失礼だと思ったのか、シャーロットは声を押し殺すが、その表情は明らかに驚愕と恐怖の感情で溢れていた。そこにいたのは、
バーバン・ロメオ
である。エルとは、ファーストエイドの試験でエルと同席以来、学内で顔を合わせたら挨拶する程度の間柄になっていた。
「あぁ、シャーロットさん、お久しぶりです。……どうかしましたか?」
「い、いえ、どうも、お久しぶりです……、あの、そちらの方は…………?」
「オデはバーバン。はじめましでだな」
そう言って、バーバンは屈みながら笑顔で挨拶する。その屈託のない微笑みから、純朴で優しそうな雰囲気は伝わってくるが、それでも小柄なシャーロットからすれば、体格差による威圧感は凄まじい。
「は、はじめまして、シャーロットです。よ、よろしく……」
「私はロゥロアです、よろしく、です」
そんな二人の「助手」の後方から、アメリが語りかける。
「出版部のアメリ・アーバスノットです。現在、旅行ガイドブックの作成にあたり、学生の皆さんの地元の話についてお伺いしているので、よろしければご協力頂けると幸いです」
「地元、ですか……」
エルの脳裏には故郷に対する複雑な想いが去来し、若干悩ましい顔を浮かべる。一方、そんな彼とは対象的に、バーバンは楽しそうな笑顔で答え始めた。
「オデの故郷は、山に囲まれた平和な村で、いっぺぇ畑があってよ、いろんな野菜が取れて、それがどれもごれもウメぇんだ。この季節なら、ニンジンとか、タマネギだでな。山に入れば木の実も採れる。村の外でも買うことは出来っけど、ちっと高いし、村に来て食った方が、新鮮でウメぇよ。あんま外から人が来っことは少ねぇけど、だがらこそ、たまに来てくれた人は歓迎すっでよ!」
穏やかな瞳でそう語るバーバンに対し、ロゥロアがおそるおそる問いかける。
「その、それだけ豊かな土地だと、奪い合いになったりとかはしない、ですか?」
「オデの村の人達はみんな仲いいから、んなことにはなんね。山奥過ぎて、あんま知られてねえから、ヨソの国も攻めてこねぇ。前にウチに来たベネディクトサンも、センリャクテキカチは低いとかなんとか言ってたから、多分、でぇじょうぶなんじゃねぇかな」
「なるほど……、平和に過ごせるなら、それが一番、です」
「んだ。そんなすんげえ珍しいものはねえけんど、のんびりすごせっかんな」
「なるほど……、そんな地域もあるんですね……」
見た目とは裏腹に和やかな話題をふりまくバーバンに対して、故郷が戦火にまみれたロゥロアは、目をきらきらさせながら羨ましそうに聞き入っている。
一方、エルの方も言いづらそうな表情を浮かべながら、ゆっくりと口を開く。
「僕の実家は、アルトゥークの片田舎の村です」
その地名を聞いた瞬間、ロゥロアは申し訳なさそうな表情を浮かべる。
「あ、その……、すみません、です」
「え?」
「私、ダルタニア出身、です……」
現在のアルトゥークを支配しているのは、ダルタニア太守ミルザーである。そしてアルトゥークではミルザーの支配に抵抗するアルトゥーク人達の反政府活動が活発化しているという話は、エーラムにも伝わっていた。
「あ、いや、別に、それはいいんです。その、皇帝聖印を目指すために争いが起きること自体は、仕方のないことですし……」
エルが物憂げな表情を浮かべていたのは、別の理由だった。
「僕の故郷の村は、聖印教会の影響力が強い村なんです。それはアルトゥークの中では異端で、だからこそ、村の中での結束力は高かったんですけど……」
アルトゥークは全体的に混沌濃度が高い地域が多く、その領域内には、魔女、人狼、吸血鬼など、様々な「混沌の力を操る者達」が混在し、彼等の協力関係によって成り立っている地域であるため、混沌の有効利用に否定的な聖印教会の存在は、確かに異質である。とはいえ、そのような地域だからこそ、混沌にまみれた周囲の状況に嫌気が差した人々が聖印教会派へと転じるのも、それはそれで人間として自然な心の在り方の一つなのかもしれない。
「……僕の故郷は今、僕の叔父が暴政を敷いています。正確に言えば、それは僕がエーラムに来る前の時点の話なので、ダルタニアの支配体制に対して、叔父がどのような対応を取っているのかは分かりませんが、いずれにせよ、今はあまり気軽に足を踏み入れない方が良いと思います」
重苦しい空気が広がるが、それに対してアメリはサバサバした表情で答える。
「まぁ、この世界においては、支配者が変わることなんてよくある話ですし、そもそも、今の時点で集めたこの情報が本になる頃には、またアルトゥークの情勢も変わっているかもしれませんから、あまり政治的なことは気にしなくて良いです。むしろ、あの闇の勢力が蠢くアルトゥークにおいて、混沌の力に頼らずに、どうやって聖印教会の人達が生き伸びてきたのか、ということを軸に記事を書いた方が、面白いかもしれません」
「生き延びてきた方法、ですか……」
「もしかしたら、それはあなた達にとっては『当たり前のこと』だったことかもしれませんが、意外とそういうところに、それぞれの地域ごとの特色が出ていたりするものです。あなたの土地にしかない特殊な風土とか、生活習慣とか、そういったものはありませんか? このエーラムに来て、他の人々と触れてみて感じた違和感の中に、ヒントがあると思います」
「なるほど。そうですね、たとえば……」
エルは記憶を遡りつつ、自分の村の特徴と思しき要素について語り始める。彼の中では、それは取り立てて他人の興味を引くような話ではないように思えたが、アメリは積極的にその内容を書き留めていくのであった。
******
そうして話が一段落した頃、シャーロットは近くを通り過ぎる人々の中に見知った人物を見つけて、声をかけた。
「あ、ダンテさん! この間は、その……、ご迷惑をおかけしました……」
「ん? あぁ、あん時の班長さんか。いや、別に気にするこたぁねぇよ。お前、軽かったし」
そう答えたのは、
ダンテ・ヲグリス
である。彼は先日のハンナの素材採集の際に、自分の魔法で爆睡状態に陥ったシャーロットを担いで、そのまま女子寮まで届けていた。
「あの……、よろしければ、あなたの故郷について、教えてもらえませんか? 今、こちらで、アメリさんが旅行ガイドブックの作成をしていまして……」
「オレの故郷? 別に、何も面白いもんなんてねーよ。ウチの一門は、人里離れた研究機関で暮らしてるからな。周りにあるのは森だけさ」
笑いながらダンテはそう言った。その説明に対して、シャーロットは違和感を感じる。
「え? あなたは入門前から、今の家門の研究機関で育ったんですか?」
「入門前も何も、オレの両親がヲグリス一門の魔法師だからな。オレは生まれた時からヲグリスの一員だよ」
サラッとダンテは言ったが、その発言に対してアメリが食いつく。
「ちょっと待って下さい! ということは、あなたは『魔法師の両親』の間に生まれた『純血の魔法師』ということですか!?」
アメリの知る限り、近年においてエーラムが排出した「純血の魔法師」は二人しかいない。一人は現在ハマーンの女王の契約魔法師となっている静動魔法師。もう一人は、若くして魔法大学を卒業した後に、無名の君主と共に何処かへと旅立った少女であると言われている。
「んー、まぁ、オレが魔法を使えるようになったら、そういうことになるんじゃねぇか? 使えるようになるかは分かんねぇけどよ」
実際のところ、ダンテはまだ基礎魔法すら習得出来ていない。そもそも魔法の講義にすらまともに出席しておらず、魔法師になる気があるのかどうかも怪しいと言われている人物である。
「でも、そんな人がいたなんて、私、今まで聞いたことが……」
「あぁ、そりゃあ、オレの一門は昔から嫌われ者だからな。存在自体が殆ど知られてねえんだろうし、実際、別に覚える必要もねえよ」
「嫌われ者って……、一体、何をしている一門なんですか?」
「もともとは占星術が専門だったらしい。だが、この世界に時代を変える因子である『魔剣』が降り立つ、っていう予言が出て以来、その『魔剣』をどうにかすることが目的になってる。まぁ、一応、今でも占星術は占星術でやってるんだがな。何なら、なにか占ってやろうか?」
「なるほど、そういうことならむしろ、今回の企画とは別枠で、その占星術の技法をまとめた本とかを出せば、それはそれで需要はあるかもしれませんね……」
ダンテとアメリがそんな会話を交わしている中、唐突に「四足の獣」が走り込んでくる音が聞こえる。
「な、なんだ!?」
ダンテがその足音のする方に目を向けると、そこに現れたのは、シャリテに乗ったオーキス(ロシェル風コーデ)の姿であった。彼女はその場にいる面々(ダンテ、エル、バーバン、シャーロット、ロゥロア、アメリ)に対して問いかける。
「少し、時間をいただいてもいいかしら? 私たち、人を探してるの」
オーキスはそう言うと、目つきを少し鋭くし、釣り目がちの表情を作りながら説明する。
「ロシェルっていう子で、髪は私より金髪がかってて、それ以外はちょうど今の私みたいな感じの子。普段は服も制服じゃないのを着てるわ。今もそうとは限らないけれど……」
その説明に対して、大半の者達が心当たりが無さそうな顔で首を横に振るが、アメリはふと何かを思い出す。
「……ちょっとうろ覚えなんですけど、今朝、キリコさんを見つけて話を聞こうとした時に、そんなような髪の子がいたような……」
「キリコさん?」
オーキスが首を傾げていると、ロゥロアが反応する。
「もしかして、あの地球人の人ですか? 射撃大会の時に実況していた……」
「そうです、諜報機関『ヴァルスの蜘蛛』のキリコ・タチバナさん。今朝、あの人を見つけて、彼女だったらこの世界の地理情報にも詳しいんじゃないかと思って話を聞きに行ったんだけど、結局、『プロはタダじゃ働かない』って言われて断られちゃったんです。で、その時、私が声をかける直前に、そんなような髪色の人と何か話をしてて、何かよく分からないアーティファクトみたいなのを渡されてたんですけど、それが何だったのかまでは……」
もしかしたら、それはロシェルを探す上での重要な手掛かりになるかもしれないのだが、いかんせんオーキス自身がそのキリコという人物について殆ど知らないので、どう参考にすれば良いのかが分からない。
「そのキリコって人は、どこに行けば会えるの?」
「さぁ……? あの人、かなり神出鬼没な人なんで、いつどこにいるか分からないですし……」
実際、朝の時点でエーラムにいても、昼の時点では既に他国にいるかもしれない。それくらい彼女のフットワークは軽い。
「そう……」
「ところで、あなた、最近話題のオーキスさんよね? 今、私、魔法学生の人達の故郷について調べて回ってるんだけど……」
「そういうことなら、お礼に何か話をしたいところだけれど、私の故郷は今どうなってるかわからないから……、ごめんなさいね」
オーキスはそう告げると、シャリテに乗ってまた何処かへと走り去って行った。
******
その後、アメリ、ロゥロア、シャーロットの三人は様々な学生から話を聞いて周り、大量の情報を集めることに成功した。今後、それらの中からどの情報をピックアップするか、という作業に入ることになるのだが、それは広報部の中でも上層部の仕事である。ただ、その中でもアメリとしては、ロゥロアの提供したダルタニアの情報は間違いなく有用であると考えていた。
「さっきの映像魔法、もう一度使ってもらうことは出来ますか?」
「はい、それは構いませんけど……」
そう言ってロゥロアが呪文を唱え始めようとしたところで、アメリは止めに入る。
「あ、いや、今ここで、という訳ではなくて、また後日の話になるんですけど」
「後日?」
「もし、ダルタニアの記事を載せることになったら、せっかくだから『絵』があった方がいいと思って。あなたにもう一度映像を映し出してもらった上で、それを元に版画を作って載せたらいいんじゃないかと思ったんです。最近、美術講師に赴任したエルフのレイラ先生は風景が得意らしいので、あの人の前でその魔法を使った上で、それを見ながら下絵を描いてもらおうかと」
「な、なるほど……。分かりました、です」
ロゥロアとしては、そこまで自分の中のイメージ映像が多くの人々に知れ渡る形で使われることになるとは思ってなかったので、改めて自分の記憶が正しかったかどうか、脳内で再確認を始める。
「あと、シャーロットさん。本が完成したら、ぜひ新聞にも広告を載せたいんですけど、それもお願いして良いですか?」
「あ、はい、それくらいの仲介なら、お安い御用ですよ」
自分が「新聞部の人」扱いされてるのには微妙に釈然としない気分のシャーロットではあったが、何はともあれ、学園の人々の役に立つことに繋がるのであれば、彼女としても断る理由はなかった。
そして数ヶ月後、実際にハンドブックは完成し、巻末の「Special thanks」の欄にロゥロアとシャーロットの名前も刻まれることになるのだが、それはまた別の物語である。
ミラ・ロートレック(下図)は、幼少期に戦災孤児だったところをエーラムの関係者に拾われ、エーラムの下町に存在する孤児院に預けられた後に、魔法師としての資質を見出された魔法学校へと入学した少女である。
