第四話に入るエピソードの予定して書きました。
シンという赤い目のコーディネータイターに誘拐同然に連れて来られて一週間。ソラ・ヒダカはレジスタンス組織リヴァイヴと行動をともにしている。帰してくれ、と泣いて頼んだものの、オーブからシンとともに逃げ出した時点で、ソラが知ってしまったことは、ただ彼女を巻き込まれた一般人として、政府組織に渡すことを難しくした。そしてそれでも彼女を人質として、政府軍への返還計画も試みられたが、失敗。ソラは政府が自分を見捨てたとは思っていない。なぜなら彼女はオーブ人なのだ。こんな辺境の政府軍とは違う扱いを受けて当然なのだ。
これまではトレーラーで移動、キャンプの連続だったが、今日は協力者の農場に泊まることになっている。CE以前は大農場だったのだが、その後の気候の変化や、戦争の影響もあって、今住んでいるのは人のよい4人家族だけだ。
農地と放牧地、鶏小屋。建物はもともと300頭以上の牛を飼育する規模だったため、牛舎がそのままモビルスーツ収容所になる。今日は寝袋ではあるが、久々に床の上に寝られると聞いて、ソラは少し嬉しくなった。夕食もここなら美味しいものが食べられそうだ。黒パン、ビスケット、干し肉、燻製の魚、豆の缶詰には飽き飽きだ。白いふかふかしたパン、新鮮な野菜のサラダ、新鮮な魚のグリルが食べたくてしょうがない。
しかし厨房からは肉を焼く匂いもしてこない。もったりとした穀物の匂いだけが、ソラの鼻腔を打った。
昔、数十人がここで働いていた頃そのままの、2つの大きな木製のテーブルは、リヴァイヴのメンバー50人ほど全員が座れる余裕があった。
配膳係たちが持ってきたのは、プラスチック、陶器、木と材質はさまざまだが、ボウルをひとりにひとつずつ。テーブルにはスープスプーンが一本だけ置かれている。ナイフもフォークもない。
順番にボウルを受け取るメンバーにあわせて、ソラもボウルを受け取って中身を見た。
粥だ。オートミールだろうか。南国のオーブでは粥を食べる習慣はない。ソラは米や麦を柔らかく焚いたものを粥ということと、スーパーに売っているオートミール(健康食としてそれなりに人気がある)を見たことしかない。
でもどうしてこんな、粥一杯の食事なのだろう。この農場には牛もいたし大きな鶏小屋もある。せめてローストチキンくらい出してくれてもいいのに、とソラは思った。
ただ隣に座ったのがターニャと呼ばれている年長の少女なのは、嬉しかった。彼女は兵士らしいのでまだ話をしたことはないが、すらりと背が高くて、ほっそり伸びた長い手足、握りこぶしくらいしかないのではと思わせる小さな顔は、まるでファッションモデルで、ソラは密かに憧れていたのだ。
「いきわたったようですね。それでは、今日も無事に夕食が食べられてよかった。いただきます」
リーダーのユウナに皆が唱和する。一緒に暮らすようになってソラが意外に思った、この武装ゲリラ達の行儀のよさだった。
ソラは麦が原料だと思いながら、粥を一さじ、口に運んだ。
(……まずい)
麦だけでなく雑穀で作られたその粥は、確かに孤児とはいえ世界で一番豊かな国オーブで育った彼女には、耐え難いものだった。大体、塩味すら足りていない。
「……オーブじゃ、豚だって食べない……」
つい、ホンネを呟いた。両隣くらいにしか聞こえなかった。しかし、隣からバシンと平手が飛んできた。ソラは一瞬何をされたのかわからなかった。ただ、右の頬が熱い。
「だったらさっさとオーブへ帰りな、お姫様」
吐き捨てるようにターニャが言った。ターニャことタチアナ・アルタニャンは苗字から分かるように、アルメニア人である。15歳で高校を卒業すると、西ユーラシアの旧軍隊系レジスタンスが主催するキャンプに半年参加し、そののちリヴァイヴに入った筋金入りのレジスタンス戦士だ。
顔立ちはかわいいのだが、きつい表情を浮かべてソラを睨みつけている。
口に出すつもりはなかった本音を吐いてしまった自分を、ソラは恥じた。どんなまずいものでも我慢して食べなければいけないのはわかっていたつもりだったのだが。
「お姫様には、キラ様がエターナルフリーダムでお迎えにくるんだろうねえ」
茶化すように言ったのはサバー(ふくろう)というあだ名で呼ばれている青年だった。食料をくすねようとして捕まって、そのままいついてしまったという変わり者だ。
