『見習い魔法師の学園日誌』第11週目結果報告(奔走編)
アトラタン大陸中北部に位置するバルレア半島には「バルレアの瞳」と呼ばれる巨大な魔境が存在する。その魔境の周囲にはアストロフィ子爵領(連合)、ユーミル男爵領(同盟)、ウィステリア騎士団領(中立)という名の三国が併存し、彼等は互いに牽制し合いながら、それぞれに「瞳」の攻略を目指している(『ルールブック2』p.234-239)。
この世界では、魔境を討伐してその混沌核を吸収することによって聖印の力は強大化し、そしてより強い聖印を手にした者には、より多くの土地を治める権利がエーラム魔法師協会によって保証され、より多くの支援(契約魔法師派遣、魔法具提供、etc.)が与えられる。それ故に、バルレア三国にとって「瞳の攻略」は「危険な魔境の討伐」であると同時に、「バルレア半島の支配権の確立」でもある。その意味において、「バルレアの瞳」における戦いは「人と混沌の戦い」であると同時に「人と人の争い」でもあった。
そんな中、バルレア三国において最大級の聖印の持ち主であるアストロフィ子爵ヨハネス(下図)が、エーラムに短期留学することになった。ヨハネスはこの世界でも稀な子爵級聖印の継承者ではあるが、年齢はまだ10歳であり、国政の実権は父の側近であった邪紋使いのフラメアが掌握している。つまり、現状において彼はあくまで「名目上の国主」にすぎない。
だが、彼の聖印が不在の間は瞳の浄化計画が進められない上に、彼の聖印が無ければ浄化出来ないほどの巨大な混沌核が出現する可能性も考慮に入れると、一定期間彼が国許を留守にすることには相応のリスクもある。にもかかわらず、このタイミングで彼があえてエーラムを来訪することにした背景には、何か裏があるのではないか、という憶測も流れている。
そんなヨハネスの接待役として任命されたのは、高等教員のバリー・ジュピトリス(下図)である。彼はヨハネスに学内の施設を紹介するにあたって、「子供は子供同士の方が楽しくやれるだろう」という判断から、何人かの学生達を案内役として招集した上で(一応、何かあった時のために引率役として自分も同行するものの)彼等に施設の説明を任せることにした。
これから先、短期間とはいえ魔法学校の学生達と机を並べる形でこの世界の基礎教養について学ぶ予定である以上、確かにこの機会に彼等との交流を深めておくのは、双方にとって望ましいことであろう。ちなみに、ヨハネスは「まるで絵本に出てくるような端正な顔立ちの美少年」といいう噂がエーラムの学生達の間でも流れていたため、同行を希望する学生(主に女学生)は多かったが、バリーの独断と偏見により、今回は五名に絞られることになった。
なお、ヨハネスの護衛としてアストロフィから同行してきたのは、中型犬程度の大きさの「ライオン型の異界のガーゴイル(魔石像)」だけである。このガーゴイルが「アーティファクト(この世界)の魔法師によって作られた魔法生物)」なのか「投影体」なのかは分からないが、エーラムに到着してからも、常にヨハネスに寄り添うように同行していた。そのライオン型ガーゴイルを連れたヨハネスに対し、彼と同行する事になった学生達は自己紹介を始める。
キリッとした姿勢でシャーロットはそう告げた。元はハルーシアの子爵家の令嬢である彼女から見れば、ヨハネスもまた(先日のエリーゼと同様に)「同世代の連合系貴族家の子女」なのだが、今回はあくまでも風紀委員代表の「護衛役」として同行することになった。無論、シャーロットに護衛能力を期待している者などいる筈もなく(そもそも実質的な護衛役はバリー一人で十分な筈なので)、風紀委員の面々としてはあくまでも「貴族家出身の彼女であれば接待役として適任だろう」という判断の上での推挙であることは疑いない。
「は、初めまして、ヨハネス様。
カロン・ストラトス
と申します……。よろしくお願いします!」
猫のぬいぐるみを抱えた少女、カロンは緊張した様子でそう告げる。彼女もまた「護衛役」として参加することにした。彼女も戦闘能力自体はシャーロットと大差ないが、先日の時点でキュアライトウーンズを覚えているため、もしヨハネスの身に何かあった時にすぐそれを使えるというだけでも、役立てる可能性は十分にあるだろう。
そして、猫好きの彼女としては、彼が連れているライオン型ガーゴイルに興味津々な様子であった。ライオンもまた、猫の仲間の動物の一種である。
(ら、らいおんだ……!!)
カロンが目をキラキラさせながらガーゴイルを見詰めると、勇猛そうな表情のガーゴイルが、一瞬微笑みを浮かべたような気がした。
(かわいい……、ハッ……し、集中しなきゃ……!)
カロンは改めて自分にそう言い聞かせる。
(護衛……、ちゃんとできるかな、不安だな……、がんばらなきゃ)
そんな彼女達に続いて、今度は「接待役」として同行することになった面々が自己紹介する。
「はじめましてー。
シャロン・アーバスノット
ですー。本日は、へーかに、学園で一番のお店でー、お食事を楽しんで頂こうと思いますー。ではー、自分はー、これから下ごしらえに行きますー」
そう言って、シャロンは足早に喫茶「マッターホルン」へと向かって去って行った。彼は今回はマッターホルンでの料理役として参加のため、最初に挨拶するだけのために、ひとまずこの場に足を運ぶことにしたらしい。
「お食事の会場までは、後でボクが案内させて頂きます。あ、申し遅れました。ボクは
アーロン・カーバイト
と申します」
そう言って、アーロンが貴族風の礼儀作法で深々と挨拶する。彼としては、今後再び何らかの形でエリーゼがエーラムを訪れた時に備えて、ちゃんとエスコート出来るようにするための予行演習をしておこうと考えて、今回の接待役に立候補したらしい。そして、そんなアーロンの補佐役としてもう一人、この場に同行した人物がいた。
「
ツムギ・ストレイン
です。あの……、私は『地球』という世界からの投影体で……、色々と、的外れなことを言ってしまうかもしれませんが、よろしくお願いします」
彼女は修学旅行の時に同行した縁もあって、今回はアーロンと共にヨハネスの接待役として同行することになった。
(国主ってことは、ロードさんなのかな?)
一応、彼女は地球時代に「グランクレストRPG」でロード(君主)役のハンドアウトを渡された経験があるため、なんとなく興味が湧いていたらしい。ヨハネスは彼女から見れば自分の半分くらいの歳の少年だが、それでも、明らかに魔法学校の少年達とは異なる雰囲気をまとっていることだけは分かる。ただ、それが「君主としてのオーラ」なのかどうかは分からなかった。
そんな彼等に対して、ヨハネスは涼し気な微笑みを浮かべながら口を開く。
「はじめまして。僕はヨハネス。今回は短期留学生として、このエーラムで色々なことを学びたいと思う。みんな、よろしくね」
気品のある雰囲気を漂わせながらも、あくまでも同世代の友人達に接するような口調で彼はそう言った。一方で、隣に立つライオン型ガーゴイルは、少し警戒した様子で学生達を凝視していたが、ヨハネスはそんな彼(?)をひょいと抱き上げる。大きさは中型犬程度とはいえ、見た目はあくまで「石像」であり、それなりの重量感を感じさせるが(ガーゴイルが見た目よりも軽いのか、それともヨハネスが聖印の力で肉体強化しているのかは分からないが)、彼はまるで猫を持ち上げるような仕草でその獅子石像を軽々と抱きかかえながら語った。
「この子はクヌート。僕の護衛で、僕の言うことはちゃんと聞くから、別に怖がる必要はないんだけど、あんまり直接は振れない方がいいかな。一応、混沌の産物だからね」
「混沌の産物だから触れない方がいい」という理屈は、日頃から混沌の産物に囲まれて暮らしている魔法学校の学生達には、少々奇異にも思える(ましてやツムギに至っては、自分自身が混沌の産物そのものである)。ヨハネスが(知識不足故に)混沌に対して過剰に警戒心が強いだけなのか、それとも、本当に触れるだけで何か異変が起きるような危険な存在なのかは分からないが、どちらにしても「この状況」に対して、当然の如く皆が違和感を感じる。そんな皆の心を代弁するかのように、シャーロットが問いかけた。
「陛下御自身は、その子に触れても大丈夫なのですか?」
「あぁ、僕は大丈夫。だって、僕には聖印(クレスト)があるから」
そう言って、ヨハネスはクヌートを抱え込んだ状態のまま、その右手の甲に聖印を浮かび上がらせる。それは確かに、シャーロットの父が所有する子爵級聖印と同等以上の規模を放つ光の紋章であった。とはいえ、この「聖印があるから大丈夫」という理屈も、(このガーゴイルの正体がよく分からない現状では)正しいのかどうかは判断出来ないのだが、本人がそう言っている以上、そこに何か疑念の意を示すのは不敬とも判断されうる行為であった。
「では、まずはこのエーラムを代表する施設へと御案内致します」
シャーロットはそう言って、ヨハネス達を連れて街の中心地へと向かう。そんな彼等をバリーは後方から微笑ましい目で眺めつつ、内心では微妙な違和感を感じていた。
(あの聖印は確かに本物。それは間違いない。だが……)
彼の中ではこの時点で、とある疑念が広がりつつあったのだが、まだ何の確証も得られていなかったこともあり、今はひとまず表面上は笑顔を浮かべながら、いつでも他の教員達に連絡が採れるように、左手に魔法杖を握り続けていた。
******
シャーロットが案内した先にある建物は「大講堂」であった。それは、世界の技術が結集したエーラムの中でも最も荘厳な建築物であり、その演壇の奥の壁の中央に設置された台座の上には、今のこの「混沌の時代」を象徴する巨大な「混沌儀(カオスグローブ)」が置かれている。
「ここは、エーラムの中心です。以前、世界がようやく1つにまとまりかけた場所ですから」
真剣な表情を浮かべながら、シャーロットはそう語る。数年前、この大講堂にて、幻想連合の盟主ハルーシア大公の息子であるアレクシスと、大工房同盟の盟主ヴァルドリンド大公の娘マリーネの結婚式がおこなわれていた。この婚儀を以って皇帝聖印(グランクレスト)が成立し、混沌の時代が終わりを告げると思われたその瞬間、突如現れたデーモンロードによって両大公は殺害され、両陣営は互いにその原因を相手側の陰謀だと決めつけた結果、婚儀は破綻し、そして世界は再び戦乱の時代へと突入することになった(『ルールブック1』p.298参照)。
なお、現在の赤の教養学部の学生達の大半は、その時点ではまだエーラムにいなかったが、そのことを知らない者は誰もいない。つい最近この世界に投影されたばかりのツムギも、その話はこの世界の基礎常識を学ぶ講義の初日に教え込まれていた(なお、彼女が地球で遊んだグランクレストRPGは、ルールブックの年代よりも遥か前の時代が舞台だったため、その設定についての説明は当時は受けていなかった)。
「ここに立つと、私たちは世界を律する使命を持っているんだ、って思うんです。国の違い、信条の違い、あると思います。でも、自分の信じる世界を実現するために歩むのはみな変わらない。いつか、そんな人々がより良い形でここに集えたら、素敵だと思います」
改めて強い決意を胸にシャーロットがそう語ると、ヨハネスは複雑な表情を浮かべつつ呟く。
「そうだね。でも、その『信じる世界』が人それぞれ違うから、争いが起きるんだよね……」
彼がそう呟くと、傍らに立つクヌートもまた、どこか憂鬱そうな表情を浮かべているようにも見える。そしてヨハネスはそのままシャーロットに問いかけた。
「もし、君が僕の契約魔法師になってくれたら、そんな争いを防ぐための方法を、一緒に探してくれるかな?」
純真そうな表情ながらも、まるで口説くような口調で唐突にそう問われたシャーロットは一瞬戸惑いつつも、心を乱さないように自分を律しつつ、冷静に答える。
「私は、将来契約すべき相手は決まっているので、陛下のお役に立つことは出来ません。ですが、もし何かの御縁でそのような巡り合わせの人生を送ることになっていたら、きっと、その道を探すために尽力させて頂くことになっていたと思います」
「そうか……。残念だな。君みたいな人がずっと隣にいてくれたら、きっと僕の未来にも希望が持てたんだけどね」
少し寂しげな笑顔を浮かべながら、優美かつ自然な仕草でヨハネスはそう答える。そんな彼の様子を見ながら、ツムギは内心で奇妙な感慨を覚える。
(初対面の相手に、そういうことを堂々と言えちゃうんだ……。やっぱり、この世界の貴族の人達って、ちょっと感覚が私達とは違うのかな……)
一方、アーロンはヨハネスの優雅な貴族風の雰囲気を目の当たりしたことで、別次元の方向に妄想を向かわせていた。
(子爵ってことは、「彼女の実家」と同格なんだよな……、しかも、同じ幻想詩連合の人で、歳も近くて……、ってことは、まさかとは思うけど……)
この大講堂が(前述の通り)数年前に大貴族同士の結婚式がおこなわれた会場ということもあり、アーロンの脳内では、目の前の演壇にヨハネスとエリーゼが二人で並び立つ姿が思い浮かんでしまう。その瞬間、思わず彼はヨハネスに問いかけた。
「あの! 陛下には、誰か、その……、婚約者とか、そういう人はいらっしゃるのでしょうか?」
全く脈絡のない質問だったが、ヨハネスはさわやかな笑顔を浮かべながら答える。
「いないよ。そういう話はあちこちから来てるらしいけど、フラメアが慎重に対応してくれてるみたいで、僕のところには話は届いていない。ただ、少なくとも彼女は『僕の意に沿わない相手をあてがうことはしない』と言ってるから、勝手に話を進めることはしないと思う」
ヨハネスの後見人としての立場にある傭兵フラメアは、実質的に母親代わりのような役割を担っているらしい。現実問題として、ヨハネスが誰を妻として迎え入れるかは、アストロフィの未来を巡る大問題であり、慎重にならざるを得ないのも当然の話であろう。
アーロンがホッと胸を撫で下ろしたところで、今度はふとツムギが素朴な疑問を投げかける。
「あの……、陛下くらいの御歳で婚約者がいることって、貴族の世界では普通なんですか?」
「うーん、普通かどうかは家によりけりだろうけど、そこまで珍しい話でもないよ。生まれた時から親同士で約束している家とかもあるし。君の世界には、そういうのはないの?」
「少なくとも、私がいた時代には無いですね……、昔は、そういう人達もいたらしいですけど」
ツムギは文系選択なので、古文や世界史などの知識もある程度は持ち合わせている。とはいえ、やはり21世紀の日本人としては、小学生程度の年齢で婚約者がいるという状況は、今ひとつイメージしにくい話であった。
一方、彼等がそんな話をしている中、カロンはクヌートの様子が気になっていた。
(この子、人間の言葉が分かるのかな……?)
先刻からの彼等の会話を聞きながら、クヌートの表情が微妙に変化していたように見えたのである。石で造られたと思しきその表情が小刻みに変化する様相は明らかに奇異であるが、猫好きの彼女からしてみれば、どこかその様子が愛らしくも思えた。
「あの……、この子って、投影体なんですか? それとも、アーティファクトなんですか?」
カロンにそう問われたヨハネスは、少し困ったような表情を見せながらも、すぐに平常時の笑顔に戻しつつ答える。
「僕も詳しいことは知らない。ただ、フラメアが『この子を連れていけば絶対に大丈夫だから』と言って、僕に預けてくれたんだ。でも、さっきも言ったけど、何が起きるかは分からないから、あんまり近付きすぎないようにね。もし君の身に何かあったら、大変だし」
「あ、はい、分かりました、気をつけます……」
カロンはそう答えながら、改めてクヌートを凝視する。見た目は獰猛なライオンのような姿ではあるが、なぜかその表情からはあまり危険な気配を感じられなかった。それどころか、「近付きすぎないように」と言われた時点で、どこか寂しそうな表情を浮かべているようにも見える。
「ところで、君の連れているその子は、君の自作のアーティファクトなの?」
今度はヨハネスの方から彼女にそう問いかけた。
「え? あ、えーっと、この子は、ステュクスと言って、別にそんな特別な力がある訳でもない、普通のぬいぐるみで……」
「そっか。でも、それだけずっと一緒にいるってことは、君にとっては大切な『友達』や『家族』みたいなものなんだよね?」
「そ、そう、ですね……」
「じゃあ、その子なら、僕のクヌートとも仲良く出来るかもね」
そんな会話を交わしつつ、彼等は次の学内施設へと向かうことになる。なお、この間にバリーは密かに一旦大講堂の外に出て、クロード相手に魔法杖通信で何かを伝えていたようだが、学生達は誰もそのことには気付いていなかった。
一方、その頃、魔獣園で働く少女ジュノ・ストレイン(下図)は、病床に臥せっていた。彼女は先日、高等教員のノギロと共に、ヨハネスの出迎えのために隣国ファーガルドへと出向いていた(正確に言えば「ファーガルドへと供給するアーティファクトの運送の手伝い」のついでに、そのまま「ヨハネスの出迎え」に加わることになった)学生達の一人である。エーラムに帰還するまでの間、特に何の異変も無く平穏無事な旅だったらしいが、なぜかこの日になって唐突に体調を崩していたのである。
そんな彼女の元に、魔獣園で共に働く友人達が「お見舞い」として来訪していた。
「体調が悪い時は、まず栄養を採るのが第一なのだよ」
シャララ・メレテス
は、そう言って「お粥のような何か」を、病床のジュノの前に差し出した。これが彼女が言うところの「七草粥」なのかどうかは分からないが、それを一口食べたジュノの頬はほころぶ。
「おいしい……、ありがとう、生き返る心地だわ……」
「とりあえず、ゆっくり休むのだよ。その間の魔獣のお世話は任せるのだよ!」
シャララがそう告げると、その隣で(彼女と同じ園芸部員でもある)
サミュエル・アルティナス
も同意する。なお、ここは女子寮ではあるが、彼等はまだ幼少の身ということもあり、男子学生でも申請すれば比較的容易に入室許可は得られるらしい。
「イミュニティはオレも使える。だから、ラミアの世話も安心して任せてくれ」
むしろ、イミュニティの修得に関してはサミュエルの方がジュノよりも先輩である。吸血能力を持つラミアへの対策という意味では、確かにサミュエルでも十分な適性があるのだが、それでもサミュエルがこれまでラミア園に回されなかったのには、別の事情もある。
「そう言ってくれるのは嬉しいけど、やっぱり、君は『男の子』だしね……」
ラミアは美女の上半身と大蛇の下半身を持つ魔物であり、男性職員の場合はその「上半身」に誘惑されてその術中に嵌まりやすいということで、なるべく女性職員が担当する、というのが魔獣園の昔からのならわしであった。
「大丈夫だ。オレは魔獣なんかに心を奪われたりしない。と、思う!」
「それは、もう『心に決めた人』がいるから?」
ニヤニヤした表情でジュノはそう問いかける。彼女は修学旅行の時にサミュエルと共にスパルタへと同行しており、自由行動の時間にサミュエルとヴィッキーが二人で一緒に行動していた、という噂は耳にしていた。
「いや、ヴィッキーとは確かに一緒にいて楽しいし、学園祭も一緒に回るという約束をしてはいるけど、まだこの感情はそこまで明確に確立されたものではなく……」
「別に、私、相手がヴィッキーとは一言も言ってないけど?」
「え……? 他に、誰かいるのか?」
「さぁ? でも、あなたの中で他に心当たりがないっていうなら、もうそれが『心に決めた人』なんじゃないの?」
「ジュノ~、見舞いに来てやったぞー」
「あらクリス、わざわざ悪いわね」
「とりあえず、コレ、見舞いの品な」
そう言って、彼は下町の市場で購入したマスクメロンを手渡す。彼のよく知る異界においては、これは「お見舞いの際に持参するお土産の定番品」扱いされているらしい。果物系の差し入れに関しては既に園芸部の二人が色々と持参してくれてはいたが、ジュノは食欲自体は普通にある状態のようで、療養中の楽しみが増えたことを素直に喜んでいた。
「それで、体調の方はどうなんだ? ちょっと出かけてたっていうし、その疲れでも出たんじゃねえの?」
「う~ん。そうだったらよかったんだけどねぇ……」
「何かあったのか?」
「実は一緒に行った人も体調を崩しているみたいなの。それも私含めて4人も。さすがに偶然じゃすませられないでしょ」
ちなみに、残りの三人は、アメリ・アーバスノット、ミラ・ロートレック、エマ・ロータスの三人である。いずれも今回の出迎えの一件以外ではあまり接点のない三人であり、他に共通の原因があるとも考えにくい。
「それで、どんな症状なのだよ?」
この場にいる中で唯一、キュアライトウーンズの心得のあるシャララはそう問いかける。現状、ジュノの身体はキュアライトウーンズをかけても全快する症状ではないようだが、回復魔法の修得の際には人体の治療に関する基礎的な知識の同時に叩き込まれるため、普通の病気の類いであれば、症状を聞けばある程度までは絞り込めるだけの知識は彼女に備わっていた。
「うーん、なんというか……、とにかく重いのよね、身体が……。それに、身体のあちこちの関節もこわばってるというか、異様なまでに固くて、まともに身体が動かせないというか……」
ジュノがそんな説明を始めたところで、彼女は唐突に苦しみ始める。
「あ……!、また、痛みが……!」
そう言いながら、ジュノが表情を歪め始める。シャララはそんな彼女の手を取って脈拍を測ろうとするが、ここで彼女は明確な「違和感」を感じる。そして、即座にクールインテリジェンスを用いた上で、自分の中の医学知識に基づいて彼女の現状を解析した。
「これは……、『石化』に近い硬直状態なのだよ……」
「石化」とは、その名の通り、身体が石のように硬直した状態のことである。魔獣園で飼育しているコカトリスにも相手を石化させる能力があるため、その言葉でこの場にいる者達は全員、その状況を理解した。
「おそらく、これは何らかの原因で少しずつ進行しているのだよ。でも、それがここに来て急に早まっている可能性もあるのだよ」
「じゃあ、今すぐ『解放の符』を……」
サミュエルがそう口にしたところで、クリストファーが「ロケートオブジェクト」の魔法を唱え始める。「解放の符」とはエーラムの錬成魔法師が作り出すアーティファクトであり、それを用いれば石化などの硬直状態から身体を即座に回復させることが出来る。だが、一国に貸し出せる数が限定されている程の高級品であり、エーラム内においてもすぐに手に入るとは限らない。
だからこそ、クリストファーは「現時点で最も近くにある『解放の符』」の距離と場所を魔法で探し出そうとしたのだが、ここで彼は意外な結果を導き出す。
「ある……、すぐそばに……。この寮から見て北北東、入口を出て、歩いてすぐの場所だ!」
なぜ、そのような場所にあるのかは分からないが、ひとまずクリストファーはその場所にへと向かって走り出す。
「オレも行く!」
そう言ってサミュエルも後に続いた。同行することに意味があるかどうかは分からないが、少なくとも、回復魔法が使えない自分がジュノの近くにいても役に立たないと判断したのだろう。そして、結果的に言えばこれは好判断であった。二人が寮を出た時点で、サミュエルは一人の見覚えのある少年を発見したのである。それは、生命魔法学部所属の天才少年ユタ・クアドラント(下図)であった。
「ユタくん!?」
「あ、サミュエルさん」
ユタは以前、生命魔法学部の先輩達に暴行されそうになった時に、サミュエルに助けられたことがある。そんな彼は今、地図と鞄を手にした状態で、道に迷っているような様子であった。
「この辺りに、ジュノ・ストレインさんという方が住んでいる寮は……」
ユタがそう問いかけた時点で、サミュエルはある仮説に思い至る。
「もしかして今、『解放の符』を持っているのか?」
「あぁ、はい……。どうしてそれを……」
ユタはノギロの養子である。ノギロが「一緒に同行していたジュノ達の異変」に対して何も手を打たないとは考えにくい以上、先刻のクリスロファーのロケートオブジェクトの結果からして、おそらくノギロがユタに「解放の符」を預けたのであろう、ということは容易に想像出来た(そしてユタは友達が少ないため、他人の学生寮に赴いた経験が殆どなく、この辺りの地理には疎かったようである)。
「クリス! あったぞ!」
「よし! すぐに戻ろう!」
こうして、二人に案内される形でユタは女子寮へと連れ込まれ(緊急事態ということで、入室申請手続きの省略に関しては大目に見てもらい)、そしてユタは鞄の中に入っていた「解放の符」をジュノに対して用いると、それまで苦悩の表情を浮かべていた彼女の顔色は一瞬にして穏やかな様相を取り戻し、そして安心しきったのか、そのまま眠りについた。
その状態から改めてユタがジュノの病状を診察した結果、彼は深刻な表情でこう告げる。
「一応、さきほどの石化症状は収まりましたけど、でも、まだ身体の中に何か『特殊な混沌の力』が宿っているようです。当面は大丈夫だと思いますが、いずれまた再発するかもしれません」
ユタはノギロから「謎の症状で倒れている四人」の病状を診た上で、必要に応じて魔法薬やアーティファクトを投入するように言われていたため、その鞄にはまだいくつか「解放の符」が入っている。
「もし他の人達も同じ症状なのだとしたら、今のジュノさんの様子を見る限り、急いだ方が良さそうですね。出来れば、この解放の符を手分けして届けるのを手伝ってもらえませんか?」
ユタはそう言って、「残りの三人」の名前と寮の場所が書かれた紙片を見せる。
「オレはアメリ先輩とは修学旅行で同じ班だったから、一応、面識はある」
「オレはこの間、ミラさんと一緒に林間合宿に行ってる」
「じゃあ、僕はエマさんのところに届けに行きます。レースでご一緒した仲ですし」
「では、童(わらわ)はこのまま彼女の看病を続けるのだよ」
こうして、クリストファー、サミュエル、ユタの三人は、それぞれに「解放の符」を手にした状態で、三方向に向かって走り出したのであった。
******
出版部のアメリ・アーバスノット(下図)のお見舞いに最初に訪れたのは、同門の
イワン・アーバスノット
であった。この二人は教養学部の中では年長組であり、有り体に言って「年頃の男女」であるため、一般的には「間違い」が起きることを警戒して、あまり安易に女子寮への立ち入りを出すことはないのだが、日頃から品行方正で風紀委員の肩書を持つイワンということもあり、存外あっさりと入室が認められていた。
「ごめんなさいね、心配かけてしまったみたいで……」
少し疲れたような様子で病床のアメリがそう言った。ちなみに、イワンにしてみれば「眼鏡をかけていない状態の彼女」を見るのは初めてである。
「いえ、とりあえず、意識ははっきりしているようで、少し安心しました」
彼はそう言いながら、いつでも口に出来るように、日持ちする食料と水を、彼女の手の届く場所に置いておく。見たところ、顔色はそこまで悪そうではないが、日頃の活発な彼女に比べると、明らかに元気はない。イワンは、彼女の他にも同行者が何人か病欠しているという話を聞いていたため、どうにも不吉な予感はしていたのだが、病人に対してあまり積極的に事情を聞きに行くのも負担になるかと思い、あえて自分から語りかけようとはしなかった。
そんな中、彼女の部屋の扉を叩く音が聞こえる。
その声を聞いた時点でアメリは起き上がろうとするが、明らかに辛そうな表情を浮かべる。
「僕が代わりに開けましょうか?」
「ごめん、そうしてもらえると、助かるわ」
そう言われたイワンが扉を開けると、中に(この世界の基準における)成人男性がいるとは思っていなかったマチルダは、一瞬戸惑う。
「え……? イワンさん……? あ、そうか、イワンさんもアーバスノット一門でしたね。そうでしたね、そうでした。はい、そうでした」
「そうですが、なにか?」
「あ、いえ、何でもないです。その……、お見舞いに来ていらっしゃるんですよね? アメリ先輩のご様子は、どうですか?」
「意識は明瞭なようですが、明らかに身体は辛そうです。正直、僕では医療は専門外なので、マチルダさんに来てもらえたのは助かります」
「そうですか……、では、失礼します」
マチルダがそう言ってアメリの部屋に入り、診療を始めるために医療道具を広げ始めると、イワンは「これ以上、自分がここにいても出来ることはない」という判断に至る。
「では、後はお任せします。僕は風紀委員として、やらなければならないことが他にもあるので」
そう言ってイワンは部屋を出て行こうとするが、ここで彼に対してマチルダが小声で(アメリに聴こえない程度の声で)問いかける。
「イワンさん、もしかして、フェルガナ先生の調査に協力に行くのですか?」
数日前、高等教員のフェルガナの元に「この魔法都市内に闇魔法師が潜伏している」という情報が入り、彼女はその摘発調査への協力者を探している。その話はマチルダの耳にも届いていたが、彼女の所属するノート一門は、過去に門下生が闇魔法師組織と関わって様々な問題が発生したことがあったため、対闇魔法師の調査に学生を駆り出すフェルガナの方針に彼女の養父達は反対しており、マチルダには闇魔法師に関わらないように厳命していた(その上で、養父達自身が調査に乗り出していた)。
「はい。風紀委員として、闇魔法師の暗躍は放っておけませんから」
イワンもまた、アメリを心配させないように声のトーンを絞りながらも、強い決意を込めた表情でそう明言する。一門の異なる彼に対して、マチルダには止める術はない。その上で、彼女は一言だけ忠告した。
「闇魔法師が相手である以上、どんな危険が起きるかは分かりません。どうか、お気をつけて」
「はい。アメリさんのことはよろしくお願いします」
そう言って去って行くイワンを見送った上で、改めてマチルダはアメリに向き直る。
「とりあえず、保険室からいくつか魔法薬を持って来ました。こちらが鎮痛剤、こちらが不眠時の頓服剤、そしてこちらが解熱剤です。どれも日持ちしない薬なので、もし数日経っても治らないようなら、また新しい薬を届けに来ます。あと、このお薬はとっても苦いので、もしよかったら、お口直しにこちらもどうぞ」
そう言いながら、彼女は甘いお菓子を差し出す。これは、先日のキュアライトウーンズの試験の際に、メルキューレに遅刻の連絡をしてくれたアメリへの御礼でもある。
「ありがとうございます。でも、そこまで大袈裟なものではないと思います。今のところ、熱がある訳でもないですし、ただ身体が重かったり、関節を曲げる時に痛みがあるだけなので……」
アメリが力無い声でそう語る中、マチルダは彼女の身体に直に触れることで、まずは体温を確かめようとするが、この時点で(ジュノに対するシャララと同様の)違和感を感じる。
(これは……、関節というよりも、身体そのものが「硬直」しかかっているのでは……?)
