Phalaenopsis -愛しいきみへ、愛するあなたへ- ◆6XQgLQ9rNg



 ◆◆

 落涙していた。
 目の前に立ちはだかる男は、その双眸から、滂沱の涙を流していた。
 何かを告げるべく口を動かそうとするが、濡れそぼった吐息が苦しげに吐き出されるだけで、何一つ意味のある言葉にはならないでいる。
 整ったその顔は、えずきを堪えるように酷く歪んでいて、愛する女性の声を聴いたことによる喜びの表情とは程遠いものとなっていた。
 胸の内を荒れ狂う辛苦を抑えきれず、ピサロの表情に現れているようだった。
 今しがたのロザリーのメッセージによれば、かつてロザリーは、憎しみに突き動かされるピサロを止めたという。
 ならば、ロザリーの言葉はピサロに届くという証だ。
 しかしながら、ピサロは武器を収めない。
 ロザリーの意志を無視してでも、彼女を蘇らせたいと願うからか。 

 ――きっとそれは間違いじゃない。でも、それだけじゃない。

 それだけならば、こんなに苦しみを飽和させるはずがない。
 みっともないほどに涙して、それでも戦おうとする理由が、他にもあるはずだ。
 アナスタシアはロザリーのメッセージを思い返す。
 同時に、夜雨の下で目の当たりにしたピサロの様子を想起する。
 すぐに、ピンと来た。
 ピサロは深い憎しみを抱き、人間の敵となった。
 その原因は、ロザリーを人間の手によって殺されたからだった。
 ならばつまり、ピサロが抱いた憎しみというものは、深い愛情の裏返しなのだ。
 ロザリーを傷つけた者を許せない。
 ロザリーの命を奪った者を、許せない。

「貴方は……」
 だからこそ。
「貴方は、誰よりも自分を傷つけたいのね……」

 ◆◆

 痛みを求めていることに気付いたのは、余計な負の感情を捨て去り、ただ愛だけで心を満たしてからだった。
 自覚できていないだけで、きっと今までも、そうだったと思う。
 ロザリーを蘇らせるためという目的意識を壁にし、自分以外をも憎悪することで憎しみを分散させていた。
 その結果、復讐心を細分化し無意識の奥底に押し込めて、見えないままでいられた。
 ピサロは、憎しみを糧に絶望感を燃やし、純粋な愛を錬成した。
 その愛は汚れのない鏡面のような輝きを放つ。
 怨まず、憎まず、絶望せず。
 されど消えない傷跡は、じくりじくりとピサロを苛むのだ。
 疼きのような鈍痛は止まらない。
 しかし、足りない。
 その程度の痛みでは駄目なのだ。
 耐えられる程度の痛みでは、ロザリーが受けた苦しみには届かない。
 もっと強い苦しみが必要だった。更に強い痛みを渇望した。
 ロザリーを殺した者<ピサロ>に、復讐をしたかった。
 ピサロはロザリーを想う。
 誰よりも深く、何よりも愛しく思う。
 彼女の優しさは知っている。争いを望まぬ気持ちを理解している。共存を願う意志を熟知している。
 その気高い尊さこそ、ロザリーという女性そのものなのだ。
 そこから――ピサロは目を背ける。
 ロザリーの全てを理解したいと、受け入れたいと切望しながらも、決して彼女の手を取らない。
 想っているのに優しさに目も暮れず、大切にしたいのに争いを望まぬ気持ちを無視し、愛しているのに共存を願う意志を置き去りにする。
 そうやって騙して、裏切って、茨まみれの道を行き、返り血だらけになって、ロザリーが心より忌避するほどの身になって。
 ようやく、ロザリーの命へと至れるのだ。
 とても辛いことだった。
 とても苦しいことだった。
 とても痛いことだった。

