「バルレアの魔城」第3話(アストロフィ編)
1-1、再会の誓い
バルレアの瞳の跡地に築かれつつある魔城から、三人の男女が逃亡した。いずれも、ユースベルグ男爵の側近だった者達である。
「ふぅ、ここまで来れば大丈夫だろう」
槍を持った重装備の大男が、周囲を見ながらそう言った。彼の名はレオンハルト・スパルタ(
第1話PC③)。ユースベルグ男爵の宿将達の中では「守りの要」と言われた邪紋使いである。
「ここまで来れば、追手も来ないでしょうね」
後方を確認しながら、レオンハルトとは対照的な優男がそう呟く。彼の名はルクス・プリフィカント(
第2話PC①)。ユースベルグ男爵の「知恵袋」と呼ばれた騎士である。
「しかし、油断は出来ない。迅速に動くべきかと」
そう二人に告げたのは、鉄爪を右手に装着した若い女性であった。彼女の名は、ミリア・ベルナール(PC⑤)。弱冠17歳にして「ベルナール流アンデス空手」と呼ばれる特殊な格闘術を極めた武術家である。それは彼女の亡き父が異界の投影体から学んだ戦闘術であり、それ故に、戦っている時の彼女の出で立ちは邪紋使いか投影体のようにも見えるが、彼女もまた、れっきとした聖印を持つ騎士であった。
彼等三人は、魔王と化してしまった主君と袂を分かち、魔王を討つための共闘を周辺諸国に求めるために、決死の覚悟で魔城を脱出したところであった。
「私はウィステリアに向かおう。かの地の最前線の領主のサラとは顔見知りだ」
「私はユーミルに行きます。聖印教会の強い土地柄である以上、共闘を促すのは難しいかもしれませんが、だからこそ、聖印を持つ私が望ましいかと」
レオンハルトとルクスがそう語ったのに対し、もう一人の聖印の持ち主であるミリアは、西方に目を向けながら言った。
「では、私はアストリアに行こう」
「一人で大丈夫ですか、Lady?」
ルクスが心配そうに言ったのに対し、彼女は毅然とした態度で答える。
「私には『空手』がある」
そう言われたルクスは、かつて、彼女の身体の女性的な部分にうっかり(?)触れてしまいそうになった時に(注:ルクスには妻子がいる)、彼女の拳で吹き飛ばされたことを思い出した。
「あの時は酷い目に遭いました」
「すみません」
「いや、あれは私が悪い」
一応、本能のままに行動するルクスにも、行動した後で反省する心はあるらしい。ミリアとしては、むしろ他人を支援する力に特化した聖印の持ち主であるルクスの方が、一人で行かせるには心配であったのだが(そして実際、その懸念はこの直後に的中することになるのだが)、魔城の脅威が広がりつつある中、迅速に三国同盟を結成させるには、三人が手分けして各国に向かう以外に道は無かった。
「では、道中お気をつけて」
ミリアはそう言って、二人と別れ、アストロフィへと向かう。そこは、彼女以上の実力を持つ一人の女将軍が実質的な最高権力を握る、幻想詩連合傘下の軍事国家であった。
1-2、歌う魔法師
アストロフィの対瞳最前線の地であるジャーニーの街角に、豪奢な装束と美しい宝石を身にまとった一人の女性の歌声が響き渡っていた。彼女の名は、
ウルーカ・メレテス(PC②)。この地の領主の契約魔法師である。
彼女は元々は騎士の家に生まれたものの、病気で身体を壊したことで騎士の道を断念し、家に居辛くなったところで魔法の才能に目覚め、エーラムの名門メレテス家の一員となった。年の頃は20歳であり、宿敵ユーミルのミカエラ・メレテス(
第2話PC③)の義姉にあたる。
彼女の専門は召喚魔法であり、その中でも裏流派(浅葱の系譜)を習得しているため、いわゆる「魔物」だけでなく、異界の武器や道具を召喚することも出来る。彼女はその能力を駆使して召喚した「片手サイズの拡声器」を用いて、街の人々に歌を聴かせることを日課としていた。ただし、彼女の歌声は、格別上手くもなければ、聴かせられないレベルという訳でもない、極めて凡庸な「普通の歌声」である。それ故に、特に住民達からは賞賛も苦情もないまま、彼女はマイペースにのびのびと一人で歌い続けている。
そんな中、彼女の腰のタクトから、(今歌っている曲とはまた別の)彼女自身の歌声が聞こえてくる。このタクトの内部にも、彼女が投影した異界の装置が組み込まれており、誰かからの念話が届いた時に、その歌声が流れる仕組みとなっている。歌の途中で邪魔された形になった彼女がしぶしぶタクトを取ると、そこからは壮年の男性の声が聞こえてきた。
「吾輩だ」
その声の主は、現アストロフィ子爵ヨハネス・エバンスの主席魔法師を務める時空魔法師セブンス・ミラーである。アストロフィ傘下の地方領主の契約魔法師であるウルーカから見れば、実質的な上司のような存在と言って良かろう。
「セブンスさん、どうかしたんですか?」
「長電話になってもいいか?」
「はい。今は、せっかく歌ってるのに、周りにお客さんいないので、平気です」
「そうか。じゃあ、暇だな」
「一応、もうしばらくしたら、誰か来きに来てくれるかもしれないんですけど……」
彼女のそんな言い分は無視して、セブンスは彼女に用件を伝える。曰く、間もなくこのジャーニーの地に、彼の契約相手であるアストロフィ子爵のヨハネスが視察のために到着するので、彼を迎えるための用意を整えるように、とのことである。なお、ヨハネスはまだ10歳の少年であるため、当然、契約魔法師であるセブンスも彼に同行する。
「はい、分かりました。では、早速、『お出迎え用の歌』を用意しなければ」
「それはいらない。むしろ、警備兵達のための支援物資などを頼む」
「あぁ、そっちもですね」
「そっちが重要だ」
「分かりました。アレス様に伝えておきます」
アレスとは、彼女の契約相手であり、この地の領主を務める騎士の名である。
「頼む。ところで、そちらの街の様子はどうだ?」
「サンドルミアによる瞳攻略以来、悪魔による襲撃が時々起きています。そのせいで皆、私の歌を聴きにくる余裕がないくらいには、出歩かなくなってます」
なお、一般市民の外出が減っているのは確かだが、「悪魔の襲撃」と「彼女の歌を聴きに来る者がいないこと」との間に因果関係があるかどうかは、定かではない。
「分かった。では、こちらも気をつけて向かうことにしよう。そちらも準備をよろしく頼む」
そう言ってセブンスが念話を終えると、彼女は強い決意を込めた表情を浮かべる。
「よし、早速皆に伝えて、歌の準備をしなければ」
そう呟きながら、彼女は領主の元へと向かうのであった。
1-3、赤い月光
現在のアストロフィ子爵領において、実質的に政治の実権を握っていると言われているのは、幼き子爵ヨハネスの後見人を務めるフラメアという名の邪紋使いである。彼女は傭兵団「赤い月光」の団長であり、アストロフィにおける「武」の柱と言われている。
このジャーニーの領主であるアレスの傘下には、その「赤い月光」出身の古参の将が武官として仕えていた。彼の名は、アニュー・セルパン(PC③)。45歳の邪紋使いである彼は、若い指揮官が揃うこのジャーニーの地においては異色の存在であるが、フラメアの推薦によってこの地に仕官することになった経緯もあり、中央で権力を握る彼女との実質的な仲介役としての立場も担っている。
見た目は無精髭を生やした無骨者といった風貌で、一見すると強面な外見ではあるが、質実剛健な忠義者として、周囲からの信頼は厚い。何より、異界の英雄である「円卓の騎士」の武具を模した「白地に赤十字の盾」を用いたその鉄壁の防御陣は、この街の人々に絶対的な安心感を与える「守護の象徴」と言われている。
そんな彼は、この日も古巣である「赤い月光」の仲間と会うために、街の酒場に足を運んでいた。フラメアからの定期連絡を受け取るために。
「おぉ、久しぶりじゃないか」
酒場で待っていた昔の仲間にアニューがそう声をかけると、伝令役であるその男は、酒瓶を片手にアニューに問いかけた。
「最近の調子はどうだい?」
「魔城から出現する悪魔からの攻撃はあるが、いつも通りだ」
「そうか。ここはアストロフィの守りの要だからな。まぁ、お前がいるなら安心だろうが」
「あぁ、どんな攻撃も、私が引き受けてみせる」
そんなやりとりを交わしつつ、伝令役の男は「本題」に入る。
「この街の領主様が、『瞳の魔城』のことをどう考えているか、知ってるか?」
「いや、私はまだ聞いていない」
「実は、まもなくヨハネス様ご一行がこのジャーニーの地に視察に来る予定でな。当然、我々『赤い月光』も護衛として同行するのだが、どうやらフラメア様としては、そのまま『赤い月光』を率いて、瞳の領域に侵攻しようと目論んでいるらしい。これは、あくまで人またぎで聞いた話なので、本当かは分からないんだが、とりあえず、そうなった時のことを考えて、ここの領主が『瞳の魔城』のことをどう考えているのかが知りたいんだ」
「なるほど、分かった。今後何か分かったら、すぐに伝えよう」
「頼む。どうやらフラメア様も、瞳がサンドルミアに攻略されて以来、焦っているらしい」
「そうか……。あまり無理はしてほしくないのだが」
アニューはそう言って、かつての上司のことを気がかりに思う。年齢的にはフラメアは彼よりも遥かに年下だが、彼にとっては恩人であり、邪紋使いとしての師匠でもあり、そして何より、一人の女性として、彼の中では「特別な存在」でもあった。そんな彼女のことを気がかりに思いつつ、アニューはひとまずこの旨を領主のアレスに伝えるべく、この場を後にした。
1-4、ジャーニー鉄華団
対魔境の最前線基地であるこの街では、傭兵稼業から立身出世を果たしたフラメアやアニューのように、戦場で功績を挙げて有名を轟かせようとする血気盛んな若き傭兵達も多い。そのような傭兵団達の中でも特に代表的な存在が、ウィンス・キャロウ(PC④)という19歳の邪紋使いに率いられた「ジャーニー鉄華団」であった。
この日、彼等は街を襲った魔城からの悪魔を撃退した後、そのまま瞳崩壊後の魔城の様子を探索すべく、かつての「瞳」の領域内にまで足を踏み込んでいた。
「このまま一気に悪魔達を殲滅して、名を上げてやる!」
そう意気込んで更に奥地へと踏み込もうとした彼等であったが、そんな中、魔城の方角から一人の若い女性が、周囲を警戒しながらウィンス達のいる方角へと近付いてくる。弓の名手であるウィンスは他の者達よりも視界が広いこともあり、すぐにその存在に気付いた。
「おーい、そこのお前! そんなところで、 何やってるんだ?」
そう問われた女性は、ウィンスに対して逆に問い返した。
「そこの方々、アストロフィの人達でしょうか?」
「あぁ、俺たちはアストロフィの傭兵団『ジャーニー鉄華団』だ」
ウィンスがそう答えると、その女性も正直に身の上を明かす。
「私はミリア・ベルナール、サンドルミアから来た者です」
「サンドルミアから? このアストロフィに何しに来た? 返事によっては、ただでは済まんぞ」
「いきなり信じろというのは無理かもしれませんが、とりあえず、話を聞いて下さい」
ミリアがそう言うと、ウィンスは素直に頷き、彼女の話に耳を傾ける。ミリアは、ここに至るまでの経緯を、何一つ隠すことなく、そのままウィンスに伝えた。自分の主君が魔王となってしまったこと、魔城の奥地で「危険な魔法装置」が作られていること、そして、それを危険視した自分を含めた脱走者達が周辺諸国に協力要請に回っていることを、一通り説明する。
「ユーミルとウィステリアにも協力要請を?」
ウィンスがそう問い返すと、ミリアは真剣な表情で即答する。
「はい。難しいとは思いますが、一刻も早く魔王を討伐しなければ、手遅れになります。そのためには、彼等との共闘は不可欠です」
そう言われたウィンスは、事態の深刻さを実感する。
「なるほど、そういうことか。話は分かった。ただ、俺達はただの傭兵だからな。とりあえず、ジャーニーの領主のところに来てくれ」
「それは、ここから近いのですか?」
