Aquilegia -わたしの意地、私の意地- ◆6XQgLQ9rNg



 ――どうか、届きますように。

 ◆◆

 両手で握り締める鉄塊が重い。
 左肩から指先までの感覚が薄く、零れ流れて不足気味の血液は、力を与えてはくれない。
 アナスタシアは、思い切り息を吸う。
 普段以上に右手の握力を強め、左五指の支えとする。右腕の筋肉に力を与え、左腕の痛みをカバーする。
 多少の血液不足など慣れたものだ。男には分からぬ苦しみを経て、女は月一で血を流しているのだ。
 深く酸素を取り入れ、鉄塊――アガートラームを構える。
 胸の奥底、荒野のように乾いた欲望が僅かに潤ってしまったことを自覚する。
 こんな状態では届かない。眼前で佇む純然たる愛の化身には立ち並べない。
 だから、アナスタシアは別の感情を燃料とする。灼熱し滾る感情――単純なる憤怒を燃やし力とする。
 ピサロを、睨みつける。
 美しいはずの銀髪は煤け、精悍な顔立ちには汚泥が付着し、切れ長の瞳は血走っている。
 酷い有様だとアナスタシアは思う。きっと自分も似たようなザマなのだろうと思うが、気にしないことにする。
 ピサロと言う男は、アナスタシアの好みではない。
 だからどうでもいい。
 だから、心おきなくぶっ叩ける。
 頼れるのはこの身のみ。ぶっ倒す相手は一人だけ。
 力の差など考えるのは無粋でしかない。
 だってこれは、笑えるほどに単純な、男と女の喧嘩の構図なのだ。
「それじゃあ――行くわよッ!!」
 止め処ない怒りを力<フォース>に変換。即座にアビリティとして発動する。
 プロバイデンスとエアリアルガードを重ね掛け、アナスタシアは疾駆する。

「無駄な足掻きをッ!」
 ピサロが細い指先でアナスタシアを指し、先端から凍てつく波動を迸らせる。
 アナスタシアに施された強化が捲られ、剥がされ、破られ、速度が目に見えて落ちる。
 だが、アナスタシアは動じない。
 底なしの怒りは無限のフォースを生む。尽きないフォースは止まらない力に置換される。
 再度のブーストを瞬時に終えて加速。左右で束ねた髪を靡かせながら、アガートラームを振りかぶる。
「馬鹿にしないで欲しいわね! 簡単に丸裸にされるような、安い女じゃないッ!!」
 豪快に叩きつける。風の力と重力に後押しされたアガートラームは、聖剣の名とは程遠い凶悪さを見せつけていた。
 ピサロがステップを踏む。
 軽く後ろに飛び退る彼の手に在る砲は、アナスタシアへと向けられていた。
 砲口に宿るのは碧の燐光。クレストグラフに刻まれた紋様が生み出す魔力の輝き。
「双填・ヴォルテック×ハイ・ヴォルテック――スパイラル・タイフーン」
 ピサロの呟きに応じるよう、砲口の魔力が圧縮し収束し、爆ぜる。
 大気が撹拌され鋭く尖り刃を成し渦を巻く。碧の竜巻が生成されるまで時間はかからない。
 構わずアナスタシアは突っ込んだ。
 エアリアルガードによる風の防護が竜巻と衝突する。竜巻の壁に風の防護が食い合い、甲高い音を響かせる。
 暴れ狂うその音は終末を告げる笛を思わせた。その音に導かれた終末を迎えたのは、風の防護の方だった。
「まだまだぁ――ッ!!」
 アナスタシアが立ち向かい突破を試みるのは風の二重螺旋だ。一重の壁で守れる道理はない。
 難しい話は何処にもない。相手が二重なら、こちらも二重にしてやればいい。
 たった、それだけだ。

 ――やってやる。やってやるわよ。

 出来ないなどと、可能性を潰してしまっては。

 ――女がすたるッ!!

