『見習い魔法師の学園日誌』第10週目結果報告
この日、エーラムのはずれに位置する競技場では、赤の教養学部で定期的に開催されている「基礎魔法習得」の講義の最終実技試験が開催されていた。前回同様、エネルギーボルト、キュアライトウーンズ、ヴォーパルウェポン、アシストの四科目の試験がこの地でまとめて開催されるのだが、今回のこの四科目の担当教員はメルキューレ・リアン(下図)である。
試験官が変われば、当然、採点基準も変わるため、受験者との間での相性という意味で「運」の要素が介在することは否めないが、「本当に実力のある者は、誰が試験官であろうとも合格可能」というのもまた真理である。
そして、この日のエネルギーボルトの試験会場に、やや不似合いな雰囲気の少女がいた。マスク着用の病弱文学少女
ティト・ロータス
である。およそ戦場に立つようなタイプの魔法師を目指しているとは思えない彼女が「二つ目の基礎魔法」としてエネルギーボルトを選んだ背景には、彼女の中での「危機意識の芽生え」があった。
魔法師としての仕事を学べば学ぶほど、現実問題として(自分が前線に立つ立たないにかかわらず)魔法師の世界には常に危険が付き纏っている、ということを実感するようになった彼女は、その危険に立ち向かうための手段として、攻撃魔法を覚える必要もある、ということを実感するようになっていたのである。
それに加えてもう一つ、彼女の中で現実的脅威として、友人の一人が「危険な投影体」を呼び出してしまうかもしれない、という可能性への危惧もあった(discord「庭園」6月21日)。
(「きいろのおーさま」が出現した時のために……、少しでも、気を引ければ……、出来れば、立ち向かっていければ……)
ティトはそんな思いを抱きつつ、前日の筆記試験では見事満点で合格を果たしていた。そして、今回も筆記試験の上位者から順に実技試験を受ける形式であったのだが、今回は彼女の他にもう一人、出版部所属のアメリ・アーバスノット(下図)もまた満点合格だったため、くじ引きの結果、まず先にアメリが試験を受けることになった。
アメリは教養学部の中では年長組であり、彼女にとってはこれが四つめの基礎魔法習得となる。既に修了に必要な単位も揃えているのだが、よりしっかりと基礎を固めてから専門学部に進みたいという考えから、あえて進学を遅らせていたのである。
そして、今回の実技試験は錬成魔法師のメルキューレが試験監督ということあり、彼自身の手で作られた、より高性能な移動型アーティファクトが標的として用意されていた。前回の試験の際には左右に動くだけの標的であったが、今回の標的は飛行能力も保有しており、より幅広いタイプの投影体に対応するための技術が試される。なお、この仕様変更の背景には、メルキューレの側にも、兄アルジェントから聞かされていた一つの危惧があった。
(あのヘラクレスと名乗るカブトムシが言うには「異界のガーゴイル」が近いうちにこのエーラムに出現する可能性があるらしい……。その場合は、飛行状態の敵を相手にすることも考慮に入れる必要があるでしょう……)
とはいえ、命中難易度は前回に比べて格段に上がるため、今回は標的を5体同時に起動させ、気付け薬の使用を認めた上で、制限時間以内に本人の気力が尽きるまで撃ち続けて、1体でも命中させれば合格、というルールに変更された。一見するとかなり甘いルールのようにも見えるが、あえてそこまで基準を下げたということは、そもそも当てること自体が相当難しい仕様であろうことは予想出来る。
そして実際、「一番手」としてのアメリの結果に、周囲は驚愕することになる。
「……時間です。アメリ・アーバスノットさん。残念ながら、今回は不合格となります」
メルキューレは淡々とそう告げた。想定以上に俊敏かつ不規則に動き回る標的に対して、アメリの放ったエネルギーボルトは空を切り続け、最終的には気付け薬を用いて、アシストの魔法まで使って命中させようとしたが、それでも一発も当てることが出来なかったのである。過去3回の基礎魔法習得は常にトップクラスの成績で一発合格していたアメリは、呆然とした表情のままその場に立ち尽くしていた。
(申し訳ないですが、今回は厳しく採点させて頂きます。状況によってはすぐさま「実戦」の機会が訪れるかもしれないからこそ、付け焼き刃の魔法を使ってもらう訳にはいかないので)
メルキューレは内心でそう呟きつつ、あえて厳しい表情のまま、試験を続行する。
「では、ティト・ロータスさん、お願いします」
メルキューレにそう言われた彼女がアメリに代わって競技場の中央に描かれた円の中に立つと、周囲に五体の移動型アーティファクトが現れる。それらはガーゴイルとしての古典的なデザインである「翼の生えた悪魔」のような姿であった。
ティトはまず最も手近な場所にいる一体に対してエネルギーボルトを放とうとする。だが、発動は成功するものの、あっさりと避けられてしまった。続けざまに同じ対象に対してもう一発放つが、やはり敵の動きが速く、再びその衝撃波は虚空へと消えていく。
(これは…………、落ち着いて狙わなければ、いけませんね……)
次に控える学生達も、筆記首席の二人がここまで苦戦を続けていることに動揺を隠せない様子であったが、ティトは冷静に敵の動きを見極めることで、少しずつではあるが、その照準が敵の動きを捉え始めていく。だが、それと同時に彼女の中での「持病」が発動してしまう。ティトは長時間を魔法を使うことによって身体に副作用をもたらしてしまう体質であり、もともと弱かった肺が発作を起こして咳き込み始め、それと同時に眩暈も起こし始める。
だが、その状態でも彼女は諦めず、眩暈を抑えながらしっかりと目の前の標的を凝視し、全ての神経を集中させた一撃を放つと、天運は彼女に味方し、見事にそのアーティファクトの中枢部分を撃ち抜くことに成功した。
「ティト・ロータスさん、合格です。お疲れさまでした」
メルキューレは内心ではホッと一息を付きつつも、表情を変えずにそう告げる。それを聞いた瞬間、緊張感が抜けたティトは倒れそうになるが、そこへアメリが駆け込んで、彼女の身体を支える。アメリは自分が不合格となった直後、失意の中でもしっかりとティトの試験を凝視し続けていたのである。
「おめでとうございます。今のあなたの実技を見させてもらったおかげで、私も次の追試に向けての課題が見えた気がしました」
「ありがとう……、ござい……、ま…………」
ティトはそう言いつつ、そのまま意識を失った。会場内に拍手が沸き起こる中、アメリに抱えられる形で、ティトはそのまま競技場内の医務室へと運ばれて行くのであった。
******
続いて開催されるキュアライトウーンズの試験は、前回は医務室でおこなわれたが、今回はそのまま競技場のグラウンドで続けて開催されることになった。
「2つ目の魔法……わたしに、おぼえられるのか、わからない、けど……」
ぬいぐるみを抱えた少女
カロン・ストラトス
は、そう呟きながら試験会場を訪れた。彼女は先日、魔法の勉強の効率化のためにクールインテリジェンスを習得したばかりであったが、その効果もあってか、これまでの遅れを取り戻すかのように成績も向上し、早くも2つ目の基礎魔法としてのキュアライトウーンズの実技試験の場に参加するにまで至ったのである。
(もしも、おぼえられることができるなら……、人を助ける魔法だといいな。それなら、やっぱり……、キュアライトウーンズ、だよね。誰かのケガを、治せる魔法……。ばぁば、これはきっと……、誰かを助けられる魔法だよね)
カロンはそんな想いを懐きつつ、祖母が目指していた「困っている人を救う存在」を目指して、この実技試験の場へと着いたのである。
(……すてきな魔法師に、近づけられるといいなぁ。……よし、2つ目もがんばっておぼえよう…!)
カロンが自分にそう言い聞かせながらグラウンドに降り立つ一方で、彼女の横には、
エイミール・アイアス
の姿があった。前回はエネルギーボルトの試験で(彼自身にとっては不本意な形で)首席合格となったエイミールであったが、今回は同じ「王道枠」の回復魔法を選ぶことにした。
(今、この魔法を覚える事の利点は、例えようもなく大きい。攻撃と回復の両面を使えるようになる事で己の可能性を広げられる事。誰かが傷ついた時に出来る事がないという事が無くなる事。多少の無茶をしたとしても誰にも知られず傷を癒せる事。僕の目指す完璧、完全のためにこれほど適した魔法は無いだろう)
エイミールのそんな「心の声」は、いつしか無意識のうちに声に出して発せられていくようになる。
「今一度気を引き締めて挑まなくては。精神的にも能力的にも成長している事を示し、更には新たなる力を獲得する!いずれ至る理想の果て、天翔る星に出来ぬ事などないと、いつか言えるように!」
彼がそう考えている背景には、先日の週学旅行の折に、当初予定していた契約魔法師ハルナの話を聞くことよりも、学友達との茶会を優先してしまったことへの反省がある。彼の中では、自分が「努力」よりも「人との関わり」を優先するようになっていることに対して、「浮かれているのではないか」という思いが沸き起こっていた。だからこそ、より一層気を引き締めるべきと考えいう考えから、前回以上に強いやる気を抱いてこの会場を訪れていたのである。事前の予習もきっちりやりきった結果、少々寝不足となっているためか、いつも以上にその声が大きく周囲に響き渡っている。
そんな彼とは対象的に、静かに集中力を研ぎ澄ませていたのは、自然派男子
シャロン・アーバスノット
である。彼はここ最近、故郷のことを思い出す機会が増えていた。自分が好きだった山の風、揺れる木漏れ日、駆け巡る動物達……、そんな郷愁の想いに浸る機会が増えつつあったのである。
(今のこの学園生活も、それはそれで楽しいー。でもここ、ほんとにおらの居場所だか……?)
時折、そんな迷いに捕らわれることもあった彼は、ある日、喫茶店の窓から「罠にかかったあの時の兎」を見たような気がした。それは、ガラスに写った自分だったかもしれない。どうしようもなくて、何も出来なくって泣いたあの悲しみも、今ならこの力でどうにかできるのだろうか。ただそう、迷わなくてすむために……。そんな想いを懐きながら、彼はこの試験会場に足を踏み入れていたのである。
一方、
ミランダ・ロータス
は明確な目的意識もないまま、ひとまず前回(アシスト)同様「例年受講者が多そうな科目」の中から、このキュアライトウーンズを選ぶに至った。あえて「治癒」という道を選んだのは、先日の修学旅行を通じて同門のティトと親しくなれたことを通じて、ミランダ自身は無意識のうちに、それまでの彼女の中では希薄だった「相手のことを気遣う」という気持ちが芽生えたことが原因なのかもしれない。
(ティトの方は、きっと大丈夫よね……)
同じ会場で数刻前におこなわれていたティトのエネルギーボルトの試験については、その結果に引きずられないよう、あえてミランダは観戦せず、開始時間ギリギリに会場入りしていた。その上で、集中力を研ぎ澄ませるために会場の隅で誰ともかかわらずにぽつんと立っていたのだが、彼女はある違和感に気付く。
(そういえば、あの保健委員の人、どうして来てないのかしら……。前回も筆記はトップ合格だったって言われてたから、てっきり今回も普通に通過してると思ったのに……)
珍しく彼女がそんな「他人の心配」をしている中、やがて試験官のメルキューレが現れる。この日のキュアライトウーンズの受験者は十数人。そんな彼等に対して、メルキューレはグラウンド上に描かれた大きな「白い円」の外側に配置ように指示した上で、自分はその円の中心に立った上で、受験者達に対してこう言った。
「私は今からここで『大怪我』を負います。皆さんは、その私に対して、その円の外側からキュアライトウーンズをかけて下さい」
前回の試験においては、クロードは特に射程を気にすることもなく至近距離での治療に当たらせていたが、近い将来にエーラム内で「実戦」が発生するかもしれないと考えていたメルキューレは、あえて「戦闘中に遠距離から即座に回復させる訓練」を実践することにしたのである。
学生達の配置が完了したのを確認すると、彼は懐から一本の「火炎瓶」を取り出し、それを自分の真上に向かって放り投げた。寸分違わぬ正確さでメルキューレの頭上へと上がったその火炎瓶は、そのまま落下して彼の頭上に直撃し、そして割れると同時に彼の身体が激しく燃え上がる。錬成魔法師の十八番と呼ぶべき攻撃魔法「バーンエッセンス」である。
「先生!?」
何人かの学生が思わず反射的に駆け寄ろうとするが、メルキューレは炎に包まれた状態のまま、そんな彼等を手で制す。
「その位置です! その位置から魔法をかけて下さい。魔法の範囲内にいるなら、駆け寄る時間は無駄です。その無駄な時間が、命取りになるかもしれない」
言われてみれば当たり前の話なのだが、まだ自分の回復魔法がきちんと効果を発揮するかも分からない状態では、つい条件反射で助けるために近寄ろうとしてしまう者がいるのも、やむを得ぬ話であろう。
「その通りだ! ここはまさに戦場! 先生は僕達の精進のために、自らその地獄の業火に身を晒してくれている! ここで必要なのは冷静な判断力と迅速な対応力! そう! これこそがまさに人々を導く輝ける魔法師なれるかどうかの……」
エイミールが練習用の魔法杖を手に魔法詠唱の体勢を整えながらそう叫んでいる中、その対面側にいたシャロンは、既に魔法詠唱を終えようとしていた。
(この魔法使えば、山火事ん中でも誰かを救えるだ!)
そんなシャロンの思いを込めたキュアライトウーンズは、メルキューレの傷の一端を確かに回復させたが、その直後に(今もまだメルキューレの身体を包み続けている)激しい炎によって、その傷跡が再び蝕ばまれていく。そこに次なる第二波を放ったのは、カロンであった。
(そう、この人の言う通り。先生を助けるために、ここは冷静に、迅速に……。カロンは、素敵な魔法師になるんだから!)
どうやらカロンの心には、エイミールの(一見無駄にも思える)演説はそれなりに響いていたようである。更に、それとほぼ同時にミランダもまた魔法発動を完了していた。彼女は冷静にメルキューレの状況を分析する。
(先生の身体は今『炎上』状態にあるから、かけてもかけても燃え続ける……。これは、私達に何度も回復魔法をかけさせるつもりなのね)
立て続けに放たれたこの二人のキュアライトウーンズによって、メルキューレの焼け爛れた右腕はすぐさま平常状態へと戻っていくが、まだまだ全快には程遠い。
(くっ……、この僕が、遅れを取ってしまうとは! 冷静でなかったのは、僕の方だったというのか! またしてもこの僕は敗れてしまうのか! 自分自身の若さゆえのあやまちによって!)
エイミールは魔法詠唱と同時並行で心の中でそう叫びながら、彼女達に続いて四発目のキュアライトウーンズを放つ。そんな彼等に続いて他の学生達も次々と立て続けに発動させることで、メルキューレの身体はようやく一時的に全快状態にまで至る。しかし、それでも彼の身体にこびりついている魔法の炎は再び彼の身体を燃やし始めるのだが、ここでメルキューレは学生達に対してこう言った。
「いいでしょう、今、ここにいる皆さんは全員、無事にキュアライトウーンズを発動させることに成功しました。合格です」
だが、彼はそう告げた上で、自分の身体が燃え続けている状態を放置していた。皆がその状態を奇異に思っていると、グラウンドの入口に新たな学生が現れる。
「申し訳ございません! 遅れました!」
保健委員の
マチルダ・ノート
である。彼女は前回に引き続き、今回の一斉試験においてもキュアライトウーンズの受験を選択し、そして今回の筆記試験でも首席通過を果たしていた。その彼女が今までこの場にいなかった理由を、メルキューレは知っている。
「ティトさんは、もう大丈夫そうですか?」
その問いかけに対し、マチルダが答えるよりも先にミランダが反応する。
「ティト!? ティトに何かあったの!?」
露骨に取り乱した様子のミランダに対し、マチルダが離れた場所から大声で(しかし落ち着いた)口調で説明する。
「大丈夫ですよ! 魔法の試験の時に、副作用が発動して、気を失っていたのですが、もう意識を取り戻していますし、身体の方も心配はありません! 今はミランダさんの試験結果を心配しているみたいです!」
マチルダはこの試験の直前まで、集中力を保つために、あえて前回自分が失敗した医務室で待機した上で、イメージトレーニングをおこなっていた。だが、そこへ気絶状態のティトがアメリによって担ぎ込まれてきたことで、保健委員としての本能から、試験開始時間を忘れて彼女の介抱に没頭していたのである(その旨はアメリを通じてメルキューレに伝わっていた)。
ミランダはその話を聞くや否や、我を忘れてすぐさま医務室へ向かって走り出して行く。そして、グラウンドの中に足を踏み入れようとするマチルダに対して、メルキューレはこう言った。
「そのまま! その位置から、私に対してキュアライトウーンズを放って下さい。この距離は、あなたの遅刻のペナルティです。到着の遅れを、魔法の射程でカバー出来ることを証明出来れば、あなたにこの魔法を使う資格があると認めましょう」
本来ならば、試験時間に間に合わなかった時点で失格である。しかし、学友の体調を優先した彼女の判断をメルキューレは責める気にはなれなかったので、このような形で特例を認めることにしたのである。実際のところは(前回のアシストの試験におけるクロードのレナードに対する対応のように)試験時間に関しては教員の胸先三寸でどうとでもなる話ではあるのだが、今は「実戦への対応能力」を試すべき時期であるとメルキューレは考えていたため、「戦場への到着の遅れ」を無条件で看過する訳にはいかない、というのが彼の判断であった。
現在のマチルダの立ち位置からメルキューレまでの距離は、キュアライトウーンズのギリギリの射程距離である。この魔法を完璧に習得した者達にとっては、距離の長さは発動の難易度には関係しないのだが、未習熟の者達にとっては、治療対象が遠く離れた場所にいるだけで、どうしても不安がよぎってしまうものである。ここでメルキューレが彼女に課した試練の意図は、その不安を乗り越えられるかどうか、という一点である。
(より多くの人々を同時に救おうとする彼女の志は尊い。だが、一步間違えばそれは、誰も救えずに終わってしまうこともある。約束の刻限を過ぎてでも学友を救うことを優先した以上、その遅れを補って余りあるだけの実力を身に着けてもらわなかければ……)
厳しい表情を浮かべながらも内心でそんな思いを抱いていたメルキューレに対し、マチルダは黙って頷いた上で、自分自身にクールインテリジェンスの魔法を用いる。
「……大丈夫……きっと大丈夫……昨日も綺麗に治った……今までの『練習』を信じるのよ……」
彼女は小声でそう呟きつつ、キュアライトウーンズの魔法を放つと、それは確かにメルキューレの身体へと届き、そして再び焼け始めたその身体をすぐさま癒やしていく。その治癒力自体は(クールインテリジェンスによって強化されていたにもかかわらず)他の学生達に比べて決して高いとは言えなかったが、最低限果たすべき役割は果たしたと判断した上で、メルキューレは自分自身にかかっていた魔法の炎上効果を消し去りつつ、彼女にこう告げた。
「合格です。これからも保健委員として、皆を守り続けてくれることを期待しています」
その言葉に対して、マチルダは心からの安堵の表情を浮かべる。
「これで、やっと……、一緒の舞台に立てるのですね……」
だが、そんな彼女に対して、メルキューレは静かに歩み寄りながらこう言った。
「しかし、あなたの今回の行動は、決して褒められたことではありません。もしティトさんが本格的な看病が必要なほどの重症であれば、その時点で私が対処していました。私は錬成魔法師である以上、医学に関しても相応の見識はあります。その私が『保健室で寝かせておけば大丈夫』と判断したにもかかわらず、あなたは約束の刻限を破ってでも、彼女を看病し続けようとした。私よりも自分自身の見立ての方が正しいと判断した上で。そうですね?」
「それは……、その……」
マチルダはそこまで考えていた訳ではない。ただ、彼女の中での治癒師としての本能が、どうしても目の前のティトを放置してはおけなかったのである。
「自分自身の合格よりも学友を助けることを優先しようとしたその心意気自体は称賛に値します。しかし、もしここであなたがキュアライトウーンズの習得に失敗した場合、近い将来、あなたによって救える筈の命が救えなくなる可能性もあるのです」
実際のところ、メルキューレとしてはマチルダのことは以前から個人的に高く評価している。だからこそ、こんなところで彼女に躓かれては困る、というのが本音であった。
「あなたが、より多くの人々を救いたいと考えるならば、常に冷静にその時々に応じた取捨選択が必要となるのです。99%助かりそうな命を100%助けるために善処することよりも、助かるかどうかも分からない命を救うことを優先すべき時もある。どうしても、どちらも手を抜かずに全力で助けたいと思うのであれば、それを可能にするだけの『圧倒的実力』を身につけて下さい」
その語調から、マチルダは自分が合格基準ギリギリの成果しか出せていなかったのであろう、ということを察する。
「わたしが力不足なのは……、よくわかっています。けれど、もっと鍛錬を積んで、いつかきっと、立派な治癒術士になってみせますから。先生の判断を、間違いにはさせませんわ」
彼女がそう答えると、メルキューレは黙って頷く。彼の本音としては、マチルダのような「治癒魔法への適性のない学生」には、錬成魔法学部に進学して「薬剤師」の道を歩むことを勧めたいというのが本音であったが、この場で彼女にそこまで助言するのは職権乱用であるように思えたため、あえてそれ以上は何も言わなかった。
(嫌われてしまったかな……、いや、私のことは嫌いになってもいい。ただ、人々を救うための道として、薬剤師という道もあるということは、忘れないでいてほしい……)
メルキューレは内心でそんな想いを抱きつつ、ひとまずこの日のキュアライトウーンズの試験は無事に終了する。そして後日、ティトとミランダはマチルダとアメリに対して、深々と感謝の気持ちを伝えるのであった。
******
その後、メルキューレは自身の怪我を完全に治療し、焼けただれた服を着替えた上で、競技場のグラウンド上にて、第三の科目「ヴォーパルウェポン」の試験会場のセッティングを開始する。その様子を、この科目の受験者である、
レナード・メレテス
、
シャーロット・メレテス
、
ニキータ・ハルカス
、ビート・リアン(下図)の四名が眺めていた。
「オメェがこの魔法を選ぶってのは、ちょっと意外だな」
レナードは金属バットを手に(バットの本来の使い方ではない形で)素振りをしながら、同門のシャーロットに対してそう語りかける。彼女のその手には、先日の修学旅行で購入した木刀が握られていた。
「えーっと……、まぁ、確かに、ちょっと迷いました。私はノア君と同じように、生命魔法師か錬成魔法師になろうと思ってるので、キュアライトウーンズやファーストエイドを覚えようかとも思ったんですけど……、でも、いくら平和なところでも、混沌災害は発生する可能性があるので、最低限の攻撃力は欲しいな、と思ったんです」
「確かに、それはそうだな。混沌災害以外にも、なんだかんだで色々と厄介事に巻き込まれるこたぁ、よくあるぜ」
先日の修学旅行での地元の若者との殴り合いを思い出しながら、レナードはより一層力を込めてバットを振りつつ、そう答える。
「それに、契約魔法師になれば、基本的には他に攻撃のできる誰か(契約相手や領地の武官)と共に行動するのが前提ですから、確実に脅威を排除するには、こういう魔法を覚えておく方が、効率がいいんじゃないかなって……」
実際、ヴォーパルウェポンという魔法は、本来は魔法師自身に対してではなく、味方の君主や邪紋使いにかけることが一般的である。今回、レナードやシャーロットが武器を持ってきたのはあくまでも試験のためであり、本来の魔法師が手荷物べきは、武器ではなく、魔法杖(タクト)である(もっとも、レナードは将来的に「前線で自らの手で敵を殴り倒す魔法師」を目指しているようだが)。
そして、レナードは次にビートに視線を向ける。彼の手には大型のクロスボウが握られていた。
「オメェ、そんなちぃせぇ身体で、そんな武器使えンのか?」
「大丈夫です。僕は少しだけ、物の重力を軽くさせることが出来るので……」
「あー、そっか。そういや、なんか静動魔法がちょっとだけ使える、とか言ってたっけ」
「はい。それで、まぁ、どっちの学科に進むかはまだ決めてないんですけど、一応、山吹(亜流)の学科に進んだ時のことも考えて、弓も使えるようにしておこうかと」
この二人はヘラクレスの神殿建設の時に、少しだけ面識がある。とはいえ、あの時は「全てが終わったところに、補習を終えたレナードが駆けつけただけ」だったので、実質初対面のようなものであった。
一方、シャーロットは前回のスリープの試験と同様、今回もニキータと同じ科目を受験することになった訳だが、ニキータは武器らしき武器を手にもっておらず、代わりに背中に大きなカバンを背負っていた。
「あの、ニキータさん……、武器はその中にあるんですか?」
前回のニキータの奇行を目の当たりにしていたシャーロットは、今回も彼からまともな反応が返ってくるか(会話が通じるかどうか)が不安だったが、ニキータはあっさりと答える。
「あぁ、うん。色々持ってきた」
そう言って彼がカバンを広げると、そこには、やたらと分厚い魔法の本、薄い本、食器用と思しきトレイ、木の棒、石、そこらへんで拾った形容しがたい物体など、次々と「武器」とは呼び難い物品が次々と現れる。
「ヴォーパルウェポンをかければ、何でもダメージが増えるんだろ? だから、とりあえず武器になりそうなものを適当に持ってきたんだ」
「は、はぁ、そうですか……」
ちなみに、ニキータが今回ヴォーパルウェポンを覚えることにしたのは「冒険に出たいから、王道の攻撃魔法を習得する」という目的らしい。どうやら彼は、何かおかしな冒険小説に影響されたようである(修学旅行に行かなかったのも、この小説を読むのに夢中になってて、存在自体を忘れていたらしい)。一方で彼の知り合いからは「日頃のおこないが意味不明すぎる」という理由から、「サイレントレージを習得して、考えていることを見せてくれ」と言われたが、それに対しては「俺の頭の中見には何もねーぜ。見てもつまらんよ」とあっさり返したという。
そんな奇妙な取り合わせの四人が見詰める中、やがて「試験会場」が完成する。そこに現れたのは、メルキューレによって設計された「壁」のアーティファクトであった。そのデザインを見た瞬間、レナードは思わず声を上げる。
「長城線(ロングウォール)じゃねーか!」
その壁のデザインが、彼の故郷であるアントリア領クワイエットの南方に広がるヴァレフールの国境の壁「長城線」とそっくりだったのである。そして、その単語に対してビートが反応する。
「え? 長城線って、あのヴァレフールとの国境にあるっていう……」
その言い回しに対して、今度はレナードが驚く。
「オメェ、アントリア人だったのか!?」
「あー……、まぁ、そうですね。ここに来る前は、アントリアの孤児院にいました」
厳密に言えば、ビートの故郷のウリクル村は、彼が生まれた時点では「トランガーヌ」という別の国だった。しかし、その地も現在はアントリア領となっている以上、ビート自身も「アントリア人」と称して特に問題ない立場ではある。
「オレの故郷は、あの長城線の向かい側にあるクワイエットって街なんだ」
「え? じゃあ、あの……、ミネルバ姫って、知ってますか……?」
「領主様んとこの、ちっこい姫さんだろ? 勿論知ってるぜ。サエバの兄貴になついてたからな」
「誰です!? その人!?」
自分が将来契約しようと思っている相手に関する思わぬ情報が出て来たことで、ビートが食い気味にレナードに問いかけているのに対し、ニキータはその話には特に興味を示すことなく、カバンに大量の「武器候補」を入れた状態で、勝手にその「壁」に向かって歩いていく。
「え? あ、ちょっと、ニキータさん、まだ私達、呼ばれてないですよ!」
慌ててシャーロットが後を追いかけるが、当然のごとくその前にメルキューレがニキータを呼び止める。
「どうしました? まだ開始の時間ではないですが」
「とりあえず、武器の選定をしたいんで、試し殴りしていいですか?」
「ほう……? まぁ、いいでしょう」
メルキューレがそう言うと、ニキータは鞄の中から取り出した物品を一つ一つ試すようにその「壁」にぶつけていく。
「何やってんだ、オメェ……?」
さすがにレナードもその奇行に気付いたようで、そう問いかけるが、ニキータは一切無視して一人で勝手に「実験」を続ける。その様子を見ながら、シャーロットは彼が壁に向かって叩きつけているトレイが、魔法学校の食堂のトレイであることに気付く。
「ちょっと、そのトレイって、もしかして勝手に持ち出……」
「あー、ダメだコレ。全然使えねー」
そう言ってニキータが放り投げたトレイが、シャーロットの顔面に激突する。
「へごっっっっっっっっ」
さすがにただのトレイなので、痛みはそれほどでもない。ただ、視界が遮られたこともあって、シャーロットは足を滑らせて倒れてしまう。
「うん、やっぱり、これがいいな。これでいきます!」
ニキータが分厚い魔法書を手にそう言うと、メルキューレがルールの解説を始める。
「それでは、今から皆さんには、二人一組でペアになって、パートナーの武器にヴォーパルウェポンをかけた上で、この壁に攻撃してもらいます。普通の武器では破壊するのは難しい程度の強度になっていますが、ヴォーパルウェポンをかければ一定程度は損傷を与えられる筈です」
つまり、この壁はヴォーパルウェポンの効果を確かめるための「叩き台」ということである。長城線のデザインとそっくりなのは、おそらくメルキューレの二人の養女がこの長城線の近辺の領主と契約していることもあって参考にした、といったところだろうが、その強度は実物とは全くの別物である。
「で、ペア分けですが、ここはやはり同門の……」
メルキューレがそう言いかけたところで、レナードは隣りにいたビートの肩を掴んで宣言する。
「オレはこいつと組むぜ!」
「え? いいんですか?」
「あぁ、一緒に長城線をブッ壊してやろうじゃねぇか!」
「はい! 頑張ります!」
妙に意気投合して盛り上がる二人とは裏腹に、シャーロットはニキータを見ながら不安そうな表情を浮かべる。
(そうなると、私はこの人と、ということですよね……)
てっきり、同門のレナードと組むものだと思っていたシャーロットとしては、この状況は完全に想定外である。もともと風紀委員の彼女から見れば、ヤンキーもサイコパスも扱い辛さとしは大差ないのだが、そもそも彼が手にしている「分厚い魔法書」が武器として機能するのか、と考えると、純粋に受験上のパートナーとして考えても極めて不安であった(彼の「武器」がダメージを与えられないと、シャーロットの魔法が発動していないと解釈される可能性がある)。
だが、レナードがそう言ってしまった以上は仕方がない。シャーロットはニキータの「本」に、ニキータはシャーロットの木刀に、ビートはレナードの金属バットに、そしてレナードはビートのクロスボウに(魔法使用時の副作用の激痛を堪えながら)、それぞれヴォーパルウェポンの魔法をかけ、そして試験がスタートする。
「くたばれ! ジャマール・ケリガン!」
そう言ってレナードが長城線(偽)に向かって金属バットで殴り掛かる。ジャマール・ケリガンとは、彼がクワイエットにいた頃の長城線を守っていた敵の将軍であるが、現在はもう既にくたばっており、彼の息子達が現在の長城線の守護者となっている(世界情勢の講義をあまり受けていなかったレナードの中では、情報更新がされていないらしい)。
彼の激しい打撃が着実に壁を震わせる一方で、後方からはビートがそのレナードの魔法によって強化されたクロスボウを連射する。本来、クロスボウは連射には向かない武器だが、静動魔法の原理を応用して、彼はテキパキとその巻き上げ作業をこなしていた。
(こんな偽物の壁も壊せないようじゃ、彼女の力になるなんて、出来る筈がない!)
