ドライフラワー ◆sANA.wKSAw
森の片隅にぽつねんと聳える大樹に背を委ね。
自分のデイパックを傍らに投げ出して、何をするでもなくそこにいる。
幽鬼のような、もしくは陽炎のような。
そんな男の姿を視界に認めて出雲風子は足を止めた。
「あの……」
一瞬声をかけることに躊躇したのは彼を警戒していたからではない。
ともすれば見落としてしまいそうなほど薄い存在感。
活力だとか気力だとか、そういうものがこの男からは全く感じられなかった。
枯れ木のような男だった。
花が散り緑は散り後は土に還るのを待つばかりの老木を思わす、枯れ果てた面影。
生きてるよね。
大丈夫だよね――?
風子がそう思ってしまったことを誰も責められない。
この男の命は確かに一度終わり。
彼の生きる意味もまた終点に達した。
自らの死期を悟り、新たな桜に命を繋いだ巨木。
にも関わらずああ何故か。
男はこうして生きている。
恥知らずにも鼓動を刻んで息をしている。
「大丈夫…ですか? 何処か具合でも悪いんですか?」
「具合ならすこぶるいいさ。世界一健康体の死人だよ」
タンポポの綿毛のようにふわりと広がった髪。
口に浮かべた笑みに色はなく、諦めとも虚ろともつかない表情がそこにある。
絶望した人間を見たことはある。
何かを諦めた人間を見たこともある。
だが目の前の男はそのどちらにも見えなかったし、実際どちらでもなかった。
彼は終わりまで生きた人間。
人生と呼ぶには長すぎるその生を生き延びたもの。
「嬢ちゃん武器は持ってるか?」
「え? あ、はい…一応。ただのナイフですけど」
充分だと男は笑った。
しかし微動だにしない。
手はだらりと垂らして足は地面に投げ出して。
眼球だけを風子に向けて言う。
「五ポイントやるよ。そいつで俺を刺しな」
「…っ!? えっ、あの――」
「ちっとばかし特殊な身体をしちゃいるが…まぁそこはあの縫い目頭も上手くやってるだろ。
ちゃんと心臓を狙って刺せばそのチャチなナイフでも殺せる筈だ」
「そ……そうじゃなくてっ!」
思わず声をあげる風子。
目の前の状況に理解が追いつかなかった。
異様な雰囲気の男と、その口から飛び出してきたありえない提案。
生き延びることや願いを叶えることに強い執着を持った人間であれば喜んで飛びついたかもしれない。
しかし風子は生憎とそういう手合いではなかった。
風子はむしろ殺し合いという理(ルール)を善しとせず、皆で手を取り合って跳躍を打ち破ろうと考える人間。
心優しい彼女らしく一切ブレずにあるがままの道を行く。
そう決めた風子にとって男、皮下真の提案ははいそうですかと受け入れられるものではなく。
「……どうしてそんなこと言うのか聞いてもいいですか?」
「これ以上生きる意味がないんでね。俺はちと長生きしすぎた」
一度は見せたナイフをしまって話を聞こうとする風子。
皮下が肩を竦める。
お人好しか。
その仕草にはそんな言葉が言外に滲んでいた。
「山程殺して山程歪めたよ。そうしてでも成し遂げたい目標があったから」
皮下真は極悪人だ。
それは自他共に認めるところで。
恐らくこの世の誰もそこに異論は唱えまい。
山程の人間を殺して山程の人生を歪めた。
夢のために。
目標のために。
恐い程に美しいあの桜のために。
超人の血が普遍のものとなり、誰にとっての呪いにもならない世界を造るために。
皮下は殺した。
殺して、重ねた。
人の身を超えた年月を。
重ねた末に呆れる程無様に負けた。
負けて夢破れて、それでようやく引き際を理解して。
最後の最後に一つだけいいことをして、終わった。
今代の夜桜の伴侶に自分の細胞を託して皮下真は散った。
死んだのだ。
その筈だった。
「その末に俺は負けた。なんやかんやあって死んだ。
格好のつく死に方だったかは微妙だが…特に未練は抱いちゃいない。
百云十年も生きたんだ。もう人生ってやつには疲れたんだよ」
遺すものも遺せたしな。
そう言って皮下は遠くを見た。
彼も名簿は確認している。
此処に夜桜の面々と、最後に自分が細胞を託した少年が招かれていることは分かっていた。