マチルダも即座にクールインテリジェンスを用いて、手持ちの薬の中で今の彼女の症状を抑えるにはどうすれば良いか、思案を巡らせる。だが、どれも現状においては適切ではない、という結論に至ってしまった。
(いざとなったら万能薬を使えばいいと思ってたけど、万能薬では硬直状態を治せない……、これはさすがに想定外だったわ。多分、今の彼女に必要なのは……)
彼女がそんな後悔の念を抱き始めたところで、扉を叩く音が聞こえる。
「アメリ先輩! クリストファー・ストレインです。と言っても、覚えてないかもしれませんけど……、とりあえず、先輩の病状を治せるかもしれないアーティファクトを持ってきました」
その名前には、マチルダも聞き覚えがあった。マチルダもまた、修学旅行の時にはクリストファーやアメリと同じ「ソリュート班」に同行していたのである。
「あ、ごめんなさい、代わりに扉、開けてもらえます……?」
「はい、今、開けます」
そう言ってマチルダが扉を開くと、そこには「まさに今、マチルダが必要と考えていたもの」を手にしたクリストファーの姿があった。
「それって、もしかして『解放の符』ですか?」
「はい。もし、アメリ先輩がジュノと同じ症状だったら、役に立つかと思ったんですけど……」
「とりあえず、中に上がって下さい」
マチルダはクリストファーをアメリの元へと連れてきた上で、アメリとクリストファーの両名に対して、現在のアメリの病状について説明する。
「……ということで、先輩のその症状を治すには、多分、この『解放の符』が有効だと思います」
これに対して、アメリは驚愕の表情を浮かべながら声を荒げた。
「ちょっと待って下さい! それって、かなりの高級品ですよね? 確かに今の私は身体が硬直気味かもしれないですけど、そんな貴重な魔法具を使わなきゃいけないような状態とは思えません。多分、疲労で身体が少しおかしくなってるだけで……」
「いえ、先輩はお気付きではないようですが、先輩の身体の中には、おそらく何らかの混沌の力が宿っています。それが『魔法』によるものなのか、『呪い』の類いなのか、あるいは偶発的な混沌の収束によるものなのかは分かりませんが、少なくとも、自然な回復に任せるだけで治るような状態ではありません」
「そんな……、一体、どうしてそんなことに……」
困惑した様子のアメリに対し、クリストファーが問いかける。
「先輩とジュノの他に、ミラさんとエマさんという方々も学校を休んでるみたいです。その二人も同じ症状なのかどうかは分かりませんけど、何か心当たりはありませんか?」
そう言われたアメリは、記憶を遡って熟考する。ヨハネスの出迎えには、その四人の他にも幾人かの学生達が同行していた筈なのだが、その中での四人の共通点を思い返そうとした時点で、アメリは一つの可能性に思い至る。
「もしかして……、あのガーゴイルが……?」
******
「カイル君がお見舞いに来てくれるってのは、正直、ちょっと意外だったな……」
やや疲れた様子ながらも明るい表情を浮かべながらミラがそう言うと、カイルは少し困ったような表情を浮かべつつ、上着のポケットの中に手を入れる。
「正直、お見舞いって、どんなもん持って行けばいいか分からなかったんですけど……、とりあえず、これでも見て、元気になってくれないかなって思って……」
そう言いながら彼が取り出したのは、手のひらサイズの「ぜんまい仕掛けの歩くヒヨコのおもちゃ」であった。
「え? なにこれ? かわいい! カイル君が作ったの?」
「はい。気に入ってもらえました?」
「もちろんよ。ありがとう」
カイルとしては、ベットで寝たきりは退屈だろうし、女の人は小さくて可愛いものが好きそうという理由から作ってみたものだが、思った以上に好評で一安心であった。
「とりあえず、今はまだこの程度のものしか作れないですけど、いつか絶対に、世界でいちばん綺麗な花火を打ち上げるので、だから、楽しみにしててください!」
「うん、信じてるよ。君はウチの一門の希望の星なんだから」
実際、ミラは昔からカイルの創造力の高さには一目置いていた。同一門の中には「実用性に欠ける無駄な創作ばかり」とカイルのことを揶揄する者もいるが、ミラはそんなカイルの独創性こそが、魔法師にとって最も必要な素質だと考えていたのである。
そんな二人の周囲に、さわやかな「やすらぎの香り」が漂い始める。テリスが自作のハーブをミラに手渡した。
「紙芝居の時はお世話になりました。ハーブには、心を安らげる効果があると言われています。これで少しでも気持ちを和らげてもらえると嬉しいです」
「ありがとう。うん、やっぱり、いい香りよね。今度、孤児院の方にも分けてもらえると嬉しいな。というか、紙芝居の時にお世話になったのはこっちの方なのに、またこうやってお世話になっちゃって、なんだか申し訳ないわ」
「いえ。あれは私にとっても、故郷のことを思い出すいい機会だったので」
一方、ミラのTRPG仲間でもあるエトは、前々からミラが探していたTRPGのルールブックを見つけて、持参してくれた。
「病気で寝ている間に、あんまり難しい本を読むと疲れてしまうと思いますけど、これだったら、そんなに難しい世界観でもないので……」
そう言って彼が手土産として持ってきたのは『ピーカーブー』のルールブックの写本である。『マギカロギア』の姉妹作品の一つであり、子供と幽霊が二人一組になって学校の謎を解き明かす、といったコンセプトのTRPG作品であった。
「これ! ずっと読みたかったのよ! 見つけてくれたのね!」
「はい。ラトさんから特徴を聞いた上で、何軒か古本屋を回っていた時に見つけました。かなり古い時代に書き写されたものみたいなので、かなり傷んではいるんですけど……」
「読めれば問題ないわ。ありがとう! 元気になったら、子供達を相手に私もGMが出来るように頑張るから」
どうやら、ミラの中でも改めて活力が湧いてきたようである。そんな中、この場にいる中で唯一の回復魔法の使い手であるメルは、彼女達と一緒にミラの部屋を訪れたものの、和気藹々とした彼女達の雰囲気の中で話しかけるタイミングを逃して、まごまごした様子であった。だが、そんな彼女に対して、ミラの方から声をかける。
「メルちゃんも、きてくれてありがとね」
「アタシのこと、覚えてくれてたのか!?」
どうやら、メルはそれが心配だったらしい。彼女の場合、あくまでも「ジャヤの手伝い」という形での参加だったため、記憶にあまり残っていないのではないか、と思っていたようである。
「あんな素敵な名演技、忘れる訳ないじゃない!」
「え? いや、まぁ、その……、そこまで言われる程でもなかったというか、あの時は、ただ勢いで演じてたっていうか……」
褒められ慣れていないメルは照れた様子を見せるが、そんな彼女に対し、ミラは貰ったばかりの『ピーカーブー』を見せながら、笑顔で語りかける。
「勢いであんな演技が出来るなら、次に『これ』を遊ぶ時には、ぜひあなたにも参加してほしいわ。あの時の主人公みたいな、素敵な物語を紡いでくれそうだし」
「そ、それじゃあ、その時はぜひ、おねしゃす!」
メルはそう答えつつ、ひとまず自分の中の医療に関する知識を出来る限り駆使した上で、ミラの体調を診察する。座学は苦手と自認しているメルではあるが、それでも最低限キュアライトウーンズの筆記試験を(ギリギリとはいえ)突破出来る程度の知識は蓄えている。そんな彼女から見て、今のミラの状態は、明らかに「ただの病気」とは言えない状態であった。
「うーん……、アタシの知ってる限り、これは普通の病気ではないというか、多分、混沌的な何かが身体ん中に入り込んでるんじゃないかって思うんだけど……」
「え? 私の身体が、混沌に侵されてるってこと!?」
「いや、その、確証はないんだけど、でも、明らかに身体が不自然に硬直してるっていうか……」
自分の知識に自信が持てない分、どうしてもメルの説明の端切れは悪くなる。そんな中、新たな来訪者の来訪が寮の管理人から告げられた(この寮では、来訪者の入寮に関しては逐一管理人が確認を採るシステムとなっている)。
「サミュエル・アルティナスと名乗る教養学部の男子学生が『病気を治すための魔法具を持って来た』と言ってますが、通しますか?」
「サミュエル君……? あぁ、こないだの合宿でライトの魔法を覚えてた子ね。うん、怪しい人じゃないから、通してくれていいわ」
ミラがそう答えると、程なくしてサミュエルが部屋へと現れる。そして、彼はジュノの現状を告げた上で、ユタから「解放の符」を預かって来たという旨を告げた。
「もし、身体が石化に近い状態なっているとしたら、多分、これが有効だと思うんですけど、いかがでしょう?」
「……どうやら、メルちゃんの見立て通りみたいね。でも、確かに身体が重かったり硬かったり、と感じてはいるけど、『石化』ってほどの状態でもないような……」
ミラが困惑しながらそう答えたところで、再び管理人からの連絡が届いた。
「あの……、小動物くらいの大きさの投影体が、面会を求めているのですが、どうしましょう?」
「小動物?」
「『ヘカテー』と名乗っているのですが……」
その名を聞いた瞬間、カイルが声を上げた。
「ヘカテー様!?」
「カイル君、知ってるの?」
「俺の知り合いの神様です」
「神様?」
「悪い神ではないです、多分……」
一同が困惑した空気の中、ひとまずタルタロス界の神格(の縮小版投影体)であるヘカテー(下図)が現れる。その大きさはリス程度のサイズだったが、「カブトムシの姿で投影された神格」のことを知っているテリスから見れば、そこまで奇異な存在でもなかった。
「ヘカテー様、どうしてここに?」
「この部屋から、危険な気配を察知しました……、その力の根源は、おそらく私の世界に由来するもの……」
カイルに対してヘカテーはそう告げた上で、ミラの前へと歩み寄る。
「今、あなたの身体は『投影体』へと書き換えられようとしています」
「は!?」
「この世界における混沌が稀に引き起こす現象です。混沌核に触れることによってその身に混沌が宿り、そして混沌の作用によって『異界に存在する他の何か』へと身体が書き換えられていく。その過程において魂の力で混沌を操作して邪紋(アート)へと書き換えた者は邪紋使い(アーティスト)と呼ばれますが、あなたの場合は制御出来ない形で宿ってしまっている。このまま放置しておけば、いずれその身体は完全に『異界に存在する何か』へと書き換えられ、やがては心までをも支配されてしまうかもしれません」
「ちょ、ちょっと待って下さい。私、混沌核に触れたことなんて……」
「混沌核に直接触れなくても、混沌の産物に触れることによって発生することもあります。いずれにせよ、今は原因の特定よりも先に、あなたの身体の異変を治すことの方が先です」
唐突に現れた小人のような投影体にそう言われたミラは困惑するが、不思議と彼女の言からは強烈な説得力が感じられた。おそらくはそれが「神のオーラ」というものなのだろう。ヘカテーは周囲の面々に問いかける。
「今、この場にいる中に、回復魔法が使える者はいますか?」
それに対して、メルが手を挙げる。
「一応、キュアライトウーンズなら、アタシが……」
「キュアライトウーンズということは、あくまでも傷(ウーンズ)を癒やす魔法、ということですね。それはそれで必要なのですが、それとは別に、身体に発生した異常状態を解除ような魔法は使えますか?」
「いえ、それは、まだ……、すみません……」
そもそも毒や石化を瞬時に治す魔法は、基礎魔法の領域ではない。ここで、改めてサミュエルがヘカテーにも説明する。
「あの……、もし彼女の状態が『石化』に近い状態なら、それを治すための魔法具はオレが持ってます」
そう言いながら彼は「解放の符」を見せる。
「上出来です。おそらく、今の彼女の身体は『異界のガーゴイル』の身体へと置き換わろうとしている。それを防ぐには、まず石化状態を解除した上で、『私の加護を載せた状態でのキュアライトウーンズ』をかけることで、当面の再発は防ぐことが出来る筈です」
ヘカテーがそう告げると、サミュエルは言われた通りに解放の符をミラに対して掲げる。すると、それまで苦しそうにしていた彼女の表情が急激に和らいでいく。
「あ……、なんか、身体が急に軽くなったような……」
そう言ってミラが起き上がろうとするが、それをヘカテーが制止する。
「まだです。今は一時的に症状が治まっただけで、混沌の根源はあなたの内側にまだ残っている。いつ再発するか分からない以上、今はまだ安静にしていて下さい」
ヘカテーはそう言いながら、今度はメルの肩へとよじ登る。
「次はあなたの番です。私が今からあなたに『加護』を与えます。この加護の力を宿した状態で、彼女に回復魔法をかけて下さい」
「りょ、了解っス!」
メルは戸惑いながらも頷き、そして肩にヘカテーを乗せた状態でキュアライトウーンズの魔法を唱え始めた。
(あれ……、なんだこの力……、今までに魔法を使った時には感じたことのない、なんだか不思議な感覚……)
メルは自分の身体の中に確かに「特殊な力」が入り込んでいるのを実感しつつ、キュアライトウーンズをミラに向かって放つ。
「ど、どうっスか?」
見た目には何の変化もないため、本当に魔法が効いているのか不安なメルがそう尋ねると、ミラもまた状況を把握しきれていないような様子で答える。
「確かに、何か身体の内側が微妙にすっきりしたような気はするけど……」
そこで再びヘカテーが口を挟む。
「まだ完全に浄化は出来ていません。とはいえ、どちらにしてもこのやり方では、混沌の侵食の拡大を防ぐのが精一杯です。しばらく様子を見た上で、もし再び侵食し始めたら、その時点で再び同じ魔法をかけるしかないでしょう」
つまり、しばらくヘカテーとメルは付きっきりでミラに寄り添いつつ、状況を確認する必要がある、ということらしい。メルとしてはそれで異論はないが、ここでサミュエルが言いにくそうな顔でヘカテーに語りかける。
「あの、実は、同じような症状の人があと三人ほどいるんですけど……」
「はい。その気配も察しています。そちらの方は『彼女達』が対処してくれるでしょう」
******
「多分、ただの病気ではないと思います……」
クリープは彼女を軽く診察した上で、直観的にそう言った。もともとエーラムに来る前から、故郷の神格の加護によってある程度の治癒技術に長けていた彼は、医療知識に関してはこの場にいる誰よりも詳しい。その彼から見て、今のエマは「通常の治癒魔法では治療不能な、謎の症状」であることを確信する(ちなみに、彼はエマとは特に接点はないが、病気で学校を休んでいるという話を聞いて、本能的に助けたいと思って足を運んだようである)。
その話を受けた上で、リヴィエラは先日修得したばかりのディスペルマジックを試みようとしてみたが、彼女の身体の状態を調べた時点で取り止める。
「もし、魔法によって付与された異常だとしたら、解除出来るかもしれないと思ったんですけど、どうも違うみたいですね。何らかの混沌の力ではあるみたいですが、少なくとも魔法由来の力ではないようです」
リヴィエラはそう告げた上で、ひとまずはエマのために持参した自作の料理を彼女に差し出す。
「とりあえず、身体が弱っているときは、心も弱ってしまうものですから、今はまず栄養をつけて下さい。消化は良い筈なので、体調が悪い時でも食べやすいと思います」
そう言われたエマであったが、明らかに浮かない表情で答える。
「ごめんなさい、今は食欲がなくて……。あ、でも、別に症状がそんなに重いって訳じゃないんですよ。ただ、その、気分的に食べたくないっていうか……、あ、いや、せっかく作ってくれたのに、こんな言い方、失礼ですよね、すみません……」
喋りながらどんどん身を縮めていくエマに対し、クグリは彼女の「気分」が優れない要因が、現在の症状とはまた別次元の問題であることを察する。
「ロウライズ君は、まだお見舞いには来てくれていないのかな?」
あえてそう問いかけてみると、エマは顔を真っ赤にしながら答える。
「いや、あの、実は、皆さんよりも先に来てくれてたんです! でも、ウチの寮、ちょっと色々厳しくて、男子一人だけだと部屋には入れない決まりになってて……、仕方なく、差し入れとメッセージカードだけ残して、すぐに帰ってしまったんです」
その「メッセージカード」の内容がどうだったのかはエマは言わないが、その表情から察するに、どうやら彼女にとってそれ自体は喜ばしい内容だったらしい。
「そっか。邪魔しちゃ悪いと思って、あえてちょっと遅らせて来たんだけど、むしろボク達が早目に来ていれば、彼も入れてもらえてたのか。それは申し訳ない」
なお、クリープが到着した時には既に女子三人が到着済みだったので入室は認められた(最近の彼が少女風の格好をしていることが多いため、気付かれなかったという可能性もある)。
「でも、正直なことを言うと、今は会わなくて良かったというか、もっと正直に言うと、合わせる顔がないというか……」
「どういうこと?」
クグリにそう問われた彼女は、言いにくそうな顔で答える。
「私……、アストロフィのヨハネス陛下の出迎えにファーガルドに行ってたんですけど、実はその時、一瞬だけ、ほんの一瞬だけなんですけど、その、ヨハネス陛下のこと、素敵だな、って思ってしまって……」
「あー……、そういうことか……。いや、まぁ、それはしょうがないんじゃない? 子爵位を就いだ時から、結構な美少年だっていう評判はエーラムにまで流れて来てたし。他の出迎えに行った子達も『噂以上にキレイな子だった』って、キャーキャー言ってたよ」
「いや、その、私も最初はその程度の、『かわいらしい王様だなぁ』っていうくらいの気持ちだったんですけど……、一度、宿屋で夜中に私が寝付けなかった時に、一度夜風にでも当たろうと思って廊下に出たら、ヨハネス陛下とノギロ先生が何か大切な話していたっぽい場面に出くわしちゃって、その時に陛下に『今すぐ部屋に帰って寝なきゃダメだよ』って言われた瞬間、なんだか、自分が自分でなくなったような、完全に心をあの人に支配されたような感覚になってしまって……、私にはロウライズさんがいるのに、一瞬だけ、そのことも忘れてしまうくらい、自分がおかしくなって……、あああああああ、もう! 本当に私、自分で自分が嫌になる! ロウライズさんの方がずっと素敵だって分かってる筈なのに! てか、そもそも私、年下は好みじゃない筈なのに! どうしてあの時、あんな気持ちに……」
一人で勝手に喋って荒れて落ち込むエマを目の当たりにして、クグリの中では「あいかわらず、せわしない子だな」という感慨を抱きつつ、少々違和感を覚える。年下の少年に「寝なきゃダメだよ」と言われることが「ときめきポイント」になるという女性も確かにいるかもしれないが、エマ自身が認めている通り、彼女の好みは明らかにロウライズのような「リーダー気質の歳上の男性」の筈である。その彼女の気持ちがここまで乱れているというのは、確かに奇妙に思えた。
(まさに魔性の美少年ということか……。一度直接会って確かめてみたいような、あまり関わり合いたくはないような……)
クグリがそんな奇妙な感想を心の中で述懐する中、ミランダは部屋の隅で一人黙っていた。彼女はリヴィエラと共に同門の縁で様子を見に行くように先生に言われて来たものの、あまり親しい訳でもないエマに対してどう話しかければ良いのか分からずに、戸惑っていたのである。一応、エマとは修学旅行の温泉で会った時は色々と言葉を交わしていたが、あの時、ミランダが率直に自分の考えをエマに伝えることが出来ていたのは、隣にティトがいたことで、心が高揚状態にあったからである。
(こういうとき、ティトならどうするのかしら……)
ミランダはそんな思いを巡らせる。ティトであれば積極的にエマに語りかけ、彼女の気持ちを和らげるような言葉をかけてくれるだろう。あるいは、特に具体的な言葉をかけなくても、彼女がただ黙って静かに笑顔で頷いているだけで、エマの心は和らいだかもしれない。ティトとは、そういう人物である。だからこそ、彼女はミランダにとって大切な誇らしい友人であるが、自分にはティトと同じような形で他人の心を癒す力がないことは分かっている。
だが、そんな自分のことを、ティトは友人として受け入れてくれている。それは純粋にティトの人としての器が大きいだけで、他の人には受け入れてもらえないかもしれない。だが、このまま何も話さなければ、それはそれでどちらにしても印象が悪くだけのように思えたミランダは、温泉の時と同じように、自分の考えを率直にエマに投げかけてみることにした。
「私、恋愛のことはよく分からないけど、別にまだ付き合ってる訳ではないんでしょ? だったら、別に気にしなくていいんじゃない?」
「いや、でも、こっちから『付き合って下さい』ってお願いしてるのに、まだ返事をもらう前に、浮気するなんて……」
「別に浮気はしてないし、その程度で浮気だなんて言うような人なの?」
「それは分からないですけど、でも、私自身がイヤなんです。こんな浮気性の自分が!」
「じゃあ、恋愛なんて、やめればいいでしょ。そんなことで気を病むなんて、バカバカしい」
「やめようと思ってやめられるものじゃないんですよ!」
「じゃあ、受け入れるしかないじゃない。どんな自分でも、それが自分なら」
いつも通りのミランダらしい「あまり興味のなさそうな、ぶっきらぼうな口調」ではあるが、いつもより少しだけ口数が多い分、彼女がきちんとエマのことを考えた上で受け答えしていることは、傍で見ている面々にも伝わっている。そして、エマもまた自分の気持ちを大声で言葉にしたことで、少し気持ちがすっきりしたようにも見えた。
そんな中、新たな三人の来客がエマの部屋を訪れる。それは、エマにとってはあまり馴染みのない、レストラン「多島海」の三姉妹(下図)であった。
「え? 皆さん、どうしてここに……?」
多島海の従業員であるリヴィエラが驚く。エマは多島海に行ったことは何度かあるが、そこまで常連客という訳でもなく、個人的に彼女達と親しい訳でもない。そのことに違和感を感じているリヴィエラに対して、アイシャが面倒臭そうな顔をしながら語り始める。
「『私達の主人』の命令でね。『私達の世界に起因する災厄』で困っている子達がいるから、助けに行きなさいって言われたのよ」
「主人? 」
「まぁ、そろそろバレてる頃かもしれないから、言ってしまうけどね……。私達、タルタロス界の神格の投影体なのよ」
彼女達の正体が投影体なのではないか、という疑惑は多島海の常連客の間でも流れていた話であり、それ自体はそこまで衝撃的な話ではないが、「神格」という憶測にまで辿り着いていた者は殆どいない。だが、この場にいる中でクグリだけは、その可能性に気付いていた。彼女は多島海を初めて来訪した直後に、図書館で調べた情報を思い出しながら呟く。
「『復讐の三女神』ですか……」
「察しが良いわね。そう、私達はそれぞれに『復讐』を司る者。でも、さっきも言ったけど、今日はあくまで、私達の主人であるヘカテー様の命令で、『同族の不始末』を片付けにきただけよ」
アイシャのその言葉に対して、今度はリヴィエラとクリープが声を揃えて反応する。
「「ヘカテー様!?」」
「あなた達とは面識があるらしいわね。そう、私達の主人であるヘカテー様は今、このエーラムに降臨されている。と言っても、元の混沌核が小さかったから、本来の力の極一部しか発揮出来ていないけど」
リヴィエラとクリープは、いずれも「カイルの秘密基地」に参加している面々であり、現在のエーラムに出現している「小人のような女神ヘカテー」とも面識がある。
「端的に言ってしまえば、私達はヘカテー様の従属神。だから、ヘカテー様と同種の加護をもたらすことが出来る。そして、私達の加護の力があれば、あなたの中に宿った『タルタロス界の怪物の力』も除去することが出来るわ」
エマに対してアイシャがそう言うと、当然、エマは戸惑った顔を浮かべる。
「え? ど、どういうことですか? 私の身体に、一体、何が起きてるんです?」
