67-295 退場者達の語り場で

「やあ、随分待たせてしまったようだね」
「いいえ」
 遅れてきたとばかりに少女が微笑むと、文庫本を見ていた少女も釣られるように柔らかな笑みを返した。
 なんとも絵になる風景、しかし違和感だけしか残らない風景。
 本当は、出会うはずの無い風景。

 そこは真っ白な喫茶店。
 白い、だだっ広くも真っ白な空間にぽつりぽつりとテーブルと椅子が並ぶオープンカフェ。
 喧騒は無い、なにもない、ただそこには静かな空間だけがあった。

「ええと失礼だが、長門有希さんだったかな?」
「そう。佐々木さん」
 男性のような喋り方をする少女は佐々木、眼鏡をかけた少女は長門有希。互いに名前を確認する。
 既に解っていることを、一応確認するという風に。
「実は僕の流儀に反する事なのだがこれも記号なのでね。悪いけれどこの喋り方を通させてもらうよ」
 初対面に気後れしたのか、軽く朱が差した頬をしつつも「長門有希」は頷く。
 それは本題に関係ないのだから。

「藤原くんと橘さんが先に来ていたはずだけれど」
「あちら」
 いくつか積まれた文庫本に手をやりながら、長門有希は静かに首肯する。
 視線をそらすと、その先で男女がお茶を楽しんでいた。
 未来人「藤原」は憮然と鼻を鳴らし、超能力者の橘京子は軽くカップを掲げて存在を伝える。

「こちらに来たということは」
「ああ。僕の役割は終わったよ。キョンは再び選択を終えた」
 くつくつと喉奥を震わせて笑いながら、「佐々木」はそこに一つだけ空いた椅子に視線をやる。
「彼は彼女を選び、そして再び日常を選んだ。彼の居るべき場所を選んだよ」
「これで三度目の選択」
「そうだね」


「最初は」
「そう」
 最初に選択肢を呈示したのは涼宮ハルヒ。
 憂鬱から逃れるべく、彼女は「不思議」と出会って「特別な存在」になろうとした。

 不思議のない世界。
 それはごく当たり前の世界だ。それはハルヒ自身も良く知っている。
 けれどその中ではきっと自分は有象無象の一人でしかない。そんなのはつまらない、もっと特別になりたい。
 もっと特別な、不思議な、面白い世界に居たいのだと願った。

 キョンはそれを共有してくれると彼女は思った。
 だって彼は自分の目的を知っている、それでも根気よく語り合い、呆れながらも協力してくれる。きっと彼もまた不思議が見たいのだ。
 彼にだけ、彼女は彼女の原体験を、涼宮ハルヒの始まりを語った。

『もう不思議な事を探す必要もないわ!』
 やがて彼女は選択肢を提示した。
 不思議の世界に彼を連れ込み、そこで共に過ごそうと誘ったのだ。
 超能力者は『今の世界の終わりだ』と嘆き、それでも『産めや増やせでいいじゃないですか』と新世界を肯定した。
 新世界にも自分の居場所があればいい、そう願いながら。

 しかしキョンは「俺は帰りたい」「お前は知らないかもしれんが、実は今の世界だって捨てたものじゃないぞ」と拒絶した。
 彼は「現在の世界」を選んだ。

『訳わかんない!』
 当然ハルヒは混乱し、反発する。
 だって彼女はよかれと思ってやったのだから。
 ようやく見つけた、自分と同じ世界を見てくれると思った存在に否定されたと思ったから。
 そこで宇宙人、未来人は一つの仕込みをキョンに与えておいた。

『白雪姫』『Sleeping Beauty』
 キョンはこの言葉の中から、思春期らしい「キス」という結論にたどり着く。それはお姫様への目覚めのキス。
 いや、きっと込められていたメッセージはそれだけではない。

『俺、ポニーテール萌えなんだ。いつか見たお前のポニーは反則的なまでに似合っていたぞ』
 そう、キス。彼は「不思議世界」は否定しても、そこで共に暮らそうといったハルヒまで否定した訳ではなかった。
 だからキョンはハルヒの存在を肯定し、そしてキスでダメ押しをしたのだ。
 自分はハルヒを選んだのだ、と。