そんな彼女は今も自分にとっての実質的な「故郷」である孤児院には時折顔を出しているのだが、最近、大陸全土で戦火が激しくなってきたこともあり、自分と同じように戦災孤児としてその孤児院に引き取られてくる子供の数が増えていることを彼女は実感していた。彼等の多くは心が荒んでいるため、せめて彼等に、この世界で生きていくための「夢と希望」を与えるような「紙芝居」を見せたいと考えた彼女は、赤の教養学部の学友達から協力者を募ることにした。
******
ミラが最初に声をかけたのは、極東出身で園芸部所属の
テリス・アスカム
である。彼女がかつて長期入院していた頃に、異界の「とある小説」に没頭していたという噂を聞いたミラは、テリスのことを文学少女だと思い込み、その想像力を生かした紙芝居を作れるのではないかと期待したのである(それに加えて、最近彼女は年少組のビートになつかれている、という噂から、少くとも子供嫌いではないだろう、という憶測もあった)。
だが、それに対するテリスの返事が、いい意味で意外な返答だった。
「そういうことなら、私の実家に代々伝わる話を紙芝居にしましょうか?」
「実家? ということは、極東の?」
「はい。まぁ、その、こっちの地域では馴染みがない言葉は、ちょっとアレンジしようと思ってますけど。内容は『弱いものを見捨ててはならない』という実家の教訓を込めた話です」
「なるほど。弱いものが打ち捨てられがちな今の世の中に絶望した子供達への情操教育という意味でも、まさにうってつけね」
実際、テリスがこの話にしようと思ったのは、孤児院の子供達の境遇が、実家が滅びて難民として各地を放浪していた頃の自分と似ていると思ったからでもある。だからこそ、その頃の自分の精神を支え続けた物語を子供達にも伝えたい、というのは、彼女の中では自然な発想だった。
テリスは自室に帰ると、さっそくノートを広げて紙芝居の構想を練り始める。そんな彼女に対して、ルームメイトのアカネ・アスカム(出典:
「極東少女の日常回想」
)が問いかけた。
「何をしているんですの?」
「ちょっと、孤児院の子供達のために紙芝居を作ろうと思って……」
「まぁ、なんて尊きお志ですこと。そういうことなら、ぜひ私にもお手伝いさせて下さいませ」
「じゃあ、下絵が描き終わったら、色塗りを手伝ってもらえますか?」
「はい、よろこんで!」
アカネはテリスのやることに対しては基本的に肯定的であり、積極的に協力することが多いが、その裏でアカネが何を考えているのかは、テリスはまだ知らない。
******
次にミラは手芸部へと向かった。以前、手芸部の作ったぬいぐるみを孤児院にプレゼントする機会があり、その際の手芸部員達の印象から、きっと子供好きの者も多いと判断し、その中から協力者を募ろうと考えたのである。
だが、彼女が手芸部の前に到達した時、そこにいたのは見るからにガラの悪そうな雰囲気の
レナード・メレテス
であった。
「オメェ、ここの部員か?」
「え? いや、そうじゃないんだけど、あなたは……?」
「オレは、ここに同門のヤツがいてよ。そいつと約束があっから、活動が終わんのを待ってんだ。オメェも、ここに誰かダチでもいんのか?」
「えーっと、まぁ、その、ちょっと、お願いしたいことがあってね。下町の孤児院のことで……」
「孤児院関連の頼み事」というこの状況で、レナードの中の義侠心が疼き出す。困っている子供を助けるのは、まさにグッドヤンキーとしての矜持である。
「話を聞かせてもらおうか……。孤児院で、一体何があったんだ!?」
「あ、別に事件があったとかじゃなくてね。ただ、最近入って来た子供達が元気がないから、何かこう、勇気付けるような紙芝居とか作りたいな、と思って、それで協力してくれる人を……」
「紙芝居か、なるほどな……」
この時点で、レナードの中では「子供を勇気付ける物語」として、彼の故郷で出会った地球人のグッドヤンキーから聞いた武勇伝を思い出す。
(あの話には、オレもガキの頃に聞いて勇気づけられた。だが、紙芝居となると、オレは絵が描けねぇしな……)
「お待たせてしてしまったみたいで、すみません。今、おわ……」
「ノア! お前、絵、描けたよな!?」
「え? あ、まぁ、描けると言えば描けますけど……」
「そこのオメェ! その紙芝居大会、オレたちも参戦するぜ!」
急にそう言われたミラは、意外な宣言にやや戸惑う。
「あ、あなたが?」
「おう、任せとけ。最っ高にイカした伝説を聞かせてやっからよ! オレたちが!」
唐突にそう宣言したレナードの横で、ノアは訳が分からず戸惑う。
「あの、何の話ですか? 紙芝居って……」
「よし! 今からさっそく作戦会議だ! 体育館裏へ行くぞ!」
「いや、ちょっと、だから、一体何を……」
よく分からないままのノアを連れてレナードが走り去って行くのを、ミラは不安を抱きつつ見送るのであった。
******
続いて、ミラは高等教員のクロード・オクセンシェルナの研究室へと向かった。様々な異世界の書物に精通している彼ならば、何か子供向けの紙芝居に使えそうな題材にも心当たりがあるのではないか、と考えたのである。
ところが、彼女が研究室に到着した時点で、クロードは留守であった。どうやら現在、彼は所用で北の大国ノルドへと出張中らしい。
「急ぎの御用件ですか?」
留守中にクロードの研究室の管理を任されていた
テラ・オクセンシェルナ
がそう問いかける。その長身と落ち着いた雰囲気から、明らかに上級生(専門学部の学生)だろうと判断したミラは、少しかしこまった様子で答える。
「あ、いえ、ちょっと『紙芝居』を作る上の参考資料が欲しいな、と思ったんですけど……」
「紙芝居?」
「はい。戦災孤児の子供達を勇気付けるような、そんな紙芝居を作りたいと思いまして」
ミラのその話を聞いた時点で、テラの中で何かが思い浮かぶ。
(それなら、私にも出来るかもしれない……)
ここ最近、テラは今までの自分から脱却するために、意識的に「人と関わる機会」を増やそうと努力していたのだが、そのための方法論の一つとして、直接会話するだけでなく、「自分の創作物を見てもらう」という形での関わり方も可能なのではないか、という考えに至っていたのである。だが、実際に何らかの「創作活動」を始めようと思っても、具体的に何から手を付ければ良いか分からない状態であった彼は、「紙芝居」という可能性に、一つの光明を見出す。
「では、私にお手伝いさせて下さい」
「何か役に立ちそうな本に心当たりがあるんですか?」
「いえ、そうではなく、私が紙芝居を作って、その子供達の前で披露させて頂きたいのです」
そう言われたミラは、再び戸惑う。テラは確かに芸術家然とした人物のようにも見えそうな雰囲気ではあるが、子供向けの紙芝居を作れるような感性の人物かと考えると、やや不安が過る。
(まぁ、でも、さっきの子よりは、よっぽどまともな紙芝居を作ってくれそうではあるわよね)
そう判断したミラは、そのままテラに作成を依頼した。そしてテラは彼女が去った後、具体的にどんな物語を描くべきか、一人静かに悩み始んだ末に、最終的には「自分の過去の明るい側面」を題材とした物語を作ろう、という考えへと至ることになる。
******
その後、ミラは講義終了後の友人達に声をかけるべく、校舎の入口で出待ちし、そして実際に見つけた面々に声をかけていくが、どうやら今日の講義で大量の課題を出されたようで、皆、あまり他事をやっている余裕は無さそうな様子であった。そんな中、たまたまその場を通りかかった海洋民の
メル・ストレイン
は、横から聞こえてきたミラの話に興味を抱く。
(子供達のための紙芝居か……、作ってみたいけど、アタシは面白い話とか、特に思いつかねえしな……)
メルがそう思いながら、声をかけるべきか迷っているところで、テラの義弟である
ジャヤ・オクセンシェルナ
がミラの前に現れた。
「孤児院での紙芝居の件、汝(なれ)に話を通せば良いのか?」
「え? あ、うん、そうだけど、あなたも協力してくれるの?」
「あぁ。さきほど、兄様(あにさま)から話を聞いた。最近、出張購買部で読んだ小説に感動して、吾(あ)も自分で物語を作り始めていたところだったから、この機会にその物語を形にしてみたい。きっとそれはTRPGの練習にもなるであろうしな」
ちなみに、その小説の作者は「アネルカ・ボワ・ロマシェ」である。
「ただ、初めてのことなので、期限までに吾一人で作れるかどうか、確証はないのだが……」
彼がそう口にしたところで、メルがジャヤの前に現れた。
「あの! そういうことなら、アタシに手伝わせてくれないか!」
「汝は?」
「アタシはメル・ストレイン。一応、絵も描けるし、読み上げも多分出来る。でも、どんな話を作ればいいか分からなくて、それで困ってたんだ」
「ほう、なるほど。では、ぜひ協力をお願いしたい。吾はジャヤ・オクセンシェルナだ」
「あぁ、よろしく頼むぜ、ジャヤ先輩!」
こうして、四組目の挑戦者が名乗りを上げることになった。そして、ミラは彼等の参戦を歓迎しつつ、一つ気になったことをジャヤに尋ねる。
「ところで、今言ってた『TRPG』って、何?」
******
ジャヤからTRPGについて簡単な説明を受けたミラは、強い興味を示す。そして、物語を作って演じるゲームということは、おそらくそのTRPGに関わっている他の面々からも協力者が得られるのではないかと考えた彼女は、最近、
エト・カサブランカ
が教室の一角で友人を誘ってTRPGを遊んでいるらしい、という噂を聞き、その現場へと向かうことにした。
すると、そこにはルールブックを片手に
ゴシュ・ブッカータ
と
ルクス・アルティナス
にキャラメイクの手解きをしているエトの姿があった。
「あなたが、エト君?」
「は、はい……、エト・カサブランカです。えとえと……、何か、御用でしょうか?」
やや困惑した様子のエトの横から、ゴシュとルクスがミラに声をかける。
「もしかして、あんたもTRPGに興味あるん?」
「新プレイヤーなら、歓迎するのだ!」
三人がそう反応したところで、ミラはTRPGそのものにも興味を示しつつも、ひとまずは本題である紙芝居の件を彼等に伝える。
「……ということで、出来れば子供達に夢と希望を与えるような紙芝居を作ってくれる人を募集してるんだけど、どうかな?」
ミラのその問いかけに対し、最初に反応したのはゴシュであった。
「それやったら、この『ウタカゼ』がちょうどええんちゃう?」
彼女はそう言って、エトが持っているルールブックを指差す。
「確かに……、もともと絵本のような世界観ですし、題材にしやすそうですね……」
「ウタカゼの紙芝居作るなら、ルクスも手伝うぞ!」
三人はエトが持っている『ウタカゼ』のルールブックを見ながら、口々にそう呟く。これはエトが図書館で発見し、これから彼女達を相手に遊ぼうと思っていたTRPGである(みながくdiscord「図書館」6月11日)。
「その『ウタカゼ』ってのが、TRPGなの?」
「せやで。小さい子でも分かりやすい雰囲気の話やし、この世界を舞台にした話やったら、ウチも何か作れそうな気するわ」
ゴシュがそう答えると、エトとルクスも賛同する。
「じゃ、じゃあ、話を作るのは、ゴシュさんにお願いします。僕は、その、絵を描く方で」
「ルクスも、言ってくれれば何でもやるのだ!」
「ほな、決まりやな。そんで、せっかくやから、お姉さんも一度、一緒に遊んでみいひん? 面白いで、TRPG」
「そ、そうね……、確かに、ちょっと面白そうだし……」
こうして、この日は『ウタカゼ』のサンプルシナリオ1〜3を存分に楽しんだ四人であった。
******
(遅くなっちゃったなぁ……。でもまぁ、楽しかったし、紙芝居作ってくれる人も沢山見つけたし、今日は有意義な一日だったわ)
すっかり暗くなったエーラムの夜道をミラが歩いていると、学生街の一角で、奇妙な装束の少女が樹木に祈りを捧げている姿を発見する。
(あの子はたしか、「マレビトの子孫」と自称してる子よね……)
その少女の名は
ヴィルヘルミネ・クレセント
。まだ9歳だが、年の割には落ち着いた物腰で、異界や投影体の知識に詳しい、という噂を聞いたことがある。
(年齢的には、むしろ「紙芝居を聞く側」に近いけど、でも、あの子達に感性が近い子の方が、あの子達の心に響く物語が作れるかもしれない……)
そう考えたミラは、彼女に声をかけてみることにした。
「あなた、ヴィルヘルミネさんよね?」
「はい、そうですけど、あなたは?」
「私はミラ・ロートレック。実は今、孤児院の子供達のために紙芝居を作ってくれる人を探しててね。あなたが『異界の物語』とかに詳しいって聞いだんだけど、どう? 協力してくれない?」
そう言われたヴィルヘルミネは、即座に考え込む。
(孤児……、おうちも家族も無くした子供たち……)
彼女はしばらく思案を巡らせた後、にっこりと笑う。
「それなら、わたし、良いお話を語れますよ!」