「あなたの身体は今、混沌の力によって、タルタロス界の魔物の姿へと書き換えられようとしている。まぁ、正確に言えば、どこかの異世界で造られた『タルタロス界の魔物を模したガーゴイル』なんだけどね」
その「どこかの異世界」がどんな世界なのかについては、彼女達もよく分かっていない。ただ、おそらくは彼女達の物語が語られている異世界である「地球」から派生した世界ではないかというのが、ヘカテーの推測である。
「な……、なんで、どうしてそうなったんですか!?」
「それはこっちが聞きたいわ。ただ、あなたを含めて四人、同じような症状が出ている子いるみたいで、その中の一人には今、ヘカテー様自身が治療に向かってる。私達はとりあえず、詳しい話を聞くために、店から一番近い場所にあったここに来たんだけど、何か心当たりはない?」
エマはこの時点で、クグリやリヴィエラから「自分以外に学校を休んでいる三人」が誰かは聞いている。その上で「ガーゴイル」と言われた時点で、一つの心当たりに思い至った。
「あの……、私達、今このエーラムに来訪しているヨハネス陛下という方を出迎えるために隣の国に行ってたんですけど、私と一緒にいたジュノちゃんっていう子が、ヨハネス陛下が連れていた『ライオン型のガーゴイル』を見て、『かわいい』って言いながら抱きついてたんですよ。で、そのガーゴイルは特に嫌がってる様子もなかったから、私達も彼女と一緒に触ったり撫でたりしてたんですけど……、もしかして、それが原因ですか?」
なお、その時点ではヨハネスも、そして一緒にいたノギロも、そんな彼女達を咎める様子はなかった。そして、エマの記憶が間違っていなければ、その時一緒にガーゴイルを触っていたのが、「本日の講義を欠席した四人」の筈である。
「その話を聞く限り、そのガーゴイルが原因っぽいわね。とりあえず、そいつの正体は後でその陛下とやらを問い詰めるとして、まず今は、あなたの病状を治すのが先。今、どんな状態? 身体が硬かったりとか、重かったりとか、そんな症状は出てない?」
「そ、そうですね……、私はもともと身体が硬いし、その、多分、どちらかと言えば、同世代の同じ身長の子よりは重いかもしれない体型なので、その、自分ではあんまり変わりはなかったと思ってたんですけど、言われてみれば、そうなってるような気がしないでもないような……」
ちなみに、エマは見た目はそれほど「重そうな体型」には見えないのだが、着痩せしやすい体型なのか、彼女が気にしすぎているだけなのかは不明である。
そんな彼女の煮え切らない返事に苛立ったのか、それまで黙っていたヘアードが即座にエマの身体に触れて「何か」を確かめる。
「やはり、少し硬直化が進んでいるな。まだ石化とまでは言えない段階だが、まずはこの症状を回復させなければ……」
そんな中、またしてもこの部屋に新たな来訪者が現れた。ジュノの寮から駆けつけたユタである。扉を空けた瞬間、あまりの大所帯にユタは驚きつつ、一番手前にいた女性に声をかける。
「え? マロリーさん達まで、どうしてここに?」
「……あなたがここに来たということは、ノギロ先生に何か頼まれたの?」
「はい。とりあえず、エマさん達の身体に異変が起きているかもしれないってことで、色々と薬やアーティファクトを持って来たんですけど、とりあえず、多分、今必要なのは『これ』じゃないかと思うんですが……」
そう言って彼が「解放の符」を取り出すと、すぐさまアイシャがそれを受け取る。
「よし! これで大丈夫だわ。とりあえず、まずはこの解放の符を使って、硬直状態を一時的に解除する。その上で、誰かに私の力を付与した上で回復魔法をかけてもらうことで、タルタロス界の力の拡大を抑え込もうと思うんだけど、今、この場にいる中で回復魔法を使えるのは、誰?」
彼女がそう問いかけると、クリープ、ミランダ、ユタの三人が手を挙げる。
「あー……、えーっと、それじゃあ、あなたに頼むわ!」
そう言って、アイシャはミランダを指差す。
「え? 私ですか?」
ミランダは、この場にいる中で自分が治癒師としては一番未熟だと思っていただけに、思わず驚きの声を上げる。
「私達の加護は、女の子相手の方が付与しやすいのよ」
アイシャは咄嗟にそんなデマカセを口にするが、実際には「消去法」である。クリープの身体からは「自分達とは別の神」の加護が感じられたため、その上からタルタロス界の加護を与えるのは相性が悪そうに思えた。そして、ユタには実は最初から(生まれながらに)「ヘカテーの加護」が備わっているため、実は今更「力」を付与する必要すらないのだが、「ユタには、自分の宿業のことは知らずに育ってもらいたい」というヘカテーの意志を聞いていた彼女は、ここで彼に協力を仰ぐことで彼が真相に気付いてしまう可能性を避けようと考えたのである。
まずアイシャは宣言通りに解放の符をエマに対して使った上で、ミランダに対して(上述のヘカテーと同様に)自身の「神の加護」を付与する。そんな様子を眺めながら、クグリはふとマロリーに問いかけた。
「なぜ『復讐の三女神』が、ボク達の仲間を助けようとしてくれているのですか?」
この世界の魔法師達から見れば、タルタロス界は(姉妹世界とも言われるオリンポス界とは対象的に)人間に対して敵対的な「危険な魔物」の住む世界と言われる。その世界の神格が人間に対して友好的な姿勢を示していることを不可解に思うのも、当然の話であろう。
「私達の主人であるヘカテー様は『魔法を司る女神』です。だからこそ、あの方は『魔法を学ぼうとする子供達』の味方でありたいと考えている。私達は、そんなあの方の心に従っているだけのことです」
実際のところ、タルタロス界(およびオリンポス界)と呼ばれる世界にも、様々な並行世界が併存すると言われており、「別のタルタロス界」に住む彼女達は、人間に対してもっと敵対的かもしれないし、「タルタロス界以外の異世界から投影されたヘカテー」も存在すると言われている。だから、あくまでもマロリーが語っているのは「今、このエーラムに出現しているヘカテーとその従属神達」の理屈にすぎない(なお、ヘカテーがここまでエーラムの学生達に肩入れする背景には「ユタ」の存在もあるのだが、そこまではさすがにマロリーの口からは話せなかった)。
やがて、二人がそんな会話を交わしている間に、無事にミランダとアイシャによる治療は完了し、エマの身体の変調は一時的に回復する。だが、あくまでもこれは対処療法にすぎない、というのがアイシャの見解であり、彼女とミランダは(ミラの元に残ったヘカテーおよびメルと同様に)しばらくこの場に残ることにした。
******
その後、マロリーはユタに連れられてジュノの寮へと向かい、シャララと協力してジュノの体内に眠っていた混沌の力を弱めることに成功する。一方、アメリの元へは(修学旅行時に同班だった)クリープがヘアードを案内した上で、マチルダとヘアードの合わせ技でアメリの治療もまた無事に完了した(なお、どちらも現場にいた回復魔法の使い手が女性であったため、結果的にアイシャがでっち上げた「女性の方が加護が伝わりやすい」という説明の辻褄は崩れずに済んだ)。
また、四人分の料理を用意していたリヴィエラは、ジュノとアメリの分はマロリーとヘアードに委ねた上で、ミラの元には(ヘカテーへの挨拶も兼ねて)自分で届けに行く。
そしてクグリもまた出来れば他の三人にも話を聞きたかったところなのだが、ヨハネスが連れているガーゴイルの正体が気になったこともあり、予定よりも早目に(彼を招いた食事会が開催される予定の)マッターホルンへと帰還することにした。
ジュノ達と共にヨハネスの出迎えに向かっていたノギロ・クアドラント(下図)は、エーラムへの帰還以来、自身の研究室に籠もりきりの状態が続いていた。ジュノ達の異変を魔法杖通信で聞かされた時点で、養子のユタを(様々な魔法薬やアーティファクトを持たせた上で)彼女達の元へと派遣したものの、自分自身は研究室から出てくる気配を全く見せなかった。
その上で、彼は図書館職員に大量の書物を研究室まで持参するように依頼も出していた。エーラムの教員にはそのような形で図書館に依頼を出す権利が認められているが、ノギロは基本的に職員達の負担を増やすことを嫌がる性格であり、日頃は基本的に自分で出来ることは自分でやることにしているため、そのような依頼が出ること自体が極めて稀である。
このような状況下において、彼の養女である
オーキス・クアドラント
は困惑していた。フェルガナから発せられた「エーラムに潜伏する闇魔法師」の摘発調査の話はオーキスの耳にも届いており、このエーラムに危機が迫っていることを察した彼女は、「何かが起きた時に全力で友を守るための力」をいつでも発揮出来るように、養父に『封印』の解除を申し出ようとしていたのである。
だが、ノギロが「自分で図書館に本を取りに行く時間」を惜しむほど緊急の案件に従事している状況では、オーキスとしても強引に研究室に押しかけてまで彼の手を煩わせる気にはなれない。しかし、逆に言えばそこまでノギロが焦るような事態に追い詰められているのだとすれば、余計にオーキスとしても不安が募る。なおさら「いざという時」を考えなければならないと考えた彼女は、最終手段として台所から「ナイフ」を拝借することにした。
最悪の場合、彼女はこのナイフで自分を刺し、自分を瀕死の重傷へと追い込むことで封印を解くために、それを懐に忍ばせる。とはいえ、刃物の扱いになれている訳でもないオーキスが「死なない程度の重傷」を一発で実行出来るとは限らないし、そもそもそれが必要な相手なら、そんなことしなくても死にかける可能性が高いと考えると、結局のところは「無用の長物」となる可能性もあるが、万が一のことを考えて、打てるべき手は全て打っておこうと考えたのである。
その上で、オーキスは「怪しい者が潜んでいそうな場所」はどこかと考えた時に、ふと、自分が暴走した直後に、皆と顔を合わせられずに森に逃げ込んだ時のことを思い出す。
(森って、隠れて何かするには絶好の場所じゃないかしら?)
彼女はそう考えた上で、ロシェルを捜した時に渡された(結局使わずに終わった)連絡用のロケット花火を手にして、森へと向かうことにした。
******
今回のヨハネスのエーラムへの短期留学は、アストロフィ側からの唐突の提案から始まった。貴族の子女が幼少期にエーラムで学問を学ぶこと自体は珍しくないが、年齢的には幼いとはいえ既に爵位と聖印を継承した「魔境と隣接する国の君主」が、魔境を浄化するために必要な聖印を抱えたまま、留学のために国許を離れるという事態は、かなり珍しい。
この状況を不自然に思った高等教員のクロードは、事前に時空魔法を用いて「予言」を試みたところ、「刺客・陰謀・偽者・調色板・邪紋・召喚・魔石像・魔犬・怪鳥・多頭蛇」という不吉な言葉が導き出されたため、親しい教員達に警戒を呼びかける。そしてその話は、クレセント家の者達の耳にも届いていた。
「余計な知識は混乱を産むが、ヴィリーは知らずに焦る方が不味いだろうし、一応ね」
ヴィルヘルミネ・クレセント
は、師匠からこの予言についての話を聞かされると、以前にヘラクレス(カブトムシ)から聞いた話を思い出す。
(確か、オリンポス界にいた時に九つの首を持つ蛇を倒したことがある、と言っていました。そして自分が倒した怪物の因子を受け継ぐ危険な魔石像が出現しようとしている、とも……)
ガーゴイルの出現を防ぐための神殿の建設にはヴィルへルミネも協力している。だが、それでも完全に脅威を取り除いたとは言えないとヘラクレスは言っていたため、心配になった彼女は、自分が作ったヘラクレス神殿前の祭壇へと、供物を手にして向かうことにした。
その途上、ヴィルヘルミネは(森へと向かおうとしていた)オーキスの姿を発見する。彼女は拝借したナイフを眺めながら、小声で「これが必要になる事は無いとは思うけれど……」などと呟いていた。
採集目的で森に入ることが多いヴィルへルミネから見れば、森の中でナイフを持っていること自体は別に気にすべきことでもないが、オーキスの表情が何か思い詰めた様子であったため、あえて明るく、茶化すような口調で声をかける。
「おはようございます!オーキスさん、ここでは別にいいけど、ナイフを手に持ってるのは物騒ですよぅ」
「え、ああ、ミーネ。おはよう。そ、そうよね。ちゃんとしまっておかないと」
「貴族のご子息がいらっしゃるって物々しいですもん。バッグの中か、誰にでも見えるようにベルトに挟んでおくのがオススメです」
「なるほど……」
オーキスは言われた通りに、その場でナイフを腰に括りつける。その間にヴィルへルミネもまた、よいしょと荷物を抱え直す。ちなみに、彼女のポシェットの出しやすい位置にもナイフは入っていた。
「何かここらに用事です? ミーネはこれから、ヘラクレスさまの所へ供物を納めに行くとこなんですよ、ね!」
再びよいしょと体勢を立て直しつつ、ヴィルへルミネはそう告げる。
「へぇ、ヘラクレス様のところに……。丁度いいわね。私もその近くの森に行こうと思っていたし、一緒に行ってもいいかしら? 森に入るならヘラクレス様に話を通したほうがいいでしょうし」
「いいですよ〜。お祈りする人が増えると神さまは力を得る、神さまの力が増すと人々はよりその加護を受けるようになる。どこの世界でも通用する理ですもん。ミーネはそのお力を存分に奮って貰うためにお祈りに行くので」
「じゃあ、ご一緒させてもらうわね。……その荷物、運ぶの手伝うわ」
「わ、ありがとう! カゴの中で枝があっちこっちしちゃって、桃が潰れないか心配だったんです〜」
「それは……、よくないわね。ほら、貸して」
オーキスはそう言いながら、ひとまず鞄の中に入っていた荷物の中で一番重そうだった「葡萄酒の瓶」を抜き取り、手に持つ。
「神殿の効力を解いているとのことなので。魔除と、単純にオリンポスの神々が好む物を持ってきたんだけど……、桃の実は別に包んだ方が良かったかなぁ」
「へぇ、魔除け」
「桃は花も果実も邪を祓うと言いますし、カブトムシさんでも食べれるでしょう? この赤い実の枝は、悪いものの道を塞ぐとされているんです」
そんな会話を交わしつつ、彼女達はヘラクレスの神殿へと向かうことにした。その途上で、ふとオーキスが問いかける。
「ところで、ヘラクレス様のところへ行って、ミーネはその後どうするのかしら?」
「舞を一指奉納して……、そのあとは特に予定はないですね」
「私は、森の中を捜索しようと思ってるのだけど……」
「そうなんだ! ミーネもついて行っていいです? 森歩きは慣れてますし、ここらは一通り回ったことありますよ!」
「本当!? それは助かるわ! じゃあ、一緒にヘラクレス様のところへ行って、それから一緒に森の中の探索ね」
実際のところ、ヴィルへルミネとしては前回の一件以来、オーキスの動向が心配だったので、この機会に彼女と同行出来るならば、それは望ましい話であった。
******
やがてオーキスとヴィルへルミネが黄金羊牧場の近くの祭壇に到着すると、そこにはヘラクレスと、そして
アツシ・ハイデルベルグ
の姿があった。
「よぉ! お前らも、パトロールに協力するのか?」
「ぱとろーる?」
アツシのその言葉に対してヴィルへルミネが首を傾げていると、ヘラクレスが深刻そうな声色で二人に対して解説する。
「実は、少々厄介な事態になった。魔法師協会からの要請により、我の生み出した対ガーゴイル結界を一時的に解除させられているのだ」
ヘラクレスが神殿と祭壇を通じて生み出した結界は、当初はこの牧場近辺におけるガーゴイルの出現を阻止するために生み出されたものだが、その後、彼はその結界の範囲を森から少しずつ広げる形で拡大し、現在ではエーラム全体における「ヘラクレスと敵対する属性のガーゴイルの力の抑制」をもたらしている。
ヨハネスが護衛として連れてきた「ライオン型のガーゴイル」は、オリンポス界においてヘラクレスに倒された「ネメアーの獅子」の因子を受け継ぐガーゴイルであり、ヘラクレスの結界がある状態ではエーラム内で満足にその力を発揮することが出来ないため、ノギロからメルキューレを通じて「ヨハネス滞在中の結界解除」を要請されたらしい。
魔法師協会としてみれば、ヨハネスに対して「別の護衛」を連れてくるように要請することも可能だったのだが、ヨハネスはその護衛の同行を強く希望し、なぜかノギロも彼の主張を後押ししたことで、協会側がその要望を受け入れることになった。もともと、魔法師協会の中では「カブトムシによる対ガーゴイル結界」にどこまで効果があるかを疑わしく思ってる者達も多く、大半の者達はヘラクレスからの警鐘に対してあまり強い危機感を感じてはいないらしい。
「正直、なぜそこまで『獅子のガーゴイル』を同行させることにこだわっているのかは分からん。だが、どうにも嫌な予感がするので、こやつと共に学内の警備に回ろうと思っていたところだ」
自らの角でアツシを指しながらヘラクレスはそう語る。ヘラクレスの解除した結界は、狭い範囲であればすぐに再び生み出すことは出来るが、その効果範囲をエーラム全体にまで広げるには数日を要するらしい。そこで、もしヨハネスの滞在中に危険なガーゴイルが学内で出現した時のことを考えて、即座に対応出来るように現地へと向かうことにしたようである。
ここで、ヘラクレスのその説明に対して、オーキスは素朴な疑問を投げかける。
「その子爵様の連れている獅子の魔石像自体は、危険な存在ではないの?」
「分からん。本来の『ネメアーの獅子』は獰猛な獣であったが、ガーゴイルとして造られている以上、普通は使役主の命令には従う筈。だが、奴等は『異界で造られたガーゴイル』であり、この世界にどのような形で投影されるかは、混沌の気まぐれ次第だ。大抵の場合、創造主からも使役主からも切り離される形で投影されるため、従属体として固定召喚された訳でもない限りは、『無作為に暴れまわる怪物』として投影されてしまう可能性が高いが、この世界の君主から『護衛』としての信任を受けているのなら、少なくともその君主の言うことは聞くのだろう」
もっとも、「その君主(もしくは、その背後にいる誰か)」に何らかの悪意があれば、それはエーラムにとって危険な存在ともなりうるのだが、それについては何かあった時にバリーが対応してくれると信じて任せるしかない(逆に言えば、攻撃魔法に長けた元素魔法師の中でも屈指の実力者であるバリーですら太刀打ちできない相手なら、今のヘラクレスでは対応しきれない)。
ここまでの話を聞いた上で、今度はヴィルへルミネが問いかけた。
「そういえば、前にこの神殿と祭壇を作った時に、まだこのあたりに危険な混沌の残滓が残っているとおっしゃってましたけど、それはもう大丈夫なのですか?」
「正直、それもまだ完全に消え去った訳ではないので、気がかりではある。一応、この辺りにまでその君主が来訪することはないだろうと考えて、微弱な対ガーゴイル結界は残してはいるのだが、もし私の不在時に何者かがこの神殿と祭壇に何かを仕掛ける可能性も否定は出来ないからな。だから、留守番役も用意している」
彼がヴィルヘルミネに対してそう答えたところで、その「留守番役」の二人(下図)がこの場に現れる。
「おーい、来てやったぞ! ヘラクレス!」
「これはなかなか、趣のある祭壇ですね」
教養学部の学生であるビート・リアンと、美術講師のレイラである。ビートはこの神殿の建設後もちょくちょくヘラクレスには会いに来ていたようで、今回の件についても彼から話を聞いていた。その上で、今回の事態に際し、最初はアツシと共に学内巡回に回るつもりだったが、「留守を守ってほしい」と言われて、渋々そちら側に回ることにしたのである。
その上で、さすがに自分一人では心もとないと思った彼は、以前に植物採集の時に出会ったレイラに協力を依頼することにした。エルフである彼女は森においては強力な力を発揮する。特に彼女の生み出す空間歪曲能力は、危険な侵入者を阻む上で大いに役に立つだろう。
「まぁ、こんなオモチャの神殿相手にムキになって襲ってくるようなヤツがいるとも思えないけど、せっかく作ったのを壊されるのはシャクだからな。今回は手伝ってやるさ」
「油断するなよ。もし、この神殿に害を成そうとする者がクワガタ程度なら自力で対応すればいい。だが、もし『明らかにお前の手に負えない相手』が現れた時は、すぐに逃げて誰か大人に助けを求めろ」
ヘラクレスの本音としては、最初からもっと頼りになる「大人」に任せたいところなのだが、具体的な危機が現れている訳でもない現状で、彼の警鐘に真面目に耳を傾けてくれる者は、アツシやビートのような「純真な子供達」か、レイラのような「好奇心旺盛な異邦人」くらいしかいなかったようである。
そんな彼等の話を聞いた上で、ひとまずヴィルへルミネは本来の目的を果たすことにした。彼女はオーキスに預けていたワインの酒瓶を受け取り、ヘラクレスの前に差し出す。
「オリンポス界の神々にはぶどう酒、でしょう?」
「ほう……、よく分かっているようだな」
ヘラクレスが素直に関心していると、ヴィルへルミネは酒瓶を祭壇へと捧げた上で、今度は鞄から別の供物を取り出す。
「これは桃の花と果実です。桃には破邪の力がありますから」
それは彼女の故郷に伝わる知識であるが、その伝承の由来元が彼女の先祖の世界なのかどうかは不明である。そして彼女は両手に「赤い実の着いた南天」をひと枝ずつ手にした状態で奉納の舞(
参考資料
/1:03頃)を披露することで、彼女の中に宿った「土神の力」が神殿の「鬼門」に相当する方角に宿り、南天の枝を根付かせる。そんな彼女の美しい仕草に、オーキスもアツシもビートもレイラも、ただ黙って静かに見惚れていた。
「悪しきものの侵入口を塞ぐことの出来る、魔除の木なのです」
「なるほど……、我の力と潰し合わぬように、一定の距離を保った状態で宿らせたのだな。では、そのままお主にも『留守番』を頼んでも良いか?」
ヘラクレスにそう言われたヴィルへルミネは、返答に困る。先刻、オーキスと一緒に森を探索するという約束をしたばかりなのだが、確かにヘラクレスの話を聞く限り、この神殿を警備する必要性もありそうに思えた。ヴィルヘルミネのそんな心境を察したオーキスが、彼女よりも先にヘラクレスに対して問いかける。
「私達は、森の中に誰か怪しい人物が潜んでいないか探しに行こうかと思ってたんだけど、その心配はないの?」
「ふむ……、確かに、その可能性も無いとは言えんな……」
「それなら、私とミーネで交互に『ここの警備』と『森の探索』をするってのはどうかしら?」
それは一見すると妥当な落とし所のように見えるが、ヴィルへルミネとしては、オーキスと一緒に行動することが出来なくなる(彼女が暴走しないように見守ることが出来なくなる)ため、あまり望ましい提案ではない。そんなヴィルへルミネの微妙な表情から、ビートは(その理由までは分からなかったが)彼女があまりその提案に乗り気ではないことを察する。
「いえ、ここの守りは、俺とレイラさんがいれば十分ですよ。もともとそのつもりだったし。もし、何か危険なことがあったら、空に向かってエネルギーボルトを打つので、それに気付いたら、戻って来て下さい」
「そう……、分かったわ。私の方も何かあったら、このロケット花火を使って合図するから。じゃあ、いきましょう。ミーネ」
オーキスがそう促すと、ヴィルへルミネはビートとレイラに対して笑顔で一礼した上で、森へと向かっていく。ヘラクレスはアツシの肩に乗った状態で、学内巡回へと向かうことになった。
******
「なあ。カブトムシさん。俺に力の使い方を教えてくれない?」
学内巡回の途中で、アツシは唐突にヘラクレスにそう問いかけた。
「力の使い方? どういう意味だ? 魔法に関しては、我の専門外だぞ」
「今まで学校でいろんな先生や友達を見てきて、教えられてきて思ったんだ、『みんなの力と俺のこの力は全くの別物なんじゃないか?』って。だって、みんなは周りの何かを使って色んな魔法を使ってるのに対して、俺のは『自分の中の何か』を使って魔法を使ってるって感じがするんだ」
その話を聞いた時点で、ヘラクレスは内心で驚愕する。
(此奴、今まで気付いて無かったのか……!?)
