67-369 あじさいの季節のふたり

 高校二年の六月、カレンダーには特にイベントらしいものはない。
 高校生活にも今のクラスにもそれなりに慣れきり、大学進学にはもう少し間が要り、黄金週間もなければ夏休みも無い。
 強いて言うなら梅雨があるくらいだが、これは高校生に限らず訪れるものだと思っている。
 むしろ、もし高校以外には梅雨が来ないというのならさっさと卒業し
「しっかし殺風景ね」
「何がだ」
 俺の思考を遮った傍若無人なるSOS団団長閣下は、こう台詞をお続けになられた。

「この通学路よ」
 いつものようにSOS団4人でツルみ、ぼんやりと下っていく高校帰りの風景。
 何か不満でもあるってのかハルヒよ。まあ確かに下り坂は登りよりある意味辛いとは聞くが。
「アリよアリよ大アリよ!」
 思えばそれが今回の騒動の皮切りだった。

 この何もない通学路に飽き飽きしたから、どうだ花でも植えてみないか。
 と、まあそんなイベントさ。ハルヒは大人相手なら奇妙なまでの折衝能力があるのはご存知の通り
 そこに古泉が「機関」で資材調達をバックアップし、長門が園芸知識をどこからか仕入れ、朝比奈さんが可愛らしくわたわたとすれば、
 後は俺と古泉が実地でスコップかついで地面をほじくり返す羽目になるって訳だな。
「いや、困ったものです」
 ならお前も少しは反論しろ似非スマイル。

「あの殺風景な道に花壇をつくるのよ!」
 そんなSOS団の特別活動は、文字通り実を結ぶというか、花を咲かすべく六月の曇り空の下で全力で実施された訳であり
 俺が授業中、机に突っ伏してしまったのもやんぬるかなってなとこだ。まったく、学校の机ってのは、下手、したら、自分の、部屋、より、寝、やす……
 ……………………、
 ……………。


「キョン、そんなぼんやりしてどうかしたのかい?」
 ん? 別に意味があっての事じゃねえよ。
「空に何か?」
「いや」
 誰かがミサイルでもぶっ放してくれねえかな、なんてな。
「まだそんな事を言っているのかね」
「悪いかよ」

 中学の帰り道。
 六月のボヤけた空の下、俺の家へと続く何もねえ通学路で物騒な事をぼやくと、佐々木は呆れたように笑った。
 ああ、前にも言ったが俺は別に世の中に絶望してる訳じゃねえ。ただ
「ただ、この平凡な日常を何かが壊してくれないか、かい?」
「そういう事だ」
 俺の言葉を佐々木が飲み込む。
 こいつにはちょっと前に話したことがあったから、すんなりと言葉が出た。
 まあその時に嫌になるほど夢をぶち壊されたのも確かなのだが。

「相変わらずのエンターテイメント症候群なんだね、キミは」
「そう簡単に変わらんさ」
 俺だって、「もしも」なんてそうそうありえない程度に現実の物理法則とやらがよく出来ている事くらいは理解させられたさ。
 けど、どっかの独裁者が暴走したり、くらいは想像したって構わんだろ。

 まあ佐々木の事だ、どうせまたぞろ適当でファンタジーな仮想精神病を作って俺をたぶらかしにかかるに決まってる。
 でも俺だってここ二ヶ月でお前との付き合い方は慣れてきたつもりだからな。さあ今日はどうでる?
「だろうね」
「とは言うがな佐々木」
 ん? いや今なんて言った?
 思わずそちらを見ると、こいつは思慮深げに頷いて見せた。

「ん?」
「いや」
 なんだ何の前振りだ。
「キョン、僕にだって頷ける面がないとは言わないよ。それは誰にでもある事だからね」
「この前と言う事が違うな?」
「まあね」

「僕にだって気恥ずかしいと思う気持ちくらいはあるさ」
 今、遠まわしに俺の事をバカにしなかったか?
「いやいや、キミの純真さに感服したのさ」
 やっぱりバカにしてるだろ。
「キョン」
 佐々木は少し足を速め、俺の顔を意味ありげに覗き込んできた。

