見られている。
高校に入ってから、ぶしつけな視線を感じることが増えた。
それはそうだ。僕の通う進学校は元は男子校だから、女子が今も少ない。なので珍しいのだろう。
注目を買うのは本意ではない。だから、僕は前よりもひっそりと過ごすようになった。
やがて「視線慣れ」してくると、他人の視線の意味が察せられるようになる。
これは「女」を見る視線。
『やれやれ』
だから「僕」という仮面を使う。
中学時代に大活躍した「僕」の仮面。男性に対し、男性的な言動と思考で語りかける。
同様に女性には「私」。女性には女性として語りかける。
性別を超越した風で、変人を装う僕の仮面さ。
『くくっ』
ふと彼の顔を思い出して笑みがこぼれ、すかさず形を修正する。
なんてことだ。いわば、彼から逃れる為に「僕」はここまで来たというのに。
思考のノイズを修正する。僕は、今度こそ間違えない。
もう、誰にも好意なんて振舞わない。
僕は演じる。自分自身を枠にはめる。そして決してハミ出ない。
誰かに深入りされない為に。常に中立である為に。本能を抑制し理性をクリアに保つ為に。
僕の夢は「思考」の先にある。僕は思考し続けたい。僕は「僕が存在した証」をこの世に残したい・・・・・・・。
だから、僕は思考をクリアに保つ。
その決意から一年。
僕はいささか気疲れしていた。
誰も「僕」を見ない。誰もが「僕」という仮面をスルーして「女」を見ようとする。
中学時代、特に中学三年時代に無敵を誇ったはずの「僕」の仮面を、誰も面白がってすらくれない。
遠巻きにするか、或いはぶしつけに飛び込んでくるか。
うんざりする。どの視線も「僕」を見ない。
いや。稀に「僕」への視線を感じたこともある。
目線を辿れば、それは旧友、同じ中学のメンバーが見せる目線だった。
懐かしい、と、浮かびかけた誰かの顔を即座に消す。
『××ン、あまりこっちを見ないでくれないか』
『何でだ?』
まったく、なんでキミばかり浮かぶのかね。
キミは・・・ああ、キミは、なんでだろう。なんでなんだ。
論理的じゃない、まるで土砂降りの雨のように思考が狂っていく。僕の第一義のはずの「思考」が狂っていく。
それでもひたすら僕は「僕」でいた。
ますます変人扱いされたが、それでもよかった。
僕は誰にも好かれないよう、誰にも好意を振舞わないよう心がけた。
これは「いじめ」なんかじゃない。
ただの常識的な発想、常識の視線、「何故?」という疑問視、普通である上での当然の展開なのだ。
僕は「変人」である事にむしろ喜びを感じる。
だって「変人」なら女じゃない。
僕は「僕」だ。そんな本能が引っ付いた目線で人を見ないでくれ。
それでも「女」への視線は消えない。
中学時代より、周囲の男性比率が高いからだろうか。
中学時代より、彼らの「男の本能」が高まっている為だろうか。
多数派は残酷だ。誰もが「女」と私を見て、誰もが「女だろう」と詮索する。
僕はひたすら「僕」でいた。ますます変人扱いされて、意固地な自分を感じ始めた頃、僕は告白されてしまった。
『佐々木さん!』
ああ、これぞ「女扱い」の極致!