彼のそんな内心には気付かぬまま、アツシは話を続ける。
「そんな中でカブトムシさんと会って気づいたんだ。カブトムシさんの力の源は俺の中の何かによく似ていて、力の扱い方も似ている。初めは単に俺がバカだから先生の言ってること全く分からないし、そんな風に魔法が使えないんだって思ってたけど、もう一度カブトムシさんに会ってはっきりと分かった。俺の力はみんなと違ってカブトムシさんと同じだ」
「そうか……、お主はそもそも『自分が何者なのか』も分かっていなかったのだな……。なぜ『人間の子供』のフリをして紛れ込んでいるのかと、不思議に思っていたが……」
「え? じゃあ、やっぱり俺って……」
「あぁ。お主は紛れもなく、我と同じ『神格の投影体』だ。その自覚が無いということは、おそらく記憶を持たぬ形でこの世界に投影されたのであろう。だが、どこの世界の神格なのかは我にもさっぱり分からん。少なくとも、オリンポス界やタルタロス界ではない。ヴァルハラ界ともスカーヴァティー界とも明らかに違う。雰囲気からして、最初はタカマガハラ界の神格かとも思ったのだが……、彼等とも何かが違う。明らかに、他の神格達とは異なる異質な存在だ。もしかしたら、我と同じ『神性』と『人性』を併せ持った存在なのかもしれない」
実際のところ、アツシは神格としては極めて特殊な存在である。「彼等」はどの神話体系にも属さない。神格としての根源的性質が、他の神々とは根本的に別物なのである。とはいえ、アツシはその説明を聞いたことで、どうやら自分の中で色々と納得出来たらしい。
「この学園に入って、俺なりに色々頑張って結果だけはみんなと同じことができるようになったけど、でもこのままじゃダメな気がする。将来、やりたいことなんて全く分かんないけど、だからといってこのまま、なんとなくだけでこの力を使いながらで大人になんかなりたくない! だから頼む!俺に力の使い方を教えてくれ!」
アツシがそう熱弁したのに対し、ヘラクレスは落ち着いた声で答えた。
「残念だが、我とお主は『神』としての性質がおそらく異なる。だから、直接的に役に立つような助言は何も出来ない。ただ、全ての『神』がその力を行使する上で必要なことが、一つある」「何なんだ? それは?」
「崇められることだ。他の誰かに崇められ、信仰されることよって、初めて神は神としての力を発揮することが出来る。誰からも崇められぬ神など、所詮、世界を構成する一つの『現象』でしかない。ましてやこの世界における我等は、あくまでも『混沌の産物』、所詮は『神の模造品』なのだ。それでも人々から『神』として崇められるために必要なことは、何だと思う?」
「えーっと……、『神としての力』を示すこと?」
「確かに、力を示せば『強力な投影体』として認めてはくれるだろう。だが、それだけでは悪魔や怪物と変わらない。大切なのは『人々を慈しむ心』だ。我々『神』に比べれば、『人』など脆く儚い矮小な存在にすぎん。しかし、だからこそ、そんな『人』を我が子のように慈しみ、愛する心が必要なのだ」
「カブトムシ」としても「ヘラクレス」としても、あまり似つかわしくない発言だが、一応、彼の中ではそれが「一般的な神格」のあるべき姿と考えられているらしい。
「いつくしむ、か……」
「まぁ、ピンと来ないのであれば、とりあえず『人々を守りたいと思う心』と言っても良い。別にそれが人類全体である必要はない。今のお前にとって、守りたいと思える者達を守りたいという心があれば、そしてその心が人々に通じれば、おのずとそれが『力』として具現化することになるだろう」
そんな話をしている中、ヘラクレスはふと、ある建物から「嫌な気配」を感じる。
「少年神よ……、どうやら、我等は『決戦の場所』に辿り着いたようだぞ」
「え? ここが!?」
「あぁ。英雄神としての我の直感が告げている。まもなくこの地が、決戦の場所となるだろう」
ヘラクレスがそう言った視線の先には「喫茶マッターホルン」の看板が掲げられていた。
******
アルジェントはヘラクレスの警鐘に対して、表面上は「所詮はカブトムシの言うこと」と聞き流すような態度を見せていたが、それでも彼に対して結界解除を弟と共に要求した手前、万が一の事態に備えての警備に協力する義務はあると考え、協力者を募った上で下町の巡回を担当することになったのである。
「ウチ、この辺りにはよく友達と一緒に来てるんですよ」
ゴシュはそう言いながら、勝手知ったる気楽な様子で皆を先導するように下町を案内する。アルジェントは日頃、学内施設の外に出ることはあまりないため、下町事情に詳しいゴシュの協力はありがたかった。
一方、ノアとレナードは以前にもヘラクレス主導のガーゴイル対策に協力していたこともあり、より慎重な姿勢で巡回に当たる。金属バットを手にして周囲にガン飛ばしながら歩くレナードの姿は、住民達からすれば奇異と恐怖の対象であったが、この日のレナードの懐には金属バット以上に危険かもしれない、もう一つの「切り札」が仕込まれていた。
それは、先日ダンテから手渡された魔剣(短剣)である。ダンテは両親から預けられた(一門で管理している)特殊な魔剣を、まもなく発生すると予兆されている混沌災害に対処するために、あえてレナードに託していたのである(discord「校舎裏」7月17日)。ダンテの話によれば、この魔剣は一度使った時点で彼の一門の管理庫へと戻ってしまう仕様になっているらしく、あくまで「ここ一番の時」のために託された代物であった。
(牧場の時は、俺が補習を受けてる間に全部終わっちまってたからな……。今度こそ、俺の手でガーゴイルをぶちのめしてやるぜ!)
そんな血気盛んなレナードの様子を、ノアは少し心配そうな様子で眺めている。ヘラクレスがかつて乗り越えたと言われる「十二の試練」の伝承について詳しく調べたことのある彼(彼女)からすれば、その魔物達を元にしたガーゴイルという存在に対して、強い警戒心を抱くのは当然の話である。
(炎や毒を吐く魔物もいるらしいけど、ボクの回復魔法で対応しきれるのかな……)
もし、本当に危険な状態になったら高等教員であるアルジェントが対応してくれるとは思う。だが、血気にはやったレナードがアルジェントの静止を無視して一人で強敵に対して特攻する可能性も十分にあり得る以上、やはり彼の動向には注意する必要がある。また、下町で戦闘が発生した場合、必然的に一般住民も巻き込まれる可能性が高い以上、「回復魔法の手数」は多い方が助かることは間違いない。ましてやノアはファーストエイドの魔法まで修得している以上、どれほどの重症でも息がある限りは助けることが出来る。救命役としてはこの上なく優秀な存在であった。
そんな四人が下町の裏通りに足を踏み入れたところで、ゴシュが微妙な違和感に気付く。
「あれ? この店って、もう廃業しとったんやなかったかな……?」
彼女の視線の先には、小さな鍛冶屋の看板があった。その建物からは、パッと見た限り、人の気配は感じられないため、アルジェントには彼女のその発言の意図が分からない。
「見たところ、今も普通に廃屋のようだが?」
「いや、そうなんですけど、前に見た時と、看板の位置がズレてるんです。扉の辺りも、もっと汚れてたような……」
つまり、廃屋となっているこの建物の中に、最近になって誰かが出入りしている可能性がある、ということらしい。
「ふむ……、一応、町の区画担当者に確認してみるか」
アルジェントはそう言って、魔法杖通信を始める。その間にノアは薄汚れた窓ガラスから建物の中の様子を確認しようとするが、特に何かが動いている様子もなければ、物音も聴こえてこない。それでも彼(彼女)が何か見えないかと顔を更に窓に近づけて凝視しようとした瞬間、彼女は唐突な目眩に襲われて、身体のバランスを崩してその場に倒れる。
「ノア!?」
レナードはそう叫ぶと同時に、金属バットを握って窓ガラスへと突進した。
「テメェ! そこでノアに何しやがった!?」
彼には「窓の奥」の様子は全く見えていない。だが、ノアが明らかに不自然な倒れ方をしたことから、「屋内にいる誰か」がノアに「何か」を仕掛けたと判断したようである。彼はバットにヴォーパルウェポンをかけながら窓ガラスを叩き割ろうとするが、その瞬間、彼もまた同じ目眩に襲われる。だが、それと同時に彼の身体に「魔法仕様時の副作用」が発生し、結果的にその激痛のおかげで、彼は「謎の目眩」の中でも正気を保つことが出来た。
レナードがそのままバットを振り下ろすと、窓ガラスはあっさりと粉々になる。だが、中には人の気配は全くない。そして、窓ガラスが割れた音に反応して表通りの方から何人かの人々が駆けつけて来ようとするが、それに対してアルジェントが静動魔法を用いて障壁を構築する。
「現在、危険区域の調査中だ。立入は禁止する」
子供の姿ではあるが、なぜか妙に説得力のある声でそう言われた住民達は、おとなしく後ずさりながら引き下がる。
「ゴシュ、誰か『魔法師らしき者』が来たら教えろ」
「分かりました」
彼女がそう答えて障壁の外側に視線を向けるのを確認すると、アルジェントは鍛冶屋の看板を浮遊させ、その角でレナードの後頭部を小突いた。
「いてっ!」
「まだ事態の確認中だったというのに、勝手に動きおって」
そう苦言を呈しつつ、アルジェントは割れた窓の破片を確認する。
「どうやら、この窓から中を覗き込んだ者に対して発動する『魔法』が仕掛けられていたようだな。おそらくスリープの類いだろう」
アルジェントはそう言いながらノアに「メルキューレの手による特製万能薬」を用いると、彼(彼女)は意識を取り戻す。
「あ……、今のは、一体……」
「ノア! 大丈夫か? 怪我は……」
「身体は大丈夫です。それより、先輩の方こそ、大丈夫ですか?」
レナードは苦しそうな表情を浮かべてはいるが、あくまでそれは副作用の痛みが原因であり、彼もまた外傷は全く受けていない。
二人がそんな会話を交わしている間に、アルジェントはライトの魔法を用いて部屋の内側を一通り確認する。そこには、明らかに魔法具と思しき物が転がっていた。
「どうやら、誰かがこの廃屋を隠れ家にしていたようだな」
彼はそう呟きつつ、窓から屋内へと侵入する。一方、レナードとノアはゴシュと共に周囲の警戒に当たろうとしていたが、そこへ見覚えのある人物が現れる。
「おぉ、レナード! ここにいたのか!」
ダンテ・ヲグリス
である。彼は今回の「危険な予兆」に際してレナードと行動を共にしようと考えていたのだが、彼のスケジュールを把握していなかったため、見つけるのに時間がかかってしまっていたらしい。
「とりあえず、ガーゴイルが出現しそうな場所の目星はついた。お前も来いよ」
「なに!?」
レナードは即座に反応するが、その直後に、自分が今はアルジェントの指揮下にあることを思い出す。
「だ、だが、俺には俺の任務が……」
「無断で窓ガラスを叩き割るような奴は、ここにいても邪魔だ。勝手にどこにでも行け」
屋内からアルジェントが淡々とそう言ってのける。
「す……、すんません……、じゃあ、ノア、そういうことだから、オレは……」
「ボクも行きます」
いつになく強い決意を帯びた瞳で、ノアはそう言った。
「いや、オレたちはこれから、危険なガーゴイルとの戦いに……」
「先輩もダンテさんも、回復魔法は使えないでしょう? だったら、ボクも必要な筈です」
珍しく強い口調でノアがそう主張すると、再びアルジェントが口を挟む。
「勝手に中を覗き込んで勝手に倒れるような奴も、ここには必要ない。どこにでも好きに行けばいい」
「……ありがとうございます!」
ノアがそう答えると、レナードは微妙な表情を浮かべつつも、後のことはゴシュに任せて、ダンテの後についてノアと共にこの場から立ち去って行く。
(あいつは確か、失われた占星術の使い手だった筈……。まぁ、仮にその読みが外れたところで、余計な怪我をする学生が三人減るだけだ)
アルジェントはそう割り切りつつ、黙々と屋内の探索を続けるのであった。
******
一方、メルキューレ・リアン(下図)は養女の
シャリテ・リアン
(大狼)と共に、世界中の貴族達の別邸が立ち並ぶ貴族街を巡回していた。それぞれの貴族の邸宅には留守居役として駐留する契約魔法師が滞在し、それに加えて従属君主や邪紋使いが警備を担当している家も多いため、下町に比べると治安は遥かに高く、本来ならば、そこまで警戒すべき区域ではない。
だが、数日前にフェルガナの元にとある筋から「貴族街の何処かで闇魔法師が匿われている」という怪情報が届いており、彼女から密命を受けた者達が、疑わしき邸宅の近辺で張り込み捜査を展開している(詳細は後述)。そんな彼等と連動する形で、メルキューレもまた巡回活動に赴くことにしたのである。
(屋敷の張り込みのほうに協力したかったけど、この巨躯じゃあ無理だし、そもそもじっと待ってるのって苦手だしなぁ……)
シャリテはそんな想いを抱きながらメルキューレに同行する。大狼の状態であれば通常の人間に比べて聴覚も嗅覚も遥かに優れているため、巡回役としてはうってつけである。そして、早速そんな彼女の嗅覚が役に立つ時が訪れた。
「この匂い……、研究室でよく嗅いだことがあるような……」
そう呟きながら、シャリテは道の先に歩いている「一人の青年」に視線を向ける。彼女は錬成魔法師であるメルキューレの研究室に頻繁に出入りしているため、魔法薬の匂いには敏感である。上述の通り、貴族街にも魔法師はいる以上、魔法薬の匂い自体はそこまで珍しいものではないが、その視線の先にいる青年は貴族風の装束を身に纏っており、魔法師らしき風貌ではなかった。その彼の持っている鞄の中から、彼女は魔法薬の匂いを感じ取ったのである。
彼女のその言葉に反応したメルキューレが遠眼鏡を取り出してその青年を凝視すると、彼はその青年の顔つきに既視感を感じる。
「雰囲気はかなり違うので確証は持てませんが……、昔、彼によく似た人物を指導したことがあります」
メルキューレの記憶によれば、その青年は錬成魔法師志望で、極めて熱心に勉学に励んでいたが、魔法師としての適性が足らず、最終的には退学を余儀なくされた。特に素行不良があった訳ではないため、魔法に関する記憶のみを抹消した上で故郷のバルレアへと帰されたのだが、最後の最後まで、魔法師となることへの執着心を捨てきれていない様子であった。
嫌な予感がしたメルキューレは、シャリテに「彼の進もうとしいている道の反対側」へと回り込むように伝えた上で、足早に彼の元へと向かい、そして後方から声をかける。
「イェスタ君、ですか?」
その声に対して、青年はピクッと反応して振り返る。
「……よく分かりましたね、メルキューレ先生」
神妙な表情を浮かべながら、彼はそう答える。学生時代の彼はウェーブがかった金髪でそばかすの多い肌が印象的な少年だったが、現在の彼の髪は黒の直毛で、そばかすも一切見られないため、パット見では同一人物とは認識されにくい(なお、この世界に存在する魔法や秘術の類いを以ってすれば、その程度の外見の変更はそこまで難しい話ではない)。
「あなたから、魔法薬の匂いがするようですが、今はどなたかの契約魔法師の下で働いているのですか?」
「まぁ、そんなようなものです」
どこか歯切れの悪い様子の青年の様子から、メルキューレの中の「嫌な予感」は更に高まっていく。
「申し訳ありませんが、現在、エーラム内に闇魔法師が潜伏しているという噂が流れており、警戒中なのです。あなたを疑いたくはないのですが、一応、荷物を確認させてもらえませんか?」
そう言われた瞬間、青年は即座にメルキューレから逃げるように走り出す。だが、次の瞬間、彼の視界は唐突に暗闇に包まれた。
(これは……、ダークネスの魔法か?)