そんな想いを胸に弩を構える彼の視線の先では、ニキータが魔法書の角でガシガシと地道に壁を殴り続けていた。
「やっぱり、こいつが一番だ! この試験が終わったら、俺はこいつと一緒に、果てしない冒険の旅に出る!」
なぜか本人だけは手応えを感じているようだが、傍目には、ダメージが入っているのかどうかもよく分からない状態である。
だが、彼以上に周囲を不安にさせる攻撃を続けている者もいた。シャーロットである。
「えい、えい、えい、えい、えい、えい、えい、えい」
彼女は前回の修学旅行で、木刀を大きく振りかぶろうとすると体勢を崩しやすくなる、ということを学んだ。そのため、彼女は下半身を一切動かさず、上半身のみの力で小刻みに殴り続けるという安全策を会得したのである。しかし、当然のごとく、そんな気合の入っていない連撃では、ヴォーパルウェポンの効果を含めた状態ですら、全く壁には損傷を与えられていない。
(今のところ、まともに効いているのはレナード君とビート君だけですね。ニキータ君は、5発に1発くらいはかろうじてダメージが入っていますが、シャーロット君の攻撃は、残念ながらまだ1発も……)
メルキューレが困った顔で見つめる中、レナードが怒鳴りつける。
「おい! シャーロット! オメェ、それでも真面目にやってンのか! やるならちゃんと気合入れろや!」
「や、やってますよぉ……」
「そんなんで『学園の風紀』とやらを守れるって、本気で思ってンのか!?」
風紀を乱している張本人であるヤンキーに言われる筋合いのない話ではあるが、シャーロットはその言葉に(なぜか)ハッとさせられる。
(そうです……、私は風紀委員。学生の皆さんを守るもの。自分が怪我することを恐れて、イップスになってしまっていました。これでは、風紀委員失格です!)
彼女の表情が変わったことを確認したレナードは、ニヤリと笑う。
「オメェの本気の一撃を叩き込め。俺が手伝ってやる。アシストの魔法でな!」
実際のところ、アシストは一度に連発出来るものではない上に、レナードにとっては魔法使用時の副作用の激痛をもたらすという「諸刃の剣」でもあるのだが、「動かない敵」を相手にしている状態においては「動かない敵に対しても狙いを外す可能性のある人物」相手に使う以外に利用価値はない。
「分かりました。お願いします!」
シャーロットはそう叫ぶと同時に、気合を入れるための「妄想」を脳内で展開し始める。
(この壁の向こうに、学園の皆さんが捕われている。それを助け出すのが、私の使命!)
自分にそう言い聞かせた上で、彼女は一步下がった状態から木刀を大きく振りかぶり、そしてレナードからのアシストの魔法を受けつつ、強い踏み込みと共に一気に振り下ろす。
「めええええええええん!」
壁のどこに面があるのかは分からないが、彼女の全身全霊のその一撃によって、(既にレナードとビートの攻撃でボロボロになっていた)長城線は破壊される。
「やった……、やりました! やりましたよ! レナードさん!」
「お、おぅ、やれば出来るじゃねーか! それでこそ、風紀委員だ……!」
レナードは激痛を笑顔でごまかしつつ、彼女と(彼女の視点から見た高さの)ハイタッチを交わす。その様子を後方で見ていたビートは、レナードの異変に気付いていた。
(そうか、あの人もテリスさんと同じように、副作用を抱えながら戦ってるんだな……)
ビートは改めて、このエーラムには「尊敬すべき先輩」が沢山いることを実感する。一方で、ニキータは一人で勝ち誇った表情を浮かべていた。
「やはり、俺の絶え間ない連続攻撃の蓄積には耐えられなかったようだな。この魔法書があれば、俺は無敵だ!」
「いや、ちゃんと魔法書として使いましょうよ……」
「てか、ちゃんとした武器買えよ……」
シャーロットとレナードが静かにそんなツッコミを入れるが、当然、ニキータの耳には入っていない。ともあれ、四人全員が(その功績には多大なる格差があるものの)壁に対して一定のダメージを与えたことは確認出来たため、無事に全員合格となった。
なお、食堂のトレイはニキータがその場に放置したまま帰ったため、シャーロットが食堂に返しに行き、後日そのことでニキータは食堂の職員から怒られることになるが、その犯行目的を問われた彼は「魔法の修得のために使った」としか答えず、その意図は誰一人理解出来なかった。
******
「ひと通り、全部の魔法理論は目を通したけど、やっぱり、アシストかキュアライトウーンズですかね? でもでも、傷つけずに相手を無力化出来るスリープも捨てがたいのですよねぇ……」
将来、契約魔法師になるつもりのヴィルヘルミネは、師匠の元で魔法理論の本の前で頭を悩ませていた。様々な資料を見比べながら、何とか候補は絞りつつあるものの、まだ決め手に欠けている。師匠にオススメを聞いてみたものの「ヴィリーが自分で選ばなきゃ悔いが残るだろ?」と言われてしまった。
「師匠さんのテストでは、ミーネは召喚魔法よりも元素魔法の適性が高いですよね……。元素魔法は攻防はともかく回復のイメージないですし、ううん……」
結局、アシストとキュアライトウーンズのどちらの理論もある程度頭に詰め込んだ上で、選択の期限ギリギリまで悩んだ彼女は、アシストを習得することにした。
「ソリュートで、邪紋使いの方が治療師をされてました。君主の方にも治癒を得意とする聖印があるでしょう? お薬もあります。わたしが回復魔法出来なくても、何とかなるかなと思ったんです。この『ちょこっとの助け』があると、いざと言う時にもアシストがあるって落ち着けるかなぁ、って」
ヴィルへルミネが師匠にそう説明すると、師匠も笑顔で彼女を送り出す。こうして彼女が出願書類を今回の担当教員であるメルキューレの研究室に出しに行こうとするが、そこには既に先客がいた。
オーキス・クアドラント
である。昨今の学内では、教員によるセクハラ防止の観点から、女子学生を男性教員の部屋に入れる時には扉を半開きにする慣習があり、ヴィルへルミネが研究室に近付こうとした時点で、中からオーキスの声がが聞こえてきた。
オーキスはメルキューレの養女ではないが、オーキスの身体の生成には錬成魔法師であるメルキューレも関わっている上に、親友のシャリテの養父でもあるため、彼女から見れば色々な意味で特別な存在である。そんなメルキューレに対して、オーキスはこう提言していた。
「シャリテに新しい身体を作る予定があるのよね? だったら、シャリテの身体を構成するのに、私を創造した技術――ホムンクルスの技術が使えるかもしれないし、そうでなくても必要な事なら、私にできる事なら何でもするわ」
「それはつまり、あなたの身体の一部を、材料や実験台として使え、ということですか?」
「もちろん、それも含めて何でもやるってことよ。何故なら、私は彼女の事を大事な友達だと思ってるから。……これではいけないかしら?」
「いえ、そう言ってもらえるのは、彼女の父として嬉しい嬉しい限りです。しかし、あなたはノギロ先生の大切なお嬢さんでもあり、ロンギルス殿の忘れ形見でもある。そう軽々しく危険に晒す訳にはいきません。それに、あなたの生成時の記録は残されていますし、あなたの創造技術を生かす上で、今の時点での『あなた自身』が必要になることはありません。強いて言うなら、あなたがこのまま健やかに成長し続けてくれることが、『新たな彼女の身体』を生成する上での一番のプラスの材料になります。ですから、あなたは今まで通り、『彼女』の友達であり続けてくれれば、それだけで結構です」
実際のところ、当初計画していた『プランAH』において、ロシェル/シャリテという存在は全くの想定外であったが、結果的に互いの存在が互いにとっての大きなプラスとなっていた。この点に関しては、両者に深く関わっているメルキューレとしては、嬉しい誤算と言う他ない。その上で、オーキスはふと「3人目」についても言及する。
「『ロシェル』とは、まだ仲良くなれるかわからないけれど、努力はするつもりよ。元々、そう出来たらいいって思ってたし」
「ありがとうございます。ある意味、『彼女』の方がより『あなた』に近い存在ですからね。もしかしたら、シャリテ以上にあなたの方が、彼女にとっての良き理解者になってくれるかもしれない、と私も期待しています」
そんな二人の会話を、はからずも立ち聞きすることになってしまったヴィルへルミネであったが、ここまでは普通に「美しき友情と家族愛」の話として、ほっこりとした気持ちで聞いていた。だが、ここで会話の内容は一変する。
「シャリテが、当面は『狼』の姿でもいいと割り切れるようになったのは、彼女のことを皆が受け入れてくれるようになったからよね」
「えぇ、その中でも特に『あなたとの絆』が主因であることは間違いないですが」
「それは私もお互い様。私も彼女達がいたからこそ、私自身が『人外の存在』であることを受け入れられるようになった。だから、これから先、もし皆の身に危険が及ぶようなことがあったら、私は『人』として扱われる権利を放棄しても構わない」
「……どういう意味です?」
「私は皆を守るためだったら、もう一度『化け物』にでも何にでもなるわ。たとえそれが『プランAH』の構想に、そして『あの人』の想いに背く考えだとしても」
彼女が何を想定した上でこんな話をしているのかは分からない。だが、さすがにヴィルへルミネとしても、この話をこのまま黙って聞き続けるのは道理に反すると考えて、あえて扉を開ける。
「ご、ごめんなさい! あの、盗み聞きするつもりはなかったんですけど……、その、書類を出しに来たら、偶然聴こえてしまって……」
「別にいいわよ。特に隠すつもりもないし。むしろ、知っておいてほしかったくらいだわ。それが今の私の本音だから」
前回、オーキスが暴走した際に、ヴィルへルミネは捜索隊には加わらなかったが、オーキスの帰還を信じて、喫茶「マッターホルン」を借り切って、オーキスを迎え入れる準備をしてくれていた。そんな彼女であればこそ、今のこの気持を伝えることにオーキスも躊躇はない。一方、メルキューレは神妙な表情のまま、オーキスに対してこう告げる。
「プランAHの思想も、ロンギルス殿の遺志も、今のあなたの行動を縛る理由にはなりません。むしろ、あなたの心を縛らずに、あなたに心のままに生きてもらうことこそが、ロンギルス殿も含めた私達全員の願いです。それが、どんな結果になろうとも」
「もし、迷惑を掛けることになったら、ごめんなさいね……」
「仮にあなたが完全に理性を失った状態になってしまったも、きっと私やノギロ先生よりも先に、『皆さん』が止めてくれるでしょう。私はそう信じています」
この時、メルキューレと視線が合った気がしたヴィルへルミネは、どう反応すれば良いのか分からず、ひとまず彼に対して書類を差し出す。
「こ、これ、よろしくお願いします! アシストの受験希望です!」
「分かりました。では、しっかり勉強して、きっちり身につけて下さいね」
そう言われたヴィルへルミネは、足早にその場から立ち去る。完全に想定外の話を聞いてしまった彼女は、改めて自分の選択が正しかったのかを内心問い直す。
(もしかして、やっぱりスリープの方が良かったのかな……)
オーキスが再暴走した時のことを考えると、確かに、彼女を鎮めるための手段はあるに越したことはないと思えてくる。だが、その直後にヴィルへルミネは考えを改めた。
(ううん、違う。今のわたしが中途半端にスリープの魔法を覚えても、きっと本気の状態のオーキスさんは止められない……。でも、誰かがかけたスリープに、わたしがアシストを加えれば、もしかしたら止められるかもしれない……)
一人静かにそんな思案を巡らせつつ、ヴィルへルミネは自身の寮へと帰還するのであった。
***
その翌日から、事前講義が始まった。ヴィルへルミネが会場へと向かうと、そこにはオーキスの姿もある。教室内には、
マシュー・アルティナス
や
アツシ・ハイデルベルグ
に混ざって、これまでまともに魔法の試験を受けてこなかった
ダンテ・ヲグリス
も机を並べていた。
果たしてダンテの中でどんな心境の変化があったのかは不明だが、今回はヴィッキーから参考書『ハリー・ボッテーで学ぶ基礎魔法』を借り、更に彼女から「アシスト」の修得に必要なメモまで借りた上で、ようやく初めての魔法修得に臨む決意を固めたのである(discord「図書館」6月25日)。
また、今回はその
ヴィッキー・ストラトス
自身もまた(汎用性の高さを理由に多くの人々に勧めてきたこともあって)このアシストの講義に参加しており、彼女と同門の
ロウライズ・ストラトス
もまた「仮にどの魔術師としての道に進んでも汎用的に使えそう」「霊感の低い自分よりも他者を
サポートしたほうが有効な場面もある」という判断から、この講義に加わっている。
そんな受講者達の様子を見ながら、
ジュード・アイアス
は自分の中で彼等への「対抗心」「ライバル心」が芽生えつつあることに、どこか違和感を感じつつあった。
(必要以上に頑張る意味はない、はずなのです。そのはずですが、自身でもよく分からない感情に動かされています)
実際のところ、アシストの魔法は誰が使っても同程度の効果しかもたらさず、一度使い方をマスターすれば、失敗することはほぼない。その意味では、元来は競い合うような魔法ではない筈なのだが、それでも最近は受験者数が多いこともあってか、まるで一種の「見世物」のようなイベントとして開催されることも多い。実際、前回は何の必然性があるのかも分からないような「運動会」をさせられていた(なお、その時の首席合格はアメリ・アーバスノットだったらしいが、その選考理由は「最も効果的なタイミングで使った」という、よく分からないものであった)。
本来のジュードならば、そんなイベントごとに「参加者」として加わることにさしたる意義は感じなかった筈である。しかし、今回の彼は、果たしてどのような「余興」を自分達が強いられることになるのか、どこかで楽しみにしている自分がいた。そして、今この場にいる彼等に勝ちたい、という願望が芽生えていたのである。
(結局、僕も師匠の弟子という事でしょうか。いつも一番を目指す義兄さんにあてられたのでしょうか。はたまた、自慢したい相手でも知らぬ間にできたのでしょうか。自分の事なのに理由がわからないのは少し気持ち悪いですが、いずれにせよ僕にとって『それ』は必要みたいです。ならばやることは一つですね。学業でも実技でも一番狙っていきましょう)
そんな決意を胸に秘めつつ、ジュードは事前にしっかりと参考書を読み込み、講義中も疑問に思ったことは積極的にメルキューレに質問することで、理解を深めていく。ヴィッキーやロウライズもそんな彼等の質疑応答に真剣に聞き入る一方で、アツシやダンテは途中から完全に意識が明後日の方向へ飛んでいたが、なんだかんだで最終的に(ダンテに関しては本当にギリギリで)、上述の八人が実技試験へと臨むことになった。
そしてこの八人に対してメルキューレが実技試験のルールを解説することになったのだが、その内容は誰にとっても完全に想定外だったようで、全員が一様に驚愕と困惑が入り交ざったような表情を浮かべる。それに加えて、今回はその競技内容の都合上、各自がアシストをかける対象は「他の受験者」ではなく、「メルキューレが事前に手配していた協力者」になるらしい。そのメンバーについても、この場で彼等に対してまとめて発表された。
「あいつ、『それ』使う必要あるのか?」
「めっちゃ面白そうじゃん! よし! 今から二人で特訓するぜ!」
「シャリテには無理だし、まぁ、仕方ないわね」
「え? 本当にいいんですか? わたしのために?」
「彼女なら、何でもそつなくこなしてくれそうですね」
「よりによって、あの人ですか……」
「これって、本当に危険性はないんですよね? 大丈夫なんですよね?」
「ちょっと待って! ウチだけ人選おかしくない?」
それぞれに期待と不安を抱きつつ、やがて彼等はそれぞれに指定された「協力者」と共に実技試験当日を迎えることになる。
***
「さぁ! やってまいりました! 本日のメインイベント! 基礎魔法『アシスト』の実技試験、まもなく開幕です! 実況は『参加者8人以上の大所帯になった時は私にお任せ』のキャッチフレーズでおなじみの、ヴァルスの蜘蛛のスパイダーネットを彩る一輪の蝶、キリコ・タチバナ(下図)がお送りします」
屋外競技場にキリコの(先日ロシェルに貸し出されていた)拡声器を用いた大声が響き渡る。先日の射撃大会の時と同様、彼女は会場内の「実況席」に座り、その隣には「解説役」としてのメルキューレの姿があった。
「今回のアシストの試験内容について、メルキューレ先生、簡単に説明してもらえますか?」
「一言で言うなら『自動車競争(カーレース)』です」
当然、その説明で理解出来る者は、この会場内には殆どいない。そして、「キリコの住んでいた地球」においてもそれは決してポピュラーな概念ではないのだが、なぜか彼女は「様々な地球」に関する知識を幅広く持ち合わせている。
「ほほう、このアトラタン大陸でカーレースですか。これは地球人としては非常に興味深い話ですね。つまり、投影装備の乗騎を用いたレース、ということですか? それとも、マシンは僕で僕がマシンなオルガノン達によるレースですか?」
「いえ、今回用いるのは、異界に存在する乗機の情報を元に、私がレプリカとして作り出したアーティファクトです。そのアーティファクトの運転者に対して、受験者達が外からアシストの魔法を用いてサポートする、というのが今回の試験となります」
「うーん、なんともまどろっこしい企画ですね。それ、普通にカーレースとして開けばよかったんじゃないですか? こないだの射撃大会みたいに」
「当初の予定では、射撃大会よりも先にこちらが計画されていたのです。ところが、発起人だった筈のカルディナ先生自身が途中で飽きて計画から抜けてしまって頓挫し、その代わりに射撃大会が開かれることになり、その結果としてお蔵入りになってしまった自動車達をどうにか使えないかと考えた上で、今回このような形で試験をおこなわせて頂くことになりました」
解説しているメルキューレも、学生達に対して申し訳無さそうな様子でそう述べる。とはいえ、この企画のために多くの錬成魔法師に協力を要請していた以上、なんとかして日の目を見せたいという思いは彼の中でも消し去れなかったらしい。その上で、彼は更に解説を続ける。
「なお、レースの結果が何位に終わろうと、アシストの魔法の発動さえ確認出来れば、その時点で試験としては合格扱いになります。また、もしアシスト発動前にコースアウトやマシントラブルなどでリタイアしてしまった場合は、再挑戦の権利を与えます。その上で、1位になったペアには、今回のスポンサーであるアップルゲート商会から優勝賞金が送られます」
アップルゲート商会とは、ローレンス・アップルゲート(『グランクレスト戦記データブック』P.80参照)によって運営されている新進気鋭の民間企業である。
「なるほど。なんだか色々大人の事情が絡んでいる匂いがしますが、それはさておき、まずは今回の受験者である教養学部の学生さん達の入場です!」
キリコがそう叫ぶと、競技場の入口からヴィッキーやジュード達が現れて、競技用トラックの中央部へと向かう。
「とりあえず、彼等の紹介についてはパートナーとなるドライバーとマシンが入場した時に一緒に説明させてもらうことにしましょう。ともあれ、この八名が……、あれ? 九人いません?」
「それについては、また後で解説させて頂きます」
「なるほど。何やらまたややこしい事情がありそうですが、ともあれ、とりあえず彼等がトラックの中央部にスタンバイしました。しかし、このトラックは相当広い訳ですが、あの中央部からちゃんとマシンまでアシストの魔法は届くのですか?」
「普通は届きません。ただ、今回は特殊事例なので、『魔法の射程距離を伸ばす特殊なアーティファクト』を彼等に装着してもらっています。彼等が『アシストの本来の射程距離』まできちんと魔法を届けることが出来るだけの技術を身に着けていれば、無事に効果は発動する筈です」
二人がそんな会話を交わしている中、やがてマシン入場の時間が訪れる。
「さぁ、それは今から、それぞれの入場テーマ曲と共に紹介させて頂きましょう。なお、ゼッケン番号は小さいほうが筆記試験の上位合格者なので、ここはあえて『8番』から順に紹介させて頂きます」
キリコがそう宣言すると、まず最初に激しい爆音と共に「車体の先端が尖った紫色のオープンカー」が会場内に現れる。
「ゼッケン8番、ゼロゼロマシン(
入場テーマ曲
)。ジェットエンジンを搭載した瞬間的な加速力が魅力の車両です。運転手は、先日の戦闘訓練で見事な戦いぶりを披露して下さった魔境探索の専門家、雷光のワトホート選手(下図)。そしてアシストを用いてサポートするパートナーは、自称『魔剣使い』の剣豪ダンテ・ヲグリスさんです」
ワトホートは邪紋使いだが、基本的にはどんな乗騎に乗るよりも「自分が変身して走った方が速い」と考えているため、乗騎の扱いには慣れていない。だが、そんな彼でも簡単に操れる程度の親切設計に仕上がっていた。
「まぁ、不意打ちとはいえ、この俺に一撃入れたご褒美だ。ガキのお遊びに付き合ってやるよ」
運転席で彼はそう呟くが、爆音が激しすぎて観客席の人々の耳には届かない。なお、車の選定は筆記試験の得点が高い順に選択権があったため、ダンテが選んだこの車は「残り物」だったのだが、ダンテの中では、むしろなぜ残っていたのかが不思議な逸品だった。
「なんかよく分かんねーけど、一番強そうだろ?」
ダンテとしては、それ以外の点はどうでも良かったらしい。そして、すぐさま次の出場車が現れる。そのマシンの車体には白地をベースとしつつ、そこに何本かのオレンジのラインが彩られたデザインで、ボンネットと思しき部分には「496」の文字が刻まれていた。
「さぁ、続きまして、ゼッケン7番。ダッシュ1号『エンペラー』(
入場テーマ曲
)。速度と安定性のバランスに長けたマシンとのことです。運転手は、今大会参加者の中では最年少のビート・リアン選手……って、あれ? ビート選手、あの『アシストをかける側』の学生さん達の中にいますね。そして、何やら奇妙な、ホッケー選手のようなスティックを動かしていますが……」
「解説させて頂きます。あの車はもともと、人を乗せるための車両ではりません。本来の世界では『走る車の模型』として作られた玩具なのですが、それを実際の車の大きさで再現したのがあのマシンです。そして、基本的にまっすぐにしか走らないため、元の世界では車と一緒に人間が並走しながらあのガイドスティックで進む方向を操作するのですが、実物大サイズではそれは不可能なので、遠隔操作のための魔法具として、特殊なガイドスティックを作り出しました。あれを状況に合わせて動かすことで、実質的にエンペラーの進路を操作することが出来ます」
「うーん、なんだか分かったような分からないような理屈ですが、ともあれ、あの白いスティックを持っている少年、ビート・リアンが実質的な操縦者、ということらしいです。そしてパートナーはその隣に立つアツシ・ハイデルベルグさんです」
その説明を受けて、アツシとビートは揃って観客に向けて手を振る。なお、ビートはつい先刻までここでヴォーパルウェポンの試験を受けていた身だが、そのまま連戦することになった。