彼の言葉に、食堂のほとんどの者が声を上げて笑った。
ソラの頬に血が上る。オーブ人とはいえ、ただの孤児、政府軍への人質交渉すら裏切られたよるべない身に、オーブの軍神が迎えに来てくれるはずなどないではないか。満座の中で笑いものにされている。この人たちを行儀がいいとか、少しでも信頼できると思った自分がバカだったと思うと、目も充血し、自然に涙があふれた。
ターニャが言い募る
「あんたの食事代はシンが出してるんだ。食べないんだったら、その粥はシンに返しな」
自分は被害者なのだから、食事くらい出されて当たり前だとソラは思っていた。しかしレジスタンスの世界は、彼女の甘い考えが通用するところではなかったのだ。
「いいよ、俺にはソラに対して責任がある。でも食べないと他に食事はないぞ、ソラ」
シンがうっそりと言った。
「でもねえ、ソラちゃんの処遇をどうするかは、もう決めないといけないでしょ。いつまでもこの状態を続けるのはソラちゃんにも、わたしたちにもよくないのだから」
みんなからセンセイと呼ばれている女性だ。ソラとも喋ってくれる数少ない存在。
「そうなんだよね。記憶を10日間ほど消す薬があって、君にそれを使って、ここから遠くの町に放置するという案があるんだ。これならソラくんはオーブに多分帰れるし、僕らの情報は忘れてくれる。ただ君の保護者であるシンが、記憶をいじるのには絶対反対でね。確かに100%安全とは保障できない薬ではあるんだ」
「--記憶操作は、人間のやることじゃない」
ぷいと横を向いたシンの顔に影が走る。彼は強化人間を作ったり、その記憶を操作したりしたブルーコスモスを蛇蝎のごとく嫌っている。
「記憶を、消す」
「多分オーブにいたころの最後の記憶も消えて、なんで自分が見知らぬ町にいるのかパニックになるでしょう。効き目に個人差もあるし、ソラちゃんがどうしてもオーブに帰りたいというのでなければ、医者としてその薬は使いたくないのが本音」
センセイの言葉に、ソラの頭は決壊した。
「だって、だって!!! わたしがいまここにいるのは、シンさんと出くわして、お馬鹿なMPが、わたしのこともテロリストだって勘違いして、そのままひきずられて、だって、わたし、なにも悪いことしてない! どうしてわたしがこんな目に遭うの!? こんなド田舎で、死ぬほど不味い食事、臭い寝袋! ここに来てから、白いパンを一回も食べてない! アイスクリームも、果物も、なにもない。こんなの、耐えられるはずないじゃないの!!!」
ユウナがふんふんと頷いた。
「ソラくん、ひとつ聞いておきたいんだけど、白いパンは何から作るか知っているかい?」
「小麦に決まってるじゃないですか」
むくれたままソラ。
「うん。じゃあ、オーブに小麦畑がどれだけあるか、教えてくれるかな。オーブ人でしょ、君」
「え!? --ないに決まってるでしょ。学校で地理の勉強しなかったの?」
「なら、君がオーブで食べていた白いパンの原料の小麦は、どこからきたのかな?」
「輸入してるのよ」
「去年は冷夏でね。このあたりは小麦は全滅。ライ麦や粟、稗なんかが少し採れただけだった。でもオーブは裕福だから、白いパンが食べられた。ここよりもうちょっと東ではたくさん餓死した人がでたよ。貧しい地域から小麦が買われて、裕福な地方に送られる。そして小麦を育てた人たちは白いパンでなく茶色いパンを食べる。これが今の世界だ。どうしてだろうね」
食堂全員がソラを見ていた。
「そ、それは、貧しいのは戦争に負けた人たちで、ラクス様たちはそういった人たちにも平和と愛をわけてさしあげてて……」
「愛はただだが、食料はただじゃ生産できないって」
少尉が嘲笑うように言った。
「ソラくんは戦争に負けた人たちは、貧乏で当然だと思うのかい?」
「そんなこと、思ってません!」
「でも勝ったオーブが裕福なのは当然だと思っているね」
「だって、だって、オーブにはラクス様やカガリさまがいらっしゃるのよ。世界の首都なの。裕福であたりまえじゃない。じゃ、ラクス様やカガリさまにこの不味い粥を食べろとでもいいたいわけ?」
皮肉られて、ソラの口調も嫌味が入る。
そのとき、口を出したのはソラの斜め前で静かに粥を食べていた男だった。
「わたしはこの世界の為政者たちにこそ、こういう粥を食べてみてほしいと思う。