彼がそれに気付いた時、その暗闇の中から走り来る巨大な狼が、彼の上へと伸し掛かる。シャリテの体躯によって完全に押しつぶされて身動きが取れなくなったのを確認すると、シャリテは彼が持っていた鞄をくわえて、メルキューレの元へと放り投げた。
「お手柄です、シャリテ君」
そう言ってメルキューレが鞄の中身を確認すると、そこには様々な種類の魔法薬が入っていた。そして、メルキューレの知る限り、それらはいずれもエーラムで正規に造られている(アーティファクトとして各地の君主に送られている)薬ではない。
「これは、どこで手に入れたものですか?」
彼は黙して答えない。
「私の自白毒を投与される前に説明してくれた方が、後々の処分も軽くなりますよ」
「……どうせもう、僕はこれで終わりです。魔法師になるための最後の可能性に賭けて、それに失敗したんだから……。自分から仲間や恩人を売ってまで、生き永らえる気はありません」
その強い決意に満ちた瞳を目の当たりにして、かなり面倒な尋問が必要になることを察したメルキューレは、ひとまず彼に対してスリープの魔法をかけて、そのまま意識を失わせると、その身体をシャリテの背中に乗せた上で、彼女と共にひっそりとその場を立ち去った。
******
一方、森の中を探索していたオーキスとヴィルヘルミネは、特にこれといって怪しい人物も見つけられないまま、気付いた時にはかなり奥地にまで入り込んでいた。
「ここまで何もなし、か。本当に何もなかったのならそれに越した事は無いのだけれど……」
オーキスはそう呟くが、実際のところ、高位の闇魔法師が本気で何かを隠していた場合、オーキスやヴィルへルミネではそれを発見出来なかっただけ、という可能性も十分にある。その意味では、むしろ「森の住人」であるレイラに同行してもらうべきだったのかもしれないが、ビート一人に神殿の警護を任せるというのも、それはそれで危険な話である。
「どうします? オーキスさん。もう少し奥地まで調べてみますか?」
「いえ、これ以上の探索は危険。帰りましょう」
実際のところ、エーラム周辺の森林地帯は果てしなく広い。二人でその全てを調査しようと思ったら、何日かかるか分かったものではない。ひとまず現時点では(もともと警戒対象とされていた)牧場近辺の森を調べる程度が限界である。とりあえず、日が暮れる前に帰ろう思うなら、この辺りが限界であった。
だが、二人が帰路に就こうとした瞬間、オーキスは意外な人物と再会することになる。
「どうして、あなたがここに……?」
ここで、時は少し遡る。アストロフィ子爵ヨハネスの来訪の数日前、高等教員のフェルガナは、諜報機関「ヴァルスの蜘蛛」から不穏な情報を入手した。どうやら現在、バルレア半島で暗躍する闇魔法師組織の者達がエーラムの貴族街のどこかの屋敷に潜伏しているらしい。闇魔法師をエーラムに連れ込むことは明確な協定違反だが、貴族の屋敷に踏み込んで捜査をするには確たる証拠がいるため、彼女は学生達を中心にその調査への協力者を募ることにした。
あえて学生達を中心に協力者を募ったのは、魔法師協会所属の正規の魔法師では面が割れている可能性が高いため、どうしても表立って調査に動くと警戒されて尻尾を掴みにくくなる、というのが主な理由である。それに加えて、現役の教養学部の学生達の中に、フェルガナから見て「安心して任せられる」と思えるだけの人材が揃っていることもまた大きな要因であった(逆に言えば「安心して任せられる」と思えない学生には、彼女は声をかけなかった)。
そして、フェルガナの募集に応じた面々の中には、日頃はあまり他人と関わろうとはせず、本名も素顔も隠したままの生活を続けている
ゼイド・アルティナス
の姿もあった。彼は、前述の「クロードの予兆」の中に「魔石像」という言葉が入っていたことから、今回の潜伏中の闇魔法師が「自分自身の宿業」と大きく関係しているのではないかと考え、積極的に情報を集めようとしていたのである。
一方、
セレネ・カーバイト
は、フェルガナがそんな募集をかけていることも知らずにいつも通りの生活を送っていたが、やがてそんな彼女でも分かるくらいに、学園内の一部で不穏な空気が漂い始める。
(なんか学園内の雰囲気がちょっとピリピリしてるぞ? なんだろう? え? すごい人が留学してくるのか! そういうことか~!)
最初はそう思っていた彼女だが、やがて、学生達の一部が小声で「フェルガナからの調査依頼」と「クロードの予言」について話をしているのが聴こえてくる。
(え? 悪いガーゴイルが出るかもしれない? それはやばいな! でもセレネはガーゴイルのことよく知らないな……。図書館に調べに行くか?)
こうしてセレネが図書館へと赴くと、そこで彼女はゼイドの姿を発見する。彼女は以前、修学旅行の行き先を決める時にゼイドと相談しており(
twitter上での会話ログ
)、彼と会話を交わした経験を持つ数少ない人物の一人であった。
「あ! ゼイドちゃん! ゼイドちゃんってガーゴイル詳しかったよな?」
大声で話しかけられたゼイドは、フードの下で微妙な表情を浮かべつつも、静かに答える。
「……あぁ」
彼のその手には、この日もまたガーゴイルについての資料と思しき文献があった。
「どうしてゼイドちゃんって、そんなにガーゴイルのこと勉強してるんだ?」
いつものゼイドなら「お前には関係ない」と言って終わらせたところだろう。だが、現在は少々事情が異なる。既にガーゴイルの脅威が現実のものとなりつつある上、場合によってはそれが自分自身の宿縁と大きく関わっている可能性もある以上、そろそろ黙秘を続けるのも限界だろうと考え始めていた。
「俺は昔、大切なものをガーゴイルに奪われた。だから、ガーゴイルと、それを呼び出す闇魔法師のことが……」
「ええ!? 闇魔法師!?」
セレネが思わず二度目の大声を上げると、さすがに周囲の視線が気になったのか、ゼイドは慌てて彼女の口をふさぐ。
「むぐっ……、ごめんだぞ、静かにするぞ……」
その上で、ゼイドは改めて話を続けた。
「とにかく、俺は闇魔法師とガーゴイルを許すことが出来ない。それに……、まだはっきりとは分からないが、今回の一件、俺自身の過去とも関わりがあるかもしれないんだ」
「そうなのか……、まぁ、あんまり話したくないなら、無理に話さなくてもいいぞ」
セレネもなんとなく、それがゼイドにとって深い心の傷であることは察していた。
「だから今回のフェルガナ先生の呼びかけにも応じることにした。ただ、俺は人と話すのが得意ではないから、聞き込み調査には向かないだろう。だから、担当するなら図書館か、もしくは張り込み調査だと考えている」
フェルガナからの調査依頼は大きく分けて三つ。一つは貴族街における「闇魔法師が隠れていると思しき屋敷」の張り込み調査。二つ目は貴族街の住人達を対象とした聞き取り調査。そして最後の一つが、図書館などにおける過去の資料の確認である。
「お前は俺とは違い、他人と言葉を交わす能力に長けている。だから、もし協力してくれるなら、聞き込み調査に参加してほしい」
「街で怪しい人とかの聞き込み? そっか。それも大事だな! わかったぞゼイドちゃん。また後でな!」
そう言ってセレネが去っていくのと入れ違いに、今度は
ティト・ロータス
がゼイドの前に現れた。彼女もまたゼイドが読んでいる本のタイトルを見て、声をかける。
「あなたも……、闇魔法師の調査中、ですか……?」
彼女もまた、フェルガナの呼びかけに応じて調査活動に参加しようと図書館を訪れた。彼女にしてみれば、闇魔法師は「友達に害をなす可能性のある存在」のため、放ってはおけないと考えたらしい。
「お前は、図書館調査を手伝ってくれるのか?」
「そのつもり、です……」
ゼイドとティトはまともに話したことはないが、図書館で頻繁に顔を合わせてはいる。そして、彼女が極めて高い情報処理能力の持ち主であるということも、ゼイドは知っていた。
「では、これを預ける。参考にしてくれ」
そう言って、ゼイドは今まで自分が調べた資料の紙束をティトに手渡した。
「えぇ……? これ、全部、資料……、ですか?」
「そうだ。関係しそうな未確認の文献の名前も一通り載せてある。俺はこれから、張り込み調査に向かう」
ゼイドとしては、それが現状におけるベストな「適材適所」と考えたらしい。彼はこれまでの学園生活で培った「目立たずに生きる技術」を駆使して、貴族街での潜伏調査へと向かうことにしたのであった。
******
そして、ゼイド達が去った後の図書館では、
テラ・オクセンシェルナ
とイワン・アーバスノットも加わって、ティトと共に三人で文献調査活動にあたることになる。その途中、一時的にイワンが(アメリのお見舞いのために)抜けることもあったが、彼等はそれぞれに手分けして、今回の事件に関係しそうな文献を、それぞれにクールインテリジェンスを用いて探し出しつつ、互いに情報を共有しながら調査を進めることにした。
養父のクロードから直接「予言」についての話を聞かされていたテラは、まず事件の背景を探るためにヨハネスの治めるアストロフィに関する情報から調べた結果、同国に関する諸々の裏事情と、それに基づいた上での様々な仮説へと辿り着いた。
「アストロフィは現在、深刻な内部対立を抱えているようです。聖印を継いだヨハネス陛下はまだ幼く、政治の実権を握っているのは後見人を務める傭兵団長のフラメアという女性ですが、彼女を中心とする邪紋使いの人々主導の政治体制に対して、文官の人々は反発しているとか」
その説明に対して、ティトが率直な疑問を投げかける。
「どうして……、対立、しているのでしょう……?」
「色々な事情があるようですが、現時点での一番の争点は『バルレアの瞳』と呼ばれる魔境への対処法のようです。フラメア殿は一刻も早く瞳を討伐すべきと考えているようですが、文官の人々は今の国力では無謀だと考えて、その方針に反対しているとか。実際の『瞳』の規模が分からない以上、どちらの判断が正しいのかは分かりません。ただ、ヨハネス陛下はフラメア殿に全幅の信頼を置いているようで、今のところはフラメア殿を中心とする『主戦派』が優勢のようです。陛下の契約魔法師団の人々は、あえてどちらにも組みせずに中立的立場を保っているようですね」
ここで、今度はイワンが口を開いた。
「ということは、一つの可能性として、クロード先生の予言の中に出てきた『刺客』という言葉は、アストロフィの中の文官の人々がヨハネス陛下を暗殺した上で、別の後継者を立てようと企てていること意味しているかもしれない、ということですか?」
「えぇ、十分にその可能性はあるでしょう。ただ、その場合は、暗殺を起こそうとする場所はある程度限られるので、対応はしやすいです」
「どういう意味です?」
「まず大前提として、仮にヨハネス陛下が殺された場合、その時点で『聖印』が消滅します。その聖印を受け取れる『君主』が近くにいなければ、別の後継者を立てようにも、魔法師協会からの承認を得られない以上、他国に侵略されるのを待つしかありません」
つまり、アストロフィの反主流派の誰かがヨハネスの近くにいる状態でなければ、暗殺してもそのまま国が滅びるだけ、ということである。その場合、必ずしもヨハネスの近くにいるのは「次期後継者候補」でなくても良い。誰か代わりの君主が一時的に吸収して、それを後継者候補の者に渡すという選択肢も可能である。もっとも、その時点で「一時的に吸収した君主」が翻意して自分がバルレアを治めると言い出す可能性があるため(その場合、エーラムの論理としてはその人物を支持せざるを得ないため)、よほど信頼出来る人物でなければならないだろう。
そのことを踏まえた上で、テラは更に話を続ける。
「しかし、これがアストロフィ以外の国による陰謀だとすれば、話は変わってきます。仮にユーミルやウィステリアがヨハネス陛下の暗殺を試みた場合、出来ることならその聖印を手にしたいとは考えるでしょうが、それが出来なくても、アストロフィ子爵の聖印が消滅することで実質的に敵対国の統治権が失われるというだけで、十分に戦略的に意味はあります。その場合、陛下がどこにいる状態でも、常に暗殺の危険性はあると考えるべきでしょう」
また、もし仮にヨハネスの死後にアストロフィの誰かが聖印を継いだとしても、その人物が文官側と手を組めば、主戦派のフラメアの失脚に繋がる。アストロフィよりも先に瞳を攻略しようと考えている者達にとっては、それはそれで十分に意味のある暗殺であり、その意味では「アストロフィの文官」と「他国」による共謀という可能性もある。
いずれにせよ、現時点ではまだ情報が絞り込めていない以上、はっきりとしたことは断言出来ない。張り込み班や聞き込み班の人々の情報を待つ必要があるだろう。
続いて、今度はイワンがここまでの調査結果をまとめて報告する。彼は具体的に「潜伏している闇魔法師」に関連すると思しき情報について調べていた。
「クロード先生の予言とフェルガナ先生の情報が連動しているなら、このエーラムに潜伏している闇魔法師は、おそらくバルレア・パンドラの一味だと思います」
「パンドラ」とは、エーラムと敵対する闇魔法師の組織である。と言っても、その実態は不明であり、世界各地に「パンドラ」と名乗る組織が存在するものの、実質的な繋がりは殆どないとも言われており、それはもはや「一つの組織を指す固有名詞」ではなく、「闇魔法師組織全般を指す一般名詞」となりつつある、という説もある。
「バルレア半島においてパンドラと名乗る闇魔法師は、『瞳』の内部で何度も目撃されています。どうやら彼等は『瞳』を利用して何かを画策しているようですがが、その目的までは判明していません。ただ、一つはっきりしているのは、彼等は周辺諸国が瞳を浄化しようとする度に現れて妨害している、ということです。ですから、ヨハネス陛下が瞳の攻略に積極的な姿勢を示しているのなら、バルレア・パンドラが陛下の暗殺を試みる可能性は十分にあります」
その上で、テラの情報と照らし合わせて考えれば、アストロフィの反フラメア派、もしくはアストロフィと対立する近隣諸国のいずれかがバルレア・パンドラに手を貸すという可能性も十分にありうる話だろう。もっとも、そもそも「刺客」のターゲットがヨハネスと決まった訳でもない以上、あくまでもまだこの段階では仮説にすぎない。
「バルレアの瞳…………、一体、そこに、何が……、あるのでしょう……」
「分かりません。ただ、あの魔境では様々な特殊な変異率やハプニングが発生するようで、その中の一つには『身体が投影体に置き換わる』という現象があるようです」
「どういう、ことです……? 身体だけ…………?」
「混沌核に触れることによって、身体が混沌に侵され、『異界に存在する何か』の姿になってしまう、という現象らしいです。少し事例は違いますが、今のシャリテさんのような状態に近いのかもしれません」
シャリテの場合は「異界の人間の魂」と「異界の狼の身体」がねじれて融合した形で投影された存在だが、その類似現象とも言うべき「この世界の人間の魂」と「異界の何かの身体」が融合してしまう現象が、瞳では稀に発生するらしい。
「人間が混沌核に触れた場合、一般的には発生し得る現象は三つだと言われています。始祖君主レオンのように混沌核を聖印に書き換えるか、自我を保ったまま混沌核を邪紋として身体に刻み込むか、そのまま混沌に飲まれて自我を失いった完全な怪物になってしまうか。バルレアで時折発生している事例は、この二番目と三番目の中間形態とでもいいますか……、身体は完全に混沌核に飲み込まれながらも、本来の自我だけは残っている、という状態のようです」
ここまで話を聞いた時点で、テラはイワンの言わんとしていることを概ね察する。
「つまり、その現象を利用して、『強大な魔物の力を持った人間』を生み出そうとしている、ということですか?」
「あくまでも一つの仮説ですが、十分にあり得る話です。そして、その行為自体は、倫理的に咎められるべきかどうかと考えると、非常に判断が難しい話でもあります。アストロフィでは昔から、混沌と戦うための力を得るためにあえて瞳に入り、邪紋を手に入れる、という行為が頻繁におこなわれており、現実問題としてそのような形で生まれた邪紋使いの人々のおかげで人々の生活が守られている、という側面もあります。やっていることの本質は、その邪紋使いの人々とあまり大差ありません」
「ただ、それはあくまでも自発的な行為の場合、ですよね?」
「えぇ。もし、どこかから攫ってきた人間を使って人体実験をおこなっているのだとすれば許しがたい話ですし、そもそも、その行為を続けるために魔境の浄化を妨害し続けているのだとすれば、その時点でこの世界の人々に対して仇為す大罪です」
いずれにせよ、瞳にはまだ謎が多い。おそらくは他にもバルレア・パンドラしか把握していない情報があるのだろう。ただ、どんな理由があるにせよ、魔境を守るために誰か(ヨハネス?)に害を成そうとしているのであれば、何としてもそれは止めなければならない、というのがイワンの見解であった。
一方、以前にもヘラクレス関連の調査に協力していたティトは、あの時に調べた情報と、そしてゼイドから渡された資料を元に更に深く探っていくことで、「ガーゴイルを呼び出す闇魔法師」に関する過去の文献を調べていった。その結果、彼女は「異界のガーゴイル」が出現した事件に関して、大きく分けて二つのパターンが存在することに気付く。
「どうやら……、一度にたくさん、呼び出された事件と……、一体か二体だけ、召喚された事件と……、二種類、あるみたいです……」
通常、召喚魔法師が「従属体」として制御する形で固定召喚出来るのは同時に一体が限界である。しかし、特に制御しようとも思わず、ただ無作為に(?)大量の怪物を召喚するだけの魔法もこの世界には存在する(技術的に言えば、それはむしろ『魔境を召喚する魔法』に近い)。当然、それは純粋に混沌災害を巻き起こすだけの魔法として、エーラムでは禁呪扱いとなっているが、敵国を壊滅に追い込むという戦略的な目的から、一部の君主達に雇われる形で闇魔法師が用いたこともあるらしい。
ただ、この「異界のガーゴイル」に関しては、どうやら「従属体としての召喚」でなくても、投影直後に「最初に攻撃する対象」を指定する形で召喚することは出来るらしい(もっとも、その攻撃対象が消滅した後は、誰も制御出来ない怪物と化してしまうので、どちらにしても禁呪扱いなのだが)。おそらく、それは元の世界において「誰かに使役される存在」として生み出されたが故の性質を利用したものなのだろう。一部の闇魔法師達はその技術を見につけた上で、世界各地で様々な形での「ガーゴイルの大量発生」を引き起こしているという。
「たくさん呼び出す時は……、それだけ、準備にも、詠唱にも、時間がかかります……。でも、一体だけなら、普通の召喚魔法と同じ……。しかも、その場合は簡単に『持ち運び』が出来る……、らしいです……」
「「持ち運び?」」
イワンとテラが同時に首を傾げると、ティトは手元の資料を開きながら説明する。
「てのひらサイズの……、小さな人形くらいの大きさに、圧縮、出来る……、らしいです。そこにディスペルマジックをかければ、本来の大きさに戻る、とか……」
なお、その資料によると、圧縮されている状態は完全にただの「小さな石像」状態となっているらしい。そして「ディスペルマジックをかけた魔法師」が指定した相手を攻撃するように仕向けることが可能であり、ディスペルマジックをかける者は召喚魔法師である必要もない。つまり、一人の召喚魔法師が、ガーゴイルを一体召喚するごとに圧縮し、他の魔法師に手渡すことによって、実質的に何体ものガーゴイルを同時に固定召喚することが可能なのだが、この場合でも「(ディスペルマジックを使った魔法師が)最初に指定した攻撃対象」が消滅した後は制御不能となってしまうらしい。やはり、投影体を従属体として使役するのは(普通は)召喚魔法師一人につき一体が限界のようである。
ここまでの話を踏まえた上で、イワンが私見を述べる。
「今回の場合、闇魔法師の目的がヨハネス陛下の暗殺だとすれば、その『圧縮した魔石像』を利用した不意打ちの可能性が高そうですね」
とはいえ、現状においてはその最初の前提が間違っている可能性も否定は出来ない。つまり、ヨハネス(もしくは他の誰か)の暗殺を目論む者と、ガーゴイルを召喚しようとする者が、それぞれ異なる目的で動いているのだとすれば、ガーゴイル大量召喚によるエーラム崩壊が計画されている可能性も十分にあるだろう。
そして、ここでテラがふと、あることに気がついた。
「そういえば、ヨハネス陛下が連れているという獅子の魔石像は、何者なのでしょう……?」
この点に関しては、まだ誰も何も分かっていない。その点も含めて、三人はもう少し図書館で資料を当たってみることにした。
******
フェルガナとクロードは互いの持っている情報をすり合わせた結果、「闇魔法師の潜んでいる貴族の屋敷」は、ヨハネスが治めるアストロフィの屋敷か、同国と関わりの深い周辺三国(ユーミル、ウィステリア、サンドルミア)の屋敷のいずれかであろうという判断へと至る。その上で、この四国の屋敷の近くに住む他国の貴族達に協力を依頼し、「張り込み組」を四つの班に分けて「それぞれの近隣の貴族達の屋敷」に潜入させることにした(その間の授業の出席に関しては、ファーガルド出張組と同様に「公欠」扱いとなるように手配された)。
まず、アストロフィの屋敷に対しては、斜め向かいに屋敷を構えるルクレール伯爵家の協力を得ることになった。ルクレール伯爵家はアストロフィと同じ幻想詩連合に所属する大国アロンヌの北部を治める名門貴族家であり、アストロフィとは友好関係にあるものの、そこまで繋がりが深い訳でもない。その意味では、アストロフィ側から警戒されにくく、なおかつ、もしアストロフィがエーラムとの協定違反を犯していたとしてもそれを庇い立てする義理もない、という意味では、調査に協力を依頼する上では好都合な相手である。
そして、この「対アストロフィ張り込み要員」として派遣されたのは、
バーバン・ロメオ
と
ロウライズ・ストラトス
であった。バーバンの養父であるベネディクト・ロメオは現ルクレール伯クルート・ギャロスの契約魔法師であるため、バーバンが頻繁に出入りしていても、さほど不自然には思われないだろう。ただ、彼は邪紋使いと見紛うほどの巨躯である上に、性格的にもあまり潜入捜査に向いているタイプでもない。そんな彼とペアを組む相手としてロウライズが選ばれたのは、彼の理知的な性格と、そして修学旅行時の温泉卓球を通じて得られたであろう友誼(?)に期待した上でのことであった。
なお、まだ教養学部の学生である彼等には「魔法杖通信」は使えないが、時空魔法師であるクロードには、何人かの知人をあらかじめ「通話相手」として自身の脳内に刻み込むことで魔法杖が無くても遠距離会話が可能となる魔法(テレコミュニケーション)が使えるため、今回はひとまずロウライズがクロードとの連絡役を担当し、バーバンはどちらかというと「闇魔法師が逃げようとした時の捕縛要員」としての役割を期待されていた。
そんな二人が張り込みを始めて数日が経過し、ヨハネスがエーラムに到着した頃、クロードから「エマを含めた四名が原因不明の症状で療養中」という話を聞かされたロウライズは、一旦エマの元へとお見舞いに向かったが、(前述の通り)男子一人での入室は認められなかった。他の来訪者が来るまで待つという選択肢もあったが、張り込み任務から一時的に抜けてきた身である以上、あまり長期間抜ける訳にもいかないと判断した彼は、やむなく帰還する。まだ正式に付き合っている訳でもない以上、ここで彼女一人のために時間を使いすぎて、エーラム全体の平穏のための任務をおろそかにすることは、彼の中では許されなかった。
内心ではエマのことを心配しながらも、足早にルクレール邸へと戻ったロウライズは、二階にい上がり、窓から様子を確認しているバーバンに声をかける。
「抜けてしまって、すまなかった。何か変化はあったか?」
「んー、特に変化はねぇけんど……、気になることがあっでよ」
「ほう?」
「あの窓だけ開いてんの、不自然でねぇが?」
バーバンがそう言って、道路に面していない側の一階の窓を指差す。確かに、他の窓が全て閉まっているのに、なぜかその一箇所の窓だけが開いている。高さや大きさから考えて、人が出入りすること自体は簡単に出来そうな窓であった。
「なるほど……、一応、反対側がどうなっているかも確認してみるか……」
ロウライズはそう言って、(帰って来たばかりの自分がもう一度外出するのも不自然に思われる可能性があるため)ルクレール家の使用人に頼んで「反対側の壁の窓が空いているか」の確認を依頼しようと考える。だが、彼がそれを実行に移す前に、バーバンが声を上げた。
「ン!?」
「どうした?」
「今、なんか、あの窓の近くの芝生がすごしへごんだような……」
バーバンはそう言うが、ロウライズにはその変化が分からない。もしかしたら、山育ちの自然児であるバーバンは普通の学生よりも視力が優れていのかもしれないと判断したロウライズは、ここで彼にアシストの魔法をかけ、感覚を強化させた。
「もう一度、よく見てみてくれ」
そう言われたバーバンが改めて目を凝らすと、彼は確信する。
「足跡だ! 出来たばがりの足跡があっぞ!」
「どっち向きだ?」
「屋敷から出る方向だ……、あ、でも、よく見っど、入ったような足跡も近くにあるような……。多分、あれはもっと前に出来た足跡だな」
「ということは、少し前に『姿を消した誰か』が、あの屋敷の中に入って、しばらくしてからまた外に出た、ということだな……」
あえて窓が開け放されていることから察するに、おそらくアストロフィ側も了承した上での出入り口として使われている可能性が高い。なお、この世界において「自分の姿を他人の視界から消す方法」は何種類も存在する。
「今すぐ出て捕まえっか?」
「いや、姿を消している以上は無理だろう。それを破る術は今の俺達にはない。かといって、アストロフィ邸を人を問い詰めようにも、さすがに状況証拠としてはまだ弱い」
自分が「実力行使要員」として呼ばれていると自覚しているバーバンは、その機会が得られずに悔しそうな顔をするが、実際のところ、彼の洞察力(とロウライズのアシスト)のおかげで重要な手がかりを得られたことは間違いない。
その後、ロウライズは改めて使用人に頼んで反対側の窓の様子を確認してもらった結果、やはり建物全体の中で「開け放されている窓」はあの一箇所だけであるらしい。その事実も踏まえた上で、ひとまず彼はクロードに対して、この状況をそのまま説明することにした。
***
アストロフィの北東に位置するウィステリア騎士団は、幾人かの騎士級聖印の持ち主の所領の連合体であり、今のところ連合にも同盟にも属していない中立勢力である。その騎士団長の邸宅を監視するために派遣されたのは、
ロゥロア・アルティナス
と
ルクス・アルティナス
である。彼女達の潜伏場所として指定されたのは、騎士団長宅の東隣に位置するフェードラ男爵家の屋敷であった。
フェードラは、ブレトランド小大陸の更に北方に位置する(「龍の巣」の異名を持つ)コートウェルズ島の第二の都市であり、この地の領主スタンレーの実弟フィルの契約魔法師がアルティナス家出身であったことから、同門であるこの二人を一時的に住まわせることが了承された。なお、フェードラも現時点では連合・同盟どちらにも属さない中立都市であり、ウィステリア騎士団とは(おそらく)直接的な接点は何もないため、ここで彼等にとって不利益になるような調査に協力して遺恨が発生したとしても、フェードラにとっての実質的な不利益は何も発生しないだろうという憶測の上で、彼等は調査に協力する方針を示したのである。
ロゥロアは、表向きは「習得した魔法を役立たせたい」と言って参加することにしたが、内心では、以前自分に「薬」を渡した闇魔法師のことが気がかりで、もし「潜伏している闇魔法師」が彼であるなら、次の被害者が出る前になんとしても止めたい、という思いがあった。
(悪い人に、好き勝手はさせたくないです。私では、まだ倒せない……、でも、倒せる人のお手伝いならできます)
とはいえ、ロゥロアの片目は義眼であり、ルクスもまた目元を隠した仮面を装着している以上、どちらも視力に優れているとは言えない。そこで、より近くで様子を伺うために、フェードラ男爵家の邸宅の前に、サイレントイメージでカモフラージュする形での「見張り場所」を作ることにした。
「とりあえず、私とルクスで交互にここで見張るです。ただ、音は隠せないから、なるべく静かに……」
「分かったのだ!」
こうして、数日間にわたって二人でシフトを組んだ上でウィステリア騎士団長宅の様子を伺っていたが、これといって怪しげな人物は見当たらなかった。そもそも弱小国家ということもあってか、人の出入り自体が少ない。
(ここのお屋敷に住んでいるのは、騎士団長直属の従騎士さんが一人と、本国との伝達役として雇われている外交魔法師さんが一人、あとは数名の使用人の方々のみ。今のところ、それ以外の人が出入りしてはいないようです……)
ロゥロアがそんな見解を抱きつつ張り込み調査を続けていると、ある日の夜(ヨハネス到着の前日)、唐突に「彼女が最も警戒していた人物」が、道の反対側から姿を現す。
(あれは……!)