 これ以上の復讐は、存在しなかった。

 そうしてピサロは、ロザリーを蘇らせるために武器を振るい、無意識下で自身への復讐を続けてきた。
 復讐の念があったからこそ、ロザリーの意志を無碍にして彼女を蘇らせようと決意できた。
 たとえロザリーのメッセージを受け取っても。
 この島にいる全ての者へと発信されながらも、ピサロを想う気持ちがいっぱいに溢れるメッセージを聞き届けても。
 それすらも裏切り、痛みに変える。
 ロザリーの声を、願いを、想いを、祈りを、愛を。
 夢ではなく真正面から受け取り、その上で取り入れず捨てるのは、感情が振り切るほどの激痛だった。
 だから、涙が飽和した。心が深手を負った。
 それでも、まだ。
 強い純愛を抱く故に、ピサロは自傷行為を止められない。
 無様に涙するほどに心が悲鳴を上げる。言葉を放てないほどに心が痛みを訴える。
 それこそが望みと言わんばかりにピサロは戦う。
 その果てに、最愛の女性が蘇ると信じて前へ行く。
 全てを捨て去り純粋な愛だけを燃え盛らせるがために表面化した痛みを求め、更なる先へ。

 滲む視界の先、アナスタシアの姿がある。
 痛みを抱きながらも涙を振り払い、ピサロは、バヨネットの切っ先を敵へと突き付ける――。

 ◆◆

 本当は、救いたいと想った。
 だから、アナスタシアは一人でピサロに対峙した。
 それでも叩きつけられたのは無力さで、救えないと実感し、怒りを以ってピサロと戦った。
 結局、アナスタシアはピサロを救えないのだと思う。
 どんなに頑張っても、どんなに言葉を練っても、女神を覚醒させた愛の化身には、手が届かない。
 だが、よくよく考えたらそれは当然なのかもしれなかった。
 たった一つの最愛を胸に抱く男の心を、何処の馬の骨とも知らない女が動かそうなどと、おこがましい思い上がりだ。
 それでも。
 それでも、心の片隅でやっぱり止めたいと思ってしまうのは。
 彼が愚直にまで闘う理由の一端を、垣間見てしまったからか。
 彼を愚直にまで愛する女性の声を、受け取ってしまったからか。

「馬鹿だわ」
 男も女も本当に馬鹿だ。
 馬鹿でなければ、女への愛を抱き自身を痛めつけられるはずがない。
 馬鹿でなければ、身だけではなくココロまで傷つけられても、男を好きでいられるはずがない。
 だが、もしも。
 本気で恋をすれば、馬鹿になってしまうというのなら。
 なってみたいと思う。
 そんな恋愛をしたいと、アナスタシアは心の底から強く深く激しく思う。
「ほんッとうに――羨ましいくらいの純愛だわねこのバカップルがッ!!」 
 両手で握り締めたアガートラームを、掲げる。
 これはラストチャンスだ。
 頑固で馬鹿な男を止めるための、ラストチャンス。
 アナスタシアは集中する。
 アガートラームはただの武器ではない。人々の想いを束ね、繋ぎ、未来へ進むための鍵である。
 そのイメージを強く持ち、意識を聖剣へ注ぎ込む。アガートラームが輝きを放ち始める。
 白く眩い光は広がり、周囲の想いを集めていく。
 光を通し、アナスタシアは想いを感じる。
 拡散していくロザリーの想いを、だ。
 あのメッセージは、何らかの方法で生前のロザリーが残したものなのだろう。
 それは記録に過ぎない。けれど、そこに込められた想いは本物だった。
 その想いを、もう一度カタチにする。
 記録だけではなく、ロザリーの想いを、ここに形作る。
 こんな芸当は、アガートラームの力だけでは到底不可能だ。
 だがここには、ラフティーナがいる。
 愛する想いと愛される想いを、きっと彼女は祝福してくれるはずだ。
 想いを、アナスタシアはかき集める。

 最愛を胸に抱く男を止められるのは、最愛を胸に抱く女だけなのだ。
 輝きは次第に強さを増し、世界を覆い尽くしていく。白が広がり、想いを集め、剣へと収束させていく。
 もっと、もっと。
 もっと輝け。
 消えゆく想いを繋ぎ止め、ここに想いを成すために。
 分からず屋の男へと、一人の女の想いを届けるために。 
 光は広がる。
 何処までも何処までも広がる。
 その輝きが、周囲を埋め尽くした瞬間に。