「頑張りましょう、アツシさん」
「おう! 俺達の友情パワーで、絶対に優勝しような!」
ドライバーと魔法師が一緒に行動出来る(緊密に連携出来る)という意味では他の面々よりも有利であるが、その分、遠隔操作者には独特の技術が必要になる。それが吉と出るか凶と出るかは分からなかった。
そして、今度は青・白・赤の三色カラーリングで、スリムな胴体と低めの車高のマシンが会場に現れる。
「ゼッケン6番、アスラーダGSXの登場です(
入場テーマ曲
)。今回出場するマシンはいずれも地球産の車がモデルになっているそうですが、これは2015年に作られたということで、今まで登場した車の中では最も未来の世界で走られている車のようですね」
キリコはそう説明するが、実際のところ、それぞれに異なる世界線の地球からの投影体であるため、あまりその年代比較には意味がない。
「そんなアスラーダを運転するのは、10歳にして未来の生命魔法学部を担うと言われる天才少年、ユタ・クアドラント選手(下図)。そしてパートナーは、同門のオーキス・クアドラントさんです。こちらも年少コンビですね、メルキューレ先生」
「もともとこのマシンにはナビゲートシステムがついており、その点についても忠実に再現しているので、乗騎操作経験の少ないユタ君でも問題なく動かせるでしょう。元の世界におけるこの車のドライバーは14歳なので、小柄な学生向きかと思ったのですが、それでもさすがにユタ君では小柄すぎたので、アクセルの位置などは若干調整させてもらいました」
実際のところ、純粋なレーシングカーとしての性能としては、おそらくこのアスラーダが最強である。ただ、あまりにも高性能すぎて、その性能を発揮しきれるかどうかが不安、というのがメルキューレから見た上での一番の懸念材料であった。
「オーキスさんには日頃からお世話になってますから、ここは頑張らなければ……」
運転席で一人そう呟くユタに対して、オーキスは比較的気楽な心持ちで眺めていた。
(まぁ、怪我さえしなければいいわよ。無理せず安全運転を心掛けてね)
そんな彼女が見詰める先に、今度は「煙を立てながら走る三輪の奇妙な車」が現れる。その車体は、まるで木造船に強引に三つのタイヤを付けたような、明らかに奇怪な構造であった。
「ゼッケン5番、天晴号の入場です!(
入場テーマ曲
) これはすごいですね。同じ地球でも、どちらかというと私の元いた地球に近いような、何か間違った進化を遂げたような独特のデザインです。どうやら蒸気機関で走る巨大な三輪車のようですね。運転手はケネス・カサブランカ選手(下図)。パートナーを務めるのは、ヴィルへルミネ・クレセントさんです」
その構造からして明らかに他の出場車とは完全に別物である。作成された年代は19世紀末という、かなり古い時代のため、機能的は明らかに数段劣っているように見えたが、それでもどこか不気味なポテンシャルを感じさせる。運転席のケネスは、不敵な笑みを浮かべていた。
「なかなか面白いではないか。この明らかに進化の流れから取り残されたかのような構造、気に入ったぞ。まさに今の儂にふさわしい」
ちなみに、彼は今回の基礎魔法修得の試験には「受験者」としては参加していない。本人の中で何か他に優先すべきことがあったようだが、その詳細については誰にも話していないので不明である。しかし、そんな中でもなぜか、このレースには参加する気になったらしい。
(ケネスさん、どうか無理だけはせず、無事に完走して下さい)
ヴィルへルミネが静かにそんな祈りを捧げる中、続いて入場してきたのは、先刻のアスラーダよりも更に無駄を削ぎ落としたようなシンプルなデザインのマシンであった。
「さて、次に現れましたのはゼッケン4番、FJ1600 グンマ・アカギ・モデル(
入場テーマ曲
)。手元の資料によると、元の世界では比較的初心者向けのレースマシンということですが、これは他の車種と比べると性能的には一枚劣る、ということですか、メルキューレ先生?」
「動力性能としては、確かにその通りです。しかし、このレースの出場者はいずれも素人。その意味では、むしろ扱いやすいモデルの方が無駄なく性能を発揮出来るかもしれません」
「なるほど。運転手を務めるのは新進気鋭の女魔法師ジェレミー・ハウル選手(下図)。ここに来て初の女性ドライバーですが、魔法師としての実力は、今まで紹介してきた誰よりも上。パートナーは、マシュー・アルティナスさんです」
そんなアナウンスを狭い運転席の中で聞いていたジェレミーは、真剣な表情で呟く。
「修学旅行のお土産の御礼に、ちょっと付き合ってあげようかと思っただけだったけど、やっぱり勝負事である以上、やるからには、何人たりとも私の前は走らせないわよ」
一人静かに闘志を燃やすジェレミーであったが、マシューは気楽な様子で眺めていた。
「まぁ、先輩がどんな結果に終わったとしても、手伝ってくれた御礼に、またランチでもおごらせてもらいますよ」
そして、ここからはいよいよ筆記試験ベスト3組の登場である。皆が注目する中、会場に現れたのは白地の「20世紀末期の地球の自家用車」であった。本来は現地語で何かが書かれていたと思しき場所に「アストリッド商会」というステッカーが上から貼られている。
「ゼッケン3番、スプリンタートレノ AE86型 GT-APEX 3door(
入場テーマ曲
)。まぁ、長いんで『ハチロク』と呼ばせてもらいます。運転手は敏腕女性商人アストリッド・ユーノ選手。今回の出場車の中では唯一の『一般人』です。大丈夫なんでしょうか? 他の人達に比べて、不利すぎませんか?」
「そもそも今回は、何らかのトラブルや身の危険が発生しない限り、受験者以外は魔法や邪紋の使用は禁止です」
「あ、そうでしたっけ?」
「というか、そうでなければカーレースとしての意味がありません」
「まぁ、それもそうですね。そして、パートナーは出張購買部のジュード・アイアスさんです」
ジュードは以前、アストリッドのアンケート調査を手伝ったことがある。その時に気に入られていたことから、今回はアストリッドの方から協力を申し出てきた。無論、目的は売名である。
「ローレンス商会主催の大会に、まさか私が出場するとは思っていないでしょう。しかし、だからこそ出場する。見てなさい、私は魔法も邪紋も使えないけど、異界の乗り物はこれまで何台も試乗して来たわ。このステージで必要な性能が何かということを考えれば、最適解は間違いなくこのマシンなのよ。賞金かっさらって、今度はその賞金で私が次の大会を主催してやろうじゃないの」
密かにそんな野心を燃やすアストリッドに対し、今回は珍しくジュードも乗り気であった。
(まぁ、ここはあの人の鑑識眼を信じてみることにしましょう。その上で、僕は僕で『最適なタイミングを見計らう勝負』に、勝たせてもらいますよ)
ジュードもまたそんな闘志を燃やしつつ、筆記試験で後塵を拝したロウライズとヴィッキーに対して、眼鏡の奥から鋭い視線を向ける。だが、この二人の方は勝負への闘志よりも、それぞれに異なる意味での「不安」の方が高まっていた。
そしてロウライズの視線の先に、彼のパートナーが乗車したマシンが現れる。それはハチロクよりもやや大型の、赤いボディの乗用車であった。
「ゼッケン2番、セリカXX(
入場テーマ曲
)。デザイン的には、一番安定したフォルムのように見えますね。運転手は、先日の公開告白で学内中の話題をさらった恋する乙女エマ・ロータス(下図)。そしてパートナーは、そのお相手であるロウライズ・ストラトスさんです!」
「やめて! まだちゃんとした返事も貰ってないのに、これ以上広めないで!」
マシンの中でエマは叫ぶが、当然、そんな声は聴こえていないし、聴こえたところで後の祭りである。更に言えば、自業自得でもある(ちなみに、彼女は数時間前にキュアライトウーンズの試験にこっそりと参加し、ひっそりと合格していた)。
「はぁ…………、もう、ホントに、なんで私あんなところで言っちゃったんだろう……。でも、こうなったからには、絶対に負けられない! 私のせいでロウライズさんに恥をかかせるなんて、絶対に出来ないわ!」
彼女のそんな決意は、ロウライズにも伝わっている。
(いや、頼むから、無理はしないでくれ……。別に何位になろうと合格は合格なんだから、ここで君に無理してもらう必要なんて、微塵もないんだ……)
ちなみに、二番手だったロウライズがこの車を選んだのは、純粋にこの車が最も耐久性が高そうだったからである。今の彼はエマに対して、完走以上のことは何一つ望んでいなかった。
こうして七台の車が出揃う中、遂に最後の一台が登場する。それは、ホワイトボディに赤いライン、そして側面には「5」の文字が入ったオープンカーであり、直前の二車よりはアスラーダやFJ1600に近い「スピードに特化したモデル」のように見えるが、それ以上に観客の目を引いたのは、その運転席にいる、白いヘルメットを被り、眼鏡を掛けた初老の男性の姿である。
「おい、あれって……」
「いや、まさか……」
観客がザワつく中、キリコは大声で叫び上げる。
「遂に登場! ゼッケン1番、マッハ号!(
入場テーマ曲
) ドライバーはなんとセンブロス・ストラトス学長(下図)! パートナーは筆記試験1位のヴィッキー・ストラトスさん! 文句なしブッチギリの優勝候補大本命です!」
「正直、私も驚きました。ストラトス一門の中から、誰か彼女と親しい人を紹介してくれませんか、と頼んだのですが、まさか学長自身が手を挙げるとは……」
場内全体に更なるザワつきが広がるが、当の学長は淡々とマッハ号を運転しながらポールポジションへと辿り着く。
(ヴィッキーは今、教養学部の学生達の中心的存在となりつつある。そんな彼女のことをきちんと理解してやるためにも、今回の機会を通じて、彼女との一門としての絆を深めなければ)
そんな決意で参加した学長であったが、若者達の輪の中に積極的に入り込もうとする年老いた権力者ほど、若者にとって厄介な存在はいない。
(お願いやから、勘弁してえな……。もしまかり間違って学長の身に何かあったら、ウチ、どないすればええの……)
そんな彼女の心配をよそに、八台の出場車が出揃ったところで、チェッカーフラッグが掲げられる。これが振り下ろされた瞬間が、レース開始の合図である。
「さぁ、それでは今からスタートです。3、2、1……」
各車が一斉に走り出す。そしてこの瞬間、絶妙なタイミングで2車がトップに躍り出た。ポジション的には後方にいた筈の、ワトホートを載せたゼロゼロマシンと、遠隔操作でビートが運転するエンペラーである。
「おーっとぉ!? いきなりの下剋上! ゼッケン8番と7番が最高のスタートダッシュを決めました! これは意外な展開!」
「両者とも、最初のスタートの時点でアシストを発動させましたね。そして見事に成功させた。この時点でダンテ君とアツシ君の試験は合格です」
メルキューレは淡々とそう語る。この二人は最初から、初期ポジションの不利を覆すための先手必勝策を狙っていたのである。
「レースとかよく分かんねえけど、こんな小さなコースだったら、ちんたら駆け引きなんてやってる暇ねぇだろうがよ!」
「さぁ、いけ! ビート! このままギアを落とさず一気に……」
ダンテとアツシは勝ち誇った過去でそう叫ぶが、その直後、ゼロゼロマシンとエンペラーは唐突にスピンアウトしてコース外に弾き出されてしまう
「「「「なに!?」」」」
トップを走っていた筈の二組(四人)がそう叫ぶ。どうやら、路上に設置されていた「謎の装置」に引っかかって、車の進行方向がズレてしまったらしい。
「あーっとぉ、残念! 試験は合格したようですが、両車共にレースからは脱落です!」
「今回のコースはカルディナ先生の原案に基づいて、様々なトラップが仕掛けられています。注意深く見れば分かるようなヒントは路上に示していた筈なのですが、スタートダッシュにこだわりすぎて、見落としていたようですね」
なお、カルディナの初期案では爆薬を仕掛ける予定だったのだが、さすがに危険性が高いということで却下されたらしい。
「おい! ダンテ! こんなのがあるなんて、聞いてねえぞ!」
運転席から飛び出したワトホートは、一瞬にしてダンテの元へと駆け込んで胸ぐらを掴みながらそう責め立てる。
「あー、そうだっけ? わりぃわりぃ、言い忘れてたっていうか、そもそもオレも忘れてた」
「チッ! 賞金が入れば、久しぶりに焼き龍でも食いに行こうと思ってたのによ……」
「すみません、アツシさん、不注意でした……」
「いやー、まぁ、しょうがないよ。そもそもこの位置からじゃ地面の記号なんて見にくいし」
そんな四人をさておき、レースは続行される。残りの六人のドライバー達は目の前のトラップの位置を確認するために目を凝らそうとするが、ここでヴィッキーもまたアシストを発動させ、センブロスの視界を活性化させる。
「ヴィッキーめ……、老眼だと思って心配しておるな……」
センブロスはそう呟きつつ、強化された視力でトラップの位置を確認しつつ、それらを避けた上での最短ルートを即座に発見して先頭に立って走り抜けて行く。
「ヴィッキー君も合格です。地味な形での使用ですが、確かに効果は出ていますね」
「うーん、私にはどのタイミングで使われたのかもよく分かりませんでしたが、ともあれ、ここでゼッケン1番マッハ号が再びトップに立ちました。そして、その後をピッタリとアストリッド選手を乗せたハチロクがマークし、以下、FJ1600(ジェレミー)、アスラーダ(ユタ)、セリカXX(エマ)、天晴号(ケネス)と続きます」
「おそらく、彼等は学長のマッハ号の軌道を参考にすることで、この序盤のトラップ帯を安全策で切り抜ける策を選びましたね」
「なるほどぉ! つまり、学長に毒見役をさせてるという訳ですね!」
「まぁ、結果的に言えばそういうことになります。特にハチロクは位置的にも風圧を避ける絶好のスリップストリームの位置に入っている。なかなかの好判断と言えます」
その意味では、序盤でアシストという切り札を使った上で先頭を走るマッハ号は実は色々な意味で不利なポジションに入っている側面もあるのだが、別に勝負にこだわっている訳でもないヴィッキーとしては、むしろそれは想定内だった。たとえ終盤で後方からの車両に差し抜かれることがあっても、それはそれでいいと割り切っていたのである。
(下手にアシスト温存して、使うタイミングを逃したら、またもっかい走らなあかんのやろ? だったら、序盤で事故を防ぐために使ってしまうのが最善策や。もうウチの仕事は終わったから、あとは学長がやりたいようにやってくれればええ訳やし)
一方で、勝負に強いこだわりを持っている三人の女性ドライバーは、パートナーがアシストを切るタイミングを期待しながらハンドルを回す。
「こんな小さなトラック型のコースなら、どうせマシンのトップスピードなんて出せる筈がない。大切なのはコーナリングへの対応力。その意味でも、このハチロクが最適解なのよ。勝負は最終コーナーね」
「このFJ1600は出場車の中で車体が一番小さい。だから、間隙があったらいつでも行くわ。マシュー、ちゃんとそのタイミングは見計らいなさいよ!」
「あーーーーー、やっちゃったぁぁぁ、せっかく二番手のスタートポジションだったのに、さっきのスピンアウトでビックリしてる間に出遅れちゃったわ……。なんとか、どこかで取り返さないと! お願い、ロウライズさん! いつでもアシストを送って!」
そんな中、最後尾を走る天晴号の中では、ケネスが思案を巡らせていた。
(やはり、乗騎の性能差は如何ともし難い。かと言って、ただ甘んじて最後尾を走るだけでは面白くない。ならば、ここはあえて奇策を弄させてもらおう)
彼は目の前に現れた(他の五台が堅実に避けた)「露骨に怪しそうな魔法発動装置の記号」を発見する。そこでは一つの発色体が周期的に赤・黄・青の三色に点滅していた。
(このレースの出場車候補の中に、あえてこのような「場違いな乗騎」を加えた主催者の意図を推察するに、おそらくこの装置の意味は……)
ケネスが装置の点滅する様子を見ながら、あえてその装置が「青」に切り替わった瞬間に天晴号の唯一の前輪でその装置を踏む。すると突然、トラックの外周が一瞬にして「水地帯」へと置き換わった。
「おぉ! 車道の地表が消滅し、突然『湖』が発生しました! どうやら最大級のトラップが発動したようです! 」
「明らかに、わざと踏みましたね。そう、これは召喚魔法のレイクプロジェクションです。ほんの数秒間ですが、会場が水地帯に変わる。そして大半の車は動けなくなる訳ですが、あの天晴号は元来『蒸気船』だったものを改造した車であり、水陸両用なのです」
ちなみに、赤の状態で踏めば地表が燃え、黄色の状態で踏めば雷が辺り一面でランダムに発生していたらしい。そして天晴号以外の船は次々と湖の中に沈んでいく。
「エマ!」
「ユタ!」
ロウライズとオーキスは救出のためにアシストを使おうとするが、既に水中に沈んでしまって標的補足が出来ない。一方、唯一水上に残っていた天晴号の窓を空けてケネスは叫ぶ。
「ヴィル! 今だ!」
「分かりました!」
ヴィルヘルミナがアシストを唱えると、天晴号は強烈な推進力で一気にトップに躍り出た、かに見えた。
「やらせはせぬよ!」
水中から突然、学長を乗せたマッハ号が浮上して、天晴号の前に現れる。実はマッハ号には潜水機能(フロッガー)も搭載されていたのである。
「さすがは学長殿。そう簡単に勝たせてはもらえぬか」
「もう互いにパートナーの切り札は使った。あとは我等自身の勝負だな」
老獪な二人がトップ争いを繰り広げる中、レイクプロジェクションは解除され、沈んだと思われた四体も再び地上に現れる。なお、エンジン内に入り込んだと思しき水も同時に消滅し、(もともと魔法で作られた疑似水だったせいか)マシンの機能自体には影響が無さそうである。
だが、前方に蒸気機関を動力とする天晴号が現れたことで、その煙で彼女達の視界は部分的に遮られ、ハンドリングが難しくなる。
「邪魔よ! おじいちゃん!」
ジェレミーはそう叫びつつ、マシューに向けて一瞬手を挙げて合図を送る。
(まだちょっと早いと思うんだけど、まぁ、先輩が望むなら……)
マシューがジェレミーにアシストをかけると、彼女はFJ1600のアクセルを全開にして、ケネスを乗せた天晴号の真後から追突しそうな勢いで突撃をかける。
「血迷ったか小娘!」
「怖いなら、若者に道を譲りなさい!」
そう叫びながら突進してくるFJ1600であったが、ジェレミーには勝算があった。車高の低いFJ1600なら、不自然なまでに巨大な車輪によって「軽い船体」を持ち上げている天晴号に対して、「下」から突撃すれば弾き飛ばせるという目算を立てたのである。
「ここで引けば勝機はない! 自殺したいなら付き合ってやる!」
「地獄に落ちるのは、あなただけよ!」
ジェレミーはそう叫ぶと同時に、天晴号の「船体」の後部に絶妙な角度から入り込み、そして目算通りにその車体を一気に前方に向かって弾き飛ばす。そして、飛ばされた天晴号の車体は、トップを走るマッハ号の真上に落下した。
「バカな!?」
「なんだと!?」
「ケネスさん!」
「学長!」
二組(四人)の叫び声が交差する中、天晴号とマッハ号はクラッシュし、その横をハチロク(アストリッド)とアスラーダ(ユタ)が駆け抜ける。一方、さすがに圧倒的に車体規模の異なる天晴号に追突した衝撃でFJ1600(ジェレミー)もタイヤをスリップさせ、かろうじてコースアウトは免れたものの、セリカXX(エマ)にも抜かれて最下位に転落した。
「これはまさかの展開! トップを走っていた二台がまさかのリタイア! てか、大丈夫なんでしょうが、御老体方……」
「学長はこの程度のことでは心配ありません。ケネス殿の方は心配ですが……」
さすがにメルキューレも、学生とはいえケネスのことは「殿」と呼ぶらしい。だが、二人とも平気な様子で運転席から出て来た。
「学長殿、失礼ながらエーラムの女学生達には、少々気品というものが足りないのでは?」
「面目ない……」
そんな二人をよそに、レースは佳境を迎えていく。
「ここでトップに立っちゃったのは想定外だけど、まぁ、いいわ。もうすぐ最終コーナーだし、一気に勝負を決めましょう。ジュード君、頼むわよ」
アストリッドのその意志は、ジュードにもしっかり伝わっていた。
「勝って下さい! アストリッドさん!」
そう叫びながら、彼はアシストの魔法をかける。すると彼女は見事なハンドル捌きで最終コーナーを突破し、完全に独走状態のまま最後の直線へと突入する。だが、その後方では、アスラーダに乗ったユタが運転席の上方に設置された「ブースト装置」のレバーに手をかけていた。そして、オーキスもまたアシストをかける準備を整えている。
「行くわよ! ユタ!」
オーキスの魔法が発動すると同時に、ユタもまたレバーを前方に押し出す。
「ブースト・オン!」
彼がそう叫ぶと同時に、アスラーダのエンジンはフルスロットル状態となり、一気に前方のハチロクとの差を詰める。それに加えてアシストの効果も受けたことで、その速度はこの会場内にいる誰の想定をも超えた異次元のスピードとなっていた。
「ちょっと待って。いきなりこの加速なんて、いくらなんでもありえない!」
アストリッドが驚愕する一方で、ユタ自身もまた戸惑っていた。
「まさかここまでのスピードなんて……、これじゃ、ハンドリングが間に合わな……」
ユタは横からハチロクを追い抜こうとするが、操作が一步遅れてバンパー部分がハチロクに接触してしまい、2台揃って車体方向がズレた結果、いずれもゴール目前でコースアウトしてしまう。
「またしても、トップの2台がリタイアです! 一番の危険分子と思われたゼロゼロマシンが早々に退場したことで、平和になるかと思われていたのですが、このような展開を果たして誰が予想出来たことでしょう! そして残された2台、エマ選手のセリカXXと、ジェレミー選手のFJ1600が、ここで最後の直線に入って来ました!」
現状はセリカXXがリードしているが、猛然とFJ1600が追走して来る。それでも、まだアシストを残しているエマ・ロウライズ組の方が有利に思えたが、ロウライズの中ではこの状態においても(本来ならば即断即決型の性格の彼だが)まだ迷いがあった。
(この最後の直線、まだ何か隠されたトラップがあるかもしれない。その時のために、万が一、エマの身に危険が迫った時のために、このアシストは残しておくべきなんじゃないか? そもそも、別に俺は賞金が欲しい訳でも、優勝の栄誉が欲しい訳でもない。今の俺が望んでいるのは、エマの無事な生還だけ。仮に最後までアシストを使わなかったとしても、その時はまた再挑戦すればいいだけ。既にコースの中身が分かっている以上、その状態の方が安心して発動出来る……)
彼がそんな思いを抱きながらコースを見詰めている中、エマが窓を空けて叫ぶ。
「ロウライズさん! お願いします! 私は、あなたと一緒に優勝したいんです!」
彼女のその声を聞いた瞬間、ロウライズの中で「何か」が目覚める。
(そうだ! 彼女が俺のために協力してくれている。その彼女が「優勝したい」と言っているのに、俺が彼女のその願いを叶えなくてどうする!)