「近くはないが、それほど遠くもない。俺達が案内しよう」
そう言って、ウィンス達は彼女を連れてジャーニーへと帰還する。出来れば、敵の内情を調べるためにも、もう少し奥地まで攻め込みたかったところではあるが、それ以上に重要な情報源となるかもしれない人物を確保した以上、ここは彼女を連れ帰ることが最優先であろうと判断したのである。
1-5、幼君との約束
こうして、にわかにジャーニー近辺の様相が騒がしくなりつつある中、この地の領主である22歳の騎士、アレス・デイン(PC①)は、刻々と変化する情勢に対応するための諸々の政務に追われて多忙な日々を送っていたこともあり、対瞳用に建てられたこの街の城の執務室での事務作業の途中で、いつしか転寝しながら夢の中を彷徨ってた。
アレスは生粋のバルレア人ではない。彼は子供の頃に故郷と両親を戦火で失い、各地を転々とする中で武人として身を立て(その過程で出会った女騎士クレア・リネージュに淡い恋心を抱きつつ)、やがてアストロフィに流れ着き、数々の戦いで実績を上げた結果、このジャーニーの地の領主としての地位を獲得するに至った。
そんな彼には、まだこの地に赴任する前、王都でアストロフィ子爵家直属の騎士として仕えていた頃、現子爵であるヨハネスの教育係(遊び相手)を務めていた時期がある。幼いヨハネスを相手に、木の棒を持って剣術の稽古(ごっこ)の相手をしていたアレスに対して、ヨハネスはすっかりなついていた。
「アレス兄、やっぱり強いね。どうしたらそんなに強くなれるの?」
それに対して、アレスは爽やかな笑顔で答える。
「日頃の鍛錬だよ。継続することが一番大事なんだ」
「そっか。でも、毎日、勉強とかもしなくちゃいけないから、なかなか時間も取れないんだよな……」
「確かにな。それなら、寝る前に10分修行するだけでもいい。それだけでもいいから、とにかく毎日続けることが大切なんだ」
「なるほどね。じゃあ、僕、頑張るよ。僕も、お父さんみたいな立派な君主になるんだ。そのために、これからも付き合ってね」
「もちろんだ、君が立派な王になるために、協力させてもらおう」
夢の中で、そんな約束を交わしたところで、アレスは目を覚ます。
「あぁ、寝てしまっていたか……」
彼はそう呟きながら、夢の中で再現されていた「数年前に交わした幼君との約束」を思い返しつつ、幼きながらも亡き父王に代わってアストロフィ子爵としてこの国を背負っているヨハネスへの想いを馳せる。そんな中、彼の執務室に、この街における文武の要と呼ぶべき重臣達の足音が近付きつつあった。
1-6、領主の指針
「アレス様、失礼します」
そう言って、先にアレスの部屋に入ってきたのは、彼の契約魔法師のウルーカである。
「先程、セブンス様から通信がありまして、近日、ヨハネス様とセブンス様が、フラメア様率いる『赤い月光』を引き連れて、視察にくるそうです。早急に、その準備を整えておきましょう」
アレスはその報に対して、自然と笑顔を浮かべる。
「そうか、ヨハネスが来るのか、久しぶりだな。最後に会ったのは、即位式だったか。その後も何度か夕食会の誘いはあったが、最近は忙しくて全然行けなかったからな。これは盛大にお迎えしなければ」
「ヨハネス様やフラメア様の好きな料理や歌は?」
「そうだな、確か、ヨハネスが音楽の授業で好きだった歌は……」
そんな話をしている中、今度は扉を激しく叩く音が聞こえる。そしてその直後、扉に拳が減り込む音が響き渡った。
「アニュー殿、何回扉を壊せば良いのですか?」
ウルーカが呆れ声でそう言うと、その壊れた扉の向こう側から、アニューが現れた。
「すまない、今、直…………、あ……、す、すまん、今度は留め金が歪んでしまった」
力加減を知らないアニューは、そんな「いつもの失態」を繰り広げつつ、領主であるアレスに、武官としての定時報告を済ませた上で、旧友から聞いた話をそのまま伝える。
「領主殿、ちょっと小耳に挟んだんだが、今度、ヨハネス様の視察に伴って、フラメア達がその護衛を務めるためにこの街に来ることになったらしい。で、そのままフラメア達は瞳の魔城を攻略するかもしれない、という噂もあるのだが、これについて、領主殿はどう思う?」
それに対して、先に口を開いたのはウルーカであった。
「あら、話が早いですね。私もついさっき、その話を聞いたばかりなのに」
もっとも、フラメア達の魔城攻略計画については、ウルーカはセブンスから何も聞いてはいない。セブンスが気付いていないのか、あるいは、今の時点で彼女に伝えても意味がないと判断したのかは不明であるが。
そして、その話を聞いたアレスは、少し考えた上で私見を述べる。
「そうだな、魔城攻略は、結果的に我が領への魔物の襲撃を減らすことに繋がるだろう。その意味では我々も部隊を編成し、フラメア殿と協力するのが良いと思うが、我々が出撃した後にこの地を攻められたら、誰もこの地を守れなくなる」
その見解に対して、基本的にウルーカも同意を示す。
「相手の情報が分かりませんからね、これだけ悪魔がうじゃうじゃ出るとなると、魔城の攻略も、そう簡単には終わらないでしょうし」
そして魔城の攻略が長期化した場合、魔物達の別働隊だけでなく、アストロフィと対立するユーミルやウィステリアが、軍備が手薄になったアストロフィを攻撃してくる可能性もある。そのような関係故に必然的に発生する睨み合いの相互牽制状態こそが、この地においてバルレアの瞳の攻略がなかなか進まなかった最大の要因であった。
「とりあえず、今は『ジャーニー鉄華団』が魔城の調査に向かっている筈だから、ひとまず彼等が帰ってくるまでは待とう。もし、彼等が帰ってこなければ、それだけ危険な状態ということだ」
アレスは淡々とそう語る。傭兵を使い捨てにするような言い方ではあるが、それが傭兵の定めである。実際、傭兵達もまた、そのようなリスクのある任務であることを承知の上で、アレスと契約を結んでいた。
そして傭兵出身のアニューもまた、その方針に関しては概ね同意した上で、更にアレスに問いかける。
「実際にそうなったら、その時はどうする?」
「フラメア殿には、ヨハネスの警備の仕事があるからな。その場合は、今度は我々が調査に行くしかないだろう」
「まぁ、焦っても仕方ないですからね」
こうして、ジャーニーのトップ3が方針を確認している中、新たな来訪者を告げる警備兵の声が響き渡った。
1-7、亡命者との謁見
「報告があります! ジャーニー鉄華団が帰還しました!」
「おぉ、ちょうどいいな」
アレスがそう言うと、先刻のアニューと同じくらい大きな「扉を叩く音」と「扉が壊れる音」が響き渡る。
「おいお前! 何をドアを壊している!」
自分のことを棚に上げたアニューが、二人目の下手人となってしまったウィンスを怒鳴ると、ウィンスはそれと同じくらいの大声で答える。
「失礼しました! とりあえず、今すぐ直します! まずは、この解毒薬を接着剤代わりにして……」
「あー、ウルーカ君、あとで大工を呼んでおいてくれたまえ。で、ウィンス君、君の報告を聞かせてくれ」
呆れた様子のアレスがそう言うと、ウィンスは端的に答えた。
「瞳から、一人の女性が来ました」
意外な報告に、アレスは一瞬戸惑いながらも、呟くように答える。
「瞳から、か……」
様々な可能性が想定される中、今度はウルーカがウィンスに対して問いかける。
「その人は、信用出来る人ですか?」
「少なくとも、今のところは従順にしてます」
それが信用に価すると言えるほどの判断材料になるかは微妙だが、ひとまず話を聞いてみる必要があると考えたアレス達は、ウィンスにその「女性」を連れてくるように命じる。
すると、両手を拘束された状態でミリアが彼等の前に現れた。
「お初にお目にかかります。あなたが、ジャーニーの領主ですか?」
「あぁ、そうだ。君のような女性に拘束具をつけるのは申し訳ないのだが……」
「いえ、自分の立場は理解しています」
ミリアが凛とした態度でそう答えると、アレスは早速本題を切り出す。
「で、君は、瞳から来たのか?」
「はい、瞳から脱走してきました」
「脱走?」
そう問い返されたミリアは、自分自身の自己紹介も含めて、一通りの事情をアレス達にも説明する。
「……という訳で、アストロフィの方々に、魔王を倒す力を貸してほしいのです」
これに対して、アレスやウルーカは深刻な顔を浮かべる。
「そうか、そんな物騒な装置があの魔城の中に……。これは、何か手を打たなければな」
「あまり、ゆっくりしている時間はないですね」
もっとも、ミリア自身、その「魔法装置」がいかなる代物なのかは分かっていない。だが、闇魔法師組織パンドラが、あのバルレアの瞳を攻略してまで実行しようとした計画である以上、それが相当に危険な存在であろうことは、誰もが予想出来ることであった。
「情報提供ありがとう。とりあえず、君にはしばらくこの城の一室に滞在してもらおう。無論、その拘束具は今すぐ取り外す」
「ありがとうございます。ところで、このようなことを言える身ではないことは承知の上でお伺いしますが、その部屋はどれくらいの広さでしょうか?」
突然の意外な質問に対して、アレスは戸惑いながら答える。
「うーん、まぁ、それほど広い部屋とは言えないが……」
「出来れば、格闘技の修行をしたいのです。無理にお願い出来る立場ではありませんが、いつ魔物と戦うことになっても大丈夫なように、日々の鍛錬は欠かしたくないのです」
そう言われたアレスは、ヨハネスとの「毎日10分」の約束を思い出しつつ、彼女のその申し出を快く受け入れる。
「見張りつきでよければ、我が兵士達の訓練場を使っても良い」
「ありがとうございます!」
彼女が拘束具を外された手で武闘家らしく礼の姿勢を取ると、今度はアニューが口を開いた。
「それはいいな。そういうことなら、我が盾兵隊の訓練相手にもなってほしい」
ミリアとしては、願ってもない申し出である。ひとまず彼女は、ウィンスと共に部屋から退場する。その力強そうなオーラを背負った後ろ姿を見ながら、一抹の不安に駆られたウルーカは、彼女に向かって、一つ、釘を刺した。
「この建物の中の扉は、軽くノックするだけで音が響きますからね」
1-8、かりそめの結論
こうして、部屋に残った三人は、改めて今後の対応について協議する。
「さて、少々面倒なことになったな……」
アレスとしては、瞳の魔城を早急に攻略する、という方針自体には異論はない。問題は、ユーミルやウィステリアとの共闘計画を彼女達が進めている、という点である。
「とりあえず、『表向き』は他の国と協力する必要はあるだろうな」
アニューはそう言った。現実問題として、アストロフィ単体では魔城を攻め落とせる保証はないし、仮に戦力的にはそれが可能であったとしても、その間に他国に本国を攻められる可能性もある以上、三国間で共闘して同時に魔城に足を踏み入れるのが賢明であろう。
ただ、問題は、最終的に魔王の混沌核を誰が浄化・吸収するか、である。魔王の討伐自体は三国の共通目標として共有することも可能であろうが、最終的にはその「混沌核」の所有権を巡って争うことになる可能性が極めて高い。どのような協定を結んだとしても、最後の最後で誰かが出し抜いてその混沌核を奪い取る可能性も十分にあるだろう(そしてまた同時に、その吸収した人物が「第二の魔王」となってしまう恐れもある)。
とは言え、国家間の共闘という次元の話になると、アレス達だけで決められる問題ではない以上、今の時点で三人で議論しても、あまり意味はない。ひとまず、その点に関しては保留とした上で、アレスは今の自分の考えを率直に語る。
「私としては、戦争をなくすためには、どこか一国が強い力を得ることによって、周辺の国々に対する抑止力となることが必要だと思う。そのためにも、今回のフラメア様の攻略作戦に協力して、アストロフィが混沌核を手にすべきだだろう。魔城の内部で進められている計画を、放置しておく訳にはいかないしな」