昔話をさせてくれ。わたしは5年前の戦争まではユーラシア軍の情報将校だった。家族はモスクワにいて、わたしはクロアチアの基地にいた。大西洋連合の動きには常に目を光らせていたが、ブルーコスモスの意を受けた部隊が巨大なモビルスーツデストロイを使って親プラントになっていた都市を焼き始めるのを止めることは出来なかった。モスクワは1300万人の人口を抱える大都市だった。それをデストロイは軍事施設、民間施設かまわずに全て破壊、焼き尽くした。残ったのは巨大な焼け野原。そして更に西へ。サンクトペテルブルグ、ワルシャワ、ベルリン、歴史ある大都市が次々に消滅した。モスクワの妻子はどうなったか。死んだと考えるのが妥当だった。でも、実際に自分で行かなければモスクワが存在しなくなったと信じられなかった。娘のイリーナはその日、小学校の遠足で郊外に出かけているはずだった。だから生きている。そう思った。そう信じて、上司に休暇届を出して、モスクワに向かった。電車を乗り継いで、最後は歩いて、4日かかってモスクワの跡地にたどり着いた。大平原に広がる一面の焼け野原。核を使わずともこれだけのことが出来る兵器が生み出されたことを、軍人ながら恐ろしく思った」
ニコライ・コンスタンチノヴィッチ・プラトフは言葉を切った。まだ30代だが、薄い金髪と表情の浮かばない茶色い目のため、老けて見える。
「わたしはなんとか自分のアパートの近くの地下鉄の駅を見つけた。モスクワの地下鉄は核シェルターになるように設計されているので、生き残りの人々は必ず地下鉄の構内にいるはずだった。そこには緊急物資も備蓄されていた。アパートがあったところは瓦礫が残っているだけだったから、妻のマリアのことはほぼ諦めた。しかし、イーラはもしかすると遠足に行っていて難を逃れたかもしれないと思った。そう信じた。地下鉄の構内には確かに生き残った人々がいた。けれど、備蓄されている物資だけでは十分ではなかったから、早々に救援が来なければこの人たちも死んでしまうのが察せられた。そして自分は、軍人として、救助に回す兵力がないことも知っていた。
イーラと奇跡的にめぐり合えたのは翌日だった。すっかり弱って、風邪を引いて、下痢をし始めていた。何とかして彼女を助けたかったが、毛布も点滴もなかった。あったのは備蓄されていた穀物を煮た粥--この粥の10分の1ほどの濃度もない--だけだった。わたしはその粥を少しずつイーラに飲ませながら、すぐに救助が来てあったかい病院に入れるから、そうしたらすぐによくなるからと言い聞かせた。彼女はときおりマーマチカ、マーマチカと母親を呼んでいた。一晩、粥をすすらせながら世話をしたが、下痢は止まらなかった。そして粥がなくなったら、水を飲ませるしかなくなり、下痢がひどくなり--朝方、わたしの腕の中で小さなイーラチカは青い目を閉じて、二度と開かなかった。でも、あの薄い一杯の粥がなければ、わたしのイーラは一晩持たなかっただろう。あの粥が、2,3時間かもしれない。それでもあの子の寿命を延ばしてくれた。だからわたしは、この粥を食べられることを感謝する」
シンはきつく、爪が食い込むほど両手を握り締めた。彼が恋した強化人間、連合の元でしか生きてゆけなかった哀れなステラ。しかし自分がステラをネオに引き渡したことで、ステラは健康を回復し、デストロイに搭乗して、北部中欧を焼き払った。その数千万の死者への責任が、自分にもあると感じてしまう。ただAIレイは言った。『俺は彼女が連合に戻れば、また戦場に出さされるだろうと思っていた。それでザフトの兵士が死ぬこともわかっていた。ただ、人間の枠外に権力者や研究者のエゴで押しやられた生命でも、生きたいと思うしだろう。そのために犠牲がでるのは、人間の性のためだ。それをなくし、俺や強化人間のような存在を産み出さないのが、デュランダル議長のデステニープランだ』
だがシンは、レイのように強くはない。そして旧大西洋連合系のレジスタンスから、統一宇宙軍指令ムウ・ラ・フラガとネオ・ノアロークは同一人物だということも聞き及んでいた。
プラトフが続けた。
「ラクス・クラインもカガリ・ユラ・アスハも雑穀の粥など食べたことはないだろうし、こんなものが人間の食料として存在していることも知らないかもしれない。しかし、為政者が無知なのは罪だ。オーブ国民1000万人が豊かに暮らしている一方で、この粥すら食べられず餓死していく者もいるんだよ」