「誰だって退屈なんか嫌いさ。だからキミの言う事は一面で真実だよ。それは誰にでも宿りうる思考かもしれない」
「こないだと180℃言う事が違うじゃねえか」
「くく、話は最後まで聞いておくれよ」
 かばんを後ろ手にぱたぱたとやりながら話を続ける。
 まったく、こいつ、こんな仕草だけならさぞモテそうな感じなのにな。

「けれどねキョン、普通はそんなのありえないって誰もが断じてしまうものだよ。口に出すのは珍しい部類だと思うがね?」
「しかしな佐々木、それでも誰もがフィクションを望むからフィクションが隆盛するんじゃねえのか」
「確かにそうかもしれない。しかしだ」
「解ってるよ」
 フィクションだと解っているからこそ、フィクションとして隆盛しているんだろう、って事くらいはな。
「……気に障ったなら謝罪させてくれないか」
「別にいい」
 お前はいつも正しい事を言っている。それくらいは解ってるさ。

「キョン、でも正しい事だけでは人間はやってはいけない。それくらい僕にも解ってる」
 少し遠くを見ながら佐々木は珍しく寂しげに笑った。
「だからさ、うん。だから」
 これまた珍しく、言葉に詰まる。
 どうした?

「いや、やはり僕は語彙が不足しているのだな、と思ってね」
「お前レベルで語彙不足なら、俺はどうなるんだ」
「僕に聞かれても困るな」
 くつくつと楽しげな笑みに変わる。

「ねえ、キョン」
 一通り笑い終えると、佐々木はふと視線をあらぬ方向へ固定する。
「話は変わるが、そこに咲いているものが見えるかい?」
「見えるぞ。特に視力が悪いわけじゃないからな」
 その視線の先にあったのは、紫陽花、あじさいの花だった。
 昨日の雨の名残を残し、とりどりの花が揺れている。
「では、あの雲が見えるかい?」
「それがどうかしたか?」
 指差す先には、周囲の塊からはぐれたように、ぽつりと……強いて言うならカニっぽい形の雲が流れていた。

「キレイだとは思わないか?」
「ん。まあな」
 否定する材料は無い。
「不思議だとは思わないか?」
「ん。それなりにな」
 珍しい形だとは思う。
「ねえ、キョン」
「なんだ」
 なんとなくだが、伝わってくる。

「僕が思うに、世の中はやはり捉え方一つで変わるものなんじゃないのかな」
 少しだけ困ったような笑顔で佐々木は続ける。
「確かに、現代のフィクション的な刺激になれた僕らには、この世界は少しばかり退屈かもしれない。
 けれど、四季、いや、もっと言えば月毎に、日毎に、違った花が咲き、葉が茂り、雲は流れ、他人と出会い別れて、世界は様相を変えていく。
 その小さな変化を楽しみにして、多少退屈な世界であろうと好きになっていく事はできないかな」

「古い家の生垣が消え、ビルになり、また景色が変わっていくように。
 僕らの周りの小さな世界でさえ変化を伴わずにいられない。ならその一つ一つに目を留めて、小さな変化を楽しむことは出来ないかな」
「……フィクションに慣れた俺みたいなのには、少しばかり退屈かもしれんな」
「だろうね」
 苦笑が返ってくる。

「けどな」
 苦笑を返してやる。
「確かに、そういうものの見方もあるのかも知れん」
 佐々木の誠意は伝わってくる。こいつは多分、俺と同じ視線を探そうとしてくれているのだろうな、と。

 こいつの価値観は俺と決定的に違う。それはリアリストの視点だ。
 俺だってバカじゃない。今の自分の視線が同世代と少しズレてる事くらい理解してるさ。
 けれどそれでも佐々木は、上からでもなく、下からでもなく、同じ視線で語り合おうとしてくれているのだろうな、と。
 その誠意くらい、俺にだって伝わってくるんだ。