「エアリアルガード×エアリアルガードッ!!」
 感情を注ぎ込みフォースをいっぱいに高め、叫ぶ。
 瞬間、嘶きにも似た一際甲高い音が高鳴った。
 アナスタシアの周囲に生まれる風が、逆巻く竜巻を撥ね退ける。
「エアリアル・ウォールッ!!」
 風の防壁はスパイラル・タイフーンをシャットアウトしアナスタシアを守り抜く。更に、二重の風の加護は反応速度を急激に高めていく。
 そのまま竜巻を突っ切るべく地を蹴り、竜巻の先に在るピサロの姿を捉え、そして。
 見える。
 ピサロが、更に呪文の詠唱を重ねている様が、だ。

「スパイラル・タイフーン×バギクロス――」 

 風の壁の向こう、暴虐的な唸りが聞こえた。

「――スパイラル・クロスタイフーン」

 三重に重ねられた嵐が翠の力となり、二重の壁を強引に叩き割った。

 ◆◆

 放出した魔力の残滓が、煙のように砲口から立ち昇る。
 バヨネットを振り払い煙を消し、ピサロは翠の旋風を見やる。
 クレストグラフ二枚分の魔力とピサロ自身の呪文を掛け合わせた、三重の魔法。
 それは、ロザリーと共に在った一人の少女が、ピサロにぶつけてきた力の再現だった。

 ――見事なものだ。

 称賛の相手は、たった一人の幼い魔法使い。これほどの技術を体得した少女を、ピサロは心から称える。
 メラという初歩的な呪文であったとはいえ、彼女は、クレストグラフもバヨネットもなしでこの三重魔法をやってのけた。
 人間とは思えぬほどの、驚嘆に値する才能だ。
 もし違う出会いをしていればと思い掛け、ピサロは苦笑する。

 ――違う出会いならば、私は彼女を認められまい。

 たとえロザリーの友であったとしても、人間というだけで憎悪していただろう。
 それどころか、ロザリーに近づく毒虫として、即座に排除を考えていたかもしれない。
 もしも、そうなったとしたら。

 ――ロザリーは、私を責めるだろうか。憎むだろうか。怨むだろうか。

 責められても仕方あるまい。憎まれても言い返せまい。怨まれて当然であろう。
 嫌悪され、唾棄され、侮蔑され、憎悪され、忌避され、厭悪されるであろう。
 そうであったとしても。ロザリーがどれほどピサロを遠ざけようとも。
 それでも。

「で、えぇえぇえええぇえりゃあぁあぁあぁああぁぁぁ――ッ!!」

 ピサロの思索を遮ったのは、お世辞にも上品とは言えない絶叫だった。
 不愉快そうに目を細め、バヨネットを構え直す。
 鬼気迫る薙ぎ払いで翠の旋風をぶっ飛ばし、愚かしいほど真っ直ぐにアナスタシアが突っ込んでくる。
 風の加護を重ね掛けしているせいか、速度もかなりのものだ。魔力を双填している間はないだろう。
 打ち消してやるのは造作もない。だが、鬱陶しいほどの執念深さでこの女は食らいついてくるに違いない。
 強化を施したアナスタシアを叩き潰し、歴然とした差を見せつけてやる必要がある。
 だから、ピサロは凍てつく波動を使わない。
 即座に距離を詰めてくるアナスタシアの攻撃を確実に見据える。
 溜めが入り、大剣が突き込まれる。
 分厚くも鋭い先端が迫り、接触する直前に。