「ホント? それって、どこの世界のお話?」
「あ、いえ、異界の話ではないんですけど……、たったひとり、着の身着のままこの世界にやってきた女の子の、出世物語なんていかがです?」
「なるほど……、それもそれで面白そうね。あの子達も、それぞれの地方から、一人でこの街に連れて来られたという意味では、似たような境遇とも言えるし」
「はい! 新しい土地で生きていくことへの希望をもってもらえるような、そんな紙芝居にしたいです」
ヴィルヘルミネはそう言うと、さっそく構想をまとめるために家路に就く。ミラはそんな彼女の小さな背中から、なぜかとても頼もしそうなオーラを感じ取っていた。
******
そしてミラがヴィルヘルミネを見送り終えたところで、唐突にミラに声をかける少年が現れた。
「ねえねえ、お姉さん。紙芝居作るんだって?」
「え? あ、あなた、何なの? その背中の……」
「あぁ、これ? これは、こないだの戦闘訓練の時に使ったやつ、いい加減にそろそろ持って帰れって言われたから」
アツシは先日の戦闘訓練の終盤で唐突に会場から姿を消していたため、職員達もどう処理すれば良いのか分からずに困っていたらしい。ちなみに、そのうちの何本かには、ワトホートとオーキスの血の痕がついている。
「そんなことよりさ、今、紙芝居作るって話してたじゃん! 俺、とっておっきの話があるから、それを紙芝居にしたいんだけど、どうかな?」
目を輝かせながらそう訴えるアツシを見て、先刻のヴィルヘルミネ同様、彼も彼で「子供ならではの感性に響かせる作品」が作れるかもしれない、とミラは考えた。
「どんな話なの?」
「俺の故郷で放送されてたコメディ戦隊シリーズ『卑劣戦隊タケノコンジャー』の中でも、特に神回って呼ばれてる話なんだけどさ」
まずこの時点で、聞き慣れない単語が多すぎてミラは困惑する。そこからアツシはストーリーの解説を始めるが、世界観も登場人物紹介もないままに物語の台詞だけを並べていくため、まったく物語が頭に入ってこない。
「……でさ、そこで言うんだよ。『竹の子のない場所でこのレベルの竹を生やすとは……!』って、いやー、もう、これは戦隊シリーズに残る名台詞だよな!」
当然、何がどう名台詞なのかも、ミラにはさっぱり分からない。ちなみに、現在アツシが背負っている竹槍を使った、先日の戦闘訓練の際の「竹槍落とし穴」はこの作品で使われた必殺技らしい。
「そして最後はいつもの決め台詞『卑怯??ノンノン。勝てば正義、負ければ悪。勝てば卑怯じゃあないんだよぉ!!』で、ビシッとカッコよく決めるんだ! な? これ、紙芝居にしたら面白そうだろ?」
「あ、ごめん、大丈夫。よくよく考えたら、もう六組も集まってるから、これ以上増やしても、多分、時間足りないわ。うん、ごめんね」
「そっかぁ。まぁ、尺の都合なら仕方ないな。また放送枠が空いたら、いつでも呼んでくれよな!」
こうして、最後によく分からない余韻を残されたまま、ミラは家路に就くのであった。
******
そして数日後、孤児院の子供達に紙芝居を見せる日がやってきた。第一陣を務めるのは、テリスとそのルームメイトのアカネである。
「さぁ、皆さん、今から楽しい紙芝居が始まりますわよ! とくとご覧くださいまし!」
アカネが子供達に相手にそう宣言するが、子供達の反応はすこぶる悪い。大半はうつむいて口ごもった様子だが、中には明確な敵意の視線を向けている者もいた。どうやら、アカネの令嬢口調が「偉そうな奴」に見えて、彼女の立ち振舞い方が、自分達を踏み躙った貴族階級とオーバーラップして見えてしまったらしい。
そんな空気にアカネが戸惑っている中、テリスは紙芝居を設置し、そしてアカネはテリスが読み上げに専念出来るように(という名目で)彼女に身体を密着させて、ボードの切り替えを担当することにした。
「むかしむかしあるところに、とても貧しい家族がいました。その家族は、毎日みんなで仕事をしても、食べていくだけでやっとの生活でした」
そこに描かれていたのは、放浪時代のテリスの記憶に基づいた極東の風景である。大半の子供達にしてみれば見慣れぬ雰囲気の家屋や装束であったが、それはそれで彼等にとっては新鮮な絵面であり、それなりに興味を引きつける。
「ある日、その家族は道端で壊れている石像を見つけます」
テリスがそう言ったところでアカネがボードを切り替えると、二枚目の極東の宗教的偶像の一つである「地蔵」が現れる。ただ、「地蔵」という言葉ではこの地方の子供達には通じないだろうと判断したテリスは、あえてそれを「石像」という表現へと置き換えていた。
「その家族は貧乏なので、とても町で石像さんを直してもらえる程のお金は持っていませんでした。とはいえ、見捨てられて壊れてしまった石像さんがあまりにかわいそうだと思い、みんなで悩んだ末、壊れた石像さんを供養し、自分たちで新しい石像さんを作り、祀ることにしました」
「供養」という概念もこの地方の子供に通じるかは微妙だったが、大陸西方における適当な言葉が見つからなかったのか、あえてそのまま表現した。ただ、子供達の反応を見る限り、なんとなく雰囲気は伝わったようである。子供の言語吸収能力は存外高い。ましてやそこに「絵」が加わることによって、飛躍的に理解力は上昇する。
「その後、家族みんなで、山で石や木を採って石像さんを彫り、石像さんを祀る小屋を作り、みんなの食事を少し減らしてお供え物を作りました。かなり不細工な石像さんで粗末な小屋しか作れませんでしたが、その家族は毎日お供え物を欠かしませんでした」
石像の前に食べ物を供える、という行為に関しては、意味が理解出来た子供とそうでない子供が混在していたようだが、石像に魂が宿っていると想像すること自体(実際にガーゴイルなども存在する以上)、この世界ではそこまで突飛な発想でもない。そこに宗教的意図があろうと無かろうと、「そういう行為」自体をそこまで不自然に考える者は少なかった。
「すると、ある日の朝、家の玄関の前にパンや野菜、少しばかりの財宝が置かれていました。そのはるか彼方には、自分たちで作った石像が歩いている姿が見えました」
なお、この「パン」も原案では米だったのだが、「馴染みがないだろう」という判断でパンに置き換えられた。
「その後、この家族は道端の石像さんの加護を受け、末永く幸せに暮らしましたとさ。おしまい」
テリスがそう語り終えたところで、アカネが盛大に拍手をすると、子供達の何割かは釣られて手を叩き始める。中にはまだ冷めた目のままの子供もいたが、少なくとも一定数の子供達は彼女の描き出した物語世界に入り込んでいた。
(とりあえず、場を暖めるための第一陣としては十分な内容だったわ。ありがとう、二人とも)
子供達の後ろで見ていたミラは内心でそう呟きつつ、次の紙芝居の担当者を迎え入れることにした。
******
続いて登場したのは、ノアとレナードである。レナードは当初、自分が子供の前に出ると子供が泣くのではないかと思い、読み上げはノアに任せようと考えていたのだが、ノアに促されたこともあり、あえて一緒に出ることにした。
案の定、子供達はレナードの外見に対してビクついた様子ではあったが、ノアは笑顔で紙芝居を読み上げ始める。
「むかしむかし、平和なエルフの人々がくらす王国がありました」
ノアがそう言って読み上げ始めながら最初のボードを見せると、そこにはファンシーな雰囲気の「エルフの王国」が描かれている。実際のところ、本物のエルフ界の光景など、この場にいる誰も見たことはない訳だが、このアトラタン界に住む子供達にとっては、エルフ界は「もっとも馴染みの深い異世界」の一つなので、その物語設定自体は子供達にも伝わりやすい。
「しかし、ある日、そこに悪いヤンキー、バッドヤンキーが現れて、改造チャリオットに乗って森を荒らし回りながら、エルフの人々を相手にカツアゲをはじめてしまいました。それを断ったエルフの人達は、次々とヤキを入れられてしまいます」
そう言いながら掲げた次のボードには、レナードが語っていた「異界の物語」をノアなりに子供向けにアレンジした上で、ほどほどに可愛らしくデフォルメされたバッドヤンキーの姿が描かれている。なお、「カツアゲ」「ヤキ入れ」という言葉に関しては、詳しく説明すると生々しくなるため、あえて「なんとなく悪そうな行為」という雰囲気だけで押し切ることにした。
「そこに、正義のヤンキー、グッドヤンキーが現れます。『まてー、おまえらー! ダセえことしてんじゃねーぞー!』」
ノアは頑張ってヤンキーっぽい口調で読み上げるが、今ひとつ緊張感が足りない。その直後、レナードがバッドヤンキーの台詞を全力で読み上げる。
「あぁぁぁぁ!? なンだぁ、テメェ!? ドコ中だゴルァ!?」
その迫真の演技で一気に子供達が恐怖に震え上がるが、ノアはそれに対して懸命に叫び返す。
「俺はグッドヤンキー、シン・サエバ! オメェらみてーな悪いやつは、ヤンキーの名折れだ! オレの『伝説の左』を出すまでもねー! くらえー! マッハキーーーーーーック!」
「ぐはぁぁぁぁぁぁぁ!」
レナードはそう叫びながら、実際にその場に倒れることで「バタッ」という効果音も演出する。そんな彼の迫真の演技のおかげで、子供達はすっかりヤンキー紙芝居の世界に引きずり込まれていく。
(最初はどうなることかと思ったけど、ちゃんと子供達を楽しませようと頑張ってくれてるのね。やっぱり、人は見た目によらない、か……)
ミラはそんな想いを抱きながら彼等の様子を見守りつつ、そのままバッドヤンキーのケツモチである「目玉がいっぱいある邪神」をグッドヤンキーがブッ飛ばすところまで、しっかりと見届けるのであった。
******
なんだかよく分からない異様なテンションに包まれた子供達がやや興奮状態のままヤンキー物語の絵本を聞き終えたところで、今度は全く一変して静かな雰囲気のテラが現れる。
「これは、とある農村に生まれた『奇跡の子』と呼ばれた少年の物語です」
落ち着いた声でそう告げた上で彼が掲げたボードには、彼の故郷をモデルにした美しい農園の風景が描かれていた。
「その村は、川のせせらぎに包まれ、大地の恵みにあふれ、たくさんの麦や野菜が実る、とても豊かな村でした。その村の村長の末の子供として生まれた少年は、両親と、五人の兄と、三人の姉から愛を注がれ、幸せに暮らしていました」
そこに描かれていたのは、幼少期のテラ自身と、彼の家族である。子供向けのかわいらしい絵柄で描かれていたノアのボードとは対象的に、当時の自分の記憶に忠実に、彼にとっての「幸せだった光景」描かれている。
「ただ、その少年は、勉強は得意でしたが、あまり身体は丈夫ではありませんでした。成長してもそれは変わらず、畑仕事も、家畜の世話も、他の兄弟達のように手際よく進めることは出来ませんでした。それでも、村の人々の間では、『この子が笑うと野菜の育ちが良くなる。動物も健やかになる』という噂もあって、皆が彼を愛してくれました」
テラの描く絵は写実的ではあるが、そこに描かれている村人達の笑顔からは、ただの情景描写という枠に収まらない、彼が実際に体感した村人達の「あたたかさ」が感じ取られる。
「彼はそんな旅人達の愛に応えるために、自分に出来ることはないか、と考えて、村を訪れる旅人達から色々な話を聞いて、農業に関する知識を集めていきました。そして、彼が12歳になった時、村の農業に『革命』が起きました。彼は今まで書き留めていた情報を元に、この村を豊かにするための新しい農法を村の人々に伝えたのです。最初は半信半疑だった村人達も、彼の言葉を信じてその提案を取り入れてみた結果、作物は以前にも増して豊かに育つようになったのです」
ここまでは、テラ自身の物語である。実際にはこの後、テラにとっての「忌まわしい記憶」が始まることになるため、つい最近までテラは、この「幸せだった時代の記憶」をも封印しようとしていた。しかし、学友達との交流を経て少しずつ「本来の自分の心」を取り戻しつつある彼は、それまで全否定しようとしていた自分の過去の中にも「楽しかった時代」が確かに存在した、という事実を受け入れるようになっていたのである。
「村人は彼のことを『奇跡の子』と呼び、彼はそのまま村でいつまでも家族と共に楽しく暮らし続けたのでありました」
彼はそう言って物語を締めた。あくまでもこれは「子供達に夢と希望を与えるための紙芝居」である以上、自分の過去の傷まで子供達に押し付ける必要はない。逆に言えば、このような形で自分の過去の中にも確かに「子供達に夢と希望を与えられるような時代」があったということを思い出せたことは、彼にとっても大きな収穫であった。
(地味ではあるけど、普通にいい話ね。そして多分、これはこの人自身の物語が元になっているんだろうな……)
テラのことをよく知らないミラでもそう思えるくらい、テラの描いた「主人公」の姿からは、テラ自身の子供時代を想起させるような雰囲気が漂っていた。そして、最後のボードで「未来の少年」の周囲に描かれていた「幸せそうな笑顔で彼と共に微笑む新たな村人達」の姿は、どこか「今の彼の家族」や学友達を想起させるような風貌であった。それがテラの中で、意識的に描かれた演出なのか、無意識のうちにそうなってしまった結果なのかは不明である。