そこにいたのは紛れもなく、かつて彼女に「魔力を増幅させる薬」を手渡した「左右の瞳の色が異なる闇魔法師(下図)」であった。
(やっぱり、あの人が関わっていた、ですか!? ということは、ウィステリア騎士団長が全ての黒幕……!?)
だが、そんな彼女の予想に反して、その闇魔法師は騎士団長宅を素通りして、フェードラ男爵家の邸宅の前で立ち止まる。
(えぇ!? こっち!? まさか、本当の黒幕はフェードラ!?)
ロゥロアが混乱しているところで、その闇魔法師は穏やかな声色で「ロゥロアがサイレントイメージで作り出した空間」に向かって語りかけた。
「私が来ることが分かっていて、そこで隠れていたのですか?」
サイレントイメージは、それがどれだけ精巧に作り出されたイメージであっても、それ以上の観察眼の持ち主には見破られてしまう。ロゥロアとしては、それなりの自信作のつもりで作り上げた幻影だったが、どうやらこの男にはそれでも通用しないらしい、ということを察する。
(ここで私が大声を出して助けを呼べば、きっとすぐ逃げられてしまう……。多分、この人にはスリープも効かない……。それなら、ここで私が姿を現して、会話を通じて時間稼ぎをしている間に、屋敷の中にいるルクスが気付いてクロード先生に連絡してくれる可能性に賭けた方がいい)
そう判断したロゥロアは、意を決してサイレントイメージの「外側」に自ら姿を現す。すると、彼女の姿を見た闇魔法師は、納得したような表情を浮かべる。
「なるほど、あなただったのですね。この屋敷にアレを持ち込んでいたのは」
ロゥロアはその言葉の意味が分からずに困惑するが、そんな彼女の表情を見て、この闇魔法師は勝手に的外れな憶測を始める。
(この言葉に動揺するということは、まだ彼女の中でも、あの薬をどうすべきか迷いがある、ということなのだな……)
先刻、この闇魔法師はふと「以前、魔法学校の学生達に渡した薬」がどうなったのかが気になって、ロケートオブジェクトを用いて「最寄りの場所にある『例の薬』」の所在を確かめたところ、このフェードラ男爵家の屋敷が反応した。だが、彼にはその薬をフェードラの関係者に渡した記憶はないため、どういう経緯でこの屋敷に届けられたのかを調べようとしたのだが、ロゥロアの姿を見た時点で、彼女が持ち込んだと勘違いしたのである(実際には、ロゥロアが貰った薬は既に学園当局に提出済みなのだが)。
「まぁ、いいでしょう。あなたの中でまだ決心がつかないなら、別に結論は急ぐ必要はない。ゆっくり考えてもらえば結構です」
ロゥロアは、この男が言っていることの意味がさっぱり分からない。ただ、おそらく何か勘違いをしているのだろう、ということは察した上で、あえてその点については否定も肯定もしないまま、ひとまず話を聞き出してみようと試みた。
「あなたが用事があったのは、このフェードラの屋敷であって、ウィステリア騎士団とは無関係なのですか?」
「ウィステリア……? あぁ、そういえば、こちらは騎士団長殿の家でしたか。バルレアは私の管轄外なので、特に用事はないのですが……」
その男はそう呟いた後、唐突に何かに気付いたような顔を浮かべつつ、話を続ける。
「……なるほど、あなたはヨハネス陛下関連のことで、何か調査に来ていた訳ですね。それで、いざとなったらアレを使おうと……」
相変わらず、後半部分に関しては何を言っているのか分からないロゥロアであったが、あえて話を合わせることにした。
「仮にそうだとしたら、どうだというのです?」
「まぁ、あなたが決心がつかない原因が『私に対する不信感』なら、それを解消してもらうために、ここは一つ、いいことを教えてあげましょう。『今回の件』に、ウィステリアは一切関係していないですよ」
「……そう断言出来る、ということは、あなたは関係しているのです?」
「まぁ、昔、バルレアにいたこともあったのでね。その時の縁で、ちょっと『友人』を『彼等』に紹介しました。それだけです」
「友人?」
「では、ごきげんよう」
闇魔法師はそう告げると、ロゥロアの前から文字通り「姿を消した」。彼女は即座に知覚を凝らして周囲を確認するが、既に全く気配が感じられない。
(逃げられた……、でも、もしルクスが既に通報してくれているなら、クロード先生が何か手を打ってくれているかもしれない。とりあえず、私はもうしばらく、ここで監視を続けるのです)
彼女はそう自分に言い聞かせつつ、再び「サイレントイメージ」の領域内に入って張り込み調査に戻る。
一方、フェードラ男爵の邸宅内のルクスは、外の様子には気付けずにいた。彼女は「きいろのおーさま」のぬいぐるみを抱きかかえながら、一人、物思いに耽っていたのである。
(闇魔法師たちって、要はエーラムでみとめられてないことがやりたい人達なのだ)
今回の調査任務に際して、ロゥロアの勢いに流されてなんとなく参加することになったものの、ルクスは「闇魔法師」という存在自体に対して、色々と思うところがあったらしい。
(自分のやりたいことと、エーラムの方針がかみあわなくて……ルクスはどうなんだ? ……おーさまと会うのは、ダメなこと、なのだ?)
彼女はこれまで、かつて自分を助けてくれた「きいろのおーさま」と出会うことを目指して魔法の勉強を続けてきた。しかし、先輩達の反応を見る限り、あまり皆は快く思ってくれていないようにも思える(discord「園芸部の畑」5月27日など参照)。
(もしそうなら……ルクスは、ロアやあにさま、エイミール先輩、ヴィッキー先輩……皆と一緒にいられなくなってしまうのだろうか? でも、それは……魔法師をやっていたら、誰にでも可能性は……ううん……)
ルクスはそんな思いを抱きながら、改めて「きいろのおーさま」をぎゅっと強く抱き締める。そして、このぬいぐるみの内側には、いずれ彼女が「本物のきいろのおーさま」を召喚する時に使う予定の「左右の瞳の色が異なる闇魔法師から貰った魔力増幅薬」が入っているのだが、そのことはルームメイトのロゥロアでさえも知らなかった。
そして翌日、ロゥロアは昨晩の出来事をそのままルクスに告げる(その話を聞かされたルクスが何を思ったかは分からない)。その上で、ロゥロアは「もしかしたら、このフェードラの館にも何かが潜んでいるのかもしれない」という警戒心から、そのまま起きて屋敷の内部を密かに物色しようとするが、すぐに眠気の限界に達して倒れてしまう。ルクスはそんな彼女をベッドへと移送しつつ、ひとまずクロードに報告した。
「ウィステリアには怪しい様子は見られないのだ。多分、今回の件とは無関係なのだ」
***
アストロフィの東方に位置するユーミル男爵領は、アストロフィおよび幻想詩連合と敵対する大工房同盟に所属すると同時に、(魔法師を忌み嫌う)聖印教会の影響力の強い国家としても有名である。その傾向は現当主ユージーン・ニカイドの代になって一層強まり、現在、同国とエーラムの関係は悪化の一途を辿っている。
それでも「男爵位」自体を返上せず、エーラムの世界管理システム自体を(今のところは)受け入れていることもあり、完全な絶縁状態という訳ではない。そのため、代々のユーミル男爵が受け継いできたエーラム内の「ユーミル男爵の別邸」自体は現在も存在しているが、そこに住んでいるのは先代男爵の時代から外交役を務めてきた(君主でも魔法師でも邪紋使いでもない)老執事一人であり、現在は実質的には「貴族の別邸」としては機能していない。
とはいえ、現時点でアストロフィと最も深い対立関係にあるのはユーミルであり、クロードの予言の中に「刺客」という言葉も含まれていた以上、今回の一件とユーミルが無関係と断言することも出来ない。ユージーンは魔法師嫌いで有名ではあるが、「毒を以て毒を制す」と割り切った上で闇魔法師と一時的に手を組む、という作戦を選ぶ可能性もあり得る以上、捜査対象から外す訳にはいかなかった。
そんなユーミル邸の監視役として任命されたのは、ゼイド・アルティナスと
マシュー・アルティナス
である。彼等は前述の二人と同じアルティナス一門ということもあって、彼女達の滞在先であるフェードラと友好関係にあるコートウェルズのクリフォード男爵家の一室を間借りすることになった。
クリフォードはコートウェルズ最大の都市であり、現領主の娘ソニアと、フェードラの領主の弟フィルが婚約関係にあることから、フェードラ経由で今回の計画に協力することになった。国際的には、クリフォードは約半年前に大工房同盟へと加わっているものの、ユーミルとは直接的な接点は殆どなく、聖印教会との関係も希薄なので、仮に何かが起きてクリフォードが逆恨みされたところで(ユーミル自体が同盟内で大した立場でもない以上)、特にクリフォードに危害が及ぶような事態にはならない、と判断されたようである。
クリフォード邸はユーミル邸の裏手側の斜め隣に位置しているが、ユーミル邸は平屋建てでクリフォード邸は二階建てなので、二階の窓からであれば表通りの方面も含めてじっくりと見渡せるポジションにある。二人が数日間に渡ってその二階から監視を続け、そろそろこの特殊な任務にも慣れ始めた頃、ゼイドが遠眼鏡を用いているところに、マシューが(クリフォード邸の台所を借りて作った)昼食を持ち込む。
「ゼイド先輩、疲れましたよね。食事を持ってきたので、そろそろ交代しましょう」
「いや、まだ大丈夫だ。先に食べててくれ。俺は冷や飯で構わん」
淡々と彼がそう答えると、マシューは「相変わらずだな」と思いつつも、今回のゼイドはいつもに比べてやや口数が増えていることに気付いたマシューは、今ならばもう相談に応じてくれるかもしれないと判断して、これまで自分が集めてきた情報を彼に投げかけてみることにした。
「今回、匿われているという闇魔法師は、やはりバルレアのパンドラの一味なのでしょうか?」
マシューもパンドラについては、それなりに調べているらしい。
「クロード先生やフェルガナ先生はそう考えているようだが、俺は少なくとも、バルレアの闇魔法師だけの仕業ではないと思っている」
「なぜです?」
「俺の知る限り、バルレアには『ガーゴイルを呼び出す闇魔法師』はいない筈だ」
ゼイドは「異界のガーゴイルを呼び出す闇魔法師」に関しては、常に最新の情報を仕入れている。この点に関しては、おそらく他の誰よりも正確だろう。
「なるほど。ということは、バルレア以外のパンドラの手も借りた上での、より大規模な陰謀の可能性が高い、ということですか?」
「もしくは、バルレア・パンドラの仕業に見せかけた上で、全く別の闇魔法師が動いているのかもしれない。あるいは、二つの異なる陰謀が同時に動いているだけなのかもしれない」
その意味では、ゼイドがバルレア側の調査をすることが、ガーゴイル被害の食い止めに繋がるという保証もないのだが、今のところは他に手掛かりもない以上、『クロードの予言』と『フェルガナの(ヴァルスの蜘蛛からの)情報』が繋がっているという可能性に賭けて調査を続行するしかない、というのが現状であった。
「僕が調べた限りだと、バルレア・パンドラは基本的には他との地域のパンドラとの繋がりは薄いみたいですね。ただ、一時期この学園内で出没したと話題になっていた『怪しい魔法薬を配布していた闇魔法師』は、バルレア・パンドラにいたこともあったみたいです」
「魔法薬?」
どうやらその件が話題になっていた時、ゼイドは別件の調べ物が忙しくて、その情報には気付いていなかったらしい。
「えぇ。ウチのロゥロアちゃんも渡されたって言ってたから、ちょっと気になって調べてみたんですよ。彼は今はブレトランド・パンドラの一員と言われていますけど、以前にはバルレアの瞳で目撃された情報もあるとか。もっとも、何十年も昔の記録なので、同一人物かどうかは分かりませんけど……、魔法師なら、老化を防ぐ技術もいくらもであるでしょうしね」
実際、生命魔法や錬成魔法に長けた魔法師の中には実年齢が不明な者も多く、エーラム外の闇魔法師や自然魔法師の中には、数百歳と噂される年齢の魔法師も珍しくはない。
「その魔法師の元の出自は分かるか?」
ゼイドとしては、その魔法師がかつて祖国を滅ぼした「あの闇魔法師」と関係しているのかどうかが気になるらしい。
「雰囲気からして極東系じゃないかと言われてるんですけど、実際のところはよく分かりません。ただ、その魔法師の名前、シアン・ウーレンというらしいんですけど、その名前の闇魔法師は世界各地で、少なくとも百年以上前から目撃されているようなので、どこまでが本物なのかも分かりません。その意味では『パンドラ』と同じように名前だけが独り歩きしたか、もしくは代々受け継がれているコード・ネームのようなものなのかもしれませんね」
ひとまず事前調査でマシューが調べた限りでは、その辺りが限界であった。なお、フェルガナはそのシアン・ウーレンという闇魔法師に関して、まだ他にも知っていることがありそうな素振りではあったが、それ以上は聞いても教えてはくれなかったらしい。
そして、さすがにそろそろ交替しても良い頃か、とゼイドが思い始めた矢先、彼は遠眼鏡の先で「珍しい光景」に直面する。
「あれは……、客人なのか?」
ここ数日、ろくに人が現れることもなかったユーミル邸の扉を叩く者が現れたのである。風貌的にはどこかの貴族家に仕える使用人のようにも見えるが、少なくとも、この張り込み中の間に見た記憶のない人物である。そのまま様子を伺っていると、中からユーミル邸の管理人を務めている老執事風の男が現れた。
一方、ゼイドの声に反応したマシューが手持ちの双眼鏡で周囲を確認すると、彼は「少し離れたところで、ユーミル邸の様子を伺っている別の人物」の姿を発見する。そして、マシューはすぐにその人物の「動作」に気付いた。
「ゼイド先輩、あの角の奥にいる人、スリープの魔法を使おうとしています」
スリープ習得者であるマシューは、スリープ発動の際に用いられる独特の動作がすぐに分かったらしい。そして、ゼイドはその人物に視線を向けると同時に、瞬時に思考を巡らせる。
(あの老執事を呼び出した上で、スリープで眠らせるつもりか。だが、あの二人の距離を考えれば、客人も間違いなく巻き込む。その上で、もしあの客人と魔法師が仲間だとすれば、客人も魔法師である可能性が高い。そして、一般人である老執事だけを眠らせようと考えるなら、そこまで本気で魔力を込めたスリープは発動させない筈。それならば、勝機はある!)
ゼイドは瞬時にそう判断した上で、他人の発動させた魔法の効果を打ち消す基礎魔法であるカウンターマジックの詠唱を始める。
(奴等の目的は分からない。だが、一般人を相手にスリープを使うという時点で、明らかに何か後ろ暗いことを企んでいることは間違いない。ならば、ここは絶対に止める。ここからユーミル邸へ走って向かおうとしても公道を大回りする必要がある以上、到底に間に合わないだろうが、カウンターマジックならばこの距離でもギリギリ届く筈だ!)
