言葉と拳に想いを乗せて ◆6XQgLQ9rNg



山歩きには慣れている。光が届かない夜闇も、竹林で野盗をやっていたレイにとっては障害にはならない。
 だというのに、体がまともに動かなかった。
 最大の武器である俊敏さが発揮できず、レイは舌打ちを漏らした。
 背中の傷が深く、血液と共に体力が零れていく。呼吸が苦しく、息が荒くなる。
 一歩一歩を踏みしめるたびに、足元がふらつき倒れそうになる。
 間近に迫った、死の気配。それは緩やかに、だが確実に、レイの命を削り取っていく。
 だが、こんなところでむざむざ死ぬ気はない。
 師から受け継いだ、心山拳。伝承されていくその心を、技を、絶やすわけにはいかないのだ。
 だからレイは、足を止め目を閉ざす。
 虎が咆えるように一挙に息を吐き出して、体内の毒素を抜く。
 特殊な呼吸法で取り入れた酸素を体内で錬成し、血流に乗せて全身に送り出す。
 虎咆精気法。
 荒ぶる虎の如き力を心に重ね、身体能力の活性化と体力の回復を同時に行う技だ。
 失った体力は、確かに戻ってくる。だが、傷の治癒や止血に役立つ技ではない。
 せっかく回復した体力も、流出する血液と共にすぐ逃げていってしまう。一時しのぎにしか、ならなかった。
 何処かで休むべきだと思うが、あの女を放っておくわけにはいかなかった。
 人の姿で好き勝手やられては堪らない。無用な敵を作られる前に、手を打ちたいところだ。
 それに。
 あの女に分からせてやらなければならない。彼女の行為がどれほど愚劣なのか、を。
 心山拳は、心の拳法だ。
 言葉を投げかけても通じ合えない相手にも、拳に心と想いを乗せて、その全てを伝え切る。
 戦いの果てに心を通わせ、レイの想いを伝えられれば、彼女を止められるはずだ。
 体は万全ではないが、やらなければならない。
 揺らがぬ信念を抱いて歩くレイ。感覚を研ぎ澄ませ、逃げた女の気配を辿るように。

 ――鋭さを増した感覚が、別の気配を感じ取った。

 咄嗟に身構え、新たな気配の方に意識を向ける。傷が痛むが、構ってはいられない。
 警戒心が緊張感を生み、汗が首筋をなぞっていく。
 目を眇め、闇と木々の間を睨みつける。
 すると、その気配もこちらに気付いたらしく、レイへと近づいてきた。隠れる気は皆無らしい。
 現れたのは、赤毛を腰まで伸ばした女だった。
 彼女は緊張感や殺気とは無縁そうな笑みを浮かべ、近づいてくる。
「私、アティって言います。あの、お伺いしたいんですけど……」
 やけに友好的なアティの態度に、レイは目をしばたかせた。
 油断はできない。一度奇襲を受けたのだ。警戒すべきだとは思う。
 だが、アティという女からは、一切の殺意を感じない。
 アティが巧妙に隠しているのなら話は別だが、それにしては彼女の態度が自然すぎた。
 よほど上手い演技をしていたとしても、殺気は態度の不自然さとなって滲み出るものだ。

「って、どうしたんですかその怪我!」 
 レイの背に刻まれた刺傷と、垂れ落ちる血液に気付いたアティは、目を見開いて駆け寄ってきた。
 心配そうな眼差しの彼女から、飛び退いて距離を取る。
「く……ッ!」
 その際に背中の傷が広がって痛みが駆け抜け、生温い血液が溢れ肌に纏わり付く。
 血がかなり抜けてしまったらしく、意識が朦朧とする。

 ――本格的に、不味いね……。

 足が、縺れる。手近の木で身を支えるため手を伸ばすが、届かない。
 倒れる。
 そう予測は出来たが、体は上手く動かない。
 しかし、地に倒れ伏しはしなかった。
 アティが、レイの伸ばした手を握り締めていたからだ。
「見せてください。私、医者志望ですから、ある程度の手当てくらいはできます」
 穏やかな笑みを浮かべるアティ。柔らかい手から伝わる温もりが、優しく心地よい。
「……分かったよ。あたいはレイ・クウゴ。とりあえずは信用してやるよ。
 ただし、妙な真似をしたらタダじゃおかないからね」