『不思議の世界でいっしょに暮らそう?』
 ハルヒの選択肢のうち、キョンは前半を否定し後半を肯定した。

「これが最初の選択肢だったのかな」
「厳密には違うかもしれない。けれど今回のケースとしてはそう」
 眼鏡に手をやりながら長門は言う。そして
「そして今度はこちら」
 文庫本に手をかける。


 世界から涼宮ハルヒが消失してしまった、ように見えた事件が起きた。
 現在の世界と、ハルヒを選んだはずの彼だが、その後も表面上はこれらを否定するような言動と態度を見せ続けた。
 まるで不思議な力も勢力も、そして元凶であるハルヒもいない世界が望みであるかのように。
 やがて第二の選択肢が呈示された。

 ハルヒ、そして「不思議な者達」の消失。
 彼女達という居場所を失った彼は混乱し、やがて「現在の世界の復活」を匂わせるキーワードを見つけ、世界の復活を望み行動した。
 ハルヒが消えた世界に、ハルヒの姿を探しながら。

 さて、呈示した者は「現在の世界の復活」への鍵という形で「不思議ではない、平凡人だけのSOS団」を用意した。
 つまり、キョンにとって「不思議な世界」が不要であれば、そこで満足することだって出来る。それが第二の選択の本質だった。
 仲間達は揃い、居場所だって元通りでなくとも確保することが出来たのだから。
 けれど彼は迷わず「元の世界」を望んだ。

『俺はSOS団の団員その1だからな!』
 彼がかつて肯定した「不思議な今の世界が、自分は好きだ」という事の再確認。
 もし失ったら、恥も外聞も捨ててでも探せるくらい好きだという再確認。
 そしてかつて肯定した「涼宮ハルヒ」肯定への再確認。
 現在を改めて肯定する、それが第二の選択だった。


『やあキョン』
 そして三番目の選択肢。
 今度は「不思議を内包したまま、けれど平凡な世界」が呈示された。
 宇宙人、未来人、超能力者がいる世界。平凡な日常の陰に、相も変らぬ不思議が隠れた世界。
 けれど今度は「神様が暴走」なんかしない、けれど「不思議は相変わらずそこにある」、そんな世界が呈示された。

 現在と新世界。
 現在の神様涼宮ハルヒ、世界にとっては新しく、彼にとっては懐かしい神様の佐々木、二人の神様が呈示された。
 現在のSOS団、新しいSOS団、二つの団体が呈示された。

 しかしそれはあくまで表面上の選択。
 だって、彼は既に二回も「現在の世界とそのままの仲間達」を選んでいるのだから。
 だから選択肢になんてなりえない。最初から答えなんて決まっているから、選択肢になんてなりえない。
 佐々木だって「神様になんてなりたくない」と拒否した。
 選択肢なんて、あってないようなものだった。

 しかし佐々木は言った。
 神様もどきがキョンを選ぶ理由は、キミへの好意なのだと。
 迂遠ながら、彼に望みを、自分自身の好意を伝えた。

 しかしそれも「佐々木の夢」を知ってしまった彼には選択材料にはならない。
 神様の力、好意、どちらも、理性的にあろうとする、夢に向かおうとする佐々木に苦労をかけるだけの代物でしかないからだ。
 佐々木の望みを彼は誰よりも知っているから、選択材料にはならない。してはならない。

 それだけではない。
 佐々木を神に、そう強硬に望む未来人は「彼女の意思など関係ない」と断じていた。
 他ならぬキョン自身を人質にして、「力を自覚して操る神様」になった佐々木に、強引に望みをかなえさせようとするだろうから。
 佐々木に苦労をかけるくらいならとことんやってやる、そうキョンは息巻いた。
 だから、これも選択材料にはならない。


 だから、裏にあったのは驚愕の選択。
 藤原は「涼宮ハルヒの生命」を選択肢として呈示した。
 空中でハルヒをはりつけにし、号令一つで落下させるとキョンを脅して回答を迫った。
「涼宮ハルヒを助けたければ、佐々木を神とする新世界を望め」と。

 ハルヒが死ねば力は佐々木に移り、世界は新しい形になる。
 佐々木を選べばハルヒは助かり、力は佐々木に移って世界は新しい形になる。
 彼が最後に呈示した選択とは要するにそういう事だ。