******
そんなテラに続いて、彼の義弟のジャヤとメルが現れる。ジャヤは義兄に軽く会釈した上で入れ替わるように子供達の前に立ち、そしてメルがボードを掲げると、ジャヤが物語を読み上げ始める。
「あるところに、親や先生の言いつけをよく聞く優秀な子供がいた。その子供は誰からも嫌われず、楽しい生活を送っていた」
ここまでの三組は、いずれも「です・ます調」の語り口であったが、この二人はいずれも「正しい敬語の使い方」が分からないため、あえて「素の口調」に近い喋り方のままナレーションをすることにしたらしい。
「しかし、その子供の心の中には意地悪な『怪物』が住んでいた。その怪物は、子供が親や先生から褒められると、いつも子供に対して語りかけてくる。『そんなに大人たちに気に入られたいのか』と、嘲笑うように語りかけてくるのである。だが、子供はそんな怪物の声など聞こえないふりをして、『良い子』を続けていた」
ちなみに、ボードの中に描かれている「子供」に関しては、少年とも少女とも解釈出来るような描かれ方になっていた。おそらくこれは、男子にも女子にも共感してもらえるように、という配慮なのであろう。そして、「怪物」に関しても、何者とも解釈出来そうな「黒い影」として描かれていた。
「ある時、その子供の住む村に、嵐がやってきた。村人達が高台へ避難しようとする中、その子供にとっての大切な友達が、荒れ狂う川に落ちてしまう」
ここで、メルが「子供役」として台詞を叫ぶ。
「助けに行かなきゃ! このままじゃ、あの子が死んじゃう!」
それに続けて、ジャヤがそのままナレーションを読み上げる。
「だが、大人達はその子供を止める。もう助けられないと判断した大人達は、これ以上の犠牲者を増やしたくなかった。その子供にも、その考えは理解出来る。でも、友達を見捨てたくはない。そう思っていたところで、再び『怪物』が語りかけてくる。『そうやって、また大人たちの言いなりになるのか?』」
ここから、メルとジャヤは掛け合いのように台詞の応酬を始める
「違う! そうじゃない! だって、仕方ないじゃないか! 行っちゃダメって言うんだから……」
「だから、友達を見捨てるのか?」
「見捨てたくはない! でも、お父さんも、先生も、みんなが……」
「友達よりも、大人たちに気に入られる方が大事なのか?」
「うるさい! お前に何が分かるって言うんだ! お前はそもそも誰なんだ!?」
「何もかも、お前のことは全部分かっているさ。他の誰よりも」
「え?」
「いつだって、ずっと一緒にいたんだ。もう分かっているだろう? 自分の心に語りかけてくる奴なんて、他にいる訳がない」
「まさか……」
二人の熱演に場の空気が盛り上がる中、ジャヤはナレーション口調に戻る。
「ここで子供は気付いた。今までずっと自分の中で語りかけていたその『怪物』の正体は、自分自身の声だったのだ。自分の中の『大人たちの言いなりになっている自分』を嫌う自分の心が、ずっと自分に対して忠告していたのだということに気付いた子供は、その怪物の存在を受け入れて、大人たちの手を振り切って、川に飛び込んだ。そして、無事に友達を助け出すことが出来たのであった」
ジャヤがそこまで読み上げて、無事に助かった子供と友達のボードを掲げたところで、会場内には盛大な拍手が湧き上がる。ここまでの三組を経て「物語世界に入り込む楽しさ」を実感しつつあった子供達が、ようやく本格的に自分の感情を表に出せるような雰囲気が醸成されつつある、そんな空気をミラは実感していた。
(まぁ、ちょっと言葉遣いが難しかったところもあるけど、話自体はシンプルだし、みんなの心にも響いたみたいね)
ちなみに、ジャヤの当初の原案ではもっと古風な言い回しを多用した語り口調だったのだが、メルからの助言を受けて、普通の子供にも理解しやすい内容へとブラッシュアップされた結果、このような作品に仕上がることになった。読み上げの形式に関しては、当初は「地の文」も交互に読み上げるという案もあったのだが、直前のノアとレナードの演劇風の掛け合いを見て、「むしろ、この形式の方が自然に盛り上がるのでは?」と判断した上で、このような形式へと切り替えたのである。
ジャヤとしては「自分の醜い部分や恐ろしい部分と向き合い、自分で考えて行動することの大切さ」を教訓として伝えたいと思って作り上げた物語が、このような形でしっかりと子供達に受け入れられたことに深く感動し、会場を後にした後に、改めてメルに対して心から感謝の意を伝えるのであった。
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こうして場が本格的に温まってきたところで、次はゴシュ、エト、ルクスの三人に出番が回ってきた。原本である『ウタカゼ』の淡い雰囲気を意識した表紙絵を見せた時点で、子供達はさっそく興味津々な様子で前のめりになり始める。
「今から始まるのは、『コビット』と呼ばれる小さな人達が、ネズミさんやリスさんやカエルさん達と楽しく暮らしている、そんな世界のお話です」
ゴシュはそう言って、ゆっくりとボードをめくりながら物語を読み上げ始める。
「とある森の中で、7人のコビットとリスちゃんが一緒に暮らしていました。コビット達は森に狩りへ行くために出かけており、リスちゃんが1人で家で待っていました。すると、ドアを叩く音がして、誰だろうとリスちゃんがみにいくと、黒いローブを被った動物がいました」
そのローブの内側は黒く塗りつぶされており、その正体は分からない。そして、ここでエトがその「謎の動物」役としての台詞を読み上げる。
「お嬢さん。道に迷ってしまってね、森から出るにはどっちに行ったらいいのかい?」
それに対して、今度はルクスが「リス役」として答えた。
「森の外はあっちの道ですよ」
「ご親切にありがとう。ところで、お嬢さんリンゴは好きかい?」
「好きですよ」
「よかった。では、お礼にリンゴをあげよう。このリンゴはとっても美味しいんだよ。一口かじってごらん」
エトとルクスは、いつもの自分とは明らかに異なる「慣れない口調」ながらも、TRPGでの経験のおかげか、噛むことも吃ることもなく、スラスラと台詞を読み上げていく。そして、再びゴシュのナレーションへと戻った。
「そう言われてリンゴを一口かじります。すると、リスちゃんは床に倒れてしまいました」
ここで、倒れたリスのボードを見せたところで、そこまでの平和な雰囲気から一変して、エトがまるで別人のような声で語り始める。
「ふふふ、バカな子だねぇ。そのリンゴは毒リンゴだっていうのに……」
まるで本物の二重人格者であるかのようなその変貌ぶりに子供達は本気で恐怖するが、ゴシュの方はそのまま淡々と語り続ける。
「そう言って、ローブをかぶった動物は部屋を後にします。そして、コビット達が狩りから帰って来ると、リスちゃんが家の中で倒れているのを見つけます。あわててコビットの1人が持っていた解毒草をリスちゃんに飲ませました。また他のコビットは自分の持っていたハチミツをリスちゃんにあげました。コビット達が心配そうにリスちゃんの様子をみていると、やがてリスちゃんは目を覚まします」
ここで、再びルクスが台詞を読み上げる。
「みんな帰ってたのね……、あれ? 私何でベットで寝てるのかしら?」
目を覚ましたリスの絵を見て、子供達がホッと笑顔を浮かべるのを確認しつつ、ゴシュは次のボードに切り替えた上でナレーションを続ける。
「リスちゃんは何が起きたのか分からず、不思議そうな様子でした。倒れていたことをコビットが話すと、リスちゃんはとても驚きました。心配したコビット達は『次に知らない人が来たら、この笛を吹いて』と小さな木の笛をリスちゃんに渡しました」
この時点で、ボードには「木の笛」の絵がアップで描かれる。ちなみに、この笛もまた、『ウタカゼ』に描かれていたイラストを参考にしたものである。
「それから数日後、いつも通りコビット達は狩りへと出かけてリスちゃんが家で待っていると、また誰かがドアを叩いたので、リスちゃんはドアを開けると、そこにはローブを着た動物がいました。笛をもらっていたリスちゃんはその笛を吹くと……」
ゴシュはそこまで読み上げたところでボードを切り替えると、そこには唐突に二つの「選択肢」が提示されていた。彼女はそれを読み上げる。
「『1番、コビット達が動物の着ているローブのフードを外す』『2番、コビット達がローブを着た動物を倒す』、さぁ、どっちがいい?」
まさか紙芝居を見ている途中でそんな投げかけをされるとは思っていなかった子供達は、当然戸惑う。だが、そんな中で、一人の子供が叫んだ。
「じゃあ、1番!」
その声に応じて、エトが「1番ルート」の紙芝居の続きをゴシュに手渡すと、ゴシュはそれを皆に見せながら物語を読み上げる。
「笛の音を聞いて駆けつけたコビット達が現れて、後ろからローブを剥ぎ取りました。すると、そのローブの下にいたのは、イタチでした」
イタチという生き物は、リスに比べるとやや知名度は低く、子供達の中には初めて聞く者もいたが、そこに描かれたイラストから、なんとなくどんな生き物かは伝わったようである。そして、話はここから更に展開され、何度かの分岐を経た後に、最終的には「友達のいたリスちゃんを羨ましく思ってたイタチちゃんとも、無事に仲良くなれました」という結末へと物語は紡がれていく。子供達は「自分達の選択で物語が変わる」という新鮮な歓びに湧き上がる。
「な? みんなで一緒に物語を作るって、楽しいやろ? こういうのをもっと本格的に遊べるTRPGっていうゲームがあるんや。もしよかったら、今度またそれも一緒に遊ぼうな」
最後にゴシュはそう告げて、エト、ルクスと共に笑顔で去って行く。
(確かに、これはアリかもしれないわね……。孤児院の院長先生にお願いして、何か一冊仕入れてもらおうかな……)
いつの間にか、ミラもそんな気分にさせられていた。
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そして、トリを務めるのはヴィルヘルミネである。彼女は祖父から聞かされていた「マレビトだったおおばぁちゃんの話」を語り始める。そこには、ヴィルヘルミネの「髪飾り」とよく似た耳を持つ少女が描かれていた。
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ヴィルヘルミネの紙芝居 |
むかしむかし、今から百は遡ったころ。
深い森の中のとある村に、ひとり、異界の少女が投影されました。
少女の名はニータシィリ。うさぎの如く長い耳と、おそろいのふわふわのしっぽを持った、人間とは似て非なるヒトでした。
「みんなお耳がつるつるです。
しっぼもないように見えます。」
「わたしがここではへんなのね。」
当初は投影体として警戒していた村の人々も、ニータが十ばかりの幼いこどもであったため、畑の手伝いをすることを条件に、彼女を村に住まわせることにしました。
「こんなくらい、いくらでも、です。」
ニータは真面目に働きました。
元々人間よりも力持ちな種族であったようで、大人に劣らないくらい仕事をこなします。
また彼女の異界の力は、植物を病気から守ったり、元気にしたりと役立ちました。
ニータはすぐに村の働き手として受け入れられました。
「やまいはあっちいけ。かわいい双葉、元気になぁれ。」
ある日のこと。
村の畑が獣に荒らされるという事件が起きました。
ニータは怒りました。
「みんなで、わたしたちで、せっかく育てた作物なのに!!」
その日の夜、ニータはひとり、畑の番をしていました。
餌の在処を知った獣は、また食事にやってくるはずです。
月がてっぺんに上る頃、予想通り、大きな猪が姿を現しました。ニータには見上げるほどの、正に森のヌシと言うべき相手でした。
それでもニータは怯みません。
「こんなのならあげますよぉ!!」
突進してきた相手に対し、異界の力でどこからともなく大樹を生み出し、鼻っ面に叩きつけて倒してしまいました。
翌朝の村人達の驚き様と言ったら!!
ああ、でも、ヌシを倒した代わりに、大木を畑に生やしてしまったため、褒められたと同じくらい叱られてしまいました。
ニータのヌシとの戦いは、その土地を治める君主さまの耳にも入りました。
「ニータシィリ、我が領の客人。
君の力を、是非私に貸してほしい。」
街におつかいに行ったニータを館にまねき、君主さまは言いました。
「近頃、街の近くの街道で、旅人が野犬の群れに襲われる被害が何度も出ている。
ただ、調べたところ、どうも群れの頭は普通の野犬ではなく、混沌による化け物の可能性が高い。」
「混沌の子ながらも人間の友である君に、その獣退治に参加してもらいたい。その功績で、君が化け物ではない証明にしてみせよう。」
「みんなこの耳を怖がるものね。
君主さまが隠さなくて良いって言ってくれたら、きっと街をもっと楽しめる、ですよね?
