その時の僕がキョンの背中を蹴りたい気持ちになったのは、きっと誰も許してくれる当然の感情だと思う。
しかし、ここで素直に「君の横に乗りたい」と言えば負けになる。僕の小さなプライドは許さなかった。
「そうかい、僕専用とはありがたい。
君の厚意には感謝するが夏は熱射病、冬は霜焼けになりそうなのだ。
きっと何かの解決策があっての提案だと思うが、よければ僕に教えて貰えないか?」
こう言えばさすがのキョンも気が付くだろうと思った僕が浅はかだった。
キョンは軽トラの荷台に幌を取り付けた。
「中が暗いのだけど・・・・」
電灯が取り付けられた。
「少しは落ち着きたいのだが」
荷台専用のラジオ(短波だ)が付いた。
「お尻が痛くなっちゃうから」
ソファーを拾って取り付けた。
「色んな勉強もしたいし」
学習机が運転席と遮るように設置された。
「君と話がしたい」
インターホンが設置された。
「いささか安全性に・・・」
パンパンに膨らんだタイヤチューブに囲まれた。チューブレス全盛の世の中なのに。
「周りの騒音が・・・」
荷台に大型冷凍庫が特装され、冷凍車と華麗に変わった。
君は僕を冷凍サンマと共に心の中まで冷やそうと言うのかい?
僕は君が分かってくれるまで、横に乗ってくれと言わない限り、熱い情熱を胸に秘めて待ち続けるさ。
そんなある日、涼宮さんが助手席に座ってきた。
夏場に相応しくない強烈な悪寒を感じて俺は目を覚まし、暗い中で電灯を灯して時間を確認した。
午前3時半・・・・まだ起きるのには4時間も有るじゃないか!しかし、夢の中に佐々木が出てくるとは今まで無かったなと思いつつ、佐々木とはいつ会っただろうかとふと考える。ああ、分かっているさ。昨日の夕方の事だ。
昨日は実験が長引いて学校を出るのは10時ぐらいになってたな。
駐車場へすっかり変わり果てた愛車に乗ろうとしていたら、車の影から佐々木がひょこりと顔を出し、いつものように乗せてくれと頼まれた。
・・・・なぁ、佐々木よ。人間は思わず楽をしたがるのが性分だが、待つ間の苦労を考えると素直に家へ帰った方が早く帰れるし親御さんもその方が安心するに相違無い。
そう俺が言うと「君は人の気持ちを全然理解してない」と、いつもの佐々木トークで散々に俺を打ちのめしてくれた。
斯く云うあいつも俺の事を本当に嫌ってはないのは毎日冷凍車に乗り込む姿を見ていると思うし、これが佐々木流のスキンシップであろうと俺は断言できる。
それで俺は何を考えていたんだっけ?そうだ、昨日の事だったよな。
学校を出てしばらくすると、右車線からスポーツカーがパッシングしながら駆け抜けて、ハザードを灯しながら俺を路側へと導いた。これで何度目だ?
黄色いポ○シェから降り立ったハルヒは仁王立ちでこうのたまった。
「あんた、そんな寒い車に乗ってないであたしの愛車に乗りなさい!
運転したいのならさせてあげてもいいわよ。ボロボロにされても許してあげるわ」
ハルヒのおねだりも最初の頃はかわいげが残っていて、はじめはいかにも親父さんのお下がりと言う感じが残るのマーク○だったが、最近は俺が拒んでいるせいか段々とエスカレートしてきて、車のグレードを段々と釣り上げて俺を誘おうとしてる。
マーク○がクラ○ンへ、そして外車になるのもそう時間は掛からなかった。
さすがに車を次々に買い換えるという暴挙には至らなかった様子だが、替え玉になる車は決まってレンタカーのナンバープレートを付けていた。
聞けば近所のトヨレ○で借りたららしいが、フェラーリやアルファロメオやルノーやシトロエンやジャガーやモーガン等々、外車をホイホイをレンタルするトヨレ○がこの世にあるかとハルヒに言ってやりたかったが、おそらくは陰で古泉も苦労しているに違いないと考えると、そう言ってやる事もはばかるのだ。
普段の俺はハルヒの誘いに「俺はこの車に色々手を掛けて愛着もあるから浮気は出来ないな」と遊女の誘いを断る遊び人の様な言葉で逃げていたが、今日のハルヒを見る限りはそんな言い訳では納得しないだろうと、目線を読んだ俺はそう考えた。
そろそろこいつに教えてやる日が来たようだ。
「ハルヒよ、お前は全然理解していないな」
「なによ、あんたにあたしの気持ちが分かるって言うの?」
いや、そうじゃないんだ。ハルヒよ。
車の運転というものは本来的に根本的に孤独で憂鬱な作業でしかないんだ。そこに楽しみを求めて追求するのが真の車乗りって云う物だ。
車という物は、自動車って云う乗り物は自由でなければいけないんだよ!
