「ぷはぁ~~~~、死ぬかと思いました」
女は一度呼吸停止により死に掛けたものの、力を抜くことによって肺の中に空気が流れ込み何とか自力で蘇生することに成功した。
彼女は誰に言うでもなく独り言を呟きながら起き上がり、そこで目を丸くした。
「…なんで私、こんな山の中でひっくり返っているんでしょうか?」
誰かがいるわけではないでも無いのに、自分の考えを口に出すのは彼女が困っている時の癖である。
水中で溺れていたらいきなり山のど真ん中にいたのである。このような状況下では当然驚かずにはいられない。
「とにかく、いったいどうしてこんなことになっているのか、順番に思い出してみないと」
彼女はそう呟きながら、状況を整理するために思考を巡らす。
自分のこと。遭難してたどり着いた場所はどこなのかということ。
「私の名前は…アティ。私が生まれたのは帝国…といっても小さな田舎の村で、南国なのに冬には雪が降ってくるような村でしたっけ」
そこまで考え彼女は、自分が記憶喪失者でないと判断し、さらに最近のことを思い出そうとする。
「……クッシュン!」
考えている最中にくしゃみ一つ。
「……とはいえ寒いですね」
鼻から垂れた液体を指で拭いながら呟く。体を見てみると、服はずぶ濡れで長く伸ばした赤い髪は海から出した直前の海草のごとく水が滴り落ちていた。
アティは先ほどまで自分が溺れていたことを思い出す。そうだ、私海に飛び込んだんだと。
何故海にとびこんだんだろうか、何の理由もなしに海に飛び込んだりはすまい。海に飛び込んで遭難する理由とはいったい何か。
「…そうだ、
アリーゼさんは!?」
アティは思い出す、己が海に飛び込んだ理由を。悲鳴を上げながら舟から海へと転落していった彼女を助けるために自分もまた海に飛び込んだのだ。
だが、大自然の力には勝てず、延ばした手は少女を掴めず、海の藻屑と消えようとしたとき、記憶がそこでぷつりと途絶えていた。
「アリーゼさん~! どこにいるの~! アリーゼ~!」
状況判断よりも少女を探すことを優先する。立ち上がり少女の名を叫ぶ。
しかし、叫べども呼べども少女の返事どころか、誰かや何かがやってくる気配などない。
やがて、彼女はすぐに叫び疲れその場に座り込んだ。海に揉まれ体力を失った体ではそれで限界だった。
が、アティにとってはそんなことは何の慰めにすらならない。
「私が守ってあげるから」
数時間と経たぬ間に、その言葉は嘘となってしまった。
いつしか、彼女の頬を雫が流れている。
汗にしては、雫は熱く、苦く悲しすぎた。アティは、滝のように涙を流し続けていた。
守れなかった。助けられなかった。救えなかった。自分の心を、容赦なく自分が責める。なにが先生か。なにが主席か。何が守ってあげるだか。
「ふぐっ…うっ…」
アティは涙を拭うために顔に手をやる。だがいくら拭っても拭っても涙は枯れることなくあふれ出てくる。
「うぐっ…?」
そんな最中アティの持つデイバッグの口から淡く光る蒼い石が転が出て、アティの膝にあたる。
アティは泣いていたためデイバッグから石が転がってきたことなど知らず、足元にある石を何時の間にか転がっていた物と思い不思議そうに見つめる。
始めその石がなんなのか分からなかったが、一泊置いて彼女はそれがなんであるかを判断する。
「…サモナイト石?」
サモナイト石とはは召還師が魔術を行使し、召還獣を呼び出すために必要不可欠な道具である。
「…違う」
が、かの石はダイヤモンドのような多角形の石であり、アティの目の前にある球体とはことなる石である。
その石を見てアティは思う。この石が自分を助けてくれたのかもしれないと。淡く不思議に輝く石が海中にいた自分をこの島まで運んでくれたのかもしれないと。
あの時聞えた声はこの石から発せられたもではないのかと。
「あなたが助けてくれたの?」
アティは石に向かって喋りかける。もちろん石は何の反応も返さない。
「私がんばるからね、ありがとう」
しかし、アティは石がなんの反応も返さずとも、その石が自分を助けてくれたと判断した。