 愛の奇跡は、果たされる。

 ◆◆

 世界が白い。
 果てがないような白さが、ピサロの視界を埋め尽くしていた。
 自分の姿と輝き以外が見えない世界で、ピサロは足音を聞く。
 小さな足音だった。 
 それは丁寧な足運びを思わせる足音で、アナスタシアが立てる粗雑な音とは全く異なるものであった。
 音は近づいてくる。白の世界に、人影が浮かび上がる。
 ピサロは意識を戦闘状態に切り替え、魔法を詠唱し始め――。
『よせ。彼の者は敵ではない』
 ラフティーナの制止に、ピサロは怪訝さを覚えながらも影へと目を凝らす。
 深い霧を思わせる白の中、人影が鮮明になっていく。
 その華奢なシルエットを、ピサロは知っている。
 またも目を剥き、息を呑んだ。
 一瞬、幻術かと疑う。
 だが、愛の貴種守護獣は一切の警戒を見せてはいなかった。
 その間にも、人影は、ピサロが視認できるところまで、やってきた。
 極上の絹糸を思わせる桃色の髪。
 髪の合間から存在を主張する、整った形をした尖った耳。
 一流の職人が作り上げた陶磁器よりも白い肌。
 錬成に錬成を重ねた紅玉にも勝る美しい瞳。 
「……ロザリー……?」
 震える声で名を呼ぶ。
 対し、彼女は嬉しそうに目を細め、頷いた。

「はい。ロザリーです。またお会いできて嬉しく思います、ピサロ様」
 清らかな声は心地よく鼓膜を震わせる。
 こうしてロザリーに会えた喜びよりも、ロザリーと対面している事実を、ピサロは信じられなかった。
 このロザリーが、幻でないとすれば。
「夢でも、見ているのか……?」
 いいえ、とロザリーは首を横に振る。
「私は、死んだのか……?」
 違いますわ、とロザリーは首を横に振る。
「ならば、君は……」
 このロザリーが、幻でもなく、夢でもないのなら。
 この白の世界が、死後の世界でもないのなら。
「君は、蘇ったのか……?」
 ピサロの希望は、しかし、もの寂しい表情で、そっと否定される。
 そうではありません、と、ロザリーは首を横に振る。
「私の想いを集めてくださった方がいました。そして――」
 形のよい唇が、言葉を紡ぐ。
「ピサロ様が、私を強く深く愛してくださいました。だから、私は今、ここにいられます。貴方に想いを、届けられます」

 呆然とするピサロに、ロザリーは歩み寄り、手を伸ばす。
 細く綺麗な手が、ピサロの頬に触れ、汚れきったピサロの頬を撫でる。
 その手は、温かかった。
「こんなに――」
 否定しようもないその温かさは、ピサロの胸を解きほぐし、曇りを拭い取り、疑念を完全に取り払う。
 ロザリーだ。
 目の前にいるのは、本当にロザリーなのだ。
「こんなに、傷だらけになってしまわれたのですね」
 ロザリーの瞳に雫が溜まる。雫はすぐに溢れ、輝かしいルビーとなり、零れ落ちていく。
 それを見るのが辛くて、ピサロは慰めるように返答する。
「大した傷では、ないのだ。まだまだ、全然痛くなど、ない」
「嘘を、つかないでくださいませ」
「嘘ではない。私は、嘘などついてはいないよ」
「では、どうして――」
 ロザリーは悲しげに、自分の左胸に手を当てる。

「私のココロは、これほどまでに痛いのですか?」
「……ッ!」
 返答に詰まるピサロの胸へと、ロザリーは飛び込んでくる。
 ロザリーの両腕が背へと回され、優しくピサロを抱き締める。
 ピサロに刻まれた無数の傷を確かめ、癒すように。
「貴方の傷は私の傷。貴方の痛みは私の痛み。貴方の苦しみは私の苦しみ」
 ロザリーの香りが鼻孔をくすぐる。ロザリーの柔らかさを全身で感じる。ロザリーの体温が肌に伝わってくる。
 ロザリーは、震えていた。
「痛いです。苦しいです、ピサロ様」
 ピサロは動けない。
 武器を握った手をだらりと下げたまま、ピサロの胸に顔を埋めるロザリーを見下ろすしかできないでいた。
「ピサロ様が私を想い、私の命を願ってくれるのは大変嬉しく思います。
 ですが、痛みと悲しみの果てにある命なんて、私は、いりません」