お前の行動を見るに、車を道具としてしか、ステータスの証として捉えてないか?
俺はそんな考え方は断固として拒絶する!
徹底的に戦うぞ!断じて戦うぞ!!そう、これは自由な心を求める戦いなのだ。
俺はハルヒの手首を柔術の要領でひねり上げると、乱暴に愛車の助手席に放り込んだ。
「あんた、あたしに何する気!?」
「俺がみっちりと仕込んでやる!」
俺はアクセルをふかして7,000rpmまで上げると、おもむろにブレーキとクラッチを操り愛車を急発進させた。
さて、その時は何を考えていたんだろうね。
俺にもさっぱり分からない。俺にしては珍しく、いつもとは違う自分をハルヒなんぞにアピールしたかったのだろうか?
冷静に考えればそんな大事をやらかすとハルヒの方が乗ってきて、自分自身にその災いが降り掛かってくるのは火を見るより明らかな事だったが、多分に実験疲れだと思う。
きっと相当に俺は疲れていたのだろう。
川端通りを弾丸のように駆け抜けた俺は、京都南ICから高速に乗り一路西へと車を進めた。
この一角は結構いろんなハイテク関係の会社が多く、古都らしからぬ鮮やかなネオンサインが瞬いているが、そんな風景を眺めている余裕もなく俺は長大なトンネルへ車を進めた。
めくるめく光と闇の連続にハルヒもさすがに驚いていたようだ。
いや、違うかな?多分そうだろう。
最初は違和感を感じるものだ。
自分の目線が普段と違っていれば違和感も当然感じるであろうし、まして自分のつま先のほんの向こうが外の世界になっているのだ。
軽トラ特有の乗車感と云っても過言ではない。
俺は教習者からこの愛車へ乗り換える時にそう感じたし、ハルヒだって家の車や借用車との走行感の違和感を感じているに違うない。
子供みたいなこいつが車に乗ってから妙に大人しくしているも納得だ。
だが、俺が見せたい感じさせたいと思っているのは暴走ではなく、本当に走る楽しみをハルヒに教えたいのだ。
ここまで来るまでに一体幾ら費やしたんだろうね。
普段なら荷台の主と会話しつつ下道を走り続ける俺なのだが、この時だけは高速を使って走り続け、気が付けば女子に人気の歌劇の舞台がある街まで進み、そこでようやく下道へと降りた。
さすがにここまで一気に突っ走ると有る程度の心地よい疲労感と達成感で少し興奮気味となり、少しは喉を潤して落ち着こうという気が起きてくる。
そこですっかり暗くなった誰かさんの記念館の傍にあるコンビニに車を停めて、ハルヒを連れて買い物へ出掛けた。
こんな状態になるのは何年ぶりの事かね?
ハルヒは不安げな表情で俺の上着の袖をちょこんとつまみ、俺の半歩後ろを付いてきた。
閉鎖空間以来の仕草だな。
「ねぇ、なに買うつもり?」
俺がコンビニではコーヒーぐらいしか買わないのを憶えていないのだろうか?
「これ、買ってかないの?」
いらないよ、一体何をしに来てるんだ?
「えっ、使わないの!?」
だからいちいち五月蠅いってば。
「あんたがそのつもりなら、あたしだって気合いを入れて・・・・」
気合いを入れてくれるのは大いに結構だが、気合いを入れるアクションに俺を巻き込むのは勘弁な。
車を再び鞭を打った俺は山へと向かって走り出した。
俺がなにをハルヒに伝えたかったか、そして何処へ行ったか分かるだろう。
俺は運転する操作と、その反応を楽しむ事をハルヒに教えたくて、裏六甲から明石へと抜ける九十九折りの道を選んで俺は駆け抜けようとしたのさ。
アクセルは常に6,000rpm以上をキープして巧みなシフトチェンジを繰り返し、時にマフラーから炎と衝撃波を奏でつつ、暗くなった山道を旋風の様に駆け抜けていった。
こんな道楽はAT車しか乗らない奴は実感できないんだろうな。エンジンの鼓動を直に感じられるのがMT車の快感なのだよ。
「あんた、なに一人で悦に入りながら運転しているわけ?