よろこんでお手伝いします!」
そして討伐の日。
もちろん主となるのは君主さまやその配下の魔法師、兵たちですが、ニータも一緒に森の痕跡を探します。
直にねぐらをみつけ、戦いとなりました。ニータも後方で、君主さま達を助けます。
ニータの異能により現れる木々は、野犬たちに絡み、弾き、阻み、留めて。味方たちのよき盾となりました。
全てが終わったあと、君主さまは投影体のニータを領民として認めるとお触れを出しました。
「ニータ、君は森の村で暮らすことが好きなのだろうと思うが。どうだ、今回のように、わたし達と一緒に人々を護る仕事をしないかい?」
「そうですね・・・とりあえず、わたしは村に帰ります。
けと、いつでも呼んでくださいな。
いくらだってお手伝いします、我が主(マイロード)!!!」
そうしてニータは、君主さまの配下として、いくども冒険のお供をしましたとさ。
これは、『城塞うさぎ』『堅牢なる森人』などと語られる少女のお話。
ひとりぼっちの少女が、今なお慕われるヒーローとなった、そんなお話。
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祖父から聞いた物語を元に、心を込めて描いたボードを次々と展開させながら、時に淡々と、時に感情的に、抑揚をつけてテンポ良く語り続けるヴィルヘルミネの語り口調に、子供達は真剣に聞き入る。そして、最後の一節を語り終えたところで、子供達は皆、満面の笑みを浮かべながら、盛大な拍手を送る。物語の内容そのものの面白さに加えて、自分と大差ない歳の少女がここまでの紙芝居を見せてくれたことへの感動が、彼等の中の何かを突き動かしていたのだろう。
そして、前の方で見ていたおとなしそうな女の子の一人が、ヴィルへルミネの元へとトコトコと近付いて行った。
「あの、紙芝居の作り方、教えてくれませんか……?」
それに続いて、他の子供達も動き出す。
「オレも! オレの地元の話とか、紙芝居にしたい!」
「私も、お母様から聞いたご先祖様の話を、みんなに伝えたいです!」
「ぼくは、ぼくの考えた最強のヤンキーの話を描きたい!」
こうして、ミラが全く想定していなかった形で子供達が盛り上がっていくのを目の当たりにしたミラは、少し涙ぐんでいた。
(良かった……、本当に良かった……、子供達が元気になってくれて……。本当に、ありがとうね、みんな……)
******
その後、ミラは手伝ってくれたお礼に(孤児院の院長から貰った報酬で)食事をご馳走しようと、皆を連れてレストラン「多島海」へと向かうが、そこへ、「シャリテに乗った、ロシェルのような髪のオーキス」が現れた。
「あ、ロシェルさ……、え? オーキス、さん?」
両方と面識のあるテラが困惑した表情を浮かべると、レナードとノアも反応する
「え? お前、オーキスなのか!?」
「どうしたんですか? その髪?」
何人かがそんな困惑の表情を浮かべる中、オーキスは先刻アメリ達に説明した時と同じように、今の自分の外見を利用して、皆に「ロシェル」の行方を尋ねる。
「そういえば……、ロシェルさんは最近見てないですね……」
以前にラトゥナの学内案内で彼女と同行したエトはそう呟く。この時、オーキスは微妙な違和感を感じた。
(この子、たしかエトワール、と言ってたわよね……、あの森で会った時と、なんか随分雰囲気が違うけど……、まぁ、でも、それは私が言えた義理じゃないか……)
ひとまず、その場にいる者達が誰も心当たりが無さそうな様子だったので、オーキスは走り去ろうとするが、それに対してレナードが声をかける。
「待てよ! そういうことなら、オレも一緒に探すぜ! アイツとは、同じ釜のナスを食った仲だしな!」
レナードはかつて「ナスパ」に参加した際、ロシェルと二人で張り合いながら激辛麻婆茄子を食べていたことがある(みながくdiscord「喫茶マッターホルン」5月30日)。他にも様々な形で彼女との間に因縁を感じていたグッドヤンキーとしては、彼女が行方不明と聞いて黙っている訳にはいかなかった。
「でも、あなた、これから皆でどこかに行くんじゃないの?」
「それどころじゃねぇ! ノア! オレの分もまとめて、二人前食っとけ!」
「えぇ!? いや、それなら ボクも……」
「オメェの足じゃ、コイツに付いていけねぇだろ。足手まといなんだよ!」
レナードはシャリテを指しながらそう言い放つ。彼としては、何か危険な事件が発生している可能性があると考え、ノアを巻き込むことは避けたいと考えていた。そんな彼に対して、オーキスは冷静に指摘する。
「いや、あなたの足でも、シャリテには付いてこれないでしょ?」
「やってみねーと分かんねぇだろうが!」
「はぁ……、まぁ、いいわ。好きにしなさい。でも、ノアの気持ちも、もう少しちゃんと汲んであげなさいよ」
そう言って、シャリテとオーキスは走り去っていく。レナードは後を追うが、当然、追いつける筈もなく、途中で別の方向へと転換して独自にロシェルを探し始めることになった。
(まったく、あの二人は不器用なんだから……)
オーキスは内心でそう呟く。彼女はノアとも手芸部を通じて知り合いであり、ノアとレナードがよく一緒に光景は目撃していた。「男子同士」の割に妙に仲の良い二人に対して微妙な違和感を感じていたが、人造生命体であるオーキスの中では、そこはあまり大きな問題ではないのかもしれない。
「ここはバーじゃないんだけどな……」
喫茶「マッターホルン」の店長代理である
クグリ・ストラトス
は、カウンター席で長話を続けているエマ・ロータス(下図)と彼女の友人達の「恋バナ」を聞かされながら、そんな感慨に浸っていた。
赤の教養学部の学生である彼女は今、「とある男性」に恋をしているらしい。彼女は現在13歳。恋の相手が年上なのか年下なのか、学生なのかそうでないのか、といった話を聞かれても頑なに話そうとはしないが、そんな彼女に対して、友人達は告れ告れと囃し立てている。
「でも、仮に今告白して、付き合えたとしても、その後でどこに赴任するかも分からないんだよ? もしかしたら、敵同士になっちゃうかもしれないし……、そう考えたら、やっぱり、まだ自分のこれから先の人生も見えていないうちに、気楽に付き合うなんて、私には……」
彼女は自分に言い聞かせるようにそう言いつつも、明らかに割り切れてはいない様子であった。そんな彼女に対して、クグリは空いたカップに紅茶を注ぎつつ、助言する。
「いまは、その時を大事にしたほうがいいと思う。学生時代は何事も経験だよ」
実際のところ、それは彼女の一門の門主であるセンブロス学長の方針でもある。別に学生恋愛を推奨している訳ではないが、いずれ契約魔法師となった後には、自分の人生を自分で決めることすら難しくなるからこそ、学生の間くらいは「自分のための時間」を使えるようにしておくべき、という考えから、学生達の自由は極力認めるというのが現学長の方針だった。
「実際、学生の間はダメ、と言ったところで、契約した後も、戦が政治がと言い訳し続けることになるかもしれない」
「それは、確かにそうですけど……」
「ただ、その、色々なことにかまけすぎて、留年はしないようにね……」
二人がそんな会話を交わしている中、やがて彼女の友人達は(別に酒を飲んでいる訳でもないのに)絡み酒のように周囲の客にも同意を求め始める。
最初に声をかけられたのは、たまたま一番近くの席に座っていた、彼女と同門の
リヴィエラ・ロータス
であった。
「私は、本当に好きな人が出来たら、立場とか関係なく、想いを伝えたいと思いますし、どうしても仕方がない時は、魔法師の道を諦めても良いとも思っています」
その宣言に対して、エマは素直に感服する。
「凄いわね……、それに比べたら、私の想いなんて、全然……」
「あ、いえ、これはあくまで、『もし私に好きな人が出来たら』という話であって、今の時点でそこまで強く想える人がいる訳じゃないです。それに、あくまでこれは『私の考え』ですから、他の人に勧めるべきかと言われたら、そうは思いません。考え方は人それぞれですし、その考えに自信が持てるかどうかも、人それぞれです」
「まぁ、そうね……」
「だから、あえて言うなら、今の自分の想いを貫けるだけの自信が持てるかどうか、逆に言えば、諦めるのに十分な自信があるのかどうか、ということではないでしょうか?」
そう言われたエマは、改めて考え込む。そんな彼女に対し、横で真剣に聞いていた
アーロン・カーバイト
が声をかけた。
「ボクは、告白していいと思う」
アーロン自身が、今は某国の令嬢に恋心(のような何か)を抱いていることもあって、女性の気持ちを知ることが恋愛スキルを高めるひとつの道だと考えた彼は、真剣に彼女の話に耳を傾けていた。
「あなたは、誰かに告白したことはあるの?」
「ないけど……、でも、好きな人はいるし、いつか告白したいとは思ってる」
「今はしないの?」
「今はエーラムにいないからね……」
彼女は先日のパーティーの後、自国へと帰還してしまった。とはいえ、彼女はエーラムに対しては好印象を抱いているようなので、またいずれ何らかの形でエーラムを訪れる機会はありそうだ、というのが、彼女の誕生パーティーに関わっていた者達から得た情報だった。
「そう……、じゃあ、もし相手がエーラムの人だったとしたら、今のあなたなら告白する?」
「する!」
あっさりと即答したアーロンに対し、エマは素直に感服しつつ、更に「男性としての意見」を聞こうかと考えたが、ここで思い留まる。
(この子と「あの人」は全然タイプが違うから、多分、参考にはならないわよね……)
彼女がそんな考えに至ったところで、店内に「ロシェルのような姿のオーキス」が駆け込んできた(さすがに店内にシャリテは連れて入れなかった)。
「あ、ロシェルちゃん、久しぶり……、じゃない?」
「私はオーキスよ! ごめん、ちょっとみんな聞いてくれる?」
オーキスはそう告げて、この場にいる者達にロシェルのことを尋ねてみるが、今日の時点で彼女を目撃した人は誰もいなっかった。ただ、そんな中でエマがオーキスに問いかける。
「その子って、確かメルキューレ先生のところの子よね?」
エマは錬成魔法師リッテ・ロータスの養女であり、その繋がりから、同じ錬成魔法師であるメルキューレの研究室にもよく出入りしていた。
「この間、お養母様に頼まれて魔法薬をメルキューレ先生のところに届けに行った時に、チラッと見たんだけど、なんか様子が変だったのよ。部屋の隅で、一人で『私は人間なのに』『私がロシェルなのに』とか呟いてたわ」
その発言自体、普通の人が聞いても何を言っているのか全く意味が分からないだろう。だが、「彼女達」の正体を知るオーキスにとっては、それは一つ重要なヒントになり得る話であった。
「その時、いつも連れてる大狼はどうしてた?」
「え? あぁ、そういえば、珍しくいなかったわね」
それだけで状況が特定出来る訳ではないが、オーキスの中ではこの時点で「ロシェル&シャリテの内的問題」が原因による失踪の可能性が高い(外的要因としての何らかの事件に巻き込まれた可能性は低い)という推測に至る。
「ありがとう。とりあえず、今の時点ではこれと言ってお礼は出来ないんだけど……」
オーキスがそう言いかけたところで、エマの友人が声をかけた。
「お礼だったら、あなたもこの子に一言、言ってやってよ」
「え? 何を?」
戸惑うオーキスに対し、友人達がエマの事情を説明すると、オーキスは端的に答える。
「別に参考にしなくてもいい、私個人の意見だけど、それがとても大事な相手なら、そうやって悩むのではなく、自分がどこへ派遣されても相手について来てもらえるように戦略的に行動する事に情熱を燃やすべきだと思うわ。確かこれを”戦略的ハートバーン"と呼んだ気が……いえ、これは忘れて頂戴」
後半部分はともかく、前半部分に関しては、確かにエマも納得出来た。彼女の中では、そもそもまだ「彼」が最終的にどのような進路を目指そうとしているのかも、よく分かっていない。だからこそ、まずそこを確認すべきだと彼女自身も思うのだが、そこまで将来のことまで話してもらうには(そこまで相手の未来に干渉するには)自分の気持ちを先に伝えた方が早いのかもしれない、とも思えてくる。
「あとまぁ、出張購買部に、アネルカ・ボワ・ロマンシェっていう人の恋愛小説が置いてあるから、それも参考になるかもね。それじゃあ!」
そう言って、オーキスは彼女は店から出て行った。そんな彼女の後ろ姿を見送りながら、エマは改めて自分の状況を整理する。
(よくよく考えてみたら、私、本当に「あの人」のこと、何も知らないんだわ……。あの人が将来、どんな道を目指しているのかも、人伝に噂で聞いてるだけで、実際に聞いた訳じゃないというか、殆どまともに話したこともないし……、そんな状態で、ただ一方的に「素敵だな」って思ってるだけで、そもそも、これは本当に恋なのかしら……)
エマがそんな思考に陥りかけたところで、唐突に彼女の耳に男性の声が響く。
「なぁ、ちょっといいか?」
「自分の世界」に入り込み、周囲の状況が見えていなかったエマは、突然のその声に対してビクッと反応する。
「あ、悪い、急に話しかけて驚かせてしまったみたいだけど、ちょっとさっきの話を聞いてて、気になったからさ」
そう言って、彼女の声をかけたのは、学生運動の闘士
ロウライズ・ストラトス
である。彼は先刻、オーキスを相手にエマの友人達が「エマの恋愛事情」を語り始めた時点で、ちょうど入店したところだった(エマの席から視覚になっていて、その姿が確認出来ていなかった)。
「な、な、なんでしょう……?」
露骨に緊張した様子のエマに対し、ロウライズは「そこまで驚かせるような言い方だったかな?」という疑念を抱きつつも、スパッと自論を語る。
「俺自身、恋愛についてはさして経験があるわけじゃないから、あんまりどうこう言える立場じゃないかもしれないけど、『エーラム学生の恋愛は成就しないと思う』っていうのは、ただの固定観念だと思う。むしろ、学生恋愛なんて今にしかできないことなんだから、今こそぜひやっておくべきことだ。好きな人がいるなら、告白するべきだ」
この学園の在り方に対して深い疑念を抱えているロウライズとしては、魔法師志望であることが理由で「出来る筈のこと」が出来なくなるという状況はおかしい、というのが率直な感想であった。そういった「凝り固まった考え方」全般に対して彼は否定的だったからこそ、不慣れな恋愛話にも自ら割って入って、彼女の心を解放してやりたくなったのであろう。
そして、彼のこの言葉は、今までの誰よりもエマの心に深く刺さった。
「……そうですね、ありがとうございます! 私、決心がつきました!」
エマはそう言って、すっと立ち上がった。
「ロウライズさん! 私、あなたのことが好きなんです!」
突然そう言われたロウライズも、この場にいる面々も、誰もが彼女のその言葉に対して唖然とした表情を浮かべる。