 けれどキョンは、藤原の選択そのものを聞き入れなかった。
 その上で、ハルヒの生命だけはと飛んだ。
 自分は死んでも構わないからと飛んだ。
 それが選択となった。


「くく、こうしてみると常に彼は『現在』を守ろうとしているね」
「そしてその中に涼宮ハルヒの存在を探す」
「そうだね」

 涼宮ハルヒは「もっと不思議な世界に二人で行く」事を呈示し、彼は「現在の少し不思議な世界と現在の絆」を選んだ。
 長門有希は「もっと平凡な世界、一般人となったSOS団」を呈示し、彼は再び同じものを選んだ。
 佐々木達は「平凡な不思議世界、ハルヒと佐々木の選択」を呈示し、彼は再び同じものを選んだ。

「けれど彼は僕らそのものを否定した訳じゃない」
「そう、彼は常に現在を肯定する」

 けれど彼は涼宮ハルヒを否定した訳じゃない。だから最後にキスして彼女を肯定した。
 けれど彼は長門有希を否定した訳じゃない。だから最後に「彼女の破棄」に全力の抵抗を約束した。
 けれど彼は佐々木を否定した訳じゃない。だから「ハルヒの命が掛かってる」状況だろうと佐々木に力を移そうとはしなかった。

「僕は彼が好きだ」
 端的に佐々木は言った。
「けれど僕は神様になんかなりたくない。
 自覚し「望みが叶えられる」と知った上で「何も望まない」なんて、仮に無意識にしたって、僕は自分を信じられるほど強くないんだ。
 それに力を意図して使えるという事は、他人に「使わせられる」という事さ。きっとキョンが人質にされていただろうね?
 僕は、彼に迷惑をかけるような関係になんかなりたくない。彼はきっとそれを知っている」

「僕の望みを知っていてくれている。だから選ばれる可能性なんて無い、限りなくゼロさ」
「涼宮ハルヒは、力を知るまいと意図的に避けているという」
 継ぐように長門が言うと、佐々木はくつくつと笑った。
「そう、無意識にね」
 雪山事件、そして今回の事件。
 或いはキョンが真実を告げ、不思議が存在するのだと納得させようとしたあの時のように。

 涼宮ハルヒは無意識に「不思議事件を知覚しないようにしているのでは?」そう古泉は語る。
 それは「神様の力」と「鍵」が、彼女たち神様もどきの好意と直結しているのだ、という佐々木の話とよく似ている。
 涼宮ハルヒが、彼への好意を決して口にしないのとよく似ているのだ。
 それは果たして単なる類似なのだろうか。

「きっとそれが冴えたやり方なんだ。けれど真似はできそうもないね、涼宮さんだってきっと意識した上では出来ないよ」
「そんな風に。演劇のように。自分の本心を隠し続ける真似が出来るのは」
「そう、古泉くんくらいのもの、だったかな」
 面白そうにくつくつと笑う。
 それはただの判じ物、言葉のパズルを状況にあてはめているだけだ。
 けれど果たしてどこまでが偶然なのだろう、果たして、どこかに正解があるのだろうか。

「僕は好意を隠せなかった。そしてキョンも隠せなかった。ならいずれは涼宮さんも意識する番が来る」
「そう。力と好意が繋がっているというなら」
「原点回帰という奴かもしれないね」

 どう言い繕おうと、現在のSOS団は「力」が中心にあるのは否定できない。
 現代人の古泉はともかく、未来人である朝比奈みくる、宇宙人である長門有希は、「力」があるからSOS団に居る事が出来る。
 力が失われれば彼女たちはそこに居る理由がなくなってしまう。
 彼女達には、帰るべき場所があるのだから。

 キョンは『現在の不思議な世界とSOS団』を常に選び続けた。
 なら最後に天秤に乗るのもきっと『現在の不思議な世界とSOS団』を守るか否かなのだろう。
 その時、天秤の反対側には何が乗っているだろうか? 例えば『現在の関係を破棄するくらいに重い意味を持つ者』とは誰だろうか?