「カスタムコマンド・インビジブル」
 黄金のミーディアムが眩い輝きを放ち、絶対防壁が形成される。
 鈍い音を立てて聖剣が制止する。眼前で停止する切っ先へと、ピサロは砲口を合わせた。
「双填・マヒャド×マヒャド――マヒャデドス」
 装填された魔力は巨大な氷塊と化し、防壁の先にその威容を向けた。
 圧殺さえ可能なほどの氷塊の後ろで、ピサロは深く膝を曲げる。
 跳ぶ。
 氷上まで舞い上がり、氷塊を跳び越え、身を捻る。
 訪れる一瞬の制止。次いで始まった落下時に回転を入れて向きを変え、宙返り、軽やかに着地する。
 巨大な剣で氷塊を受け止めたアナスタシアの背後に、だ。
 地を蹴る動作に容赦はない。アナスタシアが両側で結った髪を乱して振り返るが、遅い。
「装填・ハイパーウェポン」
 腕力の強化を施し、無駄のない動作で、バヨネットを突き込んだ。
 パラソルの先端に固定された短剣が風の防壁に阻まれる。
 ピサロは構わない。この程度、予測できていたことだ。
「真空波」
 ピサロが強風を発生させる。だがこれは、攻撃的な竜巻でも旋風でもない。
 起こったのは、アナスタシアを覆う風の護りを撫でるような空気の流れだった。
 風が動く。
 アナスタシアの周囲の風が乱れ、曲がり、歪み、動きを変えた。
 その動きは、ピサロの刃を阻むものではなく、アナスタシアへと導くものだった。
 攻撃が加速する。
 吸い込まれるようにして伸びる攻撃は、振り返ろうとするアナスタシアの喉元を狙った一撃だ。
「エアリアルガードッ!」
 直撃の数瞬前で風が巻き起こる。アナスタシアが起こした風は突きの軌道をねじ曲げ逸らす。
 必殺であったはずの突きは、青の髪を数本千切り取って空へと抜けた。
 巻き起こされた風により、投げだされた髪がふわりと宙を舞う。
 まさに、その瞬間。
 ピサロの真横から、圧力さえ伴うほどの猛烈な怒気が膨れ上がった。

「こ、ン、の――……」
 地獄の主かくあるべきとでも言わんばかりの声が響くとほぼ同時に、分厚い刃が真正面から迫ってくる。
 激情の乗った力任せのフルスイングに対し、ピサロはインビジブルを展開する。
 がぎん、と耳障りな音を響かせ、刃は停止した。
 一撃はピサロまで届かない。
 だが。
「女の子の、髪に――……」
 アナスタシアの気迫が、防壁をじりじりと押し込んでくる。
「なんて、ことを――……ッ!」
 そして、遂には。
「して、くれんのよぉ――――ッ!!」
 スイングが、振り切られる。
「何ッ!?」
 防壁が破られたわけではない。現に、刃はピサロへと至っていない。
 なのに今、ピサロの身は宙に浮かされ後方へと吹っ飛ばされている。
 驚愕によって判断が鈍る。その隙を突いて、アナスタシアが突っ走ってきた。 
 アガートラームが振り下ろされる。
 大振りの斬撃が、インビジブルの絶対防壁へと叩きつけられて。
 震動が、来た。
 防壁を無理矢理ぶち叩いた刃が、壁ごとピサロを揺さぶってくる。
 重厚な一撃は、されど、防壁を破るには至らない。
 だがピサロは、ほぼ反射的な判断で、銃剣を地面へと全力で降り下ろした。
 武器の先端が硬質な地面に叩きつけられ、ピサロへと反動を返してくる。
 ハイパーウェポンによって腕力が強化されていたこともあり、その反動はかなりのものだ。
 その反動が、宙を飛ぶピサロの軌道を横へとズレさせた。
 壁の表面から、大剣が滑っていく。
 受け身を取って地面を転がって距離を離し、立ち上がる。
 振り仰ぐと、深々と地面に突き立つアガートラームの傍らに、アナスタシアは佇んでいた。

「防壁ごと叩き飛ばすとはふざけた怪力だな。とても女とは思えぬ」
「はぁ? 何勘違いしてんの貴方。女だから力が出せるのよ」
 アナスタシアが束ねた髪を片手でかき上げる。纏う風に靡く様は、髪型の名が示す通り尻尾のようだった。
「男の妄想で女を括ってんじゃないわよ。女は貴方が思っているよりずっと強いの。特に――」
 掌を広げ、左胸に手を押しあてる。