それについては、ウルーカもアニューも基本的には同意している。ただ、ウルーカは『別の可能性』についても考慮する必要があると考えていた。
「彼女をどこまで信用して良いか、という問題はありますけどね。彼女が魔王の命を受けた間者や密偵である可能性もありますし」
もっともな話であるが、それに対してアニューはやや異なる見解を述べる。
「だが、そこまで強力な魔法装置があるのなら、わざわざ間者や密偵を送り込む必要は無いのでは?」
そうかもしれないが、そもそも魔法装置の話自体が、本当かどうかも分からない。いずれにせよ、様々な可能性を考慮に入れつつ、なるべく迅速に結論を出す必要がある事は、三人とも実感していた。
「そうだな。とはいえ、その話をするために、フラメア殿やヨハネスがこちらに来てくれるのは好都合だ。今はまず、彼等を迎える準備をしなければな」
「はい、では、料理とお酒と歌を準備しますねー」
ウルーカがそう言って部屋を出ていこうとしたところで、アレスは半壊した扉を見つめながら、一言付け加えた。
「あと、大工も頼む」
1-9、拳で語る者達
その後、ミリアは訓練場に案内されると、訓練用の盾を持った兵士達を相手に、素手の状態のまま稽古を挑む。
「ベルナール流アンデス空手奥義、アンデス百烈拳!」
彼女はそう叫ぶと、甲高い掛け声と共に彼女は目にも留まらぬ速さで盾に連撃を与える。あえて身体を狙わずに盾に狙いを定めて攻撃しているが、それでも打撃の勢いで兵士が吹き飛ばされるほどの威力であった。彼女としては、この場で自分の実力を披露することで、協力するに値する存在だと実証しようとしていたのだが、その人間離れした動きから、「彼女は、もしかしたら魔族の類いではないのでは?」という疑問が兵士達の間では広がり、逆に警戒心を強めてしまう。
そんな状況にも気付かぬまま、彼女が今度は「ベルナール流アンデス空手奥義、サマーソルトキック!」と叫びながら兵士達に殴りかかろうとした時(注:誤記ではない)、アレスがその場に現れた。
「あ、アレスさん、ここの兵士の人達は『頑丈』ですね。素晴らしい」
現在、彼女が相手をしているのは、アニューに率いられた盾兵隊の兵士達であり、確かに、身体の頑健さには定評のある面々である。そんな彼等でも、そろそろ限界と言いたくなるような表情を浮かべているのを見て、アレスが彼女の前に、彼女と同様の「丸腰」で立ちはだかった。
「次は、私との手合わせをお願いしてもいいかな?」
「あなたがですか? 構いませんが、格闘技の心得は?」
「素手の格闘は専門外だが、一応、これでも戦場で生きてきた身だからな」
彼がそう言うと、彼女は「ベルナール流アンデス空手奥義、へちょキック!」という掛け声と共に拳を(注:誤記ではない)アレスに向けて振り下ろすが、間一髪のところでアレスはそれをかわす。
「なかなかいいパンチだね」
なお、彼女が叫んだ技名は、あくまでも「へちょキック」である。
「まさか、これが避けられるとは思わなかった。さすがですね」
「君も、なかなか手練れのようだね」
「私のこの『アンデス空手』は、父から教わった技です。元々は異界の投影体が用いていた技を、父がアレンジしたものだと聞いています」
「もし良かったら、君のその『アンデス空手』を我々に教えてほしいのだが」
「申し訳ございませんが、お断りします。あまり人には教えてはいけないと言われていますし、一朝一夕で身につくものではないので」
「そうか、残念だ。ところで、良ければ、今夜一緒に食事でもどうだ?」
「良いのですか? 私は捕虜の身ですが」
「いや、捕虜という訳でもあるまい。敵対している訳でもないし。むしろ君は、今の我々にとっては『客将』だよ」
こうして、同じ聖印を持つ騎士として、拳を交えながら、なんとなく心を通い合わせた二人は、その日の夜、他のこの街の重鎮達と共に、酒場で小さな宴会を開くことになった。と言っても、ミリアは酒が入ると失態を招きそうな気がしたので、エールもワインも自粛していたが、そんな彼女とは対照的にアニューは浴びるように酒を飲んで陽気に踊り、その傍らではウルーカが自慢の(それほど上手くも下手でも無い)歌声を披露する。
そんな中、ウィンスは酒場の片隅で、「間も無く到着する『赤い月光』が、そのまま魔城を攻略しようとしているらしい」という噂話を、アニューの配下の兵士達が話しているのを耳にする。これは、いよいよ本格的に戦功を上げる好機が近付きつつあるのではないか、ということを実感した彼は、一人静かに闘志を燃やしていた。
2-1、路上の襲撃
それから数日が経過し、「赤い月光」に護衛されたヨハネス達がジャーニーを訪れる予定の日が訪れた。ウルーカはその間にアニューやウィンスが壊した諸々の扉の修繕を大工に依頼した上で(既に領主御用達の関係であり、常に「一割引き」で応対してくれている)、ヨハネス達を歓迎するために公募で「混声合唱団」を結成し、ここまで練習に励んできた(一方で、セブンスが依頼していた「兵士達のための補給物資」が調達されていたかは定かではない)。
一方、ミリアはこの機にヨハネスと会談する機会を作ってもらうことをアレスに申し出るが、ユーミルやウィステリアとの共闘という壮大な計画を持ち出す前に、まずフラメアの方針を確認する必要があると考えたアレスの判断により、ひとまずこの日はあてがわれた客室で一人で待機するように命じ、ミリアも素直に了承した。
そんな中、ヨハネス達の到着予定時間よりもかなり早い時点で、早馬に乗った「フラメアからの伝令兵」が、街の警備を担当していたウィンスの元に駆け込んで来た。
「ヨハネス様御一行の進路に、悪魔達が突然現れ、現在、交戦中です! ジャーニーの皆様、援軍をお願いします!」
これは想定外の事態である。魔王軍の配下の悪魔達は基本的に魔城の近辺に出没しており、その対魔城の最前線であるこのジャーニーの地を飛び越えて、首都からジャーニーへと続く道の途中に悪魔が現れるのは、明らかに奇妙な現象であった。彼等が何らかの手段でジャーニーを飛び越えて首都へと向かったのか、あるいは、魔王軍とは無関係の悪魔が突然の混沌災害によって発生したのかは不明であるが、いずれにしても、早急に手を打つ必要がある。
伝令兵曰く、フラメアとしてはジャーニー軍と挟撃することで早期の殲滅を望んでいるらしい。ウィンスは、混声合唱団の練習中だったウルーカや、ヨハネス滞在中の城の警備について確認していたアレスとアニューにこのことを伝達しつつ、自らは「ジャーニー鉄華団」を率いて、先行して現地へと向かう。
報告を受けたアレスは、少し迷いながらも、先日の訓練場での一件を思い出しながら、アニューに一つの提案をする。
「今回は、『彼女』の力も使うべきだろう」
「そうだな。『彼女』の実力は保証済みであるし」
こうして、「彼女」ことミリアを加えたジャーニー軍が、ウィンス達を追って現地へと向かうことになった。
******
その頃、先行していたウィンス達は、おそらく「赤い月光」に敗れて敗走状態になっていると思しき悪魔が、こちらに向かってくるのを発見した。それは鬼のような角を生やした悪魔達と、翼を持った悪魔達の混成部隊出会った。
「『赤い月光』よ、『ジャーニー鉄華団』が助太刀に入る!」
ウィンスはそう叫ぶと、自らの邪紋の力を弓に込めて、悪魔達に対して猛雨の如く矢を降り注ぐ。その矢は先行していた悪魔達の一隊を殲滅し、その奥の本隊と思しき者達の装備を削り穿っていく。それでも(後方から「赤い月光」が迫っていたこともあり)悪魔達は逃げる訳にもいかず、死に物狂いでジャーニー鉄華団へと接敵する。だが、その直後に、後方からアレス達に率いられた「本隊」が到着した。
「ペンデュラム召喚!」
ウルーカはそう叫ぶと、彼女の傍らに一頭のペリュトンが現れる(なお、「ペンデュラム」とは、このペリュトンに彼女が付けた名である)。ペリュトンはそのままジャーニー鉄華団へと加勢し、翼を持った悪魔達に向かって襲いかかる。
その直後、ミリアが駆け込んで来るのを見たウィンスは、鉄華団の者達のうち、混戦状態の中では力を発揮出来ない弓兵部隊だけを率いて、その混戦状態の中から離脱する。
「お前達は、ミリアの指示に従え!」
残った近接戦部隊にそう言い残してウィンス達がその場から離れると、そこに飛び込んできたミリアは、周囲の悪魔達に向かって、鉄爪を装備した腕を振り翳し、運悪くその場に居合わせてしまったペリュトンをも巻き込む形で、必殺の連撃を乱舞する。
「ベルナール流アンデス空手奥義、ランドスライサー!」
その圧倒的な威力により、悪魔達は一瞬にして完全に一掃された(ペリュトンも深手を負ったが、なんとか致命傷は免れ、ウルーカの手により固定召喚状態が解除された)。彼女の聖印は、一人で多くの敵を殲滅する能力に特化した聖印であり、それ故に「殺戮者の聖印」とも呼ばれている。その圧倒的な破壊力に、その場にいる者達は、ただ呆然と立ちすくむしかなかった。
2-2、暗殺未遂
その後、再び魔城へと帰還しようとする悪魔達の逃亡部隊が現れるが、今度は彼等がアレス達の前まで辿り着くよりも先に、後方から放たれた強大な一閃により、瞬殺される。その消えゆく悪魔達の背後に立っていたのは、フラメアであった。
「フラメア殿!」
「おぉ、アレス殿。来てくれたのですね。御助力、感謝致します」
「しかし、我々の援軍など、いらなかったのでは?」
今のフラメアの一撃を見れば、そう思ってしまうのも道理であるが、彼女はそれを否定する。
「いえ、翼を持つ者達を追撃するのは大変ですから、足止めしてもらえるだけでも助かります。とりあえず、今の悪魔達を追って突出しすぎたので、私はヨハネス様の本陣に戻ります」
「ならば、私もヨハネスが心配なので、御同行させて下さい」
アレスがそう言うと、彼に率いられたジャーニーの全軍は、フラメア達「赤い月光」の面々と共にヨハネスを守る本隊へと向おうとするが、その途上、他の者達よりも優れた五感の持ち主であるウィンスとミリアの耳に、女性の悲鳴が聞こえた。
「ミリア、今、声が聞こえたよな?」
「えぇ、確かに」
二人がそのことを皆に告げた上で足を速めると、ヨハネスを乗せた馬車の周りを、近衛兵達が警戒して守るように武器を構えており、その近くでは一人の兵士が、首筋から血を流して倒れていた。
「これは一体、どういうことだ!」
フラメアがそう叫ぶと、馬車の中から腕に傷を負った状態のセブンスが現れ、フラメアを若干睨みながら、事情を説明する。
どうやら、フラメア達が悪魔を深追いしている間に、アストロフィ軍に紛れ込んでいたと思しき刺客がヨハネスを殺そうとして、剣を振るい、それをセブンスが庇って怪我を負ったらしい(ウィンスとミリアが聞いた声は、それを見た侍女の悲鳴だったようである)。血を流して倒れている兵士がまさにその下手人であり、既に息は絶えていた。
「フラメア殿、あなたにはヨハネス陛下を守る義務があることを忘れてもらっては困る。これは、不用意に敵を深追いしすぎたあなたの失態と言われても仕方のない事態ですぞ」
そう言われたフラメアは、反論出来ないまま黙って顔をしかめる。ただ、殺された犯人の兵士は、これまで長きにわたってヨハネスに仕えてきた者であり、まさか彼がヨハネスに刃を向けることになろうとは、誰も予想が出来なかった。もしかしたら、誰かに魔法や呪いの類で操られている可能性もあるが、だとしても、その術を施した者が、今のこの一団の中に紛れ込んでいる可能性がある。
彼等はそんな疑心暗鬼な心境に苛まれつつも、ひとまずアレス達の先導によって、ジャーニーへと無事に到着を果たすのであった。
2-3、幼君との再会
この日の夜、アレス達は歓迎の宴を大々的に催す予定であったが、セブンスはその前に、アレス、ウルーカ、アニューの三人に、ヨハネスの客室に来るように命じた。どうやら、折り入って話したいことがあるらしい。