「あなたがこの学園にいる皆のために、そして、これから先もこの学園に連れて来られるかもしれない子供達の未来のために、真剣に活動している姿、ずっと素敵だと思ってました。私には、本当に正しいことが何かなんて、まだ分かりません。あなたの掲げる理想のことをちゃんと理解出来てる訳でもありません。でも、この学園の未来のために必死になって活動しているあなたを見る度に、ずっと心惹かれてたんです。私は今まで、誰かを好きになれたことはありません。だから、多分、これは私の初恋です。もしかしたら、ただの憧れでしかないのかもしれない。私なんかがあなたに想いを告げても、迷惑かもしれない。そう思ってました。でも、今のあなたの言葉で、決心がついたんです!」
とはいえ、さすがにロウライズとしても、今この場で自分に対してその想いが向けられるとは思っていなかったのだろう。そんな彼がどう答えれば良いものかと言葉を選んでいる間に、既に伝えるべき言葉を大方伝え終えたエマの方は、一瞬だけ少しすっきりした気持ちになりつつも、自分が公衆の面前で公開告白したという事実に気付いて、一気に顔を赤面させる。
「ご、ごめんなさい! 言うにしても、今じゃなかったですよね? こんなところで言われても、困りますよね? あ、あの、本当に、ごめんなさい! 返事は、いつでもいいんで! いつでも待ってるんで! その、良かったら、よろしくお願いします!」
彼女はそう言って、先刻のオーキスをも上回る程の全力疾走で、マッターホルンから立ち去って行った。この状況で、誰が何を言い出せば良いか分からない奇妙な雰囲気のまま、クグリはエマの飲みかけの紅茶を片付ける。
(お代貰ってないけど……、まぁ、今日のところはサービスでいっか)
結局、ロシェルを探して学内を奔走していた者達は、夕刻になっても彼女を見つけることが出来なかった。全員の知識を合わせた上で効率よく役割分担が出来れば、「今のロシェル」の居場所を割り出せたかもしれないが、オーキスも、ジュードも、ヴィッキーも、それぞれにロシェルから得ている情報は、ロシェルとの個人的な信義に基づいて得られた情報である以上、そう簡単に他人と共有出来るものではない。はからずも、彼等とロシェルの信頼関係の深さが、捜索を難航させることに繋がってしまったようである。
そんな中、唐突に学園全体に「彼女」の大声が響き渡る。
「みんなー! きいてー!」
それは、紛れもなくロシェルの声であった。彼女を探していた面々がその声のする方向に視線を向けると、彼女は学内で最も大きな建物の屋根の上に登って、「拡声器」を使って大声で叫んでいたのである。
「あれは! キリコ・タチバナの拡声器!?」
射撃大会とクイズ大会の二度に渡って彼女と遭遇していたジョセフは、すぐにそのことに気付く。「彼女」は朝の時点でキリコからこの拡声器を借りた上で、この建物の屋根の上に登る機会を探して、建物の鍵を管理する用務員の人々の動向をずっと隠れて伺っていたのであった。
学内各地から、「彼女」を探していた面々がその建物に向かって走り出す中、「彼女」はそのまま屋根の上で「演説」を始める。
「わたしは、人の手によって作られた存在なの! でも、今までみんなの前で『ロシェル』として振る舞ってきたわたしは、『今のわたし』じゃなくて、シャリテなの!」
この時点で、彼女が何を言っているのか、殆どの者達には理解出来なかった。ただ、オーキスを乗せた状態のシャリテだけは、明らかに焦燥した表情を浮かべていた。
「みんな、薄々気付いてると思うけど、シャリテの正体は投影体! でも、普通の投影体じゃない。彼女の身体は異世界のタイリクオオカミだけど、その魂は、その異世界に住む人間の魂なの!」
異世界の生物がアトラタン世界に投影される場合、普通はその生物の「身体」と「魂」がセットで投影される。しかし、極稀にそれがねじれた形で投影されることがある。その最たる例が、現在エーラム近辺の森に「神殿」を構えているヘラクレス(カブトムシ)であるが、どうやら「シャリテ」もまた、そのような特殊な投影体であったらしい。
「彼女を呼び出したのは、一人の魔法師だった。その魔法師は今、どこにいるのかは分からないけど、魔法師は彼女のために、彼女が『人間の女の子』として暮らすための『人形』を作った。『元の世界の彼女』とそっくりな姿で、彼女の魂に従って、彼女が自由に動かせる、彼女が喋りたいことを喋らせるための人形。それが『わたし』」
ここまでの話は、オーキスは既に彼女から聞かされていた。しかし、問題はここからである。
「本来、『わたしの身体』は『魂のない人形』として作られた筈だった。あくまでも『シャリテの魂』に従うだけの『操り人形』の筈だった。でも、いつの間にかその身体の中に『わたし』が生まれていたの。『シャリテの操り人形ではない、ロシェルとしてのわたし』の『心』が」
唐突なその告白に、オーキスまでもが驚愕する。オーキス自身が「人によって作られた魂」を持つ者ではあるが、人為的にではなく、偶発的に人形に魂が宿る、という状況は、オーキスですら想像が難しい。その言葉を聞いたシャリテが何を思っていたのかは分からない。ただ、間違いなく狼狽していることだけは、背中の上のオーキスにも伝わっていた。
「シャリテがそのことに気付いていたのかどうかは分からない。でも、わたしの魂はずっと『シャリテの魂』の影に埋もれてた。そんなわたしが、なぜかは分からないけど、やっと自分で『自分の身体』を動かせるようになったの! この間の戦闘訓練の時から!」
この時点で、一部の学生達の間では疑念が生まれる。なぜなら、あの戦闘訓練の際に「ロシェル」は参加していなかった。だが、既に一定の「疑念」を抱いていた者達は、ここでその疑念が確信へと変わる。「アネルカ」と「ロシェル」が同一人物である、ということに。
(アイツ、やっぱりそうだったんだな……)
戦闘訓練の時以来、薄々そう感じていたレナードが内心でそう呟く中、「ロシェル」はそのまま演説を続ける。
「だから、今のわたしは、みんなが知ってる『シャリテが演じていたロシェル』じゃない。今のわたしは、みんなが知らない『魂が宿った人形のロシェル』。そのことを分かってもらった上で、みんなにお願いしたことがあるの!」
彼女は一呼吸置いた上で、それまで以上に語調を強めて叫んだ。
「わたしはもう『シャリテの操り人形』じゃない! だから、これからはわたしのことは『一人の人間』として認めてほしい! 『一人の人間』として接してほしい! そして、シャリテのことも! 彼女は、身体はタイリクオオカミだけど、心は人間の女の子だから! わたしのことも、彼女のことも、これからは『どちらも別々の一人の人間』として接してほしいの!」
それが、彼女が今回の行動に至った理由である。
「シャリテは今まで、自分のことをずっと黙ってた! みんなのことをずっと騙してた! でもそれは、拒絶されるのが怖かったから! だけど、私は知っている! みんなは……」
彼女がそこまで言いかけたところで、駆けつけた教員の手でスリープをかけられ、彼女はその場に倒れる。そして、彼女を追ってきた学生達がその建物の下まで到達した時には、彼女の身柄は既に保護されていた。彼女の養父である、メルキューレ・リアンの手によって。
******
ロシェルの身を案じて集まった面々に対し、メルキューレは事情を説明する。
「おおよその話は、さきほど『彼女』が話した通りです」
メルキューレは「人形のロシェル」を抱えた状態でそう告げる。なお、この時、「シャリテ」はオーキスを背中から降ろした上で、彼女の近くで、縮こまって震えていた。それは、いつもの勇壮なシャリテとも、先日のオーキスを救った包容力のあるシャリテとも異なる、明らかに「何か」に怯えたような様子であった。
養父はそんな娘の様子を気がかりに思いながらも、もはや「彼女」がここまで話してしまった以上、中途半端な状態にしておくのは余計な誤解を招くと判断し、今までシャリテがひた隠しにしていたことを全て皆に伝えることにした。
メルキューレは「シャリテ」を召喚した魔法師のことは知らない。エーラムが認知していない存在である以上、分類上は「自然魔法師」もしくは「闇魔法師」ということになるのだろうが、その人物が何を思ってシャリテを召喚し、そしてなぜ彼女のために「ロシェル」の身体を作ったのかは不明である。メルキューレと初めて会った時の「ロシェルの口を借りたシャリテ」の証言によれば、その魔法師は「ロシェル」の身体を作ってからまもなく失踪したそうで、今も消息不明のままらしい。
もともと実兄アルジェントの「義体」の製作者でもあるメルキューレは、自分とも(オーキスを生み出した)ロンギルスとも全く異なる手法でロシェルの身体を作り出したその魔法師の技術に興味が湧いたこともあり、旅先で出会った「彼女」を自身の養女として迎えた。その際の条件として、彼女はあくまでも「大狼シャリテを連れたロシェルという少女」として学校に通いたいと主張し、メルキューレもそれを受け入れた。その事実を知る者は、実兄アルジェントと、エーラム上層部のほんの一握りの人々のみであった。
義体に完全に魂を移したアルジェントとは異なり、「シャリテ」の魂はあくまでも大狼の中に宿ったままであり、「ロシェル」を動かす時は、シャリテから発せられる念波によって動かしていた。そのため、通常時はシャリテがロシェルから離れすぎると、念波が届かなくなり、ロシェルは機能を停止するが、シャリテが休眠状態になれば、シャリテから離れた状態でもロシェルを動かすことは可能となる。前者の状態の時は視覚や聴覚はシャリテ側にあるが、後者の状態になれば、擬似的にロシェルの身体に備わった感覚を借りて行動することも出来るらしい。
その上で、先刻の「演説」の中では明確には語られていなかったが、誤解を避けるためにメルキューレは「アネルカ」についても皆に説明する。「アネルカ・ボワ・ロマンシェ」については、純粋に「ロシェルの身体を借りたシャリテ」が用いている偽名であり、絵本作家としての彼女も、武術家としての彼女も、人格そのものはあくまでシャリテである。そのため、武術大会の際にオーキスを追ってシャリテが会場の外に飛び出した時点で、「アネルカと名乗っていたロシェル」の身体は機能停止した。
ところが、その状態から先刻の「彼女」の魂がアネルカ(ロシェル)の身体を勝手に動かすようになったのである。原因が何なのかは分からないが、少なくとも「異界の記憶」を持っているようには見えない以上、シャリテのように「魂だけが投影された存在」という訳ではなく、何らかの偶発的な(おそらく混沌の)要因によって発生した「魂」なのであろうが、その正体についてはこれから研究する必要がある、というのが現時点でのメルキューレの見解である。
「シャリテがずっと正体を隠していたのは、あくまでも自分のことを『人間の少女』として接してほしいと思っていたからです。彼女は、自分のことを『人間の少女』として見てくれる友達が欲しかった。その想いに最初に答えてくれたのは、オーキスさん、あなたです」
どこか似たような境遇にあった二人の魂は惹かれ合い、互いに自分の秘密を共有する仲になった。だが、オーキスが先日までずっと「ロシェル(シャリテ)以外の人々が自分の正体を知った上で、自分を認めてくれるとは思えない」と思っていたのと同様に、シャリテの中にもまた、オーキス以外に自分の正体が知られれば、もう「人間」として接してもらえなくなる、という恐怖心を抱いていたのである。
先日とは真逆の様子で、オーキスに寄り添って怯えているシャリテに対して、現在の魔法学校に在住する唯一の同門生(関係としては従兄弟弟子)のビート・リアン(下図)が語りかける(彼もまた、「ロシェル失踪」の報を聞いた時から、養父アルジェントと共に彼女を探し回っていた)。
「あなたがロシェルさんでも、シャリテさんでも、人間でも、人形でも、大狼でも、今の僕にとって大切な『家族』であることには変わりません! あなたの心がどんな身体に宿っていたとしても、あなたの心は僕達と変わらない『人』の心だということは、ちゃんと分かっています!」
ビートがそう思える一つの要因には、彼にとってのもう一人(?)の大切な存在である「神の魂を宿したカブトムシ」という事例を目の当たりにしているから、という事情もあるのかもしれない。だが、そう思っているのは、彼だけではなかった。
「皆さんだって、そうでしょう? 今のシャリテさんの身体が宿っているのが大狼だからと言って、今までと何かが変わりますか? その心が『投影された魂』だからと言って、シャリテさんのことを仲間だと思えなくなりますか?」
彼のその問いかけに対し、この場に集った者達は首を振る。その様子を見て、シャリテはようやく、「自分自身」が皆に認められていることを実感し、ようやく表情が「いつものシャリテ」に戻る。その様子を見て安堵したメルキューレは、笑顔で娘(大狼)に告げた。
「それでは、学生証を書き換えておくことにしましょう。今からあなたは、魔法学校の生徒シャリテ・リアンです。その上で、あなたが望むなら、試作段階中である疑似声帯を近日中に完成させます。やはり、皆と言葉を交わせないのは不便でしょうからね」
その上で、「現在のロシェル」については、ひとまず眠らせた状態のまま、今後の対応をメルキューレとシャリテで話し合って決めることにした。別人格の独立した人工生命体として(オーキスと同じように)扱うのか、何らかの形でその魂を封印して再びシャリテの義体として用いるのか、「彼女」と話し合った上でその肉体を「共用」することになるのか。それ以前の問題として、そもそもどの選択肢が可能なのか、という点も含めた上で、まだ先行きは不透明である。
ただ、どのような形になるにせよ、少なくとも「シャリテ・リアンという少女の魂」の存在は、学友達に認められた。そのことだけは確かな事実であり、今のシャリテにとっては、それが何よりも重要な事実であった。
マチルダ・ノート
はこの日、クールインテリジェンスの試験を受けるために、高等教員フェルガナ・エステリア(下図)の研究室へと向かっていた。
先日の基礎魔法習得の全体試験において、マチルダはキュアライトウーンズの受験者達の中で(筆記試験ではトップ合格だったにもかかわらず)唯一の不合格者となった。その原因は、彼女の致命的なまでの「治癒魔法への適正の無さ」である。
だが、マチルダはそれでも諦めなかった。高等教員のクロードからは「自分で自分に補助魔法のアシストをかけることで、回復魔法の成功率を上げる」という手法を示唆された彼女だったが、彼女はその助言を踏まえた上で、あえてアシストではなく、クールインテリジェンスの魔法を覚えるという道を選んだ。
アシストはどんな局面でも使用可能で、他者にかけることも可能であるのに対し、クールインテリジェンスは肉体を用いた行動の補助には使えず、魔力効率も悪く、戦時において即座に用いることも出来ず、しかも自分に対してしかかけられないという制約はあるものの、連続して使用可能という利点があるため、医療機関などで多くの患者に対応する時には使い勝手が良い。だからこそ、治癒術士を目指すマチルダにとっては、こちらの方が有用と考えたのだろう。
彼女は試験の2週間ほど前から、事前練習として、自分の「左腕の肩に近い部分」に傷を付け、それを(まだ未完成の)クールインテリジェンスとキュアライトウーンズの合せ技で治療するという特訓を密かに続けていた。その結果、キュアライトウーンズの成功率が上がっているという感触はあったため、クールインテリジェンスの発動自体は成功しているであろうことは、彼女自身も実感していた。
