そして放課後、今日は塾に行く日であったので、俺たちはまず俺の家に向かった。そこ
でママチャリを出してきて佐々木を後ろに乗せてそのまま塾に向かおうというのだ。
帰り道、辺りの風景が緩やかに後方に流れて行くのを目の端に捉えながら、俺と佐々木
はてくてくと歩を進めた。
「キョン、ちょっと聞きたいんだが、さっきの話はどこまでが本当なんだい?」
しばらく歩いていると、隣の佐々木が不意にそんなことを尋ねてきた。
「あれは国木田が勝手に言ったことであって、俺の好みとは関係ないぜ」
本当は、少し当てはまるところもあるなんてことは言えない。
「そうかい、じゃあ本当のところはどうなんだい? どう言った女性が好みなのかな?」
今日の佐々木はやけにこだわるな。それほど依頼をしてきた女生徒の約束を律儀に守る
つもりなのか。
「別に好みだとかはないさ。もし俺が誰かを好きになったとしたら、それが好みだったん
だろうよ」
俺はそう答えておいた。
「上手く逃げられたような気もするが、わかったよキョン。その子にはそう伝えておこ
う」
ふっと息をついて、俺の方に顔を向け、そして柔らかく微笑みかける佐々木。
別に逃げた訳じゃないさ。それも俺の本音なのだからな。
「佐々木、ところでその子のことだが、どういう子なのか教えてもらえないか?」
別に助平心とかじゃなくてだな、少し関心があるだけだ。しょうがないだろう、健全な
青少年なんだから。って、俺はいったい誰に弁解しているんだろうね。
俺の問いかけを受けた佐々木はやや瞳を細めて俺を一瞥し、
「なんだいキョン。キミは彼女にそんなに興味があるのかい? しかし、残念なことに僕
には彼女との約束により、守秘義務というものがあってね、君の意向には沿えそうにない
よ。まったく、残念なことだね。くっくっ」
佐々木は喉を鳴らして独特の笑い声を漏らしたが、しかしながら顔は笑っていないとい
う複雑かつ表現しがたい様子であった。どうやら、それ以上は質問をするなと言うことか。
これは教室での一件とダブりそうな妙な空気だ。俺の何がまずかったのかわからんが。
そこで俺はどう話題を変えようかと頭を悩ませていたが、幸いにも俺の家が見えてきた
ところでその会話は終了だ。
それからほどなく俺たちは家に到着したが、まだ塾に向かうにはかなり時間があるので、
佐々木には家で適当に時間をつぶしてもらうことにした。
木製のドアを開け、玄関をくぐると靴を脱いだ。そして制服姿のままの佐々木を案内し
て、リビングに向かうことにした。
俺たちがリビングまでやって来ると、その入り口からは妹のかしましい声がまるでザル
に注ぎ込んだ水のように際限なく漏れ出てきた。
それを迷惑に思いながらも、俺たちがリビングに入ると、そこには下手をすれば小学校
低学年に見られかねない妹と、とてもその同級生とは思えないほどの容姿を備えたミヨキ
チがソファに座ってテレビを見ながら談笑していた。
俺と佐々木に気がついた妹は嬉しそうに「キョンくんお帰りー」と太陽を真っ青の明る
さで俺たちを歓迎してくれた。ミヨキチは俺を見て彼女もまた嬉しそうにしていたが、
佐々木を見た途端に一瞬戸惑ったようで、まるで薄雲がたれ込めたような表情になった。
なんだろうな、とは思ったが、きっと初対面だからだろうとあたりを付け、それに気づ
かぬ素振りで、
「やあ、ミヨキチ。キミも来ていたんだ」
と俺が軽く挨拶すると、
「お兄さん、こんにちは。お邪魔しています」
とミヨキチはやおら立ち上がり、礼儀作法のハウツー本そのままのきれいなお辞儀をし
た。
俺は彼女の礼儀正しさにに感心しつつ、それに気持ちを和ませながら、
「ミヨキチ、2週間も会わないうちにずいぶん大人っぽくなったし、それに綺麗になった
ね。本当に妹にも見習わせたいよ」
ミヨキチは俺の言葉を受け途端に顔を赤く染め、
「お兄さん、そんな大人っぽくだなんて、その……恥ずかしいです」
俺の手放しの賞賛に恥じらい、くすぐったそうにしているミヨキチはとても初々しく、
そしてどこまでもかわいらしかった。俺は庭に咲く花のようにいつまでも愛でていたいと
思ったぐらいだ。