言われた通りに三人がヨハネスの客室に入ると、その中にいたのは、ヨハネス、フラメア、セブンス、そして、見知らぬ若い(15歳程度の)魔法師風の女性であった。ウルーカは「最近、若い魔法師が首都で宮仕えするようになった」という噂話を聞いたことがあるのを思い出し、おそらく彼女がその新入りの魔法師なのであろうと推察する。
「先ほどは御苦労だった、アレス」
セブンスがそう言って労うが、アレスとしては、自分がほぼ何もする前に事態は解決してしまったので、あまり労われるべき立場でもないと思っていたため、あまり素直にこの言葉を受け入れることは出来なかった。むしろ今の彼の中では、あのような事態が発生したことへの戸惑いの感情の方が強い。その傍らで、ウルーカはセブンスの身を案じる。
「お怪我などはありませんか?」
「あの兵士の剣には毒が塗られていたのだが、それは無事に解毒出来た。ヨハネス陛下にもお怪我はない」
セブンスがそう答えると、今度はヨハネスがアレスに向かって口を開く
「アレス、先ほどはご苦労様でした。今は大変な時期でしょうが、よろしくお願いします」
「いえ、陛下の命を守ることは、領主としても、家臣としても、当然の責務であります」
互いに、それぞれの「今の立場」を意識した硬い口調で社交辞令的な挨拶をかわすと、セブンスが話の本題を切り出す。
「宴の準備の忙しい時に呼び出して申し訳ないが、少々、確認したいことがある」
それに続いて、フラメアが一歩前に出てアレスに問いかけた。
「私達が聞いた話によると、サンドルミアの元兵士がこの地に逃れてきたと聞いたのだが、その者は今、何をしている?」
アレスとしては、先にその話を出されたことに驚きつつも、素直に答える。
「その者には今、客室をあてがって待機させていますが、あなたはどこでその情報を?」
「我々にも情報網はある。そして、貴殿がそれを隠そうとしていない以上、特に貴殿に何らかの二心があることを疑ってはいる訳ではない」
そもそも、訓練場であれだけの大立ち回りを演じた以上、その噂の拡散を防ぐことは難しいだろう。そして、先刻の悪魔との戦いを通じて、彼女の名声は瞬く間に兵士達の間で広がることになったことは言うまでもない。
とはいえ、今この場で彼女からの提案を話すのは、さすがに早計すぎるし、フラメアもまだそこまで深い話は求めていなかった。あくまでも「確認」のための質問だったようである。
そして、それに続けてセブンスがもう一つ、「確認」したかったことを口にする。
「今、このジャーニーでは悪魔達の襲撃が増えているらしいが、大丈夫なのか?」
「確かに魔物の襲撃は増えていますが、我が屈強な傭兵や兵団の前では問題ありません。ただ、今後の方針については、じっくりと話し合いたいところです」
「分かった。では、そのことについては、また宴の後で、改めて報告してもらおう」
こうして、事前協議は終わった。久しぶりにフラメアと会ったアニューとしては、内心色々と話したいことはあっただろうが、個人的な次元の話が出来る空気でもなかったため、ひとまずこの場は黙って話を聞く立場に専念していた。
そして、既にミリアの存在がフラメア達に知られてしまっていることが分かったアレスは、この宴の後に、改めて彼女をヨハネス達の前に連れてきた上で、謁見の機会を作ることを彼等と約束する。その前に、宴の場にミリア自身が出席して挨拶するという選択肢もあったが、ミリアとしても、さすがに今の立場でそこまで賓客扱いされるのは気が引けたので、宴が終わるまでは、静かに自室で待機することにしたのであった。
2-4、宴の諸相
やがて陽が落ちて夜を迎えると、予定通り、城内で大々的な宴が開催される。混声合唱団をバックコーラスに、ウルーカはこの日のために用意した『とっておきの歌』を披露するが、相変わらず「可もく不可もない歌声」である。ただ、異界の拡声器のエコーでごまかされたことと、宴という空気がもたらす高揚感もあって、来客の反応はまずまず上々であった。
そうして「一仕事」を終えたウルーカに対して、ヨハネスの部屋で出会った「若い女魔法師」が話しかけてきた。
「あぁ、こんにちは。先ほどお会いしましたよね。お名前は?」
ウルーカがそう問いかけると、彼女は人懐っこそうな笑顔で答えた。
「最近、アストロフィで契約させてもらったルビー・カレイドっす。先輩と同じ召喚魔法師っす。先輩とは、受けてた時期が違うから、直接会ってはいないっすけど、先輩の噂はちょくちょく聴いてるっす」
「そっか。で、私の歌の感想を言いに来たの?」
「それもあるんすけど、先輩にご挨拶しておこうと思って」
「あ、そういえば名乗ってなかったですね。私はウルーカ・メレテス、よろしく。それにしても、さっきの道中は大変だったね」
「びっくりしたっすよ、突然、味方だと思ってた兵士が襲ってきたんすから」
「その兵士とは面識はあったの?」
「私は魔法師っすから、その兵士とはあまり顔見知りじゃないんで、よくわかんないっす」
「まぁ、魔法師と兵士はあんまり顔会わせないからね」
「兵士というか、セブンスさんとフラメアさんは仲悪いっすから」
この文脈で、なぜ急にその二人の話になるのかが、ウルーカにはよく分からなかった。確かにその二人は仲が悪いのではないかと言われてはいるが、そのことが、縦割り行政的な意味での文官と武官の全体的な対立に繋がっている、ということが言いたいのだろうか? ウルーカが今ひとつ彼女の発言の意図を測りかねているところで、ルビーは話題を変える。
「ところで、最近、何か変わったことはないっすか?」
「んー、私の歌を聴きに来る人が少なくなったことかな」
ちなみに、それは前からそれほど変わってないし、別に「変わったこと」でもない。
「皆、忙しいのかもしれないっすね。そういえば最近、傭兵が多いですね」
「まぁ、ここは傭兵の国だから」
「それでも、前に来た時よりも随分多いっす」
「そうかな? 確かに、瞳の混乱以降、稼ぎ時だと判断して傭兵が増えているのかもしれないけど、こういう街だから、別に気にするほどのことでもないと思ってたわ」
「そういうもんっすか。部外者が増えてることは気になってたんすけど」
「傭兵は流れ者が多いからね。私には、流れることの何が楽しいのかよく分からないけど」
むしろ、ウルーカは流れを無視してマイペースに生きすぎているのだが、この場においては、そんな彼女の発言をスルーしながら言いたいことを言っているルビーも、あまり大差ないかもしれない。
「じゃあ、先輩、よろしくお願いするっす」
ルビーはそう言って、ひとまずウルーカの元を立ち去って行った。
******
その頃、アニューはようやくフラメアとの会話にこぎつけていた。
「おぉ、団長ではないか」
「今のこの場では団長ではないから、普通にフラメアと呼んでくれていいわ。あなたも、腕がなまってなくてよかった」
「うむ、まぁ、そうだな。ところで、フラメア、お前さん、瞳を攻略する気なのか?」
その話を切り出された彼女は、一瞬、表情を歪める。
「……アイツかしら? 全く、あいつの口の軽いのはどうにかしてほしいわ」
「アイツ」とは、おそらくアニューへの伝令役の男のことだろう。どうやら、フラメアとしては、まだ黙っておきたかった話らしい。
「そうね、もともと私達は、ヨハネス様を盛り立てるため、瞳の攻略を目標に掲げてきたわ。とはいえ、サンドルミアが先に攻略してしまったみたいだけど……」
フラメアは気落ちした表情を見せる。やはり、彼女としてはそのことが相当なショックだったらしい。
「まぁ、その件については、また後で話そう。今は宴の場だ」
自分からその話を切り出したアニューであったが、フラメアが内密にしたいと考えていることなのであれば、さすがにこの場で話を続けるべきではないと判断したのだろう。それに加えて、フラメアに「先を越された悔しさ」を思い出させるのも、この場の空気を考えると望ましくないと考えたようである。
******
「アレス、先ほどの活躍は見事だった」
この宴の主催者であるアレスに、改めてそう言って話しかけてきたのは、セブンスである。アレスがその労いに対して軽く一礼すると、セブンスはアレスに対して、この宴の後に用意されている「サンドルミアからの亡命者との謁見」の更に後に、アレス一人でセブンスの部屋に来て欲しいと依頼し、アレスもそれを了承する。アレスとしては、出来ればそれよりも先に、ヨハネスと二人で話す機会を作りたいと思っていたのだが、その前にセブンスから話があるのであれば、それはきっと重要な要件なのだろう。
その上で、セブンスはやや小声で、アレスに対して問いかける。
「ところで、魔王に関して、その脱走兵は何と言っていた?」
この後で直接話す機会を作っているにもかかわらず、あえてここでその話を切り出してきたことの意味を想像しつつ、アレスは逆に問いかける。
「何か、気がかりでも?」
「『兵を出してくれ』と言われたのではないか?」
どうやら、時空魔法師であるセブンスには、その程度のことはお見通しのようである。もっとも、そもそも状況的に考えて、それ以外の目的でこの地に来る可能性も考え難いのだが。
「その通りだ。フラメア殿が兵を出されると聞いて、どうしようか考えていたのだが……」
「君はどう思う?」
「このまま魔城を放置していれば被害が増える。攻略はしたい。瞳の混沌核を手にすれば、それだけ力を得ることも出来るしな」
「確かにその通りだ。とはいえ、フラメアのように突っ走ってもらっては困る。今日のようなことが二度と起きてはならない。臣下として、何をすべきかを考えてもらわねばならない」
それはそれで、もっともな意見であることはアレスも分かる。とはいえ、宴の場でこの話題をこれ以上掘り下げるのも不適切と考えたアレスはひとまず話を切り上げた上で、「赤い月光」の傭兵達の輪の中に自ら入り込んでいく。と言っても、この場にいるのはそのうちの約半数であり、残りの半数は城の外の警備に回っていた(一方、城下町全体の哨戒役はウィンス達が担当している)。
「おぉ、アレス! 出世したな、領主様になって!」
傭兵の中の一人が、近付いてきたアレスに対して陽気に声をかける。彼等は、アレスが首都にいた頃の顔馴染みでもあった。
「そうだぞ、領主様だぞ!」
アレスはおどけて偉そうなポーズをしながら、冗談半分にそう答える。
「いやー、領主様様だな、こんな美味い酒を飲めるなんてなぁ」
傭兵達は口々にそう言いながら、久しぶりに再会した「戦友」を囲みつつ、昔と変わらぬ友誼を確かめ合うのであった。
2-5、それぞれの立場
こうして宴を終えた後、アレスは宴(およびその直前の事前会議)に出席していなかったウィンスやミリアも呼んだ上で、改めてヨハネスとの謁見の機会を設ける。
「お初にお目にかかります、サンドルミアから参りました、ミリア・ベルナールと申します」
そう言って深々とミリアが頭を下げると、確認のためにフラメアが問いかける。
「あなたが、バルレアの魔城から逃げてきたサンドルミアの兵士?」
「はい、そうです」
正確に言えば、彼女はただの兵士ではなく、一軍を率いてきた指揮官なのだが、身一つでこの国に亡命した今となっては、それはわざわざ訂正するほどの事柄でもなかった(少なくともミリアの中では)。
「では、改めてあなたの話を聞きたい」
フラメアがそう言うと、ミリアは素直に今までのことを全て説明する。
「おそらく、今、私の二人の仲間も、それぞれユーミルとウィステリアに協力を要請しに行っています。出来れば、アストロフィにも協力していただきたいのですが……」
ミリアがそう懇願すると、フラメアは「我が意を得たり」と言わんばかりの勢いで、ヨハネスに進言する。
「陛下、我々も兵を出すべきでしょう。他国に遅れを取る訳にはいきません。それに、魔城の奴等も我々を攻めるための準備をしているのであれば。これ以上、敵に時間を与えるのは、愚策としか言いようがありません」