 ロザリーが、顔を上げる。
 濡れる真紅の瞳が、ピサロを捉えていた。

「ピサロ様ならば、分かってくださいますよね?
 私を喪い、あれほどまでに悲しんでくれたピサロ様ならば、命を奪うという行為がどれほどの痛みと悲しみを生むのかを。
 あのような痛みと悲しみが広がっていくのは、辛いです。傷つく人が増えるのは悲しいです」

 ロザリーは優しいから、殺戮によって生まれる痛みと悲しみを感じ入り、自分のことのように苦しむだろう。
 蘇った後もきっと、その痛みと悲しみに苛まれることだろう。
 分かっていた。知らないはずがなかった。
 それでもピサロは、殺戮を続けてきた。
 殊に、ピサロが奪ったのは、ロザリーの命だけではない。
「もう、遅いのだ。私は……君の友を殺めた。君の友が愛した人をこの手に掛けた」
 魔法使いの少女と暗殺者の少年の姿を思い起こし、告げる。
 背中に回された腕の力が、強くなった。
「過去はもう、戻せません。できるのは、未来へ伸びる道を歩むことだけです。
 過ちを繰り返さず、償いを果たしてくださいませ。殺めた貴方が行うべき償いを、果たしてくださいませ」

 忘れないでください、と締めるロザリーに、ピサロは口籠る。
 生きて、償う。
 それは、ロザリーを蘇らせるという終着点にはたどり着けない道だった。
 示された一本の道筋を前で、ピサロは立ち尽くす。やはりピサロは、希わずにはいられないのだ。
 身勝手で醜悪で無様な言い分だとしても。
 他者を顧みず無数の運命を蔑ろにする、罪深い欲望だとしても。
 ロザリーの命を今一度、望まずにはいられない。

「それでも、私は、君に……」
 弱音めいた口調が、零れ落ちた。
 それをロザリーは、宝物のように掬い取る。 
「逢えます。私が貴方を愛する限り、貴方が私を愛している限り、いずれ、必ず」
 断言には揺るぎがない。
 お互いに想い合う気持ちさえなくさなければ、絆はきっと引き寄せられると、ロザリーは告げている。 
 ですから、とロザリーは続ける。
「ニノちゃんが伝えてくれた私の想いを、もう一度、私の言葉で伝えます」

 毅然として、堂々と。

「もう、お止めください。私の命を願い息づく命を奪う行為など、私は、決して望んではおりません。
 その果てに蘇ったとしても、私は」

 それでいて、ひどく痛そうに、とても苦しそうに、見ていられないほどに辛そうに。

「貴方を、愛せません……ッ」
 断言する。
「どうか、私にくださる想いやりを、少しでも他の方に向けてあげてください。
 罪を思い、償いを成し、そして――ご自身を大切になさってください」
 お願いです。
「どうかこれ以上、貴方を傷つけないで。私を、苦しめないで……ッ」
 深い吐息を挟み、ロザリーは、想いを吐き出した。

「ずっとずっとずっと、貴方を、好きでいさせて……ッ!!」

 責められても仕方あるまいと、憎まれても言い返せまいと、怨まれて当然であると。
 嫌悪され、唾棄され、侮蔑され、憎悪され、忌避され、厭悪されるであろうと。
 思っていた。思い込んでいた。
 そうあるべきだと独りよがりに信じていた。だから躊躇わず、ロザリーの想いを裏切ってきた。
 そんなピサロのココロに、ロザリーの震えが、嗚咽が、切なる願いが突き刺さる。
 ピサロの傷がロザリーの傷ならば、ピサロの復讐は、ロザリーをいたずらに痛めつける行為でしかなかった。
 自傷行為が愛する者を傷つける行為に繋がるというのなら。
 この復讐は、二人の傷を深めるだけで、決して終わらない。
 ピサロはロザリーを三度殺した。
 それだけではなく、殺した後も、その高潔な想いを冒涜し続けた。