穏やかだが明らかにラクス・クラインとカガリ・ユラ・アスハの非を鳴らす彼に、ソラは目を丸くした。
「ラクスさまやカガリさまは、あなたたちとは身分が違うのよ。ラクス様は「平和の使者」、カガリさまは「統一連合主席」でいらっしゃるの」
「あいつらだって人間だ。身分なんて糞食らえ」
自分の保護者であるシンの言葉は、ソラにとってきつかった。彼が食事代を払ってくれなければこの粥すら食べられないことを思い出さされた。
「どうしてわからないの!? カガリさまとラクスさまは正しいお方たちだってこと。不平不満を言う前に、ラクス様たちのためになることをするのが、大人の市民でしょ」
それでも言い返さずにはいられない。根が純粋なソラは、この人たちが反政府武装ゲリラだということの意味が本当にはわかっていなかったのだ。
「その「統一連合」はいま、各国に主権譲渡を迫っている。すでに譲渡した国もある。信じられないことだ。人間への冒涜だ。主権というのは人間一人一人が持っている権利で、それを集めて国が成り立つ。統一連合がしているのは、人間の奴隷化だ。だから、わたしは戦う。今の体制を崩して、人間の尊厳と自由、主権を取り戻すために」
ソラは黙った。この人たちとは話が通じないのだと感じた。
プラトフの言葉に拍手が起こった。ソラはもう、ただ俯いて唇を噛んでいた。
「君とは意見が合わないねえ。でも、ここの農場主のウスペンスキー夫妻が、君を引き取ってもいいと言ってくれている。とりあえず半人前の仕事が出来れば、食事とベッドは保障すると」
ユウナが提案した。
「正直、ウスペンスキー夫妻のご好意を受けるか、記憶消去薬を、シンの反対をリーダー権限で使うか、が君に残された選択みたいだね。このまま一緒にいても、身の安全を保障しかねるんだ」
「それって……」
「女に飢えてる男はたくさんいるしね。死体のひとつくらい、山に埋めれば土に還るだけ。わかってるだろ」
ターニャがうそぶいた。
「強姦罪は完全去勢、殺人罪は死刑がリヴァイヴの決まりですよ」
ユウナの言葉をターニャが否定する。
「それはメンバー間、地元民に対してのもの。この娘は、オーブ人、本人の言うこと聞いてもあたしたちの敵だろ」
「確かに、そう思ってるメンバーが多いでしょう。どうします、ソラくん?」
ユウナの表情は仮面に隠れて見えない。ソラは、絶対に意地悪な顔をしていると思った。
「わたし、わたし……」
オーブに還る!と叫ぼうとしたが、それよりはやくシンが断言した。
「ソラはここで預かってもらう。俺がいつか、絶対にオーブに返してやる。たとえ何年かかろうとも」
ソラには、それが今の政権を打倒したあとのことを言っているのだとは、想像もつかなかった。
「シンさんの約束なんて、信じられない!」
「信じろ。俺はこんどこそ自分を頼る女は助けてみせる」
ソラはシンを見た。真っ赤な目が血の色に輝いている。実をいうとこの目がなんとなく不吉に思えて、慣れないのだ。でも、この場で彼女に対して責任を感じてくれるのはシンとコニールくらいだったし、実際に「力」があるのは男でコーディネイターのシンだ。
「--じゃ、信じます。ここでお世話になります」
ユウナが安堵のため息をついた。
実はこの後、本拠地のローエングリンゲートに行く予定なので、ソラを連れて行きたくはないユウナとしてはありがたい結論だった。この農場で、ウスペンスキー夫婦と二人の息子達と一緒に暮らせば、ソラにも新しい風景--エターナリストのいない世界--が見えてくるだろう。そうしたらまた会話しようと、ユウナは決めた。
農地と放牧地、鶏小屋。建物はもともと300頭以上の牛を飼育する規模だったため、牛舎がそのままモビルスーツ収容所になる。今日は寝袋ではあるが、久々に床の上に寝られると聞いて、ソラは少し嬉しくなった。夕食もここなら美味しいものが食べられそうだ。黒パン、ビスケット、干し肉、燻製の魚、豆の缶詰には飽き飽きだ。白いふかふかしたパン、新鮮な野菜のサラダ、新鮮な魚のグリルが食べたくてしょうがない。
しかし厨房からは肉を焼く匂いもしてこない。もったりとした穀物の匂いだけが、ソラの鼻腔を打った。
昔、数十人がここで働いていた頃そのままの、2つの大きな木製のテーブルは、リヴァイヴのメンバー50人ほど全員が座れる余裕があった。