ロウライズは強い決意の上でアシストの魔法をエマに向かって投げかける。その結果、最後の最後で差し切ろうとしていたジェレミーの駆るFJ1600を振り切り、見事に一着でのゴールインを達成する。
「優勝は、セリカXXです! おめでとう! エマ選手! そしてロウライズさん! それでは今から、二人で愛のウィニングランをどうぞ!」
キリコに煽られたロウライズは、戸惑いながらもセリカXXへと向かうと、エマの隣の助手席へと座り、そして改めてゆっくりとコースを一周する。そんな彼等に観客がエールと口笛と冷やかし口上を送る中、メルキューレは淡々と会場全体に告げる。
「今回の受験者8名は、全員合格です。運転手の皆様も、本当にお疲れ様でした。そしてマシンの整備をしてくれた方々、スポンサーとなって下さったローレンス・アップルゲート様、そして全ての発起人であるカルディナ・カーバイト先生に、改めて深く御礼を申し上げます」
なお、そのカルディナ自身は現在、本校舎で別の試験(という名の遊戯)に携わっていた(詳細は次章参照)。
「次に呼ぶ時は、ちゃんとルール確認しとけよ」
「まぁ、次があればな」
「結局このガイドスティック、意味がなかったですね」
「今度は俺のマグナムセイバーと勝負しようぜ」
「トップスピードを、もっとちゃんと計算しておくべきでした」
「怪我なく終わったんだから、それでいいのよ」
「すまなかったな。小娘の覚悟を侮っていた」
「そんなことより、もうあんな無茶はしないで下さいね」
「あと一步だったんだけどなぁ……」
「準優勝でも十分ですよ。今夜はまた多島海に行きましょう」
「ごめんね、乗騎の性能差を見誤ってたわ」
「あの事故はこちらの非ではない以上、仕方ないです」
「久しぶりに楽しませてもらったぞ」
「正直、あのクラッシュの時点で、心臓止まりそうでした」
そんな14人が見詰める中、セリカXXはゆっくりとウィニングランを続けている。その車内で満面の笑みを浮かべる二人がどんな言葉を交わしていたのか、その会話内容を知る者は、二人の他には誰もいなかった。
義弟にして実弟でもあるメルキューレが競技場で王道魔法の試験監督を務めていた頃、アルジェント・リアン(下図)は本校舎の一角にて、よりニッチなニーズに合わせた魔法の試験をおこなっていた。とはいえ、彼が担当する四科目のうち、この日はカウンターマジックを希望する者が現れなかったため、実質的な「一限目」は、付与魔法の効果を打ち消す「ディスペルマジック」の試験であった。
ディスペルマジックとは、誰か(A)によって誰か(B)の身体にかけられた魔法の効果を消滅させる魔法であり、その際には「魔法をかけた側(A)」も「魔法をかけられた側(B)」も(カウンターマジックなどを用いない限り)妨害することは出来ない。とはいえ、その消滅させる魔法が高位であればあるほど、打ち消すための難易度も高く、そして魔力の消耗も激しい。更に、失敗すれば自分の身体が内側から破壊されるような痛みを伴うという、極めて危険な魔法であるため、普通は教養学部所属の時点で修得しようとする者は少ない。
「まさか、この魔法の受験希望者が同時に三人も現れるとはな」
「私は、この世界における混沌の根本的な原理を解析したいと考えています。そのためには、一度『付与魔法』という形で収束した混沌を再び分解するというこの魔法を修得しておくことが必要だと考えました」
エンネアは自身の動機をそう説明する。彼の研究テーマの根幹にある「自然律と混沌の関係」を解き明かす上で、確かに「収束した混沌の解体」という作業は、一つの大きな鍵となりうる分析手法となりうると言えよう。もし、この世界の自然律が混沌によってもたらされたものなら、混沌を解体するディスペルマジックを極めれば、この世界の「真の姿」を垣間見ることが出来るのかもしれない(そもそも、そのようなものが存在するのかどうかも分からない訳だが)。
「まぁ、確かに混沌の根源を研究しようと思うなら、いずれディスペルマジックは修得しなければならない魔法だろう。もっとも、根源など理解しなくても魔法は使えるし、根源を理解したところで就職の役には立たないがな」
淡々とアルジェントがそう呟くと、今度はリヴィエラが口を開く。
「私は、他の魔法では出来ないことをやりたい、と考えました」
「確かに、この魔法は異質だ。それ故に、覚えたところで他に応用出来る訳でもない」
「それに、時間をかけてじっくりと発動させることが出来る魔法であるという意味でも、私に向いてるかな、と思いました」
「正確に言えば『時間をかけて発動出来る魔法』ではなく『時間をかけないと発動しにくい魔法』だ。そもそも、今のお前達ではそこまで長時間集中力を維持することも出来まいし、そういう意味でも、習得するなら専門過程に進学した後でも良かったと思うがな。まぁ、既に筆記まで通ってしまった以上、やめる気がないなら試験はするが」
明らかに学生のやる気を削ぐような忠告をかけるアルジェントに対して、今度はジャヤが自分の意志を表明する。
「この魔法が汎用性に乏しい魔法であることは理解している。相当な危険と反動が伴うことも承知の上だ。それでも吾(あ)にはこの魔法が必要なのだ」
それは、ジャヤ自身にかけられた「異界の呪い(のような何か)」への対抗手段を得るためでもあるのだが、この場には他の学生もいたため、あまり詳細を語る訳にもいかなかった。
(異界の呪いは、『あちら』にいる者達が『こちら』に干渉するために、人間につけた目印なのではないかと考えているのだ。そのような状態に心当たりがある……)
ジャヤはこの時、自分にとっての恩人、レナード(彼の秘密を知った経緯についてはdiscord「校舎裏」7月5日参照)、そして自分自身のことを考えていた。
(癒やしの魔法では干渉によって齎される身体の不調を治療することはできても、根本の解決にはならない。解決のために必要なのは、ディスペルマジックなのではないか)
そんな彼の思惑は当然、アルジェントには伝わっていない。しかし、その瞳の奥に秘めた決意の重さは感じ取っていた。
「詳しい事情は知らないが、自分にとってそれが必要だという確信があるなら、それ以上は聞くまい。では、本題に入ろうか」
アルジェントはそう告げた上で、教室の奥に置いてあった一本のレイピアと、一着のローブを静動魔法を用いて空中浮遊させる形で自分の手元に引き寄せ、レイピアを手にした上で、一番手前にいたエンネアの手元にローブを届けた。
「まず、そのローブを着ろ。それはメルキューレが事前にアームズリーンフォースの魔法をかけたことで、防御力が強化されている。非力な私がこのレイピアで突いたところで、そのローブなら一切身体に傷がつくことはないだろう。このレイピアが『ただのレイピア』ならばな」
アルジェントはそう言った上で、そのレイピアに対して何やら魔法をかけた。
「今、このレイピアにヴォーパルウェポンの魔法を付与した。この状態であれば、そのローブを着た状態でも、相応の威力が身体に伝わるだろう。今からお前は、ディスペルマジックを使って、このヴォーパルウェポンの効果を打ち消せ。それが完了した段階で、私がレイピアでお前の身体を突く」
つまり、「痛い目に遭いたくなければ、確実に成功させろ」ということらしい。
「まぁ、魔法の発動に失敗した時点で、自分の身体に反動の激痛が発生する筈だから、その時はやせ我慢せずに素直に痛がっておけ。そうしなければ、気付かずに私が追い打ちの打突をしてしまう可能性もある。あと、間違ってもそのローブにかけられたアームズリーンフォースの効果を消してはならぬぞ」
そう言われたエンネアは、素直にそのローブを着た上で、アルジェントが持っているレイピアに照準を合わせてディスペルマジックの呪文を唱え始める。この時、彼は教科書に書かれていた文言を思い出しながら、内心でふと新たな疑問が沸き起こっていた。
(ディスペルマジックで打ち消せるのは原則として「人」を対象にかけられた魔法のみの筈。それがヴォーパルウェポンにも通用するということは、ヴォーパルウェポンの効果は、厳密に言えば「武器」ではなく「人」にかかっている、ということなのか……。しかし、ヴォーパルウェポンは武器を持ち替えた場合に効果は発動しないとも言われている。ということは、その対象となるのは「武器を持った人」ということになる? だとすると、混沌には「本来異質な二者」を強引に結びつける作用もあるということか……、そして、その関係を断ち切ることが出来るのもまた、混沌……)
混沌の本質を解き明かそうとするあまり、そのような(一見すると)些細なことまで気になり始めたエンネアに対し、アルジェントは忠告する。
「今は余計なことは考えるな。魔法に集中しろ。失敗すれば、自分の方が身体を内側から壊されるのだからな」
そう言われたエンネアは、改めて全神経を集中して詠唱を続ける。そして唱え終えた瞬間、彼は確かな「手応え」を感じた。そして、自分の身体には一切異変を感じない。
「さて、では試してみようか」
アルジェントはその言葉と同時にレイピアをエンネアに突き刺す。しかし、ローブ全体から発せられる強大な「魔力の壁」に跳ね返される。
「ふむ。成功のようだな。よし、次!」
彼がそう言うと、エンネアはローブを脱いで、近くにいたリヴィエラに手渡す。おそるおそるリヴィエラはそのローブを着込み、その間にアルジェントは再びヴォーパルウェポンをレイピアにかけなおす。
「さぁ、解いてみろ。こいつで身体を貫かれたくなければな」
目の前に剣先を突き付けられた状態でそう言われたリヴィエラは、真剣な表情でそのレイピアを見詰めながら、呪文を唱え始めた。
(……大丈夫。ちゃんと勉強してきたんだから。落ち着いて唱えれば、間違える筈はない)
実際のところ、リヴィエラとしてはこのような逼迫した状況に追い詰められる形での試験を想定していた訳ではなかったが、戦闘中には使えないクールインテリジェンスとは異なり、状況によっては戦場でディスペルマジックが必要になる機会も無いとは言えない。どんな状況であろうと確実に成功させるためには、確かにこのような状況で「慌てずに落ち着いて確実に詠唱する」という訓練も必要であろう。
そしてリヴェイラもまた魔法を唱え終え、特に苦しそうな様子も見せていないことを確認すると、アルジェントは容赦なくレイピアを彼女に突き刺す。しかし、またしてもローブにかけられた魔力の壁を突破することは出来なかった。
「よし。問題ないな。では、最後! お前だ」
アルジェントはレイピアでジャヤを指すと、ジャヤも彼に対して鋭い視線を向けながら、リヴィエラからローブを受け取り、そしてアルジェントが三度目のヴォーパルウェポンをかけなおしたのを確認すると、すぐさま呪文詠唱を始める。
(この魔法は、吾が自らの呪いと向き合うための第一歩。失敗する訳にはいかない)
確固たる決意を胸に放たれたそのディスペルマジックは、一瞬、その混沌の波動がアルジェントにも見えたように思えるほど、圧倒的な力でレイピアを包み込む。そして、ジャヤは魔法を唱え終えた時点から微動だにしていない。反動が発生していないことは誰の目にも明らかである。
(まぁ、それでも一応、やっておくか)
アルジェントはレイピアで軽くジャヤを小突くが、当然の如く、その刀身はあっさりと弾き返された。
「三人とも、合格だ。今のお前達で解除出来るのはまだヴォーパルウェポン程度が限界だろうが、いずれ魔力を高めていけば、様々な付与魔法を解除出来るようになる。もし最終的に、私とどこかで敵対することになったとしても、その魔法を極めていれば、あっさりと私の身体を機能停止に追い込めるかもしれん」
今のアルジェントの身体はメルキューレによって作り出されたアーティファクトであり、ディスペルマジックにはアーティファクトそのものを解体する力はない。だが、彼の身体にはメルキューレによってかけられた様々な付与魔法が込められている。その意味では、アルジェントからしてみれば、まさに「自分の天敵」を育成しているようなものであった。
「まぁ、精進することだ。お前達がエーラムに弓引く未来が訪れぬことを祈っている」
そう言って、アルジェントは次の試験会場へと向かう。そんな彼に対して三人は黙って敬礼して見送るのであった。
******
アルジェントが向かった先の教室には、
クリープ・アクイナス
と
ノア・メレテス
の姿があった。この会場でおこなわれるのは、ファーストエイドの試験である。二人とも、前回はキュアライトウーンズを修得しており、治癒系の魔法を極めようとする者として、二つ目にファーストエイドを選ぶのは、一番の王道ルートであることは間違いない。
「さて。通例であれば、ファーストエイドの被検体となるのは教員なのだが、困ったことに、私の身体は『特殊仕様』なのでな。人命救助のための素体としては不適切らしい」
現在のアルジェントの身体はあくまでも「人形」であり、姿は人間に似せてあっても、内部構造は全く異なる。一応、キュアライトウーンズもファーストエイドも彼の身体にかけることは可能ではあるが、修得試験の素体としては不向きというのが、その身体の製作者であるメルキューレからの提言である(もっとも、そこにはメルキューレの私情が混ざっているという可能性も否定は出来ない)。
「そこで、不本意ではあるが、被検体として『アンデッドの邪紋使い(アーティスト)』を雇うことにした。まだ力に目覚めて間もないそうだが、一応、瀕死状態でも自力で起き上がれる程度の力はあるらしいからな。その意味では確かに適任ではある」
「アンデッド」とはその名の通り、邪紋(アート)の力を用いて自身を「死ににくい身体」へと進化させた者達である。戦場においては、最前線で味方の盾となって敵の攻撃を受け止め続けることを生業としており、特に肉体的に他者に劣る魔法師達にとっては、最も頼りになる味方の一人であることは間違いない。
「さぁ、入って来い」
アルジェントのその声に合わせて扉が開かれると、そこには屈強な一人の青年が立っていた。そして、彼はクリープと目が合った瞬間、バツが悪そうな顔を浮かべる。
「嫌な予感はしていたんだが、よりによって、お前がいるとはな……」
「……あぁ、あの時の!」
その青年は、かつてベル・ドルトゥスという名で生命魔法学部の常磐学科に所属していた。だが、肉体の強化には人一倍真摯に取り組んでいたが、魔法師としての実力は伸びず、やがて後輩達に追い抜かれていくようになり、そのイラ立ちから幾度かの素行不良を繰り返した後、最終的には(学科は異なるが)後輩のユタに対する暴行未遂および彼を庇おうとした教養学部の面々への暴行事件から、退学処分となっていた。その時、彼の拳の被害に遭っていたのが、クリープだったのである(
結果報告2-1
参照)。
「あの時の『ベル・ドルトゥス』は、もういない。今の俺は『ただのベル』だ。俺には魔法師になる才能はなかった。だから魔法の記憶を消した上で、故郷のアストロフィに帰り、『瞳』で混沌に触れることで、邪紋使いになった。まぁ、肉体強化型のアンデッドになったのは、俺の中で僅かに残っていた『常磐』への未練の現れかもしれないがな」
アストロフィとは、アトラタン中北部のバルレア半島西部を支配する幻想詩連合所属の国家である。バルレア半島の中央部には「バルレアの瞳」と呼ばれる巨大な魔境が存在しており、アストロフィの若者達は、その地に足を踏み入れて混沌に触れることで邪紋使いとなる道を目指す者が多い。それは失敗すれば混沌に飲まれて命を落としかねない危険な行為であるが、邪紋使いとして力を得ることが美徳とされているアストロフィでは、ある意味で一種の「成人の儀式」のようなものであった。
そこで邪紋の力を得たベルは、アストロフィの傭兵団「赤い月光」の一員となり、このエーラム内のアストロフィ子爵家の別宅の警護団の一員に任命されたのである。未練を断ち切った筈のエーラムでの勤務を命じられた彼は不服だったが、アストロフィとしても「魔法師協会と縁のある傭兵」は貴重なので、その人脈を活かそうと考えたらしい(魔法大学を退学する際には、在学中の全記憶を消される場合と、魔法の記憶のみを残される場合があるが、彼等の場合は養父達の嘆願もあり、後者で許してもらえた)。その上で、この日は純粋な「命懸けのアルバイト要員」として雇われたようである。
「正直、あの時の俺は、あまりにもダサすぎた。だから、謝れと言うなら何度でも謝る。だが、俺はあの時のことは後悔はしていない。あれは、俺が『冷静な判断力』を求められる魔法師には向いてないってことを自分で認める上での、必要な過程だったんだ。とはいえ、お前にしてみればいい迷惑だったとは思う。だから……」
ベルはそう言いかけたところで、アルジェントに対して嘆願する。
「先生、こいつが俺のために回復魔法をかけるのが嫌だってんなら、悪いが、俺をクビにして、別の奴に変えてくれ。ウチには俺の他にもアンデッドの邪紋使いがいるから、俺が今から走って戻ってそいつを……」
「え? いや、別に嫌じゃないですけど」
きょとんとした顔でクリープがそう言うと、ベルは拍子抜けしたような表情を浮かべつつ、ため息をつく。
(これが、俺に欠けていた「魔法師になる奴の器」ってことか……)
自分を理不尽に何発も殴った相手に対して、クリープのような反応を見せるのが魔法師として一般的かどうかは分からないが、ベルはこの時点で、自分だけが過去のことを深く引きずっていいることが改めて馬鹿馬鹿しくなった。そんなベルに対して、アルジェントが問いかける。
「むしろ、お前の方はいいのか? 何の因縁があるのかは知らんが、こいつに自分の生殺与奪の権利を与えることに不安があるなら、別に逃げても構わんぞ」
「いや、傭兵団として一度請け負った依頼を俺の一存で断るなんて、ありえねぇ。こいつにとっちゃ俺なんて、たまたま飛んできた石ころ程度のものなんだろうし、わざわざ意趣返しする程の価値のある存在とも思ってねえんだろうよ。それに、もし仮に失敗したとしても、いざとなったら自力で起き上がってみせるさ。それが出来なかったら、俺の天運もそこまでってことだ」
「分かった。では、覚悟するがいい」
アルジェントはそう告げると、おもむろに右手の掌をベルの前に掲げ、そしてゆっくりと何かを握り込むような仕草を見せる。すると、ベルは右胸を抑えながらその場に膝をついた。
「ぐっ……」
「どうやら、臓器を握り潰されるのは初めてのようだな 」
これは静動魔法の最もポピュラーな攻撃魔法「フォースグリップ」である。アルジェントは今、ベルの体内の臓器の一つを握り潰し、その結果として彼は激痛と体内出血に苦しんでいたが、まだそれでも立ち上がれそうな様子であった。
「まだ足りないか。では、次は肺の片方を……」
そう言ってアルジェントが再び手を握り始めると、たまらずベルは完全に倒れ込む。アンデッドの邪紋使いは、ある程度までの瀕死状態なら戦闘し続けられる程に身体を動かせる特殊な力を有しているが、どうやらその限界点を超えてしまったらしい。
「では、クリープ。まずお前からだ。やってみろ」
「はい」
クリープはそう言って彼に近付くと、特に取り乱すこともなく淡々とした様子でファーストエイドの呪文を詠唱する。
(この魔法をマスターすれば、どんな状態からでもみんなを助けることが出来る……)
そんな希望を胸にクリープが呪文を詠唱し終えると、ベルはゆっくりと起き上がった。
「先生、成功したみたいだ。まだ身体は痛みを訴えてはいるが、普通に動ける」
ファーストエイドは、厳密に言えば傷を治療する魔法ではない。「キュアライトウーンズでは治せない程の瀕死状態」を、傷の深さはそのままに、「キュアライトウーンズでも治せる状態」へと強引に書き換える魔法であり、かけた直後の状態では、通常の人間であれば普通に動くことなど到底不可能な程の激痛を抱えている筈である。
「では、クリープは合格だな。ついでに、キュアライトウーンズも……」
アルジェントがそう言いかけた時点で、既にベルの身体にはキュアライトウーンズがかけられていた。クリープではなく、横で見ていたノアの手によって。
「あ、ご、ごめんなさい……。もう、試験が終わったからいいのかな、と思って……」
ノアの中では、目の前で瀕死状態に陥っていたベルを目の当たりにした時点で、早く助けたいという激しい衝動が湧き上がっていた。それでも、先に指名されたのがクリープである以上、邪魔をしてはいけないと我慢していたのだが、それが終わったと判断した瞬間に、反射的にキュアライトウーンズをかけてしまっていたのである。
「まぁ、別にそれは試験の範疇外だから、誰がやっても構わん。だが、大丈夫なのか? お前は魔法を使うと副作用が出る体質だとこの資料には書いてあるが、余計なところで魔法を使って」
「は、はい。そう何度も使い続ける訳でなければ……」
ノアはそう言ってごまかしていたが、実際のところ、既に彼(彼女)は身体の内側で喀血症状が発生しようとしているのを、必死で抑えている状態であった。
「では、せっかく治したところで悪いが、今度はもう片方の肺から潰させてもらおう」
そう言ってアルジェントは再び彼の臓器を握り潰し始める。まだ万全の状態まで回復しきっていなかったベルは、すぐさまその場に倒れて苦しみ始めた。
「さて、お前の番だ。ノア」
「はい!」
ノアはそう言ってすぐさまファーストエイドの呪文を唱え始める。
(もし、先輩に何があっても、これとキュアライトウーンズがあれば……)
そんな決意を抱きつつ彼(彼女)が唱えたファーストエイドは、着実にベルの身体を回復させる。だが、その直後にノアは再び喀血しそうになって堪え始める。この場にいる中で、(クリープは前回の試験の時に目の前で目撃しているため)唯一その症状を知らなかったベルは、彼女のその苦しそうな表情を見て違和感を覚えた。
「お、おい、お前、大丈夫なのか?」
「大丈夫です。それより、今すぐ貴方の回復を……」
そう言ってノアがキュアライトウーンズを唱えようとしたところで、彼(彼女)よりも先に、後ろからクリープが放ったキュアライトウーンズの方が先にベルの身体を回復させる。
「これで『おあいこ』ですね」
「ありがとう、ございます……」
実際、ノアとしてはあと一回キュアライトウーンズを放っていたら、再び自らの血で校舎を汚してしまったかもしれない。その意味では、これはありがたい助け舟だった。
「では、クリープ・アクイナス、ノア・メレテス。両名共に合格。そしてベル、ご苦労だったな。後輩達のために身体を張ってくれたこと、感謝する」
「俺は金のために来ただけだし、そもそもこいつらから見たら、俺は先輩でも何でもない、ただのロクデナシの邪紋使いさ」
ベルはそう言った上で、クリープに深々と頭を下げる。
「あの時は、本当にすまなかった!」
「いえ、別にそれは……」
「俺が今更言えた話じゃないが、お前達には俺のように道を踏み外ずことなく、魔法師として大成してほしい。ただ、ちょっと気になったんだが……」
「はい?」
「お前の回復魔法、なんだかよく分からないんだが、他の奴とはちょっと違うな……」
ベルはもともと生命魔法学部出身である以上、これまでに演習で何度も同級生の回復魔法を身体に受けている。その彼が、これままで感じてきた「魔法で身体を回復される時の感覚」と、どこか違う要素を感じ取ったらしい。最初は「自分の身体が邪紋使いになったことで、感覚が変わったのか」と考えていたが、同じ魔法をノアから受けたことで、そうではないと確信する。
「あぁ、それはきっと……」
クリープはこの時点で、自分の身体に幼少期から宿っていた「地元の土地神の加護」の影響かと考え、そう説明しようとしたが、それより先にベルは全く異なる仮説を提示する。
「なんというか、ポイゾナスの邪紋で回復された時のような感覚だったんだ」
ポイゾナスとは、邪紋使いの一種であり、毒と薬を操ることで知られている。それはかなり珍しい邪紋の使い手だが、ベルは邪紋使いの多いアストロフィ出身のため、過去にポイゾナスの邪紋によって身体を回復してもらったことがあった。その時に近い力を感じたらしい。
それを言われたクリープは、以前に聖印教会のプリシラに言われた「身体の内側で邪紋を生成しているような禍々しい気配」という言葉を思い出す。
「あぁ、なんか変なこと言っちまったな。すまん。とりあえず、俺はこれから『アイツ』にも謝ってくる。俺自身のケジメのためにな」
そう言ってベルは生命魔法学部へと向かい(しかし、残念ながらその時点で「彼」は屋外競技場にいたため、会えずに終わる)、アルジェントは次の執権会場へと移動する。そしてノアとクリープはそれぞれに内心で色々な感情を抱えつつ、二人に御礼を伝えた上で、自分の寮へと帰還するのであった。
******
「リウィンドを選んだ理由、ですか……」
ジョセフ・オーディアール
は、本校舎内のリウィンドの試験会場にて、「パートナー」からそう問われていた。
