夜空の果て -再来- ◆6XQgLQ9rNg



 そこは、無限の荒野だった。
 天を見上げれば漆黒の空が際限なく広がり、地を見下ろせば、真っ白い大地が何処までも続いている。
 遮蔽物など何一つ存在しないそこで、<英雄>が私の前に立ちはだかっていた。
 事象の地平と呼ばれるそこで、青く長い髪を靡かせて、<英雄>が大剣を振りかざす。

 すると、眩い光が生まれ出た。
 それはただの光ではない。
 人間の感情が、ファルガイアに住まう命の全てが詰め込まれた輝きだった。 

 圧倒的な輝きの奔流が、大挙して押し寄せてくる。
 その膨大な光は収束したかと思うと、一気に私を包み込んでいく。
 それは眩く熱い、“希望”に溢れた光だ。
 身が喰われ、蝕まれ、侵されていくのを感じる。
 それは痛みであり、恐怖であり、絶望だった。
 何よりも求め、欲し、喰らっていた感情が、他でもないこの私に迫り来る。
 無数の希望に体が食われ、カタチを保てなくなっていく。
 純然たる絶望が、私の中で肥大化していく。

 そして初めて、気付く。
 この身が震え怯えていることに、気が付いてしまう。

 このような馬鹿なことがあってなるものか。
 愚劣な人間ごときに、エサとなる感情を産み落としてくれる存在ごときに、この私が気圧されているなどとあってはならぬ――!

『そうだ。貴様は奴らごときにやられるような矮小な存在ではない』

 ふと、音が聞こえた。それは、奇妙な声だった。

『災厄の名を冠した簒奪者、紅の焔であまねく生命を焼き尽くす魔神よ』

 人間の声にも、人間を超越したモノの声にも聞こえる、不可思議な音だった。
 二律背反を抱えた、正体不明のそれに、私は。

『誘おう。憎悪と悲哀と絶望に満ちた、極上の宴へと』

 心地よさを、覚えていた。
 痛みも恐怖も絶望も、その全てを払拭し塗り替えるほどの安息を、その声は与えてくる。
 崩れ落ち消え行く私に、その声は“希望”を差し伸べてくれるようだった。

『人々の縋る愚かしい希望を、黒き焔で、完膚なきまでに焼き尽くすのだ……!』

 滅びを前にしているというのに、私は、いつしか嗤っていた。
 消滅の恐怖など、もはや微塵も存在しない。
 聞こえてくる声に、全てを委ねようと決意した刹那。

 私の身は、光によって撃ち滅ぼされていた。

 ◆◆

 太陽が昇り始め、空が徐々に明るみを帯びている。
 それはまだ薄明かりと呼ぶのが相応しいようなか細いものだったが、鬱蒼とした森の中を歩き続けたアシュレーにとって、充分な光のように思えた。
 少なくとも、その破壊の爪跡を照らすには、朝焼けの光は眩しすぎた。
 駆け続けたことで荒くなった呼吸も、思わず詰まるほどの惨状が、眼前に広がっている。
 今、アシュレーが佇む周囲の植物は、例外なく消し炭となっており、痛々しい様相を呈していた。
 炭化した草木に囲まれた、巨大な焼け野原。
 その地表は焦土と化していて、地面が剥き出しになっていた。
 焼け付くような、破壊の証。
 そこからは、生命の気配も亡者の呻きも捉えられない。
 そこは、驚くほど静かだった。
 音すらも破壊しつくされたのかと錯覚してしまうほどの、静けさが落ちていた。
 あらゆる存在を許さないような虚無の中から、何かを捜し求めるように、アシュレーは声を挙げる。
「誰か、いないかッ!?」
 叫びながら、視線をあたりに走らせる。
 だが、応じる者も人の姿も見つからない。
 焦りが背筋をなぞっていく。
 目の前で息を引き取っていく少女の姿と悲痛な声が思い起こされた。
 繰り返したくないと思う。手遅れになりたくないと願う。
 もはやここには結果しかない。
 破壊は既に過ぎ去ったものであり、その場に居合わせなかったアシュレーが、当事者になることなど不可能だ。
 それでも、あの紅の閃光を生んだ者や、破壊の力に呑み込まれた者がいるはずだった。
 これほどの暴力に晒されて、身体も生命も、何もかもが消し飛んでいる可能性が高くとも、アシュレーは、くまなく目を走らせる。
 かけらにしか見えない微かな希望も、決して見逃さないように。