 その心地よさが、レイから完全に毒気を抜き、そう告げさせる。
 アティに感化され、レイの表情は小さく綻んだ。
「そんな、おかしなことなんてしませんよ」
 人好きのする笑顔を浮かべながら、しゃがみ込むアティ。彼女に傷口を見せようとして――。

 レイは、振り仰ぐ。決して、アティが牙を剥こうとしたわけではない。
 強く黒い新たな気配を、闇の先から感じ取ったからだ。
 目を凝らし、意識を気配へと傾ける。
 包み隠そうとしない殺気と、オディオにも引けを取らない憎悪を剥きだしにして。
 男が一人、闇の彼方から姿を見せた。

 ◆◆

 現れたのは、美しい銀髪の男だった。
 長い髪の合間から覗く耳は尖っており、人とは異なる種族であると主張している。
 美しい紅玉を思わせる瞳が、レイとアティへ、向く。
 男と視線が重なり――皮膚が、粟立った。
 その瞳には、憎悪と殺意と悪意がない交ぜになって宿っている。黒く昏い眼光は、刃を連想させるほどに鋭い。
 あらゆるものを切り刻もうとする、一対の視線。
 それを具現化したように、男は両の手に一振りずつ剣を握っている。
 右手には、反り返った刃の剣――刀と呼ばれる武器を。
 左手には、鋭い刃の短剣を。
 男は一足で跳びあがり、その身を回転させた。髪とマントを靡かせて、アティたちへと突っ込んでくる。

 状況が判別できず、アティは眉根を寄せた。
 この男が明確な殺意を持って剣を携えている理由が、察せない。
 だから、現状をすぐに呑みこめなかった。
 剣を振りかざした男が降下軌道に入ったところで、ようやく危機を感じ取り咄嗟に下がろうとするが、遅い。
 せめて直撃を避けるべく、封印球を掲げたときに。
 レイが、アティを突き飛ばしてきた。
 予想外の方向からの衝撃に、容易く地面へと転ぶ。
 開いていた口内に入った土を吐き捨て起き上がると、刀がアティの髪の端を切り落とした。
「ぼさっとしてんじゃないよ!」
「ご、ごめんなさい!」
 思わず出てしまった謝罪に答えはない。代わりに聞こえたのは、蹴りが空を薙ぐ音だった。
 アティを押した後の不自然な体勢から繰り出した回し蹴りでは、男を捉えるには至らない。
 男は、バックステップだけで高く宙に浮く。その口が、何かを呟いていた。
 急激に気温が低下していき、前触れもなく冷気が立ち昇る。
「足元! 気をつけてッ!」
 アティが叫ぶと同時に男が着地し、
「――マヒャド」
 冷酷な韻を踏んだ詠唱が、終わる。
 巨大な氷塊が、地面を突き破って現れた。
 刃物の鋭利さと鈍器の質量を併せ持つ氷が、アティとレイを切り裂き潰そうと襲いくる。
 半ば転がって横に跳び、アティは氷を回避する。
 勢い余って巨木の幹に背を打ち付けるが、氷の直撃に比べればダメージは少ない。
 氷塊はすぐに消失する。
 しかし、それが幻ではなかったと証明するように、レイの体は中空に投げ出されていた。

「レイさんッ!」
 重力に引っ張られるまま落下するレイを、滑り込んで受け止める。急ぎ怪我を確認し、アティは絶句した。
 無残に破かれた衣服から見える右足に、肌の色が見受けられなかったからだ。
 皮が裂かれ、肉が抉られ、骨が露出している。
 それだけではない。
 絶対零度を誇る氷の凶器は、傷口の周囲をも蝕んでいた。
 傷の大きさを考慮すれば、右足全体に凍傷が広がっている可能性がある。
 極端に低い温度の氷塊に接触したため、血管の収縮と血液の凝固が発生しており、出血はそれほどでもない。
 だが、このまま放っておけば間違いなく壊死すると考えられる状態だ。
 痛みでショック症状を起こしていて、意識はない。
 微かに胸は上下し腕は脈打っているのが、唯一の救いだった。