「そうだね、原点回帰という奴かもしれない」
 彼は涼宮ハルヒに『不思議はお前の周りにあるぞ』と伝えたことがある。
 けれど、彼女はそれを信じなかったし、長門有希は『彼女はあなたからの情報を重視しない』と判断した。

「けれど涼宮ハルヒが消失した世界、力を持たない涼宮ハルヒは全く疑わなかった」
「そうだね。それに僕もだ。キョンが不思議な世界を肯定した時、僕もまたすんなりと不思議な世界を受け入れた」
 それからまたくつくつと面白そうに喉を鳴らす。
 そこに符合したものを見るから。

「僕も、そしてジョン・スミスとキョンを認識した彼女も、不思議な世界の事を受け入れたんだ」
 また符合。それは不思議な力そのものを持たないという点で共通し、キョンと遠く離れている点で共通し、好意という点で共通する。
 彼に好意を抱きながらも、近くにいない、焦がれている、その点で共通している。
 現在が面白くない、その点で彼女たちは共通している。

 現在が面白い。
 何よりもその一点で彼女たちと涼宮ハルヒは相反する。それは果たしてただの符号なのだろうか?

「さて、今度キョンが涼宮さんに不思議を納得させようとしたらどうなるかな?」
「あの時の彼は、涼宮ハルヒに真実を伝えることで環境を変えようとしていた」
「そうだね。でも実際に説得材料を得た彼はそれを使おうとしない」
 ジョン・スミスという説得材料を得ても彼は使おうとしない。
 何気ない変化だが、果たしてそれは何故だろう。

「いつも、キョンは最初から答えが見えている選択を強いられている」
「今度こそ。答えが見えないような選択であったとしてもおかしくない」
 おかしそうに笑いあい、やがて長門は眼鏡に手をかけながら、まっすぐに佐々木を見つめた。


「けれど。それも全ては想像でしかない」
「そうだね。僕らは、今わかってることから想像力を働かせるしか出来る事はない」
「だから想像、いや妄想はこんなところにしておこうか」
「では。最後に聞いておきたい」
「なんなりと」
 首肯する。

「あなたの。望むものは何?」
「何もいらない」
 佐々木はほがらかに言った。その口調に嘘は無い。
 どこまでも朗らかに彼女は笑った。

「僕はとっくにたくさんのものを貰った。
 中学時代の思い出だけでも胸がいっぱいになるくらいに貰った。だから続きを望まなかった。そのまま別れるつもりだった……。
 なのにこの二週間、僕は本当に楽しかった、本当に幸せにしてもらった。ならこれ以上望むものはない。
 必死で覚えた受験知識を忘れても、片時も忘れなかったように、決して忘れない。
 とても大切なものを貰った。だからこれ以上望むものはない」

「中学時代の想いも約束も、僕であろうとする意義も、夢も、たくさんのものを思い出させてくれた」
 それからくすくすと笑った。
「それに親友なんて呼び方も、再会の約束まで貰ってしまった」
「それはあなたが悪い」
 長門は文庫本を弄びながら言う。

「あんな風に。振り切るような、再会が何年後になるか判らないような。そんな背中を見せたのは卑怯」
「くく、だから『また同窓会で会おうぜ』かな。彼らしいよ」
 果たして本当にそんな意味なのかまでは解らない。
 独白ですら、本心なのか解らないから。

 けれど、彼が佐々木を巻き込もうと企んでいるのは事実だろう。
 彼女を巻き込むまい、そうやってどこか他人行儀にしていたような関係とは違うのだから。
 ほぼ一年連絡を忘れ、再開後も執拗に「親友未満」と強調し続けていた彼とは、また違う関係になったのだから。

「僕は一年ですっかり動揺していた。
 そうさ、連絡を絶ち、断ち切ったはずのキョンとの関係をもう一度修復したがるくらいにね。
 けれどそんな風に強がる必要だってなかった、わたしはわたしで良いんだと思ったよ。キミに言うのは酷かもしれないが」
「いいえ」
 けれど長門は眼鏡を僅かに揺らして微笑んだ。

「確かにわたしはわたしの中に帰る。けれどそれは、長門有希が長門有希自身である事を彼に望まれたから」
 長門有希の中の長門有希、未だに眼鏡をかけ続ける長門は言う。
 消失、そう書かれた文庫本を手で押さえながら長門は言う。