そして、ゼイドのその意図を察したマシューは、すぐさま隣でアシストの魔法をかける。すると、天運も味方したのか、ゼイドの魔法は確かに、その「謎の魔法師」が放ったスリープの魔法を完全に打ち消した。唐突な遠距離からの魔法妨害に対して、その魔法師は何が起きたのか分からず困惑するが、少なくとも「誰かに邪魔されている」ということは察したようで、すぐにその場から走り去る。そして、その魔法師の足音から異変を察したのか、老紳士と何か会話を交わしていた「客人」もまた、すぐにその場から立ち去って行った。
「どうします? 今から追いますか?」
「いや、どちらにしても間に合わない。それよりも先に、クロード先生に連絡だ」
「分かりました」
「それと……、ありがとう。お前のアシストがなかったら、打ち消せなかったかもしれない」
ゼイドにとっては、これは初めて経験する「他の誰かとの共闘」であった。
「そのための魔法なんだから、当たり前でしょう」
マシューはそう答えつつ、クロードに事の次第を報告する。そしてゼイドは「別働隊」がどこかに潜んでいる事態を警戒しながら、そのまま張り込み調査を続けた。
なお、この後にマシューが確認に赴いたところ、どうやらこの時の「客人」は、ユーミルの老執事に対して「道に迷ったので、ウィンザリア(大工房同盟に所属するランフォード地方の国)の邸宅への行き方を教えてほしい」と言っていたらしいが、ウィンザリア邸まではかなり遠く、説明に難儀していた途中で、唐突に「大体分かった、ありがとう」と言って去って行ったらしい。この状況から察するに、やはり彼等は「ユーミル邸に忍び込もうとしていた何者か」であり、スリープの魔法をかけるために門の前まで呼び出しただけ、という可能性が高そうである。
そうなると、少なくともユーミルが今回の黒幕であるという可能性は低そうに思えるが、まだ今後この地で何かが起きる可能性があると判断した上で、二人はもうしばらくこのまま張り込み調査を続けることにした。
***
バルレア半島の国々を指す言葉として「バルレア三国」と「バルレア四国」という二種類の呼称が存在する。前者の場合はアスロフィ・ユーミル・ウィステリアを指す言葉として用いられるのに対し、後者の場合はそこに、バルレア半島の南方に存在するサンドルミア辺境伯領が含まれる。
サンドルミアは厳密に言えばバルレア半島の国家ではない。しかし、バルレア三国に対して極めて強い影響力を持っていることから、バルレア政治を語る上では外せない存在である。この世界が幻想詩連合と大工房同盟の両勢力に分かれて争うようになってから約50年が経過したが、「始祖君主レオン以外に一度も聖印を捧げたことがない」と自負するサンドルミア辺境伯家は未だにどちらの陣営にも組みせず、大陸南東で展開されている「アルトゥーク条約」にも参加の意志を示そうとはしない。どの陣営から見ても「不気味な存在」であった。
そんなサンドルミアへの張り込み調査の拠点として絶好の位置(真向かい)に存在していたのが、旧ペンブローク子爵邸である。現在は空き家で、しかもフェルガナが管理人である以上、張り込み捜査の潜伏場所としてはこの上なく都合の良い条件が揃っていた。その上で、「この邸宅の裏事情」を知る
ディーノ・カーバイト
と
エルマー・カーバイト
に、この地の担当者に指名する(事情を知らない者達には「この二人を選ぶ理由」が見出だせなかったため、傍目には「余り物のカーバイト一門」をまとめたようにしか見えなかった)。
「体力は俺の方があるから、俺が16時間監視する。で、俺が8時間寝てる間はお前が担当する。それでいいな?」
先日のアイアンウィルの試験を通じて「根性」にも自信をつけたディーノがそう言うと、エルマーは冷静に答える。
「配分は別にそれでもいいけど、少なくとも16時間連続は無茶だよ。もう少し小刻みに交替しないと、集中力が続かない。アイアンウィルを覚えたことで精神力は鍛えられたかもしれないけど、何かの異変に気付けるかどうかの洞察力を維持出来るかどうかは、それとはまた別次元の問題だからね」
ここ最近、あまり人前に出ることがなかったエルマーは、いつのまにか(傍目には少女にも見えそうなくらいに)髪が伸びていた。彼は補講でクールインテリジェンスを修得して以来、自由時間にも独学で魔法などの研究を進めるようになったことで、以前よりも理知的な思考が身につくようになっているようである。
「まぁ、それもそうか。じゃあ、とりあえず、お前がベストだと思うシフトを組んでくれ。俺はそれに従うから」
「分かった。それなら……」
エルマーがそう言ってタイムスケジュールを紙に書き始めると、そこにこの邸宅の「管理人」であるアルヴァン(下図)が、紅茶を持って現れる。
「もし、人手が足りない時があれば、いつでも私に言ってくれればいい。この館の前で混沌災害など起こされては敵わんからな」
「そうだね。人手が足りなくなったら、猫の手も借りることにするよ」
「とりあえず、悪いことする奴がいるなら、絶対に止めなきゃな!」
二人と一匹はそんな言葉を交わしつつ、サンドルミア邸の監視を始める。ただ、本来は「空き家」である筈のこの建物の中に「人がいる」と思われてはいけない、という意味では、有人邸に張り込んでいる者達とはまた違った難しさがある。ディーノもエルマーは物音を立てないように(「窓から覗かれている」とも気付かれぬように)慎重な姿勢での監視を心掛けていく。
だが、大国であるサンドルミアの別邸は使用人の数も多く、そして出入りする客人も多いため、その中に不審者が紛れ込んでいるかどうかの判断は難しい。それでも数日間に渡って調査を続けていく中で、エルマーはある時、使用人の一人に奇妙な違和感を感じた。それは、とある雨上がりの日の出来事である。
「妙だな……」
「どうした、エルマー?」
「今、屋敷から出てきたあのメイド服の女性なんだけど」
エルマーが指差した先には、長い金髪を無造作に下ろした若い女性が歩いている。服装からして、サンドルミアの邸宅で働いている使用人のように見えた。
「ん? あぁ、彼女か。俺も何度か見たことはあるぞ」
「あの人、湿気の多い日は髪が乱れやすいみたいで、今日みたいな日は、大体いつも編み込んでるんだよ。でも、今日は普通に降ろした状態で外に出てる」
「いや、それはたまたま今日は髪の調子がいいだけなんじゃ……」
「最初はそうかと思ったんだけど、よくよく見てみると、あまりにも髪が整いすぎてるというか、なんか髪の揺れ方自体が不自然にも見えてきたんだ」
エルマーがそう指摘した時点で、ディーノは修学旅行の時にハルナに見せてもらった「ヒーローショー」を思い出す。あの時、彼女は「ひそかな悩み」として、こんなことを話していた。
「マントをたなびかせるイメージって、作るの大変なんですよ。その時点で吹いてる風に合わせて自然に揺れてるように見せるなきゃいけないから」
ハルナはサイレントイメージの魔法を、自分の身体の上からかぶせることで、周囲に対して自分の姿を別人(ヒーロー)のように見せていた。だが、それもあくまで「自分自身が生み出したイメージ」なので、周囲の環境に合わせて「揺れ方」などを微妙に変化させることは(あの魔法を極限まで極めたと言っても良いハルナですら)難しいらしい。
「そうか……、サイレントイメージっていう可能性もあるな。よし、それなら俺が確かめる。お前は、もう少しここで様子を見ててくれ!」
ディーノは木刀を持って外に出ようとするが、そこでアルヴァンが呼び止める。
「待て、行くならこの『抜け道』を使え。これで屋敷の外まですぐ出られる筈だ」
彼はそう言うと、妖精としての力を駆使して、時空を捻じ曲げた「移動穴」を作り上げる。ディーノがそこに飛び込むと、彼は一瞬にして外に出て、そして「金髪の女性」の後をすぐに追いかけた。すると、その足音に気付いた女性はすぐに立ち止まると同時に振り返った。
「そこのあんた! ちょっと聞きたいことがある!」
「なんですか?」
その女性は、やや上ずった声でそう答える。ディーノはその声を聞いて「どこかで聞いたことあるような……」と思いつつも、そのまま問いかける。
「あんた、本物か?」
「は?」
「あんたは本当にサンドルミアの使用人なのか、って聞いてるんだ」
「どうして、そんなことを?」
「いや、なんかその……、色々不自然なんだ! あんたが!」
先刻のエルマーの指摘を上手く説明出来ないディーノがそう叫ぶと、その金髪の女性は、ディーノにとって「明らかに聞き覚えのある声」で答えた。
「お前……、詰問するなら、ちゃんと言葉と手順を考えてから来いよ」
「え? その声……」
ディーノが困惑する中、その金髪の女性は自分の周囲に漂っていた「魔法」の映像を解き、真の姿を現す。それは、彼等の師匠(養母)カルディナ・カーバイト(下図)の姿であった。
「なんで先生がここに!?」
「こっちの台詞だ! まったく、私のサイレントイメージを見破ったのは褒めてやるが、今の言い方では、お前の方が不審者扱いされるぞ」
「いや、その、すみません……。実はフェルガナ先生からの依頼で……」
「フェルガナの?」
「ご存知ではないんですか?」
「知らんな。まぁ、何か連絡があったかもしれんが、覚えてない」
そう答えたカルディナに対して、ディーノが一から事情を説明する。
「ほう……、そんなことが起きていたのか」
「先生がサンドルミア邸に潜入していたのは、それは別件なんですか?」
少なくともディーノの目には、現在のカルディナは「館の使用人に化けて潜入調査をしていた帰り道」に見える。
「ん? あぁ、まぁ、そうだな。うん。私は私で、それとはまた別件の『サンドルミアの闇』について調べていたんだ」
「それって……」
「詳細は話せん。これはお前達に話せるようなレベルの話じゃないからな」
なお、カルディナが語るところの「闇」の正体とは、最近になってサンドルミアの邸宅の地下で密かに設立された「裏カジノ」である。当初は一部の貴族だけが密かに出入りする「禁断の遊び場」であったが、その存在を嗅ぎつけたカルディナが「存在をバラされたくなかったら、私にも遊ばせろ」と言って押しかけ、今ではすっかり常連客となっている(なお、無許可の娯楽施設を勝手に運営することは、エーラムにおいても原則禁止されているが、実際にはこのような形で黙認されている事例も多い)。
「それは、今回の闇魔法師やヨハネス陛下の件とは無関係なのでしょうか?」
「まぁ、関係ないと思うぞ。少なくとも、あの邸宅の中に闇魔法師が隠れているとしたら、その気配に私が気付かない筈がないからな」
何を根拠にそう断言出来るのかは分からないが、それでもカルディナが言うとそれなりに説得力が感じられる。
「まぁ、そんな訳だ。フェルガナには私の方からも一言入れておく。ご苦労だったな」
そう言って、カルディナはディーノの前から去っていく。ディーノは何か今ひとつ釈然としない気持ちを抱きながらも、師匠の魔法を見破ったエルマーの洞察力に改めて感服しながら、旧ペンブローク邸へと引き返すのであった。
******
(厄介な……よりによってアストロフィ……)
フェルガナの要請に応じて「聞き込み班」に加わった
ジュード・アイアス
は、内心でそんな感慨を抱きつつ、商業関係者のツテを頼って、アストロフィ関連の情報を集めていた。彼の実家における「師匠」はウィステリア騎士団の一員であり、アストロフィとは微妙な関係にある。バルレア半島の問題ということであれば、彼にとっても他人事ではないため、ともかく真相を確かめなければならない、という気持ちは他の魔法学校の学生達よりも強かった。
その上で、アストロフィとの繋がりが深い老舗の行商人と対話する機会を得たジュードは、彼から同国に関する詳しい話を聞けるだけ聞き出すことにした。
「まぁ、エーラムでこんなこと言えた話じゃあないが……、正直、アストロフィのお偉方がパンドラと繋がってるってのは、普通にありえる話だろう。そもそも、アストロフィには昔から、エーラムに対して不信感を持ってる者が多いからな」
「ほう」
「バルレアは混沌濃度が高いから、庶民の中には『エーラムからの支援だけでは混沌災害に対応しきれない』と考えている者が多い。魔法師協会側の理屈としては『聖印の規模に応じた適切な
サポート』をしていると考えているのだろうが、それだけでは生きていけないから、中には『聖印が無くても助けてくれるパンドラ』にすがりたくなる奴もいるということだ。まぁ、これはバルレアに限らず、対魔境の最前線で暮らしている者達全般に関して言えることなのだがな」
実際のところ、バルレア・パンドラは瞳を守ろうとしているという説はあるが、一方で、瞳に手を出さない限りは、直接的に危害を加えることはないとも言われている。その意味では、パンドラと協定を結んだ上で、「瞳」からの被害を最小限に抑えながら生きるという道も、彼等にとっては現実的な選択肢の一つなのかもしれない。
逆にユーミルにおいて聖印教会が勢力を伸ばしているのも、そういった「エーラムへの不信感」という背景事情は共通しているのだろう。君主達に「爵位」という名のお墨付きを与えることで、君主同士の「陣取りゲーム」を奨励し、魔境討伐をおろそかにすることを黙認しているエーラムのことを「世界をオモチャにしている特権階級」のように考えている者も多いらしい。
「で、今のアストロフィは、庶民から成り上がった邪紋使い達を中心とする傭兵団が政治の実権を握っているから、余計にエーラムに対して冷ややかな視線を向ける傾向が強いという訳だ」
「だとすると、このタイミングでヨハネス陛下をわざわざエーラムに留学させる、というのも妙な話ですね」
「まぁ、陛下の後見人であるフラメア団長は『現実』が分かっている人だろうから、なんだかんだでエーラムの力が必要だってことは分かっているのだろう。だからこそ、この機会にエーラムとの関係を修復しておきたいと考えたのかもしれん。それを可能にしたのは、ノギロ師のおかげもあるだろうがな」
「ノギロ先生が?」
「あの人は昔、冒険者として世界各地を旅してたことは知ってるだろう? で、今のアントリア子爵ダン・ディオードと一緒に、バルレアの瞳の攻略作戦に参加してくれたこともあったのだ。まぁ、結局、当時の地元の君主達とダン・ディオードの折り合いがつかなくて、瞳攻略が実現出来ないままバルレアから去ってしまったんだが、フラメア団長を初めとする多くの邪紋使い達が、その時にノギロ師に助けられたことがあって、あの人に対してだけは、他のエーラムの魔法師達とは違う、特別な信頼を置いているらしい」
若い頃のノギロが各地を旅していた、という噂は聞いたことがあったが、そこまで詳しい話は初耳である(そもそもノギロはあまり自分の過去を語らない)。そして、ここで何かが引っかかったジュードは、クールインテリジェンスを用いてこの状況を整理してみる。すると、今まで見落としていた「ある盲点」に気がついた。
(もしかして、ノギロ先生は何かを隠しているのでは?)
ノギロは口が固く、信義を重んじる人物である。それはオーキスの一件の時からも明らかであり、誰かから「秘密」を託された場合、余程のことがない限り、それを表に出すことはしない。そんな彼の性格を考えれば、自分に対して格別な信頼を寄せているアストロフィの面々から何らかの「秘密」を打ち明けられた場合、誰にも告げずにその秘密を彼自身の中で留めている可能性は十分にありうる。
ただ、その一方でノギロは公正な人物でもある。いくらアストロフィの面々との間で個人的な友誼があったとしても、それを理由に他の人々に不利益をもたらすような政治的陰謀に協力するとも考えにくい。もし彼が何らかの秘密を握っていたとしても、それは彼自身が「秘密にしておくことで、多くの人々にとって望ましい結果がもたらされる」という判断の上で黙っていることなのだろう。
(問題は、その判断が正しいかどうか、ですが……、どちらにしてもノギロ先生は今、研究室に籠もりきりのようですし、僕が話を聞きに行ける状態ではないですね……)
ジュードはそんな感慨を抱きつつ、しばらくそのまま話を聞き続けるが、結局、直接的に闇魔法師に繋がりそうな情報には辿り着けなかった。
***
一方、ジュードの義兄の
エイミール・アイアス
は、ひたすら足を使って、手当り次第に聞き込み作業を続けていた。アストロフィを初めとするバルレア四国に関する情報を手当り次第に探ってみた結果、とある薬屋にて、こんな証言を手に入れたのである。
「そういえば、今のアストロフィ邸の人が、よく二日酔いの薬を買いに来ててね。なんでも、主人が酒に溺れることが多いんだとか」
「ほう? 主人というのは、その邸宅の主ということか?」
「多分そうだろうね。ハーラル様っていう人で、アストロフィ伯爵家の分家に当たる人らしいんだけど、どういう人かはよく知らない」
その話を聞いたエイミールは、次に酒屋に赴くことにした。それだけの大酒飲みなのであれば、どこかの店で大量の酒を購入しているのではないかと判断し、そこからアストロフィ邸の主についての情報を聞き出そうかと考えたのだが、何軒か回ってみてもアストロフィ邸の御用達と思しき店は見つからなかった。
(ということは、家ではなく酒場で飲むタイプか?)
そう判断したエイミールは、今度は貴族街の中の高級酒場へと向かう。名門貴族の子弟であれば、大衆酒場ではなく、このような高貴な雰囲気の店だろうと踏んだ上で、店員や常連客達に話を聞こうと試みたのだが、あっさりと門前払いを食らってしまう。一応、この世界では「13歳」で酒を飲む者もそこまで珍しくはないが、この店は高級店ということもあって、「紳士淑女専用」という原則になっているらしい。
「この僕が紳士ではないとでも言うのか!? この輝ける星! 数多の光の下に生まれた時代の寵児にして、高貴なる血筋と優雅なる魂を持ち合わせたこの僕が紳士でなくて、一体誰が紳士だと言うのだ!」
「分かったから、せめてあと3年経ってから来てくれ。あと、最低限でも男爵級以上の名門貴族の招待状を持って来るんだな」
そう言われて、あっさりと追い出されたエイミールは憤慨するが、現実問題として、そもそも酒の相場も知らない彼では、情報を聞き出すためにどれくらいの出費が必要なのかも分かっていない。そんな彼が次なる一手をどうすべきかと店の前で考えていたところで、ふと、一人の女声がエイミールに声をかける。
「おぉ、そこにいるのは、ムコ殿ではないか!」
カルディナ・カーバイトである。彼女は先刻、ディーノに正体を見破られた後(前節参照)、フラフラと貴族街を散策していた。
「……僕のことか?」
「聞いたぞ。ウチの娘にプロポーズしたそうじゃないか」
そう、実は先日、エイミールはファッション研究部の同士であるセレネに対して、図書館にて唐突に結婚を申し込むという「奇行」を起こしていたのである(discord「図書館」7月15日)。どうやらその話は、いつの間にか図書館職員を通じて、それなりに知れ渡っていたらしい。
「そ、それは、その通りなのだが……、まだ返事を貰っている訳ではない以上、そう呼ばれるのはやや早い!」
「まぁ、そうかもしれんが、とりあえず、ウチの娘のどこが良かったのか、酒でも飲みながら……、あ、いや、ちょっとまだお前には早いか」
「そうだ……、酒だ! 一つ、お願いしたいことがあるのだが、頼まれてもらえないだろうか?」
「ほう?」
エイミールは事情を説明し、カルディナに、自分の代わりにこの高級酒場でハーラルという人物について調べてほしいと頼む。すると、意外な答えが帰ってきた。
「あぁ、アストロフィのハーラル殿か。知ってるぞ」
「なに!?」
「まぁ、どこで、とは言えないんだが……、ちょっと『大人の遊技場』で最近、顔を合わせることが多くてな」
なお、その「大人の遊技場」とは、サンドルミアの裏カジノのことである。
「どのような人物なのか、教えてもらえないか?」
「んー、まぁ、小物だな。特筆すべき何かがあるって訳でもない。日頃は粛々とおとなしくアストロフィ邸の管理人を務めているようだが、内心では今の立場に不満があるようで、その『大人の遊技場』でも、しょっちゅう酒飲みながら愚痴ってる。本人が言うには、本来ならば自分の方が子爵位の正統な血統らしい」
つまり、内心ではヨハネスの継承に対して不満を持っているらしい。これは、容疑者を絞り込む上でも極めて有益な情報であるように思えた。
「ありがとう! 我が未来の母よ! この情報、この僕が必ず役立たせてみせる!」
そう言って、エイミールはどこかへと向かって走って行った。
「ふむ……、まぁ、それはそれとして、たまにはこういう小洒落たところで飲むのも悪くかな」
カルディナはそう呟きつつ、目の前の高級酒場へと消えていくのであった。
***
(『召喚・魔石像・魔犬・怪鳥・多頭蛇』は、召喚魔法およびそれによって呼び出される投影体を指しているのだろう。特に多頭蛇はタルタロス界における強力な怪物であり、ヘラクレスの天敵だ。ヘラクレスが以前に言ってた「十二種類のガーゴイル」の出現という予兆とも合致する。一方で、『刺客・陰謀・偽者・邪紋』は、誰かに対する暗殺の計画だろう。その標的はヨハネスである可能性が高い。問題は、明らかに異質な『調色板』という言葉……、一体、どういうことだ?)
ジャヤはそんな思考を巡らせる一方で、状況的にもう一つ不自然に思えたことがあった。それは、ヨハネスの護衛が「ライオン型ガーゴイル」一体だけという点である。子爵級聖印の持ち主の護衛としては、あまりにも手薄すぎる。そしてジャヤは義兄のテラと同じ疑問に行き当たる。
(そもそも召喚獣がいるなら、それを制御する召喚者が近くにいて然るべきだ。ヨハネスには召喚魔法師が密かに護衛として近くについているのではないか……?)
現在のエーラムで教えられている正規の召喚魔法学部の課程においては、青(表)の学科にも浅葱(裏)の学科にも「ガーゴイルの召喚魔法」は含まれておらず、前述の通り、基本的には禁呪扱いとされている。だが、召喚魔法師の中には、独自の技術で新たな召喚魔法を生み出す者達も存在しており、青にも浅葱にも属さない召喚魔法を用いる者達も稀に存在する。
そして、ガーゴイルの召喚魔法が実質禁呪扱いなのは、「大量召喚」や「召喚後の圧縮譲渡」などを通じて、「制御出来ないガーゴイル」を生み出してしまうが故に禁止されているだけであり、一人の召喚魔法師が従属体として固定召喚するだけなら、他の召喚魔法と本質的には変わらない以上、さほど咎められることでもないのかもしれない。少なくとも、ノギロが咎めずにエーラムまで連れて来ているということは、きちんと制御出来ている投影体である可能性が高いだろう。しかし、仮にそうだとしても、召喚魔法師が姿を隠す理由が分からない。
(もしかして……、召喚魔法師によって使役される従属体ではなく、偶発的投影によって出現した「自律的かつ友好的な投影体」なのか? それとも、ヘラクレスが警戒する投影体とは全く別種のアーティファクトなのか?)
ジャヤそんな仮説に辿り着いた上で、もう少しこのガーゴイルについて調べてみることにした。エーラム内の記録にないということは、アストロフィに昔から住んでいる「守護神」のような存在なのかもしれない、だとすれば、何か特別な力を持ったガーゴイル一体に護衛を任せるというのも、そこまで不自然な話ではない。そう考えたジャヤは、バルレア方面に縁のある人々を中心に、そのガーゴイルについての情報を集めることにした。だが、帰ってくる答えは一様であった。
「ライオン型のガーゴイルなんて、聞いたこともない」
そのような存在をアストロフィで見たという人物も、噂や伝承を聞いたことがあるという人物も、誰一人いなかった。
(ということは、つい最近になって投影されたばかりの魔物、ということか? だが、そんな魔物一体に、国主の護衛を任せて良いものなのか……?)
ジャヤは困惑しつつ、ひとまずここは他の面々と情報を共有すべきだろうと考えて、他の聞き込み班の面々との合流う場所へと向かうことにした。
***
「なるほど……、ここまでの情報をまとめると、やっぱアストロフィの内側に、今回の不吉な予兆の鍵がありそうやね」
貴族街の一角に位置する北海の雄・ノルド侯爵家の別邸の一室にて、
ヴィッキー・ストラトス
は、ジュード、エイミール、ジャヤの三人の情報を聞いた上で、そう判断した。
ノルドは昔からオクセンシェルナ家と繋がりが深いため、今回の「聞き込み班」の貴族街内での集合場所として、クロード経由でこの部屋が手配されたのである。なお、ヴィッキーはクロードから「聞き込み班のまとめ役」を任された上で、クロードとの間でテレコミュニケーションを通じて直接通話可能な状態となっている。そのため、彼女の下には、図書館班や聞き込み班からの情報もクロード経由で届いていた。
「ウチは念のため、張り込み組の調査対象外の『バルレア地方の周辺地域』の貴族の人達の動向を探ってはみたんやけど、ランフォードも、ブレトランドも、ローズモンドも、あと、ここではあんまり大きな声で言えへんけど、ノルドも、アストロフィとは今んところ接点無さそうやったわ。なんちゅーか、みんな、バルレアにはあまり関わり合いたくないってカンジみたいやね」
実際のところ、アストロフィは連合諸国に、ユーミルは同盟および聖印教会系の諸国に、瞳討伐のための援軍を度々要請してはいるが、どの国もあまり乗り気ではない。いつ終わるかも分からない瞳討伐という途方もない戦いはバルレア人達だけでどうにか解決してほしい、というのが大半の国々の首脳陣達の本音のようである。
ヴィッキーはジュード達の集めた情報をまとめてクロードに伝えた上で、クロード側からも他の班から集まってきた情報を受け取り、それを他の三人に伝える(なお、あくまでもフェルガナの依頼に基づいて参加した面々の情報だけであり、接待組や巡回組の情報まで届いておらず、少女達の病状に関する話もまだクロードには伝わっていない)。すると、エイミールが勝ち誇ったような顔を浮かべながら叫んだ。
「そうか! 分かったぞ! つまり、ハーラルが文官達と手を組んで、現子爵を暗殺して爵位と聖印を剥奪しようとしているのだろう! そこにバルレアの闇魔法師達が手を貸した! どうだ、ジュード! この僕の華麗で明晰なる名推理は?」
「まぁ、そうでしょうね。普通に考えたら、それが一番妥当な可能性だと思います。その点に関しては、ハーラル卿の情報を聞き出してくれた義兄さんのお手柄と言えるでしょう」
珍しくあっさりと義弟に自分の主張を肯定されたことで、逆にエイミールは微妙な違和感を感じる。だが、当然ここで話が終わる訳ではない。
「ただ……、明らかに不自然な点が多すぎるんです。そこまでアストロフィ内の対立があることが分かっていながら、なぜヨハネス陛下をこのタイミングでエーラムに、しかも殆ど護衛を付けずに送り出したのか……。どう考えても、そこが理解出来ない……」
ここで、ジャヤがジュードに問いかける。
「そういえば、お師様の予言の中で唯一、どうしても意味が分からなかった『調色板』という言葉。これについて、何か心当たりはあるか?」
「僕は『ウィザード』の暗喩ではないかと思っています」
ウィザードとは、カルディナやシルーカのように、何種類もの魔法を操る魔法師のことである。エーラムの魔法系統は「虹の七色」でたとえられることが多いため、何色もの色を使いこなすという意味で「調色版」という表現は、確かに言い得て妙であろう。
「なるほど……、ということは、やはりあの護衛のガーゴイルは誰かよほど高位のウィザードが召喚魔法で操っているのか? 時空魔法も使えるなら、姿を消すことも容易だろう」
「逆の可能性として、『虹色の闇魔法師』の陰謀、という可能性もありますけどね」
「それは考えたくもないな……。そういえば『偽物』という言葉については、どう思う?」
「予言の中に『邪紋』という言葉が入っていたので、おそらく『ミラージュの邪紋使い』ではないでしょうか」
ミラージュとは、自分の外見を別の何かへと变化させる能力を持つ邪紋使いである。それに加えて、美しい姿で相手を魅了することによって、誰かを下僕のように扱ったり、戦場で敵を混乱させたりすることも出来る。邪紋使いとしてはかなり珍しいタイプだが、様々な局面で重宝される存在である。
「それは、人以外の者に変身することも出来るのか?」
「高位のミラージュならば、それも可能らしいです」
「ということは、あのガーゴイルが、実はガーゴイルではなく、アストロフィにとっての切り札のような『虹色の魔法師』という可能性もありうるか?」
「確かに、それほどの実力者が護衛ならば、一人だけでも心配ないのかもしれません。ただ、もしそうだとすると、ヘラクレスに結界解除を要求する必要はないと思うのです。もし仮に、姿だけでも結界に引っかかってしまうのだとしても、別の姿に変身すれば良いだけの話ですし。あえて不吉なガーゴイルの姿を真似る必要があるとも思えません」
二人がそんな推理を交わしている間に、ヴィッキーはエイミールが妙にそわそわした様子を見せていることに気付き、声をかける。
「なぁ、セレネちゃん、帰ってくるのが遅うないか?」
「あ、あぁ、そうだな。正直、ちょっと心配だ……」
なお、プロポーズの一件は、ヴィッキーも知っている。
「ほな、迎えに行った方がええんとちゃう? もしかしたら、どこかで何か余計なことにまで首突っ込んでしまっとるかもしれへんし」
「そうだな……、ここは探しに行かせてもらうことにしよう。では……」
エイミールがそう言ったところで、ジュードが横槍を入れる。
「いや、それなら、ヴィッキーさんも一緒に行ってもらった方がいいでしょう。義兄さん一人だと、二次遭難になる可能性があります」
実際、余計なことにまで首を突っ込みそうという意味では、エイミールもセレネと大差ない。
「おい、ジュード! 僕のことを心配するのはいいが、少しは信用を……」
「それにセレネさんがどこにいるかも分からない以上、クロード先生と連絡が取れるヴィッキーさんがいた方が、探しやすいんじゃないですか?」
「まぁ、それは確かに、その通りだが……」
それに対して、ヴィッキーも頷く。
「せやね。ほな、ウチらはセレネちゃんを探しに行くわ。で、ウチがおらんとクロード先生と連絡取れへんから、ジュードくんとジャヤくんは一旦、学内のクロード先生の研究室へ行ってもらえる? 多分、そっちもまだ人手が必要になることはあるやろうから、直接先生から連絡が取れる場所にいてくれた方がええと思うし」
「分かりました」
「では、そちらは任せたぞ」
「ありがとう、ヴィッキー君、そしてみんな!」
こうして、四人は二手に分かれる形でノルド邸を後にした。
***
「なぁ、闇魔法師かガーゴイルのことについて、何か知らないか?」
セレネは貴族街の一角で、道行く人々を相手に大声でそう聞いて回っていた。当然、大抵の貴族達はそんな物騒な話に関わり合いたくないので、無視するように彼女を避けていく。
「うーん、貴族の人達は薄情だぞ……、知らないのは仕方ないけど、そもそも話すら聞いてもらえないなんて……」
そんな彼女の目の前に、二人組の男性が現れる。
「君、闇魔法師とガーゴイルのことについて調べてるらしいけど、それはどうしてかな?」
「詳しいことはセレネには分からないけど、何か悪いことをする人みたいだから、捕まえるための情報を探しているんだぞ。だから、知ってることがあったら教えてくれ」
「そうか。実は僕等も、その件について調べていたところなんだ」
「おぉ! そうなのか!? じゃあ、ぜひ詳しい話が聞きたいぞ!」
「じゃあ、ちょっと僕等の溜まり場のところまで来てくれるかな。そこで色々と話をしよう」
そう言って、二人はそのままセレネを連れて人通りの少ない道へと向かう。そして、あまり人がいなくなった時点で、唐突にセレネは眠気に襲われた。
「あれ? なんだこれ……、これって、もしかしてサミュエルちゃんの言ってた、なんとか病……」
そうしてセレネはゆっくりと意識を失っていくのであった。
******
こうして各班がそれぞれに情報収集を進める中、
エル・カサブランカ
は、特殊な手法を使った調査を敢行していた。
彼は、クロードの予言の話を聞いた上で、その中に入っていた「邪紋」という言葉から、先日修得したばかりのロケートオブジェクトを使って「最も近くにある邪紋」の気配を探そうと考えたのである。くしくも、修得試験の時と同じ対象だったこともあってか、今回も彼は見事に邪紋の気配を見つけ出す。
(この方角と距離、ということは……)
彼はエーラム内の地図見ながらその場所を確認すると、どうやらそれは、「エーラムの中心地」の中でもど真ん中に位置することに気付く。
(……大講堂!?)