だが、それに対してセブンスは異論を唱える。
「確かに、フラメア殿が言う通り、その方の情報通りならば、このまま放置するのは危険と言う他なかろう。だが、敵の実態もまだ不明確な今、功を焦って魔城に攻め込むのは、いささか違うのではないか?」
「あなた達文官に何が分かりますか! 戦時においては、迅速な決断が必要なのです!」
こうしてアストロフィの文武を司る二人が激しく対立する中、アレスが間に入る。
「えー、まずは二人とも落ち着いてください。これは我が国の今後に関わる事案です。もっと慎重に考えるべきかと思います」
そう言われたセブンスは「これは失礼した」と言って一歩下がり、フラメアもまた、鋭く眼光をギラつかせながらも「そうですね、あなたの言う通りです」と言って引き下がる。その様子を見た上で、ヨハネスは静かに口を開いた。
「サンドルミアの方、貴方の出してくれた情報は貴重なものです。出兵の件は直ちに検討しましょう。ただし、即答は出来ません。私もアストロフィの国王として、今のところは兵を出すつもりではいますが、最終的にどうなるかはわかりません。ともあれ、今日はありがとう」
彼がそう言うと、ミリアは深々と礼をして、やがてその場にいる者達は、それぞれの自室や持ち場へと立ち去って行くのであった。
2-6、傭兵達の思惑
こうして謁見を終えて、ウィンスが夜の街の警備に向かおうとした時、おもむろにフラメアがウィンスに声を掛ける。
「貴殿が、最近名を挙げていると聞く『ジャーニー鉄華団』の団長殿か?」
そう言われたウィンスは、素直に嬉しそうな顔を浮かべる。
「えぇ、お会いできて光栄です。フラメアさん。俺がジャーニー鉄華団の団長、ウィンスです。さっきの話によると、『赤い月光』の皆さんは魔城に攻め込むことを検討しているとか」
一応、国の重鎮が相手ということで、それなりの礼を尽くした態度で対応しようとするウィンスであるが、やはり慣れていないせいか、その言い回しもどこかぎこちない。
「えぇ、その通りですが……、とりあえず、私の前で堅い口調は必要ありません」
フラメアからその言葉を聞いて、思わずウィンスは苦笑いを浮かべながら答える。
「良かった、その方がこちらも助かるよ」
「あなた方は、瞳の内部の調査も進めていると聞きましたが」
「あぁ。もっとも、まだ最深部までは行けてないがな。途中で彼女と合流したこともあって、まずは彼女を連れ帰ることを優先せざるをえなかった」
「それは正しい判断だと思います。実際、彼女の情報は役に立った。その上で……」
ここまでは(ウィンスには「堅苦しい口調は不要」と言っておきながら)「当たり障りのない丁寧口調」で話していたフラメアであったが、ここから口調が変わり、本音モードでの「交渉」を開始する。
「私としてはあなた達を、水先案内人として雇いたいのだけど、引き受けてくれるかしら?」
「それはぜひお願いしたい! 出来れば、魔城までの案内だけでなく、魔城の中での戦いにも参加させてほしい!」
「分かったわ。それは、今後のあなた方の活躍を見てから決めたい」
「よろしく頼む」
こうして、両者の思惑が合致する形で、ウィンスは念願の「戦功を上げる絶好機」を手にしたのであった。
2-7、魔法師達の懸念
一方、もう一人の重鎮であるセブンスに対しては、彼が部屋を出た直後に、ウルーカが問いかけた。
「ヨハネス様を襲った襲った兵士には、どこか怪しいところはありませんでしたか?」
「彼は昔から子爵家に支えていた人物で、特にあやしいところは何もなかった。だから、誰かに操られていた可能性を考慮して、現在、彼が凶行に至る直前に会った者がいないかを探している。もしかしたら、彼自身、内心では何らかの理由で子爵家への恨みを抱いていたのを隠していたのかもしれないが……」
そこまで言った上で、セブンスは唐突にウルーカに問いかける。
「逆に聞きたい、この街の近辺に『怪しい者』はいないか?」
「『瞳から出てきた彼女』に関しては、まだどこまで信用出来るかは分からないですけど、それ以外には特には……。でも、気をつけた方がいいでしょうね」
「よろしく頼む、フラメア殿は、頭に血が登ると視野が狭くなるからな。彼女は必要な人材だが、何事においても、バランスを取る者が必要なのだ」
セブンスとしては、この街においてその役割をウルーカに担ってほしいと考えているようである。彼女にその想いが伝わっているかは不明だが、改めて街の人々についての調査確認を進める必要性を、ウルーカは実感していた。
2-8、素顔の再会
それからしばらした後、約束通りにアレスがセブンズの部屋に行くと、セブンズは周囲に人がいないことを確認した上で、アレスを部屋の中に入れ、扉を閉めた。
「呼び出してしまって、すまない。とはいえ、陛下があなたと会いたいと言っているのでな」
彼がそう言って奥を指し示すと、そこにはちょこんと座っているヨハネスの姿があった。
「陛下は狙われている。あまり長い時間は与えられないが、重い重圧に耐えている陛下と話をして差し上げてくれ」
どうやら、アレスが「ヨハネスと二人で話をしたい」と考えていたのと同じように、ヨハネスもまた彼と話せる機会を求めていたらしい。そして、それを察したセブンスが、この機会を設けてくれたのである。セブンスが部屋の外に出たのを確認すると、ヨハネスは「昔の笑顔」に戻って語りかけた。
「アレス兄、久しぶり」
「久しぶりだなぁ、ちょっと背が伸びたんじゃないか?」
「うん。即位式以来だね」
「そうだなぁ、あの時はお前もまだガキだなぁと思っていたが……」
「今はもう色々と勉強したから、アレス兄よりもずっと政治が上手いんだよ」
「まぁ、お前と俺とでは生まれが違うからな、お前は生まれながらの支配者だ。さっきも、あんな立派な堅苦しい挨拶が出来たしな。ところでお前は、あれから剣の修行は続けているのか?」
「うん、続けているよ。僕の力は仲間を強化するのに向いてるから、あんまりそんなことをする必要はないとは言われてるけど、アレス兄に言われた通り、寝る前の10分に修行しているよ」
アレスの聖印が「近接戦型の聖印」であるのに対し、ヨハネスの聖印は「支援型の聖印」と言われる。一般的な俗称として、前者は「剣士の聖印」、後者は「支配者の聖印」などと呼ばれることもあり、まさにそれは、今の二人の君主としての立場の違いを象徴する聖印でもあった。
「そうか、続けることは良いことだ。お前は今、俺達の国王となっている訳だが、その重みは俺には想像も出来ない。その重みが辛くなったら、俺達臣下を頼ってくれればいい」
「ありがとう、でも、やっぱり、アレス兄はすごいよね、さっきも二人が険悪になってきた時に、すぐ間に入って止めてくれたし。本当は、僕がなんとかしなくちゃいけないのに」
「それはお前にまだ経験が足りないだけだ。お前はお前で、少しずつ経験を積んでいけばいい」
「そうだね、また訓練も頼むよ」
「あぁ、とはいえ、俺も最近はあまり戦う機会がなくてな」
「だめだよアレス兄、『寝る前の10分』でしょ」
「おぉ、そうだったな」
思わずアレスが「これは一本取られた」と言いたそうな表情を浮かべていると、扉の外からセブンスが戻ってくる。どうやら「時間切れ」らしい。
「じゃあ、またな」
そう言って、彼はヨハネスと拳を付き合わせ、その部屋から外に出ようとするが、そこでセブンスが、彼を呼び止めるかのようにヨハネスに進言する。
「陛下、アレス殿に、あの件について相談すべきでしょう」
「確かに、アレス兄、いや、アレス殿なら、相談することは出来ます」
慌てて「口調」を元に戻しつつ、ヨハネスがそう言うと、アレスも「臣下の口調」に戻る。
「私に出来ることならば、何なりと」
それに対して、セブンスが声のトーンを落として告げた
「では、できる限り内密に頼みたいのだが……、あのような暗殺未遂事件は、実は今回が初めてではないのだ」
セブンス曰く、実はサンドルミアによる瞳攻略よりも前から、同じようなことがヨハネスの周囲で起きているらしい。
「どうやら、アストロフィ内に間者が忍び込んでいるようだ。サンドルミアの攻略後も、陛下の御命が狙われる多発していることから察するに、おそらくこれは、サンドルミアの攻略を手助けしたパンドラの仕業ではないかと思う」
パンドラの目的は未だ不明である。ただ、アストロフィによる瞳(魔城)攻略を阻止するための策として、確かにヨハネス暗殺が有効なことは明白であろう。
「陛下がいなくなれば、跡継ぎもいない」
呟くようにアレスが言うと、セブンスも頷きつつ話を続ける。
「そうだ。そうなれば、アストロフィは瓦解する。陛下がジャーニーにいる間、そうならないように警戒を頼む」
「了解した」
「このことは、信頼出来る者にだけ伝えてくれ。そして、これは私個人からの頼みなのだが」
セブンスはそう前置きした上で、政敵であるフラメアについての見解を述べる。
「フラメア殿が魔城攻略を焦っているのは知っていると思うが、今の彼女達が陛下の元を離れるのは危険だと思う」
「確かに。あのような事件が起きた後ということを考えると、陛下の警護は最も信頼出来るフラメア殿であるべきだろう」
「フラメア殿もそのことは分かっている筈なのだが、サンドルミアに先に瞳を攻略されて、焦っている。対立している私が止めても、聞き入れてはくれないだろう。だからこそ、アレス殿からそのことを彼女に伝えてもらえないだろうか?」
そう言われたアレスとしては、判断に迷う。魔城を攻略するためには「赤い月光」の力を借りたいところだが、確かに、この状況下でヨハネスの警備をおろそかにする訳にはいかない。かと言って、魔城攻略を先延ばしにする訳にもいかない、というのがアレスの見解でもある。そうなると、「赤い月光」抜きで魔城を攻略するには、やはり三国同盟は不可欠であるが、それが実現する保証もない。
「難しい問題だとは思うが、最終的には陛下の判断だ。いずれにせよ陛下の御身が第一。よろしく頼む」
セブンスはそう言うと、ヨハネスを連れて彼の客室へと、瞬間転移の時空魔法を用いて移動する(どうやら、先刻もこの手法でヨハネスをこの部屋へと移動させていたようである)。アレスは様々な可能性を考慮に入れつつ、ヨハネスの警備をより厳重にするよう、部下達に申し付けるのであった。
3-1、領主の戦略
翌朝、ウルーカはタクトから鳴り響く「自分の歌の目覚まし音」で目を覚ますと、そのまま着替えて執務室へと赴き、アレス、そしてアニューとの「朝の閣僚会議」に臨む。
アレスが「ヨハネスを狙う間者が忍び込んでいるらしい」という情報と、「フラメアを止めてほしいと頼まれた」という旨をアニューとウルーカに伝えた上で、三人で話し合った結果、最終的には「魔城の討伐隊はジャーニーの部隊のみから編成し、ヨハネスにはジャーニーに滞在してもらったまま、彼の警護と街の防衛をフラメア率いる『赤い月光』に依頼する」という方針で、三人の意見は一致する。フラメアがそれで納得してくれるかどうかは分からないが、現状ではそれが最良の策であるように思えた。
その上で、アレスはミリアもこの場に招くために、伝令兵を彼女の元へと走らせる。なお、これまでのアニューとウィンスの諸々の前科に鑑みた上で、現在の執務室の前には「扉の開閉専門の兵士」を配備されることになっていたため、ミリアが到着すると同時に(彼女が扉を壊す前に)、その兵士が普通に扉を開けた。
こうして、ようやく「扉を壊されずに会談する環境」を確保したアレスは、ミリアに対して早速本題を切り出す。
「単刀直入に言うと、君の目的は、我々に兵を出してもらうことだな? 我々としては、魔王を倒すための討伐隊を出そうと考えている。問題は……」
「私ですね」
ミリアがそう答えると、アレスは頷く。現状、彼女はまだ正式にアレスの傘下に入った訳ではなく、アストロフィの一員でもない。