これがあんたの言う仕込みなの!」
俺はゲンコツで殴られた。
話をしながら殴るとはお前の器用さは認めてやるが、運転中に殴るのは御免被りたい。危ないからな。
さっさと車を停めろと言うので俺は仕方なく車を停めるとあいつ、さっさと降りやがった。
「あんたには散々あきれたわ。あたし歩いて帰るわ。
もう二度とあたしの前に出てくんな!」
こいつとはやっぱ折り合いが付かないのかと、怒り肩で山を降りようと突き進むハルヒを眺めてそう思った。
ここでこのまま帰しても良かったのかも知れないが、その時の俺は動揺していたに違いない。
「ハルヒ、待てってば!」
世界崩壊とか世間体とか俺の気持ちなんて、この際だからどうでもいい。
普段から反りの合わない俺達だが、ここで帰すと何か永遠に何かを喪失してしまう感じたした。
ハルヒに駆け寄った俺は肩を強く握り、ハルヒの脚を止める事に何とか成功した。
「あたしの前にもう出て来るなって、さっき言ったばかりじゃない・・・・」
それはそれでハルヒにしてはパンチが無い反応で、少し鼻声だった。ハルヒの顔が読めない暗闇で、この仕草が伝わるか分からなかったが、俺は天上を指し示し「苦労しないとこんな夜空も拝めないんだよ」と語っていた。
俺も一緒に天を仰いだが、そこは俺自身の想像を遥かに超えた景色があった。
漆黒という名の絵の具の中で様々な色合いや光り具合の星々が自分を主張していた。
無論、夜空の星に目の焦点の機能が追い付く訳でもなく、すぅと自然と呑み込まれるかの具合で見ている人間の精神までも吸い込みそうな、そんな景色だった。
流星が夜空を横切ったのは本当に偶然だろう。色んな色に次々と変わる綺麗な流星だった。
「わかったわよ。
もう帰るなんて言わないから、もう少しこの景色を見させて。
あんたはあたしがいいって言うまで後ろを向いてなさい。命令だから・・・・ね」
随分とわがままな事をおっしゃるお姫様だな。
俺はハルヒが言うままに後ろを向き、天上の闇に再び視線を向けた。
この宇宙では高度に意識を持つに至った有機生命体は地球人しか居ないらしい。むかし長門が言っていた。
こんな当たり前に存在する景色を見て素晴らしいと感じるのが人間だけとは勿体無い話だ。
そうだ、長門はこんな景色を見て何と感じるのであろうか。願わくば・・・・・・・・、
そうだったな。
そんな事があってハルヒを家まで連れて帰り、別れ際に「あんたがせめてAZ-1に乗ってればね」と言われ、俺が「廃版車マニアにまだ成りたくもないね」と返してその日の会話は終了した。
それが2時過ぎの話だったと思う。それから家に帰って家族が起きないように足音を忍ばせて自室に帰り、メールチェックをすませて服を着替えて床に入った。
これが大体3時ぐらいだったと思う。
昨日の話は以上なのだが、さて俺は何故に昨日の事を思い出していたのだろうか?
・・・・・・・・・・・・あっ!
慌てて駆け出した俺は靴を履くのも忘れて愛車へと掛けつつ後部の扉を開いた。
そこには新田次郎もビックリするぐらいに八甲田山じみた佐々木がいた。
「ひどい、非道過ぎるよキョン。
僕は身も心もすっかり凍り付いてしまったではないか。
君はこんな僕をどうやって温めてくれるのかい?きっちり責任は取って貰うつもりだよ」
――わかった、わかったから今日は俺の家に泊まっていけ。
――明日は温泉にでも連れて行ってやるからさ。
佐々木はやっと微笑みを取り戻した。
・・・・明日はスパワールド決定だな。
そう考えながら俺は佐々木の手を取って部屋へといざないだ。