「すまない……。本当に、すまない……ッ!」
 見て見ぬふりはもう出来ない。ロザリーの傷を目の当たりにしても復讐を続けられるほど、ピサロの愛は歪んでいない。
 謝罪の気持ちが溢れ、またも涙が視界を滲ませる。
「抱きしめて……くださいませ……」
 変わらず両手を下げたままのピサロを、ロザリーは、潤んだ瞳で真っ直ぐに求めてくる。
 泣き声の彼女に、ピサロは、歯を食い縛って首を横に振った。
「私の手は血塗られている。罪に塗れている。そんな手で君を抱き締めるなどと――」
 言い淀むピサロへと、ロザリーは繰り返す。
 ルビーの涙を流しながら、ピサロを真正面から見据えて、繰り返す。

「抱きしめて、くださいませ。私を抱き締めるのは……お嫌ですか?」
 問いかけと呼ぶには生易しい強さを孕むその言葉は、ピサロの想いの確認だった。
 言い訳がましい否定よりも、逃避めいた理屈よりも、ただ、愛おしさが勝る。
 もう、裏切るのは止めにするべきだと思った。騙すのは止めにしたかった。
 大切な女性の願いたった一つを叶えられないというのなら、そこに愛は、きっとない。
 ピサロの手から武器が落ちる。
 空いた手で、代わりに。
 愛しき身を、抱き締めた。
 腕の中にある肩はとてもか細い。
 この細い肩は、どんなことがあったとしても、絶対に傷つけてはならないもののはずだったのだ。
 その根本にあった誓いを押し出し、内省へと繋げ、傷ついたロザリーのココロを撫でるように抱き締める。

「愛している。未来永劫、本当に君を愛し続けると誓うよ、ロザリー」
「私も、愛しています。貴方の愛に負けぬほどの、心よりの想いを、貴方に注ぎ続けます、ピサロ様」

 どちらともなく、見合わせた顔を、ゆっくりと近づける。
 想いを確かめ合うように、二人は口付けを交わす。
 その口付けは、最高に甘かった。

 ◆◆

 はぁ、と溜息を吐いたのは何度目だろう。
 この短時間で、アナスタシアはもう一生分の溜息を吐いた気がする。
 うっとりしているわけでは決してなく、ピサロとロザリーの想像以上のいちゃつきっぷりに呆れ果てていた。 
 奇跡の立役者として立ち合う権利くらいあるだろうと言い訳をし、出歯亀根性に従ったのが間違いだった。
 一部始終を見物したのはいいが、これほどまで見せつけられるとは全くもって予想外だ。
 脚本も台本もない生のラブロマンスは、完全にアナスタシアから気勢を削いでいた。

 ――なんかもう……どーでもいいわ。色々と。

 怒りが失せて毒気が抜け、代わりに壮絶な疲労が全身に圧しかかって来る。
 立っているのも億劫になり、大の字に倒れ込んで、横目でピサロとロザリーを窃視する。
 まだ、ちゅーちゅーやっていた。
 さすがに見ていられなくて、アナスタシアは目を逸らし、もう一度盛大に溜息を吐く。
 信じられないくらい体中が痛むのは、あのアツアツっぷりが目に毒だからに違いない。

 ――いいなー。いいなあー。わたしも素敵な彼氏がほしいなあー。

 ヤケクソ気味な欲望を声に出さなかっただけ、自分を褒めてあげたいとアナスタシアは思う。
 再度の生を得て、仲間が出来て、少しくらいは満たされたと思っていた。それは確かだ。
 けれど人の欲というものは果てを知らない。
 ましてやアナスタシアは、ルシエドを従えるほどに欲深いのだ。まだまだ乾いている箇所はいくらでもある。
 もっと生きたい。生きてやりたいことは山ほどある。欲しいものだって星の数ほどある。
 まだまだ欲望の火種は、アナスタシアのココロで燻り脈打っている。
 だから、アナスタシアは安心できた。

 ――まだ、わたしは“わたし”でいられるのね。

 その安堵はすぐに、強烈な眠気へと変わる。
 瞼が重い。とんでもなく重い。
 耐えられず、アナスタシアは目を閉じた。
 心地よいまどろみの中で、素敵な男性のことを夢想し、アナスタシアの意識は消えていった。