リウィンドはアシストと同様、自分にかけることも出来るが、他人に対しても用いることが出来るという点が(クールインテリジェンスなどと比べて)最大の長所であり、そのためアシスト同様、今回は受験者一人一人に対して「パートナー」が用意され、そのパートナーの行動に対してリウィンドを用いるという形式で運営されることになった。
「私は赤の教養学部に入学してすでに3月が経ちましたが、その、その間に色々な経験をしまして。……まだ自分には、多くのものが足りていない。そう考えるようになりました。まだ自分は華々しく魔法を使って人を救うことはできない。人を助けるためには多くの魔法を使えるようになるよりも、まずは勉学に励み、自分の素の実力を高めなければならない。そう考えるようになりました。ただ、その上で、自分の今の実力ではどうしようもない場面……凄腕の暗殺者に遭遇したり、格上の魔術師相手に退けぬ戦いを強いられたり、あるいは級友が彼の抱える問題で助けを求めてきたり、そうした場面でそれに抗える手段が欲しいと思いました。魔法に頼りきりになるのも良くないですが、自分には何もできない、と思うのはもう嫌なので」
「なるほど……。確かにそういう意味では、どんな局面でも誰に対しても使用出来るリウィンドは、一番幅広く勝手が効く魔法ではありますね」
頷きながらそう言ったのは、クロード・オクセンシェルナである。『椿説弓張月』の一件以来、ジョセフのことを気に入っていた彼は、今回のジョセフのパートナー募集の旨がアルジェントから告げられた時点で、自ら率先して手を挙げたのである。
その隣では、
バーバン・ロメオ
がパートナーのノギロ・クアドラント(下図)と言葉を交わしていた。ノギロは前回の試験の時にバーバンのファーストエイドの試験官を担当しており、その時の縁から今回の役割を買って出たらしい(なお、前回はリウィンドの正規の試験官でもあった)。
「オデ……、やっぱり、魔法師としての適性、高くない……。他のミンナ、オデよりずっとスゲぇ……」
「まだそう決め付けるの早いのでは? まだこれから先、あなたの適性にあった魔法が見つかるかもしれませんよ」
「そっかもしれねっけど……、今のオデがミンナよりスゲぇって言えるのは、このカラダだけ。このカラダなら、戦場でもきっと最後まで立ってられる。その上で、最後までミンナを助けられるのは『支援する魔法』かな、と思った。だから、オデ、次はリウィンドにしよっと思った」
「いいと思いますよ。どんな時でも役人立つ可能性のある魔法ですからね」
もっとも、リウィンドは状況によっては結果を悪化させる可能性もある。その意味ではアシストほどの確実性はないのだが、アシストではどうにも出来ない程の苦境に追い詰められた時の、一発逆転の切り札にはなり得る魔法である。
そして、その一発逆転の可能性に賭けようと考えた上で受験することになったのが、
セレネ・カーバイト
である。
「セレネは天才だけど、これまで色々失敗してきたからな……。セレネは最強だけど、みんなに迷惑かけることも時々あった。だから、そういう『万に一つの失敗』の時に、それを覆せるような魔法があった方がいい、と思ったんだ」
「確かに、お前のドジはアシストでどうにか出来るレベルではないからな」
セレネに対してそう答えたのは、カルディナ・カーバイト(下図)である。当然、セレネのパートナーを担当するのは彼女である。
「ま、まぁ、確かに、ごくごくたまには、セレネもドジすることはある。人間だからな。うん、仕方ないことだぞ。猿も筆から流れるからな!(ふんす)」
「それを言うなら、河童も木の誤りだろ」
「あ、あれ? そうだったか?」
「そんな訳あるか、バーカ」
「またバカって言ったな!」
そんな「いつもの師弟(母娘)の会話」を繰り返しつつも、カルディナは、ようやくセレネが自分の欠点に目を向け始めたことに、ほんの少しだけ成長を感じていた。
(まぁ、カーレースの方も気にならない訳ではないが、弟子思いの私にとっては、こちらの用事の方が大切なのだ。すまんな、メルキューレ)
一方、カルディナの盟友のフェルガナ・エステリア(下図)は、今回は(旧ペンブローク邸の一件で借りのある)
イワン・アーバスノット
のパートナーとして、この会場に出席していた。
「私は時空魔法師を目指しています。そのための予行演習も兼ねて、より感覚の近いリウィンドを覚えようと思って、参加することにしました。今回はご協力、よろしくお願いします」
「なるほど。そういうことなら、私も多少は助言が出来るかもしれない。召喚魔法でも、ケット・シーやリャナンシーの瞬間召喚を通じて、同じようなことは出来るからな」
その二人の会話が聴こえてきたところで、エルフの美術講師レイラ(下図)は、今回のパートナーである(このエーラムに来て以来、何かと縁のある)
テオフラストゥス・ローゼンクロイツ
にふと語りかける。
「そういえば、あなたも時空魔法師志望、でしたっけ?」
「えぇ。最終的には時空魔法も覚える予定なので、その意味ではもっと効率の良い似たような魔法を覚えるつもりである以上、ここでリウィンドを覚えても将来的には不要になってしまう可能性もあるのですが、それでも、いざという時のために使える選択肢の幅が広い方が良いでしょう。保険は多いにこしたことはないですし、そもそもそこに辿り着く前に、この力が必要になることもあるでしょうしね」
そして、もう一人の受験者である
エト・カサブランカ
の傍らには、図書館職員のラトゥナ(下図)の姿があった。
「えとえと……、ラトさん、今回はパートナーになってくれて、ありがとうございます……」
「あなたは、私に名前をくれた。そして、私で遊んでくれた。だから、私にとっては大切な恩人。私には大したことは出来ないけど、力になれるなら、出来ることはする。だから、頑張って」
「はい、頑張ります。ルクスちゃんにも背中を押してもらえたし、自分の道を信じてみようと思います」
こうして、六人の受験者達がそれぞれのパートナーとの間で言葉を交わしている中、やがてそこにアルジェントが現れる。
「各方、お揃いのようだな。では、今から始めることとしよう」
彼はそう告げた上で、静動魔法で教室内の机と椅子を動かし始める。中央部分に一定程度のスペースを作った上で、そこに、部屋の隅に置かれていた「特殊な台」を上から移動させる形で配置した。
「これから、パートナーである教職員の方々には、ここで『エアホッケー』をして頂き、受験者達はその状況に応じて必要と判断した時点でリウィンドを発動してもらう」
エアホッケーとは、主に20世紀から21世紀にかけて地球で遊ばれていた遊戯である。卓球台程度の大きさの「即壁のある台」の上に円盤(パック)を置き、盤上から微弱な空気を発することによってその円盤を微妙に浮かせた状態でおこなわれることから、この名が付けられた。この器具にはその空気発生機能が付いていないが、静動魔法師であるアルジェントが盤上の重力を操作することによって、実質的な同じようなプレイ環境が再現される。
試合は1対1、もしくは2対2の対戦形式でおこなわれる。それぞれが台の反対側に立ち、一人一つずつ「マレット」もしくは「スマッシャー」と呼ばれる器具を使ってこの円盤を弾き合い、相手側の陣地に設置されている「ゴール(穴)」にその円盤を放り込めば1ポイントとなる。
「今回のレギュレーションは事前にお配りした資料の通り。基本的には1対1の試合を三回おこなう予定で、一試合は3本先取を原則とするが、受験者二人がどちらもリウィンドを使った時点で、やめたければやめてもいいし、続けたければ続けても良い。逆に言えば、リウィンドを使うタイミングを逃した場合は、もう少し延長戦を続けてもらうことになる」
アルジェントがそこまで説明したところで、カルディナが手を挙げた。
「受験者以外の魔法の使用は認められるのか?」
どうやらカルディナとしては、本気でこの競技に勝ちに行きたいらしい。アルジェントは面倒臭そうな顔を浮かべながら答える。
「あー……、まぁ、試験採点の都合上、紛らわしくなるのは困るので、リウィンドおよびそれに類する魔法(プレディクトヴィジョン、サモン:ケット・シー、サモン:リャナンシーなど)についてご遠慮頂こう。あと、他人およびこの教室に危害を加える魔法も禁止、ということでお願いしたい。投影体としての特殊能力も同様の扱いで頼む」
「承知した。で、対戦カードは?」
「まず第1試合は、レイラ対ラトゥナ。両者スタンバイした上で、テオフラストゥスとエトは側面あら戦況を見ながら、必要に応じてリウィンドの魔法をパートナーに対してかけること。タイミングは、魔法をかける側の独断でもいいし、かけられる側が何か合図してくれてもいい」
アルジェントがそう支持すると、言われた通りに四人が配置に着く。そしてコイントスの結果、レイラが「先攻」に決まった。レイラとラトゥナにそれぞれ一つずつつ「マレット」が手渡されると、まずはレイラがマレットで円盤を軽くラトゥナの側へと弾き飛ばすことで、試合は開始された。
(あ、軽く弾いただけなのに、結構あっさり飛んだ)
レイラはそう実感する。これがアルジェントによる重力操作の影響である。そして、勢い良くラトゥナの陣内に飛び込んだ円盤はラトゥナ側のゴール脇の壁に当たって、そのままレイラの手元に戻って来たので、今度は角度をつけてラトゥナのゾーンの側壁に打ち込む。すると、円盤は側壁から弾かれてラトゥナのゴールへと向かうが、今度はラトゥナがそれをマレットでレイラのゾーンへと弾き返す。そんな二人のやり取りを、それぞれの相方は真剣に見つめていた。
「なるほど、これは基本的に反射神経の勝負なのだな」
「思ったより、スピードが速いですね……」
徐々に二人がマレットの扱い方にも慣れてきたところで、ラトゥナが最初に仕掛けた。
(我が姿は、疾く駆ける!)
ラトゥナは自陣に円盤が入ってきた瞬間、一瞬にして「ゴール前の定位置」から「側面」へと移動して、レイラの予想していなかった方向から円盤をゴールに叩き込もうとする。その動きを予想していなかったレイラの反応は一步遅れる。
(しまった、これは間に合わない!)
彼女はそう覚悟した。しかし、その瞬間、テオフラスットゥスがリウィンドを発動した。その結果、レイラはかろうじてその円盤を上からマレットで押さえつける形で受け止める。
「ありがとう! 助かったわ」
レイラはそう叫ぶと同時に、風に溶けるかのような身のこなしの幽幻なる舞踏でラトゥナを翻弄しながら、彼女の死角を突こうとする。だが、それに対するラトゥナの反応も早かった。
(我が姿は、盾となる!)
ラトゥナは自陣のゴールをカバーリングする形で円盤を真横に弾いて難を逃れる。そしてすぐに打ち返そうとするが、ここで彼女は一瞬、困惑する。目の前からレイラの姿が消えたのである。
(え!?)
その場にいる者達は全員が困惑する。しかし、投影体知識に詳しいフェルガナだけは、即座に状況を理解した
(なるほど。風精の姿隠しか……)
風の精霊の力を借りて、姿を消したのである。しかも、マレットごと消えているため、現時点のレイラのゾーンは完全無防備な状態にしか見えない。ラトゥナはひとまず素直に真正面からゴールに向かって円盤を打ち込むと、姿を消した状態のレイラが斜め後ろからその円盤を即壁に向かって弾き、そこから跳ね返る形でラトゥナのゴールへと放り込まれる。完全に虚を疲れたラトゥナは反応することすら出来ず、エトもリウィンドを使う暇もなかった。
「先取点はレイラ。ポイント1-0。次はラトゥナのサーブから再開」
そう言われたラトゥナは円盤を手にした上で、エトに耳打ちする。
「私は次の最初の一撃を全力で打ち込みたい。でも、上手くいくかは分からない。だから、私の中で『思った通りの手応えが無さそう』と思ったら、この『本体』を持っている方の手の人差し指を伸ばすから、その時はリウィンドを使って」
「わ、分かりました……」
エトがそう答えると、ラトゥナ自身の中に秘められし力を発動させた上で、全力で円盤を弾こうとする。だが、その時点で彼女の中の「嫌な予感」が的中する。慣れないフォームから打とうとしたせいか、自分の狙った方向に円盤が飛ばない未来図が思い浮かんでしまったのである。
(ダメ……、この角度だと、おそらく彼女のガードは突破出来ない……)
そう判断した彼女が「左手の人差し指」を伸ばすと、エトは言われた通りに即座にリウィンドを発動させる。
(あ、いける! このタイミングなら!)
ラトゥナは当初想定していた「理想的なフォーム」を描きながら、レイラに対してフェイントのような姿勢を示しつつ、それにレイラが反応したのを確認すると同時に、レイラの想定外の方角から円盤をゴールへと叩き込む。鮮やかなサービスエースであった。
ここでアルジェントは円盤を手にした上で、二人に告げる。
「これで1対1。そして二人とも、リウィンドの発動には成功している。ここで終わってもいいが、どうする?」
「せっかくですから、勝負がつくまではやりましょうか」
「そうですね」
こうして、ここから先は純粋に投影体二人の遊戯として展開された結果、やはり反射神経に関してはエルフの方が分があるようで、最終的にはレイラが勝利を収めることになった。
***
「では、続いて第二試合。クロード・オクセンシェルナ対ノギロ・クアドラント。両名とそれぞれの相方はスタンバイをどうぞ」
アルジェントがそう告げると、四人は言われた通りに配置に着こうとするが、ここでバーバンが皆に提案する。
「な、なァ、オデもこれ、やりたい……。学生と教員のペアで、2対2の試合じゃ、ダメか?」
どうやら最初の試合を見ていて興味が湧いてきてしまったようで、ウズウズした様子で彼はそう言った。実際、エアホッケーは2対2での対戦も可能であるし、よく見ると脇にあと2つ、ダブルス用のマレットは用意されていた。そんな彼の提案をノギロは微笑ましく感じながら、クロードとジョセフに問いかける。
「私はそれでもいいですが、そちらはいかがですか?」
それに対して、クロードは苦笑いを浮かべつつ、ジョセフに尋ねた。
「ジョセフ君、君はこういう競技は得意ですか?」
「いや、その、やったことがないので分かりませんが……、少なくとも、得意ではないです」
大抵の魔法師は、そもそも自分の身体を用いた競技には向いていない。そんな中で、バーバンという特異な体格の持ち主は、明らかに規格外の存在である。しかも、クロードは先日の修学旅行の際にビルト村(温泉村)組を引率しており、その時にバーバンが卓球で圧倒的な強さを誇っていたことは聞かされていた。
「そうなると、さすがにこちら側に不利すぎませんか? バーバン君の身体能力を考えると、私とジョセフ君が2対1で対戦するのも厳しそうです」
「クロード先生の方が私よりも遥かに若いのだから、それくらいのハンデでも大丈夫かと思ったのですが、難しいですかね?」
「残念ながら、私は日頃から運動不足なので、年齢差のハンデなどありませんよ。むしろ、バーバン君に身体能力で対抗出来るとすれば、それは生命魔法師であるノギロ先生の方なのでは?」
生命魔法師には、自分や他人の身体を強化するフィジカルエンチャントという魔法がある。そのことを指摘されたノギロは、ここで意外な提案を持ちかけた。
「うーん、それなら、いっそ私がジョセフ君の身体をフィジカルエンチャントで強化する、というのはどうでしょう? 多分、そうすればバーバン君と互角に打ち合うことくらいは出来そうな気がしますが」
唐突にそう提案されたジョセフは、当然戸惑う。
「え? そ、それは……、ルール的に大丈夫なのですか?」
「別に、試験の本質とは関係ないので、問題ないですよね、アルジェント先生?」
そう言われたアルジェントは、面倒臭そうな顔を浮かべつつ答える。
「問題は無いが、試合をしながらパートナーの様子を伺いつつリウィンドを用いる、というのはなかなか高度な状況判断能力が必要なので、実際に可能かどうかは分からない。とりあえず、1ラリーやってみた上で、厳しそうなら本来の1対1の形式に戻す、ということでいかがかな?」
「分かりました。では、それでいきましょう」
ノギロはそう答えると同時に、ジョセフにフィジカルエンチャントの魔法をかけた。
「こ、これは……、何か急に身体が軽くなったような……。しかも、なぜか力が漲って、そして感覚も鋭くなっているようにも思える……」
「多分、これであなたもバーバン君に対抗出来る程度の力が備わった筈です。では、始めてみましょうか」
こうして、急遽当初の予定を変更する形で「2対2」のエアホッケーが始まることになった。最初のサーブ権を獲得したのは、クロード側である。
「では、ジョセフ君。基本的に私がゴールは守るので、君が前衛として、ノギロ先生の側のゴールに向かって打ち込んで下さい」
「分かりました」
ジョセフがそう答えた上で、円盤をマレットで激しく弾く。すると、それは先刻までのレイラvsラトゥナ戦の時とは比べ物にならない速度で、ノギロ陣営のゴールに一直線で突き刺さった。ノギロもバーバンも全く反応出来なかった。
(え!?)
打ち込んだジョセフが一番驚いている。明らかに、今の自分の身体が「本来の自分」とは完全に別物になっていることを実感する。これこそがまさに、極限の領域にまで達した生命魔法の恐ろしさであった。
「1-0。クロード・ジョセフ組の先取点。サーブ権は交替するが、さて、どうする? このまま続けるか、それとも……」
アルジェントが淡々とそう告げると、バーバンが叫ぶ。
「オ、オデ! まだ何もシてない! センセ、次はオデが、オデが……」
「はい、分かってますよ。では、バーバン君、どうぞ」
そう言ってノギロがバーバンに円盤を手渡す。バーバンとしては、いくら魔法で強化された相手とはいえ、肉体勝負で自分が負けるなど、絶対にあってはならないことだった。
「オデが絶対、取り返す!」
そう息巻いたバーバンは、鬼の形相でジョセフを睨みつけながら、全力で円盤を真正面から敵陣のゴールに向けて叩き込む。しかし、当然のごとく真正面からの攻撃に対してはジョセフも反応しやすい。彼は体を伸ばしながら全力でその円盤を弾き返そうとするが、もともとバーバンの打球が強すぎて少し浮き気味だったところをジョセフが強烈に打ち返した結果、円盤は完全に浮き上がり、ノギロの顔面に向かって飛び込んできた。
(あー、これは避けられませんね。というか、この場合、ポイントはどうなるんでしたっけ?)
ノギロが一瞬にしてそんな呑気な考えに至ったところで、横から反射的にバーバンがリウィンドをかける。
(センセ! よけてくで!)
生命魔法師のノギロにしてみれば、この程度の円盤が当たったところでかすり傷とも思わないのだが、さすがにそこまでされたからには避けない訳にはいかない。ノギロが全力でその円盤を避けた結果、その円盤は後方で観戦していたラトゥナの目元へと飛び込んでいく
(え?)
完全に油断していたラトゥナが避けるタイミングを逃したところで、今度はジョセフが彼女に対してリウィンドを用いる。
(ごめんなさい! よけて下さい!)
だが、ジョセフのリウィンド自体は発動はしたものの、それでもラトゥナは避けることに失敗する。しかし、彼女はすぐさま「本体」を間に割り込ませてガードせた上に、直撃直前にアルジェントがキネティックバリアの魔法を用いたことで、実質的には無傷であった。
「ラトさん、大丈夫ですか?」
「心配ない。ちゃんとブックカバーをつけてるから」
そんなエトとラトゥナの元に、ジョセフが駆け寄って平謝りする。
「申し訳ございません! この未熟な私が、せっかくノギロ先生から与えられたこの力を使いこなすことが出来ず、あまつさえ力に溺れて無関係な人を傷つけてしまうなど……」
「いや、別に傷付いてないから」
「しかも、それを止めるために使う筈だったリウィンドが不発に終わってしまい……」
「いや、ちゃんと発動してた。リウィンドされても、私がトロくて避けられなかっただけ」
そんな噛み合わない会話を交わすのを横目に、アルジェントは淡々と告げる。
「私も、二人のリウィンドの魔法の発動は確認した。さて、試合は続行するか、それとも……」
「もういいんじゃないですかね」
「そうですね」
クロードとノギロがそう宣言して、第二試合は閉幕する。バーバンとしては不満だったが、先生の身に危険が及ぶと考えると(実際には別にさほど危険でもないのだが)、これ以上わがままを通す訳にもいかなかった。
「今度、またレナード君あたりを連れて来て、一緒に遊んでもらいましょうね」
対戦相手であるクロードにそう言われたバーバンは、試験に合格出来たということも忘れて、がっくりと肩を落としたまま競技台を後にする。そして、ジョセフもまた自分が合格を告げられたことにすら気付かないまま、ラトゥナを相手に平謝りを続けていたのであった。
***
「さぁ、カルディナちゃん、出番だぞ! ここはセレネも一緒にダブルスで……」
「すっこんでろ!」
いつになく真剣な表情で、カルディナはセレネにそう告げた。
「え……?」
「これは女の戦いだ。ガキの出る幕じゃない!」
「わ、分かったぞ……」
セレナはそう言いながら、すごすごと側面に回る。そしてカルディナは、試合開始前から自分に対して次々と強化魔法をかけていく。そんな彼女に対して、対戦相手にして盟友のフェルガナは苦笑しながら語りかけた。
「相変わらず、おとなげないな。今回はあくまで弟子の試験の手伝いのために来たのだろう? 何をそこまでムキになっている」
「試合である以上、本気を出さなければ意味があるまい。だから、お前も本気で来い! 2対1で勝負だ!」
「おいおい、そんな本気状態のお前を相手にイワンを参加させたところで……」
「そいつじゃない。お前の『相方』は、別にいるだろう?」
「……仕方ないな」
フェルガナはそう呟くと、自らの傍らに、男性とも女性とも取れそうな美しい姿の「風の精霊」の具現化体が現れる。
「審判、この『パラルダ』の参戦は認められるかな?」
「まぁ、対戦相手がそれでいいと言ってるなら、良いのではないか?」
もはや完全に投げやりな様子で、フェルガナに対してアルジェントはそう答えた。パラルダとは、エーテル界における風の精霊の王であり、今の時点ではこの部屋の大きさに合わせたサイズで投影されているが、そのポテンシャルは、並の龍や巨人では太刀打ち出来ないほどの強力な投影体である。そんなパラルダを、フェルガナは「従属体」として従えていた。
「あの……、この戦いに、僕達が介入する余地はあるのでしょうか?」
素朴な疑問をイワンがアルジェントに投げかける。
「さぁな。まぁ、お前達から見て『これはまずい』と思ったタイミングで、リウィンドをかければ良いのではないか?」
「しかし、もしその発動の判断が間違っていたら、それはむしろ足を引っ張ってしまうのではないでしょうか? 正直、先生方が本気の戦いを始めた場合、どこがその力の使い所なのかを見定めるのは、今の僕達では……」
「その心配はない。リウィンドは、かけられた側が拒否すれば発動しないからな。だから必要かもしれない、と思った時点で、遠慮なく掛け続けていけばいい」
「なるほど……」
こうして、異様な雰囲気の中、第三試合の「カルディナ・カーバイト対フェルガナ・エステリア(with パラルダ)」の試合が開始された。
「いくぞ! フェルガナ!」
カルディナがその掛け声と同時に、先刻のジョセフをも遥かに上回る高速のサーブを叩き込むが、それを前衛のパラルダがあっさりと弾き返して、絶妙な軌道で即壁を利用したシュートを放つ。しかし、カルディナはその動きも完全に見切った上で、そのシュートを即座に叩き返した。その後も両者は圧倒的なスピードで激しく円盤を弾き合い続けていく。
「う、動きが速すぎて全然見えないぞ……」
「確かに、これではどうやってタイミングを見測れば良いのか……」
セレネとイワンが困惑していると、アルジェントも困った顔を浮かべながら頷く。
「そうだな……。正直、これでは試験にならん」
彼はそう言って、一旦、試合中の円盤を魔法で強引に空中に持ち上げる。
「あ! テメェ! 何しやがる! 試合中だぞ! 邪魔すんな!」
「カルディナ・カーバイト。これは試合以前に試験だということをお忘れかな? 今のままでは完全に試験会場の私物化だ。よって、三人に対して、共通のハンデを与えさせてもらおう」
そう言って、アルジェントは最初にカルディナ、そして続けてフェルガナとパラルダに対して、インクリースヴィスカスの魔法をかける。
「か、身体が重い……」
「おそらく、その状態でようやく、常人の目が追いつく速度になる筈だ。そのレベルの試合をよろしく頼む」
「チッ、仕方ねえな。まぁ、これはこれで一つのスパイスだと思えば悪くない。いいよな? フェルガナ?」
「私は別に何でもいい。どんなルールだろうが、お前が飽きるまでは付き合ってやる」
こうして、改めて仕切り直された形で、試合が再開される。この状態でようやく、セレネとイワンは互いに自分の相方の試合状況が確認出来るようになった。
そして、両者0ポイントのまま激しい打ち合いが続いたところで、徐々に疲れのたまり始めたフェルガナが、一瞬表情を歪ませるのをイワンは見逃さなかった。
(フェルガナ先生!)