「よもや避けられるとは思わなかったぞ」

 白く煙る冷気の残滓越しに睥睨してくる男を、アティは睨み返す。

「一体どういうつもりですかッ!? 私たちが何をしたって言うんですッ!?」
 アティの激情を、男は嘲笑う。
「何をしたか、だと? 原罪の自覚すらないとは本当に愚かだな、人間」
 男の瞳は紅いのに、底のない暗闇に似ていた。
「己が欲を充足させるためならば、あらゆる汚れた手段を用いて、他者を貶め辱めるその性質こそ、貴様らの罪だ」
 心底からの憎しみを込めて、男は吐き捨てる。
「矮小で醜悪で愚鈍な人間どもに存在する価値など、ない」 
 端正な顔が、憎悪に塗り固められている。
 純粋な悪意に果ては見えず、世の人間を殺し尽くしても晴らされるとは思えなかった。
「……そうは、思いません」
 それでも、アティは言い返す。
「確かに、自分のために物を盗んだり、他の人を傷つけたり、争ったりする人は、います」
 両親を亡くし塞ぎこんでいた自分を、根気よく支え助けてくれた村の人たちを。
 言葉に想いを込めて、失ったものを甦らせられる、人間を。
 無価値だと、思いたくないから。
「だけど人は、話ができるんです! 
 言葉を使って、想いを伝えて、色んな素敵なものをもたらせる生き物なんですッ!
 だから、どんな人にだって、想いを込めて話をすれば、きっと――」 
 アティは想いを言葉に乗せる。強い憎しみを凌駕する想いを、伝えるために。
 しかし、
「下らんな」
 男はアティの言葉を一蹴するだけだった。憎悪を陰らせることも、綻ばせることも叶わない。
 返ってくるのは、無慈悲な言葉だけ。
「貴様の言葉も、想いも、私には決して届かない」 
 歯痒さと悔しさに、唇を噛むアティ。少し否定されたくらいで折れはしない。
 簡単に潰されるほどアティの想いは弱くない。
 だが、ここでずっと問答をしているわけにはいかない。
 腕の中にいるレイに、急いで治療を施す必要があるのだ。
 問題は、どうやってこの場から逃げるか。
 サモナイト石があれば、手は見つかるのだが――。
「……悲しい、ね」
 思考するアティに、言葉が割り込んでくる。目を落とすと、レイが目を開けていた。

 ◆◆

 驚きを露にするアティの腕からすり抜けると、左足に重心を置いて立ち上がる。
 氷塊の直撃を受けたせいで、右足の感覚が鈍く、まともに動かせない。
 それでも、レイは確かに地に足を着け、自身の足で立っていた。
「じっとしてなきゃ! 重傷なんですよ!?」
「じっとしていられる状況じゃないだろ? 大丈夫さ、鍛えてるからね」
 無茶苦茶な理屈だと分かっている。実際のところは、血が流れすぎて本当に危険な状態だった。
 医術の心得があるアティなら、それくらい悟っているだろう。
「大丈夫なわけないじゃないですか! 早く治療しないと――」
「……ああ。治療しないと、もう駄目だろうね」
 アティの言葉を遮るレイの声は、随分と落ち着き払っている。
 死が迫り近づいて来ているというのに、驚くほど頭が冷えていた。血液が抜けすぎたせいかもしれない。
 あるいは、アティの想いを込めた言葉が、レイの心に届いたおかげなのかもしれない。
「そういう意味じゃ……」
 こんな状況にありながらも他人を気遣える彼女のひたむきさは、守られるべきだ。
 真っ直ぐな想いを伝えられる彼女の尊さは、心は、失われてはならない。
 会って間もないが、分かる。彼女は、生きるべきだと。

「自分の体だ、分かってるよ。だけどあたいはまだ、死ぬつもりなんてないさ。だから――」 
 レイは、自分に残された、たった一つの支給品をアティへと投げて寄越す。
 愛着などない、一枚の絵だ。
 何の役に立ちそうにもないそれだって、生きる道の標にはなり得る。
「それ、預かっといてくれよ。必ず生きて、取りに行くからさ」
「何、言ってるんですか? まさか、あなたを置いて逃げろって、言いませんよね?
 そんな体で戦うなんて無茶、言いませんよね!?」