 本来そこに立ち並んでいたはずの木々は軒並み薙ぎ倒されていて、見晴らしはよくなっている。
 だから、北に開いた穴をすぐに見つけられた。
 その穴は破壊によって作られた穴や、天然の洞窟にしては、人の手が入りすぎていた。
 一目見ればすぐに、遺跡の入り口と分かる。
 ところどころが風化し磨耗しているにもかかわらず、造りはしっかりとしていて、丈夫そうだった。
 そこにも人影は、見当たらない。
 だが、アシュレーは、その遺跡へと駆け出していた。
 ぽっかりと開いた入り口の前で、立ち止まる。
 供物のように捨て置かれたデイパックと、墓標のように突き立つ一振りの剣が、そこにはあった。

 禍々しい印象を与えてくる剣。
 アガートラームを聖剣とするなら、それはまさに魔剣だった。
 その刀身は、多くの血液を啜りつくしたかのように紅い。
 剣の下に悪魔が埋まっていると言われたら、信じてしまいそうなほどに、その剣は異常な雰囲気を醸し出していた。
 それから目を背けるように、アシュレーは転がっていたデイパックを見下ろす。
 この中に剣が入っていたのだろうか。
 もしそうだとするなら、剣やデイパックの持ち主はどうなったのだろうか。
 武器も支給品も投げ捨てて逃亡したのか、あるいは。
 先ほど見えた紅の閃光の中で命を落としてしまったのだろうか。
 後者の可能性の方が高く思えるのは、ファイナルバーストに酷似したあの光が、アシュレーの意識に焼きついていたからだった。
 何か手がかりを探そうと、デイパックに手を伸ばす。
 そうしたとき、もう一つ、何かが地面に落ちていることに気が付いた。
 小さな輪状のそれに、触れてみる。

 指先に伝わったのは、硬い感触だった。

 それは、アシュレーの首筋に巻きついた、忌まわしき感触とよく似ていた。
 焼け焦げてさえいなければ、間違いなく、首で感じる質感と全く同じそれを、指に感じただろう。

 ――何故、そんなものがここに落ちている?

 掌から汗が一気に噴き出す。
 唾液が激しく分泌され、不愉快だった。
 思考が上手く働かない。
 意識が、最も在り得る可能性を回避しようとする。
 だが理性は、回避しようとした不吉な可能性を訴えかけてくる。
 あの眩い光を目にし大音響を耳にしたときから、ずっと感じていた不安感が、一気に現実味を増していく。
 溜まった唾を、嚥下する。
 緊張感が、心臓に鞭を打つ。

 アシュレーは慎重に、落ちていた首輪を手に取った。
 オディオが持つ絶対的なアドバンテージである、爆弾付きの枷。
 それから解き放たれるためには、首輪そのものを解析する必要がある。
 当然、それは危険を伴う行為だ。
 命がかかっている以上、誰かの首に嵌められているままの首輪に手を入れるといったハイリスクな手段は避けたい。
 故にこのように、首輪のサンプルを入手できたのは幸いだといえる。
 それなのに、アシュレーは悔しげに歯を食い縛っていた。
 首輪だけがここに転がっている訳を考えると、そうせずにはいられなかった。
 希望的観測をするならば、首輪の制約から逃れた者がいたのかもしれない。
 しかし、とてもそうは思えなかった。
 外したにしては、首輪が綺麗過ぎたのだ。
 焼け跡はあるが、解体した形跡や壊れた跡は見当たらない。
 それに、仮に外すことができた人物がいたとしても、支給品を放置しておく理由が考えられない。
 となると、やはり。
 この首輪を付けられていた人物は、遺体すら残さず消滅した可能性が高くなってくる。
 首輪がこうして残っている事実を考えると、体が消滅したなど、不自然だといえなくもない。
 それでも、殺し合いの最中で誤爆防止や、参加者による解除防止のため、過度に丈夫に作ってあるとすれば、死体だけ消滅することもありえるのかもしれない。

 アシュレーは歯を食い縛り、強くディフェンダーを握り締めていた。
 硬い柄が五指と掌を圧迫し、痛みが生まれる。それを自覚しながらも、力を抜きはしない。
 その程度の痛みが何だというのだ。
 あのとき看取った少女や、ここで命を落としたと思われる誰かが負った痛みに比べれば、こんなもの痛みの範疇にすら入れられない。

 まただ。
 また、間に合わなかった。
 しかも今回は、託してくれた少女のときよりも遅い。
 看取るどころか、その遺体すらなくなってしまった後だったのだから。

 非常時に矢面に立つはずの自分が、こうして無傷で生きているのに、命の数は確実に減っている。

 ――こんな体たらくで、何がARMSだ……ッ。

 悔しさと無力さと情けなさがアシュレーを苛み、歯噛みする。
 強烈な負荷に、奥歯が、ぎりっと悲鳴を上げた。
 折れそうなほどに噛み締めた顎から、力を抜いて呼吸する。