それに気付いた彼は、すぐさま大講堂へと向かう。だが、それなりに距離があったため、彼が到着するまでの間にかなり時間をかけてしまった。その上で、大講堂の清掃員に話を聞いてみたところ、エルが魔法を発動させた時点でこの大講堂の中にいたのは「ヨハネス」「バリー」「シャーロット」「カロン」「アーロン」「ツムギ」そして「護衛のガーゴイル(クヌート)」だけだったらしい。
(その中に邪紋使いがいるとしたら、ガーゴイルくらいしか思いつかない……、でも、レイヤー:ガーゴイルなんて、いるのか? いや、ガーゴイルは悪魔像として作られることも多いから、レイヤー:デーモンの亜種なのかもしれないけど……)
ここで、もう一つの可能性がエルの中で思い浮かぶ。
(いや……、もしかしたら、この間の人みたいな「凄腕のシャドウ」が姿を消して隠れていたのかもしれない。それがお客人の護衛なら良いのだけど、もし、闇魔法師の仲間だとしたら……)
エルは一刻も早くこの情報を誰かと共有しなければ、と考えた。しかし、彼はあくまで個人で行動していたため、クロードのテレコミュニケーションの通話対象からは外れていたのである。そんな中、唐突に大講堂の近くで聞き覚えのある女性の「一方的な話し声」が聴こえていた。
「いやー、本当なら今日中にブレトランドには帰れる筈だったんですよ。でも、クロード先生がどうしても今、手が離せないから、テレポートの魔法を使う余裕は無いって言われて……」
その声の主は、以前に鉱石採集のアルバイトでエルを雇っていた、ハンナ・セコイア(下図)である。彼女は大きな荷物を持った状態で、魔法杖を用いて誰かと通信しているようだが、その中に「クロード」の名前があったことにエルは反応する。
「……まぁ、それでも馬車と船で帰るよりは先生を頼った方が早いと思うから、とりあえずは今のそのよく分からない案件が片付くまでは待つつもりですけどね。いや、私だって、本当は早く帰りたいんですよ。マスターにも会いたいし、ウチの猫ちゃん達も恋しいし。でも、本当にどうにもならないんですって。だから、またどうにか帰れる目処がついたら、連絡しますから」
彼女がそう言って魔法杖通信を終えた時点で、エルは食い気味に話しかけた。
「あの! ハンナ先輩!」
「え!? あぁ、キミ、エル君だっけ。鉱石採集の時の……」
「はい、その節はお世話になりました。あの、ハンナ先輩は、クロード先生と魔法杖で連絡を取ることは出来ますか?」
「まぁ、そりゃ、出来るわよ。あの人はウチのローガン様とも親しいし、今回もテレポートで国許まで送ってもらおうと思ってたところだったし……」
「それなら、申し訳ないですけど、緊急事態なので、ちょっと連絡を取ってもらえませんか?」
切羽詰まった様子でそう言われたハンナは、素直に魔法杖を用いてクロードに連絡する。
「クロード先生! ハンナです。……あ、いや、違うんです。さっきのテレポートの件じゃなくて、なんかエル君っていう子が、どうしても先生に緊急で連絡しなければいけないことがあるって言ってて……」
彼女はそう言って、エルに魔法杖を向け、そしてエルは一通りの内容をそのままクロードに告げる。そして要件が終わったところで、ハンナは通信を切り、そしてエルにこう告げる。
「あなた、その話を私に聞かせて良かったの?」
「え?」
「私はアントリアの契約魔法師。つまりは大工房同盟の人間よ。アストロフィとは直接的な接点は無いけど、陣営としては敵同士。私がその子爵様の暗殺計画に加担してるかもしれないとか、全く考えなかった?」
「あー……」
完全にエルの中では想定外の話であった。そこまで考える余裕もなかったし、そもそも彼女が「同盟側の人間」という認識すら、エルの中では欠落していたようである。
「まぁ、いいけどね。まだそんなことまで考える立場でも無いんだろうし。でも、キミみたいなタイプは、ウチには来ない方がいいかな。ローガン様の下でそんなことやらかしたら、タダじゃすまないから」
ちなみに、ローガンとは彼女の兄弟子の時空魔法師である。目的のためなら手段を選ばぬ冷酷非道な策士として、敵からも味方からも恐れられる存在であった。
そんな厳しい現実を後輩に突き付けたところで、ハンナは唐突に表情を一転させて、エルに対して興味津々な顔で問いかける。
「ねぇ、ところで、そのヨハネス陛下って、すっごい美少年だって噂で聞いたことあるけど、実際のところ、どうなの?」
「いや、それは、僕はまだお会いしたことはないので……」
「今、どこにいるか分かる?」
「たしか、今日はこの後、マッターホルンで食事をするとか言ってたような……」
そこまで言った瞬間、エルは先刻のハンナの言葉を思い出し、再び焦った顔を見せる。そんな彼の様子を見たハンナは、ニヤけた表情で言い放つ。
「はい! イエローカード二つ目! 敵対陣営の魔法師に要人の居場所を教えるとか、マジありえないわ。てか、むしろ一発レッドカード級の大失態よ。魔法師として不適格! じゃあ、ちょっと私は美少年ウォッチングに行ってくるから!」
そう言って、彼女は(重そうな荷物を持ったまま)マッターホルンへと向かって走り出す。エルは呆然としたまま、さすがにあの人が言ってることは冗談だろうと自分に言い聞かせながら、ひとまず調査を続行することにした。
(連合と同盟、か……。そういえば、「あの人」は君主時代は連合の人だったと言ってたけど、こういう事態にはどう対処していたんだろう……? 闇魔法師とか、詳しいのかな……?)
そんな想いを抱きながら、エルは「自分の四倍の年齢の義弟」に話を聞いてみようと考えた。
***
エンネア・プロチノス
は、今回のフェルガナの調査員募集も、クロードの予言の話も一切知らないまま、個人的な知的好奇心を満たすために図書館を訪れていた。彼は先日の試験の時に感じた疑問(ヴォーパルウェポンのかかった武器に対してのディスペル・マジックの作用)を解消するために、解呪に関する専門書を読み漁ろうと考えていたのである。
ところが、書庫の中におけるその分野の書籍を扱った本棚に辿り着くと、ごっそりと大量の本が抜け落ちていたのである。ディスペルマジック関連だけでなく、混沌によって付与された呪いや(一般的には不可能だと言われている)邪紋の除去方法などについて研究した本なども含めて、まとめて誰かが借りている様子であった。
そして、同じ目的でこの書庫を訪れた人物がもう一人いた。ケネス・カサブランカである(下図)。
「さて……、これは一体、どういうことだ……?」
途方に暮れた様子のケネスに対して、エンネアが問いかける(一応、彼とケネスは過去に講義室での面識はあった)。
「あなたも、この分野の研究を?」
「うむ、そうなのですが……、ここまで一気にまとめて借りられてるのは初めて見ましたぞ。一体、誰の仕業なのでしょうな……?」
二人がそんな会話を交わしているところで、図書館職員のラトゥナ(下図)が現れる。
「その棚の本は、ノギロ先生がまとめて発注されたので、今はあの方の研究室にあります」
「ノギロ先生が?」
「どういった理由かはご存知かな?」
「さぁ……? 何か緊急の案件とは言ってましたが……」
エンネアとケネスが、何やら不穏な(そして、おそらくは興味深い何かが起きていそうな)予感を抱いたところで、今度はエルがその場に現れる。
「あ、やっぱりここにいたんですね、ケネスさん!」
彼はケネスから話を聞こうと考えた上で、彼がいつも訪れているという「解呪関連の書籍庫」へと足を運んだのである。
「おや、兄上。私に何か御用ですかな?」
「あの……、闇魔法師に関して、ちょっとお伺いしたいことがあって……」
唐突にそんな物騒な話を聞かされたケネスは、唐突に表情が(いつもより更に)険しくなる。
「興味本位で聞いているだけなら、お答えすることは出来ませんぞ」
「いや、その、貴族街に闇魔法師が潜伏していると聞いたのですが、闇魔法師って、そんなに頻繁に出没するものなんでしょうか…………?」
「ほう? 貴族街に……?」
どうやら、ケネスもその話は聞いていないらしい。
「その、よかったら君主時代に、そう言った人たちにどう対応していたか、とかを教えてほしいです……。今回のことの役に立つかもしれないので……」
実際のところ、君主時代のケネスは、何度もパンドラの闇魔法師達と裏取引をしてきた経験がある。だが、それはそう易々と話せる話ではないし、そもそも一般論化出来る話でもない。
「とりあえず、その『貴族街に潜伏している闇魔法師』について、もう少し詳しく教えて頂けますかな?」
ケネスにそう問われたエルであったが、彼のところには調査班の他の面々の情報までは届いていないため、一般公開されているフェルガナの募集の話と、クロードの予言の話と、そしてつい先刻彼自身が気付いた「現在のヨハネスの周囲に邪紋の気配がする」という話を告げる。
すると、ケネスは唐突にニヤリと笑った。
「なるほど……。そうか、ヤツが絡んでおったか……」
「……ケネスさん?」
エルが困惑している中、ケネスは不敵な笑みを浮かべたまま語りかけた。
「兄上、そういうことならば一つ、クロード師にお伝えせねばならぬ件がございます」
「そうなんですか?」
「この事実を知る者は、おそらくこのエーラムの中でも儂一人のみ。兄上、お手数ですが、この愚弟をクロード師の元までお連れ下さい」
こうして、エルはケネスと、そしてなりゆきでエンネアも同行する形で、クロードの研究室へと向かうことになるのであった。
***
今回の「闇魔法師対策本部」はクロード・オクセンシェルナ(下図)の研究室に設置され、そこにフェルガナも常駐していた(フェルガナではなくクロードの部屋が選ばれたのは、単に立地の利便性の問題である)。
現在、クロードは各調査班の代表者達との間でいつでも通話出来る状態にするために、テレコミュニケーションを複数人に対して「開きっぱなし」の状態にしている。これは相当に精神力をすり減らすことになるため、彼は集中力を維持するために目を閉じ、瞑想しているような様相で来訪者達との対話に応じつつ、時折かかってくる魔法杖通信にも応答しながら、状況の全体像を把握しようと試みていた。
そんな中、
テオフラストゥス・ローゼンクロイツ
と
ジョセフ・オーディアール
という(動機は真逆ながらも)時空魔法師志望の二人は、本部に常駐することで彼の情報処理の
サポートをしつつ、「刺客・陰謀・偽者・調色板・邪紋・召喚・魔石像・魔犬・怪鳥・多頭蛇」というクロードの予言について、彼の目の前で改めて議論していた。
テオフラストゥスとしては、過去のクロードの助言と、修学旅行での経験を通じて「何処であっても学ぶことはある」ということに気付いた上で、今回の事件に関しても(自分よりも遥かに格上の魔法師達がいる中で、自分の推理がそこまで役に立つとは考えていなかったが)「時空魔法を読み解く勉強」のつもりで、気楽に参加していた。
「『魔石像』『魔犬』『怪鳥』『多頭蛇』は、おそらくヘラクレスの神殿が阻止していた異界のガーゴイルで、彼の伝承にあるケルベロス、スチュパリデス、ヒュドラのガーゴイルが出現するということでしょう。『召喚』はその件がらみに思えますが、侵入したらしい闇魔法師がサモナーという線はありうるのでしょうか? 或いは、魔獣園ならガーゴイルでない本物がいる、とか?」
それに対しては、クロードの横にいたフェルガナが答えた。
「少なくとも『多頭蛇』と呼べるような魔獣は、ウチの魔獣園にはいない。おそらく、それに関してはヘラクレスの指摘していた通り、『彼の宿敵を模したガーゴイルが出現する』という方面で間違いないと思う。実際に、そのような技術を持つ者は過去にもいるようだしな」
召喚魔法師であるフェルガナも、当然のことながら「ガーゴイルを召喚する魔法師」の存在については把握している。続いて、今度はジョセフが発言する。
「私も、後半の五つに関してはそれで間違いないと思います。その上で、おそらく最初の『刺客・陰謀』はヨハネス殿への刺客と考えます。理論上は、ヨハネス殿が刺客である、という可能性もありえるかと思いましたが、『ヨハネス殿でないと襲えない相手』が思いつきませんし、『誰でも襲える相手』ならヨハネス殿が襲う理由が無いので。ですから、それらのガーゴイルを召喚した闇魔法師が襲おうとしている相手が、おそらくはヨハネス殿でしょう」
それに対して、テオフラストゥスが再び口を開く。
「私も、最初の二語に関してはその可能性が高いと思われます。ただ、気になるのはその後の『偽物』『邪紋』です。子爵がミラージュによる変装による偽者だった場合、その『偽物』が刺客の可能性があるようにも読めます」
確かに、腕利きのミラージュであれば、刺客としても間違いなく一流である。それに対して、ジョセフはこう語る。
「その可能性は私も考えました。『偽物』と『邪紋』の間に存在する『調色板』という言葉からは、色、すなわち視覚を欺く相手としての『ミラージュ』という憶測は成り立ちます。しかし、だとしてもそのミラージュが、なぜヨハネス殿に化けるのか、その動機が思いつかなかったのです。ヨハネス殿に化けることで暗殺しやすくなる対象とは、一体誰なのでしょう?」
「確かに、そこは私にも分かりません。ただ、彼が偽物だと仮定すれば、『ヘラクレスの抑制効果の対象となるガーゴイル』をわざわざ護衛として連れてきていることの不自然さにも理由が見えてきます」
「……つまり、闇魔法師の仲間のミラージュがヨハネス殿に化けて、その護衛という名目で『獅子のガーゴイル』をエーラムに連れて来ることで、ガーゴイル結界を解除させること自体が目的、ということですか?」
「あくまでも一つの可能性ですが、そう解釈することも出来るということです。無論、ノギロ先生がそう簡単に騙されるとは考えにくいので、可能性としては薄いでしょう。或いは『偽物』は『護衛のガーゴイルが偽者に入れ替わっている』という意味か、もしくは『これから偽物と入れ替えられる』という読み方も出来ると思います」
いずれにせよ、これらの予言の言葉だけでは推測は難しい。だが、ここから徐々に各調査班および他の教員達(バリー、アルジェント、メルキューレ)の情報が入ってくるにつれて、可能性は少しずつ絞られ始めていくことになる。
- ヨハネスはバルレアの瞳の攻略に対して積極的な姿勢である。
- アストロフィの文官の大半はヨハネス体制に反発している。
- バルレアのパンドラはバルレアの瞳の攻略を妨害している。
- バルレアの瞳では「身体だけ投影体となる怪現象」が起きる。
- ガーゴイルの大量召喚には相当な時間を費やす必要がある。
- ガーゴイルを小型化して持ち歩くことを可能にする者もいる。
- アストロフィ邸に『姿を消して出入りしている者』がいる。
- ユーミル邸の管理人を眠らせようとする不審人物達がいた。
- ウィステリア邸およびサンドルミア邸には怪しい動きは無い。
- アストロフィにはエーラム嫌いが多いが、ノギロだけは例外。
- アストロフィ邸のハーラルは今の自分の立場に不満がある。
- 「ライオン型ガーゴイル」はバルレア人にも知られていない。
- バルレア外の国々がアストロフィに干渉しそうな気配はない。
- ヨハネスは「ガーゴイルには触れないように」と言っている。
- ヨハネス自身は聖印を掲げた状態でガーゴイルを抱えていた。
- 下町に「闇魔法師の隠れ家」と思しき場所を発見(調査中)。
- 貴族街で「闇魔法師の手下」と思しき者を発見(詰問中)。
ここまで情報が出揃った時点で彼等の思考は「アストロフィ内における反主流派による暗殺計画」ではないか、という憶測が強まっていく。そんな中、テラ、ティト、イワン、ジャヤ、ジュードなどもこの本部に駆けつけ、情報共有しながらそれぞれの推理を展開していくことになるのだが、そんな中で唐突に、ハンナ経由でエルからのこの情報が届けられる。
- 現時点でヨハネスの周辺に「邪紋」の持ち主が潜んでいる。
この話を聞いた時点で、ジョセフが宣言した。
「私をヨハネス殿の護衛に向かわせて下さい!」
実際のところ、攻撃魔法が使える訳でもないジョセフが向かったところで、大した戦力にはならないだろう。だが、クロードは条件付きでそれを了承した。
「分かりました。では、私の方からあなたにもテレコミュニケーションの『通話』を開いておきます。何かあったら、すぐに言って下さい。とりあえず、今からならば『マッターホルン』で合流すれば良いでしょう」
一応、現場にはバリーがいるものの、もし本格的な戦闘が発生した場合はバリーが魔法杖通信に応じる余裕も無くなるかもしれない、という可能性を考えると、いざ時の連絡役は複数人いた方が安心出来る。
そして、ジョセフが去った後も、残った者達での推理が続く。
「こうなると、ヨハネス殿の正体がミラージュ、という可能性もありえるのでしょうか?」
「いや、聖印を掲げている以上、それはないでしょう。さすがに邪紋で聖印は模倣出来ません」
「そうなると、やはりシャドウが姿を隠して潜んでいるのか、もしくはガーゴイルの正体がレイヤー系の邪紋使いということか……?」
「最悪の場合、学生達の誰かとミラージュが既に入れ替わっているという可能性も……」
「ここは、学園案内を一旦中止して、一人一人の現状を確認した方が良いのでは?」
「少なくとも、マッターホルンの警備は……、増やした方が、いいのかも……、知れません……」
彼等がそんな会話をが繰り広げる中、唐突に誰も想定していなかった人物からの新情報が届けられる。それはユタからクロードへの魔法杖通信である。
- ガーゴイルに触れた女性学生の身体がガーゴイル化しかけた。
- タルタロス界の女神ヘカテーのおかげで今は回復傾向にある。
その話を聞いた瞬間、ミラと縁のあったテラとジャヤが動揺する一方で、イワンとティトはヘカテーの名が出てきたことに驚く。そして、この段階でクロードは何かを悟ったような表情を浮かべた。
「なるほど……、ようやく見えてきた気がします。全容が……。しかし、まだそれでも完全な結論には至れていない。私の中ではほぼ仮説は確立しつつあるのですが、どうしても、まだ『調色板』だけが読み解けない以上、他の可能性が排除しきれないのです」
彼がそう呟いたところで、息を切らしながら廊下を走ってくる初老の男性と二人の少年足音が聴こえてきた。
「クロード師にお伝えしたき儀がございます!」
年甲斐もなく全力疾走したことで疲労困憊のケネスが、扉を開きながら大声でそう叫んだ。その後には、義兄のエルと、なりゆきで同行したエンネアの姿もある。
「どうなされた? ケネス殿」
「皆様の頭を悩ませているであろう『調色版』の正体についてお話させて頂こうかと思い、馳せ参じました」
その瞬間、皆の視線が一気にこの老新入生に集まる。そして彼は、これまで誰にも話したことのない「真相」を語り始める。
***
「なるほど、よく分かりました。ありがとうございます、ケネス殿。おかげで、ようやく全ての話が完全に繋がりました」
より正確に言えば、ユタからの情報の時点で、クロードの中ではほぼ推理は組み上がっていた。その正しさを立証するための最後のピースが今、届いたのである。
そして、調査活動を依頼したフェルガナが、この場にいる者達に告げる。
「皆、ご苦労だった。皆のおかげで、どうやら最悪の事態は免れそうだ。感謝する。そして、これでもうお前達の役目は終わりだ。ここから先は『大人の仕事』だからな」
彼女がそう告げるが、それに対してジュードが反論する。
「申し訳ないですが、まだセレネさんが見つかっていない以上、僕はここを動く訳にはいきません。今日だけは、サービス残業させて頂きます」
「そうか……、そうだったな。まぁ、大丈夫だとは思いたいんだが……」
フェルガナとしても、盟友の養女である以上、セレネのことは心配である。それに対して、クロードが横から口を挟んだ。
「では、フェルガナ先生は闇魔法師検挙の『作戦指揮』をお願いします。私はここでもうしらばく、連絡役を務めさせて頂きますから」
「そうか……、すまない!」
フェルガナがそう言ってクロードの研究室を後にする。一方、クロードはジョセフにテレコミュニケーションで連絡を入れることにした。
「ジョセフ君、計画変更です。護衛対象は『ヨハネス陛下』ではなく……」
(to be continued to
解決編
)
最終更新:2020年08月06日 14:29