「――ココロが強い女の子を、たくさん知ってる。わたしなんかよりココロがずっと強い女の子は、星の数ほどいるわ」

 ◆◆

 どくんどくんと脈打つ鼓動を感じる。
 グローブをしていても、エプロンドレスを着ていても、その鼓動はしっかりと感じ取れる。
 この拍動が全身に血液を巡らせ、生命を成しているのなら。
 まさにココロは、この胸の奥で息づいているのだとアナスタシアは思う。
 ココロの吐息が掌を押す。
 弱いアナスタシアに、思い出が強さをくれる。

 たとえば、この島で初めて出会った女の子は、小さな体で沢山の悲しみを抱いていた。
 彼女は、喪失の苦しさ、離別の悲しさ、独りぼっちの寂しさを、無邪気さの裏で抱え込んでいた。
 だけど、次の喪失を怖がって他者を拒絶することなんてなかった。
 それは、また色んな人と仲良くなって、失くさないように護ろうと努められる強さを持っているからだ。

 たとえば、アナスタシアの親友は、仲間をみんな亡くして、たった一人生き延びて、何人も何人もたいせつな人を失ってきた。
 そんな彼女は、アナスタシアがどれだけ拒絶しても、どれだけ最低な無様を晒しても、手を差し伸べ続けてくれた。
 どんなに情けないザマを見せても、どんなに傷つけるようなことをしても、絶対に仲間を見限らない精神は、強さに他ならない。

 たとえば、魔法使いの女の子は、大好きな人に、必死で声を届けようとした。
 彼女は、女の子のためにと謳い誤った道を行く少年へと、諦めずに声を投げかけ続けた。
 その声がどうなったのか、アナスタシアは知らない。だけど、届いたと信じている。
 あの子の真っ直ぐな気持ちは、挫けない気持ちは、ひたむきな前向きさは、眩しいくらいに強かった。

 たとえば。
 そう、たとえば、綺麗な桃色の髪をした女性は。

「ねぇ。ロザリーさんは、どうだった?」
 ピサロの美しい眉が、微かに動いた。
「わたしは、ロザリーさんのことをほんとうに少ししか知らない」
 アナスタシアは思い出す。
 夜雨の下で交わした会話と、たいせつな人の元へと駆ける細い背中を。
 たったそれだけ。
 たったそれだけしか、アナスタシアは知らない。
 それでも。
「それでも、わたしの中に息づくロザリーさんは、とても強い女性だわ」
 ねぇピサロ、と。
 アナスタシアはもう一度問う。
「貴方が愛している女性は、強い女性?」

 ピサロはそっと目を伏せる。
 記憶の海に想いを浸すように。かけがえのない本のページを、優しくめくるように。
「――知れたこと」
 そう呟いて、ピサロは目を開く。
 その紅の瞳は、ほんとうに、ほんとうに。
「気高く、高貴で、汚れのない――真の強さを、ロザリーは持っている」
 ほんとうに、穏やかな輝きを湛えていた。
 小さく微笑んだ表情からは優しさが溢れていて、声には愛おしさが満ち満ちていた。
 その慈愛いっぱいのピサロを前にして。
 アナスタシアのココロが、くっと締め付けられる。
「そう、そうよね。やっぱりロザリーさんは強いわよね」
 息苦しさを覚えながら、アナスタシアは吐き出す。
「強くなければ、貴方を愛せないものね」
「愛せない、だと?」
「ええ。だって貴方は、それだけロザリーさんを愛しているのに――」
 ピサロを睨みつけ、左胸を抑えつけるようにして右手の握力を強める。
 吐き出した息を吸い直し、鼓動を掌に受け止め、言葉を継ぐ。