「……頼むよ、アティ」

 短い頼みごとだった。
 でもそれだけで充分だと、レイは分かっている。
 何故ならば、その短い言葉の中に、たっぷりと想いを込めたのだから。
 伝わらない、はずがない。
「嫌です。絶対に、そんなの、頼まれません」
 伝わった上でそう言うのは、きっと、アティの心が優しすぎるから。
 だからこそ生き延びて欲しいと、レイは思う。 
「だったらどうするんだい? 言っとくけど、今のあたいは自分の身を守るだけで精一杯。
 あんたが戦力として当てになるならいい。でも、そうじゃないなら足手まといだよ」
「それは……」
 あの氷塊を避けたのだから、身のこなしは悪くない。
 しかし口ごもるということは、少なくとも今は力になれないと自覚しているのだろう。
「そして、一緒に逃げるとしたらあたいが足手まといだ。
 こんな足じゃ、すぐに追いつかれるのは目に見えてる。
 ――ほら、早く行きな」
 そっと、促してやる。するとアティの大きな目が潤み始め、涙の色が顔に浮かぶ。
 今にも泣き出しそうになりながら、それでも彼女は、頷いた。
 頷いて、くれた。

「必ず、生きて取りに来て下さい。私、待ってますから。約束、ですよ」
 言い残し、背を向けるアティ。見送ってやれる余裕はない。
 遠ざかっていく足音を聞き、深く息を吸い込む。右足に走る激痛と背中に残る鈍痛も、まとめて飲み込む。 
「……待っててくれるなんて、いいとこあるじゃないか」
 言ってやると、男は不愉快そうに顔を顰める。
「ふん、偽善に塗れた茶番だな。虫唾が走る。
 安心しろ。貴様を殺した後、あの女も追って殺す。預け物は、あの世で返してもらうのだな」 
 吐き捨てると、男は両手の剣を構え直す。その口は既に、呪文を紡ぎ始めている。
 戯言は終わりだという、宣言だった。

「言ったろ? まだ、死ぬつもりはないってッ!」
 だから、レイも構えを取る。これ以上、話をするつもりはない。
 アティが愚直なほどに言葉を投げかけても、男は揺るがなかった。
 想いが乗った言葉が届かないのなら、想いが乗った拳で伝えるまで。
 男の構えにも気配にも隙はなく、殺意に曇りはなく憎悪に陰りはない。
 対し、こちらは満身創痍だ。怪我は酷く血液が不足し、右足は使い物にならない。
 だからといって、死ぬつもりなどない。生きるため、アティに支給品を預けたのだから。
 ダメージを考慮すれば、長期戦は不可能。勝機が見出せるのは、短期決戦のみ。

 レイは、あらゆるわだかまりや雑念を取り払う。
 不安、懸念、恐怖、悪意、悔恨。
 その全てを除き去った胸に残るのは、波紋一つない水面の如き想いだけ。
 まさに、明鏡止水。
 静かで揺らぎのない想いを、澄んだ心で練り上げる。汚れのない想いは昇華され、力となって具現化する。
 光が、レイの足元から立ち昇る。
 天へと昇り上がる龍にも似たその光は次第に大きさを増し、完全にレイを覆い尽くす。
「心山拳、奥技」
 光に呼応するし、大気が震え出す。極限まで高まった力が、夜空へと噴き上がる。
 男が炸裂の呪文を唱え終わるのは、ほぼ同時。

「旋牙連山拳……ッ!」
「――イオナズン」

 耳をつんざく爆裂音が轟く。だが、その爆風の中心にレイの姿はない。
 一足跳びという表現では足らぬ速度で、レイは男の懐に飛び込んでいた。
 正拳を打ち込む。当たらない。
 背後に回り裏拳。受け流される。
 左へ飛び込み肘鉄。掠めるだけに終わる。
 片足を負傷しているとは思えない俊敏さを以って、男に波状攻撃を掛けるレイ。
 しかし男は確実にその動きに追随し、的確に見切ってくる。
 だとしても、構わない。
 レイの速度は、飛躍的に増していく。
 風を切り裂き大地を蹴り飛ばす。
 側転の要領で右へ跳ぶ。両手を地に付いて左足で蹴り上げる。

 ――靴裏が、皮膚にめり込んだ。確かな、手応えだった。

 その一撃をきっかけに、レイの敏捷性が男の動きを凌駕する。残像を残し、攻撃を仕掛けていく。
 正面からの拳打、左からの手刀、背後からの当身、右に回りこんでの貫手。
 鮮やかで芸術的な動作から生み出される連続技は、華麗で美しく無駄がない。
 レイは止まらない。
 編んだ髪を躍らせて旋風となり、牙の如き鋭い攻撃を繰り出し、連なる山をも砕こうと拳を叩きつける。
 逆巻く嵐を思わせる無数の連撃を、あらゆる方向から浴びせていく。
 その様はまるで高速の舞踊。見惚れるほどに洗練された演舞。