 ◆◆

 腕の中の温もりが消えていく。唇に触れる湿っぽい柔らかさが遠ざかっていく。
 目を開ければ、もはや白の光はなく、荒れ果てた地が目に入った。
 甘い奇跡の時間は終わった。
 空になった掌に、ピサロは目を落とす。
 そこにはまだ、温もりが残っている。温かい残滓を逃さないように、ぐっと握り締める。
 手の甲を目尻に押し当て、流れる涙を思い切り拭き取る。
 息を吸い込む。
 肺に満ちた埃っぽい空気を、長く吐き出した。
 目元を擦り深呼吸を繰り返す。
 膿を出し澱を抜くように、体内に淀む空気を入れ替える。
 愛する者を痛めつけ続ける不毛な復讐の念を、外に放り出す。
 悲嘆と殺戮の果てに愛する者の命を求める旅路は、もはや歩めない。その旅の果てに、ロザリーの姿はないと知ってしまったから。

 行くべきは、ロザリーが示してくれた別の道。
 過ちを繰り返さず、罪を償い、ロザリーを決して裏切らない道のり。
 その方向へ、ピサロは、自らの意志で踏み出すのだ。
 ピサロがこの手で奪った命に、ピサロ自身の想いを以って償うために。
 一歩を行く。
 何ができるか分からない。何をすべきかは定まらない。だが、やると決めたのだ。
 ならばもう、迷ってはいられない。
 ピサロはバヨネットを拾い上げる。意志を貫くための、力とするために。
 やけに重く感じる武器を持ち上げ、天へと翳し、目を閉じる。

 ――ニノ。そなたに宣言した約束を反故にすることを詫びる。
 ――そして、不実を承知で頼む。これからも、ロザリーの傍にいてやってくれ。

 引き金を引く。
 打ち上げられた魔力が、天空で爆ぜる。

 ――ジャファル。ともすれば、ラフティーナを呼び覚ましていたのは貴様だったやもしれぬ。
 ――貴様の至った境地、立派だったと今にして思うぞ。私が次に道を踏み外そうものなら、その手で我が身を裁いてくれ。

 撃鉄が落ちる。
 舞い上がる魔力が、蒼穹を彩る。

 ――ロザリー。何度でも、何度でも言わせてくれ。私は君を愛している。いつまでもいつまでも、愛している。
 ――私は、君を傷つけず苦しめない道のりを辿るよ。その果てで必ず君に、逢いに行く。
 ――だから今は、どうか。
 ――どうか、安らかに。

 魔砲が、唸る。
 迸る魔力が高く、高く、高く昇り上がり、ソラを染め上げた。
 ピサロは忘れない。この想いを、決して忘れない。 
 見送りを終えて、砲を降ろす。
 耳にあるのは残響と、少し遠くから響く戦闘の音。
 奇妙なほどに静かで、ピサロは怪訝さを表情とし、あたりを見回し、見つける。
 大の字で地面に倒れ込むアナスタシアを、だ。
 近づいてみるが、彼女は目を開けない。動かない。

「おい」
 呼びかけてみる。
「おい!」
 だが、返事はない。
 呼んでも、答えは返ってこない。
 顔を覗き込み、少し声を張り上げ、
「おい……アナスタシア・ルン・ヴァレリア!」
 初めて、その名を呼ぶ。