「それなのに、ロザリーさんを理解していないもの」

 ピサロの瞳から穏やかさが消える。表情から優しさが抜け落ちる。
「何が言いたい」
 声色の慈愛は失せ、詰問するような口調になっていた。
 だがアナスタシアは動じない。

「大好きな人には自分を分かってほしい。大好きな人には全部を理解してほしい。
 そんな当たり前の願いを叶えてくれない男を愛し続けるなんて、よほどの強さが必要だとわたしは思うわ。
 それとも、ロザリーさんが言ったの? 殺し合いに乗って一人生き残って、生き返らせて欲しいって?」

 アナスタシアは胸に当てていた手を、伸ばす。
 惑わず、臆さず、躊躇わず。
 地に突き立ったアガートラームの柄を、握り込む。

「勘違いするな。私の行動は、全て私自身が決めたことだ。
 貴様などに言われずとも、私は、ロザリーの願いも、望みも、祈りも、信念も、全て分かっている」

 そんなアナスタシアを見据えて、ピサロは叫んだ。

「理解した上で、私は決めた。
 たとえロザリーの望まぬ手段であったとしても、ロザリーの想わぬ方法であったとしても!
 彼女を蘇らせると、私は決めたのだッ!」

 感情を吐露するようにピサロは叫ぶ。
 その叫びを、アナスタシアは。
 鼻息一つで、一蹴した。
「理解してても、構わずに我を通そうとするんだったら、それは、分かってないってことなのよ」
 だから。
「わたしは、貴方を許せないッ!!」

 聖剣を、無造作に引き抜いた。
 重量が無遠慮に、右腕に負荷を掛ける。
 感じる痛みをリフレッシュを使用してキャンセルし、無理矢理片手で聖剣を掲げる。
 リフレッシュをひたすらに重ね、左腕の痛みを誤魔化し切り、掲げた剣の柄に手を添える。
 構える。
「愛してるなら少しくらい尊重してあげなさいよッ!
 一方的に自分の感情を押しつけるのが愛なんて、わたしは認めないッ!!」
「元より相容れないのは自明! 女よ、全力で潰しに来るがいいッ!!」
 対し、ピサロも砲に魔力を込める。
「貴様の深い業に、私が幕を引いてやるッ!!」
 そうして、互いに地を蹴り、駆け出して。
 意地と誇りと感情をぶつけ合う、命がけのから騒ぎは続いていく。

 ◆◆

 もう、どれだけ刃をぶち込んだだろうか。
 もう、どれだけの魔法を浴びせられただろうか。
 数え切れないほどの交錯と衝突を経てなお、アナスタシアはピサロと相対していた。
 額からは汗が滲み、鉄臭さの残る口はからからに乾燥し、全身は土埃でぱさついていた。
 痛覚が麻痺していて、痛みが一切感じられない。
 掛け続けているリフレッシュのせいか、体が壊れてしまったのか、感情が振り切ってしまっているせいか。
 今の自分だけは鏡で見たくないなと思い、更にはこの場を隔離しておいてよかったなと安堵し、そんな雑念をすぐさま振り落とす。
 魔法が来る。
 聴覚を叩き潰すような爆音が鼓膜を強く震わせ耳鳴りを引き起こされ、炸裂が巻き起こる。
 その中心へ、プロバイデンスの加護と風の防護を信頼し、躊躇わずに突っ込んでいく。
 エアリアルガードの二重展開――エアリアルウォールによって高められた反応速度が、アナスタシアを前へと送る。
 爆発を置き去りにして彼我距離を一瞬で詰めて、アガートラームを降る。
 掌に返って来るのは、飽き飽きした壁の感覚だった。
 バヨネットの刃が返しに来る。
 反射神経だけで避け、距離を取り、我武者羅に前へ。
 ダンデライオンの名に掛けた、挫けない心を血に溶かし全身に流し込み、一撃を放つ。
 渾身の一撃は、やはり壁に阻まれる。
 ピサロが張り巡らせる絶対防壁は、どれだけの攻撃を叩き込んでも突破を許さない。
 さすがに、息が荒くもなる。