配膳係たちが持ってきたのは、プラスチック、陶器、木と材質はさまざまだが、ボウルをひとりにひとつずつ。テーブルにはスープスプーンが一本だけ置かれている。ナイフもフォークもない。
順番にボウルを受け取るメンバーにあわせて、ソラもボウルを受け取って中身を見た。
粥だ。オートミールだろうか。南国のオーブでは粥を食べる習慣はない。ソラは米や麦を柔らかく焚いたものを粥ということと、スーパーに売っているオートミール(健康食としてそれなりに人気がある)を見たことしかない。
でもどうしてこんな、粥一杯の食事なのだろう。この農場には牛もいたし大きな鶏小屋もある。せめてローストチキンくらい出してくれてもいいのに、とソラは思った。
ただ隣に座ったのがターニャと呼ばれている年長の少女なのは、嬉しかった。彼女は兵士らしいのでまだ話をしたことはないが、すらりと背が高くて、ほっそり伸びた長い手足、握りこぶしくらいしかないのではと思わせる小さな顔は、まるでファッションモデルで、ソラは密かに憧れていたのだ。
「いきわたったようですね。それでは、今日も無事に夕食が食べられてよかった。いただきます」
リーダーのユウナに皆が唱和する。一緒に暮らすようになってソラが意外に思った、この武装ゲリラ達の行儀のよさだった。
ソラは麦が原料だと思いながら、粥を一さじ、口に運んだ。
(……まずい)
麦だけでなく雑穀で作られたその粥は、確かに孤児とはいえ世界で一番豊かな国オーブで育った彼女には、耐え難いものだった。大体、塩味すら足りていない。
「……オーブじゃ、豚だって食べない……」
つい、ホンネを呟いた。両隣くらいにしか聞こえなかった。しかし、隣からバシンと平手が飛んできた。ソラは一瞬何をされたのかわからなかった。ただ、右の頬が熱い。
「だったらさっさとオーブへ帰りな、お姫様」
吐き捨てるようにターニャが言った。ターニャことタチアナ・アルタニャンは苗字から分かるように、アルメニア人である。15歳で高校を卒業すると、西ユーラシアの旧軍隊系レジスタンスが主催するキャンプに半年参加し、そののちリヴァイヴに入った筋金入りのレジスタンス戦士だ。
顔立ちはかわいいのだが、きつい表情を浮かべてソラを睨みつけている。
口に出すつもりはなかった本音を吐いてしまった自分を、ソラは恥じた。どんなまずいものでも我慢して食べなければいけないのはわかっていたつもりだったのだが。
「お姫様には、キラ様がエターナルフリーダムでお迎えにくるんだろうねえ」
茶化すように言ったのはサバー(ふくろう)というあだ名で呼ばれている青年だった。食料をくすねようとして捕まって、そのままいついてしまったという変わり者だ。
彼の言葉に、食堂のほとんどの者が声を上げて笑った。
ソラの頬に血が上る。オーブ人とはいえ、ただの孤児、政府軍への人質交渉すら裏切られたよるべない身に、オーブの軍神が迎えに来てくれるはずなどないではないか。満座の中で笑いものにされている。この人たちを行儀がいいとか、少しでも信頼できると思った自分がバカだったと思うと、目も充血し、自然に涙があふれた。
ターニャが言い募る
「あんたの食事代はシンが出してるんだ。食べないんだったら、その粥はシンに返しな」
自分は被害者なのだから、食事くらい出されて当たり前だとソラは思っていた。しかしレジスタンスの世界は、彼女の甘い考えが通用するところではなかったのだ。
「いいよ、俺にはソラに対して責任がある。でも食べないと他に食事はないぞ、ソラ」
シンがうっそりと言った。
「でもねえ、ソラちゃんの処遇をどうするかは、もう決めないといけないでしょ。いつまでもこの状態を続けるのはソラちゃんにも、わたしたちにもよくないのだから」
みんなからセンセイと呼ばれている女性だ。ソラとも喋ってくれる数少ない存在。
「そうなんだよね。記憶を10日間ほど消す薬があって、君にそれを使って、ここから遠くの町に放置するという案があるんだ。これならソラくんはオーブに多分帰れるし、僕らの情報は忘れてくれる。ただ君の保護者であるシンが、記憶をいじるのには絶対反対でね。確かに100%安全とは保障できない薬ではあるんだ」
「--記憶操作は、人間のやることじゃない」
ぷいと横を向いたシンの顔に影が走る。彼は強化人間を作ったり、その記憶を操作したりしたブルーコスモスを蛇蝎のごとく嫌っている。
「記憶を、消す」