今の彼女に先ほどまでの悲壮感は漂っていない。
奇跡的に自分は助かった。だから、アリーゼもきっとこの夜空の下のどこかで生きている。
何の根拠も無くアティは少女が生きていることを信じた。サモナイト石とは異なる本当に力があるかどうか分からぬ石の加護を、彼女は信じたのだ。
とりあえず、アティは持っていた石を持っていた荷物の中に入れようとした。
そこでアティは気付く。自分の持っていた荷物とは違うことに。興味に駆られた彼女はデイバッグの中から荷を出した。
中には自分がどうやって持っていたのか分からないほどの重量感のあるモーニングスターのような鉄塊と白いコート、そして数々の雑貨が入っていた。
「サモナイト石でも入っていれば良かったのに」
召還獣の力を借りてアリーゼを見つけるという期待を抱いていたため、アティは少し苦い表情を浮かべるが気持ちを切り替えアリーゼ探索に必要な道具の選択に移る。
そこで彼女は何かの書類を見つけた。ランタンの明かりを付けメガネを掛けて、何が書かれているかを確認する。
そこには自分を含め50数名もの人物たちの名前が書かれてあった。中には自分がよく知っている者の名前も書かれてあった。
「なんでアズリアの名前も書かれているの?」
アティは名簿を見て一瞬混乱した。そして、この名簿の意味を考える。自分やアズリアにアリーゼの名が綴られた名簿。
それが指し示す意味は果たして何なのか。僅かばかり考えた彼女は、至極まっとうで一番ありそうな答えを出した。
「これは船の乗客名簿に間違いありません」
船内を探索中に聞えたアズリアの声、そして
ビジュと呼ばれた男の名が名簿にあったことからアティはそう判断する。
アズリア・レヴィノスはアティの友人であり、誇り高くその身に優しさを秘めた実直な人間である。
おそらく軍の何らかの任務か何かで、あの船に乗っていたのだ。風の噂で部隊長になったという噂を聞いてはいたが、意外と身近にいたものである。
彼女と出会うことができれば、自分が何故軍を辞めたかと小言を言いながらもきっと協力してくれるであろう。
そして、ビジュという男を始めとした軍人達にも協力を仰ごう。アズリアの部下達だ。きっと規律正しい良い人たちに違いない。
ビジュという男はぶち殺すなどと言っていたが、あれは何か重要な任務を受け負っていたために緊張していただけなのだ。
現に海賊が襲ってきた。あながちこの考えは間違いではないのだろう。
「…もしかして、海賊達もこの島にいるのでしょうか?」
海賊達のことを思い出し、彼らもこの島にいるのではないかと思い始める。
自分がこの島に流れ着いた以上は、その可能性は多いにありうる。
ならばこれ以上は悠長なことはしていられない。海賊達に対抗するための武器やコンパス等の雑貨をデイバッグに乱雑に収める。
そしてアティは僅かばかりの逡巡みせて、おもむろに服を脱ぎ始めた。その行動は濡れた服はアリーゼ探索には不向きであるとの判断からである。
水を吸い冷たくなった服は体温を奪い、重量を増す。一刻も早くアリーゼを見つけたいアティにとっては、これ以上のタイムロスは避けたかった。
海賊やこの島特有の野生動物やはぐれ召還獣がいるかもしれないと思ってしまう以上はなおのことである。
だから彼女は服を脱ぐ。白く美しい肌を外にさらし、男達には見せられない下着一枚靴一足の格好となる。
そんな姿から、すぐさま自分が持っているものよりも大きい白いコートを羽織る。服を脱がなければならない理由があっても、羞恥心がないわけではなかった。
もし、予備のコートがなければ濡れたコートを使わなければいけなかった。乾いたコートが何故か荷物の中に入っていたのは幸いだ。
遭難した以上は未知の樹液や直射日光から身を守るためのコートは必要なのだ。服のポケットに丸い石を入れ、その場に散らかった服を適当な木に引っ掛ける。
「今行きますからまっててね」
アティはそう呟きながら当ても無く歩き始める。
アリーゼとの約束を果たすために、親友を探すために、この地から脱出するために、彼女は進む。