 ――いい加減に、なんとか、したい、わね……。

 思考ですらこま切れになるほどの疲労を覚えながらも、アナスタシアは愚直に剣を握る。
 簡単に勝てる相手ではないのは百も承知。口喧嘩なら勝機はあるかもしれないが、それで勝ったところでどうにもならないのは千も承知だ。
 アナスタシアが何を言おうと、この男には通じはしない。
 ピサロに言葉を届けさせることができるのは、後にも先にもただ一人だけ。
 その人物の言葉を代弁できるほど、アナスタシアはその人物と絆を結んでいない。

 ――何か、ない、かしら。何か……。

 地獄の雷がアナスタシアを襲う。
 めいっぱいプロバイデンスを掛け、必死に身を守って凌いだところを、追撃の風魔法が迫る。
 アガートラームで振り払い、的にならないよう走り回る。
 魔法の嵐が止んだ隙を突いて再突貫。
 幾度となく繰り返した聖剣の攻撃は、やはり壁に阻まれる。
 壁越しに、ピサロが砲口を突き付けてくる。
「そろそろ、終わりにさせてもらうぞ」
 砲の中で蒼が煌めく。ラフティーナの力を装填した究極光が、アナスタシアへと牙を剥こうとし――。

『――……が、……ま……か?』

 声が聞こえた。

「ッ!?」
 前触れもなく聞こえたその声はか細く、自らの耳を疑い、直後に不味いと後悔する。
 突然の声に気を取られたことによる隙を、あのピサロが見逃すはずがない。
 しかし、究極光の一撃は放たれず、砲に充填されていた魔力は霧消していた。

『――……い……ら、……ね…………す』

 ピサロもまた、動きを止めていた。
 彼は中途半端に砲を構えた姿勢のまま目を見開き唇を戦慄かせていて、顔色を驚愕に染めていた。

『どう……むけ……』

 ピサロは今、完全に意識を声へと傾けていて、アナスタシアを見ていない。
 完全に、声音に心を奪われているようだった。
 だからアナスタシアも意識を傾け耳を澄ませる。
 隙だらけのピサロに仕掛けるよりも、そうすべきだと思えた。

『――……なは、……』

 その声がアナスタシアの記憶にもあるものだと気付き、声の主の正体に思い当たる。
 まさか、と、どうして、が戸惑いとなって浮かび上がるアナスタシアを置き去りにして、

『……ロザリー……。……ディ……って、し合いを……』

 ピサロに届き得る可能性を秘めたその名が、続いたのだった。

 ◆◆

 どれだけこの声を聴いてきたのか。
 どれだけこの声を聴きたいと願ってきたのか。
 どれだけこの声を想い返したものか。
 忘れるはずがない。聴き間違えるはずがない。
 だからピサロはその声を疑わず、自らの耳を疑わず、ただ呆然と疑問を抱くだけだった。
「何故、だ……?」
『愛とは一人で成すものに非ず。
 我を呼び覚まし深愛は、汝と、汝を深く愛する者によって織りなされたもの』

 零れ落ちた問いに、ピサロの内側からラフティーナが応じる。
『汝を愛する者の想いもまた、現世を漂い、我に力を与えてくれる』
 そして。
『その強く深い愛は、我に近しい存在であるが故に共鳴し、具現化<マテリアライズ>したようだ』
 夢の世界で届けられるロザリーのメッセージは、本来、無意識の海を漂う手紙のようなものだった。
 だが、ロザリーの抱く強い愛は、ラフティーナの力に引き寄せられ、ラフティーナの力を依り代とし、世界に現れたのだ。
『――……れでも、…………あろうとも、傷つけ……し合う……などと、あっては……のです』
 ロザリーの声が徐々に形を成していく。 
 遠く聴きとりづらかった言葉が明瞭になっていく。
『――私はかつて、この身に死を刻まれ……。そのときの痛み……みは、忘れら……せん』

