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 そこには、深く濃密な闇が広がっていた。
 果てなど見当たらないその闇は、月や星が完全に消失した夜空のような混じり気のない漆黒そのもの。
 あるいは、あらゆる『黒』を蒐集し尽して凝り固めたような純然たる暗黒だった。
 その中にある玉座に、一人の青年が鎮座していた。
 金色の髪に黒い瞳が印象的な彼は、鎧を纏い剣を携えている。
 その整った相貌は、過去に、勇気と慈愛によって輝いていた。
 故に彼――オルステッドは、こう呼ばれていた。
 勇者、と。
 その呼称は憧憬と尊敬の結晶であり、人々の希望だった。
 そのはず、だった。

 今この場に居るのは、勇者などではない。
 鮮やかだった金髪は褪せ、澄んでいた瞳は昏く淀んでいる。
 かつて溢れていた希望などは、微塵も存在しない。
 在るのは、人間に対する暗い感情だけだ。
 その美しい容貌は、絶望と憎悪で塗り固められている。
 もはや彼は、勇者オルステッドなどではない。
 遥か遠い太古から、彼方の未来に渡って存在する、『憎しみ』という感情の化身。
 憧憬と尊敬ではなく、恐怖と畏怖の結晶であり、人間に絶望を与える存在。

 魔王――オディオ。

 それこそが、今の彼だった。
 辺りの闇を見回し、オディオは思う。
 底知れぬ漆黒の闇は、人の心のようだ、と。
 そう。ヒトは皆、汚れ腐り切った心を持っているのだ。
 自らの欲望を満たすために、他者を傷つけ奪い殺すような、醜悪な心を持っている。
 たとえ、世界を救った勇者であろうとも。
 たとえ、戦を終結に導いた英雄であろうとも。
 例外など、存在しない。
 そうだ。
 今現在、闇の中で目を覚まし始めた様々な世界からの客人とて、同様だ。
 覚醒していく人々を、オディオは黙って見下ろしている。

 絶望の宴の、始まりだった。

 ◆◆

 水中から泡が浮上するように、人々の意識が戻ってくる。
 ぼんやりと瞼を持ち上げた彼らの目に映るのは、闇だけだった。
 まるで体に纏わり付いて心を蝕むような、底冷えのする暗黒が、魔物のように横たわっている。
 闇の中から、様々な物音や声がする。その多くは戸惑いや混乱、不安に満ちたものだった。

 ――ここが何処なのか、何故こんなところにいるのか。

 それらの疑念に応じるように、闇が薄まった。等間隔で並んでいた松明が、同時に灯っていく。
 炎は小さく、闇を払うには余りに弱々しい。しかし、なんとか周囲の様子が見渡せる程度には明るくなる。
 そこは、無機質さを感じさせる石造りの広間だった。謁見の間を髣髴とさせるが、不気味な印象は拭えない。
 一際大きな炎が二つ、音を立てて灯った。
 反射的にそちらへと視線が集中する。巨大な松明に挟まれた玉座と、そこに座している男の姿があった。

 あらゆる動きが、止まった。
 男が猛烈な感情に満ちた瞳で、人々を睥睨していたからだ。
 喧騒は自然と収束する。男が滲ませる深い感情と静かな気迫が、どんな挙動をも許さない。

「ようこそ、諸君。我は魔王、オディオ」
 静かな声音が、鼓膜を震わせる。その静けさとは裏腹に、圧倒的な威圧感を持った声だった。
 その声が、言い放つ。有無を言わさぬ意志を、剥き出しにして。
「これから君達には、殺し合いをしてもらう。最後の一人になるまでな」
 息を呑む気配が、各所に生まれた。
 戦慄が広間に伝播する。正気とは思えない男の言葉は、再びざわめきを呼び起こす。
 普段ならば一笑に付すような馬鹿げた宣言だ。
 だが男の、鋭く研ぎ澄まされた黒曜石のような瞳からは、嘘や冗談の雰囲気など微塵も感じられない。
 それどころか、そういった揶揄の余地も存在していなかった。
 狂気の沙汰としか思えない発言に真実味を持たせているのは、たった一つの感情に他ならない。
 純粋さやひたむきさすら思わせる、真っ直ぐで濃密な、憎悪という感情だ。
 静謐ながら苛烈な憎悪は、オディオ以外の全員を縫い止めていた。