彼女が窮地に陥ろうとしていることを察したイワンがリウィンドをかけると、フェルガナはその魔法の効果で見事に持ち直す。
「助かった! 見事だ、イワン・アーバスノット!」
フェルガナは笑顔でそう叫ぶ。一方、セレネは先刻から、何度かカルディナにリウィンドをかけていたのだが、カルディナは毎回「いらん」と突き返している。
(おかしいぞ……。特にさっきのは、自分でアシスト使ったからどうにかなったけど、それがなければ絶対失点してたぞ。どうしてそこまでリウィンドを嫌がって……)
ここで、セレネはある仮説に気がついた。
「もしかして、カルディナちゃん、ただエアホッケー続けたいだけじゃないか!? それで、さっきからセレネのリウィンドを全部無視して……」
「さぁな!」
カルディナはさわやかな汗を流しながら、満面の笑みでそう答える。
「ひどいぞ! これじゃいつまで経ってもセレネ合格出来ないぞ!」
憤慨するセレネの横で、アルジェントが淡々と助言する。
「とはいえ、彼女は負けず嫌いだ。もし本格的に追い込まれれば、リウィンドを受け入れざるを得なくなるだろう」
ここで、セレネは妙案を思いついた。
「そういえばさっき、選手の魔法使用に関するルールは語ってたけど、セレネ達がリウィンド以外の魔法を使うことに制限はあるのか?」
「まぁ、確かに、無いと言えば無い。というか、そもそも想定していなかっただけだが……」
「じゃあ、やらせてもらうぞ」
セレネはそう叫んで、カルディナの目の前に「セレネ自身の怒り顔の映像」を送りつける。
(な……、セレネ!? )
一瞬、集中力が途切れたところで、パラルダが強烈なシュートを叩き込んできた。
(しまった……! 間に合わな……)
その瞬間、セレネがリウィンドを放つ。
(……仕方ない! 受け入れる!)
カルディナはリウィンドの効果を受けて全力で対応した結果、ゴール直前の円盤を強引に上から押さえつけて、どうにか失点を免れた。
「おい、セレネ! なに邪魔してくれてんだ!」
「カルディナちゃんがいつまで経っても遊ぶのやめないからだぞ!」
そんな親子喧嘩が始まろうとしたところで、アルジェントが宣言する。
「今、この時点で六人全員のリウィンドの発動を確認した。よって、この時点を以って本日の試験は終了とする。解散!」
彼はそう言って、再び静動魔法を用いて強引に部屋の机の配置を元に戻し始めた。当然のごとくカルディナは抗議する。
「おいおい、ちょっと待てよ。リウィンドが発動しても、当人達が希望するなら試合は続けていいって言ってたじゃねーか!」
しかし、それに対してはフェルガナが口を挟んだ。
「いや、私はもう十分だ。これ以上の試合は望まない。っていうか、お前も十分楽しんだだろ」
「……まぁ、それもそうか。よーし、じゃあ、フェルガナ! 今夜は久しぶりに、我が子の成長を祝して一杯やるか!」
「別にイワンは私の養子ではないし、お前が自分の娘の成長を祝いたいなら、一門で祝えばいいだろう」
「今のウチに酒飲める奴がいねーのは知ってるだろ? てか、いい加減にそろそろ、お前も新しい養子迎えたらどうだ?」
「少なくとも『あの三人』の嫁ぎ先が決まるまでは、そんな気にはなれん。ただまぁ、どうしても付き合えというなら、今夜くらいは付き合ってやろう。今の心境のままお前を帰すと、セレネを相手にまた理不尽な親子喧嘩をふっかけかねないからな」
フェルガナはそう答えつつ、パラルダの固定召喚状態を解除した上で、カルディナと共に会場を後にする。イワンとセレネはそんな二人に軽く一礼しつつ、他の四人も協力者達とアルジェントに改めて感謝の意を告げた上で、帰宅の途に就いた。
今回の疑似感覚型魔法の試験は、試験官を担当するバリー・ジュピトリス(下図)の意向により、合宿形式でおこなわれることになった。「感覚を操作する魔法である以上、自分自身の感覚もより鋭く研ぎ澄ますために、大自然に囲まれた中で実施すべきだろう」というよく分からない理屈が掲げられたが、実際のところは本人の「久しぶりに、学生達と一緒にバーベキューとかやりたい」という個人的願望が反映されただけだということは、学生達も薄々察していた。
彼等は数日前からエーラムの近隣の森林地帯の一角に作られた山小屋を借り切って、山菜採取や薪割りなどのアウトドアライフを堪能しつつ集中講義形式で授業を受けるという奇妙な生活を強いられてきた。そしてある日の夜、
サミュエル・アルティナス
がバリーに呼び出されて、月光も乏しい漆黒の夜空の下へと赴く。そこには、手元に炎を生み出すことで明かりを灯しているバリーの姿があった。
「さぁ、サミュエル君。キミがこの特別強化合宿講習の合格者第1号となれるかどうか、その分水嶺が今、キミの目の前に広がっている」
笑顔で両手を広げながらバリーがそう言ったのに対し、サミュエルは微妙な表情を浮かべながら問いかける。
「あえて俺を一番手にしたのは、今夜の月が雲で陰っているからですか?」
「ご明察の通り。残念ながら周期的に新月はまだ遠い。少しでも暗い中で魔法を発動させてもらうには、おそらく今夜が最適だろうと判断させてもらった。せっかくの初披露となる魔法なんだ。少しでも鮮烈な印象を自分の感覚に叩き込んでおいた方が、これから先も心地良いイメージで発動出来るだろう? 混沌を操る際に大切なのは、自分の中で何を具現化したいか、というイメージをはっきりさせておくことさ。一度覚えた魔法は伴侶と同じ。一生自分と共にあり続ける。だからこそ、最初のデートの雰囲気作りは肝要だと思わないか?」
「……その理屈だと、先生には何十人の伴侶がいることになるのですか?」
なお、バリーはこれまでに様々な女性との間でのゴシップを学内新聞で取り上げられてきたが、未だ独身である。
「数えるのも、比べるのも、失礼な行為だと思っている。魔法を使っている間は、その魔法のことだけを考える。それが魔法師という生き物さ」
「オレには、まだよく分かりません。ただ、今のオレの中で、この魔法を修得したいという気持ちは真剣です。他の魔法のことまで考える余裕なんて、ありません」
「それでいい。さぁ、始めようじゃないか。見せてくれ。キミと新たな伴侶との間で交わされる初めての愛の輝きを!」
舞台役者のような手振りで煽りながらバリーはそう言いいつつ、手元の炎を消し去り、辺り一面が闇に包まる。そんな中、サミュエルは真剣な表情で呪文の詠唱を始めると、やがて彼の周囲一帯に、先刻までのバリーの炎とは比べ物にならないほど眩い光が広がった。
「おめでとう、サミュエル・アルティナス。ライトの実技試験、合格だ」
サミュエルが今回の実技試験で選んだのは、ライトの魔法であった。唐突に眠気が発生する謎の奇病を克服するためにエーラムの門を叩いた彼は、様々な知見に触れていく中で、これまで考えたこともなかった一つの可能性を見出したのである。
彼はこれまで、睡眠中に「夢」というものを見たことがない。より正確に言えば、睡眠中の彼の意識の中に広がっているのは「完全なる暗闇」であり、そこには何もない、そんな状態が続いていたのである(
『サミュエル・■■■■■■の短い一日』
参照)。しかし、もしもその状態でも、自分の心の世界の中で魔法を使うことが出来たなら、今まで全くの闇でしかなかった睡眠中の自分の世界の中に、自分のこの体質の謎を解く鍵があるのかもしれない、という発想に思い至った。
無論、これはあくまでも一つの可能性にすぎない。夢の中で魔法が使えるかどうかについては(そもそも「夢」という概念自体についての見解がエーラム内でも一致していないため)分からないし、仮に使えたとしても、光で照らしたところでそこには何も無いのかもしれない。だが、それでも彼は、まず「自分」という存在そのものに向き合うために、これは必要な実験であると考えたのである。
彼がそう思えるようになったのも、この学園で過ごす中で多くのことを学び、そして自らの無知を自省した上で、「知る」ということそのものに対して殊更貪欲になったことの賜物であろう。今まで知らなかった「自分」を知るべく、闇を照らすための新たな光明を求めて伸ばしたその手の先で、彼は無事に「光」を手に入れたのである。
「ありがとうございました」
バリーに対して深々と一礼しながらサミュエルがそう告げている姿を、物陰から見守っている二人の少女がいた。彼の義妹達である。
「あにさまが、二人目のはんりょを手に入れたのだ」
「その言い方は、やめた方が……。でも……、おめでとう、です。あにさま」
二人はそう呟きつつ、翌日には自分達の試験が控えていることを自覚した上で、あえて何も告げずに静かに自分達の山小屋へと戻るのであった。
******
翌日、大狼に魂を宿した
シャリテ・リアン
、仮面の少女
ルクス・アルティナス
、「マッターホルン」店長代理
クグリ・ストラトス
の三人は、朝から山小屋の外で「晴れるまで待機」とバリーに命じられることになった。なお、今回は「ロシェル」は連れて来てはいないため、見た目の光景としては「二人と一頭」である。
「別に、完全に晴れてる状態でなくても、試験くらい出来るのにね」
シャリテは微妙に雲が立ち込めた空を見上げながら、口内に付けられた声帯装置を用いてそう呟く。彼女達はいずれもダークネスの魔法の試験を受けるために、今回の合宿に参加していた。
「はじめての魔法とのデートは雰囲気が大切だって、バリー先生は言ってたのだ」
「相変わらず、良くわかからない言い回しをする人だね……」
ルクスとクグリがそんな言葉を交わす中、シャリテがふとした疑問を問いかける。
「そういえば、二人はどうしてこの魔法を覚えようと思ったの? あんまり選ぶ人が少ない魔法だって聞いたけど」
実際、前回の一斉試験の時点では、この魔法を選んだのはシャロン一人だった(しかも、それは「自分がよく眠れるように」という、独特すぎる理由であった)。
「便利そうだからなのだ」
ルクスはシャリテの体毛にもたれかかりながら、端的にそう答える。
「それは、どういう意味で?」
「色々便利そうなのだ」
ルクスはそれ以上何も言わずに、シャリテの毛並みを堪能している。一方、クグリは素直に詳細に語り始める。
「ボクも、戦闘で使うには確かに色々と便利そうだとは思う。敵が集団で固まっている時には、最初にこれを放つことで動きを妨害することが出来るし、状況によっては撤退の時間を稼ぐことも出来るしね。あとはまぁ、『見られたら困るもの』を隠したりする時にも役に立つかもしれない。ヴィッキー君からの受け売りなんだけどね」(discord「図書館」6月27日)
「ふーん、割と消極的な理由なのね。私もヴィッキーには一度相談してて、その時はロケートオブジェクトを勧められたんだけど、私はあんまりじっくり考えて行動する性分じゃないから、戦闘ですぐに使えるこの魔法の方がいいかな、って思ったの。この狼の身体なら、普通の人よりは嗅覚も聴覚も鋭いから、光がなくても自由に動けるし、自分の周囲一帯を暗く出来るなら、私に有利な状況が作れるんじゃないかなって」
彼女達がそんな会話を繰り広げていると、やがて雲間から光が差し込んでくる。そのタイミングを見計らったかのように、バリーが森から戻って来た。
「さて、いい頃合いになってきたようだね。この太陽の光をも遮る常闇の世界をキミ達の手で作り出せるかどうか、今から試してもらおうか」
そんな彼に対して、シャリテが問いかける。
「順番は、筆記試験の高い人から?」
ちなみに、筆記試験での最高得点はクグリであった。
「いや、別に誰からでも構わない。自分の中でのテンションが整った時点で宣言してくれればいいよ。魔法を初めて使う時ってのは、初めて買った服を着て出かける時のようなものだ。せっかくなら、最高のコンディションで披露したいだろう?」
さすがに女子学生達を相手に「複数の伴侶」を前提とした表現は不向きと思ったのか、バリーは昨夜とは異なる言い回しでそう伝える。
「それなら、私からやらせてもらっていいかしら?」
シャリテがそう問いかけたのに対し、ルクスとクグリ、そしてバリーも頷いたのを確認すると、彼女は発声装置を通じて、呪文を唱え始める。その様子を、バリーは興味深そうに凝視していた。
(さて、これは「シャリテ・リアン」としての魔法の初披露でもあると同時に、メルキューレのお手製の発声装置のお披露目でもある訳だが、果たしてどうなるかな……?)
エーラムで学ぶ魔法は、基本的には「本人の声」でなければ発動しないことが多い。アルジェントやオーキス、そして「ロシェル」のように、最初から声帯機能が付けられた人造生命体(もしくは人形)の場合は、本人の魂をそのまま「自身の声」として発することが出来るが、現在のシャリテの口内に存在する発声装置は、どちらかというと後付の翻訳機のようなアーティファクトである。果たしてそれで魔法が発動出来るのかというのは、確かに多くの魔法師として、好奇心をそそられる実験であった。
バリーとメルキューレは、性格は真逆だが魔法師としては実力を認め合っている盟友であり、過去にも何度か二人で合作のアーティファクト(熱気球など)を作ったこともある。だからこそ、盟友の「娘(狼)」がここで一つの新たな可能性を広げることが出来るかどうかは、バリーとしても目が離せないと思っていた訳だが、そんな彼の視界が、シャリテの詠唱完了と同時に、一瞬にして暗くなる。
(成功だな。さすがだ、メルキューレ)
バリーがそんな感慨を抱きつつ、「合格」を告げようとするよりも先に、その暗闇の中にルクスの声が響き渡る。
「おぉ! まっくらなのだ! ホントに何も見えないのだ!」
なぜかルクスは感激した様子でそう叫びながら、なぜかテンションが上がってはしゃぎまわる。彼女の場合、目元が仮面に装着された「色硝子のような何か」によって(少なくとも、外から見ても瞳の形が分からない程度には)覆われているため、他の者達以上に「暗さ」を実感しているようである。
そして、特に意味もなく無軌道に走り回った結果、ルクスは「何か」に激突する。
「おぉ!?」
「え? ちょっ、ルクスちゃん!?」
どうやらその「何か」はクグリだったらしい。後ろから追突されたクグリは、そのまま体勢を崩して倒れそうになるが、そこへ(暗闇でも唯一状況判断が可能な)シャリテが即座に走り込み、彼女の身体をその体毛で受け止める。
ぼふっ
初めて感じる大狼の毛並みに、クグリは感動を覚えた。
(おぉ、これは……、ルクス君がスリスリたくなるのも分かる……)
誰からも見られない暗闇の中でクグリがうっとりとそのやわらかな感触を味わっているところで、バリーが宣言する。
「よし、シャリテ・リアン、合格だ! 解除したまえ」
その声に合わせて、クグリは慌てて立ち上がる。そして魔法の解除と同時に急に陽の光に晒されたことで、クグリがその眩しさに思わず目を細めている中、ルクスが語りかける。
「ぶつかってしまって、ごめんなのだ」
「あぁ、いや、うん、大丈夫。シャリテ君、助けてくれえて、ありがとう」
「気にしなくてもいいわよ、そんなの。触りたくなったら、いつでも言ってね」
シャリテがそう答えたところで、再びバリーが口を開く。
「では、次はルクス君かな。どうやら今、キミの中で闇のフィールが溜まっているようだ」
「わかったのだ!」
おそらく「闇のフィール」という言葉の意味は(言ってるバリー自身も)分かっていない状態のまま、ルクスは魔法を唱え始める。
(さて、色々と謎の多い彼女ではあるが、果たしてどんな闇を描こうというのか、とくと見せてもらおうじゃないか)
バリーがそんな思いを抱く中、ルクスもまた詠唱完了と同時に、辺り一帯の光が全て消え失せる。この時、クグリの中では再び不安と期待が沸き起こっていた。
(自分で作り出した闇の中でも、またルクス君は同じようにはしゃぎ回ってボクのところに来るかも。そうなったら……)
今も近くにシャリテの気配があることを確認した上で身構えるクグリであったが、今回はルクスの声も、走り回る足音も、一切聞こえない。そして闇の中である以上、当然、ルクスが今、どんな表情で何を思っているのかも、(もともと顔の大半が仮面で覆われている以上、分かりにくい存在ではあるのだが)全く分からない状態であった。
「OK! ルクス・アルティナス、キミも合格だ! もう解除していいぞ」
そう言われると同時にルクスが魔法を解くと、そこにいたのは「いつものルクス」であった。クグリは暗闇の中で何も起きなかったことに対して複雑な感慨を抱きつつ、二度目の「急激な光闇転換」の刺激を抑えるため、右手を目元の近くに翳すことで軽く日光を遮る。一方で、色硝子(のような何か)で両目が覆われているルクスと、そもそも瞳の構造が人間とは根本的に異なるシャリテは、全く平気な様子であった。
「さぁ、クグリ君。キミのターンだ。やってみたまえ」
「分かりました」
少しずつ目が光に慣れかけてきたところだが、ここで時間を置いたところで状況が変わる訳でもないと判断した上で、クグリはそのまま素直に詠唱を始める。そんな彼女の様子を、バリーは興味深そうな瞳で見詰めていた。
(聞いた話によると、彼女は前回はサイレントイメージを覚えたらしい。それとダークネスを組み合わせれば、舞台効果として様々な演出が可能になると思うのんだが……、今度、マッターホルンで異音研のミニライブを開催出来ないか、聞いてみるのも悪くないかもしれないな)
勝手にそんな妄想をバリーが繰り広げている間に、クグリもそつなく呪文を唱え終えて、三度目の闇が彼等の前に広がる。
「完璧だな。クグリ・ストラトス、キミも合格! これにてダークネスの試験終了だ!」
その声を確認したところで、クグリも魔法を解除する。そして三度目の直射日光を浴びることになるかと思いきや、タイミングを合わせたかのように彼女がダークネスを用いている間に雲が再び太陽を覆っていたようで、そこまでの強烈な日差しにはなっていなかった。
(もしかして、バリー先生、天候を操作している……?)
バリーは元素魔法の中でも「表(橙)」の流派に属しているが、「裏(朽葉)」の流派には天候を操作出来る魔法もある。高等教員であれば自分の本職系統の魔法以外もある程度は修得しているものだが、彼がその辺りの魔法を使えるのかはクグリは知らない。
(でも、そうだとしたら、もっと早い段階で晴れ間を作ってくれても良かった筈……。あえてそうしなかったのだとすれば、ボク達に歓談交流の時間を与えるため? それとも、森の中で何かやりたいことがあった? あるいは、この天候の変化は本当にただの偶然なのか……)
色々な可能性がクグリの中で思い浮かぶが、現状、どれも決め手に欠ける。一方で、ルクスとシャリテは素直に抱き合って喜んでいた。
「よかったのだ! みんな合格なのだ!」
「そうね! クグリさんもお疲れ様!」
シャリテにそう言われた時点で、クグリも素直に笑顔を浮かべる。
「あぁ、ようやくこれで、ボクも卒業の目処が立ちそうだよ。お祝いに何か料理を作りたいところなんだが、シャリテちゃん、今のキミの身体でも美味しく食べられる料理を作るには、どんな味付けにすればいい?」
「うーん、味覚については、どう説明すればいいのかよく分からないというか……」
「それもそうか。じゃあ、色々な味付けを試しながら探していこう。そうすれば、いずれ人と狼の味覚を同時に満足させられる味の黄金律を見つけ出せるかもしれない」
「それは楽しみなのだ!」
三人はそんな言葉を交わしながら、この日予定されていたバーベキューの会場へと向かっていくのであった。
******
それからしばらくして、
ロゥロア・アルティナス
とミラ・ロートレック(下図)の二人がバリーに呼び出された。この二人は、スリープの魔法を受験するためにこの合宿に参加している。彼女達はバリーに連れられる形で、森の奥地へと向かうことになった。
「さて、キミ達はどうして、スリープを選ぶことにしたのかな?」
道中でバリーはふと問いかける。ライトやダークネスもそうだが、このスリープもまた基礎魔法の中ではあまり人気が高い魔法ではない。
「音に関わる魔法、なら……、その……なんとなく、身近な気がした、です」
スリープの魔法の発動方法は人によって様々だが、その中の一つの形態として、音を媒介とする場合もあることから、自分が幼少期から慣れ親しんだ分野である「音楽」と似た感覚で扱えるのではないか、と彼女は考えたらしい。
「なるほど。確かに音を通じて相手の感覚を操作するという意味では、音楽に通じていると言えなくもない。しかし、この魔法は基本的には意志の力が強い相手には通用しにくい。端的に言えば『格上の相手』には通用しないことが殆どだ。その意味でも、まだ基礎的な魔力が備わっていない子には、あまりオススメはしていないんだけどね」
その話は、ロゥロアも聞かされてはいる。だが、それでも彼女は、自分が修得すべき「いざというときの自衛手段」は何かと考えた時に、エネルギーボルトなどの強力な攻撃手段をいきなり取っても自分には使いこなせるとは思えなかった。
(戦って相手を倒すのは、やはりむずかしそうです。射撃大会や戦闘訓練のみなさんのような戦い方は、私には多分出来ない)
その上で、「相手を倒す」ではなく、「相手を足止めして、まずは自分の身を守れるようになる」ことを優先すべきという結論に至ったのである。
(まずは身を守ることから……、一歩ずつ、です)
一方、ミラの方は、より単純な理由だった。
「私、今でも下町の孤児院の運営を手伝いに行ってるんですけど、子供達の中には、故郷が滅ぼされたり、両親が殺されたりした時の記憶がこびり付いている子も多いみたいで、なかなか寝付けずにいる子もいるんです。そういう子達に対して、まぁ、ちょっと乱暴なやり方かもしれないですけど、強引にでも眠ってもらうには、スリープという魔法を使うという選択肢もアリなのかな、って……。やっぱり、睡眠のサイクルを整えないと、発育にも悪いですし……」
「なるほど。まぁ、それなら確かに有効だろうね。普通の子供なら、スリープの魔法にはまず耐えられない。そして、人間には安らぎの時間が必要だ。故郷の思い出を捨てろとは言えないが、いくら思い返しても苦しくなるだけの記憶に捕らわれている時は、誰かが一時的にでも夢の世界へといざなってあげた方がいいこともあるだろう」
彼等はそんな雑談に興じつつ、やがて「目的地」へと到達する。彼等の眼前に現れたのは、小さな「野ウサギの巣」であった。そこでは成長過程と思しき何羽かの子ウサギ達が飛び跳ねている。バリーは小声で二人に語りかけた。
「さっきも言った通り、スリープの魔法は格上相手には通用しにくい。だからこそ、まずは小動物を相手に通用するかどうかを試してみようじゃないか。まずはミラ君。キミからやってみてくれたまえ」
「分かりました」
ミラがそう答えると、彼女は呪文を詠唱し始める。すると、香のような匂いがその子ウサギ達の周囲に立ち込め、やがて彼等は次々とその場に倒れ始める。
「うん、成功だな。どうやら完全に感覚を狂わされているようだ。ミラ・ロートレック、合格だよ」
「良かった……、ありがとうございます」
「さて、まだこの子達は食べるには小さすぎるけど、多分、そのうち親ウサギが戻って来るだろうから、そしたら今度はロゥロア君が……」
バリーがそこまで言ったところで、彼の耳に「想定外の足音」が届く。そして、バリーと同様に聴覚に優れたロゥロアにも、その足音は聴こえた。
「先生、この音は……」
「うさぎじゃないね、少なくとも……」
二人の耳には、少なくともウサギよりは遥かに大型の動物の足音のように聞こえる。
「とはいえ、これはこれでいい機会かもしれない。ロゥロア君、予定外だが、キミの試験を手伝ってくれるお客さんが来たようだ。ちょっと図体は大きいかもしれないが、脳のレベルはウサギと大差ない筈。相手の姿を確認次第、スリープをかけてみてもらえるかな?」
「分かった、です……。やって、みます!」
ロゥロアは決意を固めつつ、足音のする方向を凝視する。やがて、その足音がミラの耳にもはっきりと届くようになった時点で、ロゥロアの視界に一頭の獣が現れた。
(あれは……、猪、です)
野生の猪を見るのは初めてだが、大きさからして、投影体の類いではなく、あくまでこの世界原産の「普通の猪」であろうことは予想出来る。とはいえ、ロゥロアの小柄な身体に追突されたらタダでは済まない。
(大丈夫。こういう時のための魔法、です。自分の身を守るために、覚えた魔法……)
ロゥロアはそう言い聞かせながら、落ち着いて歌うようなリズムで呪文を詠唱し始める。すると、その音の波動は猪の耳を捕らえ、唐突にその足元がフラつき始める。猪は何が起きているのか分からない様子でしばらくその場でのたうち回った末に、やがてそのまま横になった。
「よくやった! 合格だ、ロゥロア・アルティナス!」
バリーはそう告げると同時に、火の元素魔法であるバーストフレアを放って、その倒れた猪の身体を炎で包み込む。やがて、ほんのりと焼け焦がれた猪肉の匂いが漂い始めた。
「さぁ、思ったより豪華な土産物が出来た。帰ろうか」
自分と同じかそれ以上の重さがあると思える猪を担ぎながら、バリーは二人にそう告げて、山小屋へと戻って行く。ロゥロアは猪の屍を目の当たりにしながら、この「自分よりも巨大な敵」から、自分の魔法によって身を守れたということに、確かな達成感を感じていたのであった。
******
「さぁ、いよいよこの楽しい基礎魔法合宿もフィナーレだ! 最後を飾るのはキミ達三人! サイレントイメージを通じて、それぞれの心のうちに秘めた『夢』を、映像として具現化してほしい。まずはカイル君、キミからお願いしていいかな?」
「分かりました。見てて下さい!」
カイルはそう告げると、合宿参加者全員が見ている前で、サイレントイメージの呪文の詠唱を始める。
(これはいずれ『本物』を作り出すための前段階の作業。俺の頭の中にあるイメージを、はっきりと表現してみせる!)