ただ、それでも前回のキュアライトウーンズの試験の時の失敗の記憶は、なかなか彼女の脳裏からは消えない。そのため、この日の朝は前回以上の緊張感に包まれた状態のまま、フェルガナと対面することになる。
「今年は本当にクールインテリジェンスの受験者が多くて驚いているんだが……、どうやら、ヴィッキーの影響らしいな」
実際、現時点でヴィッキーは多くの学友達から信頼を集めており、どの基礎魔法を習得すべきか迷っている学生達の多くは、彼女に助言を求めている。そんな彼女自身がクールインテリジェンスを「最初に習得すべき魔法」と決めたことが、少なからず同期生達に影響を与えているのではないか、というのがフェルガナの分析だった。
「はい、確かに私も、ヴィッキー先輩には相談に乗ってもらいました。でも、最終的に決めたのは私自身です」
「そうか……。では、さっそく試験を始めるとしよう。まずは、今この場でクールインテリジェンスの呪文を詠唱してみせろ」
フェルガナがにそう言われたマチルダは、緊張しながらも慎重に魔法を詠唱し、彼女自身、自分の中で「上手く発動した時の感覚」を確かに実感する。それと同時に(この魔法の効果で?)今まで自分を縛っていた緊張感も解けたような気がした。
「では、ここからが、実際に発動したかどうかの試験だ」
そう言って、フェルガナは2冊の本を彼女の前に取り出す。一冊は、見たことがない文字が書かれた異界魔書であり、もう一冊は、辞書のような装丁の書物であった。前者の表紙には、異なる色の二種類の肌を縫い合わせたような不気味な顔の男が描かれていた。
「この異界魔書は地球からの投影物なのだが、文字は現地語のままだ。制限時間内に隣の辞書を使って読破した上で、その内容をまとめろ」
「分かりました!」
マチルダはそう答えた上で、即座に読解を始める。アトラタン世界の人間は、あまり異言語の習得に慣れていない。なぜなら、この世界の住人達の言語は世界中どの地域においても(多少の方言はあるものの)同一だからである。かつてはそれぞれの地域ごとに別々の言語が存在していたとも言われているが、それらがどのような経緯で現在の「統一言語」へと収斂したのかは未だに解明されていない(少なくとも、2000年前の混沌爆発直前の時点でほぼ言語は統一されていたという学説が有力らしい)。
しかも、異世界からの投影体の者達も、なぜか人型の知的投影体の大半は(先刻投影されたツムギがそうであるように)「この世界の住人達と同じ言語」が喋れる状態で投影される事例が多いため(逆に言えば、言語が通じない投影体は、人型であっても「怪物」扱いされる傾向が強い)、この世界に住む殆どの人々にとっては、異言語を学ぶ必要性自体が殆ど無いのである。
ただ、一方で、異界魔書に関しては、「ラトゥナの本体(マギカロギア)」のように「アトラタンの共通語」に翻訳された形で投影されることもあれば、現地語そのままの文字で投影されることもある。後者の場合でも、浅葱の召喚魔法師や一部の邪紋使いの場合は(なぜか)その内容を理解出来るが、そうでない人々にとっては、意味不明な文字の羅列にすぎない。
そんな中、フェルガナを初めとする一部の魔法師達は、そのような異国の文字・言語で書かれた書物の知識を他の人々にも伝えるため、アトラタンの言葉に翻訳するための「辞書」を独自に開発している。今、マチルダに貸し与えられているその「辞書」は、ヴァルスの蜘蛛の一員であるキリコ・タチバナの協力を得て作成した「地球の一部の地域で用いられている言語」をアトラタンの言語に翻訳するための辞書であった。
(これは……、絵本の一種? この曲線で囲まれた文字は、その囲いの尖った部分の先にいる人の話した言葉、ということ? 本の装丁からして、多分、右上から順番に話が繋がっている、ということみたいだけど……)
マチルダにとっては初体験となるジャンルの書物だったため、当初はかなり苦戦したが、それでもクールインテリジェンスの効果で、すぐに物語の概要を理解していく。
(なるほど、この表紙の人は医者で、この小さな女の子がその助手、ということみたいね。基準がよく分からないけど、多分、ものすごく高い報酬を要求して、それで交渉が揉めてる、ということかしら……)
書物を読み進めながら、キーワードとなりそうな単語を書き出していくマチルダの姿を見て、フェルガナは彼女が内容を概ね理解しつつあることを確信する。
そして数時間後、マチルダの書き上げた「読書感想文」を読んだフェルガナは、満面の笑みで彼女に「合格」を言い渡す。こうして、ようやくマチルダもまた「見習い魔法師」の仲間入りを果たすことになるのであった。
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テオフラストゥス・ローゼンクロイツ
は、先日の植物採集の際に感じた「既視感」のことが気がかりになっていた。
もしかしたら、あれは「何周か前の自分」にとって何か強烈な印象に残る程の重要なものだったのではないか、と考えた彼は、その原因となる謎の空間を生み出していたレイラ(下図)に直接話を聞いてみることにした。
前回の顛末の後、レイラはハンナの思惑通りに「エーラム魔法学校の美術講師」として着任することになり、授業がない日は屋外でエーラムの町並みの風景画を描いている。放課後にそんな彼女を発見したテオフラストゥスは、直球で質問を投げかけてみた。
「あの時、貴姉の周囲に発生していた異界の自然律は、どのようにして作り出したものなのですか?」
その問いに対し、レイラは困ったような表情を浮かべる。
「うーん、その質問はよく聞かれるんですけど、私にもよく分からないんですよ。最初は無意識のうちに、自分の周囲に『自分の故郷と同じような自然律』を部分的に発生させてしまっていたんですけど、この世界に来て何百年かした頃から、それを自分である程度操れるようになって、気付いた時には、周囲の空間全体に大きな影響を与えられるようになってたんです」
つまり、今は意識的に異界の自然律の発生を統御出来てはいるものの、彼女の中でそれはあくまで「なんとなく出来ていること」であって、特に訓練などを経た上で得た力ではないらしい。
「エルフの人々は、我々がこのエーラムで学んでいる魔法とは異なる『独自の魔法』を使う、と聞いたことがありますが、それとはまた違うのですか?」
「そうですね……、おそらく別物です。魔法を使う時の感覚とは、明らかに違いますから」
「一応、参考までに、あなたが使う魔法を見せてもらえませんか?」
「構いませんよ。まぁ、私はあんまり魔法は得意ではないんですけど」
レイラはそう答えると、自分とテオフラストゥスの間に「水の壁」を作り出す。これは、水の精霊の力を借りて作り出す防御壁のようなものであるが、テオフラストゥスはその「壁」およびそれを発生させている間のレイラをじっくりと凝視する。
(あの時に感じられた既視感は感じられない……。ということは、彼女そのものが既視感の原因という可能性は低いか……)
彼はこれまで、様々な魔法や投影体といった「混沌の産物」には接してきたものの、まだ「魔境」と呼ばれるような空間を直視した経験は(少くとも「今の彼」には)ない。つまり、レイラ自身や彼女の発生させる混沌から既視感を一切感じないということは、あの時に感じた既視感の正体は、それが「レイラが作り出した空間」だからではなく、「魔境のような空間」そのものを(今世において)初めて見たが故に感じた(前世の)既視感だったのかもしれない。
それを確かめるには、別の「魔境」もしくは「異界の自然律(この世界における変異律)」を実際に見てみる必要があるのだが、さすがに早々頻繁にエーラムの市街で発生するものではない。無論、エーラムの近辺で魔境が発生した時は、魔法師協会の面々が調査に赴くこともあるし、時にはそこに研修として学生が同行することもあるが、さすがに赤の教養学部に所属する子供達を連れていくことはまずない。
ひとまず現時点ではこれ以上確かめようがない、ということが分かった時点で、テオスフラトゥスはレイラに礼を言って、彼女の前から立ち去る。そして、次にまた何らかの形で似たような空間に遭遇した時に備えて、魔境や変異律に関する知識を蓄えるため、図書館へと向かうのであった。
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「久しぶりだな、ダンテ」
「父さん!? それに、母さんも!?」
ダンテの元に、ヲグリス一門の使いとして、彼の両親が訪れた。彼等はダンテの実の両親であると同時に、いずれもヲグリス一門の魔法師でもある。魔法師の素養は遺伝する要素ではないため、先刻アメリが驚いていたように、彼のような「魔法師同士の両親の間から生まれた魔法師」という事例はエーラムにおいても極めて稀である。
ただ、世界各地に存在する自然魔法師達の中には、何らかの特殊な秘術(その大半は神格投影体などに由来する特殊な混沌の加護)によって、一族の中で高確率で魔法師を誕生させている者達もいる。ダンテの場合も、そのようなヲグリス一門特有の秘術によって生み出された存在なのかもしれないし、本当にただ偶然の産物として生まれてしまった「純血の魔法師」なのかもしれないが、その真相はダンテ自身も(興味がないため)知らない。
彼等は日頃、一門が管理する人里離れた山奥の研究機関に務めており、そこから外に出てくることは滅多にない。そんな彼等が、ダンテに会うために学生寮まで来たということは、よほど特殊な事情がある、ということだろう。普通なら、両親が息子の元に来訪した時点で、何らかの近況報告や世間話が発生するものだが、ダンテの父はそんな他愛ない会話を交わすこともなく、深刻な表情で語りかける。
「この地における星の並びが良くない。近々災いが訪れるやもしれん」
彼はそう告げた上で、息子に対して一本の「短剣」を手渡した。
「これをお前に貸す。この窮地をお前が救え」
「窮地? 一体ここで何が……」
「そこまでは分からない。だが、間違いなくその剣の力が必要となる筈だ」
その剣は、見た目はただのナイフにしか見えないが、実は「持ち主の望む形・性能に変化する魔剣」である。それが、ヲグリス一族が管理する「時代を変える因子となる魔剣」の一つなのかどうかまでは、ダンテは知らない。
「その魔剣は、一度力を使った後、その剣は我らの保管庫に自動で移動するようになっている。使いどころを間違えるな。わかったな」
「……あぁ、分かったよ」
そう言って、ダンテはあまり興味が無さそうな顔を浮かべながら、父母とヲグリス一門のために、ひとまずその短剣を身につけることにした。この「魔剣」がいかなる意味を持つことになるのか、まだ彼は何も知らない。
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「ねぇ、なんか最近、ヘカテー様の気配を感じない?」
「やっぱり、そう思う? 私もそう思ってた」
「確かに私も感じたが……、しかし、それにしては微弱な気配ではないか?」
レストラン「多島海」の厨房にて、開店前の時間にアイシャ、マロリー、ヘアードの三人(下図)がそんな会話を繰り広げている中、入口の扉が開く音が聞こえてきた。
「失礼します!」
パート店員のアーロンである。その姿を見たマロリーが首を傾げた。
「あれ? あなた、今日のシフトじゃなかったわよね?」
「はい。でも、一つ聞きたいことがあって来ました」
「何?」
「この店の食材って、異世界から投影されたものなんですか?」
ストレートにそう問いかけてきたアーロンに対し、マロリーが一瞬戸惑っていると、奥からヘアードが顔を出してきた。
「なぜ、そう思った?」
「このあいだ、エーラムに帰ってきたシルーカ先輩が食べた時に、そうじゃないかな? って言ってたので……」
「なるほど。噂の『虹の魔女』か……。大した直感だな」
「じゃあ、やっぱり……」
アーロンが更に続けて何か言おうとしたところで、今度はアイシャが口を挟む。
「それを知った上で、どうしようというの? 一応、言っておくけど、ノギロ・クアドラントはそれを承知の上で私達に出店許可を出してるんだから、別に今更……」
「あ、いえ、別にだからどうっていう訳じゃないんですけど、なんというか、すごいな、って」
あまりにも拍子抜けのその反応に対して三人が呆気に取られていると、そのままアーロンは話を続ける。
「これだけ精度の高い異界のものを召喚出来るなら、ボクも召喚魔法を勉強してみようかな、って思ったんです。だから、その、ノウハウとか教えてもらえませんか?」
そう言われたアイシャは、納得したような困ったような表情で答える。
「あぁ、そういうこと……。うーん、ノウハウって言われてもねぇ……、私達の使う『力』は、あなた達の使う『魔法』とはちょっと違うから、教えようがないのよ」
「どういうことですか?」
「うーん……、まぁ、そんなに隠さなきゃいけないことでもないんだけど、それはもう少し、宿題にしておこうかな」
「宿題?」
「召喚魔法師を目指すなら、『そこ』は自力で気付かないとね」
「はぁ……」
「まぁ、頑張りなさい。あなたがどこか『私達とは別の異界』からの食品を投影出来るようになったら、それを商品に加えることも検討するから」
「はい! 分かりました! 頑張ります!」
そう言って、アーロンは店を後にした。彼が召喚魔法師を目指す理由の一つには、ヴェルトールが話していた「魔法師にしか出来ない役割」を果たす上で、それが一つのアイデンティティになり得ると考えたからである。それはそれとして、猫を召喚して撫で回したり、犬を召喚してエリーゼの気を引いたり、といった思惑も彼の中にあったのかどうかは定かではない。
(本章の物語に至るまでの前日談は、みながくdiscord「庭園」5月27日参照)
先日、クールインテリジェンスを習得したばかりの
カロン・ストラトス
は、その力を使って同世代の学生達との差を埋めようと、この日もぬいぐるみ片手に勉強に勤しんでいた。とはいえ、クールインテリジェンスの効果はそこまで長続きするものではない以上、一日にベストコンディションで勉強出来る時間には限界がある。そのため、時折休憩が必要となる訳だが、その休憩時間に彼女が校内の庭園を散歩していると、日頃はあまり人が集まらないような時間にもかかわらず、庭園の一角から少女達の声が聞こえてきた。
「カペラちゃん、セレネが支えている間に、そっち側の縄を結んでほしいぞ」
「おもったより……、おおきくて……、たいへんね……」
その声のする方へカロンが近寄って見ると、そこには一本の巨木があった。その上の方から縄が降ろされ、木の下にいたセレネ・カーバイトと
カペラ・ストラトス
の二人が、その縄を「布を丸めたような何か」に縛り付けている。そして縛り終えたところで、その「縄で縛られた何か」は巨木の上の方へと引っ張り上げられていった。そして、セレネとカペラの足元には、まだ他にもいくつかの「布を巻いたような何か」と、クッション、そして道具箱などが置かれている。
(なにを、しているんだろう……?)