「わたしはこうなる事を知っていて止められなかった。けれどそれでいい。わたしは、わたしで良いと知ることが出来たのだから。
 知る事が出来たから、だからわたしは変わっていける。強引にではなくわたしのまま緩やかに」
 自分自身に確認するように、もう一度長門は呟く。
「わたしは、今度はわたしのまま変わる」

「彼の傍らで、かい?」
「ええ」
 お互いに、少しだけ羨ましそうに笑い合い、それからゆっくりと椅子にかけなおした。
 後は腰をすえて、待たなければならないだろうから。

「さて、キョン達がこちらに来るのはどのくらい先になるかな」
「解らない」
「うん」
 先の事など解らない。
 けれど、解ることもある。

「僕は多分、もう少しだけ『語られる』だろう。出番がないのも確かだけどね」
「観測によって確定したから」
「そう」

「けれど、僕はキョンに心配をかけてしまった。
 だって僕は弱い、ただの普通の人間なのだと彼に伝えなければならなかった。でなければキャラと話の軸がブレてしまうだろうからね。
 だがそのままじゃ彼は心配してしまう、彼が心配しないんじゃおかしい。そして彼が無情だなんて誰だって考えたくないのさ。
 あの「巻き込んでやる」がただの言いっぱなしじゃ、すっきりしないだろう?
 なら、彼に対しなんらかの一文を強いることにはなるかもしれない」

 真っ白い空間。白いオープンテラスで佐々木は文庫本を手に取る。
 彼女は待っている。彼女について触れられるかもしれないから。けれど「観測」によってもう役割が終わっている事もよく解っている。
 もし役割があるとするならば。

「僕は彼に心配をかけてしまった。彼は僕を巻き込んでやると息巻いてしまった。
 けれど僕にもう役割はないんだ。だから、キョンはもう僕を心にかけなくてよい、そう思わせる一文が用意されるかもしれない。
 そう思わせるような行動を、僕は彼に見せてしまうのかもしれない……それが僕の最後の役割になる」
 でなければ、まるで彼が薄情であるかのように見えてしまうから。
 それは誰も望まないところであるから。

 彼と彼女は同じ学区の中学生。
 家は遠くない、同じ駅を共有する小さな街に住んでいるし、携帯電話だってある。関係を阻んだのは気持ちだけ。
 なら彼が彼女を巻き込もうと決意して締めて、そのままフェードアウトしてしまったなら、余計な詮索を物語に生みかねないのだ。
 佐々木は、フェードアウトする理由を示すという役割があるかもしれない。
 そして彼女は、ほんの数行でそれを表現しなければならないのだ。
 だって彼女は「もう出番がない」と明言されたのだから。

「さて、それじゃ待とうじゃないか」
 一人ごちると、佐々木は文庫本に没頭を始めた。退場した者の為の場所で、ひっそりと。
)終わり

「でも佐々木さん、とばっちり受けたのはあたしもですよ」
「橘さんも何か?」
 そう、横合いから言ったのは橘京子だ。

「あたしってば当初はミステリアスなイメージだったんですよ? 分裂当初だってそうです。底知れない年齢不詳とも言えるイメージです。
 それが分裂でだんだん狂っていって、挙句は「きょこたん」なんて言われるレベルまで落下する始末!」
 だんっと音高くアグレッシブに、攻撃的に、ツインテールで怒髪天を突いてテーブルを叩く。
「その急変に『実は演技? ならば驚愕で再度のどんでん返しです!』なんて思ってたのになんですあの扱い!」

「せめて『なんで朝比奈さん誘拐をした自分に、彼が従うなんて思ったの? バカなの?』ってことくらい解説したって良いでしょう!?」

「まあそうかもしれないね」
 佐々木は愉快げにくつくつと喉奥を振るわせる。
「確かに驚愕でのキミは、正直殆ど役柄をこなしていなかった。その点では僕とよく似ているかもしれない」
「うう……あれじゃただのやや中流より上の家柄の人のよいお嬢様じゃないですか」
「いやその評価も随分ファニーだと思うが」
 けん引役と見せかけて、結局振り回されただけだったと露呈したに終わったのは確かだ。
 それに彼女が属する「組織」も、ワンボックスカーを簡単に放棄するような、古泉機関と戦えるような……などと言われていたはずが。