「多分オーブにいたころの最後の記憶も消えて、なんで自分が見知らぬ町にいるのかパニックになるでしょう。効き目に個人差もあるし、ソラちゃんがどうしてもオーブに帰りたいというのでなければ、医者としてその薬は使いたくないのが本音」
センセイの言葉に、ソラの頭は決壊した。
「だって、だって!!! わたしがいまここにいるのは、シンさんと出くわして、お馬鹿なMPが、わたしのこともテロリストだって勘違いして、そのままひきずられて、だって、わたし、なにも悪いことしてない! どうしてわたしがこんな目に遭うの!? こんなド田舎で、死ぬほど不味い食事、臭い寝袋! ここに来てから、白いパンを一回も食べてない! アイスクリームも、果物も、なにもない。こんなの、耐えられるはずないじゃないの!!!」
ユウナがふんふんと頷いた。
「ソラくん、ひとつ聞いておきたいんだけど、白いパンは何から作るか知っているかい?」
「小麦に決まってるじゃないですか」
むくれたままソラ。
「うん。じゃあ、オーブに小麦畑がどれだけあるか、教えてくれるかな。オーブ人でしょ、君」
「え!? --ないに決まってるでしょ。学校で地理の勉強しなかったの?」
「なら、君がオーブで食べていた白いパンの原料の小麦は、どこからきたのかな?」
「輸入してるのよ」
「去年は冷夏でね。このあたりは小麦は全滅。ライ麦や粟、稗なんかが少し採れただけだった。でもオーブは裕福だから、白いパンが食べられた。ここよりもうちょっと東ではたくさん餓死した人がでたよ。貧しい地域から小麦が買われて、裕福な地方に送られる。そして小麦を育てた人たちは白いパンでなく茶色いパンを食べる。これが今の世界だ。どうしてだろうね」
食堂全員がソラを見ていた。
「そ、それは、貧しいのは戦争に負けた人たちで、ラクス様たちはそういった人たちにも平和と愛をわけてさしあげてて……」
「愛はただだが、食料はただじゃ生産できないって」
少尉が嘲笑うように言った。
「ソラくんは戦争に負けた人たちは、貧乏で当然だと思うのかい?」
「そんなこと、思ってません!」
「でも勝ったオーブが裕福なのは当然だと思っているね」
「だって、だって、オーブにはラクス様やカガリさまがいらっしゃるのよ。世界の首都なの。裕福であたりまえじゃない。じゃ、ラクス様やカガリさまにこの不味い粥を食べろとでもいいたいわけ?」
皮肉られて、ソラの口調も嫌味が入る。
そのとき、口を出したのはソラの斜め前で静かに粥を食べていた男だった。
「わたしはこの世界の為政者たちにこそ、こういう粥を食べてみてほしいと思う。
昔話をさせてくれ。わたしは5年前の戦争まではユーラシア軍の情報将校だった。家族はモスクワにいて、わたしはクロアチアの基地にいた。大西洋連合の動きには常に目を光らせていたが、ブルーコスモスの意を受けた部隊が巨大なモビルスーツデストロイを使って親プラントになっていた都市を焼き始めるのを止めることは出来なかった。モスクワは1300万人の人口を抱える大都市だった。それをデストロイは軍事施設、民間施設かまわずに全て破壊、焼き尽くした。残ったのは巨大な焼け野原。そして更に西へ。サンクトペテルブルグ、ワルシャワ、ベルリン、歴史ある大都市が次々に消滅した。モスクワの妻子はどうなったか。死んだと考えるのが妥当だった。でも、実際に自分で行かなければモスクワが存在しなくなったと信じられなかった。娘のイリーナはその日、小学校の遠足で郊外に出かけているはずだった。だから生きている。そう思った。そう信じて、上司に休暇届を出して、モスクワに向かった。電車を乗り継いで、最後は歩いて、4日かかってモスクワの跡地にたどり着いた。大平原に広がる一面の焼け野原。核を使わずともこれだけのことが出来る兵器が生み出されたことを、軍人ながら恐ろしく思った」
ニコライ・コンスタンチノヴィッチ・プラトフは言葉を切った。まだ30代だが、薄い金髪と表情の浮かばない茶色い目のため、老けて見える。
「わたしはなんとか自分のアパートの近くの地下鉄の駅を見つけた。モスクワの地下鉄は核シェルターになるように設計されているので、生き残りの人々は必ず地下鉄の構内にいるはずだった。そこには緊急物資も備蓄されていた。アパートがあったところは瓦礫が残っているだけだったから、妻のマリアのことはほぼ諦めた。しかし、イーラはもしかすると遠足に行っていて難を逃れたかもしれないと思った。そう信じた。地下鉄の構内には確かに生き残った人々がいた。けれど、備蓄されている物資だけでは十分ではなかったから、早々に救援が来なければこの人たちも死んでしまうのが察せられた。そして自分は、軍人として、救助に回す兵力がないことも知っていた。