「ねえ、キョン」
 佐々木は言葉を繰り返す。
「僕だってホントは同じかもしれない。こんな退屈な世界、壊れてしまえばいいのな、なんてさ。
 僕だって思うところはあるし、こんな世界を全面的に肯定できるって訳じゃないんだ。僕らの手には、あまりにも強くて固くて残酷だからね。
 けれど強固で残酷で、どうにも抗えないからこそ、それを受け入れようと僕は努めている。
 だから、そんな事を素直に口に出来るキミが……そうだな」
 言葉をようやく見つけた、そう口元が言っている。
「僕は少し、羨ましいのかもしれないね」
 少しだけ衝撃的な言葉で締めくくられ、何とも言えない気持ちになった。
 だから。

「なあ佐々木」
 俺も同じ言葉を返す。
「俺は子供の頃、もっと世界は自分の好きに出来るもんだと思ってた。そんなファンタジーやフィクションはありふれていたからな」
 ガキっぽいと笑わば笑え。どうせ中坊なんてガキなんだ、ガキが思うところを素直に口にして何が悪い。
 それにこいつはきっとちゃんと向き合ってくる。向き合って、正しい何かを言ってくれる。
 話を聞いてくれる奴がいるんだ、なら口にして何が悪いって言うんだ。
 どうせ佐々木と紫陽花くらいしか聞いちゃおらんのだ。

「なあ、お前はこんな退屈な世界が好きか?」
「僕だって、全部好きって訳じゃないさ」
 否定。いやそうだろうか?
「そうさ、僕らの好きに出来ない、こんな世界は好ましいとは言えない。……けれどね」
 そうだな。佐々木なら「けれど」と続ける。

「僕らはボーイズアンドガールズ、成長中の子供でしかないんだ。世界を好きにしたければ、一つ一つでも力を付けていくしかない。
 そうやって力をつけるという代償を払うことで、ようやく僕らはその権利を得るのさ。
 代償なしで何かを好きにしたいだなんて、おこがましいことじゃないかな」
「おこがましいこと?」
「そう」
 頭一つ小さい佐々木は、こちらを覗きこむようにして見つめてくる。

「だってそうだろ? 誰かが得るという事は誰かが失うという事であるように。
 誰にとっても好ましい事象なんて基本ありえない。そんな残酷な法則をもってこの世界は成り立っているんだ。
 もし、皆が皆、自分の望み通りに世界を変えられるとするなら、きっと世界は成り立たないだろ? だからこそ、何かを変えたいのなら代償が必要なのさ。
 そして僕ら学生って身分は」
 ニヤリと、笑う。

「勉学と言う代償を払うことで、将来、世界を少しでも自由に出来る権利を得る。そのための時間なんじゃないかな?」
 今が一番柔らかく、肉体的にも学力的にも最も伸び易い時期なのだから、か。
「その通り。僕はそう信じているし、信じたいんだ。でなきゃ……」
 少し寂しげに付け加えた言葉の語尾はかすれて消えた。
 一時の沈黙に、俺は肩をすくめて見せる。

「確かにそいつは正論だ」
 俺がポンと小さな肩を叩いてやると、佐々木は不思議そうにこちらを見た。
「お前はホント正しい事ばかり言うんだな」
「正しくあろうとしているだけさ」
 多分無意識に背筋を伸ばして歩きながら、佐々木は笑う。
 そう、こいつはいつだって背筋を伸ばしている。
 こいつらしいと俺は思う。

「僕だってこんな世界が好きって訳じゃない。
 けれど僕らの力で変えられるものなんてほんのわずかなんだ。
 自分の力を信じろ、なんてフィクションではよく言うけれど、その自分の力を高めていくのが今の期間なのだと僕は思う」
 くつくつと喉奥を震わせ、いつもの笑みが零れだす。