だが心配はしていないしその義理もない。
あっちもよりによって自分に身を案じられるなど御免だろう。
「おたくの前にいるのは薬のつけようもない極悪人だ。
だから殺しても何しても後腐れはないぜ? 誓って無抵抗だ。遠慮なく未来への礎ってやつにしてくれよ」
死滅跳躍を攻略して条件を満たすことも一応は考えた。
羂索が持つという願いを叶える力。
それならばきっと可能なのだろう。
自分が結局遂げられなかった目標。
全人類が超人という枠組みで横並びになれる理想の未来を実現させることも。
しかしそれでも、皮下にはどうしてもその気になれなかった。
百年に渡り方々に手を尽くして暗躍できたフットワークの軽さが嘘のように、皮下の体と脳は錆びついて動かなくなっていた。
今の皮下には熱がない。
なまじ託して死ぬなんて柄でもない真似をしてしまったからか――あれほど固執した種まき計画に対しての未練さえもが、消え果てていた。
「俺はもう寝たいんだ」
おやすみなさい、皮下さん。
今際の際に聞いた声が脳裏をよぎる。
科学的でない幻聴。
あの言葉がなかったら、自分はきっと願いを叶えるべく奔走していただろう。
だがあの言葉が自分の全てを終わらせてくれた。
いつ終わるとも知れない野望の生涯はこれにて終幕。
今まで散々過重労働(オーバーワーク)してきた分、そろそろゆっくり眠ろうか。
そう思った矢先の殺し合い。やる気など起きるわけもない。
明日を迎えるために生きる程恥知らずでもない。
だから皮下は死神を求めた。
自分を殺してポイントという名の希望を手にする、そんな幕引きを望んでいた。
斯くして現れたのは不運の少女、出雲風子。
風子は皮下の話を聞いて、ごくりと息を呑み込んだ。
思うことは彼女なりにたくさんあったのだろう。
だけど風子が皮下の話を聞き、その上で最初に口にした言葉は……
「私、出雲風子っていいます」
自己紹介だった。
何はともあれ名を名乗り。
それから風子はおずおずと話し始めた。
「…あなたのことは何も知りません。
あなたがどうしてそんなことをしなきゃいけなかったのか。
あなたがそうまでして目指したものは何なのか。
何があなたをそこまで駆り立てたのか……一つだってわかりません」
あまりにも率直な、
「でもごめんなさい。
私は凄く勝手な人間だから…あなたに"お願い"します」
"お願い"だった。
片膝を突いて皮下と目線を合わせる。
頼む側が上から見下ろして何かを言うなんて不自然だ。
そう思ったからこその自然な仕草。
その動きと表情と、そして声からは彼女が一切の打算抜きに話していることが自ずと理解できて。
「私たちに、力を貸してくれませんか」
「え&~っと。話聞いてたか? 俺は……」
「たくさんの人を殺したんですよね。
確かにそれは許されることじゃないと思います」
出雲風子は善性の人だ。
自分の力を呪って自棄になっていた時期もある。
だが今の風子はその時に比べて目覚ましいほど成長した。
そんな彼女は当然、皮下の語った罪を仕方なかったなどと慰めることはしない。
どんな目的があったにしろ彼がやったのは殺人だ。
人の命を可能性を奪い、亡きものにしてしまう行いだ。
罪は罪で悪いものは悪い。
だけど。
「でも、あなたのこれからを信じることはできる」
出雲風子は罪を赦せる人間だった。
罪を赦して、受け入れて。
その人のこれからを信用できる人間なのだ。
皮下が驚いたように目を開いた。
不死の彼が此処に居合わせていたならきっと自慢げに笑ったことだろう。
風子(こいつ)はこういう奴なんだよ、たまげただろと。
「だからお願いします。一人でも多くの力が必要なんです」
「はは。大量殺人犯に頭下げるかね普通」
現実を知らないからこその善人というのは世の中に数程いる。
無知だからこその無垢。
いつか理想に破れて汚れ錆びついていく定めを帯びた哀れな若者。
最初は風子もそれだと思った。
だが風子の目に宿る意志の光は、若々しい見た目に全くそぐわない強く逞しいものだった。
さぞや多くの現実に直面してきたのだろう。