「あなたはどうしたいのですか?」
ウルーカがそう問うと、改めてミリアは自身の気持ちを素直に伝える。
「私も協力したいと思う。これは私自身の問題でもあります」
自分達が瞳を攻略した結果として魔王を生み出してしまった以上、それは彼女の中では当然の話である。問題は、それをアレス達が認めるかどうかだが、それについては、昨日の対悪魔を通じて、既にこの三人の中では結論が出ていた。
「彼女の『カラテ』の力は確かに必要だ。それに加えて、彼女を通じてサンドルミアとの接点を作っておくことも、魔城が無くなった後の傭兵の派遣先を確保する上では重要でしょう」
領主であるアレスに対してそう進言したのは、アニューである。実際、瞳に続いて魔城をも消滅した場合、(その後のバルレアの情勢次第ではあるが)この国の傭兵達は行き場を失う可能性がある。そうなった時に、大国サンドルミアとの提携という形で新たな派遣先を確保しておくことは、確かに有益であろう(もっとも、最終的にそれを決めるのはヨハネスであるし、実質追放状態になっている今のミリアの帰国をサンドルミアが受け入れる保証もない訳だが)。そのことを踏まえた上で、アレスはミリアにこう告げた。
「君が我々の討伐部隊に参加している間は、君を我が国の一員として扱う。報酬も払う。そして、君の力を我が国のために使ってもらう」
「分かりました」
ミリアとしては、是非もない話である。その上で、アニューは更にもう一つ付け加えた。
「その上で、攻略後の会議において、我々に有利になるように動いてほしい」
実際のところ、これが一番重要な問題である。この戦いを通じて、誰が「瞳(魔王)の混沌核」を手に入れるのかによって、その後の国際情勢は大きく変わる。ウィステリアとユーミルに彼女の同胞が同盟交渉に行っているのなら、当然、三国間での利害調整の際に、彼女の果たす役割も大きくなるだろう。
「そうだ、我々が強大な力を得ることによって、周囲への抑止力になり、それがこの地域の平和と安定に繋がる」
アレスはそう付言すると、ミリアはその意図は理解出来るものの、少々困った顔を浮かべる。
「私にはそこまでの実権はないので、あまり力になれるとはおもえません」
実際のところ、今の彼女はただの亡命者であり、サンドルミアの後ろ盾があるとも言い難い以上(仮にあるとしても、それは他の二人も同様である以上)、彼女としては、そう言わざるをえないだろう。だが、アレスとしても、そこまで強い影響力を求めている訳ではない。
「最悪、キミが『敵』にならなければいい。多少なりとも協力してくれれば」
「あまり期待はしないで下さいね」
「戦力としての君には期待している」
「それは期待して下さい」
ミリアが表情を一転させてそう言うと、ウルーカが心配そうに声をかける。
「今度は、ペンデュラムちゃんを巻き込まないで下さいね」
「それは、ペンデュラムちゃんの方をどうにかして下さい」
実際、ミリアとしても自分の攻撃に味方を巻き込みたくはないが、状況的に巻き込まざるを得なくなることもある。そうならないようにするためには、互いの連携が必要になるだろう。昨日の悪魔との戦いの時点では、まだ互いの戦法もよく分からない状態での共同戦線だったために、あのような形になってしまったが、次はそうならないよう、日頃からそれぞれの戦術を確認しておく必要があると、この場にいる者達は実感していた。
3-2、傭兵と投影体
そんな話をしている中で、ウィンスの声が廊下から聞こえてくる。
「領主様、ジャーニー鉄華団です! 定時報告に来ました!」
「早く、扉を開けてあげて!」
ウルーカが慌ててそう言うと、無事に扉は壊される前に開かれる(なお、これまでのこの建物の修繕費の約3割は、アニューとウィンスに壊された扉の修理代と言われている)。
「ウィンス君、今後の魔城攻略作戦を進めるにあたって、『ジャーニー鉄華団』と改めて契約を結びたい。とりあえず、概要を簡単に説明しよう」
そう言って、アレスがここまでの話をそのまま彼に伝えると、ウィンスはバツが悪そうな顔を浮かべる。
「なるほど、魔王を討伐するということであれば、ぜひとも我々も力になりたいのですが……、実は昨日、フラメア殿からも共同作戦の打診をいただいておりまして……」
「そうだったのか、しかし、我々としては『赤い月光』を、陛下の守りに使いたいのだ」
「それは分かりました。ですが、魔境討伐に『赤い月光』を使わないのはなぜです? 陛下の警備の方を傭兵に任せても良いのでは?」
「詳しくは言えないが、陛下の警備の方に、より信頼出来る者を回さねばならない事情があるのだ」
「フラメア殿は、それで納得してもらえるのですか?」
「それは、私がなんとかしよう」
アレスがそう言ったところで、アニューが口を挟む。
「私も、一緒に彼女を説得する」
フラメアのことは彼が一番分かっている。彼女の魔城攻略へ賭ける思いも理解出来るからこそ、自分が説得しなければならない、という気持ちが彼の中では高まっていた。
そして、彼等がそんな会話を交わしている中、突然、この部屋の中に、何か小さい「異形の者」が紛れ込んでいる気配を、ウィンスは察知する。それは、ネズミよりも少し大きい程度の、しかし明らかに「この世界の生き物」ではない混沌の気配を纏っていた。
「何者!?」
彼がそう叫んだ瞬間、その気配はすっと消えた。突然のことに驚いたアレスが問いかける。
「どうした?」
「今、そこで、小型の投影体のようなものが見えたのです。あれは、ウルーカ様が召喚したものですか?」
全く身に覚えのないウルーカは、首を横に振る。とりあえず、ウィンスは執務室にあった筆記用具で、自分が見た投影体の姿を描く。ウルーカの目には、それは「インプ」と呼ばれる小型の悪魔のように思えた。エーラムの召喚魔法師の中では「緑の学派」と呼ばれる主流派の魔法師達であれば容易に呼び出すことは出来るが、ウルーカはもう一つの「浅葱の学派」と呼ばれる亜流の魔法師であるため、そもそも専門外である。
「私が気付いたと同時に、逃げていきました。今、この地に、このような投影体を呼び出せる者は、誰か他にいますか?」
「私以外で召喚魔法師となると……、確か、ヨハネス様のところに来た新しい魔法師の娘がそうだったような……」
彼女が何者なのかは、現時点では誰も分からない。仮に、今この場にいた投影体が彼女が呼び出したものだったとしても、彼女が何を目的にこの場に忍ばせていたのかと考えると、様々な可能性が想定される。そんな中で、ミリアが口を開いた。
「とりあえず、その人の話を、聞くだけ聞いてみましょう」
ルビーが召喚主かどうかは分からないが、仮にそうでなかったとしても、彼女も専門家である以上、彼女に何か聞けば、何か分かるかもしれない。そう考えた彼等は、最悪、彼女が悪意を持って魔物を召喚している可能性も考慮した上で、この場にいる五人全員で、彼女の部屋へと向かうことにした。
3-3、騎士達の勘
ルビーの部屋に五人が辿り着き、扉を叩こうとした時、廊下の後方から後ろから彼女の声が聞こえてくる。
「あれ? どうかしたんすか?」
どうやら彼女は、部屋を離れていたらしい。彼女と唯一まともに面識のあるウルーカが、慎重な姿勢で問いかける。
「あ、ルビーさん、いきなりごめんね。さっきまで、どこに行ってたの?」
「さっきっすか? 城下町を散歩してました。どうかしたんすか?」
この言い方からして、彼女は誰かと一緒にいた訳ではないらしい。つまり、彼女には明確なアリバイはない、ということになる。
「さっき、『ネズミを少し大きくしたような何か』をみたんだけど、何か心当たりは?」
「んー、分からないっすね。でも、もしそれが魔物の類いなのだとしたら、ヨハネス様を狙う人達が何かしてるのかな……?」
「それを調べてるんだけど、他に何か心当たりは?」
「ヨハネス様と一緒に来た者達の中で、召喚魔法師は私だけっすよ」
ルビーは淡々とそう答えるが、この場にいる者達の中でミリアだけは、ルビーの口調に態度に違和感を感じた。端的に言って、彼女が何かを隠しているように思えたのである。
「じゃあ、私も何かおかしなことがないか調べてみますね」
ルビーはそう言って、部屋には戻らずに、今歩いてきた廊下をまた反対方向に戻っていく。そんな彼女の後ろ姿を見ながら、ミリアは小声でアレスに進言した。
「すみません、気になることがあるので、私も彼女についていって良いですか? 私には、彼女が何か『嘘』をついているような気がするのです」
「なぜ、そう思った?」
「正直に言うと、勘です。私が信用出来なら、それでも構いませんが」
実際のところ、アレスの視点から見れば、ミリアもルビーも、信用出来る度合については実は大差なく、どちらも間者や工作員である可能性は十分にある。だが、それでもアレスはここではミリアを信じ、彼女にそのままルビーを監視するように頼んだ。それもまた、アレスの「勘」に過ぎないが、ここまでのミリアの様子や態度を見てきた結果、既にアレスはミリアのことは「信用に価する人物」だと確信していたようである。
アレスの許可を得たミリアは、小走りでルビーを追いかける。
「ルビーさん」
「どうしたんすか? えーっと、ミリアさんですよね」
「えぇ。一人より二人の方が見つけ易いかもしれないので、私がついて行ってもいいですか?」
「そうですね。私は専門家ではありますが、一人よりも二人の方が見つけ易いかもしれないですし」
そんなオウム返しのとってつけたような返答にますます違和感を感じたミリアは、ルビーと一緒に周囲を監視するフリをしながら、横目でルビーの動向に目を見張っていた。
3-4、団長の決断
ルビーの監視をミリアに任せたアレス達は、ウルーカをもう一人の(専門外ではあるがより高位の)魔法師であるセブンスに助言を求めるために派遣した上で、残りの三人は当初の予定通り、フラメアの元へと向かった。魔城攻略に向けての役割分担案を、彼女に納得してもらうために。
フラメアが滞在している「赤い月光」の宿舎へと三人が辿り着くと、「団長は奥で武器の手入れをしている」と兵士に言われて、そのまま奥へと案内され、彼女との面会に至る。
「ごきげんよう、フラメア殿」
アレスがそう挨拶すると、フラメアは怪訝そうな顔で答える。
「朝早くから、どうされた?」
「少々話したいことがあってな」
「話とは?」
ここで、アニューが話に割って入った。
「今回の瞳攻略、お前には、この街を守って頂きたい」
「何? それはどういうことだ?」
「ヨハネス陛下の命が狙われているらしい」
「それは私も聞いている。幹部達にも警戒させている」
「陛下の命を狙う者が私達の身内の中にもいるかもしれない」
「それも重々承知している。兵士達の出自も調べているが、今のところ、怪しい者はいない」
ここで、ふと疑問に思ったウィンスが口を挟む。
「その調査は、誰が担当しているのですか?」
「それは、セブンス殿を含めた皆で調査している。私とは対立しているが、彼は信用出来る人物だ。ただ、あの御仁は慎重すぎる。ここで他国に遅れをとる訳にはいかない」
彼女がそう答えると、再びアレスが口を開き、話を本題に戻す。
「それに関しては、我々が討伐隊を編成することにした。だから、フラメア殿にはここで陛下の警護をお願いしたい」
「それは、私では魔王討伐を任せるには力不足だということか?」
「とんでもない。あなたの力が信用出来るからこそ、陛下の近くにいて頂きたいのだ。内側に潜んでいるかもしれない『敵』を牽制するためにも」
そう言われた彼女は、しばらく考え込んだ上で、納得したような顔を浮かべる。
「なるほど。確かに、それはそうかもしれない。私は今まで、瞳を攻略して混沌核を手にすることで、陛下の威光を高めようと思い、躍起になりすぎていたのかもしれない。私は、冷静ではなかったのかもな。確かに、瞳の跡地に関する地の利はお前達の方にあるだろう。ただし、覚悟しておけよ。お前達はこのバルレアで最強の『赤い月光』を差し置いてその任を任されるのだ。もし失敗したら、それは我等やヨハネス陛下の名声にも傷をつけることになる」