 気分を切り替えなければならなかった。
 こんな状態では、救える命も救えない。
 散ってしまった命を軽んじるわけでは決してないが、過去に捉われて未来を蔑ろにしては、更に失敗と自己嫌悪を重ねてしまう。
 アシュレーは、瞑目する。
 ここで散った命に、祈りと哀悼を捧げるために。
 そして数秒の後、ゆっくりと、目を開ける。
 すると、突き立った一振りの剣が視界に映った。

 ――これを持っていくことは、許されるだろうか。

 投げナイフの扱いには慣れているが、それよりも、ある程度の長さがある武器やARMの方が得意だった。
 殺し合いを是とする者や、怪獣の存在を考えると、ディフェンダーでは心もとない。
 もう少し頼りになる武器が欲しいところだった。
 手を伸ばし、柄に触れる。
 その剣は、未だ、熱を持っているような気がした。
 握る。
 その禍々しい剣に、見覚えなどない。
 だというのに、酷く懐かしいように思えた。
 迷いが消えない。
 その剣はやはり墓標に思える。
 これを手に取った瞬間、ここに居たはずの“誰か”の存在が消え去りそうで。
 ここで命を賭した“誰か”を冒涜するようで。
 引き抜くことが、躊躇われた。

 躊躇する時間が惜しいと分かっている。戦力的に見て、必要だと理解している。
 だがきっと、理屈ではないのだろう。
 自分の感覚を信じるように、アシュレーが、剣から手を離そうとした、その瞬間。

『――――――』

 突然、誰かの声が、響いてきた。
 それは、聴覚を通して聞こえるものではない。
 頭の中に直接響くような、心の中に入り込んでくるような、そんな声だった。
 その感覚を、アシュレーは知っている。
 そしてその声も、アシュレーは、知っている。

『抜かないのか? アシュレー・ウィンチェスター?』

 全神経を、戦慄が駆け抜ける。
 熱病を思わせる不愉快な熱さを孕んだ、その昏い声を、忘れられるはずがない。

「何故、お前が……ッ? 何処にいるッ!?」

 狼狽と驚愕に溢れた声で、アシュレーは中空に問う。
 いつしか、剣を握る手が小刻みに震えていた。

『お前に滅ぼされる、その瞬間に、魔王に導かれたのだよ。今はお前が握る、剣の中にいる。
 そして――』

 不吉な予感が勢いよく這い上がってくる。肌の上で害虫が蠢いているような怖気が背筋を撫でていく。
 急ぎ剣から離れようとするアシュレー。
 だが、魔剣は――そこに宿る災厄は、かつての依り代を逃さなかった。
 アシュレーの手に、真っ黒い靄が纏わり付いてくる。
 剣から手を離しても、遅い。
 朝陽の中に浮かび上がった黒い靄は、瞬時にアシュレーを包み込んでいく。
 振り払おうとしても、執拗にそれは纏わり付いてくる。
 痛みはない。
 苦しみもない。

 ただ、意識が遠のき、無意識に繋がろうとする。
 夢と現実の狭間に、アシュレーは足を踏み入れていく。
 眠りに落ちる間際によく似た不確かさだけが、そこにはあった。
 崖の間に張られたか細い綱の上を、命綱なしで渡るかのような不安感に苛まれる。

『あの剣の中も悪くはなかったが、やはり生きた人間の方が良い。
 お前の不安、後悔、無力感、全てがダイレクトに伝わってくるぞ』

 内から声が響いてくる。
 昏い声の主は、魔神と呼ばれ人々に恐れられた存在のもの。
 焔の災厄。ロードブレイザー。
 絶対的存在との対話は、懐かしい感覚だというのに、少しも嬉しくはなかった。

『お前に遭えたのは僥倖だ。かつて共にいただけあって、すぐに憑依することができたよ』

 対して、アシュレーの内的宇宙に宿ったロードブレイザーの声は、愉悦に震えている。

『魔剣の中、怨嗟と苦痛と絶望に満ち満ちた意識に包まれて、傷ついた私は眠っていることしかできなかった。
 そんな私を目覚めさせたのは、魔剣に“アクセス”してきた者だ。
 奴は、私が存在していることなど知りもしなかったのだろう。
 “アクセス”のおかげで、意識は活性化した。
 苦しみ、悶え、嘆き、怨み、憎み、妬み、嫉み、絶望。
 そんな意識の塊は、極上の糧だったよ。
 それらを喰らい、吸収することで、ある程度の力を取り戻せた。
 もっとも、実体を伴うどころか、かつて封印されていた頃にも及ばない。
 もう少し“アクセス”の時間が長ければ、更に意識を貪れたのだがな。
 まだまだあの魔剣の中には、痛烈な意識が残っている』