そんな決意を胸に彼が呪文を唱え終えると、そこには一つの「発射台」と「火薬玉」が映し出されている。
「なるほど、これが、前々からキミが言っている『花火』ということだね」
「はい。とりあえず、俺の中では概ね設計イメージは完成しています」
「なるほど。せっかくだから、内部構造も見せてもらえるかな?」
「えーっと、ちょっとイメージし直すので、少し待って下さいね」
そう言って、カイルは一端、目の前に広げているイメージを閉じる。サイレントイメージとして映し出せるのはあくまでも二次元映像であるが、カイルの頭の中では既に三次元の立体構造のイメージは出来上がっているため、それを分かりやすく見せるにはどの角度から見せればいいか、ということを頭の中でシミュレートしていた。
「整いました! 今から描き出します」
カイルはそう宣言した上で再び同じ呪文を唱える。すると、リクエスト通りに今度は発射台の内部構造が映し出されている。バリーの専門はあくまで元素魔法だが、前述の通り、彼はメルキューレと共同でアーティファクトを開発したこともあるため、器械などの類いに対しても一定の見識を持ち合わせていた。
「なるほど、これはなかなか面白い設計だな。この混沌にまみれた世界で上手く機能するかどうかは分からないが、確かに試してみる価値はありそうだ……」
「で、先生、その…………、俺、合格ですか?」
「え? あぁ、そうだったそうだった! いや〜、映像内容そのものが面白かったから、すっかり忘れてしまっていたよ。うん、もちろん合格だ! カイル・ロートレック。いつかこれをキミが実際に組み上げる日を楽しみにしている」
「ありがとうございます! 頑張ります!」
そう言って、カイルが一礼すると、バリーは今度はゴシュに視線を向ける。
「では、次はゴシュ君、キミの番だ」
「分かりました。ウチは、いつかまた会いたいと思っている人との『思い出の場所』を再現したいと思います」
彼女がそう宣言した上で呪文を詠唱し始める。だが、その途中で彼女の頭の中のイメージが一瞬、ブレた。
(ん? あれ? ちゃう……、こうやない、こうやなくて……)
「自分が想定していた映像とは異なる何か」が現れようとしたところで、彼女はリウィンドの魔法を用いて、イメージを修正する。そこで現れようとしていた映像が何だったのか(それが本当に「失敗」だったのか)は不明だが、ひとまずリウィンドによって修正した映像を、皆の目の前で描き出すことに成功する。それは、広大な「宇宙」のイメージ図であった。
「これは……、宙(そら)の映像かな……?」
バリーはそう問いかける。この世界には、様々な形で「空(そら)」を飛ぶ技術の持ち主は存在するが、空の先にある「宙(そら)」の世界にまで到達した者は(おそらく)いない。しかし、過去の様々な文献から、空のその奥に宙と呼ばれる空間が存在しているという伝承はエーラムの一部に残っており、この世界の根源的構造である「元素」を操るバリーも、基礎教養としてその「宙」のイメージを描いた図面は見たことがある。ゴシュの描いたその映像は、まさにその時に見た「宙」と酷似していた。
「詳しくはよく分からないんですけど、ウチは昔ここで『その人』に会ったんです。で、いつかまたその人に会いたいっていうのが、ウチの夢なんです」
彼女の描き出しているその場所が、本物の「宙の世界」なのか、「混沌によって作られた異空間」なのか、もしくは(別の意味での)「夢の世界」なのかは分からない。ただ、少なくとも彼女の中に秘められた強い思いが、そのまま映像として描き出されていることだけは、バリーにもはっきり分かった。
「よし! いいだろう。ゴシュ・ブッカータ。キミも合格だ。キミの想い人が何者かは分からないが、願い続けていれば、いつかきっと出会えることもあるだろう。キミのその純粋な気持ちがその人に届くことを祈っているよ」
「ありがとうございました! ウチ、きっとまたこの場所へ到達してみせます!」
結局、この場にいる者達は誰一人として「この場所」がどこなのかは分からなかったが、とはいえ、純粋にサイレントイメージという魔法の評価としては、非の打ち所のない完璧な「作品」に仕上がっていたことは疑いようがなかった。
「さぁ、いよいよ大トリはツムギ君、キミだ。キミは地球人だったね。しかも、ミュージシャンだったそうじゃないか」
「まぁ、ミュージシャンと言っても、あくまでアマチュアの学生バンドですけど……」
「いいじゃないか! 若者達が自分の中に秘めた思いを音に込めて解き放つ! まさに青春の輝きだ! サイレントイメージでは、その音までは再現出来ないのが残念だが、ひとまず、キミのその青春の思い出を、僕達にも見せてくれないか? 地球にいた頃のキミの思い出の場所を、映像として描き出してほしい」
「わ、分かりました……」
バリーの熱意に押される形で、ツムギは地球時代の記憶を遡る。
(私が一番鮮明にイメージ出来る場所と言ったら、やっぱり、あそこよね……)
彼女はそんな想いを脳内に描きながら、呪文を唱え始める。そして他の者達とは異なり、彼女にとってはこれが「初めての魔法」でもあった。
(本当に、出来るのかしら、私に……)
心に拭えない不安を抱きながらも、彼女が呪文の詠唱を完了すると、皆の眼前に、かつて彼女が通っていた「本山高校」の軽音部の映像が映し出される。
「おぉ! これが、噂に名高い地球の『けいおん部』の映像か! あの文献に記されていた部室とは少々構造は異なるようだが、確かに同じ空気が感じられる。まさに学生達の青春の息吹が凝縮されたような……」
興奮した様子でバリーがそう語る一方で、ツムギもまた自分が本当に「魔法」を使えたことに感動しつつも、心のどこかで寂しさも感じていた。
(私はもう、ここには戻れないのよね……。今頃みんなは、「私とは別の私」と一緒ににて、そこにはもう「私」の居場所はなくて……)
ツムギの中でそんな思いが去来する中、バリーはふとした疑問を投げかける。
「しかし、思い出の場所ということは、当然、ここには君とその思い出を分かち合った『仲間達』がいたのだろう?」
「え、えぇ、まぁ、それは、そうなんですけど……」
「せっかくなら、彼等の映像も一緒に描いてくれれば良かったのに。あえて映さないということは、もしかして、彼等とは仲違いした状態のまま、この世界に投影されてしまったのかい?」
「いえ! そんなことはないです! そうじゃなくて、その……、仲が良かったからこそ、もう会えない皆のことを思い出すと、どうしても、辛くなるし……」
「何を言ってるんだ! キミは地球人だろう? 地球人は他のどの世界の投影体よりも、そして元々この世界に住む僕達よりも、圧倒的に強い『妄想を実現する力』の持ち主じゃないか! ましてやキミは、地球人でありながら魔法師としての才能を持ち合わせた麒麟児だ! キミがその力を極めていけば、いずれキミ自身が彼等をこの世界に呼び寄せることだって出来るかもしれない!」
「それ、魔獣園のドラゴンさんも言ってたんですけど……、本当に可能なんですか?」
「可能かどうかは分からない。だが、不可能を可能にするのが魔法師だ。そうだろ、みんな?」
バリーが他の学生達に問いかけると、皆が一斉に頷く。
「せやで。ウチやって、あの人にもう一度会うにはどうしたらええかなんて、まだ全然分からへんけど、それでも会えると信じて頑張っとるんや」
「ルクスも、きいろいおーさまとまた会えると信じてるのだ」
「俺も、今のこの世界で花火を打ち上げるなんて無理だ、と何度も言われたけど、何度言われても諦める気なんてねーよ」
「オレだって、治療法どころか原因も分からない病気を抱えてるけど、でもきっといつか、絶対に俺の力で克服することが出来ると信じてる。諦めなければ、絶対に道は開ける。と、思う!」
ゴシュ、ルクス、カイル、サミュエルの四人が口々にそう告げる。それに続いて、大狼のシャリテも語り始めた。
「私もね……、今はこんな姿だけど、元は地球人だったの。地球にいた頃の私、ニホンにすごく興味があって……、だから、あなたと出逢えて嬉しかったし、あなたのお友達がこの世界に来てくれるなら、私もぜひ会いたい。そのために私に出来ることがあるなら、私も手伝いたい」
大狼の姿でそう語るシャリテの姿は、当然、最初はツムギの目には異様に映っていたが、その言葉を聞いているうちに、徐々にその身体の中に「地球人の少女」の魂が宿っているということを、ツムギも実感出来るようになっていた。そんなツムギに対して、シャリテはそのまま語り続ける。
「私も、出来ることならいつか、自分の本当の姿を取り戻したいと思ってるし、その希望は捨ててはいない。だから、あなたにもその願いは捨てないでいてほしい」
シャリテが語り終えたところで、今度はクグリとミラが口を開く。
「ボクの故郷の文化は、どうやらその地球の『ニホン』という国に近いらしい。だから、君のお仲間さん達がこの世界に来てくれるなら、いつでもボクの故郷の味を披露するよ」
「私の後輩の孤児院の子達も(先日の『ヤンキー紙芝居』の影響で)最近、地球っていう世界に興味あるみたいだから、その部活の人達と一緒に地球の音楽を聞かせてくれるなら、きっとみんな喜ぶと思う」
そして、「地球の音楽」という言葉が出てきたところで、ロゥロアも語り始めた。
「私は……、子供の頃からずっと、音楽を続けてた、です。でも昔、色々あって、この間まで、気軽に歌うことも出来ない身体になってました……。だけど、それでも、諦めずに色々試しているうちに、また、歌えるようになった、です。だから……、その……、諦めないでほしい、です。私も地球の音楽、大好きです。あなたと、あなたのおともだちが、一緒に奏でる音楽、聞いてみたい、です……」
自分の半分程度の歳のロゥロアにそう言われたツムギは、静かに頷く。
「分かったわ。じゃあ、いつかまた会えた時のために、いつかこの学園でライブを開く時のために、みんなに私の大切なバンドメンバーを紹介するね。まずは、私が一番大好きな先輩から!」
ツムギはそう言って再びサイレントイメージの呪文を唱え始めると、やがて一人のギタリストの少女の映像が浮かび上がる。楽しそうに生き生きと「先輩」のことを語り始めるツムギを見て、バリー達もまた心からの笑顔を浮かべながら、彼女の話に聞き入るのであった。
グライフ・アルティナス(下図)はエーラム魔法師教会のエージェントであり、本来は教員ではない。だが、その類稀なる実力と、数多の任務をこなしてきた実績を買われて、時折、臨時講師として教鞭を執ることもある。今回は、事前準備型魔法の試験監督としての役割を任されることになった。
「この魔法は召喚魔法師にとって必須条件とも言える、この世界を捻じ曲げてでも自分の望む何かを投影させるという『圧倒的な意志の力』を高めるためのものです。今の段階からこの魔法の修得を望むということは、皆さんは召喚魔法師志望、ということでよろしいですか?」
淡々とした穏やかな口調でそう問いかけるグライフに対し、最初に答えたのは(いつもは口数の少ない)同門のゼイドであった。彼はいつも通り、フードで顔を隠した状態のまま答える。
「はい。自分はいつか強力な召喚魔法を修得するために、まず今は一步ずつ、その足場固めをしていきたい、と考えています」
ゼイドとしては、最終的には宿敵であるガーゴイルや闇魔法師を討伐することが目標だが、今の時点で中途半端にエネルギーボルトなどを習うよりも、将来的に自分の可能性に賭けて、焦らずに基礎を固めるべきと考えていたようである。
続いて、今度は海洋少女のメルが答える。
「アタシは、まだそこまではっきりと決めてる訳ではないっス。でも、アタシは座学が苦手だから、知識を必要とする魔法には向いてなくて、でも、この間の修学旅行で現役の契約魔法師の人から、『根性さえあればどうにか出来る学科もある』って聞いたんで、とりあえず、今は精神面から鍛えていくことにしたっス」
実際のところ、召喚魔法であれば「地頭の良さ」はあまり必要とはされない。一部の召喚魔法においては異世界に関する知識が必要になることもあるが、基本的には意志の力さえあれば大抵のことは乗り越えられる。そして、彼女に助言したフレイヤの専門である元素魔法と同様、召喚魔法もまた「無から有を生み出す魔法」なので、基本的にはトライ&エラーをひたすら繰り返すことで魔法を修得出来る可能性があるという意味では、座学に不向きな学生にも向いているのかもしれない(なお、現在のメルの口調が、比較的無理のない「体育会系敬語」になっているのも、おそらくはフレイヤの影響であろう)。
更に言えば、ストレイン一門には、ファーガルドの君主の契約魔法師スティアリーフという若くして召喚魔法師として大勢した少女もいるし、同世代のクリストファーやジュノも異世界に詳しく、それに加えて地球人のツムギも加わったことを考えれば、召喚魔法師を目指す上での環境には恵まれていた。
これに対して、アーロンはまた独特の理由から召喚魔法師の道を目指そうとしていた。
「ボクは、魔法師にしか出来ない、ユニークな魔法を色々覚えたいと思って、それなら召喚魔法師が一番かな、と考えました。よろしくお願いします」
より正確に言えば、彼がそのように考えるに至った理由は、彼がいずれ契約したい(そして「それ以上の関係」になりたい)と考えているローズモンド伯爵領の令嬢エリーゼの執事に認められるため、というのが本音である。彼が語っていた「魔法師にしか出来ないこと」という条件について考えた場合、自分とは別の「独立した意志体」としての投影体を従えるというのは、確かに君主にも邪紋使いにも(そしておそらく、大抵の投影体にも)出来ないことである。
それに加えて、猫好きのアーロンとしては、いつでも自分と隣にケット・シーを連れていられるということは、それだけでも大きなメリットであった(なお、アーロンが知っているか否かは不明だが、エリーゼは「犬派」である)。
一方、同じカーバイト一門の同胞であるディーノは、彼とは対象的に「より高い目標」を掲げた上で、この魔法修得に取り組もうとしていた。
「俺の最終目標は魔法剣士です。そのためにはウィザードとして色々な魔法を覚える必要がありますから、その中の一つとして召喚魔法を使いこなすためにも必要ですし、そもそも剣士として前線に立って戦う時に、ドラゴンや巨人の咆哮に怯まずに戦い続けるためには、やはり鋼の意志が必要になると叶えて、この魔法をマスターしようと考えました」
実際、魔法の力を剣に込めて戦う際には、状況に応じて様々な魔法が使えた方が戦術の幅は広がる。その意味でも実質的な攻撃魔法のバリエーションが豊富な召喚魔法は優先順位が高いと言えるし、そもそもディーノの資質としても、実は召喚魔法が一番向いているとも言われていた(彼の故郷の村に時折出現していた投影物品も、彼が原因であったらしい)。
その上で、最近始めた魔獣園でのバイトを通じてドラゴンから聞いた武勇伝の中で、実際に猛々しい咆哮によって人間の心を折ろうとする強大な魔物がいることを聞かされたことで、より一層、この魔法の必要性を感じるようになったらしい。
「分かりました。では、さっそく始めていきましょう。まずは、教科書に書かれていた通りのにやり方で、アイアンウィルの魔法を唱えてみて下さい。今の皆さんであれば、おそらく『将来に向けての願望』を思い浮かべた上で、何があってもその願望を実現させる、という決意を固めてもらうことが、最も分かりやすい形での意志力の高め方になると思います」
グライフがそう告げると、四人はそれぞれに自分の中での「理想の未来象」を思い浮かべながら、アイアンウィルの魔法を唱える。
(ガーゴイルと闇魔法師を倒し、そして故郷を復興させる。それこそが俺の目指すべき未来!)
(海でアタシを助けてくれたあの人みたいに、皆を助けられる魔法師に、私はなる!)
(ヴェルトールさんに認められて、エリーゼの契約魔法師になって、そして彼女と……!)
(強くて、カッコよく戦って、どんな恐ろしい敵相手にも諦めずに戦い抜く魔法剣士!)
四者四様の思いを胸に彼等が詠唱を終えた時点で、それぞれに心に強烈な魔力が宿る。その様子を確認した上で、その魔法の効果を確認するために、今度はグライフが、とある召喚魔法を唱え始めた(一節によると、彼は七色十三系統の全ての魔法に通じていると言われている)。すると、部屋の中が突然、異空間へと入れ替わる
「なんだ!?」
「え? どこ!?」
「壁が急に木造に!?」
「てか、暑い……、なんだこれ……」
四人が困惑する中、グライフは(その額からは汗を流しながらも)涼し気な表情で説明する。
「今、私が使ったのは、浅葱(亜流)の召喚魔法『シェルタープロジェクション』です。今、この空間は異界の『サウナ』と入れ替わりました。ここは、本来は身体の血の巡りを良くするための健康施設なのですが、並の精神力の持ち主では、あまり長時間入り続けることに耐えられません。しかし、『鋼の意志』が備わっている今の皆さんであれば……」
そこまで言ったところで、メルが意図を察する。
「なるほど、根性を見せるための我慢大会ってことか……」
不敵に笑いながらメルがそう言うと、グライフも頷く。それに対して、ディーノが問いかける。
「ちょ、ちょっと待って下さい、サウナって、確か、本来は裸で入るものですよね? 服を脱ぐのはアリですか?」
それに対してグライフが答える前に、アーロンが突っ込む。
「いや、待てよ! 女の子がいる状態で、それはダメだろ。『脱げる限界』が違うんだし、フェアじゃない」
「アタシは別にいいぜ。それくらいのハンデがあっても」
挑発するようにメルがそう言うと、ディーノもムキになる。
「上等だ! これくらい、サラマンダーを呼び出す時の練習にちょうどいいさ!」
そう言って、ディーノは脱ごうとしていた上着を改めて着直す。なお、このやりとりのおかげで一番助かったのは、ローブを脱ぐことすら出来ないゼイドなのだが、現時点で彼が既に限界に近いレベルで表情が歪んでいることを、他の者達は知らない。
(この程度……、あの村の混沌災害で焼け死んだ人々の苦しみに比べれば……)
ゼイドはそんな贖罪の気持ちを抱きながら、異界の高級サウナ風呂を体験し続ける。
「もし、耐えられなくなったら、そこの扉から外に出て下さい。そこは普通に元の校舎の廊下に繋がっていますから」
グライフはそう告げるが、四人は微動だにしない。なお、グライフ自身もその顔には大量の汗が流れているのだが、表情自体は全く動じた気配はない。それはまるで感情と神経が切断されているかのような(もしくは、気温を感じる神経そのものが麻痺しているかのような)異様な様相であった。
こうして、グライフを含めた五人は、それぞれにアカデミー制服を着た状態のまま床に座り込んだ状態で、サウナ風呂に浸かり続ける。メルとディーノは互いに睨み合いながら牽制し、その隣でアーロンは死にそうな顔を浮かべながらもケット・シーの妄想を思い浮かべながら耐え続け、そしてゼイドの脳内では「かつての父との思い出」が走馬灯のように駆け巡る。
最終的に、どれほどの時間が経過したのかは分からない。やがて皆の意識が朦朧とし始めたあたりで、グライフが右手を上げた。
「では、これにて終了。全員合格です。おめでとうございます」
そう言って、彼がシェルタープロジェクションを解除すると、ディーノ、アーロン、ゼイドの三人が一斉に倒れる。
「よっしゃー! アタシのか……」
メルもまた、そう言って立ち上がろうとしたところで立ちくらみを起こし、そのまま倒れて意識を失った。
「ちょっと、長すぎましたかね……。とはいえ、皆さん、お疲れさまでした」
グライフはそう呟きつつ、四人の身体を静動魔法で浮き上がらせた状態で、保健室のベッドへと運び込むのであった。
******
保健室に四人を届け終えたグライフは、次の試験会場へと向かう。そこにいたのは、園芸部員の
テリス・アスカム
と、魔獣園職員のジュノ・ストレイン(下図)であった。
「あなた達二人がイミュニティの受験者、ということでよろしいですね?」
グライフからのその確認の問いに対して、まずテリスが先に答える。
「はい。私は、魔法を使う際に副作用で『足の痛み』が発生する体質なんです。これを克服するには、身体の内側の構造を強化するのが一番ではないかと思い、イミュニティの修得を希望しました。よろしくお願いします」
テリスはそう言って、深々と頭を下げる。実際、これは彼女が魔法師として生きていく上での最善手であろう。この魔法を修得すれば、身体の内側から蝕むような痛みは大幅に軽減されるため、おそらくはエネルギーボルトの連発にも身体が耐えられるようになる筈、というのが彼女の目算であった。
一方、魔獣園で働くジュノは「職場の事情」でイミュニティの習得を余儀なくされることになったらしい。
「ウチの魔獣園で、ラミア園の担当者が足りなくなったんですけど、ウチのラミアは気性が荒いから、もし万が一のことがあった時のために、イミュニティを持ってる職員じゃないとラミア園には入っちゃダメって言われてるんです」
ラミアとは、オリンポス界からの投影体であり、上半身が人間の美女、下半身が大蛇の姿をした魔獣である。彼女達は人間を魅了しつつその血を吸い取ろうとする習性があるため、ある程度まで吸血されても身体の機能を保つために、彼女の世話をする者達はイミュニティを修得しておくのが必須らしい。
「なるほど。事情は了解しました。では二人とも、今から指南書に書かれていた通りに呪文を詠唱してみて下さい。自分自身の身体を内側から造り変えるようなイメージを抱きながら唱えると、より効果的に機能すると言われています」
そう言われた二人は、それぞれに「理想の自分の体内構造」を思い浮かべる。
(出来ることなら、私も「彼女」のように電気を体内で…………、あ、いや、そうじゃなくて……! 痛みに耐えて戦い続けられるだけの身体になりたい。そうすれば、きっとみんなを守り続けることが出来るようになる……)
(正直、ラミアだけじゃないのよね……、コカトリスにしても、ドライアドにしても、体の内側から破壊してくる力を持ってる投影体って結構多いし……、でも、これさえ覚えれば、もうそれも怖くない。どんな投影体とだって、今よりもっと仲良くなってみせるわ……)
二人がそれぞれにそんな思念を巡らせながら呪文の詠唱を終えると、グライフはカバンから小型のアーティファクトを取り出す。それは、かつてバリーの要請でメルキューレが作り出した音楽発生装置であった。今回のこの試験において、グライフはそれを「イミュニティの発動確認」のための小道具として借りてきたのである。
「今から二人には、この装置から流れる音波攻撃に耐えて頂きます。一応、他の教室に影響が出ないよう、最低レベルの音量で流しておくので、一発で致命傷に至る程ではないですが、それでも長時間聞き続ければ健康に支障をきたすことは間違いないので、もし辛いと思ったら、やせ我慢せずに素直に言って下さい。イミュニティの試験はまた次の機会もあります。ここで無理して命を粗末にする必要はありません」
淡々とグライフの口からそんな警告が告げられると、テリスの表情がこわばる。
「そこまで危険な音波なのですか……?」
「バリー君が言うには、地球とよく似た『FFF界』に住む『巨人』の咆哮の音らしいです。それが果たして何者なのかは、私も知りません」
その説明を聞いた時点で、テリスが更なる緊張感に包まれている一方で、ジュノの方は未知なる異界の話を聞かされてワクワクしたような表情を浮かべている。
「では、今から再生します。心して聞いて下さい」
グライフのその一言と同時に、奇妙な音階が流れてきた。
(これは……、音楽……?)