「……ふざ、けるな」
 その空気の中で、オディオに牙を剥いた者がいた。中華風の衣装に身を包んだその男に、視線が集中する。
「義破門団にも負けずとも劣らぬ外道め! ワン・タンナベ拳後継者の名において、成敗してくれるッ!!」
 赤茶色の髪を振り乱し、男――ワンが構える。右手を引き、左手の肘を玉座に向けた。
 それは一見、勇敢な行動に思える。
 だがその場に集ったほとんどの人物が悟っていた。
 彼の行動は勇敢なものではなく、激情に衝き動かされて冷静さを失した蛮勇でしかない、と。

 ――よせ。やめろ! 落ち着け!!

 静止の声が飛ぶ。しかし、ワンは止まらない。
「ワン・タンナベ拳奥技! 怒髪天突拳!!」
 ワンの気迫と絶叫が大気を揺らし地を揺り動かす。
 赤茶色の髪が逆立ち、ワンの周りに闘気が具現化されていく。
 闇に浮かぶ、闘志と怒りの塊。
 気の弱い者なら、それを目の当たりにしただけで戦意を失してしまいそうな激怒の奔流。
 それを真正面から受け止めても、オディオは玉座から立ち上がらず、眉一つ動かさない。

「愚かな……」
 ただ呟いて、ゆったりと手を挙げる。
 たった、それだけの挙動で。
 闘気は霧消し、大気の揺らぎが消失し、圧力を纏った怒りが嘘のように消え失せる。
 小さな炸裂音が鳴り、ワンの首が、吹き飛んでいた。

 時間が止まったように、間が生まれる。
 しかし、噴き出し続けている血液が、時の進行を証明していた。
 誰かが、悲鳴を上げた。
 それを皮切りにして津波のような狂乱が生じ、人々を押しつぶしていく。
 パニックに陥る彼らに、オディオは威圧感に満ちた声を叩きつけた。 
「彼と同じ末路を辿りたくなければ、勝手な真似は慎んで貰おう」
 その言葉の意味が伝わるにつれ、静寂が戻りゆく。
 すぐそばに迫った明確な死の気配が、人々をオディオに従わせる。
 しかし、たった一人の青年が、オディオを無視してワンの骸へと目を向けていた。
 緑色の僧服を着たその青年は、ワンの命を呼び戻そうと、呪文を紡いでいる。
 頭が千切れ落ちるほどの大きな損壊を受けた遺体を蘇生させるのは、優秀な神官であっても不可能に等しい。
 そんなことなど、青年は百も承知だ。それでも彼は、ワンから離れない。
「クリフト! その人は、もう……ッ!」
 青年――クリフトの耳に、主である少女の声が届く。それは、搾り出すかのような悲痛な声色だった。
 普段ならば弱音めいた発言をしない彼女が、このように告げたのは、濃厚な悪意に中てられたせいだろうか。
「……分かっています、姫様。しかし私は、神に仕える身。何もせず黙っているわけには参りません」
 そんな彼女を勇気付けるようにクリフトが応じた、その直後。

 再び、炸裂音が響いた。
 それに続く音は、酷く湿っぽい。
 びちゃり、と。
 ワンの遺体が作り出した血溜まりに、クリフトの首が、落下する。
 そして、ワンの身に折り重なるように、クリフトの体が、倒れ伏した。
 二人分の血液が床を汚し、鉄臭さが広がる。
 吐き気を催すほどの死の気配が、生者に触手を伸ばし心を侵していく。