イーラと奇跡的にめぐり合えたのは翌日だった。すっかり弱って、風邪を引いて、下痢をし始めていた。何とかして彼女を助けたかったが、毛布も点滴もなかった。あったのは備蓄されていた穀物を煮た粥--この粥の10分の1ほどの濃度もない--だけだった。わたしはその粥を少しずつイーラに飲ませながら、すぐに救助が来てあったかい病院に入れるから、そうしたらすぐによくなるからと言い聞かせた。彼女はときおりマーマチカ、マーマチカと母親を呼んでいた。一晩、粥をすすらせながら世話をしたが、下痢は止まらなかった。そして粥がなくなったら、水を飲ませるしかなくなり、下痢がひどくなり--朝方、わたしの腕の中で小さなイーラチカは青い目を閉じて、二度と開かなかった。でも、あの薄い一杯の粥がなければ、わたしのイーラは一晩持たなかっただろう。あの粥が、2,3時間かもしれない。それでもあの子の寿命を延ばしてくれた。だからわたしは、この粥を食べられることを感謝する」
シンはきつく、爪が食い込むほど両手を握り締めた。彼が恋した強化人間、連合の元でしか生きてゆけなかった哀れなステラ。しかし自分がステラをネオに引き渡したことで、ステラは健康を回復し、デストロイに搭乗して、北部中欧を焼き払った。その数千万の死者への責任が、自分にもあると感じてしまう。ただAIレイは言った。『俺は彼女が連合に戻れば、また戦場に出さされるだろうと思っていた。それでザフトの兵士が死ぬこともわかっていた。ただ、人間の枠外に権力者や研究者のエゴで押しやられた生命でも、生きたいと思うしだろう。そのために犠牲がでるのは、人間の性のためだ。それをなくし、俺や強化人間のような存在を産み出さないのが、デュランダル議長のデステニープランだ』
だがシンは、レイのように強くはない。そして旧大西洋連合系のレジスタンスから、統一宇宙軍指令ムウ・ラ・フラガとネオ・ノアロークは同一人物だということも聞き及んでいた。
プラトフが続けた。
「ラクス・クラインもカガリ・ユラ・アスハも雑穀の粥など食べたことはないだろうし、こんなものが人間の食料として存在していることも知らないかもしれない。しかし、為政者が無知なのは罪だ。オーブ国民1000万人が豊かに暮らしている一方で、この粥すら食べられず餓死していく者もいるんだよ」
穏やかだが明らかにラクス・クラインとカガリ・ユラ・アスハの非を鳴らす彼に、ソラは目を丸くした。
「ラクスさまやカガリさまは、あなたたちとは身分が違うのよ。ラクス様は「平和の使者」、カガリさまは「統一連合主席」でいらっしゃるの」
「あいつらだって人間だ。身分なんて糞食らえ」
自分の保護者であるシンの言葉は、ソラにとってきつかった。彼が食事代を払ってくれなければこの粥すら食べられないことを思い出さされた。
「どうしてわからないの!? カガリさまとラクスさまは正しいお方たちだってこと。不平不満を言う前に、ラクス様たちのためになることをするのが、大人の市民でしょ」
それでも言い返さずにはいられない。根が純粋なソラは、この人たちが反政府武装ゲリラだということの意味が本当にはわかっていなかったのだ。
「その「統一連合」はいま、各国に主権譲渡を迫っている。すでに譲渡した国もある。信じられないことだ。人間への冒涜だ。主権というのは人間一人一人が持っている権利で、それを集めて国が成り立つ。統一連合がしているのは、人間の奴隷化だ。だから、わたしは戦う。今の体制を崩して、人間の尊厳と自由、主権を取り戻すために」
ソラは黙った。この人たちとは話が通じないのだと感じた。
プラトフの言葉に拍手が起こった。ソラはもう、ただ俯いて唇を噛んでいた。
「君とは意見が合わないねえ。でも、ここの農場主のウスペンスキー夫妻が、君を引き取ってもいいと言ってくれている。とりあえず半人前の仕事が出来れば、食事とベッドは保障すると」
ユウナが提案した。