 だが。
 速度と威力の限界が、見え始める。足の負傷と背中の怪我が、限界を近づけていた。
 更に伸びるはずの速度は頭打ちとなり、威力を激減させる。
「付け上がるな……人間ごときがぁッ!」
 故に。
 反撃の機を、与えてしまう。
 側面に回りこんだレイに、男は刀を振りかざす。
 大振りな、一撃だ。無理矢理に大気を叩き割る重い斬撃は、魔人の攻撃を髣髴とさせる。 
「なめんじゃないよ! 人間の、心をッ!!」
 それに、レイは真正面から対抗した。どのみち回避は、間に合いそうにない。
 全身全霊の力と心を拳に込め、技にする。
 男の鳩尾にレイの拳が。
 レイの胸部に男の刃が。
 互いの勢いを保ったまま、接触する――。

 ◆◆

 鼻の奥にしょっぱさと息苦しさを覚えながら、アティは森の中を駆けていた。
 振り返らずに、ただ必死で足を動かす。振り返ると、足が止まりそうだった。
 唇を、強く強く噛み締める。そうやって口に力を入れても、嗚咽はどんどん溢れ出て零れ落ちてくる。

 レイを放って逃げたアティを責める声が、心の奥から浮かび上がってくる。
 彼女を助ける道を諦めた自分を、他ならぬ自分が責め苛んでくる。

 あの状況を打破する手が見つからなかったのは事実だ。
 サモナイト石もなく、支給された鉄球を自在に操れるほどの腕力もないとなれば、まともには戦えない。
 だから、あのときアティにできたことは、レイの頼みを聞くだけだった。
 彼女の頼みが、心からのものだと分かってしまったから。 

 そう、言い聞かせる。その度に、声は尋ねてくるのだ。

 ――本当に、他にできることはなかった?
 ――たとえば、私が残ってレイさんを逃がしていたら?
 ――たとえば、レイさんと協力して二人で戦っていたら?

 戦えないとか、二人一緒では逃げ切れないとか、そんなものは言い訳に過ぎない。
 諦めた事実は、変わらない。

 情けなさが、悔しさがアティを苛む。
 何が医者志望だ。何が元軍人だ。何が首席卒業だ。
 そんなことには、芥子粒の意味すらない。こんな無様さでは、生徒だって守れるとは思えない。
 ただただ無力さを痛感する。そして、それを言い訳にしている自分が、嫌になる。
 アティは、封印球を強く握り締める。
 もう、奇跡は起こらないのだろうか。この石は、力を与えてはくれないのだろうか。
 自己嫌悪の渦がアティを飲み込んでいく。果てなどない闇の底へ、連れていく。
 足が縺れ、転ぶ。
 コートが土で汚れるが、払う気分にはならない。
 情けない自分には、泥まみれの格好がお似合いだとすら思う。
 起き上がり、振り返った。
 アティが駆けてきた獣道が伸びている。レイを残してきた場所に繋がる、獣道。
 そこにはまだ道がある。細く険しく先が見えない道の先で、レイは怪我を押して戦っている。

 ――このまま一人、逃げてしまっていいの?

 心の声が、尋ねてくる。
 その問いには、頷けなかった。道を見てしまえば、もう逃げられない。
 逃げたくは、ない。
 アティを逃がすことが、レイの望みだと分かっていても。
 自分だけ助かろうとするなど、アティの信念が許さない。
 無力だからと、何もせずにいるのは辛くて苦しくて、嫌だから。

「間に合ってください……!」

 封印球に祈り、アティはレイの元へと引き返す。焦燥感に煽られて、急いで引き返す。

 ◆◆

 激痛が残る鳩尾に、銀髪の男は手を当てる。呪文を呟くと、掌が淡く光り始めた。
 優しくたおやかな光の正体は、傷を瞬時に癒し体力を回復させる呪文だ。
 にもかかわらず、怪我の治癒速度は緩慢で、体力はほとんど回復しない。
 むしろ、その魔法を使ったせいで余計に徒労感を覚える。
「効きが、悪いか……」
 紅の瞳をした彼――ピサロが舌打ちを一つすると、癒しの光が消える。
 回復魔法の効果があまり出ないとなると、無理はしない方がいいだろう。