 一言一言が鮮明になるたび、驚きは喜びに変わっていく。
 もはや疑うまでもなく、ロザリーの声だと確信できた。
 ピサロは、目を閉じる。
 アナスタシアのことも、命がけの喧騒も忘れ、愛おしい声に耳を傾ける。
 他の全てを排し、ロザリーだけを感じるために。

『――ですが、身に付けられた痛みよりも、迫りくる死の恐怖よりも辛い苦痛を、私は知っています』
 閉じた視界に声が響く。声に導かれ、暗闇の世界に姿が浮かぶ。
 ありありと思い出せる。
 くっきりと想像できる。
 メッセージを届けるロザリーの姿を、ピサロはイメージする。
 美しく、気高く、誇り高く、高貴で、慈愛に満ちていて、芯の強い姿が、ピサロの脳裏に浮かび上がる。
 かけがえのない人からのメッセージであるそれは、何度でも耳にしたいと思う。何度耳にしても、心が揺さぶられる。 
 ただただ、慈しむように耳を傾ける。
 切なさが伝わってくる。憂慮が感じられる。
 そのたびに、ピサロは胸が締め付けられる想いがした。
 そして、ロザリーの言葉は転換する。
 憂いを帯びた様子から、強い意志を放つメッセージへと、雰囲気が変わっていく。
 毅然さが届けられる。挫けぬ心が掲げられる。
 そのたびに、ピサロは誇らしい気分になった。
 強さと優しさを併せ持つ想いは、時を超えてこの世を満たす。
 ずっと声を聴いていたい。いつまでも声を聴かせてほしい。
 しかし、やがて。
『――ピサロ様に、届きますように』
 メッセージは、終わる。
 そこに込められたのは高潔な意志。争いに抗い手を取り合うことを望む、慈愛に溢れた心。
 そのメッセージを、ピサロの名を呼んで結んでくれたことが堪らなく嬉しかった。
 改めて、思う。
 ロザリーを、愛していると。
 全てを賭すことを厭わないほどに愛していると。
 なのに。
 それなのに。
 心の底から愛しているのに。

 ――私は、殺したのだ。

 尊い魂を、愛しい命を、護りたい女性を。

 ――私が、壊したのだ……ッ!

 フラッシュバックする。
 動かなくなったロザリーが、話せなくなったロザリーが、冷たくなったロザリーが。
 震えが来る。
 どうしようもなく愚かだった。ロザリーの言う通り、憎しみに囚われて目が眩んでいた。
 ピサロは致命的に誤った。許されざる罪を犯した。
 憎しみと苛立ちと絶望感を昇華したとしても、その爪跡は決して消えない。
 それでも愛している。
 ピサロはロザリーを愛している。
 何よりも誰よりも愛している。
 その愛故に。
 ピサロは武器を、手放さない。
 ロザリーの意志を受け取り、理解しながら。
 否。知っているからこそ。
 ピサロは、戦意を露わにする。
 まるで。
 そう、まるで。
 自らロザリーの想いに、逆らうように、だ。

「まだ、やるつもりなの……!?
 ロザリーさんの言葉を受け取って、その上でまだ戦おうというのッ!?」

 アナスタシアが問うてくる。しぶとくピサロに噛みついてくる敵が、問うてくる。
 愚問でしかない。
 ロザリーを救った強い少女から放たれた同じ問いを、彼女ごと斬り捨てて、ピサロはここにいる。
 求めるために傷つける。
 傷の果てに願うものがある。 
 なればこそ、この場で武器を取るのは必然だ。
 貴様ごときに言われるまでも、と。
 そう応じようとして、

「――ッ!?」

 ピサロは、自らの声が詰まっていることに、気がついた。



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144-10:瓦礫の死闘-VS??・Hyper Evolve X-fire sequence- アナスタシア 147-2:Phalaenopsis -愛しいきみへ、愛するあなたへ-
ピサロ



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最終更新:2012年10月16日 00:37