「無論だ。既に私にも、それだけの覚悟は備わっている」
アレスがそう返すと、フラメアはウィンスに視線を向ける。
「そこの彼も連れていくのだな?」
「そうだ」
アレスが即答すると、ウィンスは申し訳なさそうな顔を浮かべる。
「すまんな、フラメアさん、出し抜く形になってしまって」
「私も傭兵団出身だから、貴殿の気持ちは分かる。条件の良い方に雇われるのは当然だ」
「あんた達の名声は俺達も知ってる。だから、今回は俺達に手柄を譲ってもらえないかな?」
「そうだな。思い返してみれば、私達もそうやって先輩達から『重要な役割』を譲り受けてきた。今回は、ひとまず次世代のお前達に、機会を与えてやるべき時なのかもしれない」
こうして、難航するかと思われた交渉は、意外にもあっさりと決着した。フラメアが瞳攻略にこだわっていたのは、あくまでもヨハネスの権威のためであったからこそ、ヨハネスの警護に専念するという役割を任されたことに、彼女は素直に納得したようである。そしてアレス達がここまで十分な実績を示してきたからこそ、魔城の攻略を彼等に託す決断が下せたのであろう。
3-5、城下町の異変
その頃、ミリアとルビーは、城の中を二人で探索していたが、特にこれといった異変は(どちらの意味でも)見つからなかった。
「見つからないっすねぇ」
「そうですねぇ」
「もう、呼び出した人が引っ込めちゃったんすかねぇ。城下町の方を探してみます?」
ルビーの方からそう提案されたミリアは、その意図が何なのか判別がつかないまま、ひとまず頷く。
「そうですね。と言っても、私はここにきたばかりですから、この街のことはよく分からないんですけど、ルビーさんは分かりますか?」
「私は以前、ここにきたことがありますから」
こうして、二人は城を出て、城下町へと足を運ぶ。すると、城下町の一角で、傭兵達が喧嘩をしている様子が目に入る。どうやら、片方がガンを飛ばしたとか、飛ばしていないとか、そういった類いの些細な言い争いが喧嘩に発展したらしい。周りの者達がそれに対してヤジを飛ばしながら、大きな人だかりが出来ている。傭兵が集う戦時下の街においては、よくある光景であろう。
だが、ミリアがそんな彼等の様子に一瞬気を取られた直後、隣にいたルビーに声をかけようとした時、既にそのルビーの姿が消えていた。そして次の瞬間、ミリアや傭兵達の目の前で混沌核の収束が始まり、悪魔のような姿の投影体が出現する。
「おい、何だこれ!」
傭兵達が困惑する中、ミリアは真っ先にその悪魔に向かって走り込み、拳を突き立てた。
「ベルナール流アンデス空手奥義、デンジパンチ!」
その一撃でその悪魔は消滅したが、それに続けて、次々とその場に悪魔達が現れる。
「何だなんだよ、おい!」
傭兵達の間での混迷は更に広がるが、少なくとも放置しておいて良い存在ではないことは、彼等にも分かっていた。そんな中、いくら周囲を見渡してもルビーの姿が見つからないミリアは、このことをアレス達に報告すべく、城に向かって駆け出す。
「傭兵の皆さん、そいつらを抑えておいて下さい。私が援軍を読んできます!」
突然そう言われた傭兵達であるが、うら若き乙女が拳一つで悪魔を粉砕した光景を見た直後である以上、傭兵のプライドにかけて、応じない訳にはいかない。
「おう、任せてくれ、こんな奴ら、俺達にかかれば瞬殺よ!」
そう言って彼等が戦闘態勢に入るのを確認すると、ミリアは城へと全速力で駆け込んで行くのであった。
3-6、混乱する城内
一方、その頃、ウルーカはセブンスの客室を訪問していた。
「朝早くから、どうかしたのか?」
「私は直接は見てないのですけど、この城内に『ネズミよりも少し大きい投影体』がいた、とウィンスさんが言っていました。どうもその形状からして、インプの類いのようなのですが、ルビーさんも心当たりがないとのことでしたので、セブンス様なら何かご存知かと思いまして」
唐突な説明にセブンスは困惑しつつも、危険な事態が発生しつつあることはすぐに理解する。
「それは、むしろ君達の方が専門家だと思うのだが……、いずれにせよ、そんな事態の発生を私が見逃していたとはな……。私も、疲れがたまっていたのだろうか……。ともかく、お互いに警戒をしよう。魔法師として」
彼はそう答えた上で、ウルーカと共に、ひとまず手元の魔道書を開いて「この状態の原因となりうる可能性」について熟考し始めるのだが、そんな中、徐々に城内が騒がしくなってくる。部屋の外を走り回る兵士達と思しき足音が聞こえてきたのに対し、セブンスは扉を開けて外の兵士に問いかける。
「騒がしいな。何かあったのか?」
「城内に、悪魔が!」
「何だと!?」
唐突すぎる事態に、さすがのセブンスも驚愕の声を上げると、後ろからウルーカが進言する。
「これは、ヨハネス陛下のところに行った方がいいのでは?」
「そうだな。まず、陛下の御身を守らねば!」
彼はそう言うと、時空の扉を開き、ウルーカと共にヨハネスの元へと瞬間転移する。
******
時を同じくして、「赤い月光」の詰所にいたアレス、アニュー、ウィンスのところには、城下町から走り込んできたミリアが到着していた。彼女はここに来るまでの間に、城内でも悪魔が出現した状況を確認している(一方で、まだルビーの姿は見つかっていない)。
「街中と城内に、投影体が大量発生しています!」
ミリアが彼等にそう伝えると、四人は一瞬にして表情が変わる。フラメアが即座に団員達に出動命令を下す中、ミリアはアレス達に状況を正確に説明する。
「街の悪魔達は、ルビーさんがいなくなった直後に現れました。やはり、彼女が何か関係しているのでは?」
「分かった。では、彼女を見かけ次第、確保しよう」
アレスがそう答えると、皆も同意しつつ、ひとまずはヨハネスの身の安全を確保するために、彼の部屋へと向うという方針で一致する。
「俺は弓を取ってくる!」
「私は鎧を!」
ウィンスとアニューは、そう言って自室へと駆け戻る。彼等のような邪紋使いは、使い慣れた特殊な武具でなければ、その本領が発揮出来ないらしい。一方、特に武器にこだわりのないアレスは、予備の武器庫から二本の長剣を取り出し、鎧もその場で借りて戦闘態勢を整える中、あまり普通の兵士が持っているとは思えない鉄爪という珍しい武器を得物とするミリアは、今から自分の鉄爪を預けてある管理庫まで取りに行くには遠すぎることもあり、ここは素手で戦えばいい、と割り切った上で、丸腰のままヨハネスの部屋へ向かおうとしていた。
だが、そんな彼女の前に一人の兵士が現れ、新品の鉄爪を差し出す。それは、昨日の訓練場において、彼女に殴り飛ばされた、アニュー傘下の盾兵であった。
「これ、使って下さい」
「いいのですか?」
「はい、昨日の稽古の時にあなたに殴られて、あなたの強さに憧れて、あなたのようになりたいと思って買ったばかりの物です」
「では、ありがたく使わせて頂きます」
「出来れば、この戦いが終わったら、あなたの武術を教えて下さい」
そう言われたミリアは、父との約束を思い出し、少し困った心境に苛まれながらも、笑顔で彼にこう告げた。
「すみません、故あって、私の武術をあたなに教えることはできません。でも、いつか、あなたもまた『あなたの武術』が作れるといいですね」
その言葉に、兵士は深い感銘を受ける。そして彼女はアレスと共に、ヨハネスの部屋へと向かって駆け出して行くのであった。
3-7、黒幕の正体
先にヨハネスの部屋に到着したのは、セブンスとウルーカである。しかし、多大な魔力を消耗する瞬間転移の術を使ったこともあり、到着と同時に、セブンスはその場に膝をつく。どうやら、かなり疲労しているらしい。
そして、突然現れた混沌の扉から現れた二人に対して、ヨハネスは剣を握って斬りかかろうとしていたが、二人の姿を確認して、すぐに剣を収める。
「ヨハネス様、この城内に、投影体が現れたようです」
「そうでしたか。ならば、ここは私達『君主』の出番では?」
ヨハネスはそう言って、自らの聖印を出現させようとする。確かに、混沌を浄化するのは君主の仕事であるが、今の彼には、まだ混沌にまともに立ち向かえるほどの力はない。
「そうですね、ただ、これはおそらく、誰かの人為的なことだと思います。そして、その者達の狙いは……」
ウルーカが最後まで言い終える前に、ヨハネスの客室の扉が破壊された。犯人は、アニューでもウィンスでもない。そこにいたのは、異界の悪魔達であり、扉の外にいた兵士達もその勢いで吹き飛ばされていた。
「ここはどうやら、戦うしかないようですね」
ウルーカがそう言ってタクトを構えると、悪魔達の奥に、ローブを深く被った女性の魔法師の姿が目に映った。顔ははっきりとは見えないが、その背丈と体格から、ルビーであることはすぐに分かる。そして、幾多の悪魔を同時に従えていることから、彼女が通常のエーラムの召喚魔法科の課程で育った魔法師ではないことも推察がつく。どのような経緯でアストロフィの契約魔法師としての立場に潜り込んだのかは不明だが、ほぼ間違いなく、彼女は「闇魔法師」であろう。
「やはり、あなたが絡んでいたのね」
「ちょっと、やりすぎちゃったかな。さすがに勘付かれたわね」
明らかに、先刻までとは異なる口調で、しかし確かにルビーの声で、その魔法師は答える。
「せっかく、かわいい後輩だと思ってたのに……」
「私は、あなたみたいな先輩は欲しくないな」
「そんな……、歌では私に勝てないからって……」
ウルーカのそんな挑発(?)をルビーがスルーする中、廊下の方から走り寄ってくる者達の足音が聞こえる。その音と共に近付いて来たのは、アレス、ミリア、アニュー、ウィンス、そしてフラメアの姿であった。
「あー、厄介な人が来ちゃいましたね」
ルビーはそう言うと、フラメアの目の前に巨大な悪魔を出現させる。それは、これまでアレス達の前に現れた者達とは明らかに格が違う、最上級の悪魔であった。そしてフラメアがその巨大悪魔と対峙している間に、その身に混沌そのものを宿したかのようなオーラをまとったルビーは、謎の呪術をアレス達に向かって解き放つが、彼等は強靭な精神力によってそれを耐えきる。
そして、彼女が全ての黒幕であることを確信したウィンスが、彼女に対して邪紋の力を込めた矢を放つ。屋内であるにもかかわらず、絶妙な弧を描いて彼女の身体を捉えたその矢は、彼女のローブに込められていた特殊な装甲を削り穿ち、その身体を露出させていく。
一方、部屋の内側にいたウルーカは、ペリュトンを固定召喚する。この時点で、フラメアと戦っている巨大悪魔とは別に、ルビーを取り囲むように六体の悪魔がこの部屋の中にいた。ウルーカはひとまず手前にいた悪魔に対してペリュトンを差し向け、その一撃であっさりと葬ることに成功すると、その直後に今度は反対側にいる三体の悪魔に対して暗黒の犬型召喚獣を瞬間召喚し、彼等を蹂躙するように突撃させる。その結果、三体のうち一体の悪魔はその攻撃で消滅し、残り二体にも深い手傷を負わせた。
更に、間髪入れずに今度はミリアがルビーに向かって踏み込み、その鉄爪でルビーの身体を貫こうとする。
「ベルナール流アンデス空手奥義、ブレイブブロー!」
その一撃を受けた彼女は身体の自由を奪われ、更にそこにもう一撃を食らわせようとしたが、紙一重のところで(技名を叫ぶ前に)かわされてしまった。その直後、近くにいた悪魔がミリアに襲いかかり、ミリアは避けきれずにその一撃を食らってしまうが、致命傷には至らず、彼女はそのままルビーに向かって対峙し続ける。
そんなミリアに負けじと、今度はアレスがルビーに向かって襲いかかった。彼は二本の剣を同時に操り、ルビーに向かって怒りの連撃を叩き込む。
「ヨハネスに手を出す愚か者め! 散るがいい!」