――口惜しいが、逃亡した女はひとまず放っておくが賢明か。

 人間に後れを取るなどとは思わないが、慢心や油断、過信は捨てるべきだと判断する。
 今の戦闘で予想以上に消耗してしまったこともあり、慎重にならざるを得ない。
 刀と短剣を納刀し、ピサロはマントを翻して歩き出した。
 一時の休息のため、西の洞窟を目指す。
 ピサロは、振り返らずに歩いていく。

 太い幹に背を預け座り込んだまま、動かない格闘家に、一瞥すらせず、歩いていく。
 心の拳すらも、ピサロの決意に皹を入れることは、叶わなかった。

【D-5 南東部 一日目 黎明】
【ピサロ@ドラゴンクエストIV 】
[状態]:全身に打傷。鳩尾に重いダメージ。
    疲労(やや大)人間に対する強烈な憎悪
[装備]:ヨシユキ@LIVE A LIVE、ヴァイオレイター@WILD ARMS 2nd IGNITION
[道具]:不明支給品0~1個(確認済)、基本支給品一式
[思考]
基本:優勝し、魔王オディオと接触する。
1:西の洞窟へ向かい休息を取る。
2:皆殺し(特に人間を優先的に)
[備考]:
※名簿は確認していません。またロザリーは死んでいると認識しています
※参戦時期は5章最終決戦直後
◆◆

 巨木が見えてきたところで、アティは、一層強く地面を蹴る。
 転びそうになりながらも、少しも減速せずに疾走する。
 耳が聞こえなくなったかと錯覚するほどの静けさが、戦闘の終了を物語っていた。
 嫌な予感が鎌首をもたげてくる。心臓が狂ったように暴れているのは、全力疾走のせいだけではない。

 木の陰から、三つ編みが見えた。

「レイさん!」

 叫ぶ。
 渇きを訴える喉を酷使して、名前を、呼ぶ。 

「レイさん、レイさんッ!!」

 縋るように、望むように、求めるように、欲するように。

 それでも。
 返事は、返ってこない。

 足腰が震え、力が抜けていく。
 走れなくなった体は、残った勢いに押されて進み、そして。
 巨木の傍らまで、辿り着く。

 ――荒かった息が、詰まった。

「あ、あ……ッ」
 夥しい血溜まりの中で、まるで眠っているように。
 深い傷口を、夜気に晒しながら。
 レイ・クウゴは目を閉じていた。
 微動だにせず、目を、閉ざしていた。

「私、が。私が、逃げた、から。わたし、の、せい、で……ッ!」

 足腰の震えは大きくなって全身へと伝わり広がり、立っていられなくなって。
 腰が抜け、へたり込む。
 まだ温かさの残る血溜まりで、身を汚しながら。
 まるで、赤子のように、慟哭する。
 ひたすらに広がる闇は、ただただ無情で。
 泣きじゃくるアティを慰めてくれそうには、なかった。

【レイ・クウゴ@LIVE A LIVE 死亡】
【残り49人】

【D-6 巨木付近 一日目 黎明】
【アティ@サモンナイト3 】
[状態]:疲労困憊。コートと眼鏡とパンツと靴以外の衣服は着用していない。
    強い悲しみと激しい自己嫌悪と狂おしいほどの後悔。コートとブーツは泥と血で汚れている。
[装備]:白いコート、水の封印球@幻想水滸伝2
[道具]:基本支給品一式、はかいのてっきゅう@ドラクエⅣ
    モグタン将軍のプロマイド@ファイナルファンタジー6
[思考]
基本:アリーゼを探す。
1:茫然自失。
2:アズリアを探してアリーゼ探索に協力してもらう。
3:他の遭難者やビジュという軍人も探す。
4:舟を襲ってきた海賊や島にいるかもしれない召還獣等に警戒する。
5:アリーゼと共に帝都に行く。
6:アリーゼを見つけてから服を取りに戻る。
[備考]:
※参戦時期は一話で海に飛び込んだところから。
※首輪の存在にはまったく気付いておりません。
※地図は見ておりません。

時系列順で読む


投下順で読む


012:踊る道化は夢を見ない レイ GAME OVER
010:デスピサロ ピサロ 046:本気の嘘(前編)
018:『アティの場合』 アティ


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最終更新:2010年06月24日 20:16