「むしろ僕らくらいの年齢は『自分の力を信じちゃいけない』のさ。それは無謀や傲慢と変わらないかもしれないからね」
「おいおい夢の無いことを言うなよ」
 それはフィクションの王道台詞だぞ。
「キョン」
 佐々木はたしなめるようにこちらを見つめる。
「現実は基本的に力学だ。そして学生というものは基本的に無力なものだろ? 僕らは知力・体力・金銭調達力などなどいずれも未熟さ。
 そういうのは、きちんと努力を重ね、自分の力量を目標まで押し上げている人間が言うべき台詞だよ。
 勝算が無いものは無謀と言うべきだし、折衝を欠いた交渉はごり押しと非難されるべきだ」
 そう俺のフィクションを一旦打ち砕いてから、にやりと片頬を歪めて笑う。

「明日笑う為に、今日は苦労をしていこう。それが今出来る事なんじゃないのかな?」
 何も無い殺風景な通学路を歩きつつ、傍らのあじさいにすれすれまで手を伸ばして佐々木は笑う。
 触れそうで触れない、摘んだり、傷つけたりはしない。
 そうしていつものようにシニカルに笑う。

「まあ辛くなったら逃げ場を作ればいい。どんなに辛くたっていつかは終わると割り切ればいいのさ、そういう考え方もあるよ?」
 唇の片端だけを上げた、いつもの皮肉めいた笑顔で笑う。
 しかし佐々木よ、せっかくだから俺は楽しみたいね。
 何せたった一度きりの人生だからな。

「そう、せっかくの人生さ。退屈かもしれないけれど、少しでも変化を楽しみながら歩いて行こうじゃないか。
 僕らが身体的に成長し、少しずつ背が伸びていくだけでも、きっと世界は様変わりして見えるようになっていくのだろうしね。
 そうしていつか、なんだって好きに出来る大人にたどり着けると信じようじゃないか。……それにね」
 片頬を歪めるいつもの笑顔がほぐれ、ちょっとだけ優しい笑みに変わる。
 優しい? いや違うな。楽しげというべきなんだろうか。

「最近、僕は世界という奴も結構優しい奴なんじゃないかと思うようになったんだ」
「何か心境の変化でもあったのか?」
 そう聞いてやると、笑みが少しだけ尖ってしまった。
 すまん、何か気に障ったか?
「いや? そういうのもキミらしいからね」
 いや怒ってるだろお前。
「怒ってないさ。キミに怒るだなんて虫のいいことだと解ってるからね」
「一体何の事だ?」
 すると佐々木はまた俺の顔を覗き込み、いたずらっぽく微笑んだ。

「キョン。キミという得がたい話し相手を得たのは、僕にとっても嬉しい変化だったからさ。……そう言ったら信じるかい?」

 そこで俺の家に着き、俺達は自転車を引き出し、二人で塾へ向かった。
 道中も何かを話したこと、そして佐々木が少しばかり怒っていたことが、ちょっとだけ印象に残っている。
 その少し前のエンターテイメント症候群云々を皮切りに、俺が日常という奴に本格的に傾倒しはじめたのは、そういえばこの頃だったろうか。
 そんな中学三年、六月末のドリーム…………。
 ………………………
 ………


「バカキョン!」
 うおっと!?
「寝くたばってる場合じゃないでしょ。ほら、行くわよ」
 だからってもう少し加減してくれ、なんか考えてたはずなのに吹っ飛んだだろうが……
 そう抗議をしようとして、ふと辺りを見回すと、周囲はすっかり閑散としていた。
 俺が寝ている間に授業もホームルームも終わってしまったらしい。
 おいおいこんなんで来年の受験は大丈夫なのか俺。

「まったく。疲れてるなら言いなさいよ」
「すまんなハルヒ」
 いつもよりややスローペースで歩くハルヒの後ろを行きながら、俺達はSOS団の巣窟たる文芸部部室に向かう。
 さて、花壇作りは残りどのくらいだったっけな?
「後はもう少し耕して、種をまきましょう」
 種か。

「なあハルヒ」
「何よ」
 俺は少しだけ考えて言った。理由は解らんが脳裏に浮かんだ花があったからだ。
「紫陽花の種もまいていいか?」
「いいけど、咲くのは当分先よ?」
「解ってるさ」
 けどなんとなくな。
 なんとなく思い浮かんだんだ。いいだろ?
)終わり

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最終更新:2012年06月25日 23:43
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