「クリ、フト……。クリフトォ――ッ!!」
 クリフトの主である少女を始めとして、絶叫が再発した。
 巻き起こった無数の悲鳴が、甲高い不協和音を奏でる。無数の感情が混ざり合い、広間を荒らしていく。 
「私の手で君達を殺めるのは本意ではない。故に、もう一度言う」
 全ての声音を鎮圧するような色濃い殺気が、オディオから沸き立つ。
 その殺意は、先ほどワンが放っていた気迫を優に凌駕し食らいつくせるほどに、強く激しい。

「――勝手な真似をするな。従わぬ者の首は、直ちに吹き飛ぶと思え」

 既に二人の首が無慈悲に飛ばされている現状で、オディオに逆らう者は存在しなかった。
 波が引くように、喧騒は鳴りを潜めていく。それでも、彼らが平静を取り戻したわけでは、決してない。
 揺らめく炎だけが照らす薄闇の中で、鮮血が噴出する音だけが微かに響いていた。
「君達には首輪が装着されている。私の意思次第で自在に爆発する首輪だ。今のように、な」
 暗に反逆の意志を刈り取りながら、オディオは言葉を継ぐ。
 その内容は、殺人ゲームとも呼べるバトルロイヤルの説明だった。

「説明が終わり次第、君達を無作為に、ある孤島の各所に転移させる。
 そこで、生存者が一人になるまで互いに殺し合って貰う。
 転移と同時に食料、水、地図や武器などは支給する。思うままに使い、命を奪い合え。
 死者は零時、六時、十二時、十八時に発表する。そして発表ごとに、進入禁止エリアを設ける。
 尚、孤島の外は最初から進入禁止エリアであることを覚えておけ。
 次に、禁止事項を挙げる。
 首輪を無理に外すこと。あるいは、首輪を破壊を試みること。進入禁止エリアに進入すること。
 これだけだ。これらに反した者の首輪は、爆発する。
 また、死者が出ない状況が二十四時間続いた場合、全ての首輪は爆発する」

 一挙に告げると、オディオは参加者となる人々を眺め眇める。
 静まり返った彼らに向ける威圧感はそのままで、オディオは口角を持ち上げた。

「最後まで生き延びた者には褒美として、本来在るべき世界に帰してやろう。そして――」
 無表情だった相貌に、歪で昏い変化が現れる。
 戦慄を覚えずにはいられない、凄惨な笑みだった。 

「どのような薄汚い欲望でもよい。何でも望みを叶えてやる。
 自らの欲を満たすのは、勝者に与えられた絶対的な権利なのだからなッ……!」

 歪んだ笑みから伺える感情は、やはり憎しみでしかない。
 あらゆる感情を憎悪に置き換えたような凄絶さで、オディオは言い放つ。

「さあ、存分に殺し合え。欲望のままに、醜く傷つけ合い惨めに奪い合い無様に壊し尽くせ!
 見知らぬ人間を信用するな。奴らは皆、自身の為ならば他者を蹴落とすことを由とするッ!
 仲間である人間を信用するな。奴らは皆、欲望に身を任せ裏切ることを厭わないッ!
 そして、思い知るがいい。人間の浅薄さを、愚劣さを、醜悪さをなッ!!」

 人間に対する、あらん限りの憎悪を叩きつけるようにして。
 苛烈で強烈で痛烈な感情を剥き出しにし、オディオが右手を振りかざす。

 それが、開幕の合図だった。多数の人影が、闇に包まれ消えていく。
 まるで、憎悪に侵食され呑み込まれるように、消えていく。

 その光景を、オディオは――オルステッドは、最後まで見つめていた。

【バトル・ロワイアル 開幕】

【ワン・タンナベ@LIVE A LIVE 死亡】
【クリフト@ドラゴンクエストIV 導かれし者たち 死亡】

【残り 54名】  


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最終更新:2024年01月12日 11:18