「組織もあっさり解散ですし。なんだったんでしょうあたし達」
「さてねえ」
 前振りをした割に、結局殆ど語られずに終わった。
 という点では、彼女と「組織」はかなりあっさりした役柄だったと言える。
「でも橘さん、キミは古泉くんとフラグを立てているんだろう? ならまだ出れるかもしれないじゃないか」
「うう……でも古泉さんの私生活って事は、要するに謎って事じゃないですか」
 言いたい放題である。


「ふん。ロクな役柄を与えられなかった、と言う点ではこの僕に勝るものはおらんだろう」
「あ。パンジーの花の人です」
「誰がだ現地人」
 続いてテーブルを移ってきたのは勿論未来人、自称藤原である。

「僕の語るべき情報は多々あったはずだ。というよりそもそも僕の目的はあの現地人にも重なるはずなのだが……」
「彼、結局「朝比奈さんが死ぬ」という事すら、ロクに思い出さずに終わらせてますしねえ」
「ふん。まったく、あの男の怠惰も極まったとしか言う他がない」
「ちゃんと聞いてたはずなんですけれどねえ」
 橘は小首を傾げ、藤原は憤然とする。

 藤原の目的は「みくるを救うこと」にある。
 その点においてはキョンとの目的は合致していると言える、が。

「その為に涼宮さんを殺せとか、能力を佐々木さんに移せとか、やっぱり無理があるでしょ?」
「ふん、禁則だ」
「ないでしょ今」
 橘から視線をそらす藤原である。

「既に語ったように、涼宮ハルヒは既にそれをやっていたんだ。
 そしてその流れの果てに朝比奈みくるの死は存在する……僕がそれを逆用してやろうと思ったってスジは通っているはずだがな」
「理屈の上ではそうなのだが」
「さらっと語っただけですものね」
 ステレオで否定される藤原。

「だ、大体だな、僕は禁則事項によって言葉を制限されているのだ。故に伏線的なものを期待されても困る」
「なら禁則が取れた直後に、さっさと彼を説得しちゃってくれれば良かったんですよ」
「いや、そうもいかなかったのだろ?」
 藤原の視線を追う橘であったが、そこで佐々木が割ってはいった。

「文芸部とやらに着いた時から、やれキョンが二人に増えただの誰かが居ただの閉鎖空間がおかしいだの古泉くんだのと、藤原くんはさぞ混乱したのだろう」
「愚弄する気か現地人」
 したり顔の佐々木に藤原は殺気を乗せた視線を送るが
 あっさりと受け流された。

「タクシーでも思い知ったはずだよ藤原くん? それがキミ達未来人の行動制約なのだ。
 キミ達は「先を知っている」事がアドバンテージである以上、「先」を「変化させる」ような行動はとることが出来ないんだ。
 それに僕らにとって未来である以上、僕らへの干渉は未来にも影響を及ばすはずだしね。なら予定外の行動は自分の首を締めかねない。
 それがキミ達の弱みであり、僕ら現代人の強みなのさ」

「……で、結局ロクに話すことも出来ないまま、ブチ切れて涼宮さんを殺そうとした感情的な小悪党、って扱いになると」
「そのまとめ方もどうなの橘さん。ほら、藤原くんが隅っこで小さくなっちゃったし」
「意外にメンタル弱いんですよね彼」
 それは未来人らしい弱点と言えるかもしれない。

「時を超え、家族の為に奔走する青年、といえば本来は感動的な立ち位置のはずなんですけれどねえ」
「解説する暇すらロクに与えられなかったからねえ」
 元々制約が多い役柄である以上、読者からは不審者として見られていた面も大きい。
 その上、あのキャラクター付けではこうもなるだろう。

「そのキャラについても、何らかの演技だ、と匂わせるだけで終わりですものね」
「推測くらいはなりたつけれども」
「ですけれどねえ」
 橘はストローを加えてプラプラとさせる。

「そも、どうも『匂わせる』ばかりでロクに解説しなかったですよね。ふろしきを広げるだけでたたむのは読者任せばっかです」
「その手法が受けている面もあるのかもしれないけれどね」
 そもそもキョンの一人称オンリーである以上、全ては推測の形としかならない。
「だからどうとでもとれる、それがいつもの事ではあるのさ」
「なんだか彼の鈍感さそのものですよね」
「そうかな?」
 キョンは割と聡いはずだよ、とは佐々木の弁。