後で「僕に告白するなんて、なかなか物好きなものだ」などと思ったものだが
この時は不意打ちをくらったようなもので、とっさに返答する余裕がなく、ひとまず保留と言う事にしてもらった。
そうとも余裕なんてなかった。
せっかく「変人」になれたと思ったら、やっぱり「女」と見られていた。
余裕なんて無い。だって僕の価値観は揺らいでいたから。
僕は僕でいて良いのだろうか、と。
一年前なら一蹴していた事だろう。
何故なら恋愛なんて精神病だというのが僕の「夢」に根差した持論だからだ。
僕は恋愛なんて本能に起因するノイズは要らない。常に理性を強く持ち思考し続けたい。
僕は考えるのを邪魔されたくない。考え続けたいんだ。でなきゃ、ただの動物的な生に変わってしまうから。
僕は「動物」ではなく「佐々木」で居たい。
情緒なんか要らない。
僕は「僕」だ。そんな本能が引っ付いた目線で人を見ないでくれ。
そんな自分が異端だなんて、とっくの昔に知っていた。
でも、中学時代は受け入れてくれた人も居た。
だから僕は「僕」を信じられた。
でも僕は・・・・・・・・。
たったの一年。
この一年、僕を支えるこの価値観に揺らぎが生じているのを感じていた。
だけど誰にも相談できない。
確かに、僕はこれでも社交的な「性格」だと思っている。知人は多いほうだ。
でも、こんな話を相談できる人など居ない。
情緒なんて切り捨ててきたのだから・・・。
『佐々木』
ふと、誰より「僕」を受け入れてくれた人の顔が思い浮かぶ。
まぶたの裏の、元同級生。
ここしばらく、何かの拍子に浮かぶ風景があった。
それはダルそうな元同級生の顔と、彼と過ごした日々の事。
彼の机に乗り出し、間近に見上げた彼の顔。
机を並べて給食を食べるのはほぼ毎日の事だったし
火木には彼の自転車で塾に行き、火木土が終われば肩を並べてバス停へ歩いた。
そうやって誰より近くにいても、キミは「僕」を女扱いしなかった。
誰より「佐々木」として見てくれた。
だから、
「キョン」
口の中でそっと名前を転がす。
僕の中の「女」が惹かれた。
そう知ったとき、僕は「私」を、「女」である事を改めて否定した。
それは、僕の夢を阻害する感情だから。僕は猶予期間<モラトリアム>を断ち切る事にした。
僕は今の高校に進路を決めた。キョンとは別の、そしてあらゆる意味で己を鍛えられるだろうこの学校へと。
それが僕らしい行動だろうから。
結果、僕はもっと酷いノイズに見舞われた。
だから僕は「今」から逃避し、モノクロームセピアの想い出に耽る。
今はホラー映画みたいなものさ。いくら違和感を感じようとおびえる必要なんかないんだ。
この世に永遠はない。いずれは終わるのだから・・・・
ふと、ここまで考えて愕然とした。
中学三年の春、他ならぬキョンと初めて出会ったときも同じように考えてなかったか?
上手くいかぬ日常、セピア色の想い出に馳せていた僕に、フルカラーの日常をくれたのも、他でもない
ダメだ。
思考を一旦停止。記憶の底に封じ込める。
これ以上の逃避はいけない・・・
やれやれ。
何度目かの溜息を吐いたとき、家の電話が鳴っていたのに気付いた。
「同窓会?」
これは、渡りに船というべきなのだろうか。
かかってきたのは、まさにそのキョンと話す機会を提供するものだった。
ふふ、須藤、これが中学時代なら給食のゼリーくらいお礼に提供してあげたのに残念だったね。
とりあえず北高組の窓口にキョンを推薦しようか。
急に心が浮き立つのを感じた。
まったく。僕はキョンが怖いのではなかったか?
それともそんなに彼に
しかし須藤の返事には、北高組から得たと言う世間話が付いてきた。
「キョンが?」
須藤の言葉は、何故か僕からあらゆるコメントを奪った。
僕は日本語を初期化されたまま、入力されたコメントをただ脳内で反芻する。
彼が、美少女だらけのグループで?
え? なに? 涼宮さん?
それからの事はよく憶えている。
言葉を封じられた代わりに、僕は須藤の言葉を次から次に記憶していった。
それは、キョンが今は北高で楽しくやっているという内容だった。
あの太陽のような少女、涼宮さんと一緒に。
須藤からの電話を終えたとき、また、彼から電話がかかってくるだろうな、等と考えていた。
「ちょっと、生返事すぎたろうか」
それからの行動は早かった。
予定は前倒したが、「時すでに遅し」「冷静になれ」「大脳仕事しろ」「視床下部に反撃せよ」
忠告がどこかで聞こえた気がした。
涼宮ハルヒ。小学生時代の僕のあこがれ。
他所のクラスの少女だったが、彼女のクラスはことのほか仲がよかった。その中心が彼女だった。
彼女は太陽のように明るく、太陽のような引力で誰でも引き付けた。
あの笑顔が、今は彼に向けられている。
そう思うと落ち着かなかった。
でも待ちたまえ。彼女はいわば「僕」の「原型」だ。
ベクトルは違うが完成度も違う。そう、彼女こそ僕が憧れた「周囲の雑音も、性別も超越した人」だった。
きっと今もそうさ、だから心配するんじゃない。
……心配?