「正直、ウスペンスキー夫妻のご好意を受けるか、記憶消去薬を、シンの反対をリーダー権限で使うか、が君に残された選択みたいだね。このまま一緒にいても、身の安全を保障しかねるんだ」
「それって……」
「女に飢えてる男はたくさんいるしね。死体のひとつくらい、山に埋めれば土に還るだけ。わかってるだろ」
ターニャがうそぶいた。
「強姦罪は完全去勢、殺人罪は死刑がリヴァイヴの決まりですよ」
ユウナの言葉をターニャが否定する。
「それはメンバー間、地元民に対してのもの。この娘は、オーブ人、本人の言うこと聞いてもあたしたちの敵だろ」
「確かに、そう思ってるメンバーが多いでしょう。どうします、ソラくん?」
ユウナの表情は仮面に隠れて見えない。ソラは、絶対に意地悪な顔をしていると思った。
「わたし、わたし……」
オーブに還る!と叫ぼうとしたが、それよりはやくシンが断言した。
「ソラはここで預かってもらう。俺がいつか、絶対にオーブに返してやる。たとえ何年かかろうとも」
ソラには、それが今の政権を打倒したあとのことを言っているのだとは、想像もつかなかった。
「シンさんの約束なんて、信じられない!」
「信じろ。俺はこんどこそ自分を頼る女は助けてみせる」
ソラはシンを見た。真っ赤な目が血の色に輝いている。実をいうとこの目がなんとなく不吉に思えて、慣れないのだ。でも、この場で彼女に対して責任を感じてくれるのはシンとコニールくらいだったし、実際に「力」があるのは男でコーディネイターのシンだ。
「--じゃ、信じます。ここでお世話になります」
ユウナが安堵のため息をついた。
実はこの後、本拠地のローエングリンゲートに行く予定なので、ソラを連れて行きたくはないユウナとしてはありがたい結論だった。この農場で、ウスペンスキー夫婦と二人の息子達と一緒に暮らせば、ソラにも新しい風景--エターナリストのいない世界--が見えてくるだろう。そうしたらまた会話しようと、ユウナは決めた。
end
オリキャラが3人でてます。まあ、男A、女Aに名前が付いたものだと思ってください。ちなみにプラトフの見た目のモデルはプーチン大統領、ターニャの見た目のモデルは髪が短かった頃のオクサナ・ドムニナ(ロシアのアイスダンス選手、トリノ五輪で10位くらいに入るはず)です。
- 個人的には「強姦罪は~」の流れは割愛したほうがいいかと思いましたが、非常に読ませる文章としっかりと調査された言葉の表現が良かったです。お疲れ様でした -- 名無しさん (2005-10-25 22:49:53)
- 既に文学の域にまできているのですね。ココ・・・ -- 名無しさん (2005-10-26 00:54:31)
- プラトフの長話の間に入れるはずだった、シンのステラへの感情を書き足しました。 -- 書き手 (2005-10-26 10:49:45)
- とても良かったです。ただ「豚も食べない」だとあからさまに悪意のこもった表現に聞こえるので、「人間の食べ物じゃない・・・」くらいにした方が良いのでは、と思いました。 -- 名無しさん (2005-10-27 21:01:38)
- 昔話がちょっと長すぎるような…
でも凄く良い出来だと思います。輸入というものの裏にまで触れるとは…
日本で豊かに暮らしている分には分かりにくいものですからね。そういうの
-- 名無しさん (2005-10-27 21:46:12) - シンのステラへの感情は、恋というより過去への代償行動といった方が近いかと。「戦争で失った家族」や「守れなかった妹」という傷を隠す為に、会ったばかりの彼女に「守る」と言ったのだと私は解釈しています。 -- 名無しさん (2005-10-30 01:49:26)
- プラトフの主権委譲の理解に違和感を感じます。統一連合政府議会には各国代表が参加するのだから、間接的に主権委譲をした国の国民も統一連合の政治に参加できるはず。それから、「身分」という言葉が誤用されています。本来は世襲の地位に使用されるもので、「統一連合主席」など、選挙で選出される役職に使うのは無理でしょう。レジスタンスの主張は、ひと昔前の共産主義と殆ど変わりません。統一政府に強い権限を持たせれば、個々の地域に目が届きにくくなる、という議論を展開した方がよいように思います。経済格差そのものを非難するのは勇み足かもしれません。 -- 名無しさん (2006-06-13 04:36:04)