カロンが不思議そうな視線を向けていると、そこに、
ティト・ロータス
、リヴィエラ・ロータス、エト・カサブランカといった面々が集まって来た。
「ハンモック……、持ってきましたよ……。これで、お昼寝とか、本を読んだりとか、出来そうですね……」
ティトはワクワクした様子で、その細身の身体の脇にハンモックを抱えている。その隣では、リヴィエラとエトが、それぞれに大きめの鞄を手にしていた。
「とりあえず、あまり匂いが強くなくて、それでいて保存の効く料理を持ってきました」
「僕の方からは、クッキーです。完成したら、みんなで食べましょう」
(人が、いっぱい庭に集まってる……)
カロンが興味深そうな顔で眺めていると、その様子にティトが気付いて、近付いてくる。
「あの……、よかったら、いっしょに秘密基地、作りませんか?」
「ひみつきち……!!!」
その言葉を聞いた瞬間、カロンの目がキラキラと輝き出した。ティトに手を引かれる形でそのまま巨木の真下までカロンが来ると、上の方から少年の声が聞こえて来る。
「お! また新しい仲間か?」
その声の主は、
カイル・ロートレック
である。カロンがその声のする方を見上げると、そこには巨木の生い茂った枝葉の内側に、外側からは見えない「見張り小屋」のような木造の小部屋が築かれていた。その隙間から、カイルがひょこっと顔を出す。
「俺はカイル! ここは俺達が作った秘密基地だ。まぁ、まだベースが出来ただけで、ここから内装とか、色々始めるところなんだけどな」
「す、すごいです! でも、大丈夫なんですか? この庭園に勝手に作って……」
「あぁ、それは心配ない。許可は取ってあるから」
「え?」
意外な返答にカロンが戸惑っていると、横からティトが説明する。
「風紀委員のイワンさんが……、学校にお願いして、認めてもらえたんです……。新しい部活動『工学部』の活動の一環、ということで……」
なお、この秘密基地はその工学部の「活動拠点」という位置付けらしい。そして、木の上からカイルが苦笑しながら付言する。
「まぁ、学校に許可取ってる時点で『秘密基地』と言っていいかどうかは微妙だけけどな。けど、これでもし仮に見つかってもお咎めはない。とりあえず、『工学部』に関しては特に部員を増やすつもりもないから、俺達が自分でココのことを公言しない限りは、ちゃんと秘密も守られるって訳だ」
「え? でも、じゃあ、わたしは……、ここのことを知ってしまっても良かったんですか?」
「んー、お前のことはよく知らないけど、ティトが連れてきたんだろ? だったら、いいんじゃないか? ティトは俺達の仲間だし、そのティトが認めたなら、お前も仲間だ」
そう言われたカロンは、ティトに視線を移すと、彼女は優しそうな笑顔で告げた。
「だって……、仲間に入りそうな顔をしてたから……。違いましたか?」
カロンはそれに対して、感激した表情を浮かべながら答える。
「カ……、わ、わたしにも、お手伝いできることありますか…?その、興味が、あります!!」
「そう……、良かった。私はティト・ロータス。よろしく」
「カロン・ストラトスです! よろしくお願いします! あの、実家にいた頃は、畑仕事の手伝いとかしていたので、重たいものとかも、少しは運べます」
「じゃあ……、このハンモックを上げるの、手伝ってもらえますか?」
そう言って、ティトはハンモックを手渡そうとするが、ここでカイルが頭上から声をかける。
「あー、それなら、もう一人『上』にほしいな。やっぱり、一人で引っ張り上げるのは重いし」
カイルはそう言いながら、下に向けて縄梯子を下ろす。
「これ使って、上がってこいよ。落ちないように、気をつけてな」
カロンはその言葉に従って恐る恐る登って行き、「秘密基地」の中へと招き入れられる。そこには、おそらく先刻引っ張り上げたと思しき布の束があった、よく見ると、どうやらそれはカーテンだったようである。そして、床には「設計図」と「完成予定図」が置かれていた。それらに興味を示したカロンが近付こうとすると、カイルが慌てて止める。
「あ、ちょっと待て! 足元!」
「え?」
そう言われたカロンが足元に目を向けると、そこには「リス程度の大きさの人型の女性」の姿があった(下図)。
「えぇ!?」
「あやうく、ふまれるところだったのです……」
その「小さな女性」は、この世界における人間の言葉でそう呟いた。
「あ、あなたは……」
「我が名はヘカテー……。この世界における私は『投影体』……。あなた方が『タルタロス界』と呼ぶ世界の、神です……」
「神様!?」
慌てて恐縮するカロンに対して、カイルが笑顔で説明する。
「この神様が、俺達に神託をくれたんだよ。ここに秘密基地を作れ、ってな」
「じゃあ、この秘密基地には、何か特別な意味があるんですか?」
そう言われたヘカテーは、小柄ながらも神々しいオーラを放ちながら答える。
「私の秘密基地は……、私の力の源になるのです……。私は魔法を司る神……。私の力が強まれば、皆の力にもなるのです……」
つまり、この「秘密基地」は実質的には神格投影体としてのヘカテーの「神殿」なのである。ただ、彼女はカイル達の協力を得る際に「秘密基地」という言葉を使った方が、彼等の心を動かせるのではないかと考えて、そのような言い回しを用いたらしい。
なお、彼女は過去に何度もこの世界に投影されたことがあるが、今回のような「カブトムシと大差ない大きさ」で投影されたことは初めてである。これは、元となった混沌核の大きさの問題なのだが、これについてはいかに神格と言えども、異界の存在である彼女達にはどうしようもない。所詮、彼女達は混沌核の気まぐれによって偶発的に生み出された「模造品」でしかないのである。
ただ、なぜか彼女達は「以前に投影された時の記憶」を有していることが多く、このヘカテーもまた、かつてこの世界に投影された時のことは鮮明に覚えていた。だからこそ「彼女の縁者」が学内に存在する今のこの時代に再び(本人にとっては不本意な形であはあるが)投影されることになったのかもしれない。その上で、魔法の女神である彼女は、このエーラムの学生達を自らの力で守りたいという意志から、このような施設の建設を促したのである。
「正直、その辺のことは俺にはよく分からないけど、とりあえず、俺としてはこの秘密基地は、みんなで大事に長く使える場所にしたいんだ。まぁ、もしちょっとくらい壊れたとしても、また俺が修理するから、基本的には好きに使ってくれていいぜ」
そんな会話を交わす中、木の下からセレネの声が聞こえてくる。
「カイルちゃーん、そろそろ縄を下ろしてほしいぞー!」
「あぁ、そうだった! じゃあ、次はこれに、さっき持ってきたハンモックを結んでくれ」
そう言って、彼は縄を下ろす。その上で、持ち上げる時に引っかかると邪魔になるため、縄梯子の方は引き上げていく。その手慣れた様子にカロンは感心しつつ、そのまましばらくカイルと一緒に、荷物の引き上げ作業を担当していくのであった。
******
その後、一通りの荷物の引き上げを終えた後、皆が縄梯子を使って「秘密基地」へと到着し、そこからセレネの指示に従って内装を整えていく。彼女は事前に、(クリストファーやオーキスの協力も得た上で)エーラムの下町の商店街で、この秘密基地のために使えそうな、壁紙、カーテン、テーブクロス、じゅうたん、クッション、といった家具に加えて、カラーリングのための絵の具、装飾用のシール、更には観葉植物なども購入していたのである(みながくdiscord「学園城下・近隣」6月13・14日)。
「えとえと……、クッションの位置、どこにしましょう?」
「あー、とりあえず、その辺りにまとめて置いておけばいいと思うぞ。あ、リヴィエラちゃん、そこの観葉植物を、そっち側の窓の下に置いてくれ」
「分かりました。そこの窓のカーテンは、どれにします?」
「あそこにある、レースのやつを頼むぞ」
「おほしさまのシール、てんじょうにはりたいけど、とどかな……」
「よし、じゃあ、セレネが肩車しよう」
「わーい! ありがとう!」
セレネの肩に乗ったカペラは、楽しそうに月や星のシールを天井に貼っていく。ちなみに、カペラは当初はこの秘密基地の設立計画には加わっていなかったが、先日の基礎魔法習得の際にセレネと仲良くなったことを契機に、彼女に連れて来られる形で協力することになったのである。
そんなやり取りを経て、ナチュラル系のデザインにコーディネートされた小屋の内装が完成へと近付いていく。一方、小屋の外では、ティトとカロンがハンモックを木の枝に結びつけていた。
「この角度なら……、大丈夫、ですかね……?」
「どうでしょう? もう少し、こちら側を高くした方が……」
二人がそんな会話を交わす中、木の下に誰かが到着した音が聞こえる。
「カイルさん! 今週の『工学部』の活動報告書を書いて下さい」
そう言いながら、イワン・アーバスノットが縄梯子を上がってくる。
「あー、面倒くせーなぁ。だれか、書いてくれない?」
「多分、イワンちゃんに書いてもらうのが一番確実だと思うぞ」
「そうだな。とりあえず、俺は署名だけの担当って、ことで」
彼等はそんな会話を交わしつつ、夕刻頃には無事に「(魔法の女神の加護の宿った)秘密基地」を完成させ、そしてリヴィエラやエトの持ってきた差し入れを食べつつ、沈みゆく夕日を秘密基地の窓から静かに眺めるのであった。
最終更新:2020年06月22日 19:29