神の悪意と呼ぶしかないような。
高き者の嘲笑が聞こえてくるような、ままならない現実。
それに挑み、戦ってきたのだろうと皮下は思う。
根拠は一つだ。
皮下はこういう目をした少年に敗れた。
夜桜の超人達を敵に回したことも、確かに敗因の一つかもしれない。
だが皮下を真に追い詰め、夜桜との全面対決という状況に追いやったのは他でもないその少年だった。
出雲風子の目は、彼によく似ていた。
皮下がいつか運命の車輪で轢き潰した小さな砂粒。
そして今は、呪われた桜の隣に立つ太陽のような少年のそれに。
「羂索を倒せると思うのか? 俺達の状況は控えめに言って最悪だぜ。
俺達の生殺与奪は、世界の理(ルール)もろともあの縫い目頭に握られちまってる。
奴さんがその気になりゃあ俺らの命なんざ紙屑だ。そんな神様気取りのクソ野郎を倒せるとか、嬢ちゃん本気で思ってる?」
「はい。神様とケンカするのは慣れてますから」
「……へえ」
高みで嘲笑う神に挑むなど、出雲風子にとっては慣れた趣向だ。
今更怯んだり怖がったりする理由がない。
故に即答。皮下は苦笑した。
風子は手を差し出すことはしない。
彼女に触れれば不運が舞い込む。
だから触れない。
役目を終えて人生から下車した男を、引き起こしてはあげられない。
「あなたは多くの人を殺したかもしれない。傷つけたかもしれない。
でもあなたにだってあったんですよね、そうしなくちゃいけない理由が。
そうでもしないと成し遂げられない、そうまでしてでも成し遂げたいことが」
脳裏を掠めるいつかの記憶。
病院。白衣。消毒液の臭い。包帯。
寝台。シーツ。女。桜。
血。炎。煤。呪い。
皮下真の原風景。
皮下には救えなかった女。
これから誰かが救うだろう女。
「私はその想いを信じます。
私は、あなたの想いを否定しない」
「…見る目がねえな。ダメだぜ? こんなオッサンに熱い口説き文句使っちゃ」
否定しない、か。
想いを信じる、か。
どちらも背中が痒くなるような暑苦しい言葉だ。
自分にはまったくもって似合わないし柄でもない。
だが…。
「でもま…。此処まで熱く誘われて無碍にするのも玉無しか」
今の皮下には。
熱を失った夢追人をもう一度動かすには、それくらいの熱量がちょうどよかった。
ゆっくりと体を動かして立ち上がる。
錆びついたように思い関節を動かせばポキポキと骨が鳴った。
大木を背に何十年、何百年と微動だにせず項垂れていた気さえする。
これ以上生き長らえたいとは依然まったく思えない。
生きていたとて目標もないのだ。
未来に希望と願いを繋ぎ。
いつか見惚れ、そして失った桜の声を最期に聴けたこと。
それだけで十分だと今でも思うが…強いて言うなら。
「風子ちゃんだっけ? 分かってるだろうが俺には何のやる気もない。
けどまぁ、少しくらいなら働いてやってもいいかなって気にはなったよ」
「…! ありがとうございます、えっと――」
「皮下真。皮下でいい」
いつか自分と同じ地獄に堕ちてくるだろう女に話せる土産話を一つ二つ増やしておくのも…まぁ、悪くはないか。
そう思った。
それだけのことだ。
「見ての通り人でなしだ。せいぜい上手く使ってみせろ」
【A-6/森の中/1日目・未明】
【出雲風子@アンデッドアンラック】
[状態]:健康
[装備]:
[道具]:基本支給品一式、ナイフ、ランダム支給品1
[思考]
基本:殺し合いには乗らない。
1:アンディやみんなを探す。
2:あの人(真人)、一体何だったんだろう……?
3:皮下さんにも協力してもらう。死んでほしくはない。
[備考]
※参戦時期は最低でもUNDER側に向かった後
【皮下真@夜桜さんちの大作戦】
[状態]:健康
[装備]:
[道具]:基本支給品一式、ランダム支給品2
[思考]
基本:必死こいて生きる理由もない。が…
1:死滅跳躍に加担するつもりはない。
2:風子に同行する。馬鹿げたお人好しだな、この嬢ちゃんは。
3:夜桜の連中は…会いたくねえなー。百パー揉めるもんなー。
[備考]
※死亡後からの参戦です。
最終更新:2025年08月11日 22:18