 災厄は、饒舌だった。
 アシュレーに、絶望を突きつけるかのように。

『とはいえ、あの小娘には感謝している。
 だから剣に宿る意識と共に、私も少しばかり力を貸してやったのだが、奴では耐え切れなかったらしい』

 語られる声に、アシュレーは息を呑む。
 あの紅の閃光が、ファイナルバーストに酷似していたのも、ロードブレイザーの力を使ったとすれば頷ける。
 そしてその結果、おそらく、あの首輪の主は消滅したのだろう。
 小娘と、ロードブレイザーは称した。
 それが真実なら、アシュレーの遅さが、二人の少女に死を迎えさせてしまったことになる。
 迂闊さが、心にこびり付く。
 自己嫌悪に背を押され、八つ当たりをするように、アシュレーは口をつく。

「力を注ぎすぎたんじゃ、ないのか」

 想像以上に暗い声が、アシュレーの唇から落ちた。
 それに対するのは、愉快そうな魔神の笑みだった。 

『くくく……。いい声が出せるじゃないか、<英雄>。
 私は小娘の望みに応じただけだよ。恐らく、奴は私に気付いていないまま逝っただろうがな』

 さあ、と災厄は続けた。

『今一度、お前の中で力を蓄えさせて貰うとしよう。
 奪え。潰せ。壊せ。破れ。裂け。
 無論、力なら再び貸してやるぞ。次こそ『私』を取り戻すためになッ!』

 胸の奥が、黒い焔に晒され理性が焦がされる。
 炙り出され燻り出され煽られるのは、強烈な破壊衝動だ。
 力を伴って露になるその衝動は、アシュレーを飲み込み別の存在に成り代わろうとする。
 アガートラームが内的宇宙にない今、自身の力だけで魔神の侵食を抑えなければならない。
 アシュレーは胸を押さえ、息を吐き出した。
 責め苦によく似た声に抗うよう、意識を強く保ち手放さないようにする。
 魔神に屈しないために、自分が自分であるために。

 そんなアシュレーを、ロードブレイザーは、ただただ嘲笑う。

『まあ、いいさ。今の私では、強引にお前を喰らうことすら叶わぬ。
 故に見守ろう。必要ならばいつでも呼ぶがいい。
 ――直にお前は、更に強い後悔と無力さを味わい、噛み締めることになる』

「どういう、意味だ……ッ!?」

 尋ねるても、含みを持たせた物言いを最後に、魔神の声は聞こえなくなる。
 同時に、意識が急激に浮上を始めた。
 まどろみが過ぎ去り、白昼夢が消えていく。
 世界が色を取り戻す。
 突き立った魔剣の存在が、現実に戻ってきたことを証明していた。

 結局、また遅かった。
 得られた情報は、小娘と呼ばれる年頃の少女が、命を散らしたことくらいだ。
 それがどんな人物なのかも、どんな思惑で戦っていたのかも。
 彼女と対峙した相手が、何者なのかも。
 何一つ、分かりはしない。
 ロードブレイザーに尋ねたところで、答えが返ってきそうにない。
 もう、ここに留まる理由はなくなった。

 先ほどはぐれてしまった道化師を探すか、あるいは、他の誰かを当てもなく探すか。
 考えながらも、アシュレーは、魔剣に背を向ける。

 次にそれに触れたら、大切なものを失い、戻れなくなるような気がした。

 夜空は果てを迎え、太陽が高さを増していく。
 世界は確かに時を刻んでいた。
 立ち止まることを許さないように、振り返ることを認めないように。
 無情に酷薄に、世界は回っていく――。

【F-7 遺跡(アララトスの遺跡ダンジョン)周辺 一日目 早朝】
【アシュレー・ウィンチェスター@WILD ARMS 2nd IGNITION
[状態]:健康。後悔、無力さを感じている。
[装備]:ディフェンダー@アーク・ザ・ラッドⅡ
[道具]:天罰の杖@DQ4、ランダム支給品0~2個(確認済み)、基本支給品一式×2、焼け焦げた首輪(リルカの首輪)
[思考]
基本:主催者の打倒。戦える力のある者とは共に戦い、無い者は守る。
1:リルカやブラッドら仲間の捜索
2:他参加者との接触
3:アリーナを殺した者を倒す

※参戦時期は本編終了後です。
※道化師のような男(ケフカ)に猜疑心を抱いています。
※島に怪獣がいると思っています。
※内的宇宙にロードブレイザーが宿ったため、アクセスが可能になりました。
※焼け焦げた首輪が、リルカのものだとは気付いていません。

時系列順で読む

BACK△055:ドッペルNext▼057:嘲律者

投下順で読む

BACK△055:ドッペルNext▼057:嘲律者

043:道化師の哄笑 アシュレー 072:曇りのち嵐のち雨のち――


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最終更新:2010年06月29日 21:27