「……ふにゃー、そこは、駄目よぉ……」
 寝言が返ってきた。それも、口端から涎を垂らして、だ。
 殺してやろうかと、本気で思った。
 沸々とわき上がる黒い感情を、ロザリーの顔を思い出して必死で抑える。
 本当に、この女は気に入らない。
 粗雑で下品でやかましく欲深い。ロザリーの慎ましさを少しくらいは見習うべきだとピサロは思う。
 だが不本意ながら、アナスタシアには借りができてしまった。
 彼女がいなければ、ピサロはロザリーを傷つけ続けるだけだっただろう。
「全く……」 
 呆れるように呟き、ピサロは手を翳す。
 癒しの光がたおやかに輝き、アナスタシアへと降りかかる。
「……そ、そこ、いいわぁー。気持ち、いー……」
 お気楽な寝言を零すアナスタシアに肩を竦めたとき、ふと、ピサロの手から回復魔法の光が消えた。 
 全身から、力が抜ける。
 膝をつくだけの気力も絞り出せず、ピサロはアナスタシアの隣に倒れ込んだ。
 またも、魔力切れ。
 更に、感情が揺れ動いたことによる心労が、ピサロの魔力をより早く枯渇させていた。
 強烈な睡魔が、意識を侵食してくる。
 眠るな、とピサロは思う。
 まだ戦いは続いている。仲間のいないピサロにとって、今この場で眠るのは危険極まりない。
 なんとか起き上がろうと手を地面につけたとき、声が響いた。
『案ずるな。汝に危機が迫りしとき、我が汝を呼び覚まそう』
 音なき声は、ピサロの頭に直接届く。
『二人の愛がある限り、我が力は不滅。愛しき者を想い、今は休むがよい』
 愛のガーディアンロードの囁きは優しく、穏やかで。
 ピサロは、身を委ねるように目を閉じる。

 ◆◆

 かくして、魔王と恐れられた男と、英雄と称えられた女の喧嘩は終わる。
 神聖さも荘厳さも大義も野望もない、感情と意地と欲望のぶつかり合いの果てで、二人は並んで眠りにつく。
 そこには、あらゆる戦場と切り離されたかのような静けさが満ちていた。

【C-7とD-7の境界(C-7側) 二日目 昼】
【アナスタシア・ルン・ヴァレリア@WILD ARMS 2nd IGNITION
[状態]:ダンデライオン@ただのツインテール ダメージ(大)
    胸部に裂傷、重度失血 左肩に銃創
    リフレッシュの連発とピサロの回復により全体的に傷は緩和。爆睡中。
    精神疲労(超極大) 素敵な彼氏が欲しい気分
[装備]:アガートラーム@WA2
[道具]:感応石×3@WA2、ゲートホルダー@クロノトリガー、基本支給品一式×2
[思考]
基本:“自分らしく”生き抜き、“剣の聖女”を超えていく。
1:まだまだ生きたい。やりたいこと、たくさんあるもの。
2:ジョウイのことはとりあえずこの場が全部終わってから考える
3:今までのことをみんなに話す
[参戦時期]:ED後
[備考]:
※名簿を未確認なまま解読不能までに燃やしました。
※アナスタシアの身にルシエドが宿り、聖剣ルシエドを習得しました。大きさや数ついてはある程度自由が利く模様。
 現在、セッツァーが欲望の咢を支配しているため、剣・狼ともどもルシエドを実体化できません。

【ピサロ@ドラゴンクエストIV】
[状態]:クラス『ピュアピサロ』 ダメージ(大) ニノへの感謝  ロザリーへの純粋な愛(憎しみも絶望感もなくなりました)
    精神疲労(極大) 魔力切れ 熟睡中
[装備]:クレストグラフ(5枚)@WA2 愛のミーディアム@WA2 バヨネット
[道具]:基本支給品×2、データタブレット@WA2、双眼鏡@現実
    点名牙双@幻想水滸伝Ⅱ、解体された首輪(感応石) 天罰の杖@DQ4
[思考]
基本:ロザリーを想う。受け取ったロザリーの想いを尊重し、罪を償いロザリーを傷つけない生き方をする
1:償いの方法を探しつつ、今後の方針を考える
[参戦時期]:5章最終決戦直後
[備考]:*クレストグラフの魔法は、下記の5種です。
     ヴォルテック、クイック、ゼーバー、ハイ・ヴォルテック、ハイパーウェポン
    *バヨネットはパラソル+ディフェンダーには魔導アーマーのパーツが流用されており魔導ビームを撃てます
    *ラフティーナの力をバヨネットに込めることで、アルテマを発射可能です。



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147-1:Aquilegia -わたしの意地、私の意地- アナスタシア 149-1:魔王様、ちょっと働いて!
ピサロ



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最終更新:2012年12月16日 04:51