既にウィンスの矢とミリアの鉄爪で深手を負っていたルビーに、その攻撃に耐え切れる力は残っていなかった。彼女の身体がその双剣で引き裂かれようとした瞬間、彼女は自分の死を悟りつつ、自分が呼び出した悪魔達に向かって、最後の命令を叫ぶ。
「狙うのはヨハネスだ! 一心にアレだけを狙いなさい!」
そう言い残して、彼女は命を落とす。だが、その声に悪魔達が反応する前に、先に動いたのはアニューであった。彼は全速力で部屋の入口からヨハネスの元へと走り込み、その直後にヨハネスを襲おうとした悪魔の攻撃から、白地に赤十字の盾を掲げて、身を挺してヨハネスを守る。
一方、他の悪魔二体は、ヨハネスを狙おうにも届かない位置にいたため、まず目の前のアレスに対して襲いかかる。アレスに向けられたその悪魔達の攻撃のうち、一撃目はウルーカの魔法による支援もあって、かろうじて避けることに成功したが、もう一撃はアレスの身体に直撃し、深手を負ってしまう。
その直後、ウィンス、ペリュトン、ウルーカの攻撃によって、ヨハネスを攻撃しようとしていた別の二体の悪魔が倒される中、アレスに対してとどめを刺そうとする二体の悪魔を倒すため、ミリアは再び鉄爪を構えて、大技を繰り出そうとする。彼女は、アレスに対して「避けて下さい」と目で訴え、アレスもそれに対して黙って笑顔で返したのを確認した上で、その場にいる者達全員を吹き飛ばす勢いの必殺技を繰り出す。
「ベルナール流アンデス空手奥義、ロックブラスター!」
アレスがかろうじてその攻撃をかわす一方で、二体の悪魔のうちの一体は完全に消滅し、残りの一体も深い傷を負う。そこにアレスが更に止めを刺そうとするが、それでも倒しきることは出来ず、逆に悪魔はアレスを倒そうと最後の力を振り絞って襲いかかるものの、アレスはあっさりとそれを避ける。
そしてその直後、巨大悪魔を倒して走り込んできたフラメアが、瀕死の状態のその悪魔にその剣を突き立てて消滅させたことで、ヨハネスを襲おうとした悪魔達の一群は、完全に一掃されたのであった。
4、エピローグ
「歌だけでなく、魔法師としての腕も、私には勝てなかったようですね」
ルビーの亡骸に向かって、ウルーカは煽るようにそう言ったが、当然、今の彼女はただの屍なので、返事はない。結局、彼女が一連の事件の全ての黒幕だったのかどうかの確証はないし、誰が彼女の背後にいたのかも分からない。
ただ、状況証拠から察するに、昨日から出没していた悪魔達は彼女が呼び出したものであることは間違いないだろうし、おそらく側近の兵士を魔法か何かの力で操ってヨハネスを襲わせたのも、彼女の仕業であろう。エーラムの召喚魔法師には、表にも裏にもそのような魔法を駆使する流派はないが、彼女が闇魔法師であるならば、そのような魔術を習得していてもおかしくはない。そして、彼女が闇魔法師であるならば、彼女にアストロフィの瞳攻略妨害を命じたのは、パンドラである可能性が高い。
おそらく、ウルーカに対して、セブンスとフラメアの不仲説や「得体の知れない傭兵達の増加」を伝えたのも、彼女の捜査を混乱させ、アストロフィ内の疑心暗鬼を煽るための策だったのだろう(もっとも、ウルーカの性格の問題もあって、結果的にはあまり意味はなかったようだが)。
とはいえ、彼女の単独犯である保証はない以上、アレス達は、ヨハネスを警護しつつ、「赤い月光」や「ジャーニー鉄華団」の面々と共に城内の悪魔を一掃すると同時に、場内に他の間者や刺客が紛れ込んでいないかを確認するが、特にこれといって怪しげな気配も見つからなかったため、ひとまず事態は沈静化されたと判断した上で、再びヨハネスの部屋に集まった。
「ヨハネス、大丈夫か?」
アレスが心配そうにそう言うと、ヨハネスは凛として答える。
「大丈夫です、皆さんが守ってくれましたから。本当は、私も戦いたかったのですけど……、此度はよく働いてくれました」
彼はそう言った上で、ミリアに目を向ける。
「フラメアやセブンスと相談したのですが、あなたからの今回の派兵要請の件、アストロフィの国王として、兵を出すことに決めました」
「ありがとうございます」
ミリアが深々と頭を下げると、今度はヨハネスはアレスに視線を移す。
「総指揮官には、フラメアの推薦に基づき、あなたを任命します」
「光栄です」
公的な勅令ということもあり、アレスは礼に則った態度でその命を拝聴する。その隣で、フラメアがアレスに笑顔で告げた。
「その間にこの地は私が守ります。存分に暴れてきて下さい」
そして、アストロフィ軍の一員として加わることを決意したミリアもまた、「主君」としてのヨハネスに問う。
「陛下、私も討伐隊に参加させて頂きますか?」
「今回のあなたの働きを見れば、当然のことです。あなたも存分に働いて下さい。そして、『ジャーニー鉄華団』の皆さんにも、ご助力をお願いします」
「もちろんです、陛下のためにこの身を捧げましょう」
ウィンスが満面の笑みでそう答えると、最後にヨハネスは、皆に向かってこう告げた。
「アストロフィの手に、バルレアの瞳を」
アレスは深々と頭を下げ、他の者達もそれに倣う。こうして、アストロフィとしての、本格的な魔城攻略へ向けての一歩が、ようやく踏み出されたのであった。
******
ヨハネスの部屋から一旦散会した後、アニューはフラメアと二人で会話をする機会を得た。
「今回は、君達に託すことになった。先の騒乱の前にも言ったが、君達には、アストロフィの誇りを背負って戦ってもらうことになる」
「そうだな、その誇りを背負って、前線で盾となって、我が主君の命も、この国自体も、この手で守っていこう」
「おそらく、他国と協力するのは難しいだろう。出し抜き合いにもなるかもしれない。陛下は瞳を手に入れることを望んでいるし、私もそれを願っている。だが、それ以上に、まずは必ず生きて帰ってこい。そのためには、お前の力が必要だ」
「もちろんだ。必ず、全員生きて帰らせよう」
アニューはそう言って、師匠にして元上司にして想い人でもあるこの年下の女将軍に対して、改めて戦士としての誓いを立てるのであった。
******
二人がそんな会話を交わしている中、戦いで疲れきった城の兵士達を癒すために、ウルーカは異界の拡声器を用いて、「可もなく不可もない歌」を歌い始める。それは、この街における「いつも通りの日常」が戻りつつあることの象徴でもあった。
(どうやら、これから他の国の人々とも接点が出来流ことになるようですし、いつかは、私も他の国にも行ってみたいですね)
密かに世界進出を企んでいるこの「歌う魔法師」は、相変わらずあまり聴衆のいない街角で、それでもマイペースに歌い続ける。
(この一件を片付ければ、きっとまた皆の心に「歌を聴く余裕」も生まれてくることでしょう)
そんな想いを込めながら、彼女は今日も自慢の歌声を街角に響かせ続けるのであった。
******
そんなウルーカの歌声を背景に、ジャーニー鉄華団の詰所へと戻ったウィンスは、誇らしげに団員達に伝える。
「みんな、デカい仕事を取ってきたぜ!」
それに対して、団員達が群がる様に集まってくる。
「さすが団長!」
「で、どんな仕事だ?」
期待を込めた視線でウィンスを見つめる団員達に対し、彼はニヤリと笑って答えた。
「魔城に入って、魔王を倒して、勇者になるって仕事だ。簡単だろう? お前達も来るかい?」
それを聞いた団員達は、一斉に歓声をあげる。
「もちろんだ!」
「俺達の命はあんたに預けてるんだ。この命を『もっと大きなもの』に変えてくれ!」
「せいぜい暴れて、手柄を上げてやろうぜ!」
こうして、血気盛んな次世代の傭兵達の決起の雄叫びは、しばらくの間、ウルーカの歌声すらも吹き飛ばす勢いで、町中に響き渡ることになるのであった。
******
一方、そんな彼等とは対照的に、一人静かに闘志を燃やしていたミリアは、一通りの業務を終えたアレスを、訓練場へと誘う。他に誰もいない静かな訓練場において、彼女はアレスに対してこう言った。
「前に『アンデス空手』を教えてほしい、と言ってましたね。よく見ていて下さい」
彼女は構えて、一歩踏み出し、拳を打つ。それは、先刻の戦いにおいて、ルビー相手に彼女が放った必殺技であった。
「これが『ブレイブブロー』です。この技は、相手に向かって『一歩踏み込むこと』が大切です。そのためには勇気が必要。それが、このアンデス空手の極意なのです」
そう前置きした上で、彼女は話を続けた。
「先の戦いで、あなたは私に勇気を見せてくれました。ルビーを倒したあの一撃、私は深く感動しました。本来ならば、この極意は無闇に教えてはいけないのですが、あなたにならば教えても良いと考えた次第です。この『一歩踏み込むこと』の大切さを」
それは即ち、アレスがミリアを信じて自身の傘下に加えたのと同様に、ミリアもまた、アレスのことを「門外不出の奥義の極意」を教えても構わない相手だと認めた、ということである。そして彼女はそのまま話を続ける。
「此度の戦いでは、ヨハネス様が言われた通り、瞳の混沌を浄化吸収する任務があります。しかし、それ以上に大事な任務があります。それは……」
ここで、初めてアレスが口を開く。
「生きて帰ること」
「そういうことです」
「あぁ、その通りだ。これからも、よろしく頼む」
こうして、二人の君主は改めて硬く手を結ぶ。生まれも育ちも性別も何もかも違う二人であるが、ここに至るまでの一連の戦いを通じて、二人の間には確かに硬い「絆」が生まれていた。
******
翌日、アレスが朝早く起きて剣の鍛錬をしているところへ、ヨハネスが通りかかった。
「アレス兄、どうしたの? こんな朝から」
「決まってるだろ。体がなまってるからな」
「じゃあ、今度は僕が稽古をつけたげるよ」
そう言って、ヨハネスは剣を構える。
「ほう、最後に会った時よりも、随分と構えが様になってきたな」
「そうだろ? あれから毎日、一生懸命練習したからね」
彼はそう言って、アレスに向かって剣を振るう。まだまだ戦場で役に立つと言えるレベルではないが、それでも大きく成長していることは、アレスにも実感出来た。
「すごいな、俺の剣さばきを受け止められるなんて」
そう言って労おうとするアレスの言葉に対して、ヨハネスは必死で剣を振るうのに集中しているため、返答をする余裕はないが、そんな中、鋭い切り返しを見せる。
「以前は、一発も打ち返すことができなかったお前が、ここまで出来るようになったか」
そう言った上で、アレスはひとまず打ち合いを止める。さすがにヨハネスは少し息が上がっているようだが、それでも彼は気丈にアレスを見上げながら、こう言った。
「今はまだ、アレス兄達の力を借りないと、まともにやってけないけど、いつかは僕が、皆を助けられるような君主になるよ。だから、アレス兄も生きて帰って来てね」
「そうだな。俺も、お前の成長が楽しみになってきた」
「言ってることが、セブンスみたいになってるよ。まだそんな歳じゃないでしょ?」
「そうだな、まだ嫁さんもいないし。ともかく、俺はお前の成長を見守ることを使命だと思ってる。だから、これをお前に預ける。俺が帰ってきたら、必ず返せよ」
そう言って、アレスは自分のイヤリングをヨハネスに渡す。
「分かった。なんか、こういうのって、どこかで聞いたことあるような気がするんだけど……、なんて言うんだっけ?」
それが「フラグ」という異界の言葉であることに、アレス自身が気付いているのかどうかは定かではない。
「まぁ、あるとしたら『前世の記憶』か何かだろう。俺はそういう超常現象を割と信じる方だからな。ともかく、俺は、お前が俺を倒せるようになるまでは生きてるさ」
「約束だよ」
こうして、ヨハネスに自分の「想い」を託したアレスは、ばさっとマントを翻して、彼の前から立ち去って行く。これから彼を待ち受ける、三国間交渉と、その後の魔王討伐という、壮大な使命を果たすために。
最終更新:2017年02月23日 03:23