しかし、ふと隣で無言で座っていた佐々木が、俺に無言のプレッシャーとも言うべきエ
ネルギーを発しているのが感じられた。
俺はぎょっとして佐々木を見やると、まるでなんでもない表情だ。というより、無理に
表情を消していると言った様子か。
それをミヨキチも感じ取ったのかはわからないが、俺の方に体ごと向き直るとおそるお
そる、
「あの……そちらのお姉さんは、お兄さんのお友達の方ですか?」
「ああ、こいつは佐々木っていって俺の……」
と言いかけたところで佐々木が、俺の返答を遮るようにゆっくりと口を開き、
「友人さ。ただし、普通の友人ではないつもりだけどね」
と言った後、佐々木はミヨキチと視線を合わせた。だがそれに対するかのように、ミヨ
キチも臆することなく佐々木を見つめている。
それにしても、普通の友達ではないってどういう事だ? まあ、普通よりはやや親しい
ことは確かだが……。おそらく、佐々木が言っているのは、そういった意味なんだろうな。
しかし二人の様子は、まるで米ソの冷戦をこの場で見るようだった。今にも中距離弾道
ミサイルが飛んできそうであり、キューバ危機ってのは、こういうのを言ったんだろうな。
……しかし、これはいったいどういう事なのだろう。それに、俺には彼女がいつもの冷
静な佐々木には思えなかった。
ひょっとして、二人を会わせたのはまずかったか? だがまさか、それほど相性が悪い
とは思わなかったんだ。俺の失策だな。
すると隣にいた佐々木が、不意に俺へ殊更笑みを浮かべて顔を向け、
「キョン、この綺麗なお嬢さんが国木田の言っていたキミの妹君の友人かい?」
「ああ、そうだ。彼女は……」
と言いかけたところで、今度はミヨキチが佐々木に向き自己紹介を始めた。
「あの、わたし、吉村美代子です。お兄さんにはミヨキチって呼ばれてます」
こういう状況にもかかわらず、ミヨキチは律儀にもお辞儀をしていた。俺の妹の友達に
しては本当に良い子なんだよな、ミヨキチは。
佐々木は俺の耳元で囁くように、
「本当に、おどろいたよ。彼女の姿形は……そうだね、中学生と言っても差し支えないほ
どじゃないか。それよりも驚嘆の声を上げざるを得ないのが、彼女が僕よりもすでに上
回っている部分……いや、なんでもない。今のは忘れてくれたまえ」
と、佐々木はまずいことを言ってしまったという表情を浮かべた。
上回っている部分とはなんだろう……?
……今、ふと思い当たったたのだが、しかしこれは言うべきではないだろう。佐々木の
名誉のためにも、ここは俺の胸にしまっておくことにする。それは言わない約束だよ、お
とっつぁんってことだ。
しかし俺がそんなことを考えていたとき、それまで俺たちのやりとりとをおもしろそう
に鑑賞していた妹が、ミヨキチの自己紹介に付け加えるように佐々木に対し口を開いた。
「あのね、ミヨちゃんはねえ、キョンくんのことが大好きなんだよ!」
妹はまるで邪気のない、天真爛漫な笑みを浮かべてそう発言した。
その瞬間、佐々木はギョッとしてそのはずみでお茶が気管に入ってしまったらしくゴホ
ゴホと咳き込んだ。
一方、ミヨキチは妹の発言を耳にして一瞬青ざめ、今度はまるで信号機のように顔をは
じめとして裾から伸びる手足や首筋まで全身を赤く染めた。
そして、そのリビングでは、佐々木とミヨキチの2人がまるで小さな悪魔に呪文を封じ
られた魔法使いのように、しばらくの間フリーズしていた。
そこで俺は真意を確かめるため、何の気なしにミヨキチに尋ねてみた。
「ミヨキチ、今妹が言ったことは本当かい?」
すると、ミヨキチは体をビクッとさせ、俯いていたその赤い顔のままゆっくりと見上げ、
そして俺に視線を合わせた。
「は、はい。ほ……本当です!」
最後はまるで叫びにも似た返答だった。
「そうか……そう思っていてくれたのか。うん、俺は嬉しいよ」
と言って、俺はミヨキチに対して優しく微笑みかけた。
すると、ミヨキチはいかにも信じられないといった表情でまじまじと俺を見つめ、
「あの、お兄さん……それって……」
続いて佐々木が、驚きと怒りと
その他解析不可の感情をないまぜにした複雑奇妙な表情
で、
「キョン、キミはまさか……」