ここは9秒前の白。世界のどこでもあり、どこでもない場所。
どこまでも白色の景色が広がる中に、一点の黒色――――水銀燈の姿があった。
彼女は、しきりに時間を気にしていた。
時計は持っていないが、時刻は正確に知ることが出来る。
銀(約束の時間から1050秒も経ってるのに…何かあったのかしら…?)
現実世界では、時計の短針が1の文字を追い越し、長針が4の文字にたどり着こうとするころ。
ふと気配を感じ振り返ると、こちらに向かって飛来する影があった。
近づくにつれ、次第にその形――――少女の姿――――がはっきりと見えるようになる。
そして、互いに言葉が交わせる位置にまでたどり着くと、
ぜえ、ぜえ、と息を切らしながら、その少女――――金糸雀は言葉を放った。
金「はあっ、はあっ…おっ、おくれて…はぁっ、ごっ、ごめんっ、ねっ…」
銀「いいのよぉ、そんな急がなくったってぇ…ほら、落ち着いて。」
水銀燈は金糸雀の背に手を置き、深呼吸をするよう促した。
すう、と息を吸い、はあ、と吐き出す。
少し気分が楽になった金糸雀は、改めて水銀燈に謝った。
金「ごめんね…みっちゃんが遅くまでおうちでお仕事してたから、なかなか出られなかったかしら…」
一拍置き、「みっちゃん」という名が彼女のマスターのものであることを思い出してから、水銀燈は言葉を返す。
銀「そうなのぉ…確かカナのマスターって、会社勤めだったわよねぇ。大変ねぇ…」
そして、次からはもっと遅い時間に待ち合わせようか?と水銀燈は提案した。
2人は、それぞれのマスター――――柿崎めぐと草笛みつ――――達から隠れるようにしてこの場所に来た。
当然、その2人のマスターは、この深夜の密会を知る由もない。
金「ねえ、今日はどこへ行こうかしら?」
銀「そうねぇ…カナはどこへ行きたい?」
うーん、と考え込んだ後、金糸雀は、星が見たい、と希望を述べた。
銀「じゃあ、第91474世界がいいわね。あそこならいつでも星が見れるわぁ。」
2人がその数字を意識すると、目の前に一つのドアが浮かび上がった。
水銀燈がドアノブに手を掛け、2人足をそろえてその中に踏み入る。
――――第91474世界。
そこは、「昼」と「生物」の存在しない世界。
太陽が降り注がないため、植物は育たない。それを食べて育つ動物もまた、そこにはいない。
地面にはごつごつした岩肌が剥き出しになっており、ここに来た者は違う星に来たのかと錯覚するが、
天上には地球から見えるものと同じ星座が展開されている。
2人は小高い岩の崖の上に腰掛け、星を眺めた。
人間がいないその地上には、もちろん星の光を遮るような人工の光は無い。
銀「あのYの字になってるのが、かに座。そしてあれが、ふたご座。」
金「まるで、翠星石と蒼星石みたいかしら。」
そう言った後、はっと何かを思い出して金糸雀は続ける。
金「あっ、そうそう、聞いてほしいかしら。翠星石ったらひどいのよ、この前真紅のおうちに行ったときね…」
金糸雀が肩に掛けて持ってきた水筒のお茶を啜ったり、
水銀燈がめぐの病室から持ってきた果物を齧ったりしながら、星座を見て談笑する。
銀「あの長いのが、うみへび座。で、あの四角いのが、からす座ね。」
金「カナ、カラス嫌いかしら。いつもカナのおべんと取って行っちゃうんだもん。」
銀「じゃあ、そのそばにあるおとめ座はきっとカナねぇ。」
水銀燈がくすっと笑って言うと、むすっとふくれた金糸雀の頬が、少しだけ緩んだ。
銀「あれがおおぐま座。そのしっぽのあたりのひしゃく形が、北斗七星よぉ。」
金「あ、それ知ってる!ほあたたたー!!お前はもう死んでいる!かしら!」
得意げに拳を突き出した金糸雀を見て、水銀燈はぷっ、と吹き出してしまった。
銀「ふふっ、なぁにい?それえ…」
金「こないだテレビでやってたかしら!」
そうねえ、と口元に指をあて、水銀燈は何かを考えた。
銀「ねえ、おおぐま座とこぐま座の伝説って、知ってるぅ?」
金糸雀は、ふるふると首を横に振る。
ギリシャの大神ゼウスが美しい森の妖精カリストに恋をし、二人の間にアルカスという男の子が生まれた。
これを知ったゼウスの妻の女神ヘラは激怒し、カリストを熊の姿に変えてしまう。
ある日、熊となったカリストの前にひとりの狩人が現れ、矢を向けた。その狩人は成長したアルカスだった。
これを見たゼウスは、その矢がカリストを射殺す前に、アルカスをも熊の姿に変え、2人、いや2頭を天に放り上げた。
そして母親カリストがおおぐま座、息子アルカスがこぐま座となり、母は慕うように息子の周囲を回転する。
金「悲しいお話…――――だけど、それで2人は幸せになれたのかしら?」
銀「当時ギリシャに伝えられていたこの話を、プトレマイオスという天文学者が調べて書き記したのが紀元前150年くらいのこと。」
銀「だけど、その時代よりずっとずっと昔から、ひしゃくを熊に見立てていた人々がいたの。」
銀「ヘブライ人、バスク人、シベリアの部族民。そして海を遠く渡ったアメリカの先住民部族たち。」
銀「しかも彼らの見立ては、プトレマイオスのものとは少し違うの。」
銀「ひしゃくの先の4つの星が熊で、柄にあたる3つの星は熊を追う3人の狩人。」
銀「不思議だと思わない?」
銀「本や電話どころか、海を渡る船すらない時代に、どうして人々の目にはあのひしゃくの形が熊と狩人に見えたのかしらね。」
金糸雀は、うんうんと頷き、不思議そうに空を見つめていた。
銀「――――お父様も、きっとそんな存在なのかもしれないわね…」
――――数秒の沈黙の後、水銀燈の手を、金糸雀がぎゅっと握った。
銀「…カナ?」
金糸雀は悲しい目で水銀燈を見つめていた。
空に向かってぽつりと呟いた水銀燈を見て、彼女がどこかへ行ってしまいそうな気がして――――金糸雀は不安になったのだ。
気がつけば、先ほどよりひんやりとした空気が2人を取り囲んでいた。
へくちっ、と金糸雀が小さなくしゃみをした。
水銀燈が、大丈夫?と訊くより前に金糸雀は、
金「こ、これぐらい大丈夫かしら。」
と、強がりを言った。だが、その肩はぶるっと震えていた。
銀「もう、大丈夫なわけ無いでしょお。」
と言い、水銀燈はその背中から、ばさぁっ、と羽根を広げ、2人分の身体を包み込んだ。
金「あったかぁい…」
そのぬくもりに安心したのか、金糸雀はそのままうとうとと眠りに落ちていった。
彼女の体勢が崩れぬよう、水銀燈は金糸雀のほうに身を寄せた。
すうすうと寝息を立てる金糸雀を見て水銀燈は、
ちぇっ、またおんぶして帰るはめになるのか、と心の中で毒づいた。
銀(――――ま、それも悪くないけどね。)
次は、どこへ行こうかな?第261481世界の地底湖?第82742世界の虹色砂漠?
それとも、いつもの街でお茶するのもいいかもね。あの子のように。
参考にしたページ・引用元
ttp://www4.airnet.ne.jp/mira/begin/spring_map.html
ttp://ja.wikipedia.org/wiki/おおぐま座
ttp://www.amazon.co.jp/dp/4063647102/