当初想定していた音とは全く異なる、どこか気の抜けた音階に対してテリスとジュノが拍子抜けしていると、唐突に謎の歌声が響き渡る。
(こ、これは……)
(なんて不快感をもよおす歌声……)
二人はその声に対して一瞬吐き気のような衝動が引き起こされようとしたが、心の拒絶反応とは裏腹に、身体には全く異変が発生していない。より正確に言えば、身体に連動すると思われた拒絶反応が、魔法の力で抑え込まれているのを実感したのである。その二人の様子を確認した上で、グライフは1コーラスが終わったところで装置を止めた。
「どうやら、成功のようですね。お疲れさまです。二人とも、合格です」
イミュニティのおかげで身体は無事だったものの、心の方には何か深い傷跡を残されたような、そんな嫌な余韻を抱えつつ、二人は会場を後にするのであった。
******
学生達に辛い負担をかけてしまったことをグライフは少しだけ後悔しつつ、次なるクールインテリジェンスの試験会場へと向かう中、現地では三人の受験者が既に待機していた。
その中の一人である
テラ・オクセンシェルナ
は、これまでの魔法学生としての自分を思い返しながら述懐する。
(結局、彼らの未来を拓く手伝いをしたいなど、彼らを護りたいなど、私のエゴに過ぎない。……そう、分かっていた。彼らは皆、強い。私など必要無い程に)
エーラムに来て以来、しばらくの間は誰とも接しようとはしなかった彼が、ここ最近になってようやく、様々な人々と触れ合い、そして相手のことを理解するようになってきた。その上で、彼等との関係性の中に自分の存在意義を見出そうとしていていたテラであったが、ここに来て、更にもう一步先の思考に到達したようである。
(ならば。私は、私の為に生きよう。私自身の為に選択し、研鑽を重ねよう。私が一人の人間として独立し、力を手に入れる為に。そうすれば、きっと。……いや、それこそが、彼らの力となる事もある筈だ)
その上で、彼は前回は他人を助ける「アシスト」を修得したテラであったが、今回は自分自身を強化する魔法を選ぶことにした。
(研究者として生きるなら、『クールインテリジェンス』は必須。全力を尽くそう。今の私を創った彼らの為に。……そして、自分の為に)
テラと同じ研究者志望の
クリストファー・ストレイン
もまた、色々と悩んだ末に今回はこの魔法を選ぶことにした。実は彼の中では、この魔法は前回の一斉試験の際にも候補に挙がっていたのだが、以前にアストリッドに対して「クールインテリジェンスの代わりになるようなアイテム」をリクエストした手前、ここで自分がこの魔法を選んでしまうことに抵抗があったのである。
しかし、ヴィッキーに相談した際に「魔法とアイテムを併用して使う道もある」といったことを指摘され(discord「図書館」6月29日)、自分の考え方が凝り固まっていたこと、そして自分はまだまだ勉強不足だということを痛感し、改めて勉強・研究の効率を上げるために、今更ながらにクールインテリジェンスを覚えることにしたのである。
(出来れば事前にヴィッキーに挨拶したかったけど……、まぁ、終わってからでもいいか)
先刻、クリストファーは彼女に会うために競技場に向かったのだが、残念ながらその時点で彼女は学長とのレースの打ち合わせのため、まだ会場入りしていなかったのである。
(あと、アストリッドさんにも、いずれ報告しておかないと……)
まさかこの時点でアストリッドもまた同じレースに出場する準備をしているとは、彼が知る由もなかった。
そしてもう一人の受験者である
シャララ・メレテス
は、この二人とは対象的に、勉強や研究のためというよりは、より実践的に現場でこの魔法を生かすことを考えていた。現状、彼女は進学先として、元素魔法学部と生命魔法学部という二つの選択肢を考えていたが、そのどちらにおいても、この魔法は役に立つと考えていたのである。
(元素魔法で天候や環境を操作するなら共感力、植物の成長や健康を助けるなら治癒力が必要なのだよ。その両面において、この魔法は役に立つのだよ)
クールインテリジェンスは戦闘中には使えないという弱点はあるが、逆に言えば戦闘以外の場面で魔法師としての役割を果たす分には、幅広く役に立つ。効率性ではアシストには劣るが、連続使用に耐えうるという点に関しては、明確にこの魔法の方が優れていた。その意味でも、シャララにとっては七草粥(と彼女が呼んでいる食べ物)を生み出す上で、極めて効率の良い魔法であるように思えたのである。
三人がそれぞれにそんな思いを抱えている中、やがてグライフが会場に現れる。
「お待たせしました。では、さっそくですが、クールインテリジェンスの試験を始めたいと思います」
そう言って彼が持ち出したのは、「ワードバスケット」と書かれた箱であった。
「これは、異界のカードゲームです。頭の中にある語彙をいかに早く効率良く取り出すか、ということを試すゲームなので、クールインテリジェンスの効果を試すにはうってつけでしょう」
彼はそう言って、テーブルの上にその箱の中身を出しながら、ルールの説明を始める。
「これは、この国に昔からある文化の『しりとり』を応用したゲームです。しりとりとは『前の人が言った単語の最後の文字』から始まる単語を、順番に言い続けていくという遊びです。なお、この国の言語では音節単位で文字が表現されているため、たとえば『カード』という言葉の最後は『D』ではなく『ど』になります。なので、前の人が『カード』と言った後に『ドングリ』と続けることは出来ますが『ダイス』で続けることは出来ません。一方で、この国の言語では『D』と『T』は同じ文字を用いるため、『トンビ』と続けるのは認められます」
「難しいですね……、まず、この言語の基本原則を理解するところから、ですか……」
「あー、でも、俺、この法則の異世界言語には心当たりがあるな」
「童(わらわ)も、なぜかは分からないけど、馴染み深い言葉のような気がするのだよ」
「まぁ、そこの理解力もまた、クールインテリジェンスの試験の一部だと思って下さい」
グライフはそう告げた上で、この国の言語表記の概略と
ルール解説文
を配り、三人がクールインテリジェンスを用いてそれらを熟読したところで、グライフは彼等に5枚ずつ「手札」を配った上で、残りを「山札」としてテーブルの上に起きつつ、改めて今回のレギュレーションを解説する。
「とりあえず、皆さんには、その手元にあるカードを全て使い切ることが目的です。本来は誰か一人が全て使い切ったら終わりですが、今回は誰かを振るい落とすための試験ではないので、制限時間以内であれば、残り一人になっても続けられます。その上で、全員が全て使い切った場合は、全員が合格となります。なお、使える単語は通常時は『三文字以上』が条件ですが、最後にあがる時だけは『四文字以上』でなければなりません」
そして、ここでグライフは更に追加ルールを設定する。
「なお、『しりとり』においては固有名詞は禁止とされるのが一般的なようですが、皆さんは魔法師となる身ですし、ここは逆に固有名詞を含めた上で、魔法師として必要な単語に限定したルールでおこないたいと思います。すなわち、今回用いることが認められるのは、『人名』『地名』『魔法名』『怪物名』『混沌に関する単語』のみ、とします」
それに対して、クリストファーが声を上げた。
「待って下さい! 俺は世界情勢とか政治学とかには疎いから、クールインテリジェンスを使ったところで、そもそも頭の中にある人名や地名の語彙力が足りません。そのレギュレーションだと、さすがに不利すぎます」
「ふむ……、では『混沌に関する単語』の中に『異世界に関する単語』も含むことにしましょうか。それならどうです?」
「まぁ、確かに、それならどうにか……。って、異世界なら、どの異世界でもいいんですか?」
「そこは、他の単語に関してもそうですが、『試験官である私が知っている単語』に限定させて頂きます」
グライフの異世界知識がどれほどのものかは分からない。ただ、召喚魔法にも通じている彼であれば、当然、それなりに幅広い知識は持ち合わせていることが期待出来る。
ここで、今度はシャララがふとした疑問を投げかける。
「『異世界にあって、この世界にもあるもの』の場合はどうなるのだよ?」
「それが『投影物品』ではなく、この世界固有の存在である場合は、認められません」
そう言われた時点で、シャララの中では「ナナクサガユ」は諦めることにした(少なくとも彼女の中では、それは確かに「実在」している)。ただ、「マンドラゴラ」に関しては一般的には「怪物」扱いになっているので、認められると考えて良いだろう。
更に、テラもまたルールの確認のために手を挙げた。
「人名に関してですが、使えるのはフルネームですか? それとも……」
「フルネームではなく、ファーストネームと家名は別カウントになります。つまり、私の場合は『グライフ』でも『アルティナス』でも可ですが、『グライフ・アルティナス』という単語として出すことは出来ません」
「それは、実在する名前なら、誰の名前でもいいのですか?」
「えぇ。少なくとも私が知っている範囲の『この世界に実在する名前』なら可とします。もちろん『異世界の名前』でも大丈夫ですよ」
これは、グライフの知識量をどこまで信用するか、という駆け引きのゲームでもあるように思えてきた。
「では、さっそく始めていきましょう。最初の文字は……」
そう言ってグライフが山札から一枚めくると、そこには「き」と書かれていた。一瞬の沈黙の後、クリストファーがいきなり、このゲームにおける「特殊カード」を初手から叩き込む。
「キュアライトウーンズ!」
そう言って、彼が提示した「ワイルド7+」のカードが「き」の上に置かれた(クリス残り4枚)。続いてシャララが「お」のカードを投げ込む。
「スサノオ、はアリなのだよ?」
「えぇ、知ってますよ。アマテラスの弟ですね」
グライフは極東の神にも詳しいらしい(シャララ残り4枚)。そして、ここで都合良く絶好のカード「な」がテラの手元にあった。
「オクセンシェルナ」
さすがにここは逃す訳にはいかない(テラ残り4枚)。その直後にクリストファーが「あ」を提示する。
「ナルニア! って、分かります?」
「異世界の国名ですね。まぁ、異世界そのものの名前という説もありますが、どちらにしても問題ないです」
「じゃあ、それで」
彼がそう言ってカードを出すと(クリス残り3枚)、すぐさまテラが声を上げる。
「アストロフィ(バルレア半島の国名)」
そう言ってテラがカードを投げ込もうとするタイミングで(テラ残り3枚)、クリスがすぐさま「と」のカードをその上から投げ込んだ。
「フィジカルエンチャント!」
ここで、グライフが手を挙げる。
「クリス君、『おてつき』です」
「え? 生命魔法に、そんなのがありませんでしたっけ?」
「ありますが、カードをよく見て下さい」
テラが提示したのは「い」であり、「ふぃ」ではない。
「あぁ、そうか。音節単位の言語だった……」
つまり、ここでカードをよく見た上で「イルード(静動魔法)」と言って出せば、問題なく認められていたのである。西方文化圏の人間には、この辺りの感覚がどうしても分かりにくい。
「では、クリス君はその『と』のカードを手元に戻した上で、更に山札から1枚追加して手元に加えて下さい」
「キッツいな……」(クリス残り4枚)
そしてここから、ゲームが再開される。テラは今のお手つきでクリストファーが混乱している間に、既に次の一手を考えていた。彼は「ワイルド5」のカードを取り出す。
「イスメイア(国名)」(テラ残り2枚)
そこに、クリストファーとシャララが同時に次の一枚を出そうとする。
「アイアンウィル!」
「アマテラス!」
ほぼ同時に見えたが、クリストファーが投げ込んだ「ル」の方が先に滑り込んだ(クリス残り3枚)。しかし、ここで三人の手が止まる。「ル」で始まる言葉はなかなか難しい。
「さて、誰も思いつかなければ、誰かが『リセット』を宣言して手札入れ替えをしてもいいですよ」
グライフがそう言ったところで、シャララは出しそびれた「ス」のカードを見ながら、学友の名前を思い出す。
「ルクス、なのだよ」(シャララ残り3枚)
それを見た上で、すぐさまテラがワイルドライン「さ行」のカードを投げ込む。
「ストラトス。リーチです」(テラ残り1枚)
これに対し、クリストファーも攻勢をかけるべく、手札からワイルドライン「は行」を取り出した。
「スリープ!」(クリス残り2枚)
更に続けて、先刻出しそびれた「と」を重ねる。
「フィジカルエンチャント! オレもリーチだ!」(クリス残り1枚)
今度は文句なしのコンボである。この短時間で彼は、この国の言語独特の「ハ行のルール」をどうにか理解したらしい。
だが、残り枚数が少なくなれば、当然、ここでピッタリ合うカードが手元にある可能性は狭まる。テラとクリストファーが「今の手札」では「と」に繋がらないと判断し、シャララの出方を待つ。一方、シャララはマイペースに長考しながら、「し」を取り出す。
「トガクシ、はどうなのだよ?」
「地球の地名、もしくはニンジャの流派ですね。後者の場合は『トガクレ』ともいいますが」
なぜシャララが地球の「この国」に関して異様なまでに詳しいのかは謎だが、普通にそれに答えられるグライフも大概である(シャララ残り2枚)。そして、すぐさまテラが最後に手札に残っていた「や」を投げ込む。
「ジャヤ!」
満面の笑みでそう叫んだテラだったが、無情にもグライフは通達する。
「テラ君。『おてつき』です」
「え……? いや、これは私の義弟の名前で、確かに実在する……」
「最後にあがる時の単語は四文字以上、と言いましたよね?」
「あ……」
いつもは冷静なテラらしからぬ凡ミスである。彼は粛々と山札から1枚引いて手札に加えた(テラ残り2枚)。そして、ここで使いにくいカードを手元に残していたクリストファーは、グライフの知識に賭けて「へ」を投げ込む。
「シティ・コウベ!」
これに対して、グライフはやや悩ましい表情を浮かべる
「それは……、『シティ』の部分は一般名詞なので、認めて良いか微妙ですね。そもそも、現地の人々は『コウベシ』と呼ぶ方が一般的ですし……」
「いえ、これは一般的な『地球の神戸市』ではなく、オレが読んだ
異界文書
に書かれていた、特殊な世界線を辿った22世紀の地球での呼称です。その世界では基本的に『シティ神戸』と呼ばれている筈です」
「あぁ! 君が射撃大会の時に使っていた、あの『正八面体の武器』が生み出されていた世界ですね。なるほど、確かにそれはその通りです。通しましょう。クリストファー君、合格です」
「よっしゃあ!」
クリストファーは歓喜しつつ、グライフの知識の幅広さに若干の戦慄を覚える。そして、微妙に繋ぎにくそうな「へ」が残された状態で、シャララが自身なさそうに「て」を取り出す。
「ヘカテ、という名前を聞いたことがある気がするのだよ」
どうやら、レストラン「多島海」において、三姉妹の会話の中で出てきた名前が、偶然彼女の耳に届いていたらしい。
「うーん、多分、タルタロス界の女神ヘカテーのことでしょうね。まぁ、『ヘカテ』と表記されることもあるので、良しとしましょう」
「じゃあ、リーチなのだよ」(シャララ残り1枚)
しかし、すぐさまテラも巻き返す。彼は先刻引いたばかりのワイルドライン「た行」を提示した。
「ティトさん、という方がいらっしゃるのですが……」
「知ってますよ。ロータス一門の、いつも図書館にいる人ですね」
「ありがとうございます。リーチです」(テラ残り1枚)
これで両者リーチの状態になったが、ここから二人とも、どうしても手が進まない(「トルティーヤ」という異界の食べ物のことは、テラは知らなかった)。
(仕方ない、やはり、このカードがある限り、どうしても私は「彼」にとらわれてしまう。ここは未練を断ち切ることにしましょう)
テラは内心そう呟きつつ、「リセット」を宣言して「や」を「た行」の上に起きつつ、山札から2枚引く(テラ残り2枚)。だが、この「や」もまた、この世界の固有名詞の頭文字としては、かなり難しい。
「仕方ない。マンドラゴラは一旦諦めるのだよ」
そう言ってシャララもまた「リセット」を宣言し、手元に残っていた「ら」を「や」の上に置き、山札から2枚引く(シャララ残り2枚)。なお、実は先刻の「し」の時点で彼女が「シャララ」と宣言して出すことも出来たのだが、彼女はあくまで「マンドラゴラ」に使いたいと思い、あえて残していたのである(だが、現実問題として「マ」で終わる固有名詞はこの世界にはあまり存在しない)。
ここで、テラはワイルドライン「あ行」を投げ込む。
「ラミア、これでリーチです(テラ残り1枚)、そして……」
更に続けて何かを投げようとするが、ここでシャララもほぼ同時にカードを差し込む。
「アルティナス(ワイルド6)」
「アントリア(ワイルド5)、なのだよ」
タッチの差でシャララの方が早かった(シャララ残り1枚)。しかし、「ア」で終わっている以上、テラの「アルティナス」はそのまま成立するため、結果的にこれでテラも全てカードを使い切ったことになる。
「お見事です。『この間の修学旅行先の国名』からの『私の家名』ですか。なかなか綺麗な流れですね。テラ君、合格です」
「ありがとうございます」
その後、一人残ったシャララは開き直って何度もリセットを繰り返した結果、最終的に「サモン:ブラックドッグ(召喚魔法)」→「クライシェ(大工房同盟の盟主家)」→「エルマ(先日訪問したソリュートの隣村)」と繋げた上で、どうにか「マンドラゴラ」であがることに成功したのであった。
******
そしてこの日の最後の試験は、ロケートオブジェクトである。その唯一の受験者は、
エル・カサブランカ
であった。
「よろしく、お願いします」
「君がこの魔法の修得を目指すのは、今の時点で既に何か『探したいもの』があるからですか?」
ロケートオブジェクトは扱いが難しいため、教養学部の時点で選ぼうとする者は少ない。それでもあえて今の時点で選ぶということは、何らかの明確な目的(行方不明の身内の捜索、など)があるのではないか、とグライフは考えたようだが、エルの場合は、別段そういった特殊な事情がある訳でもなかった。
「いえ、私は時空魔法師志望で、霊感を用いた魔法が主体になることを考えると、ロケートオブジェクトとの相性が良いかと思いました。その上で、契約魔法師となった後、この魔法があれば私用にも公用にも応用が効きそうだと思ったので……」
実はエルは、今回の一斉試験の直前まで、エネルギーボルト、アイアンウィル、ロケートオブジェクトの三択で迷っていたのだが、ヴィッキーとの相談の上で(discord「図書館」7月5日)、上記の理由からロケートオブジェクトを選ぶことにしたのである。
「なるほど。確かに、時空魔法との相性は良いですし、役割的にも、人探しや物探しは、時空魔法師に求められる能力ではありますからね。そこまで方針が固まっているのであれば、特に私の方から言うべきことはありません。さっそく、試験を始めましょう」
「はい。それで、何を探せば良いのでしょう?」
通常、ロケートオブジェクトの初心者が練習用に捜索対象とするのは、「水」や「塩」といった、比較的どこにでもある物品である。だが、ここでグライフは全く想定外の「課題」をエルに提示した。
「邪紋です」
「は?」
「今この場所から、一番近くに存在する邪紋がどこにあるか、それを当てて下さい」
「邪紋、ですか……」
聖印教会の影響力が強い村で育ったエルにとって、それはあまり馴染み深い存在ではない。ただ、それでもエーラム内で活動している邪紋使いはいくらでもいるし、実際に彼等が邪紋の力を発動した場面を目撃したこともある。
「分かりました。やってみます……」
エルは微妙に困惑しつつも、一旦深呼吸した上で、落ち着いて呪文の詠唱を始める。
(邪紋……、今まであまり意識したことがなかったけど、でも、誰の契約魔法師になったとしても、それはきっと、自分とこれから先、深く関わっていくことになる存在……)
そんな想いを抱きつつ、やがて呪文を唱え終えた時点で、エルは宣言する。
「この部屋の中に、一人、います!」
ロケートオブジェクトは、あくまでも「おおまかな距離と方向」を把握するためのものなので、あまりにも近すぎると、その中での正確な場所までは特定し辛い。だが、それでも確かに「この部屋のどこかにいる」ということは確信出来ていた。
「いいでしょう、合格です」
グライフはそう告げた上で、部屋を見渡しながら叫ぶ。
「そういう訳です! どなたかは知りませんが、出て来てもらえますか!?」
この時点で、エルは内心で驚愕する。
(どなたかは知らない!? グライフ先生が試験用に仕込んで忍ばせていた人じゃないのか!?)
そんな彼の驚きをよそに、エルの背後から声が聞こえる。
「世界に名高きグライフ殿ならともかく、まだ魔法を習い初めの少年にまで見破られるとは、シャドウ失格ですね」
エルが振り返ると、そこにいたのは、色黒で赤い目の執事風の男(下図)であった。かつてエリーゼの誕生会の時に出会った執事ヴェルトールともどこか似た雰囲気ではあるが、この男の方がより多くの修羅場をくぐってきたような、圧倒的オーラを感じる。
「いえ、私でも正確な位置までは特定出来ませんでした。それに、あなたの実力であれば、おそらく彼が魔法を唱えている間に逃げようと思えば逃げられた筈。あえてそこに留まり続けていたということは、むしろ彼に見つけてもらうために残っていたのでしょう?」
エーラムの学生達の間で度々繰り返される「最強魔法師論争」において常にその名が挙げられるグライフですら「正確な位置までは特定出来なかった」という時点で、この男もまた「世界最強レベルの邪紋使い」であることは推察出来る。あまりにも高次元な会話を交わしているこの二人の雰囲気に圧倒されているエルに対して、その男は軽く一礼した上で語りかける。
「はじめまして、エルディン・イキシア殿」
「……その名を知っているということは、アルトゥークの人ですか?」
「私は、先代アルトゥーク伯ヴィラール・コンスタンス殿の遺志を継ぐ者の一人です」
「エルディン・イキシア」とは、エル・カサブランカのかつての名である。彼はアルトゥークの片田舎に位置する、聖印教会の影響力の強い村の領主家の息子として生まれたが、叔父の反乱によってその立場を追われ、紆余曲折を経てエーラムの魔法学生となった。その後、アルトゥークの国主であったヴィラールは戦死し、現在のアルトゥークはダルタニア太守ミルザーの支配下に置かれている。
「あなたの故郷の村は、あなたの叔父である現領主による統治が続いています。ダルタニア太守は魔法師嫌いということもあってか、結果的に聖印教会とも友好関係を築けているようで、現領主が進んでダルタニアへの恭順姿勢を示した結果、現在のアルトゥーク内では例外的にその統治体制は安定していると言って良いでしょう。住民の方々がどう思っているのかは分かりませんが」
もともと「混沌勢力と共存するアルトゥーク内における聖印教会派」という、極めて特異な立場にあることを考えれば、今のその状況もそれほど驚くべき話であはない。しかし、現在もアルトゥーク内ではヴィラールの遺臣達がミルザー支配に対する抵抗運動を続けており、その戦火は止むことをしらない。そして国外にも多くのヴィラールの盟友だった君主達が「アルトゥーク条約」の名の下に対決姿勢を示している以上、いずれエルの故郷は「裏切り者」として、村全体が討伐対象となる可能性も十分にある。
「我が主人シルーカ・メレテスとテオ・コルネーロは現在、システィナを転戦中ですが、この地を平定した後は、悲願であるアルトゥーク奪還のために動き出す所存です。それまであとどれほど時間がかかるかは分かりませんが、それまでの間に、もしあなたが一人前の魔法師となっていれば、ぜひ我が陣営に迎え入れたいと、我が主人は考えています」
「なるほど、そういう話でしたか……」
エルは大方の事情を察する。おそらく彼等は、自分の故郷の村の人々を反ミルザー陣営に組み込むための交渉役もしくは旗印として、先代領主の息子である自分を必要としているのであろう。少なくとも今の「見習い魔法師エル・カサブランカ」には、彼等から特に必要とされるだけの価値はない。彼等が必要としているのはあくまで「かつてエルディン・イキシアであった自分」である。とはいえ、もともと聖印教会の影響力が強かったあの村の住人達に対して、今の「見習い魔法師となった自分」がどれほどの影響力を行使出来るのかも未知数であった。
「大変失礼ながら、ここ数日、あなたの人となりをしばらく観察させて頂きました。私は『自分が見たままの通りのあなた』を主人に報告します。その上で、『然るべき時』が訪れた際には、再びあなたの前に現れることになるかもしれません。その時まで、どうか魔法師として御研鑽を積まれることを期待しております」
そう言って、その男はエルの視界から姿を消した。そして、グライフは改めて周囲を確認して、完全に彼の気配が消えたことを確認した上で、エルに対してこう告げる。
「想定内のタンパリングが発生してしまったようですが、ともあれ、あなたのロケートオブジェクトはきちんと発動していました。エル・カサブランカ君、合格です」
「ありがとう、ございます……」
唐突な話を突き付けられたエルは困惑しつつも、ひとまずは無事に「二つ目の魔法」を手に入れたことを素直に歓ぶ。その上で、あの男が言っていた「然るべき時」がいつになるかは分からないが、それまでに自分が成し遂げておくべきことは何なのか、改めて自分を見つめ直すことにしたエル・カサブランカであった。
最終更新:2020年07月12日 22:01