2-333「初めて2人で塾に行った日」

「ちょっとそこで待っててくれ」
 俺はそう言い残して玄関の扉を開けた。
「キョンくんおかえりー。あれ?うしろのおんなのひとはだれー?」
 まるで待ち構えていたかのような妹の突進を受ける。ん?後ろ?しかし、妹よ、その直接的な文言はなんとかんらんのか。
と、質問の意味と妹の将来とに悩む間に、背後から俺の代わりに答えが返ってきた。

「やあ、初めまして。僕は佐々木。キミのお兄さんの、そう、友達さ。」
って、お前いつの間に玄関に入ってきやがった?
「いいじゃないか。外で待つのもここで待つのも僕にとってその時間は変わらないのだから。
それに、ふふ、キミの家族にもいささか興味があったしね。そうか、彼女が件の妹さんか。
なかなかかわいらしいじゃないか」


 俺は2つのにんまり顔に嘆息し、妹に変なことを吹き込まないよう特大の五寸釘を刺して自分の部屋に向かった。
また佐々木に俺を揶揄するネタを献上してしまったことに頭痛を覚えつつ、いつもより1.5倍速で支度をすまし、
早くにこの窮地から逃れるべく玄関に戻ると、3つのにんまり顔が俺を迎えた。
大海原に放り出された漂流者のような顔をしている俺に、くっくっと喉をならしながら待たせ人が目を細める。

「ああ、早かったじゃないか。ちょうど今御母堂に自己紹介をしていたところさ。
上がって待つよう進められたのだが、その必要もないようだね。
それと別にキミの過去を根掘り葉掘り聞いてたわけじゃないからそんな顔をしなくても大丈夫さ」
 先ほどの頭痛が致命傷になってゆくのを感じる。くそ、なんてこった。一刻も早くこの場を離れねば。
「あら、もう行くの?それじゃあ佐々木さん、この子をよろしくね。
あんたもしっかり勉強しないと佐々木さんと一緒の大学に進めないわよ」
 傷口をカスピ海の水で洗うような追い討ちに佐々木が会釈を返している。ああ、この場に隕石でも落ちてくればいいのに。
無論、俺の空しい願いは天に届かず、無言を貫きつつ速やかに出立という次善策を実行する他なかった。
 妹のやたらと元気な声を後ろに玄関の扉を閉め、愛用の自転車を引っ張り出すとようやく一心地つくことができた。
近年最大級の危機を脱した安堵のため息をつく。が、
「いやあ、予想通りといっては何だが、楽しいご家族じゃないか。
御母堂も妹さんもキミを大切にしているのが良く分かったよ」
 俺に安らぎの間はないのか?できればこの15分ほどの記憶に関するシナプスの接続を切っていただきたいのだが。
「別に揶揄してるつもりはないのだがね。僕は本気で羨望の念を抱いているんだ。特に妹さんのあの天真爛漫さは希少だよ」
 そんなに希少なら佐々木が保護してやってくれ。
「そうだね。でも妹さんはキョンの元にいるのが一番良いと言うと思うがね」

 そんな戯言を交わしつつ、自転車の籠に2人分の鞄を押し込み、佐々木を荷台に乗せる。
ペダルを踏み込むと思ってたより楽に発進することができた。どうやら横向きに座っているにもかかわらず、
上手く重心を合わせてくれてるらしい。器用だな。


 しばらく無心にペダルを漕ぐ。佐々木も普段見ない景色でも眺めているのか何もしゃべらない。
幾つ目かの信号で赤に当たり、ブレーキをかける。止まっている間も俺たちは沈黙を守っていた。
再び信号が青に変わり、ペダルにかけた足に力を入れる。佐々木はそれに合わせ、
俺の肩に置いた右手の位置をずらしてバランスをとる。
するとなぜかこれまで何も感じていなかった佐々木の手が、服の上からだというのにやけに熱く感じた。
冷えたか。それとも熱でもあるのか?
「僕は別に健康を害してはない。むしろ爽快さ。キミの後ろは、なかなか乗り心地がいい」
 そう佐々木は手に力を込め直しながら言った。俺はそうかとだけ答えたが、佐々木は話のきっかけでも掴んだらしい。
「しかし、キミの御母堂もなかなか面白いことを言ってくれる」
 ここでその話を蒸し返すのか!なんとか荷台の上の口を黙らせる算段を考えていると、
「一緒の大学に、か。そんな先のことは考えもしなかったが、言われてみればその可能性も無くはないね。
ここまでちょっと想像力を働かせてみたのだが、それは愉快なものになるだろうね」
 今までのだんまりはそんなことを考えてたからなのか。しかしそれには俺の学力というジェリコよりも強固な壁を崩さねばなるまい。
すなわち物理的に無理だな。
「そんなことはない。来年僕らが受けるのは高校受験。大学はさらにその先、3年も後だ。3年もあれば学力なんてどうとでもなるさ」
 お前とは頭の出来が決定的に違うという、天地がひっくり返っても動かし難い事実を突きつけてやろうかと口を開きかけたとき
目的地である塾が見えてきた。
「おや、もう着いてしまったようだね。僕としてはもう少し乗り心地を味わいたかったのだが。ふふ、なかなか新鮮な景色だったよ」

 微笑を浮かべる佐々木を降ろし、自転車を駐輪所に止め、入り口で待っててくれた佐々木と連れ立って塾の階段を上がる。
やれやれ、お袋と妹のせいで大変な道中になっちまったな。
「今日は実に楽しかったよ。うん、良ければ次回も乗せていただきたいものだ」
 肩で笑いながらしばらくこちらの顔を眺め、それからこちらの答えを待たずに階段を駆け上がり、先に教室の中へと消えた。
残された俺は嘆息しつつ、家の外で待っててくれるならなと、消えた後姿に頭の中で答えてやった。



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最終更新:2008年01月28日 08:53
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