「聡いなら一層酷いですよ?」
「何が?」
 橘はべーっと舌を広げる。
「そりゃ佐々木さんの扱いですよ。結局、彼から佐々木さんに一年連絡がなかったのはなんだったんですか?」
「そこはそれ」
 ご想像にお任せします、である。

「ふくく、単に友達としか見てなかったから、で良いんじゃないのか?」
 復活した藤原が意地悪く嘯くが、橘はそれをギロリと睨みつけた。
「なら最悪ですね」
「そうかい?」
 佐々木はコーヒーカップを優雅に傾けるばかり。

「佐々木さん、めっちゃくちゃ懐きまくってるじゃないですか。
 一年空白置いてあの懐きっぷりですし、中学の六月・九月・雨の日、どのエピソードだってベタベタですよ? ベッタベタですよ?」
「ふん。最初は演技なのかという振りもあったが、結局本心から懐ききっていただけだったアレか」
「僕は誰かに行為を振舞ったつもりはないよ。特にキョンはそれを知っているはずだ」
「などと本人は供述しており」
 スプーンをマイクに見立てる橘。

「ふくく、まあアレで『なんとも思わなかった』ならホモとしか言いようがないな」
「うるさいね藤原くん」
「そうでなくてもね」
 橘はツインテールをピコピコと揺らしながら独演する。

「佐々木さんが彼を凄く気遣っていることは傍から見ても伝わってきます。塾でも、受験でも、きっとそうだったはずですよ。
 仮に友達としか思わなかった、としても、それでそのまま連絡が絶えたんだ……ってどんだけですか」
 テーブルをばんばんと叩くその姿にはミステリアスの欠片も無い。

「誰かに好意を受ける事が、当然だとでも思ってるんですか? クソじゃないですかあの男」
「性別もだな。体臭、体格、それはあいつらの距離なら嫌でも知覚するはずなんだがな? 現地人は鼻まで進化途上なのか?」
 ……………………………
 …………………
 …………

 あとはひたすら悪口大会となった。
 けれどただの悪口ではない、誰だってキョンがただの鈍感ではないと思いたいのだ。
 仲間想いだと思いたいのだ。その「仲間」の中に、肩を並べて微笑んでいた佐々木を入れてやって欲しい、という事なのだ。

 キョンとハルヒには幸せになってほしい。それが正道だという事は解っている。
 だからこそ、ちゃんと向き合って欲しいと思ってしまうのだ。

 はりつけられ、選択がかかった場面で、もしハルヒでなく、佐々木の生命が懸かっていたら、きっとそれでもキョンは飛んだだろうと。
 そう思えてしまうくらいに『良い奴』だという認識は共通しているから。
 ……だからあの退場劇に不満が残るのだ、と。

 それはハルヒもだ。
 誰よりも「一人の寂しさ」を知るハルヒだからこそ、一人で立ち向かおうとする佐々木を、そのままにしないで欲しかった、と。
 誰よりも「表層ほど特殊な人格じゃない、その心はまっすぐで常識的なのだ」と語られるハルヒだからこそ
 正々堂々とした対決を望んで欲しかったのだ、と。

 そして佐々木もだ。
 潔く、格好良く、二人の為に、自分自身の為に。そう去っていく背中は誰よりも素敵だった。
 けれど「キミの日常の中に行きたい」と告げ続けたのも、彼の傍らで誰よりも幸せそうに微笑んでいたのも、それも真実だろうから。
 その本音で、彼らとちゃんと向き合って欲しいと思ってはいけないだろうか。

 恋愛劇、それはシンプルで子供っぽくもあり、そしてアダルトで、大人で、たとえ老境に至ろうと通じるエピソード。
 だからこそ「力」なんて「システム」で片付けないで欲しかったのだ、と。
 願うのは、果たしていけないことなのだろうか。


 退場者は願う。
 今、彼らを素直に祝福できなくなった者は願う。彼らをもう一度、祝福できますように、と。
)終わり

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最終更新:2012年06月23日 01:13
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