思考のノイズを修正する。
土曜日。いつもより早めに家を出る。
ああ、ホントはこんな簡単に彼に会えたのか。コロンブスの卵とはよく言ったものだね。
たっぷり一年会ってないのに、なぜか彼の背中は一目で判った。
「やあ、キョン」
「うわ、なんだ佐々木か」
彼の語尾は断定だった。?マークなんか付いちゃいない。それがなんとなく嬉しかった。
さあ、彼の「友人」に会いに行こう。
四方山話に興じることしばし。
彼は変わっていなかった。
まるでこの一年なんかなかったように思えてくる。
僕の価値観を揺るがす変容? そんなものはきっと幻だったのだ。僕も彼もこんなに変わっていないのだから・・・。
「遅刻とはいい度胸ね! あんだけ・・・・!」
えらい美人がそこにいた。
良い気分が吹き飛ぶ。一目で解った。あの涼宮ハルヒは、まさに「美人」になっていた。
キョンを完全に「身内」と捉えた彼女の声に、名状し難い感覚を憶える。
ああ、「身構えていて」よかった。
ここで真っ白にはなれない。
「それ、誰?」
「ああ、こいつは俺の」
「親友」
あ。反射的に言ってしまった。
「は?」
「へ?」
「と言っても中学時代の、それも三年のときだけどね」
親友だなんておこがましい。
だって、僕はキミに本心を打ち明けていない。
僕は「僕」を守る為に、キミに心を隠し続けているのだから。
なら「友達」「旧友」「元同級生」?
どれも否定したかった。僕らはそんなに浅い付き合いじゃない。例え一年過ぎていようと、誰より知っているつもりだから。
だから、ただの友達だなんて言いたくなかった。
涼宮さんはチョコレートと間違えて碁石を口に含んだような顔をしていた。
キョンもあっけに取られているのが解った。
なんて勝手な感情だろう。
誰かを想う癖に、誰かの都合なんか考えない、それが恋愛というものなのか?
僕は「恋愛」を申し込まれた時に彼が浮かんだ。彼の傍らに異性が居ることに名状し難い反発を覚えた。
あの雨の日と似たノイズ。これが、恋愛感情なのだろうか。
「失礼するよ。また連絡する。じゃあね」
その場を辞して、駅へと向かう。
連絡先も交換しなかったと気付いたのは、電車に乗ってからだった。
「しまったな」
「何がです?」
呟きに返事があった。
「ああ失礼。私は橘京子と申します」
中学時代、キョンは誰よりも「僕」を受け入れてくれた。だからキョンは誰よりも僕を「女」と見なかった。
それが僕の理想のはずだったのに、結局「僕はキョンに女と見られたい」と願ってしまった。
僕はキョンに惹かれた自分を否定した。
自分を「女」にしようとする、思考、夢を阻害するノイズを否定した。
キョンとの関係を固定させ、進路を分かち、連絡を絶ち、自ら彼方へ遠ざけた。
結果、どうなったのか?
キミを失った僕は、「女であれ」とさいなまれる羽目に陥った。
だから僕はここにきた。
モノクロームセピアの過去を見つめなおして、自分のあるべき道を見つける為に。
そして僕はまた混乱した。彼の隣の異性に。
また自分が「女」だと再確認した。
だから僕は言うのさ。
『キョン、キミは僕の親友だ』
僕は間違っていたのか? 僕は間違っているのか? 僕は何であるべきなのか?
これはそれを確かめる二週間ほどの物語。
僕と、キョンとの物語。
終わり、或いは「涼宮ハルヒの分裂」へ続く。
最終更新:2013年03月08日 00:25